不可思議の世界NO.2
京都・亀岡の良く当たる占い師の話
<京都でよく当たる占い師は?>
注;URL<京都inet>
不可思議NO.1 |
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目次
36.修験道(5) 大峯山
35.修験道(4) 山伏
34.修験道(3) 修験道とは
33.修験道(2) 天狗のハナシ
32.修験道(1) 役の行者
いずれにしても、仙人は仙人。
人間が仙人になることは出来ませんが接近することは出来る。
神通力とは空想の世界やけど、超能力は可能。ではありますが、超能力も定義付けせんことには、話が無茶苦茶になる。
超能力とは、能力を超えたもの。その能力はナニと比較するのかです。
例えば、卓球の場合、マッタク、ラケットも持ったことが無い人と、オリンピックの候補選手が試合しても、相手になるハズがない。
ラケットを持つだけなら、私にもアルけど、選手に対戦するなど、失礼千万。
そしたら、同好会、クラブでやったから云うて、対戦出来るのかいな。やっぱり、失礼千万。
それなりの訓練をして、その地区では有名でナイとなあ。それでも、オリンピック候補選手では相手にならんやろ。これが、私の云う一つの超能力。
ある程度、資質のある人間が訓練に訓練を重ねて到達した技術。これは、凡人にはマネ出来ません。
野球でも、プロの投げる球を草野球のオッサンが打てるハズがナイ。たまたま、当たっても、飛ぶハズがナイ。飛んでも、ホームランになるハズがナイ。
資質のある人が、それなりに訓練して出来ること。ナンでも、そうやと思います。その世界で有名な人は超能力者。明らかに、凡人の能力を超越してるからです。
次ぎに、特には訓練してナイけど、霊魂と話が出来るとか、姿形が見えるとか、これも超能力と思います。
私なんか、あの世の人の姿形は見えませんし、見たいとも思いません。怖いから。
あるいは、馬券が当たるとか、宝くじに当たるとか、抽選でも、佳い景品が当たるとか、要するに、くじ運が佳いのです。これはトキドキ聞くことがある。
私は、競馬もやりませんし、宝くじも買おたことがナイ。理由は簡単で、競馬には興味がナイし、馬の気持ちもよお分かりません。宝くじも、当たるハズがナイと思い込んでます。買わんのやから、当たるハズもナイけど、競馬のよお当たる人が身近に居て、教えてくれるのなら、買おても佳いよなあ。
当たる確率にも寄るけれど、例えば、五分五分も当たるのなら、凄いことですよ。ナン頭が走るのかも知りませんが、二頭なら、五分五分やけど、そんなことはナイ。
馬券の当たる確率五割も有れば、ご当人がお屋敷でも建てやはるけど、そんな話は聞いたことがない。活躍したはるジョッキー、佳い馬の馬主、そして、競馬の胴元は大儲け。
宝くじにしても、何億。イヤ、ナン千万円、ナン百万円でもかまいません。贅沢は云いませんので、兎に角、当たったら、一発で元は取れるやろ。
十万円でも、当たったら結構なこと。これは、くじ運がアルのやし、何処其処がヨオ当たるとか云う話も聞きます。そやけど、その宝くじ屋はんはなあ、梅田のなあ、四条大宮のなあ、鴨川のなあ。どれもこれも、人通りも多い。その分、宝くじも沢山売れてるから、確率から云うたら、当たり前やないですか。何処かの地方の片隅で、ヨク当たれば大したもんです。
宝くじで、親戚、知人、近所の人で高額のが当たった話を聞いたことはナイ。十万円とか、その程度は聞いてます。それで、おごって戴いたこともアル。一回だけですが。
そやけど、桁の大きなヤツなら、黙ったはるやろかなあ。
それで、思うのやけど、超能力がアルのなら、宝くじは確率的に云うてもムリやろし、当たり馬券は、当ててみて欲しい。
そんなこと頼んでも、自称、超能力者は云うに決まってます。欲得に絡む話は超能力が効きません。
ところで、此れはナンやろなあ。超能力ではナイし、運とか、山勘。
その山勘でも、当たる人が羨ましい。
(99/11/30)
有限会社ライフ・スペースの高橋っさん。「世界の定説」が名文句でした。
「ミナサン、最高ですか」の福永はんの、「法の華三法行」、一斉家宅捜査やて。
同時進行で、サリン事件で有名になった、オウムの村岡さんが意味不明の記者会見。
とりあえず、この手の話が、ここ数日、ニュースの主役になってます。
不謹慎な表現をさせて戴ければ、この三つを比較して、「法の華」が、まだマシやろか。
一番の阿呆丸出しが、ライフ・スペースの高橋っさん。この阿呆にくっついてるヤツの気が知れん。
それはそれとして、ナンでこんなに流行るのか。どれもこれも、宗教と超能力を利用した詐欺師で、「法の華三法行」なんか、世間から巻き上げたお金が二千億円也。これは、ナカナカのモンで、詐欺師もここまでやれたら大したモンです。
こういう似非超能力が流行ったり、話題になること自体が問題ですが、それだけ、悩みを抱えた人が多いことになる。そやから云うて、悩みくらい、ダレにでもありますけどねえ。
そやのに、そんな人を食い物にして、それが余計に腹が立つ。そのウエ、アイツ等の云うてることは、常識ハズレも甚だしい。
「法の華三法行」ですが、福永はんが、斯くの如く、抜かしたらしい。天声が聞こえるのは、三人。お釈迦さんとキリストさん。現世では世界でただ一人。それが福永法源。
おまけに、死にとおなかったら、お釈迦様、キリスト様の舎利を買いなはれ。安いモンやで、命の代償、たったの二千万円也。
二千万円が、たったかどおかはベツにして、こんな話をまともに聞いてられますかいな。イヤ、舎利のことですよ。
私の知識がマチガイでナイのなら、「舎利」とはお骨のことですねえ。お釈迦さんの舎利が仏舎利で、そんなに売れる程もアルのかい。京都の泉涌寺にはアルらしいです。
そんな貴重品を何処から調達しやはったのか。お釈迦様、キリスト様、片方でも嘘ッポイのに、ご丁寧なことに両方あるのやて。
万も億も歩を譲り、あったとして、そんなモン、売買するのとチガイますけど。
買おた人も、ドオするのやろ。ホンマモンとしたら、エライことやしねえ。お仏壇にでも飾っとかはるのやろか。それにしても、お守りが大変や。余所さんがやらはることですが。
私がそんなこと云われたら、どおするかですが、まずは二千万円がナイ。
それはベツにして、聞いた段階で、余りのショックで、折角掛けて戴いた、マインド・コントロールから醒めてしまい、空いた口が塞がらんよおになり、まずは、それを直してくれ。
ダレかが仰ってました。歴史上の有名人、ヒットラー。ウソは大きいホウが宜しい。小さな嘘はスグにもバレてしまうけど、馬鹿デカイ、大嘘は信じてもらえる。
ついでに、この福永法源さんのことですが、イツから足裏診断に衣替えしやはった。私の記憶なら、五、六年くらいマエ、「ヘソ相」がどおたらこおたら、そんな本が出てたハズ。
ヘソとなると、鑑定するためには服を脱いでもらわねばアカンし、女性なら、多少の抵抗もアルやろけど、足の裏なら、簡単やなあ。
もっと云うたら、十五年くらいマエかなあ。「億万長者になる法」
おヘソの話の前後には、「55億円貯めずになにが人間か」
とりあえず、そんな本が陳列されてたのを覚えてます。買おてはナイ。阿呆臭いしなあ。
本のタイトルが凄かったから、覚えてるだけですが、テレビでもやってましたで。
その億万長者になるための研修会がありまして、Tシャツにそお書いたのを研修生が着て、大きな声を出し、ナニやら、吠えたはりました。大声出すだけで、億万長者になれるのなら、楽な話やねえ。
そこでの主旨は、億万長者になりたければ、まず、その気持ちを一生懸命に念じて、頑張ること。それを大声出して、自分にも世間にも宣言することなんやて。
