シバケンの単なる雑談NO.2

単なる雑談NO.1

題目一覧表

目次

雑談NO.3

40.臓器移植問題(5)

39.臓器移植問題(4)

38.臓器移植問題(3)

37.臓器移植問題(2)

36.臓器移植問題(1)

35.雪騒動

34.家中が、風邪引いてしもた

33.成人式と選挙

32.平成11年1月11日

31.十日ゑびっさん

30.年賀状のこと

29.NTTドコモショップ

28.初詣

27.1999年、今年の抱負

26.1998年の総括

25.推論−和歌山砒素入りカレー事件(3)

24.推論−和歌山砒素入りカレー事件(2)

23.推論−和歌山砒素入りカレー事件(1)

22.和歌山の砒素入りカレー事件(2)

21.和歌山の砒素入りカレー事件(1)

雑談NO.1


21.和歌山の砒素入りカレー事件(1)

十月四日。テレビで和歌山の砒素入りカレー事件。
ではなしに、保険金詐欺と殺人未遂事件で林夫婦逮捕の実況中継がありました。
殆どの局が特番放送で、夫婦の顔からはボカシも取れた。
この事件は不可解なことばかり。他人の保険金を夫婦が受け取ったり、足を大火傷した奥さんが身障者認定されてるのに、歩いたり、走ったり。
もっと不可解なことは砒素入りカレーとの関連です。こんなことせんかったら、単なる詐欺事件と殺人未遂だけ。もしかしたらのことですが、それさえも分からんかった可能性がある。
この事件を起こしたばっかりに、マスコミに詮索されて、イランことまでが公になったのです。
林夫妻がカレー事件に関係してるかどうかは不明ですが接点は多い。日本中の大多数は、この夫婦が犯人と思てます。私も犯人と断定してます。
もし、そおやったらですが、阿呆なことして、勝手に墓穴を掘ったことになる。世間の眼を集めてしもたのです。
事件当時、ご主人は体が不自由やのに、カラオケにまで往ってアリバイ工作をした。
奥さんはお祭りのカレーの班長してるから、アリバイどころか当事者です。ましてや、班長まで任されてたのに、途中で抜け出しまして、カラオケに往ったしたりして、無責任そのものですが、自分の子だけは犠牲にさせとおなかったのか。
計算違いやろかなあ。急激に砒素の兆候が現れてしもて。もおチョッと時間が掛かって、チラホラ、バラバラに体調を崩すはずやったのか。園部町の人にも保険を掛けてたのか。そおやないと意味がナイ。
奥さんは保険の外務員をしてたし、その道のことは詳しい筈で、保険の審査なんかズサンです。保険会社も利潤追求の企業であります。余程のことがない限り、指定医さんも健康診断は合格にするのです。
替え玉の話があるけれど、顔写真付きの保険証書なんか見たことない。判子だけがあればヨイのです。健康診断は形式的で、本人と称する人さえ来てくれたら佳いのです。
麻雀仲間で保険金を掛けられ、砒素のために体調を崩し、入院し、そのことを知らんと云うてますが、最初から住所を受取人にしとけば済むことです。
住民票を添付するわけでなし。印鑑証明付きの実印が必要なわけでもなし。
失礼やけど、麻雀に負けて、その借金返済のため了解した共謀者である可能性もある。
本人を証明する必要はナイから知らんことにしとけば宜しいし、被害者には間違いない。
テレビでは正論でやってます。そんなこと出来るのかと。
実際に保険に加入した人なら手続きみたいなもん、外務員さんに了解すれば、住所、氏名、生年月日、印鑑だけが必要で、あとは健康状態、病歴等の質問はあるけど、場合に寄れば、外交員さんがやってくれまして、加入手続きは簡単です。
入院給付金にしても、病院に申請さえすれば第三者でも、一通千円で作成してくれますが、カレー事件は短絡過ぎるのです。
保険の掛け金が月に数百万円にもなりまして、計算上の問題で、派手にやらんことには採算が合わんようになったのか。
毒物は直接的とは違うのです。目的は保険金目当てであって、アイツが憎い等の動機さえもナイ。罪悪感も希薄です。
テレビのインタビューにも気楽に応じ、どんな性格やろ。完全犯罪の自信があるのか。自宅の側での事件ですが、灯台下暗しの考えもあったのか。こんなことで殺された人は浮かばれません。
これから暴かれる真相がどんなものかを注目です。ついでに、保険会社の管理のずさんさが暴かれました。
同類の保険金詐欺師が戦々恐々としてたりして。これからは給付金の審査が厳しくなったりしまして。
ついでになら、ご主人の人相、まるっきりのヤクザさんです。
(98/10/05)


22.和歌山の砒素入りカレー事件(2)

 7/25 和歌山 砒素入りカレー 4名死亡 10月4日林容疑者逮捕
 8/10 新潟 ザイエンス社
青酸ナトリウム。お茶
 8/27 東京 中学生にニセやせ薬
(クレゾール)
9月8日女子中学生自供
 9/01 長野 スーパーの青酸カリ
ウーロン茶
1名死亡
 9/02 奈良 自販機
有機リン系殺虫剤。ドリンク剤
 9/03 新潟 お寺のポットのお茶に殺虫剤
 9/04 大阪 スーパーの乳酸飲料水に
次亜塩素酸
9月20日見舞金目的
自作自演
山梨 スーパーの清涼飲料水に
油性物質
 9/06 大津 コンビニで中性洗剤。缶入り茶
静岡 スーパー、ペットボトルジュース
漂白剤用次亜塩素酸
9月12日保険金目当て
自作自演
静岡 コンビニのサンドイッチ
警官がシビレ
病気の可能性
 9/07 岐阜 社員食堂のソースに異物
埼玉 コンビニの紙パックコーヒー
微量の青酸化合物
 9/08 福島 自販機に有機リン酸系農薬
清涼飲料水
千葉 自販機のペピロニルプトキシド
炭酸飲料水
(農薬)
枚方 コンビニのペットボトル
清涼飲料水
 9/10 佐賀 中学校で持参のポットに
トイレ用洗剤
 9/11 富山 社員食堂で、ソースに農薬 9月15日社員の犯行
高槻 中学校の麦茶に漂白剤
 9/24 京都 京大でお茶にカドミウム
京都 コンビニのペットボトル飲料水
漂白剤用次亜塩素酸
10/03 伊丹 自販機の缶コーヒーで男性重体 10月4日毒物ナシ
肝臓病

以上が、和歌山の砒素入りカレー事件以来の新聞情報の抜粋。
九月六日の警官と十月三日の男性は本人の体調と周囲の過剰反応の可能性がある。
東京のクレゾール事件と富山の社員食堂は犯人が捕まり、自作自演が二件。
死にそうにない、イタズラの異物混入事件と一歩間違おたら殺人事件。現に九月一日の長野は殺人で、八月十日のザイエンス社の事件はすぐにでも捕まるみたいに思うけど。
それと、九月二十四日の京大のカドミウムは、イタイイタイ病になるで。
これも、犯人は直ぐにでも捕まえんとアカンやろ。京都府警はモタモタしてんと、新潟県警と競争でやってクレ。それにしても、よくぞまあ類似事件が発生することで。
事件には日本景気のイライラと、国民から明日の夢を奪い、奈落の底に導く政治家にナニか関係してるのか。
(98/10/06)


23.推論−和歌山砒素入りカレー事件(1)

和歌山園部の砒素入りカレー事件の犯人として、林真須美容疑者が逮捕された。
テレビ報道ではこれ一色。動機不明のままの逮捕です。
そもそも、この人に明確な動機があるやろか。報道記者が動機を解明して欲しいというけど、重大な動機はナイように思う。そやないと、あんな白々しい態度は出来ません。
裁判所で足を投げ出し、世間を小馬鹿にしてる。罪悪感、自責の念、人間らしい感情は感じられません。
事件当日、紙コップを持ってた。
カレーを準備してた主婦と口論してた。
ゴミを自宅の裏の用水路に捨てた。
カラオケに行った。麻雀が中止になった。麻雀仲間には保険金が掛けられてた。
カレーで麻雀仲間を殺害する目的かいな。住民との日頃のトラブルが原因やろか。こんなこと、本人にしか分からんのです。
そこで、亜砒酸の付着した紙コップを、そこらに捨ててあったという問題。
下手な推論では世間からお叱りを受けますが、重要な物的証拠を其処等に放ってるということは無造作過ぎる。私ならそんなことよおしません。痕跡残らず抹消です。
紙コップからは指紋が検出出来んかったらしいのです。
テレビでは、目撃したという少年の話が放映されてました。
手で紙コップをフサグように持ってたのです。評論家の見解は、
「紙コップに入れた砒素をこぼれないようにしてたのでしょう。」
そうかなあ。私の推理では、本当に指紋がナイというのが前提ですが、少年の記憶が正しいなら、「手でフサグように」は、手の平で紙コップのフチをつかんで。
つまり、紙コップの周囲に指が触れんようにした。
目的は手袋をせずに指紋を紙コップに着けんようにした。フチやったら、多少指が触れても特定出来る程には指紋は着かん。
そして、カレー鍋の処に居てダレかに遭遇。
手袋してたら、不思議に思われるやろ。それで、素手で持ったのです。
指紋が着いてないコップやから、そこらに捨てることが出来るのです。発見されたところで、指紋が付着していないと云う自信やろ。私ならそれでも、抹消してしまう。
過去の保険金詐欺事件で、真須美容疑者が砒素を使ってると仮定したら、もお十年以上も前から砒素を扱ってることになる。扱い慣れてるし、検出もされんかった。
こんな感覚の人はバレたら、バレた時のことと堂々としてるのではないか。
あのオウムの松本智津夫と一緒です。前世は双子の兄妹であったのかと思う程です。
(98/12/09)


