シバケンの単なる雑談NO.111
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目次
NO.1380 中学3年同級生の訃報の話(1)
NO.1379 孫君3号の一升餅の儀の話(4) 化粧箱、楽天にて注文決定の話
NO.1378 孫君3号の一升餅の儀の話(3) スライド・ショー1000枚の話
NO.1377 孫君3号の一升餅の儀の話(2) 儀式無事挙行の話
NO.1376 孫君3号の一升餅の儀の話(1)
NO.1375 夢の世界の話(3) 夢での、妹の話(2)
NO.1374 夢の世界の話(2) 夢での、妹の話(1)
NO.1373 夢の世界の話(1) 現実は厳しかったの話
NO.1372 ディと、ショート・スティの鉢合わせの話
NO.1371 孫娘と婆様の話
NO.1371 孫娘と婆様の話
文化の日の振り替え休日、11月の4日<月曜日>なれどの、月参りの墓参に行って参じたです。
イヤ、月曜日、母、ディ・サービスの日でして。朝、8時45分、送り出してからです。戻るは、16時頃故、それまでには、私共夫婦、帰らんならんですが。これが、忙しない無いなあと。ついでの用事で、高島屋に寄ったりも、出来ませんでして。
での、月参り故、月毎でして。
それ、そのモノには、特段の話無いですが。流石に、11月の連休。京都に観光客の多い事、多い事。東大谷祖廟駐車場に他府県の車の多い事。年会もされてるかで、礼服の面々も、目立ってねえ。
円山音楽堂では、「私学フェスティバル」とやらが催しされてたですが。主旨何やろねえ。よお、知らんです。外から、チラとは、見えるですが。会場の様子がでして。観客席、超閑散。但し、見えるの範囲の事なれどです。そやから云うて、超の満員には、程遠く。
そして、観光シーズンと、だけに限らんですが。この数年、十数年でも結構の。外人が墓地をば、探索やろねえ。してまして。外国からしたら、墓石は珍しいのやろねえ。カメラ片手にでして。パチパチと。
昔は、墓地に外人なんか、知らんですが。外人も、昔と、当世、近世では、異質に成って来てるかと。
そもそもが、墓地で、写真はなと。
云い出せば、日本人でも、神社仏閣境内、墓地で、写真バチバチ、なれどです。原則、余り、良い事では無いなあと。
とは、我が感覚での話なれどです。
必要以上に、気にする事でも無いですが。忌み嫌われるの行為と、思てまして。私から、云わせて戴ければ、何も、わざわざの、そんな場所で、記念写真、風景写真を撮らんでもの、境内出てから。墓地、出てからにしたらと。
気持ちの問題なら、寺務所、社務所で、尋ねてからにしたらと。気持ちや、気持ちの世界故、断りを入れて、安心してからにと。まあ、云うたら、墓地ばかりをスケッチするの趣味人居たら、気色が悪いわと。
我が子どもが、孫が、そんな趣味持っててみい。ど思うやと。だけの話。
いやなあ、墓参から、帰って、草臥れてねえ。
14時半頃、戻ったですが。眠とおて、眠とおて。猛烈に、眠とおて。16時には、間がある故、横になったですが。16時までは、寝てられませんでして。そら、予め、スロープを、車椅子を、準備しとかんならんわと。安全見て、30分前にはと。準備してしもたら、又、安心して、戻るまでは、寝るも出来るですが。
イヤイヤ、矢張り、オシッコ番、お付き合いで、3時、4時が、続けば、思たより、相当に体力、気力、消耗するです。
思考回路が停止状態でして。又、母、一日、モロ居たら、30分、1時間に、一度は、ナース・コールで、諸般のどでもええよな用事で、呼ばれまして。
イヤ、鳴る故、何やと、問えば、鳴らしたかと。ンと。鳴らした故、来てるんやと。
そこから、10分せずび、鳴らされて。今度は、オシッコと。あのなあと。さっきはオシッコと違うかったんかと。或いは、テレビのリモコンがどこやろと。決まってまして。ベッドの下に落としてるですが。こっちの方なら、簡単なれどの、ベッドのあっちなら、隙間ありませんでして。下から、棒でも延ばして、取るしか無いですが。これが、日に、1回、2回とあってみい。腹の立つノリでして。
いやなあ、本日<11月5日>には、薬も調達せなばならず。近在の、とは云え、800メートルかの距離なれどの、町医者に貰いにと、するのか、代行で、行くですが。この日しか、日がありませんでして。
理由、明日から、「けやき」にショート・スティでして。ショート・スティでは、薬も一緒に持たせねばならず。丁度、連休明けでねえ。もしかしたらと、思いつつの、行けば、案の定の、大入り満員。
状況なるは、靴脱ぎ場の、靴の数見たら分かるわと。
ここは、過日の町医者と違いまして。待ち時間、どのくらいですかと、問おても、明確には、返答してくれませんでして。思いのホカ、早くになる事もありますし、待っててくれと。云われてもなあ、待合いの座るの場所も無く。
要は、子どもも多いし、風邪引きさんが来てるの哉と。風邪をうつされても、困るしと。
一寸だけ、外に出まして。裏手とするのか、院外薬局の前には、灰皿があってねえ。院外薬局で、灰皿置いてるの親切なるのは、ここ以外、知らんですが。ここで、タバコ等、一服吸うては、待合いの様子を見まして。見たら、又、タバコを一服も、本数が多過ぎる故、近在をウロウロしたり。
にしても、長時間、母、保つのかと。
ほんまやでの、出るに、これこれのためにと、理由説明の上、出てるですが。まずは、オシッコが保つの哉と。モ一つは、居てるか、確認のナース・コールを連発してる筈の。居てへんかってみい。多分なら、半狂乱。
要は、1人だけにされるが嫌なんやなあ。こっちにしてみたら、せめてもの、その程度、我慢せよと。誰の用事で無いの、アンタの用事なんやと。云うて、聞き分けるなら、世話無いけれどや。まあ、あきませんです。
とか、云うたって、出るにも、こっちの、都合だけで、出られませんでして。母をオシッコに連れてってからでして。さすれば、30分、1時間は保つやろと。思うですが、この日みたいに、大入り満員やってみい。
ども出来ず。
人数、少のおなって、待合いに戻れば、3歳、4歳哉の、女の子が、婆様と一緒に来てまして。3歳、4歳なら、孫君1号世代なれどです。女の子故、孫娘を彷彿させてねえ。
イヤなあ、これが、ジッとはしてませんでして。あっち、行ったり、こっちに、行ったり。待合いの面々も少なくなってる故、どて事無いですが。走っては、滑って、転けて。転けても、高がの、3歳、4歳。常でして。
順番、回って来て、婆様に抱えられ、診察室に行ったですが。3歳、4歳、軽いねえ。婆様が、ヒョイと抱え上げ。
これが、我が母やってみい。そは出来ませんでして。そら、相応に体重あるし、以前あったの、車椅子が無くなって。キャスター付き、椅子に座らせ、移動するしか無いですが。これがなあ、手でも、肩でも、支えて、自力で、歩けるなら、こっちも、楽なれどの、自力で、立つは、殆ど出来ませんでして。
まあ云うたら、可愛い孫娘連れて、婆様、町医者に来てるですが。
での、診察が終わり、精算もして。イザ、帰るに。その婆様と、孫娘の話。
孫娘、リュック・サックを持って来てるんやねえ。さあ、お婆ちゃん、帰ろと、そのデカいの、リュック・サックを持ってねえ。帰ったですが。
見てて、まるきりの、我が孫娘が、その当時と、一緒の行動してるなと。孫娘も、リュック・サック、持ってるですが。自分のオモチャを一杯、詰めて。兎に角、どこに行くも、持ってくと。道中、持つが、邪魔くさなったら、持ってくれと。爺様の私にです。こんな程度なら、協力してやれるですが。
オッとの、での、母の名、呼ばれて、代行にて、処方箋と、しかるべくの、代金支払いの。これが、830円也。
処方箋持って、院外薬局に行けば、先の婆様、孫娘が先客で、居てまして。案の定の、婆様が、リュック・サック、持たされててねえ。予想通りと、云えば、予想通りの、されどの、孫娘のモノでして。
ででの、母の薬を戴きの。金額、1270円也の。処方箋代含めの、都合の、2100円。
これが、後期高齢者と違うかってみい。3割負担なら、6300円也の。実際には、21000円もの薬に成るの哉と。オトトの、一箇月分なれどです。
受け取り、家に戻れば、これ又、ナース・コール、ガンガン状態。何やと、聞きに行けば、どこに行ってたと。全然、来てくれへんやんかと。オシッコ、オシッコ、早よして。早よして。出てしまうがな。
あのなあと。
(13/11/06)
NO.1372 ディと、ショート・スティの鉢合わせの話
イヤ、本日、6日。
「けやき」にショート・スティの日でして。
昨夜より、準備万端の、嫁はんがでして。準備は、着替え一式、薬一式。その他、諸々の持ち物をば、リスト化せねばなりませんでして。毎回、一緒故、コピーでもと、思うですが。手書きとなっててねえ。
朝からは、私の方が、スロープ出して、設置して。車椅子もしかるべくの、目立つの場所にと。その車椅子の乗ったまま、「けやき」に行くからでして。その方が、先方も、こっちも、処理し易くて。
での、ボチボチの、時間やなあと。
時間も、バラバラなれどです。概ね、9時から、9時半でして。9時を想定の、8時半には、母、着替えもさせて、イツでも、出られるよに、家用車椅子に乗せてるですが。
「けやき」の送迎の方、大体は、来て、即の、呼び鈴鳴らさはりませんでして。車は、音も無く、家の前に止まり。先様の若干の受入体制整えてから、呼び鈴哉と。この時、バタバタしてたら、分かりませんでして。
