NO.212

CD-R /CD-RW 使用時ブルー スクリーンが発生する

最終更新日: 2000/07/03
文書番号: JP237468


この資料は以下の製品について記述したものです。
  • Microsoft Windows 2000 Professional
  • Microsoft Windows 2000 Server
  • Microsoft Windows 2000 Advanced Server


現象

重要 : この資料には、レジストリの編集に関する情報が含まれています。レジストリを編集する前に、問題が発生した場合に備えて、レジストリの復元方法を理解しておいてください。復元方法の詳細については、Regedit.exe のヘルプ トピック「レジストリを復元する」、またはRegedt32.exe のヘルプ トピック「レジストリ キーを復元する」を参照してください。
Adaptec Easy CD Creator Version 3.5b 以前または Adaptec DirectCD Version 3.0 以前の製品を Windows 2000 コンピュータで実行すると、プログラムが正しく起動しなかったり、コンピュータが応答しなくなる (ハングアップする) ことがあります。また、ブルー スクリーンに次のいずれかのエラー メッセージが表示されることがあります。このとき、コンピュータをセーフ モードで起動できる場合とできない場合があります。

STOP 0x0000001E: KMODE_EXCEPTION_NOT_HANDLED
または
STOP 0x0000009F: DRIVER_POWER_STATE_FAILURE
または
STOP 0x000000D1:DRIVER_IRQL_NOT_LESS_OR_EQUAL

 


原因

この問題は、Easy CD Creator Version 3.5b 以前および DirectCD Version 3.0 以前のバージョンが Windows 2000 と互換性がないために発生します。


解決方法

この問題を解決するには、以下の該当する方法を実行してください。

方法 1


注意 : セーフ モードでコンピュータを起動できる場合に限り、この方法を実行できます。
  1. [スタート] ボタンをクリックし、[設定] をポイントして、[コントロール パネル] をクリックします。

  2. [システム] をダブルクリックし、[ハードウェア] タブをクリックして、[デバイス マネージャ] をクリックします。

  3. [表示] メニューの [非表示のデバイスの表示] をクリックします。

  4. [プラグ アンド プレイではないドライバ] をダブルクリックし、[CDR4VSD] を右クリックして、[プロパティ] をクリックします。

  5. [ドライバ] タブをクリックし、[停止] をクリックし、[無効] をクリックして、 [OK] をクリックします。

  6. [CDRPWD] および [CDUDF] についても、それぞれ上記手順 4. と 5. を繰り返します。.


方法 2


警告 : レジストリ エディタの使い方を誤ると、深刻な問題が発生することがあります。最悪の場合、オペレーティング システムの再インストールが必要です。Microsoft は、レジストリ エディタの誤用により発生した問題に関しては、一切責任を負わないものとします。レジストリ エディタは、自己の責任においてご使用ください。

レジストリの編集の詳細については、レジストリ エディタ (Regedit.exe) のオンライン ヘルプ トピック「キーと値を変更する」、または Regedt32.exe のオンライン ヘルプ トピック「レジストリの情報を追加または削除する」および「レジストリ情報を編集する」を参照してください。レジストリを編集する前にレジストリのバックアップを必ず作成してください。Windows NT または Windows 2000 を実行している場合、システム修復ディスク (ERD) も更新する必要があります。

注意 : セーフ モードでコンピュータを起動できる場合に限り、この方法を実行できます。
  1. レジストリ エディタ (Regedt32.exe) を使用し、レジストリで次のキーを検索します。

    HKEY_LOCAL_MACHINE\System\CurrentControlSet\Services\CDR4VSD
  2. 次のレジストリ値を修正します。

    値の名前 : Start
    データ型 : REG_DWORD
    値 : 4
  3. [CDRPWD] および [CDUDF] についても、それぞれ上記手順 1. と 2. を繰り返します。


方法 3


注意 : セーフ モードでコンピュータを起動できる場合に限り、この方法を実行できます。
  1. Windows 2000 セットアップ ディスクでコンピュータを起動します。コンピュータが CD-ROM からの起動をサポートしている場合には、Windows 2000 CD-ROM から起動することもできます。