24.推論−和歌山砒素入りカレー事件(2)

「和歌山砒素入りカレー事件」について。
週刊誌、スポーツ新聞やったら、もっと情報があるのやろうけど。買いません。
真須美容疑者の動機なんか、私に分かるはずはナイ。
そやけど、こういう人がこれからもドンドン増えるのやないか。
真須美は妊娠してて、別荘を買うつもりやったとか。
そしたら、夫の健治容疑者が邪魔になる。
一連の流れから、夫の殺害目的もアル。それは、麻雀仲間が集まった時がエエ機会。面子には、保険金も沢山掛けてることや(1億1千万円とか)。
この問題と、夏祭りと、関係あるやろか。まず、ナイとして。
たまたま、同じ日に麻雀が予定されてた。面子に砒素を盛るのやったら、麻雀はしょっちゅうやってるし、今までも砒素は盛ってた。
夏祭りのカレーと関係するとしたら、アトの処置が簡単。悲劇の主人公にもなれる。
「私の夫も巻き添えで死んでしもたやないか。どないしてくれる。警察はナニしてる。」
ただ、夫はカレーが好きやったやろか。
捕まる前に健治容疑者が興味深い発言をしてる。
「あんな、腐ったカレーみたいなもん、食うな。もっとエエもん食わしたる。」
子供にそうゆうたらしい。
出されたら食べるかも分からんし、カレーが嫌いて、聞かへん。麻雀の面子も食べるやろ。
警察では、麻雀の中止を真須美容疑者がどの段階で知ったかを問題にしてる。
要するに、夏祭りのカレーで殺害を計画したのかどうか。
計画してたとしたら、砒素を混ぜた鍋から貰わんとアカン。しかも、早い時間や。
その貰ったカレーに砒素が入ってんと、意味がナイ。
砒素を使い慣れてるのやから、カレーに混ざり難いことくらい、承知してるやろ。
そんな不確かなことはセン。やるとしたら、適当に貰ったカレーに自分で砒素を混ぜる。
今までに、人体実験をやってる。どれくらいの砒素量で、どうなるか。だいたいは知ってる。
実際には、沢山入れたらしい。ほぼ、200gで、1000人分の致死量とか。
そこで、真須美容疑者は、健治容疑者を処分するつもりやった。
たまたま、夏祭りがあった。自分はジャマクサイし、準備の手伝いみたいなもん、する気は無かった。病院へ診察に行った、その日に妊娠の事実を知った。ハヨせんとアカン(夫の処分のこと)。
とりあえず、カレーの準備が終わった頃を見計らって、顔だけ出したら、カレー担当の主婦と口論があった。
「班長が、今頃ナンヤ。」
「ゴミを用水路に、ほかしたりして。」
カチンと来た。そうや、やってしもたれ。道連れにしたれ。
そう思うけど、そんなことで、無差別殺人をするのかなあ。どう説明したらエエのかなあ。自分の気持ちに忠実なんやろ。
そもそも、ゴミを用水路に捨てる。ジャマクサイから。自分だけが良かったらエエ。
カメラマンにホースで水を掛けときの表情なんか、イヤというほど、テレビで見てるけど、楽しそうや。掛けられたモンの気持ちなんか、斟酌してない。
殺人犯として、マークされてる悲壮感はナイ。
元社員、夫も含めて、麻雀仲間に砒素を盛って保険金を搾取したり、そんなことを簡単にやって、そういう行為で、自分の豪華生活の設計してる。道徳感は、微塵もナイ。
「こんなことくらい。自分が良かったら、それでエエ。」
それが、ドンドン拡大発展して、感覚が麻痺してる。
用水路のことにしたかて、本人はナンとも思ってナイ。ナンでそんなことくらいで、ギャーギャー云われんならんのや。その程度。
真須美容疑者にしたら、隠す気もナイ。自宅の裏やから、ダレがやったかくらい、見たら分かるやないか。むしろ、捨てて、スカッと、してる。
私の家の前に、タバコの吸い殻とか、空袋が捨ててある。(私と違うで。)
私が借りてる駐車場に、ナンと、現物入りの紙オシメ。子供さんのとは違た。缶入り飲料水の空き缶なんか、ザラ。
犯人、全く不明。こんな行為と、真須美容疑者の無差別殺人なんか、比較にならんとは思うけど、ホンマに、そうやろかなあ。
少しづつのズレが大きいものになる。
そこらに居てるやろ。スーツ着て、髪の毛、七三にビシッと分けて、紳士面したオッサンが、そこに吸い殻入れがあるのに、道にポイ。
ジャマクサイのやろ。私も、愛煙家で、ジャンパー姿で、ボサボサ頭やけど、それはせん。
そやけど、それを、私の側でやられたら、ポイ捨てしたん、明らかに、私みたい。
こんなんを、バカ正直と云う。そやから、損してばっかり。
こんな三面記事で有名にならんでも、生涯、小心者でエエ。
(98/12/10)

目次へ戻る


25.推論−和歌山砒素入りカレー事件(3)

「砒素入りカレー事件」は真須美容疑者の「計画的犯行」と云いたい。
衝動的としたら、辻褄の合わんことが多い。
妊娠が、その日、病院に行って分かった云うても、本人は体調の変化で、承知してるはず。
班長に立候補して、夏祭り当日に、カレーの準備も手伝わんと、病院に行く。
非常識以前に計画的な臭いがプンプン。
その前でも、アトでもアカン。当日に行く理由があった。
病院で長いこと時間を潰して、終わった頃に顔を出す。皆からなじられて、カーとなったてか。
こんな無神経な人が、そんなことくらいでカリカリしません。
する人やったら、用水路に、ゴミを捨てません。こんなこと、計算ずく。
その時、どんな会話があったか、知らんけど、口論を避ける気やったら、開口一番、謝ります。
そしたら、相手の主婦も、ゴタゴタ云うことはナイ。謝っても、印象を与えるには充分やのに。
病院は、カレーの準備を手伝わんための口実。
いくら、フテブテしい性格でも、家に居て、手伝わんワケにはイカン。
紙コップの砒素を鍋に入れたあと、タマタマ、当番の主婦が来たら、聞きもせんのに、
「私、鍋には触ってないしね。」
要するに、準備は手伝ってないし、鍋にも触ってない。そんな私が犯人であろうハズがない。
カレー当番の主婦になじられたことは大成功。複数の主婦に自分のことを記憶させることが出来た。
これで、計画を実施することが出来る。
その犯行理由は、一石四鳥。
まず、邪魔な夫、健治を砒素を盛って、抹殺出来る。結果、保険金は億単位。
好きな、彼と結婚出来る。
自分は、カレーの準備は手伝ってナイ。鍋にも、触ってナイ。
当番の主婦連中から、文句まで云われた。こんな悲劇の主人公をどうしてくれる。
そういうことを、大声で叫んで、世間の同情を得ることが出来る。少なくとも、犯人の線からは除外される。
ただ、計算が狂た。麻雀が中止になった。まあ、エエカ。私は知らんことや。
下手に家に居てんと、カラオケにでも行って、時間潰し。
家族だけではアカン。証明してもらお。知り合いでも誘とこか。
ところで、麻雀が中止になって、ナンデ、夫健治を毒殺せんかったのやろ。
麻雀してたら、夏祭りのカレーを持って帰って、砒素を盛って、麻雀部屋に持って入ったらエエのやけど、中止になってしもて、麻雀もしてない、健治だけにカレーという訳にもイカン。
子供の方がカレー好き。それで、カラオケに連れて行かんかった子供には、
「カレーを食べたらアカン。」
自分の子供は守りたかった。
真須美容疑者は、砒素を仕込んでから、麻雀の中止を知ったのやろ。
死んだ人は、真須美容疑者の無実の口実にされた。
彼女は、自分の目的のためには手段を選ばんかった。砒素を道具に、10年も前から、やって来てた。
怖い人が、世の中には居るもんやなあ。
不動産の仲介業してる親友が、本業だけでは苦しいし、保険業もしてるけど、
「この事件から、尚更、やりにくいわ。」
(98/12/11)


