シバケンの天国
<−介護・凡人の憂鬱ー>
−明日は我が身の話−

禁談・奇談VNO.1


禁談・奇談UNO.2
要介護[2]NO.1 見えるNO.3 禁談・奇談NO.9
番外・爺さん・婆さんの話 母入院NO.4 要介護1NO.3

題目一覧表

目次

禁談・奇談VNO.2

NO.10 万事、滞り無くの話(5) 緊急召集哉の話

NO.9 万事、滞り無くの話(4) ドクターの診断の話

NO.8 万事、滞り無くの話(3) 夜、1時24分の電話の話

NO.7 万事、滞り無くの話(2) 同意書提出の話(2)

NO.6 万事、滞り無くの話(1) 同意書提出の話(1)

NO.5 同意書の話(5) 5月13日の、延命処置についての話(1)

NO.4 同意書の話(4) 5月5日の話

NO.3 同意書の話(3) 4月20日の話(3)

NO.2 同意書の話(2) 4月20日の話(2)

NO.1 同意書の話(1) 4月20日の話(1)

禁談・奇談UNO.2


NO.1 同意書の話(1) 4月20日の話(1)

さての、突然の、です。
この手の話から、致すに成るです。

本日、6月1日<月曜日>、現在、入所の、介護施設の医者、理事長でも、あるですが。
諸般の説明受けると、共にの、当方、意向を打診されの、結果、「同意書」提出を求められたです。
「同意書」とは、「看取り介護」に対する、でして。
要は、事態、急速、急変、でして。
誰のと、なればの、我が母でして。

実は、この手の話、医者からの、説明なるは、二度目でして。前回、5月13日<水曜日>でした、です。
この時の、主たる、認知症がと。30段階あると、するならばの、10程度哉と。
その内には、息子さん、当方の事、なれどの、分からんよに成ると。最後まで、記憶残るは、当人の名前哉と。

問題は、食事が出来ぬ事。飲み込みが、出来ぬ事での、これは、体力がと。保たんですと。
女性の場合、皮下脂肪が多いのか、案外に保つですがと。

での、ここは、病院に非ずの、介護施設ですと。病人は、病院ですと。現在唯今、病人とは、申せませんが、認知症でありの、コレの対応するなら、病院でして。
食事が、喉を通らんも、処置するは、病院ですと。
等々の、諸般の説明ありまして。
話の主体なるは、所謂の、延命処置するなら、入院をと。せぬの場合も、病気、怪我されたの場合、病院ですと。

再度の、介護施設は、病院ではありませんと。
当然の、その程度、承知してるですが。
当方、母の保護者、家族の責任者としての返答、いるなあと。延命処置、希望致しませんと、返答致したです。

正直、申すの、この返答、口にするは、大変でして。相応の、覚悟要するです。
されどの、即答でして。
ソラ、何等かの、返答せねばの、医者でありの、施設の理事長も、困るです。
での、その場合、しかるべくの、時期に、「同意書」を提出して戴かねば、なりませんと。
この、即答の背景なるは、後刻、記載するにしてるですが。覚えてたら、なの、主たるは、年齢、92歳でして。当方にしたって、予めの、重々の、考えてるわと。

それが、本日、再度の、面談なるが、6月1日に相成ったです。
最初の話、5月13日からは、想定外の早さでの。困惑してるが、正直なるの、我が気持ちでの。
されどの、母の様子、状態からは、コレ又、困ったなあと。想定、想像以上に、悪化速度、早過ぎて。


ンの、5月13日からと、したですが。これは、医者でありの、理事長からの、話でして。
医者からの、話は、二度目であると、するのダケでして。

とまあ、この事、現状をば、冒頭にで。
ついの先々月、4月の下旬の話から、致すです。
何故に、今に成っての、掲載かと、なればの、そらなあ、諸般、気迷いあるです。当方、混乱致してるです。
どの範囲で、記載するかも、甚だの、難しく。現在唯今、尚、気迷いツツの。されどの、自身、当方自身の頭の整理もと。

とりあえずは、無難なるの、話からでも、しとこ哉と。

いやねえ、元々が、現在唯今、母、お世話になってるの介護施設には、昨年<2014年>、11月より、入所での。この、5月の連休明け、辺りには、退所予定でした、です。
そらねえ、ここは、所謂の、「老人ホーム」とか、「特別養護老人ホーム」に非ずの、「リハビリ・センター」でして。まあ、云うたら、「ショート・スティ」、そのままの、短期入所の、数日、1週間、2週間程度の、期間に非ずの、基本、3箇月なり、半年の入所でありの、中期でして。
よて、昨年11月に入所故、当年、5月に退所すると。

入所施設の、「リハビリ・センター」の、目的、そのものが、リハビリ<機能回復>での。
現場復帰、とするのか、家族の元に、我が家に、戻るの、「復帰」を目指してるの、介護施設でして。
母の場合、年齢的、92歳でありの、要介護、「4」での、車椅子でもありので、長期入所すると、するならばの、「特別養護老人ホーム」に相成るですが。

これは、原則、「終の棲家」でして。
住民登録、移動でして。
いやなあ、ここだけの話、でも無いですが。そらなあ、「特別養護老人ホーム」に入所出来るの、ならです。
費用的、そちらの方が、安いわと。どの程度、安いか、までは、知らんですが。概ねならばの、「リハビリ・センター」の、よりは、半額で、済むの、哉と。家族としたなら、費用的、助かるですが。
その辺り、含めの、当方の考えなるを、順々にの、我が頭の中の整理目的でして。

オッとの、それでや。
基本的、母の希望、母の体調、母の様子等々、万事、母の意向よりです。
先の通りの、11月から、5月の初旬までの、入所の意味なるは、寒い時期、屋内全体に暖房されてるの、「リハビリ・センター」でと。
過ごし易いの時期、5月、6月辺りには、自宅でと。我が家でと。

とは、云えどの、モロ、1箇月、2箇月もは、こっちが、体力、腕力、気力が、保たんわと。
当方、何歳と、思うやの、母の年齢92歳やでと。
コレ、嫁はんも、大変での、夫婦共々までが、母の介護で、倒れてたでは、なと。実際問題、家で、車椅子での移動での。トイレに連れてくの、だけでも、ベッドからの、移動で、大変でして。
そらなあ、日に数度なら、保つですが。トイレに入れば、車椅子から、降ろし、車椅子をトイレの外に、移動の際、母を片手で、支えツツの、モ片方にての、車椅子での。パジャマでもの、ズボンの胴回り、尻の箇所、握りの、支えも、日に、十度、二十度にも、なってみい。次第、次第に、手の握力、腕の腕力、スタミナ切れでの、支え切れんよになるです。

モ一発、そらなあ、所詮は、一般家庭のトイレで、車椅子では、無理でして。
それでも、10年の昔には、可能なるの範囲で、バリア・フリーに改造してるんやでと。されどの、トイレまでは、拡張無理でして。
云うならばの、母、便座に座らせるに、方向転換、させねばならぬの、狭いトイレ故に、母の頭を、そこらに、ゴツンと、ぶつけるの時も、あって。母のカラダ、支えつつの、方向転換も、相応のチカラ要るです故、或る程度の、勢いを付けるも、あっての。
さりとての、ユックリと、では、その分、こっちの、握力、腕力、消耗でして。

コレ、夫婦2人で、24時間体制でして。下手したら、30分毎に、ナース・コールで、呼び出されてみい。保って、2時間哉と。
かと、申しの、モ限度超えたと、支えられんの、手を外してみい。母尻餅での、骨折、直結致すわと。母の年齢にての、骨折させたと、なればの、殺人、親殺し哉と。こちの、責任重大、自責の念、駆られるです。
とかとかの、従前ならばの、耐えられたのが、年々の、自信がと。こっちの、年齢も、影響での。せめてもの、夜だけでも、オムツをしてくれた、ならです。助かるですが。
しやへんでねえ。

オトトの、それでや。
自宅に戻っても、です。可能なるの範囲、期間、「ショート・スティ」の、申し込みするですが。
この、「ショート・スティ」も、相応の1箇月、2箇月の前で、なければ、予約が、取れませんでして。

にも、関わらずの、担当ケア・マネージャーからの、連絡あらへんで。
イヤイヤ、云うてるは、5月の連休明けの退所なら、基本、概ねの、1箇月以前の、4月初旬には、退所についての、報告会開催されまして。
しかるべくの、施設での、状況。自宅での、注意事項、等々、説明されるですが。
その連絡が、あらへんでの、こちから、担当ケア・マネージャーに、電話一発、問おたです。

その説明会、イツに成るですかと。
いやもお、既に、退所予定日の、2週間前、でして。
これでは、「ショート・ステイ」の申し込みも、難しく。
での、面談、決まったが、4月20日<土曜日>。
(15/06/02)


NO.2 同意書の話(2) 4月20日の話(2)

ここで、ケア・マネージャーについて、若干の解説をと。
「介護認定」なるは、しかるべくの、最寄り、所管の、市町村に出向きの、「要介護認定<含む、要支援>」申請する事で、担当職員なりが、自宅訪問にて、設問等々行いの、審査を経て、認定されるです。

この段階なら、認定受けても、概ねならばの、「ディ・サービス」「ショート・スティ」の申し込みが主での。希望の、「介護<福祉>施設」の、ケア・マネージャーが、担当するになるですが。
担当とは、サービスの申し込みなりの相談と、その手配でして。
この場合、担当ケア・マネージャーが、原則、月1回、自宅訪問により、該当者と、家族<保護者>に面談なり、致すですが。

