シバケンの単なる雑談NO.125
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目次
NO.1520 おごと温泉駅の話(2) 初の、おごと温泉駅の話
NO.1519 おごと温泉駅の話(1) 初の、湖西線の話
NO.1518 気が付けば、アルジであったの話(14) 一気、ドンの、瞬間の話
NO.1517 気が付けば、アルジであったの話(13) 現金払いの話
NO.1516 気が付けば、アルジであったの話(12) 近鉄沿線槇島の家の話
NO.1515 気が付けば、アルジであったの話(11) 近鉄沿線小倉駅の話
NO.1514 気が付けば、アルジであったの話(10) 金閣寺裏手、原谷の話
NO.1513 気が付けば、アルジであったの話(9) 家探しの話
NO.1512 気が付けば、アルジであったの話(8) 山科小金塚の話
NO.1511 気が付けば、アルジであったの話(7) 祖母の話
NO.1511 気が付けば、アルジであったの話(7) 祖母の話
進学、或いは、就職でです。
家を出るが出来るは、経済的、健康面、親元に心配無い場合でないかと。
少なくともの、出るの時点でですが。
何で、そんな事をとなればの。我が周辺、高校時代の親友、見渡せば、一発、分かるです。学生時代の、親友見渡しても。就職先の、同期の面々、見てもです。
話簡単の、地方から、出て来て、京都の大学に通うに、下宿なり、しんならんわと。飯喰わんならんし。別所帯に成りの。相応の費用掛かるわの。そこまで、アルバイトで稼ぎ、賄うは、まあ、無理でして。
私にしったて、我が家の経済力で、進学出来たは、京都に住んでたからでして。
これで、地方やってみい。
自宅から、通えるの範囲に、しかるべくの、学校無かってみい。まあ、無理でして。
手元、不如意となればの、即の、アルバイトの口、探せるの環境にあったが故、金銭的余裕無くとも、ノー天気に居てられたんやと。イヤ、アルバイトなら、学生課の棟に行けば、張り紙してあってねえ。
常に何枚かが、貼ってあっての。自分の都合に合わせの、選択出来たです。はっきりとは、幾らでもあったです。
云うたら、今思えばの話の。金<かね>が無い、金が無いと、口癖みたいに、口にしてたのも居たですが。
別段の、アルバイトを探してるで無くの。親元からの送金なりが、遅れたりしてただけでして。ホントに無ければ、アルバイトしてるやろと。
我が方なら、真性、純正、金無かったわと。
がしかしです。
ポケットに、百円玉、1個しか無くとも、学生時代は、気楽やったねえ。
オッとの、手元、百円玉1個では、アルバイトに行くの交通費も無いが故、モ一寸は、あった筈ですが。
イヤイヤ、そんな時もあったなあ。そんな時には、家から、歩いて、通えるの、アルバイト先を選択したですが。
にしても、学生時代、昼飯、どしてたんやろねえ。よ、覚えてませんでして。少なくとも、学生食堂で、喰たは、数える程でして。手持ち資金に余裕ある時、だけでして。
その割には、学舎の、裏手の、喫茶店には、連れだって、よお、行っててねえ。所謂の、ダベリングしてたわと。
金無い割には、生協で、全集モノを買いまして。読書三昧、してたわと。先の通りの、下手したら、教科書も買えへんかったのにと。
これもなあ、試験接近にての。教科書買わんならんなと。覚えてるは、大日本印刷の、夜のアルバイトがあってねえ。印刷機の見張り番でして。楽でねえ。動いてさえ居たら宜しいの、役でして。
一晩で、1000円也で。その金で、教科書買うのツモリがです。家に帰れば、母曰くの、オカズ代無い故、金貸せと。ンの、手元の、その1000円札一枚、スコンと、渡したです。
イヤ、何の抵抗感もあらへんわと。
単純明快の、仕方があらへんわと。
結果、その科目の単位、落とすになるですが。別段にと。在籍中に取れば宜しくて。それもあるし、卒業に必須の科目と、そで無いがあってねえ。その科目、単位が、どかは、失念してるですが。
一年遅れで、取ったかも、よお、分からんですが。
下級生と、一緒の教室で、授業受けるの羽目に至ったは、多分ならばの、ドイツ語だけでして。必須科目でして。ドイツ語、さぼりっ放しでねえ。アルバイトでです。見事、落としたですが。その学科の教授が、ある時、同じ高校の、同窓生、2年生で、同じクラスのと、大学構内歩いててねえ。
ンの、そ云うたら、アイツ、某君。その教授と、同一姓で、高校の名簿には、親の職業、大学教授としてあったなあと。
もしかしたら、この先生、アイツの親哉と。
での、ここだけの話、ソイツ、同じ大学の、機械科であったかに、受験したですが。不合格でねえ。一年浪人したですが。結果的、どこの大学に進学したかは、知らんわと。
ででの、ソイツに電話一発。
斯くの然の、貴君の親父様、ドイツ語の先生かと。矢っ張り、そかの、見てなあと。一緒の処をでの。しかるにの、ドイツ語落としてねえと。
オッとの、トトトの、くれぐれもです。内々で、合格点にしてくれるよに、頼むとなんかは、一言もの。尋ねたは、試験結果、合格点に達してるかだけでして。
暫し、間を置きの、貴君、とは、私の事なれどの、安心せよの、合格やでと。
とは、確かに、聞いた覚えあるですが。一寸待ての。今思えばです。常識的、そんな事、親に尋ねて、即答してくれるかと。あれは、口も方便やったやろと。では、あるですが。言葉通り、突破出来てたですが。
ソラなあ、出席点だけでも、満たしてまして。必須科目で、合格しんと、卒業出来ませんでして。
そらなあ、その某君。
高校2年生当時、大した、付き合いしてへんけれどや。親の職業欄に、どことは、記載無くともの、大学教授としてあってみい。目を見張りの、一発、記憶致すわと。
くどいけどの、助教授でも、講師でもあらへんのやでの、教授でして。親父様、凄いなと。
我が親父なら、職業、電化製品修理及び販売業。
大抵の親父様の職業、呉服関係なり、会社員。云うたら、京都ならです。当時、半数近くは、呉服関係。そこに、大学教授としてあれば、珍しい処やあらへんわと。
オトトの、斯くなるでの。学生時代には、朝飯、祖母が準備してくれて。母なら、まだ、夢の中哉の。多分なら、昼食用のおにぎり、作ってくれた筈でして。
就職してからも、同様でして。この場合、朝、早いがため、祖母も準備無理の。会社の食堂の売店にての、パンと、牛乳なれどです。
只なあ、初月給貰うの、一箇月間、朝飯、頼んだの筈でして。金あらへんしと。
にしても、この当時までは、祖母も元気でねえ。
就職した当時には、祖母も、82歳、3歳でして。明くる年の、84歳で、骨折、寝た切りになって、他界したですが。
それまでなら、2階の部屋に、階段上がってたです。杖なんか、持って無かったです。
就職祝いとして、教習所の資金、くれた時には、タタキ<玄関の床・靴脱ぎ場>に立ってて、幾ら、あったら、通えるのえと。免許取れるのえと。
そんな祖母故、孝行してやらんとなと。ソバに居てやらんとなも、あるしの。そんな経済状態にての、親元離れるなんか、夢想だにものでして。
オッとの、くれぐれもの、家計助ける的、概念ならば、少々希薄。
それは、基本、親父なり、親が、祖母が、するの事でして。親に変わって、長男たるの、自分が、一家支えると。までの、大袈裟ではあらへんわと。
あくまでもの、結果的、支えるはあるですが。
ソラ、家に金無いは、重々承知してまして。承知してたって、どれ程の収入かなんか、知らんわと。祖母の遺族年金額も知らんの、無関心の、無関係でして。推測もしてませんでして。
祖母から、金銭、貰たは、その1回だけでして。アテになんか、全くのと。
叔父から、お小遣い、偶に貰てるを、見てるの程度の。お小遣い、貰て、感涙してるが故、私同然の、金なんか、持ってえへんわと。頭っから、思てまして。
よって、初月給なり、手にした時から、ホンの僅かでもの、祖母には、お小遣いを手渡したの哉と。プレゼント、したでは無いなあと。
これは、飯代<はんだい>とは、別次元でして。叱られるのではと、危惧しつつでして。
それは、それは、ビク付き乍らでして。
(14/04/12)
NO.1512 気が付けば、アルジであったの話(8) 山科小金塚の話
話、脱線ばかり、してまして。
されどの、この時期の話、し出したら、切りが無く。
左程に、まあ、云うたら、金<かね>無くともの。無いは、無いなりにの、一番に面白い時期でもあったなと。振り替えれば、なれどです。
そらなあ、当時、就職問題には、一切の、心配してませんでして。一切と、云い切るは、云い過ぎでもです。皆が、希望に満ち溢れてたです。
目先、就職したら、運転免許、取得したいで、取得して。
取得目的、決まってるの、自動車、買いたいと。早速にも、近在の、モーター屋。実は、自転車屋なれどの、そこが、時代の変遷と共に、バイク、売り出し。ホンダの軽自動車まで、手を広げ。
