JR嵯峨嵐山駅前立ち話NO.2

嵯峨嵐山NO.1

目次

嵯峨嵐山NO.3

その40.鈴虫寺散策(5)

その39.鈴虫寺散策(4)

その38.鈴虫寺散策(3)

その37.鈴虫寺散策(2)

その36.鈴虫寺散策(1)

その35.駅前風景(3)

その34.駅前風景(2)

その33.駅前風景(1)

その32.マンションの話(2)

その31.マンションの話(1)

その30.突然の訪問者(4)

その29.突然の訪問者(3)

その28.突然の訪問者(2)

その27.突然の訪問者(1)

その26.トロッコ列車運行開始

その25.JR嵯峨嵐山駅での話(4)

その24.JR嵯峨嵐山駅での話(3)

その23.JR嵯峨嵐山駅での話(2)

その22.JR嵯峨嵐山駅での話(1)

その21.阪急松尾駅前踏切前での出来事(3)

嵯峨嵐山NO.1


その21.阪急松尾駅前踏切前での出来事(3)

まあ、そういうことで。
ナニがて。ここから先は、横着な白髪オッサンの相手が変わってしもた。
オカマしたから、このオッサンが文句ナシの加害者やんか。ハッキリ云うて、私に断りもナク、横入りしたバツやんか。
云うても、天下の公道。相手に断ることもナイけれど。世の中には不文律なるものが存在して、それが常識と云うモンや。
それを乱す奴が居るから、イザコザが起こる。
誰が判断しても、我に優先権有り。
にも関わらず、強引に僅かな隙間に割り込んで。事もあろおに、睨み付けよって。
今時の中年なんか何を考えてるのやら。このアホたれめ。この類の変な中年が異常繁殖して困ります。
この程度の今時中年が、若いモンに、今時のやて。エラソに宣いやがるから、云われた今時の若いのも大変や。
そんな訓辞は、辞めとして、話の続きです。
ぶつかるまで、白髪のオッサン、私を睨んだままなんや。
どお云うことか。眼と怖い顔を造って、私を威喝したままで車を動かしよった。早い話が、前も見んと、車を動かしよった。
その様子を解説したら、こんな事になる。
何処のドイツか知らんけど、オマエ(私のこと)みたいなモンに、ガタガタ文句云われる筋合いはナイ。ここは、天下の公道や。オレ様にお譲り申し上げて、何が悪い、エッ、ホナ、サキ行くで。文句あるか。
そんな表情に読みとれた。やけど、そのオッサンも、私の表情が見えてます。
車が動いたその瞬間にも、私の眉毛がウエを向き、睨み返した、その眼の先が車の先端に移動した。
「エッ、ナンデやな。ぶつかるで。」
とは言葉にしてナイけれどです。
踏切の向こうには、まだ車が一杯なんやで。
スグ前の軽トラックは、動きようがナイのやで。そしたら、ぶつかるだけやろな。
何やったら、私が証人にでもなったげよかいな。ハッキリしてるし、必要が無いですが。
車間距離もナイから、軽うぶつかった。軽トラックの兄ちゃんも、気がついて、車から降りて来た。ナンやな、ぶつかったんかいなと云うて。
話は聞こえてないから、多分です。
その白髪のオッサン。スンマヘンとか云うて、謝って。これも、多分です。
このオッサンの謝り方等、失礼千万。ハタで見てる、私でも腹が立つ。
イヤ、元もと、腹は立ってたけど、高級車のオッサン、車の窓越しで謝ってるのやで。ド阿呆めが。非常識にも程がある。
兄ちゃんの表情も、車から出て来たときは、ニコニコしてたけど、そんなことやから、表情も次第に険しなってしもて。
そら、しょおがない。兄ちゃんよ、もっと、怒ったり。遠慮することナイからな。
このド阿呆のオッサンも、流石に車から降りよって。白髪頭を下げよった。
スンマセン云うて。イヤ、私は車のナカやし、聞こえてません。見てただけやけど、兄ちゃんの軽トラックは、正直云うて、ドロドロに汚れた作業車でして。
ぶつかった程度も、軽いから、最初っから、車から降りて来て、素直に頭を下げて謝罪したら、それで済む筈やった。
逆に云うたら、白髪オッサンも、兄ちゃんがニコニコしてたし、ドッチミチ、ドロドロの軽トラックやし、ぶつかっても、大したことナイやろと、勝手に判断しよっただけ。
アトは、松尾橋を越して、私は嵐山沿いに嵯峨方向。
アッチのお二人さんは四条通りを真っ直ぐ東へ行きました。お二人さんが、どおなったのか、結果までは知るかいな。
正確には、見届けたい気もあったけど、行き先まで変えて、確認する程の物好きで無し。
そして、まだ話がある。
阪急の踏切の手前の話に戻って、お二人さんの交渉中、松尾橋も車が空いてしもて。
後続車が、ナニしてるのや、早よ行け云うて、クラクッションを鳴らすのや。
軽トラックの兄ちゃんも、そのオッサンも、車に戻って、発車しよとしたけど、今度は電車が来て、遮断機が降りてしもた。
そおなったら、私も暇やしなあ。隣のオッサンの高級車もある事や。どんな顔してるのかと、見てやったけど、アッチ向いたママやんか。加えて、顔を見られんよに、手で隠したはります。私を睨みつけた、あの怖い顔と眼は何処行った。
こんなエラソなオッサンでも、この場は早いこと、逃げてしまいたかったんか。
こんな下手な運転で、今まで生きて来ただけ不思議です。そお云うたら、3ナンバーの新車がキズだらけ。勿体ナイです。ケタケタのケタ。
このオッサンも、横着したばっかりに、時間を喰ってしもて。ケタケタのケタ。
私も、威喝されたダケなら、朝から気分が悪かっただけの話で、掲載なんかしやへんで。
このオカマの話があったから、上々の気分で、掲載で、悪趣味で、ケタケタのケタ。
それにしても、今時のアホ中年をマネしたらアキマセン。
ホナ、この話はオシマイの、ケタのケタ。
(00/01/17)


その22.JR嵯峨嵐山駅での話(1)

ソトは大雪です。
朝から、家のマエの雪カキなどしながら、どおしたもんか。
イヤ、嵯峨まで車で行くかどおかです。
毎年、一二回はこんなことがある。安全のため、JR嵯峨野線にしてますが。
タイヤも、スパイクにはしてません。したかて、オナジことです。
どっちみち、国道はノロノロ運転で、老いの坂を上がれへんのがあれば、それで万事休す。
昨日の天気予報でも、そんな話で、覚悟はしてました。雪の状態からも、考えることはナイのですが、一応、悩んだだけです。
結局、嫁はんに並河駅まで車で送って貰て。
ところで、私が亀岡に来たのは昭和五十六年。その当時、並河駅は無人でした。
当時でも、切符は自動販売機で買えたけど、それも、しょっちゅう停止されてました。アホなヤツが、悪戯してたのです。
複線電化になり、駅員さんも配属されて、その間に近辺の人口も増えた。
出張で乗るトキは六時過ぎのでした。時間帯にもよるけど、列車待ちの人は、数人しか居てなんだ。
その一番最初のトキやった。列車が停まったから、さあ、乗ろか。処がやけど、ナカナカ、ドアが開いてくれへんのです。
そのまま待ってたら、ウシロの人が、ドアの横のボタンを押してくれた。
自動ドアとチガウのや。私がナニもしやへんから、やってくれたのです。
処で、京都市内を走ってた、日本初の市電はガタ電とか、チンチン電車と云われてたのです。京都駅から、堀川通りを経由して、北野さんまでのです。
こんな昔のを、引き合いに出すのもナンやけど、ガタ電は自動ドアとは申しません。そのドアが無かった。
ドアの変わりに、チェーンが一本、張ってただけ。チェーンは車掌さんしか触ることが出来ませんでした。小さいトキなら、チェーンを触っただけでも、叱られると思てた。
明治時代の電車でさえ、そんなんや。
ガタ電は、堀川高校のマエを走ってたけど、私が堀川高校に入った年、廃止になった。それが、昭和三十七年のことです。
そんなことやから、エライ、ド田舎に来てしもたと、実感させられて、何やら、スゴイ寂しいモンを感じました。
さて、電車は雪で数分遅れてます。
アナウンスではそお云うてるのに、実際には十分くらい遅れたのです。
話がチガウけど、それくらいなら、カンニンしといたる。
(00/01/27)


その23.JR嵯峨嵐山駅での話(2)