このこと自体はマチガイではナイ。その研修費用も、何百万とか云うてましたで。
最近では、研修の中味は「最高ですか」云うて、お互いに殴り合うのやて。死者まで出たらしいです。
結果、億万長者どころか、個人資産約五百億円也。結構なことに、その福永法源さんだけが、大儲け。
こんなことは、凡人にマネの出来ることではナイため、これも超能力。
(99/12/02)
詐欺集団とホンマモンの研修はナニがどうチガウのやろ。
決定的にチガウことは、目的がチガウ。詐欺連中の目的はタダ一つ。
いかにして、カモを取り込み、大枚の金品を巻き上げるかです。研修も値段の桁がチガウ。
それに対し、時代の要請があって、しかるべき専門家を講師として主催する研修の目的は、小難しい内容を如何にして理解させるかに腐心。口コミ、評判が人気に関係するし、大したことがナイなら、人も集まりません。
研修費用が内容に伴わんかったら、希望者から入り口でサイナラされてしまいます。競合者も多いことやしねえ。
ナン百万円もするよおな教材を売る団体もあります。
経営者が対象で、友人が云うてました。その内容は精神論やけど、それなりに考えさせられるとか。価値がアルと思わはるのなら、買えば佳いのです。強制やないし、どっちみち、経費で落とすのやろ。
ここでは冷静なモノ云いが出来てますが、モシも、家のダレかが数万人に一人の難病で、医者から見放されてるとか、夫が酒飲んで暴力を振るうとか、子供が非行に走ったとか、事業で失敗ばっかりで、そのウエ、騙されて破産寸前。そんな問題を抱えたらどおなるか。
ワラにもすがりたい気持ちやろし、ウサワにでも聞けば、一辺、超能力者のおチカラで救うて戴きたい。それが人情と思います。
こんなインチキ教団に引っかかるのやから、それなりに、ナニかアルのです。云い出したら、ダレにでも大なり小なりナニかの問題は抱えてます。
斯く申す私にも、ナイことはナイ。耳鳴りがあるの。どおにかナルモンなら、やって欲しいワイ。引っかかった人の悩みと一緒にしたらアカンのけど。
そやけど、何処のお医者さんからも見放されたし、イロイロ試したけど効果も無かったで。
お医者さんなんか、こんなこと云うのや。耳鳴りと仲良くお付き合いしてやって下さい。
ダレが耳鳴りと仲良しになるもんか。そお云い返してやりたいけど、そのお付き合いも、早いモンで二年半になりました。イマだに、仲良くはナイけれど、慣れてしもた。
そんなこと云うたら、多少はマシになったのかと云われそうやけど、トンでもないです。四六時中、ジージー唸ってるし、夏でもナイのに、耳のナカに蝉を飼おてるようなモンです。
そやけど、家の者も、友人も忘れてくれてます。私がピタリと口にセンようになったからや。
治るもんなら、ダレかに愚痴でもこぼすけど、アカンもんは、しょうがない。イツの間にやら、そんな心境になってしもたのです。
そやけど、超能力のおチカラがある。
ライフ・スペースの高橋っさんの、オツム、ポンポン。
法の華の福永はんの足裏診断で、最高にでもなろかいな。
超能力なら、治るやも知れません。そやけど、五十万円も出せ云われたらドオするかいな。
五十万円で耳鳴りから解放されるか、このまま一生つき合うか、どうするのやな。
敵さんも理論武装してます。真剣に効果が欲しいのなら、その十倍、5百万円や。研修に参加しなさい。
そしたら、五十万円と五百万円と、ナニがドウ違うのや。グルか教祖か知らんけど、ソレがやってくれるか、弟子がやるかの差やて。
ダレかが云うてたなあ。これは、ロールス・ロイスか大衆車の差やて。
ナンの差やな。車は何処かえ移動する手段です。狭い道なら、大きな車は都合が悪い。機能性からなら、大衆車のホウが有効やで。そんなモン、武装にもなるもんか。そやけど、そんなことを、ナン人もで攻められたら、困るなあ。
さあ、アンタの耳鳴り解消。幾らやったら、出すのやな。これ、難しい質問や。
そやけど、ちょっと、待ってくれ。そのマエに、根本的な問題がある。
霊魂はもしかしたら、あるかも知れません。訓練を重ねた人の神技的技能は超能力と思てます。ある意味での予知能力を持つ人も存在するかも知れません。
そやけど、この手のは超能力ではナイ。神通力です。神通力は仙人こそが出来ること。
人間には不可能やで。
(99/12/04)
十二月五日、朝日テレビのサンデー・プロジェクトに法の華三法行の福永法源さんが生出演しました。
大いなる興味を持って、この対決を観戦したけど、田原総一朗さんも懸命に突っ込んだけど、これはドオ見ても、敵さんの勝ち。
理由は簡単で、田原さんはカッカし過ぎて、相手がどんな答えカタをするのか、分かってしもた段階でも、まだオナジ質問方法で繰り返してるだけです。
オナジ攻めカタなら、敵さんも余裕の表情になって、ニヤリです。
田原さんとは対象的に、法源さんは堂々としてました。勿論、私の受けた印象やし、ホカのヒトは正反対に評価してるかも知れません。
いずれにしても、カッカしたホウが負け。田原さんがカッカすればするホド、ニヤリ、ニヤリ。しかも、突っ込みに自信がナクなったら、スタッフにどうやったのか確認する始末。それなら、そのスタッフに同席させれば良いのやで。
まだあるぞ。せっかく、紀藤弁護士をスタジオに招待してるのに、出番ナシ。
法の華の手口を理解してナイ、田原さんがやるくらいなら、事情を把握してる紀藤弁護士に対決させるホウがヨカッタのです。そのために、来てもろてるのにねえ。
話が遡りますが、オウムでもこんなことがありました。
上祐とやらを招いて、一生懸命、持ち上げるのです。それで、ナニを云うたのか。
上祐さんは、私の大学の後輩で、ディベードの達人です。そんな紹介してました。それがナンやな。
話を戻します。馬鹿高い、お金を信者に要求し、それでも、死亡した人があるのをどうしてくれる。天の声も当たることもあれば、外れることもあるハズや。それなら、どれくらいの割合で外れることがあるのか、明確にしたホウが親切やないか。
法源さん曰く。天の声やから、外れることはナイ。スベテ当たってる。
このハナシですけど、法源さんはアトで答を出したのです。
田原さんが、千件もの訴訟を起こされて、どうするのやな。
法源さん曰く。五万とあるナカで、千件くらいですよ。そんなこと云うてるのは。
つまり、外れる確率は五万で千件で、二%が外れると云うたのに、それを捕まえんかった。もっとも、外れる確率がその程度なら、大したモンです。
更に、本部と称し、豪華な施設を造ってナンになる。
道場として必要なものである。
喫茶店、カラオケみたいな、ツマランものを造って、倒産して、失敗してるやないか。天の声でもそんなことがあるのかいな。
失敗ではない。それも経験で、天の声である。
そもそも、喫茶店とか、カラオケが、ツマル、ツマランとは、これとは無関係に、実際に実業として運営してる人に対しては失礼な話です。
それにしても、福永はんの云うことは只一つ。天の声に従おてるだけ。
それを云われる度に、田原さんは余計にカリカリ。相手のホウが一枚も二枚もウエでした。
それにしても、ナンでもカンでも天の声やから、どうしょうもありません。
ライフ・スペースの定説が天声に変わっただけのこと。そのうち、予定の時間も迫って来て、法源さんが一泊五十万円のホテルのスウィート・ルームに泊まったり、奥さんが一日、ナン百万円ものブランドのバッグを買おたらしいけど、ソレはナンのためやな。
それも、天の声である。バッグは、ミナサンにお配りしました。
そんなモン、私は貰ってない。ホカの人も、貰いましたか。
そんな阿呆な質問して、ナンになる。法源さんも、心の中で笑てまっせ。田原とは、この程度のモンかいな。大したことないなあ。お陰さんで、法の華の良き宣伝になったなあ。ありがたいこと。
