不可思議の世界NO.1

京都・亀岡の良く当たる占い師の話

京都でよく当たる占い師は?
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題目一覧表 お問い合わせ状況 三栖神社・炬火祭

目次

不可思議NO.2

20.仙人のハナシ(3)

19.仙人のハナシ(2)

18.仙人のハナシ(1)

17.超能力

16.有限会社ライフ・スペース(3) 定説と定義

15.有限会社ライフ・スペース(2) 事件の経過(2)

14.有限会社ライフ・スペース(1) 事件の経過(1)

13.初詣の縁起

12.続.占いの話(5) 守護霊

11.続.占いの話(4) 私の霊体験

10.続.占いの話(3) 或る儀式

9.続.占いの話(2) 先生のご到着

8.続.占いの話(1) 家具の配置換え

7.占いの話(7) ツイデのハナシ

6.占いの話(6) 結果はどうなるのやら

5.占いの話(5) 長男浪人で二男要注意

4.占いの話(4) 退職決意

3.占いの話(3) お腹の痛いご先祖様

2.占いの話(2) 何かがあります

1.占いの話(1) 信じる、信じない


1.占いの話(1) 信じる、信じない

「占い」、そういうのを、信じる、信じない。私は、信じたい方です。
狂信的ではないのですが、気にする方です。
若いときは、野末陳平の「四柱推命入門」の本で、頼まれて、ヒトのことまで調べたこともありました。
親父も好きで、此の手の四柱推命、易学の専門書が仰山持ってました。通信教育まで受けた形跡があります。
それ以外の本も含め、人に貸しては戻って来んと、ぼやいてました。文学全集も、立派な装丁のが何冊かあったのに、揃ってるのは無かったです。
叔父さん連中も、勿体ない、モッタイない。貸してもくれんかったくせにとぼやいてました。
私は、置いてある文学全集を勝手に読んだのですが、肝心な部分が欠落してましたし、難しいこともあって、全部は読んでません。
一口に、「占い」と云うても、四柱推命、易学、姓名判断、星座占い、人相、手相、骨相足裏等々、イロイロあるのです。
まだまだ、血液型からの性格。その人なりの縁起担ぎ。相性とか、皆それなりに、無理矢理にでも、根拠があるし、ナニかの「お告げ」とか、恐れ山の「いたこ」さんの霊が乗り移るのもある。
さて、風水の本(Drコバ)の本によれば、亀岡に出雲大神宮がありまして、其処で、今年の干支の金色の「虎」の置物を分けてもらえるらしいのです。
出雲さんには霊水がありまして、それを戴くことに寄り、風水パワーを得られるとされてます。
とりあえず、金の虎でも分けて戴き、正月に嫁はんとお参りに往ったら、沢山の人が、手に手に、ペット・ボトル持ちまして、ズラリと並びその霊水を採てるのです。
そう云えば、近所の奥さんから、霊験あると称するお水を戴いたことがありました。
何処の水かは知りませんでしたが、只、万病に利くとのことでした。それが、多分ですが、この出雲大神宮の霊水やろなあ。戴いたのは、私の母が腎臓の手術で入院した時期でした。
こんな光景を見て、結構、有名なんやなあと思たのです。
我が家から車で十五分程度。亀岡に引っ越した頃の団地のレクリエーションで、その近辺を通過したことがある。
そんな事で、お宮さんがあることは知ってましたけど、本に載る有名なお宮さんとまでは知らなんだ。
霊水が有るなら七草粥にでも入れよかなあ。七日の日、早朝から、雪が降ってまして、凍結も怖かったけど、ペット・ボトル二個を持ち、採りに行きました。時間も早かったから、私だけ。
雪がパラパラ降りまして、妙に神妙になりました。
大学受験を控えた息子にこそは、霊水パワーを戴いて欲しい。予定どおり、七草粥にも入れて、食べさせました。
そのご利益かどうか、二人の息子も無事志望大学に受かりまして、合格のお礼にもお参りしました。
気にならん人にはナンですが、気にする人でもこの程度と思います。これは、「占い」ではナク、験(げん)担ぎかなあ。
「占い」を初めて、観て戴いたのは、大学受験の頃で、母に連れられ、四条大宮の北西の角、映画館の西隣にある、「雀寺(すずめでら)」に往きました。
そこの住職か、当時、六十歳程であったのか、何を聞きにか、私の将来のことで、答えは、
「この方は、希望の大学に受かってます。(過去形で、試験は終わり、発表前。)
貴方は、電気関係です。将来(就職)もそういう関係に進まれるよおですが、本当は半官半民のような所が佳いのです。
兎に角、大きい処の方がよろしい。大器晩成型で、若いとき(就職先では)は不満もありそうですが、歳往けば、いく程、良さそうです。概して、心配要りません。
タダシ、人に使われている段階はダメですなあ。結局は、好きなよおにする人です。先々を楽しみにして下さい。」
その他にも、結婚から、子供のことから。まだ、十八歳ですから、結婚等、そんなサキのことまで、考えてもいてなんだのですが、とりあえず、心配要りませんと云うことやった。
私のオドロキは、住職から尋ねられ、答えたことは、姓名、生年月日だけ。私の質問は、
「将来どういう方向に進んだら佳いのですか。」
大学受験のことについては、私も、母も、聞いてない。年齢的には受験年齢でしたけど、受験したとも、してないとも、聞かれもしてませんでした。
にも関わらず、大学受験の学科が電気関係とは、ナンで分かるのか。もうちょっと広げ、理系程度なら驚かん。
理屈っほい年頃でした。合格する、しないだけなら、確率五十%。
理系、文系なら、更に、五十%。学科までとなると、確率は低くなる。
半官半民やったら、関西電力かなあ。マア、現在までは、概ね、当たってます。
会社は辞めてしもたけど、就職先は関西電力と違たけど、電子関係でした。
「占い」に合わしたわけではナイのです。出来る限り、定年までは在籍したかった。
次は、四十歳過ぎのこと、当時から会社を辞めたかった。
あの、鬱っとおしいヤツは韓国に出向したけど、それ以外にも気に喰わんヤツが居たのです。
こんな部署に居たら、気が狂うぞ。そんなセッパ詰まった気分で一杯で、「雀寺」の住職みたいなヒトが居たはったら佳いのになあ。
そう思てたら、嫁はんが何処からか聞きまして、亀岡に観てくれるヒトがあるらしい。
夫婦で、観て戴きに往きました。嫁はんも、会社を辞めたいと、こぼしてました。
(98/07/25)


2.占いの話(2) 何かがあります

其処は亀岡のイトーピア。
予約をして、嫁はんと一緒に往きました。聞きたいことは、
「会社を辞めたいのですが、どおでしょう。」
先生は、八十歳近いお爺さんで、姓名と生年月日を聞かれました。
「辞めん方が宜しいなあ。近々に何かがあります。」
「私は、辞めたいのですが。」
「まだ、辞めん方がよろしい。何かがあります。」
私の意志とは違うのです。嫁はんは辞めるのに反対で、ニコニコ顔です。
私だけが来たのなら、辞めても佳いと云わはったと、ウソを云いかねん。それもあって、同行したのです。
この件はこれでおしまいで、後は息子のことを観て戴きました。
「長男さんですが、この人は心配ありません。好きなようにさせてあげて下さい。
ドオコオ云うても、ダメです。大きな人になります。運も宜しい。」
「二男さんは、上から可愛がられる人です。堅実にやる人で、勤め人の方が佳いでしょう。」
長男は、すぐに脱線するのです。腹をすえかね、雷を落としたら、一応、直るのです。心配ばっかり掛けやがる。
ソオ云う点では、二男の方は堅実です。どちらかと云えば、安心してられる。
さて、会社の方では、憂鬱な状況は変わらんのですが、ほぼ一年、押さえましたが、やっぱり、我慢が出来ません。
ある時、来週中にでも、何処にでも、余所の部署に異動を申し出て、アカンかったら、退職すると決心した。
ナンで来週中としたのかですが、あるヤツが、あることで、入院してました。ケガ、病気、緊急を要することではナイ。
再来週にも退院予定のため、出社するまでに、申し出ることを決めたのです。
気心の合う同僚にも、喫茶店で宣言して、後へは引けんようにしてました。そんなことは、時々、してたのですが、異動を申し入れるとか、辞めるとか、そんなことを口にしたのはそれが初めてです。その週になって、イヨイヨの時。
「柴田さん。ちょっと、時間を下さい。」
申し出るべき相手が、そう云うた。私としては、佳い機会やし、先方の話のあとにでも、異動か退職かの件を云うてやれ。
別室に入れば以外なことを聞いたのです。
「Yさん(私の大学同期生)から、要望がありまして、柴田さんをその部署に欲しいとSさん(経営幹部)からの話がありました。
すでに、実力充分ですし、資格も取得されていますから、この際、柴田さんのランクも上げてという話も出たのですが、其処のバランスもありますし、とりあえずは、そのままでということになりました。宜しいですか。」
私にとっては、願ってもナイ話です。
「それは、もお、結構なことです。」
心のナカでは万歳三唱。目の前がパッと明るくなりました。ランクなんかどおでも佳い。
同僚にも、報告したのです。
「ヨカッタナア。」
と、云うてくれました。
間一髪。あの先生の、「近々に、何かがあります。」
ほぼ、一年でしたが、その、「何か」があったのは偶然やろかなあ。
(98/07/27)