イヤイヤ、コレ又、中学校えの、通学途上にある店でして。
自転車から、軽自動車に至るの乗り物、全部、ここ。現在唯今でも、存在するです。当世、自動車整備工場としてるですが。昔は、自転車屋、やったんやと。
モ一発、振り返ればです。
まあ、運良かったなあと。金運、以外はやけど。
その金運にしたって、金は天下の回りもの的、感覚でして。執着心、一切の無く。表現替えれば、無頓着で、計算してませんでして。適当でして。
とまあ、コレも、そのよに云い切ったら、嘘なれどです。そこまでの、アホでもあらへんしと。
では、あっても、将来設計してたかと、なればの、皆目でして。全然でして。
そらなあ、親父入院以来、家が、見る見るの、壊れ出し。家主に、交渉しに行くに、幾らなら、買える。買えん。家が建てられる等々、想定さえ、してませんでして。
その頭金的、貯金もしてへんしと。有れば、有るだけ、使い切っててねえ。
まあ、云うたら、無計画も、ええとこでして。
元々が、親と一緒に住んでまして。家の事、当然の、親任せ。親父任せでありまして。
雨漏りし出すは。雨漏りなら、従前より、してるですが。益々の、酷くなって来たの意での。柱が、腐って来て、宙に浮き出しは、ビクリしたけれどや。それを、母が何で、自分にと。的、感覚でして。
ソラ、親父入院で、居てへんからは承知してるですが。自分に、どせえと。
そして、漏電で、火事にでもなったら、えらい事やしの。家の配線、電気工事屋にしてもろて。
その他、諸々の、この状態の家に、イツまでも、居てられへんぞと。とは、漠と、考えてたけれどや。母親から、どしょなと、尋ねられて、ンと。
家主であるの、隣と相談しな仕方が無いなあで、相談とするのか、買いたい、建てたいと、云いに行っただけでして。まさかの、云うてるの案、全部アカンで、そは、云われんまでもの、出てけと、成るは、想定外でして。
まさか、まさかの、産まれの、育ったの地、家を出るみたいな、流れに成るとは、夢想だにもの、えらい事やなと。
かと、云うて、直すが出来ず。家は、壊れ出しの。こんな家に、嫁はん、迎えるとするのか。結婚も、出来ひんわと。
かとかと、云うて、アパート、賃貸住宅にするの、気、毛頭でして。最初っから、一軒家で、買うの気でして。
何度でもの、そらなあ、賃貸では、幾ら、家賃払ても、一生自分のモノにならへんわと。京都市内で、家賃、1万円、2万円も、出しててみい。オッとの、当時の話の、相場知らんですが。その程度は、したやろなと。云うだけなれどです。
初任給、33500円で、残業猛烈、手取りで、5万円あっても、小遣いで、2万円取っててみい。くどいけれどの、その当時の話の、家賃で、1万、2万円も取られてたら、どもならんわと。
自分、1人だけが住むなら、1部屋の、アパートでも、何でも構わんですが。
親が居てるし、妹居てるです。所謂の、ワン・ルーム・マンションなるの、言葉、あったかは、知らんの、一間の、間では、間に合わず。
こんな事、計算云々、以前の、常識的分かるわと。
オトトの、ならばの、当時、ボロ家の、家賃、幾らしてたか、知らんのですが。長年住んでたが故、数千円で無かった哉と。
とは、あくまでもの、推測なれどの、万円は、してませんでして。
斯くなる次第の、兎に角、即の、会社の庶務課の同期入社のヤツに、自分の場合、幾らまで、借りるが出来るかと。当たり前に、住宅ローンの話の、調べさせてましての、440万円でしたです。
それが、家、買えるの金額かは、知らんの、相場知らんしと。
町内のおっさんに救い求めの、身に掛かったの火の粉は、自分で払うしか無いと、云われもしてねえ。
親父は、相談しても仕方が無いし。金、出て来るの筈は無く。ハタと、気が付けば、自分がアルジであったと、云うだけの話の、イザとなればの、一家、守るは、長男たるの、役目でして。
の程度の自覚なら、最初っから、持ち合わせてまして。
まさかの、5人家族時代よりの。5人とは、祖母、両親、妹と、当人、私の、5人なれどの。
家族、ほったらかしての、家を出るなど、全く考えてませんでして。産まれの、育った地で、家でして。どこまでも、その地、家に居てるのツモリやったけれどや。そも出来んなと。
万事休すと、決まれば、早速にもの、家を見に行こかと。
見に行くも、新聞見て、広告見て、これはと、するの物件あれば、即でして。
忘れもせんの、京都の東、山科の物件。四ノ宮小金塚でして。母と一緒に軽自動車、ホンダの、NVでして。地図頼りに、向こたですが。
ンの、余計なるの話。四ノ宮の、「小金塚」ねえ。ハタと、現在、亀岡の、「小金岐」でして。一字違いで、よ似てるなと。
その物件、とりあえずは、山科でして。京都でして。
その時、建ててるの真っ最中の、建て売りでの、400万円台でして。これならと。借りるが出来るの範疇でして。多分なら、15坪程度のモノでして。間数的になら、親父、退院も、住めるなと。
そらなあ、その時には、既に、一家、守ると、益々の、自覚してまして。長男たるも、糞も、自分しか、居てませんでして。
でででの、朝一番。
まあ、云うたら、一発、発見のです。山の裾のと、するのか、元々が、山科なるは、狭い範囲の、地なれどです。要は、上手の地での、建ててるの真っ最中でして。現地、営業所で、斯くの然々でと、コレ、どの物件かと。問えば、何とまの、その区画、建設予定の地、全部、売り切れてるですて。へえと。
いやなあ、何を隠そおの、隠す事は無いの。
当時こそ、土地バブルの、初期の頃でしたです。初期も、「バブル」の初期でして。
そらなあ、我々世代、ベビー・ブーム世代が、社会人になったの頃でして。私も、3年生でして。高度成長の走りの時期でもあってねえ。
再度の、我々が、社会人の、仲間入りし出した故です。
での、担当から、別途の、場所、売り出してるの地を、教えてもろてねえ。
そこえ、行って頂戴なと。さすれば、ここより、少々、お高いですがと。マダ、売り出した、ばかり故、残ってるカモと。ハイ、承知と、向こたの先は、失念したですが。
小金塚が、400万円台なら、別途の、場所。500万円台でして。正直には、借りるは、出来ぬの、額でしたですが。
そらなあ、バブルの走りの時期でもです。
入社、3年生程度で、家、一軒、新築が買える程には、世の中、甘くは無いわと。
この当時、思い、知らされたです。
とは、云うてられんの、当面、期限、決まっては無いけれどの。イツまでに、出てけとは、云われてませんの。
とは、云えどの、母、妹、退院したら、親父が、住むが出来るの。住めるの、家、探さんならんわと。
(14/04/13)
NO.1513 気が付けば、アルジであったの話(9) 家探しの話
そらねえ、諸般、色々あっても、根が、ノー天気で、成り行き任せ。
加えて、云うなら、技術者でして。金は天下の回りモノで、無ければ、無いなりに。あれば、明日の事も、考えず。
そんな意味なら、甘ちゃんで、苦労知らず。
中学生時代から、アルバイトしてた、云うたってなあ。特段の、家計助けるのために非ずの、小遣い稼ぎでして。只なの、自分のため、だけに使たかと、なればの、そでも無く。
親、母親なれどの、貸せと、云われたら、そかと、すんなり、出してまして。貸せなら、帰るの筈なれどの、一度も帰った事は無くの、期待もしてませんでして。
成り行き任せとは、運任せとも、云えるですが。
この当時、そら、24歳、25歳の頃でして。世間知らんわと。遠い将来、見据えてたで無く。さりとて、明日に、大いなるの希望は抱いてまして。世の中が、そんな感じでして。当世と比べたら、明るかったわと。
での、若干の話、又、戻すですが。
隣の家主の、女所帯の、代理人。コレ又、小母さんなれどです。隣とどんな関係やったんやろねえ。お婆さんの親戚筋やろねえ。当時は、そんなモンでして。どこ様も、年寄りが威張ってたとするのか、実権握ってまして。若奥さんなんか、表に出るは、致しませんでして。
出て来るよなら、気の強い嫁やなと。
云うたら、お婆さんと一緒故、そこが、長男家は分かるですが。他界した、小父さん<息子>の兄弟さんが居たかどかまでは、知らんわと。
さりとての、まさかの、次男嫁が、出しゃばってからにの、代理人で、出て来るの筈は無く。ここが、次男家なら、長男家の嫁が出て来るの可能性なら、あるですが。
イヤ、当時なら、そんなモンです。親族の結束、硬かったわと。長男家、それ程に、一族郎党の、面倒見てたわと。値打ちあったわと。
そんな程度なら、若き、我輩でさえ、認識してまして。
よって、この小母はん、何者かと。有り得るの、可能性なら、お婆さんの兄弟さんであるの、長兄息子の嫁とかや。長女とかや。ンの、多分なら、お婆さんの、兄の、娘哉と。
イヤイヤ、知らんわの。勝手推測してるだけの。最早の、確認も致しませぬ故、闇の中の話なれどです。