断っときますが、ドアの話は夏場だけです。
冷房のためで、冬なら暖房があるのにねえ。
それにしても、積雪で会社員時代なら、時間に遅れたらと心配することも無くなって、気楽なモンです。
私以外にも、雪で車を諦めた人もあるのやろ。沢山の人が駅周辺に集まってます。
沢山なワリには、電車は空いてて、しっかり、座席は確保出来ました。次ぎの亀岡駅では、オバハンが乗って来て、私の真ん前の席に座らはった。
ソラ、座席が空いてるから、結構ですが。どんなオバハンかとなれば、佳い歳して、化粧ベタベタなんや。
私が化粧代を払てるワケで無いし、イランお世話です。
そやけど、よお太ってねえ。沢山着込んだはってねえ。外見はサッチーさんみたいな、風体、風貌。それも、イランお世話です。
やけど、マダマダ、サッチーさんのホウが、マシやがな。仰山のお金を掛けたはる分、見てくれだけでも、鑑賞の価値はある。このオバハンは、チと見苦しい。
頬はタプタプの皺も深いし、バリバリと云いそな厚化粧。化粧するのは勝手にしても、薄いのがお上品に見えると思うけど。これまた、イランお世話です。
やけど、アル程度のお歳なら、ベタベタは見てくれが悪いしねえ。
そのウエ、足が太いのです。それが、ドンとありまして。私等、オナジ、ボックス席のオッサンとお兄ちゃん三人やけど、小さい体を余計に小そおさせて頂いたのに、マダ足らんのや。
この体だけでも、軽く一人前半はあるやろに。それに相応したご立派なおみ足が付いてますから、二人前になる。
オバハンはそんなこと、おかまいナシ。元から、その体に慣れたはるけど、お隣のオッサンは大変やで。向いの私は、片足を通路側に向けたらすみますけど。
但し、その厚化粧の顔が私の眼の前や。眼を閉じてしもて、寝たフリしたら佳いけれど、そのフリも、一応するけど、確認のためです。眼をチラと開けてしまうのです。
悪いことに、そのチラのトキ、オバハンも、チラと眼を開けて、コッチを見る。私の顔にご飯粒でもくっついてるのか。
これも、お互い様の事です。向こうさんも、そお思てる。
どのみち、嵯峨まで約二十分。我慢や、我慢。アッチ見たり、コッチ見たり、なるべく、オバハンを見んよおに。天井向いたりの、外はトンネルやし、寝たフリしたり。
悪いなあ。オバハンをこき下ろしてばっかりで。そやけど、嵯峨に着いて、助かった。

改札口の自動判別機と云うのか、機械に切符を入れたのに戸が閉まってしもた。
ナンやな。チャンと入れてるで。キセルなんかしてナイで。故障してるのかいな。そやけど、恥ずかしいやないですか。
駅員さんが飛んで来て、私の顔を覗き込まはるのです。やっぱり、顔にナニかくっついてるのかなあ。ご飯粒とか。
云われる前に云うてやれ。
「コレ、壊れてるのか。」
「イヤ、お客さんが、乗られた駅で、改札されてませんのです。」
そお云うたら、並河駅にも改札口はあったけど、自動判別機に切符を通してなかったのに、パタンと閉まらんかった。
で、ナンでやな。今まで、何回もこの駅で改札してるのに。駅員さんが申しました。
今年からです。
そお云えば、この自動判別機をJR嵯峨嵐山駅で見たのが初めてやった。
(00/01/28)


その24.JR嵯峨嵐山駅での話(3)

亀岡では、沢山降った筈の雪でしたが、嵯峨では積もってませんでした。
勿論、雪はありますが、想定してた程でナイのです。
云うても、京都市北部。この近辺は寒い筈。底冷えの本家やしねえ。
それは佳いのですが、帰りの問題です。
駅まで、車で迎えに来てくれと頼むもヨイけど、タマには運動のタメです。歩いても家まで、十五分。
やけど、寒いし、息子と時間が合うなら、それに合わせて、一緒にするもヨシ。
長男も二男も後期試験の真っ最中。携帯電話は便利やけど、電話する時間も考えんと。
よって、昼休みとおぼしき、十二時半。二男は、留守電。長男も電源を切ってます。
アトで聞けば、二男は留守電にナニか入ってるのは知ってたけど、昼の時間帯なら料金が高いし、見てないのやて。
長男は試験で、電源を切ってたのやて。
そんな事で、息子とは連絡が付かんかったから、一人で帰ることにして、並河駅から歩くことにした。
それはそれで、ドオと云うこともナイのです。イツもなら遅くまで居てますが、ラッシュも厭やし、早めに帰宅することにしたのです。
それも、ドオと云うこともナイけど、帰ろとしたら、救急車のサイレンがウルサイのです。この辺りではヨクあることで。何処に行くのか、一々見てませんけど、ホンマに近くのよおで。
近くも近く、イツもなら駅周辺やけど、駅とマンションの距離も五十メートルやけど、もっと側まで来てるのです。
酔っぱらいが、昼間っから、ワンカップ大関とか、日本酒を片手に駅で数人居てるのです。
風体、風貌からして、ホームレスやろ。年齢は五十歳から七十歳。トキには、お若い兄ちゃんまで居てますが。
服装は汚いけど、まだ、マシや。そこらで、寝ころぶし、汚れてるだけのアホな学生風か、フリーターやろ。
そんな連中が入れ替わり立ち替わり、駅の周辺にタムロしてるのです。
時間帯にも寄るし、今は寒いから帰宅する時間帯には居ませんが、春先から秋なら、そこで寝てます。
寝てないなら、ナニしてるのか。年寄りも若いのも、適当に集まって、そのワンカップ酒を飲みながら、フラフラ、ろれつの回らん言葉でナニやら喋ってます。
イツも思うけど、ナニを喋ってるのか、一遍、仲間に入って、聞いてみたい気もあるけど、何分、私はお酒が飲めん。
話の内容はもとより、もっと不思議なことは、昼間っから酒呑んでるから、多分なら働いてナイのやろ。そのお酒代はドオしてるのか。お金のことは、イランお世話です。
私も、働いてナイ云うたら、働いてナイです。
先日、会社の後輩にメールを出したら、返信が届いて、
「それはそおと、柴田さんはナニしてるのですか。」
ギクッとしてしもて、返事に困るやんかいさ。
とりあえず、他人さんには迷惑を掛けぬよお、自殺セズ、生き長らえてます。
イヤ、そんな話と違います。救急車の話です。
(00/01/29)


その25.JR嵯峨嵐山駅での話(4)

救急車のサイレンはイツまで経っても、小さくなりません。
しかも、この界隈をウロウロしてるのです。
そしたら、駅ではナカッタのか。駅ならスグ分かるのに。
そお思い乍ら、マンションの階段を降りて、外に出たら、ナンとまあ、その救急車が私に向かって来るのです。
もしかして、このマンションの住人か。住人云うても、一階が喫茶店。二階三階がマンションの借家人。借家人も、三人(四部屋やけど、一室が空き室)。
ウチ、一人はここに居てます。私のことです。残ってるのは、タッタの二人。
そのドッチかにナニかあったのか。されど、階段を上がる、気配ナシやった。
救急車から人が降りて来て、
「何処ですか。」
そんなこと、私に聞かれても、困ります。ナンにも、知りません。
イヤ、これはウソです。
そんな事を聞かれるかと心配になる程のソバに救急車は停まって、隊員さんが私の顔を見ながら、降りて来たのです。
もしかして、喫茶店のお客さんか、マスター。イヤ、救急隊員は余所に向かいました。
そしたら、ナンでここに止めたのか。倒れた人のマエに車が駐車してたのです。
この辺りは商店が多く、軽トラックとか、乗用車が停まってます。
京都中央信用金庫の駐車場もアルし、関係者以外無断駐車禁止の決まり文句も掲示されてて、マンション三階の我が部屋からはまる見えで、皆さん余所へ行ってるで。
一々、行きサキまで確認してないけど、出るトキ、ウルサイ奴が居てるのや。イツまでも、エンジンをブーブー、フカしてからに、ポンコツ野郎。
倒れた人はホームレスか。そんな風体の、結構なお歳のご老人で、酒屋さんの前です。
云うても薄暮状態。はっきりとは云えませんが、私から数メートルも離れてナイ。一軒置いて、隣のことです。
トリアエズ、酒屋さんが店の前に誰かが倒れてると通報したのやろ。
酒屋さんのことやから、店の前にお酒の自動販売機がある。トキドキ、その前で、ワンカップを飲んでる人を見かけます。
飲んでるのは、ホームレス風。或いは、一歩手前の飲んだくれ爺さん。これでは、家族の人も、お世話が大変。
そんな人と、明らかなホームレスが駅周辺にはたむろしてるのです。
それで、救急車の話です。時間が退社の時間帯。人が沢山見たはります。
私にとっては、所詮は他人事。その場に立ち止まってたのも、数秒だけで、列車もそろそろ来る頃やし、ユックリもしてられません。
帰りの切符は自動改札機にしっかり通して、プラット・ホームに向かいました。
そして、着いた列車に乗り込んだら、三人組のオッサンが救急車の話をしてまして。
「酔っぱらいが、倒れよったんやなあ。」
「何処の奴やろ。若かったで。」
「イヤ、お爺さんやったで。」
「酒屋はんの人かいな。酒屋はんも、お金持ちやから、働かんと、酒飲んでるんやなあ。」
「そおかなあ。酒屋はんにもマンションがあるしなあ。」
「そやけど、マンションやったら、若い人やけど、そこらの爺さんやったで。」
「アレはなあ、骨董品屋さんのオッサンとチガウのかいなあ。」
「骨董品屋さんて、あったかいなあ。」
「あるのや。その酒屋はんの、スグ側にあるのや。」
「そやけど、骨董品屋はんに、アンナ、歳の人は居てナイで。」
近所のこと知ってる連中です。それにしても、骨董品屋さんがあったのかいな。私も知らんから、アトで見とこ。
云うても、倒れた人の年齢とか、話の本線は適当でした。
そして、フと横を見れば、乗ってました。あのオバハンです。往きの列車で同席してた、厚化粧のオバハン。
座る席がナイから、立ったまま。私も真正面ではナイし、気楽です。
本日は得意日か。
(00/01/30)


