不可思議の世界NO.13NO.14
法被の話


<三栖神社・炬火祭>

<1>FHさん提供資料

<炬火祭の法被類>
NO 写真 解説文<FHさん>
昔の法被は筒袖と言いまして今のようにゆったりした形のものではなかったようです。
添付画像の法被は祖父(明治30年生まれ)からのもので私で3代目となります。
祖父の話では「一八歳で一升瓶さげて大人の仲間入りをした。」と聴いてますので大正三年のころでしょうか。
そのときから着たとしても約100年ほどになりますね。
実のところ、この法被は10年ほど着ていません。
法被が新調されたこともありますけど、それよりも無理をするとミシっと破れてしまいそうでして。
炬火巡行用の法被(神幸祭時用)
浜三栖の法被(還幸祭時用)
祖父からのでんち
炬火巡行用と還幸祭時用の各手甲
炬火巡行用の扇子。還幸祭時に持たれる方もあります。
お札<1>

画像の4っつのうち、左3つは、御神輿の旧の長柄を材料にして作られました。
<注=作成者に直にお聴きしたことではありませんが・・・。>
お札<2>

上の画像の反対側です。
<注=どちらが、表か、裏かは不明>
本番点火巡行を待つ炬火。(今年は東日本大地震被災者の鎮魂をお祈りしました。)
炬火町内巡行風景
10 宮入り(お祭礼)時の御神輿。(御旅所にて)
11 お祭り時の手拭い(はちまき)。お祭りのあいだを通して使用します。
普通は横3っつにたたんで「若」の文字部分が後頭部にくるようにして締めます。
12 お祭り時の法被下のシャツ。お祭りのあいだを通して使用します。

シャツの背中に書かれてますところの”あーヨイヨイよー”は御神輿・炬火巡行時のかけ声の一つです。
中央にあるのは「八咫烏(やたがらす」です。
<八咫烏=太陽を象徴し、熊野の神の使いとされる伝説上の三本足のからす>
<10月9日、16日の炬火祭画像(2011年)>
ハ○ム伏見にて。
神獅子<本社にて>
獅子<巡行>(雌雄並んで里三栖方面へ。)
獅子<巡行>(里三栖にて。)
炬火・御神輿・見物風景(炬火のあとに御神輿が続きます。)
亀岡大井神社<神輿><2011年10月16日>
巡行を終え、神社境内への石段を上げる

<2>三栖神社<炬火祭>由来

(1)天武天皇元年<672年>の頃。
先代天智天皇の皇位継承を巡って、弟の大海人皇子<後の天武天皇>が、第一皇子である大友皇子(後の弘文天皇)に反旗を翻した<壬申の乱>

結果、天武天皇が即位を果たし、大津行幸するにあたり、京都伏見、三栖の地を通過されたです。
このときに村人が炬火(たいまつ)をともし夜道を照らしたという故事があり、これに由来する祭礼が、炬火祭。


但し、三栖神社創建の時期は明らかでは無い。
仮に、672年には、存在してたならば、平安京遷都<桓武天皇・794年>よりも、古い事になるですが。


(2)京都市登録無形民俗文化財<資料>

<参考1=「三栖の炬火祭(みすのきょかさい)」「京都市指定・登録文化財−無形民俗」(京都市)>
<表示せず・19/04/07>
<参考2=「三栖神社」(京都市情報館)>
<消滅・18/02/28>


<3>大井神社神輿奉仕記録

回数 年/月/日 祈願 記事
2009/10/16 <長男家>孫君1号誕生御礼・悪鬼、邪気退散祈願 誕生日=10/27
2010/10/17 次男結婚御礼<大井神社1300年式年大祭>
大祭のため、祭礼二日間挙行
結婚式=11/20
2011/10/16 <長男家>孫君2号誕生御礼 誕生日=09/14
2012/10/16 <次男家>孫君3号誕生御礼 誕生日=10/22
2013/10/16
2014/10/16 <長男家>七五三<長女七歳・長男五歳・次男三歳> 祈祷=10/12

年/月/日 内容
11/10/15 新規
11/10/25 追加 2011年分
11/11/07 追加 NO.11、12
11/11/27 追加 大井神社神輿