シバケンの単なる雑談NO.123

雑談NO.121 雑談NO.122
雑談NO.116 雑談NO.117 雑談NO.118 雑談NO.119 雑談NO.120

雑談NO.110 雑談NO.115
雑談NO.60 雑談NO.70 雑談NO.80 雑談NO.90 雑談NO.100
雑談NO.10 雑談NO.20 雑談NO.30 雑談NO.40 雑談NO.50
題目一覧表

目次

雑談NO.124

NO.1500 叔父嫁の墓参の話(6) 親戚筋の話

NO.1499 叔父嫁の墓参の話(5) 結婚当時の話

NO.1498 叔父嫁の墓参の話(4) 結婚式の話

NO.1497 叔父嫁の墓参の話(3) 昔の話

NO.1496 叔父嫁の墓参の話(2) 水月寺の話

NO.1495 叔父嫁の墓参の話(1) 道、間違いっ放しの話

NO.1494 余談・雑談・墓参の話(6) 時間と共に、アジア系の声がの話

NO.1493 余談・雑談・墓参の話(5) バレンタイン・デーの話

NO.1492 余談・雑談・墓参の話(4) 高島屋駐車場の話

NO.1491 余談・雑談・墓参の話(3) ホワイト・デーの、かに家の話

雑談NO.122


NO.1491 余談・雑談・墓参の話(3) ホワイト・デーの、かに家の話

さて、ここでです。
「余談・雑談・墓参の話」に戻すです。
何故に、話飛ばしたかとなればの、特段の意味無いですが。

強いてなら、あっち、「月桂冠、大倉記念館見学の話」なるは、2月22日の話。
こっちは、3月2日の事でして。
あっちが、終わってから、こっちやなあと。

での、一昨年、下の叔父。男山八幡在住のです。フイと、行った際、叔父嫁の墓、出来てるを聞いてまして。
一辺、お参りに行かんとなと。思いつつの、ナカナカに行けませんでして。そらなあ、少々、遠いもありまして。遠い云うても、あっちも、京都なれどです。概ね、1時間では無理の。車で、1時間半は掛かるやろなあと。

行くなら、妹夫婦にも声掛けてやらんとなと。
本日、ハタと、嫁はんと相談の、声掛けるにしたです。
理由簡単、3連休でして。ここだけの話、花見には、早くの、見頃、来週哉と。特段の用事もあらへんしで、この際と。まずは、叔父に電話一発、ケータイになれどの、唯今電話に出られませんので、留守番電話にと。ンと。

デハと、固定電話に、電話一発、出て来ましてねえ。さっき、ケータイに電話したけど、何やったと。問えば、嗚呼、鳴ってたなあと。
ども、この年代、私もなれどの、ケータイ出るが邪魔くさいの哉と。
オッとの、そんな話は結構の。明日なり、明後日、居てるかと。居てたら、久しぶりに、寄りたいしと。妹夫婦と一緒にと。出来れば、墓参もと。
ならばの、居てるし、イツでもええでと。ハイ、承知の、まだ、妹には、話、してへんしで。決まれば、再度の電話すると。

斯くなるでの、今度は、嫁はんから、妹にケータイでして。
結果、諸般で、明日ダメ。明後日にと。明後日ねえ。
実は、その明後日の、23日、町内会の、期末総会でねえ。20時から故、日中、構いはしませんですが。余り、ゆっくりも、してられませんでして。

そらなあ、特には、帰りの道中、交通状況、渋滞状況次第になってねえ。ソラなあ、男山八幡から、伏見に妹夫婦を送り届けてからの、帰宅でして。国道1号線なんか、よお渋滞するしなあ。し出したら、一時間や、二時間、スグでして。
妹宅に届けて、ハイ、さいならもで。もしかしたら、トイレ、貸してくれもあるしなあ。

何の事かとなればの、我が家、早めとするのか。出まして。妹夫婦を乗せまして。叔父宅道中、何処かで、コンビニ弁当でも、買いまして。叔父宅では、茶程度、出してもろての、喰うよな感じで、行動致しませんと、昼飯、喰てから、出たでは、とてもや無いの、叔父嫁の墓参まで、出来ませんでして。
オッとの、日も決まって、叔父に再度の、電話二発目。
こんな事になったけどと。墓まで、遠いか、近いかの。車やったら、5分ですて。そかの、花も準備すべきか、道中で、買えるのかと。
そらなあ、墓地の規模によっては、売店無い事もあるしなあ。現に、嫁はんの里がそでして。
どちかとなればの、売店、あるの規模の、墓地の方が、少ないわと。

そらなあ、諸般、親族の墓地、知らんではなと。叔父も、何歳、80歳には成ってるの哉と。どっちが、早いか、分からんけどや。基本、あっちが、早いやろと。場所、知ってたら、その息子、従兄弟なれどの。特段の断らんでも、手間掛けるのだけでしての。気が向けばの、ふらりと、墓参も出来るわと。
それが、我が立場でもあってと、心得てまして。


そんな次第の、斯くなるでの。
オッとの、この叔父嫁の時には、葬式、重なってねえ。母方、叔母婿の葬儀とです。偶々の、あっち、叔母婿のが、時間早くと、方向、少々異なるもののです。まあ云うたら、正反対でも無くの。宇治と、八幡が故の、梯子したです。出来たです。
云うても、あっちは、顔出しのみで、ハイ、さいならと。叔父嫁の葬儀にと。こっちは、顔出しのみとは、出来ひんわと。「柴田家」故。
叔父が、立ててくれるが故、尚更でして。そらなあ、当たり前の、夜伽も、葬儀も出てまして。云うたら、臨終には、間に合わんかったですが。それ以前に、面会はしてたしなと。刻々と、叔父からの連絡あったですが。

要は、以来、叔父、一人暮らしでして。近くに、息子一家、居てるですが。
時々は、来てるらしいですが。


オトトの、そんな話、するのツモリ、無かったですが。ついついねえ。
での、3月2日の話なれどの。
この日には、月参りの、墓参、致しまして。

墓参してから、「かに家」えと。
これは、嫁はんの要望でして。季節故、蟹喰いたいと。ンの、そやなあの。鋭意決断の、デハの、ホワイト・デーに致すかと。高いけどなと。
実は、昨年、一昨年にも、行ってませんでして。
その前の、三年前<2011年11月>、義理姉夫婦が、京都見物に来まして。且つは、長男家、孫君2号の、初宮参りの時期と、一致の。祝い膳として、「かに家」にしたですが。
<参考=「単なる雑談NO.75」第三子、孫君2号の初宮参り>

