シバケンの天国
<−介護・凡人の憂鬱ー>
−明日は我が身の話−
禁談VNO.1 | 禁談VNO.2 | 禁談VNO.3 |
要介護[2]NO.1 | 見えるNO.3 | 禁談NO.9 | 禁談UNO.2 |
要介護[2]NO.1 | 見えるNO.3 | 禁談・奇談NO.9 |
番外・爺さん・婆さんの話 | 母入院NO.4 | 要介護1NO.3 |
題目一覧表 |
NO.40 その後の話(3) 占い師宅様えの話
NO.39 その後の話(2) 悪口雑言の話
NO.38 その後の話(1) 複雑怪奇なるの話
NO.37 御礼の話
NO.36 告別式の話(9) 「通夜」やあるまいにの話
NO.35 告別式の話(8) 焼き場の話
NO.34 告別式の話(7) 喪主挨拶の話(5)
NO.33 告別式の話(6) 喪主挨拶の話(4)
NO.32 告別式の話(5) 喪主挨拶の話(3)
NO.31 告別式の話(4) 喪主挨拶の話(2)
NO.31 告別式の話(4) 喪主挨拶の話(2)
オッとの、忘れるとこ、でしたです。
「末期の水」。
そ云うたら、本来的、亡くなるの時、直後なれどの。よ考えたら、してませんでして。
場所、「こもれび」やしなあと。
さりとて、親父の時、したの覚え無く。場所、「黄檗病院」やったしなあと。
ならばの、祖母の時、自宅で、どやったかと、なればの、昔の話故に、覚えてえへんわと。
そもそもがの、当世、やてるの怪と。
での、「告別式」最後の最期、蓋閉めるの直前、これが、最後ですよの時以前哉に、司会進行役が、袋に納めてたの、紙コップの麦酒を取り出しまして。
コレ、母の棺に入れるの食べ物等々なれどです。
麦酒も宜しいです。但しの、缶はダメで、紙コップでと。されたが故、ここは、白では無く、カラーのでと。
余計な話の、白のでは、検尿を連想すると、云うのが居てるのらしく。当方、全くの連想しやへんですが。まあなあ、そ思う人が居てるならと、カラーの紙コップにしたですが。
いやなあ、それでや、まさかの、末期の水を麦酒でと。
とは、想定外の。されどの、別段の、その手もあるは、あるなあと。
司会進行役の方より、樒<しきみ>の葉を、手渡されの、喪主より、順々にと。希望者にと。
希望とするのか、隣に居てるの、嫁はんに。そして、長男、次男と、やったですが。
他には、特段の、進み出るの、希望者あらへん故に、紙コップに蓋して。蓋も、サランラップで、輪ゴムやけどや。再度の、袋に入れて、喪主たる、当方、担当の指示により、母の手元付近であった哉に、置いたですが。
実は、母、1人で家に居てるの時、缶ビール調達での、飲んでてねえ。
ここだけの話の、裏庭に、空き缶、ポイポイ。飲んでた、スグ分かるですが。隠れて、飲むの事もあらへんのにと。何なら、1ダースとか、買い置きしとくと、嫁はん、母に伝えるも、飲んでえへんと。あのなあと。
バレバレやのにです。
まだまだ、要介護認定、受けるの以前の頃。もしかしたらの、要介護認定受けるに至るの、骨折原因、多分ならばの、麦酒哉と。
イヤ、それで、要介護になったでも無いですの、遠因ではと。
飲んで、寝てて、パと起きても、起き上がるに、足元フラフラ、転けてもての。
結果的、大腿部骨折での、金具付けたままになっての、入院生活。ここから、転け癖付いた。とも、云えて。
但し、この当時には、回復、驚異的での、シルバー・カーで、どこえでもは、語弊も、まだまだ、ゲート・ボール命で、活躍してたですが。
一度転けたら、あかんねえ。
相応に足腰、弱るの哉の、先の通りの、何度、転んだ、転けた。
回数覚えてえへんわと。
兎に角、以降、ゲート・ボールには、行っても、買い物に、までは、行かんよになって。別段の、麦酒飲みたいなら、こちが、買い置きするですが。大体が、当方、飲み助では、あらへんでして。置いてませんでして。
夏場の、余程の暑いの日になら、飲むの気にも成るですが。その頃には、飲むかと、勧めても、要らんと。
当人、母なりに、大いなるの反省しての事哉と。
当然の、「リハビリ・センター」でも、飲めへんし。
結果、「末期の水」として、麦酒哉と。
イヤ、結構なると。
オッとの、これが、当世、葬儀の儀式になてるかは、よお、知らんです。
喪主なんか、そは、回数やてませんでして。2度目でして。前回、親父の、25年経つです。
喪主でも、そんな細々、覚えてえへんわと。喪主以外なら、尚更でして。
町内会のなら、度々の、参列も、そこまで、詳細見てませんです。見てても、遠目で、何したはるか、なんか、分からんわと。
オッとの、での、喪主挨拶。
喪主挨拶なんか、誰しも、慣れてるモンと、違うですが。基本、長男なら、生涯、2度。両親ので、順当での、目出度くの、結構なると。
奥様ので、ご主人様喪主、本来的、逆さでして。ましてやの、自身の、子、息子や、娘のなんか、トンでもでして。親不孝者でして。
話、逸れるですが。
そらなあ、単なるの、挨拶ならと、するのか、通達的等々なら、会社で、でもしてたですが。成果発表会等々も、したですが。
町内会の、区長の時、10年の昔<2005年度>にも、諸般の挨拶、したですが。
どちかと、なればの、この、区長経験、生きてるですが。
そらなあ、会社での、面々、前にしてのと、町内会の、とでは、違うわと。
会社のは、テーマ、決まってるの。云うべき、伝えるべき、頭の中にあるわと。場合によりの、項目沢山での、メモ書き見ての話やわと。又、指示的、事項やわと。
町内会のは、通達、等々、専門的なるで無いわの。形式、儀式でして。区長挨拶で、以て、事、始まるです。要は、職制とは、違うです。
慶事でなら、息子共の結婚式の、親族代表挨拶あるです。
コレなら、2度経験での。ここだけの話の、ソラ、練習したです。
練習して、練習して、結果、長男のは、成功と、するのか、思うの事、概ね云えたです。
ところがや、次男の時、再度の、ここだけの話の、同じの、「都ホテル」やのに、様相、一転の、皆が、全員と、までは、申さんの、参列者が、当方のソバに、集まって来てねえ。
コレ、緊張度、一気、増すです。
イヤイヤ、長男の時には、席に着いたままで、聞いてくれて。距離感ありの、緊張は、緊張したけどや。自分のペースで、想定通りに云えたですが。
次男の時、そんな事で、えと。
えも、練習通り、原案通り、云えば、ええのやけれどの、慌てたも、あての、さての、どれでと。
実は、幾通りも、考えてたが、拙かてねえ。長男の時、上手く行ったが故に、尚更での。
イヤ、申すの、長男の時の、親族代表挨拶も、次男の時のも、原案なら、記憶してるわと。一言一句までは、無理も、概ねの、筋、話の筋ならでして。
ここで、次男のは、式場での、挨拶文言、当初、考えて無い事を云い出した故に、当方がや。支離滅裂の、話になた哉と。
云うてるは、「原案」なら、現在唯今も、概ねなら、記憶してるですが。
次男のも、原案で、押し通すのべきやたなあと。
その積もりで、考え、練習してるのに。何を血迷おたか、全然の、原案に無いの、考えてえへんの事から、出だしてもての。結果的、変な話になてもての。終盤、一部、原案通りのを、云うたですが。
コレ、嗚呼、拙いと、修正の、結果での。
その背景なるは、結婚式の進め方、なるが、斬新的、とするのか、新郎たるの、次男が主となりの、進行させて。
いやなあ、次男、思いの外、雄弁やなと。こんな場で、大したモンやと。
へえと、へえ、へえと、感心してるの間にも、親族代表挨拶になてもたもあての。
当方的、嗚呼、しもたと、諸般、申し訳無いなあと。
(15/07/08)
NO.32 告別式の話(5) 喪主挨拶の話(3)
慶事、結婚式の親族代表挨拶なるは、ソラ、緊張するです。
新郎、新婦に恥かかせらへんしと。
加えての、正直、人前で、挨拶するなんかの、場慣れしてへんわと。討論会や、会議であるまいにと。一方通行でして。間の手もあらへんし。
長男の時には、転職してねえ。そして、結婚での、まあ、勇気あるなあと。
新しい職場の同僚居ず、旧の、同僚でして。コレが又、京都では、評判の、厳しい会社でねえ。日本電産と、称するですが。ここには、ロームからも、退社して、何名かが、行ってるは承知の、式の際、面々に挨拶方々、その辺りの話、したら、当方、挙げたの苗字のが、上司ですと。へえと。
これが、上司か、えらい事やなと。
とまでは、申してませんですが。年齢的、後輩でして。社歴でも、後輩なれどです。
要は、ロームとは、ジャンル的異なるですが。日本電産なるは、電子部品製造会社故、電気、機械系の人間、技術者なら、相応の昔よりの、知ってるわと。それも、有りで、話、し易かったはあったですが。