26.1998年の総括

私が使ってる、年賀状ソフト(住所録)は「筆まめ」です。
Ver9が出たし、手に入れました。11月初旬のことです。
「今年は年賀状も早いこと出来るなあ。」
ダレかに云われたけど、例年どおり、今日(12月31日)出来上がり。
プリントゴッコでやってた頃は早かった。インクの乾燥には時間が掛かるけど、一気にやってしまわんと、セットしたインクがアカンようになる。
それよりナニより、子供が中学生までは、請求しよったし、遊び感覚です。
その時代が過ぎたら、刷り手が居らんし、パソコンになった。
プリンターでは、インクの調達が面倒臭い。それに高い。まだある。種類が多すぎて、間違うことがある。
エプソンのプリンター用インクみたいなもん、ナンデこんなにあるんやろ。これでもか、これでもかと、年々増えてます。
インクを調達して、開封して、セットしたら、
「シモタ。やってしもた。」
カートリッジのサイズが合いません。無理矢理やってみたけど、アカンかった。
私もアホやけど、エプソンの設計者も、どうかしてます。
製造元は種類を沢山作らんとアカンわ、在庫調整が大変やわ、販売店も品揃えせんとアカン。
こっちは、エーー、どれやったかなあ。似たようなんばっかりで、迷てしまう。あげくに、この始末です。
こんなん、私だけと違うのです。この時期、私みたいなんが多いです。何人ものオッサンが似たような表情で、探してます。
「これとこれ、どう違うんや。」
店員さんに聞いてるオッサンが居てました。聞く方も聞く方やけど、店員さんも、
「品番が違います。」
当たり前やけど、オッサンも、それで、納得してます。
私みたいに、間違わんときや。
それと、採用する絵の色使いによったら、インクが片減りして、すぐ、インク切れです。
また、調達。二回目は間違わへんで。来年は分からんけど。
ようやく、年賀状をポストに入れて、新年のご挨拶もオシマイです。
その12月31日は、朝から小雨。雪とは違うのいです。
それはそれとして、年賀状も出しオワリ、小雨の中、洗車もして、車にも、家にも、神さんにも、注連飾り(しめかざり)して、御鏡さんも飾って、祝箸にも名前を書きました。
アトは、年越しソバを食べて、初水取ったら、私の役目はオシマイです。
さて、柴田家として、今年を振り返ったら、総合点では合格。
やっぱり、一番大きなことは、二人の息子達が希望の大学に入学出来たこと。
以来、重苦しい雰囲気から開放されました。
息子達が、原付の免許を取り、長男、健太郎が普通免許を取りよった。
その関連で、中古のスクータを買おて、半年で故障して、結局、新スーパーカブ(限定車やて)を買いました。私も支援させられたけど、まだ、乗ってません。
次ぎは、母が二度の入院です。
年初に白内障の手術。これは予定しての入院。
夏には転んで、足を骨折。又、入院。お陰さんで、部屋の交代と、それに伴う、家具の移動です。
私自身は、このHPを開設したこと。
それを通じて、M社(M社としてるけど、知ってる人は知ってる。もうM社とせんでもエエのやけど、一応、来年、私の任務終了段階で公表する予定)の専務から、ISO9002取得に関連して、その支援を依頼されたこと。これは、来年、1999年前半には取得出来る見込みです。
さらに、このHPで、イロンナ知り合いが出来たこと。
そして、ノートパソコンを買ったこと。買おて、半年で入院したけど、年内に退院してくれました。
我が家での重大ニュースはこんなもんです。
さて、来年はどうなるでしょう。
私自身のことで、分かってることは、M社での私の役割は終了する。
もう充分過ぎるくらいに遊んでしもたし、私自身の将来を見据えて、動くべき時期です。
占いの先生の言(げん)では、今年までは、向こうから来るのは構へんけど、自分から動いてもアカンとか。
アカンというのは、主体性を持って動いても、余所からブレーキを掛けられてしまう。
自分から、事を始めても挫折する。早い話が、時(とき)を待ちなさい。そういうことやった。
来年は、私の主導でイヨイヨ活動してもエエ年らしい。それも、ジワジワと気運が向上して来て、後半から開始がエエということや。
何があるんやろ。ナニが、といのではアカンし、ナニをするかやなあ。
勤めてた会社(ローム株式会社)をリストラで退職したのは、1995年5月のこと。
アッと、気が付たら、もう、4年目に突入です。ボケーっとしてても、日が経つのは早い。
占いを信じて、来年前半には方向性を定めて、後半から、イザ出陣やなあ。
サイゴになりましたけど、このHPを覗いて頂いてる皆様に御礼申し上げますとともに、来年は、HPのレイアウトを替えてみようかと考えております。
と、申しましても、生来、無精者でして、何日のことか、約束はしかねます。
こんなこと、HP開設段階から、考えてはいたのですが、ナカナカのことでして。
こうやって、宣言してしまいますと、やらんとしょうがない。
こんな私ですけど、責任感だけは立派に持ってます。
来年も、引き続き、ご指導、ご鞭撻の程、宜しく、御願い申し上げます。
(98/12/31)


27.1999年、今年の抱負

エエカッコ云うて、私の「今年の抱負」です。
こんなテーマ、何十年ブリやろ。
中学生とか、高校生のとき、やらされた覚えがあるけど。
以来、毎年、正月には、アタマの中には「抱負」はあったけど、公表することはなかった。
公表してもその場だけやのに、しやへんと、エエ加減なもんになって忘れてしまう。
毎年、一緒やったような気もします。今年こそ、今年こそと、歳だけ喰って。
そやのに、エエ歳して、「今年の抱負」です。
公表するのも、気恥ずかしい。出来んかったら、どうする。
どうするて、私のことみたいなもん、余所から見たらどうでもエエことです。
年末の続きになりますけど、こんなもんです。
1.残った人生で、ナニかをしたい。ナニかは、前半で決める。
2.M社のISO取得。
3.ノートパソコンのHDD容量をアップしたい。これ、2.1Gbやから、せめて3Gbにはしたい。
4.HPのレイアウトを変更したい。
5.退職以来、殆ど、外出(京都脱出という意味)することは無かった。昨年は、滋賀県(妹の家)に三回。大阪に二回(同窓会と人材バンク)だけ。
これではアカン。せいぜい外出して、世間の趨勢を観察しましょ。
出るいうても、エレショー(エレクトロニクス.ショー)とか、そういう類を想定してます。
とにかく、方々に足を運びたい。もともと、出張ばっかりしてたのに、ここ数年、ジッとしてるのも、能がナイ。これは、将来設計にも関連します。
今のところは、この程度。勿論、最大の課題は1。
2は、油断したらアカンけど、ほぼ決まってるようなこと。
3から5は、私の決心の問題です。
それでも、目標を設定して、実現していくことが重要と考えてます。
プラスαとして、
「過ぎた時間は、もう戻らない。」
気が着いたら、人生の2/3が経過してます。その経過した時間は経験。振り返るのはカマヘンけど、それより、残り1/3の人生をいかに有効に使うかです。
そやからいうて、政治家に立候補して、総理大臣を目指すワケでなし、歌手になって、紅白に出たいとか、ナニかの研究でもして、ノーベル賞が欲しいとか、運動選手になって、オリンピックに出場したいとか、そんな、世に出て、一世を風靡するようなことではありません。
イヤ、そんなこと、夢では出来るけど、現実問題、ナンの才能も、財力もナイ。
単に、自己満足の世界が充実出来たら、それで宜しい。
それが、これからの私の人生のテーマになる。今年一年の問題と違う。
エエかっこばっかり云うて。ホンマに頑張らんとあきません。
(99/01/01)