3.占いの話(3) お腹の痛いご先祖様

その次に観て頂いたのは会社でリストラ絡みのイジメに合おてたときや。
亀岡イトーピアのお爺さんも八十歳を過ぎ、蚕ノ社(かいこのやしろ)に引っ越しされてました。
電話番号と概略の地図を聞きまして、連絡すると家族の方が、
「もう歳ですし、なるべく短時間に。」
とのことでした。
なるべく短時間に。ナルホド、お爺さんも、すかっりお爺さんになっておられました。
生年月日と氏名を訊ねられ、会社のことを聞きますと、右指をジャンケンのチョキみたいにして、ナニかに尋ねておられるようでした。
「まだ、辞める時期ではありません。」
前とオナジ答えです。
「何かあるんですか。」
「イイエ、そういうことではありませんが、今、辞めても仕方ありません。貴方の時期がまだ悪いのです。」
「どういうことですか。」
「貴方の運勢が良いときなら、辞める必要もナイかもしれませんし、辞めても、明るい展望が見えるのですが、運勢が低調なときに動いても何もありません。
まだ、お若いし、もうチョッと我慢されたらどうですか。」
「何時頃から、良くなるんですか。」
「暫くダメです。後5年、そんなものです。それ以降であれば、見違えるほど良くなります。今は、我慢せんとあきませんなあ。長いトンネルの中です。どこへも往けません。
そのトンネルの中で、道に迷ってるようなもんですよ。」
話は終わってしまいました。あんまり、長いのもイカンから、もう帰ろとしたら、
「他に何ありますか。」
まだ、許されるのやったら、息子のことでも聞こかいなあ。
「心配要りません。上のお子さんも、下のお子さんも、心配要りません。
上のお子さんの方は好きにさせてあげて下さい。親がとやかく云うても、聞きません。
下の方は気の優しい、お子さんです。二人共、優しいお子さんですが、特に、優しい。上の人からも可愛がってもらえます。何か手に技術とかを持たせてあげて下さい。」
中身は前のと、変わりません。変わらんと云うことは、当たってると云うことかいな。佳いことですから、親ばかで嬉しいこと。
「で、貴方の氏名と、生年月日。」
又、同じ質問をされました。
「貴方の、親族で、お腹が痛いと云うてる人がありますなあ。」
お腹ねえ。誰やろ。満州で戦死した叔父やろか。
「政次郎ですか。」
「イヤ、その人もお腹みたいですが、違います。」
「亀太郎(父)ですか。」
「その人は胸ですなあ。」
ナンで、そんなことを聞かれるのか。政次郎叔父さんは、私の生まれるまえに戦死してる。戦死の状況は知りません。
叔父さん連中からは、その政次郎叔父さんは、優しいて、佳い兄貴やった。私の親父とは、エライ違いやったと聞いてただけ。
遺品で、満州の白樺で造った、佳い臭いのする棒状のよおな物をお婆ちゃんが大切に持ってました。
親父は軽い結核で、死んだときには肺が破れました。死因としては心不全で、心筋梗塞となってます。お医者さんは、肺のことも話をされてました。人工呼吸しても、息が漏れたのです。
「すゑ(祖母)ですか。」
「イヤ、その人も胸を押さえたはりますが、違います。」
ヨオ分かること。祖母も、結核でした。八十三歳で、昭和四十六年に他界しました。
「そしたら、祖父の亀吉ですか。」
「そおです。そのお人ですなあ。貴方を守ってらっしゃるのは、そのお人です。」
祖父の亀吉は私が生まれるまえに他界してますから、死因までは、知りません。
祖母の話では、トイレで死んだらしいのです。突然で、佳い死に方やったとのことですが、亀吉さんのことは、私の母にでも確認せんと仕方ないことです。
「狐さんが教えてくれるのです。私の耳元でなあ。
これを守護神というのです。私には見えてるのです。言葉は話せないので、身振りで私に教えてくれるのです。」
この部屋にはお稲荷さんが祀ってある。そう云えば、亀岡の部屋にも有ったぞ。そんなことで、祀っておられたのやなあ。時間も大分過ぎたから、帰ろとしたら、
「私も、歳ですからなあ。」
又、帰れんようになりました。
家族の方が、短時間でということで、帰ろ、帰ろとしてるのに、此方が、そんな雰囲気になると、お爺さんが、話をし出されるのです。
「お幾つになられるんですか。」
「私の息子も二人おりましてなあ。
上のはこういうのはダメですが、下の方はやれそうなんです。もお少し時間が要るとは思いますが、見込みはあります。」
「そうですか。何時頃からなら、イイんですか。」
「分かりませんが、ボチボチです。以前は五年前に観たんですかなあ。」
イヤ、私のことを覚えておられた。
「私も、もう一、二年でしょう。」
このお爺さんはにこやかにそう仰た。
「長い時間、お邪魔しまして。」
立とうとしたら、
「ウン、ご先祖様は大切にされておられそうですなあ。」
又、座りなおしです。
「ハイ。出来る限り、家族全員で、月に一回は、お墓参りしています。」
「そうして上げて下さい。大変に佳いことです。ご先祖様は、子孫を大切に見守てくれます。」
これで終わった。
家に帰ってから、祖父のことを母に確認した。
「お腹が悪かったみたいやなあ。よう知らんのやけど。」
そして、年が明け、お正月に家族全員で男山八幡に居る叔父の処へ年賀の挨拶に往ったとき、ついでに、亀吉さんのことを聞いたのです。
「そうやなあ。今でゆうたら、ガンやったんかも知れんなあ。
物が食べられへんかったから、胃ガンやろなあ。」
あのお爺さんの話は正解でした。これで、私の謎が一つが解けたのです。
それにしても、あのお爺さん、凄い人やなあ。私も、胃の方は丈夫ではナイ。
(98/07/30)


4.占いの話(4) 退職決意

その次は、私が退職の決心をしてました。
嫁はんも会社(共働きです)が、ドウコウで、観て戴くことになりました。
退職も決心してたら、観てもらう必要がナイよおなもんですが、不安もあります。とんでもないことがあってもいけません。
お爺さんは引退で、亀岡在住の二男さんになりました。学校の先生をしておられるとか。
当日は雪がぱらついて、寒い日でした。
嫁はんが手配して、車を停める場所までも聞いてました。アパートの一室で表札もナシ。何軒目と聞いとかんと分かりません。
占いのため、アパートの一室を借りておられるようで、生活臭はありません。
二男さんは予想してたより若いのです。大丈夫かなあ。
暫く経って、落ち着いて観察したら、お顔はお爺さんに似てないけど、何となく雰囲気を感じる人でした。
色白で、大人しそうな口調で、眼の状態が普通とは違います。怖いとか、そおではなしに、神秘的な、透きとおった澄んだ眼です。
神職にあるような、眼の雰囲気で、成る程、お爺さんが云うておられたことはある。
やっぱり、生年月日と氏名を訊ねられ、
「会社を辞めよと思てるのです。」
沈思黙考。
「マダ早いとは思いますが、殆ど、ご本人さんは決心されてますねえ。」
もお、カナンなあ。私の心の中を、見透かされてる。
「まだ、貴方の運勢が低調な時期です。あと三年くらい我慢されたらどうですか。」
お爺さんの話と合うのです。ちょっとは、違うことを云うてもらえると、期待してたけど、もお、変える気もナイのです。
「貴方は決心しておられそうですし、当面は充電期間とされてもイイです。
むしろ、再就職とか、その期間はダメです。貴方も、当分、そういう気はなさそうです。」
何もありません。ただ、聞いてるだけ。
「その三年を過ぎますと、徐々に上昇気運に載ってきます。
そおいうことかも知れませんねえ。今の状態で終わる人でもナイようです。運命がそうさせているのかも知れません。」
嬉しいことを、仰って戴いて。
その当時、私の気持ちでは、このまま会社に居ても人間性が卑屈になって、ねじ曲がってしまう恐怖感まであったのです。イヤ、なりかかってました。
もともと、私の人間性は、真っ直ぐです。私自身では、そお思てます。もっと若く、希望に満ちてた頃と、占いをして戴いた頃とでは、立場も状況も違いますけど、そやから云うて、このまま我慢して、ヤレと云われても、抑圧され、気も狂うてかと云う恐怖感もありました。
こんな、ジクジク、ジメジメ、ジワジワと、真綿で首を絞められるのなら、あっさり殺してくれ。
やってる方はそれが目的やろし、快感を抱いてるよおにも見受けられる。
やられてる方は、冗談やないで。丑の刻参りでもしてやろうかいな。黒魔術でもやったろかいな。いっそ、毒殺でもしてやろか。もお、辞める決心してるんや。云いたいこと云うて、殴ったろかいな。
其処まで考えて、黒魔術の本まで読みました。実際には、そんなこと出来ません。家族も居てますし、自分だけの問題ではナイ。
無法国家に住んでるのと違うのです。やる方は唯我独尊の自己中心的なバカでも、組織が絡んでる。こっちの正当性なんか、爪の先もナイ。百人が百人、気持ちは分かってくれても、やった方がアホ。
話を元に戻します。今度は、嫁はんの問題です。生年月日と氏名。
「奥さんの方は。まだ、ご主人の先祖から認めてもらってませんねえ。
貴方の親から貰った名前を使って下さい。そうすれば、認めて頂けます。」
そんなことを云われました。
実は、嫁はんの名前と私の母が同じです。正確には、違いますが、同じ字を使てます。
それで、嫁はんの名前は母が姓名判断で観て戴いて呼び名を変えました。このことは、先生に氏名を伝えたとき、嫁はんが云いました。
それにしても、えらいことです。家に帰ってから、家族にもそのことは伝えましたが、肝心の母がまだ直ってません。困ったものです。
結果、私はその年の五月に退職しました。
五月が親父の七回忌。年会の日には退職届けを出してました。有給休暇中ですから、形式的には、マダ在籍中。
亀岡まで、お寺さんに来て戴きました。松原西洞院の光円寺さんです。
そのあとで、近所の仕出し屋さんの二階を借りて、お膳を出しました。親戚云うても、二人居た叔父も、上は親父の半年後に他界しましたし、その叔母と従妹、下の叔父夫婦。そして、妹一家だけ。
親戚も集まりましたから、佳い機会です。挨拶のあと、私が退職したことの報告と、嫁はんの呼び名を元に戻して欲しいと頼みました。
そして、型どおり乾杯して、暫く食べたり、飲んだりで、ちょっとアルコールも回った頃、叔父がトイレに立って、戻って来ました。
叔父は、私の側に近寄って、いつも、物静かな叔父が、
「タケチャン、よっぽど、辛かったんやなあ。」
叔父の方を見たら、眼を真っ赤にして、涙を流してくれてます。私も報告するときは平静を装ってただけ。正直云うて、涙を流しました。
まだ、退職届けを出して、三日と経ってないのです。その明くる年、その男山八幡の叔父の処へ、年賀の挨拶に往きました。
嫁はんの呼び名のことも、ちゃんと、覚えてくれてましたで。
(98/08/01)


