シバケンの単なる雑談NO.124

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題目一覧表

目次

雑談NO.125

NO.1510 気が付けば、アルジであったの話(6) 飯代<はんだい>の話(2)

NO.1509 気が付けば、アルジであったの話(5) 飯代<はんだい>の話(1)

NO.1508 気が付けば、アルジであったの話(4) 身に振り掛かった火の粉の話

NO.1507 気が付けば、アルジであったの話(3) 当時の女性の話

NO.1506 気が付けば、アルジであったの話(2) 家、壊れ出すの話

NO.1505 気が付けば、アルジであったの話(1) 振り返ればの話

NO.1504 期末総会の話(1) 期末総会前寄り合いでの話

NO.1503 叔父嫁の墓参の話(9) ついでの話

NO.1502 叔父嫁の墓参の話(8) 墓石の話

NO.1501 叔父嫁の墓参の話(7) 小さな仏壇の話

雑談NO.123


NO.1501 叔父嫁の墓参の話(7) 小さな仏壇の話

とかとか、そらなあ、墓参故です。
故人の事を、想い出して、当たり前。
云うたら、この叔母、栗きんとん作るが上手でねえ。行けば、作ってくれてたです。私、甘党故でして。
での、よ考えたら、変な話、従兄弟達より、もしかしての、叔母達の方が、年齢差少ない可能性がと。下の叔父嫁は、確実に近いかと。叔父よりも、10歳下でして。

モ一発、とかとかの話はチラとしたですが。
以て、墓参もオシマイでして。帰ろかと。

にしても、墓が、家から近いはええねえ。叔父の場合なら、足腰さえ、丈夫ならです。云うてたとおりの、歩いて、5分は無理でも、10分もあればと。
その程度の距離でして。
どちらか、知らんですが。右か、左かの話の、叔父の近在の方の墓地ですて。殆ど、同時に買おたらしく。イヤ、どんな人かは、知らんです。仲が良く、墓地もソバなら、結構なるでして。


そんな次第の、戻れば、昼食。
出しな、妹宅、ソバの、コンビニで買い求めたの、コンビニ弁当喰うになるですが。
部屋に入れば、仏壇、団地サイズの小さいやつですが。置いてあってねえ。
イヤ、櫓炬燵の、ソバにでして。早速にも、チンと、鈴を鳴らして、拝ませて戴きまして。ここでは、ロウソクを。線香もと。線香は、2本だけ。代表してやっとくしと。人数分、立てる事も無いわと。

いやなあ、矢っ張り、コンビニで、買い求めたの、三色の一口饅頭をお供え致しまして。嫁はんがですが。
そして、座るに、その仏壇の横手に、私がです。ほんとに、真横でして。まあ、ええかと。
前回、来た時には、ここは、本棚であったかで。その上に、お骨が置いてあってねえ。墓出来るの前でして。矢っ張り、我が座った場所の真上、頭上でして。
今度は、真横かと。まあ、ええけれどや。


ここだけの話の、親族のお骨を。又、ペットのお骨をです。囓ったり、喰たり。ブローチに埋め込んだりして、持ち歩くの方、あるみたいでねえ。
ほんまかと。
我が感覚でなら、気色が悪いわと。とてもやないの、素手で、持つも、嫌でして。その昔なら、故人に触るも嫌でして。

その昔ならとしたですが。
祖母にも、触りませんでしたです。そもそもがの、亡骸を見るも嫌。
これは、可成り、気持ち的、感覚的、違いまして。死を受入難いが勝ってたです。嘘であると。祖母が死ぬるの筈は無いと。

これがねえ、加齢と共に、受入難いの気持ちも、左程で無くなってねえ。
加齢も、20年昔の、我が叔母、東京の叔母の頃から、我が親父、上の叔父と。最早の、祖母を経験してまして。又、親族が、次々でして。
上の、叔父なら、「京都第一日本赤十字病院」から、運ばれて来たの、亡骸をば、従兄弟と一緒に部屋に運んだしと。

そして、母方、伯父嫁。
どちらが先であったかの。嫁はんの親父様。義理の父親になるですが。或いは、母方の下の伯父。多分なら、伯父の方が先であったよなの。
オトトの、「不可思議の世界」に掲載故、紐解けばの、2003年故、11年が経ち。伯父がです。
義父は、9年故、伯父が早いなと。
<参考1=「不可思議の世界NO.3NO.4」伯父貴が逝きよった>
<参考2=「我輩は区長也NO.20NO.21NO.22」義父の葬儀>


イヤイヤ、それでもです。
骨囓ったり、喰たり、ブローチに埋め込むは、異常で無いかと。するが、我が、感覚でして。
ましてやの、ブローチ云々なるは、故人が、安らかに、あの世に旅立つを妨害してるみたいでねえ。
形見でもを、大切に保管なり、するは、相応の正常さがあると。

いやなあ、祖母のと、親父のをと。
とするよりは、柴田家の、古道具的なるは、大切に保管してるです。それは、私が守るべきモノでして。
オトトの、大した値打ちのは、あらへんわと。什器、掛け軸等々、あるですが。何とか、鑑定団に出して、二束三文なら、バカみたいと。その覚悟とするのか。その程度と、思てましての。高価なモノが、ある筈、無いわと。
祖父の代に買おたモノなら、相応なれどの。値打ちモノなら、祖父破産したの際、獲られてるわと。


オッとの、何の話をしてるの哉の。
仏壇がなあ。しかも、小さいのがなあ。真横はなあと。都合悪いなと。
何を感じてるかと、なればの、申し訳無いなあと。

むしろ、我が家にあるのよな、大きな仏壇ならばの、真横でも、左程で無いですが。
我が居場所の真正面になら、常でして。一々の意識さえ、してませんですが。
くどいけどの、座ってるの場所の真横、5センチ、10センチも、間が無いもなと。さりとて、5人もが、櫓炬燵を囲んで、弁当喰うには、仕方が無いわと。
叔母さん、悪いなあ。弁当、見せつけてと。
そらなあ、小さな仏壇故、独り、入ってるの、叔母が真横に座ってるみたいでねえ。
(14/04/02)


NO.1502 叔父嫁の墓参の話(8) 墓石の話

余計なるの話。
墓も個性的なるが、あるらしく。
とするよりも、当世、流行りだしてるらしく。へえと。

個性的とは、どのよにと、成るですが。ピアノ好きの方のなら、ピアノを模したり。車好きな方のなら、車を模したりと。
そらまあ、故人を偲ぶの意で、結構でして。
只なの、そなれば、その墓、特定個人の墓になるの哉と。子孫が、家族が、ピアノ好き、車好きとは、限りませんでして。

イヤ、有名人、一世風靡の、高名なるの人物のなら、それも、意味あると、思うですが。
鉄腕アトムの絵が刻まれてたら、「手塚治虫」で、ドラえもんなら、「藤子・F・不二雄」でして。アンパンマンなら、「やなせたかし」也と、私でも、一発分かるですが。
所謂の、庶民のではなと。代々、受け継ぐの墓なら、一寸なと。

まあ云うたら、高名、或いは、資産家なら、相応にされたら、結構でして。ハタがとやかくも、余計な話なれどです。
余計、承知で、墓前に立てば、故人の音声発したり、映像出るのが、あるらしく。ホンマかと。
これ又、有名人、資産家で、個人のなら、それも又、勝手なれどです。

私共の基準なら、音声発せられたり、映像出たりは、気色が悪いわと。近い方のなら、なれどの、曾孫辺りに成って来てみい。その先、尚更の、現物、生前の事、知りませんでして。
知ってても、希薄化してくの傾向がと。

まあつまり、良い、悪いは別としてです。家族の考え方、先祖との対話がなと。
オッとの、私の場合なら、なれどの、我が墓地に、入ってる方の全員までは、知らんわと。早くに他界の、妹以降でして。祖母と、親父だけでして。現在唯今はなと。
その上で、その承知以前の先祖をも、自分が守る。守らねばの、使命感あってねえ。
よって、月参りしてるですが。

叔父家の、墓地も、見たの範囲、個性的なるは、無く。基本、従前通りの墓故、安心感あるですが。個性的なのが、あっても、他家やしなと。イヤ、見た範囲ありませんですが。
東大谷祖廟も、同様でして。大多数のは、従前通りでの。中には、亀の背中に、墓石が立てられてたり。数段の、背の高い、墓石にされてたり。してるのもあるですが。目立つのは、極の少数派でして。
オッとの、中には、屋敷、豪邸を彷彿させるの、広い面積の墓地もあるですが。

はっきりとは、個性的墓、広まるの原因には、先祖代々的概念、子々孫々えの伝承、希薄化の傾向、感じまして。
よって、自身一代的趣味主張哉と。寂しいなあと。

私共、基本、現墓地に、自分も入ると、思ててねえ。
只なの、この地、墓地を守り切れるの哉と。将来に渡りです。距離の問題もありでして。
私共でさえ、現在なら、お参り出来てるですが。この先、何年、来られるの哉と。

いやなあ、叔父も、85歳。折角の墓地に、やっとで、入手の、墓地、墓石に、どなんやろかなあと。当人さえが、申してまして。
息子であるの、我が従兄弟なら、叔父宅の近在故、守れるですが。その子の世代、又、その次ぎには、どなんやろと。現住み処にと、するのか。仕事の、就職先の、関係あっての、離れるの可能性多いにあってねえ。