話は変わって、法の華三法行への一斉家宅捜査ですが、実際に踏み込んだら、書類をシュレッダーに掛けられて。
あるラジオで云うてました。何処かから、情報が漏れたんやろかやて。
ナニを仰いますやら。数日マエから、新聞でもテレビでも報道してたやないですか。
それで、イツするのかなあと思てたら、二三日してから捜査をしたのです。
(99/12/06)
イロイロ云うてますが、ツマルところ、宗教であれナンであれ、それに夢中になれて、救われるのなら結構なことです。
むしろ、途中で夢から覚めたトキですが、スポーツなどなら、ヨイ経験になってるし、問題はナイ。超能力とか宗教関係で、お金が絡むトキには問題が起こります。
お金を支払おて、ナンの効果も無かったし、騙された。そやから、お金を返せ。
そんなこと云うても、宗教の世界でクーリング・オフがあるのやろか。私は聞いたことがナイ。
あっても佳いけど、例えば、お釈迦さんの仏舎利。これが思てたモンとチガウと云うても、ナニと比較するのやろ。ホンマモンかドウか、ダレか分かる人があるのかなあ。
私自身不熱心な仏教徒ではあるけれど、その価値なら分かります。お金には換算出来ませんと云う程度ですが。
夢々、所有したいとは思てません。ナニかのマチガイで手に入ってしもて、それがあったら、無病息災、家内安全、商売繁盛、交通安全、厄除開運、合格成就、良縁安産、必勝祈願、万事佳いことずくめでも要りません。それを信用スル、しないとはチガウのです。御利益のアル、ナイでもありません。
処遇に困るがな。幾らナンでも、紛失したらアカン云うて、仏舎利様を枕元に置いて寝るワケにもイカンしねえ。
お仏壇に安置することになるけれど、掃除のトキ、手が滑って、落としても困るしなあ。そこらに置いといて、蹴飛ばしてもアカンやろ。そんなことしたら、キッチリ、バチが当たります。
大切にお守りしてるのに、神仏がバチを与えることはナイけれど、粗末には扱えません。
こおいうのは、個人が所有するものではナイのです。無難な手段として、お寺さんにでも相談せんとしょうがないなあ。
そんな意味で、個人で所有したいと云う発想からして理解しかねるのです。
ピカソとか、ダリ、モネ、そんな絵は大変な価値やけど、それとは意味が違うのです。
絵なら、家宝にでもしたら佳いのですが、私の家では保管の手段がナイ。ナニを阿呆なこと心配して。
話を戻して、支払おたお金が研修費用やとしたら、参加してオシマイです。
足裏診断で、ガンも治ると云われたのに、死んだやないか。
アア、もう一日早かったら、治ってたのに、残念やったなあ。
こんな話はナンとでも逃げ道はあります。騙されておろおが、おるまいが、全身全霊、それを信じて邁進出来る人は、それなりに幸せやけど、途中で眼が醒めたら不幸やねえ。
教団、団体の職員さんも、本音はどうか知りませんけど、それなりの地位があって、生活してたら、今更、後戻りも、脱退も勇気が要ることです。
オウムの上祐が釈放されるらしいけど、この不景気な時代、まともな会社が雇うハズがナイ。
そやけど、オウムなら上級者として運転手付きのBMWで迎えてくれる。教団内なら、威張ってられます。
皆、そうやと思うのです。マインド・コントロールもありますが、今更、戻る場所がナイ。
そんなことをひっくるめて、現世は魑魅魍魎の世界。マジメで純粋なほど、魔力にはまってしもて、食い物にされる。
充分、裏が分かってる人は、ゴマ擦って、幹部になれる。
末法思想も当たってるけど、そんなことないで。神仏を利用して、善人を食い物にしてみいな。
必ずや、天罰が下って地獄やぞ。
ナンと云うても、来年の干支は、龍です。仙人しか操れん、神通力の世界です。
(99/12/07)
仙人のみが可能な神通力。人間でも可能な超能力の世界。
超能力の範疇は難しい。一流のスポーツ選手は超能力がアルと認めます。
透視能力はどうか。封筒のナカに書かれた文字を言い当てる。目隠しをして、見知らぬ町を歩くとか、これはその人が持って産まれた才能やろし、インチキかどうかも分かりませんし、タネも仕掛けもナイのなら超能力。オナジよおに、霊と会話が出来る、見える。これも、ホンマなら超能力。
さてここで、医術ではナク、念力でもって、ガンを治せる。肝臓、腎臓、心臓の疾患が治せる。これは、神通力の世界です。高橋グルも、福永代表も、それが出来ると申しました。
高橋グルはサイババのチカラに寄って、福永代表は世界でタダ一人、天声を受けることの出来る人間であるとして。
あくまでも、生身の自分が云うのではナイ。サイババであり、天声である。逆には、責任転嫁してるのです。
果たして、サイババさんが超能力者かどうか、諸説紛々のため、ご本人以外分かりません。
片や、天の声と云われても、どの天であるのか、具体的には分かりません。
日本だけでも、八百万もの神様が存在し、世界の神さんとなれば、無数になってしまうのですが、ご心配無用。
福永さんに聞けば、斯くの如く宣うことでしょう。
天とは特定のモノを指すのではナイ。全ての神を総称して、天としてる。その時々に寄り異なるのである。
ここで、神様、仏様、天でもヨイのですが、万病を治すことが出来るのか。
私はこお答ます。不可能である。
お釈迦様、キリスト様でさえ、天命に従い、他界されてます。生あるモノは必ず死ぬ。その原因がナンであれ、これこそ天意である。
不老不死で、不老はムリやけど、どんな病気でも治癒されたら、ダレもが不死になってしまい、結果、地球が満員御礼。何処かで淘汰せんとアカンがな。
死ぬのはしょうがないけど、苦しんで死ぬのはイヤなこと。私もイヤですけど、しょうがないで。
分かってはいるけど、其処をナンとかお願いしたい。神社の護摩にでも、無病息災、病気治癒とお願いするしか仕方ナシ。
護摩木に祈願を書き込んで、神様にお願いして、病気を治して戴きたいし、ナラヌよお、お願いしたい。
その気持ちは結構ですが、神様からは保証書は発行して戴けません。
特別にお払いして戴くため、五千円か、一万円かをお支払いして、祭壇に上がれば、必ずや、志望校合格で、厄解消、良縁来る。
そお願っての、お支払いですが、ダレも確約して戴いたとは思てナイぞ。
此れが、自称、サイババ、釈尊、キリスト様の代理人なら値段も桁がチガウのや。
桁が異なれば、保証くらいしてくれるかやろなあ。
して欲しければ、高橋グル、福永代表には、領収書と保証書を要求することです。
(99/12/08)
私は超能力はアルと思てます。
そやから云うて、他人さんの病気が分かり、且つ、治すと云い張るのは詐欺行為。
空中浮揚したり、念力でモノを動かしたり、空間からナニかを取り出すのはマジックの世界。
スーパー・マンやあるまいに、空中に人が浮揚しておれば、宣伝せぬとも見つけてくれる。
タネも仕掛けもアルから、宣伝するのです。
熟練の職人さんの技。鍛錬されたスポーツ選手。難しい計算を即座に暗算したり、ソロバンの名手、等々。
これはタネも仕掛けもナイのですが、ダレにでも可能なことでもナイ。ある種才能のある人が訓練の結果、到達した世界であって、常人の能力を超越してるため、超能力としたい。
透視能力は、有ってもヨイとは思てます。
テレビでやってました。ロシアの男性が目隠しされて、障害壁を設けたカート・コースを走破したり、第三者が即興で描いた絵や文字を模写するのです。
話では、周囲の状況を手とカラダで感じるらしいです。これがホンマなら、紛れナク超能力。
ホンマならとの表現は、疑いも混ざってますので、半信半疑と云うことや。
福永代表が、或るテレビ番組で会場の人の生年月日を当てたらしい。
当てられた人は、自分の生年月日を証明するため、母子手帳まで持参してたのです。