要は、代理人で、出て来るの女性でして。様子からして、弁護士なんか、雇てるの筈は無く。そんな口ぶりでも無く。親戚筋は確かでして。
決して、若き、隣の兄ちゃんをば、軽く見て、喋ってるでは、毛頭の無く。当方の考え、計画なるは、しっかり、丁寧に聞いてくれてたです。そして、皆に伝えとくなあと。
伝えるも、何も、隣の部屋に息潜めて、話、聞いてるは、重々の承知してるですが。
そらなあ、昔の京都の家でして。タタキから、上には、上がらずの。座敷の畳に、腰掛けて。先様、座敷に、正座。襖の先に、間があるは、そら、隣の家の構造程度、知ってるわと。
こっちも、小母さんも、小声で話、してるで無くの。襖の先の面々に、聞こえるよに、云てまして。
只なあ、事が、事だけに、先様にしても、重大問題でして。その場で、結論出すなら、出せるですが。出てるですが。場に顔出してぬ限り、留守であるを意味してまして。留守で無くとも、そら、家主は、そっち故に。そっちに、確認せぬ事には、小母さんの独断で、話するも出来ませんでして。
にしても、そこは、そんな家でして。朝とは云えどの、薄暗いの間でねえ。当然の、電球1つ、点けてませんでして。贅沢は敵の、つつましやかに、生活されてまして。どこ様も、そんなモンでして。朝から、昼間から、灯り皎々あらへんわと。
皆、一間に集まりの、そこの間だけに、電灯をと。コレ、常識でして。
家族が、各自の部屋持っての。各々の部屋で、灯り皎々なんか、有り得ませんでして。当たり前に、電気代、勿体ないわと。
そらなあ、両隣、家で、隙間無く、窓無く。表と、裏からだけでして。灯り入るがです。その灯りだけで、充分でして。
又、皆が、静かに生活したはってねえ。
オッとの、そらなあ、小さな時分には、勝手に家の中に入ったモンやけどです。入っても、家に上がるは致しませんでして。タタキの床を、行くだけでの、何とか、チャン、居たはりますかの程度でして。
これがなあ、ナカナカに出て来てくれやはるの宅様、少なあてねえ。ドンドンと、中に入ったですが。それでも、返答無ければ、出たですが。
オッとの、トットの、そんな事で、何度も、何度も、足運んだの結果の結論、家出てくれと相成ってねえ。そのよに、明確に云われたで無いけれどや。
その、代理人の、小母さんには、失望の余り、気持ち、そのままの、ここに、ズと、住みたかったのにと。大声で、云うたですが。
小母さん、堪忍えと。申し訳無さそに、返事して。
小母さんに、謝ってもらう事、あらへんわと。えらそな事、云うたよな、気がしてるですが。今更乍らの、申し訳無しと。されどの、正直なるの気持ちでして。陰に隠れてるの、ここの、お婆さん、小母さんえの、当てつけでして。
とか、云うても、矢っ張り、私を小さな時から、知ってたならばの、諸般、云いたい事、あっても、云い難いが故の、代理人であるは、承知もしてたですが。
どちにしたって、そとなればの、早くに見つけんならんわと。
日曜日、出勤の日も、昼からは、帰宅させて戴きまして。以来、毎週、毎週の如くの、家見に行ってねえ。
その最初が、山科、四ノ宮、小金塚でしたですが。その建て売り団地、十数軒か、ン十ン軒かの、そんなに大きくも無い、団地でして。多分なら、家に駐車スペースも無かった哉と。
オトトのです。
ソ云うたら、当時の我が家にも、ガレージ・スペースなるは、無かったですが。
家が、道路から、僅かに、引っ込んでてねえ。軽自動車の、ホンダNVでもあっての、横向けに駐めてまして。
いやなあ、それで、ガレージとして、登録出来てたですが。当然の、溝からは、はみ出しててねえ。
洗車で、一寸、出して。一寸、家に入ってるの間にも、巡回の警察官が、駐車違反で、貼りやがってねえ。
烏丸署に、何度、異議申し立ての、文句云いに行った事かと。
そんな事、度々あっての、遂に、先様、警察官、抜かすの、何なら、ガレージ法違反にしてもええのやぞと。ンの、やるなら、やってみいと。当時、私も威勢のええ事でして。
反面、こんな事では、普通車なんか、買えへんなあと。
よって、当時住んでたの、家の土地買いまして。新築した折には、ガレージも造ってと、夢見たですが。
ついでになら、暖炉のあるの、部屋、居間も欲しいな。とかとか、図面まで、作ったですが。何分の、ノー天気の、甘ちゃん、苦労知らず。相場も、費用も、返済能力も、分かってませんでして。
440万円、借りるが出来ると、ダケなら、承知してたですが。ダケは、ダケでして。
(14/04/15)
NO.1514 気が付けば、アルジであったの話(10) 金閣寺裏手、原谷の話
江戸っ子やあるまいにです。
宵越しの金は持たぬ。
などと、威勢のええ事、申しませんですが。そこまでの、ノー天気、無計画では無いですが。
関西人故、金は天下の回りモノ的になら、思てたです。
まあ、云うたら、運任せの、成り行き任せの、あがらうは出来ずと。無い袖、振れへんし。有るの、有る見込みの袖なら、振れるですが。
まあなあ、云うたら、くどいけれどの、高度成長時代に突入の時期でして。毎年、ベース・アップはあるし。給料、上がるし。
只なの、健康さえ、維持出来たらと、ダケでして。
その辺り、体力に自信は無いけれどの、気力なら、心配してませんでして。
無計画では、無いと豪語も、貯金、蓄えなんか、一銭も無し。
それで、よお、家買うと、探しに、走り回ったモンでして。かと、云うて、入社、2年や、3年生で、金なんか、貯まるのモンですか。その辺り、女性は、計画的でして。堅実でして。
正直、結婚するまでは、そんな調子の、成り行き任せの、貯金なんかに、無縁でしたですが。結婚してからやねえ。多少なりともの、蓄えとするのか、し出したのはです。やったは、嫁はんなれどです。
私なら、給料から、お小遣い、幾ばくかを手にすれば、後は、知らんの良きに計らえの口でして。
独身時代、良きに計らえで、母に、万事、任せてたが故、ソラ、ビタの一文も、貯まらんわなあと。それどころか、マダ、足らん、足らんと、何度云われた事かと。足らん、云われてもなあ。学生時代やあるまいにの、アルバイトで、調達なんか、出来ませんでして。
冗談や無いの、ほんまやでと。
日曜日に、諸般、まあ、遊びなれどの。会社のレクリエーションなり等々、出掛けるの際には、金置いてけと。コレ、口癖でして。
私にしたら、小遣い、2万円取って、後は、端数に至るまでの、全額出してまして。当時は、給料、現金でして。銀行振込に非ず。
イヤイヤ、1年生の、1学期。オトトの、初月給こそ、手取りで、5万円となにがしなれどです。以降、それ以上でして。多分ならばの、3年生の頃には、10万円近くには、達してたのではなかろかと。
当たり前に、残業、残業の、残業含めての話の。残業なら、100時間常習でして。
この時、借りるが出来るの額、440万円也の数字、覚えてるは、事実、その額、借りたが故での。目一杯での。前年度、年収の、3倍でしたです。
よって、概ね、150万円也が、入社、2年目の総額であったの哉と。ボーナス、含むですが。
そらなあ、中学3年生時代の恩師が、私共が卒業してから、家買われまして。
オッとの、3年生の時、結婚されたですが。結婚を期に、家買われたですが。
先生、共働きで、奥様、共々の、教師でしたですが。
それこその、買われたは、山科の醍醐、醍醐寺があるの辺りなれどの。卒業してからも、何度も行ってるですが。50坪の土地に、立派な家でして。私共にしたならの、話の。それが、200万円と聞いてたです。
当たり前の話の。当時の、200万円は、相当なるでして。先生曰くの、共働きやし買えるけどと。
などと、云われてたのが。まさしくの、10年経って、15坪、20坪の土地に、家で、400万円見当の家やでと。
ならばの、山科の、醍醐と、小金塚で、どの程度の、土地の値打ちの差があるかと、なればです。聞こえ、当然の、醍醐の方、高級感あるの哉の。醍醐寺があるだけでもの。概ねの場所、分かりの、実勢知りませぬ故、素人的、印象なれどです。
そもそもがの、小金塚なんか、新聞で、見るまで、地名初耳の、どこかも、知らんわと。見当さえ、付かんかったわと。
事程左様の、先生、恩師、思い切って、200万円の、まあ云うたら、豪邸とまでは、云えんでもです。立派な家でして。
これが、もしかしての、もしかして、適当、無責任な話の、小金塚を見聞、売り切れ残念と、成ったの頃、推定なら、1千万円は、してる哉と。
最早の、土地、不動産、バブルは、神話化してたです。
してても、社会人、2年生、3年生では、京都市内なんか、トンでも状態の、ハズレでなければ、話に成らずの時代と化してまして。
只なあ、先の通りの、ベース・アップはあるし。インフレーションの時代でして。数年、耐えたらと。耐えられたらと。返済をです。負担をです。
