シバケンの単なる雑談NO.3
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目次
60.明細書は要確認 電話料金
59.精神異常とはナニか(5) ゲーム世代
58.精神異常とはナニか(4) 現実と架空の区別
57.精神異常とはナニか(3) 全日空機乗っ取り事件のハナシ
56.精神異常とはナニか(2) 滋賀県長浜のハナシ
55.精神異常とはナニか(1) キャンプ事故のハナシ
48.銭湯のハナシ(4) 銭湯の思い出(by 結城)
47.銭湯のハナシ(3) 不可思議なハナシ
46.銭湯のハナシ(2) 人のふり見て、わがふり直せ
45.銭湯のハナシ(1) 料金のハナシ
43.臓器移植問題(8) <削除>
60.明細書は要確認(1) 電話料金
電話料金明細書にはご注意を。
電話代の明細書が届くタビに、オカシイなあと思てました。
まず、私事ですが、ISDNにして、エリアプラスにして、インターネット対策で、テレホーダイ。
ディスクトップでは、長男がISDNですし、私はノートでやってます。
インターネットの接続サキは一緒やのに、通話料と、通信料の両方に掲載されてます。ナニがどうチガウのか、じっくり見ました。
通信料はISDNでインターネットをしたときで、通話料は、ノートでしたときのようです。
当たり前ですが、普通の電話は電話料。
こんなこと、分ける意味があるのかなあ。
それは、ソレとして、その直後に、NTTが分離されてから、余計にワケが分からんようになりました。
料金明細の分類で、通話料、通信料。これは従来どおりです。
これに加わったものがあります。
NTT西日本、NTTコミュニケーション、携帯電話、PHS。
説明書によりますと、NTTコミュニケーションとは、市外通話のことらしい。
更に、テレホーダイを適用しない場合とか、エリアプラスを適用しない場合も記載されてはいます。テレホーダイにしたのは正解のようで、大分、助かってます。
ところが、エリアプラスはサービス料金は徴収されてますけど、隣接区域には電話してナイことになってます。そんなおかしなことがあるもんか。
まあ、私は使ってナイけど、息子連中は、しょっちゅう、やってるハズです。
もしかして、全部、携帯とかPHSかいな。ソレやったら、オコルで。
「オイ、どうなんや。」
「全部ではナイけど。」
そんな返事。
「チョットは自粛してくれ。電話代だけで、軽く破産してしまうで。」
ところで、当家の電話器はシャープ製で、RCL機能が付いてます。
これは、電話するとき、NTTと日本テレコムを比較して、自動的に安価な電話料金の接続を選択するものです。
さて、ISDNと、エリアプラスを契約するとき、NTTの担当者に確認したのです。
「日本テレコムとも契約してますけど、ナニかセンとアカンのですか。」
「日本テレコムさんやったら、ナニも問題はありません。」
「そしたら、コッチとしては、ナニもしなくてヨイのですね。」
「エエ、結構ですよ。ナニもして頂くことはありません。」
つまり、エリアプラスは隣接区域も市内料金並になるのですから、日本テレコムには無関係になる。
そのハズやのに、日本テレコムから届いた明細書の中味がオカシイのです。
隣接区域の電話料金が記載されてます。しかも、従来どおりのレート。
そしたら、NTTの明細書はどうなってるのかなあ。確認したら、隣接区域の通話記録は記載されてない。一応、二重徴収はされてナイけど、おかしいやないか。サービス料金の350円はしっかり徴収されてるのです。
つまり、エリアプラスは契約したことになってるけど、有効にはなってナイと云うことです。
これは、NTTか日本テレコムかどちらに確認するべきなのか。
とりあえず、料金を徴収してる、日本テレコムに電話してみました。
「NTTにエリアプラスを契約したんですけど、その該当分が、貴社から請求されてますし、料金も、従来レートが適用されてますけど。」
「そうですか。調べてみます。
ハイ、そのようですが、設定は変更されてません。イマから、信号を出しますので、受話器を、一旦切って、呼び鈴が鳴ったら、一旦取って下さい。」
そんなコトでした。
早いハナシが、予想どおり、エリアプラスが無効状態やったワケです。
こっちから、日本テレコムに連絡せんとアカンのであれば、そのようにNTTが云うてくれたらエエのになあ。それとも、私の聞き間違いやったのやろか。
まあ、実質的な損失金額は、サービス料金の350円ですけど、明細書をしっかり確認してなかったら、このまま、ズーっとですよ。
アア、恐ろしや、恐ろしや。
破産寸前。
(99/08/29)
59.精神異常とはナニか(5) ゲーム世代
一昔マエまで、任天堂云うたら、花札屋さん。
花札屋さんがアンマリやったら、トランプ屋さん。
宇治の小倉に工場があって、そこを通過するたびに、花札屋さんがあるなあと思たもんです。
それが、すっかり変貌して、世界に冠たる、ゲーム機屋さん。
それも、ムカシのゲーム機云うたら、子供用のオモチャ扱いでしたけど、とんでもない。
新製品の発売日ともなったら、社会人。イヤ、エエ歳したオッサンまでが買いに並ぶやて、社会現象化してるのです。
これも、ドンドン、エスカレートしてしもて、64ビットになって、ツギは128か256か、どうなるのやろ。パソコンと変わらへんどころか、もっと高性能で、インターネットも軽いモンです。機能を制限してるだけのこと。
20歳くらいのヒトやったら、正直に、この日を待ってたんです。とか云うてます。それもエライ興奮状態です。そんなこと、知らんかったら、バカ扱い。
オッサン連中は、流石に興奮してませんけど、子供に頼まれたとか云うて、ナニナニ、キッチリ、自分でやってるのやで。
云うても、その歳で、今時のゲームに付いて行けるだけでも大したモンやと思います。
息子がショッチュウやってるし、横目でチラチラ、見てはいるけど、難しそうで、自分でやってみる気にはなりません。
つまり、子供のオモチャどころか、すっかり、大人の玩具です。世代を越えたオモチャかなあ。
数年マエには、ビジネス・ホテルのテレビも様子が変わってました。
沢山のチャンネルがあって、大抵、どれかが有料のアダルト・ビデオです。
それに、ベツのチャンネルが加わりました。タダみたいやし、試してみたけど、ザーザー云うだけで、ナンにも映らへん。
案内書にも説明が無かったし、フロントに確認したら、ゲーム用のチャンネルやて。
ゲーム機を持参したら出来るらしいのです。出張先にまでゲーム機とソフトを持ち込んで、やりたいヒトが増えてるのやて。
ヘー、近頃の若い連中はそんなんですか云うたら、ナニをオッシャイマス。結構な年輩のヒトからも要望がありました。やて。
結局、任天堂の初代テレビ・ゲーム機時代にハマってしもて、そのまま脱出出来んかったのでしょう。
その時代に子供でも、立派な成人になってます。
そら、ゲームは面白いし、ムカシみたいに、ストーリーがエエ加減でもナイ。
色んなパターンがあって、第何章がドウとか、どんな具合にやったらエエとか、攻略本まで出版されて、ベスト・セラー。その音楽までCDになってます。
ゲームそのものが、生活パターンに組み入れられてるどころか、人間形成にまで影響を及ぼしてます。ゲーム・ソフトの交換が交流の主体になってるし、お陰さんで、近視も多い。
テレビ・ゲームは多人数でやるモンではナイしなあ。そんなんもあるけど、少数派です。
テレビ・ゲームで育った連中が、成人して、子供まで居てる時代になってしもた。
小さいトキから、家に閉じこもって、そんなんばっかりやってます。
そやから、ゲームの世界と現実の世界が区別出来ないと云う、そんな連中が出現しても、ナンの不思議もナイ世の中になったワケです。
イヤ、それでも、フツーの思考回路やったら、ゲームと現実の差くらい分かって当たり前とは思うけど、当たり前が当たり前でもナイし、非常識が常識になることもある。
こんなツマランハナシなんか、削除してしまおか、どうしょうか。
削除はキー一つやし、したら、無かったことに出来るけど、勝手にバックアップも出来てるし、復活も簡単に出来るしなあ。
現実の世界で、やってしもたら、削除出来ません。
復活も出来んようにせんとアキマセン。