この時には、その義姉夫婦、妹夫婦も、参列してくれてねえ。
孫君2号、人を呼ぶの子やなあと。
そらなあ、義姉夫婦は、夫婦としての、初の京都見物でして。この時期になったは偶々でして。妹夫婦なら、滋賀から、伏見に引っ越した時でして。それまでなら、来られませんでして。
偶々が重なったですが。

オッとの、以来の、「かに家」でして。蟹料理でして。
いやなあ、それでもなの、蟹料理で、ここだけの話の、軽くの、2千円、3千円致すわと。一人前でです。
幾ら、ホワイト・デーも、そこまでの、散財致すは無理、ムリ、無理の。無茶無理と。思いつつの、「かに家」の、ホーム・ページ探索したならばの、案外に、案外の、安いの、値のが、あってねえ。
これならと。
それでもです。高いけれどの、まあ云うたら、「鳥せい」のと、ええ勝負でして。へえの、こんなに安いのが、あったの哉と。決めたです。それでと。それも、一番に安いのでは、あらへんわと。相応のでして。

にしても、何でやろねえ。
店の内実まで、知らんけどです。はっきりとは、2千円以下のなんか、あった哉の。蟹では、無かったなあと。

そんな事の、墓参の後に、孫君2号の初宮参り、以来の、「かに家」でして。嫁はんの、ホワイト・デーでして。
ここで、可成り贅沢なるの、昼食したら。次ぎには、「高島屋」で、嫁共のホワイト・デーのを、物色すると、決めてまして。
(14/03/22)


NO.1492 余談・雑談・墓参の話(4) 高島屋駐車場の話

いやなあ、3月2日。
「かに家」で、蟹料理喰て。
「高島屋」なれどです。これがなあ、最近、車の列、長なってねえ。動き、鈍なってねえ。
原因、承知の、従前の、大駐車場、丼勘定、適当の、400台駐められるの、「稲荷駐車場」であったかが、衣替えしやはってねえ。その分、駐車場が少ななってねえ。「高島屋」本館駐車場えの列が、ナカナカに動かんよになったです。

ここだけの話の、何があったんやろねえ。「高島屋」と、「稲荷駐車場」がです。長年の付き合い、反古になったの原因なれどの。我々には、分からんの世界でして。
そらなあ、毎日、毎日、莫大なるの、駐車料金、入ってた筈でして。「高島屋」も、その分、客が入った筈でして。
只なあ、不景気もあっての、一時の、客数からは、格段の少なさになってるですが。まあつまり、客の入り少ないと、駐車場も閑散。その分、実入り少のおなってねえ。駐車場の地主も、嫌になったの哉の。
ども、マンションが出来るの気配でねえ。マンションでなければ、ホテル哉の。よお、知らんですが。
どちにしたって、マンションでも、ホテルでもです。こっちには、無縁でして。

とりあえずは、昨年から、やったかなあ。駐められんよになったのがです。
されどの、昨年には、マダ、車の列、マシでねえ。15分、20分程度ならと、待ったですが。アベノミクスで、景気よおなったの哉の。次第に、車も増えてねえ。
過日、3月2日は、どしょかと。とてもやないの、30分以上は、軽く掛かるなの。それなら、御池駐車場に行こかと。鋭意決断の、そ致しまして。

御池駐車場になら、何度も、駐めてるですが。従前なら、「高島屋」に用事で、御池駐車場は使わんかったですが。此度初。
そらなあ、嫁共の、ホワイト・デーのを、調達、この日にどしてもと。致しませんと、日が無いです。予定では、この時には、8日に神戸で。次男一家も、明くるの9日に来るの手筈になっててねえ。
向こうには、電車で行って。帰りは、次男の車に乗せてもらうのツモリにしてたですが。

ここだけの話の、他言無用の。帰りには、丹波篠山で、獅子肉<イノシシ>でも買おて、我が家で、焼き肉でもしよかの話に成っててねえ。
獅子肉ねえ。それこその、何年ブリ。息子共が、マダ、小さい頃です。今の、孫1号、2号辺りの頃かの。「亀岡西友」にて、抽選会があってねえ。当時には、この手のは、ここだけしか無かってねえ。
現在なら、大手で、「アル・プラザ」「サティ」が出来てるですが。影も形もの、頃でして。

その、「西友」での、抽選で、次男、獅子肉のええのを当ててねえ。それ以外にも、皆で、少しずつの、肉当てて。
要は、獅子肉の、抽選会でして。
早速にも、我が家で、獅子肉の焼き肉して、喰たですが。コレが、初で、それっきり。

正直には、この時の肉は、安物やったんやろねえ。美味いとは、お世辞にも、よ云わんですが。煙ばかりが、強てねえ。硬あてねえ。どこが、ええの哉と、思たですが。そらなあ、美味なら、牛、豚に負けずの、広まってるですが。広まらぬは、相応のと。
強いてなら、豚も、イノシシも、親戚筋でして。

オッとの、結果的、諸般、後刻、孫娘が、水疱瘡に掛かってねえ。次男家には、孫君3号居るがためもあっての。止めにしたですが。我々も、止めるのツモリにしてたですが。
いやなあ、我々が、万が一の感染、構わんですが。高齢の母に感染させたら困るなと。
ではと、今後の事もあるしの、予防接種とするのか、打ってもらおかと。町医者に即の出来るの哉と、問い合わせたならばの。嫁はんがですが。我々の歳で、予防接種はええのと違うですかと。
大抵ならの、子ども時分に、掛かってる筈での、免疫あるですと。
それもあるし、ワクチンの、取り寄せに成るですて。へえと。
そんな事で、結果的、我々夫婦のみが、車で、神戸に行ったですが。行ったら、孫共、3人共に元気でねえ。へえと。
イヤイヤ、それ以外にも、行けるの時、行くの理由もあるですが。その1つには、長男嫁に、その、ホワイト・デーのを、持参でして。

どちにしたって、この時には、水疱瘡の話無く。
兎に角、兎も角、モノを選定、調達しとかんとと。そら、神戸で、2人の嫁に手渡すが、一番でして。少々、早いけれどです。こんなモン、遅らせて、手渡せるの時、あるかと、なればの、あらへんわと。

まあなあ、それもあるし、御池から、河原町通りを、四条に歩くも久しぶりでして。久しぶりも、単に人が多くの、店々は、そんな替わってませんですが。まあ、人の多い事、多い事の。
若い兄ちゃん、姉ちゃん、こんな場で、お手々繋いでは、一寸なの。多いなと。若いのだけで無くの。ええ歳したのも、一緒なれどです。
コレ、夫婦かなあ、父娘哉の、年齢的、変な組み合わせのも、混ざってるですが。父娘で、手繋いだりはしやへんやろと。するなら、余程に羨ましいの、父娘でして。