ででの、気配察知の、来たなあと。
外に出て、宜しくお願い致しますと、声掛け、母には、来やはったでと。玄関の方にで。送迎担当の方は、下用車椅子を持ち込んで戴き。2人して、母を移動させ。
移動とは、私が、母を車椅子から、降ろし、抱えて、玄関先に座らせるですが。これがなあ、イツもの事なれどの、玄関の手摺り、母用なれどの、握って離しませんでして。イヤ、一旦は持ってくれんの事には、転けるですが。私が抱えて、離してやと、声掛けたら、離してくれん事には、玄関先に座らせるに、ンの、重たいなあと。
よって、離して、離してと、叫ぶになるですが。
まあなあ、母も自分のカラダが宙に浮くになるがため、怖いは、怖いと思うですが。一寸は、こっちを、信用して、身を委ねてくれませんと、下手しての、玄関先で、一緒に転んでみい。送迎担当の男性にしたって、母と、私の2人を支えるは出来ひんわと。
オッとの、そんな事には成ってませんですが。反対に玄関先から、家に上げるの際が、問題でして。上げるの方が、チカラ要り。これが、上がらん事には、チカラ尽きるです。イヤ、母が、手摺りをガチリと、持つが故でして。これが、益々の酷く成り。困るなと。
にしても、母、車椅子に成るの以前は、どしてたんやろかなあと。以前なら、歩行器でして。その前は、自立式杖でして。どちにしたって、母、自力で、玄関先に座るは出来ませんでして。
まあなあ、とりあえずは、自力で、歩けてたなあと。
歩けると、歩けんでは、雲泥の差での、家族の負担桁違い哉と。
そんな次第の、送迎車到着の。
担当者、中年男性なれどの、準備の車椅子を持って来て戴きの。母を移動させまして。下用車椅子に乗せれば、担当者が、送迎車に乗せてくれるですが。
その、乗せてくれてるの真っ最中。マイクロ・バスが家のソバに来て、ピタリと止まってねえ。
イヤ、送迎車の移動を待つにしては、追い越せるの道路幅、ありまして。変やなあと、マイクロ・バスがどこのかと、ボディの文字見たら、「こもれび」としてあってねえ。ンと。
デハと、その運転席見たら、苗字までは、知らんですが。見知った方で、モ一発、ンと。何でやと。
瞬時、我が、超の鈍足CPU、MS−DOS時代の、20MHz程度で、沈思黙考の。データー僅少故、左程の時間、秒数掛からんわの、ンの、本日、水曜日かと。
回答即の出たです。母の、ディ・サービスの曜日が、月、水、土曜日でして。偶々の、通り掛かったで無くの、母を迎えに来やはったんやと。
での、運転席側に寄りまして。運転手、降りて来まして、お早う御座いますの、本日、これから、ショート・スティなんですがと。先様、ンと。しかるべくの、通してくれたはりますかと。
いやなあ、先様、「こもれび」には、我々、通すも、通さんも無くの。「こもれび」の、ケア・マネージャーを通じての、ショート・スティのスケジュールでして。こっちは、しかるべくの、希望日を伝えるだけでして。
ケア・マネージャーは、それを、「けやき」に伝え。「けやき」からの、返答をば、私共、家族に連絡頂けるです。
との、システムとするのか、手順でして。
とまあ、そこまでの話してませんですが。
イヤイヤ、某さんを通じてるですと、伝えたならばの、課長のですかと。課長か、平かは、知らんですが。とまでも、申してませんの、ケア・マネージャーの某さんですがと。嗚呼、ケア・マネのねえと。
業界では、ケア・マネと、短縮系で、云うてるの哉の。ンの、左様ですと。
とかとかの、話をしつつの。別途の予備機、鈍足MS−DOSパソコンにて、思考するに。ソ云うたら、この6日からの2日間は、付け足しやなと。元々は、8日<金曜日>からの予定が、2日間、追加して戴いたです。
当然の、ケア・マネージャーからの連絡でして。この付け足し分を、ケア・マネージャーが、しかるべくの、ディ・サービス部門に連絡し忘れたなと。
イヤイヤ、MS−DOSマシンなんか、現在唯今、所有してませんの。遠の昔に廃棄処分の、しもたなあと、後悔してるですが。それも、1台だけで、2台もはと。
そんな話は結構の。こんな事もあるのやなと。
「こもれび」の送迎車が、事情知りの、消えまして。「けやき」の送迎車で、母出発。しかる後、ケア・マネージャーに連絡一発。しといたですが。
イヤ、先様不在故、斯くの然と、お伝えくださいと。
送り出してから、つらつらと、沈思黙考の。難しいなあと。
結局は、母のオシッコでして。現状のままでは、こっちが、保たへんぞと。母も多少の協力してくれんの事にはなと。かと云うて、寝乍らのオシッコも慣れんと、難しいけれどです。
斯く申すの、私も、過年、30年昔であったか。倒れてねえ。初めての、救急車で、病院行きでの。京都南病院に2週間入院してたですが。当初、あそこにチューブを通されて。寝たままに、オシッコせよの意なれどの、出えへんねえ。そもそもが、チューブなんか、刺し込まれててみい。イタイ、痛いの、嗚呼、痛いの、とてもやないの、出るモノも出ませんでして。
イヤ、入院で、何も無くの、無罪放免で、退院したですが。諸般ベッドから、立ち上がりまして。
それでなあ、余所様、どしたはるのかと。
チラチラ、聞くは、オムツでしたはると。当初は、寝ずの番、出来ても、早々には、保たんわと。カラダ、壊すわと。さもありなんの。
我が方、イツからかと、考えたら、この、当年、本年、今年、1月からでして。
母、この状態になったは、一昨年<2011年>なれどです。
要は、恥骨骨折であったか、年末かに、「亀岡シミズ病院」に入院。2月に退院の、即の、そのままに、「ふないの里」にお世話になりまして。約11箇月の、1月初旬に退所致しまして。
この時、経過報告等々の会議が開催されての、「ふないの里」の方より、オシッコがと。1時間毎ですよと。どされますかの、話あったですが。
どされますかも、家に戻れば、私共で、何とか、せねばならぬわと。ホカに誰かが、代行してくれるで無しと。当然の如くに考えてたですが。
成る程の、こんな事かと。
何が云いたいかとなればの、寝た切りでもなくの、中途半端なんやと。寝た切りで、家で、介護とならばの、嫌応無くの、オムツで、決まりでして。
寝た切りで、自宅介護は大変なれどです。
(13/11/07)
NO.1373 夢の世界の話(1) 現実は厳しかったの話
さての、行ったら、行ったで、何がとなればの、母、ショート・スティにの、話なれどの。
電話一発、リンリンと鳴れば、ギクリ。
この電話がねえ、リンが、一発、二発で、止むのがあってねえ。誰かが、ダイヤル間違おたかと。当世、プッシュ、プッシュなれどの。勝手に間違いと、推測してるですが。当家の電話番号、間違い難い筈なんやけどねえ。
末尾、「1」でも、「0」でもありませんでして。「2」でも、「9」でも、「3」「8」でも無くの。「4」や、「7」でも、ありませんの、「Go Go」の、「郷ひろみ」の、下二桁、「55」でして。
概ね、会社の、末尾、「1」が多いですが。
これがねえ、日中なら、なれどの、真夜中、1時、2時にやられてみい。ギクリの中に、悪い知らせを連想致すです。大体が、そんな時刻に、電話するは、余程の緊急事態発生でして。
とは、世間の一般常識なれどです。
よって、掛けるにしても、慎重に、慎重にでして。されどの、緊急事態ともなれば、落ち着いて、電話するも難しく。
この、間違い電話とは、思うの、リンが一発、二発で切れたら、先様が誰か。様子、目的知りたいの気持ちに駆られるですが。何分の、ナンバー・ディスプレイの契約してませんでして。分からんですが。
オッとの、そんな話をしたいに非ずの、諸般、時々、何がため、ホーム・ページなんかをやってるのかと、尋ねられる事あってねえ。
我が返答、決まってまして。
簡単には、一つ、自分史であると。
自分史にするに、ある程度、長期間、継続せねば、「史」に成らぬですが。後刻、読む、読まんは、別としてです。まず、読まんですが。読まんとしてしもたら、断定したら、話、進まんですが。
再読して、嗚呼、この時には、こんな事があったかと。こんな事、考えてたの哉と。
一つには、自分の云いたい事をば、独壇場で、公開出来るは、このよな場でして。面と向こての場では、又、多人数居たら、尚更の、自分の考え伝えるに難しく。
ましてやの、一寸、ええ話なら、なれどの、一寸も、ええ話に非ずの、話なんか、聞き手が大変でして。そんな、どでも、ええよな話をモットもらしく、出来るの場が、この手、ホーム・ページ哉と。
別段にの、「ホーム・ページ」だけとは、限らんですが。当世なら、ブログが。フェース・ブックが。Twitter、Lineとかとか、諸般、手段、一杯あるらしいですが。ブログは、似てるですが。ホボの目的一緒なれどの、フェース・ブック等々、ある種、塊の場のは、意味合い、一寸、ズレあるよにも、思てまして。
ましてやの、見知らぬ者同士が集まったりの。それは、それで、ネットの世界故で、範囲広がり、宜しいですが。下手したら、犯罪に絡んでしまうよな、ツールなんか、変でして。
これは、参加者なり、運営者の資質の問題なれどです。
イヤイヤ、要は、発表の場、創作の場であると、想定しの、そのよに運営したなら、犯罪に絡んだり、パクリに成ったり、嘘八百の世界には、成りよが無くて。
正直、そのまま、思うがままが一番やと。それを、出来る限り、継続するが重要でして。折角の構築した、自分史なりが、ネットの世界に浮遊霊化したり、ではなと。