(99/08/27)
58.精神異常とはナニか(4) 現実と架空の区別
さて、ここから本題です。
犯人の28歳のオトコ。
ゲームセンターにある飛行機のシュミレーションゲームで充分に経験を積んでるし、実際の飛行機でもやってみたかった。しかも、何回もクリヤーしてるし、出来んハズがナイ。
その気持ち、分からんこともアリマセンねえ。
臨場感溢れるゲーム機ですから、すっかりその気になってしまう。私はこのゲームはやったことないし、どんなモンか、イッペン、やってみたい気もするけど。
ゲーム機の開発チームは複雑な気分でしょう。そういうリアリティを追求することを目的で開発したのですから、大成功です。
内心、嬉しいやろなあ。私やったら、人目のナイ場所でバンザイ三唱。
そやから云うて、ここまで行ってしまうかなあ。これが疑問です。
三十年くらいマエに、百円出して、何回かやった、スペース・インベーダ・ゲーム。ナカナカ難しいのです。時間と共に、ドンドン近づいて来るし、必死の防戦です。
一回二回では勝てません。何回かやって、ようやく、インベーダをやっつけました。
これで、実戦でも大丈夫。宇宙人よ、地球に攻めてコイ。ワシがイツでも相手になってやる。とは思わんでしょう。小学生やあるまいに。それほどに、マンガチックではありました。音楽は面白かったけど。
任天堂の初期のテレビ・ゲーム機にあった、テニス。
これで、連戦連勝して、プロにも負けへんで。
グラフでも、ナブラチロアでも掛かってコイ。ワシが相手になってやる。とは思わんでしょう。小学生やあるまいに。まあ、こんな表現したら、小学生にさえ失礼になります。
その小学生のトキ、線路を組み立てて、電車を走らせて、運転手になった気分。
叔父は70歳になった現在でもコレが好きです。
それで、電車を動かしてみたい。とは、夢には思うやろうけど、そやからて、ホン気かどうか。それを確認したい。そんなこと云うたら怒りよるで。
怒るくらいやったらエエけど、オマエ、オカシイのとチガウか。イッペン、病院で看て貰たらどうや。
それで、この28歳のオトコもそういうことになった。コイツ、オカシイで。そのケがアルで。
実際、そのケがあることはあったらしい。
どっちにしても、フツーはそうです。そやけど、バーチャルの世界と、現実の世界と、区別のツカン人が居てることは事実です。これからマスマス、そういうことになるハズです。
これをパソコンで、一人でシコシコやってるしや。そんなハナシもあります。それも要因の一つではあることは否定しませんけど、もっとホカにもあると思います。
それはそれとして、パソコンのゲームでも、ゲームセンターのでも、そうですけど、一昔マエのとは比較にはなりません。
そして、ゲームではありませんが、SONYが開発した、犬のロボットは、生きてるみたいです。
エサは要らんし、オシッコの世話も要らんし、可愛い動作やし。
これが壊れたら、どうするのでしょう。
SONYに修繕依頼するのか、それとも、お墓でも造って供養してやるのでしょうか。
イマは犬やけど、このサキは知りませんで。
クローン問題とオナジです。ヒツジや牛に、止まるハズがナイ。人間に及ぶ可能性は充分あります。こんなこと、ダレもが予想してるでしょう。
ダレが考えても、怖いことです。反面、興味もある。ですから、イズレ、ダレかがやってしまうでしょう。
簡単に云うたら、クローン技術の目的はそれでしょう。良質の食肉云々もあるけど、人間の部品も作りたい。ダレもまともには口にセンだけです。
イヨイヨ、そういう時代で、あながち、この28歳が珍しくもない時代に突入してるのです。
その、現実と架空の区別が出来ないヒトが増加すると云う意味です。むしろ、区別が付かない時代に突入してるようです。
そういう意味で、この28歳のキチガイは、これから起こり得る事態を先取りしただけ。
そして、倫理観がズレて、現在やったら、フツーのヒトがキチガイ扱いにされて、オカシイはずのヒトが平均的になるのです。
どっちがフツーか、それさえも区別が付かん時代。
それが怖いです。
(99/08/25)
57.精神異常とはナニか(3) 全日空機乗っ取り事件のハナシ
もう、早や、古いハナシになってしまいました。
精神異常がドウコウで問題にされたのは、全日空機乗っ取り事件。
この事件では、長島機長(51)が殺害された。
犯人は、西沢裕司(28歳)です。
これは、実名報道云々でもめましたけど、精神鑑定するまでもなく、正常な判断が出来るとのことで解禁されたのです。
このおかしさを述べてみます。
一番最初は、テレビも新聞も実名やったのに、突然、匿名報道になりました。
私にとっては、実名でも匿名でも、どっちでも宜しい。犯人も、機長も、その飛行機の搭乗者も、マッタク無関係のヒトばっかりです。
但し、実名は、罪人扱いで、匿名は、罪人扱いではナイことを意味します。
そういう基準なら、世間常識では罪人です。
飛行機を乗っ取った事実がある。そのウエ、ヒトが一人殺害された。
これは、その動機そのものが漫画チックでしたが、現実に起こりました。
そやのに、報道機関はエライ慎重です。
心神耗弱で、罪を問えるかどうかが疑問とか。
これ、どう思いますか。
犠牲者が機長で、飛行機のナカやから、職場扱いですか。そしたら、搭乗者が殺害されてたら、どうするのやろ。
そうではナク、犠牲者が一人やからですか。万が一にも、墜落してたらどうなりますか。
実際、その可能性があったのです。副操縦士がコックピットに突入するのが、もう一分遅かったら、アウト。
そしたら、何百人もの犠牲者になります。民家密集地帯にでも落下してみなさいな、桁チガイの大惨事。
そしたら、報道機関はマチガイなく、重罪犯扱いするハズです。この場合、犯人も死亡してるけど。
犠牲者が一人やから、慎重なんか、犠牲者が報道関係者の親戚、友人でもナイから慎重なんか。自分の家の上空を飛んでたワケでもナイしなあ。
さて、正常な判断のことです。
正常な判断とはナニかです。
そもそも、この28歳のオトコに限らず、ヒトを殺害するのは正常ですか。
正常な判断でヒトを殺すようやったら、これほど怖いことはナイ。殺人鬼です。
つまり、異常、正常の判断に、何処かおかしな部分があるように思います。
その瞬間はどんなヒトであれ、異常な精神状態のハズと思うのです。
すると、どのような犯罪であれ、精神異常状態ですから罪は問えないことになります。強盗であれ、窃盗、万引きもそうです。
万引き常習犯なんか、窃盗癖のあるヒトが多いらしい。
クセでモノを盗っても窃盗は窃盗。そやけど、クセやから、ハッと気が付いたら、盗ってしもてたことになる。早いハナシが、無意識状態。計画的でもナンでもナイ。衝動的です。
それでも、アウト。
事件がそこらにある程度やったら、アウトで、世間がビックリするほど大きかったら、慎重なんですかねえ。
(99/08/20)
56.精神異常とはナニか(2) 滋賀県長浜のハナシ
滋賀県長浜。
二歳の女の子がお母さんに連れられて、スーパーでの買い物中に見も知らんオトコに包丁で刺されて重体。
相手は精神異常者で、またもや、匿名報道。
こういう理不尽な事件があると思うのです。
精神異常者の場合、刑事責任が問えないと云う、ヘンな法律のことです。
薬物中毒状態でもオナジ。まあ、この場合はホカの法律に引っかかりますけど。
とりあえず、ナニかやったトキに正常な判断を出来る精神状態にあったかどうかが問題にされてます。
そもそも、犯罪者は正常か、異常か、どちらなんでしょうか。
ナニかが狂てるからナニかするのであって、正常な人間が理由もナク、殺人とか、犯罪を犯すハズがない。これ、ホンマやろか。
すると、正常な人間とはどんなものか。何処から見ても正常な人間は居てません。それで、基準を設けて、検査する。
そもそも、他人を傷つけたり、騙したり、脅したり、モノを盗ったり、こんなことはダレでもやる可能性があります。ヤランのは、単純に自制してるだけ。
すると、自制心のナイ連中がナニかやってしまうことになる。そしたら、精神異常者は自制心がナイだけのコトになる。
実際、そう思います。
悪いけど、キャンプ事故の犠牲者はドウカです。自制心が無かった。自制心云うても、集団としての自制心もある。ミンナも一緒やし、経験者もそう云うてるのやし、大丈夫やろ。