その26.トロッコ列車運行開始

東大寺二月堂のお水取りも始まって、ポカポカ陽気になりました。
朝晩はマダ寒いけど。
トロッコ列車も年末から、運休。三月になれば運行開始で、プラット・ホームにも姿を現しました。
JR嵯峨嵐山駅前も、大分賑やかになって、グリーン・オアシスにもお客が居てます。
何日か以前から、職員さんが数人で施設を掃除してました。水を撒いたり、箒で掃いたり。
トロッコ列車の乗客は、意外に多い。用事のツイデに確認したら、もの凄い人。待合い室が満員御礼状態。
トロッコ列車の運休期間に合わせて、この話も休むツモリはナカッタのですが、結果的にそおなっだけ。
そして、あの猫クンか猫ちゃんか、何代目かの猫も、二月下旬くらいから姿を現しました。
それも、夜です。トロッコ列車駅前の道は真っ暗で、垣根のソバに、ジッと座ってます。そこらが暗いから、スグ側に近付くまで、分からんのです。
三月からは、朝も居るよおになりました。よおやく、コイツの季節になったのか。
それはそれとして、トロッコ列車の向いのフェンスに貼ってある、「ここは生活道路です」と書いた、小さな看板が割れてるのです。強風で割れたのでもナイです。
看板の中央から割れて、十もあった看板が、二つ三つを残し、取れてました。ドコゾの誰かが、ゲンコツで、やりよったのか。
それも、三月に入って、なおってました。犯人は誰やろか。その猫は知ってるやろか。ジッと身動きもセズに見張ってたのやろか。
そやけど、気をつけろよなあ。看板なら、取り替えたらシマイ。
オマエの命はソはイカン。
(00/03/07)


その27.突然の訪問者

ポカポカ陽気は結構ですが、鬱っとおしいこともアル。
寒い時期には、タマにですが、陽気になると、それに釣られて出没する。
マンションのチャイムが、ピンポン、ピンポンと五月蠅いのです。ここに入居したときは、ナニかも分からんし、その都度、応対したのです。
チャイムの主は、種々様々。
圧倒的に多いのが、ナンとか系の宗教団体。それに関係するのか、慈善団体の募金。
アトは、バラバラの保険の勧誘、化粧品、家具、電話、分譲住宅、マンションの売り込みとか借り換え勧誘。布団の丸洗いから弁当屋にピザ宅配宣伝、等々エトセトラにエトセトラ。
そんなことやから、居留守を決めてますけど、初期の頃は慣れてナイこともあるし、ツイツイ、出てしもた。それも、帰り支度してたら、尚更です。
夜もふけて、帰ろかなあ。
そしたら、玄関のチャイムが鳴るのです。思わず、ナンヤロなあ。
扉を開けば、眼の前に妙齢の美女がニッコリ微笑んでます。しかも、ウシロにも一人。そのおカタはお婆ちゃん。
ご訪問が多いトキには一週間に一回はあるのです。国際的宗教団体系の布教活動です。
亀岡では日曜日の昼間が多いけど、嵯峨は平日の夜です。
その都度、顔ぶれが違て、布教の小冊子をくれる。イランのに。
時には中学生か高校生程度の女の子。こともあろおに、たった一人で来ることもある。
夜もそんな時間にチャイムをピンポンパンと鳴らされて、小冊子を持ってるから、ソレと分かるけど。
丁寧に手渡してくれ、
「これには大切なことが書いてあります。
私も感動しました。ナニかあれば、ご相談なさって下さいね。」
そんな娘に相談するよなことなんかナイけどなあ。それだけのことやから、
「ありがとう。」
一応は、押し頂くけど、その処分に困るのや。たまには、立派な装丁のもあって、コンナン、只で貰て佳いのかと、心配になる事もあるけど、ホカさんとショウガナイです。
ところが、エライことがあったのや。
やっぱり、チャイムが鳴って、思わず扉を開けてしもた。
目の前には、それこそ、妙齢の美女一人、微笑んでます。また、アレやろか。
そやけど、いつもと様子が違うのです。布教の小冊子を持ってない。オカシイなあ。
そしたら、ヘンな売り込みやろか。
その美女曰く。
「お一人ですか。」
イキナリ、そんなこと聞く。やっぱり、アッチの話やろか。
「そおですけど。」
「ジョレイしてあげましょう。」
イキナリ、予想外の事を云われたら、動転してしまう。
「エッ、ジョレイって、アノ除霊ですか。」
「そおです。その除霊です。ナカに入らせて頂きます。」
「イエ、そんな、ケッコウですよ。」
「スグ、出来ます。時間は取らせません。たったの十分程度です。」
「イヤ、そんなこと、コマルなあ。」
お断りして、扉を閉めてるのに、何とまあです。足を扉に挟みやがって、防戦しよる。
この小娘め、手強いヤツ。イヤ、女性なら、アマやけど。
「遠慮されることありません。させて頂きます。無料です。」
私は遠慮なんか、してないのや。
そやけど、無料なら、タダと云うことやで。タダなら、やってもろても佳いのかなあ。
そおいうのは、キライでもナイのやし。瞬時、そお思たけど、辛うじて、思い止まった。
しても、こんな夜も遅おに、若き娘さん(年齢不詳)が、たったの一人で、ウサンの臭い中年のオッサン捕まえて、「ジョレイ」はナイで。
私みたいな、小心者のオッサンやから佳いけれど、怖い筋のなら、どおするのやろ。
今度来たら、そお云うたろか。それとも、妙齢の美女やから、どんな具合に除霊するのか、興味もアルし、やって貰おかなあ。
と思てるのに、それっきりで、再訪問ナシ。ザンネン無念。
ホンマに妙齢の美女なら、あのトキ、そこまで云われたら、やられたら、私も紳士です。
扉を閉めず、防戦セズに招き入れ。
除霊とやらをやって頂いておりますです。
(00/03/08)


その28.突然の訪問者(2)

居留守を決めてても、相手もサル者、イキナリ、扉をドンドンドンのドン。
ダレか知りませんけど、エライ勢いで、叩きよる。
それも、嵯峨のマンションに着いた矢先です。家から持って来た新聞をのんびり構えて、読んでたのです。云われんでも、我乍ら佳い身分と思てます。
そんなことやし、何事カイナ。近くで火事でもあって、逃げなさい。サイレンは鳴ってナイけど、それなら、エライことです。
思わず、扉を開けたら、目の前には学生くらいの兄ちゃんで、消防士さんではナイです。しかも、表情はニコニコして、せき込むとか、慌てる様子もナシ。そして、開口一番、
「今度出来た、ハウス・クリーニング屋です。宜しくお願いします。」
それだけ云うて、ホナ、サイナラ。
名刺ナシ。チラシ、ナシ。説明、ナシ。場所も店の名前も電話番号もナシ。
そしたら、ナニしに来たのやろ。顔見せだけかいなと、拍子ヌケ。
そやけど、感心した。ピンポンせんと、扉をドンドンドンのドンは考えました。
誰でも、ビックリして開けてしまう。その兄ちゃんは、マンション住人居留守の手口を知ってます。ナルホド、ナルホド、賢いで。
それもアルけど、この手のは、ダイタイが昼以降。朝なんか、ナイのです。
寝ぼ助の学生なら、寝込みを襲われ、ナニナニ、ナニゴトデスカ。
私も感心してる場合でナイです。血圧が瞬間風速で異常を示した。そのケはありませんけど。
兎に角、あの手、この手の手練手管で、陥落目指して、やって来ます。
実は、ツイ先日もあったのです。ピンポン、ピンポン、ピンポンのポン。
タイテイ、二回でオシマイやのに、ヒツコイのや。私の知人なら、訪問マエに連絡してくれるけど、それがナイし、知らん人の筈。
インターホンもアルけど、使たことナイ。これが苦手で、ナニやら、エラソみたいで。
それなら、素直にハイと、応対したら佳いけど、そもイカンのや。
ところで、扉には覗き穴がアルのです。入居ン年目にして、初めて覗いてみたら、ケッコウ、見えるのや。覗きの趣味がナイからで、背に腹は代えられぬ。
勝手に理屈をつけて、覗いてみたけど、ヤッパリ、コノ顔、知らんなあ。
押し売りにしては、背広を着てるし、ネクタイしてる。そしたら、詐欺師とか。
イヤ、前の会社のヤツが、突然の訪問とか。訪問はショッチュウやけど、連絡がナイし、この顔も知らん。
そのウシロに中年女性と女子高生くらいの子も居てる。ヘンな組み合わせです。そやけど、ホットケ、ホットケ。どっちみち、ナニかの勧誘や。
私は頑として、応答セズ。ショオガナイし、向かいの部屋に行きよった。
マタモヤ、ピンポン、ピンポン、ピンポンポンのポン。卓球やないけど、兎に角、鳴らしカタがヒツコイ。
云うとくけど、向かいのチャイムの音まで、聞こえるワケがナイです。何回もチャイムを押してるし、そお思ただけ。
やっぱり、先方も出て来ません。シタの部屋もイツの間にやら、満室になってるのです。云うても、ゼンブで四部屋。
結局、応答ナシで、怪し気の三人、ナニやら相談してる様子です。
「誰も出て来ませねえ。何時頃、戻るかなあ。」
よお見たら、その背広の兄ちゃん、携帯電話を持ってます。そしたら、イツでも電話が出来る体制やないか。それなら、私の電話を鳴らしてみいな。
知らん人やから、知ってるワケがナイ。携帯電話でピンポンパンのパン。電話が掛かったら、こっちが、びっくり仰天。
こんなタイミングで、余所から電話でも掛かって来たら、エライこと。出るべきか、無視するべきか。出てしもたら、居留守がバレる。
出ても、マチガイ電話なら、バカみたい。それはナカッタけれどです。
そしたら、ナンで、ウロウロしてるのや。掛けもセン、掛かりもセンのにそれ見よがしにしてるのは、嬉しがりです。その手なら、私程度の中年に多い。
タマに掛かって来たら、大きな声で、アッチコッチ、キョロキョロしてからに。持ってるで、掛かって来たでと嬉しがり。
私も中年やけど、ソレはしてません。持ってはいるけど、下手したら何処に置いたか忘れてるし、掛かりもセン、掛けもセンのに持ってるだけです。
兎に角、怪しい奴等です。携帯電話はホカとの連絡用やろ。
それに兄ちゃんは背広で、女の人は普段着で、イヨイヨもって、奇怪な連中。
それは佳いけど、早よ、帰ってくれ。外に出かける用事があるのに、出るに出られへん。
居留守して、敵さんに今更姿を見せるワケにもイカンがな。
(00/03/10)