ソラ、主体、自宅でして。
「中期入所」の、「リハビリ・センター」の場合、該当者、自宅で無くの、「介護施設」で、日常生活、送ってまして。
中身、「ディー・サービス」「ショート・スティ」と、替わらんですが。「ディ・サービス」と、違うは、通いで無くの、宿泊を伴いの。
入浴なら、「ディ・サービス」は、通いの都度でして。「短期」も、「中期」も、入浴なるは、週2回哉と。

での、担当ケア・マネージャーも、異なりの、「リハビリ・センター」の方に相成るです。
実は、この辺りがさえ、当方、我々、分からんでねえ。分からんでもの、同じの施設内なら、ケア・マネージャー間で、情報交換されてるですが。
イヤイヤ、当初、分からんかった、だけでの、「リハビリ・センター」利用回数、増えるに伴いの、理解したですが。

何がため、この話、してるかと、なればの、「リハビリ・センター」入所では、担当ケア・マネージャーの、月1回の、自宅訪問、ありませんです。
よて、入所、数週間なり、退所前、1箇月なりの段階にて、「リハビリ・センター」の、担当ケア・マネージャーと、面談なり、するに成るですが。これは、入所先に、当方<保護者>が出向くに成るです。

此度、申してるは、5月の連休明け辺りに、母、退所予定でして。
そのよに、「入所申込書」に記載してまして。
当方から、したらの、ボチボチの、退所なれどの、面談なり、しかるべくの、打ち合わせの連絡待ち状態でして。との、認識してて。

ではの、その面談の際、当方として、母の事、どするやを、思案してたです。
イヤ、正直には、有り体には、困ったなあと。
何をと、なればの、従前には、母、帰宅<退所>の数週間前には、その旨、伝えまして。ソラ、洗濯モノの、回収、収納がため、週2回、入浴予定に合わせの、出向いてまして。
イツイツ、戻るんやでと。

がしかしの、母もその辺り、承知哉の、自身より、ここ<施設>がええなあと、云い出しててねえ。
退所予定の話なるは、入所の際、伝えてるですが。そんな事まで、覚えてるの怪の、状況、状態でもあって。
云うてるは、母、90歳過ぎてましての。且つは、車椅子生活故に、次第、次第にの、呆け出してるです。都合勝手呆けもあるですが。

何を、云うてるかと、なればの、90歳過ぎの方でも、しっかりした、応答、シャキシャキされてるの方、多いけどや。
コレ、自力で歩けてるの、運動、出来てるの方でして。「介護施設」の利用でさえが、不要の方でして。
歩けぬと、なれば、諸般諸々、影響するです。云うたら、母、記憶力、ええ方でして。歳の割に、細々、覚えてて。
それが、車椅子生活に成りの、次第、次第に、呆け状態、加速してるの程度、こっちも、認識してるです。とは、云えどの、年齢相応でもあって。
90歳過ぎでも、応答しっかり、行動シャキシャキなるは、多いも、全体的、極の少数派。まずは、そこまでの、生存がと。当世、90代、珍しくも、無いは、無いけれどや。

母、横着しての、転けては、骨折しての。骨折しては、杖に。歩行器に。そして、とおとお、車椅子生活。
杖、歩行器も、自力で、歩けてるです。手摺りがあれば、杖、歩行器無くとも、歩けるです。コレなんやなあと。
歳喰て、車椅子なら、シャキシャキとは、出来ませんの、云えませんの。車椅子の年寄りが、応答明確、冗談連発、記憶力発揮を知らんわと。コレなんやなあと。

車椅子で無いなら、自宅介護も、難しくは無いわの。悩まんわと。
大問題なるは、トイレ也の。我々、家族が保たんわと。コレも、年々、自覚するです。ソラ、年々、こっちも、加齢致すわと。当初、考えもしんよな、恐怖、抱えてて、落としたら、母をで、どするやの、自身の体力低下を重々の、認識致すわと。
ほんまやでの、以前ならばの、「老々介護」も、半分冗談、半分本気での、口にしてたですが。名実共の、「老々」やでと。


オッとの、そんな次第の、斯くなるでの。
「介護施設」は、自宅主の、「ディ・サービス」「ショート・スティ」と、中期の、「リハビリ・センター」で、一緒の、同じの建屋で、場所が若干の違うだけの。違うで、担当ケア・マネージャーも、異なるを知ったですが。
いやなあ、「リハビリ・センター」のは、所謂の、相談員と、思てたですが。相談員に、間違い無いの、ケア・マネージャーでして。この辺り、分かってえへんで、ねえ。
利用者、当人、保護者で、分かってるの方、居てるの哉の、範疇なれど、です。まあ、少ないやろなあと。殆ど、居たはらへんやろ、なあと。

イヤイヤ、でででの、4月20日、「リハビリ・センター」の、担当ケア・マネージャーと、面談するにの、一応の、こっちの、家族としての、希望、要望伝えるに、です。
基本、当人、母の希望、最優先の、その母、こっちがええと、申すの、それは、それで、結構も、介護施設が、諾と、するか、でして。
そらなあ、「リハビリ・センター」なるは、中期入所での、「機能回復」をで、自宅復帰を目指すの施設。
話簡単の、「特別養護老人ホーム」であらへんわと。

当人の希望、ここがええ。気楽やと。
そらなあ、家族、当方にしたって、そのほが、楽でして。「施設」が、受けてくれるの、なら、でして。
正直、「施設」の、目的違うが故に、まあ、あかんやろと。

よて、母の、希望は、希望として、率直、明確、正直に伝えるにしての。
現実問題、さての、どするやの、「ショート・スティ」も、今更の、予約、日取りの、確保、出来ませんでして。2箇月の前に、申し込みせねばの、2箇月とするも、実務的、実際になら、4月20日に、退所日、決定も、4月末には、6月度の、「ショート・スティ」の予約受付でして。
結果、5月の連休明け退所の、その、5月度には、「ショート・スティ」出来ぬになって。
出来ぬとならばの、こっちが、保たんわと。

オッとの、「ディ・サービス」なら、可能なれど、です。
この、「ディ・サービス」も、云い出せば、家族も可成り、拘束されるです。特には、母の如くの、車椅子の場合はの。自力で、家に入れず。入るだけなら、送迎担当の方にして戴けるですが。
玄関先には、石畳、段差あっての、車椅子で、上がるに、スロープを準備せねば、ならぬわと。そんなモン、家の前に、常設出来ませんでして。
やから、誰かが、居て、準備万端の、施設からの、送迎には、こっちも、居てねば、ならぬわと。

オトトの、「ディ・サービス」は、ええとしての。
「ショート・スティ」でして。これを、出来るの限り、回数多く、日数確保したく。されどの、日があらへんわの。ここからが、担当ケア・マネージャーとの、相談での。
どしたらと。方法、対策、あるですかと。

イヤイヤ、「こもれび」では、「ショート・スティ」も受け入れてまして。
「リハビリ・センター」の場所でして。どちも、宿泊伴いの、期間、違うのダケ。
要は、しかるべくの、「ショート・スティ」を、「こもれび」で、受付して、もらえませんですかの、都合、付かぬですかの、相談をと。
との、当方的、腹案持っての、相談なるが、4月20日でも、あったです。

そらなあ、母、現在、そこに居てるが故でして。
問題は、基本、一旦、退所の、帰宅なりを、以前、聞いてまして。
ソラなあ、くどいけどの、「リハビリ」で、「機能回復」の、自宅復帰を目的とするの、「リハビリ・センター」やわと。
(15/06/03)


NO.3 同意書の話(3) 4月20日の話(3)

そんな事で、過月、4月の、20日。
嫁はんと、2人しての、「こもれび」に出向きの、担当ケア・マネージャーと面談致し。
ほならの、先様曰くに、そのままの、継続と、思てたですと。えと。
えと、云うものの、ソラ、有り難く。そんな事、出来るの怪の。出来るが故、そ、云うたはるですが。

そらねえ、諸般、当人、母にとっても、自宅は、危険が一杯。
退所して、自宅に戻りの、暫くしたら、「戻る」と、云い出したり。「戻る」て、どこえの、ここが家なんやでと。「こもれび」に、戻るんやと、泣き出したり、してねえ。
呆けてるの怪と。心配になるの程でして。
での、しかるべくの、期間、自宅、主となりの、寒い時期なり、暑い時期になりので、入所したら、入所したで、「ここ、嫌。」と。

何を意味するかと、なればの、慣れたの処が、宜しいです。
実際問題、歳喰て、あっち、こっちも、環境変化で、適応に苦労するのやなと。
こっちにしたって、良かれで、そんな事、云われで、説得なりも、草臥れるわと。どせえと。家に帰って、即の、入所は出来ひんし。一旦、入所で、戻るも、云えへんし。
正直には、その度、振り回されるが、常でして。嫌がってるところに、押し込めるみたいな感での、そこ様に、母お世話になるも、気、重くなりで。
そらなあ、「リハビリ・センター」入所は、経済的、金銭的にも、辛いわと。母の年金だけではなと。或る程度の日数、自宅なら、です。その分、負担も軽く。

くれぐれもの、「介護保険制度」が、あるしで、我々の分際、経済力で、しかるべくの、介護サービスを受けるが出来るですが。
無かってみい。とても、とてもの、とてもや無いの、介護サービス、受けるなんか、不可能でして。従前の、「特別養護老人ホーム」なら、でして。ソラ、母の年金で、賄えて。