オトトの、ここで、云いたいは、そんな話でもあらへんわと。
「夢の世界」でして。
この、「夢」なるは、「理想」の、あるいは、「将来の夢」に非ずの、名実共、文字通りの、寝てるの間に、見るの、「夢の世界」。
そこで、一説とするのか、強力なるの説として、誰しも、イツも、夢見てるですて。只、目覚めたら、忘却するが故、「夢」ですて。フウンと。
私共、研究者でも、夢占い師、フロイトでも無くて。夢見て、何を意味するかとも、考えませんですが。オッとの、時には、考え込んでしまうの夢、見る事もあるけれどや。こんな夢、早々に、度々は、見られませんでして。出来たら、斯様な、意味あるの夢、何かを、連想するよなのを、見たいなと。とは、思うけれどや。思たって、朝目覚めて、忘却してたでは、残念無念の、夢霧散、露と消えの、無惨哉。
まあなあ、ええ夢なら、続きを見て見たいも、あるかと、思うですが。コレ又、そんな夢、見て無いなあと。
での、そは云えどの、イツまでも、覚えてるの夢もあるです。
正直、誰もが、経験の、寝しょんべんの時の夢があるです。
当たり前に、私も見てまして。且つは、覚えてまして。
云うとくの、寝しょんべんなんか、精々が、小学生時分の頃まででして。当世、この歳に成って、寝しょんべんの夢は別としてです。現世、現実の、寝しょんべんしてしもてたら、大問題やでと。
イヤ、ここで、この話、するのツモリは無かったですが。ついでの話で、しとこかと。これ又、正直には、過去、何度か、一度、二度、掲載してるの可能性あるですが。まあ、えかと。
とりあえず、当たり前の、正確なる内容失念してるですが。そら、半世紀以上、昔の夢の話故の。イヤ、夢見た、夢の話故。
兎に角、一生懸命に、場所を探し求めてまして。
目的、自分でも、夢の世界でも、分かりませんでして。そやねえ。夢の世界では、異様な事、してても、それを、異様とも思わずの、理屈、屁理屈、抜きでして。これが、夢の、夢たるの、値打ちで、所以哉と。
その場所を求めの、求めてるの目的も、何も解らんの、兎に角、一生懸命、闇雲に探しの。その場所が。自分自身の居てるの場所が、次第、次第に、狭く、暗く、薄気味悪くも、汚い場所に成って来てねえ。
進めば、進む程に、狭く、暗く、薄気味悪くの、より、汚い場所にと。
それが、嫌なら、進まへんかったらええのに。夢の世界、理屈、屁理屈抜きでして。目的大事、最優先の、兎に角、突き進みの、狭く、狭く、暗く、より暗くの、より薄気味悪くの。何よりも、汚い場所になって行ってねえ。
この汚いが、何故に、どんな具合にかとなればの、要は、場所的、洞窟を思えば宜しく。且つは、ジメジメした洞窟でして。洞窟故、薄暗く。本来なら、ランプも持たずなら、真っ暗なれどです。理屈、屁理屈結構の。
兎に角、そんな狭い、暗い、ジメジメした、洞窟みたいな場所を突き進んでるとするのか。ハタと、気が付けば、ドン突きでして。
しかも、途中から、何の目的云々、無関係の、何かから、逃げて、逃げて、逃げまくりの、洞窟みたいな、狭い、暗い、ジメジメしたの場所を、突き進んでたですが。最終的、逃げてるの感覚での。
嗚呼、万事休すの、ドン突きでは、これ以上、進めんわと。逃げられんわと。
覚悟決めたの、その瞬間であったか。嗚呼と。
現世に戻ればと、するのか。戻されたの原因、寝しょんべん。
気が付き、嗚呼、しもた。嗚呼、恥ずかしいと。出来れば、穴ががあれば、入りたく。出来れば、無かった事の。それこその、「夢」の世界の出来事、失敗であって欲しかったけれどや。
厳しい現実が、待ち受けての、結果、最悪に、成りに、蹴り。
(13/11/08)
NO.1374 夢の世界の話(2) 夢での、妹の話(1)
町内会各戸に配りモノが放り込まれたです。
中身、訃報。
イヤ、町内会の、某さんのご主人様<74歳>が、他界されたですと。ついては、お通夜、イツ。告別式、イツと、記載されてまして。
只なあ、私、その某さんとやらを、知りませんでして。イヤイヤ、町内会の方故、顔見たら、嗚呼、見た事あると、成る筈なれどです。少なくとも、喋った事無いです。
それを云い出せば、町内会の面々での、これまで、葬儀には参列の、まともに喋った方、殆ど居たはりませんですが。苗字聞いて、嗚呼、あの方かと、分かる故、参列してまして。
顔が想い浮かばんの方の葬儀に参列もなと。此度、パスしたです。
にしても、当世、香典を遠慮するの式が、多なったです。その方が、しかるべくの、金銭、不祝儀袋、準備せずに済むですが。
そやけどなと。
思うに、考えるに、冠婚葬祭の、特には、葬祭にての、香典なるは、遠慮するの風潮一般化しつつあるですが。コレ、日本独特とするのか、美風である故、一寸なと。
イヤ、葬儀費用、バカに成らずの。可成りの出費故、互助の精神にて、香典をと。出しの、しかるべくの、自分の時には、宜しくの意の、儀礼でして。
要は、葬儀費用の足しにして頂戴の。沢山、参列して戴ければ、それだけ、沢山、金銭集まりまして。実質的出費、少なくて済むです。
イヤイヤ、有り体、その通りと思てまして。葬儀の香典なら、その他大勢、3000円程度が相場哉と。仮にの、100名様、参列して戴ければ、30万円也でして。当然の、これでは、とてもや無いの足らんですが。粗供養も、お返しもしんならんし。そのままの、金額、助からんけれどや。
又、相手様、住所が、故人と、どんな関係かも、分からんの場合もありの、後処理大変もあるですが。その大変の手間を省略したいの気が勝ちで、香典遠慮の傾向強まったかと。
いやなあ、世の風潮に、反対モノ申したいですが。
そやから云うて、余所様、香典遠慮で、当家、戴くも出来ませんでして。香典遠慮致すの一文あれば、又かと。イヨイヨの、互助の精神から、遠退くなと。
での、余計なる話の、祖母の時には、参列者多くてねえ。京都の自宅で、長年住んでたがありの。知人多くの、献花の数も多かったです。
精算結果、私は無関係での、収支知らんですが。
親父の時には、亀岡でしたですが。後にも、先にも、町内会で、自宅葬当家のみ。
そらなあ、私の場合、しかるべくの、葬儀会館での、葬儀を知りませんでして。全部、自宅でやってましての、自宅でするが、当たり前に思てたわと。それ以降哉の、葬儀社でが、散見致しまして。
遂には、自宅葬珍しなってねえ。
ほんまやでの、会社関係の面々、上司、同僚、部下のでも。その親族のでも、全部、参列してるですが。葬儀会館でを、知らんかったわと。
結果、20年昔の頃より、葬儀会館のが、増えて来て。それでも、香典は要ったですが。要って当然の。ここ、数年ではなかろかと。香典遠慮が増えて来たと、するよりは、町内会のは、誰様のとは、申さんの、以降、全部、遠慮でして。
ソラ、一軒が、それしたら、以降出来ませんです。参列者の、出費を気の毒と、配慮するが大きいとは、思うですが。結局は、付き合い、希薄、原因哉と。
何度でも、申すの、新興住宅街では、苗字知れどの、名知らず。年齢も、ええ加減の、前歴も知らんわと。生まれの、育ったの地なら、町内会の面々なら、全部、全員、とまでは、申さんの、殆どの面々、承知してるしと。
喋った事も、一度や、二度やあるまいにの。葬儀あれば、心底、寂しく、涙、嗚咽致すわと。
そやけれどの、悪いけど、現、亀岡のでは、余程の方で無ければ、まあ、ソレは無いなあと。
変な話、神輿で、一緒に参加の面々とかや。同じの組の面々とかや。少なくともの、何かで、ご縁あっての、行動共にしたの方ならなれどの。それ以外では、顔なら承知の程度でして。
ではあれどの、同じの地域に住みの。ご縁あったが故、同じの町内会になったと、考えるしで、僅かの手掛かりでもあれば、参列してるの次第やわと。
当然の、我が親族の葬儀の時には、来て欲しいわと。
ほんまやでの、自分の葬儀で、ダアレも。とは、申さんまでも、僅少やってみい。草場の影から、我輩、この程度の、人望しか、無かったのかと。寂しいわと。
まあなあ、時には、ほんとの家族、親族だけの、内々での葬儀を望む方もあるですが。その気持ち、分からんでも無いです。多くの場合、生まれ、育ったの、地では無いがあるの哉と。
その葬儀。
我が初体験の葬儀となればの、妹のでして。現在居てるの妹、次女でして。
他界のは、生まれて幾日かで、産院にて、死亡しまして。私が幼稚園の時でして。
その時の葬儀、親族だけであった哉の。この時の夢も、記憶してるです。只なあ、幼稚園児時代やしなと。現実の光景と、夢、幻の区分曖昧でして。
とは云え、これは、現実、コレ夢と、自分なりには、分かってまして。
現実と、分かってるは、兎に角、親戚縁者が、沢山我が家に来まして。珍しい事故、興奮状態に成ってたです。
只、誰とは、申さんの、見知らぬの、親族も来てまして。親族とは云え、当家との、血縁無いですが。理由、母方伯父嫁の親族。多分なら、その姉妹哉と。よって、私からしたら、軽くの、小母さんでして。
記憶では、2人来たはってねえ。要は、顔知らんの小母さんでして。それが、我が家2階に陣取ってたかの、こそりと、探索に階段登れば、着替え中。くどいけどの、幼稚園児と、30代後半女性とならばの、母親年代でして。
覗きは、どんな人なんかなあの、好奇心だけでして。
イヤ、事実、先様も、それで、隠すとするの気配も無く。とかとか、当時、我が年代で、そこまでも、考えてえへんけれどや。