その29.突然の訪問者(3)

トロッコ列車のフェンスにズラリとポスターが貼られました。
嵯峨野トロッコ・ジェンヌ・コンテスト開催。
ナンのことかと申しますと、簡単には、宝ジェンヌをもじった、ミス・トロッコ列車の募集です。
ナンとなく、言葉の響きが悪いし、可愛処が集まるのかと。昨今は出たがりが多いことやし、ナンとかなるやろか。
ご褒美は、ペアでグアム旅行。佳いなあ。チョッとでも可愛い女の子なら、ミス・コンテンスト・アラシをしたらどおですか。ナニかの宣伝にもナルやろし。
私もグアムに行きたいけど、年齢、十八歳から二十五歳やし、アキマセン。
特に独身限定とは書いてナイです。既婚者でも構いませんけど、女性としてある。つまり、男は除外です。男女平等と叫んでるくせして、可笑しいやないですか。逆差別です。
云うても、企画したのは男で、職権乱用。
佳い歳して、アホなことで、愚痴ってます。
嵯峨野観光鉄道はそれなりに企業努力をしてるのです。先日も記念植樹と称して、トロッコ列車の運行コースの何処かですけど、行事が開催されたらしいです。そんなことをカー・ラジオで聞きました。
さて、マンションに闖入した、怪しい三人組のことです。
背広の兄ちゃんは、マダ、ウエがどおこお云うて、階段を登るのです。
中年女性は、ウエには部屋がナイのと違いますか。とか云い乍らも付いて行く。このウエは屋上なんです。
女の子はナンやろ。ただ、くっついて、行動してます。高校生くらいやけど、春休みやし。
結局、降りて、階下へ移動。そして、マタもや、チャイムを鳴らすのです。ピンポン、ピンポン、ピンポンポンのポン。
やっぱり、応答ナシで、マタ、ムカイ側。ピンポン、ピンポン。繰り返しはやめときます。鬱っとおしいだけ。それに、ムカイのチャイムまでは聞こえません。そお思うだけ。
誰も出て来ませんし、下の階に移動。マタ、やってるみたいです。
下の住人は、一遍だけ、顔を合わせたことがありました。コンバンワの挨拶だけで、この子は丁寧です。居てたら、必ず応対してしまうのです。私の初期の頃と一緒です。
マエのは、保険の話があって、最初、私を訪問しました。そやけど、居留守してやったら、その子の部屋に、ピンポン、ピンポン、やりよって。ヨセば佳いのに出てしまいよて。
話の隅々は分かりませんけど、
「そおですか。ウエの部屋は、居てると思いますよ。」
ナンやな。余計なこと云うたらアカンやないか。
ここのマンションは、上等な造りとチガウのです。居てるかどおかくらい、物音で分かってしまうのです。
そんなことで、そのオッサンが再登場。ピンポン、ピンポン、ピンポンポンのポン。
ショオガナイなあ。その子の立場もアルし、出てやった。云うても、その子の名前も知らん。
そのオッサン、保険のセールスやがな。マンションの火災保険を掛けなさい。自室失火時の賠償とか、家財も保証されますよ。
そんなモン、掛けてます。
そんな云いカタ、してませんけど、それだけのヤリトリだけではナカッタのです。もお、イランて云うのに、ヒツコイのや。クドイのや。それに、賃貸マンションなら、タイテイ、掛けさせられてるのと違いますか。
掛けてるのは、ホントのことで、契約更新のトキ、やらさせられてます。何処で調べるのか、二社も三社も案内状が届いて、勘違いしそやった。
最初に届いたホウに、掛け金を銀行振込、直前です。ベツのが届いた。それが、今までの保険会社。内容が一緒やから、どっちでも佳いのですが、最初のは高かった。
しかも、今掛けてるのはコノ内容で、引き続きお願いします。そんな表現してるのです。
三人組のことです。階段の途中で、停まってしもた。
背広男がナニやら云うてます。
待つか、待たんか。そんなことやけど、待つことないのやで。退散してくれ。
よおやく、収まって、やっと、マンションを出てくれた。
私には、外に出る用事があるし、もお充分と、部屋を出た。
(00/03/11)


その30.突然の訪問者(4)

よおやく、三人組の気配が無くなりました。それで、話はオワリません。
私には出かける用事があるのです。出不精の私に珍しいことですが。
準備万端、整ってるし、もお佳いやろと、扉を開けたら、バッタリです。
イヤ、おムカイの兄ちゃんです。彼も居留守で、出かける用事があったのか。
「コンニチハ。」
おムカイさんやから、挨拶してるのに、返答ナシ、会釈ナシ、そもそも、顔も合わせてくれずです。早い話が完全無視。ナンやなコイツ、不愛想やなあ。
そんな広い、マンションではナイのです。三階は二部屋だけ。まさかと思うけど、聞こえてナイ、気付いてないということもある。
私がチャイムの主でナイことくらいは分かってる。部屋の鍵を掛けてるトキに出て来たのです。
そやから、もう一遍、挨拶してやった。
「コンニチハ。」
それでも、返答ナシ、会釈ナシ、顔も合わせてくれずの完全無視。イヤなヤツやなあ。
我が子なら、返事わと請求したるけど、余所さんや。そやから云うて、高橋グルみたいに、頭をポンポンポンのポン。シャクティ・パットしてやるワケにもイカンのです。暴行で警察沙汰になってしもたら、エライこと。ホットケ、ホットコ。
実は、これが初のご対面で、最後のご対面でもありました。兄ちゃんは入居数ヶ月目。完全無視され、数日後、空室になってしもたのです。
私に断りもナク、入居して。知らんウチに消えてしもた。私が家主っさんでもナイから、ドオでもヨイけど。
それにしても、挨拶さえも教えてないのは、どんな親か、顔でも見てやりたい。
とか思い乍ら、マンションの入り口の扉を開けたら、マタ、バッタリや。
今度はアノ三人組。マダ、居てたのや。サッサと余所へ行ってくれたらヨイのに、マンションの真ん前で、打ち合わせでもしてたのか。
「ここにお住まいのカタですか。」
それこそ、無視して欲しいのに、ご丁寧な挨拶されて。世のナカ、思うよになりません。
かと云うて、チガウと云うてもバレバレやろし。
「ソオです。」
「足裏診断させて頂きたいのです。」
足裏診断て、アレかいな。アレて、アノ福永法源の法の華三法行。
「イヤ、無関係です。間違われまして、困るのです。
奉仕です。無料で、十分も掛かりません。是非、お時間を頂きたいのです。」
イツかも、何処かで聞いたことがある。只で、十分のジョレイです。
やけど、今回もアカンです。妙齢の美女、一人とチガウ。美女云うても、たかが、女子高生。
携帯電話片手の背広の兄ちゃんと、普段着のオバハンが混ざった三人組。相手にとって不足ナシ。
「ナンのために、足の裏を診断するのやな。」
この一言が不味かった。イランことを云うのでナカタ。後悔サキに立たず。三人組に包囲されてしもた。
云うても、この構成。しかも、JR嵯峨嵐山駅界隈は通行人は多いのです。喧嘩にはなりません。
しかも、背広の兄ちゃんが相手のツモリやのに、ナンと金魚の糞程度、対象外のツモリの女子高生風のを中心に陣構えしよる。
「診断で、アナタ様の隠れた健康状態が分かるのです。マスコミで話題の法の華ではありません。」
只や、スグ終わる。やらせてチョウダイ。痛いことも、痒いこともしません。損させません。そのウエ、救われた人が数限りナシ。感謝、感謝の雨アラレです。
肩こり、リウマチ、体調不良、エトセトラにエトセトラ。診断結果で、ナンでも対応出来ます。
それにしても、参ったなあ。女子高生程度と判断したのが不味かった。背広の兄ちゃん、中年のオバハンが、単なる付き添いやないですか。
眼光穏やか、瞬きもセズ。その眼で、相手を正視。発する言葉は立て板に水。まあ云うたら、気品があって、可愛い子です。
その効能のナカに、耳鳴り、老眼、オマケで佳いし、便秘と痔瘻の解消があったらなあ。
注文したら、必ずや、加えてくれるやろけど、後半を口にするのは恥ずかしいやないですか。
イヤイヤ、騙されたらアカン。医者イラズの法の華。イヨイヨもって、ヌケヌケと、嘘ばっかり云いよって。法の華に決まってます。
さて、どおやって、この場を切り抜けたるのか。やっぱり、用事がアルのやで。
「これから、用事があってなあ。悪いけど。」
「イツ、お戻りになりますか。お待ちしますよ。」
アア云えば上祐。この女子高生。
準備万端云うても、この格好。海外出張ではナン。暫く、戻らへん。
そお云うて、一目散に逃げたんや。ホンマは一時間程度の外出やけど。
その間に、アノ不愛想なおムカイの兄ちゃんです。三人組の包囲網に引っかかることなく、何処ぞへ行きよった。私のお陰やで。アホクサイ。
それにしても、オドロキです。法の華三法行。テレビ、新聞だけの世界と思てたのです。
相手の役割分担も、常識で判断したら、アキマセン。
(00/03/12)