要は、万事、それが大いに影響するなあと。
我が親戚筋にしたって、その昔には、全員、京都でして。市内でして。それが、年々、市外に移り住み。私もでして。離れれば、その分、正直、疎遠になるです。只、その昔には、近在故、昔の事も、良く知ってるですが。親しいですが。
最早の、従兄弟の子までは、よお知らんでして。会うの機会乏しくて。

云い出せば、親しい同級生にしたって、亀岡になんか、ダアレも居てへんわと。中学3年の、同窓生にしたって、名簿作るに四苦八苦の、半分以上、不明で、旧の住所に居てるのなんか、何名哉と。
ソラ、女子の殆ど、結婚して、出てまして。
結果、同窓会するに、大阪在住組含めの、十数名。我々の時代、1クラス、50名でして。

とかとか、諸般、考えるだに、思うに、寂しい話になるなあと。
それだけ、人の移動が激しいを意味しまして。激しいとは、地方に飛んでてねえ。且つは、ボチボチの、同窓生の訃報が入るよになってねえ。
若い頃の訃報は、左程に思わんかったですが。若くして、可哀想になと。ダケでして。ダケでも無いけれどや。

半分以上、現住所不明なれば、既に、他界してるのも、居てるやろと。
以前には、それも、考えなんだのが。精々が、どこかで、元気にしてるのやろと。思てたのが、そでも無くなって来てねえ。
次第、次第に、外堀が埋められてくの、感致しまして。

いやなあ、特段の長生きしたいとは、思てませんですが。強いてなら、惜しまれるの内にと。長生きして、マダかと。
オッとの、元気溌剌なら、何歳まで、生きよが、構わんですが。私自身がです。そは、行かんわと。

オトトの、そんな次第の、叔父も正直、何度でもの、85歳に成るの年齢でして。叔母存命ならば、左程に思わんですが。従兄弟からは、毎日のよに、電話あるらしくの、へえと。えらいなあと。
えらいはえらいも、叔父がまだまだ、元気故、それで、結構なれどです。

一昨年の時よりは、数段に、歳喰てるよに、見えてねえ。
それでも、我が母、91歳。には、マダ、成ってえへんけれどの。比較したら、元気、元気も、ここには、自分宅に入るに、階段あってねえ。大丈夫哉と。思えど、私に何も出来ず。
只、このよに、年に一度なり、2年に一度でも、顔合わせるがやっとでして。

トトトの近在の知り合いとは、毎日のよに、散歩してるですて。
食事は、ディ・サービスの宅配を頼んでるですて。週に二度、「生き生きデイ・サービス」に通てるですて。
そこで、弁当も食べられるですて。実費なれどです。へえと。
<参考=「NO.423 <知って得する豆知識>介護施設、「リハビリ・センター」の話」寄稿磯津千由紀


での、諸般、この日、3月23日<日曜日>なるは、我が町内会の、期末総会の日でねえ。
そんなに長くも居てられませんでして。
ボチボチ、帰るわと。

イヤ、妹夫婦を、家に送り届けんならんしなあ。我が家に戻って、晩飯も、喰わんならんしなあ。
それから、期末総会に参加でして。20時から、なれどの、少々、この日は、気忙しく。
とりあえずは、叔父の顔見たし。叔父嫁の、墓にも、お参り出来て。気の済んだ日でして。
(14/04/03)


NO.1503 叔父嫁の墓参の話(9) ついでの話

まあ、つまりです。
個性的な墓は、墓で、結構なれどです。
個性的であれば、ある程に、個人の墓的色彩強く感じてねえ。
先祖代々的概念希薄化してるのでないかと。

これが、歴史に名を残すよな。或いは、その道では、名の通ったの方なら、分かるですが。むしろ、特徴あり、一発、誰と、分かるの墓の方が、有り難いですが。
そでも無いならなと。
故人の好きな、酒でも、饅頭、ミカンでもです。お供えして、又、持ち帰るの方がと。庶民ならなと。

いやなあ、東大谷祖廟にあるの、我が墓地に行くに、墓を守るは、そは、容易い事に非ずを実感してるです。
要は、10年間、管理費支払わずの、没収の憂き目に遭うの墓がありまして。コレ、寺にしたら、有り難い事なれどです。希望者、山程あって、高い値の、借地権売れまして。
毎年、数件あっての、倍率、ン十倍。まあ、概ね、百万円から、二百万円哉と。

10年間、ほったらかしと云う事はです。権利者は勿論の。親戚縁者がさえ、一度も墓参に来て無いを意味しまして。寂しい事やなと。
もしかしたら、その親族、絶えたかも、分かりませんでして。
或いは、遠方に引っ越し、忘れ去られてるの哉と。

それもあるし、その昔には、墓守るの意が分からんかったですが。
イヤ、守らねばならぬは、漠として、役目、理解してたですが。祖母が居た時には、その役目、祖母の担当的、年寄りのする事や、的考えててねえ。
オッとの、現在唯今、自分も、その年寄りの範疇哉と。墓の事、真剣に考える故でして。
叔父も、自分が出来る内にと、必死であったと、思うです。

贅沢一切せずの、つつましい生活から、ン百万円もの、出費致しましてまして。コレ、自身の息子達に負担掛けぬよにの、配慮でして。
とかとかの、背景理解も、相応の歳喰たから、分かるですが。以前には、墓あって、当たり前に思ててねえ。ソラ、産まれた時から、ありまして。ボロボロに成って来たが故に、新調したですが。
墓地から調達となれば、大変でして。

叔父の場合、仏壇もでして。仏壇ねえ。
これも、当家のは、ボロボロでして。墓以前に、新調したですが。コレ又、安いモノに非ずでして。
されどの、当世、仏壇をと、されるの家、次第に少なくなって来てるらしく。

イヤイヤ、分からんでも無いです。先の通りの、安いモノで無いです。当家のなら、軽くの百万円突破してまして。金仏壇でして。
若い頃なら、当面、目先、生活に追われててねえ。とても、とてもの、仏壇まで、新調するに、鋭意決断でして。ましてやの、墓までとなれば、正直云うて、我が甲斐性、収入ではなと。一塊の会社員でして。

加えて、親の面倒まで、見んならんのやでと。とか、云う程には、負担に思てえへんかったけれどや。
思てないの理由、簡単の。我が立場、最初っから、そんなモノであると。むしろ、他には、何も無いの、借金あったですが。母のです。そんなに少額と違うですが。
コレ又、返済も、自分がせねばならぬと。肩代わりとも、思てませんの。家を守るの概念、気でして。
住宅ローンもあるのに。息子共が、家族が、居てるのにの。生活もあっての。正直、よおやったなと。我れ乍らに、感心するです。当然の、嫁はんの理解無くして、出来ませんですが。

まあ、つまりの、幸いにして、下戸でして。その分、金使わんしなと。
ギャンブルも、致しませんの、してられませんでして。全くの、無関心。ギャンブルの範疇に非ずの、精々が、宝くじ。残念乍らの当たった事が無く。

オトトの、そんな話は結構のです。
当世の、個人重視。それは、それで、結構なれどの。一寸、待てと。
矢張り、先祖代々、子々孫々の事、一家、親族を思えと。

何を意味するかとなればの、余所様から、後ろ指、指されるよな事、すなと。騙されても、騙すよな事、すなと。ささやかも、世のため、人のために、正義、貫けと。
ほんまやでの。犯罪、犯してみい。子々孫々に祟るわと。
犯罪人の家族で、親族でして。親族までは、分からんでもや。忽ちにして、一家離散。
云うてしもたら、そのDNAをも、継承してるになるのんやと。事実の一端、あると、思うです。1つの病気、性癖でもあってねえ。

そらなあ、頭のええ親の子、通例、頭宜しいわと。先祖辿ってみい。概して、宜しいわと。何なら、親戚縁者、思い浮かべてみい。相応でして。中には、例外あってもやと。
ここで、頭の良し悪し、人間性とは、又、別でして。
オッとの、美男美女の、親、矢っ張り、美男美女系でして。中には、例外あってもやと。

モ一発、そらなあ、子は親に似てるわと。親は、その親に似てるわと。等々、辿ってみい。直系、必ずの、多少なりともの、似てるの面あってねえ。昔なら、血統でして。当世、DNA。
コレ、遺伝的なるは、避け難く。

何を云いたいかとなればの。
自身の先祖、大した事無いとか、抜かすなかれと。
金持ち貧乏、時の運の。
頭の善し悪し、血統の運の。美形も、不細工も、残念乍らの、血統哉の。

ここで、云うてるはの、余所様から、後ろ指指されてぬの、子孫ならば、それだけでも、大したモンの。誇り持てと。
ほんまやでの。親族に、犯罪犯しての、留置場経験者居ててみい。大変ぞと。前科何犯、居ててみい。どするやと。
思えば、下手な事、出来ひんわと。
そんな意味からも、親戚縁者も、血縁者知るは重要なるでの。姿形だけでも、どこか似てるわと。変な事、似てたら、要注意哉と。

いやなあ、我が祖父、顔見てへんですが。
判子1つで、財産没収されたですが。不義理せず。
近在の方々からも、悪く云う人、ありませんでして。ええ人やったと。ええ商人<あきんど>やったでと。とは、隣の小母はんから、聞き及んでるです。人を褒めぬの方やけどの。珍しくの、何の拍子か、加減哉の。ポツリと、云うたです。聞いたです。

当時、私め、小さくて。年齢がやでと。
昔良くとも、現在、貧乏では、どもならんなと。オヤツはあらへんし。オモチャなんか、買おてもらえへんしの。一寸は、財産残しとけと。誠、思たですが。