我が祖母に見つかっての、アカン、アカンと、叱られたです。での、諸般、あれ、誰と、聞いても、誰とは、返答してくれませんでして。アンタが知らんでも宜しいと。
とは云え、幼稚園児でも、概ね、誰とは、分かっててねえ。理由簡単、それ以外は承知してるし、伯父嫁の親族であるも、承知してまして。その上で、尋ねたよな気がしてるです。
イヤイヤ、それは、現実の話の。
妹の死についての、夢も見てまして。これは、理屈的、光景的、夢やろと。
(13/11/09)
NO.1375 斯くしての、本日、11月10日<日曜日>。
孫君3号、次男家第一子の、「一升餅の儀」挙行出来たです。
とする程の、大層な話。
でも無いけれどや。
大層で無いにしてもや。私共、爺婆、次男夫婦、当人、孫君にしてみたら、記念すべきの行事でして。孫君には、夢の世界での、さっぱりなれどです。祝<いお>てやれるなら、祝てやるべきでして。
イヤイヤ、準備万端。
一升餅、既に、準備。
とは云うても、やるは昼からでの、来るは、昼前、直前哉と。暢気に構えてたらです。朝寝してたらです。朝寝するも、私共、珍しいわと。ソラ、母居たら、朝寝出来ませんでして。朝飯、請求されるし、オシッコ番もありまして。それらが、習慣化してるもありまして。
大抵なら、土日祝日でも、7時半頃には、起きてるですが。
この日、本日なれどの。何故か、朝寝しまして。起きたが、8時過ぎやったかなあと。
嫁はんのケータイに、着信の、今出ると。多分なら、嫁からやろねえ。
イヤイヤ、当然の、着信あったの、その時刻には起きてるけれどや。へえの、えらい早いなと。云うても、10時に出ても、下道ならなれどの、小一時間、掛かるですが。
オッとの、ノンビリとは、構えてられへんの。諸般準備をと。
イヤ、掘り炬燵にしてまして。孫君、コチョ、コチョ、動き回って、下に落ちたら、大変と。蓋をと。この蓋も堀り炬燵にする際、同時に注文してまして。
どちみちの、「一升餅の儀」の際にも、炬燵の上。テーブルには、諸般のモノを置きましての、舞台とするのか。選び取りをするの、ツモリしてまして。その際には、炬燵の移動せねばならぬです。広いの家屋敷でありまいにと。
その他、諸々、あれをあっちに。これを、あそこにと。孫君、登場なら、しかるべくの、危険とするのか。触られて、困るのモノは、遠くえと。
ンの、孫君、ケータイが好きでねえ。この年頃のは、皆、ケータイに興味持つですが。出来れば、本物のケータイをと。昔のを引っ張り出して来まして。充電器もと。
電池なら、くっついてるし。上手く、充電、出来れば、動くやろと。動くとは、電話は、SIMカードがあらへんしで、出来ませんですが。電話出来ぬで、幸いの。要は、音がしたり、光ったりしたら、結構でして。
そんな事で、次男一家、到着の。
まあなあ、孫君3号も、次第、次第に、この爺婆にも、慣れて来たかの、見て、一発と、までは申さんの。抱っこしての、即には、泣かんよになってねえ。さりとての、いきなりでは、心配顔での、自分の親の方、一生懸命、目で追おてるですが。
泣かんまでも、拒否姿勢に成る事もあるですが。これも、時間と共に時間、保つよになって来てるです。
そらなあ、親が一番に安心ゾーンであるです。
イヤイヤ、そんな次第の、斯くなるでの。
昼飯喰てから、主人公、孫君、ご機嫌麗しいの間に、やってしまおかと。寝てしまわれたり、泣かれてたら、出来ませんでして。この子は、余り、泣かんですが。
喰う方、凄いわと。食べても、食べても、まだ、請求致しまして。腹ポンポンでも、マダ、不足で、請求するの子でして。誰に似たんやろなあと。イヤ、食べるが嫌と、拒否されるよりは、数段に、宜しいですが。
話、決まれば、早速にも、炬燵の移動。
要は、一升餅を風呂敷に包みまして。肩から背負わせるの恰好でして。
そやけどなの、1歳程度では、歩けるのと、歩けぬがあるですが。この孫君、つたい歩きなら出来ても、自力で、歩くは出来てませんでして。それでは、一升餅、背負ての、歩くなんか、とても、とてもの、出来ませんですが。
それは、それでの、その子に合わせた行事に致すわと。
歩けるなら、僅かな距離でも、歩かせまして。歩けても、一升餅背負ては、とてもの、無理なら、後ろから、誰かが、手を添えてやると。
それも、出来ぬなら、選び取りの、モノを置いたの台とするのか。テーブルのソバで、立たせの、背負わせるです。背負わせるも、誰かが、手を添えての、餅の重さで、ひっくりの、反らんよにと。
イヤイヤ、「一升餅の儀」なるは、地方、地方、家々にて、やり方、様々での、その家のやり方で、やれば結構でして。
地方によれば、一升餅、背負いの、立って、歩けるのよな子なら、敢えて、転ばせるの風習もあるらしく。
嫁、伊勢故、伊勢では、どんな具合にと。問えば、一歳の誕生日に、歩けてるなら、「一升餅の儀」を行うですが。無理なら、致しませんですて。へえと。
そしたら、「一升餅の儀」をやってもらえるの子と、やってもらえんの子が存在するになるですが。確かに、それは、それで、仕方が無いの哉の。どしても、誕生日にと。しんならんでもあらへんしの。何なら、歩けるよになれば、しかるべくの時にと、しても良しと。
これは、その家々の考えで結構でして。
こしんと、アカンの決まり無く。
要は、一つの行事、記念でして。とは、私共の考えでして。長男家の、3人、どやったかなあと。記憶辿るに、思い出しませんでして。イヤ、どの程度、歩けたのかをです。多分なら、孫娘が、歩けてたよに、思たり。
歩けるも、一升餅を背負ては無理でして。
後ろから、嫁はん、婆様ですが。手を添えてやってるわと。そんな事なら、従前、3人の孫共、背負ては、歩けてませんです。とてもや無いの、無理難題。
云うたら、こっちも、3人の様子見てまして。相応に合わせてやらんとと。そらなあ、歩けへんのに、1メートル、絶対に、背負て、歩けとしたでは、拷問、虐待でして。
での、兎に角、選び取りの、モノを何にするかの。適当の、電卓、はさみ、絵本<塗り絵>、ドライバー<工具>、デジカメ、財布辺りを揃えたの哉と。
いやなあ、この中でなら、この孫君3号、何に興味示すかは、概ね、想像出来るの、デジカメやろと。
オトトの、そんな次第の、準備万端出来まして。ご機嫌麗しいの間にと。
イヤイヤ、はっきり申すの、一切の、泣いてませんです。行事、順調に進行したです。オッとの、一升餅背負ての、歩けたとは、申さんの。つたい歩きしか出来んのに、歩けるの筈、あらへんわと。
諸般、偶々ですが。
その、偶々の、本日<11月9日>、まずは、朝、四国、嫁はんの姉宅より、海産物が、佐川急便、保冷車で届きまして。
間も無くの、これは、どこ様かは、伏せるですが。何も伏せるですが。何便も、伏せるですが。伏せてばかりでは、さっぱり、分からんですが。喰い物届きまして。
昼からは、「芋煮会」に参加で、大根の間引きを致しまして。間引いたのは、参加者全員にて、別けまして。
全員とは、この日、10人。1人、10本。
ハタと、農園主の横手庭に目をやれば、柿が見えまして。諸般、欲しいと云うのが、居てまして。
欲しいなら、取ってやるかと、取りに行ったですが。手の届くの範囲に、柿は無く。イヤ、柿は沢山出来てるですが。
農園主に、道具貸して頂戴なあと。道具、借りるならばの、1人、2個程度はと、思ての事なれどの。
ほならの、籠まで、出してくれて。応援1名加わって。となればの、1個、2個とはなの、参加者全員に、何個かずつでもと。10名掛ける事の、5個を目標にしたですが。つまり、50個なれどの、50個を取るも大変でして。
イヤイヤ、農園主、場に来て、取り方教えてくれての、この木のを、全部取れの、最低でも、1人5個はと、申したですが。柿の木、2本あっての、その1本の話なれどの。片方、別途のグループあっての、そっち用に残しておくと。
での、数まで、数えてませんの、籠に一杯になったが故、しかるべくの、前庭にて、10箇所、10人分に別けたら、1人4個。これでも、40個しか、無かったかと。
ででの、偶々の、この日、過日注文の。注文してたを忘れてたですが。せんべいが届いたですて。イヤ、メンバーの1人、女性なれどの、とあるのせんべい、「こころの味石崎のえびせん」と、称するですが。
これを、沢山注文で、安くなると。よって、皆で、注文しやへんかと、持ち掛けまして。ンの、結構の、宜しくと、注文したですが。注文した矢先にも、失念しててねえ。
ハイ、柴田さんと、手渡されの、しかるべくの、代金支払いましたですが。えの、こんなに沢山、注文してた哉の。嗚呼と。
息子共とするのか。嫁共の分とするのか。孫共の何人かは、マダ、食べられへんけれどや。とりあえずは、3箇所分も、注文してたんやと。ハタと、思い出し。
での、何故に、偶々を繰り返してるかと、なればの。明日、10日、大安吉日。なるの、大安吉日までは、考えて無かったですが。偶々の、カレンダー見たら、大安吉日でして。
孫君3号、延び延びに相成ったの、一升餅の儀を挙行致すかと、成っててねえ。
話簡単の、沢山のモノをお裾分けしてやれるなと。
イヤ、全部が、偶々の事でして。
何も、お裾分けしてやるが故の、ための、本日着に非ずでして。一升餅の儀を明日には、10月27日に、神戸で、やるに成ってたけれどや。
諸般、先月、10月の25日。
母、高熱にて、急遽、病院にと。ショート・スティ先の、「けやき」より、連絡受理の、「亀岡シミズ病院」に、連れてくに、特段の無事でして。最後の最後まで、27日には、神戸行きをと、してたですが。