28.初詣

元日は土地の氏神(鎮守)さんと、大本教本部(信者ではない)にお参りです。
亀岡に引っ越してから、毎年やってます。
土地の氏神さんは、京都市内やったら、祇園さん。
私の地域は大井神社になります。その大井神社の由緒とか縁起とか、申し訳ナイけど、知りません。エエ加減な氏子です。
大井神社に隣接して、大井小学校がある。息子達の母校。
知ってることは、鯉に関係した神さんで、子供の日の、「鯉のぼり」はアカン。
「鯉のぼり」は、私の子供時代に、一回だけやって貰た記憶があります。
私の子供には、是非、やってやりたいと思てたのに、ナンデヤて云いたいけど、そういうシキタリやし、しょうがない。実際、何処もやりません。
大井神社は、普段は人気(ひとけ)がナイのです。サスガにお正月は初詣の参拝客が多い。
小さな祠も沢山あって、松尾大社、蛭子神社、愛宕さん、出雲大社が、祀ってある。
お稲荷さんも、北野さんもある。
一通り参って、お賽銭を出してたら、結構な額になってしまいます。
家族全員に何枚かの10円玉と100円玉一個を渡して、お賽銭に使(つこ)てんか。
たいてい、お稲荷さんに、100円。お金が儲かりますように。
ここが終わったら、大本教です。
裕次郎が、「大本教って、ダレなん。」
そんな質問をしたし、教えてやった。
この本部は、元亀岡城。出口ナオという人が霊界と通信が出来て、出口王仁三郎の、「霊界物語」が有名。戦争中に広島が火の海になる(原爆予言)とか云うて、弾圧を受けた。
この系統やったら、中山ミキさん。「陽気ぐらし」の天理教(奈良天理市)。
そして、金光大神(川手文治郎)の金光教。これは、岡山の金光町。
ちょっと、ズレがあるけど、高島嘉右衛門の高島易断。全部、予言者。
奇跡(病気治療を含む)を起こしたり、予言を的中させることが出来たら、神さんです。
十歩も二十歩も先は分からへんけど、理論的に説明して、実現させる。それを継承して、後輩達が実現する。これは科学の世界。
例えば、スペースシャトルが建設されて、火星とか月へのツアーは何十年後に出来るか。それは、近い将来、出来るやろ。
更に、その先の木星、土星、天王星、海王星とか、逆方向の金星、水星、太陽というのはどうか、イヤ、太陽系以外はどうなんか。興味のある人には素晴らしい夢です。
ナイ人にはどうでもエエことやけど、そこまでくると、50年から百年くらいとか。その先やったら、更に百年以上とか。そこまで出来たら、開発速度が加速するでしょう。
月程度のツアーにしたところで、先過ぎたら、こっちが、生きてない。生きてても、費用が高額過ぎたら、参加出来ません。
そのマエに年齢制限でアウトかなあ。年齢制限ナシの時代には生きてないやろ。これは、可能なことやし、予測というです。
予言というのは、科学的なことではナイ。転変地変とか、予測出来ん事象を言い当てる。
私らの実社会に戻ったら、そんな先のことと違て、一歩か二歩先が分かりたい。
とりあえず、明日のことが分かりたい。
そんなような話をして、大本教で、御神酒を頂き、福引きをしました。
福引きは、ダレでも出来て、スカがミカン一個。
あと、ダルマとかが当たるけど、去年も今年も五人全員スカ。
ダルマさんはもう、十個くらい貯まってます。
当たったら気分がエエことは確かです。当たったその年に、ナニかエエことがあったかというと、そんなことも無かった。
とかなんとか、当たらんかった、ダルマと縁起の関係を否定したりして。
(99/01/02)


29.NTTドコモショップ

1月1日から、携帯電話の桁数が変わりました。
私も、持ってはいるけど、そんなに使うことはない。携帯電話に掛けることも殆どない。
メモリーには沢山登録してるけど、携帯電話の数は数件。大阪も局番が変更されたらしいけど、登録は数件。
そんな程度やし、適当な時期に修正するつもりで居たら、息子がやってくれました。
そんな装置があって、バックアップも出来るらしい。数分で出来た。
その携帯電話のことやけど、私はNTTドコモ。一番普及してるし、安心感がある。
ところが、息子はJ−PHONEに切り替えよったのです。
理由は、基本料金が安い。ドコモは3600円やけど、それを押さえるのやったら、2700円のがあるらしい。その代わり、通話料金が高い。
E−メイルも出来るとか。どないするのやて聞いたら、J−PHONEがプロバイダになって、アドレスは携帯電話番号。当然、携帯電話には送信出来るし、相手がパソコンでインターネットをしてたら、それともヤリトリ出来る。その料金、送信が10円とか。
継続的に所有してたら、1年後に40%。3年後は最大44%の基本料金の割引がある。
そしたら、1620円になって、ドコモの半額以下。息子は、別の料金体系にしたようで、昨年末に契約して、もう使てます。
NTTドコモの携帯電話は解約せんと、料金を払い続けることになる。
亀岡のドコモショップに行きました。これは、初詣の続きのことです。
狭いドコモショップに、元日早々、凄い人。
その番号変換装置(無料)があるし、それを使うためと、機種変更と。
機種変更というのは、賢い手です。この機会に、古い機種から新しい機種にしたら、従来のメモリーを新番号で登録して貰えます。
対応するのは3人だけ。要領のエエ人はサッサと変換するけど、たいていアカンのです。
「どうするんやな。」ナニをエラソウに、最初に教えて貰てるのやで。
「まだ、終わらへんで。」もう終わってるのが分かってない人。
「動作しやへんけど、どうなってるんや。」
店の人が確認しに行って、「これ、ドコモの携帯と違います。」ナニやってるのや。
それだけと違う。機種変更でも、
「これ、解約して、新機種にしたいのやけど。」
「申し訳ありません。これ、ドコモと違いますので、解約は当店では出来ません。その取り扱い店でやって頂けますか。」
店の人もタイヘン。それでも、応対せんとアカンし、事務手続きが進みません。
そうかと思たら、入って来て、イキナリ、
「これ、ナンヤ。ダレがナニしてるのや。順番はどうなってるのや。どう並んでるのや。」
どこのドナタか知りませんけど、大きな声で、アホかいな。一言、聞けばヨイのです。
エッ、私はナンの用事があって、ドコモショップに居てるのか。
運良く、狭い店の駐車場に車を停めたけど、息子の手続きが遅いのです。
その車に入ったり、マダカイナ云うて、店を覗きに行ったりしてただけ。
それが終わったら、叔父のに年始の挨拶の予定です。
それ以外の人の車は、ソバにある、「はるやま」(服屋さん)の駐車場に停めたりして。
「はるやま」に用事のある人は殆どナシ。
店の前の国道(9号線)に停めるし、国道は渋滞。もっと、配慮して停めたらエエのになあ。
ナニセ、店は満員御礼状態。
それでも、次々とお客が来ます。パッと見て、「コラ、アカン。」と、引き返す人もある。
私なんかは、中に居たら邪魔やろうし、ウロウロしてるだけ。
あんまりウロウロしてるし、「番号変更ですか。」
聞かれんでもエエこと、店の人に聞かれてしもて、
「イイエ、スイマセン。コイツ(息子)を待ってるだけです。」
暫く、店に入り難うなってしもた。
結局、解約するだけで、3時間待ち。家族全員、オツキアイでくたびれました。
(99/01/03)


30.年賀状のこと

年賀状というのは、現在、オツキアイしてるヒト、過去にオツキアイしてたヒト、親戚とかに年始の挨拶として出すものと考えてます。
人によっては、出(だ)さん主義とか、頂いたら出すとか、頂こうが、頂くまいが、出し続ける人とかもあるでしょう。
私の基準は、過去、現在、何らかのオツキアイしてたヒトと親戚筋には出してます。
勿論、住所が分かってる範囲で、オツキアイの程度によっては、相手から、二年間、音沙汰ナシになったら、止めてます。
その二年間の条件で、出さん、という判断をして、年賀状を止めると、来ることがあるのです。
この相手の基準は、二年間、年賀状は出さんかったけど、来たし、出すということやろか。
それで、出しても、又、数年、くれへんのやなあ。こんなん困ります。
結局、出来る限り出すようにはしてるけど、年賀状の枚数のこともあります。
悪いけど、時には、余ったら出す。そんな基準を設けたりすることもあるのです。
こんなことが、「筆まめ」には記録出来ますし、履歴がはっきりするようになったワケです。
次第に、息子達の要求する枚数が増えて、補充せんと不足状態になります。
それもありますし、買い増しするのやったら、基準を三年くらいに引き上げることもあります。
あるいは、毎年、年賀状をくれへんのに、年末になって、
「親族のダレソレがどうのこうので、年初のご挨拶云々」
こんなんが届いて、悩むことがあります。
今回の年賀状は出したらアカンのやけど、その次です。
出しても、一回も、くれたことのナイ相手のときもありますからねえ。
つまり、くれたこともナイ相手やのに、から遠慮するという連絡です。
どっちみち、次に出しても、梨の礫(つぶて)になるのやけど。連絡しとかんと、又、年賀状をくれるやろうし、断っとかんとイカン。そんな配慮やろか。
相手の基準がどうか、イッペン、聞いてみたい気もします。
そして、今年も例年どおり。出すのを止めたら、届いて、正月早々大アワテ。
「年賀状、何枚余ってるんやなあ。」
いつも、こんなんです。旨いこといかんなあ。
(99/01/04)