そんな集団の判断なんか、所詮、ダレか一人か二人の意志で決まってるのです。
別段、犠牲者のダレかが異常とは云うてません。おそらくは、私等と同様、そこらのオッサンと兄ちゃんですけど、判断基準がズレてるだけ。
せっかくやし、やってしまえ。せっかく、ここまで来てるのに、今更、戻れるかいな。その程度でしょうけど、その基準に、ナンで、責任感も無かったのかいな。
ソヨのお子さん、家族が居て、ナニか事故でもあって、その責任を執る覚悟はあったのかです。
もっとも、責任者みたいなもん、居てなかった可能性もあるけど。
この団体には申し訳ナイけど、異常な判断でした。きっと、内心、怖いなあと思いながらも、それに従った犠牲者もあるでしょう。
これは団体の怖さで、自分勝手な判断ミスで、取り返しのツカン大失敗やったなあ。とは思いますが、ダレも精神異常とは考えません。
(99/08/19)
55.精神異常とはナニか(1) キャンプ事故のハナシ
13日の金曜日。
神奈川県山北町玄倉川の中州にキャンプを張った団体が折りからの、大雨、激流で18名のウチ、5名が助かったけど、2名が死亡、11名が行方不明とか。
このトキ、私は嫁はんの里に滞在中。確かに、天気予報は悪かった。あっちやナイし良かったなあとか。
それでも、帰る予定の15日。岡山方面は大雨で雷予報。
確かに、当日は、稲光もトキドキあって、凄い雨でした。
云うても、ワイパーが利く程度ですから、そんな大したこともナイのですが、山陽自動車道路の路面は雨水で溢れてます。
ハイドロブレーン現象にでもなって、タイヤが滑ったらエライことです。
ミナサン、速度も控え目、スモールランプも点灯しての安全走行です。
それでも、ワタシャ、四輪駆動やで。てな感じで、水飛沫を撒き散らして、疾走する勇気あるドライバーも居ました。
私は、家族を同伴してますから、責任重大。そんな連中の向こうを張って、追い越されたら、追い越してやれとか、そんな気にもならんと、ガンとして、超安全運転。
それはそれとして、報道画面によると、事故当時は凄い濁流です。私は河童やけど、水は怖い。こんな濁流で泳ぐなど、冗談でも申しません。
そやから云うて、眼のマエで、ダレかが溺れてたら、無謀なことする可能性はあります。それが、家族やったら、躊躇しません。
それ程に、オトコ親は家族に対して、責任があると思てます。更に、自分が連れて来た他人さんの家族やったら、もっと重大責任がある。
自分の息子を放ってでも、救わんとアカンでしょう。
そんな濁流で、飛び込んでも、助ける自信は毛頭ナイ。そやから、頭っからそんな危険は避けます。もお、息子から助けられる状態かも知れませんけど。
それで、この一団のことですけど、何回も警告されてたのに、キャンプのメンバーはお酒を呑みながら対応してたらしい。
一部のヒトは、何回も来てるから大丈夫とか、酔った勢いかナニか知りませんけど、そんなことまで云うたらしい。
しかも、しかも、このグループは会社の仲間。
こういうトキ、ダレかが冷静に判断するべきなですけど、会社の延長みたいになってしもてたのでしょう。
その場には居ませんから、ナンですけど、そのエライさんか、リーダー格が大丈夫とか云うてしもたら、どうしょうもナイ。自分だけが撤退する云うわけにもイカンでしょう。
近くに居た、ベツのグループはサイレンが鳴って、サッサと撤退したらしい。これくらいの臆病で結構です。
犠牲になったヒトは、可哀想に、子供連れも居て、婚約者と一緒に来てるヒトもあったらしいのに、従わざるをエンかったのでしょう。
そのダレかさんも、子供さんまで連れてる家族があったら、警察から自警団、ダムのサイレンまで鳴ったら、躊躇ナク、撤退の判断をするべきでした。今更、しょうがないけど。
そのダレかさんだけの一家やったら、勝手です。死のうが、生きようが、どんな目に遭おても、ご当人一家が壊滅するだけのこと。
そして、思うのです。そやから、酒飲みはキライ。
(99/08/18)
お盆休みで、嫁はんの里へ行きました。四国は香川県の詫間方面。
毎年のことですけど、その毎年、コースが変わるのです。
衆知のことですが、本州と四国の間には、瀬戸内海があります。
そのムカシには、瀬戸大橋なるものはアリマセンでしたから、淡路島、神戸あるいは宇野から、フェリー。
トキには、飛行機。私は、飛行機など、使ったことはありませんでしたけど。
そして、瀬戸大橋が出来、鳴門大橋が出来ました。これは非常に大きなことで、フェリーの待ち時間がゼロになったワケです。しかも、宇野から高松まで、フェリーなら一時間が、僅か、十数分で渡れるようになったのです。
フェリー時代。盆正月は、通常、待ち時間が三時間。そんなことはザラでした。
運が良ければ一時間から二時間程度。
宇野から高松なら、一時間ですから座る場所が無ても、ドウと云うことはありませんでしたが、神戸から高松となると所用時間は四時間。
これは、人気のコースで、待ち時間もさることながら、座る場所がナイことも度々。自分だけなら気にもしませんが、子供が小さい頃ですから、特別料金を支払ってでも一等室と思いましたが、これまた、スグに満席です。オナジことを考えるヒトが多いのです。
船内には、面白くもないゲーム機が沢山あって、ヒマ潰しにダレかがやってますから、それを、ヒマ潰しに見物。兎に角、四時間を潰すのが大変。
この当時は神戸か、宇野経由か、それが大きな選択でした。
宇野経由は、下手したら、姫路、岡山で大渋滞。ですから、早朝の出発。それでも、ダメなことがありました。時期が時期だけに仕方ありません。
そのウエ、山陽道は工事中ばっかりで、高速を出たり、入ったり、ややこしいのです。それでナクとも、方向音痴。暫く、走ってから、オカシイなあ。
更に、舞鶴自動車道路が出来、その舞鶴自動車道路と中国縦貫道路が接続され、山陽自動車道路が延びて、遂に、この三本がドッキング。
結局、どういうことになったのか。
亀岡からなら、その舞鶴自動車道の丹波篠山インターに入れば、そのまま高速道路を出ることもナク、瀬戸大橋を渡り、四国の善通寺まで往ってしまうのです。そこから、里まで、約30分程度。
初期の頃。この時期、つまり盆正月で、瀬戸大橋開通以前は、12時間程度を要しました。
瀬戸大橋完成で、10時間程度になりました。
それが、アチコチの有料道路が便利になって、その都度、一時間単位で短縮したのです。そして、ドッキング。ナンと、所用時間、5時間程度です。
ここからサキはそんなに大きな差はナイでしょう。クルマの速度と休憩をどうするかだけです。
そして、渋滞のことです。
帰りは、中国、山陽自動車道路から、名神への合流地点は大変ですが、それを横目に舞鶴自動車道路へ抜けると、ガラガラ状態です。
京都、滋賀方面のヒトが、帰りのルートに舞鶴自動車道路を利用するのは賢い方法です。
つまり、遠道のようでも舞鶴自動車道路で迂回したホウが大渋滞を避けられて早いのです。
何故なら、この大渋滞で、名神に入るだけで、約一時間とか。
そのサキの状態は知りませんが、アナウンスでは、時速40km程度のノロノロ運転らしいのです。
反面、舞鶴自動車道路はウソのようにクルマの数が少ない。その一時間で、神戸から、丹波篠山インターを降りて、亀岡の自宅に戻ってしまってます。
このことは、舞鶴自動車道路を初めて使ったトキから痛感してます。
仮に、京都市内のヒトなら、亀岡から京都まで、亀岡縦貫道路もありますしねえ。
早いハナシが、西方面から、こっちにカエルのなら、隠れた、穴場コースと云えます。
(99/08/17)
国旗国歌法案が可決された日の朝日放送のニュース・ステーションです。
ある女子高生が、日の丸でナニを連想するかと訊ねられて、弁当と答えました。
多分、この子は日の丸弁当を連想したのでしょう。実際に持たされたかどうかは知りませんけど。
私は子供のころ、遠足で、持参したことがあります。ご飯と梅干しだけで、それ以外のオカズはナシの、正真正銘の日の丸弁当。私はそれで充分でした。
現在でも、梅干しさえあったら、宜しい。
オニギリでも、梅干しが大好きで、梅干しは毎日でも食べたいくらいです。
長男が高校時代です。同級生に、坊さんの卵で、和歌山から来てるのが居ました。