原々案的になら、嫁、新婦の会社の事にも、触れよかと、構想だけなら、したですが。専門分野的、違い過ぎるもあての、止めたですが。下手な事、云わんとこと。
イヤ、「タキイ」と称するの、種子の会社での。コレ又、有名でして。亀岡の家の近くにも、工場ありで。
いやなあ、挨拶の、主たる中身、当家、親子三代、電気屋であると。
事実でして。
我が親父、名実共の、電気屋での、看板なるは、「ナショナル代理店柴田電気商会」。
当方、長男、大学異なるですが。電気工学専攻でして。
当方、ロームで、品質管理を担当してての、クレームで、「ナショナル」とは、申してませんの、「松下電器」には、お世話になったと。
での、息子は、名実共の、「松下電器」にお世話になってと。
ででの、冗談一発、当方の、お小遣いでも、買えるの、パソコンでもを、開発して頂戴なと。ここで、披露宴会場、参列者より、クク、アハと、笑い声。同調者、居たんやでと。
の、程度で、挨拶の中身の話、止めるですが。
オッとの、主たるの中身、それが全てなれどです。
次男の時には、参列者、薬科大学時代の、学友が主。とするよりは、両家親族以外、それ。
ソフト・テニスと称した哉の、同好会の面々でして。
コレを標的の、構築してたですが。ソラ、新郎、新婦が、それに入部での、そこで、知り合おたんやと。
とは、後刻も、後刻の、結婚の話の、直前に知ったわと。
要は、学生時代からの、知り合いでありの、お付き合いしてたを、知らんかてねえ。当方がや。と、するも、少々、違うですが。違うは、結果論でして。とりあえずは、概ねの、10年来のお付き合いの彼女であるを、知らんかったんやと。
よて、一番最初から、経緯、なり染めから、承知は、学友諸君也と。
当方、親父たる、結婚前年の夏、次男出先から、電話一発、メガネやた哉を取りに帰ると。その際、彼女一緒でも、構わへんかと。へえと。
昼飯、ラーメンでも、構わへんしと。へえの、あのなあの。
相応の年齢のが、彼女を連れて来るに、ラーメンではなの、あかんやろと。せめてもの、「さと」での。それでも、ファミリー・レストランなれどの。その程度はなと。
での、彼女見て、ンの、見た事あるなあと。
そ云うたら、学生時代哉に、一度、家に来たなあと。とは、瞬時、想い出してるわと。そやけど、ソレ、学生時代やでと。結婚云々なんか、想定してへんわと。当方がや。
嫁はん、長男、概ねなら、承知してたの、みたいでねえ。我が家で、知らぬは、当方、只1人。
いやなあ、このエピソードを挨拶文言にと。
更にならの。
されどの、もしかして、もしかしたらの、新婦の親父様、当方よりも、後刻に結婚の話、知ったのではと。
理由なるは、もしかしんでもの、その年の年末哉に、結婚の件、正式に、次男より、聞いたですが。現在唯今、嫁に、での、その事、ご両親、承知怪と、尋ねたならばの、マダ、話、してませんと。へえの、あのなあと。
とは云えどの、我が推測ならばの、母親なり、姉妹には、チラとなら、云うてるやろと。
どちにしろ、最初っから、承知は、学友諸君。
一番の最後に知らされたは、多分ならばの、新婦の親父様。その直前、当方哉の。親父は、常に最後やなと。後回しやなあと。
つまらんなあと。
つまらんの、までは、挨拶文言には、入れてませんですが。親父は、そんなモンですの、話をと。
オッとの、この辺りの事、文言、あくまでもの、原案でして。予定で、構想でして。当然の、一太郎で、入力しての、プリント・アウトしての、練習だけなら、何度も、してる。のにです。
本番にて、全然の違うの話から、切り出してもての。この、予定外の話なるは、皆目の、覚えてえへんの、記憶消滅、抹殺。
兎にも、角にもの、学友諸君になら、よっく、分かるの話をと。の、積もりやったのにです。途中から、軌道修正したですが。
一部、飛んでもてるが故、学友諸君も、分からんかたやろの、失敗したなあと。
以上、結婚式の親族代表挨拶なるは、どちにしろの、慶事。
少々の冗談っぽい事、云えるですが。まさかの、喪主挨拶にての、その手の事、云えず。冗談と、受け取られ兼ねんの、不謹慎なるは、云えず。
又、云うの積もりも、そんな気分でも、あらへんですが。
反対には、諸般の情景、思い浮かべてもての、嗚咽しの、声詰まりの、言葉、出んよになるが、心配での。
ほんまやでの、特段の、単なるの、通達事項やのにです。何故か、声詰まらせてもての、言葉、発するに、発せられんの状態になるの経験してるです。
正直なるの話、枕経の日、その直前、皆が集まり出しての時。母の状況、説明するに、何でも無いの話の筈、やのにです。途中、ウとなりの、中断してるです。
この数日、親族に、等々、諸般、尋ねられの、説明するに、同じの話、やのにです。
話の途中で、ウとなり、言葉発するに、喉詰まってもての、適当に誤魔化してもたり、してまして。実際には、涙がと。
堪えるに、精一杯。
そらなあ、口開ければ、あんな、こんなの、恨み、辛みの、母に対するの愚痴ばかりでの。
こんな事、してくれた。あんな事をと、ええ事なんか、出て来いひんけどや。
親は、親で、母は、母。
生まれて以来の、この時まで、一緒に暮らしてましての。ソラ、色々あるわと。
確かに、近年、ここ、一年、二年、三年、「リハビリ・センター」入所<期間、原則三箇月から、半年>での、自宅復帰、目指すの介護施設での。終の棲家に非ずの、イツでも、帰れるよにの、事実、帰ってましての。
部屋、そのままやわと。
衣類、バッグ類、アクセサリー類ならばの、妹最優先での、嫁はんがです。全部を見せての、欲しいのがあれば、もろてと、してたですが。残余を戴くなり、処分をと。
コレ、最早の、ソレ着て、付けて、持参で、外出も、出来るの母の状態に非ずの。そのままにしてたでは、カビが生えたりの、朽ち果てる故での。勿体ないしと。
イヤ、母には、しかるべくの、話、してるです。相当の以前よりです。我々の好きにして頂戴なと、返事聞いてるです。聞いてても、具体的動き出したが、ドクターからの、諸般の話、聞いてから、だけの話やわと。
具体的とは、妹えの、話やわと。欲しいのが、あればと。全部、そのままに、見せてるわと。
当たり前の、要るモノ、使うの予定あるは、そんな事、してへんわの。むしろの、下着類、衣類も、新しいのを、買おてるわと。春になれば、夏場にはと、これが、ええなあと。
特には、晩年、ここ、一、二個月、下着類、洗濯するも、追い着かんの状態でして。
オッとの、そんな話は、結構の。
喪主挨拶にては、自身の話で、感涙、ウとなりの、喉詰まりの、声出ぬよになるも、突破せねばの、中断してもての、続けられずで、そこで、止め、出来ませんでして。
それこその、人前で、涙なんか、見せるは、恥と、ガマンする事も、あらへんわと。
覚悟決めての、ハンカチ片手の、さての、喪主挨拶なれどの。
出だし、決まり文句も、サとは、出て来いひんでして。
そらなあ、さきまで、諸般のイベントにての、涙堪えて、堪えるも、出て来るが故、ハンカチ片手でして。司会進行役の指示のままに、諸般、やるが精一杯の状態でして。
さあ、喪主挨拶をと、促されたってなあ。当方、集中型もあって、頭の切り替えがと。
容易くは、あらへんでして。
(15/07/09)
NO.33 告別式の話(6) 喪主挨拶の話(4)
司会進行担当より、デハと、喪主挨拶をと、促され。
デハの、デハと、スタンドに付けられたの、マイクに向かい。
正直、緊張の連続での、6月7日と、するのか、8日、真夜中、1時過ぎ、24分哉の、「こもれび」からの、電話以来、まともには、寝てませんでして。
又、反面では、気が張てるもあるですが。イライラあったり、イベントでの、盛り上げされて。
コレ、余所様のでも、諸般ハタ目でさえも、喪主大変やろなあと。とは、見えてたですが。思てたですが。
現には、唯今、自分がその立場。
イヤイヤ、申すの、この時の緊張なるは、その直前までの、とは違うです。
異質での、只なの、第一声、「本日、お忙しい処、母、智の葬儀に参列賜りまして、有り難う、御座いました。」の、コレ、こんな程度、決まり文句、発するに、文言、想い、想い出し乍らの、状態でして。
意味なるは、「本日、お忙しい処。」までは、スと、云えるですが。ンの何やった哉と。
嗚呼の、「母」の、「智の」、ンの、何を云うのやた哉と。
正確、まとも、録音でもされてたならばの、見掛け、聞こえてるの状態なるは、多分なら、なれどの、ユクリ、ユクリの、落ち着いたの、出だしのよにと。思われそ、なれどです。
内実なるは、瞬時、瞬時、言葉が、出て来てませんでして。瞬時故、どて事も無くの、特段の、焦りも、嗚呼、困ったも、あらへんでして。淡々と、でして。