現在、如何様にと、なればの、人、騙して、資産家になってもなと。不義理して、財産残してもなと。
いやなあ、私自身、金銭に、ご縁無いは大いに不満なれどの。不満の割には、執着心あらへんでねえ。
誰かが、やるべきと、思えば、損でも、やる方でして。感謝されんでも、その時だけは、感謝されてもです。事過ぎたら、即の忘れられてしまう事でもです。別段のと。それが、目的と違うしと。

実は、当、柴田家、血縁者で、承知の範囲、この手の性癖のが、多いみたいに思てるです。
少なくともの、悪し様に云われるのは、居てへんなあと。
だけで、充分でして。
(14/04/04)


NO.1504 期末総会の話(1) 期末総会前寄り合いでの話

ほんまやでと。
謙遜でなら、まだしもの、自身のご先祖様を、大した事無いと、云い放つは、失礼千万。
大した事の意味、アンタ、承知かと。

少なくともの、恥じ入るよな、ご先祖様で無ければ、素晴らしい事でして。又、ご先祖様がしてきた事を、アンタ、出来るかと。
云うてもなの、私も、遠いご先祖様の、行状、知らんですが。
只なの、祖父の事、承知してるの第三者が、褒めてくれるは、有り難く。祖母なりから、聞くの事と、概ね一致してまして。

まあ云うたら、相当なるの資産、一代で築いた家屋敷。借家も、何軒も持って。親父のお付きの、女中さんまで、居たらしくの、へえと。
それを、知人の保証人になって、判子一発、見事、全部を取られたですが。その事実は聞くも、相手様が誰かは、祖母も、親父も、一言も、申しませんでして。えらいなあと。
只々、保証人には、成るな。判子<実印>は絶対に突くなと。ダケでして。

オトトの、とは云え、諸般、保証人を頼まれ、判子は何度も、突いて来たですが。
明治、大正、昭和初期と、私共の時代、保証人の範疇も、一寸、違いまして。又、我が資産、知れてるですが。自宅だけでして。
墓石、墓地なんか、ン百万円であろと、余所様には、全くの無価値でして。特には、墓地は借地権でして。勝手に第三者に売るは出来ませんです。出来るは、借地権の、相続だけ。
相続したら、管理料支払い義務生じまして。
そんな意味なら、親父からの相続したは、墓地の借地権だけやなと。
それ以外なら、相続の概念、持ってませんですが。形見の、三文判と、什器、掛け軸等あるですが。価値を知らんの、二束三文哉と。イヤ、鑑定してもらわんと、分からんですが。


とは云え、実印なり、相応の保証人に成るを諾とした時には、自宅没収も、一応の覚悟しての、押印してるわと。祖父の遺言的なるの、教え、教訓も、押さざるを得んの場合ありまして。
にしても、聞き及ぶの資産、全部を差し押さえられたのやから、物凄いの額やったんやなと。保証人を頼んだ方も、よお、そこまで、借金したなあと。
とは、思えど、相手様を知りませんでして。

その一点だけでも、祖父母、親父は凄いなと。えらいなあと。よ考えたら、叔父達もえらいなあと。関連の話、私にしても、誰とは一切の申しませんでして。こっちも、聞かんですが。
そんな話、私が聞いたって、取り戻せるで無く。恨んでも、仕方が無く。私が、恨むの立場でも無く。

結果、その当時の家を出て、一家、借家住まいになりの。私は、その借家で産まれたですが。その取られたの家、スグの近くでして。
実は、我が本籍、そこでして。住んだ事、無いのにです。
さりとての、まさかの、借家を本籍には、出来ず。しとも無く。亀岡に本籍移すの気も無く。
本当なら、再度、その当時の家の近くにでも、戻りたいけれどや。それこその、宝くじ、高額のにでも、当たらんと無理やなと。

での、当世、運転免許証に、本籍欄無くなってねえ。見ても、記載されてませんの。最近、本籍まで、記載するの用事も無くなって。ンの、正確なるの、番地、忘れてしまいそでねえ。困ったなあと。


オッとの、での。
遂に、4月に突入したですが。要は、新年度でして。
この、4月1日より、組長<支部長>回って来まして。組長なんか、家の並びの順でして。只なの、何故か、我が家、当家、いつも、番狂わせで、回って来てねえ。

一番最初、引っ越して来ての間無しに、諸般、ご主人の仕事の都合でと、替わってくれやはらへんかと、頼まれて。頼まれて、二の五の、三の、四のと。ゴタゴタ、御託、三択、二択云わずの、ハイ、承知と。
二の返事で、快諾までは、別としての、断る事、致しませんは、我が家、私共、何故か、嫁はん含むの、特徴、性癖でして。柴田家の伝統哉と。

まあなあ、何れは回って来るの町内会の役でして。
とは云え、嫌と、避けるの方、断るの方、案外に存在致すですが。

それが、初回で、二度目、回って来たは、隣のおっさん、副区長に立候補するからと。ついては、柴田君、組長をと。えと。
組の寄り合いにての、突然云われてねえ。さりとての、どちみちの、回って来るの役やしと。承知と、快諾までは、知らんの引き受けたですが。

此度、三度目の正直。隣のおっさん、諸般、健康上の事、雑談的、口に致しましてねえ。私なら、過去、何度も聞いてまして。
云うたら、その隣のおっさんとは、別段ので、仲宜しいです。年上でもありましての。諸般、好き放題に申してましての。私がおっさんにです。一切のとは、申しませんですが。基本、遠慮してませんでして。
区長時代には、相談にも、乗ってもろてねえ。助かったです。助けられたです。その分、諸般、狩り出されもしたですが。別段にと。その程度ならと。

イヤイヤ、ここだけの話の、町内会の功労者でもあってねえ。何故か、皆様、気を使うですが。
誰とは、申さんの、挨拶下手のでさえ、このおっさんには、ニコニコの、ヘイコラでして。

くどいけどの、私め、一切の、区別、差別致しませんでして。挨拶下手のにも、こんにちはで、このおっさんにも、同様の、こんにちはでして。気に喰う、喰わんで、差は無いですが。
それでや。まあ云うたら、寄り合いにての、健康上の話もです。私からしたらの、又かの話の、耳タコでして。
と、思てたら、誰とは云わんの、それなら、組長、飛ばしますかと。えと。
輪掛けて、又、別のが、諸般、別途の役もやったはるし。ソレ、終わるまで、飛ばしてあげたらと。ンと。

ここだけの話の、他言無用の。皆様、えらい気を使うんやなあと。
での、当人、そこまで、気を使てもらわんでもと。とは、云わんでねえ。すかさずの、今となればの、前期組長。その時、現役組長申すに、発案するに。デハ、柴田はん、組長してくれやはりますかと。えと。
又かと。

青天の霹靂と、までの大袈裟では無いもののです。
こっちにも、ツモリ、覚悟なるがあってねえ。此度は、となりのおっさん宅で。その次ぎ、我が家やなと、思てたが、番狂わせの話でねえ。
さりとての、どちみちの、回って来るの役でして。断るの理由、口実も無くの。えと。デハの、やりますですと。
そらなあ、皆様、諸般、余所事でして。自身に関係無いの話故、恰好ええ事、云うなあと。

まあなあ、当期、区長、我が組から、出まして。
誰とは申さんの、では無いが故、組長しても、どて事、無いですが。ソレやってみい。幾ら、お人好しの、我輩でもです。最悪でして。それだけは、避けたかったの、それは、消えたが故、諾と出来るですが。
万が一の、それが区長にでも、成っててみい。ゾと致すです。
それでも、こんな話の流れになれば、断るも出来ませんですが。

それもあるし。私も区長経験者でして。正直には、同じ組のが、区長では、組長としても、やり難いわと。当然の、健康問題のおっさんも、歴代区長、何度も歴任の猛者でして。
よって、諸般、相談事、しに行ったりしたですが。

まあなあ、私ならです。
予めの、次期、組長に成るの方には、相応の打診とするのか。寄り合いで、話しますのでと。一言、伝えてるですが。それで、諸般、万が一のあれば、その次ぎの方に、こんな次第でと、話致すですが。

ここから先、当家より後はです。変則に成った事は無くの。我が家だけでして。
結果、三回連続の、番狂わせと相成ったわと。
とかとかなるは、以前にも、掲載してるです。
<参考=「単なる雑談NO.117NO.118」区長選出の話>
(14/04/05)


NO.1505 気が付けば、アルジであったの話(1) 振り返ればの話

一寸だけ、話、予定外のを致すですが。
振り返ればの話。
ハタと、気が付けば、若くして、私が主<あるじ>になってたです。

いやなあ、我が認識ならです。
元々が、気が付けば、7人家族。その内、上の叔父、結婚して、独立。下の叔父、結婚して、独立。
正確には、上の叔父は、独立以前より、出たり、入ったり。特段の、気にもしてませんでして。大人やしと。
下の叔父は、高校生になった時、家から、出まして。事実上、そこで、独立したとも、云えるですが。結果、家族、5人。誰々となれば、祖母、両親と、妹でして。

考えたら、15坪程の家に、7人が暮らしてたになるですが。まあ、云うたら、当時、特段の珍しい事でもありませんでして。
町内に、祖母年齢の、年寄り、沢山居てたです。そこの、息子一家と、同居、極の自然の、当たり前でして。むしろ、年寄りが威張ってたです。我が家も一緒の、祖母中心。
威張ってたとするは、やや、表現、異なりまして。大切にされてたと、するが、正解かと。