「お父さん。エエ梅干しがあるらしいで。
欲しかったら、友達に頼んだる。そこで造ってるのやて。」
お寺で、梅干しを造っておられるらしいのです。和歌山と云えば、紀州。紀州の梅干しが有名なことは、噂では知ってました。
そしたら、頼むわと返事したのはエエけど、大粒約20個で2000円。一個100円の梅干しやて。そやけど、三年仕込みらしいし、そんなもんかも知れません。
そこのご子息が運送代行で、中間マージン無しでこの値段。そやからて、値段を聞いて、辞めるわけにもイカンしなあ。
結局、これ一回だけ注文したけど、美味しかった。
そもそも、梅干しとは、ナカナカの食材です。
食べ物の毒を断つ。
血の毒を断つ。
水の毒を断つ。
事程左様に、梅干しは、安心して食べられる健康食品です。ダイエットに利くかどうかまでは知りませんけど。
ですから、梅干しをバカにしたらアキマセン。ピンからキリまであるのです。紀州の梅干しを日の丸弁当に入れて貰えたら、私やったら、最高やねえ。
新京極のお蕎麦屋さんにもありました。紀州産の梅干し入りお蕎麦。イッペン、食べたけど、これも美味しかった。
まあ、この報道番組がそこまで考えて、やったとは思いませんけど。
更に、ある教職員に訊ねました。そんな拙速に決めんでもエエのに。と、答えてました。
あるプールの親子連れに訊ねて、プロ野球で、巨人の勝敗には関心あるけど、そんな法案のことは無関心と答えました。それに、こんなこと法律で決めるようなこともナイのにとか。
確かにそうです。教職員も、親子連れも正しい。
拙速に決めることはナイし、こんなことを、法律で決めることもナイのです。
ダレでも、日本人やったら、国旗はナニか。星条旗。
国歌はナニか。軍艦マーチ。
とは答えないでしょう。パチンコマニアやったら知らんけど。もう、古いのかなあ。
はてさて、こんなことまで法律化せんと、造反する教職員に問題があるのです。
ウエからの指示にはナンでも反対。国歌、国旗も反対。
差別はイケマセンとかで、運動会の走りも順番を決めません。
教職員自らが権威を無視してるし、生徒から、先生と云う権威を否定されてしまうのです。
ナンでもカンでも優劣を付けるのはイカンやて、そんなこと云うてるし、生徒からも、友達感覚にされてしもて、イジメに遭うのです。
(99/08/11)
検診車のマエには受付があって、若い女の子が居ます。これも、気に入らんけどなあ。
予約の紙を提示したら、番号が何番で、検診が終わったら、ナニかクレルみたいで、コッチに来てくれ云うことです。
しばし、待って、私の番が来ました。
検査するヒトは、私くらいのヒトやから、まず、ホッとしました。
これも、若いお姉ちゃんやったら、もう帰るけどなあ。
「超音波検査ですねえ。
まず、ズボンを脱いで、アッチを向いて下さい。パンツも脱ぐんですよ。
そして、カエルみたいな格好して下さい。」
カエルみたいな格好て、どんなんやな。
がに股で、手を挙げるんかいな。平泳ぎみたいに。それやったら、任しといてんか。水泳は得意です。
「イヤイヤ、手まで挙げて貰わんでも、結構です。そして、ムコウに手を付いて下さい。
イヤイヤ、もっと、腰を屈めて。イヤイヤ、そこまで、して貰わんでも。」
ナニをどうセエ云うんかいな。こっちは、まな板のカエルやから、云われるとおりにしてるのに、目的がナニか分からへんしなあ。
検診するヒトが、こんな格好て、やってくれました。
がに股で中腰になれイウことです。
肛門から指を突っ込んで、触診するためらしい。
「チカラは抜いて下さいねえ。頑張って貰たら、現物が出て来ますからねえ。」
「そんなこと、アルんですか。」
そしたら、高齢者になると、アルらしい。そおでのおても、便秘気味のヒトは、肛門を触診されたら、刺激になって、出てしまうことがあるらしい。
「この検査は、結構、お年寄りが多いですからねえ。」
仰るとおり、集合したはるのは、お年寄りばっかりです。
私のホウは、案内書に注意事項が書いてあって、朝一番に、トイレには行った。小便も貯めときなさい云うことやし、そうしてる。
そやけど、そんなこと云われたら緊張してしまう。出したらアカンて。
そして、肛門周辺にゼリー状のモンを付けられて、触診です。
「痛いですか。」
そんなこともナイ。
これはどうです。これは、どうとか、指をあっちこっちに動かされて、痛いことはナイけど、動きは分かるし、アンマリ、気持ちのエエもんではナイ。
次が、超音波です。
椅子があって、その座る真ん中に棒状のモンが出てます。
これを肛門から入れて、看るんやなあ。
ムチとか、縄でもあったら、まるっきり、サド部屋の拷問椅子みたいなモンです。そんな趣味なんかナイけどねえ。
やっぱり、チカラを抜いて、口から息をしなさいとの注意を受けました。
徐々に椅子の棒が肛門から入ります。
ヨコには、ディスプレイがあって、肛門周辺の映像が映し出されてます。
「これが、前立腺ですわ。クルミくらいの大きさです。」
説明されても、シュッチュウ看てるワケでナシ、ドレがドレか分かりません。
「どうなんです。どおもナイんですか。」
「まあ、こんなもんです。正式には、連絡があります。
私が、ドウコウ、云える立場と違いますからねえ。」
持ち場、持ち場があるんやろうけど、触診までして、ドウコウ云えへんてかいな。
こういう技師さんの立場も奇妙なもんやねえ。実際には検査で分かってしまうハズやけど、それを判断するのは資格を持ったお医者さん。
下手なことを云うて、見解がズレたらアカンけど、こっちにしたら、看て貰たんやったら、スグにも分かりたい。
まあ、雰囲気からしたら、どおもナイみたいです。
検診が終わって、受付に行ったら、粗品として、花の種の缶詰を頂きました。蓋を開けて、水をやったら、花が咲くらしい。
持ち帰ったら、母が、コレ、ナンえ。花かいな。おくない。オオキニ。
返事もしてないのに、穫られてしもた。
そんな趣味もナイし、どっちでもエエけどなあ。
一週間して、葉書で結果が届いたけど、どおもありまえんでした。
(99/06/07)
ところで、その「ガレリヤかめおか」の何処で、前立腺の検査があるんかいなあ。
ナカをウロウロしたけど、らしい場所もナシ。
予約して、何日の何時頃に来なさいと云う紙も、貰てるし、有るハズやのにねえ。場所は、ココ云うだけやけど、こんなトコ、広い云うても、そんな、無茶苦茶、広おて、探しまくるホドのこともナイ。
せいぜい、5分もあったら、一通り、概要くらいつかめてしまう。
まあ、予定の時間より、30分もマエやし、焦ることもナイけど、それにしても、何処やろ。
試しに建物のソトに出たら、有った。
京都工場保健会のバスが来てたんや。レントゲンとか、胃の検査をするヤツです。
それに、前立腺の超音波検査用の機器を積み込んでるだけです。ナカでヤルのと違た。
ナンで、そんなこと、最初に分からへんかったてかいな。
来たのは、クルマやったけど、一階の駐車場が満車で、地下駐車場に誘導されたしや。一階やったら、正面から入るんやけどなあ。
そやけど、ちょっと待ってくださいや。
待ったはるヒトが、何人か、居たはるけど、年齢層がねえ、70歳以上なんです。
シツレイやけど、所謂、お年寄りばっかりなんです。私等くらいのヒトなんか、ゼンゼン居てないのです。
これはねえ、幾らナンでも、少々、抵抗感があります。
せめて、60代そこそこのお方でも、居たはったら、マシやけど、どお見ても、70代から80歳見当のヒトばっかり。
ナカには、奥さんとか、若嫁はんの付き添いツキで来たはるヒトも居たはるやないですか。
そんな状況やから、すんなりとは近づけません。
これはイカン。一息付けるため、建物のナカに戻ってしまいました。
腰掛けもあるし、灰皿もある。兎に角、気分を落ち着けんとイカン。タバコなんかを吸いながら、しばし、思案です。
場違いみたいな感じやしなあ。
ベツに、イマはどおもナイしなあ。
無理して、受けんならんこともナイしなあ。
そやけど、申し込んでしもたしなあ。
もお、来てるんやしなあ。
タダやしなあ。
一息入れるだけのつもりが、タバコも、二三本吸うてます。
指定の時間は、そろそろです。
まあ、来たはる人数も、そんな沢山ではナイし、焦ることもない。