勿論、サクラを準備してたのですから、ダレにでも当たる。
そやけど、サクラでも、何十人、ナン百人もヤレば大したもんですぞ。記憶するだけでも天賦の才能です。タダシ、たったの一人でも、私の誕生日を当てられたら、信じますが、このタグイのことは見せ物、余興以外のナニモノでもナイ。
次ぎに、霊魂が見えたり、話が出来たり。所謂、霊感と称し、霊能者とされる人のことです。
霊とは、聖霊、精霊、守護霊、悪霊、死霊、怨霊、生き霊、物の怪。地縛霊に動物霊。
沢山ありますが、私は聖霊、精霊、守護霊以外はお断りですが、この霊なるものが存在するかどうかが問題や。
心霊写真があるけれど、撮し手のミスにインチキがアルらしい。ところが、再現の難しいのがアルのです。
凡人の眼には見えぬ霊がナンで写真に映るのか。これも、よお分かりませんけど、私はあってもヨイとは思てます。
私自身、ラシキものを見たよおな経験がアル。そおとは云い切れません。ナニしろ、一回だけです。「不可思議の世界」の【此処】に掲載してます。
出張で高松の工場に往き、宿泊のビジネス・ホテルで寝てたら、部屋にイヤな人影を感じて、金縛りに合おたのです。
別段、初めてのホテルでもナイし、その後も宿泊してます。それ以外のビジネス・ホテルにもイヤと云うホド泊まってるけど、こんな経験はその一回だけ。
単に、疲れてただけかも知れませんけど。
(99/12/10)
ナニかを見たのではナイ。不思議なことがありました。
クレーム回答で、急遽、東京に出張することになったときのことです。
東京への出張は、イヤと云うホド往ってます。その相手先の会社にも何回か往ってるのです。
クレームは何時でも急遽やけど、品質管理の人間が全てのクレームについて相手会社に出向くことはナイのです。そんなことしてたら、カラダが幾つあっても足りません。毎日、数件から十数件、数十件も受理してる。
簡単なモノなら回答書だけを担当営業に託すだけ。出向くのは、重大問題、クレームが重なり、相手会社から技術的な問題と対策状況の説明を求められたトキ等です。
そのトキの背景ですが、私の受け持ちのクレームでは無かったのです。クレームは、重要度、機種に寄り担当を割り振りされてました。
まず、そのクレームの担当者が病欠してましたが、先方の都合で、どおしても来社して、説明が欲しいとのことで、急遽、私が代行することになりました。
クレームそのものは工程対策され、対策の効果もありまして、先方での問題は発生してなかったのです。
回答書は営業を通じて提出されてますから、それに基づいて、説明するだけのこと。
受け持ってナイとは云え、内容は把握してますし、資料を再確認して、頭のナカを整理するだけやから、まあ、云うてみたら、何処からでも掛かって来いと気楽な出張で、東京にも、イヤと云うホド往ってますしねえ。
以上の経過で、私が代行することになったのですが、問題は当日東京の営業所に着いてからのことです。
クレームの回答で、品質管理要員が、相手先の会社にご訪問の場合、必ず担当営業も同席することになってます。
重要度に寄っては、先方の上級役職者も出席しますから、それと合わせるため、その上司、更にその上司を引っ張り出すことになりますが、一般的には、説明に出向く品質管理部門要員の職位に営業が合わせる形になってます。
当然ですが、先方の上位のカタが出席される場合、それだけ重要な話になるので、当方も其れに合わせることになりますから、訪問人数も大勢になってしまいます。
今回は、そんな要請でもナイので、本社からは私だけでしたが、営業は担当とその上司がつき合うことになりましたから、訪問は、三名です。
車のナカでは、雑談として、どんな内容を回答する予定かを説明します。
或いは、営業担当者から先方の状況も聞きます。先方が更にナニか疑問を持ってるのか等、その後、不良は出てないかとか。
(99/12/11)
営業との情報交換はそんなモンです。
始発の新幹線に乗って、営業所に着いたら、車に乗せられ、先方に着くまでの間に話をするのです。お互い、時間の無駄もナイ。
どっちみち、営業担当者の運転任せやし、何処をドオ往くのかも知りません。
そのハナシが、約三十分、一通り終わって、フと、車のソトに眼をやったら、ナニやら、見たことのアル景色が飛び込んで来た。
まずは、街路樹の桜が綺麗に咲いてます。その季節やから、珍しくもナイのですが、道の雰囲気に記憶があった。
叔母が入院してた病院への道でした。
叔母とは父の妹で、私が産まれた頃には結婚してまして、小学生時代までは大阪に居たのですが、ご主人の仕事の関係で東京に引っ越しました。従兄弟も同年代で、仲もヨカッタ。
病院へのお見舞いは、そのマエの年でした。東京の従兄弟から叔母が思わしくない状況やから、まだ元気なウチに見舞ってクレとの連絡があったのです。お見舞いのトキは比較的元気でしたが、其れからスグに他界しました。
他界したのが、桜が満開の時期。勿論、葬式には参列しました。
私自身は東京には何回も往ってますが、駅周辺くらいしか知りません。
目的の営業所は品川にあって、品川駅から歩いて十五分。其れでも、いつもの道から外れたら、迷子になる程度の方向音痴。
恥ずかしい話ですが、新幹線の予約の都合で営業との待ち合わせ時間より早いこと着いてして、試しに道を変え、迷子になったことがある。
下手したら、予定時間に遅れるし、営業に電話して、周辺の建物を説明。営業所へはどう往くのか、聞いたことがありました。
病院へは母も一緒でしたから、マエの日に東京に着き、従兄弟にホテルまで連れて往ってもろて、朝、ホテルに迎えに来てもろて。そんな調子で、従兄弟の車なもんやから、其処が、何処の、ナンと云う名前の病院かも知らんのです。
その日も、桜の咲く時期でした。つまり、叔母の一周忌。
法事は、東京在住の身内でヤルから、京都からは、ワザワザ来て貰うことはナイ。そんな話のため、そのことをすっかり忘れてた。
案の定、叔母が入院してた病院が見えて、思わず私は合掌した。
ナンとなあ、叔母さんが導いたんかなあ。そお思てたら、そこからサキ、車が走る道が叔母を載せた霊柩車の走ったコースそのままです。
叔母の入院サキは、自宅のソバでしたが、そんなことも知らんかったなあ。
車は病院と、叔母の住居、そして、斎場への位置関係を再現するが如くの走りをしたのです。
ナンで、営業車がそのコースを取ったのか。
勿論、相手会社に訪問するためですが、いつもの道が工事中で大渋滞するからと、迂回しただけです。
私自身は、叔母の住居に往ったのが二回。勿論、地名は知ってますが、どお往くのかも、知りません。いつも、その従兄弟が東京駅に迎えに来てくれた。
そんな私ですから、相手サキの会社と、叔母の住居の位置関係を知るワケがナイ。
此れは、霊とか、そんなモンとも思いませんが、そしたら、ナンやろねえ。
たまたまでも、偶然が重なり過ぎてます。アトにもサキにも、仕事で其処を通過したのは、それ一回だけ。
虫の知らせ、そのタグイなんかなあ。理屈では説明出来ません。
(99/12/12)
私の不思議な体験では、奇妙な因縁を感じました。
私は一連の流れに任せて行動しただけで、ナンの主導もしてません。
そもそも、私は急遽の代行で、その相手サキが、東京方面であることは知ってましたが、叔母の家の方角とは知らなんだ。しかも、いつもの道路工事中のため迂回した。
内容も、クレームの終戦処理。アタフタと資料を作成することもナク、実際の対策には私が携わってましたから、こんな質問されたら困るぞと、そんな問題もナシ。
結局の処、クレーム回答も気楽なモンです。こんな気分で敵陣に乗り込むのは、アトにもサキにも、これ一回だけでした。
想へば、叔母が口実の準備万端整えて、東京に私を招いたかとも思えます。