31.十日ゑびっさん

本日、1月10日は、「商売繁盛(しょうばいはんじょ)で、笹持って来い。」の、「十日ゑびす」。加えて、日曜日。
私は商売はしてないけど、何年か振りに行きました。
今年はナニかやりたいというのもあります。
もともと、月に一回は東大谷さんへ、お墓参りをしてます。
それもして、祇園さんにもお参りして、古いお札を納めます。そこからやったら、大和大路も近いし、「ゑびっさん」にも行っとこか。
今回も息子達は後期の試験とか、母も、「寒いしなあ。」で、嫁はんと二人だけ。
東大谷さんには、墓参者対象の駐車場(無料)がある。
車はいつもそこに停めてるし、管理人さんとは顔なじみです。
そこの駐車場が開設されて、何年くらいになるのやろ。それまでは、寺務所の近くにあったけど、工事をしやはってから、場所が変わってしもた。
管理人さんも、何人か変わったけど、今の人が一番長い。そして、もう一人、アルバイト。
それも、去年の夏くらいから居たはって、ネームプレートには、ナントカ健太郎。長男と同名。
彼は、駐車場の利用者に、利用上の注意事項を書いた紙を渡す役割もあるらしい。
いつも私に、渡そうとしてくれるけど、断ってます。
彼も、こっちのことは知ってるのやけど、そういう取り決めがあるみたい。私にしたら、月一回、来てるのやし、内容も知ってるし、勿体ない。
毎年、年始めには、お墓の管理費を支払うことにしてます。寺務所に寄って、支払ってから、墓参を済まして、駐車場の管理人さんに、
「ちょっと、すみませんけど。」
中には、駐車場に車を停めて、いきなり、お墓とは違う方に向かう人もある。管理人さんが、どう思たはるかは知らんけど。
祇園さんには人出が少なかった。もう、初詣の時期とは違うしなあ。
それでも、本堂の鈴を鳴らすのに、綺麗に列が出来てます。こんな光景、初めてです。
初詣で、人が多かったら、近づくのもタイヘンやけど。まあ、ホドホドの賑わいなんやろ。
「祇園ゑびっさん」も、やったはった。アナウンスも流れてて、何十年振りか、知らんのやけど、今年は、「宵(よい)ゑびっさん」と「ゑびす御輿」を復活ささはったんやて。
「不景気風を吹き飛ばせ。」いうことなんやろ。
こっちでもエエのかいなとは思いつつ、それはそれ、せっかくやし、「京都ゑびっさん」。
四条通りから、大和大路に入ると、もう、大変。出店もあるけど、見ることも出来ません。
「お多福飴やなあ。おいしかったんやけどなあ。買う人、あるんかいな。」
「きんつばがおいしそうやけどなあ。アイツ(息子達)ら、ツブアン、アカンしなあ。」
「チョコレートバナナて、どんな味なんや。食べたことないで。」
「もう、ダルマさんはイランか。」
「お店が安売りしたはるけど、買う人あるんかいな。殆ど、素通りやで。」
勝手なことを云いながら、ナントカ、「京都ゑびす神社」にたどり着きました。
境内の出店にミニチュアのコッポリがあって、
「お足(お金)が入って来ます様に。」
「足の病いがいやされます様に。」
「足が達者に成ります様に。」
そう書いてある。母は、昨年、足を骨折したしなあ。買おたろか。そやけど、それ、買うのが大変。人の流れに逆らわんとアカンのです。
「ゑびっさん」で、小さな熊手を買おた。「笹」をナンで買わんのやて、お店を開いてるわけでもナイしなあ。
次は、本堂。押され、押されて、近づいて、ナンとか、鈴を鳴らさして貰た。
その流れで、大黒さん詣り(本堂の左横にある)。
大黒さんは、戸板を叩きながら、お願いせんとアカンらしい。お耳が悪うてなあ。
そうせんと、聞いてくれやはらへんのやて。
戸板を叩いたら、うるそおて、ナニゆうてるか分からへんようにも思うけど、そういうことになってます。
ところで、
「商売繁盛(しょうばいはんじょ)で、笹持って来い。」
そんなこと云うてるけど、ナンで、笹なんやろ。
常々、そういう疑問があったんや。
祇園さんに戻って来たら、どっかのオッサンが、その奥さんに、
「ナンで、笹なんやろなあ。」
私だけと違たけど、ヨオ見たら、熊手を入れてくれやはった、紙袋にあったのです。
「京都ゑびす神社縁起」というのがあって、それには、こうなってます。
「今日、多くの方は、ゑびす様と言えば、商売繁盛の笹をイメージされますが、ゑびす信仰の象徴とも言える笹は、元来京都ゑびす神社独自の御札の形態が広まったものです。
笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で、節目正しく真っ直ぐに伸び、弾力があり、折れない。
葉が落ちず、常に青々と繁る。
といった特徴から、家運隆昌、商売繁盛の象徴となった。」
今一、ピンときやへんけど、笹そのものが、縁起物ということかいなあ。
「持って来い。」
それの意味は書いてナイ。
ところで、こういう神社(お稲荷さん、ゑびすさん)を、お参りしたら、どこにも立ち寄らんと、真っ直ぐ家に帰りなさい。そうせんと、せっかくお参りした、ご利益(りやく)を、立ち寄った先に置いて来てしまうのやて。
立ち寄った先。これはなあ。出店とか、屋台とか、そんなんはエエけど、食堂に入ったり、土産物屋さんのお店に入るとか、とにかく、他家の敷居をまたいだらアカンということや。
「ゑびっさん」をお参りして、人混みを、ようやく抜け出して、アアしんど。
ホッとして、お茶でも飲みたいなあ。そこらの、喫茶店にでも、入ろかいな。これアカンのや。
そやから、さっさと、駐車場に戻って、イチモクサンに我が家へと。
そやけど、途中、マクドナルドに寄りました。
これは、ドライブスルーやしなあ。敷居はまたいでないのです。
(99/01/10)


32.平成11年1月11日

本日は、平成11年1月11日です。
亀岡は早朝から、雪が降ってました。
一日にも少し降ったようですが、雪らしい雪は今日が初めてです。いわば、初雪です。
我が家の前にも、少しだけ雪が積もりました。日当たりが悪いためです。
ここ以外はありませんでした。
そして、一が五個並んだわけです。
今年は最大で、六個並ぶ日があります。平成11年11月11日。これは凄い。十一が三個とも云えます。
ついでに、午前11時11分と云うと、もっと沢山になりますが、アッという間のこと。
この1月11日。私事ながら、私の52回目の誕生日です。
ちなみに、平成11年1月1日は、私の妹の婿はんの誕生日でした。
ついでに、11月1日とか、11月11日は、と云いたいですが、そんな旨いことは、行きません。
次に、一並びというと、平成111年になってしまいます。これは、幾らナンでも、ナイでしょう。
歳は幾つになっても、誕生日というのは、嬉しいような気分です。
多少の期待もあったりしてねえ。
甘いかなあ。
(11−1−11)


33.成人式と選挙

その1  成人式
長男が成人式を迎えました。
ところが、三日前くらいから、風邪、引いてしまいましてねえ。
成人式用にと、コートを買いよったんですけど、寸法が合わんとかで、寸法治しを頼むのに、代わりのコートを持たんと行ったらしいのです。
昨日は、近所のお医者さんに行って、注射を打って貰て、ドリンク剤も飲んで、一日寝てたみたいです。
テレビゲームも、せんかったのやし、相当シンドイのでしょう。
後期試験も、明日(16日)からというし、成人式はどうするのやろか。
今日の朝、起きて来て、熱を計りよったら、微熱程度。
亀岡での成人式は、「ガレリア」で、やるらしいのです。
どうするのか、気分は優れへんし、迷てたみたいやけど、やっぱり、行きよった。
一生に一回のことやしなあ。
向かいのお宅にも、双子の兄妹が居たはりまして、そこも、成人式。
私のときは、人数が多過ぎて、参加希望者は往復葉書での申し込みです。抽選で、ハズレました。知ってる連中で、抽選に当たったて、居たんかなあ。
今は少ないし、先方から招待状が来るのやねえ。

その2
ちなみに、亀岡は、本日、市長と市議選挙です。行ってきました。
市長は、最初から決めてました。
候補者は三人です。
その中で、「田中英夫」さんと、「田中日出男」さんがあります。読み方は一緒。
どちらかが、泡沫候補。本命の「田中ひでお」さん。エライ迷惑ですねえ。
一方、市議は、候補者が多過ぎて分かりません。35人も居るのです。
政党は何処かと見ても、共産党と公明党以外は全員無所属。
自民、自由、民主、社会はナイのです。
私は、政党で選ぶタイプです。ちなみに、共産、公明ではありません。
指示政党、所属政党を出したら、落選するんかなあ。それとも、恥ずかしいんやろか。
それとも、ホントウに所属がナイのでしょうか。アトで、どこかに所属したら、首にしてやって下さい。それが、私の好きな政党でもいけません。
そんな状態ですし、分かりません。
正直云って、35人もの候補者があって、名前が、ズラーと並びましても、個人的に、知った人はありません。ダレが何処のナニ兵衛さんかも知りません。
近所のオッサンが、「なんとかさんを宜しく」
とか云うてました。姓だけ覚えてましたけど、その姓も複数あるのがありまして、どうせえ云うのやろ。
それに、その人にナンの義理もありませんしねえ。
(99/01/15)