オッとの、今なら、我が孫娘、手も繋いでやれるし、抱っこもと。
抱っこも、そろそろ、重荷に成って来てるですが。抱っこせよと、されたら、今だけやなと。
これが、モ数年でも、経ってみい。バイ菌扱いされたり、致しまして。泣くぞと。

余計なるの話。
本日、3月22日。近在の、「丸亀製麺」に、うどん喰いに嫁はんと、2人して、行ったですが。並んでるの後ろの、若き父、3歳程度の娘、抱っこし乍らです。今の内だけやろなあと。可愛らしいのはと。抜かしてたですが。
あのなあの。そんな事無いの。男の子でもです。小学校行くまでは、面白いし、可愛らしいわと。10歳までくらい哉と。そこから先、落ち着き出してねえ。小憎たらしいなるですが。
とは、口避けても、余所様には、申しませんですが。

只なあ、この若いの、親父、前見て、並べと。
コンコンと、我が背中にぶつかりやがってねえ。オマケで、その娘の靴が、ぶつかってねえ。別段にの、前を空けてるで無いです。客が並んでるわと。急くなと。
とも、云うてえへんけれどや。この手の、無礼な、父母、多てねえ。輪を掛けて、その爺婆、無礼でねえ。どかしてるわと。
オッとの、後ろのに、爺婆、付いてませんですが。


そんな話は結構の。
人をかき分け、潜り抜け。まあなあ、ぶつからぬよに、歩くの訓練なら、身に染まってまして。
「高島屋」に着けば、嫁はん、久しぶり故、まずはの、少々、自分の見たいのを、見たいと。ええでの、ワタシャ、しかるべくの、喫煙所で、煙草でもと。
(14/03/23)


NO.1493 余談・雑談・墓参の話(5) バレンタイン・デーの話

昨日<3月23日>、妹夫婦を誘いまして。
男山の、叔父宅えと。
久しぶりの、様子見と、建墓なった、叔父嫁の墓参のためでして。
イヤイヤ、叔父、80代云々の、聞けば、モすぐにもの、4月に成れば、85歳ですて。へえと。叔母他界の、平成20年末より、独り暮らしなれどの、元気でねえ。
云うても、85歳でして。
85歳にしたら、元気の意でして。一昨年の1月からは、正直には、一段の、足腰、弱なっててねえ。

とかとかの、この話、別途に致しましての。
3月2日の話をと。

まあなあ、喫煙場所も、7階の、「京回廊」の奥手に一箇所と相成ってねえ。
従前には、先刻の話の、「稲荷駐車場」から、「高島屋」に入るの入り口付近。トイレの前に灰皿設置されてたですが。無くなってねえ。
行けば、大抵、1人や、2人、居てまして。これがなあ、何故か、女性が多てねえ。フウンと。
この、フウンに特段の意味無いですが。結構、若き女性に多てねえ。自分で吸うてて、こんな事、云うも僭越なれどの、女性が煙草吸うの情景、好みませんでして。様にならんなと。中年以降のなら、上品には見えず。
若いなら、これから、子ども産むに、大丈夫哉と。余計な心配致すです。特には、若きカップルで、入って来て。2人共が吸うの姿見たら、お好きにしたらの、反面、男の方も、余り、賢くは見えず。

での、煙草一服のみ、致しまして。
ここらでと、嫁はんが云うたの辺り、衣類等々の特売場付近なれどの、見つからんでねえ。見つからんでも、エスカレーター付近に居たら、大体は現れるです。
此度も一緒の、現れて。特売のを一着買おたですて。安い故と。

での、ででの。
本命の件。嫁共の、バレンタイン・デーの、お返し。ホワイト・デーのを、物色せねばならぬなと。
にしても、余計なるの話、何で、バレンタイン・デーに対しの、ホワイトなんかなと。
チョイと、紐解けばの。この習慣、日本製、日本発ですて。へえの、さもありなんの、恵方巻きと一緒の発想哉の。ホワイトは、チョコレートの茶色に対するの、ホワイト・チョコレートのイメージなん哉と。
イヤイヤ、知らんわの。そ勝手に思ただけでして。

基本、その、ホワイト・チョコレートなり、白いマシュマロであるとか、飴等々ですて。フウンの、そらなあ、女性に甘党多いですが。
実はの、ソレを避ける。或いは、加えても宜しいですが。加えたなら、高<た>こ付くもあってねえ。それこその、お徳用ホワイト・チョコレートにする訳にもと。
クッキーなら、過年、相当の昔。会社の子にお返しした事、あったですが。当然の、クッキーも、モロ、クッキーに非ずの、小さな、籠入りでして。その籠、恰好良くてねえ。気にいったが故に、それにしたですが。
当たり前に、その辺りの、物色、嫁はん主体。自慢やないけどの、アタシにそんな、センス、発見するの、美的感覚あらへんわと。

さりとて、物色するを、嫌では無いです。
少なくともの、お任せに非ず。この程度の予算で、宜しくと。どこでも結構の、調達して来て頂戴の、全面的、委任、委託では無いです。
一緒に物色のです。嫁はんが選定、提案の品なるが、ピンと来るとするのか。そかの、ええなあと。思わん事には、諾とは、致しませんでして。そかと、云うて。女性の使うよな品をアタシが知る訳無いです。

そんな次第の、斯くなるでの。
雑貨の類なんかなあ。アタシに用事、全く無いですが。諸般、嫁はんの説明、コレ、こんな具合に使うのモノなんやと。そかと。
にしてもなあ。バレンタイン・デーのチョコレートとなればの。お徳用チョコレートとは、違いまして。ここだけの話の、相当に高く。基本、それ、相応で無いとなと。
諸般、これと、あれの、2つにしとこかと。
店員に、ホワイト・デーのと。伝えたらならばの。流石は、「高島屋」やねえ。立派とするのか。丁寧とするのか。綺麗な包装してくれてねえ。感謝、感謝やなと。

にしたってなあ。
この、バレンタイン・デーとか、私共、独身時代、若い頃には、マダ、流行ってえへんでねえ。
結婚した辺りの頃から、ジワジワと、流行出したの哉と。
よって、独身時代に、もろた事は無く。オッとの、会社ででもです。義理チョコもです。それがねえ。今時、小学生でも、渡すですて。ゲと。

おませやなあと。
とするのか。色々云うても、日本も相応に豊になったの証左哉と。そらなあ、私共の若かった頃なんか、大体が、金<かね>持ってませんでして。こずかいなんか、もろてませんでして。
流行らせるにも、流行らんかったやろと。
コレ又、紐解くに、流行出したは、1970年代、後半からですて。そやろなあと。