血縁の私としては嬉しいこと。後日、その従兄弟にそのことを話をして、お互いに涙した。
その後日とは、私が親父の葬式で、東京の従兄弟が来たのです。悪いことは、次々起こるモンでして、そのトキ、私は足骨折のため入院中。
私にとっては、怪我、病気での入院は初めてのこと。その入院中に親父が他界した。
更に、その半年後、叔父も他界。結局、その数年間に、父を含め、その兄弟が立て続けに他界したことになる。私も、その当時から会社での立場も微妙になって、形のウエでは依願退職してしもた。
まだまだ、続いて、母方の伯母(血縁はナイ)。その子(従兄弟)が他界。もお、これで終わりにして欲しいものです。彼方此方、関係付けしてたら、切りがナイけれど。
そやけど、俗説では斯様に申します。
血縁の濃い親族が、他界したとき、その人の運気は下降期にある。
血縁の濃い親族が、結婚、出産で増えるとき、その人の運気は上昇期にある。
此れも、無視できません。
似た現象はホカでも聞いてますから、運気なるものはアルのではないか。
これは一年や二年では終わりませんし、今現在の私の運気がドオかは分かりませんが、運気は十年程度の周期で回転するものらしいです。そしたら、もおそろそろ、下降期はオワリのハズやけど。
似非超能力者にでもすがりたいときは、運気の下降期やないかとも思います。
こんなトキは、ナニからナニまでアカンことばっかりで、きっちり、はまってしもて、脅されたり、大金を巻き上げらたり、不運が重なる可能性があるのではないかと思うのです。
はめられるのは、ナニも宗教だけではナイしねえ。世間には無数のワナがある。
そおでない運気の人は、ナニもナイし、はまることも、騙されることも避けられる。
運気下降気味のトキは、焦らんことかなあ。
(99/12/13)
私みたいな、そこらの庶民の家でも、結婚、出産で家族が増えれば、お目出度いこと。
そんなトキ、ささやかではあっても、家運の運気も上昇する。当家には、ここ当分、その気配はナイ。
天皇家の皇太子妃雅子様の御懐妊ともなったら、桁が違います。これは、国家的規模で、お目出度い話になるからです。日本国の運気に関係することですから、そおなって欲しい。
昭和天皇が崩御され、早や、十一年が経ったのです。日本の景気もその前後から、下降期に入ってます。もおそろそろ、底打ちしてくれてもバチは当たりませんで。
その気配は多少はあるし、ここで一発、一気呵成に後押しして欲しいと思てます。マスコミ報道も過剰ですから、困ったもので、雅子様のお立場上、ある程度はショウガナイことではありますが、ナンとも、形容しかねるのです。
期待が大きいだけに、ソッとも出来ませんが、普通の家庭なら、耐えられません。
これだけ報道されたら、皇太子妃殿下のお気持ちも大変なモノでしょう。話が話だけに、万が一にも、お見立てチガイなら、エライことですよ。
それにしても、ダレが漏らしたのか。お目出度い話ではないから、ポロッと云うてしもたのか。
庶民としては複雑な気分。
知った以上、経過は知りたいし、雅子様のお気持ちはイカバカリかと。
ウワサだけで、この騒ぎやのに、実際に御懐妊がとなれば、ご祝賀ムードも高揚する。
無事、来年の夏にお誕生ともなれば、日本全土、お祭り騒ぎになって、活気に満ち溢れることでしょう。
そしたら、詐欺、背任、暴行、強盗、倒産、リストラ、殺人、暗いニュースばっかりの沈滞ムードも吹き飛びます。そして、ナニより、景気がよくなって欲しいのです。
個人、家、会社、国家、ナンにでも運気がある。
こんな桁チガイの運気のトキには仲間ハズレにされぬよお、落ちこぼれぬよお、素直に乗りたいものです。
(99/12/15)
32.修験道(1) 役の行者
超能力の世界。
くどいけど、私の云う超能力はそこらの人ではマネの出来ぬ能力のこと。
まずは、オリンピック出場選手、熟練した技工士さん等は卓越した能力があるから、超能力者の部類に入る。そこらの人がマネをして、マッタク、出来んこともナイけれど、相手にならん卓越した能力のこと。
そして、透視能力も超能力で、霊が見えるのも超能力と思いますが、このことは、そこらの人がマネして、マネ出来るものではナイ。
イヤ、そんなこともナイ。そお云うたら、マタ、馬鹿にされそおやけど、可能であると申します。
透視能力までは知りませんが、霊の世界には接近出来る。
オウムの道場で修行してもアキマセン。何処でドオするのか、知りたければ、私にン百万円。何処かのオッサンみたいことは申しません。
それは、修験道と称するもので、修験道とは難しいみたいやけど、山伏です。
そこらのオッサンが法螺吹いてやってます。そのオッサンの一人が、ナニを隠そお、私の母方の伯父。それこそ、其処等のオッサンです。現在、八十代半場やけど、元気に生きてます。
オッサンは京都の聖護院派の山伏の先達(せんだつ)です。先達云うても、ナンのことや知らぬ人には意味もナイけど、エライのですが、私のオッサンが先達やから、大したことはナイ。
一般的には、規範に精通する人のことを先達と云う。修験道では、大峯山修行の師を先達と呼ぶから、何回か大峯山に登れば、先達に成れる。
結局、ダレでも、入山回数さえ重ねれば成れるのですから、やっぱり、大したことナイみたいですが、それなりのことはアルのです。
ところで、聖護院と云えば、八つ橋と大根が有名ですが、此処は修験宗総本山聖護院と称し、修験道の総本山である。これがあって、八つ橋、大根があるのです。
私はやってません。あくまでも、私のオッサンがやってまして、女人結界の大峯山に何回も修行のため往ってます。
話がナンですが、何処かの姉ちゃんが、この時代に女人禁制とは何事や。無断で登ったりしましたが、途中まではダレでも結構ですし、女性も構わん道程があるのですから、そこから登れば佳いのです。
そしたら、モメルこともナイし、景色も綺麗らしい。らしいだけで、どんなんかは知りません。
そやのに、血気盛んな姉ちゃんがトキドキ出現してアカンと云うのを、ナンでやと、関係者とモメルのです。これは、モメルのが目的みたいにも思います。
私なら、あかんモンはアカンのやと返答します。ワケの分からん定説とか、天声とは申しません。大峯山修験道の掟である。掟を決めたのは開祖である。文句あらば、その開祖に云うてくれ。
開祖とは役の行者です。神変大菩薩とも云う。つまりは、このお方こそが仙人です。
その昔、西暦六百九十九年のですが、伊豆に流されたのです。親孝行のため、年老いた、お母さんを背負て、何処に消えてしもたとか。
以来、今もって、何処に生息してるのか、行方不明です。
行方不明で、マチガイではナイ。仙人であるから、不老不死。よって、交渉も可能である。
ではありますが、伝説ですから、実在の保証はしかねます。
(99/12/17)
33.修験道(2) 天狗のハナシ
修験道とは、山岳宗教のことです。
山岳宗教とは、山の大自然に身を委ねて修行すること。
此れがナニを意味するのかは、自然との会話であると解釈し、仙人になるための修行の一端である。
ある日、ナンでもナイのに、突然、天の啓示を戴いた。そんなことも、あるかも知れませんけど、インチキ臭い。
サキに、千日行なることを紹介したけれど、約三年、たったの一人で山を登り、降りするのは大変な精神力です。山も其処等の山ではアカンのです。
山伏としての修行なら、奈良の大峯山。山形県の羽黒山、湯殿山、富士山、四国の石鎚山があるのです。
比叡山でもヨイ。霊力満ちあふれた山なら結構です。山の頂上まで千回もの往復する。
夜に出て、朝に戻って来る。こんな行は簡単には出来ません。完結出来れば、大変な位(クライ)が戴けるのですが、位を目的にやるものでもない。