  2. 「セットアップへようこそ」画面が表示されたら、 R キーを押し、続いて C キーを押して回復コンソールを起動します。listsvc と入力します。

    回復コンソールの関連情報については、次の文書番号をクリックして Microsoft Knowledge Base を参照してください。
    Windows2000回復コンソール Description of the Windows 2000 Recovery Console
    <消滅・21/01/24>
  3. コンピュータにログオンし、"disable" コマンドを使用して次のドライバを無効にします。

    cdr4vsd
    cdrpwd
    cdudf

    たとえば、disable cdr4vsd と入力して Enter キーを押します。残り 2 つのドライバについても同様に処理を実行します。3 つのドライバをすべて無効にしたら、exit と入力して Enter キーを押し、コンピュータを再起動します。

  4. Aspi32.sys エラー メッセージを確認します。これで、Easy CD Creator および DirectCD を削除できます。

 


状況

この動作は仕様です。


詳細

Aspi32.sys Version 4.01 および Cdr4vsd.sys ファイルは、コンピュータの起動時にロードされますが、これらは Windows 2000 と互換性がありません。この資料で触れているエラーは、デバイス マネージャにある次のネットワーク アダプタ コンポーネントの 1 つと、Cdr4vsd.sys ファイルとが有効に設定されたときに発生します。

  • 直接パラレル
  • IR モデム ポート
  • IR ポート
  • WAN ミニポート (IP)
  • WAN ミニポート (L2TP)
  • WAN ミニポート (PPTP)


この問題の関連情報については、次の Adaptec Web サイトにアクセスしてください。
http://www.microsoft.com/JAPAN/support/kb/articles/JP237/4/
<消滅・削除・13/03/10>
この資料にあるサードパーティ ベンダの連絡先は、ユーザーが必要なテクニカル サポートを受けることができるよう掲載されています。この連絡先は、予告なしに変更することがあります。Microsoft は、このサードパーティの連絡先情報が正しいかどうかに関しては、一切責任を負わないものとします。

この資料に記載されているサードパーティ製品は、Microsoft とは関係のないベンダ製品です。これらの製品のパフォーマンスや信頼性に関し、明示であると黙示であるとにかかわらず、Microsoft はいかなる保証も行うものではありません。

 


詳細

この資料は米国 Microsoft Corporation から提供されている Knowledge Base の Article ID Q237468 (最終更新日 2000-07-03) をもとに作成したものです。
<リンク消滅・削除・11/10/14>


NO.220

実録 ソーテック物語

アマチュア無線から始まったソーテック
 ソーテック社長、大邊創一(おおべ・そういち)がソーテックの前身、工人舎を父・工平と創業したのは、1977年、27歳のときだ。創一は無類のアマチュア無線好きが高じて、電気工学まで独学で身につけていたため、通っていた国立岐阜大学工学部を「メリットが感じられない」と1年あまりで中退。その後、友人が経営するアマチュア無線の店を手伝っていたが、その店が経営に行き詰まったために、77年、横浜に「ハマーズ」というアマチュア無線の店を開く。しかし、数カ月で資金難になり、工平に助けを求めたのである。工平は日本NCR退職後、三菱電機販売子会社に役員として勤めていたが、息子創一の申し出に「金は出してやるから、社名と経営を任せろ」と答え工人舎が設立されたのである。
 当初、工人舎はアマチュア無線メーカーーとして出発をしたが、工平には先見の明があったのか「これからはコンピュータの時代になる」と半信半疑だった創一をコンピュータの世界へ導く。それを実証するように、79年のアマチュア無線用リニアアンプ「KL-11」発売の前に、米国NORTH STAR社の「HORIZON」コンピュータやソフトウエアの輸入を始めている。HORIZONは8ビットパソコン(当時はマイコンと呼んでいた)で世界的に大ヒットした機種。これがきっかけとなり工人舎は国内で有名になる。
 パソコン関連製品の輸入と共に、周辺機器であるフロッピーディスクユニットの製造販売を始める。80年に「KD-274」、83年には「KD-290A」「KD-390」を発売。81年にはパソコンの「BLACK BOX」を自社ブランドとして生産販売開始し、着々とパソコンメーカーーの地位を築いていく。