イヤイヤ、会社でも、もらえるよになったは、更に、後になるの哉の、1980年代と違うかと。
そもそもがの、義理チョコが定着致しませんとと。義理チョコなるの、文言、便利でして。義理チョコ重々、広まったが故。義理と、承知が故、会社ででも、気楽と云うたら、気楽の、戴けるです。
本命チョコ、1本やってみい。これは、上げる方も、貰うの方も、真剣勝負哉と。

ほんまやでの。
義理チョコ故、義理の父親として、嫁共から、有り難くも、光栄に戴けるです。
これが、本命チョコ一本で、もろたら、えらい事なれどの。そんな事、有り得えへんわと。

とかとか、正直、母、「リハビリ・センター」入所故、時間、左程に気にもせずの。「高島屋」店内、ウロウロ致しまして。
物色すべきを、物色してしもたら、私共、夜の遅くまで、外出してるの習性、習慣ありませんでして。至って、健全での、ボチボチの、帰るかと。
まずは、7階、「京回廊」の奥手の、案内所に寄りましての。5000円以上の買い物したなら、「高島屋」近在の駐車場なら、2時間無料。「御池市営駐車場」の場合、「高島屋」と提携しててねえ。3時間の無料券を貰えるです。
イヤ、往復するの時間、1時間見てくれてるのやねえ。

での、3時間となればの、「御池駐車場」の駐車料金、1500円也でして。
これなら、変な話、是非共の、5000円に到達の、買い物する方がと。相成るです。

そんな次第の、3時間分の、駐車券、確保してからです。
地下では、夕食の弁当買い求め。オヤツもと。
いやなあ、2人程度なら、下手に食材、買いの、作ってるよりも、安く付くので無いかと。正価では、なれどの。16時を過ぎて来たら、値引き開始され出して。
場合により、近在の年配の方、単身の方、それを狙いの、物色が結構あるらしくの、さもありなんと。
(14/03/25)


NO.1494 余談・雑談・墓参の話(6) 時間と共に、アジア系の声がの話

ホントにねえ。
当世、デパ地下なる、文言ありまして。デパートの地下。
そこは、食料品売り場でして。土産モノから、和菓子、洋菓子。そして、弁当類から、総菜、単品、様々。
はっきりとは、スーパーの、食料品よりは、数段の品数豊富で、上質でして。値も安く。

ホントになあ、近在なら、便利やねえ。楽やねえ。
我が家なら、スーパー・マツモトに行くに、約10分。品数、貧弱、概ね、モノ一緒。売り場面積格段の差もあるし。客数も桁違うかと。

いやなあ、個人的見解、印象なれどです。
「高島屋」の客の年代層。昔、昔の、その昔は、別に致しまして。
私共が、30代に成った辺りからの、客の年代層なるが、そのまま、歳重ねてるみたいに、見えまして。

表現替えたならです。
私共の年代層、上下、5歳、10歳辺りを見たなら、人数圧倒的多数。
30代の頃も。40代になっても。50代、60代になろおともです。矢鱈、目立ってねえ。云うたら、当世、年寄りばっかし。私等辺りの面々、ばっかり。
要は、「高島屋」の地下に行けば、余計に目立ってねえ。

ついでになら、西友にでも、サティ、アル・プラザでもです。一寸した休憩場所。腰掛けるの場所には、我が同年代、もしくは、若干の年配者が目立ちまして。
その昔にも、年配の方、時間潰しなんやろねえ。イツでも、イツまででも、場所陣取ったはったですが。当世でも、一緒。問題は、その人数、増えてまして。我々の年代層、多い故でして。
自身、若い時には、腰掛けるもしませんでしたですが。元気溌剌故での。当世、百貨店をでも、ウロウロしててみい。草臥れるです。手ぶらなら、まだしもの、少々でもの、買い物、荷物、持っててみい。しんどいわと。

オッとの、そんな話は結構の。
「京回廊」の奥手の、案内所で、駐車券の、割引カード申請するにです。
正直には、5000円、3時間分とは、知らんかってねえ。「御池」の駐車場のがです。近辺のと、一緒の、2時間と、思ててねえ。
3時間無料カードもろたら、得した気分になったもあっての、地下に寄りの。夕食の弁当もと。オヤツもと。時間も、3時間ともなればの、少々の余裕もあってねえ。


にしてもです。
その昔、京都に住んでた頃は、便利やったんやなと。
一時、宇治槇島に引っ越したですが。この頃、まだまだ、若く。私がです。又、永住の地と考えてませんでして。そら、家狭くの、13坪やった哉の。息子共、2人になって、鋭意決断の亀岡に引っ越したですが。
コレ又、暫くは、不便は、不便も、左程に感じて無かったですが。こっちが、若いもありの。ソレ以上に、仕事の事、生活の事、家族の事で、頭一杯でねえ。

そして、年々の、加齢と共にです。
亀岡は不便やなと。
そらなあ、まずは、京都に出んならんわと。そこからでして。
JRでなら、並河駅まで、歩いて、約の、20分。京都駅までの、電車賃、400円也でして。往復なら、800円也の。時間喰うしなと。

京都在住の時ならです。
「高島屋」でも、歩いて、小30分。大丸なら、20分もあればと。且つは、道中、諸般、あってねえ。
とりあえずは、駐車場の心配無用。当世なら、地下鉄もあるし。縦横無尽。
兎に角、亀岡では、夜にでも、一寸の用事で、外出するも、行くべきの先が無く。

ほんまやでの。
墓参にしたって、阪急に乗るか、歩くかの、選択でして。歩くに少々、時間掛かるですが。その気なら、市バスでもと。その昔なら、市電があったですが。そんな意味でなら、地下鉄から、逸れると、不便なれどです。


オッとの、トットの。そんな次第の、3時間無料のカードもろてねえ。
ではと、「御池」の市営駐車場になれどの。17時辺りを過ぎて来たなら、河原町通り、行き交う面々の様子、一寸、変と。
何かとなればの、この界隈、河原町通りも、新京極も、若手が多いは、多いけれどの。顔付き、言葉が、日本人離れの。言葉も、ンの、聞こえるが、中韓哉と。イヤ、正確には、知らんですが。
細々、聞き耳立てて、聞いてませんでして。

加えての、通行マナーが悪いわと。
道のド真ん中を数人が歩いたり。道、横切るに、直進の人、無視でして。
いやなあ、我々、道行くに、相応に邪魔に成らぬよに、周辺には、目配り、気配りしてまして。買い物した、荷物も、余所様の邪魔にならぬよに、避けて、避けての、ぶつけぬよにと。
してるのにの、日本の若手も、中韓のも、傍若無人の、我れ感知せずの。我が道行くでして。
はっきり申しの、この手、人通りの多いの場所、繁華街を歩くの、コツ、常識知らずでして。