オッとの、実はの、担当ケア・マネージャーから、その話、出たです。その、4月の、20日に、でして。
ご家族様は、考えておられるですかと。
そらねえ、母も、この歳、この状態でして。全くと、申せば、嘘の。近々にでも、申し込みだけでもと。とは、思てるは、事実の。されどの、具体的、行動するに至ってえへんです。
正直には、マダ、抵抗感ありまして。
出来る限り、避けてやりたいが、あるです。「特別養護老人ホーム」えの、入所を、でして。コレ、云うまでも無いの、終の棲家でして。

「リハビリ・センター」で、何とか、成るの間、出来てるの間、家族、子としてです。接触をと。
そらなあの、邪魔くさいは、当然の、あるわと。
自宅でなら、ソラソラ、こっちの肉体的、精神的、時間的にも、大変やでと。

「リハビリ・センター」での、接触とは、洗濯モノの、回収、収納での。そのためには、週に、2回<入浴回数>、出向かねば、ならぬわと。ならぬ、でも、無いけれどや。ソしてるですが。
出向いて、母と、接触せずの、交換のみで、ハイ、さいなら、してへんわと。好きそな、オヤツなり、持参で、食べさせてるです。
そやけれどの、「特別養護老人ホーム」なるは、洗濯も、ホームで、してくれて。接触しと無いなら、せずに、済むです。そやからと、全くでは、無いと、思うですが。この辺り、最近のは、よ、知らんですが。
その昔なら、入所者負担と、家族<保護者>負担があって、家族負担分は、家族が、出向いて、支払うの仕組みでしたですが。当世、一本化されてるの、みたいでねえ。


イヤイヤ、でででの、かと、申しの、申し込んで、スグには、ホーム入所、無理でして。
その辺り、イヨイヨの、「特別養護老人ホーム」の方がと、成るのよなら、担当ケア・マネージャーから、その旨、伝えると。
ソラ、その方が、有り難いわと。こっちの判断なら、決心ナカナカに付かずでして。付いてるなら、遠の昔に、申し込みだけでも、してるですが。してませんです。
しんかったら、イツまで、経っても、入所出来んですが。

話をチラチラ、聞くに、耳に入るに、百人待ちとか、二百人待ちでと。
ハキリとなら、その人数、空きが出来んと、ダメでして。空きが出るとは、入所者が、お亡くなりになるの、意での。明確には、その人数、お亡くなりの、待ちでして。チョと、なの、奇妙なるの、気分やわと。
そんなに簡単にはと。亡くなられるもなと。望むもなあと。
ですが、実際、そでして。
待てるの間に、当人様、亡くなってもたりの、話さえ、聞くですが。

実際には、どんなんやと、なればの、「特別養護老人ホーム」も、全部が、全部、手の掛かるの、高齢者では、手が回らんが故、或る程度の、人数割合で、手の掛からんの方を入所させてるの、らしく。
となればの、我が母の場合、自分で、食事が出来ましてと。
アチラからしたらの、手間の掛からんの高齢者故、比較的、すんなりと、入れて戴けるの可能性大ですと。

それでも、数箇月の待ちは覚悟の。場合によりの、即の、事もあるですがと。この辺り、全くの、分からんですがと。
その上で、決まれば、速やかに、そこに入所して戴くの必要性あるですと。話簡単の、拒否されたら、困るですと。
この話、ソラ、理解出来るです。申し込みに際しの、お願いしてる、のにです。当施設からも、相応の努力されてる、のにです。肝心の当事者が、保護者が、嫌々してては、失礼千万の、先様メンツも、あらへんわと。
今後に、影響及ぼすわと。
よて、申し込みの際には、方々の、施設を見学なりされましてと。ここなら、ご家族様としても、ええなあ、安心出来るなと、思えるのところをと。

そのためには、見学をと。
「特別養護老人ホーム」なるは、亀岡に、数カ所あるですと。施設により、諸般、入り易い、難いも、あるし、難いも、運が良ければ、早くにと。
どちにしても、申し込みしん事には、入れませんでして。
されるのならと。担当ケア・マネージャーから、しかるべくの、連絡もしの、説明等々、して戴けるの手配も、致すですと。へえの、そですかの、その際には、宜しくお願い致しますと。

但しの、「特別養護老人ホーム」なるは、終の棲家故に、リハビリ等々、ありませんですと。
ご家族様の替わりに、出来るの範囲、補助するの範疇ですと。この辺りも、ご理解をと。

実は、この事、承知してるです。
イツ、どこで、誰様からと、とは、申さんの、です。
亡くなるを、早めるは、可能と、するのか、あるですと。
簡単には、動きと無い方には、強制的には、動かさんよにと。ご当人様、ご自身の、思うよにと。させてたならばの、亡くなるは、早くなるですと。

「リハビリ・センター」では、その辺り、強制的と、までは、申さんの、食事の際、等々では、入所者を食堂に連れ出されてるです。ズとは、寝てられませんでして。
そらなあ、人間、動かんかったら、体力減退、急速に進むです。若手でも、ベッドに寝た切りでは、イザ、ベッドから、立ち上がるにも、足が、辛いわと。
当方、足骨折の時、ビクリしたです。骨折から、手術まで、数日、ありまして。骨折してるし、動けえへんし。術後も、一日、二日は、動けえへんし。それだけで、立つに、立てへんでねえ。

まあねえ、若けりゃ、若い分、足の体力、急速に回復するですが。
骨折で、歩き難い分、無理致さんわの。立てるは、立ててもの。忽ちにしての、太股の、太さ、見る、見るの、細なってもて。その分、筋肉が落ちて、もて。
コレ、当時、40代故に、どて事無いの。高齢者やってみい。
益々の、立たず、歩かず。歩くにしたって、車椅子での。
場合によりの、骨皮筋右衛門状態では、最早の、あきませんです。
歩くが如何に、重要、大切かは、足を骨折したら、分かるわの。寝た切り、高齢者も、足の太さ、肌色見ても、一発やでと。
高齢であれば、ある程にと。
(15/06/04)


NO.4 同意書の話(4) 5月5日の話

そんな次第の、斯くなるでの。
4月20日<土曜日>には、担当ケア・マネージャーから、「特別養護老人ホーム」の入所の件、進言、提案されまして。
但し、基本的、あちらでは、職員にとって、楽な方でして。自分で、食事も出来るしと。
むしろの、そんな方は、入所し易いですと。申し込みするにしても、何箇所かにと。
第一候補、第二候補と、しておいて。早くに決まった方に、入所をと。
当然の、担当マネージャーと、重々の打ち合わせとするのか、こちの、意向を伝えねばならぬですが。

どちにしろ、その段階、入所した方がと、なればの、連絡しますのでと、話、して戴いて。
そか、ボチボチの、その事、真剣に考える。行動起こすの段階と、するのか、調査するの時期になったかと。
そらなあ、費用の事、あるです。先方の雰囲気があるです。何よりも、実際に担当されるの、介護士でありの、看護師かと。
そやけど、これはなあ、そは易々の、分からんです。一度や、二度、面談したの、程度ではなと。
やけど、現場とするのか、施設の中に入れば、概ねの、見えるです。分かるです。

云うたら、職員の方が、どれだけ、入所者に馴染んでおられるか、でして。家族の如くにでの、こちが、勘違いするの雰囲気の方、多いと、安心でして。
これもなあ、当たり前に、人によて、違うですが。
変な話、なれどの、方々、見てまして。

実は、この時にも、「看取り」の事も、チラと、話には出てたです。この時以前にも、出てたです。
されどの、意味合い分からんでねえ。
ここ、「こもれび」なるは、「ディー・サービス」「ショート・スティ」「リハビリ・センター」でして。要は、日帰り、短期入所、中期入所での、所謂の、「特別養護老人ホーム」とは、違うです。
繰り返せば、あくまでもの、主体、自宅介護やわと。「リハビリ・センター」では、自宅復帰が目的での、終の棲家に非ず、でして。
更には、母の介護度、「4」は、ここでは、重度でして。そらなあ、シルバー・カーなり、杖で、歩行してるの方、多いわと。こんな方が、何故に、ここにと、思うの程でして。杖でなんか、なら、です。自宅でも、一応の事、出来るやろにと。

イヤイヤ、「ショート・スティ」もあるですが。
こっちも、偶の、訪問に非ずの、最低でも、週に1回、出向いてまして。母の部屋にも、入ってまして。施設内、隈無くと、までは、申さんの。その際、別段の、観察をと、意識せずとも、見えてるし、見てるわと。
あの方、結構長い事、居たはるなあと。ショート・スティでは、無いの、中期入所やなと。
イヤ、更に長いし、どなってるの怪と。
それもあるし、母以上の状態の方も、散見してて。ここで、大丈夫なん怪と。居てられるの哉と。


オッとの、での、この話、何度でもの、4月の、20日でして。
この、4月に入った辺りで、介護士より、チラと、聞いてるの事、ありまして。
食事が、喉を通らぬ事があると。意味なるは、飲み込みが悪いと。詰まりは、口には、入っても、こぼすですと。よて、そんな時には、固形の食材避けるにしてるですと。
但しの、時たまでして。

コレ、一発、分かってるです。
衣服の汚れが、目立って来てるし、洗濯モノも、多い、多過ぎるの時、多々あって。多いとは、食事で、こぼしての、衣服を汚すの意での。現に着てるの服も、でして。膝掛けしてるの、膝掛けも、でして。
基本、毎回、交換してるですが。

それもあるし、従前には、必ずや、起きてた、ですが。
コレ、食堂での、自分の席に陣取ってまして。当方、訪問の際には、こっちや、こっちと、手を上げたりを、してた、ですが。そらなあ、来たに気が付いて無いの時も、あるけれどや。
自分の席で、車椅子に座ったの状態で、うとうとの、寝てるの時が、多なってて、ねえ。