先様の話もありの、断念したですが。
肝心の、当人、孫君3号も、少々、風邪気味でと。結果、明日、10日に成っただけでして。
<参考=「単なる雑談NO.110」母高熱の話>
思うに、諸般、徳な子やなあと。偶々の、これだけの、モノが集まるかと。但し、主人公、当人、マダ、喰えませんですが。喰えるは、周囲の大人だけ。オッとの、多少なら、喰わせてやれると。とは、思うけれどや。一歳の誕生日は過ぎてまして。そこから、1箇月は経ってえへんけれどや。
当然の、昨日には、一升餅も、「塩武」に取りに行ってるです。
「塩武」の店主、毎度、有り難う御座いますと。毎度ねえ。前回、2週間前でして。同じの、一升餅をです。取りに行ったがです。
先様、店主、多分なら、孫2人、連続かと、思てるやろなあと。こんな2週間なら、同時にやるですが。同時の場合、2人なら、果たして、一升餅2個も、注文するやろかと。しやへんやろなあと。
いやなあ、前回のは、行けずと決定の日にか、明くるの当日、27日、日曜日には、鏡開き致したです。早急に切ってしまわんと。硬<か>たなったら、切るが大変故でして。
そんな事なら、この、一升餅の切ったのも、別けてやるが出来るなと。
沢山の、お持ち帰りの品あって、ええなあと。徳やなあと。万事、ご縁や、ご縁の世界でして。一つも意図してませんです。
そんな次第の、斯くなるでの。明日は、明日の話の、夢の話の続きをと。
妹の葬儀にて、母方、伯父嫁の親族。二階で着替えの小母さん連中をば、覗きに行ったは、現実の世界。覗きとするよりは、様子見するに、コソリと、階段上がっただけなれどです。こそりも、隠れてるで無いです。隠れるの場所、あらへんわの。部屋には、扉も、襖もあらへんわの。上がれば、そこでして。
上がってくの、我が姿、見えてるわと。
只なの、見知らぬの小母さん故、こっちが、興味津々、怖々もありの、コソリとでして。知ってるの人なら、相手しに行ってるわの。当時、幼稚園児やしなと。
ではあるですが。
葬儀そのものは、全くの記憶に無いです。変な話、現<うつつ>の世界の事として、記憶は、その事、だけでして。
それ以外となればの、毎日のよに。イヤ、毎日と思うです。産院に行ってたです。
イヤイヤ、横町でして。歩いて、一分とは、掛からんの、「梅鉢産院」と、申すです。私も、そこで、産まれたです。
病室とするのか、部屋の様子も記憶してるです。当世と異なりましての、木製ベッド。
我が家で、ベッドなるは、現在唯今、母だけでして。私も、一時、槇島時代の独身時代。ベッドにしたですが。ども、苦手で、止めたですが。
オトトの、そんな事で、妹を覗きにと、するのか、行ってたですが。窓も、木製の。当時、それが、普通なれどの。ベッドも、立派でねえ。個室でも無かったみたいに、思てるですが。広い部屋で、ホカの方の存在までは、覚えてませんです。
まあなあ、ソレ程に、妹の誕生、楽しみにしの、喜んでたですが。
何分の、幼稚園児故、「死」を理解してませんです。
ででの、夢としてるは、その妹が、家に戻るの光景でして。
先の通りの、歩いて、1分。産院からの事でして。
その光景なるは、母方伯父。但し、先程の、伯父嫁の親族の方の、伯父に非ずの、伯父でして。これが、自転車に、妹を入れたの箱を乗せて、自転車を押して、戻って来てるの光景。
その自転車の片脇では、私が、喜々としの、ニコニコしての、踊ってるとするのか、ステップ踏むよな感じで、舞ってまして。これの、目線、第三者。
イヤイヤ、先の小母さんを覗きには、私自身の目線での光景をば、記憶してるです。当然の如何なるの姿勢であったも、記憶してるですが。
処がの、産院からでは無くの、殆ど、我が家の手前での。云うたら、感覚的、2、3軒手前での光景でして。
常識的、赤ちゃんでして。箱に入れては、分かるも、自転車に乗せるも変の。伯父がも、変でして。何故に、私、喜々としての、乱舞してるかとなればの、妹が我が家に帰って来るの印象、イメージでして。
されどの、記憶してるの光景より、常識的、変故、夢哉と。
そもそもが、伯父が自転車で、我が家に来た事無く。我が家に自転車無く。親父、自転車にさえ、乗れませんでして。
当時、近距離でして。母方伯父宅なんか、歩いて、5分。
後年、記憶の光景分析するに、夢としか、考えられぬ故、夢での、話哉と。
(13/11/10)
NO.1376 孫君3号の一升餅の儀の話(1)
斯くしての、本日、11月10日<日曜日>。
孫君3号、次男家第一子の、「一升餅の儀」挙行出来たです。
とする程の、大層な話。
でも無いけれどや。
大層で無いにしてもや。私共、爺婆、次男夫婦、当人、孫君にしてみたら、記念すべきの行事でして。孫君には、夢の世界での、さっぱりなれどです。祝<いお>てやれるなら、祝てやるべきでして。
イヤイヤ、準備万端。
一升餅、既に、準備。
とは云うても、やるは昼からでの、来るは、昼前、直前哉と。暢気に構えてたらです。朝寝してたらです。朝寝するも、私共、珍しいわと。ソラ、母居たら、朝寝出来ませんでして。朝飯、請求されるし、オシッコ番もありまして。それらが、習慣化してるもありまして。
大抵なら、土日祝日でも、7時半頃には、起きてるですが。
この日、本日なれどの。何故か、朝寝しまして。起きたが、8時過ぎやったかなあと。
嫁はんのケータイに、着信の、今出ると。多分なら、嫁からやろねえ。
イヤイヤ、当然の、着信あったの、その時刻には起きてるけれどや。へえの、えらい早いなと。云うても、10時に出ても、下道ならなれどの、小一時間、掛かるですが。
オッとの、ノンビリとは、構えてられへんの。諸般準備をと。
イヤ、掘り炬燵にしてまして。孫君、コチョ、コチョ、動き回って、下に落ちたら、大変と。蓋をと。この蓋も堀り炬燵にする際、同時に注文してまして。
どちみちの、「一升餅の儀」の際にも、炬燵の上。テーブルには、諸般のモノを置きましての、舞台とするのか。選び取りをするの、ツモリしてまして。その際には、炬燵の移動せねばならぬです。広いの家屋敷であるまいにと。
その他、諸々、あれをあっちに。これを、あそこにと。孫君、登場なら、しかるべくの、危険とするのか。触られて、困るのモノは、遠くえと。
ンの、孫君、ケータイが好きでねえ。この年頃のは、皆、ケータイに興味持つですが。出来れば、本物のケータイをと。昔のを引っ張り出して来まして。充電器もと。
電池なら、くっついてるし。上手く、充電、出来れば、動くやろと。動くとは、電話は、SIMカードがあらへんしで、出来ませんですが。電話出来ぬで、幸いの。要は、音がしたり、光ったりしたら、結構でして。
そんな事で、次男一家、到着の。
まあなあ、孫君3号も、次第、次第に、この爺婆にも、慣れて来たかの、見て、一発と、までは申さんの。抱っこしての、即には、泣かんよになってねえ。さりとての、いきなりでは、心配顔での、自分の親の方、一生懸命、目で追おてるですが。
泣かんまでも、拒否姿勢に成る事もあるですが。これも、時間と共に時間、保つよになって来てるです。
そらなあ、親が一番に安心ゾーンであるです。
イヤイヤ、そんな次第の、斯くなるでの。
昼飯喰てから、主人公、孫君、ご機嫌麗しいの間に、やってしまおかと。寝てしまわれたり、泣かれてたら、出来ませんでして。この子は、余り、泣かんですが。
喰う方、凄いわと。食べても、食べても、まだ、請求致しまして。腹ポンポンでも、マダ、不足で、請求するの子でして。誰に似たんやろなあと。イヤ、食べるが嫌と、拒否されるよりは、数段に、宜しいですが。
話、決まれば、早速にも、炬燵の移動。
要は、一升餅を風呂敷に包みまして。肩から背負わせるの恰好でして。
そやけどなの、1歳程度では、歩けるのと、歩けぬがあるですが。この孫君、つたい歩きなら出来ても、自力で、歩くは出来てませんでして。それでは、一升餅、背負ての、歩くなんか、とても、とてもの、出来ませんですが。
それは、それでの、その子に合わせた行事に致すわと。
歩けるなら、僅かな距離でも、歩かせまして。歩けても、一升餅背負ては、とてもの、無理なら、後ろから、誰かが、手を添えてやると。
それも、出来ぬなら、選び取りの、モノを置いたの台とするのか。テーブルのソバで、立たせの、背負わせるです。背負わせるも、誰かが、手を添えての、餅の重さで、ひっくりの、反らんよにと。
イヤイヤ、「一升餅の儀」なるは、地方、地方、家々にて、やり方、様々での、その家のやり方で、やれば結構でして。
地方によれば、一升餅、背負いの、立って、歩かせるとするよりも、敢えて、転ばせるの風習あるらしく。
嫁、伊勢故、伊勢では、どんな具合にと。問えば、一歳の誕生日に、歩けてるなら、「一升餅の儀」を行うですが。歩けてえへんで、無理なら、致しませんですて。へえと。
そしたら、「一升餅の儀」をやってもらえるの子と、やってもらえんの子が存在するになるですが。確かに、それは、それで、仕方が無いの哉の。どしても、誕生日にと。しんならんでもあらへんしの。何なら、歩けるよになれば、しかるべくの時にと、しても良しと。
これは、その家々の考えで結構でして。
こしんと、アカンの決まり無く。
要は、一つの行事、記念でして。とは、私共の考えでして。長男家の、3人、どやったかなあと。記憶辿るに、思い出しませんでして。イヤ、どの程度、歩けたのかをです。多分なら、孫娘が、歩けてたよに、思たり。