そもそも、夜に一人で山に登る。夜に登るには山のことを熟知せねばなりません。準備のホウが大変です。
その道も、道標があるハイキング・コース、自動車が通る舗装された道ではナイ。獣道(けものみち)と称し、昼間でも歩き難い道ナキ道です。
話に寄りますと、そんな道を、走るが如く、駆けるが如くに、登り、降りる。道々にあるお堂に参詣する。
別段、見張りも居てないし、ナニもナイ。たった一人でやるのです。
そら、怖いです。月と星の明かりだけ。それもナイときがある。雨も降るし、雪も降る。風も吹くし、木々と川もある。それ以外にも、ナニがあるかも分からんのです。
ナニがて、お化けです。狐とか、狸が化かすのです。これも、冗談ではナイらしい。
まずは、その恐怖との戦いで、恐怖以前に、体力、気力が不可欠ですが、そんなこと、やるマエから分かってます。
千日やるのですから、風邪引いて、今日は辞め。そんなことは出来ません。病気やし、怪我やしなあ。これも、ダメ。九百九十九日やっても、ご破算になる。よって、完結が難しい。
聞くところによりますと、云うても、私が直接聞いたワケではナイけれど、最初は、時間も掛かるのですが、次第に早くなる。その早さも尋常ではナイ。
走るが如く、駆けるが如く、それは、準備段階でそおならんとアカンのです。それが出来て、行に入ることが出来る。
行に入る段階では、次第に、飛ぶが如くになるのです。これこそ、邪魔してた物の怪が、イツの間にやら、話をしてくれるようになり、更には、手助けしてくれる。
更には、菩薩、不動明王までが、現れ、支援してくれる。
飛ぶが如くに、道ナキ山を、登り、そして降りる。木立、川、石、岩、急峻な坂道。そんな障害物をものともセズに突き進む。
これこそが、凡人から、超人へ、そして、鳥人へ、物の怪との会話、権化の出現。これで、超能力の世界に突入です。
やり始めは、ナニかしらの雑念もあったやも知れません。そんな雑念がイツまでもあったら、山に棲む、無数の物の怪の佳い餌食です。見方もしませんし、権化も出現しません。とことん、邪魔され、恐怖に打ち負かされ、挫折あるのみ。
欲も得もない。ナンにもナイ無我の世界に突入。そうやないと、やれますかいな。それが、悟りの域ですから、そう簡単には悟りを開くことは出来ません。
そして、飛ぶが如くに、山川を駆けめぐる。その行者の姿こそが、あたかも、羽根を付けた、天狗伝説に繋がるのです。
天狗には羽根がある。羽根があるから、天空を飛べる。そやけど、仙人ほどの神通力はナイ。
かと云うて、私みたいな凡庸な人間でもナイ。天狗は天狗である。超能力を持った、鳥人。そして、修験道者の格好をしてます。
天狗は、千日行をした、行者ではないかなあ。これは、私の見解。
(99/12/18)
34.修験道(3) 修験道とは
私の云いたいこと。超能力はダレにでも可能である。
ナニもナイのに、突然、天の啓示が与えられるような簡単なモノではナイ。それなりの不断の努力の結果と思てます。
霊感の強い、弱いはあると思います。そやけど、霊感は、あっちの世界と交信することで、病気を治したり、そんなことは出来んとも思てます。それは神通力の世界です。
さて、千日行は、別段、夜に出て、朝に帰らんとアカンのでもありません。夏場の昼間に登山してたら、暑うてカラダが持たんから、涼しいウチにやってしまうのです。
それと、毎日欠かさずでもナイようです。何回かに分けても宜しいようですが、やるのなら、ある程度の体力のある年代でないとムリやし、一気にやったホウが佳いのです。
知ったようなことを云うてますが、その千日行をした人が出現したのを、十五年マエ、新聞記事で読んだことがある。
ホカに、千日とは、千日詣でがありまして、これは、神仏にナニかの願い事を聞いて戴くためにするものです。
子の病気を治して欲しい。大切なお人が、戦地から無事に戻って欲しい。そういう類の願い事をする。
千日も頑張れば、中途半端な気持ちではないと、神仏も、キット、聞いてくれるやろ。
実際に、千日もお参りするのは大変ですから、ある特定の日にお参りすれば、千日行ったことにしてあげる等、便法もあります。
千日行以外にも、修験道の修行にはイロイロあるみたいですが、知りません。知らんけど、修験道の修行はナンのためにやるのかと云えば、霊力を授かるがためのモノ。それこそ、定説云々の高橋グル、オウム、福永法源さんが云う、超能力を指す。
聖護院でも、護摩木を炊いて、加持祈祷をやってますがな。
その加持祈祷でナニするのか。お不動様、観音様に、衆生の願い事を申し立てること。
身近なことなら、お正月の鏡餅を三段に重ねて台所に飾りますが、此れが三宝さん。
その三宝(仏・法・僧)さんは、もともとは、ご飯を炊く、オクドさん(カマド)の神様のことですが、オクドさんはナイし、お台所には電気釜。
三宝さんとは、盗難除けで、お不動さんは、ご存知、火の神さんやから、火災除け。
結局、その家の盗難と火災除けが加持祈祷の儀式。と、私は思てます。
そやのに、護摩木には、ナンでも宜しい、書いて出しときなさい。そしたら、家内安全、無病息災、合格祈願、良縁安産、ついでに、商売繁盛に、金銀財宝、不老不死。
適当に、思いつくがままに、頼めることはナンでも頼んでしまえ。
そんなことになるし、加持祈祷の御利益なんか、ダレも信じませんのやろ。値段も、一本、数百円。そしたら、気休めですか。
その護摩木を、伯父が預かってくれて、聖護院で加持祈祷してくれてました。それで、ナンやなと云われたら、返事に困るけど、火事はまだナイし、盗難にも遭おたこともない。
アトは風邪は引くけど、文句もナイ。気休めやけど、それで、充分と思てます。
(99/12/22)
35.修験道(4) 山伏
山伏をやってた伯父は四条大宮のホウに棲んでます。
そこには、私の出身中学校もあって、当時は通学コースの途中になってました。
家に入って、こんにちは。真正面に、お不動さん、五大力さん、西国四十八カ所、ゼンブ揃った判子の掛け軸を飾ってるのが見えます。狭い家に、お仏壇と、その掛け軸だけが目立ってる。
泥棒が入っても、こんなモン、盗らへんやろ。そやから云うて、ホカに盗るモンもナイ。コラ、ショウガナイと、アッサリ、退散する。
そんなことで、家の戸締まりも、してるのやら、してないのやら。鍵は掛けてないけど、やられたとの話も聞いてナイ。
伯父は、徴兵されて、終戦で戻って来ました。その兵隊さんの話は私が小さいトキ、お酒を飲んだら、イヤと云う程聞かされた。
そやけど、イツから、山伏をやってるのかは知りません。とりあえず、気が付いたときにはやってましたし、先達にもなってました。
その先達も自慢やったけど、ナンで山伏になったのか、どんな修行をしたのかは聞いたことがありません。
タダシ、ウソかホンマか知りませんけど、伯父には、お不動さんが現れるのとは云うてました。
私の祖母が他界したとき、お坊さんの読経が終わってから、伯父が読経をやり出して、途中から、印を結んで、ナニやら唸り出したのです。
それが終わってから、ナニがあったのやて聞いたら、
「ワシがお経をやってたら、オマエのお婆ちゃんがなあ、お仏壇から顔出して、ワシによお来てくれた云うて、ニコニコして、お仏壇から出て来やはったのや。
それで、もお、アンタはアッチの人やから云うて、戻って貰た。佳い顔したはったし、成仏出来るで。」
それは気持ちの悪い話ではあるけれど、戻って来て貰ても、佳いけれど、やっぱり、死んだのやったら、アッチに往くべきやと、複雑な気持ちになったなあ。
亀岡の家に引っ越したトキも来てくれました。新築祝いや云うて、塩とお酒で、家の周辺を清めてくれて、此れで、悪い霊は近寄らんようにしたったで。ありがたいことです。