にしても、過年、旧知のが、申してたですが。
河原町界隈、子どもの世界と。
我々が若い頃、子どもの頃には、夜近くも成れば、繁華街からは、遠離ったですが。理由、たむろするは、不良でして。不良と、見成してまして。
これが、当世、若手が増えて。アジア系外人増えて。様相一変。

云うたら、京都の町も、品行不公正、下品に成ってしもたなと。
イヤ、そんな意味なら、その昔には、夜ともなればの、喧噪の場であったですが。誰かに、追われて、走るのヤツが珍しくも無くて。
そらなあ、ここだけの話の、元々が、繁華街ともなればの、ガラのええの界隈でも無く。裏手に回れば、色々あってねえ。
余計に、子どもの近づくの場で無かったですが。

只なあ、それは、それなりにの、秩序があって。マア云うたら、こっちが、相手せぬ限りは、平穏無事。
ところがです。近年、外国語が交わるに、私共でも、身の危険を感じまして。とは、聞いてましての。ほんまやなあと。
とかとか、思いの、約の、15分で、「御池」駐車場に到着したです。料金、丁度の、1500円也の。駐車カードで、きっちりでして。
嗚呼、良かったなあと。
(14/03/26)


NO.1495 叔父嫁の墓参の話(1) 道、間違いっ放しの話

過日、3月23日<日曜日>。お彼岸の時期。
ハタと、父方、叔父宅にでもと。
イヤ、叔父嫁の、建墓成ってる筈でして。墓参でもと、思い立ち。

折角故、妹も誘いまして。ならばの、妹婿の都合もあっての、元々が、22日<土曜日>を予定したですが。23日にと、相成って。
正直には、この日、23日には、町内会の、期末総会があってねえ。夜の、20時から、なれどの。余り、ゆっくりもしてられへんなと。一応は、来期、4月よりの、次期役員当たってまして。
当たるも、組長<支部長>故、その他大勢、気楽な役なれどです。
且つは、諸般、番狂わせの、一期、早<は>よなってねえ。
イヤ、本来ならばの、次々期が、順番通りなれどです。

オトトの、その話は、別途に致しまして。
当日、朝二番。10時頃、自宅出発。
いやなあ、ここだけの話の、過日、戴いたの、ポータブル・カー・ナビを取り付けまして。ポータブル故、ゴムのベースをダッシュ・ボードにぺたりの、取り付け治具の吸盤で、固定するだけでして。
叔父宅、予めの登録してまして。後は、ナビ走行にするだけでして。
<参考=「単なる雑談NO.106」NO.1324 ほんまかいな。ほんまやでの話(2) カー・ナビもろたの話

云うてもなの、変な話、殆ど、見てませなんだです。
イヤ、誤解されては、困るの、正直には、高がの、妹宅に行くに、度々の、迷てまして。帰りも、曲がるべきの信号で、そのまま、行ってしもては、恥ずかし乍らの、京都市内で、迷子になったり致したです。
市内も外れなれどです。
ならばの、何故に、殆ど、見ずかとなればの、設置してるだけで、安心感あってねえ。少なくともの、迷子には成らんわと。
<参考=「単なる雑談NO.77」NO.1032 方向音痴自慢の話(6) 迷子になるの話


以来、昨年にも行ってまして。
回数重ねれば、重ねる程に、幾ら、何でもの、相応に失敗したの辺り、原因分析、注意致すですが。
目的地、妹宅に非ずの、叔父宅でして。

叔父宅もなあ。過年、その時、迷子に成ったの時、道、間違おてねえ。苦労したですが。
イヤイヤ、その時も、妹夫婦と一緒でして。我が愛車での事でして。
話簡単には、一昨年、行ったの際には、道間違いっ放し。冷や汗連発。
云うたって、京都でして。間隔長くなりの、感覚、鈍りの。されどの、何度も、何度も、行ってるの先でして。決定的、迷子には成らぬですが。

そんな次第の、斯くなるでの。
「赤池」交差点から、油小路通りまでは、順調でして。只なあ、この通りが、油小路通りとするが、感狂うの元凶でして。
理由、我が、京都時代の、通り名が、仏光寺通りの、油小路でして。油小路通りなるは、そんなに広くも無いの只の道。「小路」でして。それがなあ、この界隈の、油小路ともなればの、真ん中には、高架で、有料道路、「阪神高速8号京都線」なるが、走ってまして。
走るも、十何年かが、経ってるですが。

兎に角、宇治槇島に居て、通勤してた頃の景観とは、全然の違うしなあ。
ここだけの話の、他言無用の、この油小路から、大手筋を左に曲がるにです。ここか、ここかと、迷いつつの、大手筋を間違おてねえ。伏見署の信号の処で、曲がってしもての、えと。
曲がったの先、道が、狭なってて、嗚呼、間違おたと。
もしかしたらの、前回も、ここらで、間違おたの気がしてるですが。
そもそもが、こんな場所に伏見署あったを知らんですが。

それなら、カー・ナビ、見ればええのにです。
再度の、ここだけの話、見てて、間違おたんやと。画面見慣れてませぬ故。

での、大手筋にさえ、入れば、任せて頂戴の。後は、云われんでも分かるの、この道、この道、曲がって、橋渡った、そこでして。
嫁はんが、ケータイ一発、今、着いたと。当然の、それ以前、接近した辺りででも、ケータイしてるですが。家出発の際にもしてるですが。
私の方なら、適当なるの場所に車駐めて、ソバの公園の公衆トイレにて、オシッコをと。
いやなあ、妹宅のトイレ借りるも大層でして。上がらんならんしなと。上がってしもたら、又、多少なりともの、時間喰うしなあ。

での、煙草一服。ケータイ灰皿持参故の、気楽に吸うてて、ハタと、車見たら、妹夫婦、車に乗っててねえ。ンの、そんなに早かったんかと。
一服吸うてしまうまで、暫し、待ってて頂戴の。デハ、出発進行の、さての、昼食も、簡単に済ませるがため、そこらのコンビニにて、弁当買うにしてまして。
叔父も、現在、独り暮らし故に、叔父の弁当も、買い求めの、お茶だけ頼むにしてまして。
オッとの、京阪、「中書島」駅の手前に、「ファミリー・マート」があってねえ。早速にも、ここで、調達しとこかと。オヤツも、お供えも買い求め。お供えは、仏壇にでして。

買い求めてから、叔父には、ケータイ一発。これより、妹宅、出発すると。
ならばの、着いたら、そのまま、墓の方に行こかと。お参りしてから、上がるにしよかと。そやなあと。