ソーテックの設立
 こうして、親子二人三脚がうまく回り始めたように思えた84年、創一は工人舎の技術者5人を引き連れてソーテックを創業する。後に、創一は「営業出身の親父と技術専門の自分では意見の合わないことが多かった」と述懐している。
 ソーテックは、その後の進路を示唆するようにパソコンの小型化へと技術力を集中させていく。その一番よい例が、その頃、暗いところでは視認性が低かった液晶ディスプレイにバックライトをつけることで視認性の向上を図るという技術を実用化したことだろう。
 その技術を受けて、85年、ポータブルコンピュータ「PHC-16」を発売した。PHC-16は、IBM PC互換機の液晶ポータブルパソコンとして日米で話題となった。ただし、完全なIBM PC互換機(フルコンパチ)ではなかったために主要ビジネスソフト以外のゲームソフトなどが動作しないことが残念がられた。
 86年にはラップトップ型の「SPARK」「SNAP 1+1」の発売も行った。同時にフランスBULL社へ「SNAP 1+1」をフランス名L'ATTACHEとしてOEM出荷している。また、87年には電子回路設計CADソフト「OrCAD」シリーズの販売を開始、88年にはラップトップ型の「F-1」翌年には「F-2」を発売している。

新生ソーテック
 袂を分かった工平と創一であるが、ソーテック設立の翌85年に工平が死去する。そして、89年、工人舎ブランドは工人舎事業部として残しながらソーテックと工人舎は合併して新生ソーテックとなり、資本金も1億1千万円の企業となったのである。
 ソーテックが工人舎と合併した90年代初期、日本国内ではまだ日本電気(NEC)のPC-9801シリーズが圧倒的な人気を誇っており、日本のパソコン環境を激変させたWindows95の発売までまだ5年もあった。この頃はNECのパソコン以外は、どのようなメーカーの製品でも売れないという市場の中で、中小パソコンメーカーでしかなかったソーテックは、世界を相手にノートパソコンに関する技術を養っていく。

ノートパソコンへの執念
 NEC初のラップトップ型PC-98LTが出荷されたのが86年、PC-9801のノーマルモード互換機PC-9801LVが発売されたのが88年。このように比較してみると、巨大企業NECとソーテックの歩みは軌を一にしているというよりは、ソーテックのほうがラップトップ、ノートブックともに若干早く製品化に成功している。なぜ、ソーテックはNECと互角に勝負ができたのか。
*シェア急伸 2000年2月に発表されたパソコン市場のメーカー別シェアで、ソーテックは98年の0.2%から99年には3.0%へと急伸した。ソニーが98年3.8%から99年には6.8%。99年のシェア1位はNECと富士通でそれぞれ22.2%だった。 
 ソーテックがノートパソコンに早くから着目して技術を高めてきたこともあるが、当時から世界のデファクトスタンダードであるIBM PC互換機路線をとっていたソーテックと独自仕様に執着していたNECの差が出たと見るべきだろう。つまり、世界中で技術開発が進んでいるIBM PC互換機の世界ではさまざまな情報が得やすく、独自仕様のため社内で開発を行っているNECに比べて、技術を製品に活かすことが早く簡単であるということだ。
 こうしてソーテックは90年、A4サイズのノートブック型パソコン「B-1」を、91年には「J-1」を発売。92年には、米国財務省、国防総省に合計2万台以上のノートブックパソコンを納入している。同時にトラックボールとカラーディスプレを採用した「B-2」も発表、93年には来るべきWindows時代を見越したかのように「WinBook」の国内販売を開始し、94年にはB5サイズのサブノートパソコン「WinBookS・SC」を発売し、「ノートパソコンのソーテック」を業界にアピールしていく。