歩けるも、一升餅を背負ては無理でして。
後ろから、嫁はん、婆様ですが。手を添えてやってるわと。そんな事なら、従前、3人の孫共、背負ては、歩けてませんです。とてもや無いの、無理難題。
云うたら、こっちも、3人の様子見てまして。相応に合わせてやらんとと。そらなあ、歩けへんのに、1メートル、絶対に、背負て、歩けとしたでは、拷問、虐待でして。
での、兎に角、選び取りの、モノを何にするかの。
適当の、電卓<ソロバン>、はさみ、絵本<塗り絵>、ドライバー<工具>、デジカメ、財布、マジック<筆>の辺りを揃えたの哉と。
いやなあ、この中でなら、この孫君3号、何に興味示すかは、概ね、想像出来るの、デジカメやろと。
オトトの、そんな次第の、準備万端出来まして。ご機嫌麗しいの間にと。
イヤイヤ、はっきり申すの、一切の、泣いてませんです。行事、順調に進行したです。オッとの、一升餅背負ての、歩けたとは、申さんの。つたい歩きしか出来んのに、歩けるの筈、あらへんわと。
(13/11/11)
NO.1377 孫君3号の一升餅の儀の話(2) 儀式無事挙行の話
いやなあ、孫君2号、人を呼ぶ、集めるの子。
孫君3号、モノを呼び、集めるの子。
双方、相応の徳運あるなあと。
イヤ、孫君2号の初宮参り、「八坂神社」で、なれどの、仁尾の義姉夫妻が来てくれて。オッとの、別段の、初宮参りに参列がため、来たでは無いですが。単純明快、京都見物でして。
当初、適当にと、云うたら、失礼乍らの、円山公園でも、知恩院さんをでも、散策したらと、申してたですが。折角なら、一緒すると。
そして、妹夫婦は、それがため、参列に来てくれて。フウンと。
イヤイヤ、この直前、滋賀、大津から、伏見に転居してまして。近く故と。
孫君3号なら、産まれる以前より、衣装持ち。
あっち、こちより、衣類がドンドン集まってねえ。選り取り見取りの、掃いて捨てる程でして。そらまあ、親の好みもあるわいなと。別段の、衣類だけに限らず、オモチャも一杯。
そして、此度なら、期せずしての、何が届くは、四国からは、海産物が。せんべいもと。大根葉もあるし、餅は、2個分もありまして。云うても、これら、当人、喰えませんですが。喰えんでも、縁起、ご縁のええ事でして。
正直、孫君2号、3号君、ワタシャ、羨ましいなあと。
不思議にこの手の徳運、生涯、継続する事、多々あってねえ。我が承知の範囲なれどです。
オッとの、での、肝心の、「一升餅の儀」、孫君3号、マダ、つたい歩きの程度でして。とてもや無いの、自立では歩けてませんでして。婆様であるの、嫁はんが、従前通り、従前とは、既に、孫3人の、一升餅を風呂敷に包んで、下から、餅を持ち上げてたですが。
此度も、そのよにしてやって。
歩くとするよりは、その恰好にて、テーブルの選び取りをさせたですが。
果たして、何を手にする、取るやと、思いきやの、矢っ張りとするのか。デジカメでして。将来、写真家に成って、撮る方にか、撮られる方に成るのか、知らんけれどや。
そして、次ぎには、ドライバーをと。ドライバーねえ。私共同様、電気屋に成るの哉の。電気屋云うても、ドライバーを早々には手にしてへんけれどや。電気工事屋してへんしと。ドライバーで、電気屋とは、限らんですが。機械屋もあるですが。
要は、その辺りの、技術者とするのか。理系に成ってくれるの哉と。
そらなあ、爺としたなら、あくまでもの、希望、感覚的にも、文系より、理系に進んで欲しいわと。
少なくとも、理系を理解出来るよに成って欲しいわと。
での、この2つだけで、止まらずの、次々、色んなのを手にしたですが。マジックも手にしたし。財布もと。そらまあ、この年頃、興味を抱いたのを順々にと。只なあ、ドライバーはイツまでもは危ないしと。即の取り上げまして。誰が取り上げたか、知らんですが。
とかとか、「一升餅の儀」なるは、諸般、形だけでして。形だけで、結構でして。選び取りも、それで、将来、必ず写真に絡むと、決まったで無く。無心の状態にて、何に興味津々の、示すかを大人が勝手に見定めてるだけでして。
イヤ、それで、結構哉と。気持ちや、気持ちの、世界でして。一つの可能性を見ただけでして。万事、大人の自己満足の世界哉の。
イヤイヤ、一升餅、一生、喰うに困らぬよにの、祈願でして。
そんな次第の、斯くなるでの。儀式終われば、眠とおなってねえ。
ソラなあ、一升餅も、二度、「塩武」に注文致しまして。やっとで、無事挙行出来まして。爺婆と致しましては、責任全う出来たよなの。一升餅、肩から、降ろしたよな、気持ちに成って。
孫君さえ、寝てくれたら、寝させてもらうぞと。その孫君、母親に連れられ、二階にと。それで、寝てくれたら、結構の。寝るを前提に、横に成れば、うとうとの、ウトの。小一時間寝たのかなあと。
結果、孫君、大して寝てくれへんでねえ。嫁が、抱っこで、降りて来て。
にしても、何でやろねえ。この辺りのは、寝さすに、兎角に抵抗致しまして。眠とおなったら、ご機嫌麗しく無くの。不機嫌に成って。
ではあれどの、この孫君、余り、泣きませんでして。泣かんだけ、ハタも安堵致すですが。
での、「一升餅の儀」「選び取り」の写真を嫁が撮ってくれてまして。
見るに、「フォト・フレーム」でと。フウンの、そ云うたら、「フォト・フレーム」なるは、そのための、ツールやったなと。イヤ、過年、何かの、プレゼント。私の誕生祝いであったか。嫁はんのか。
息子共が、買おてくれてまして。居間のテレビの前に飾ってるですが。用途、時計。
そらなあ、写真をなあ、幾ら、孫共のでも、スライド・ショーで、四六時中、見ててもなと。そもそもが、SDカード入ってませんですが。
オッとの、流石に、若手、嫁が、それで、写真をと。手持ちのデジカメのSDカードを抜き取りまして。セットするに、2000枚からの写真が撮れてる筈の。前半、1000枚のしか、認識してませんでして。「フォト・フレーム」がです。
イヤイヤ、くれぐれもの、選び取りでの、デジカメは、私のと、するのか、この嫁から貰たモノでして。嫁達は、自分のを所有の。その写真の見せてくれるの話でして。
余計な話、くれたデジカメ、殆ど、使てえへんでねえ。殆ど故、全くでは無いですが。多分なら、長男家の孫娘、孫君1号辺りを、町内会公園で遊ばせてたのを、撮った覚えあるですが。
でででの、次男、ほならの、テレビで撮すかと。ンの、そんな器用なるの芸当出来るの哉と。
デジカメから、コード引っ張って、テレビに接続するなら、コードが要るけどなの。そんなモン、要らんですて。当世、テレビに、SDカード接続口、コネクター装備ですて。へえと。しかるべくの、蓋を外せば、らしきの箇所、あったです。
後は、そこにSDカードを挿入の、しかるべくの、スライド・ショーを見られるよに、テレビを設定するだけの。当世、便利やねえ。ソラ、「フォト・フレーム」や、「パソコン」で、写真を見てるよりは、大画面、37インチで、見る方が、ええに決まってまして。
そんな話は結構の。
2人の結婚式のからがあってねえ。孫君産まれた時のが、あってねえ。嫁の姉妹、姪甥、ご両親も写ってまして。オットとの、私共が、孫君産まれて、伊勢に行ったのも、あってねえ。
しかるにの、嫁の親父さんを久しぶりに、写真で見まして。ンの、現、孫君、この親父さんを彷彿させるの面あるなあと。
現としてるは、小さい子は、どんどんと、人相替わるし、色んな表情見せまして。その都度、これは、誰にと。コレ誰にと。連想、彷彿させられるです。
イヤ、実は、孫共、当然の、ある瞬間、私に、似てるよに、見えてまして。ダアレも云うてくれへんけれどや。特には、2号、3号、良く似てまして。
オトトの、別段にの、嫁の親父さん、私が、アンパンマンに似てるでは、断じて無いですが。逆立ちしても、間違おてもです。全くの、似てへんけれどや。親父さんと、私も似てへんけれどや。
そやけどなと。それは、現在の顔、人相を見てるからでの、小さい頃は、似てたの可能性がと。
イヤ、くれぐれもの、アンパンマンにでは無いの。丸顔の意。但し、その頃はの話。
云うたら、現在唯今でも、誰が見たって、見てくれたって、面長とは、云われませんです。見えませんです。真ん丸でも無いけれどや。
(13/11/12)
NO.1378 孫君3号の一升餅の儀の話(3) スライド・ショー1000枚の話
ハタと。
回り回って、結果、期せずしての、ご先祖様の面前、仏壇のあるの場で、「一升餅の儀」を挙行したになるなあと。
イヤ、全くの意図してへんけれどや。そんな事になるの哉と。
での、息子共なら、相応の年齢にての、相応の人相してるですが。最早の体型からして、兄弟にしては、似てへんですが。嫁共にしたって、その姉妹には、似てると思わんですが。特には、長男嫁<二人姉妹の妹>は、ご両親にも、似てる面、僅少の印象あって。
次男嫁<三人姉妹の中手で、一番下弟>なら、強いてならの話、姉と共にの、親父さん似かなあと。妹さんなんか、どっち似かと。どっちにも、似てへんみたいでねえ。一度しか、会おてえへんけれどの、弟さんは、お母さん似かと。
当たり前の、会おてるの回数、極の僅少、並べて、見比べたでもあらへんし。会おてるの間、嫁が誰似かと、なんか、全然の考えもしてへんしと。
息子共なら、時として、我が従兄弟の誰ソレを、彷彿させられるの事、あったり。ギクリと、する程に、自分に、あるいは、嫁はんにと。コレ又、当然の事なれどです。