オッとの、ここで、母の名、明確にしたですが。
従前、「母」とし、「某」と、してたですが。京都新聞、訃報欄にも、掲載諾と、してるの事でして。ま、ええかと。親父の名も、祖父母のも、明確に掲載してまして。特段のと。
さての、その続きの、母の生年月日、「大正12年5月14日」「京都、下京で、生まれまして。」
これは、すんなり、発せてる、行けてるは、自覚もしてるの。分かってるの、そのまんまの話でして。既に、「父親、近衛騎兵」也は、触れずも、決めてまして。
実は、文言、明確にの、このよにと、してたは、ここまで、でして。この、2行のみでして。
ここから先なるは、メモ的、この話をの、程度でして。の程度も、相応に練ってるけどや。メモ的も、メモには、記してえへんけどや。全部、我が、頭の中での、話での。
イヤ、母のこれまでの、経過的、歴史を超の簡単にと、だけでして。
中身、中期、「中年の頃、謡曲に凝りまして、妹まで、付き合わされました。」
この件、ここから先、挨拶では、触れてませんの事。
当方も、発表会には、何度か、観賞に、聞きに、見にの、付き合わされたですが。岡崎公園の、観世会館にです。
当地、「亀岡に転入、引っ越してから、『亀楽会』からの、お誘い受けまして。」
この、「亀楽会」なるは、亀岡の、老人会の事でして。亀岡では、結構なるの、有名でして。町内会、とするのか、「町民大運動会」等々の、行事には、その、「亀楽会」の面々参加の、余興的玉入れなんかを、されてまして。
母も、その昔には、参加してたですが。参加出来てるは、当然の、老人でもの、元気で、動けるの方でして。
と、までは、触れてえへんですが。
「亀楽会」の事、知らんは、我が親族のみでして。嫁はん、以外はなと。息子共も、知ってるやろの、ソレ以外はなと。
それでや、主たるの活動、ゲート・ボールでの。
「母も、ゲート・ボール命で、活躍、活動してました。」とは、挨拶文言にての、そのままに、申してるですが。
「晩年、転けて、転けて、転けては。」と。
オッとの、ここで、ウとなり、嗚咽。当方がや。
会場と、するのか、大ホール一般席からも、ここで、嗚咽されてるの方がで、尚更での。
コレ、ここで、ウと成るは、想定外の、モちょと、先の筈が、でして。
とは、申せどの、覚悟してるの自身の状態でして。
モ、ええ、ガマンするの必要性無しの、地のまま、気持ちのままで結構の、泣いてまえの、「嗚呼、すみません。」と、謝罪致しまして。最早の、遠慮無用の、手にしてるの、ハンカチにての、涙拭い。
いやなあ、転けて、転けてで、その当時の情景。
「転けては、杖一本が、二本に。」と。
この辺り、見てぬモノには、分からんの。要介護度が上がってくの、様子を云うてまして。
ウと成り、嗚咽も、参列者の皆様には、極の自然の、謝罪致し。声、詰まって、ここから、声出ぬは、困るですが。変な話の、「嗚呼、すみません。」と、謝罪の、素のままでの、覚悟で、気も楽になりての、声出せてまして。嗚呼、良かったなあと。続けられるですと。最悪の状態では、あらへんでして。
とは、自身、分かってまして。
先の、「転けては、杖一本が、二本に。歩行器になって、遂には、車椅子になりまして。」と。
とは、母の晩年の状況、そのままでして。目に浮かべ乍らでして。たまらんなあ。
とかとか、実際には、喪主挨拶にての、声にしての、云うたは、極の一部の、要約、主要箇所のみでして。それで、充分でして。解説、詳細、云うてたら、時間がと。
分かろが、分かるまいがと。委細構わずで、結構なると。
分かる方に、分かって戴ければの、まあ、どちにしたって、親の介護されてるの、されたの方にしか、分からんわと。
での、ででの、「10年前には、家の一部、バリア・フリーに改造しましたが。」と。「家では、車椅子での、移動は大変でして。」
「介護施設、『こもれび』の、中期入所の、『リハビリ・センター』にも、お世話になりました。」
ここで、「ディ・サービス」や、ホレ、「ショート・スティ」云々の事なんか、説明、割愛でして。「リハビリ・センター」も、意味分からんやろと。分からんで結構也の、介護施設の事、細々の説明の場であらへんわと。
要は、何を云うべき哉の、「実は、この、5月にも、家に帰る予定でした。」と。
「家に戻るについての、打ち合わせを、4月20日に行いまして。その時には、ボチボチ、『特別養護老人ホーム』の事も考えたらと、担当ケア・マネージャーから云われました。」
がしかしの、「その矢先の、急変でした。」
そして、「6月8日の夜、1時20分、老衰で。」と。
「こもれび」からは、弔電戴いてるですが。
その事も触れるに、されどの、「弔電」の文言、出て来いひんでねえ。
隣に居てるの、嫁はんに、何と云うのやた哉と、問えば、「電報」と。ンの、「電報」には、間違い無いけれどの、チョと、違うの文言期待してたですが。イヤ、「弔電」を、でして。
そやけど、出て来いひんし、マ、ええかと。
事程左様の、簡単なるの文言、適切なるの表現、出来ませんでして。
コレ、疲れてるのせいもあるですが。失語症的、症状、呈してましての。
オッとの、以上、あくまでもの、母の経緯でして。
肝心なるは、嫁はんえの、感謝の意の表明、言葉でして。
この場で云わずしての、何処で、云うの怪と。
実は、従前よりの、しかるべきの時、云わんならんぞと、決意してたわと。
それ程に、よおやてくれてたわと。
(15/07/10)
NO.34 告別式の話(7) 喪主挨拶の話(5)
そらなあ、この手の話、なるは、山程、ケースあるです。
そのケースを当方、一々の、これは、こで、あれは、こでと、評して、何の意味があるの怪と。
時代が違う、考え違う。個々人の事情が違うし、ハタがとやかくも、どもならず。
その上で、介護施設が無かってみい。あっても、自己負担、100%やてみい。
我々の家で、甲斐性で、どするやの、ども出来ずの、遠の昔に、我々夫婦、くたばってるわと。
あって、1割の自己負担。
正確には、個人に供するモノは実費故、支払い金額的のみで、云えば、2割負担に該当でして。それで、済むが故に、介護施設を利用出来たですが。加えての、母の年金で大半賄える故でして。あくまでもの、大半なれどです。
又、結果的、要介護認定されたが故に、利用出来たですが。
とかも、現実は、現実で、あるがままでして。
そもそもがの、介護云々なるは、母、晩年の話。ここ、精々の、10年の話での。車椅子なら、ここ、3年。
嫁はんにしたらの、結婚以来の、実に、39年でして。この意味、分かる怪と。
余人に分かる筈無く、当人のみ。精々が、モ1人の、当方くらい。そらなあ、言葉、概念的になら、分かれど、そんなモン、分かるの内に入らんわと。
いやなあ、当方、親子故に、当然でして。
嫁はんはなあ、親子に非ずの。されどの、嫁はん抜きには、語れませんです。
名実共の、当方以上に苦労しの、心労一杯。の上で、当方以上に、母に細々、気を使いの、よお、してくれて。以上も、数段の、気配りしてるわと。母に、でして。
やから、この母にして、云いたい放題、我が儘、気儘が出来てるわと。元々が、我が儘、気儘で、どもならずの、母での。或る意味、諸般、常軌逸してるの言動、多々。
事実、ありのままの話をしても、第三者、信じいひんやろと。誇張してるやに、思われるです。
とかとか、この手の話、しても、際限無く。
ハタからしたら、へえの、フウンの話でして。関係あらへんしと。
イヤイヤ、云いたいは、万事、嫁はん次第と、云えるです。云うて、過言で無いです。
その前提には、その、ご主人、当方の考えあるですが。ここを、又、くどくども、本意で無く。再度の当たり前の範疇での。
での、喪主挨拶にての、申すべき、云うべき、云いたい事、なるは、嫁はんに、「有り難う。」の明確なるの、一言でして。
ででの、ここで、ここだけの話の、まあ、ダアレも、そこまでは、聞いてるか、聞いても、分かってるかは、分からんの。当方、言葉、表現的、2箇所、ミスったわと。
自分は、母の息子やから、当然ですがと。
コレ、原案、腹案ならばの、親子やからと、云うべきを、間違おたんやと。
モ一発、妻にと、云うたですが。挨拶文言にては、家内と、するべきでして。
この辺り、挨拶にては、思うの言葉、スと、出てきいひんしで、困ってたですが。
まさかの、この場で、嫁はん、とも云えずで、咄嗟に浮かんだ文言、妻でして。大体が、こんな表現、話言葉で、致しませんですが。スと、サと、出て来ん事には、仕方無く。出て来たので、云うただけ。
云うてから、しもたなあの、間違いやなと。思えどの、全くの、間違いでも無くて。意味合い、云いたいは、伝わってるはいるですが。