数年後には、どて事、無いと成ってるやろと。
おまけで、買おたの家、値打ちが上がってるやろと。
とかとかの、要は、善は急げの時代でして。
時代とするよりは、土地バブル弾けるまでの、ここから、更なるの、20年近くが、そんな事でしたですが。
そんな事なら、私共よりも、10年とは云わんの先輩諸氏世代、一番に都合良かったの哉と。
事程左様の、行ったの先、行ったの先、新聞広告見て、即の、行ったの先で、紹介されて、行ったの先なれどの。悉くの、売却済みでして。へえと。凄いなと。感心してるの場合で無いですが。
且つは、京都市内でなんか、400万円台の新築の家なんか、あらへんでねえ。困ったなあと。
での、現在でなら、山科は、山科区として、京都市内になってるですが。当時は、単なるの、「山科」でして。京都市内で無く。或る意味、中途半端な地であったですが。
オッとの、そんな話は結構の。
毎週、毎週、日曜日となれば、新聞広告見て。軽自動車、ホンダNVであったか。NVは壊れての、「Z」に成ってたかは、多分なら、「Z」になってた哉の、母を乗せて、走り回ってたですが。
物件を見るがためでして。
とは云え、小金塚以外で、記憶してるの1つに、金閣寺の裏手。
原谷と称するの地があるです。金閣寺の裏手故、京都市内でして。実は、地名承知も、行き方が分からんでねえ。横手から行くんやけれどや。横手も、概ねの話での。まあ云うたら、山の上の地とするの哉と。
山云うても、高い山と違うですが。
実は、過日、昨日、ケンイチ君が、諸般で、桜見に、行ったですて。
現在唯今、桜満開ですて。へえと。景色のええとこやなと。フウンの、今、満開なら、少々、寒いのやろなあと。亀岡のでさえが、葉桜になり出してまして。
それでも、私共が、道に迷いつつの、行った頃からは、数段の、都会に成ってる筈と。
とは、思うですが。
久しぶりに、懐かしいの地名を聞いたなと。正確には、久しぶりでも無いですが。
とりあえず、この当時、ン十年の昔、40年以上経つですが。以来、行った事が無く。そもそもが、この時、一度、行っただけでして。
果たしての、チラシであったか。紹介されてかは、忘れたですが。まだ、家らしいのが、少数しか、あらへんでねえ。バス停はあったですが。ン時間に一本でねえ。
当然の、電車は走ってませんでして。
話簡単の、車が無ければ、身動き出来んの地でして。
私は、構わんですが。
母、妹が、ども成らんなと。
オトトの、あくまでもの、40年以上昔の話やでと。
(14/04/16)
NO.1515 気が付けば、アルジであったの話(11) 近鉄沿線小倉駅の話
昭和46年<1971年>、47年の頃。
何故か、最近、この辺りの出来事に関係するの事、多々あってねえ。
その頃、金閣寺の裏手、原谷に、家を探しに、見に行ったとしてるですが。
原谷には、無関係なれどの、その頃、退職、結婚の、同期生<会社>の奥様に、42年ブリにお会いしたり。
その当時、一度だけ、通った、伏見の、大手筋をその面々と歩いたり。その面々とは、「芋煮会」の事でして。
<参考=「単なる雑談NO.122」NO.1488 月桂冠、大倉記念館見学の話(12) 「大手筋商店街」の話>
或いは、ネット上での話の、知り合いに相成りの、何度か、お会いしてるの、ナーキーさんと、称するですが。過日、イツであったか、1月の下旬、十年ブリかに、亀岡の我が家近くで、再会したですが。
いやまあ、京都在住での、只なあ、元々は、松尾橋の辺りに住んでおられたですが。諸般にて、引っ越されたが、原谷ですて。へえと。
へえも、年賀状では、承知してたですが。
原谷となれば、あの頃を想い出すです。
そして、この、4月の14日には、ケンイチ君が、諸般の用事。実は、奥様のご両親の希望、案内にて、京都に、桜見物にと。
コレ又、元々が、仁和寺の桜をの筈が、足延ばしての、原谷ですて。これこそ、真性、純正の、へえと。
原谷が、桜の名所とは、知らなんだなと。
何とマの、金閣寺の駐車場辺りから、シャトル・バスが運行してるですて。よお、知ってるなと。私は知らなんだです。
とかとかの、とりあえず、その頃、昭和46年か、47年に一度、行ったの切りでして。
界隈、ウロウロしてる間に、すっかり、暗なってねえ。その帰りの道中とするのか。原谷から、出るの時です。真っ暗な中、ワンワンと、吠える犬が居ての、複数での、さあ、大変の、野犬でして。
逃げるが如くに、金閣寺の方に戻ったですが。
いやなあ、野犬には、慣れてるですが。周辺、暗い中、界隈、不案内な地で、ワンワン、吠えられるは、追いかけられるわで、怖かったです。
まあなあ、車中故、閉めてる限りは、安全なれどです。
結局は、原谷の家がとするのか。多分なら、土地だけ売ってたの哉の。場所さえ分からんでねえ。
かと云うて、真剣に探してたでは無いです。適当になら、100坪かで、200万円、300万円してたのでは無いかと。それに、家建てるとなれば、借りられるの範囲、超えるですが。
ならば、何故に、見に行ったとなるですが。ソラ、安いからでの。見るだけでも、見に行こかの、軽い気分でして。参考でして。見聞でして。
オトトの、当世なら、坪、10万円から、30万円見当哉の。
京都市内としてなら、桁違いの、安さなれどです。とりあえず、交通の便、少々、悪いなと。
での、現在唯今、どんな状態、状況哉と。機会あらば、見に行きたいなと。
ででの、モ一箇所、見に行ったは、発想、がらりの、ソラ、市内無理と判断の。宇治の、小倉の方でして。駅から、1分、2分で、新築で。土地20坪かで、700万円也のが、あってねえ。
オッとの、既に、借りられるの額、遙か、超えてるですが。
とりあえず、ノー天気で、適当でして。見聞のためもあってねえ。
早速にもの、母と出かけたですが。
これが、近鉄沿線は、沿線も、線路の真ん前とするのか。家の前の道路の先が、線路で、柵があるの場所でして。コラ、アカンなと。
まずは、電車の音、やかましく。夜、寝られんやろと。将来的、結婚して、子ども出来て、ウロチョロ、されてみい。怖いです。
思うは、小学生時代であったかに、大徳寺の祖母の妹の長男宅に、泊まりに行った事、あったですが。
当時、北大路通りには、市電が走っててねえ。コレには、参ったです。五月蠅あて、うるさあて、夜、寝るが出来ず。震動音が、頭に響くを経験してまして。
慣れれば、どて事、無いにしろです。線路沿線に住むの方、多いですが。それ、以上に、将来的、子どもの安全をと。
只なあ、売り出しの不動産屋、曰くの、ここの土地、家、現在、700万円も、数年で、軽くの、1000万円突破するぞと。投資目的で、買うとするのか、数年、持ってて、転売もと。耳打ちされてねえ。
成る程の、そんな手もあるの哉の。買うにしたって、700万円もは、調達出来ませんですが。
云うてたら、心配御無用の、諸般内々、裏手口あると。
要は、用立てしてあげると。買え、買え、買えの、買い得なるぞと。コンコンと、説得されてねえ。
説得されても、返済能力もあるですが。数年でねえと。700万円が、1000万円にでも、なってみい。その差額を頭金に、しかるべくの、住み処を考えても、ええなあ。とかとか、チラと考えたりも致しまして。
ついては、手付けとするのか。抑えておくの代金、2万円也を出せと。
この、2万円、買うとなれば、家の代金の一部と成りの。こっち都合にての、キャンセルなら、悪いけどの、没収ですて。へえの、どしょかの、母曰くに、2万円持ってえへんのかと。
そらなあ、諸般、家、土地、見聞も、イザの資金、持ってるわと。
返答したなら、出せと。えと。
斯くしての、財布から、2万円出しの、仮契約とするのか。抑えるのための、手続きしてねえ。
この抑えるとは、別途の買い手が、出現も、既に、この物件、商談中がため、その方が、解約なり、キャンセルせぬ限り、話、進めませんのための、金ですて。フウンの、諸般、分からんでねえ。
云うがまま、云われるが、ままに、2万円也を出しまして。
実は、ここだけでも無いの。1万円見当なら、あちこちで、出してまして。出さされてまして。
くどいけどの、我が懐、財布からの、1万円、ソラ、辛いわと。小遣い、月、2万円やしなと。銀行に貯金はして無くともの。そらなあ、財布の中身、1万円、2万円では無いです。多少の余裕資金、所有してるですが。
多分ならばの、5万円見当なら、常時、財布に入れてるわと。但しの、それが、我が現金の、全財産。
結果、どしたかとなればの、当然の、会社斡旋の当時、大和銀行では、440万円が限度額での。700万円となればの、別途の、不動産屋の、何と云うかの、その不動産屋が、保証人と成りの、別途の金融機関から、借りるですて。
当然のそっちが、第一抵当権者で、会社斡旋の大和銀行、第二抵当権者。
それは、結構の、銀行さえ、納得ならばの、まずは、蹴られてねえ。大和銀行からでして。