マタ、お仏壇も、マエのはガタガタになったから、新しいのを買おたら、それを聞いて、ワザワザ来てくれて、お経を上げてくれました。これは、お仏壇に入魂したと云うことです。
勿論、京都からお坊さんをお頼みして、入魂はやって戴いたのですが、折角やしねえ。
そんな具合に、伯父は、私の節目にはナニかをしてくれました。私は不熱心な仏教徒ですが、そのナニかが、ナニを意味するのかも分かってません。
その伯父も、八十歳半場。
本人の云うには、もお、お不動さんも現れてくれんようになったとか。現在はその長男が山伏をやり、先達にもなってます。そやけど、まだ、お不動さんは現れてんらしい。
その従兄弟も、昔は山伏をイヤがってたのやけどなあ。
(99/12/23)
36.修験道(5) 大峯山
さて、お不動さんのことをちょっと。お不動さんを正式には不動明王と申します。
火の神様で、火災を防ぐ。当たってるような、当たってナイような。
お不動さんは大日如来の化身です。モロモロの煩悩、障害を焼き払い、悪魔を降伏させ、行者を擁護する。更には、菩提を成就させ、長寿を得させるもの。行者さんの世界で、菩提と云えば、煩悩を断ち、悟りを開くこと。
私利私欲を捨て、不老不死となること。つまり、究極の目的は仙人。かと云うて、私利私欲を捨て去るのは、生身の人間にはムリなこと。よって、右手に刀剣、左手に羂索(けんさく)を持ち、火焔光背を背に、岩のウエに座り、怖い顔して、睨みつけるのです。
煩悩を持った修行者を烈火の如くに怒って、叱咤激励してるのです。スパルタ教育の権化みたいなモンですねえ。
この火焔が火の神様みたいに解釈されてるのか。イヤ、火災こそは、全てを奪う大悪魔。
行者さんが崇拝しておられるのは、そおいう意味ですが、イラン講釈は、これくらいにしときます。
伯父がそんなことやし、私も多少は山伏に関わった。云うても、二回だけ。
最初の一回は、小学生か、中学生の頃、聖護院で、山伏の格好をしたのです。もしかしたら、山伏のお稚児さんになったのか。
次ぎは、高校一年生のトキ、大峯山に登りました。
これは、伯父のホウに意図があったのですが、私は観光気分で、観光バスに乗りました。聖護院の山伏の団体さんで往ったのです。
夜出発して、朝に付く。その朝から、大峯山に登り、下山したら、近くの旅館で一泊して、帰路に就く。そんな日程と思います。
伯父の意図は、「西の覗き」の行にあったのです。
高さ、約三百メートルの岩のウエで、少年が行者さんに逆さ吊りにされ、岩に掘られたお不動様を拝む行のこと。
その逆さ吊りの状態で、
「親孝行せえ。一生懸命に働らけ。イヤヤ云うたら、落としてしまうゾ。」
「ハイ、します。」
そお答えんことには、元には戻してくれません。スパルタどころか、脅迫です。
「さあ、これで親孝行で、働きモノの兄ちゃんが一人出来たぞ。」
そんな行のことやから、高校生くらいの男の子が沢山、参加させられたのです。
行が行やから、何人もの行者さんが安全確認してました。そら、脅しやとは云え、万が一にも命綱が切れたり、外れたら、エライことやしねえ。
実際に、お不動様がその岩場にあったのかどうかは覚えてない。ナイような、あったような。そんな余裕も無かったけど、そんなこと、どおでも佳いのです。
その行場、西の覗きの岩の下には人骨が沢山との話があります。修行中の山伏が、行の途中で、足を滑らせ、落下した。そんな話を聞かされて、余計に恐怖の逆さ吊りでした。
大峯山は、それ一回ですから、ナニがどおであったのか、詳しくは、覚えてませんが、途中までは、特に、ナニもナイ、普通の山です。
女人結界の処から暫くしたら、急峻な岩場が沢山あって、鎖が付けてありました。その鎖を手繰って、登らんことには、ウエには往けません。
ウエにも、シタにも、行者さんが居て、参加者を見守ってくれるのです。むしろ、行者さんのホウが一般参加者よりも多かった。
その見守り役が先達さんです。登れないのが居たら、肩に載せ、ウエからは引っ張り上げ、それは其れは大変な作業です。
山伏の格好してるだけで、経験の浅い一般参加者に毛がはえたオッサンも居てました。そっちのホウが多いのですが。
イマとなったら、懐かしい想い出です。伯父と何処かに行ったのも、それ一回だけ。
(99/12/24)
そのムカシ、人間は自然との共存やった。その代表が、お天道様。
朝は太陽と共に起き、夜は太陽と共に仕事を終える。
明かりもナイし、天気予報は経験だけ。行動範囲も、徒歩で行ける範囲。
情報も皆無に等しい状態やから、一寸サキは闇。その代わり、満天の天の川が見えたやろ。
私も小学生時代のことやけど、同級生のお父さんの里が滋賀県で、夏休みに連れて貰たけど、そこで見た。
夜、肝試しとか云うて、その同級生と、そこの子と数人で外に出た。
里そのものが比良山の麓やったけど、目が闇に慣れるまでは足下も見えんくらいの暗さ。
足元どころか、スグそばで、声はすれども姿は見えず。道がどんな具合かも分からんし、皆、手をつないで、集団で動かんかったら、迷子になってしまう。そんなことで、肝試しどころやナイけれど。
そこで、天空を見上げて、ビックリした。ナンとまあ、満天に天の川。写真、絵では知ってたけど、目の当たりに、実物やった。感激、感動、呆然、唖然。
もお、手を伸ばしたら、取れるのやないかと思うくらい、すぐそこに、無数の星がある。
周囲に家の明かりも、車のヘッド・ライトもナイ。どっちみ、道も分かんし、天井を見上げたまま、くっついて行ったけど。そのトキ見た天の川は、私のナカに永久保存されてます。
イマドキ、その滋賀県でも、亀岡でも、天の川は見られんやろ。京都市内なんか、当時でも見られんかったのやで。そう云うたらナンやけど、四国の嫁はんの里でも、見てナイなあ。
もお、家の明かりが多過ぎるのか、私の視力も低下してしたのかなあ。
それと、プラネタリウムで天の川を見たけれど、実物とは比較にはなりません。それに引き替え、昔なら、天の川もそこらで見えたハズ。
西洋の星座、日本のお月さんでウサギさんがお餅つき。難しい理屈ヌキ。実際に目のマエに見えてるのや。
つまりは、大自然との会話が出来たハズ。大自然も星だけではない。木々、川、風、ナンでもです。それは、山深い人里離れた場所なら、尚更や。
厳しい大自然の威力がそのまま、生死を分けてしまう。それこそ、自然とは真剣な会話をして、危険予知の能力を全身全霊でもって研ぎ澄ます。真剣な会話とは、僅かな変化を、五感、六感で、読みとることを意味します。
天寿も五十年。医療も貧弱やし、常に死と対峙。人生の先輩である、長老、他界したご先祖様との会話も頻繁やろし、悪鬼との遭遇も、極く身近にあったのではないか。悪魔とは、病魔、盗賊、火事、戦争、天災地変、天変地異のこと。現代とはこれも桁違い。
それは、一族郎党の存亡の問題。それでも、予知は難しかった。私利私欲が絡んでしまうため、或いは、佳いホウに、イヤ、悪いホウに、思考回路を狂わせるからで、捨てんことには狂ってしまう。それが悟りの世界。
そこで、利害を超え、雨、台風を予知するのに長けた人。右か左か、方向を決断してくれる人は尊敬された。シャーマンと称される予言者が神格化された所以。
その代表格が卑弥呼。おそらくは、その予言が度々的中し、ありとあらゆる、天変地異から一族郎党を守ってくれたのか。
それに対し、現在はどおかと云えば、天気は確率で予報される。台風も、時々刻々に知ることが出来る。戦争も、ゲーム感覚で、医療も発達してる。
残ったのはナンやろな。盗賊、火事に殺人鬼。
それだけ、自然からの驚異は予防出来るようになったのに、肝心の会話はなくなって、人間の仮面を被った悪魔が増殖してしもた。
(99/12/26)
当家は、東大谷派の浄土真宗。門徒物知らずの門徒です。