そやから云うてねえ、強制されて、申し込んだんと違う。自分で市役所まで行って、申し込んだんやしなあ。
案内書には、「ガンにもつながる前立腺の病気」「早期発見早期治療」とか。
せっかくやし、看て貰ても損はナイしなあ。
そんな具合に自分自身を説得さして、検診車に向かいました。
(99/06/06)
亀岡市が発行してる市民新聞に、こんな案内があったんです。
50歳以上で、国民健康保険に入ってたら、タダで前立腺検査をしてもらえる。
タダやし、申し込みました。
ナニか心当たりがあるんかいな。
ハイ。小便が、ちょっと近かったんです。クレグレも、過去形です。
もう、10年近くマエに、小便がやたら近い時期がありました。
出張で、新幹線で岡山へ。乗車時間は、僅か、1時間程度やのに、3回くらいトイレへ駆け込みました。
夜中も、朝、起きるまでに一回はトイレへ。
あまりに近いので、南丹病院の泌尿器科へ行ったんです。
そしたら、夜中一回くらいやったら、正常です。寒い時期やから、冷えたんと違いますか。そんな診断でした。
それで、ホッとしてしもたんか、以降、トイレも普通に戻ってしもたんです。
まあ、小便が近かったんは、冬の時期でして、泌尿器科へは、春先やったこともありますけどねえ。そやけど、以来、冬場も大丈夫になりました。そしたら、アレはナンやったんやろ。
そんなことがありましたから、兎に角、タダというので、申し込みました。
場所は「ガレリアかめおか」という名前の「生涯学習の広場」。
これだけでは、ナンのことかワケが分かりませんねえ。
正直云うて、ナンの目的で作らはったのか、殆どのヒトは知りません。
亀岡の市長さんが、勝手にやらはったとか、ワケの分からん、ヘンなモンを造るくらいやったら、総合病院のホウがよかったのに。とかとか、ハナシはありました。
そんなことで、亀岡市が計画して、やったんですけど、「生涯学習の広場」て、ナンのことか。
昭和63年に、亀岡市は、「生涯学習都市」にすることを宣言してます。
亀岡から、思想家、石田梅岩が輩出したとかです。
その石田梅岩と、生涯学習にナンの関係があるのか、とりあえず、庶民教育に努力したからでしょう。
昨年11月の文化の日に竣工式があって、国道九号線沿いに、ガラス張りの得体の知れん建物が出現してます。
それで、どんなもんか、入場はタダやし、二回ほど行ってます。
ナカには、パソコンを20台ほど、設置した部屋があって、小学生くらいの子供さんがお姉さんに教えてもろて、ナニやらやってました。ナンのソフトかいなあと、見たら、「駅すぱあと」とか、ペイントソフトで絵を描いてます。イヤ、部屋はガラス張りやから、ソトから見えてるだけ。
そのパソコン教室が、「梅岩塾」。これで、一応、主旨を通してるんやなあ。
ホカには、図書室、大広間、喫茶部、等々、何処が通路で、何処がナニと云うこともナク、アクセサリーとか、小物とか、展示とか、イロイロです。
大広間では、FMの、アルファーステーションもやったました。
研修室とかもあって、要するに、多目的センターなんやねえ。
ついでに、ゲートボール場まであって、大会があるとかで、母が時たま、使てます。
前立腺検診は、ここに集合になってました。
(99/06/05)
冬場でも多少は居ました。
高校生くらいの少年がタムロしてるのです。
JR嵯峨嵐山駅前のハナシです。
寒い夜更けに、ナニやら、おハナシをしています。それだけのことです。
段々、暖かくなって、そんな連中が増えて来ました。
それも、ナニやら、おハナシをしています。それだけのことです。
自転車をソバに置いてるし、多少邪魔やなあ。
ナニを毎日喋ることがあるのかなあ。
別段、お酒を飲んでるわけでもナシ、タバコを吸ってるワケでもなし。
余所のヒトにチョッカイを出してるワケでもナシ。
4月くらいから、女の子の数人が出没し始めました。それはそれだけで、おハナシしてます。
こんな夜更けにナニしてるのやろ。
夜更け。夜、8時からチラホラで、11時くらいまでやってます。
雨でも降らん限り、JR嵯峨嵐山駅前は賑やかなもんです。
イヤイヤ、小雨ならやってるんですよ。傘もささんと。風邪引くで。
ナンデでしょう。こういうのは、亀岡の、当家、最寄りの駅、並河にもあります。
人数は、2〜3人で、多くはありません。田舎ですからねえ。
高校生か、社会人か、知りませんが、ナンデ、これくらいの年齢層は、こんな駅周辺が好きなんでしょう。
そして、嵯峨嵐山駅ですけど、5月くらいから、バイクが参加し始めました。
これは五月蠅い。
ブーブー、ガリガリ、ヘルメットもせんと、50ccで二人乗りです。
駅周辺を、噴かして、噴かして、ウットオシイヤツです。
それも、それだけで、ホカのヒトにチョッカイを出してるワケでなし。
そやけど、バイクは五月蠅いし、運転も荒っぽい。夜も10時くらいから、数も増えます。まあ、3台ですけど。
それが、本日、大人しい。音が聞こえません。
おかしいなあ。病気でもしたのやろか。怪我でもしたのやろか。
真面目に、勉強でもスル気になったのやろか。
まさかなあ。キュウにそんな気になるはずがナイ。
10時頃、帰宅するため、嵯峨駅前を見たけど、その少年グループがダレも居ません。
何処か、ホカに移動したのやろか。
JR嵯峨嵐山駅には、トロッコ列車と、ランセンターがあります。
そのマエの通路の端には、トロッコ列車の乗客が、昼間、自動車も停めてます。
夜はナイのです。
ところが、その通路のド真ん中に、エラソウにクルマが停まってます。
邪魔なヤツやなあ。少しは端に停めたらエエのに。
ヨオ見たら、パトカー。
暗いし、分かりませんでした。
ナカに、一人。そして、少し離れて、もう一人。
アア、これかいな。それで、ダレも居てないのや。
(1999/05/18)
48.銭湯のハナシ(4) 銭湯の思い出 by 結城
高校生のころ、母と二人暮らしアパート住まいでした。
そのアパートには風呂が無く、当然、銭湯に行っていました。
当時、高崎市の竜見町というところに住んでいました。市街地から歩いて15分くらいの閑静な住宅地といった感じのところです。
家も密集しているところで、お風呂やさんもそれなりにありました。今思い出しただけでも4軒。
現在でも営業しているのはたぶん2軒。いや、1軒かもしれません。
もうあの辺りもだいぶご無沙汰しておりますのではっきり分かりません。
当時4軒有りました中で良く行く銭湯が2軒ありました。
1軒は番台に中年のおばちゃんがいつもいる店。
とても明るい雰囲気の銭湯。名付けて〈竜見湯〉です。
もう1軒が今回の話の銭湯です。
脱衣場が広く、先の銭湯より少し暗い感じでした。名付けて〈若乃湯〉。
両方正式な名称は忘れてしまいました。
確かこのような名前ではなかったかと。
竜見湯はきれいですし、シャワーも使い心地がよいのですが私は若乃湯の方へ行きました。若乃湯の方が遠いのですけれど。
私が若乃湯へ行くには理由がありました。
ご存じでしょうか。
当時〈日活ロマンポルノ〉が全盛期。(昭和50年あたりのことです。)
加えて外国物ポルノ映画専門の映画館もありまして、町のいろんなところに女性の裸のポスターが貼ってありまして、大変問題になったものです。
私も道を歩いているときなど、わざわざ見ない振りをして通り過ぎながらチラッと見た経験があります。
辺りに人がいなければ、少し余裕を持って見ることが出来ました。それだけで満足したものです。
少し逸れましたがそのポルノ映画のポスターが例の銭湯の脱衣所に所狭しと貼られていたのです。
ですから若乃湯へ行くのが楽しみなのですね。毎日でも行きたいくらい。
ですが、母と一緒の時は竜見湯。当時お金もなかったせいか、銭湯も毎日は行けなかったように記憶しております。
若乃湯へポスター目当てに行くのは良いのですが、困った問題がありました。
それは、女性の裸のポスターを見ることで自分の分身が反応してしまうことです。
今思い出してみればナルホドと思うところですが、高校生といえば血気盛んな時代です。
そうなるのは当たり前ですね。これには子供ながらに困りました。どう対処したらよいのか。ポスターは見たい。でもその状態のまま裸になるわけにはいかない。タオルを腰に巻きましてもテントを張ってしまいます。