もしかして、借りられたとての、当時の金利、忘れたですが。700万円も借りたら、15年返済にての、年額、総額、70万円以上の、支払いでして。
云うたら、年収総額、税金、諸経費、込みの、150万円から、ソレ、引かれての、手取り幾らかかの、70万円もを支払うに成ってねえ。嗚呼、アア、アカン。無理、無理、無理の、絶対にムリの。ダメ、ダメ、ダメと。
一家、養うは、大袈裟でもの。
ソラ、対象、母、妹でして。
妹なら、その頃、就職したの哉の、時期ではあるけれどや。母なら、保険の外交員、してたですが。事実上、我が飯代<はんだい>で、生活してたも同然故、そんな額、取られたら、どしょも無いわと。
キャンセルするに相成ったです。
(14/04/17)
NO.1516 気が付けば、アルジであったの話(12) 近鉄沿線槇島の家の話
物件抑えるがための、ン万円。
要は、昭和の時代、この当時は、1万、2万円でしたです。当世、平成の時代なら、一桁、上がって、10万、20万円になってるかと。物件の、値も違うわ。年収も違うしと。
結果、その場、その場の思い付き。場当たり的にての、幾ら、損した事かと。
での、財布に、5万円で、その他、諸々、抑えが云々で、出しまくってて。貯金無いと、云いつつ、変やなと。
そらなあ、財布に、5万円で、銀行に貯金無いは事実の。諸般、隠し持ってるです。所謂の、へそくりとも云えずの、隠し金。本棚の本に挟んダリ。ダリで、他に、無いですが。
モ一発、そらなあ、銀行に行くの間が無いです。営業職やありまいにと。当時、会社を休むしか、銀行になんか、行けませんでして。
給料、銀行振込で、ATMで、キャッシュ・カードでの、時代と違うわと。万事、現金でして。
銀行預金、全く無いかと、なれば、ホンの僅かになら、あるです。口座程度、所有してたですが。多分なら、開設のための、千円程度であった哉と。
オトトの、キャッシュ・カード、クレジット・カードなら、所有してたです。まあ、云うたら、会社の先輩社員、経理のに、頼まれまして。口座作れ。キャッシュ・カード、クレジット・カード、作って来てやろかと。
事実上、半強制的でして。先輩社員故、断るも出来ず。
但し、キャッシュ・カードと云えどの、当時、ATMはどであったかとなればの、銀行にしか、無かった筈でして。且つは、単機能で、入金、出金のみであったかの。他行のは、取り扱わずがため、ソラ、不便でして。
口座は、当時の、「大和銀行」での。現、「りそな銀行」でして。京都に、一店のみで、どもならんわと。
とかとかの、そんな話は結構の。
とか、申し乍らの、少々、脱線致すですが。
での、ご縁無くの、山科の、「小金塚」と、「小倉」の物件なれどです。ずばりの、その物件かは、分からんですが。後年、多分なら、10年後かに、その地名で、似たよな、間取りのが、売りに出されててねえ。
当然の、注視してるです。
注視も、常々、注視しの、確認なんか、してへんけれどや。偶々の、京都新聞で見てましたら、ンのあってねえ。あるとは、再度の、ずばりとは、申しませんの、似た物件の意での。「小金塚」のは、400万円見当のが、700万円になってたの哉と。
「小倉」のは、確かに、1000万円になってたですが。3年後では、殆ど、値は変わってませんでしたです。
この、土地バブルの時代、真っ直中にも、関わらずです。
ででの、ノンビリもしてられへんでねえ。
特段の、イツまでに、出てけとは、云われてませんですが。雨降れば、家の中で、傘差し、金盥出して来んならんでは、おちおちの、寝てられへんわと。ほんまやでの、寝てる間、大雨でも降ってみい。大変ぞと。
そこに、母が一案、知り合いとするのか、不動産屋を連れて来まして。
連れて来るは、表現異なるの、紹介してくれて。
どの手の知り合いかは、忘れたですが。屋号、「日栄」の社員でして。
その昔、サラ金で、問題になったの、「日栄」と、同じの屋号。サラ金のは、「ロプロ」に、屋号、変更したですが。
その、「日栄」と、不動産屋の、「日栄」が、同じかは、知りませんです。多分なら、一緒哉と。
当時、「日栄」本店が、四条堀川の、東北角にあってねえ。丁度、堀川高校の通学路にあったですが。当時、「日栄」なるが、何屋かも、知らんわと。ご縁、ありませんでして。
ええ加減なるの話の、その四条堀川から、来たのかさえも、記憶してませんですが。
とりあえず、予算、440万円也で、探してくれてねえ。
場所は、どこでも宜しいかで。宜しいですと。返答したなら、早速にも、物件あると。先方の車で、連れてってくれてねえ。
それが、宇治槇島の家でして。
見て、どかとなればの、狭いみたいには、思たですが。交通の便も、近鉄、向島駅と、小倉駅の、丁度、中間でねえ。とは云え、線路の真ん前でも無く。近いは、近いけれどや。
15坪で、5連棟で。家に駐車場は無く。されどの、並びの、向かいに、賃貸の大駐車場があってねえ。月極、2000円であったの哉の。まあなあと。
正直には、価格的、この程度しか、調達出来ませんでして。築15年の中古物件なれどです。まあええかと。
自身の、甲斐性からしたら、ここまででして。背伸び出来ませんでして。するにも、出来ひんけれどや。
マア云うたら、京都の碁盤の目、みたいに、区画されててねえ。通りが、1の通り、2の通りと、されててねえ。候補のは、8の通りであったですが。その、T字路のドン突きに成るですが。
要は、真向かいに家無く、道路でして。圧迫感無く。
京都の家の真向かいには、会社でして。「喜多本店京都支店」なる名称の酒屋問屋でして。建屋はあったモノの、奥まっててねえ。道路側、駐車スペースにされてまして。日曜日なんか、遊び場にしてた程でして。オトトの、コンクリート張ってたですが。車も常時、駐車もしてへんしねえ。
そんな事なら、我が家、常に、真向かいには、圧迫感あるの、建屋無く。現、亀岡の家も、真ん前、駐車場でして。一段の低くなってて。道路には、フェンスがあってねえ。
特段の、そんな場を選んだでは無いですが。ハタと、気が付けば、そんな事やなの程度でして。
余計な話の、この亀岡の家にしたって、ここと、決めたの家で無いです。
当初、別の家を選んでたです。そこなら、真向かいには、家あっての、今から思えば、圧迫感あるですが。只なあ、隣が防火貯水地で、事実上、空き地でして。
ここにと、したですが。業者より、諸般の事情に寄りと。変更して頂戴と。申し出ありの、諾で、偶々の、現在地。
結果的、正直、それで、良かったなと。別途、先の場所なら、種々あってと。ここには、掲載出来ませんですが。要は好みの問題哉と。
いやなあ、そんな事での、事、話、決まれば、早いなあ。
会社の、庶務担当のに、しかるべくの、借りたいと。申したならばの、早速にも、大和銀行に連れてってくれてねえ。そいつがです。業務時間中にです。へえの、庶務とか、経理は、これも、業務の一環なんかと。
こっちは、上司に、斯くの、然でと、説明して。私用でして。外出届けでして。その分、勤務時間から、引かれるの勘定でして。ならばと、多分なら、半日有給にでもしたの哉と。
有給休暇なら、余ってまして。殆ど、使えず、捨てさせられてたわと。
(14/04/18)
NO.1517 気が付けば、アルジであったの話(13) 現金払いの話
話簡単には、稼ぎに見合うの、中古物件。
利率、失念の。とりあえずは、年額、50万円未満の返済額でして。要は、収入の、30%以内が、目安でして。木造では、当時、15年返済でしたです。それでも、借りたの額の、約の、2倍を返済するになるですが。
成る程なと、変な処で、合点してたです。さもなくばの、生活出来ませんでして。
そんな事で、そと決まれば、進展、早あてねえ。
諸般、諸々の、書類を作成させられ。実印作らされ。実印も、三文判を実印登録するのだけでして。ソラ、25歳程度の若造で、本物の、実印、所有してませんでして。オッとの、三文判でも、実印登録したなら、それが、本物の実印なれどです。
云うてるは、相応に相応しいの、上等の判子の事。
支払いなるは、大和銀行の横手の、何やろねえ。屋号、忘れたですが。料理屋はんでして。料理屋とする程の、高級店では無いですが。簡易和室のあるの、店でして。
いやなあ、兎に角、先様、売り手、現金で、受け取りたいと。との、希望にての。
当日、これは、1人で、大和銀行に出向きまして。しかるべくの、預金通帳に、振り込まれた金額、引き出しまして。現金にて、受け取ったですが。
正直、ン百万円もの、現金、袋に入れられての、覗けば、札束、ガバ。
その瞬間にも、手が振るてねえ。ガタガタ、振るてるが、分かるの程での。手にして、指定の店に行けば、不動産屋の、担当者と、その上司やろねえ。初老のが、居てまして。まあ云うたら、現在の私程度の年齢のがです。モっと、老けて見えてたですが。