コレ又、全体の、腹案、合間、合間に、頭の中では、繰り返しの、練習も、異なるの表現なれどの、やてるわと。
されどの、合間、合間でして。
諸般、諸々の、イライラあるし、緊張あるし、応対、対応あるし。寝不足での、カラダのシャキリとせぬもあるし。気怠いしと。
余波、正直、現在唯今、尚、継続の。疲れ、残ってるわと。
そらなあ、仏事、続くです。
この、日曜日<7月12日>には、五逮夜でして。
コレ、菩提寺住職までは、呼ばずの、息子共一家、当家、総勢10名。妹一家<姪一家は来られず>の、4名の、都合の、14名での、逮夜でして。
皆で、昼食、「宮本屋」の、ウナギでもと。
オッとの、これがなの、ここだけの話の、想定外の値が張って。軽くの、二千円突破の、これで、日本ウナギでなければ、怒るぞと。
での、五逮夜ねえと。
あれから、1箇月が経つになるのやなと。早いか、遅いか、分からんですが。
ハタと、モ、母の洗濯モノの収納、回収に行かんで、済むのやなと。そもそもがの、「こもれび」に、行くの、用事、無くなって。電話の呼び鈴鳴れどの、ギクリとせずの。大抵ならばの、クレジット・カード会社であたり、オール電化なり、ガスなりでして。コレ、ヒツコイなあと。ええ加減にして頂戴の、毎日程での、ナンバー・ディスプレイをでも、申し込もかと、思たりも。
ででの、四十九日、7月の26日<日曜日>を予定してるですが。
この時、納骨もするにしてるですが。
当然の、菩提寺、「光圓寺」に集合。法要行い、「東大谷祖廟」に墓参、納骨済ませの、円山公園、「いそべ」にて、会席をと。
この辺りで、一応の区切りで、ホとするの哉と。
まだまだ、百箇日、一周忌があるけどや。そこまでは、なと。
イヤイヤ、ででの、そらなあの。
正直なるは、母の、葬儀済ませての、重責、責任果たせて、ホとしてるもあるです。
寂しいも、あるし、解放されたの気もありので、複雑怪奇なるの、気分なれどです。
とは、云うても、母の部屋には、骨壺と、飾り付けの棚設えてありので、渦巻き線香点したりの。ロウソク型の豆電球点灯しての。まだまだ、諸般、継続での。納骨しの、飾り付けの棚が回収されるのまではなと。
回収なるは、四十九日の辺りと、聞いてるですが。
オッとの、それでや。
「以上です。有り難う、御座いました。」と、喪主挨拶終われば、火葬場行きでして。
タクシー、1号車には、住職。
喪主、法名持ち、長男、遺影、嫁はんと、4名、乗り込み。2号車には、次男、骨壺、持ち。そこには、妹夫婦がと。
後の親族、26人乗り、マイクロ・バスでして。
の筈が、後刻、聞けば、1号車に、次男が乗り。2号車には、嫁はんが乗ったのらしく。まあ、結構なれどです。
イヤ、当方、助手席での、後ろ、上席、住職なら、承知の、先に乗ってるが故の。後の2人を見てへんでねえ。
コレ、担当者<司会進行役>との、詳細打ち合わせの時、マイクロ・バスをどするやの、話あったですが。1台か、2台かと。
前提、マイ・カーは使用せずと、決めててねえ。26人乗りなら、1台で足ると。
いやなあの、親族の葬儀にての、マイ・カーを使用の事、度々の経験してるですが。当方ならばの、車出すに、異議無く、結構なるもです。
火葬場えの、道が分からんわと。
京都の、東山のなら、承知してるですが。亀岡のは、親父の時以来の、25年経つの、記憶、定かに非ずの。そんな事よりも、道中、慣れぬ道、事故られたら、大変でして。
それもあるし、車で、来るの面々、誰かいなあと。
当家なら、我が家の車2台。息子共のが、2台の、計4台なれどです。
後、姪婿の車と、妹婿の、だけと、違うの怪と。
下の叔父の、従兄弟も、車でなれどの、諸般の仕事の都合での。お見送りしたら、申し訳無いけどと、聞いてるし。上の叔父嫁、従兄弟も、その車で、一緒にと、帰ると、聞いてるしと。
イヤイヤ、都合さえ、キチリと、喪主たるの、当方に伝えてさえ、もらえてたら、結構でして。そのよに、計画、算段、出来るしと。
ここだけの話の、予定、積もりを、伝えてくれんのが居てねえ。困るわと。
どちにしたって、当家、4台も、タクシーでして。妹婿も、タクシーでして。
姪婿の1台では、どもならずの。論外でして。
どちにしろの、事故られては、困るしと。そのよに、マイクロ・バス1台、頼んでまして。
(15/07/11)
NO.35 告別式の話(8) 焼き場の話
オッとの、前回。
冒頭、最初の方にての。
「その上で、介護施設が無かってみい。あっても、自己負担、100%やてみい。
我々の家で、甲斐性で、どするやの、ども出来ずの、遠の昔に、我々夫婦、くたばってるわと。」
としてるですが。
この、「くたばってる」の意、若干の解説、説明致すです。
晩年、母自身の体が、ままならずの、杖<自立型>、一本が、二本にと、この辺りから、我々夫婦に、益々の、悪口雑言。
益々故、ソレ以前より、でして。
それでも、まだまだ、自力で、動け、移動出来たですが。但しの、家の中ではなと。
これが、家の中でも、車椅子になったら、自力で、移動出来ずで、何事につけの、一々の、全部、介助、介護、要するですが。特には、トイレが大変。
夫婦で、24時間体制なれどの、基本、チカラ仕事。
「くたばる」は、あっち、母、年々の歳喰うの分、こちも、年齢喰てるわと。
母、抱き抱えるも、尻、持ち上げるにしてもの、特には、抱き抱えるに、こちの、体力に自信がと。
従前、考えもしてへんの、コレで、抱き抱えたままに、こちが、転けたら、抱えてるの手が、滑りでもしたらの、そのままの、骨折。母、この歳、再起不能になる故、殺人でして。
ここまで、夫婦共々の、誠心誠意、一生懸命、やて来てて、そんな事になてみてもてみい、責任感じるところの話やあらへんわと。
自宅介護で、何してる事哉の。
そもそもがの、夫婦で、24時間体制、よお、保って、3日。4日、5日目にでもなてみい。最早の、フラフラで、呆けっ。日単位でも、真夜中ともなればの、支えてるの腕、握力低下も、自身、認識してるわと。
ならばの、せめてもの、夜間だけでもの、オムツ、してくれタラに、相成るですが。ソレ、云うて、聞くの母であらへんわと。
ナース・コールの鳴りっ放しで、寝てられへんわと。
それでも、無視出来るの、こちも、薄情、鬼になれるの、夫婦であらへんでして。成れるなら、それこその、言葉選ばずの、遠の昔、「特別養護老人ホーム」をでも、申し込んでるわと。
確かに、オムツせずの気持ちも、分からんで無く。
当人、母曰くの、そんな事したら、呆けると。
呆けるもあるですが、人間としての、尊厳もと。赤ちゃんやあるまいにと。
されどの、昔っから、云われてるです。加齢と共に、幼児化。赤ちゃん化すると。そして、天寿全うすると。
その通りの、赤ちゃんには、母親なりが、24時間体制。
自分で動けへんし、抱っこしたり、オンブしたりの、赤ちゃんには、赤ちゃんの、食べ物でして。
歳喰たら、全くの、その通りの、違う点、体重がと。勿論の事、歳喰たら、身長も縮み、体重も減るですが。赤ちゃんとは、一緒にならへんわの。赤ちゃんには、親で、親の年齢考えてみいと。
それこその、我々とは、親子程の差がで。体力、馬力の桁違うわと。
赤ちゃんには、将来の夢あり、成長致すですが。歳喰たら、里帰り<幼児化>致すです。
そらなあ、イザとなればの、共倒れ避けるの、考えなら、あるですが。出来るの限り、最後の最期まで、自宅主と。車椅子から、卒業、自立出来るは、年齢的、不可能なれどです。
そんな事、一々の、云われんでも、分かってるわと。
よて、耐えられるの範囲での、介護施設入所期間、増やすがための、中期の、「リハビリ・センター」でして。
これが、あるしで、助かったと、云えるです。
当たり前の、「ホーム」より、費用、嵩むですが。仕方が無いなあと。
あちは、住民登録、施設に移動。洗濯モノも、施設でやてくれての。家族たる、面会、せぬなら、せぬで、済むです。全くでは無いの、月に、一度や、二度で、済むの哉の。
ソラ、その方が、家族にしたら、色んな意味で、金銭的にも、楽チンでして。
での、話、繰り返しになるですが。
母、夜間だけでも、オムツしてくれたらと、申してもです。
拒否され、強引には、出来ひんわの。反対に、当方にしたって、その立場になって、嫌は嫌が、重々の分かるです。分かるが故、どしてもと、とは、申してませんでして。
そかと、すんなりでして。
その分、夫婦で、24時間体制でして。我が家、ではなと。
オッとの、での、皆様に見送られの、亀岡の焼き場。
変な気分でして。従前、見送るの立場が、親族として、見送られるが、でして。