とても恥ずかしい状態を何度か経験しました。そこで私が編みだした方法は、最初脱衣所ではポスターを見ないようにする。出来るだけ早く脱いでお風呂に入ってしまう。そして風呂から上がったらゆっくり見る。でした。
ですがこれは上手くいきませんでした。若い体は正直で、もうそこの脱衣場に裸のポスターがあると考えただけで反応してしまうのです。
暖簾をくぐる前からそれだけを想像している自分がおりました。
こうなってしまったら、もうお手上げです。別のことを考えて時を待つしかありません。
当時一世を風靡した田中真理さん。〈団地妻〉の白川和子さん。
それと何といっても洋画ポルノの第一女優、サンドラ・ジュリアン。 第一とは私が言っているだけのことですが。
このサンドラ・ジュリアンは当時田舎の映画館でも2・3本上映されたと思いますが、思春期の高校生の私の女性像に大いなる影響を与えました。
今でもポスターに映った姿はぼんやり覚えています。大急ぎで体と頭を洗って、脱衣場にもどり、腰にバスタオルを巻き、イスに腰掛 け、フルーツ牛乳を飲みながら目の前のポスターをながめる時間は至福の時でありました。
その時、当然、自分の分身も大変喜んでおりました。
彼女もいない、ですが楽しい男子高校生活の思い出のひとつです。
かなり早い時期にこの銭湯は取り壊されてしまいました。
高崎公園のすぐ裏にありまして、その後もこの公園に行くときになど通るのですが、当時の薄暗い脱衣所の雰囲気や、サンドラ・ジュリアンの姿態がフッと頭をよぎるのです。
(99/04/08)
47.銭湯のハナシ(3) 不可思議なハナシ
銭湯での、不可解なおハナシです。
とは申しましても、銭湯でのことですから、そんな、妖しげなハナシではありません。
ヒトによったら、オマエもアホやなあ。ナニをそんなクダランことを、イツまで考えてるのや。
そう、云われてしまうかも知れませんけど、今だに判らんと申しますか、時々、このことを、フッと思い出しては、真相は、ドウなんやろと、考えてしまうのです。
兎に角、銭湯で、こんなことがありました。
私が、まだ、母と一緒に女風呂に入ってた頃です。
銭湯に、何処のお方かは知りませんですが、お母さんと、その娘さんが来られてました。
そのお母さんと思われる人が、娘さんの体を丁寧に洗っておられるのです。
お母さんは、特に、娘さんの足を丹念に洗っておられたように記憶しています。
いつも、そうなんです。
何が判らないのかと申しますと、その娘さんは当時20前後の年齢で、別段、体がご不自由とか云うことも無かったのです。
一人で服も脱いでますし、普通に歩いてますし、浴槽にも一人で浸かってました。
内容までは聞いてもいませんが、普通に喋ってます。
要するに、世間一般の、普通のお母さんと、娘さん。娘さんなんか、自分でナンでも出来るハズです。
親子というのは、その会話のニュアンスから、判断してました。
当時の私からしたら、こんな、お姉さんが、ナンデ。と云うことになります。
何処か、体がご不自由とか、怪我してるとか、ワルイですけど、知能がドウコウとかやったら、私の頭のナカで、解決していることです。
顔立ちとか、そんなことは記憶にありません。私自身が、そんなことを意識する年齢ではナイという以前に、私の興味は、その洗ってもらってる娘さんの状況にあったのです。
娘さんは、平然と、しかも気持ち良さそうに、そのお母さんに身を委ねて、洗ってもらってるのです。まるっきりの、赤ちゃんかと、そんな感じなのです。
ただ、足だけは記憶にあります。ホッソリと、キレイなことは分かりました。
ところがです。その娘さんが、お母さんの背中を流すとか、そんな行為は、一切、見たことありませんでした。
当時の私の常識では理解出来ない光景です。
お母さんらしいヒトは、娘さんを丹念に洗てから、自分の体を洗ってました。
ですから、「ナンデヤロ。」というのが、私の素直な印象です。私みたいな子供でさえ、近所の悪ガキでさえ、自分の体くらい自分で流してます。
むしろ、親から洗われるのはイヤでした。
「余計なことせんでも、自分で出来る。」
そんな年代です。
何処のダレかも知りませんし、知らんヒトに、「ナンデ。」と聞くほどの度胸もありません。
意を決心して、私は、母に、「ナンデヤロナア。」と、尋ねたことがあります。
答えは、
「キレイな娘さんやからとちがうか。モデルさんとか、女優さんとか。」
と云うことでした。
それで、足だけ、記憶にあるのかも知れませんが、そんな答えに、納得してませんでした。
汚いとまでは申しませんが、眼を見張るような、そんな、キレイな娘さんやったら、キレイなお姉ちゃんやのにとか、少しは記憶にあるかも知れません。
いつか、当人に聞いてやろうと思いつつ、私も年頃になって、女風呂には入らんようになりました。疑問は疑問のままです。
マア、人によったら、お嬢様と女中さんと違うのかと云うかも知れません。
しかし、そんな、女中さんまでおられるお金持ちのお屋敷に内風呂がないというようなことは、ナイでしょう。
それやったら、たまたま、お宅のお風呂が壊れてたのと違うか。
それも、ありません。このことに気付いて、ナンカイ、その様子を見たことか。
それとも、お母さんの趣味やで。そう云われれば、それは、そうかも知れませんが、私への説得力は乏しいのです。
なんでやろ。どういうことやったのかなあ。
これからも、解けることのない、解けたところで、ナンの意味もナイ、私の謎の一つです。
その娘さん。云うても、ハヤ、還暦くらい。
ご尊顔を拝せても、シツレイながら、美醜の判断が難しい。
(99/03/29)
46.銭湯のハナシ(2) 人のふり見て、わがふり直せ
私が京都に住んでた頃、通てた銭湯。普通には「風呂屋さん」と呼んでました。
「白山」と云う屋号でした。
何処の銭湯でもそうやけど、暖簾をくぐって、扉を開けると、そこに、番台があります。
番台から、サキには、脱衣所があって、そのサキに、浴場がありました。
「白山」には、浴場への入口の真上に、絵が描かれてたのです。
その絵は、扉を開けると、スグに見えますし、脱衣しながらでも見えます。
絵には、「人のふり見て、わがふり直せ。」と書いてあったのです。
銭湯では、殆どのヒトは、自然に、それを見上げてたものでした。
他人が脱衣したはるのを、見てもしょうがないしねえ。目線も、そっちに向けてるホウが、無難です。
どんな絵かと申しますと、幾つかの事例を絵で示したものです。
美しく長い髪の毛のご婦人が立ったまま、桶の水を肩から掛けてるのです。
その水を、側を通りかかった子供が、頭から被ってしもて、子供がしかめっ面して、ご婦人を見上げてる様子。
ご婦人は、そのことに気付いてません。
立たったままで、掛け湯をすると、そんなことがあったり、水が跳ねて、他人に掛かったりして、近所迷惑ということです。
子供が浴槽で泳いでます。そのとき、足で跳ねた水が、お年を召したご老人の禿頭にかかった様子。勿論、子供は、そんなことには、気付いてません。
浴槽内では、泳ぐなということです。
次に、2.3人の子供が浴室内を走りまわってます。そのウチの一人が、たまたま置いてあった石鹸を踏んで、滑って転んで、泣いてる様子。
浴場内では、走り回るなということです。
そして、誰だか判りませんが、洗い場に、桶が置いたままになっているので、そこを使てエエのか、その桶もエエのやろかと、困ってる様子の成人男性。
男性は、それを指さして、周囲を伺おてるのですが、ダレも知らん顔。
これは、使い終わったら、桶置き場に戻しなさいということです。
入浴客が集中する時間帯は、洗い場も、桶も、不足することがありました。
今度は、脱衣した服を入れようとした脱衣籠に、蚤かなにか、小さな虫が飛び跳ねてるので、ビックリしてる成人男性。
まあ、蚤なんか、簡単に見えるものではありませんが、衣服を清潔にしといてくれと云うことでしょう。
実際、こんな事例とオナジことは、山ほどありました。
掛け湯もそうです。立ったままやってるバカが居てる。子供は、走る。泳ぐ。桶は、置きっぱなしやった。蚤だけは、経験ナイなあ。
そやけど、子供でのおても、広い浴場やったら、泳ぎとおなる。
エエ歳して、それはねえ。とは思うけど、迷惑の掛からん範囲やったらとか。