その31.マンションのハナシ(1)

そもそも、賃貸のワン・ルーム・マンションには訪問者が多いとか。
殆どが学生で、ヤーサンはナイと云うことです。嵯峨に住む学生は何処に通てるのか。
ソバには、嵯峨美術短期大学がある。
こんな短期大学があったのか。イツ出来たのか、調べたら、1972年ですて。これは古いと云うのか、新しいと云うべきか、ヨオ分からん。
阪急松尾駅には、送迎バスが来てます。その運ちゃんのタチが悪い。学生もカラフルで、何処の国の人かいな。
やたら、下手な運転の外車があって、イライラしてたら、タイテイならこの短大に入るのです。もしかして、教授やろか。
マンションの住人は、カラフルでもナイ。そしたら、ナンやろ。何処の学生やろ。イマは春休みシーズンで居てナイから、やっぱり、学生やろ。私以外はなあ。
それにしても、突然の訪問者は学生相手と見てるかも知れません。住人のホウは用心しんとアカンのや。訪問者がヤーサンと云うこともある。
このマンションは何処ぞの女子大生向けの高級マンションとはチガウから、セキユリティがなってナイ。
さて、賃貸ワン・ルーム・マンションは入居者の出入りが激しいです。
そもそも、私の入居は築二年目で二代目。先輩は女性の筈。
ナンで分かるかのか。暫くは、DMが届いてたのです。DMは、昨年末まで続いてました。まだ、安心出来ませんけど。
そのホカの部屋は、三代目から四代目で、学生風。イツの間にやら、私が一番の古株になりました。
私が入居のトキ、ティッシュ・ペーパーを名刺代わりに、各部屋に挨拶して回ったのです。
そのトキはオッサン、オバハンが住人やった。挨拶で、お互いにビックリしました。ナンやこのマンション。
アトで聞いたんですが、この程度のマンションで、そんな配り物、挨拶することはナイらしいです。町内会、運動会、お祭り等々一切無関係。アトにもサキにも、挨拶して貰たことナイです。
それはそれで、気楽です。最初は表札をどうするかまで考えました。ワザワザ、手彫りしたのを買うのは勿体ないし。手書きのメモか、名刺でも貼っとこか。
されど、誰もナニもしてません。全室、名無しの権兵衛さんやから、辞めました。
皆様、イツの間にやら、入居して、空室になってます。
出入り口の郵便受けには名前を書きました。私の知人が訪問のトキ、分かり易いよおにです。実際には、最初のトキはお出迎えしますから、用はナカッタです。
にも関わらず、郵便物の宛先にルーム・ナンバーが書いてナイと、ゼンブ、私の郵便受けに入れられる。入り口の一番手前で、入れやすい位置にあるからです。名前がチガウのに。
下手したら、余所の部屋に入ってたハズの郵便物までが投函されてます。マエの人宛のが来て、処分に困ったのか。それでも、余所に放り込むとはなあ。
或いは、郵便受けのウエに置いてある。どおいう意味でしょねえ。置いてある場所は、私の郵便受けの真上です。いかにも、ナンとかセヨと命令されてるみたい。知るかいな。ほっとけ、ほっとけ。とも云いたいけど、ほっといたら、ズッと、そのままになってます。
郵便物がDMなら、ドオと云うことないですが、処分に困るのがアル。請求書とかで、しょがないから、郵便物は管理人さんに連絡のウエ、処置してます。
こんなこと、管理人さんの仕事やのに、一体、イツ、来るのやら。管理費は毎月支払おてるのに。セイゼイ、一ヶ月に一回程度の管理状態。
階段の蛍光灯が消えてても、常夜灯が壊れてても、誰もナニも致しません。私は、夜、居てないけど、これまた、ほっとくワケにもイカンから、管理人さんに連絡してます。
(00/03/16)


その32.マンションの話(2)

訪問者も多いですが、最たるものは勧誘の電話。
出たら、
「奥さんは居られますか。」
いきなり、こんな調子やし、気分が悪い。オトコではアカンのかいな。
「いつ頃、戻られますか。」
「私だけです。」
この返事は正しいけど、佳い歳して独身みたいやし、気色の悪い奴と思われるのもナンです。
「ここには住んでません。」
その一言を付け加えとくのです。それにしても、オトコに用事がナイとは、ナンやろか。
食材の配送、ハウス・クリーニングに化粧品。
勿論、私でも良いのもあります。マンションの販売。
「近くに建設しています。
新聞のチラシ等での一般募集のマエに、地元の皆様に優先的にご紹介しています。
是非、ご見学など。」
これは、要りません。だけで済む。電話も似たよおなモンです。
次ぎに多いのが、出前の確認電話。
「毎度オオキニ。
ナンとか屋ですけど、ご注文の寿司三人マエ、何時頃に配達したら宜しでっしゃろ。」
そんなモン、頼んだ覚えがナイ。
「電話番号ですけど、ナン番ですか。」
「それなら、ピッタリやのに、スンマセンです。」
流石に直接の出前はナイのです。サキに払てあったら、食べてあげても構いません。
この確認の電話が以外にヒツコイのです。チガウて云うてるのに、ホカに心当たりはナイかと、何回も電話してくるのです。余程、信用されてナイのやなあ。
一番、面白いのは留守電に録音されたメッセージ。
マンションには、平日しか居てナイのです。居てるトキはマチガイ電話であろおと、なかろおと、受話器は取ります。出るまで分からんからです。
朝、入室したら、その録音ランプが点灯してるかどおかの確認で、特に月曜日は多いです。
おかしなことに、知ってる人は皆無です。知ってるなら、家とか携帯電話にスルやろに。
その留守電で、秀逸を紹介する。
「ヨッチャーン。ゲンキー。ワタシ。
このマエのお土産、アリガトーね。美味しかったヨー。」
中年のオバハンの声で入ってます。
どおしたもんかなあ。私はヨッチャンではナイ。ここに入居したトキに引いた電話やから、マエの住人でもナイ。
これが、一回や二回ではナイのです。三ヶ月に一回の頻度で掛かって来る。
「ヨッチャーン。ゲンキー。ワタシ。」
ここまでは一緒で、アトの台詞がチガウだけ。
「どおしてるー。マタ、連絡してねー。待ってるからねー。」
そお云われても、どおしたら佳いやな。電話の主も、ヨッチャンも、知りません。
一年くらいは仕方ナイと思てました。それが、ン年経っても、マダ掛かって来ます。
私が居てるトキなら、チガウと云うたげるのに、留守電やから、どおしょうもナイのです。
そのオバハンに連絡してクレよなあ。
頼むわ、何処ぞのヨッチャンよ。
(00/03/17)


その33.駅前風景(1)