何を云うてるかと、なればの、ここの葬儀社、「亀岡シティ・ホール」には、度々の来てまして。
従前には、自宅からが主での。葬儀社からも、葬儀社の場所も違う事もあるですが。違えば、家々、周囲の雰囲気、異なるですが。
ああ、来慣れたの場所で、此度、見送られるの立場やなあと。
そして、行くの行程、前回、25年の昔の道順とは、違いまして。
感覚的、場所なら、一緒なれどです。建屋の古さも、古いしねえ。但し、通されたの場所、まあ、明確には、釜の外観からしたらの、新しく。
いやなあ、ここだけの話の、その当時、25年の昔、親父の時には、諸般の話、あって。
要は、チップを要求されたです。その額、数万円也の、さもなくばの、どこまでが、噂か、事実か、分からんですが。生焼きにされると。
それは、幾ら何でもの、困るが故、葬儀社案内役の指示の通りに、チップを準備致しまして。
ついでになら、タクシーの運転手にも、チップをと。このチップも、合計金額、バカには、成らずでして。
そらなあ、火葬場代、タクシー代、そのもの、別途、支払おてるです。
但しの、今回には、案内役、司会進行もして戴いた方、なれどの、その手の費用、一切の不要也と。
云われてるしで、チップなんか、準備してませんでして。
イヤイヤ、その方が、助かるですが。
タクシーも、その昔なら、何台も、何台もを連ねてたですが。当世、主たるの面々のみ、タクシーで、2台で、その他の方々なるは、マイクロ・バスでして。
その方が、安全性も高いなと。
イヤイヤ、肝心の、焼き場なるは、葬儀社から、5分程度哉の、超の近くで、国道から、脇道、又、脇道の、人家の中を通り抜けの、ややこしいの場所でねえ。
道順、覚えとかんとの、実は、焼けるまで、ここで、待たずの、葬儀社に、一旦、戻るです。
1時間半後に、今度は、自分達で、骨拾いに向かうになるです。人数も、10人程度にしてくれと。広い場所でもあらへんしと。
よて、再度の出向くの際には、当方と、息子共の車、3台でと、考えてたですが。
そらなあ、その他、親族の車も、避けたの方がと。万事、当家で、賄えるなら、その方がと。
兎に角、身内も、身内の、一番の濃いの、我々にしたって、事故ったら、困るですが。その他の親族の車が、事故られるよりはなと。
オッとの、それは、後刻の話での。
(15/07/14)
NO.36 告別式の話(9) 「通夜」やあるまいにの話
このところ、暑いねえ。
イヤ、過日、7月12日、日曜日。
五逮夜として、親族、集まりまして。
親族も、当家、総数、10名と、妹夫婦と、その息子2人の、都合の、14名。姪一家、諸般で、来られずでして。
内々の仏事故、「光圓寺」住職には、来て貰わず。
長男一家、前日より、戻ってまして。当日、次男一家。そして、妹家がと。11時には、予定の人数、揃た故、皆で、読経と、するのか、「般若心経」をと。住職、呼ばず故、自分等でと。
コレ、当方、まともには、読経した事が無く。
オッとの、お経を皆が、暗唱出来るであらへんしで、経本の文面、コピーを致しまして。大人の、人数分、10部でして。
10部も、2枚でして。都合の、20枚。
いやなあ、最初、コピーする箇所、間違おて。「般若心経」は、この文言やった哉と、疑問抱きつつの、コピー、し終わってから、嗚呼の、面が違うと、気が付いて。
インク切れの、コメント出てるし、再度の20枚のコピーが出来るの怪の。
何とか、保ったですが。
デハと、皆で、読経で、焼香も致しの。コレにての、仏事は終わりで、昼飯なれどの。これは、「宮本屋」で、ウナギの弁当、出前を頼んでまして。
これが、これが、結構なるの、値でして。オッとの、いつぞや哉にも、掲載したですが。
日本ウナギで無ければ、怒るぞの。日本も、台湾、韓国、中国産も、味の差なんか、分からんですが。信じて、喰うしかあらへんですが。
での、妹一家、この日、16時頃、デハ、サイナラと。
次、会うは、四十九日で、納骨もで、7月26日<日曜日>でして。11時には、菩提寺に集合でして。
ででの、「告別式」の話もなと。
「告別式」そのものなるは、終えてまして。
焼き場での話もなと。
するなら、そらなあ、棺を釜に入れるは、寂しいモンでして。ホントのオシマイでして。
担当者が、ボタン一発、ボと云う音、聞こえたか、幻聴かは、分からんの、聞こえたよな、気がの。多分なら、聞こえてまして。あああの、あと。
「亀岡シティ・ホール」に戻れば、会席でして。
コレ又、適当、その辺りに、誰がと、概ねの指示致しまして。我が前面には、「光圓寺」住職。諸般、世間話なれどの、何の話、したか、皆目のと。
会席終われば、今度は、骨拾いのメンバーを決めねばの。10名でして。
当方、嫁はん、息子共。
その嫁、孫共は、基本、残留組なれどの。内の、孫については、社会勉強兼ねての、見学なる表現も異なれどの、一緒に連れてくなら、ええ機会故と。長男に話をしての、結果、孫娘をと。
コレも難しいですが。変に、怖がらせるも、避けるべきでの。大人でも、気色のええ光景、作業で無く。
そやからと、骨拾いなるは、早々に見聞出来るの事でも無く。度々の経験、困るですが。
孫娘なら、小学2年生での、多少は、理解もと。
後は、妹夫婦と、その娘<姪>と、我が従兄弟達で、都合の、11名でして。
イヤ、10名程度に抑えてくれ。でして。場所が狭いしと。
これもなの、「柴田」の従兄弟<千葉>のは、母とは、血縁では無いですが。「柴田」ので、居てくれてるは、彼だけでして。
むしろの、母方、「津崎」家の従兄弟は、血縁でして。下の伯父のの、2人が、居てくれてる故、その2人でして。
本来的、11人なら、車、2台で、足りるですが。
ソラ、長男のは、8人乗りで、次男のが、7人乗りでして。そやけど、ここは、余裕で以てと、するのか、従兄弟3人、当方の車でと。
いやなあ、これも、「柴田」のと、「津崎」のでは、面識、あらへんですが。それは、それで、ええ歳でして。皆、ホボの、同年代。
骨拾いの事、割愛の。
「亀岡シティ・ホール」に、骨壺、持ち帰えれば、そのままに、「光圓寺」住職に寄るの、初七日でして。
仏事終われば、解散での。
我が従兄弟3人、次男に、亀岡駅まで、送らせて。
残った面々、我が家に来ると。
理由、我が家で、母の遺骨を祭壇に飾ると、するのか、祀るがためで。
オッとの、そなれば、我が家に、車何台怪の、2台は、我が家の車での。入れるの場所、あるですが。息子共の、2台。妹家の1台、姪一家のが、1台での、都合の、4台、道路に駐車するになるですが。ま、ええかと。
更には、司会進行担当者が、祭壇の飾り付けも、するのため、追って、我が家に来ると。へえの、ならばの、道路に5台ねえ。それは、無理故、次男には、別途の場所に置いて頂戴なと。
そんな次第の斯くなるでの。
我が家えは、四国組、嫁はんの里の面々、4人を乗せて。
家に着けば、既に、担当者、到着での。
ででの、「亀楽会」の花が届いてたらしく。
コレ、「告別式」終わってから、届きまして。誰様宛かが、分からんでねえ。イヤ、「亀岡シティ・ホール」の方々が、でして。
当方の、喪主挨拶にての、「亀楽会」の話をしたを、司会者、聞いてましての、嗚呼、ここと。持参してくれやはりまして。
誰が、連絡かと、なればの、我が組、組長でして。
「通夜」の時、「亀楽会」の事、尋ねられたです。母が、入会してたの怪と。ええの、ゲート・ボール命で、頑張ってましたと、返答での。会長に連絡一発、してくれたです。
ソレ以外に、心当たり無く。
オトトの、それでや。
狭いの我が家に、親族、22名。
孫世代、6人<2人は、姪の子>、含めての話なれどの。コレが、あっちに、こっちに、動き回りの、ソラなあ、俄然の、賑やかに。
構わへんけどや。
それこその、「通夜」や、あるまいにと。
(15/07/15)
NO.37 御礼の話
ジッとしてても、暑いねえ。
母の部屋に設えた、祭壇。骨壺、法名、遺影を飾ってるですが。
渦巻き線香点してまして。
この季節、夏場故に、四方解放。
さもなくばの、部屋に線香の煙、臭い、充満で、悲惨になるです。天井は、煤けるやろしと。
反面、エアコン点けるなら、四方封鎖。エアコンの風で、煙も、臭いも分散、拡散致すですが。
イヤ、過日の、五逮夜の日には、皆が集まるため、そしたですが。
いやなあ、その日、諸般、夕食のあとで、さての、母の遺品、特には、アクセサリー類なれどの、ええと思うのがあればと、見せたですが。
基本、息子共は、その手のモノに興味無く。
嫁共、一応は、見たですが。一応の範疇での、コレと、するのは、無いみたいでねえ。さもありなんの、予測通りなれどです。
そらなあ、1つに、母と、会おてるは、どれ程哉と。