「人のふり見て、わがふり直せ。」
自分では気が付いてないことでも、何処かで、誰かが迷惑してることがある。
それは、他人の無神経な行動で、自分が迷惑したら、ただただ、その人を攻めるだけでなしに、自分もよく似た行動をしてないか。してたら直しなさいという教えです。
簡単そうですけど、実際にはなかなか難しいことです。
私なんか、聖人君子でもあらへんし、そういう無神経なヤツを見たら、すぐ、ムカッとしてしまいます。
そういうとき、この言葉を思い出すことが出来たらエエのやけど。ナカナカ。
(99/03/28)
45.銭湯のハナシ(1) 料金のハナシ
近頃の子供は銭湯に入るとき、海水パンツをはかんと、入らとか、テレビでやってました。
修学旅行でも、そういうことがあるようです。
新興住宅、マンションなんか、内風呂が常識になって、赤の他人と、真っ裸で入浴する経験が無くなってるからと、解説してます。理由としたら、分からんことはナイけど、ホンマカイナ。
そんな事例があるとしたら、その親も海水パンツかなあ。そのお爺さんも海水パンツ。
銭湯に、海水パンツを持っていくこと自体、子供の発想ではナイ。親が準備してるのやろ。
そんな、海水パンツ云々はオーバーと云うのが私の見解。温水プールやあるまいしねえ。
私も、内風呂になってからでも、銭湯に行ったことがあります。
二回だけやけど、海水パンツをはいた子なんか、見たことありません。
銭湯に行く子が、そんなこと、気にするワケがナイけどなあ。
息子連中も、一緒やったけど、普通に入ってました。内心までは計り知れませんけど。
そもそも、銭湯に海水パンツで入ったら、かえって、目立ってしまうなあ。
仮にそんな子が居たとしたら、可哀想と云うのと、そんなイビツな教育をしてる親はどんなヤツかいなあと、そっちに興味が向きます。マズ、親が、海水パンツをはいてるかどうかです。
私は、京都に住んでたときは、内風呂はナイし、ズーッと、銭湯です。
生まれてから、25歳くらいになるまでです。
京都の下京(下京と云うても、四条堀川の近くやから、中京との中間地点ですけど)で、過ごしました。
その当時、内風呂があったら、お金持ちのお屋敷程度に思ってました。
私ども貧乏人の小倅は、銭湯です。貧乏人の方が圧倒的に多いハズです。
銭湯に入るためには、当然、お金が必要です。
まあなんと申しますか、ほぼ一週間に一度くらいしか行けませんでした。夏は、勿論、行水。
そもそも、銭湯に行ったかて、まともにお金を払うヤツなんか居てません。
無銭入浴するのとは違います。番台には、監視が居るのやからねえ。
要するに、料金体系が、小人(小学生まで)、中人(中学生から高校生程度)、大人(それ以上)くらいの分類がありました。
中学生になっても小学生料金。高校生でも、何回かは小人料金しか払わんかったのです。
大学生になって、ようやく、中人料金。
社会人になって、ショウガナイ、大人の料金。稼ぎがあるのやし。
勿論、番台のオッサンは、私らの年齢くらい、見当付いてます。
そんな料金しか払わんかっても、ナニも云わんかった。こっちも、当然みたいな顔してました。
アカンて云われたかて、帰るワケにもイカンしなあ。それだけのお金しか持ってないのやし。
銭湯には、普通の風呂、水風呂、電気風呂、泡風呂がありました。
たいてい、友達なんかと会うし、一時間くらいは軽いもんです。
今は、せいぜい5〜10分程度。喋る相手も居てないし、浪花節も台詞は知らんし、チャポンでオシマイ。
当時、銭湯は、歩いて行ける範囲に三カ所もあったのに、十年マエに一軒が廃業して、五年マエ、更に、一軒が廃業とかです。
とうとう、一カ所だけになったと、風の便りで知りました。
銭湯には、イロイロ、想い出があります。
(99/03/24)
去年、中学時代からの親友が、その子供さんを私立中学校に通わせると云うてた。
私と同じ歳で、その子供が、中学というのは遅いみたいやけど、再婚です。
「そやけど、中学から、私立やて、エライ、金持ちやなあ。」
「そんなんとチガウ。今の公立中学は無茶苦茶なんや。
イジメはあるは、センセイはダラシナイは、盗難まであるらしい。
そんな処へ子供をやったら、エライことになる。」
「ホンマかいな。」
「もう、時代が違う。自己防衛せんとアカンのや。地区にもよるらしいけどなあ。」
彼のハナシによると、公立中学校は、野放し状態で、荒れてる。
私立でイジメ、盗難があったら、一発で生徒が集まらんようになる。校則も、厳しいらしい。
とは云うてもイジメは、ハヤリやから、多少はアルやろけど、多少なら、仕方ナイ。
そんなハナシやった。
イジメ、盗難、シツケのことではナイ。
京都でもナイし、中学校でもナイけど、3月1日、広島の世羅高校の校長先生が、「国旗掲揚国歌斉唱」で、日教組と教育委員会の板挟みになって、自殺された。
これをキッカケに、国旗と国歌を法制化をするとか、イヤ、まだ早い(日教組)とか。
早いて、何時やったらエエのやろ。
兎に角、低次元の議論が交わされてる。
その分、学校の先生が、心配になる。こんなんがセンセイかなあ。
一般常識が理解出来てない。
まさか、日本に住んでるのに、ユニオンジャックに、三色旗やとか、星条旗を、日本の国旗ですと、答える人はナイでしょう。カッコはエエけど。
ただし、国旗も国歌も、イランと云う人はアルかも知れん。
あるいは、過去にイロイロあって、日本の国旗に嫌悪観を抱く人もアルのやろ。
軍国主義の復活て、寝ぼけたことを云う人もアル。
この連中は、それだけやなしに、天皇がドウコウ云うてるけど、天皇一家も、それなりに外交官として働いたはる。
それはそれで、仕方ナイ。色んな考えがあるのは仕方ない。
それで、国旗、国歌が不要(押しつけ)と主張するのは、短絡に過ぎる。ダダッ子の議論。
ダダッ子には、ナニを、どお云うてもアカン。奇妙な理屈を振り回すだけで、議論が噛み合わんのや。
もしかしたら、原因はホカにアルのやないか。そうやとしたら、それをハッキリ主張するべき。
「学習指導要領」が気に喰わん。待遇が悪い。
それで、手を換え、品を換え、イヤガラセしてるとしたら、教育者として失格。そっちの本題を主張するべき。
もっと、怖いのは、こんなセンセイを育成した環境そのもの。
そのセンセイが、又、そういう思想で、若い子を教育するという恐怖。
それほどに、日本の教育現場が荒んでるのやろか。
ただ、この日教組なる組織は何処の国の住民で、何処の国の若人を、将来、ドンナ具合に育てようと計画してるのか。それを問いたい。
つまり、彼らの理想とする、教育像はナニか。そこを明確に示して欲しい。
正確な報道とはチガウと思うけど、ナニか、言葉が脱落してるとは思うけど、何処かの政党のエライさんが、
「今の国旗は、時代に相応しくナイ。」
それがホンマやったら、アホや。
国旗を流行で換えるのか。今やったら、三色旗やなしに、「だんご三兄弟」か。
そんな旗が、オリンピックで掲揚されたら、選手が泣く。世界中が、プッと、吹き出すで。
愛知県の「日本教職員組合(日教組)」のHPにこんなんがあった。おもしろいので紹介する。
卒業式をフロアー式(対面式)にかえることに伴って、ステージ正面から日の丸が無くなった学校が多くなってきている。
運動会でも、日の丸の掲揚をやめさせた。君が代の曲を流さなくなった。
児童が日の丸を持って、行進することが廃止された。など、少しずつ前進している。
教育委員会は、国旗掲揚、国歌斉唱を「望ましい」から、「指導するものとする」と云う表現で、締めつめを強化してきた。
日の丸、君が代を国旗や国歌として定めた法律はない。
法律で定められてない以上、日に丸、君が代を、国旗、国歌とするかどうかは、思想信条の問題に属する。
教育の場で、国旗や国歌でないものを、そうであるかのように扱うことは、真理を教えるという教育の最も重要な使命に反する。
未来を担う子供達のために、職場の議論を起こし、父母をも巻き込みながら、日の丸、君が代の強制を跳ね返す闘いを広げていきたい。
だからこそ、現場の教師たちは、良心を痛め、当惑しているのである。
まあ、そういうことです。
こんなんが、センセイとして、教壇に立つのを想像しただけで、日本のサキは暗い。
(99/03/16)
43.臓器移植問題(8)