孫共ならばの、相手してるとするのか、相手されてるとするのか。してる時には、コレ又、ある瞬間、ギクリの、自分の小さい頃、見てるのよな感覚に成ったり致しまして。
この、ギクリの場面、孫君2号、3号については、多い哉の。これ又、顔見てて、誰似かなんか、考えてえへんけれどや。孫君3号なら、抱っこしてたら、只々、泣いてくれるなよと。それが先決問題でして。最早の、泣きはしやへんけれどの、不安顔されててねえ。
我慢の限度越したら、降ろせ、離せと、振り払われて。
降ろせ、離せなんか、既に、孫共3人から、やられてての、充分、経験してる故、どて事、無いけれどや。
当初、孫娘だけの時には、その期間長く、2歳過ぎてもでの、腹立つノリの事あったですが。腹立って、どついたろかの。どつきはしてへんけれどの、ソラ、寂しいわの。偶にしか、会わんかったら、そんなモンやと、諦めてたですが。
それが、懐いてくれだしたら、ホンマかと。信じられんかったが、本音での。懐きだしたは、孫君1号、出来てからでの。孫君1号、2号なら、姉が、兄が、一緒故、当初より、泣いたりはしてへんですが。
それからしたら、孫君3号、抱っこで、即の、泣かれたの期間、短くて。助かってるですが。されどの、まだまだ、時間、保たへんでねえ。まあ、仕方が無いわと。
とかとかは、テレビにセットされた、デジカメの写真の、スライド・ショーを見乍ら、思たですが。
にしても、自分が写ってるのは、どみても、歳やなと。こんなに老けて来てるかと。我れ乍らに、ガクリの、写真故、ある程度は正確でして。困ったなあと。
イヤなあ、自分で、爺とは、云うて、記載もしてるですが。事実故で。別段の、爺と云われた、全くの抵抗感無いですが。
イヤイヤ、我が母はねえ。
嫌がったです。孫から、お婆ちゃんと云われるは、多少は抵抗あるものの、仕方が無いにしても、我々から、お婆しゃんは嫌であると。
云うわれてもなあ。一緒に暮らしてたら、ソなるです。我が息子共中心故でして。
現時点、息子共、嫁共から、どのよに呼ばれてるかと、なればの。長男の嫁からは、お父さんであったり、お爺ちゃんであったり致しまして。次男嫁からは、お父さんなれどです。
イヤ、長男の嫁も、我が子中心にしたら、当然のお爺ちゃんでして。自分を中心になら、お父さんでして。
お父さんを連発されたら、どっちの、お父さん哉と、成る場合もあってねえ。基本、息子共が、孫達のお父さんでして。
ででの、写真もなあ。
余所の孫、赤ちゃんの写真を、1000枚も見せられたら、拷問なれどです。精々が、100枚止まり哉と。その範囲なら、余所のでも、へえとか、はあとか、云うて、見てられるですが。
我が孫でありの、息子共でありの、嫁の、その両親、兄弟姉妹故、何枚でも、飽きずに、見てるですが。モっとあっても、見るですが。
ほんまやでの。
病院でも、テレビででも。そこらででもです。
小さな子が居て、嗚呼、可愛らしいなあ。美人やなあ。男前やなと、思えるの子も偶には、居てるですが。その、偶でして。殆どの場合、一種、違和感のあるの子の方が多いわと。
何がと、なればの、ソラ、我が方にも好みありまして。
どしても、好きに成れんの人相あってねえ。コレのどこが可愛らしいの哉と。
そんな意味ならばの、赤ちゃんの段階では、皆、似てるとは、云うもののです。既に、個性現れてての。とするのか、親に似てるです。その家系とするのか、個性が出てるのやなと。
ここで、私の場合、既に、好き嫌いがあってねえ。
当然の、当たり前の、我が孫ならばの、好きとするのか、愛らしく。フウンと、感心して見てるですが。
とかとかの、ナカナカに、上手く表現出来ませんですが。
テレビで、赤ちゃんの写真等募集で、放映されるの事、あるですが。我が親族でも無いの、余所の赤ちゃん見てて、楽しいやろかと。失礼乍らの、犬猫、ペットの方が、罪無く、余念無くの、見てられまして。
さての、主人公、孫君、「一升餅の儀」「選び取りの儀」が終われば、ホと安堵の、寝てしもたですが。私がですが。
起きたら、スライド・ショーを見せてくれて。これなら、1000枚でも、2000枚でも、見るですが。
オトトの、話、前後するですが。「一升餅の儀」のための、鯛なら、孫君、昼飯、一番に喰てるです。ソラ、当日の主人公故での、コイツのタメの、鯛でして。
されどの、デコレーション・ケーキはなあ。大人だけで、戴きまして。イヤなあ、そらなあ、諸般、万事、準備万端されてまして。我々の範疇にて、出来るの事はしてまして。しても、悪いけど、当人には、ケーキ、当たらんですが。
とは云えどの、目出度いの、祝いの場故、和洋の、祝い事の象徴、鯛と、デコレーション・ケーキは要るです。必須でして。
でででの、モ一発あってねえ。
11月18日には、嫁の誕生日でして。モすぐでして。
過日、過月より、品は決まってまして。何と称するのか。化粧箱、コスメ・ボックス哉と。
品は決まっててもなあ。種類様々での、私共、夫婦で、相応にの、方々、見に行ったですが。この、私でさえが、これではなの、モノばかりでして。
要はデザインがダサあてねえ。これでは、嫁が可哀想のモノばかりでねえ。
ではと、ネットで調べるに、今度は種類があり過ぎて。イヤ、私が調べたでは無いですが。見に行くは、参考のため、一緒に行ってたですが。店頭のは、ダサい以前の、種類僅少。
ネットでは、ある過ぎてと。
結果、当人、嫁に決めてもらうかと。ネットで、見て、これをと、なれば、それにしたら、良いのであってと。
(13/11/13)
NO.1379 孫君3号の一升餅の儀の話(4) 化粧箱、楽天にて注文決定の話
いやなあ、どこ様とは、申せませんです。
とあるの先様の娘様。
イヤ、過日の事なれどです。
その娘様が丁度、自宅玄関先にで、目線会いまして。当方、軽くの会釈したですが。先様、娘様、我が方、無視の横向かれてまして。有らぬ方向に消えたです。
この娘様の親父様の、顔みてみたいも、重々承知の、同様でして。そもそもがの、目線、会わせるを避けるですが。「こんにちは」と、声掛けたら、ぼそぼその、横向いて。ぼそぼそは、多分なら、嗚呼の、程度哉と。嗚呼なら、ぼそ哉と。こっちに、聞こえるの、声の大きさで無く。
娘様も、最早の一児のママ様でして。
日本語喋り出したら、我が子に、挨拶の仕方、教えるの哉と。
挨拶なるは、わざわざの、教えるの事柄に非ずの、身を以て、自然に教えるモノと承知してるですが。
イヤイヤ、多くの、若き、ママ様、時折、申されてるです。挨拶の出来る子にと。あのなあと。親が挨拶してたら、自然に身に付くわと。当初は、しかるべくの、促さんならんの時、あるけれどや。
訪問先等々にての、面と向かいの、挨拶するだけが、挨拶に非ずでして。挨拶なるは、日常の、常日頃からの、習慣、習性でして。
イヤイヤ、先様一家に、私め、余程に嫌われてるなと。特段の、何した、何云うたの、覚え無いけれどや。オッとの、つらつら、考えたならばの、無い事も、無いけれどや。
先様、数字間違えたなら、正解、これこれやでと。とは、云うた覚えならあるですが。まさかのソレで哉の。やったとしたなら、既に、7年は経つの、時は金也の、タマタマ小さいなと。口はデカくの、お上手なれどです。
私め、どちかとなればの、明らかなるの間違いならばの、はっきり申すです。年齢上下無関係。先様、下なれどです。
オトトの、そんな話、結構の。
流石に、嫁、現代人やねえ。オッとの、私も同時代に生存してるですが。生存してるが故、会うが出来てるですが。
フォト・フレームも、一発、操作しまして。へえと、感心したです。
イヤ、次男宅に、フォト・フレーム見てへんけどなあと。あったのかなあと。ある無しの、そこまで、キョロキョロして、室内見てませんですが。あれば、一発、分かると思うですが。
使い慣れてるとは云えどの、デジカメの、SDカードもヒョイと、取り出すしと。
私なんか、どこにセットされてるかも、知らんわと。
イヤイヤ、過日、過年、嫁から、デジカメ、もろたですが。殆ど、使てえへんがバレバレのです。
イヤ、嫁が撮してたデジカメのSDカード満タンになったらしく。ならばの、そのもろたデジカメのSDカードを使たらと。デジカメの写真、SDカードに保存してるの程度、承知してるわと。
での、ヒョイと一発、取り出して。へえと。
正直、嫁、メカに強いのやなと。
まあなあ、所謂の文系に非ずの、薬剤師でして。薬学も広くの、理系でして。
とかとかの、この程度の操作、メカに強い、弱いと、云えるか、問題なれどです。全然の知らんのが多いわと。私なら、そもそもがの、バレバレの、使たが、数回での、SDカードを出すも、出さんも、マダ、そこまでの、操作さえ、してませんでして。
にしても、イツにもろたかの、<2010年12月>でして。
<参考=「親父として、爺としての話NO.11」NO.107 閑話休題(6) ノート・パソコンとデジタル・カメラの話>
そんな話も、結構の。イヤ、後刻、話、結合させるですが。
とりあえずの、話、戻すの、化粧箱とするのか、コスメ・ボックスをば、「楽天」のインターネット・ショップで申し込むにしたですが。ども、嫁に貸したのパソコンの日本語入力が上手く出来ませんでして。
ならばと、我が愛機にての、しかるべくの、画面表示させまして。
これかいなあと。嫁に問えば、これやと。ハイ、承知の、申し込むにです。従前、「楽天」でも、インターネットで、注文してるですが。