家に居てるの時なら、皆で写真撮ったりしたですが。或いは、曾孫を抱かせよと、無理云うたりしてねえ。「こもれび」に入所してるの時には、面会にも、行ったですが。
の程度での、親密感、近親感がと、するのか、馴染みが、左程であらへんしと。
2つ目には、そらなあ、趣味合わんカモと。年代が違い過ぎるです。
3つ目、指輪とか、ネックレスも、妹が、諸般で、持ち帰ったの、残余のでは、是非にと、するよなモノがあらへんわと。
そらなあ、或る意味、高級感漂うよなモノなら、なれどの、我が母の持ち物でして。それでも、当方とは、違いの、潤沢なるの資金力にての、もしかしたらの、ン十万円程度のなら、なと。あるカモ分からんですが。鑑定してもろてませんでして。
云うたら、百万、二百万円もするよな、上等のなんか、元々が、持ってえへんわの。あったら、先客、遠の昔にでして。
イヤイヤ、あるの筈、あらへんわと。
あったら、こちが、怒るぞと。借金何度、返済させられたの事哉と。
ほんまやでの、金の指輪を何個持ってるの怪の、当方からしたらの、変な趣味でして。金持ち気分を味おおてるの哉の。されどの、中身がなと。金持ちとは、違うわと。
とかとか、云うてたら、又もやの、故人を偲びの話に成らず。
での、嫁はんも、その辺り、想定してたの哉の、みたいでね。
自分のを、持ち出しの、生前贈与すると。モノは、「ミキモト」のネックレスでして。「ミキモト」故、真珠でして。
丁度、2本あっての、2人の嫁にと。
コレ又、そ云うたって、全くの同じのモノであらへんでして。あくまでもの、見掛け、こちが、上等哉の、それで、阿弥陀籤にて、決めたですが。
こちが上等哉も、所詮ド素人の判断での。中てには、ならへんでと。
いやなあ、コレなら、嫁も欲しい哉と。欲しいと、するよりは、戴いてもと。
理由、義理の、でも、母ので、現在唯今、生きてるわと。当人が、持ち出して来てる故、遠慮無用でして。
オッとの、肝心の、当方、息子共、共々、男やし、母のアクセサリー類に全くの興味あらへんでして。
されどの、1つくらい、何かと。形見として、欲しいは、確かの、マダ、どするかは、分からんですが。水晶の数珠をでもと、考えてまして。
イヤ、息子共夫婦と、当方のを、でして。嫁はんなら、ええのを、所有してまして。
あくまでもの、腹案での、水晶の数珠なるは、女性限定、専用なら、あかへんし。嫁のに、出来ても、男がと。
話、少々、若干の、逸れるですが。
義理のでも、当方、四国、比地木の、義父、他界で、10年経つですが。その当時、形見別け云々以前の、その手のを、見せても、もろてませんでして。
嫁はんなら、実の父なれどの、何にも、戴いてえへんですが。
まあ云うたら、田舎でして。その手のは、所有したはらへんの可能性大でして。あっても、多分ならばの、なと。
我々くらいやでの、親のを、完全公開してるがでして。
そらなあ、土地、家屋等々、不動産を我が親、所有なんか、してへんし。膨大で無くともの、貯金があったらの、あらへんし。
オッとの、親父なら、葬式代を残してくれてたですが。先に記載の通りの、計算ミスとするのか、経験不足で、見事、皆に分け与えてもてねえ。後の、初七日等々、足出た分、全部、こっち持ち。
対して、元々が、母、貯金なんか、トンでもの。年金なら、全部、「こもれび」なりの、介護施設の費用に消えて。それ以前のは、全部、自分のお小遣いでして。
但し、2箇月分か、3箇月分の年金が入るですが。内の1箇月分なら、「こもれび」えの、支払いに充当での。残余のが、多少は残るの。それで、数珠でもと。
との、算段、腹案でして。
ついでになら、アクセサリー類、結果的、残ったのは、処分予定でして。
云うたら、金<きん>なら、売れるです。
その金額、どれ程かは、分からんの。皆で、皆とは、当家、10名。飯でも一緒に喰いに行けたらと。の程度哉と。
更に、残るなら、残余の分、戴くです。そもそもがの、母の葬式代に、既に、如何ほどの金額、出費してるやと。既に故、五逮夜のも、それ以降の仏事の足出た分。お香典返しも、これからの出費やでと。
但しの、母の葬式代として、こちが貯めてたのが、あっての。これが、丁度の、葬式代の総額<お寺さんえの、費用。セレマえの支払い等々>にピタリの一致。
ここだけの話、でもあらへんですが。
セレマの会員としての、積立金、その会員割引と、香典の分、助かってると、云えるですが。
とか、云うても、まだまだ、仏事等々、香典返しで、出費続くわと。コレ、結構なるの、金額やでの、細かな金額、申さんですが。
オッとの、息子共夫婦には、正直なるの、中身、数字、丸めたの金額なれどの、申したわと。多分ならばの、お寺さんえの、金額と、総額と、香典のと、しか、覚えてえへんと、思うけど。その程度、分かってたら、充分やと。
ででの、6月10日<告別式の日>、我々夫婦、含めての、22名様、我が家にと。
適当なるで、息子共一家以外は帰ったですが。ンの、その息子共一家、イツまで、居てたか、定かには、覚えてえへんでねえ。
兎に角、その日、10日、受付して戴いたの、我が組の方々に、夫婦で、御礼、申し上げに宅様にと。これが、5軒でして。幸いにも、家に居られまして。
での、町内会区長、副区長には、後日<13日・土曜日>、お伺いしの、御礼をと。
「亀楽会」会長殿は、組長より、電話番号、教えてもろての、電話で、なれどの、御礼申し上げ。
イヤイヤ、町内会の、役員、三役の会計なるは、「通夜」「告別式」共に、見てへんし。町内会えの、通知なるは、区長でして。副区長は、区長と共に、「通夜」に、参列故でして。
とかとかの、この一連の話、なるは、以て、終わるです。
ここから先の話なるは、「不可思議の世界」でと。
オトトの、くれぐれもの、お見事、あれ以降、夢見てへんわと。見てるカモ分からんけどや。記憶に残り、掲載しとなるよなのはなと。
そらなあ、記憶に残らんでは、掲載のしよがあらへんわと。
(15/07/16)
NO.38 その後の話(1) 複雑怪奇なるの話
以降、「不可思議の世界」にと。
思てたですが。
こちにするです。一々の、説明、リンクでのここ読め、ワンワンも、ど哉と。
いやなあ、町内会の方々、特には、受付して戴いたの宅様に、夫婦で、御礼に出向き。
内の2軒、受付した、ご主人様、居たはらへんで。奥様にと。
ほならの、その1軒の奥様、申されるに、喪主挨拶で、感動したと、云うてましたよと。へえと。
当方にしたら、そですか、としか、返答のしよが無く。
そらなあ、そんな具合に云うてくれやはたら、嬉しいわと。挨拶文言、練ったの甲斐あったと、云えるですが。反面、何箇所もの、云いそこ間違いしてるしなあと。恥ずかしい面、多々あるですが。
練ったも、文面書いて、では無いですが。案外に、聞いてくれたはるのやなと。
確かに、喪主挨拶、何度も、聞いてるですが。感動とするのか、高く評価してるは、柴田の下の叔父嫁の時の、従兄弟<喪主の代行>の挨拶でして。
感情押し殺さずの、涙して、挨拶の様子でして。
云うたら、喪主挨拶で、涙してのは、その1回しか、知らんです。
外は、全部、淡々と、でして。紙に書いてるのを、朗読故もあるですが。
これはなあ、思い伝わり難いです。反面、当方が如くの、言葉にして、発するの文言、とするのか、単語失敗するは、無いですが。
失敗も、当人、当方の頭の中の話、なれどです。
オッとの、モ一軒、お一人様、あったです。これは、葬儀の終わったの明くるの日であった哉の、「プラスチック」の分別の廃棄で、所定の場所に置きに行ったの際、前期組長と、バタリで、挨拶がてらの、母の事、チョと触れたですが。
急激でねえと。
申したならばの、ンの、ソ云うたはたねえと。
その方、「告別式」に参列、来てくれたはたは承知してたですが。覚えてくれたはったんやと。
他方、参列してくれずの宅様、家に居たはらへんかったんやろと。
この方、親見てないの宅様での、その云い方、無いやろと。
とは、思えどの、くれぐれもの、云うてえへんけどや。あさりの、ニコリの、ハイ、そですで、チョン。
いやなあ、家族でして。
家に居てたら、居てたで、静かなら、静かで、息してるの哉と、心配して、部屋覗いたり、息してるかを、確認したり。
「こもれび」に居てても、風、雨強かったら、台風でも、接近してたら、建屋、大丈夫哉と。
電話がリンと鳴れば、ギクリで、何事かと。「こもれび」からなら、ドキリで、何用かと。
ほんまやでの、洗濯モノの回収、収納で、母を部屋に連れて行きの、オヤツをと。
喰わせて、食堂の元の席に移動で、又、来るしと、下手に云うたら、泣かれてねえ。コレ、入所直後では、尚更での、以降、その手の事、口には出来ひんなと。