別段の、ソラ、毎回、毎回の、以前よりです。手を上げたりをしん事も、あるですが。
やや、反応、少ないなと。
当方、車椅子の母伴いの、部屋に戻って、オヤツなど、食べさせるに、何がと、問われたならばの、返答に窮するの、微妙なるの、様子がと。

簡単には、量、少なくと。
但しの、介護士が、喉を通らんは、無いなあと。云うても、マシュマロなり、イチゴなり、でして。食事に非ずの、オヤツでして。食べられるだけ、欲しいだけの量、数でして。この数が、微妙に少ないぞと。
等々の、微妙なるは、薄々なれどの、気は付いててねえ。

とは、云えどの、そらなあ、人間でして。いつも、いつも、一緒とは、限らんわの。
着替えが多いも、担当介護士なりによっても、違うの可能性がと、思たりも、してたですが。
要は、4月の、20日の、ケア・マネージャーの話、「特別養護老人ホーム」の件、聞いて。その直前の、介護士の、食事、食材の、飲み込みの件もありまして。
注意深くの、観察をも、実は、明くるの、5月の連休の、4日<みどりの日>には、親父の、25回忌を予定してての、準備万端等々の、気忙しく。
<参考=「不可思議の世界NO.29NO.30、」親父の25回忌の話>


そして、5月になっての、親父の年会、25回忌で、我が家に、家族全員集合致しの、明くるの、5日<子供の日>には、「丹波自然公園」に、でもと。
その前に、です。
道中でもあるしの、全員で、「こもれび」の母、まあなあ、息子共夫婦からは、お婆ちゃん<祖母>でありの、孫共にしたらの、大婆ちゃん<曾祖母>に相成るですが。
面会にと。

10人で、行ったですが。
この時には、皆の顔見て。曾孫の顔見て、泣いて、ねえ。
コレ、いつもの、事、なれどの、我々なら、泣いた事、あらへんですが。泣くは、自宅に戻れば、「こもれび」に、帰りたいと。
「こもれび」に行けば、早くの、家に、帰りたいと、泣くですが。

そんな事でなら、泣き虫になってるですが。
その昔の、転けるの以前ならばの。転けてから、でもや。自宅主体の介護の時には、云いたい放題、し放題でして。泣くなんか、トンでもの。それでも、孫<息子共夫婦>が顔見せたり、したら、泣いて、泣いての。
曾孫共なら、抱きたい、とかとか、でして。云い出しての、我が身、1つが、我々の介護、手助け無しに、動けえへん、のにでして。

それがです。
皆の顔見て、泣きはしたですが。
スグにも、無関心状態に相成ってもての、ンと。
いやなあ、泣きが収まってもの、訳の分からんも、意味不明の声、言葉、発してたですが。以前には、なと。
それが、無いなあと。
とは、気が付いてたわと。当方は、なと。
(15/06/05)


NO.5 同意書の話(5) 5月13日の、延命処置についての話(1)

諸般、諸々の、この手の話、重たいねえ。
皆、誰しもの、通るの、道なれど、です。
思てるです。母幸せでして。されどの、当人、どかなあと。ど思てるのやろか、なあと。満足、してへんやろと。所詮、誰しもの、満足なるは、あらへんわと。
この話、云い出して、止めるですが。まあ、追々にと。
チョとだけの、超の簡単には、当方、極の普通でして。この、普通が至難の技なんやでと。出来るモンなら、やてみいと。

での、この日、5月5日には、家族全員、母に面会に。
母泣いて、泣いて、なれどの、長続きせず。
オヤツの、マシュマロは、3個、喰たですが。3個ねえ、少々、少ないですが。最近、この程度でして。

実は、この手の面会、難しく。
病院に非ずの、病人で無く。よて、見舞いでは、無いです。面会でして。
元気溌剌の老人なら、色んな話も、出来るですが。やあやあ、久しぶりやねの、元気してるの怪と。元気故に、来てるんやと。
どこで、転けた。家でなあと。退院イツ頃なんやの、まあ、後、1箇月もしたらと、思うけど。退院しても、気ぃ付けやの、その歳で、骨折したら、致命傷やでと。アンタも、一緒やでと。

とかとかの、話も出来るですが。
まずは、泣かれてては、話も出来ず。泣き止んで、声掛けても、今一、返答が、出来てませんの。云うてるの話も、今一、不明。
余り、難しい話もなの、ほならの、何の話をするの怪。

曾孫も、母にと、するのか、曾祖母には、慣れてませんでして。マダ、小さいのも、あるですが。そっちも、返答、今一でして。
息子共、嫁共にしたってなあ。コレと、云うの話題、話のネタがあらへんわと。あっても、多分ならばの、話も続かんです。続くよなら、当方にしたって、楽やわと。当人の意向、分かりまして。

マシュマロにしたって、1個、2個と、手渡しまして。別段の、何個喰ても、宜しいですが。あるだけ、全部でも、宜しいですが。
マダ、食べるか、もお、ええかで、どちにも、ン、ンとか、無反応では、モええかと。大して、欲しくもあらへんのやなあと。
とは、この時にも、気は付いてるわと。コレも、様子見の1つでの。別段にの、マシュマロでのても、宜しいですが。まだ、喰うかと、モええやろなの、制止するが、無くなって。

そらなあ、食べたら、食べるで、三度の食事に影響するも、問題でして。
食べずなら、食べずで、ほんまかいなと。
オッとの、これが、次第、次第に、欲求、乏しいなって。
その昔ならです。残してるの、オヤツ、一気、全部、取られの、喰われの、へえと。あれだけの数、喰えたんかと、感心するの程でして。云わせて戴ければ、当方の好きな、オヤツ故に、1個だけでも、残しとくの、気は無いの怪の、母でして。
そして、憎まれ口の、美味しい無かったわと。あのなあと。無理して、喰てもらわんでも、結構なんやと。

この辺りも、難しいて、ねえ。
折角の面会故に、孫であるの、息子共なりが、母にその事、してやても、ええのやけれど。慣れもあっての、こちがする方、早いわの、早い、遅いの問題に非ずで、厄介やと。
イヤ、我々なら、ショッチュウやんか。母にとて、有り難くも、何とも、あらへんわと。当たり前でして。
とかとかの、見舞いに非ずの、面会なれどの、するの、話、事が、あらへんでして。当方、毎回、毎回、洗濯モノの交換の度、話するも、そんなに話も致さんですが。やるの事なら、その都度、臨機応変でして。

での、この日、母の反応、まだまだ、宜しくて。
曾孫共の顔見て、刺激になったの哉の。
とりあえずは、当方からは、特段の話、あらへんし。曾孫共なら、馴染み乏しく、遠巻き状態。ソラ、無理もあらへんわの、適当なるで、サイナラする怪と。

ほんまやでの、息子共なら、久しぶりも、そんなに、なの、話も、なと。したって、まともなるの、返答がと。
話をしに、面会でも、無いのやけれど。単に、顔見にも、ありまして。

これが、再度、申すの、5月の、5日の、子供の日。
面会済んで、「丹波自然公園」にと、向こたですが。その話、ここでは、割愛致すです。
簡単に、ならばの、二十年の昔に、息子共連れて、行ったの、哉の。小動物、ウサギなんかが、居たの哉の。触れるが出来るの、広々したの、公園でして。その当時は、なと。
この日には、子供の日としての、各種のイベント開催でして。無料で参加させてくれるですが。

いやなあ、正直には、ド田舎でして。
此度、向かえば、何の、何のの、凄い人出で、車、大渋滞での、公園の様相一変してての、へえと。小動物がどこにも、分からんの、諸般のイベント、遊具で遊ぶだけで、精一杯。
親が子の面倒見てやて頂戴の、爺婆、荷物置き場、兼、集合場所、兼、休憩場所。
要は、陣地確保で、休憩してるわと。


ででの、再度、再々度の、これが、5月の5日<火曜日>での。
その週の、9日<土曜日>には、定例での、嫁はんが、洗濯モノの収納、回収なれどの、母の様子が、5日とは、全然のと、違うと。
マシュマロを食べさせても、吐いて、吐いてと。へえと。

ではの、13日<水曜日>、当方、定例の、出向いたですが。
館内、ナース・センターと、するのか、介護士詰め所と、称するのかの。内部受付にての、訪問の記録してた、なら、です。介護士、申すに、医者が、話があるですと。
血液検査結果が出ましての、その結果をお伝えしたいと。
ハイ、左様ですかの、<母の>部屋で待ってて、戴けたら、連絡に行きますのでと。

ンの、正直には、血液検査結果を医者<理事長>が、報告されたの、事が無く。もしかして、もしかしたらの、悪い話哉と。
母、腎臓片方取っててねえ。従前、何年も前から、まあ、こんなモン哉の、ギリギリの線で、横ばい状態也と。
とは、かねがね、聞いてましての。されどの、悪化で、どするやのと。透析でも、受けるの怪と。この歳で、です。
この辺り、どのよな手があるかを、知りませんでして。当方がや。医者からも、どの医者からも、聞かされてえへんで、ねえ。

その事を心配しつつ、洗濯モノの処置、してた、ならです。先刻の、看護師が、デハ、宜しいですかと、館内、診察室に、伴われましての。ソレ、1階でして。
ここは、正面玄関なるが、既に、2階。下に降りて、1階でして。
まあなあ、診察室には、入所の際、母と共にの、入ってましての、承知してるですが。先生、居られて、デハと。