イヤ、メール・アドレスの登録の話での、念のためと、確認したら、あらへんでねえ。
ならばと、「Yahoo!セーフティアドレス」にて、「amazon」のを削除で、「rakuren」に変更。
イヤ、先日、「amazon」で、買い物致しまして。インターネットで、買い物する度、その先様のに、登録し直してまして。結果、ショップ用のは、「amazon」になったり、「rakuten」にしたり。
断じての、迷惑メール遮断、阻止のためでして。
即の、「rakuren」用メール・アドレス作成、登録のです。
登録したら、注文の品、これでええなあ。ハイの、デハと、ポチっと、プッシュの。次ぎえの、次ぎにと。押し進めまして。
ンの、嫁曰くの、発送方法、梱包にての、「ギフト」なるのがある故、それをと。ンの、よお、見てるなと。ほんまやでの、こっちは、精算方法、その他、諸々の間違いないやろなの、全部見てるツモリが、梱包方法指定まで、見てへんわと。
そ云うたら、ギフト故の、当人、嫁のご希望通りの、「ギフト」をポチっと、マーキング致しまして。
精算方法なるは、コンビニの、「セブン・イレブン」が楽でねえ。最寄りの駅、並河駅のソバにあってねえ。レジの姉ちゃんには、しかるべくの、メモ見せたら、やってくれるですが。「セブン・イレブン」以外、自分で、端末とするのか、操作致しましての、30分以内に、レジで、精算せよと。
まあなあ、コンビニ内での操作故、レジまで、30分も掛からんけれどや。
自分で操作は、自信無く。数字の羅列故の。そもそもが、端末画面、見た事も、触った事もあらへんわと。それよりは、レジの姉ちゃんに、メモ提示で、ハイと、一発、チョイチョイの方が、間違い無く、早いわと。
そんな事で、嫁と2人、ノート・パソコンを覗き乍らです。
要は、ギフト故、精算こっち。モノは、嫁での、配送先住所、氏名、等々、アンタが入力して頂戴なと。私なら、自慢や無いの、住所まで、覚えてませんでして。
斯くしての、何箇月掛かったかの、モノ決定での、決めるに良い時期でもありの。ソラなあ、当日、11月10日でありの。嫁の誕生日、11月18日でして。
最早の後、一週間しか無くなってまして。
当然の、コンビニ決済故、「セブン・イレブン」にて、精算せねば、配送手配されませんでして。今日云うて、明日着も出来ませんでして。
注文決定の、ホと安堵。
(13/11/14)
NO.1380 中学3年同級生の訃報の話(1)
小学生時代からの同級生。
ヤス子さんから、中学3年の同窓生の、「女の子」が他界の連絡受理。
オッとの、この歳で、この年齢で、「女の子」なる表現、異は承知してるですが。そらなあ、隣の奥様、同い歳なれどの、「女の子」とは、申しませんし、思てもいませんです。ならばの、どんな具合にとなればの、「奥様」でして。「女の人」でして。
「芋煮会」には、3人の、「女の子」が、参加してるですが。ボチボチの、還暦の歳でして。されどの、私にしたら、「女の子」でして。
理由簡単の、同窓生は、その当時から、承知してまして。「芋煮会」なら、入社当時から。あるいは、その辺りから、見知ってまして。実際には、業務に直接の関係してへんですが。同じ部署であったり、立ち寄り先に居てたりでして。
ヤス子さんなら、小学校、6年間、一緒のクラス。中学3年で、又、一緒のクラス。云い出せば、高校3年生で、又々、一緒のクラスでの。小学校から、高校まで、一緒でして。
お母さんまでが、同じ歳。
での、他界したのは、中学3年の同級生としてるですが。当時、殆ど喋った事も無く。卒業して、同窓会では、会おてるですが。矢っ張り、喋った事が無く。
イヤ、同級生故、全くと、までは、云えませんですが。
時を経て、同じくの、中学3年で、同級生になったの、ヨウ子さんの演劇を鑑賞とするのか、「京都府立文化芸術会館」に出向いたの際、同席致しまして。或る意味、初めて、記憶に残るの雑談したですが。それが、イツの話やなの。2002年でして。その間には、同窓会も開催してるですが。その間の同窓会には、来てへんなあと。
イヤイヤ、来てたか、欠席かの、記憶に無く。
<参考=「単なる雑談NO.15、NO.16、NO.17、NO.18」コンビニ・ダンス・ストア>
オトトの、での、別途の、同級生、キョウ子さんから、ヤス子さんに連絡あったらしく。カズエさんが、亡くなったと。心臓発作らしく。ご主人が、風呂から、ナカナカに出て来いひんなあと、様子見したら、そんな事になってたと。
ここで又、キョウ子さんなるは、小学生時代から、一緒でして。且つは、同じの町内会の、喜吉荒神町。云うたら、家は同じの並びでして。5軒先であったの哉の。矢っ張り、中学3年生が同じクラスで、高校も一緒。高校では、同じのクラスに成ってませんですが。
とかとかの、細かいの話は、この程度で収めまして。
昨日<13日>に死亡で、明日<15日>お通夜で、明後日<16日>が、葬式ですて。どするやと。ヤス子さんが、私にですが。
どするねえ。困ったねえと。本来、通夜か、葬式<告別式>には、行けるなら、行った方がと、思うですが。場所が、城陽<じょうよう>ですて。まあなあ、当人、カズエさんの住み処が、城陽でして。
亀岡から、城陽となれば、相応に遠いですが。
それ以前の、我が母がです。本日<14日>、ショート・スティ先、「けやき」から、戻りましてねえ。
戻ったが、朝11時でして。朝11時と、カズエさんの葬儀とは、関係無いけれどや。早速にも、本日より、寝ずと、までは、申さんのオシッコ番、開始でして。
出来れば、葬式に、出られるなら、出てやりたいけれどや。これが、又、16日となればの、土曜日でして。ディ・サービスの日でして。母を送り出すは、私が出来ても、13時の告別式に間に合い、1時間、参列で、見送りまで、居たら、14時半には、なってねえ。母、ディ・サービスの帰って来るの時間には、間に合わんわと。
ならばの、母のディ・サービスを止めるにするの手もあるですが。
イヤ、嫁はんでは、母を抱えて、玄関に座らせるも、持ち上げ、車椅子に乗せるも出来ませんでして。そらなあ、やろと思えば、出来るですが。失敗が許されませんでして。
正直、私でも、辛いけれどや。慣れて来てまして。その慣れ、要領が、重要でして。
慣れてえへんかってみい。母、只でさえ、怖がっての、ガチガチでして。余計に重とおなってねえ。手摺りをガチリと握られてみい。嫁はんでは、保たんわと。保たんからと、抱えた母を、離す訳にでもでして。
ならばの、どするやの、まあ云うたら、そこまで、無理するの仲では無くの、別途の案あるです。
連絡受理したの限りは、状況許せば、参列してやりたいけれどの、気持ちや、気持ちの世界でして。しかるべくの、賑わしにでも、電報打電してやろかと。香典なり、線香発送の手もあるですが。お返し考えて戴く、処理も、手間でして。
電報なら、そんな事、不要の、気持ちだけは伝わるやろと。
にしても、葬祭場に電話でもして、そこに間違い無いかを、確認とかんとと。
イヤ、探索、検索したなら、JR城陽駅の近くに、二箇所あってねえ。セレマでと、聞いたは、聞いたですが。念のためです。
そらなあ、間違おて、違うの葬祭場に電報打電してみい。受け取った方が、困らはるわと。電報も、空砲に成りまして。
斯くしての、中学3年の同窓生となればの、最早の何人他界かと。48名のクラスで、此度の、カズエさんを加えの、男女2名ずつの、4名に相成るです。但し、判明してるの場合でして。
既に、宛先不明のが、半数以上での話。
での、一番早かったは、男で、30代であった哉と。優秀なるのヤツでして。高校も一緒でして。ヤツは、阪大卆でして。家には、玄関先なれどの、一度だけ訪問したの哉の。松原通りに家があったですが。
まあなあ、同窓生にしても、親しさの度合いあってねえ。
無理してでも、参列すべき。したいのも、居てるですし。そこまでは、のも、居てまして。
どちにしても、同窓生、同級生の訃報は、ども、気分、沈むです。早いのは、遠の昔の、若くして、行ってるですが。還暦での訃報は、マダ、早いと云えば、早いけれどの、ボチボチの、摩耗故障段階に突入哉の年代でして。
ここから先、次々と、その手の報入るの哉の、嫌やなあと。
でででの、そんな次第の、若干の話戻しまして。
先の通りの、本日<14日>より、母、ショート・スティ先、「けやき」から、戻りまして。それも、通例なら、16時頃なれどの。此度、朝、11時でねえ。その約束とするのか、予定で、行ってるですが。ここから、22日の朝、9時までが、我が家で過ごすに成るです。その間、月水土曜日なるは、ディ・サービスでして。22日<金曜日>から、29日<金曜日>まで、「けやき」にお世話に成るになってるですが。
さての、「ふないの里」には、12月から、来年3月一杯まで、入所の申し込みだけはしてるですが。決まれば、ええのになあと。
ほんまやでの。高齢者には、寒暖の差の激しいのは、どもならんわと。
寒暖の差は、むしろの、朝晩、昼間の差が大きくて。夜の、朝の、オシッコなんか、気を使うわと。寝床、ベッドでなら、マダ、マシなれどの、ベッドから、起きてみい。寒いわと。
よって、ガス・ストーブをその時だけでも、点けてやるにしてるですが。まだ、11月やしなの、その時、点けたってなあ。車椅子に乗せて、オシッコさせて、ベッドに寝かすの間では、室内、暖<あ>ったこも、成っても、知れてるわと。
(13/11/15)