慣れたら、慣れたで、ここがええと。或る意味、安心するですが。
急激なる様態悪化に、頭付いてけずは確かも、覚悟だけなら、以前より、してるです。高齢でもあってねえ。
よて、電話の、リンで、ギクリとしてるのやと。出て、JCBの新保険の宣伝、勧誘やてみい。他にも、オール電化、オールガス化等々、この手のが、殆どでして。腹の立つノリでして。
この覚悟と、今日の、明日の、とは、別問題でして。
さりとての、今日の、明日の、今唯今も有り得まして。
よて、6月8日の真夜中、1時24分の、「こもれび」の看護師からの電話、時刻が、時刻だけにの、相応の覚悟で、受けたです。
息が細くと、息あるの内にと、聞いて、そかと。デハと。即刻にもと。
での、ここだけの話の、何故か、理由、説明不可の、嫁はんも、当方も、爪切って。
重々の承知の、夜に爪切ったら、親の死に目に会えず。
承知の上で、何故に、わざわざの、そんな電話受けて、嫁はん起こしの、爪切ったの哉と。単純になら、偶々の、爪見たら、伸びてる故で。夜も、夜の、真夜中、1時過ぎやでと。
にしては、35分頃には、「こもれび」に着いてまして。
別段の、車の速度、早くも無いの、むしろの、落ち着いて、落ち着いてと、慎重なるの、運転でして。只、そんな時刻故、田舎の間道、他に車も走ってえへんわと。至って、すんなりの、到着での。
部屋に通されの、所謂の、個室での、矢っ張りかの。既に、事、切れてての、コレ又、矢っ張りかと。
正直、そやろなあと。
息が細いの、イヨイヨのと、判断出来るの筈が無く。
寝てたら、息細く。
息さえ、かすかにでも、してたら、安心してるわと。我々とは、違いの、看護師の判断なれどの、息してる内の、見分け出来るの怪と。とは、思いつつの、運転してたですが。
要は、イヨイヨの、とは、見慣れてるの、看護師の判断でして。確信無いのに、この時刻に、家族に電話なんか、するのモンかと。
やから、事、終わってる。
とも、思てえへんの、複雑怪奇なるの、気分。その判断、間違いではと、とも、思てえへんです。看護師から故、確か、やろと。最早の、保たんのやろと。
とするのか、細くとは、既に、息してへん程の細さ哉と。
部屋で、担当看護師、申したは、気になてた故、様子見にと。そしたら、息細くで、即の電話したですと。
事実、手に、頬に、ぬくもりあっての、今にも、目を覚ましそな風情での。
表情、穏やかにての、安堵したです。看護師には、感謝致してるです。
ここで、申すの、嗚呼、終わったと。やり、終えたと。
更になら、解放されたと、事実、思たわと。微妙なるの、云い回しでなら、解放してくれたなと。
終わった、やり終えた。解放された。
ソラ、万感の思いあるわと。
遂にか、寂しいなの、そらなあ、生まれて以来の、ズと一緒やわと。
誰ぞの、申したの、居たはらへんかったんやろ。
家族、離れてて、一緒に居てへんでも、居てへんが故に、諸般、何かにつけての、心配やろな。
母に対するだけと、違うわと。
息子、嫁、孫共、全部一緒の、病気、怪我、事故、事件、巻き添え喰たらと。やられるも、やるも、心配での。
万事、平穏無事を願てるわと。
大難絶対に困るの、小難にと。
それを願うが故も、ありので、墓参、月参りしてるわの。
ご先祖様には、皆の名を伝えの、近況報告致しの、守れと。
コレ、命令口調也。
オッとの、口に出しの、では非ず、なれどです。
そらなあ、ご先祖様、あっての、我々なれどの。我々あっての、祀られるです。墓参してもらえるです。
さもなくばの、無縁仏なるぞと。
イヤイヤ、重々の、話、通じてるです。誰とは、ご先祖様に。
(15/07/17)
NO.39 その後の話(2) 悪口雑言の話
ほんまやでと。
万感の思いとは、この事怪と。
兎に角、我が儘、気儘の、云いたい放題、し放題の、やり放題。
夏、暑いと、空気が薄い。息苦しいと。
云うから、一番に母の部屋にエアコン設置なれどの、エアコン点けたら、風が気にいらんと。消したら、嗚呼、暑い、やれ、暑いの、殺す気かと。
かと、思たら、エアコン点けるは結構の、窓と云う窓、全部解放してもてねえ。この方がええと。あのなあと。地球を冷房する気かと。電気代、勿体ないわと。
一事が、万事の、この調子でねえ。目が見難いの、当然の老眼故があるけれど。
リモコンを触り過ぎの、温度設定、無茶苦茶でねえ。夏場に、30度にしてたりで、暑い、暑いの、一向に、涼しいならへんわと。反対には、下げ過ぎてたりで、寒い、寒いの、何とかせよの、布団被ってたり。
冬場は、冬場で、その反対してたり、致しての、厄介なるの、母でねえ。
そんな事までを、こちの責任にされたりで。
そらなあ、リモコンも、テレビのが、エアコンのが、あるです。
それを、間違い、エアコン点かへん。テレビが見えへん。消えへん。テレビの音にしたって、大音響にしたりして。
だけでは無いの、リモコンがあらへん、どこ行った。ダアレも、触ってえへんの自分だけやでと。イヤ、行き先、布団の何処かか、ベッドの下か、でして。寝乍らにやるから、でして。
その度、一々、呼ばれてねえ。
そらなあ、10回に、1回は、頭に来るわと。こちも、母専属の介護士、お付きの人でもあらへんわと。用事してるの時もあるやんか。即には、手が離せん時もあってねえ。
そしたら、呼び出し、連呼の、はよして、はよして、死にそやと。テレビの大音響は、こちから、調整に向かうですが。やかましいわと。
とかとか、一々、云うてたらの、切りの無い愚痴話の、ネタ、尽きぬです。
まあ、しょが無いなあと。歳やしなあと。
自身、その歳になたら、そなるの哉と、思えば、キツい事も、云えへんわと。
反面では、こは、成りとは、無いなあと。
とか、云うたって、そ成るんやろなあと。
確かに、自身、我乍らに、加齢と共に、短気になてるが、分かるです。母なら、その昔より、短気で、我が儘、気儘の、云いたい放題、し放題の、やり放題なれどです。
そのツケ、全部、こち持ちでねえ。たまったモンやあらへんですが。出来るの事、許容しの、最優先で、叶えてまして。
勿論の事、全部が全部、聞きいれられんも、あるけれど。
イツイツから、嫁はんの里にの期間、ショート・スティに行ってくれと。これを、ナカナカに受け入れてくれんでねえ。
度々、申してるですの、自分も一緒にと、云うたり。1人で、留守番してる、とかとかで、あのなあと。
まだまだ、自身で、動けてた頃なら、お金、全部、置いとけと。最低でも、一日、1万円の生活費をと。あのなあと。
その期間分の食材なら、準備して、置いてあっての、嫁はんが、でして。買い物には、出掛けずに済むよにしてるのにです。何に、一日、1万円掛かるの怪と。とは、云えどの、それも、許容せねばの、収まらんなら、そのよに、致してねえ。
それで、里から、戻って、残金、戻してくれるかと、なればの、使た。の、一言で、チョン。
そもそもがの、買い物なんか、してへん、のにでして。
そして、曰くに、余所の人なんか、お小遣い、一杯、もろたはるわと。
ほんまかいなの、ソレ誰や。具体的に述べよと、云うたって、もろたはるの一点張りの、それで、どせえと。
どこかに、マンションでも、アパートでもを、借りてくれ。その家賃、当方持ちで、生活費、月、20万円出せ。あのなあと。光熱費は、そこから、出すの怪の、笑い話になてまうですが。
その手の話、下手したら、毎日のよに、聞かされて。こちが、精神状態、狂いそに相成るですが。
イヤイヤ、嫁はん、それに耐えてたに、相成るわと。
モと、酷い事、一杯でして。
その上で、親不孝者めがの、自分が死んだら、化けて、出て来てやる。呪い殺してやる。
親をバカにして、ないがしろにしてからにの、虐待してと。あのなあと。ソレ、誰の話なん怪と。
いやなあ、大抵の暴言、聞き流しの、耐えるですが。
死んだら、化けて、出てやる。呪い殺してやるは、聞き捨てならず。無視出来ず。
よお、そんな事、云うに任せの、云うなあと。思えどの、これは、引っ掛かるです。ズシンと、残るです。一度や、二度で、あらへんし。
云うとくの、そんな事、云われて、撤回せよと、とかとか、口喧嘩、口論なんか、やてへんわと。
幾ら何でもの、それだけは、云うてくれるなと、頼んでも、止めへんわと。
その場では、自身の悪口雑言には、少々、反省の気配あっても、スグにも、元の黙阿弥でして。又、云うてからにのと。
事程左様の、こちは、誠心誠意、出来るの事、して来たの、積もりの、コレ以上、どせえと。
最大の親孝行して来てるわと。
ほんまやでの。
ハタから、親孝行してあげてなあと。
云われて、コレ以上、何をせよと。オッとの、悪気で云われてるで無いは重々承知してるですが。