そんな次第の、斯くなるでの。
「外環状線」から、国道1号線に出て。後は、ひたすらの、男山なれどの。
これがなあ、又、間違おてねえ。
少々、手前の信号にての、右手にと。
基本、国道1号線の、右手で、間違い無いですが。前回、一昨年には、行き過ぎてねえ。往生したですが。その反省あっての、反省し過ぎの、手前を曲がってしもてねえ。

ならばの、カー・ナビ、見たらええのにです。画面見慣れてませんぬ故、ついついの、無視しただけでして。
只なあ、叔父宅、設定してるし、こっち、こっちと、示してくれてねえ。楽やねえ。安心やねえ。

とまでは、結構の、道中、工事しててねえ。困ったなあと。迂回も結構なれどの、進行方向に間違い無い筈の。真っ直ぐでして。イヤ、周辺の道には、覚え無いですが。
そらなあ、叔父宅も、従前、1つの道しか、覚えてませんでして。そこからなら、スとは、自信無いもののです。景観替わってるの可能性あるがための。されどの、左程の、狂い無い筈なれどです。
知らんの道では、カー・ナビだけが頼りでして。

やっとで、通過で、こっち、こっちの、あっち、そこと、示すが通りに進みましての。ンの、見た事あるの場所発見の、ここやなと。
流石は、カー・ナビ、凄いなの。叔父宅、アパートの、駐車場所がそこでして。見つけまして。
されどの、そこは、予約とするのか。決められたの駐車場に非ずの、ここで、叔父にケータイ一発。着いたけどと。

ならばの、叔父曰くに、そこで、待っててくれと。
ハイ、承知の、車の中から、嫁はん、婿、妹、曰くに、場所違うのと、違うかと。ンと。
アパートの棟の、ナンバーが、違うでと。へえと。

イヤイヤ、近くに間違い無いですが。数字がチョとだけ、違てましての、嗚呼と。ンと。
そやそやの、叔父、棟の月極駐車場をば、借りてたなと。
ここからは、詳細、省略の。モ一発、間違いの。そこから、出たところで、叔父とばたり。

我々、下に居てる筈が、見えへんでねえ。もしかしたらの、以前の駐車場、予約の居るの場所と、間違おたかと、見に来たですて。
ンのそれで、正解でして。
叔父も、我が性癖、性格、方向音痴を良くの承知してるなと。
(14/03/27)


NO.1496 叔父嫁の墓参の話(2) 水月寺の話

そんな次第の、斯くなるでの。
叔父を車にで、カローラにで。
5人して、墓地に行くになったですが。兎に角、表通りに出てくれと。ハイ、承知と。
出て、左に進路を取って、スグにも、ここやと。ンの、モと早くに云うて頂戴の。適当なるの場所で、迂回しの、表通りを戻ったならばの、「水月寺」の看板あって。そこですて。へえと。

そこ、云われても。その、そこに非ずの、その道から、行くの、そこ。
狭い通りを、叔父の指示のままに進めば、すぐにも、あってねえ。只、駐車場があるものの、三台、四台程度しか、置けませんでして。その片脇にも、車が三台。困ったなと。先に行けば、「水月寺」の正門あって。そこにも、車一台、駐めたあってねえ。

まあねえ、お彼岸の時期だけに、墓参の面々多いの哉と。云うてる場合で無いの、車を駐めねば、行けませんでして。適当に、方向転換。先の駐車場付近に戻ったらです。
誰なんやろねえ。単に、墓参の方なんやろかねえ。
空けるしと。
意味なるは、駐車場に駐まってるの、三台の内の一台の所有車らしく。へえの、有り難う御座いますの。
サテの、出て戴くには、相応に、出易くして差し上げん事には、出られませんでして。とする程に、狭い道でねえ。その駐車場の辺りの一角だけが、やや広く。
とりあえずは、こんな場所で、車が一台、来たら、忽ちにして、何としてでも、道空けたげんと、通過が出来ませんでして。

そんな事で、皆を車から、降りてもろて。先程のが、出るを待ち。出たら、その方、曰くに、ドンと、奥までは、詰めてもらわんでもええけれどと。前に車が、モ一台、駐められるよにしといてなあと。
ンの、この方、寺の関係者哉と。

ででの、云われた通り、ドンと、奥までは、詰めず。前には、車一台、駐められるよに、したですが。イヤナア、その程度の広さはあってねえ。前に駐められても、その駐め方にも、寄るですが。配慮して駐めてもらえれば、横手に車があっても、出るは出来るです。

そんな事で、車は無事に駐車場に駐めまして。デハと、先程の寺の正門になれどの、石段上がれば、概ねの寺の雰囲気、伝わるですが。案外にと、云えば、失礼乍らの、思てたよりも、落ち着いた、広い、寺でねえ。景観、良くてねえ。フウンと。

いやなあ、過日、過年、まずは、墓地だけ、買おたかやに、聞いてたですが。これは、叔父嫁、他界以前から、云うてたですが。その頃には、買おたか、買うのツモリであったかは、失念なれどです。
他界した頃には、買おてまして。

只なあ、夜には、灯り無く。ダアレも居て無いのでないかと。よって、話、全然の進まんみたいに、云うてたですが。
印象的、ええのかと。管理が、杜撰でないかと、思てたですが。内実知らんですが。整備さえしたら、立派な寺でして。

イヤ、寺の境内に入っても、墓地には、少々距離あってねえ。石畳の、通路を行き。坂道、石段上がった処に、そやなあ。墓石、400基程度やろかなあ。コレ又、案外に、広いの墓地でして。へえと。
そして、「河波忠兵衛」の看板あってねえ。
当家、東本願寺祖廟の、「柴田家」のも、ここでして。墓石見ても、違和感無く。

いやなあ、そら、諸般、あるです。
墓石は、墓石なれどの。パと見、一緒でもです。流派とするのか。業者により、様々でして。当然の、寺の宗派によっても、多少の違い、あるですが。

での、あそこと、聞いたの場所の真向かいには、先客あってねえ。
幾ら何でもの、真向かいに墓参の方あれば、そちら優先の、割り込む訳にもでして。そちら様、50代の夫婦と、20代の息子やろねえ。息子、松葉杖故、足を骨折でもしてるの哉と。

そんな事で、暫し、待とかと。先客、終わるまでと。水は、準備してまして。片脇に置きの。邪魔に成らずの、少々離れたの場所で。墓地は、墓地なれどです。まさかの、真横で、待つは失礼千万の、急かすみたいやしと。
余程に、周囲に、目配り、気配りせねば、我々御一行様、5名様が、待ってるのを、分からんの距離取りまして。
これがなあ、せめてもの、二基分、墓石が離れてるなりなら、横手になっても、墓参に向こたですが。先の通りの、真正面でして。先様、3名。こっち、5名では、双方、気を使うわと。