5.占いの話(5) 長男浪人で二男要注意

去年の二月のことです。
長男が七箇所の大学受験で、一つは合格しましたが、悉く、ダメ。その一つも、偏差値からはこんなレベルとした処で、本人は、受ける気も無かったけど、全部を滑ってしもたら、実力の程も分かりません。同じアカンでも、何処か一カ所でも合格しといたら、蹴ったと云える。少しは自信にもなるし、受けときなさいと、受けさせた。
それ以下の偏差値の処は、他にもあるのかと、寂しい状態。本人には失礼やけど、偏差値からは、大学進学の資格もあるのかなあ。
もっと云うたら、やることやってない。熱心に日課でやってることは、テレビ・ゲームだけ。
受験勉強みたいなもん、何時やってるのか。それで、大学受験やて、ヨオ云うなあ。おそらく、浪人しても、そう簡単に学力向上するもんやナシ。来年も、そこに合格する保証もナイ。
別の考え方をすれば、一生懸命、勉強してこの偏差値なら、それこそ、眼が当てられんのですが、とりあえず、勉強なんかしてなかったから、救いはあるのかなあ。
来年も似たような処なら、「現役」が「浪人」になるだけやし、こっちにしてみたら、予備校のお金が無駄になって、阿呆みたい。
無理矢理にでも、其処へ入れてしまおか、どおしょかと、私なりに悩みました。ある意味では、長男の一生を通じた一つの分岐点でもある。
私の退職の話はナシですから、嫁はんもついて来ませんでした。
予備校の授業料を支払うか、大学の入学金を支払うか、早いこと決めんとアカンのですが、本人さんは浪人する気で、早々と予備校の選択をしています。
兎に角、その大学がアカンのではなしに、学科の方が希望でナイのですが、行かせるかどおかです。
本人の意志は、一応、聞いてはいるし、只、強引にやってもどおかいなあ。こっちの云うとおりには、どっちみち、しやへんやろし、分かってはいるし。
私自身は浪人をしてません。浪人なんか、出来る経済状況でもなかった。
浪人中に挫折したヤツも知ってます。結果的に、佳い経験やったと云えたら佳いのやけど、全ては、結果があってのことです。
それにです。一旦、「進学」と、決めたからには、センとあきません。そやから云うて、大学だけが全てでもナシ。今時の大学みたいなもん、ある程度の難易度の高い大学でナイと何の価値もありませんで。
悪いけど、私らの時代、ベビー・ブーム世代ですが、それからなら、大学の数は増え、既存の大学でも、学科、学部も増えて、定員だけでも二倍に膨れてます。確かに、進学希望率も増えてるけど、それは、「率」のことで、人数でなら、半分で、門の広さは四倍で、その年代の連中に石でも投げたら学生に当たる。
少子化傾向もはっきりしてるから、そのうち、大学の倒産が出て来ますぞ。
反面、目標がはっきりして、専門学校とか、手に職をつけるとか、資格を取る。そおいう方が、立派です。とは云うても、大学は大学です。一番、佳い時期なんやし、往きとおて、往けるなら、それに越したことはない。
そんなこんなで、私は息子に大学に往けと、云うたことはナイ。全て、本人の意志です。
ベツの云い方したら、大学みたいなもん、大きくは理系か文系かだけの差で、アトは、イザ、願書提出。そんな段階になってから、どおしょかなあ。それが、大半で、絶対に此れと、そんなお堅いもんでもナイのやで。
大学で専攻した学科も、就職してからも、その専門をやってるのは極一部で、たまたま配属された部署で、殆ど決まるみたいなもんです。
そやから云うて、理系出て経理はようやらんし、電気で機械の設計は出来ません。
ある意味で、四年間は執行猶予。何の特技も能力もナイ。せめて、学歴でも付けとこかいなてなもんです。
絵画、音楽、スポーツでも佳いのですが、そんな才能があったら、それが一番佳いのです。それがあって、更に、学歴があれば尚宜しいが、親に才能がナイため、無理な注文。
「ということで、強引に行かせるべきか。それで、やる気も出さんと中退でもされたら、あきませんしね。」
「イヤ、受かる、受からないは時の運です。
縁があれば、受かりますし、いくら、実力があっても縁が無ければ受かりません。」
それは、そうですけど。
「それより、二男さんの方は注意してあげんといけませんねえ。」
二男のほうは真面目にやってるし、心配なんかしてなかった。
「二男さんは、今年は、そもそも、低調です。
特に、四月は、お父さんが、冗談にでも、余計なことを云うと、誤解されます。
六月は、怪我に注意。八月は、体調に要注意。九月は、かなりナーバスになりますから、逆らわんよおに。
それを、無事に過ぎますと、ナンとかなります。九月を過ぎるまでは注意してあげて下さい。」
考えもしてないことを言われました。
「で、今、息子さんの部屋と机の位置関係はどおなってますか。」
ナンのことか分かりませんが、家の間取りを図で示しました。
「北はどっちです。
長男さんの部屋は此処がよろしい。二男さんは此処。机の位置は、こおしなさい。」
先生の指示では、二男はそのままで佳いのですが、長男と母の部屋を交換することになる。
風水でしょう。兎に角、部屋換えと、レイアウトの変更です。
最初の目的の強引にでも入学させる。こんなことは何処かへ消えました。
さっそく、家族にレイアウトと注意月の説明です。
(98/08/06)


6.占いの話(6) 結果はどうなるのやら

次は、去年の十一月です。年子で二人共が受験生。
とりあえず、二男には何事もナク、無事九月も突破で、十一月。イヨイヨ、推薦入試が始まるのです。長男は相も変わらず勉強もしてません。
はっきり云うて、偏差値も、ちょっとは上がったけど、ホンマのちょっと。又、滑り止めで、前と同じことも考えとかんとアカンノヤロなあ。
長男は情報関係のハードをやりたいとか。早い話が電子電気関係。この世界は変化が早いから、大変やで。歳喰ったら、ついて往けへんで。使い捨ての最たる処やで。ヤメトケ、ヤメトケ。そお云うたけど、変わらんみたい。
私もその関係やった。私自身はそれを専門にやってません。その専門部署の実状も知ってるし、親として云うべきことは云うて、アトは本人のご意志です。それ以上、トヤカク言う筋合いでもナイ。タダシ、又もや浪人は許せません。
「二浪はアカン。就職や。」
「一旦、決めたら何が何でも進学せんとアカンぞ。」
脅したり、すかしたり。
二男も進学希望。もしかして、二男現役、長男二浪になったら、どおしましょ。それより、何より、二人してアカンかったら目も当てられません。正直、それが一番の悲劇です。
で、二男の方は薬学らしい。聞いたときは、ビックリした。
「お父さん。ボクなあ。薬学に進学したいのや。エエか。」
「何で薬学や。薬学より、歯科の方が儲かるで。難易度は、医、薬、歯の順番なんやろ。
そやからて、学費も問題やけど、オマエは血を見るのはアカンしなあ。不器用やしなあ。
それやったら、化学でも、変わらんで。化学も、佳いのと違うのかいな。」
「お父さん、あんなあ、薬学やなかったら、薬剤師の国家試験を受ける資格があらへんのやで。化学やったら、アカンのや。」
そんな、国家試験のことまで知らんけど、それ以上、反論することもナイ。本人が進みたい方向に進んだら佳いのです。
それにしても、不可思議な縁です。結果は、どおなるか知りませんが、祖父はドイツ製の染料を扱おてたらしいのです。
現在、ドイツ製の染料がどの程度の価値か、レベルか、知らんのですが、大正、そして、昭和初期なら、ドイツは遙か彼方の先進国。大した国と想像する。
この祖父がどんな人であったのか、全く知りませんが、一応、化学の世界です。
これも話でしか知りませんが、祖母は豪州は彦根の出身で、祖母の祖母(私からは曾祖母の母親なんかなあ。)は、井伊直弼のお孫さんと同級生とか。
そのご主人(結局、曾祖母の父親かなあ。)は医者やったらしい。此処が医療関係で、そう云うたら、祖母の妹さんの子供も医療関係。何をしたはるのかは知らんけど、そんなんが、脈々と引き継がれるのかなあ。
そんな昔のこと、息子にしたことないのやけど、それ聞いて二男に云うてやった。
「そおいうことやったらしい。頑張れよ。タダシ、薬学云うても、院に往かんと、アカンのと違うか。まずは、受かってからやし、その先の話やけど。」
二男は安心して見てられるのですが、長男は目を離すと、好き勝手して、心配で、どうしても、長男に目が往くのです。何処でも、そんなもんらしいけど。
そして、嫁はんと二人して、先生の処へ往きました。
「どおなるんでしょう。」
我ながら、阿呆みたいな質問です。
「それは、縁の問題で、実力があっても縁がなければダメです。縁があれば往けます。」
マエとオナジこと。ヤッパリ、こんな質問した此方が阿呆。
「長男は、何もしてもせんしねえ。」
嫁はんがそお云うた。
「イヤ。何とかなるのと違いますか。」
下手な鉄砲でも、数打ちゃ何処かに当たります。その何処かが問題や。
「どの程度の処なんですか。」
嫁はんも心配でそう訊ねたのです。
「まあ、お父さんと同じような処です。二男さんも、それなりの処へ往かはりますよ。」
私は、先生に自分の出身大学が何処とは云うたこともナイし、聞かれたこともナイ。先生、知ってるのかなあ。
嫁はんもビックリしてます。長男の偏差値から云うたらアカンのです。
そやから云うて、私の偏差値がどうかと聞かれても、私のときは云々されたこともナイ。敵のことも、自分のことも、何にも知らんと受験してました。
模擬試験も夏休みに一回だけやった記憶がある。マダ勉強もしてない処を出題されて悪かった。そやけど、今みたいにコンピューター処理と違から、何ケ月もアトに結果報告で、気にもしてなかった。
それよりも、その夏休みに関西文理学院(略称、関文理「カンブリ」)に3日間の数学の夏期講習に往って、ビックリしたで。その熱気と講習の中味にです。
同級生四人で関文理に時間往ったけど、講習会場は座る場所もナイのです。終わってから、
「オイ、オマエ、理解出来たか。」
「そんなもん、分かるもんか。オマエわいな。」
「サッパリ分からん。」
「それにしても、浪人生て凄いなあ。ミンナ予習もしてるで。」
「凄い、熱気やったなあ。こんなんが相手かいな。」
数学なんか得意やし、軽い調子で予習もせんと、まだ、来年のことや。気楽に参加したけど、こら大変や。
その雰囲気に圧倒されました。それで、理系志望の四人組と、もお一人の文系志望が夏休みに、高校(堀川高校)の教室で学習です。休みで先生は無関係。
暑いし、一人でやってるより、お互いに教え合う感じです。それが終わったら、御所で野球。
その関文理を長男は自分で選択して、予備校生として通い出したのです。
「お父さんも、夏休みに行ったことある。鞍馬口にあるのやなあ。」
そんなことあったなあ。先生の話を聞きながら、思い出したのです。確かに、時の運やろし、縁やろなあ。
そして、その四人と、もお一人の五人組。結果的に、現役は私ともお一人やったけど、それは、阪大。大したもんです。
アイツ、そんなに勉強出来たんかなあ。そうは、見えんかったけど。そして、Drまで往って、レーザーの研究をしてます。三重県在住で、何十年も合おてませんけど、今だにその研究してるらしいです。
アトのは一浪して、東京電気通信大学と京都工芸繊維大学の化学科です。文系のは同志社の文学部。
東京電気通信大学のは会社も一緒になったし、同志社のもしょっちゅう合おてますが、京都工芸繊維大学のは離れてしもて、東京電気通信大学のが結婚したとき以来、合ってない。
それもそうやけど、息子が大学受験で私も二年前から調べたけど、偏差値も確率の問題で、出題傾向とか、其処がどの科目を重視してるかがあるので、一概には当てにならん面もありますが、当たらずとも遠からず。
それも、二ヶ月に一回もの模擬テストがあって、私の出身校も志望校に入れてはくれた。
立同関関、関関同立とか有りますが、元々、京都の大学と関関を組み合わせるのがおかしいぞ。私らのときには通学範囲と違うわい。とか云うてたら、お父さん、古いなあ。
産近甲龍、語呂合わせもあるけれど、とてもとても、相手もしてもらえるのかやて。
こんな語呂合わせ。総合大学だけが対象で、二男の薬科大学志望ですが、比較対象にされてません。
世間に認識もされてないと、文句云うてたけど、単科大学ならしょうがナイなあ。
とはいえ、こんな受験みたいなもん、親としては受験費用を出すくらいなものです。
アトは先生のお言葉を伝え、本人を励まし、チカラづけしてやるだけ。
(98/08/10)