血液検査の結果からの、説明して戴きの、まあ、横ばいですと。腎臓も、マダ、何とか、機能してるですと。
問題は、認知症の傾向がと。云うても、30段階あると、したなら、10程度での、まだまだ、大丈夫ですが。まずは、その傾向に有りで、その内には、息子さん、当方の事なれどの、分からんよになって。最後の、最後、自分の名前だけが、分かるの状態にと。

イヤ、問題は、その事よりも、食事が喉を通らんです。
飲み込めませんです。
人間の欲求、楽しみなるは、食べるの事での、この欲求が無くなったら、生きてけませんです。

しかるにの、ここ、「こもれび」は、病院では、ありません。介護施設です。
病気、怪我は、病院でなければ、処置出来ませんです。
とかとか、先生<医者・理事長>より、説明受けて。別段の、仰ってる事、重々承知の、そのままでの、異議無くて。

ででの、問題は、です。
認知症の治療、元に戻るは、無理ですが。現状維持、進行遅らせるは、可能でして。この場合、しかるべくの、病院でして。入院でして。
食べられぬと、ならばの、相応の処置するは、矢っ張り、病院でして。

ここで、先生曰くの、明確には、です。何を云うてるかと、なれば、です。
延命処置、致しますか、致しませんかと。
コレは、ご家族様の、決断ですと。
(15/06/06)


NO.6 万事、滞り無くの話(1) 同意書提出の話(1)

5月13日<水曜日>の話をしてた、ですが。
6月6日の掲載文として、でして。

その、6月6日の、一週間後に、この手の話を掲載するは、予想だにもと、云えば、嘘なれど、です。
そお、遠くも無い時期には、この手の話になるの哉。
とは、想定なら、してたです。
むしろ、覚悟を決めるの、一連の掲載であるの、位置付けであるは、事実なれど、です。
イヤ、その一週間経って、永眠での、葬儀も滞り無くの、話に成るとはと。


当、「禁断・奇談V」の冒頭には、6月1日の、医者<理事長>の話をチラと、掲載してるです。これが、2度目であると。
実は、この日の話、有り体には、最後通告やったなと。今、思うです。
選択肢、とは、申されてませんですが。5月13日の話の繰り返しでして。

先生の話の後で、同席してた、担当ケア・マネージャーと、当方、頭の中を整理致しての、こんな話でしたねえと。確認したです。
認知症の治療は、その進度を遅らせるは出来るですが。これは、病院ですと。
食べるが出来ないについて、強制的とするのか、喉を切開。チューブを通しの、栄養補給する。所謂の延命処置なれどの、コレも、病院。
この延命処置的なるは、諸般、お断りしたです。

承知してるです。
延命処置なるは、家族にとても、当人、にもです。残酷であると。
そもそもが、母のこの歳、年齢にての、延命処置的なるを、今時、病院も、してくれるの哉の、問題もと。

この段階では、「特別養護老人ホーム」も、最早の入所出来ませんですと。
これも、意外なるの話でして。ホンの、1箇月少々以前には、ソチラに入所の件も、検討をと、担当ケア・マネージャーより、話あったですが。
この時には、全くのと、云えば、嘘なれどの、具体的には、検討も、動きもしてへんでねえ。基本的、まだまだ、可哀想也と。可能なるの範囲、出来るの限り、我々家族が身近にと。云うたって、「こもれび」では、洗濯モノの交換程度なれどの、週2回、来てまして。
来たら、オヤツなりを、持参で、食べさせてまして。

但しの、イツでも、我が家に、帰るが出来るですと。
イヤイヤ、部屋なら、そのままやしと。ベッド等々、車椅子なら、レンタル屋から、イツでもと。
対して、「特別養護老人ホーム」は、終の棲家でして。家に戻るは、戻れるは、ありませんでして。
云い出せば、ン年以前にも、話だけなら、あったです。本来なら、アチラが適当なるの、段階ですと。車椅子に成ったの時、なれどです。
事実、車椅子では、家では、大変でして。我々の年齢も、あって、ねえ。

かと、申しの、その内にはの、その内が、イツの事哉の、我々には、分からんでして。
ここを、担当ケア・マネージャーが、しかるべくの、時期になれば、お伝えしますと、云うてまして。ソラ、その方が、決断付け易く。宜しく、お願い致しますと。

まあ、詰まり、一気とするのか、「特別養護老人ホーム」云々の話を飛び越した。
とも、云えて。
がしかしの、今の今、諸般諸々の、現在唯今、思えば、既に、「こもれび」の方々、この事、この事態、想定されてた。とも、云えて。
イヤ、その6月1日<月曜日>、これは、先様より、医者に面談して欲しいと、要請されてたです。その2日前にです。月曜日なら、医者<理事長>居てますのでと。

選択肢なら、まだ、2つあるです。
1つには、自宅に引き取るの法。
但し、イザの時、或いは、諸般、諸々の、掛かり付けの医者、往診してくれるの、主治医が存在しなければ、なりませんですと。当世、無理ですねえと。
最後の1つは、「こもれび」にての、「看取り介護」であると。

ここ、「こもれび」は、病院に非ず。
「特別養護老人ホーム」でも無くの、「リハビリ・センター」でして。現場復帰、詰まりは、自宅に戻って戴くを目的とした、介護施設也と。
よて、「看取り介護についての同意書」、簡単に、「同意書」の提出を求められたです。
ここで、医者は、明言避けられてましての、この辺りを、担当ケア・マネージャーに確認したです。

そらねえ、「看取り」の文言なら、承知してるですが。
ここ、「こもれび」の云うの、「看取り」とは、何ぞやと。
この中身概要なら、医者も、申されてるです。「同意書」の無いの状態で、死亡された場合、警察が入ります。警察が入るは、構いませんですが。
司法解剖されるです。これは、ご当人様も、ご家族様にも、不本意ではと。
との、話された上での、「同意書」を医者より、手渡されたです。

この件について、医者からの、話、終わってから、担当ケア・マネージャーに再確認のため、場所を替えの、話を聞いたです。
再確認とは、当方、頭の中の、整理でして。

今思えばと、したですが。4月20日にも、担当ケア・マネージャーよりは、チラと、「看取り」の文言、出てまして。
この時には、フウンと、ダケでして。「特別養護老人ホーム」えの、入所の話、主体でねえ。検討をと。見学をと。家族として、ここならと、思われるの、施設に申し込みをと。
して、即の入所は出来ませんですが。その間、「こもれび」に居て戴いても構いませんですよと。フウンの、へえと。

イヤイヤ、その、4月20日当時には、食べられぬの事、反応今一等々、感じ取っては居たですが。
食べられぬは、介護士より、喉の通らんの時、ありまして。の程度でして。コレなら、我が家でも、時偶なら、あるです。喰たもの、そこらに、ペペと、吐き出して。オトトの、そんなところで吐き出したら、アカンがなと。
手で受けたり、茶碗で受けたり、してたですが。
あくまでもの、時偶なれどです。

反応今一にしたって、所謂の、歳相応<92歳>と、見てましての、特段にの。都合の悪いの話になれば、呆けてもてと。
あれせえ、これせえなら、言語明瞭。
とかとかの、勝手ツンボ的、勝手呆け的に思てたですが。事実、その傾向がと。

そして、6月1日、「同意書」の用紙、受け取り、3日には、提出致し。
致したの段階では、相応の覚悟をと。
云うたって、今日の、明日の話。とは、皆目の、思てえへんけれどの。
但しの、日々、母の状態、異なる。とは、云えどの、急速に、着実、確実に、悪化してるは、見えててねえ。

この、5月、6月には、妹夫婦が。姪一家と、長男と、一緒に。続いて、妹夫婦と、その次男がと。
当家、次男家、長男家がと。毎週、毎週、我が家に、母に、面会にと。
コレ又、その時には、こっちも大変でして。

いやなあ、来てくれるは、有り難くの、嬉しいけれどや。熱烈の歓迎なれどの、毎週、毎週では、チョと、なあと。
表現、難しいけれどの、カラダも、気も休まらんでして。
とは云えどの、誰が面会に来てるか、分かってるの、間にと。呆け進行せぬの間にと。

イヤイヤ、これがなあ、6月に入ったの頃より、分かってるの怪の、状態でして。
長男一家、6月7日<日曜日>、当然の神戸に帰るですが。ンの、来週、14日にも、又、様子見と、するのか、面会に来るわなあと。
次男も同様での、危機感覚えの、思わせ、話させるの程の、状態であったは、事実。
(15/06/13)


NO.7 万事、滞り無くの話(2) 同意書提出の話(2)

そらねえ、日々、異なるです。
当方の時には、マシュマロを食べた。嫁はんの時には、吐き出した。
吐き出しも、食べた以上にと。
当方、行けば、介護士より、マシュマロも、細かくしたら、食べられるのではと。聞いて、そのよにしたら、食べられた。
水分を摂らないと、介護士より聞けば、イチゴでもと。それも、細かく刻んで、持って行けば、3個分程を喰た。

嫁はんが行った時には、ベッドで寝てた。
苦しそやから、胸の辺り、さすってやれば、気持ち良さそやった。当方、行けば、ベッドで横になってたですが。一生懸命に起き上がるの動作してたですが。無理すなと。
妹一家が行けば、車椅子に座ってた。へえと。
大体は、従前ならばの、部屋のベッドに居てるは無かったですが。食堂に皆様居てて、そこに居たですが。当然の、車椅子での事、なれどです。