我が家、借家なれどの。
そらなあ、町内に、借家も多かったですが。持ち家の一家なら、基本、親の財産でして。
そんな事、知ったは、相当の、先でして。そんなとは、どこが、借家で、持ち家かの話。当時なら、家屋敷も、そんなに莫大なる値でも無かったですが。とは云え、所謂の住宅ローンはあらへんし。
買うとなれば、それだけの資産あって、信用がなければなと。

よって、兄弟姉妹、当世の如く、そんなに易々の、独立出来ひんでねえ。職住接近でして。
となれば、一家支えるは、考えるまでも無いの、当たり前に、長男でして。長男たる、その分、大切にされたです。値打ちあったです。その嫁、長男の嫁は、これ又、相当に大変でして。
そらなあ、婿殿の、両親と同居し、面倒見る。とするよりは、仕えねばなりませんでして。一家、親族の面倒までを、見んならんしなと。家を代表の、長男たる、親戚付き合いせねばならぬし、嫁が代行もせねばならぬし。ソラ、長男の嫁たる、相応の資産家なら、別としてです。
貧乏人の家に、来て、ナカナカに無く。

資産家でもなければ、長男の嫁になるは、避けられるの傾向あったわと。
そんな事、無関係の、見合い結婚の有利な条件の1つに、長男以外があったわと。
但し、実際には、知らんです。とか、奇妙なるの、話致すですが。ソラ、女性にも、諸般の考えあるやろしと。
その1つになら、親を、年寄りを、大切にして、当たり前でして。尊敬とするのか、重要視されてたわと。

あくまでもの、一般論なれどの、「長男の嫁」の言葉あったです。
あの人、「長男の嫁」やしなと。
云われるは、ソラ、しっかりしたはるえの意を含みまして。ここで、しっかりとは、一目、二目も、三目でもを見てもらえるです。

オッとの、そんな話では無くの。
気が付けば、家族5人になってまして。私が、社会人になって、間も無くの、祖母、交通事故で、足骨折で、寝た切りに相成ってねえ。結果、1年経って、他界したですが。
他界して、家族4人。

4人に成って、即の、親父、結核を患いましての。右京区鳴滝<なるたき>の、「宇多野病院」入院。「宇多野病院」とは、「国立病院機構宇多野病院」と称しの、当時、結核は強制的隔離されたです。その隔離先が、「宇多野病院」での、別称、結核病院。

コレ、親父、死亡では無く。
されどの、イツ、戻るか分からんの状況での。結果、家族、実質、3人。
3人とは、母、妹と、私でして。話簡単の、全責任とするのか。生活が一気、掛かって来てねえ。

とする程の、深刻にも、考えてえへんかったけれどや。くどいけどの、親父、死亡したで無く。元々が、諸般、親の援助無く。学校、卒業もしの、就職してまして。現、ローム、当時、東洋電具製作所でして。

での、親父、入院にて、へえと。
とは、ビックリはしたけれどや。明日からの生活、どするやと。までの、話で無くて。
強いてなら、そかと。
元々が、ノー天気、楽天家とも云えるですが。

よって、冒頭、ハタと、気が付けば、若くして、私が主<あるじ>になってたです。
としてるの程度。
要は、既に、社会人となりの、生活費出してましてねえ。当然でして。長男でして。親父、アテにならねば、自分でして。
云うとくですが、家族で、一番に、私が親父を大切にしの、尊敬してたわと。親に対し、反抗的、文言、云うた事、一度もあらへんわと。学資を出してくれへんからと、恨みにも、思てませんでして。
ソラ、親に、金<かね>無いは承知してまして。
とは云え、学生時代に、飯代<はんだい>までは、出してませんですが。基本、勝手に学校に通てただけでして。親も、進学せず、就職して、家に金入れよ。とは、一言も、申しませんでして。

そらなあ、実は、叔父<次男>が満州にて、戦死で、祖母には、遺族年金がありまして。
とは云え、他界にて、無くなったですが。無くなった時には、私、社会人。
細かな話、意味無いですが。戦死、証明されたは、昭和27年<1952年>で、終戦昭和20年でして。祖父他界、終戦の年。私、戦後産まれ。

親父、趣味の延長にて、電気屋開業でして。
話簡単には、人がええだけの、商売人には、向かぬ人間、性格でして。

にも関わらずの、何故に、親父を、尊敬しの。大切に思いの、反抗せずで、一言たりとも、文句云わずの、恨みにも、思てえへんかったと、なればの、コレ又、我が性格哉と。
それもあるし、祖母の影響もと。
何度でも、申してるの、墓参に連れられたり。お使いさせられたり。オッとの、全くの、苦では無いの、当時、常識。

且つは、私、お婆ちゃんっ子でして。これ又、祖母が大好きでして。大切にしてまして。
当時の、世間の常識でもあってねえ。

なんでと、なればです。
祖母なり、祖父なりがです。要は、親の親が一緒に暮らしてるは、自慢でしたです。
そんな事なら、現在唯今、母と一緒も、好きなよにさせ、一番の優先にしてるも、或る意味、自慢でして。
責務であり、自慢に思てまして。
(14/04/06)


NO.1506 気が付けば、アルジであったの話(2) 家、壊れ出すの話

オトトの、何で、こんな話、し出したの哉と。
よく、そんな事、あってねえ。
この事、掲載したいと、ある種、使命感に似たの気持ちに成るの事、あってねえ。
そして、イザ、掲載するにです。それを、云うには、これをと。経過説明なり、しな、分からんぞと。その、これを説明するなら、これこれをと、相成ってねえ。
そっちが、主となりの、イツの間にやら、本命の話、忘れてしもたりは、常でして。常故、常に、消化不良症状、呈してまして。困ったなあと。
此度も、その傾向ありまして。

での、まずは、本籍地、下京の、綾小路通り、大宮の、「丸屋町」。
イヤ、京都には、「丸屋町」なるは、三箇所あるです。上京の、堀川下立売と、下京でも、御幸町通りの、「丸屋町」と、綾小路通りでして。
正直には、本籍故、番地も承知してるですが。そこまでは、記載せずの。
まあ、云うたら、その昔の、住所の、近所なれどの、行った事無いです。

次ぎに、柴田家の墓地に、入ってた、他人様。祖父の知人と、思てたですが。過日、叔父の話で、祖母の従兄弟と知ったですが。
ならばの、何故に、祖父の知人と、断定的に記憶してたかとなればの、話簡単には、苗字が、「松井」でして。
「柴田」で無く。祖母の旧姓、「豊田」でも無く。第三の、苗字故、他人様と、思い込んでたです。

イヤイヤ、ここで、先様の苗字を、記載したですが。「松井」姓の方、沢山あるです。私自身、どこの、「松井」家か、皆目の知らんわと。一度か、二度、小さい頃、墓参の際、その方の親族に会おただけでして。
会おた方、女性でして。既に、高齢でして。とするのか、まあ、云うたら、お婆さんに近い、小母さんでして。現在唯今、存命としても、軽くの、百歳突破哉と。
とは、あくまでもの、推測なれどです。

又、祖母の、従兄弟で、姓が、異なるとなれば、従姉妹での、女性でして。
叔父から、祖母のと、聞くまでは、記憶の範囲の、状況より、祖父の知人の、男と、思てたです。ソラ、墓参の方、女性がためでして。
がしかし、となれば、祖母の従姉妹の、娘かなあと。としたなら、お婆さんとするよりは、小母さんでして。ではあれどの、我が母よりは、遙かに、年長に見えてたですが。

ではでは、あれどの、我が家では、我が承知の範囲なら、既に、親戚付き合いしてませんでして。
そらなあ、祖母の親戚筋で、付き合いあるなら、全部と、までは、断言しの、云い切れんでも、知ってるわと。
もしかしたら、我が代では、親戚付き合い、するの必要性無いがため、教えんかったの可能性なら、あるですが。
どっちにしたって、叔父の話にて、祖母の従姉妹の存在、初めて知ったですが。

そこまででして。
叔父に会えば、次回にでも、その従姉妹とは、祖母と、どんな関係であったかを聞くのツモリにはしてるですが。この事、念頭にあればの、話での。「松井」家の事さえ、やっとで、先日、話を出しただけでして。それまで、何度も、会おてるですが。叔父とです。
全然でして。全くの、頭の中にありませんでして。偶々の、叔父嫁の墓参故、当家、墓では、こんな事あったなと、チラと、話題にしただけでして。
そんな事、我が母も知りませんでして。最早の、聞けるは、叔父1人。

そんな事ならです。
叔父には、モっと、一杯、聞きたい事、あるですが。イザ、会えば、別途の話で、手一杯。話尽きぬ故、又、来るわと。一年、二年後になったり致しまして。
何を聞きたいかと、なればの、ソラ、祖父母の事でして。叔父の親の事でして。

知って、何になるかと、なればの。何にも、成らぬわと。
何にも、成らぬの事でも、知っときたい事、あるわと。知って、どするやと、なればです。ソラ、子や、孫に伝承するべきかと。伝承するの、機会あればの話なれどです。
いやなあ、そんな事、沢山あるですが。常平生には、意識してませんでして。
そんな話題でもが、出た時でして。そやけど、出る時なんか、あるやろかと。正直には、まあ、無いなあと。聞かれんかったら、先の通りの、念頭に無い事柄でして。
そらなあ、一緒に暮らしてた、祖母でさえが、そんな事まで、云わんかったし、聞いてえへんわと。
話、聞いてたは、自分の代で、生きてる内に、チャンとすると、ダケでして。意味なるは、我が代にまで、引きずらずと。
現に、祖母が、解決してたです。