大躍進の影に
 こうして迎えた95年。Windows95の発売もあり、ソーテックは大躍進をとげる。SVGA規格の液晶やCD-ROMを搭載したノートパソコンを次々と発売し、96年には本社を横浜ランドマークタワーに移転。9月決算で売り上げ約100億円を達成する。97年には韓国TriGem Computer社(三宝)と業務提携を発表し、製造技術の流入を図り、9月にはインターネットに「ソーテックダイレクト」を開設。インターネットと電話による直販を開始する。
 このようにしてソーテックのパソコンは大手メーカーに比べ安いこともあり販売台数は伸びていった。しかし、売れ行きが伸びるにつれ「サポートがよくない」というネガティブ情報があちこちで流布されるようにもなった。サポートの弱さとは、故障機器の修理期間が長いことだけではなく、問い合わせの電話がつながらない、応対が悪い、商品が届かないという、企業イメージに直結する問題だった。それにつれ、財務体質が弱いことが指摘され、倒産説までがささやかれるようになった。

キョウデンとの資本提携
 財務体質の弱さはいくら技術専門とはいえ大邊創一も感じていたことだった。皮肉なことに、売り上げが伸びれば伸びるほど、資金難は現実的なものとなってきた。そこで、登場したのがキョウデンである。キョウデンはプリント基板試作が主力の企業であるが、その取引先は3000社とも4000社ともいわれている。この取り引き先の多さが、キョウデンに試作されたプリント基板を使わない電気製品は無いのではないかといわれるゆえんだ。
*キョウデン もともと、橋本治会長が郷里長野でナショナル(松下電器産業)の電化製品の販売店を始めたときに「今日から電気屋」という意味で「キョウデン」という店名にしたのが由来。 
 しかし、プリント基板試作だけでは企業としては先が見えてきている。そこで考えたのが「完全一貫支援」と呼ばれる戦略だ。プリント基板試作で培ったノウハウは短期間での設計、生産だ。このノウハウを活かすには、パソコンの設計、生産はうってつけだったのである。
 このような背景を持ったソーテックとキョウデンは98年7月、資本提携を発表。ソーテックはキョウデンの子会社となる。子会社といっても、キョウデンは設計、試作、生産を受け持つだけで、ソーテックは製品企画と販売を行う分業体制である。大邊創一にとっては、手腕の見せ所となる。

業界の暴れん坊
 こうして財務的に問題がなくなったソーテックは、98年9月、販売価格10万円をきる「Micro PC STATION」シリーズを発売する。このMicro PC STATIONは「パソコンの価格破壊」と呼ばれ、それまで18万円から20万円程度で販売されていたデスクトップ型パソコンでは考えられない価格設定だった。
 99年には、アップルiMacとデザインが酷似している「e-one」を発売。アップルの訴えにより、不正競争防止法により製造、展示、販売禁止処分を受けた直後に、スケルトンのボディをシルバーに変えて発売するという商法でもソーテックは話題になった(2000年1月にソーテックが解決金1000万円をアップルに支払うことで両社は和解)。
 2000年2月にはノート型パソコン「e-note」を12万8000円で発売。ノート型パソコンは20万円以上があたりまえの市場にまたしても価格破壊を試みたのである。
 「e-one」で見せたしたたかさ、低価格攻勢に対して「業界の暴れん坊」と異名をとるようになったソーテックへの風当たりは強い。「満足なサポートもできないのに、テレビCMまで使って初心者にパソコンを売りつけるのは無責任」、「いずれ消費者の信頼を失い転落する」という批判も多く聞かれる。 しかし、懸案だったサポートについては、2000年5月にユーザサポート専門会社、ソーテック・イー・サービスを設立して、遅まきながら力を入れ始めている。キョウデンの「完全一貫支援」という戦略にのって、ますます売り上げを伸ばすソーテック。今後も業界の暴れん坊と言われながら、パソコンのプライスリーダーとしてさらなる躍進ができるのかどうか、今後の動向が注目される。

この記事はCNET Japanが制作したものです