食べないは、致命的故、「こもれび」では、点滴も、して戴いてたです。
当初聞いて、へえと。点滴程度は、病院で無くともの、医者<理事長>の指示で、出来るの哉と。これも、日に1回の時、午前、午後の2回、して戴くの事もあったりと。
とは、概ね、介護士なり、看護婦から、聞いてたですが。

事程左様の、日々、異なりの。
されどの、昨日は、喰えたのに、今日は。今日は、喰えても、明日はどかと。
しかも、珍しくの、部屋のベッドに寝てるの時、多くなりも、基本、午前中は、部屋に居てるが多くなり。午後からは、食堂にと。
これもなあ、車椅子に座ってるも、苦しそでねえ。とは、云えどの、この辺り、「こもれび」のやり方に任す方がと。
理由なら、諸般、聞いてるの、ベッドで寝てるも、良し、悪しの、衰弱進行すると。

その食事も、介護士の言より、ミキサー食と。
ご飯なりを、ミキサーで粉砕でなら、80%程度、食べられると。アイスクリームも、好きそでと。80%程度なら、時間掛けて、食べられると。
イヤイヤ、行くの度、重症と、するのか、悪化してるは、分かるですが。病院なら、病院と、するのか、医者にで。ここなら、「こもれび」の方々、医者も居てましての、やり方、方針に委ねるしか、方策無く。

とするよりも、我々よりも、数段の、母の様子、見ておられ。
ミキサー食なるも、聞いて、へえと。
アイスクリームも、食事の替わりに、食べさせるの方法も、あるのやなと。
云うてるは、マシュマロにしたって、イチゴにしたって、栄養補給の一環なれどの、当方的概念なら、単なるの、オヤツでして。点滴が、対処法でして。
云うたって、点滴で、体力保たせても、限度有りの、やはり、口から、食物をと、なるの哉と。
イヤイヤ、5月の中旬以降、行けば、介護士なり、看護師より、諸般の状況、聞きまして。先方より、こんな具合と、報告受けて。

この事だけでも、只ならぬの様子は、理解してるですが。
にしたって、今日の、明日はの、話に非ずと、解釈もと。
そらなあ、イヨイヨの時期にでもなればの、部屋替わるやろと。現在のは、四人部屋でして。そこに居てるの限りは、まあなあと。


での、再度の、振り返りの、4月20日の、担当ケア・マネージャーの話なるは、「特別養護老人ホーム」の具体的検討をと。これも、今日の、明日の話に非ずの、しかるべくの、時期になれば、先方より、連絡すると。
決まるまでは、「こもれび」に居て戴いてもと。
超の簡単には、そんな主旨の話やわと。
イヤ、元々が、担当ケア・マネージャーは、自宅復帰を考えておられてえへんでねえ。打ち合わせも、当方より、要請の結果でして。

その日までには、母の意向なるは、何度も、何度も聞いてるわと。確認してるわと。
基本、当人の好きなよに、でして。「こもれび」が良いなら、「こもれび」でと。自宅がと、なれば、自宅でと。
しかるべくの、退所予定なら、5月の初旬でして。
確認結果なら、こっち、「こもれび」が、ええと。気楽やしと。気楽ねえ。
そらなあ、トイレ1つ、気兼ね無用の。食事の時刻も決まってましての。家でなら、特には、食事は、ズレるです。遅くになるのよなら、オヤツでも与えて、時間稼ぎも、してるですが。
イヤ、保たんでねえ。その当時には、マダか、マダかで、チョと、待ってくれと。こちの、用事済ませてからに、して頂戴なと。
まあ、云うたって、30分も待たさんですが。ソレが待てへんでねえ。
この、食事の遅れが、30分、以上の事もあっての。その時には、吐き出すの事もと。これには、難儀の、よて、時間稼ぎの、オヤツ少々。

とりあえずの、この当時には、食事なら、自分で出来てるです。
完全に、では、無いけれどや。時々には、喉を通らんの事、ある。とは、知ってるし、聞いてるですが。時々でして。
この自分で、食事を出来るの方なら、「特別養護老人ホーム」でも、受付易いですと。全部が、全部、手の掛かるの年寄りでは、介護士も、保たんですと。
とは、担当ケア・マネージャーの言でして。フウンと、そんなモン哉と。

要は、ボチボチの、「特別養護老人ホーム」の具体的検討をと。
その間、イツからの検討もあるものの。委細、結構の、それまでは、ここ、「こもれび」に居て戴いてもと。誠に有り難いの話やわと。母の意向にも、沿おててねえ。
こっちも、大急ぎで、しかるべくの、見学にも、でして。兎に角、ボチボチでして。5月の連休明けからでも、まさしくの、ボチボチと。

考えてるの矢先の、呆け<認知症>が、食事がと。医者からでして。
どの程度なら、「特別養護老人ホーム」か、最早の無理かも、分からんでねえ。とするよりも、一発目の医者の話では、主体、延命処置の件でして。入院考えるか、どかと。
お断りしたですが。

とは、表現的、そ成るですが。
即答は、即答なれどの、そらなあ、その間、あるです。瞬時には、頭の中、諸般、諸々の駆け巡るです。
どしょかと。
自分の事なら、自分の責任でして。どて事、無いけれどや。嫁はん、息子共一家等々、自分よりも、若いの親族ならばの、延命処置云うやろ。そっちの、返答也と。
コレ、母、92歳が、大きく影響してるわと。回復の見込みがあらへんです。

当方、延命処置不要の、返答にての、医者曰くの。
ご家族も、当人、80代なら、迷われるですが。90歳ともなればの、延命処置、望まれませんですと。
この言葉に、救われたわと。
そらなあ、望まんの返答、冷たく響くです。当方自身に、でして。

実は、親父の時にも、同様の決断、迫られて。
肺に穴がで、人工呼吸、先生、2時間もされてての、限界也と。兄さん、どしますかと。妹婿からでして。
モ、結構と、電話で、返答の、25年の昔を思い出すです。
<参考=「不可思議の世界NO.30」NO.326 親父の25回忌の話(14)

当たり前に、自身、長男として、決断しの、返答せねばならぬわと。
とは、当たり前とは、云えどの、苦しいぞと。
決断、全くの、正解での、正しいわと。
とは、思いの、信じてるですが。自責の念、免れず。
親父のなんか、25年経てどの、掲載の通りやわと。まざまざの、鮮明に、覚えてるわと。
よて、自身のは、常々の周囲、家族に、伝えてるです。延命処置不要也と。
(15/06/14)


NO.8 万事、滞り無くの話(3) 夜、1時24分の電話の話

「ディ・サービス」「ショート・スティ」には、風邪でも引けば、行けませんです。
「ショート・スティ」先、滞在中に、風邪引いたら、追い出されると、までは、云い過ぎも、家族が出向きの、当人を伴い、病院にで、診察に、でして。しかるべくの、安定するまでは、戻れませんです。

ならばの、「リハビリ・センター」、中期入所も、風邪でも引けば、どなん哉の。多分なら、受入てもらえへんやろと。
入所中に、風邪でも引けば、これは、ドクターが居てましての、投薬等々、して戴けるですが。
どの程度かと、なればの、過月、インフルエンザに掛かったらしく。母が、でして。コレ、「こもれび」内で、処置して戴けたですが。どの範囲の疾患ならは、よお、分からんですが。
病院でなければ、処置出来ぬの病状なら、しかるべくのと、思うです。

云うてるは、「ディ・サービス」「ショート・スティ」は、健康であるが、前提。
「リハビリ・センター」では、ある程度のは、処置して戴けるですが。それ以上なら、病院でして。
当然にして、「リハビリ・センター」は、病院に非ず。又、終の棲家に非ず。名称そのままの、機能回復で、現場復帰を目指すです。
担当ケア・マネージャーからも、その辺り、何度も説明受けてるです。いつまでもは、居てられませんと。
がしかし、此度には、「特別養護老人ホーム」に入所出来るまではと。その上で、「看取り介護」も、してるですと。
この辺りから、当方の思考回路、狂い出してるわと。
とするのか、ここでは、どの程度、して戴けるの哉と。

反面では、母の様子、日々悪化。
「同意書」を手渡され、提出<6月3日>以来、イツ、連絡あっても、即応出来るよにと、就寝時、枕元には、ケータイを起き出して。
実は、6月7日<日曜日>には、学生時代の、同窓会をば、久しぶりに開催の。その主幹事をば、託されて。
えらい時期にと、相成るですが。この話、3月からの話での。

諸般、諸々の、副幹事には、この状況、概ねなれどの、伝えての。
もしかしたらと。欠席の可能性がと。
とか、云うたって、今日の、明日のと、云うの話、でも無くて。
とは、その時には、思てたわと。

いやなあ、同期で、母校の教鞭取ってるのが、3名居てての、その3名モロ、この同窓会に出席でして。当方にしたって、鼻高く。
且つは、新規で、1名、出席すると。
加えての、郷里に戻ってるの、エイジ君も、遙々の、北海道・札幌から、出て来ての、参加表明で、へえと。
いやなあが、モ一発の。このエイジ君が名幹事での。従前、彼が、取り仕切ってたですが。コレが、郷里に戻ったの一昨年以来、同窓会も滞ってねえ。ボチボチ、やらへんかの声出て、やてくれへんかと。

当方やるなら、京都やでと。
大体が、従前、大阪、「そねざき警察署」の近辺でして。
前回、イツやったかの、エイジ君の送別会兼ねての同窓会なるは、京都、河原町の、どこやった哉の、場所でして。