7.占いの話(7) ツイデのハナシ

息子の入試のことで、先生に占おて頂きましたが、それで、どうなったか、ツイデの話です。
今の入試制度は、よお分かりません。
推薦入試とか、日程さえ都合出来たら、同じ大学の同じ学部の同じ学科を三回も受験出来るらしいのです。浪人でも、一浪なら推薦入試も受けられるのやて。一発勝負と違うのです。
それで、長男は関文理から推薦入試で龍谷大学の理工学部の電気工学科を受験。
偏差値上は此処が受かったらなあ程度です。
「どうやった。」
「マアマアヤ。」
去年も同じパターンで壊滅した。そんな答えは当てには出来ませんけど、顔色が比較的、ニコヤカやったから、ホンマにマアマアかなあ。
二男の推薦入試は、何処やった。神戸薬科大学と、京都薬科大学。エライ、自信満々。
「お父さん、合格したら入学金と前期の授業料、どおしょ。合わして、百八十万円くらいやて。払てくれるか。」
「エッ、百八十万円やてか。」
「京都は、もしかしたらアカンかもしれんけど、神戸は可能性あるねん。此処は第三志望やけど、本試験で京都か大阪が受かったら、ホカスことになるけど、アカンかったら、其処へ行きたいのや。」
発表もマダやけど、覚悟しとかんとアカンのかなあ。それから数日は嫁はんと金策の相談。何処から回そかなあ。
それにしても、神戸やったら下宿やで。亀岡からでは通学は無理やし、授業料に加えて、百五十万円は覚悟やなあ。そんなん、大変や。やって往けるかなあ。と、悩んだけど、その結果、長男合格、二男不合格。何が百八十万円。
とりあえず、長男が龍谷大学を合格してくれたのは嬉しかった。
まずは、一枚の切符を手に入れたのです。本人もやろけど、こっちも、ホッと一安心。とはいえ、龍谷大学そのものは校歴も桁違いに古い(1639年設立やて)のですが、理工学部は、まだまだ、開設十年。一番の先輩でも、ようやく二十八歳。歴史が浅過ぎるワイ。
現金なもので、発表まではどおかなあ、そこが受かったら、万々歳。そお思てたのに、イザ、受かったら、贅沢な心配してなあ。
この結果で、長男にも自信が付いたのです。それと、通常試験の相手先が変わって、立命館と関西大学(工学部電気工学科)だけになる。
受験大学はそれだけやけど、立命の光工学は三回も受けるんやて。そんなことが出来る時代になってるのや。そお云うたら、又、古いて、云われてしもた。
二男の方は、推薦入試はアカンかったのです。残るは、京都、大阪、神戸、近畿の薬学と、立命の化学の五つです。
薬科は化学の比重大で、数学は出題範囲が違うとか。立命はアカンと、最初から宣言しやがって。私が其処出身やから、加えて欲しいと注文しただけや。
その結果、まずは、長男、立命、全て不合格。関西大学は英語がよお出来た。ビックリするほど、出来たで。ホンマやで。可能性、充分やで。
ホンマかいな。そら、佳いことやけど、当てにはしとかんとこ。
そお云えば、私のときですが、数学に自信があったのに、難し過ぎて、五問で一問は全く分からず。問題だけ見て、コラアカン。頭っから捨てたった。ところが、苦手なハズの英語が出来まして、同志社は英語は苦手ともともと受験せず、お金もナシ。当時、立命館は貧乏人の大学で、授業料が一番安かった。
ところで、関西大学はテレフォン・サービスで合否をアナウンスするらしいのです。
その発表の日にお墓参りです。円山音楽堂の先にある東大谷さんの寺務所手前に公衆電話があります。其処の電話で聞きよった。
長男、「ヤッター」
電話の前で飛び跳ねてます。こっちが、びっくり仰天。私が近付いたら、
「お父さん。ホンマやで。聞いてんか。」
そのテレフォン・サービスの音声を聞かせてくれました。ヨカッタ、ヨカッタ、万歳や。其れから日が経って、長男に、
「オマエ、あんなん(偏差値のことと、勉強への取り組み姿勢)で、よお、合格したで。ウソみたいやで。」
「アンナア、ソラ、ボクもウソみたいやて思てるけど、年末からは、真剣にやってたんやで。」
とりあえず、結果は出てるしなあ。
二男の方は、まず、神戸薬科大学が受かったのです。もう一つの大阪薬科大学も合格しました。大阪やったら、通学出来るし、私もホッとした。
いずれにしても、占いの先生のお話は当たったのです。息子の合格発表も一通り終ったし、結果も予想外に良かったのです。
家族全員で、祇園の「かにや」(蟹料理屋)に食事でも。まだ、未成年やけど、保護者同伴やし、まあ、佳いやろ。
「オメデトウサン。ヨウ、頑張った。」
ビールで、乾杯です。正直云うて、此れが、初めてです。息子と飲むビール。そんな感慨に浸ってたら、二男曰く、
「ボク、日本酒の方がエエわ。」
あとで、知ったけど、親の眼を盗んで、飲んでたみたいです。私が弱過ぎるのですが、此奴等、結構、強いのです。
あとは、落ちこぼれず、卒業してもらわんとアカンのに、途端に勉強もセズ、テレビ・ゲーム三昧、夜を徹して遊んでます。大丈夫かいな。
(98/08/13)