での、思うに、祖母は、当たり前に、私が、「柴田」家を継ぐと。私も、自分が継ぐと、重々、自覚してまして。
くどいけどの、「柴田」の資産、あらへんわと。継ぐは、墓の事でして。先祖を守るが、私であると。そらなあ、我が兄弟、妹1人。万事、自覚するも、せんも、あらへんわと。

叔父達にしたって、我が親父とは、仲悪かったですが。私の事は、立ててくれたです。
そして、上の叔父が、アパートから、田辺に引っ越すの際には、連絡あってねえ。私にです。そかと、応援に行ったです。
次には、同じくの、下の叔父が、男山に引っ越すの際にも、応援に行ったです。
応援、私、1人だけでして。それで、叔父と2人して、家財一式、運んだわと。応援するは、当然と、思ててねえ。


そんな次第の、斯くなるでの。
我が家、祖母他界で、親父、当時の、法定伝染病、結核にて、「宇多野病院」に隔離され。入院も、法定伝染病での、強制的隔離故、無料でして。
これが、別途の病気ならです。大変やったですが。

祖母が、親父がと、なればの。
云うたら、その家の主<あるじ>が、家から、消えたになってねえ。親父なら、その内、回復して、戻ると、思てたですが。

不思議な事やねえ。
主、家から、出た途端にです。
家が、日に、日に、壊れ出してねえ。元々が、古家なれどです。
二階は、天井から、雨漏りするわ。それまでは、雨漏りしてへんのにねえ。冗談では無いの。雨降れば、金盥、持ち出して。遂には、家の中で、傘まで、差して。
1階の、タタキ、土間なれどの。そこの、裏手の柱が、腐食し出してねえ。遂には、浮いてしもてねえ。

だけで無くの、雨降れば、漏電し出してねえ。バチバチ、火花が出だしてねえ。
我が家、電気屋。私、電気工学専攻なれどです。どこのか、知らんの、電気工事屋が来まして。多分なら、母が、呼んだんやろねえ。
かと、云うて、私、電気工事の資格は持ってませんでして。

話簡単の、屋内配線してもろて。
とは、云え、古家故、方々に這わすも、難しく。主要回線のみでして。

イヤイヤ、この時には、母、妹との、家族3人でして。
今後、どするやと。家、建て直すかと。建て直すにしたって、資金、無いですが。ならばの、銀行から、借りよかと。
既に、就職してましての、二年経ってまして。

早速にも、庶務課であったかの、担当者。コレ、同期生でして。幾ら、借りられるやと。我が収入でです。問えば、返答、当時、440万円。
ではと、家主。隣でして。
そこも又、諸般、親父様、早くに他界されてまして。多分なら、私が、小学生時代でして。お婆さんと、小母さんと、娘2人の、その娘、私よりも、年下でして。

とりあえずは、1人で、交渉にと。出向いたですが。
話、斯くなるでの、建て直し、したいと。
返答、そこの、親戚筋の、小母さん登場のです。建て替えるは、結構なれどです。

その資金、当然の、こっち持ち。
これは、そのツモリで、居たですが。
建て替えたの家、家主名義にと。ンと。
且つは、新築なれば、家賃は上げると。えと。
ならばの、土地を買い取りたいと。申したならばの、ダメと。売りませんと。ンの、困ったなあと。どするやと。

どするも、こするも、あらへんわの。
家は、壊れツツありの。住むが出来ずの状態には、既に、成っててねえ。手直しで、済むの状態で無いは、素人目にも、明確でして。
話、超簡単の、先様にしたらの、この機会に、出てけでして。

イヤイヤ、当然にして、当時の私には、そんな事、想定外。
産まれ、育ったの、家を出るとは、考え、及んでえへんしねえ。この、どこのか、知らんの、ババアめ、えらい事、抜かすなと。
精々が、土地売れで、値段の問題だけと、思てまして。かと云うて、相場、幾らかなんか、全くの、考えてえへんけれどや。
不動産屋に就職したでなし。経済専攻で無し。学校出て、一年、二年の、世間知らずで、ノー天気。金銭感覚欠落の、技術屋でして。
(14/04/07)


NO.1507 気が付けば、アルジであったの話(3) 当時の女性の話

過日、昨日には、次男一家が来てまして。
本題、次男の車のタイヤ交換なれどです。孫君3号、1歳と、5箇月でして。コレ、喰い助でねえ。
イヨイヨの、動きも活発に成っててねえ。興味津々の頃でもあってねえ。今後、益々の、活発で、目も離せんよになるですが。ソラ、孫娘、孫君1号、2号、見てたら、分かるわと。

での、喰い助の分、年齢の割に、見掛け以上に、ガッシリしててねえ。
抱っこしたら、重たあてねえ。
イヤイヤ、その日、4月6日なるは、京都府知事選挙の日でして。
正直、対抗馬、共産党だけでして。無風で、盛り上がりに欠ける処かの。投票所入場券が届くまで、選挙の事、知らんかってねえ。

ででの、その当日、嫁から、乳母車の操作法、教えてもろて。投票所に嫁はんと一緒に連れてったですが。
イヤ、スグのそこでの、片道、5分も掛かるかなあの距離でして。只なあ、強い風でねえ。
オトトの、乳母車がある故、連れてってやるの気になるですが。コレ、抱っこしては、大変でして。ソラ、歩き回ってはいるもののです。お手々繋いでの、散歩に出られるの程でなく。

云うたら、丁度、難しい処でして。
抱っこは喜ぶですが。我々、爺婆では、長くは保たず。当人、保っても、こっちの、体力、腕力保たず。
抱っこして、喜びはしても、自分で、歩けまして。スグにも、自由にさせよと、振り切るです。自由に歩くは結構なれどの、こっちの、意のままには成らへんしねえ。自分の自由に行動したがりまして。
よって、注視してんと、危ないですが。

要は、抱っこでは、時間保たずで、重たいし。歩かせれば、歩くですが。自由気ままに、歩きたがり。お手々繋いでには、マダでして。乳母車でなら、こっちも、あっちも、楽でねえ。
少々、風強いも、まあ、ええかと。投票所に行ったですが。

先の通りの、盛り上がりに欠けるの選挙での。とりあえず、まずは、乳母車の孫君、嫁はんが見て、私が先に投票済ませ。交替で、嫁はんがと。別段にの、孫君3号、中に入っても、構いませんですが。
元々が、会議所でして。和室でして。数段の階段は、スロープ化されててねえ。坂道、上がりの下がりは、止めとこかと。

いやなあ、今期、区長、早速にもの、この手の役、勤めてまして。ご苦労さんと。
モ一発、いやなあ、この区長、概ね、無愛想でして。殆ど、こっち見ずの頷いた程度哉と。結構でして。誰に対しても、一緒でして。区別、差別、ありませんでして。そんな人でして。
そらなあ、誰様とは、申さんの。相手により、愛想したり、無愛想、無視してるよりは、数段のマシ。


トトトの、そんな次第の斯くなるでの。
よ考えたら、話の順序少々、違うなと。
イヤ、家主相手に、建て直ししたいと、云いに行ったは事実なれどの。その主旨にて、目的、一番、家<土地>売れでして。アカンなら、建て直しだけでもの、話でして。

只なあ、相場、全くの知らんわと。そんな事、新聞見たら、出てるですが。売り家等々の物件情報がです。
京都新聞なら、取ってたですが。何れ、買いたい等々、考えてませんでして。とは、少々。イヤ、可成り、変ですが。まだまだ、社会人に成ったばかりの、1年生、2年生でして。真剣には、考えて無いの意でして。

とは云え、モ少し、状況説明したなら、この当時、京都の家、市内と、云うてもです。当世からしたらの、数段の安さでして。
ここだけの話、でも無いですが。家主、途中で、替わってまして。当初、右隣であったのがです。左手に渡ったです。問題は、その時、売るの時です。当家に話、無かったみたいでねえ。
親父の口癖、一言、打診、して欲しかったと。買おたのにと。

当然にして、買えるの、資力、資金、あったかは知らんですが。私に云われてもなと。私なら、本気で、買うのツモリがあったならです。元の家主に、文句云いに行くです。順番が違うやないかと。
売る気あるなら、まずは、住人に打診せよと。断ったなら、しかるべくの、余所様にと。
何なら、振り出しに戻させるですが。親父は、内々で、云うてただけでして。

どっちにしてもです。
要は、家が壊れて来て、住めんよになっても、家主として、修繕一切のせずと。又、売りませんと。
との事でして。本来なら、雨漏り等々、家主がしかるべくの、処置すべきが云々、考えてませんでして。法律上の事なんか、知らんしなあ。

正直、想定外の話の展開にて、困ったなあと。
病院に居てるの親父に相談したってなあ。金<かね>持ってるの筈は無く。

イヤイヤ、ほんまやでと。
そらなあ、イザとなれば、親故、多少の援助してくれると。
全くと、までは、申さんですが。大学の入学金にしたって、まともには、出してくれへんでねえ。ここに、集金すべき金<かね>あるが故、集金して来いと。さすれば、その分、入学金に充ててやると。

当然の、その先様に、集金にと。出向けば、出して戴けたり、後日にしてくれと、断られたり。そんな、事、金額、知らんでと、云われたり。
実際、どしたんやろねえ。入学金をです。
別途にも、掲載してるですが。期限に間に合わずで、第二、第三の期限の、最終で、間に合おた哉と。さもなくばの、入学出来てませんでして。