持って来ましたと、伝えたなら、あちらに居られますと。案内されたの先の座敷に、売り手一家、若き夫婦と、お子さんが待機されてまして。
イヤ、歳の頃なら、先様、若干の下哉の。奥様と、2歳か、3歳の、女の子ですが。居たはってねえ。
見て、一発、所謂の、ホワイト・カラーでも無いなあと。されどの、若くして、立派やなと。一寸、尊敬したです。少なくともの、まだまだ、20代で、20歳に成った頃、結婚しの、子どもが出来ての、家持ちの。売るの身分でして。
現金で、欲しいの意は、モっと、ええ家買うのみたいでねえ。
などの、話、一切、してませんですが。伺えたです。
そして、先住者を見た、会うが出来たです。嗚呼、こんな人、一家が住んだはったのかと。親子3人なら、その家でも、充分なるなれどです。
下は、3畳の間と、6畳。2畳程度の、キッチンがあってねえ。風呂、トイレがありの。2階は、6畳と、4畳半の間でして。後は、兎に角、15坪程の土地でして。5軒の連棟でして。
トイレは、簡易水洗でして。時代を遡ったの感致したですが。
ソラ、京都では、中学生時代かに、水洗トイレに成ってまして。
当然の、現金を先様に直接に手渡すは、先住者を知るの、絶好の機会でもあったです。
そらなあ、中古物件、何かと、嫌でして。分からんなら、分からんで、勝手に妄想したりして。自殺者がと、までは、申さんでもの、死人が出たよな、家、嫌やでと。病人でもです。奇人、変人も困るわと。
因縁付きの物件の場合、仲介業者たる、説明しておかんと、アカンみたいなれどです。
奇人、変人の場合、説明の必要無く。その程度にも、寄りまして。
云うたら、私でも、ハタから見たら、どこかから、アイツ、奇人、変人やでと。噂されてるの可能性なら、ありまして。
それが、許容範囲なら、宜しいですが。範囲が、どの程度かの、解説も難しいけれどや。
少なくともの、見て、一発、変なヤツと、印象受けんかっただけでも、嗚呼、良かったなあと。
何なら、決めるの以前に、周辺の宅様より、聞き合わせするの手もあるですが。ナカナカになあ。出来ませんでして。
そんな事なら、物件見に行った時、その一軒置いて、隣のヤツ。当時、40代やろかのが。偶々の、出て来て、抜かすに、自分宅、安くしとくでと。どやと。それが、これから、ゴルフにでも行くの哉の。ゴルフ・バッグ、持ってねえ。
コレ、私の嫌いなタイプでして。
嫌いでも、奇人、変人の類に非ずの、好んでの、付き合うは致しませんでもの、その物件を紹介されてるなら、先住者として、許容範囲でして。
でででのです。
支払いを以て、物件、正式に、当方に移譲されまして。
不動産屋の上司曰くに、おめでとう御座います。これで、家主ですと。へえと。そかと。私め、これで、家の所有者に成ったのかと。
ついては、しかるべくの、家の置物等々の物をです。記念品として、差し上げるも宜しいですが。その分、金額から、差し引かせて戴く方がと。フウンと。よお、分からんの話されてねえ。
購入金額、決まってまして。しかるべくの、支払うになってまして。
かと云うて、記念品の方がと。云うに、気に要ったのを、くれたら、宜しいですが。変な趣味のを、くれてもなと。
まあ、云うたら、口から、出任せの、適当に云うてるのやろと。
只なの、これで、家主ですと。云われたは、嬉しかったわと。
それまでは、借家人でして。ここで、親父を超えたの気分に成ったですが。それと、親父の事、結核をば、心配しの、親父として、尊敬してるは、別途の話でして。
とかとか、云うてもです。
ここからであったか。その前であったか。
家の権利書の件なれどの。その場で、先住者より、戴いたかは、失念のです。
要は、借金しての、持ち家でして。抵当に取られてまして。銀行にです。その権利書、そのまま、銀行にと。家も、名義的、銀行の所有物に成ってたの哉の。使用者、私なれどです。
変な気分でねえ。
銀行のご厚意にて、住まわせて、戴いてるみたいでねえ。ソラ、全額、返済し切るまでは、形的、自分の財産では無いです。
での、その場であったかの、家の鍵を手渡されたの哉の。
当世とは、考え方、全然の、違いまして。鍵を替えての思想皆無。先様信頼するに成っててねえ。こっちも、それで、疑念持たずの。以降、イツでも、引っ越しも、家に入るも、可能状態に相成ったですが。
ここからが、又、忙しく。
引っ越し経験、あらへんしなあ。引っ越し専門業者の存在、知らんしなあ。
云うたら、その当時、知っててもです。頼むの資金無く。頼むの発想すら無く。基本、自力でと。自力とは、自分1人の、チカラの意で無く。友達なりに声掛け、手伝おてくれが、一般的でして。
頼むにしたって、大物であるの、タンスに、長持ち。洗濯機に、冷蔵庫、仏壇等々、まさかの、京都の家から、宇治槇島に、手で運ぶは出来ませんでして。
当然の、トラックなり、調達せねば、ならぬですが。
どしたかとなればの、手助けなら、当時の同僚、同じ部署の面々。中に1人、学生時代からの同窓生居たですが。
それに、手伝おてくれと。
トラックなら、会社のを借りるかと。イヤ、当時、一台あってねえ。私用でも、貸してくれたです。原則、ガソリンを満タンにして、返せば宜しくて。
がしかしの、仮にもの、家財道具一式でして。全部でして。トラック一台では、何往復もしんならんしなの。モ1人、母方従兄弟に声掛けて。ソラ、本来ならばの、当たり前の、「柴田」家従兄弟なれどです。
何度も云うてるの、年代違うわと。一番の近いので、当時、中学生哉と。それに、引っ越しの手伝い頼めるのモンかと。
での、ならばの、その母方従兄弟、トラック一台、矢っ張り、そいつの会社のを、借りてくれてねえ。都合の、2台でと、相成ってねえ。
イヤイヤ、そんなモンです。
真性、純正、お見事、金あらへんわの。スッカラカン。
スッカラカン故、それしか、手段無く。
それも、あるし。兎に角、若かったわと。頼んだの、面々も、一発、よっしゃと、引き受けてくれて。
皆、若かったわと。20代でして。
我が一家、親父、居てなければ、自分が、やらんならんの、守らんならんわと。
云うても、下には、妹1人だけなれどです。
(14/04/19)
NO.1518 気が付けば、アルジであったの話(14) 一気、ドンの、瞬間の話
そんな事でねえ。
諸般、スッカラカン。
家財道具一式、運送業者に、運ぶを頼むなんか、トンでも状態。
それもあるし、その発想してへんでねえ。小銭あったとて、業者に、頼んでませんです。
引っ越しは、会社の同僚なり、親族で。要は、身内で、やるモノと、思い込んでたです。
での、一応は縁起担ぎで、大安吉日には、しかるべくの、身に付けてるモノ、生活必需品の類を、予め、槇島の家に、入れまして。
イヤ、家財道具一式、搬送、搬入が、大安吉日に出来るなら、そんな事、致しませんですが。搬送、搬入は日曜日なり、出来るの日は、限定されてまして。
ででの、その当日、引っ越しの日には、どんな手筈にしたかは、失念の、ソラ、必死でして。
覚えてるは、家財道具、トラックに、乗せたら、槇島なれどです。トラックには、母、妹乗せまして。さての、槇島に向かうの際です。
ハタと、嗚呼、我が家族、自分含めて、3人かと。親父も居てるですが。病院でして。
無性に泣けて来たです。
そらなあ、住み慣れたの地。そこしか、知らんのに、離れんならんの気持ちでして。帰るも、出来ませんでして。借家故。
一家、全員引っ越すのやでと。当たり前に、想い出一杯、満載の家でして。町内でして。学区でして。その地を離れるは、幼馴染みとも、離れるになるです。コンチクショウめ。ではあっても、隣の人とも、離れるのやし。町内会の、アイツも、コイツも、従前の如く、家の近辺、歩いてて、バッタリの出会うの事も、無くなるのやなあと。
そらなあ、実家がそこにあって。自分だけが、諸般で、家を出るに非ずでして。
自分の居てるの地が、実家でして。
オトトの、表現、異なれどの。親も一緒は、そう云う事でして。住んでた家に戻れませんでして。当然の初体験でして。
イザ、その日、その時になって、その実感、ドンと、来てねえ。
無性に寂しくてねえ。
別段に、追い出されたでも無いけれどや。又、おいではありませんでして。出たら、即で無いにしろ、何れ、家解体されるです。
家の隅々に、想い出あってねえ。
今、思ても、槇島の家の、想い出と、比較したでは、数段の、桁違うです。
槇島には、結果的、7年間、住んだですが。家相とするのか。その当時が、「柴田」家として、大変貌したですが。良いよに、成ったですが。それと、諸般の想い出とは、別問題でして。
いやなあ、槇島では、まずは、私が結婚致すになり。
続いて、妹が嫁ぐになり。
そして、息子、2人が誕生するになりと。慶事ばかりでして。
云うたら、姑が居てる。小姑が居てるの家に嫁はん来てくれたになるですが。
ほんまやでの、当世そんな状態で、嫁の来てあるかと。