三月も末。ポカポカ陽気。
ここ最近は、日中なんか、窓を解放してんと、暑苦しいくらいです。
そやから云うて、開けてしもたら、まだ、肌寒いのやけど。
この陽気になって、観光客も多なった。中学生くらいの遠足から、中年とかお年寄りの団体さん。若いカップルに、二人連れの女の子。不思議なことに、二人連れでも、男の子はナイ。
二人連れ程度は大人しいのやけど、団体さんはドオもイカン。
学校の遠足は、その引率のセンセイの水準にも寄るけど、それなりに、統率は取れてます。センセイによったら、生徒が道幅一杯に拡散しても、シラン顔。
センセイは、センセイ同士で、世間話をしてるだけ。そのセンセイが、道の真ん中を闊歩してるのです。ウシロから、マジメな生徒に、車が来てるし、アブナイでと、注意されたりして、立場が反対。
タダの団体さんは人数は少ないけど、困るのが多いです。
適当に、カタマリを造って、お喋りし乍ら歩いたはる。これが、道路の横幅一杯に広がってしもて、完全に道路を占拠してしまう。
逆流するトキはタイヘンで、マズ、道を空けてくれることはナイ。
誰かが空けるやろ。それも脳裏にナイのやろ。天下の大通、歩いてナニが悪いのや。
これは、人数によっては空けてくれるつもりでも、空けられんこともあるから、ショウガナイと思います。
タチの悪いのは、高が十人くらいのくせして、横一文字。ドツイタロカ。
トロッコ列車マエの生活道路は距離にして百五十メートル程度の直線コース。真正面にムカイ合うことになるし、どおなるか。
さて、道を譲るのか、譲らさせられるのか。お互いの距離が接近して来たら、悩むのです。そやけど、多勢に無勢。喧嘩したら負けるがな。
これが、不思議に背広の連中がやるのです。背広云うても、若い連中だけとは限りません。オッサンも一緒のことです。何処かの会社の連中やろけど、アカンなあ。
却って、オッサンのホウは譲りません。ワシャ、エライのや。そんな顔して、天井向いて、腹出して、威張ってます。その突き出た腹でも蹴ったろか。そやけど、やっぱり、多勢に無勢。
喧嘩口論したら、負けてまう。喧嘩口論は遠慮して、小さい体を、もっと小さして、道路の片隅を消えるが如くに通過です。
これは、背広やから、観光ではナイのやろ。
余談ですが、JR嵯峨嵐山駅の横に、コミュニティ嵯峨野があるのです。ここの中味はホテルみたいなモンやけど、用途は京都府勤労者研修センター。会社の研修をやるのです。
私も、会社の研修があって、ナカの様子は知ってます。レストランもあって、訊ねてくれる友人と、昼食を取ったこともアルのです。
この背広の連中は、そこで研修でもしてるのやろ。
団体さんでは、老人グループが一番多い。
その団体さんのナカには、自転車に乗って、ナンやカやと、ガヤガヤ騒ぎ乍ら、移動しやはるのがアルのです。何処かへ行かはるのやろ。
皆さん、ゲート・ボールの道具を担いだはる。嵐山の公園ででも、大会があるのやろか。どっちにしても、お元気なことです。
それは佳いけど、大好きな、ゲート・ボールのことやから、皆さん、嬉々として、お話に夢中。
通行人なんか、ゼンゼン見てナイのです。車さえも眼中にナシ。
モトモト、手が震てるのやろけど、フダンでも、乗ってナイし、ハンドルが、ガタガタ震て、自転車の進路も、右、左。
ぶつけられんよお、当てられんよお、コッチも、ガタガタ、ブルブル、気が気やナイです。
そやけど、転けてしもたら、再起不能になります。
この調子で、よお、そのお歳まで、生存したはることや。
(00/03/31)


その34.駅前風景(2)

本日も、ポカポカ陽気。
ホンマのこと云うたら、曇り、一時雨。この一連の話は、日付に無関係。
四月一日はエイプリル・フールやで。
そんな、ショッチュウ、話題にするような場面に遭遇するワケない。
ではあるけど、この風景は、ホボ毎日遭遇します。
さて、イツものとおり、朝、駐車場に車を停めて、マンションに。
その途中、駅から出て来た人とすれ違う。帰りしなは、その反対やから、合流することになる。
私が嵯峨に縁が出来て、四年になる。当時は携帯電話も普及直前、珍しいモンでした。
通信も、地下鉄、山のナカ、車で走行中はアカンとか。買うにも、登録料と本体価格、付属品も含めて、五万円強也。今なら、一円でも売ってます。
その携帯電話の事やけど、このことは、JR嵯峨嵐山駅界隈だけではナイけれど、四年マエ当時は、ナニを独り言を云うてるのやろ。可哀想に、キチガイかと思たら、携帯電話で喋ってるのです。
「ソオか。フンフン。ソレで、ナンやて。
アア、ソオカ、ソオカ。それで、ナンやな。
ソヤソヤ、アノ件のことやけど、ドオするのやな。ソオか、ソオか、ナルホド、ナルホド。
それでなあ、アレ、アレ、アッチのハナシやけど。アレはドオなった。」
スグに終わっても、佳いよおな話をイツまでやってるのか。
それを、一段と声張り上げて、そこらの人に、見てチョウダイ。聞いて頂戴。見て、聞いて欲しいのは、携帯電話。
キョロキョロしながらやってるのは、タイテイ、オッサンや。ホンマに話をしてるのかいな。一人芝居やったりして。
イヤイヤ、オッサン云うても、私の事ではナイです。間違おても、公衆の面前で、そんな気恥ずしいこと、シタことないです。ソモソモ、私の携帯電話は、掛けることも、掛かって来ることもナイし、勿体ないのですが。
この携帯電話、初期の頃、違和感があった。相手が居てナイのに、独り言やからです。
悪いけど、この界隈でも見掛けるのです。気のふれた、ホーム・レス風のお爺さん。自転車に荷物を一杯載せて、ナニやら、ブツクサ、唸ってる。もしかして、アル中かも知れません。
この風景が珍しくも無くなった。大声で、ブツクサやってたのは、四年マエのオッサンで、飽きもせず、今だにやってます。もお充分に宣伝してるのに。
加えて、アト二人、女の子がやってます。流石にナニを云うてるのか、声までは聞こえませんが、口を動かしてるし、喋ってる筈。
女の子はキョロキョロもしてません。それどころか、ソバに誰が居よおと、居てまいと、脇目も振らず、タダ、ヒタスラにお話に夢中。よお、ケツマズきもせんと、真っ直ぐ歩けることと感心します。
駅から出た来たトキにはその状態。もしかして、電車のナカから、乗るマエから、延々とやってるのかと。
イランお世話ですが、こおいうのが居てるのです。
JR嵯峨嵐山駅前には、公衆電話のボックスが二個あるのです。
以前なら、雨降りで順番待ちが、今や、ガラガラ。駅前で、雨を見ながら、携帯電話でやってます。
ところで、私が会社員当時のこと、囲いのナイ、公衆電話でも大声出してやってたのは無かったで。
京都駅構内には何カ所もありました。一カ所に十台くらい。一列に並んで、順番待ち。
新幹線構内のは比較的空いてたし、出張からの帰りしな、何時の嵯峨野線に乗る。それだけ伝えて、ガチャンです。要は車で駅まで、迎えに来てくれと頼むだけ。
その囲いのナイ公衆電話でも、声は聞こてませんでした。皆さん、用件だけを手短に。しかも、余所さんに余計なことまで、漏れ聞こえんよおに。
駅構内は、ヤカマシイと云うのもあった。ナカには周囲の喧噪もナンのソノ。辺り構わず、はばからず、大声でがなり立ててるのも、居てはしました。
そして、夜。私が借りてる駐車場の周辺は駅の裏手。
明かりも少ないし、真っ暗闇。人の気配も乏しく、イツも静かなモンです。
やのに、エゲツナイ、罵声が響いてるやないですか。
「アホか、バカタレ。ナニ云うてるのや。承知しやへんぞ。ナンとかせえや。」
アア、コワ。ヤーサンが居るけど、喧嘩相手の声がナイ。
携帯電話でやってるのです。
若い声やから、あの馬鹿オッサンではナイです。
(00/04/01)


その35.駅前風景(3)

さて、イツモのとおり、駐車場に車を停めて、嵯峨のマンションへ。
その道順には、株式会社嵯峨野観光鉄道のレンタ・サイクルがある。
道順と、威張るホドの距離ではナイ。高が、三百メートル程度。
そのレンタ・サイクルの前に女の子が群がってるやないですか。これは、珍しいです。女の子が珍しいのではナイです。この時間、群がってるとしたら、タイテイ、制服を着てるのが殆どです。
この群は、見た処高校低学年で、総勢十数名の私服軍団。
まだ、春休みも残ってる。今のウチやから、気の合おた仲間同士、観光にでも来たのやろ。
天気もヨシ。雨も降りそおでナシ。エエコッチャなあ。自転車でも借りて、何処ぞへお出かけでもするのやろか。何処て、嵐山やけど、嵐山の何処やろなあ。私もそんなに詳しいことナイし、お好きなよおにして頂戴。
但し、レンタ・サイクルが開いてないのです。管理人のオッサンも、早よ来たらんと。
お客さんを待たしたらアキマセン。云うても、マダ、九時前やから、ショウガナイです。オモテには、営業時間、朝九時から夕方五時と書いてアル。
そやけど、ナニやら、様子が違う。
ナニがて、十数名の女の子。一斉に、座り出した。円座になってです。しかも、地べたにベッタリ、座ってしもた。地べた云うてもコンクリートやけど、お尻にナニも敷かんとからに。
そして、ナニやらやり出した。こんな処で、ナニする気やろ。お化粧道具広げて、パタパタ、お化粧やがな。
ヤマンバにはしてナイけど、皆でやれば、怖いモノなし。それぞれが、お互いに指差して、ワイワイ、ガヤガヤ、喋ってる。騒がしいし、十数名全員がやってるから、ナニを云うてるのかも、分かりません。
やってることは、お化粧。別段、悪いことしてるワケでナシ。道路に座ってるとは云え、円座のこと。道幅は充分。別段、通行人にも迷惑なんか掛けてません。
そやけど、ナンとまあ、エライ時代になったモンです。
こんな場所で、座った人なんか、見たことナイです。引き合いに出して悪いけど、昼間っから酔っぱろおてる、ホーム・レス風のオッサンでさえ、そんなことしてナイのです。
ひっくり返ってるのも、最低限、目立たん場所。ここに、羞恥心が有るのです。
JR嵯峨嵐山駅前界隈は、観光客が多いです。色んな人が訪れる。それを目当てにしたお店も沢山あるけど、ソレはソレ。
何処のお嬢様か知らんけど、お行儀がチと悪過ぎます。
一人、二人、三人、それなら、おしとやかで、お上品な、何処ぞのお嬢様。
これが団体さんになれば、年齢を問わず、この手のが目立つのです。それでも、こんな道路。
円座になって、座るやろか。ド阿呆雌猫。
(00/04/02)