いやなあ、斯くなるでの。
そこの奥様、結構、丁寧なるの、墓参。
ご主人も、なれどの。周辺の、雑草なんやろかなあ。掃除したはってねえ。正直、ナカナカに終わらんでねえ。息子の方、松葉杖のは、早々に消えたですが。
こっちも、雑談等々、し乍らもです。そっち方向、マダか、マダかの。マダ、終わらんかと。チラチラ、見るしなあ。そらなあ、終わりそで、終わってくれませんでして。

その他の墓参の方も、三々五々、現れ、又、消えて。とは云え、車も、総勢、7台程度での。墓参で、長居は致しませんですが。
ここだけの話の。こっちは、待機してるもののです。新手が、又、「柴田家」の墓のソバやってみい。その方が、上手い具合に、先客、退散の、即の、陣取らはってみい。こっちが先やと、文句、小言一発もなと。

その辺りの様子にも、注意しつつ、先客の墓参、マダ、終わらんかと、チラ見してたならです。オッとの、別段の、目は会わしてませんですが。ご主人の方が、察知したみたいでねえ。
待ったはるのと違うかと。奥様に、早<は>よせえと。
イヤイヤ、墓参は終わってまして。掃除をしたはるだけなれどの。先の通りの、丁寧でねえ。丁寧で、結構なれどです。

気が着いて戴ければ、それは、それで、結構でして。
イヤ、構いませんですよと、返答致しまして。奥様、嗚呼、すみませんの、モ終わりますと。
の声聞けば、さあと。移動の、そちらの方えと。嗚呼、こちらですか。すみませんねえと。奥様がです。
そら、隠す事も無いの。真向かい故、遠慮したが、分かって戴くも構いませんでして。二基も、三基も、離れてて、待機してたら、考え過ぎなれどです。

そんな事で、やっとで、本番。
墓石は、叔父らしく、周辺のとは、違いまして。結果、当家、「柴田家」のとも、形式異なってまして。まあ云うたら、黒御影石の、石版でして。ナカナカに、恰好ええなあと。落ち着きもあってねえ。

費用も可成りしたらしく。
墓地だけで、百万円とかとかでして。
正直には、東大谷祖廟の、墓地、借地権なれどの。よりは、少々安いですが。そらなあ、場所が違うです。
その観点からなら、高い哉と。
とは云え、ここなら、叔父が歩いて、15分程度哉の。適当なるの、場所でして。理想的でして。
只なの、寺の正門前までは、容易でもです。正門から先、石段あってねえ。当年、来月、4月には、85歳の叔父には、少々、辛いモノがで、転けたら、アカンでと。
イヤイヤ、道中、冷や冷やしたわと。
(14/03/28)


NO.1497 叔父嫁の墓参の話(3) 昔の話

そんな事で、先客の墓参、終わりまして。
叔父家、入ってるは、叔父嫁1人なれどです。当たり前に、同じの、「柴田家」でして。まあ、云うたら、分かり易い墓でねえ。黒御影石の石版故で。周辺には、あらへんしねえ。

での、バケツに一杯の水は既に、準備してまして。
さての、墓掃除なれどの。要領がなあ。
我が家、当家のなら、し慣れてるですが。場所が違えば、よくよくの見れば、構造違い。道具も、イツものとは、違うしなあ。
イヤ、花も、ロウソク、線香も、叔父が準備してると、云うてたですが。タワシが無いなあと。花立の構造、ホボの一緒なれどです。中を掃除するのタワシが無いし。外した花立を水洗いするに。捨てるの先がなと。

いやなあ、当家、東大谷の、「柴田家」の墓は、都合のええ場所にあってねえ。一軒置いてと、するのか、墓一基置いての先には、溝がありまして。汚れた水はそこに、捨てるですが。
そらなあ、墓石周辺には、汚いのを捨てられませんでして。
どこにと、ンのあったです。低いブロック塀の先、一段下がった、通路の手前に、溝がです。

そこなら、二軒と、するのか、二基先でして。オッとの、正確なる墓の数、覚えてませんですが。
叔父、普段、どしてるの哉と、墓掃除をですが。思いつつです。こんなモン、難しい流儀もあらへんわの。出来るよに、したいよに、したら、ええだけでして。我が流儀に合わせてもらうなら、タワシがなあと。
今、ここに無いなら、無いなりに、処理しな仕方無く。

いやなあ、タワシが無いと、水掛けて、墓、掃除するにしたって、モノ足らんでねえ。水掛けるだけではなあと。思いつつの、目立つは、枯れ葉が、周辺に多くてねえ。気になって、気になって。これは、手で取るしか、手段無く。
成る程の、先客の夫婦が、手間取ってたも、これやなあと。
東大谷のでは、これは、そんなには無いです。むしろの、カラスの糞掃除が主でして。枯れ葉よりは、雑草取りでして。

オトトのなあ。
墓の横手、後ろを掃除するにです。墓の台石とするのか、乗らんと、行けへんでねえ。それも、敷地とするのか。「柴田家」の台石だけに乗るは無理でして。偶々の、横手が墓石まだでして。
悪いけど、そこを土足で、失礼おば、致しまして。墓石の裏手にも、水掛け、叔父持参の布巾で、掃除して。
裏手にも、枯れ葉が目立つ故に、掃除して。

兎に角、一々の、要領が違てねえ。
そらなあ、自家のでも、他家のは、尚更にです。台石に乗るは、気が進まんですが。裏手には、背中合わせに、墓石あれば、そでもしん事には、洗えませんでして。

事程左様の、本来ならば、掃除するは、叔父なれどです。来月にも、85歳の叔父に任すはなと。ここに、従兄弟でもが居てたら、それに一任致すですが。そら、家々に、やり方、あるやろしと。
ましてやの、この顔ブレでなら、叔父に、叔父嫁に、一番に近いとするのか。叔父嫁に、一番に接してたは、私でして。

そらなあ、結婚式にも、参列してるし。それは、我が学生時代でして。最早の、47年経つのかの。オッとの、平成20年12月他界故、42年の付き合いでして。フウンの、5年が経つのやなと。
時の過ぎる、経つは、早いなあ。それだけ、こっちも、歳喰たんやなあと。
<参考=「不可思議の世界NO.5NO.6NO.7」叔母の話>

いやなあ、この叔父、私が、中学時代までは、同居してまして。
高校進学の時、出てったの哉の。上鳥羽の方に下宿したです。祖母とは、何回、行った事かと。連れられたかと。まあ、云うたら、護衛みたいなモンやった哉と。私がです。
1人ででも、お使いにて、ミカンを持って行ったり、何しに行ったりと。