云いたい事云いの母も、余所様には、そこまでの、悪口雑言はなと。むしろの、ええ年寄りで、婆様でして。余所様には、気前良く。コレ上げる等々、ソラ、飛び切りの上等、高級品では無いにしろです。下手しんでも、こちが、上げてるみたいなモンでして。そんな事、口避けても、申さんですが。それは、それで、これは、コレ故でして。
兎に角、余所様には、相応、可成りの、心遣いしてまして。へえと。感心致すの程での、
そんな母故、ハタの方々からの、親孝行してあげてなあと。
この言葉、当方にしたら、気、重いの、何したら、親孝行なん怪と、問いたいの気分。
そらなあ、我々夫婦が、どんな具合に、思いの、やてるか、なんか、ダアレも知らへんわと。ダアレもと、するは、極論なれどです。個々人、余所様の家の中の事まで、知らんしと。
反対には、余所様から、こちの事まで、分からんやろと。
での、実はです。
葬儀も終えての、6月13日<土曜日>やった哉の。
占いの先生宅訪問致したわと。
最大の知りたいの事、母、どんな気持ちで、逝ったの哉と。
そらなあ、テレビのドラマ、芝居、映画やあるまいにの、臨終に際しの、最後の言葉、よおしてくれて、有り難うなあと。
なんか、その昔より、一度もあらへんわの。悪口雑言ばかり、浴びせられ。それが、実体なれどです。
かと、申しの、口開けたら、有り難うなあも、いらんけど。当たり前の事を、当たり前にしてるのダケ故での。
そやけどなの、母の、言葉通りの、不平不満だらけで、逝かれててみい。この、ン十ン年、何して来たの事怪と。
(15/07/18)
NO.40 その後の話(3) 占い師宅様えの話
現、とするのか。
するなら、先々代。
現のは、基本、ご縁無くなりまして。「こもれび」には、行くの用事があらへんでして。
イヤ、ケア・マネージャーの事でして。現とするなら、「リハビリ・センター」での、方になり。先代も、先々代も、「こもれび」に所属は一緒の、ディ・サービス、ショート・スティの担当ケア・マネージャーでして。
この辺りも、理解するに、日数要したですが。
オッとの、そ云えば、別の施設、「ふないの里」にも、お世話に成りので、そこは、そこの、ケア・マネージャー故、4人の方々にお世話になったですが。
ここだけの話、でも無いですが。当時の、あくまでもの、母がお世話になってた当時の、誰様とは、申さんの、ケア・マネージャーなるは、はきりと云えば、イケズでねえ。
内部の、介護士、看護師なら、ええ方ばかりやのにです。
本音でなら、そこに、お世話になるなら、安心出来たですが。窓口的、ケア・マネージャーが、気分屋でして。
退所の時期、詰められ、詰められ、何とまの、1月初旬の寒い時期に、追い出され。母がや。
これには、ビクリしたです。寒い時期、暑い時期には、施設でと。母の過ごし易いの環境でと。するが、主目的の入所やのにです。
遠くからも、その手の話、伝わってたですが。イケズなケア・マネージャーが居たはると。話、聞いてくれへんと。上から、目線でねえと。
母の時も、正確なるの、会話の内容、失念したですが。当時の掲載文になら、明確に記載してると、思うですが。そこまではなの、モ一寸、過ごし易いの時期まで、入所させて欲しかった的、話をしたら、ソ云うてくれやはったら、してますのにと。
あのなあと。
とは、申してませんですが。そんな時期、1月の寒い時で無く、延ばして戴けませんですかと。
とは、打ち合わせで、何度も、申してるですが。全くの聞きいれられずの。ここは、ズと居てるの施設でありませんと。
そんな事、分かってるです。「特別養護老人ホーム」に非ずの、「リハビリ・センター」でして。当時、嫁はん、白内障の手術を致しましての、安定化するまで、入所させて戴きたいと。
そしたら、モ、安定してるでしょと。
そらなあ、1月の初旬に退所させられてみい。
施設と違いましての、自宅では、母の部屋なら、出来るですが。廊下、トイレになんか、暖房してへんし。出来ひんし。寒い時期、ナース・コールで、真夜中、早朝、トイレに母、連れてくは、大変でして。
こちも、母も。
風邪でも引かせてみい。ディ・サービスにも、通えへんわと。ディ・サービスは、「こもれび」での。ここの、ディ・サービスに行くは、母、楽しみにしてたです。
では、「ふないの里」と、「こもれび」で、何が違うかと、なればの、ここでは、申さんの。申せんの。
最終的、母、「こもれび」の方々、スタッフ<介護士、看護師>の皆様から、大いなるの、お世話して戴いたです。感謝、感謝、大感謝してるです。
よて、6月14日<日曜日>であった哉に、嫁はんと、2人して、御礼、申し上げに、「こもれび」に出向いたです。担当ケア・マネージャーには、当然の。スタッフの皆様に対してもです。心よりの、感謝をです。
<参考=NO.30 告別式の話(3) 喪主挨拶の話(1)>
オトトの、そんな話、するの積もりで無かったですが。
万感去来するは、この事哉と。1つ、云うに、種々あって。云うてるの間に、何の話の積もり哉と。
での、母担当の、初代ケア・マネージャーも、二代目、三代目も、「ふないの里」の以外は、よお、して戴いたです。
特には、初代の方、三者<母、保護者、ケア・マネージャー>面談に来られたら、ええ部屋にと。整理整頓されててと。整理整頓してるは、嫁はんなれどです。
有り体には、見て一発、母をば、大切にされてるが分かるですと。我々の話からも、ヒシと、伝わるですと。
コレ、こんな具合に、云うてもろたら、ソラ、嬉しいわと。
トイレに、手摺り取り付けたり、バリア・フリーに改造等々、この方の時でして。イヤ、介護のためのなら、介護保険より、補助金出るです。
そらなあ、ケア・マネージャーなるは、月一度、担当してるの宅様に出向きの、家族、当事者の要望等々、介護計画等々、伝えるの業務<三者面談>ありまして。方々の宅様の様子、承知でして。
来られるに、当家、一々の、取り繕おたりは、してへんでして。そのままでして。
他家でも、そやろと。その他家との、比較で、そんな具合に、申されて。
そらなあ、当方にしたって、その他家の事、全くの、知らんで無いです。
の程度で、止めるですが。
とは、諸般、こちの、思いでの。
思いも、特段の、特別の、でも無くの、自然の成り行きでの。
そらなあ、云うてもたら、先行き、イツまでもは、分からんでもの。下手したら、こちが、早いカモの、ソラ、母、元気な時にはでして。或いは、晩年、こちの、身が保たんなと。
介護なるは、楽では無いの、大変でして。
色々、腹の立つの事もあるですが。
それは、それで、母の好みに合わせの。或いは、それ以上の事、してると、するのか、するも、こちの勝手の、出来る限りの事をと。主として、嫁はんが考え、実行してるですが。
男では、そこまで、思い、至らんでねえ。
そらなあ、衣類、下着類等々、こちでは、分からんわと。
それでや。
それでも、悪口雑言、云いたい放題、よお、そんなと、内々の事なれどの、諸般あっての。
只なあ、云われたの、その場でも、よお、そんな事、云えるなと。云わんといてやと。親の面倒なんか、見いひん人、見てても、表面的でしか、見てへんの人、多いんやでと。
ほんまやでと。
とは、云えどの、母からしたら、こちからしてもの、当たり前の事、してるのダケでして。
とはとは、云えどの、母の、死んだら、化けて出て来てやるとか、呪い殺してやるは、こちに、残るです。尾を引くです。
少なくともの、冗談で云うてるで、あらへんわと。云うてる時には、本気やろと。憎たらしく、思ての事やろと。これが、晩飯、チョと、遅くになった等々。ナース・コールで、スグには、母の部屋に行けへんかったの、時でして。
そらなあ、施設でなら、朝、昼、夕の、毎食、キチリ、キチリの決められたの時間に出してもらえるですが。我が家では、そも、出来ひんわと。
飯が遅くなるよなら、オヤツをと、時間稼ぎ、したりしての、そんな言葉、出ぬよに、多少の工夫したですが。毎回、毎回、オヤツもあらへんわと。
よて、どんな思いでと。
これで、恨まれての事なら、立つ瀬あらへんでして。こちがでして。されどの、自分本位の母であったは事実での。
この辺り、占い師に尋ねるも、変やけどや。事実は永遠に分からんけどや。
葬儀終えて、尚、気が重く。
むしろの、尚更の、気重く、重く。
そらなあ、諸般、葬儀の際にも、イラ立つの事、イラ立たされるの事、多々あって。何の事かは、申さんけどや。
の次第の、6月14日<日曜日>、「こもれび」のお世話になったの方々には、御礼申し述べの。その足にての。
占い師宅様にと。
オトトの、当然の、予めの、予約、入れてるわと。
(15/07/19)