その36.鈴虫寺散策(1)

四月に入って、マスマス、ポカポカ陽気。
観光にはヨイ季節となりました。実際、JR嵯峨嵐山駅前には、早朝から、沢山の人が集まって、記念写真を撮ってます。
その観光と云うわけではなく、鈴虫寺へ、散策することにしたのです。
嵯峨のマンションに入居して、四年半。歩いて十五分程度の天竜寺でさえ、訪問三回。観光地でも目的ナシに一人でウロウロも仕方がナイ。それこそ、ヘンなオッサンやがな。
そんなことで、暖こおなったら、歩きにでも行こかと、以前から嫁はんと相談してたのです。
それで、ナンで鈴虫寺か。
毎日、車で物集女街道を走ってます。その途中、鈴虫寺への道標がある。それを横目で見てるだけやから、一遍くらい、訪問したいと思たからです。
モトモトは、西芳寺(苔寺)のホウが有名で、何回も拝観しましたが、これは十数年前の話です。当時から、鈴虫寺の存在は知ってましたが、入ったことはナイのです。西芳寺もヨイですが、イツの間にやら、予約制やて。
理由は、看板の苔が踏み荒らされ、取られたり。そんな心得違いのが居るから、マトモな参詣客がバカを見る。
鈴虫寺は、マンションから、徒歩小一時間程度。丁度、ヨイ運動になるのです。
しかも、草鞋をお履きになった幸福地蔵さんが鎮座され、願い事を一つは叶えてくれることになってます。せっかくなら、ナニかお願い事でも頼んだろ。
そんなワケで、夫婦して出掛けたのです。云うたらナンですが、墓参以外、夫婦二人で外出するのは年に一回もナシ。
ここ、JR嵯峨嵐山駅マエにはタクシーと人力車が待機してます。
人力車は観光客相手に、車夫の兄ちゃんが客引きです。
屋号はゑびす屋さん。人力車には、「嵐」と銘し、車夫のシャツにも、「嵐」の一文字。タブン、「嵐山」の「嵐」やろ。
こんな陽気になって、観光客も多なった。
団体さん、家族連れに、中年夫婦に、若手のカップル。二人連れの女の子に、母娘等々、組み合わせは色々です。
団体さんなら、人力車には乗せられませんのに、それでも、車夫は呼び込みする。
商売熱心なことと思てたら、何台かの人力車を寄せ集めるのやて。ナルホド、そんな手がアッタのかと感心する。
私なら毎日の如く、人力車のソバを通過してますが、格好が観光客風ではないし、一人やし。いつもの、得体の知れんオッサンやろ。それでも、どおですかと、やられることがアル。これは、新人やろ。
特には、カップルが狙われます。誰にて、車夫にです。云うても、襲うタメではないです。お客さんに持って来いと云う意味です。
人力車は二人で乗るのが丁度ヨイ具合。乗るホウも一人では派手がましいことやろけど、二人なら、まあ、エエカと。
私は乗ったことナイから、料金が幾らとも知りませんけど、推定数千円。イツも簡単な嵐山の観光名勝の地図など、見せて、誘てます。
「どおですか。ここを知ってますか。佳い処ですよ。
案内しますよ。乗りませんか。」
男女の二人連れなら、男のホウは無視。女のホウが勧誘されてます。落とし易いのやろ。
一番ヨク見掛けるのは、女性の二人連れ。友達同士か、お母さんと娘さん。
男同士は余り見たことない。そんな連れが少ないからか。
私にしたら、進行方向に居座ってるから、通行の邪魔なんや。
(00/04/07)


その37.鈴虫寺散策(2)

そんなワケで、車夫からお声が掛かることはナイのです。
嫁はんと二人なら、どおなるのかと思てたら、どおですかと、お声が掛かってしもた。
歩いて散策のツモリやし、ワルイけど、サイナラですが、こんなトキなら無視されるより、気分はヨシです。
「こっちは、桜が咲いてるのなあ。」
「アレは、造花やろ。」
こっちに来しな、車で嵐山は通過してるけど、まだ、咲く気配はナカッタのです。
JR嵯峨嵐山駅前商店街の道脇に植えられた桜の木には、咲いてるのが見えた。よお見たら、街路灯にくっつけられた造花の桜が木の枝と重なって見えただけ。
「インチキやなあ。」
「桜を見に来たワケでもナイからなあ。」
トカ云い乍らも、もお時分ドキ。朝家を出たのが遅かった。十時には出るツモリが、十一時。
私は至って簡単。簡単過ぎて、叱られるけど、嫁はんが遅いのです。
洗濯モンがどおとか、お化粧とか、家族のお昼のオカズの準備とか。
家族の云うても、息子共は何処かえ出掛けるらしい。そしたら、母の分だけです。
ヘンな話ですけど、この母は出たがりで、何処へ行くにも連れてけ。そやけど、イツの頃からか、ゲート・ボール命になってしもて。
朝も、一応訊ねてるのです。
「鈴虫寺に行くけど、どおする。」
「昼までに、帰って来ること、出来ひんやろな。」
「そら、そおや。昼頃、嵯峨の予定やのに。」
「昼からは、ゲート・ボールの試合がアルしなあ。」
一所懸命、断ってます。
もっとも、運動のタメ、歩くツモリやから、万が一にも母が来たのでは困るけど、一応そお云うとかんと、アトが五月蠅いのです。
祝祭日と土日にはゲート・ボールの試合がアルことくらい知って聞いてるから、計画的犯行ですが。
ゲート・ボールのことですが、晴れなら、ウキウキ。雨なら不機嫌そのもの。曇天なら、
「どおやろか。降らへんわなあ。」
そんなこと私に聞かれても、天気予報士やあるまいに。
それにしても、ご老人連中は元気なモンです。多少の小雨程度ならやるのです。
場所は、当家から、約一キロメートル先の公園で、通称雨蛙公園。雨蛙の滑り台がアルからです。雨が嫌いなクセしてなあ。
道具一式も、有名ブランドのナンとか製と云うます。そんなモンにもブランドがアルのです。
ソレ用の服装も立派なモンで。
年金のお陰で、当家では一番のお小遣い豊富。タマにはご馳走でも食べさせてクレ。
それはソレ。こっちの昼食はドオしたものか。
腹が減ってしもた。
(00/04/08)


その38.鈴虫寺散策(3)

余計な話はベツにして、湯豆腐なんか、どおかいな。
私は、高尾のホウにマエの会社の連中と韓国工場の人を連れて、一回だけですが、食べに行ったことがある。
牡蛎の湯豆腐は大好物。ソトでは食べる気がセンだけです。お豆腐は、何処でも一緒と思てます。にも関わらず、京都出身でもナイくせして、嫁はんのホウが詳しいやないですか。知ってる処がアルと、スタスタ進む。
到着した先は、天竜寺南隣の「西山艸堂」。テレビかナニかで聞いたことがアルよおな、ナイよおな。
いかにも、らしい門がありまして、潜ったら、ご立派なお庭があって、これなら、幾らくらい取られるのか。一人なら、気後れしてしまいそおな、佇まい。
お品書きはありますけど、一人前、三千円と、その中味の説明だけ。ナニにするのか、選ぶこともナイのです。
出すホウも、アレコレ、覚えることもナイから、らちが明いて、ヨイのやろ。
湯豆腐で、この値段。安いのか高いのか。意外に安いとは思うけど、二人やから、ヨイよおなモンの、家族五人なら、幾らになる。そんなイランことまで考えんとこ。
四国の姪が云うてたのです。麦トロ一人前で、一万円やから、ヤンペした。それからしたら、安いモンです。
待ってる人が何組か。受付らしきモノがナイ。あっちやろか、こっちやろか。サッパリ要領が分かりません。一見さんは、コレが困るのです。
ショウガナイから、適当に戸をガラガラ開ければ、そこが受付やった。訊ねるまでもナク、ハイと、番号札を頂きました。
ここら辺りは、どっちみち、観光客が多いやろ。もっと、分かりヨイよおにしてくれよ。私も、次ぎはイツになることやら。
それにしても、ここは、ナンて読むのやろ。この、「西山艸堂」。
座敷に上がり、仲居さんに聞いたのです。
「これ、ナンて読むのです。」
「音読みで、セイザンソウドウと云うのです。」
私は、「にしやま」ナンとか「どう」と、思てました。そお云うたら、草が生えてるみたいな、形象文字。艸は草の意味らしいです。一つ、賢こなりました。
そして、愛想のヨイ仲居さんです。
「お客さん。お待ちになりましたか。」
「まあ、適当に待ちましたけど。」
「今日は空いてますから、ヨカッタですねえ。イツもは一杯なんですよ。」
待った云うても十分くらいです。
丁度、時分ドキ。私等のマエが三組、アトは一組。その一組も座敷に上がってしもたし、もお、空き初めてますが、イランこと云わんとこ。
ふと見たら、二人連れの女の子のお客さん。珍しいことに、綺麗な振り袖着てるのです。服装がソレで、目立って、目立って、目立ってなあ。
頭は舞子さんの格好してません。お茶、お花、踊りのお稽古やろか。ナンやろか。
そやけど、お膳に頬杖ついて、タバコをスパスパやってます。バカたれめが。
余計に、目立って、目立って、目立ち過ぎるけど、本人、ユメユメ、自分がおしとやかなる、大和撫子とは思てないやろ。思たら、そんなマネ出来ません。
灰皿は置いてアル。タバコがアカンわけでナシ。格好が格好やから、似合わんだけ。
ナニより、嫁入りマエの娘様。大きなお声で話が丸聞こえです。あの科目がドオとか、単位がコオとか、何処ぞの女子大生みたいやなあ。
佳い処のご教養アルお嬢様。エエ、ベベ着て、お膳に頬杖するのは、辞めときなさい。
昔の何処ぞのナニみたいです。それでも、人眼のアル場所で、頬杖は、なあ。
一般常識なら、昔の寺子屋教育時代のホウが、数段優れてます。
これまた、お嬢様の親御様の顔でも見てみたい。この親なら、この娘の何処がオカシイのやと、こっちが叱られてしまいそお。
マタ、余計な話をしてしもた。肝心の鈴虫寺はイツになる。
(00/04/09)