だけでは無いの。
何度、授業料滞納によりの、仮除籍された事かと。毎年の恒例行事、通告受けててねえ。
ソラ、アルバイトでの収入で、賄おてたしの。夏休み、春休み、等々の、集中的、アルバイトで、稼がん事には、間に合わんわと。
家庭教師のは、基本、定期収入での、本とかや。教科書とかや。当然の、お小遣いでして。

いやなあ、こんな具合に記載してたなら、アルバイト三昧での、楽しい学生生活、送れて無かったみたいなれどです。
アルバイト三昧事実なれどです。結構、好き勝手に、楽しんでたです。変な話、自分に余裕資金、あらへんのにです。突然に現れたと、するのか。中学、高校生時代の同級生に、借金、頼まれたりで。貸してやったりしてねえ。

ここだけの話。
でも、無いですが。
ソイツ、京都大学に合格の優秀なヤツでして。農学部なれどです。それ以上は、申さんの、親父が死亡したの哉と。
にも関わらずの、麻雀三昧にての。借金出来てねえと。とは、当人の話。時計を渡しておくしと。何れ、戻しに来るしと。あのなあの、質屋と違うわと、要求額、そのままに、手渡したです。
云うても、学生でして。手持ちも、貸してくれの額も、千円程度哉と。

自身、私自身、授業料滞納によりの、仮除籍されてるの身分やのにです。
オッとの、仮除籍とは、あくまでもの、「仮」でして。期限までに、授業料納めれば、除籍解除されるの状態での。授業等々、受けられるです。

いやなあ、余り、その辺り、鈍感とするのか。ノー天気で、お人好しでして。頼って来られたら、自分の状況忘れてしまうの性癖あってねえ。
そらなあ、社会人になっても、諸般、借金の申し出あれば、基本、要求額、手渡してたです。その又、基本、戻った事無いなあと。戻らずで、恨みにも、思てませんでして。
そもそもが、戻るとは、思てませんでして。思てたら、会う度にでも、戻せ、返せと、申すですが。そんな話、一切の、した事は無く。忘れても無い故、斯くの如くに、掲載してるですが。
掲載してても、まさかの、当時、幾ら貸したかまでは、正確には、覚えてえへんわと。

社会人になってからは、基本、5千円単位で、数回でして。不思議に、持ってる時に、その手の話、舞い込んで。
云うとくの、諸般、一度も、嫌と、断った事、ありませんでして。返せと、請求も、一度もありませんでして。
オッとの、学生時代のと、社会人になってからので、相手違うですが。過年、麻雀三昧のは、他界したと聞いたですが。変な話、優秀なヤツ程、早くにでして。ここでは、コレ以上、詳しくは申さんですが。


とかとか、何の話をしてるの哉と。
ノー天気で、金銭感覚希薄の、社会人ン年生が、或る意味、初めての試練に遭遇でして。
金持ちとは、こんなモンかの、冷たいなあと、思い知らされたです。
いやなあ、さもなくばの、年寄りと、未亡人と、娘2人の、女性4人が、生活出来ませんです。大したモンです。

別途の、旧家主も、未亡人が、子ども3人、育ててまして。矢っ張り、私と、ホボの同年代の娘2人と、年長の長男でして。諸般、家屋敷の切り売りされてたです。
又、学生に下宿させたりと。
そら、京都は学生の町でして。地方から、沢山の学生がと。私なら、小さい頃、勉強の邪魔しに行ったりしてねえ。遊んでえなと。

コレ又、云うとくですが。
歳上であろが、下であっても、私と同年代としてるの意なるは、戦後産まれを意味してまして。親父様、戦死で無いです。

思えば、当時、そんな家、多かったです。
子ども育ての、資産、必死に守るの女性がです。当世の如く、働きに出るも、女性には、口が無く。
そして、そんな家、そこらに一杯あってねえ。特段の珍しくも、無かったです。且つは、年寄り、婆様まで、居てるんやでと。その年寄りが、威張ってて当たり前でして。
そらなあ、資産、ありまして。無かってもでして。
再度の申すの、年寄りなるは、相応に尊重されてたわと。その分、しっかりしたはったわと。
そもそもがの、呆け老人、知りませんでして。呆けるの前に、昇天するも、あるですが。
(14/04/08)


NO.1508 気が付けば、アルジであったの話(4) 身に振り掛かった火の粉の話

話、若干、戻しまして。
入学金の話。
コレ、最終的、どしたかは、失念なれどです。祖母には、一言も、申してませんでして。
親父の弟、次男が、満州にて、戦死の、遺族年金、貰てるは承知してたですが。当たり前に、幾ら貰てるかは、皆目の、無関心でして。

或る程度の、家計支えてたは、承知してるですが。ソラ、稼ぎの少ない、親父でして。
よって、小遣いなんか、貰た事無く。中学生時代から、アルバイトしてたと、申してるです。
云うたら、小学生時代のお年玉なんか、親に預けて、そのまま、使われてしもたりでねえ。中学生になってからは、銀行に預けるよになったですが。丁度、四条烏丸の東北角に、三和銀行があってねえ。
当時には、子どもが、口座開設で、貯金箱を貰えまして。三つ葉の、クローバーみたいな形のを、記憶してるです。

オッとの、入学金で、ソレ程に困っててもです。授業料滞納で、仮であれ、除籍されててもです。祖母には、無関係であると。叔父達にも、云うてませんでして。
叔父達からは、誕生日のプレゼントとして、グローブを買おてもろたは、記憶してるですが。中学生時代になと。下の叔父<四男>から、上の叔父<三男>と、一緒にやしなと、云われたを覚えてまして。
貰たは、それだけでして。

祖母からと、なればの。
就職してから、自動車の教習所の費用、幾ら、掛かるのやと、問われてねえ。当時、33000円見当であった哉の。その金額、伝えたならです。
就職祝いとして、その分、出してやると。へえと。有り難うと。

いやなあ、就職して、初月給では、祖母に、何かは、忘れたですが。プレゼントしてまして。
祖母に対しては、そんな対象としか、考えてませんでして。そんなとは、婆孝行するのみでして。
要は、肩を叩いてやったり、お灸を据えてやったり。針に、糸、通してくれと、頼まれれば、ハイ、承知と。

ほんとになあ、昭和46年<1971年>、84歳で、他界してるですが。これも、車にぶつけられ、足骨折で、寝た切りと成ったが故でして。それまで、針仕事してたです。
その姿、見てるが故、小学生時代であったかに、夜店で、針通しの道具を売っててねえ。夜店は、9の付くの日、西洞院四条の上がった通りで、やってたですが。
値段までは、記憶せずの。小学生で、買えるの程度故、10円程度哉の。婆孝行のためと。奮起一発、買い求めの、祖母に渡したならばです。有り難うなあ。そやけど、これは、曲がりモノやでと。

売ってるは、香具師<やし>なんやと。香具師が、何か、知らんですが。
サクラが居てと。役立たずのモノを、役立つみたいに、騙して、売るの悪いヤツが居てるんやと。気ぃ付けやと。へえと。

針通し器ねえ。
どんなモノかとなればの、筒状のに、針を挿入致しまして。針の穴が下に成るよにでして。筒の下には、穴が空けてあっての、穴には、テーパーが付けてありの、そこに、糸を通すの方式でして。
香具師と称するの売り子は、百発、百中で、どんなモノでも、針でもと。簡単に通せる故、親孝行のためにと、売っててねえ。
実際には、大きな針にしか、使えませんですて。へえと。小さなのには、細工がしてあるですて。フウンと。
只なあ、今思えば、そんな安いのを、サクラまで、動員で、まさしくの、子ども騙しのを、売って、どれ程の、儲けあるの哉と。

とかとかの。
兎に角、祖母に対しては、こっちが、役に立ってあげんとなの、気持ちだけでして。祖母から、支援して貰うなんか、毛頭、露程も無く。

よって、この時の、就職祝いとしての、33000円の自動車教習所の費用、シカと覚えてまして。
されどの、就職してるが故、ソは、易々の、通えずの。有効期限、半年であったかの。その半年、ギリギリで、仮免許でして。
イヤ、期限、仮免許取得期限でして。年明けてから、無事に免許取得出来たですが。

これもなあ、学生時代には、アルバイト代で、原付免許取得で、スーパー・カブを買おてまして。
これが無ければ、以降のアルバイトも、通学も大変やったです。
家庭教師も、桂の物集女<もずめ>方でして。2回生からでして。結果的、1回生の時には、スーパー・カブを買おてたになるなあと。

これが、超有力なるの、通勤、通所<二条教習所>の足と成ってねえ。
さもなくばの、勤務先、五条西大路から、教習所の二条駅を通えませんでして。残業、残業の、徹夜まであったのにと。その間隙縫ての、通所でして。


オトトの、何で、こんな話、してるの哉と。まあ、ええかと。
事程左様の、今思えば、考えればです。我が家、両隣。未亡人が、子ども抱えて、よお、頑張ったはったです。両隣さけに非ずの、何故か、我が町内に、その手の、一家、未亡人で、同じ歳辺りの、子の居るの家がです。しかも、女の子だけの家、多てねえ。

特には、家主家、婆様も居たはってねえ。親父様、材木屋で、相当に儲けたはったんやと。
デカい、木材、肩にヒョイと、担がはってねえ。私は可愛がってもろたですが。若くして、他界されたですが。であるだけに、事実上の、出てけは、信じられませんでして。甘かったんやと。

での、相談するにも、相談するの先が無く。
オッとの、叔父達にも、相談してませんでして。したってなあ。金<かね>が、出て来るで無しの。そんな事、毛頭の、露程もでして。