34.家中が、風邪引いてしもた

「家中が、風邪引いてしまいましてん。」
一番手は、母。新年早々、風邪を引きました。
喉が痛い。とか云いながら、そういうときに限って、お喋りしよるんです。
ゴホン、ゴホン、ハクションとか、やりながら、アッチコッチ、向いて喋りよるんです。
食事中にでっせ。
「アアー、シンド、シンドイなあ。ナニ食べてもオイシイことないし、味も分からへんし、喉も痛いし。あんたらどうえ。風邪、大丈夫か。」
「あのなあ、喉が痛い。シンドイ、シンドイ、云いながら、無理して、喋ることないで。」
「エエやんか。喋りたいんや。大丈夫かて、聞いたげてるのやろ。」
「喉が痛いのやろな。」
「そうや。そやけど、喋りたいときくらい喋って、ナニが悪いんやな。」
「悪いことはナイけど、周囲が迷惑なんやなあ。」
「ナンデ迷惑なんやな。」
もー、困ったババアやなあ。全部、云わせる気かいな。
「そういうときは、周囲に風邪を移さんように気を付けんとアカンのや。」
「気は付けてるで。そやから、風邪は、どうやて、ミンナに聞いたげてるのや。」
どうしょうもないババアです。
それが原因かどうか、一人に責任を押しつけアカンけど、次に、嫁はんが風邪引いて、続いて、二男。そして、長男。
長男は最悪で、こんなときに、成人式がどうのこうので、オーバーの寸法を直しに、大丸にまで行ったりして、きっちり、後期試験直前から、本格的な風邪です。
微熱から、熱になってしもて、近所のお医者さんに、注射を打って貰てました。
一通り、風邪をばらまいて、母は十日間くらいで、治ったようです。
嫁はんも、重症ではありません。グズグズはすぐ収まりました。コンタック600程度です。
二男は、最初から軽症でした。
「喉が痛い。」とは云うてましたけど、コンタック600と、トローチと喉飴で治ったようです。
長男も、注射の効果があったみたいで、ようやく、食欲も戻り、顔色もマシなようです。
試験は中盤に入ってまして、前期では、ナン教科か落としてますし、四年間で卒業出来るんかいなあ。予算はナイし、知りませんで。
イツモなんですけど、周囲が一通り終わったころに、私の出番です。
危ない、アブナイ、まだ大丈夫やなあ。
とか、思てましたが、どうも、頂いていたようです。
慣習は破れへんかった。
風邪以前に、自己暗示に掛かってしもたかも知れませんけど。
(99/01/22)


35.雪騒動

積雪です。
昨日、夕方から雪が降りました。
この前は、1月29日。積もるほどでもありませんでした。
今回は、寒波襲来ということで、天気予報でも積もるとか云うてました。
嵯峨を出たときは、どうということも無かったけど、「老いの坂」の手前、沓掛からが大変です。
まだ、雪は積もってナイし、凍結もしてナイのに、ノロノロ運転。
通常やったら、沓掛から、30分ソコソコで、家に着くのに、1時間強もかかりました。
老いの坂のトンネルの手前の西山霊園には住宅団地があります。その団地の入り口には、急な坂があるのです。
その坂を、自動車が登れんようでした。坂の手前に車を停めて、徒歩で上がったはりました。
坂の上からは、自動車が、滑りそうになりながら、おっかなびっくりで降りて来てるのです。アブナイ光景です。
スタッドレスタイヤでも着けたはるのやろか。滑ってしもたら、その先は国道9号線やで。
ノロノロ運転やし、避けることも出来ませんで。
そんなことが、シッカリ観察出来る程度のノロノロ運転です。
雪が降って来てるけど、まだ、凍結してないのです。もうチョット、速度を出して、この老いの坂を早いこと通過した方が安全なんやけどなあ。
時間を掛けたら掛ける程、気温は下がるし、雪は積もるし、危険な道路状態になるのになあ。
ラジオでは、亀岡縦貫道路の京都方面出口は渋滞とか云うてます。そこから先もノロノロ運転なんやろなあ。雪やから、国道9号線を避けやはったのやろ。
こっちは、車の数が少ないし、その分、亀岡方面行きに比べて、道路の雪は多目です。
雪というと、私らが子供時分のときの方が多かったように思います。
小学生ころですけど、家の前で、雪ダルマを作ったのを覚えてます。
炭もあったし、眉毛とか、口、鼻、目も出来ました。
その頃は、堀川通りで、雪合戦したこともありました。
従兄弟が来たとき、祖母が、比叡山のラジウム温泉に連れて行ってくれたこともあります。
そこで、雪合戦をしました。比叡山は寒いんやなあ。雪が多いんやなあ。とか云うて。
以降、道路で、雪ダルマとか、雪合戦が出来るような雪は記憶にありません。
それだけ、温暖になってしもたんかなあ。
この老いの坂での雪というと、15年くらいマエのことです。
お墓参りの帰り、3時頃から、急に雪が降りだしました。
それが、見る見る、積もりだしたのです。
沓掛の手前、京都芸術大学近辺で降って来ました。当時は、まだ無かったように思いますけど、成章高校あたりでは、雪で、タイヤが滑るくらいになってました。そんな急激な降り方です。
家族全員、帰れるんやろか。と、心配しました。
「お墓参りの帰りや。ご先祖さんが守ってくれたはるわ。」
とか云うてたら、車のマエを京都交通のバスが居て、それも、雪で、左右に振られ乍ら、ユックリ進んでます。バスでもこんなんです。
そやけど、バスがタイヤで踏みつぶした雪のアトを利用して、アトにくっついて行きました。
車幅はチガウけど、片方のタイヤは使えたのです。
普段やったら、バスが眼のマエにあったら、鬱っとおしいけど、このときは、頼りになりました。
私の後続車もそうすればエエのに、タイヤを雪に取られて、脱落です。
一台、それされたら、アトのはドウショウもナイ。モタモタしてたら、雪はドンドン積もって尚更、アカンようになる。
結局、そのバスのオカゲで、私の車は無事、戻れました。後続車はありませんでした。
バスが居たことが大きいし、家族全員でもあって、車の重量も重かったと思います。それと、ご先祖さんかなあ。
それにしても、子供もマダ小学校に行くか、イカンか、そんな時期で、アカンようになったら、どうするか、バスは目の前にあるけど、乗ることは出来ません。
後続のバスは渋滞で、アカンやろなあ。京都に引っ返えして、山陰線にでも乗らんとしょうがないやろなあ。とか、考えててました。
その、明くる日、老いの坂を通りますと、脱落した車の場所から先に、ズラーと、空車が放置されてました。
今日の朝も、どうなんかなあ。老いの坂の手前、トンネル出口には、十数台の車が乗り捨ててありました。
登り坂でギブアップしたんと、登ったけど、下り坂がアカンかったんとやろなあ。
これも、毎年一回は見る光景です。
雪の日は、なるべく、早目に帰ること。
そういうことで、今日は、夜、早目に嵯峨をアトにしたのに、雪は殆ど消えてました。
(99/02/04)


36.臓器移植問題(1)

高知の赤十字病院で、ドナーカード(臓器提供意思表示カード)所持の、44歳の女性を巡って、波紋が広がってます。
この女性は、自宅で、クモ膜下出血で倒れ、家族が救急車を手配されたけど、タマタマ、近所の道路工事で、救急車が家まで来ることが出来んかったとか。
救急車に乗せたとき、連絡から2時間経過。すでに、瞳孔は開いてた。
臓器移植法が成立して、1年と4ケ月。初めてのケースで、関係者は右往左往。
それだけに、マスコミも殺到。
患者さんの、そんな状況まで、私が知ってるのですからねえ。
結果、ご家族も、医師も、タイヘンなご迷惑。
報道のあり方。プライバシーの問題。臓器移植法の運用方法。
さらには、ドナーカード登録者に、どんな影響を及ぼすかまで、物議を醸してます。
これには、もともと、問題山積。
まず、「死」そのものの判定。
心臓の停止か、脳の停止か、どちらを「死」とするか。
そのマエに、臓器移植には、心臓停止での摘出は遅い。
臓器が生きてるウチ。より新鮮な状態で臓器を摘出するため、提供者の心臓が動作して、なおかつ「死」であること。それが「脳死」。
その「脳死」判定は、次の5項目が確認される。
1.深い昏睡
2.瞳孔の固定
3.脳幹反射の消失
4.平坦な脳波
5.自発呼吸の消失
6.更に、6時間以上経過してから、もう一度同じ判定(1〜5)をする。
この、1〜5の確認だけで、最低、8時間を要するらしい。
さらに、6時間経過で、再確認(8時間)。最低、22時間ということになる。
その結果、「脳死」判定された段階で以て、ドナーカードで提供意志表示された臓器を摘出することになる。
今回は、最初の段階の、「脳波が平坦であること。」の確認で、二人の医師が、
「平坦でなく、脳死ではナイ。」
それで、再度、感度を上げて、確認。
「臨床的に脳死状態。」
難しい表現です。言葉を追加したら、病床に臨み、実際に患者さんを診察した結果、「脳死状態」と判断した。ということになる。
この結果を踏まえて、女性の家族に、臓器提供の意志を再確認したうえで、再度、「脳死」判定を実施。
「記者会見で、以外にも、脳死ではナイと云う結果が報告された。」
そんな、「以外」と云う、報道をしたマスコミもあった。
これがイカンと云う意味ではアリマセン。
私が、その女性の立場やったら、それでヨイです。
私自身はドナーカードに登録してナイのです。
してないけど、私がその状況やったら、「それでヨイ。」という意味です。
この経過を説明したのは、ヨイ機会なんで、臓器移植問題を考えてみたいからです。
(99/02/26)


37.臓器移植問題(2)