その39.鈴虫寺散策(4)

鈴虫寺。学生なら、最後の春休みで土曜日です。
ポカポカ陽気で、人出も多い。
多いナカで、振り袖姿のお嬢様も、チラホラ散見する。数からしたら、知れてます。
年齢的には七五三やあるまいし、十三参りでもあるまいに、保護者ナシでの、ソノ格好なら、目立ちます。
最初に見掛けた、西山艸堂のトキ、ご近所のお嬢様が、お茶、お花、踊りなど、ナニかのお稽古事でもしたはるのかと思たけど、どおもチガウなあ。
舞子さんスタイルなら、貸衣装とスグにも分かるけど、コレもソレみたいです。
振り袖は、そこらで見掛けても、不思議ではナイ。私みたいに勘違いしてしまうオッサンも居てるやろに。
この話はこれくらいで、豆腐に戻します。
当家の近所。近所でも、数キロは離れて、豆腐屋さんがアル。
嫁はんの話では、ソコは、ココで修行しやはったらしい。ココとは、西山艸堂。
それにしても、豆腐も変わってしもた。私が子供の時分、家の近所の西洞院仏光寺にも豆腐屋さんがありました。イマはどおか知りません。
金盥を持たせれて、そこのお豆腐さんに、買いに行かされたモンです。ナンのタメに金盥。それに豆腐を入れて貰うため。
ついでに、お駄賃やと、オカラを幾らか戴いたり。くれるから、オオキニ云うて、素直に喜んでました。それがオカズになってました。私は好きではナイのやけれど。
イマはオカラの需要も少ないらしい。産業廃棄物になって、時代も変わった。
それもあったし、何処かの豆腐屋はんが、決まった日にトーフ、トーフと、リヤカーで売りに回ってました。今でも、京都市内ならアルやろなあ。亀岡の当家のマエは通ってなんかくれません。
セイゼイ、ラーメン、焼き芋、ワラビ餅、青竹、中古バイクの買い取りに古新聞に古雑誌の回収です。
それも、回収以外は不定期。気まぐれ、適当で、軽トラックで速度も早いのです。こっちの心の準備もナイままに拡声器からの声だけ聞こえて、何処やろなあ。
家のマエを通過した頃には遅いのです。追い掛けてまで、欲しいこともナイけど。
そんなモンでも、昔なら、チョッと待ってくれ。声を掛けることも出来たのです。相手がリヤカーやからです。充分に、間に合うのです。
お豆腐のことやけど、今はパックにされ、スーパーでも売ってます。入れるモンを準備することもナイし、楽にはなりました。
お豆腐には、木綿と絹漉しがあったはず。その差が縮まってしもたみたいに思てます。ドレもコレも、絹漉しみたいな柔らかさ。
みそ汁の具、冷や奴には、絹漉し。湯豆腐なら、木綿とか相場は決まってました。
絹漉しをクレと云うたら、オッチャンが豆腐を手の平に乗せて、波形の包丁で適当な大きさに、切ってくれやたモンです。子供の目からは、怖いことしやはるなあ。そやけど、包丁には歯がナイのです。
絹漉しは柔らこおて、カタチがスグに壊れてしもた。せっかく、カッコ佳く波形に切ってくれても、金盥で家まで持って帰った頃には壊れてた。
木綿は堅いし、その点は気楽なモンやった。それくらい、堅さの差がハッキリしてたのです。見た目からも、白さ、滑らかさからして、チゴタはず。
当時でも、製法は毎日オナジにしたはるけど、日により、堅さ、白さに差があるとか。
西洞院のオッチャンも、そんなことを云うてました。それでも、今みたいな差はないです。
今のお豆腐は、全体的に柔らかいのです。どれもこれも、絹漉し同然で、多分なら製法が機械化された結果やろ。
西山艸堂のお豆腐は、ドンナンカなあ。
(00/04/10)


その40.鈴虫寺散策(5)

JR嵯峨嵐山界隈の、遅咲きの桜も、よおやく見頃になりました。
昨日は、夕方からの大雨で、ドナイなることかと心配したけど、ナンとかその美しさを保ってます。
が、この鈴虫寺の話はそのマエのこと。桜の気配はマダでした。
そもそもが、運動不足解消目的で、お花見でも、湯豆腐を食べるためでもアリマセンです。
湯豆腐は、計画してたことでもナイのです。軽く、カレー・ライスでもどおかなあ。ソバには、ビート・たけしのお店もアルけど、せっかくの嵐山で、カレー・ライスを食べる事も無いです。懐具合と相談のウエ、湯豆腐屋はんの門を潜っただけ。
潜ったは佳いけど、旧家然とした、佇まい。堅苦しそおで、厭ヤなあとは思たけど、一見さんはお断り。そんなことも書いてナイ。まあ、佳いか。そんな処です。
どんなお豆腐が出て来るかと、エラソなこと。私は食道楽ではナイのです。
食材のことも、知識も無いです。ナニを食べさせられても、一緒で、いつも叱られてばっかり。
テレビでも、料理番組が、やたら増えてますが、ナンの面白いこともナシ。
レポーターはナニを食べても、いかにも美味しそおな顔して、美味しい、美味しい。ソレばっかり云うてます。
タマにはホンマのこと云うたらと思います。それで、生番組で、下手にマズイとでも云うたら、番組丸潰れ。そのレポータも二度と採用して貰えませんから、そんなこと、口が裂けても云えませんが、人間やから好き嫌いもアル筈や。
そんな話はベツにして、西山艸堂のお豆腐は、美味しかったです。
卵豆腐は絹漉しで、湯豆腐のお豆腐は木綿で。明らかに、その色、堅さに差が有りました。
云うたらナンやけど、昔のままのお豆腐で、この感覚が貴重なモンになってます。スーパーのお豆腐にはその感触の差がまるでナイのです。
それにしても、食べてるウチ、西洞院仏光寺の、お豆腐屋はんのお豆腐の味を思い出すのです。歯ごたえ、感触がソレでした。ここ西山艸堂は、もっと趣向を凝らしたはるけど、申し訳ナイけど、食通でもナイ私には、分かりません。
湯豆腐料理定食の出し物は、湯豆腐と卵豆腐だけではありません。それ以外にお揚げ、湯葉のお吸い物に、天ぷら。アレコレと種類はありました。ありはしたけど、シッカリ覚えてません。
ところで、湯葉のことです。
五条通りの市場のソバに、製造してる処があるのです。ソコの跡取りが、中学、高校の同級生。十年前に中学校の同期生の合同同窓会で合おたのです。
「イマ、ナニしてるのや。」
「ユバを造ってるのや。」
「ユバて、あの食べる湯葉かいな。」
「ホカに湯葉てアルのかいな。」
それは、マエの会社の近くやし、湯葉屋はんがアルのは知ってました。
名刺には、立派な肩書きが付いてたし、もお、ボチボチ、社長さんにでもなってることやろ。
出て来た湯葉を見て、フとそのことを思い出しました。
イマでこそ、湯葉も手軽なモンになってますけど、昔は高級品。ナカナカ、口には出来ませんでした。口が腫れるとか云うて。
それはそれとして、大豆の加工品だけで、結構満腹になってしもた。天気もヨシ。昼寝でもしたい気分。
これから、鈴虫寺まで歩くのかいな。邪魔臭いなあ。
そんなこと、下手に云うたら殺される。
(00/04/11)