<削除>
「臓器移植問題」のマトメです。
「脳死」判定方法そのものが、まだ、確立されてナイのではないか。
二回目の脳死判定は、「脳波測定」の感度をあげたとか。そのこと自体が、確立されてないこといを物語ってます。
「感度」というのは、重要な測定条件です。それを変更するというのは、判定基準を変えることを意味します。
アメリカでは、日本が上げたと称する感度で、30分間、継続観測するらしい。
これは肝心なことやし、ISOやないけど、しっかり標準化しといて貰わんと困ります。人の生き死にの問題やから、尚更です。
医者、病院、測定機器によって、多少のズレがアルのはしょうがないけど、判定基準は統一せんとイカン。
更に、「計測」というのは、単純に、感度を上げたらヨイというモンでもナイ。
測定精度が上がったらエエみたいに思うけど、感度を上げたら上げるだけ、周辺のノイズも拾てしまう。
うがった見方をしたら、測定機器の感度を低くするというのは、わずかな脳波は無視することを意味する。つまり、「脳死」であるという判定がやりやすくなる。
ただし、感度を上げると、「脳波測定器」の近辺から、ノイズ発生源(電源とか、計器、装置)は、遠ざけて、アースもキッチリせんと、ナニを計ってるのか、分からんようになる。
感度を下げたら、測定者は、そんな配慮はせんでもすむけど、患者ご家族にとっては、「死」の宣告を待つだけになる。
病院では、携帯電話を切りなさいと云うのは、そういうことも意味してる。
それでも、アホは携帯で、長電話しとおるけど。
それはそれとして、当家でも、この問題をハナシしてたら、母(76歳)が、
「私らみたいな年寄りやったら、臓器、あげる云うたかて、イランて、断られるのとチガウか。
胃はナイし、腎臓も片方やし、アルモンも、もう、使い古してるし、何処が使て貰えるのやな。」
そんなことを申しました。
サキの「日本臓器移植ネットワーク」のHPによれば、臓器提供者は、
「70歳以下が好ましい。」
と云う表現があった。それ以上は、ダメとはしてない。
ヒンシュクを買うやろうけど、実際問題として、そんな年寄りの臓器を提供されてもナア。
回復したらしたで、何時まで持つのか、そっちの心配したりして。
逆に、エエ歳した人が、若い人の臓器を移植されたら、どういうことになるのやろ。それはそれで嬉しいやろなあ。若返れて。
移植した臓器だけが、ホカのより、過剰にゲンキでも、バランスが崩れたり、死ぬに死ねんようになったら、コマル。勿論、冗談やけど。
実際、移植されやはるのも、若い人が優先かなあと思てたら、70過ぎの人が角膜の恩恵に預からはった。ただ、角膜は、「脳死」にも、寿命にも無関係。
人間の寿命でも、機械とか、電気製品でもオナジやけど、その部品のうち、一番ダメなヤツで決まってしまう。
それがイカれて、ダメになってしまう場合と、その結果、主要関連部品に付加が掛かって、ダメになったり。
こういうのは、下手したら、廃棄して、新しく買おたほうがエエ場合もある。
人間は、そうはイカン。
イカンけど、入れ歯とか、人工骨とか、一部は造り出すことが出来るけど、今のところ、心臓とか、腎臓とか、主要部品はアカン。
アカンけど、人間の「臓器」も「部品」扱い。部品には、お金が絡む。
今回の摘出、移植の費用は「億」の金額らしい。
健康保険、「日本臓器移植ネットワーク」も負担するらしい。
摘出された臓器も、移植先は分散された。
それでも、一件あたりの移植費用は、平均200万円程度とか。
すると、将来の可能性として、お金がナイと、移植して貰うことも出来ませんとか、そういう自体もあるかもしれん。
「200万円です。調達出来ますか。アトがつかえてますから、即答でお願いします。」
患者さんにお金が調達出来んかったら、臓器はヨソへ回ってしまう。
実際問題、臓器移植は1年と4ケ月で、初です。それが待てへんし、自費で渡米して、移植する人もある。これも、無一文では出来ません。
下手したら、お金だけやなしに、高名なお人が優先とか、それがあってもイカン。
もっと、問題は、「臓器」を欲しいがために、充分、蘇生の可能性があるのに、生命維持装置をハズされて、解体されてしまうこと。
事実、そういう、疑わしい事例も、あったらしい。
たまたま、「脳死」問題で、主要「臓器」だけが問題視されてるけど、サイボーグみたいに、「皮膚」から始まって、「毛髪」「血管」「神経」「骨」「指」「手」「腕」「足」とか、ミナ部品扱いになる可能性がある。
こういうのは、「脳死」で無かってもカマヘン。怖いことやねえ。
(99/03/04)
今日は、「お雛さん」やと云うのに、引き続き、とりとめものないハナシ。
マンがワルイ、とか、ヨイとか。そのマン(間)について。
まさしく、マンの問題があるのか、私は、親族の臨終には合おたことがない。
親族と云うても、イロイロあるけど、基本的に、同居親族とか、扶養親族の意味。
順番には妹です。産院で死んだ。私は幼稚園マエの年齢。
産院は家から、一分程度やから、毎日、覗きに行ってたのにねえ。
次に祖母。
当日も、朝、祖母に、「行って参ります。」と挨拶して、会社に出勤。
祖母は数ヶ月マエから、寝たきりの状態で、こっちに顔を向けて、頷く程度。
もう、話しかけても、殆ど、声を出すことも無かった状態。そのときも、私には、頷いたように見えてました。
実は、その朝の挨拶のときには、死んでた可能性がある。私は、いつもと変わってナイと見てただけ。
会社に着いて、しばらくしたら、家から、電話があって、ビックリして戻った。私が24歳の頃。
お医者さんのハナシでは、心臓が強かったし、ここまで持ったということでした。
親父の場合も、そうです。
私は、当時、足の骨折で、入院中。とは云うても、接骨金具を取り外す手術の段階やったけど、その前日は、病院を外泊で、戻って、親父と合おてた。足の爪を切ってやるとか、トイレにつきあうとか。
親父も、足を骨折(75歳で骨折。他界80歳。)してましたから、その分、動作は緩慢やったけど、普段とさほど、変わってることもなく、まあ、元気なモンやった。
病院に戻って、ベッドで寝てたら、翌日の早朝(5時頃)、家から電話があって、
「危篤。スグ帰れ。」
早速、自宅に戻ったら、計ったように、妹の婿はんから電話。
「兄さん。もう、先生が二時間も、人工呼吸してくれたはるんですわ。
そやけど、それを止めはると、心臓が止まるんですわ。
先生が、どうしますかて、聞かはるけど、ワシがそんな判断するワケにイカンしなあ。
兄さん。どう返事したらヨロシイ。」
よう考えたら、ナンデ、妹の婿はんが、親父の入院先に居てたんやろ。今の今まで、そのことに、気が付かんかった。アトで、聞いとこ。
そのハナシに戻る。
「分かった。次、先生がそう聞かはったら。もう結構ですて云うて。
スグ行くけど、そこまでは一時間くらい掛かる。すんません。」
そこは、黄檗病院。亀岡からでは、一時間でもしんどい。
ナンで、黄檗病院かとか、そんなことは、ここでは伏せる。
私が、病院に着いたころは、もう、他界してた。前日の様子がウソみたいで、唖然とした。
親父の場合は、肺が弱かったけど、心臓は強かったようや。
まあ、祖母にしても、親父にしても、心臓が弱かったら、80そこそこまでは生きてられへん。
それ以外にも、別居親族とかがあるけど、勿論、その瞬間に立ち会おたことがない。
ところが、不思議なことに、その直前には、数年ブリに、道でばったり合おたり、病院にお見舞いに行ったり。元気な場面で、普通にハナシをしてる。
病院で、
「元気、ゲンキ。思てたよりゲンキで安心した。これやったら、大丈夫。」
気休めではナシに、本当にそう思て、安心して、オイトマしたら、電話。
「ウソー。あんなゲンキやったやないか。」
私はそんな具合やけど、この婿はん。自分の親父さんのときもシッカリその場に居たようや。
婿はんのマンと、私のマンが、チガウ。
婿はんも、「臨終」に、好んで、立ち会うつもりはナイやろうけど、そのマンやと思うのです。
この高知の件でも、対象となった女性の婿はんは、好むと好まざるに関わらず、結果的に、嫁はんの「死」に立ち会われたのやなあと思ったワケです。
そういう、とりとめもナイことを考えてしまいました。
(99/03/03)