8.続.占いの話(1) 家具の配置換え

母が年の始めに階段を踏み外して、足を骨折しました。
退院を期に部屋を変えることにしたのです。
母は最初から二階の部屋がお気に入り。其処やなかったらイヤということで、そうしてたけど、歳も七十五歳です。骨折もしたし、私等夫婦の部屋(一階)と変わったのです。
ところがエライ抵抗する。
「私の嫌いな処に封じ込める気か。」
「私を呪い殺す気か。」
「アンタ等が二階に往きたいんやろ。」
まあ、よお云うてくれることで、無茶苦茶云います。
「そお云うことではないのやで。マタ、今度骨折したら動けんようになる。階段は危ないし、危険なことは避けた方が佳いのやで。」
何回、説得しても文句ばっかり。
「一辺やったら用心するわいな。」
「二階に上がれんよおになったら、もうオシマイや。」
「この部屋はイヤや。」
とかとか。あんまりひつこいし、本人の好きなようにさせるかどうかで迷いました。私等にしたかて、二階の部屋は慣れてない。自分の部屋と違う感じです。
それで、占いの先生の登場で、今回は嫁はんに頼みました。特には嫁はんが、母からゴチャゴチャ云われて、まいってるのです。
結果としては、
「二階より一階の方が宜しい。仏壇は西向きに。」
元々、仏壇は一階の私等夫婦の部屋に置いて西向きにしてました。
母はベッドで位置は気に要った場所にしてくれとのことで、東向きにしたのです。
嫁はんはそれも気になってたらしいのです。それもあるし、二階の部屋には母のタンスがまだあって、その結果から母の意向は無視して、家具の配置換えをしたのです。
仏壇は一階の居間に移動。すると居間が狭くなる。居間にあった本箱を処分。もっと小さいのに代えるとか。
もともと、仏壇は人が集まる場所に置くのが佳いとされてますから、居間でも佳いなあと、以前から思てはいました。
もっとも、最近は息子は居間には居てないのです。食事をすると二階の部屋に入ってしもて、テレビ・ゲーム三昧。この六月に、洛西にミドリデンキが進出で、オープンのとき、カラーテレビを四千円で買いよった。
先着三十名様で、朝八時に起こされて、十時開店の一時間前に並ばさせられて、開店までに並んだ人数五十名程度。
その他にも記念セール商品がありますから、わざわざ並ばんでも、充分買えたと思うけど。
以来、自分のテレビが持てたもんで、長男と二男はそればっかり。母は、もともと自分のを持ってます。これまた、食事が終わって、テレビ三昧。嫁はんは、台所でナンヤカヤ。
結局、夜、居間に居座るのは私だけ。
それで、私は仏壇と向かい合い、ノート・パソコンで遊んでます。
そんなこと、どおでも佳いけど、配置換えが終わったら、占いの先生に母の云う、気持ちが悪い部屋。云うても、もともと私等夫婦が使てたのやけど。
その原因が、霊みたいなモンなら、お祓いでもして戴きたいとなりました。
(98/10/21)


9.続.占いの話(2) 先生のご到着

先生に来て頂くことになりました。(これは八月初旬の話です)。
先生は玄関サキでナニやら指で印を着るような仕草をされて、居間の仏壇に向かわれると、仏壇に挨拶されました。
仏壇に置いてある過去帳をご覧になり、記載された一人一人と会話されてるよおで、
「この方は優しい気性の方ですねえ。」
「この方は非常にシッカリした方ですねえ。」
「この方は柴田家のことを真剣に考えておられますねえ。」
非常にシッカリとはダレのことかなあ。過去帳を覗いたら、生まれて一週間で他界した、妹の佳江です。
「生きて居られたらのことですよ。」
そおいうもんかなあ。
佳江が生まれたのは、私が幼稚園前で、「死」というものが分からんかったけど、その時の情景は、イマでもはっきり、記憶してます。
内々の葬式ではあるけど、親戚が沢山来たのです。そのことで、私は嬉しく興奮して、騒いでました。
夢か現か、おそらく夢やと思うけど、産院から父が妹を納めた小さな木箱を自転車に載せて、押しながら帰るソバで私は楽しそうにスキップしたり、万歳して、はしゃいでます。
楽しいというのは、「妹が帰って来た。」と父から伝えられたからです。
実際には、そんな場に私は居てなかったはず。自転車もおかしいのです。父は自転車には載れませんでした。そもそも、当時、我が家に自転車が有ったのか。自転車に乗ったのは、私が最初のはずです。
同居してた叔父は自転車に乗れるとは思いますが、乗ってなかったし。それに、産院は横町で、歩いて一分程度です。
母の兄が自転車で引き取りに行ったと、誰かに教えられ、其れと親父が結合したのかなあ。
何故かと云うと、その夢を見た日まで憶えてます。それは葬式の日の夜で、何時もは下で寝てたのに、その日は二階で寝るよおにと云われたのですが、沢山の親戚の人で嬉しいので、何回も下を覗いては叱られたことまで憶えてるのです。
その次の、「柴田家のことを真剣に考えてる。」というのは父の事でした。
親父も柴田家の長男です。真剣に考えて当たり前。親父なりには考えてたのやろ。
そして、先生は、
「この方は皆(兄弟)から慕われてましたねえ。」
「この方は気丈な方ですねえ。」
「この方は人望があったよおです。」
最初のは戦死した叔父で、次が祖母で、最後が祖父。その他、生まれて直ぐに他界したと云う親父の妹さん。
全員のことについて仰って戴いたのですが、知らん人もありますから、せめて写真でも有ればですが、想定も出来ません。
先生は、事前準備として、過去帳から当家先祖への挨拶を兼ね、気性等、お調べになったのです。
母が云う変な感じとは、親族の霊が何かを訴えるのが多いのですが、先生のお話では、そんな御先祖様は見当たりませんでした。
そしたら、その変なのはダレかいな。過去帳に載ってる以外にダレがあるのかなあ。
母は、我関せずで、サッサとゲートボールに出かけてしもて、居てませんのです。
(98/10/22)


10.続.占いの話(3) 或る儀式

過去帳からは、怨念、未練、そんなものを持った人は居てないので、ひとまずは一安心。
そしたら、母の云う変な感じとはナニかで、其れは一階の部屋ですが、とりあえず、無難な二階から観て戴いた。
まずは、私等の部屋で、部屋が変わって、此方も落ち着かんのですが、ナニもナイとのことでした。順番に健太郎と裕次郎の部屋も観て戴いて、異常ナシ。
下に降り、居間の仏壇の位置。それで良いのかと確認したら、西ならそれで佳いとの返事。
嫁はんが、仏壇の上に、「雲」と書いて貼っておきなさい。とのことで、貼ってますよとご報告。
台所には、神さんも奉ってありますので、それも確認したけど、問題ナシ。
真ん中に天照大神様、右に土地の神様、左に信仰してる神様で、信仰も、母が金光教の信者、と云うほど熱心でもナイのですが、それが奉ってあって、それで宜しいとのことでした。
此処までは、問題となる霊気は伺えませんとのことでした。
そして、母の部屋で、先生も特に念入りに確認のご様子です。そして、先生、
「ダレかこっちの様子を伺ってるようにも見受けられますなあ。」
困ったもんです。変な霊が居るのかなあ。
「これは親族ではありませんよ。親族なら、こういう態度はしません。話掛けてくるハズです。
それと、この霊はそんな強い霊気でもありません。イランことをするような者でもなく、たまたまそこに居るだけの通りすがりの霊のよおにも思います。」
要するに、先生が話しかけても、知らん顔してるのです。
兎に角、そんな悪い霊は当家に居座ってないということです。そしたら、母の変な感じがするのはナンやろなあ。単なる愚痴話かいな。
それが終わってから、先生が、予め、塩と日本酒を用意しておくようにとのことでしたから、準備してたのを使うことになりました。
「ご主人が日本酒を持って、私が云う場所に撒いて下さい。」
とのことで、日本酒を持ち、先生のあとに従いました。
先生は家の北東の角(鬼門)に塩を撒かれ、其処に日本酒を撒きました。
続いて、北西、南西、南東と、四隅に塩と日本酒です。最後に、家の入り口に日本酒を撒き、先生が玄関先に塩を撒かれて終了しました。
これは、悪霊を寄せ付けず、福の神を招く儀式とのことでした。
(98/08/23)


11.続.占いの話(4) 私の霊体験

一通り終わってから、先生との雑談です。
本来、先祖の霊というものは余程のことがナイ限り、子孫に悪いことをするハズがない。
それと、霊を感じ易い人というのがあって、私の母は感じやすい部類に属し、私などは鈍感な方です。
要注意は、友人、知人を家に招き入れてのとき、世間話はどうでも佳いのですが、深刻な身の上話に、悩み事はなるべくせん方が佳いらしい。玄関先なら心配ナイのです。
理由は、下手をするとその人に付いてる霊が家に居残る可能性があるとのこと。悩み事を漏らした相手はその取り付いた霊から解放されて、スカッとするけど、お土産で置いとかれた霊がその家に取り付いてしまうことがあるらしいです。
深刻さの程度にもよるけれど、なるべく場所を変えて、喫茶店等人の多い場所を選ぶのが無難やてえ。
そこで、私の霊体験を先生にお話した。勿論、こんなことはこの一回だけ。
イマから二十二年程前のこと、出張で四国の高松の会社に往きました。その高松のホワイト・ホテルに宿泊してたときのこと。
夜、ホテルのベッドで寝てましたら、誰かが部屋に入って来たような気配がする。
眠たいし、頭の中で、ぼんやりと、ドアにはカギを掛けてるしなあ。そお思いながら、入り口の方を伺おたら、確かに人影みたいなんが見えたのや。
影みたいな実体のはっきりせんもんやし、気持ち悪いなあ。それが、ドンドンこっちに近付いて、とおとお、覆い被さって来るような気配がした。
気配は、はっきり感じてるし、影みたいなもんがぼんやりと、影ですから、実体は分かりません。
「ナンヤナンヤ。イヤヤデ。」
言葉にはしてませんけど、そんな思いです。実際には言葉も出せませんし、押さえつけられて、体も苦しい。
体が息苦しいし、シンドイし、ウーンと唸りながら、その覆い被さってる影みたいなんを手で払いのけるような仕草をしたら、気配も影も、フッと消えたのです。消えたら、スッと体が楽になって、息苦しいのも、シンドイのも消えました。
よく云う、金縛りというヤツで、以来、どおもホテルで泊まるのは苦手です。
「ホテルなどは霊が棲みやすい場所なんです。特に四国は霊が多いよおです。」
先生も、四国に呼ばれることがあるらしい。往くと疲れてしまうらしいです。
「私みたいな鈍感なモンでも、金縛りに合うんですからねえ。」
「そおいうときは、お経とか、難しいものと違ってもよいですから、南無阿弥陀仏でも念じるんですよ。そしたら解放されます。」
金縛りというのは疲れてるときにも合うらしい。要するに、動物霊とか、そんな類のイタズラで、殆どはすぐ消えるよおです。
たまたま強烈なのに遭遇したら、危険なこともあるので、お経が一番とのこと。
体験談としてはおもしろいけど、そのときは必死でした。
(98/10/24)