イヤイヤ、特段の、問題も無さそ故に、参加して。場所、京都駅前、「酔心」なれど、です。
チョとだけ、触れたならばの、予約なら、「柴田」の個人名でしてるですが。ンの、「電友会」なるのが、予約で掲示してあって。
紛らわしくの、教鞭取ってるの1人、「電友会」会長様でして。ついでになら、会計様も居てるです。
当然の、あっちは、違うの、「電友会」でして。

誰かは、知らんの、こっちの誰かが、その面々に尋ねたらしくの、あっちの、「電友会」、同志社ですて。へえと。
期せずしての、「立同電友会」の会場に相成ったの怪と。
いやなあの、そっちも、似たよな、年齢層でねえ。ええ歳の、女性も、数名、居たはるが故の、10名様哉の。この当時、理工系で、女性なんか、余程の強者での。多分ならばの、ご夫妻での、可能性あるですが。
こちは、男ばかりの、10名様でして。
元々が、同期で、理工学部で、女性、土木工学科に1人だけが、居たの程度の。同期で無くともの。他科を含めの、4年間で、その、1人だけ。

オッとの、での、諸般、遠く、遠方よりの参加もあっての。札幌の、エイジ君の事では無いの。広島からも、奈良からも、来ててねえ。
皆様、ええ歳でもあるしで、少々早めの、17時開催。19時半には、お開きにての、時間もあるしと、デハと、二次会、喫茶店に、でもと。場所、移動したですが。
当方にしたって、この界隈、どこに喫茶店も知らんしなあ。
適当に入って、21時半頃かに、散会。

殆ど全員、帰路、京都駅から、なれど、です。そこから、方々に別れるですが。
又なあと、当方、嵯峨野線に乗りの、特段の、異常を知らせるの、連絡もあらへんしで、歩いて、自宅に戻ったが、23時頃哉と。


とかとかの、まあ、良かったなあと。
無事に、同窓会に出席出来て。幹事の役目、全うの、久しぶりに、面々の顔見てねえ。
特には、エイジ君の顔をでの。
そらなあ、基本、札幌在住でして。まさかの、来てくれるとは、夢想だにものと。
モ一発、そらなあの、年々、我々も、加齢での。一浪、二浪も、居てての、最高年齢、70歳也のもと。
ここから先の、一年、二年、大変なると。十年も経ってみい。最高齢、80歳なるぞと。健在でも、出て来られるの怪と。

等とは、考えてえへんけれどの。来年には、一同、北海道にでも、行くかと。行けるの内にと。
とかの、話も出たですが。出たも、可成りの具体的での。まあなあ、あっちには、エイジ君も居てるしと。案内役エイジ君での、こっちの、幹事、誰がやるかで、もめるですが。教鞭取ってるのは、7月21日から、8月の10日辺りにして頂戴なと。

オッとの、そんな事で、家に帰って、さての、風呂に、でもの。
上がって、着替えの真っ最中、固定電話が、鳴りまして。
時間が、時間の、夜の、1時24分也でして。ンの、悪いの予感。
着替えも、そこそこの、電話を取れば、「こもれび」の看護師から、でして。
曰くに、息細く、今の内にと。
ハイ、分かりましたと、嫁はんと、2人して、即の、出発。我が家から、「こもれび」には、車で、5分もあればの、距離でして。この時間帯ならなと。
多分なら、1時35分辺りには、到着でして。
の、時間なんか、極めての曖昧なれど、です。要は、即の準備で、嫁はんと、2人、家、出たです。
(15/06/15)


NO.9 万事、滞り無くの話(4) ドクターの診断の話

いやまあ、同窓会での、飲食からは、6時間経過してるです。
そもそもがの、下戸での、大して、飲んでえへんです。
嫁はんと、2人、車で、「こもれび」にも、ゆっくりでして。何故か、急いでもなと。云うても、数分の道中。

頭の中では、看護師の、電話の話の、息が細くの文言、繰り返してたです。
母の息なら、してるのか、してへんのか、分からんの時、多々あるです。家に居てる時でも、息してるの哉と、手を鼻の辺りにかざしたり。暫く、様子を見てたりと。
「こもれび」に出向きの、洗濯モノの交換の際も、同様での。特に、ここ数回、ベッドに、でして。寝てるし、起こさず。されどの、生きてるのやろなあと。ンの、手を動かしの、何か、云いたそなれどの、無理すなと。
手を動かした事で、ホと安堵の、生存確認出来てるですが。

息が細いねえ。
看護師なら、専門家故に、その辺り、分かるのやろなあと。
着けば、玄関のドア、鍵掛かってて、開かんでねえ。横手のインターホンで、「柴田ですが。」と、声掛けて。
介護士が出て来てくれての、曰くに、部屋が違いますのでと。そかと。イヨイヨ哉と。

部屋に入りの、ベッドの母見たら、嗚呼と。
如何にもの、安らかに、寝てましての。癖か、口パカリと、開けてて。手を、額を、頬を触って、暖かく。
ほんまやでの、まさしくの、安らかに、寝てるが如くで、安心したです。
介護士が、母の名を呼べどの、応答無く。

思うに、結局の処、当方、親族の死に目に、間に合おた事、あらへんです。
此度、こそはと、思てたですが。不思議やなあと。


ここからは、現実問題でして。
感傷に浸ってるの間は無いですが。どするやと。
正確には、間はあるですが。何をしてええやら、分からんでして。

いやなあ、ドクター<理事長>が診断しの、宣告待たねばならぬです。宣告受けて、親族にその旨、伝えたりの、葬儀社にも、連絡での、夜伽、告別式の日程等々、決めんならんですが。オトトの、菩提寺、「光圓寺」住職にも、連絡せねばの。
されどの、現時点、動けませんです。
看護師も来て、母の名を呼べどの、起きませんでして。それこその、息してるの様子無く。

看護師曰くに、ドクターには、連絡してての、こっちに向こてますので、モ暫く、ここで、お待ち下さいねと。ここでも、ここしか、居てるの場所あらへんでして。真夜中での、足音にも、気ぃ使うの、ウロウロも、出来ませんでして。
ドクターが、どこから、こっちに来られるのか、全くの知らんしなあ。
嫁はんと、2人、母を含めて、3人、同じの部屋に居てるだけの時間、待機でして。

ほんまになあ、ドラマやあるまいにの、母との、最後の言葉、会話なんか、あらへんでと。
強いてならの、4月20日辺りの、母の希望、ここがええ。気楽やし。
これが、会話らしいの、会話でして。
コレ、突然の当人、母が云い出したです。こちは、尋ねもしてへんですが。尋ねんならんなと、とは、思てたですが。

更になら、膝掛け、毎回、交換してるですが。
交換するか、ンの、会話なんか、この程度でして。
云うたら、マシュマロ、持って来たで。オヤツ、持って来たで。食べるかと。
これは、こっちからの、一方的でして。母の、表情、仕草で、判断してまして。

何個食べる。とりあえず、3個にしとくかで、ンと。
3個手渡し、まだ、いるか、欲しいかで、ンと、頷けば、更に、1個なり、2個、3個と、手渡しまして。
コレ、まだまだ、元気な頃の話での。ここ最近では、ベッドに寝てるの状態でして。オヤツも持参は、してるですが。寝てるの状態では、マシュマロでもの、喉詰められたら、大変でしての、あてがってませんでして。

どちにしたって、会話らしいの、会話なんか、ここ最近、してへんわ、出来てえへんわと。
調子、多少なりともの、戻れば、出来るわの、程度でして。
そらなあ、日々、刻々の悪化、衰退なら、見えてるですが。波あってねえ。次ぎには、会話が出来るカモと、思てるわと。
会話も、何の話が、あるの怪の。下手に感謝の言葉、云われてみい。その方が、怖いし、そんな、母の考えに相成ったの怪と。

ほんまやでの、常々、云われてるは、親を、虐待してからにと。
呪い殺してやる等々、無茶苦茶でして。
コレ、チョと、ご飯、遅れたりの、したら、云われてねえ。それが、喰えんよになったが、致命的。

ドクターも、云うてたです。
水分も、摂らんですねえと。
その通りの、大体は、毎朝、お茶なりを、戴けるですが。飲まへんしで、介護士から、宜しいですねえと、戴いてませんでして。相当の、以前より、でして。
云うたら、食事もろくに喉通らん故、投薬もされてませんでして。従前なら、その際、水なりを、飲むですが。
直近なら、粥状のご飯のミキサー食でして。それに、水分がと。

呆けの事なら、介護士曰くに、睡眠薬も、請求せずの。夜の、ナース・コールも、頻度低下。オムツに、してるですが。従前には、そんな事、ありませんでした、ですがと。
その通りでねえ。家でも、夜の、ナース・コールに対応、大変でして。

オッとの、この時、そんな話、してへんですが。
2時半頃やった哉の、ドクター入室。
口の中、目にライトを当てられ、1時20分、老衰ですと。
確かに、そのよに、聞こえたですが。云うてるは、時刻の事での、実際には、電話が掛かって来た時には、そやったの哉と。息は無かったのかと。

イヤイヤ、ならばの、分かるです。
息が、細い、薄い、では無くの、電話の時には、ホボの、絶望的、確定的、やったの哉と。
コレ、何も無いです。ドラマや、小説やあるまいにの、会話なんか、出来ませんです。出来るのなら、ここに至るのまでに、出来てるです。既に、会話の出来るの状態で無く。
息ある内に来てても、待つのみの、奇妙なるの状態でして。

での、ドクターの診断、宣告受けて、ここからが、本番。
本番も、何からして、ええのか、皆目の。
万事、介護士、看護婦の指示、云うの事に従うのみでして。
(15/06/16)