ドナーカードについて。
簡単に登録出来るようにと、病院、郵便局、コンビニに置いてある。
私は登録してない。家族もしてない。
親戚、知人、私の知る範囲でも、「登録シタ。」と云うハナシは、聞いたことがない。
私に、「登録する意志はアルか。」
問われたら、返事に窮してしまう。家族で、こんなハナシはしたこともナイ。
カマヘンようなイヤなような、中途半端な気持ち。
死んでしもたら、ナニされても、分からへん。
死んだら、焼かれてしまうダケ。マダ、使える臓器があったら、ほかすのは勿体ない。何処かで働けるなら、嬉しいこと。
かと云うて、死んでるとはいえ、体を切り開かれて、解体されるのは、抵抗がある。
そんな情景を想像しただけでも、気分が悪い。
間違おても、医者には成れません。
それと、本当に、「脳死」が「死」なんやろか。
「臓器」問題は切り離して、「死」と云うだけやったら、「脳死」であれ、チガウ死であれ、もう、私本人は、別世界やから、ナンとでもして下さい。
あっさり、「死」を宣告して貰うほうがエエ。「死」と違ても、そんな状態で、生き長らえてもしょうがない。そもそも、家族に迷惑です。
この段階で、意思表示出来るなら、「臓器摘出」を了解する可能性が高い。
ところが、今現在、どうかと問われたら、イヤヤなあ、というのが、本音です。
この差はなんやろ。分かりません。
「臓器」が絡むと、本人の意思表示が要件で、家族の同意も必要。
臓器提供の意志があっても、「死」の寸前やったら、意思表示が出来ません。それで、生前に意思表示をしとくのが、ドナーカード。だからコマル。
本人が、ドナーカードに登録してたらやけど、私ではナシに、家族やったら、どうしたものか。
「ご本人さんは、ドナーカードで、臓器摘出を意志表示されてます。
勿論、ご家族の同意がその要件です。
同意、頂けますか。」
そんなこと、聞かれたら、返事に困ります。
コマルどころか、はっきり、
「アホ。ナニ、聞くんや。」
怒ってしまうやろ。
直面してる、家族に、近づく、「死」そのものを、拒否するやろ。
時間が経過せんと、「死」を認めるのは難しい。
そんな私でも、冷静にさえ、なれたら、本人の意志を尊重するのが当然とは思う。
そういう意味から、この女性の婿ハンはエライ。自分から提示されたとか。ご自身も、登録されてるとか。
ドナーカードで、臓器摘出を意思表示された人は、こんな迷いをクリアーされたことになる。
そういう意味からも、エライ。
(99/02/27)


38.臓器移植問題(3)

「情報公開」の問題について。
まず、「プライバシー保護」か、「情報公開」か。
報道では、高知の、くも膜下出血で入院の女性のご家族が、プライバシー問題で硬化された。
ご家族の要望事項は、
1.「脳死」判定の結果については公表しない。
2.患者が死後に平穏に帰宅出来ること。
3.報道機関はプライバシーに触れる報道のあり方を反省する。
それを受けて、新聞、テレビでは、こんな具合にコメント。
「ご家族の要請で、厚生省も、情報の公開と、プライバシー保護の問題で苦慮。」
「以来、その後の経過について、私たち、取材班には、情報が分からなくなりました。」
報道規制が、あたかも患者家族にあるような言い回しで、その動向を速報で報道してる。
そして、2/28(日)、テレビ速報で、こんなスーパーが流れた。
「肝臓が、信州大学。腎臓が、国立長崎中央大学。心臓、肺の摘出手術が阪大の医者によって行われることになった。」
この、「脳死」判定での臓器摘出が日本初の出来事で、報道そのものが過剰と思う。
二回目、三回目と、回を重ねて行ったら、何処かの片隅に追いやられてしまう。
所謂、ニュース性が無くなるから。イヤ、ナランで。
「臓器移植法」制定から、1年と4ケ月で、初めてです。ニュース性は継続されてしまう。
次回は何時になることか。
この頻度では、患者さんと、ご家族のプライバシーは、当分、守られることはナイ。
ドナーとなるためには、このことも配慮することになる。
登録された人は、こんなことまで了解したはったのやろか。そんな疑問がある。
患者家族が硬化された原因は、過剰な取材合戦と、その「報道姿勢」。
ただ、単に、ドナーカードを配って、
「ご協力をお願いします。登録して下さい。」
それだけで、ここまで分かりません。
次の問題は、「情報公開」そのもの。
「情報公開」を錦の御旗にする、厚生省と、報道機関。
その、「情報」て、ナニやな。人それぞれで、知りたいという「情報」がチガウ。
私は、こういう場合、善意の当事者の意向が最優先されんとイカンと思います。
「情報公開」について、移植される側は、
「ご本人の了解を得ましたので、公開します。
心臓は、40歳台の会社員男性に移植されることが決まりました。」
と、「公開」された。
ご本人が「了解」されてるんやったら、「公開」はご自由にして下さい。第三者がトヤカク云う筋合いと違います。
提供者の家族はどうなるのですか。
「プライバシー保護」を要望したはるのに、説得されはったのか、どうかは知りませんが、公開されたはるやないですか。
悲しみの深い方は、「静かにしてくれ。」
報道を拒否しても、報道されたはるのに、受ける側は、ご本人の意向が尊重されたはる。
もっとも、臓器を受ける側も、マダマダ、安心は出来ませんけど。
どうしても、「透明性」を確保するために、「公開」せんとイカンのやったら、時期を待ってあげたらどうですか。
当事者が、「拒否」したはるのに、マスコミが、
「法に則って、脳死判定されたのか。」「透明性のある情報公開」
そんなことを盾にして、当事者の意向を追いやって、速報まで流す緊急性が、ドレダケあるのかなあ。
緊急を要することは、一にも二にも、提供者から摘出された、臓器を、対象となる患者に迅速に移植してあげること。
それを阻害するような「報道姿勢」はイカガナモノでしょうか。
それが、臓器提供者側の意向やし、「臓器移植法」の最大の目的なんでしょ。
情報の「透明性」やとか、「公開」は、アトでも結構です。
マスコミは、寄って、集って、足を引っ張ったら、あきませんで。
(99/02/28)


39.臓器移植問題(4)

「情報公開」は大いにやって欲しい。
これが、前提です。
その上で、情報にもイロイロあって、ナンの情報を、何時、公開(報道)するかを問いたい。
この場合、人の生き死にの問題が絡んでる。
相手の意向を最優先。対象者が、了解されてたら、お好きなように。
報道機関の「役割」だけを主張して、「常識」を逸脱した報道はアカン。
ドナー登録を考えても、
「こんな報道ではなあ。」
二の足を踏むことがアルかも知れん。考え方は様々やから、逆も、あるやろうけど、イヤがるケースが多いやろ。
過剰報道のゴタゴタで、時間が経過して、せっかくの臓器提供が無駄になる可能性がある。
報道機関の、ダレかが、何処かで、アホみたいに、声高に叫んで、供給者の家族を憤慨させ、硬化させ、結果、臓器が無駄にでもなってしもたら、ダレが責任をとるのやろ。取りようがナイ。
そのダレも、ダレとは分からへんし、そのダレは、そんな配慮もしてません。ダレでもナシに、報道機関全体です。
ハッキリ云うたら、集団暴行。
せっかくの、提供許可臓器のうち、肺は、見送らはったらしい。その理由は、どうなんやろ。
「医学的理由により、移植が不可能である。」
くも膜下出血で、肺が損傷するのかなあ。自己呼吸がナイ患者さんやから、時間の経過と共に、損傷は進む。
これ以上は、犯人探しをしても仕方がナイ。本題に戻ります。
「日本臓器移植ネットワーク」の社会的貢献度は高い。その前提で、「情報公開」について。
私が関心を持った情報は、移植希望者と、移植実績はどうなってるのか。
ドナーの数は、現在、どれくらいの数か。それで、どれくらいのドナーが必要か。
京都新聞(2/26付け)によると、「日本臓器移植ネットワーク」に登録されてるのは、心臓19名、肝臓32名、肺4名。
角膜、腎臓とか、ホカの臓器は、どうなんやろ。
「日本臓器移植ネットワーク」のHP(覗いたのは2/27夜)では、最新情報が、なんと、平成7年度(H7/4/1〜H8/3/31)。
その古いデータでは、肝移植実績、約100名。腎臓約500名。角膜13件。
このうち、角膜だけは、平成8年度36名が希望との追記があった。ホカの臓器は、掲載ナシ。
HPでの、最新情報が、この程度。ナンヤコレ。
この数値は秘密なんやろか。プライバシーには無関係でしょ。
そしたら、担当者が、データーの集計を、サボってるのやろか。
臓器の希望者数と、提供意志表示者の人数くらい、タイムリーに公表したらエエ。
テレビでも、「日本臓器移植ネットワーク」の一部を紹介してたけど、パソコンがズラーッと並んで、スタッフはノートパソコンのデータかナニか、睨んだはります。
臓器の提供先も、分からんで、必要なら、空輸でも、ナンでもして、摘出した臓器を緊急輸送するて、何処にするんやな。
パソコンで、待機患者のデータを検索して、適切な移植先を選定するのでしょ。そう報道されてますがな。
この程度のデータくらい、その気があったら、即、公開出来ます。やってないし、その気がナイということ。
単に、ドナー、ドナー云うてるだけでは、アキマセン。
「日本臓器移植ネットワーク」、そのものは、プライバシーを守る立場やし、そういうコメントも出したはるけど、「情報」に対する姿勢も一考して欲しい。
そう思てたら、この「日本臓器移植ネットワーク」が、心臓移植の優先順位を、ミスしやはった。
待機期間が長い人が上位らしいのに、最初、二番手の人に移植のハナシがされたとか。ナニしてるのやな。
その人は、伝えられた瞬間から、希望と、不安の狭間で、イカバカリかと、結果、「イヤ、間違い。」とは。
失礼やけど、公開データの管理がこの程度では、ここは頼りないなあ。私が感じ取る程度やから、データの管理体制がズサンと云うことです。
はっきり、申します。検索、確認、照合する時間は充分あった。
パソコンで、「検索」というほどの数でもナイ。
京都新聞の公表数が正しいなら、心臓の待機患者数は、19名です。
マスコミはマスコミで、提供者の気分を害するような、過剰報道をやってんと、こういうのを調べて、報道しなさいな。
はっきり云うたら、日本はそういう国。
例えばのことですが、角膜の要求は2月28日現在、20名。
ドナーは、100万名。その数で、提供される確率は、年間5件。
だから、200万名(一人で二人に供給出来る)のドナーが必要となる。
そういう、実際的な数字を公開して、ドナー登録を訴えるべき。
それが分からのやったら、分かるシステムにしたらエエ。
「日本臓器移植ネッチワーク」は、せっかく、HPを開設してはるのやから、大いにPRして、許せる範囲で、データ公開して下さい。(それが、さっきの古いデータやろか)
エエ機会やし、見直して下さいな。
マスコミは、患者ご家族がマスコミに抗議声明文を出させるような取材姿勢は改めて下さい。
無神経な姿勢は、三流新聞、三流放送局の三面記事なんです。
初回の脳死による、臓器移植やから、それだけに、慎重にやって欲しい。
ソレより、ナニより、臓器提供者のためにも、アトは、移植された患者さんが順調に回復されることが一番です。
そして、これを教訓に、体制を改善して欲しいものです。
(99/03/01)


