禁断・奇談    豪語・日本国史上最多最強軍団 さての、過日。 とは、一月下旬の話なれどの、「電友会事 務局」妙齢の美女より、メール一発、受電。 オッとの、妙齢か、美女かは、お会いして ませぬ故、不明なれどです。 での、瞬時、美女からの、ラブレターかと。  そんな筈はの、「件名」チラ見の、「立命 電友会 執筆のお願い」 まあ、云うたら、アンケート的、その手の 類の全会員に打電の話かと。 思いつつの、文面拝読での、えの、ギクリ。 「会長の瀬見様よりご推薦を頂き、表紙に 執筆をお願いできませんでしょうか。」 イヤ、瀬見英利君(以下、瀬見君)なら承 知の、彼、電友会会長様してるかと。 知らなんだなあと。 イヤイヤ、何を隠そおの、隠す事は無いの、 瀬見君とは、同期生でして。 昨年末、少人数(六名)同窓会に、瀬見君、 顔出しの、それが実に、卒業(昭和四十四年) 以来の事でして。 ならばの、多少の心当たりあるは事実の、 そやけどなあと。 「執筆」の二文字、重たいわと。 「投稿」なら、してるの、電子掲示板と称 するのモノなれどと。 「取材」されるも、経験あるの、ホームペ ージ(名称「シバケンの天国」)に関連での。 とかの、一寸だけ、宣伝させて戴きの。宣 伝しても、一銭の儲けにならぬですが。 での、同窓会にての、閲覧して頂戴なと、 ホームぺージの存在、教えたは事実。  斯くなるでの、「執筆」なる文言重いけれ どの、そとなればの、断るのもなと。 私、こ見えても、義理堅く。それが唯一無 二の取り得哉。 さもなくばの、執筆依頼、来る筈無く。 世間周知の有名、高名で無く、完全無名。 立命館大学には、卒業して以来、寄った事 無く。衣笠学舎のソバなら、幾度も通過して るですが。ドライブコースに最適でして。  されどの、大学の、各種行事に、不義理の 参加した事も無く。 先程、義理堅いと、申したですが。別途の 話の、出不精でして。 での、瀬見君、そんな事での、モ一人、大 学にご縁のが存在してるです。 津田見眞君(以下、見眞君)でして。 イヤ、両君、立命館大学にての、後輩の指 導してるですて。  単純明瞭、単刀直入、云うてやるの、凄い ぞの、同期生で、二人もやでと。 とかとかの、宣伝しても、自慢をしても、 これ又、私に一銭の儲けに成らぬですが。 正直、我が事の如くに、嬉しく、自慢哉。 見眞君なら、先の同窓会にはン年前より、 参加してまして。前回には、たまたまの、ご 用で、不参加でして。 そんな話は結構の、見眞君からは、瀬見君 の事も聞いてるの、大学主催の各種催しの世 話役やってると、だけでして。  大学で、後輩の指導してる。  とまでは、聞いてませんでして。云うてて も、右から、左にスと抜けてるかと。 兎に角、世話役やってるとの事での、瀬見 君、そんなに、世話焼きやったかなあと。年 月経て、人間の幅も出来たかと。  幅ねえ。 過日、同窓会の折、紳士然たるのが、こっ ちの方に接近の。よお知らんのが、何用かと、 顔見ても、分からんでもの。  ソラ、卒業以来、四十四年ぶりでして、腹 見て、嗚呼と。瀬見君かと。  変わってないなあと、変な処で、安堵して。  での、両君、そんなに優秀やったかなあと。 優秀で無いとは申してません。表現変えれ ば、そんなに頭抜けてたの印象無く。 されどの、瀬見君、印象深く、再会、楽し みにしてたです。 彼の学生時代、真面目の糞真面目の顔して、 冗談連発、剽軽族。  且つは、紅顔の美青年。 誰しもの、二十歳そこそこなら、紅顔の美 青年なれどです。四十四年を経て、そのまま なら、妖怪、物の怪、化け物、幽霊でして。 ついでになら、電気工学科の面々に、不真 面目、香具師、虚言癖の存在、知らんわの。  概ね、堅物、石部金吉多いかと。 での、私、現在、京都亀岡在住なれどです。  京都で生まれ、育ち、二十四歳にて、京都 市出たですが。 イヤ、ご幼少の頃より、聞かされてまして。 「立っちゃん」「同やん」なるの、文言を での、意味合い、誰もが承知の、「立っちゃ ん」なるは、親しみ込めて。 「同やん」、ボンボン、一寸だけ、ええ恰 好しいの、ニュアンス含まれてるかと。 さての、我等が受験時代、私学で、大学、 立命館、同志社しかありませんです。  京都は、「学生の都」でありの。私学なら、 外にも一杯あるですが。当世、一々の覚えて られん程、存在致すですが。理系は、二校以 外、存在してませなんだです。 での、同志社なるは、親金持ちの、一寸だ け、頭のええ子女の、大学であるの印象強く。 対して、立命館なるは、貧乏人の小倅の。 ホンの僅かだけ、頭のええの、向学心旺盛な るのが進むの大学での、授業料も私学で、一 番に安かったです。 そんな次第の、私、問答無用の、志望校、 決まってまして。  但し、向学心旺盛、別途の話なれどです。 での、ここだけの話の、当時、立命館大学 理工学部での、難関、電気、機械。 よりに寄って、何故に電気工学科を選択か となればの、怖い物知らずであっただけ。  運任せの、入れて、よかったなあと。  偏差値なんか、知らんわの。模擬試験の結 果判明、半年経ってからやでと。 何分の、パソコンでは無く、電子計算機の 時代哉。それも、使わずの手計算哉。 さての、「豪語・日本国史上最多最強軍団」  意味なるは、我々、所謂の、ベビーブーム 世代での、公称、二百七十万人。  当世、百万人。 日本国史上最多、歴戦の最強世代哉。反面、 邪魔者扱い、標的にも、されてるですが。  以て、我が同期生、瀬見、見眞両君、大学 で指導してるは、分かる気がと。 での、モ一発、禁断・奇談、ここだけの話。 平成六年、理工学部、草津に移動。 正直、寂しい思い致してるです。 私共、残念乍らの、草津に想い出皆無の、 右も左も分からんわと。 願わくばの、催し等々、衣笠学舎で開催、 一考をと。  電友会会長様瀬見君にでも、云うとこかと。 <単なる雑談NO.89> <NO.1157> <余談・京都での同窓会> (2013/02/27)