となればの、妹も、そんな家に嫁いだに成るですが。
そこは、両親健在でして。義理の妹も、居ててねえ。そこの家も、槇島の家と、同じ程度の家でして。全くの同じと云うて、過言で無くの。
結果的、1年後であったかには、独立したですが。要は、両親、小姑とは、別居したになるですが。云うたら、そこも、長男でして。
違いは、親父様が、健在で、同居してたですが。こっちは、入院してただけの差での。
あっちは、実家が別途存在致すですが。
こっちは、親父入院での。気がつけば、アルジでねえ。全員にて、転居と相成ったです。転居となれば、親父退院となればの、槇島に戻るになるです。よって、自分の居てるの地が、実家也と申してるです。
そら、寂しい思いなれどです。
何度でも、申すの、巡り合わせが幸いしてたわと。これが、前倒しにでもなっててみい。どするやと。どもならんわと。
前倒しとは、祖母他界。親父入院が早まっててみい。親父入院も、当時の法定伝染病であったが故、無料でして。有料やってみい。更に、どもならんわと。就職してへんなら、支払い出来ませんでして。
ホンの、1年、前倒しも、前年度の、収入実績ありませんでして。住宅ローンを組めへんわと。
その1年、家の崩壊、保つならなれどです。まあ、保ってえへんです。保たんでも、住まんならんですが。屋根がでも、落ちて来てみい。雨漏りも、傘差さんならんの程でして。屋根に上がって、修繕も、怖い、怖いの、上がって、抜けでもしたら、怪我致すです。
そんな状態になるまで、よお、ほっといたなと。云われたならばの、くれぐれもの、その当時の、アルジ、親父でして。私で無いです。入院したって、親父は、親父でして。主でして。
当然の、親父が、屋根に上がって、修繕せよと、申したならばの、そのままの、指示通りに、登るです。
そら、雨漏りなら、以前より、してまして。只なの、傘を差すの程で無く。受け皿なら、いるの状態なれどです。それは、大雨の時でして。
とかとか、親父入院より、急激にと、申してるです。
屋根直すに、家主の許可いるわと。勝手には出来ませんでして。
事程左様の、イザの、瞬間、そら、万感の思い、駆け巡ったわと。
勝手に出るではあらへんわと。出るのツモリ、当初には、ありませんでして。計算出来て無かったですが。しても、無かったですが。イツまででも、その地、家に住むの。住めるとは、甘くともの、気で居てたわと。
それが、叶わぬが故に、出るのであってねえ。
その当時の、立場的、最悪の結果でして。
とは云え、更なるの、長期的になら、振り返りの、その時、出て、良かったです。
そのまま、居てたなら。居てられるの家の状態ならです。槇島には、引っ越してませんですが。引っ越してなけれが、とてもや無いの、後年、家買おて、出るにしろ、値が違うです。
イヤ、槇島程度の中古の家なら、買えるは出来るですが。そこから、新たなるの、家探すに、年ズレたら、ズレた分、本格的、バブルに直面してるです。
その当時でさえ、掲載の状況やのにです。
イヤイヤ、でででの、話、戻してのです。
イヨイヨの、家出るの際、ソラソラ、寂しいかってねえ。
往事には、7人家族であったのがです。叔父2人も居てねえ。叔父達、独立しの。祖母、他界しの。親父入院にての、ハタと、気が着けばです。
引っ越しのトラックを、運転するは、自分。助手席には、母と、妹での、総勢3名かと。少ななったなあと。
従前、頼り無くとも、頼ってたの、親父も居ずの。これ、母、妹を、守るは、我が役目也と。
その時、一気、ドンと、実感致したです。
その瞬間でしたです。
(14/04/20)
NO.1519 おごと温泉駅の話(1) 初の、湖西線の話
過日。
とは、昨日、土曜日<4月19日>、湖西線に乗り、初めて、「おごと温泉」駅で、下車したです。
いやなあ、電車の連絡、拙くてねえ。集合時刻より、可成りの早めに、出たですが。家をです。連絡とは、嵯峨野線と、湖西線のです。
乗り継ぎ、4分で、自信あるなら、なれどです。
湖西線が何番ホームかも、知らんしなあ。
よって、その前の電車で、行くにしたですが。矢張り、「並河」駅に向かうの道中、農園主に。
そして、駅の手前で、モ1人の、メンバーに。
イヤイヤ、此度、「芋煮会」のメンバー宅に招待されまして。発端なるは、過日、2月22日の、「月桂冠大倉記念館」見学での、「鳥せい」にての、昼食時の話で、決まったですが。
花見に来て頂戴と。
<参考=「単なる雑談NO.122」NO.1486 月桂冠、大倉記念館見学の話(10) 「鳥せい」の、「白菊水」の話>
花見ねえ。
桜も、4月の、19日ともならばの、散ってるですが。マ、ええかと。
とするよりは、19日にしか、皆の都合の付くの日が無くて。その次ぎの週の土曜日<26日>には、「芋煮会」と成ってまして。この、「芋煮会」なるは、畑仕事でありまして。
そんな事で、皆、とするのか。亀岡組の3人、思いは一緒やったみたいでねえ。少々、早めの電車に乗るに成りまして。
私は、折角なら、その電車でなら、6分待ちで、湖西線の電車があるが故、それに、乗るのツモリにしてたですが。ンの、農園主、ユックリ、歩くが故、急げ、急げと。駆け足までは、いらんですが。
6分で、湖西線に乗れるしと。
いやなあ、「京都」駅、湖西線のホームなるは、嵯峨野線の隣でしたです。とは云え、行くには、連絡路に上がり、案内板見て、オトトの、こんなに近かったのかの。ホームに降りれば、電車待機しててねえ。
斯くなるでの、隣云うてもなの、ここまでの道中だけでも、数分掛かるですが。知ってて、駆け足なら、1分、2分で、乗り継ぎ出来るですが。
車掌に、コレ、「おごと温泉」に行くですかと。問えば、行きますと。
そらなあ、間違おて、反対方向のにでも、乗れば、えらい事でして。反対のが、どこ行きかは、知らんですが。
ならばと、3人して、飛び乗りまして。乗れば、スグにも、出発、進行。
そもそもが、湖西線なるは、元々が、「江若鉄道」と称してまして。
「浜大津」から、湖西を、「近江今津」駅までの鉄道でして。「浜大津」駅から故、京都からなら、東海道本線にて、「浜大津」で下車。「江若鉄道」に乗り換えるなり、しんと、湖西方面には、行けませんでして。
イヤ、湖西とは、琵琶湖の西側を指すです。対して、湖東とも、称してませんですが。東の方が、主流での、「東海道本線」でして。
我々、ドライブになら、東よりは、湖西を行ったですが。理由、多分なら、琵琶湖横目に、走れるが故かと。それもあるし、比叡山経由なら、湖西でして。比叡山のドライブ・ウェイもありまして。そら、風光明媚で、ドライブ・コースに持って来い。
そらなあ、琵琶湖の東も、ええところ、満載での、鈴鹿サーキットはあるし。竜王には、屋外スケート・リンク場もあってねえ。彦根があってねえ。
車、買い立ての頃には、ドライブがてらに、滋賀県には、よお行ったです。
竜王の、スケート・リンクも、彦根城にも、一度しか、行ってえへんけれどや。
彦根になら、2度でして。一度は、彦根城を見にでして。一度は、母方、従兄妹の結婚式が、彦根でして。参列がため、下の伯父を車に乗せまして。行ったですが。ハタと、今気が付いたは、この時、珍しく、母、同行してへんかったみたいに思えてねえ。
道中の、伯父との、会話だけを記憶してるですが。
何を話したかとなればの。何でか、伯父、「絶対」は無いと。「絶対」と、云うなと。えらい、議論になったを覚えてるですが。
そして、結婚してからなれどの、一度だけ、信楽に行ったです。
何しにと、なればの、売り地を見にがてらの、ドライブでして。売り地そのものは、口実での。信楽のタヌキの置物が見たかったです。
そら、信楽となればの、タヌキの置物で、有名でして。道々、タヌキの置物を売ってたです。嗚呼、流石に、信楽やなと。
いやなあ、現在唯今、我が家の前庭。猫の額程の庭なれどの。そのタヌキの置物があるですが。果たしての、その時、買おたかは、定かに非ずでして。
オトトの、ソ云うたら、学友、ケンイチ君、狸学会の会員でして。
趣味、狸の置物収集での、変な趣味やなと。
<参考=「不可思議の世界NO.13」NO.151 続・第三子誕生に対するの祝砲(4) 狸と猫の話>
<参考=「単なる雑談NO.66」NO.921 人数増えての迎春の話(7) 吉相の話>
よ考えたら、京都時代、宇治槇島時代。そして、亀岡に引っ越してからもです。若い時期には、滋賀県に良く行ったなと。されどの、現在唯今、出不精でして。歳喰たもあるですがと。
されどの、甲賀、伊賀。忍者の里には、一度、行ってみたいの気があってねえ。信楽の狸も出来ればと。
そんな事なら、祖母の出生、彦根にも、再度、行ってみたいなと。行って何するやとなればの、彦根城を見たいなと。
ほんとにねえ。滋賀県には、有名処、沢山あるです。比叡山ドライブ・ウェイを車で、走るも一興でして。展望台も、お化け屋敷もと。