40.臓器移植問題(5)

ここから、とりとめもないハナシになります。
「脳死」での、「臓器移植」問題で云々されてる、「日本人の生死観」についてです。
テレビでも、新聞でも、
「日本人の生死観の問題があって、脳死での臓器摘出には抵抗がある。」
と論じられてます。
その、「日本人の生死観」とはナンですか。
まず、「死」について。
幅が広いので、心臓か、脳か、ドッチが、「死」かという問題。
医学的なことは知りません。その道の専門家にしたって、議論百出。
私のは、そんな次元の高いモンではありません。
とは云っても、荷の重いテーマです。「死」の定義についてですからねえ。
結論的には、どっちも、「死」であると思います。体の全ての機能が停止したら、完全な「死」。
「脳死」は初期段階らしいけど、それで、蘇生の可能性がナイなら、「死」。
完全な「死」に理屈を云い出したら、細胞の一つ一つまでになってしまう。
それを云うたら、腐るまで、「葬式」も出せんようになる。だから、常識の範囲でヨロシイ。
そう思いながらも、まだ、タイヘンな、候補がある。
丹波哲朗やないですけど、霊の世界ではどう云うことになるのか。
「霊」と云うのが正しいのか、「魂」が正しいのか、ここでは、くっつけて、「霊魂」にしときます。
これは、科学的、医学的には、認知されてナイ領域。
もしかして、この「霊魂」と称するモノが、「日本人の生死観」に影響してると云うなら、そんなことはナイはず。
有名なモンやったら、チベットの「死者の書」があります。
エジプトにも、「死者の書」があります。エジプトの王侯貴族なんか、強烈です。
ご丁寧に、遺体が腐らんように、内蔵を取り出して、保管するのでしょ。
そして、ミイラ化して、保存です。
特に、心臓が貴重品。それに、生命が宿ると云うことです。
万が一にも、蘇生することがあったら、イヤ、それを望んでますから、そのときは、使わんといけません。大切に保管です。
形はどうであれ、何処の国でも、権力者はやってます。
近いところでは、中国の毛沢東。遺体は永久保存とか。これは、「霊魂」の思想からではなくて、単なる保存のようですねえ。
兎に角、歴史的に、権力者の遺体保存の原点は「永遠」と云うことにあります。
そういう権力者ドモは、この世の栄耀栄華をそのまま、あの世でもやりたい。当然のことです。
私ども、俗人なら、この世では、苦労ばっかり。せめて、死後の世界くらい、楽したい。これも、至極当然です。
これが、「極楽浄土」思想。そのためには、善行を積まんとアキマセン。
ウソついたらアキマセン。人のモノを盗んだらアキマセン。等々。
どうも、これは、原則だけみたいに思います。悪人の方がどう考えても多い。そんなこと、気にしてません。
この、「極楽浄土」と云うのは、日本特有どころか、どの宗教でも、説いてます。
それどころか、日本のは、もともと、西国先進国からの輸入やないですか。ですから、あちらが元祖ということです。
宗教のことも、大して知らんのですが、キリスト教でも、仏教でも、おおむね、似たような部分があります。
キリスト教では、「天国」ですねえ。「極楽浄土」と、どう違いますか。
「地獄」はどっちでも、「地獄」です。
仏教では、その分岐点で、閻魔大王が審判を下すことになってます。
キリスト教では、キリストを信じ、徳に生きた人が行くところが天国。ここには復活の希望があるとか。罪を犯して、その償いが果たされてないと地獄とか。
コレ、ダレが判定すのでしょう。
さっきのハナシやないですけど、自己判断やったら、無神経なヤツほど、反省の色ナシ。
善良なお人は、些細なことまで、悔やんでしまう。私は小心者の典型です。私は仏教ですが。
キリスト教には、「審判」という言葉がありますけど、神が万民を裁くのですから、個人には関係ありませんねえ。どうなんでしょう。ヤメトコ。
この、「復活」思想とは、若干違いますが、仏教では、「輪廻転生」というのがあります。
元祖かどうか、知りませんが、チベットにあります。
法王ダライ.ラマが、その典型。転生者が観音菩薩様の化身として、法王の座を代々相続される。私ども、凡人には、摩訶不思議の世界です。
ついでに、副法王パンチェン.ラマは阿弥陀仏様の化身とか。
私は、こういうのが、「霊魂」ではないのかなあと、思ったりしてるのです。
その「霊魂」ですけど、心臓が停止したら、飛び出るのか、それとも、脳の停止なんでしょうか。
これには、色んなハナシがあります。
病床で、まだ、本人は、生きてるのに、「霊魂」のようなモンが出て行ったとか。
遠くに居る、子供とか、縁者が、ある人の気配を感じて、その人が、その時刻に他界したとか。
本人は、元気で動ける段階で、遠くの知人、親戚縁者に、珍しくヒョッコリ会いに行ったとか。
そんな、「世にも不思議な物語」は確かにあります。私も、それに近いことを、経験しました。
本人が充分動けてる段階の行動と云うのは、次元が違いますねえ。
それ以外は、「霊魂」の類です。
とすると、どうも、「脳死」以前に、体から勝手に抜け出してしまうことになる。
そやから云うて、オマエの「霊魂」やけど、さっき出て行ったのが見えた。
そやから、オマエは「死体」やぞ。
そんな、宣告されても困ります。心臓が動き、意識もあるはずですから。
ということで、「霊魂」と、「死」との関係は難しいけど、「霊魂」の方が先に出るように思う。
しかも、「肉体」から離脱するのですから、病理学的な、「死」とは無関係。
私自身は日本人ですから、そこから出ることは出来ません。
そやのに、「日本人の生死観」と一口に云われても、ナニを云うてるのか、さっぱり、分からんのです。
原点に戻って、そもそも、「死」を好む人は、そうザラには居ないでしょう。これも、人種、国籍に無関係。
「死」そのものについて、「脳死」がどうのこうのは、私に、関心はナイ。
どっちにしても、「死」は「死」。
私が、「臓器摘出」が、ドウモ、イヤなのは、手術台に載せられて、体を切り刻まれることを想像してしまうから。
「さあ、やって。」
そんな人も居ないでしょう。こういう状態になってしもたら、もう、任さんとしょうがナイ。それでは、遅いか。
「死」の宣告。
ある意味では、今回のケースでは、大勢のマスコミの監視があるし、「脳死」確認は厳正にやってもらえる。という面もアル。
私は、マダ、悩んでます。
それと、掲示板のご登場の、「かめさん」へ。
これ、まだ続きます。云いたいことが、まだ、アルんです。
それに、「耳鳴り」は、一応、「終わった。」て、云うてるのに。ヒツコイなあ。
(99/03/02)