考えてみたら、母も内弁慶なんやねえ。
私共には、云いたい放題の、無茶云うですが。隣との、交渉、一切せず。
結果、出てけ的、返事されての、サテの、どするやで、町内の親分肌の親父に、相談したらと。親分肌であっての、町会長<組長>では無いですが。同じ筋の、3軒先の宅様でして。
矢っ張り、似た年頃の。ここは、男の子ばかり、3人居たですが。一番下は、1つ下。
両隣の、女の子と、同級生。

いやなあ、母、申すに、一升瓶でも持って、相談しに行ったらと。そやなあと。
とは、返事したですが。今思えば、変な話でして。余所の事を、第三者に、話、持ち込んでも返事のしよが無いですが。母の思惑、中に入ってもろて、ええよに、云うて貰えへんやろかなと。

そこの親父が、酒飲むかまで、知らんですが。
云われるがままに。或る意味、藁をも掴むの思いで以て、相談しに行ったです。
斯くなる次第の、どしたモノかと。正直にです。

ならばの、曰くに、まずは、そんなモン、酒なんか、受けとれんと。
その上でです。自分の身に降りかかったの、火の粉は、自分で、振り払うしか無いでと。ンの、そやなあと。
この言、鮮明に覚えてるです。

イヤイヤ、当然の、「宇多野病院」に入院の、親父には、逐一の報告してるですが。
名案あらへんわの、良きに計らえでして。
(14/04/09)


NO.1509 気が付けば、アルジであったの話(5) 飯代<はんだい>の話(1)

過日。
云うても、4月5日の、土曜日。
実は、この日、朝、11時より、「こもれび」にて、母の件で、先様、相談員と、諸般の打ち合わせ致しまして。となれば、少々、遅くなるですが。その足で、墓参しましたです。当然の、嫁はんと一緒でして。
その足での、主たるの意味、円山公園の、桜も、見頃やろと。

いやなあ、お見事、満開でして。
人が一杯。久しぶりでして。ここまで、人が多いがですが。方々に、茣蓙敷いてねえ。時には、女の子、云うても、二十歳そこそこのが、二三人、弁当広げてたり、致しまして。一番に健全やなあと。
只、女の子だけと云うが、モノ足らず。さりとて、男が一緒は、余計な話、嫉妬したりして。
にしても、大学生くらいやろかなあ。圧倒的、多数がです。その辺りの、若い男女が、多数、トランプしてたり、致しまして。或いは、飲み過ぎたか、ひっくり反ってたりしてねえ。大勢にて、来てるが故、安心感もあるやろねえ。

その足で、「八坂神社」にも、お参りしよかと、思たですが。何の、何のの、そっちの方から、円山公園に来るの人の、多い事。多い事。
初詣でも、これだけの人集りがあるやろかと。思う程に、多い事。多い事。当然の、初詣の方が多いに決まってるですが。それは、「八坂神社」に向かうの人がで。此度は、そっちから、円山公園に、でして。多分なら、祇園石段下から、上がって来て。「八坂神社」にお参りして。こっちなんやろねえ。
その様子見て、即の、決断。止めたです。何も、人かき分け、今、今日、こんな時に、お参りしんならん事もありませんでして。

本命、墓参のついでの、時期も、時期での、折角故の、桜見物でして。
での、その墓参。墓石の周囲に、埋め込まれてるの石。大きめの、玉砂利なれどです。1個、取れててねえ。過日、過年より、気になってまして。
我が家裏庭。と云う程の広さは無いですが。裏庭に、まいてるの石を数個、持参したですが。ソラ、大きさ等々、よお、分かりませんでして。何個か、あれば、内の1個でもが、ピタリと、までは申さんの。合うよなら、それを、ボンドで、くっつけよかと。
残念乍ら、皆、外れで、又の機会やなと。
そらなあ、無理して、寸法合わんのに、くっつける事もありませんでして。見つけて、何年経ってるやと。

ででの、この日、あったなあ。
管理費、支払われてませんの墓石、墓地に、案内板がです。
要は、10年間、ほったらかしにしてたら、警告の案内板が、取り付けられまして。取り付け、3月7日になってまして。来年の、3月7日までに、寺務所に、しかるべくの、申し出等々、無い場合、没収するの案内板でして。

いやもお、軒並みでして。
多いなと、云いつつの、我が墓地に着いたならばの。何のまの。真向かいのに、その案内板がで、へえと。ここさんもかと。

実はなあ、当家墓石の、一寸前に、真向かいのが、新調されたです。少々、面積広めでして。それもあるし。当時、当家、建墓の頃、昭和59年<1984年>辺りには、墓石、新調ブームでして。
あっちも、こっちも、次々でして。

正直、当家、「柴田」家、このままでは、みすぼらしいなあと。それもあるし、墓石が、欠けて来たもありまして。思い切っての、新しいのにしたですが。
新調なった、当時、その宅様やろねえ。墓参されてたは、承知してまして。諸般、同時には、お参り避けてるですが。見掛ければ、ソバに行くは遠慮したりの。どちかとなればの、全くのドン、ピシャは無かったです。丁度、先様、終わるの頃、見掛けたかなあの状況でして。
私共よりは、軽くの年配と見てるですが。

確かに、新調なった、当時のみでして。見掛けた。ニア・ミスしてるのがです。又は、花が供えてあるのがでして。
それが、イツの頃やろか、から、花さえ、見掛けるが、希となり。どしたあるのやろなあと、心配もしたですが。とは云え、どこの方かも、知らんしと。墓地の面積だけでも、2倍でして。金持ち、資産家なんやろなあと。
オッとの、墓石には、苗字、刻まれてるですが。「柴田」のよな、ありふれたので無いですが。

ソラ、当家のでも、軽くの、百万円突破での。倍なら、三百万円辺り哉と。墓地だけでやでと。そこに、見合うの、立派なるの、墓石でして。どちでも結構の。片手はと。墓だけで、片手やでと。
墓地、相続なりされてるなら、二百万円以上の程度哉なれどです。
イヤ、勿体ないなあと。老夫婦のみで、子、孫が居たはらへんかったんやろかなと。それなら、わざわざの、墓石、新調しやへんやろにと。余所様の事情、皆目の分からんですが。
とりあえず、云えるの事、10年間、管理費支払わずの、ほったらかしになってたと、ダケでして。にしても、10年やでと。
案内板、貼られた故、親戚縁者、墓参されれば、しかるべくの、処置されると、思うですが。


私共ならです。
祖母他界。親父、結核で、「宇多野病院」行き以来、親父名義のは、全部、こっちが、しかるべくの、処置してまして。処置とは、代行でして。東大谷祖廟より、管理費請求書郵送にて、届けば、親父名義で、納金してまして。或いは、墓参の際、入金してるです。
ソラ、単に、入院してるのだけでして。
当然の、しかるべくの、証書の存在、知ってるわと。
よって、親父、他界により、墓地の名義も変更届け致したですが。事実上、入院を以て、全部、代行してまして。

いやなあ、斯くなるでの。つくづくの、思うです。
諸般、大学卒業、就職してからで、良かったなあと。
これの、時期、ズレててみい。

とりあえず、卒業間際なら、卒業してしもてるですが。
イヤ、4回生なら、諸般、授業料は、大学から、借りられまして。安堵したですが。入学間際とか、2回生、3回生の頃なら、幾ら、親から、学資出してもろてえへんわと。
とは、云えどの、生活があるです。飯喰わんならんです。

とてもやないの、学生生活、継続出来ませんでして。どこか、働き口をでも、探すなり、しんならんわと。その程度の収入にて、母親、妹を養えるかと。一家、維持出来るかと。なればの、実際には、そんな事になって無い故、分からんけれどの。まあ、無理やろと。
妹とは、7歳違い故、マダ、学校でして。

今、思えば、ギリギリの、セーフ。
話簡単の、私が就職してから、妹、高校入学でして。
ソラ、直接に、学資出したで無いけれどや。直接になら、お小遣い程度でして。

極の自然でして。当たり前でして。
生活費として出したと、するよりはです。云う処の、飯代<はんだい>でして。これを、親であるの、母が何に使おが自由の、基本、飯喰わしてもらえればと。
とは、云えどのです。
飯も、朝は、母起きてませんでして。朝食、会社の食堂にて、パンと、牛乳。
昼は、会社の食堂。
夜となればの、残業、残業でねえ。又、会社の食堂で、喰たり。時には、外に出ての。会社の近在の、肉屋で、焼き肉喰たり。

イヤイヤ、お陰様で、残業代がと。それこその、給料が、倍額になったりしてねえ。
更なるの、お陰様で、食堂の売店、パンと、牛乳なれどの、その店主、親父と親しいなってねえ。和歌山に、魚釣りに、連れてもろたり、してねえ。
そこの、娘が、同じ会社に就職してねえ。弟の、家庭教師してくれと。頼まれたりしてねえ。後年、その弟が、食堂継いで。
オトトの、云うたら、その当時、週6日制でして。日曜日も、呼び出されたりの。実際には、家で、飯喰たの哉と。

斯くの如くの、学生時代から、比較をしたらの話の、相当額、給料、もろてねえ。残業代の、お陰なれどの。元々が、ノー天気の、経済的概念皆無の。適当での。
飯代、一体、幾ら、出してたかの、よ覚えてませんですが。
とりあえず、初任給、33500円也の。給料、手取りで、少なくともの、5万円は、あってねえ。総額なら、先の通りの、倍額でして。
ボーナスも、新入社員でも、相応の額、もろてねえ。当時、会社、儲かって、儲かっての時代故。