12.続.占いの話(5) 守護霊

ありがたいことに、先生に少し時間があるのか、色んな雑談が出来ました。
先生はどんな具合にされてるのか。それは、ご自身が柴田家なら柴田家の先祖の仲間入りすることから始まるらしいです。
そおすることで、私の守護霊と云うか、私の先祖と会話が出来て、私のこと、家族のことをその霊が教えてくれるらしいのです。
「そんな守護霊とかが見えたら、あんまり気持ちの佳いもんと違うでしょうねえ。」
「エエ、普段はなるべく見ないようにしています。」
そおも知れんなあ。そこらに、一杯、霊が見えたら、イヤやろなあ。
「それと、自分の利害に絡むことはダメですねえ。」
冷静になれへんし、自分の都合の良いように解釈してしまうらしいのです。
すると、当然のように裏目に出てしまうようで、そのマエに、自分のことは分からんらしい。
「それもありますし、霊をお金儲けの道具に使うのもイカガナモノカと。
ですから、人助けという気持ちを大切にしています。」
先生とはもっと話しをしたけど、それは追々紹介することにする。
それよりも、霊というか、守護霊というものを何処まで信用するかです。
私自身は見たことがないので、話をすることは出来ませんが、有っても良いし、有って欲しいと考えてます。
例えば、守護霊が余所見したとき、事故に遭遇してしまう。或いは、事故に遭遇しても、怪我で、軽傷ですむ。守護霊が頼りなかったら、もっとひどいことになってたかもしれん。
ナンヤカヤ云うても、世間に秘密にせんといかんような事もナイし、後ろめたいこともナイ。
お金がアルとかナイとか。お金はナイけど、そやから云うて、明日にでも首を吊らんとイカンこともナイ。
とりあえず、世間から非難されることはナイし、同情されることもナイ。次の瞬間もそれが保証されてる訳でもナイ。
どんな石ころが有って、つまずいてしまうかもしれませんのです。ここから一歩先のことは誰にも分かりません。分からんけど、もしも、石ころが其処にあるのなら、わざわざ近付いて、転けることは避けたいし、避けることが出来んのなら、被害は最小限に止めたい。石ころがあると云われたら、注意したら佳いことです。
理屈っぽい人なら、そんなこと、注意するとは、どお注意するのかと、そんなこと、四六時中は出来んわなあ。そやけど、覚悟しておくことは大切と思います。
もっと重要なことは、霊とか守護霊を意識してたら、悪いことは出来ません。
私は只の人間。聖人君子には程遠い。時として、悪い事を考えることもある。そやけど、守護霊を意識したら、もうアカンのです。
守護霊は、私の背後にあって、私を常に監視してる存在。悪い事なんか、出来ませんで。
「こいつはなあ。誰も見てへん思て、こんな悪いこと、しよったで。」
閻魔さんに告げ口されて、地獄に落とされたらエライこと。
(98/10/25)


13.初詣の縁起

元日は土地の氏神(鎮守)さんと、大本教本部(信者ではない)にお参りしてます。
これは、亀岡に引っ越してから、毎年で、土地の氏神さんは、大井神社になる。
その大井神社の由緒、縁起については申し訳ナイけど、知りません。佳い加減な氏子です。
大井神社に隣接して、大井小学校がありまして、息子達の母校です。
大井神社のことで知ってることは、鯉に関係した神さんとの由で、子供の日の、「鯉のぼり」はアカンのです。
「鯉のぼり」は、私の子供時代に一回だけやって貰た記憶がある。私の子供には、是非、やってやりたいと思てたのに、ナンデヤと云いたいけど、そういうシキタリやから、しょうがない。実際、何処もやりません。
大井神社は普段は人気(ひとけ)がナイのですが、流石にお正月は初詣の参拝客が多いのです。小さな祠も沢山ありまして、松尾大社、蛭子神社、愛宕さん、出雲大社、お稲荷さんも、北野さんもあるのです。
一通り参って、お賽銭を出してたら、結構な額になってしまうがな。家族全員に何枚かの十円玉と百円玉一個を渡して、お賽銭に使てんか。お稲荷さんには百円で、お金が沢山儲かりますように。
ここが終われば、大本教。裕次郎が、
「大本教って、ダレなんや。」
そんな質問をしたから、教えてやった。
この本部は、元亀岡城。出口ナオという人が霊界と通信が出来て、出口王仁三郎の、「霊界物語」が有名である。
戦争中に広島が火の海になる(原爆予言)とか宣伝して、弾圧を受けたとか。
この系統なら、中山ミキさん。「陽気ぐらし」の天理教(奈良天理市)。
そして、金光大神(川手文治郎)の金光教。これは、岡山の金光町。
ちょっと、異なりますが、高島嘉右衛門の高島易断。
全部、予言者です。奇跡(病気治療を含む)を起こして、予言を的中させたら神さんです。
十歩も二十歩も先は分からんけど、理論的に説明して、実現させる。それを継承して、後輩達が実現する。これは科学の世界。
例えば、スペースシャトル。建設されて、火星、月への旅行は何十年後には出来るやろ。
その先の木星、土星、天王星、海王星。逆方向の金星、水星、太陽はどおやろか。イヤ、太陽系以外はどおなんか。
興味のある人には素晴らしい夢。ナイ人にはどうでも佳いことやけど、そこまで来ると、五十年、百年、その先なら、更に百年とか。そこまで来たら、開発速度が加速するやろなあ。
そやから云うて、月旅行にしたところで、あんまり、先過ぎたら、私が生きてない。生きておれても、費用が高過ぎたら、参加出来ません。そのマエに、年齢制限でアカンやろ。
年齢制限ナシの時代には生きてないやろなあ。
これらは、可能なことやから、予測という。予言とは、非科学的なことである。
天変地変は予測出来ん事象を言い当てる。実社会に戻れば、そんな先のことはどおでも宜しい、一歩か二歩先が分かりたい。とりあえず、明日のことが分かりたい。
そんな話を裕次郎にして、大本教で御神酒を戴き、福引きをした。福引きは、ダレにでも出来ます。スカはミカンが一個。あとは、ダルマなどが当たるけど、去年も今年も五人全員スカ。
ダルマさんは、十個程貯まってます。
当たったら、気分は佳いけれど、当たったとしても、その年に佳いことも無かったよおな。
されど、無事、此れ、家内安全であります。
(99/01/02)


14.有限会社ライフ・スペース(1) 事件の経過(1)

ミイラ化したご遺体が成田のホテルで発見されました。
テレビのニュースから、そんな話が飛び込んだ。
殺人で死体遺棄やろか。それとも、病死とか、それにしても、ミイラ化してるから、かなりの日数が経ってるし、ホテルに持ち込んだのやろか。
似たような話が、何処かのラブ・ホテルでありました。ベッドの下に腐乱死体があったとか。
それはホテルの管理が適当やけど、成田のホテルなら、毎日、掃除もするし、したら分かるのに。それにしても、ご遺体がミイラ化してるとは、ホテルもエライ迷惑なこと。
その部屋に居た人はホテル側の一切のサービスを断って、ホテルの人を入れんかったらしいので、関係者は意図的にご遺体を隠してたことになる。
ところが、ホテルに投書があって、その団体はおかしいなことをしてるのではないかと。
部屋の人はナニもナイと入室を拒否するし、警察を呼んだらしい。警察が、ミイラ化したご遺体を発見してるのに、関係者一同、死んでない、生きてます。真顔で云うのやて。
ご遺体のご子息もオナジことを申してます。死んでない。
可哀想になあ。大切なお父さんが死んだけど、死んだことを認めとおナイのやろ。生きてると、思いたいのやろ。そんな具合に同情しました。ところが、至って冷静で、ホンキです。
司法解剖なんかしたら、本当に死んでしまうやないか。絶対にアカン。成田警察署を告訴してやるるゾと、主張したらしいです。
警察署を告訴しますか。それなら、相手は神奈川県警みたいに思うけど、冗談やけど。
ナニがドオなってるのか、俄には報道内容が信じられませんでした。ここからサキは、報道の経過ですから、意味はナイのですが、参考のため。
私の云いたいことは、そのアトで説明します。
さて、ミイラ化した人は脳溢血で倒れ、病院での治療をしてたのに、家族が無理矢理連れ出した。医者が動かしたらアカンと制止してるのに。
そもそも、当の息子さんが団体の信奉者で高橋代表にどおしたものかと、相談したらしい。
それで、高橋弘一なる人物は、シャクティ・パットと称する療法で治してやると、頭をポンポン、叩いたらしい。その蘇生術が八百万円也。
それが原因かドウか、検死では脳内出血が死因です。
誤訳かも知れませんけど、シャクティ・パッド(Shakty Pad)とは、揺すって、叩くことですねえ。脳内出血してるのに、ナンと云うことをするのでしょおか。
死後数ケ月を経過して、ご遺体が腐敗して来るのに、それでも、死んだら体温が零度になるけど、この人は十一度もあるから生きてます。
生きてたら、十一度とチガウのや。三十六、七度前後はあるのです。よおそんな、阿呆なことを、云いますねえ。
そもそも、冷蔵庫でナイと零度にはならんのや。十一度とは、室内温度やろ。夏場なら、もっと高いです。
そんなこと教えたら、尚更、死んでないと言い張るのやろし、殆どの人が不死になれます。ありがたいことではあるけれど、家族が迷惑です。ご当人にしても、いつまで経っても、成仏させて貰えません。
まだまだ云うてます。呼吸は三十分、脈拍は五十分程度、停まっても蘇生するのやて。そんな事例は万とアルらしい。
脈拍は有ったと云うてるけど、間違おて、自分の脈拍を測定してたのや。
死んだら、生殖器が溶けて無くなるハズやけど、まだあるやないですか。そんな話、何処で聞いたのか。グルやて。
糞便もあって、髪の毛は抜けてナイし、爪も綺麗。アンマリ、気持ちの佳い話でもナイなあ。
勝手な定説を振りかざし、常識を無視した団体です。
そお云えば、有ったよなあ。この手のヘンな集団、オウムです。そんなオウムみたいな似非宗教と一緒にされたら、不名誉極まりないのやて。
そやけど、グルに、風呂行に、ナニナニ、サイババですか。サイババも聞いたことはある。
超能力者やったかなあ。
(99/11/18)