<参考>
<注=一部文言変更>

「看取り介護についての同意書」

私は「某」の看取り介護について、介護老人保健施設 「某所」の看取り介護の指針に基づく対応ならびに医師の説明を受け、私どもの意向に沿ったものであり、下記の内容を確認し同意します。

<記>

1.医療関係の対応は、平成 年 月 日をもって、本人に苦痛を伴う処置や対応を行いません。また、危篤状態に陥った場合も病院への搬送はせず、介護老人保健施設 「某所」にて最後を看取ります。

2.身体的介護では安心できる声かけをし、身近に人を感じられるよう某様の尊厳を守る援助を致します。

3.食事は出来る限り経口摂取に努めます。

4.医師の指示を仰ぎながら苦痛や痛みを和らげる方法をとり、介護老人保健施設 「某所」内で出来る限りの看取り介護を行います。

5.ご家族様の希望に沿った対応に心がけます。

6.ただし、ご本人様・ご家族様の意向に変化があった場合は、その意向に従い援助いたします。


NO.10 万事、滞り無くの話(5) 緊急召集哉の話

ドクターが来られるまでの、嫁はんとの話なるは、です。
母の急変、とは、4月20日の、担当ケア・マネージャーとの面談からの話でして。
この時には、ボチボチの、「特別養護老人ホーム」の検討をと。その間、「こもれび」に居て戴いても結構ですと。

要は、急ぐの話で無いです。
検討されてますかの質問で、具体的には、行動してませんでして。
本音的、出来る限り、身近に居てやりたいですと。そもそもが、その手の施設、母、嫌がるです。

中身的、「リハビリ・センター」と、ど違うかと、なればの、こっちでは、週2回、原則なれどの、洗濯モノの収納、回収に来んならんです。コレ、正直、邪魔くさい話でして。こちらでは、洗濯してくれへんしで、義務的、訪問してるですが。「特別養護老人ホーム」では、全生活、「ホーム」でして。洗濯もしてくれるです。
住民票も、移動でして。
正直、「ホーム」に、好んで行く者、居てへんです。家族と一緒がええに決まってるです。
そやけど、諸般、身体的、不都合にての、家では、不便なため、「ホーム」にと。或いは、家族に負担を掛けぬがためと。母の場合、自分、最優先。子は親の面倒見て、当然と、考えてるですが。
イヤ、それで、間違い無いのと、こっちも、最優先にして来てるわと。

オッとの、この話、し出したら、話、ややこしく成りの、別の話になるが故、割愛致しの、嫁はんとの話。
いやなあ、事の発端、5月13日<水曜日>でして。
ドクターが話がしたいと、いつもの、洗濯モノの収納、回収に出向いたの時でして。
ここで、大きくは、食事の問題、出来ぬ故、延命処置についての、確認されたです。コレは、致しませんと、即答したですが。加えての、呆け<認知症>の話も出たです。
云われてみれば、分かるですが。こっちは、歳相応の、呆けと、見てたですが。これも又、事実なれど、です。

以て、面会者が、誰と、分かるの内に、面会をと、濃い親族に通達したです。濃いとは、血縁のです。
これは、当方の判断での、簡単には、孫共<息子達>と、妹に、でして。
イヤイヤ、息子共一家なら、5月5日<子供の日>に、全員で、面会してるですが。この時には、息子共、その嫁共、曾孫を見て、泣いて、泣いて。
の、程度の反応あったですが。
その翌週<5月13日>には、認知症と、食事が、喉を通らんの、延命処置と、「同意書」の件でして。

イヤイヤ、ほんとに、急激でして。
結果的、ドクターの1回目の話から、1箇月、保たんかったになるです。

そして、5月17日<日曜日>、妹夫婦が。
24日<日曜日>には、次男一家<3人>が。又、妹夫婦と、その長男の3人と、長女一家<4名>がと。
更には、31日<日曜日>、次男一家が、再度の。
6月3日<水曜日>、妹夫婦と、その次男の3人。
この日には、別途、当方、担当ケア・マネージャーに、「同意書」提出してるですが。
6月6日<土曜日>には、長男一家<5人>が、来まして。面会を。明くるの、7日には、次男一家も、来ての、当方以外の、9人、母に面会したですが。この日、7日なるは、先の通りの、同窓会でして。時間的、面会には、付き合わず。
7日の面会では、母の只ならぬの状態での、長男、次週、14日も、こっちに来ると、云うてたですが。それを、待たずの、8日にと、相成ったですが。

結果の結果的、母も、濃い親族には、会えたになるです。
ほんまやねえと。とは、ベッドの母を前にしての、嫁はんと、でして。
母も、皆と会えて、安心したの哉と。それまで、待ってた、とも云えて。

にしたって、急激に過ぎるです。
5月5日、母と面会の時と、今とでは、数段の違うぞと、6月6日、長男には、話をしたですが。
その、子供の日も、泣いて、泣いて、ではあったですが。従前とは、反応が薄いなと。とは、感知、察知しては、いたですが。当方は、でして。
その次ぎの週の、ドクターの話、認知症の事、聞くまでは、大きくは、バラツキの範囲やろかなあの、理解でして。このバラツキも、トレンド的、着実の、低下傾向の、認識なら、してるですが。年齢の事、考慮で、当然也の程度でと。


での、ドクター診断、宣告、「老衰」を受けまして。
又、綺麗な顔したはるねえと。
この、綺麗とは、美人の意では無いの、苦しんでの、表情に非ずの意でして。全く以ての、安らかに、眠るの如くの、感想でして。
美人とは、申せんでもの、案外に、色白やなと。あくまでもの、案外にの、範疇なれどです。
そして、食事、喉を通らんかったにしたら、ふくよかなるの、顔でして。皺がなあ、少のなってるよに、伺えて。へえと、感心するの程でして。
コレ又、食事が全く出来ずに非ずの、80%なら、喰えて、点滴もして戴いてる故哉と。

要は、当方決断、延命処置お断りは、正解也と。
延命処置も、して戴きも、下手したら、トンでも無いの事に相成るです。コレ、ここでは、詳細割愛致すですが。

ドクター、諸般の処置されての、退室での。看護師より、ここで、お待ち下さいねえと。
その間、介護士が、コレをと、持参されたは、母の刺し歯。どしますかと、尋ねられの、預かりますと。受け取り、小物入れに入れたですが。コレ、どするやの、棺にでも、入れてやるかと。あちらで、喰えんは、困るしと。

オッとの、での、さての、ドクターの診断下りの、具体的行動せねばの。されどの、この時刻、2時半でして。夜の、でして。
親族に、葬儀社に、菩提寺住職に、連絡せねばならぬ、ですが。ここで、「こもれび」で、ケータイ云々、するのもなと。
思てたら、看護師が。続いて、介護士入室の、さての、衣類、どされますかと。
どするかと、問われても、よ分からんですが。

イヤ、着てるの服、普段着でして。少々、汚れ、目立ってて。
いやなあ、どこで、どこまで、してくれるの哉の。
看護師、介護士曰くの、お母さんの、気にいっておられた服、あれば、それを持って来て戴ければ、着せてあげますよと。カラダも綺麗に拭いて、差し上げますよと。へえと。
それ、するは、葬儀社と、思てたですが。ここでも、して戴けるかと。
ではの、早速、家に戻って、探して来ますの。嫁はん、問うに、和服でも、宜しいですかと。ええ、結構ですよと。

更に、介護士曰くの、葬儀社、例えば、「セレマ」には、マダ、連絡しないで下さいねと。
着せ替えるに、1時間半掛かるですと。余りに早くに来て戴いてもと。ハイ、分かりましたの、しかるべくの、連絡して戴くの時には、申しますのでと。

オトトの、この時間、この時刻。
看護師なるは、当直の方と、思うですが。
介護士、2人、母の刺し歯を手渡して戴いたの方と、モ1人、ベテラン介護士なれどの。もしかして、もしかしたらの、母の件で、2人共に、急遽、動員、召集されたの方、哉と。
刺し歯の方、この処、母の事で、状況、逐一、当方なりに、伝えて戴いてるの方でして。

それまでは、色んな方から、報告して戴いてたですが。次第、次第に、この方になってるです。
ドクターの、一度目の話、5月13日<水曜日>以来、この方が諸般、して戴いてる様子での。様子で無く、この方でして。
二度目の、6月1日には、ドクターが居ておられる故、面談をと。その前日には、当方に。その前々日には、嫁はんに、通知されたも。その、当日、同席されてたも、この方でして。

ベテラン介護士と思しきの方なるは、年齢的にもの、この手の事、慣れておられるよでねえ。
和服でもと、なればの、これこれをと、嫁はんに指示されてたです。

当方、勝手推量ならばの、刺し歯の方が、基本的、母の担当になられてたの、哉と。
云うてるは、介護士は基本、誰の担当と、云うでは無いですが。入所者全員対象での。
但し、「同意書」云々の、予断許さぬの段階になれば、主担当、決められるの哉と。そらなあ、新米ではなと。

オトトの、着替え、和服なるは、家に戻らねば、ならぬの。
何を揃えるかは、嫁はんにで。当方、諸般、連絡すべきに、連絡をと。
その事で、頭一杯の、実務や、実務の、やるべきをと。
にしたって、寝てられへんなあと。モ一寸、考えてくれんかたら、こっちが大変やでと。最後の最期まで、我が儘、気儘の、面倒、掛けさしてからにと。
イヤ、母に対しての、愚痴でして。
(15/06/17)