単純には、キンキラキンの大きなお仏壇を狭い家の中心に備え、日課はお仏壇に一番茶とお華足さんをあげて、月の始めにお墓参りをしています。
対して、伯父は聖護院の山伏をやってるのですが、これは趣味なんです。
実際には法華宗。法華宗の開祖は日蓮上人の弟子で、元天台宗。
とかとか、仏教の宗派を云い出したら、有り過ぎて、私の知能程度では混乱してしまう。
つまる処は、オナジ仏教やし、兎に角、ご先祖様を大切にしてたらそれでヨイと思てます。
そやけど、趣味とは云え、山伏の修験道は密教の世界。簡単には、悟りを開いて超能力を求める宗派です。
そして、悟りの世界を描いたのが曼陀羅で、その曼陀羅を怪しげな部屋に掲げやのがオウム真理教。
松本智津夫なる、自称グルはオナジく密教の阿含宗に入信したけれど、実質、たったの三ヶ月で脱会した。
阿含宗は桐山靖雄館長が創設したモノで京都の山科の花山に総本部があります。
これまた、私は信者ではナイけれど、十数年マエ、家族を連れて、それこそ、遠足気分で、「阿含の星まつり」を見学しに往ったことがある。
云うたらナンやけど、そこで初めて、この阿含宗が修験道の一派と知りました。ナンで分かったかと云えば、山伏装束が多かったから。
話がナンですが、そのオウムの連中が、こともあろうに、釈尊が悟りを得たと伝えられてる、インドの菩提樹の元で記念撮影。
そのメンバーの一人が、明後日にも出獄する小悪魔上祐ナンとかです。
それはそれとして、立ち入り禁止区域でナン時間か知りませんけど、瞑想して、それで悟りを開けるのなら楽なもんですよ。
悟りを得るのではナシに、記念撮影してやったと、宣伝するのが目的や。
小悪魔連中の考えることやから、この程度やけど、そもそも、悟りを開いたとして、悟ったでと、自慢げに吹聴するものではナイ。それは周囲が感じるもの。
つまりは、私利私欲を捨て、無私無欲。イヤイヤ、衆生のためなら、死までを意味します。
それが、即身仏。飢饉、災害、その他、モロモロの天災地異から衆生を救済せよと、身を捨てて、仏神に直訴するための手段です。
それで、ナンやな云われたら、それまでのことで、効果のホドも分からんのですが、その思想を私は指示したい。
オウムでは、五日間、水だけで生きる荒行をやってたけど、これは、ナンのためにやる。
超能力を得るがためですが、それをナンのために利用するのかです。自分のためなら、永久に解脱は出来ませんし、超能力を身に付けることも出来ません。
自分のタメではナイ。スベテは、松本グルのタメにやるのも居るらしいけど、其れでは対象がズレてます。
あくまでも、超能力とは衆生救済のためである。地域住民と軋轢が起こることもナイ。
ここに、この奇妙な宗教団体の勘違いがある。
法の華三法行は頭を取る。これが、解脱を意味してるのですが、その目的もズレてます。お金を教団に払い、研修会で解脱出来るのなら楽なモンです。お金で悟りを買うことになる。これは、マサシク、自分だけのタメ。
地域住民とモメルのは邪教である。
(99/12/27)
世の中、ウマイことになってます。
ライフ・スペースの高橋グルが口火を切って、法の華が家宅捜査。
それも、一段落して下火になったら、日栄と商工ファンドの浪速金融道。云うても、日栄は京都で商工ファンドは東京や。そして、年内最後がオウムです。
先日は、朝、テレビを点けたら、どれもこれも、上祐幹部の出獄。イヤ、出所の事ばかり。
オウムからナン人かが広島の刑務所に刑期を終えた上祐様のお出迎えをした。
それにしても、合おてナンと声を掛かるのやろ。
「お勤め、ご苦労様でした。」
これなら、まるっきり、ヤーサンみたいやけど、やって来たことは、ヤーサンも顔負けの凶悪な犯罪行為。
テレビで見てる範囲では、ダレがナニか分からんけど、見るからにソレらしいのが、警察関係者やったりして。
彼の罪状は、単なる偽証罪。嘘八百を並べて、世間を攪乱した罪。
一応、松本グルを頂点にして、信者数千名を抱えた教団の大幹部です。現在の執行部より、上祐が上位。
この組織そのものが、今の日本社会を反映してます。組織のトップ連中は、彼奴が勝手にやったことと、知ラヌフリ。実行犯は死刑です。
その彼奴等と云われる連中をかばう幹部が一人も居てないのです。よおそれで、幹部をやってたけど、それでも、くっついて来るのが居るから不思議。皆様、解脱されてます故。
解脱の内容は、世の中で最も大切なものは、自分自身である。
ナニがナンでも、生き延びること。他人を蹴落とすのも手段である。生き延びてこそ、これからの人生が開かれるのである。
佳い格好して、自己犠牲みたいなもんしたかて損するだけ。これも、悟りの一つにマチガイはナイ。上祐さんは防弾チョッキに身を固めて、出頭、出所した。身にやましいことがナイのなら、正々堂々としたら佳い。どっちみち、これだけマスコミが取り巻いてたら、大丈夫です。
と云うても、村井クンの例もあったしなあ。
オナジことは、何処の幹部も実践してます。商工ローンの社長もそのマエには銀行のエライさんも、皆様やってます。路頭に迷うのは一般社員だけ。
とりあえず、裁判官が偽証罪と判断したからソオなんやけど、矛盾を感じる次第です。
個人に対しては、イヤも応もないクセに、権威、組織、団体には司直も弱い。ナンでも曖昧にしてしまう。
組織としての犯罪ではあっても、刑は個人に科するものやしねえ。
それにしても、おかしいのです。
偽証罪と云うことは、上祐の云うたことは、スベテが嘘であると裁判所は認めたハズ。
そしたら、犯罪に荷担シテナイと云うのも、嘘なんやで。
(99/12/30)
イワシの頭も信心から。信じるモノは救われる。
そんなことで、信教は好きなようにしてくたら佳いのです。
かと云うて、ムカシから、宗教そのものが両刃のヤイバ。布教のウラには政治と絡んだり、血塗るられた悲惨な歴史もある。
コーランか剣か。
これは、異教徒に対し、イスラム教を信じるか、それとも、剣を持って戦争するか、どちらを選ぶのかの脅迫文句で、これこそが、宗教の本質。
現在の日本では、信教の自由は憲法で保証されてます。そしたら、宗教について、ガタガタ云うたら、憲法の精神を踏みにじることになるのかい。かと云うて、宗教とはナンですか。
心の問題やから難しい。そこに、金品が絡むことがあって、余計に難しい。
宗教団体も、山程あって、たまたま、問題を起こした団体があっただけのこと。布教活動にチカラを入れ過ぎたり、ヘマなことしたから、目立ってしもただけのこと。
そして、一連の問題で思うことは、既成の宗教。つまり、仏教が法事のお手伝いだけの団体になってしもたと云うことや。
あるいは、坊主丸儲けやないけれど、土地等の資産を私物化してしもて、商売熱心になってること。
我が家のソバにも、お寺さんがありまして、所有地にはマンションを建てたり、会社に貸したり、切り売りしたり。それは、ソレハ、スゴイ資産家ですから、檀家を増やすことも考えてないのかなあ。
こっちに引っ越した当初、そのお寺さんに、お盆の読経をお願いしたことがありましたが、それっきり頼んでません。
まずは、お説教が長過ぎるし、クド過ぎるし、内容が自慢話ばっかりやし。それでは、ありがた味もナイしねえ。
そもそも、そのお寺さんに馴染みもナイし、やっぱり、止めとくことにしたのです。
仕方ないし、お付き合いのある、松原通りの光圓寺さんに、亀岡まで来て戴いてます。そのホウが、命日等の記録もあるし、安心です。
ところが、このお坊さん。先代と違い、無口で、お説教もナシ。私も口数は少ないホウで、話題に困るのです。
このお坊さんは大谷大学で教授をしておられるらしいです。その跡継ぎさんも、お坊さんをやったはりますが、お目には掛かったことはナイ。
これだけの話です。
(00/01/08)