15.有限会社ライフ・スペース(2) 事件の経過(2)

これは、高橋弘二と称する人物を代表とする、有限会社ライフ・スペース。
当初はまともな自己啓発セミナーを開催してたのです。
オウムみたいな新興宗教団体と思てたら、セミナー開催業者として有限会社になってます。
自己啓発も、ナンの自己啓発やろ。途中から内容もおかしなことになって、宗教じみて来たらしいです。
サイババの後継者とか、体内には血が一滴もナイとか、奇妙なことを云い出した。勝手に云うてる程度で収まってたら、タダのキチガイでスムのにねえ。
ところが、代表ですから、お取り巻きも居るし、生活費も要る。セミナー代金が何百万円。それでも、参加者が納得なら結構です。
一回のセミナーで、アカンかったら、次回。次回のセミナーにも何百万円。セミナーで、ナニしてた。シャクティ・パッド。
頭をポンポンと叩かれて、ナニかを仰って戴くらしいです。お金を払て、頭を叩かれ、オアリガトウございます。
それでも、ナニかがナニかになったら佳いけどねえ。実際、なったとか云うて、信奉者になってる人もあるらしい。お幸せなことです。
この事件前には、京都の青年が風呂行で死亡されたのです。その際、患者を放置して、救急車も手配せず。葬式にも現れず。ご家族が誠意がナイと団体を告訴して勝ったけど、賠償金はイマだに貰えず。
理由は簡単で、ナイ金は出せません。そらそうやけど、生活してるやないですか。クルマでホテルを転々として、住所不定の放浪者ではありますが。
その宿泊代金等、どうしてるのか。ナニやら何処かの社長さんがスポンサーで、三億円。
お金持ちやねえ。会社の社長さんやし、社員も大変やったらしい。
ナニかのご利益があって、ソレしたはるのやろし、お金持ちやから、惜しくもナイのやろ。私どもとは、棲んでおられる世界が違います。
知れば知るホド、アホらしなって来るけど、ライフ・スペースの社員さんは常に真顔。
その社員さんとは、自称、Shakty Pad GURU FUNDATION(SPGF)。
仰るには、世間のは、所謂、俗説である。そんな俗説を我々は信じてません。定説がスベテである。
その定説はグルがそう仰っており、グルはサイババの啓示、テレパシーによって伝えてるのであって、高橋代表が云うてるのではナイ。これを称して定説主義と云うのである。これは世界の権威が認めてる。
つまり、世界の権威がナニか知らんけど、サイババとかに責任転嫁してるだけ。
斯くの如く、力説されてるのが、逃亡中のオウムの菊池直子を彷彿させる風貌の子です。
(99/11/19)


16.有限会社ライフ・スペース(3) 定説と定義

こんな調子やから、議論にならへん。もともと議論をする気がナイ。
ナンでもカンでも、定説にしてしもて、それが分からんとは、オマエ等情けないヤツやなあ。
グルが地球は平面であると云えば、平面である。太陽が西から昇り、東に沈むと云えばソウなんや。
定説に逆らうことは出来ません。我々は定説主義である。と云うより、ナンでこんな簡単な定説が理解出来んのか、摩訶不思議。そんな顔してる。
高橋代表が記者団の質問で血管に血がナイらしいけど、そしたら、その血管にはナニがアルのですか。その答えが空気やて。それも、透明の液体らしい。
こんな話をマジメに考えるだけでもバカバカしいけど、参考のためです。
液体空気なら、淡い青色。しかも、摂氏マイナス百九十度。こんなモンを体に入れることは出来ません。入れたとしたら、体はカチカチに凍って、冷凍人間や。
これは定説もクソもナイ。空気を液体にするためには、そうせにゃならんのや。
せっかくやし、採血してあげたら佳いのになあ。そしたら、真っ赤なウソやとスグ分かる。
理科の知識がナイだけですが、お取り巻きの連中も吹き出さんだけ、大した修行を積んでます。記者団もなさけない。結局、血を空気と云い替えてるだけやねえ。
この人が怪我して、赤い液体が流れても、これは空気であり、これが定説。
赤でも透明であり、これが定説と云い張るだけ。アホクサいこと。言葉の定義を無視してるのやで。
東を西と云い代えるだけのこと。球体を平面もオナジことになる。
人類が営々と築き上げて来た英知を無視して、それを称して詭弁と云う。それも、低級な詭弁で一辺の説得力もナシ。それを称して、出任せ、口任せと云う。
それなら、彼等だけの専門語を創作したら佳いのです。多少の説得力も出て来るし、高級には見える。
シャクティ・パット・グル。ナンのことか分かりませんけど、これは彼等の造語やし、世間も逆らうことはしてません。
これが、マッタクの他人事なら佳いけれど、心配になって来るのです。この人等にしても、最初っから、そうでは無かったハズです。ナニかのキッカケがあって、こおなってしもた。ソレはナンやろなあ。
たまたま、ホテルやったから、事件になって、世間に知れ渡っただけです。何処かの一軒家なら、闇から闇。怖いハナシで、一杯あるのでしょう。
義務教育程度は受けてるハズの図体の大きな子が屁理屈付けて、定義を真っ向から否定してるのです。
真剣だけで、ホンマに信じてるのかどうかは知りません。オウムと一緒で、今更、引き返す勇気もナイのでしょう。
そんなことはどうでも佳い。問題は、ナンで、ドウして、コオなったのか。
笑い飛ばしてた人が、ある日、突然、そおなってしまう可能性もアル。常識は分かってるツモリでも、その立場になって、イザとなったら、そのナン百万円が高いのか、安いのか、それぞれに価値判断が異なっても来る。
ご遺体のご子息ですが、信ずる者はそれなりに救われると思てあげたいけど、グルと自称するヤツの、出任せ、口任せを、頭っから信じてるだけに、怖いのです。
血液の話があっても、まだ信じてるのか。
寝ない、食べない、風呂には入らないし、歯も磨かない。そんなことは云わしとけ。それと、血液の話は次元がチガウがな。
もっと怖いのは、組織が絡んでること。このオッサンも、オウムも、組織が無かったら、タダのキチガイのペテン師野郎で、フーテンやないですか。
そんな奇人に、カリスマ性があるから、何人もの人が付いて行く。
さて、問題にしたいのはここからです。
(99/11/21)


17.超能力

ここからが本題です。
ライフ・スペースでも、オウム真理教でも、法の華三法行でも、ナンでもヨイのです。
どれもこれも、似たようなモンです。
まずは、人間の願望は昔からオナジと云う話からしたいのです。
その昔ですが、秦の始皇帝は不老不死を切望し、徐福なる人物が仙薬を求めて日本にまで来たらしい。こんな薬は中国が本場と思うけど、灯台モト暗しです。
エジプトでも、そおらしい。そもそも、ミイラは後世にでもそれに生命が蘇ることを願ってのこと。
つまりは、人間の願望はその人の思想にも寄りますが、地位と、金銀財宝を手に入れれば、永遠の生命が欲しいことになる。
そお云うオマエはドウヤナと聞かれたら、そんな地位も財産もナイけど、手に入るなら、欲しいなあ。
かと云うて、自分だけが不老不死ではお化けやし、金銀財宝も有り過ぎて、骨肉の争いでもされたら困るけど、無さ過ぎてもミジメやねえ。当面は、生きてる間くらいは生活出来んとアカンしなあ。
そしたら、ナニが一番欲しいのか。やっぱり、健康な体やろ。それだけでは人生もツマランし、金銀財宝があったら、ナンでも出来る。
そのウエで、透視能力、空中飛行能力があったら、楽しいやろなあ。
ドラエモンみたいに、ポケットがあって、ナンでも欲しいモンが出て来たら、もっと佳いなあ。
この一部は出来ます。効果のホドは知りませんが、生活改善薬がありますし、飛行機に乗ったら、空には飛べる。
クルマも、新幹線もありますし、行動範囲は広くなった。電話で遠方のとも話が出来る。
テレビ、インターネットで、何処の情報も瞬時に世界中が知ってしまう。
これからも、マスマス進歩発展して、却って混乱する可能性もあるけれど、現在は、一昔マエから見たら、超能力の世界になってます。
そこで、オウムですかいな。空中飛行して、超能力がアルとか称したヤツは。
座った状態で、体をバタバタやって、僅かに跳ねたから空中飛行やて。ご丁寧に、それを写真に撮って、グルの超能力である。
写真なら、イツまで経っても落ちることはナイ。そうやなしに、その状態でアチコチ移動してくれたら、空中飛行と認めてあげます。
そやけど、こんなモン、ただの反動と云うのやで。その気なら、私にでも出来ることですが、やったことはナイ。
自力で空中飛行なら、ハングライダーがある。此れは、道具を使てるから、アカンと云うのなら、走り高跳びなんかはどおですか。
これこそは鳥人で、オリンピック選手の記録は、私にはマネ出来ません。
空中飛行の大先輩は孫悟空。キント雲で、自由自在に飛行した。その雲は簡単には操れません。そやから文句ナシ。
高橋ナンとかさんはナニも食べませんから、超能力者。
仙人は霞を喰って生きてます。霞では腹は膨れませんけど、この高橋さんはバナナを食べてるやないですか。ナニもと云う表現は当たりません。
せっかくやるなら、ナニも喰うたらアカンのや。それしたら、仙人と認めてアゲル。
その変わり、ダレかが四六時中監視やなあ。インチキはアカン。それでもヤル云うたら、テレビ局が監視してくれるやろ。そんな話など、頭っから信用するもんか。
お金をナン百万円も取って、頭をポンポン叩いて、ナニするのか。それで、お有り難うございますと云うホウが阿呆なんやけど。
阿呆なんやけど、その人の事情がある。どんなんか知らんけど、持病とか、迷いとか、ナニかがあって藁にもすがりたい。そんな人の弱味につけ込んで、大枚のお金を取ってインチキなことするのが気に入らん。もっと気に入らんのは、その子供さんまでも巻き込んでること。
大人がお金を払って頭を叩かれて喜んでるのは勝手やけど、ナニも知らん子供まで、ナンで犠牲にするのやな。
その親はそれで幸せと、狂信してるから怖いのや。
(99/11/23)