比叡山の展望台となればの、ケーブル・カーの下を、歩いて、登ったのか。降りたのか。コレ、親父と、母と、妹の4人で、初めてとするのか。最初で、最後の、ハイキングで行ったです。
何故に、ケーブル・カーの下かと、なればの、乗るの金が無く。
さての、での。
湖西線は、ガラガラでねえ。進行方向、右手、琵琶湖。左手、山々の筈なれどの。トンネルが結構、多いなと。加えての、湖西線には、初体験でして。亀岡組3人、そんな話で、盛り上がりの、皆、初体験。
オトトの、こっち方面には、あっちの方にも、若い頃、私と同様、良く行ってたみたいでねえ。ドライブがてらです。竜王が、鈴鹿が、比良山が、比叡山がと。海水浴場もあってねえ。
そ云うたら、高校生時代かに、「近江舞子」に、一泊にての、友達3人かで、テント張って、来た覚えあるです。
焼き過ぎてねえ。テントで、寝るに、痛あて、痛あて、のたうちまわり。
飯は、飯盒炊爨での。主たるは、缶詰でして。
缶詰なんか、二度、三度と、喰えば、飽きてしもてねえ。即席チキン・ラーメンにしたですが。これが、一番に旨あて、ビクリの、その味、鮮明にと。
ンの、即席チキン・ラーメンねえ。我が、高校生時代に、あったの哉と。あったとての、出だしでは、高価であった筈ではと。高価なのなら、持参してるの筈は無く。もっと、高学年に成ってから哉の。
そやけれどの、中学生か、高校生時代と、思うですが。奮発したのやろねえと。よって、一食分のみかと。
オッとの、こんな調子では、話、前に進みませんですが。
「京都」駅から、湖西線、「おごと温泉」駅には、所要時間、20分也の、思たより、近かったんやと。「比叡山坂本」の次ぎの駅でして。
これ又、ついでの話の、その昔なら、「おごと温泉」で無く。「雄琴」でしたですが。
「雄琴」では、諸般、イメージ悪いの哉と。所謂の、「ソープ・ランド」地帯があってねえ。
はたまたの、「トルコ」なるの、名称でも呼ばれてたですが。トルコ国より、クレームでもあったの哉の。「ソープ・ランド」に改称の説あるですが。
どちにしたって、この地、初めてでして。
イヤ、ほんまやでと。
(14/04/21)
NO.1520 おごと温泉駅の話(2) 初の、おごと温泉駅の話
いやねえ、「おごと温泉」駅で、プラット・ホームに出たら、フサオ君、K氏、M氏が、居てまして。へえと。
一緒の電車、車両やったんかと。
フサオ君、曰くに、我々が、車掌捕まえ、何やら、聞いてるの場面から、承知してたみたいでねえ。こっち、こっちと。こっちに、居ると、合図送ってるのに、我々、全然の気が付かんかったなと。
ンの、そこまで、余裕無かったなあと。この電車で、間違い無く、目的地、「おごと温泉」駅に行くかがでして。
何分の人生初でして。湖西線に乗るがです。
そんな事で、ガヤガヤ、云い乍らの、駅の階段降りましたならです。周辺、見渡してもです。
そもそもがの、駅に着くまでにも、分かってるですが。想像してたの雰囲気と、違てねえ。
どんな雰囲気と、思てたかと、なればの。所謂の、ソープ・ランド乱立の、ド真ん中に駅がと。されどの、まあ、云うたら、駅がポツリの、そんなモン、皆無の。まあ、云うたら、田舎で、拍子抜けしてしもてねえ。
なあんやと。
オッとの、少々、期待してたの感あって。
ソープ・ランドがです。昼間っから、ネオン、ガンガンも異なれどです。
ソ云うたら、あれは、国道沿いやったなと。フサオ君がです。嗚呼、そやなあと。国道、161号線の方で、こっちは、鉄道やしなあと。
そやなあ、幽霊ビルもあったなと。国道沿いにです。競艇の、ビルやったかで、取り壊し途中みたいな、骨組みだけのビルがです。ン、見たなあ。あったなあ。アレ、どなったんやろかなあと。昔の話で、華が咲き。
オトトの、そ云うたら、駅に足湯があるらしいでと。私がです。
これは、諸般、我が、ホーム・ページ、「シバケンの天国」の掲示板で、山本清氏が投稿戴いたの情報でして。
とりあえず、そんなに広い駅でも無くの。山側には、ロータリーだけで。海側、琵琶湖側も、ロータリーなれどです。その一角、見て一発の、小さな小屋があってねえ。嗚呼、あれかと。「足湯」がです。
されどの、小屋がポツリとあっての。中には、ダアレも居てへんでねえ。係の方がでも、居たはるの、足湯かと、思いきやの、無人小屋。
覗けば、確かに、小さな池、六角形の水貯まり。イヤ、足湯の浴槽と。その周辺には、腰掛けあってねえ。フウンのこれかの、タオルは売店で、110円也とか、書いたってねえ。持参なら、それを使えば宜しいの。要は、無料なれどです。
足漬けて、自然乾燥させるなら、ええの哉の。チョイと、指、突っ込めばです。水にです。ンの暖かいです。水で無く、湯でして。只なあ、流れてるよでは無く。貯め湯みたいでねえ。湯、そのものは、透き通って、綺麗やけれどです。
まあなあ、小屋が、小さく、ダアレも居てへんも、やり難く。
「芋煮会」の面々に、どやと、声掛けても、ええわと、近寄って来いひんでねえ。ほならの、まあ、ええかと。足湯からは、退散の。反対方向の、山手の、ロータリーの方えと。そこで、待てと、成ってまして。
いやなあ、とりあえず。
メンバーの1人が、ここ、「おごと温泉」駅が、最寄りの駅での、「仰木の里」の住人でして。所定の時刻に、車で、迎えに来るになってまして。
いやなあ、その昔、30年の昔やろか。既に、亀岡に引っ越してたやろか。マダ、槇島やった哉の。その辺りの頃、ここ、「仰木の里」が、開拓とするのか。造成されまして。住宅地が売りに出されてたです。
当時、「ローム」でも、話題になってねえ。誰が、見に行った。買うのみたいやで。等々の噂絶えず。
斯く申すの、私も、見に来たです。幾らやった哉の。全部の区画、広おてねえ。概ね、80坪程の単位での。土地だけで、1500万円してたの哉と。1500万円ねえ。
微妙なるの、価格であったです。
微妙とは、ソラ、その当時ならです。無理したら、買えぬの額では無く。されどの、当然の、家を建てんならんですが。ソとなれば、2000や、2500の、万円には、成るやろなと。
これは、可成りの、厳しさでして。
では、あっても、土地の広いは、魅力的での。
只なあ、当時には、妹一家、こっち方面、「仰木の里」の先。琵琶湖大橋の方。「真野」に引っ越しててねえ。
何度も行ったですが。行くの道中は結構の。帰りがです。湖西道路貫通も、特には、京都行き方向、有料道路時代でさえ、完全なるの、モーター・プール化してまして。コラ、アカンと。下道に降りるも、コレ又、大渋滞での。どしょか状態。
まあ云うたら、滋賀県のこの辺り、東海道本線沿いもです。京都のベッド・タウン化してまして。或いは、飛び越しての。大阪のベッド・タウンでして。
東海道本線でも、草津、彦根からでも、京都、大阪に通勤するの方、多く。
湖西でも、「仰木の里」「真野」の方の団地の住人なるは、勤務先、京都であったり。大阪までは知らんですが。
いやなあ、おまけで、土日なんか、競艇があってねえ。その帰りの方も重なってしもての。コラ、一度出たら、身動き、大変ぞと。
且つは、季節的、冬場となればの、雪、凍結したら、車は無理でして。「仰木の里」は、山道と、までは、申さんでもの。坂道でして。
それでも、土地の広いは魅力的での、我が家でも、資金調達、出来るの見込みあれば、可成り、本格的、真剣に検討してるですが。
諸般、無理でして。止めたですが。
よって、駅そのものは、知らんですが。「仰木の里」えは、車で、見聞してまして。
区画、区画に、明示の、立て看板の、土地の面積、値段を見て回った事、あったなと。それ、以来でして。
この地の住人。「芋煮会」のメンバーなるの、S氏宅の、少々、遅い、花見の会は、興味津々でしたです。
そらなあ、当時なら、家、ポツリ、ポツリ状態での、空き地だらけ。されどの、数年で、売り切れたかの。最早の、以降、チラシにも出てませんでして。斯程に、人気の土地、団地であったわと。
云うたら、「仰木の里」を買おた。住んでると、聞けば、へえの、羨ましいなあの。金持ちやなと。
そやけど、通勤は、大変やろなあの。どっちを取るかの話なれどです。
そんな意味でなら、S氏も、退職での。通勤、無縁となれば、ええなあと。
とかとか、先発部隊。早くに着いてしもたの面々、6人。適当なるの、雑談してるの間に、集合時間近くになりの。集合時間とは、次ぎの電車の到着時刻なれどの。ロータリーには、らしきの、車が現れまして。
ンの、されどの、3台でして。
2台なら、夫婦で、一台ずつなれどの。3台目は、何じゃと、注視してたなら、運転席から、O氏出て来てねえ。ンと。
車で来てるの哉の。基本、飲み会やのに。大丈夫かいと。問えば、奥様も一緒での。帰りは、奥様の運転ですて。へえの、ええなあと。
(14/04/22)