単純明快の、初任給額程度、ドンと出しても、屁でも無く。まあ、云うたら、酒飲むで無し。残業、残業の、偶の、日曜日も、出勤やったり。他部署の、レクリエーションに狩り出されたり。
とかとか、諸般、あっても、楽しい、新入社員時代でねえ。
はっきりとは、若いわと。


オッとの、母、その当時。それ以前より、生命保険の外務員、保険屋やってたですが。
生活のためなれどの、実態、客に、服買わさせられたりの、先様、商売人故での。実際の、生活費にナンボ、入ってたかとなればの、まあなあと。殆ど、無かったので無いかと。
そらなあ、再度の、何度でもの、申すの、相当額の、借金、作ってまして。
返済したは、こっちやしと。結婚してからなれどです。その借金額も、嫁はんが発見の、ビクリしまして。

とりあえず、その当時。
妹が、学校に無事に通てれば。飯さえ、喰てたらです。それで、良しとだけでして。飯代出せば、あとの事、家の生活の事なんか、構てませんでして。
構うの暇、あらへんわと。

云うたら、楽しい、新入社員時代を、過ごしてまして。
一年生で、車の免許取り。二年生では、HONDAの、NV買いまして。当然の月賦なれどです。偶の、休み、遊びに出っ放し。
(14/04/10)


NO.1510 気が付けば、アルジであったの話(6) 飯代<はんだい>の話(2)

そらねえ、初月給なんか、戴いた時には、ビクリの、驚嘆、感激したです。
状況、覚えてるです。

工程の、オーブン<恒温槽>。
コレ、金属皮膜抵抗器製造工程でしたですが。金属皮膜故、温度係数低く。ロット単位で、測定するの装置でして。その配線してたの哉の。オーブンの上に乗ってたですが。
時に、現、「芋煮会」のメンバーでもあるの、同期の、T君と一緒に作業してまして。
オッとの、彼、機械専攻。大学違うですが。一年浪人、一年留年の強者でして。結果、年齢2歳上なれどの、同期故、同等。呼び捨てでして。

いやなあ、オーブンの上に乗ってたら、所属長では無くの、工程の課長から、手渡してもろて。
中身、当然の現金でして。即にも、開封、見たら、5万円見当。とするのか、万札、5枚と、ン千ン百、ン十円也でして。
そんな高額、自分のモノとしてです。手にした事無く。へえと。正直、ここだけの話の、先の通りの、ビクリしての。驚嘆、感激のあまり、涙したです。ほんまやでと。

学生アルバイト程度で、そんな高額、稼げませんでして。時間給、100円でして。
それでも、100円のアルバイトは、魅力的でして。諸経費抜きでして。交通量制御、主要道路の、四つ角で、カウンター片手にカチャカチャしてるのアルバイト。現在でも、時々見掛けるのヤツなれどの。
やってる事、旧態依然の、一緒みたいに、見えるですが。あれなんか、12時間勤務で、1200円也での。当然の、1時間毎の交替でして。車種毎、時間毎、カウントしてるだけの、仕事でして。
楽でして。募集あれば、即の、申し込みしたりして。

何度も、掲載してるが故、簡単にの、エキストラも、楽、楽、楽の、無茶苦茶に楽の。コレ又、人気のアルバイトでして。募集あれば、早いモノ勝ちでして。
ソラなあ、8時間も、10時間も、拘束されへんのに。1000円、やったかなあ。時間給にしたら、割得でして。上手い事、行けば、スターが見られまして。
変な話の、バスで、向こたの先、我が母校の、広沢の池の、ソバの、運動場やったりしてねえ。
イヤ、校舎は、堀川通りなれどの。運動場だけは、そっちでして。体育の時間には、スクール・バスにて、移動したですが。

ホタテマンの、安岡力也<没64歳>が居たの哉の。コレ、学齢、1つ下。
顔だけは、何とは無しに、承知してたですが。どこかで、見た事のあるのヤツやなの程度の。芸名<実際には、本名>までは、知らんの、特段の、ファンでも無くの。
とりあえず、デカいの、図体での、人相悪いヤツでねえ。
取り巻きが、何人か居ての。コレ又、ヤクザ面。
はっきりとは、ヤクザやないかと。

オッとの、モ1人、女優が居たですが。顔、鮮明に記憶してるですが。芸名、皆目でして。元、アナウンサーの女性のよに思てるですが。
それが、何か知らんの、応援に来てて。階段式、応援席が、準備されてましての。エキストラ諸君、並びまして。ワーワー、歓声上げるだけの、場面での。
これがや、タイトル、忘れたですが。何かの、映画、見に行った時です。予告編で、その場面、出ててねえ。何と、マの、私も映ってたわと。
だけの話の、タイトル、失念でして。ども、ならんわと。覚えてたら、その場面、探せば、当時の、我輩、映ってるわと。ホンの、瞬時、なれどです。何分の、エキストラでして。

まあなあ、京都ならではの。
ソレ以外に、超人気なら、祭礼でして。扮装、装束着て、練り歩くのヤツでして。コレ又、拘束時間、短いのに、1000円也が相場でして。
いやなあ、申し込みの、行ったの先、近所の神社やったりしてねえ。「天道神社」と、称するですが。中学校えの、通学路でして。えと。
当然の、承知の上で、行ってるですが。通学路の道中の、神社やしなあ。練り歩くの先々、重々承知の、やり難うてねえ。知った人、居てへんかと。まあなあ、多分ならばの、ダアレにも、気付かれてませんですが。


そんな事での、アルバイト料なんか、家庭教師で、月9000円でして。これが、ある故、助かったですが。定期収入故での。
樫原の方の、宅様での。桂高校生、3人でして。週2回だけの。優秀故、助かったわと。

そんな次第の。最初の給料、私共にしたらの、凄い額でねえ。
実際には、そこからと、するのか。給料より、2万円抜き取り、残り、全額、母に手渡してたの感、あるですが。2万円でも、小遣いでの。凄い額でして。我が金銭感覚ならでして。
そして、週6日制の時代で、月の残業代、100時間に到達してた筈の。ズとでして。
当世なら、過労死、労働基準法がどのこのでの、訴えてやるの話に成るの哉の。

あのなあと。
通例ならです。残業あれば、有り難く。
初任給、33500円也の。残業無くの。そこから、諸般、天引きされてみいと。独身故の。多分ならばの、2万円代の、真ん中辺りでの。そこから、2万円も、自分用にと、抜けるかと。
ハキリと、一家、支えられへんわと。
オトトの、その当時、支える等々なるの、気負たの感覚、気、皆目の無かったですが。
当たり前に思ててねえ。

まさかの、自宅通勤での。全額、自分の稼ぎ故、自分の取り分とは、思てえへんわと。飯代として、相応の額、出すは当然の。それが、偶々の、相当額になってただけでして。
2万円もの、小遣いともなればです。はきりと、現在唯今のと、同額でして。変な話の、ン十ン年、経って、変わってえへんなあと。
途中、3万円時代長くあったけれどや。

再度、申すの、初任給、33500円時代の話やでと。当世なら、初任給、22万円見当哉の。7倍近<ちか>あ、成ってるぞと。
云うたら、10万円、14万円程度を、小遣いにしてた、みたいなモンでして。家には、20万円程度入れてたに相成るなと。当世の価値的感覚ならなれどです。
くどいけど、独身やしなと。
そらなあ、外食での、焼き肉でも、好きに喰えるわの。忘年会、新年会でも、連夜の如くの、呼び出しも、諾と、返答出来るわと。まさかの、残業ある故、連夜、無理なれどです。概ね、そんな感じやったの話やわと。


での、ここだけの話の。
家庭教師も、就職の年の前年、12月には、終わってまして。そら、彼等、受験体制でして。
エキストラ、祭礼も、早々には無く。アルバイトなら、前年の夏休みに、実習兼ねての、当時、東洋電具でが、1箇月であった哉の。ソラ、残業は無く。その時の資金があったの哉の。
実は、通勤するための。ホンダ、スーパー・カブも、ガソリン要るしなの。会社の食堂にての、朝食、パンと、牛乳だけなれどの。喰うためのです。手元資金カツカツ。

云うたら、アルバイトなら、基本、身銭、その場で、戴けまして。
まさかの、初任給、最初の給料、早めにと。戴くは出来ず。
多分ならばの、初月給、貰うの時には、ポケットに、小銭程度しか、無かったの可能性がの。それもあっての、感涙でして。戴くまで、日数経ってるわと。
そらなあ、家で、金の話なんか、一切、致しませんでして。したって、出る筈無く。

での、祖母他界、入社2年目の事やしなと。
親父、入院、更なるの、1年後の事やしなと。あくまでもの、入院やしなと。
長男として、家を支えるの気での、話で無いです。あくまでもの、飯代でして。それが、入院にても、単なるの、状況変化だけの、感覚でして。
或いは、就職しても、学生気分、抜けてるの筈は無く。
そして、独身やしなと。

家の話、云々なんか、親の考えるの話でして。又、突然に、ボロになったで無く。
只なあ、家、方々、崩れ出すは、親父入院よりの、急激でして。
されどの、先の通りの、金<かね>なんか、貯金もしてへんわと。天下の回りモノ的、感覚でして。されどの、入学金の時以外、如何なるの窮地でもや。金出せとは、親にさえ、口には、してへんわの。したって、出ませぬ故。
むしろ、飯代、相当額、出してるのに、尚、金出せと、母からは、云われたわと。当然の、無視したですが。
(14/04/11)