18.仙人のハナシ(1)

話が逸れますが、神通力と超能力のことです。
神通力がどんなモンかと云えば、それを自由自在に扱うのが仙人。
変幻自在の術を操り、雲には乗れるし、龍神になって雨をも降らせせることが出来る。
そんな術を私利私欲で使われたら、大変なことになるし、仙人になるための修行も並大抵ではナイ。寄って、マズは悟りからです。悟りとは、無我無欲の世界。
そやのに、悟りもせず、術だけ使うと云う、中途半端なヤツが居た。それこそ、時空を越えて現代に伝わる孫悟空。
悟ってナイし、お釈迦様の手のひらで、威張ってただけやった。斯様にして、孫悟空は、いかにも人間クサイ猿でした。私はこの猿が大好きです。
実在したのなら、時空を越えてでも、此方から弟子入りしたいけど、歳やし、断られてしまう。
さて、その神通力とは、霊感、霊力、魔力を称するらしいけど、凡人には、ナニがどうちがうのか、チンプンカンプン。対して、超能力とは、透視、霊媒、未来予知、念動のこと。
そしたら、ユリ・ゲラーがスプーンを曲げたりのは念動で、ノストラダマス(イヤ、ダモス)が如く、未来のことを予言し、ハズしたりもしたけど、これは未来予知になるのか。
霊感商法と称して、バカ高い坪を売りつけたのは、霊感やし、神通力みたいになるけれど、透視、霊媒の世界やし、超能力か。どっちも、幅が広いし、困ります。
そやけど、無理して分類したら、仙人みたいに、悟りを開いて習得するのが神通力。
才能と云うか、持って産まれた特質がモノを云うのが超能力。
ところで、ライフ・スペースの高橋グルも、オウムの松本グルも、顎髭を蓄え、白装束をまとい、ナニやら仙人面してます。早い話が、ご当人もそおなったツモリやろ。此れは変身で、まずは格好からとも申します。
斯く云う仙人とは、世俗を離れ、山中に棲む。この仙人面した似非仙人は、群を成して人心を惑わし、金品を要求する。
ならば、俗説の仙人とは浮世離れしたヤツのことを云うし、この連中はそっちのホウや。
そもそも、仙人とは、艱難辛苦の修行をして、結果、仙人になれるハズ。仙人になった頃には白髪三千丈。要するに、お爺ちゃんやけど、不老不死やから、年齢はどおでも宜しい。その代償は、青春のよき時代を捨てることをも意味する。
名誉、金品財宝、美姫を求めません。求めたらアカンのや。下手したら、久米の仙人の如くに、神通力を失おて、雲から落ちてしまうがな。
そおなんです。仙人は人里遙か離れた山中での生活。電話も電気もナイ場所で、そんなモン、神通力がアルから必要もナシ。食料も霞で、お金も必要ナイ。
繰り返すけど、仙人は無我無欲の世界に棲むのです。
(99/11/24)


19.仙人のハナシ(2)

更に、脱線しますが、仙人とはそんなモンです。年齢不詳。
あっても、百歳、千歳。数えられません。数える必要もナシ。ナンと云うても不老不死。
その仙人が棲むと伝えられるのが、蓬莱山、方丈山、エイ州山。これを三神山と称し、中国から見て、東方の絶海に有るとされてます。
秦の始皇帝が在位してたのは、紀元前二百年のこと。その当時、アチラから東の海の果ては日本になるらしい。そやから、始皇帝に仙薬を探して来いと命ぜられた徐福なる人物は日本に来てしもた。
仙薬は、仙人が所有してることになってますが、仙薬と、一口に云うても種類が沢山アルみたいやで。
いずれにしても、始皇帝の求める仙薬は不老不死の薬。仙丹とも称するのですが、オマケに仙人にも成れると云うものです。そしたら、どっちがオマケか分からんけど。
イマなら、痩せ薬、毛はえ薬、回春薬から豊胸の薬まで、ナカには怪しげな薬があるけれど、こおいうのは儲かるのです。
仙人所蔵の不老不死の霊薬、そのウエ、仙人になれたら、仙丹はマチガイなく売れます。
そしたら、億万長者なんか軽いモンやで。そやけど、肝心の仙人が何処にいらっしゃるのか。
仙人が棲むと伝えられる、蓬莱山ですが、この名前の山は方々にある。
京都の近くなら、滋賀県の比良山の琵琶湖バレーの処です。それ以外には、石川にも、和歌山にもあるし、その気で調べたらモットあるやろ。
徐福伝説を伝えてるのは、和歌山の熊野。此処の蓬莱山には徐福のお墓まであるのやて。
天台烏薬なるものがあって、これこそが、徐福が求めた霊薬であると云うてます。
これを服用したら、どうなるのか。兎に角、薬やし、肝臓病とリウマチには利くらしい。これまた、肝心の不老不死になるのはムリらしいので、残念無念。
ついでに、徐福伝説は日本全国、何十カ所もある。とりあえず、蓬莱山があったら、仙人が棲む山の意味。そのつもりで登れば、お会い出来る。かも知れません。
私が、こんなことを熱弁してるのも、ナニを隠そう、仙人に憧れてるからです。出来ることなら、孫悟空でもヨイ。弟子になりたいなあ。
琵琶湖バレーの蓬莱山には登ったことナイし、悔しいことに、孫悟空に合うための時空を越える術も知らんけど。それより、ナニより、一番の問題は邪魔くさいなあ。
斯くの如く、秦の始皇帝以来、二千有余年、イマだに、仙人発見出来ず、仙薬もナシ。
それはそれとして、仙人が出現したとしたら、どんなことになるのやろ。
そんな風体で、ワシは仙人でアルと云えば、変人、奇人扱いか、見せ物にされてしまう世のナカですが、近所に来たら、チョッとくらい、見てみたい。
(99/11/26)


20.仙人のハナシ(3)

ハッキリ云えば、仙人など、過去、現在、未来に於いて存在してるとは思てません。
ではありますが、浪漫として、居てくれてたらとは思います。
仙人になるためには、全てを捨て、人里離れた山奥に隠遁出来なければダメ。
石の上にも三年。そおか、三年で仙人になれるのか。
チガウぞよ。そんな甘いモンやおまへんで。これは、冷たい石にでも三年も座れば、石が暖こおなるぞと云う例え話やで。
それで仙人に成れるなら、千日行。千日ですから、約三年の修行で達成です。これは行者さんの修行で、体力、気力、持久力が要求される荒行ですが、これも、序の口なんや。
仙人になるには、桁がチガウ修行をセンとアカンのです。石の上かどうかは知りませんが、何十年も、何百年も霞を喰らわんとアカンのや。霞だけ喰って、それで、ナニしたらなれるのか。ここからサキは知りませんです。
知らんけど、そんなことしたら、途中で頓死してしまうやろ。
そうなんやで。仙人になる修行は命がけ。と云うよりも、命を捨てるのや。
捨ててしまえば、失うことはナイ。何百年、何千年でも永遠の存在になる。それが、即身仏。
生きたままでミイラになり、カラダだけを残して、仏になる。これでも、仏さんにはなれるけど、仙人にはなれんのや。
ナニをドオしても仙人にはなれませんから、仙人は空想の世界にのみ存在する。
ダレもが、神通力にある人が居たらなあ。持てたらなあ。それが、仙人伝説を産んだ。
神通力は現代の科学を持ってしても、無理やけど、それに近い超能力は可能。
超能力は、あるかも知れません。霊感とか、そういうモンやし、ダレにでもと云うワケにはイカンのです。其れをダレにでも出来ると云うたのが松本グル。修行で超能力者になれる。
信者が足組んで、瞑想して、バッタバッタ、やってました。テレビで見ただけやけど、アレはナニをしてる。松本グルの写真を見て、空中遊泳を真に受けたのか。可哀想になあ。
地球の引力に逆らいたければ、ロケットに乗船して、宇宙空間に飛びなさい。修行なんかセンでも可能やないか。そんな簡単なことが分かってナイ。
出来るのは、仙人でアル。つまり、神通力の世界。グルさん、水中クンバカなる修行でアップアップしたりして。
やりたいなら、十分間くらい、海に潜る海女さんにでも弟子入りしなさい。アンタさんのお歳ではもう遅いと断られるだけ。ではありますが、これなら、訓練の世界です。海女さんも、シンクロナイズ・スウィミングの選手もやったはりますがな。
そやから、人間で出来るのですが、グルさんはド素人やから一分たりとも持ちませんでした。
云うとくけど、ナンの修行もしてない私でも、一分なら持つけど、此処三十年、やってません。
それなら、空中遊泳みたいに写真にしたらよかったのにねえ。写真なら、イツまでも、潜ってられます。
よおやくのこと、仙人から人間の世界に辿りつきました。
(99/11/28)