ミカンねえ。
今思えば、祖母の親心なんやねえ。沢山では無いの、三つ、四つでして。ミカンがや。
頼まれ、何の邪魔くさくも思いませんでして。そんなモンと、思てまして。お使いがです。

お使いねえ。当世、子どもに、孫に、お使いなんか、させるの親、祖父母、居てるですか。
テレビでやってますやんかの。初めての、お使いですて。これは、小学生にもまだの小さい子に対してなれどの。我々の時代、そんな当時より、当たり前にやってた。やらされたの、常識でしたですが。

そらなあ、小学生時代までは、近所なれどです。
中学生にもなったら、京都市内なら、行かされたです。行ってたです。アルバイトもしてたしなあ。

当時と、今時では、世間の目が違うですが。
今時では、一寸、離れたら、どこの子か、分かりませんでして。下手したら、同じの町内会の子でも、知りませんでして。
当時はなあ。沢山の目があったです。当人には、分かってませんですが。私がどこの子かです。

後刻、後日、近所の小母はんが、たけちゃん、イツイツ、どこそこに居たなあと。あんなとこまで、何しに行ってたんと、問われたりで。又、こっちも、どこそこの小母はん、見てましたり。
話簡単の、下手な事、出来ずの、云えずの。良い意味での、監視の目多かったです。
反面、安心感もあったですが。

反対には、繁華街にでも、出没してみい。新京極の、ゲーム・センターにでも、入ってみい。一発、不良扱いされるぞと。
或いは、あの子、不良やし。付き合おたら、アカンでと。注意されたり、致しまして。余所の、小母はんからです。
とまあ、一発では、日頃の行い、評価もあっての、決め付けられませんですが。度々ではなと。

そんな事なら、余計なるの話。高校生時代に、新京極の土産モノ屋に一時なれどの、アルバイト店員したですが。夜でして。店主が、知り合いでして。親父のですが。
毎日、毎日、行けば、往復の市電の切符をくれまして。それでも、道中存在の、ゲーム・センターには、一歩たりとも、入ってませんでして。
正直には、入っても、金、一銭たりとも、持ってませんでして。市電の切符だけ。
での、余計なるの話の、1箇月のアルバイト料、500円也でして。

ほんまやでの。
ゲーム・センターで、遊べるのヤツなんか、金持ちでして。金持ちの子でして。金あるから、出入り出来まして。無いなら、強請、集りしてるわと。結果、明々白々の、不良でして。
そんな、中学生や、高校生の分際でです。
との、概念、常識でして。当世でも、一緒と、思うですが。

オッとの、墓参で、何の話をしてるの哉と。
叔父との付き合い、長いんやと。長く、同居やったんやと。結婚式にも、参列が、学生時代の、二十歳の頃やったんやと。
以来の、叔父嫁との、付き合いでして。
オトトの、今更乍らの、計算上、叔父、晩婚やったんやと。
トトトの、親父の、兄弟、皆、晩婚なれどです。
(14/03/29)


NO.1498 叔父嫁の墓参の話(4) 結婚式の話

そんな事で、ハタと。
イヤイヤ、叔父家、墓掃除し乍らです。
そこまで、細かくは、見てなかったなあと。
いやなあ、墓掃除の光景、見てませんでして。そもそもが、したてのやろかと。

他家で、承知の墓となれば、まずは、嫁はんの里。義父の墓があるですが。墓掃除してるのを知りませんでして。
イヤイヤ、行く度故、毎年、お盆の時期、8月には、行ってるですが。私は、傍系故、指示されるがままの、順番も最後やしと。基本、嫁はんの実兄、我が義兄なり、姉婿に任せてまして。
そもそもが、私が出しゃばるの、位置に無く。
単に、最後の方で、数珠持って、拝むだけ。拝むも、火の点いた線香戴き、墓のしかるべくの場所に乗せるだけ。
花なら、義兄なりが、持参してまして。

母方のも、そでして。年会では、墓参もするですが。母には、2人の兄居ててねえ。
そこが、取り仕切ってるが故、私は傍観者でありの、矢っ張り、出しゃばるの、位置に無くの、末席でして。
当家、柴田家の年会では、声も掛けへんしねえ。大体が、母方の従兄弟も、上の伯父も、我が家に来た事、あった哉と。下の伯父なら、近所でもあって。山伏もしてまして。ふらりと、寄ってくれたですが。
私なら、そっち、下の伯父宅になら、中学校の通学路、途中でもあっての、ふらりと寄ったりもしたですが。
云うたら、上の伯父宅にも、母と一緒に寄ったりもしてたですが。そっちから、我が家には、来てへんぞ。来てくれてえへんぞと。

そもそもがの、京都の我が家は別としてです。亀岡の家を承知してるは誰やろかと。
母方のでは、上の伯父の長男は、親父の葬儀の際、一度来てくれてまして。下の伯父の場合、伯父当人が来てくれて。長男、来た事、無いぞと。長男、来ずに、次男が来る筈も無く。京都在住でもあらへんしと。神奈川でして。オッとの、京都に居た頃でも、来てくれてえへんけれどや。

オトトの、そんな話では無くの。墓の話なれどの。
母方のは、「妙満寺」でして。そこに、両家のがあってねえ。年会の度、葬儀の度とするのか、お参りしてまして。柴田家代表としてです。声掛かれば、一切の、欠席致しませんし。万難排しの、都合付けて。それこその、その立場故。

まあなあ、母方の法事に、妹にまで、声掛けるもなと。
柴田家のなら、声掛けるですが。此度も、同様でして。
そんな事で、妹婿家の墓、知りませんでして。声掛かりの、呼ばれたら、法事にも、葬儀にも、参列してるですが。
結果、他家も、此度の、叔父家ので、3箇所でして。承知してるのがです。尚、母方のは、二家も、同じの場所故、1箇所扱いなれどです。

そんな事で、柴田家なら、私が主導もあるですが。
他のはなの、当方、傍系でして。掃除してよが、してへんでも、気もせず、付いてえへんでねえ。ハタと、してへんかったと、違うの哉と。精々が、墓石に、水掛ける程度と、違うかったやろかと。

オッとの、当家、柴田家のなら、月参りで、タワシ持参。
花立の水を交換の、中も、水洗いしの、タワシで、擦ってるですが。その汚い水を、ソバの溝に捨ててまして。墓が都合のええ場所にあるなあと。つくづくの思うですが。
又、ソバには、ゴミ籠もあってねえ。墓地のです。古い花なり、残存の線香あらば、そっちにほかし。抜いたの雑草もです。

での、叔父家のは、どするやの。
花立の、汚いの水は、やっぱり、溝に捨てたですが。掃除、一応終わって、線香なれどの。その前に、ロウソク立てがあらへんでねえ。ンの、当家のは、どやったかなあと。
墓石事務所に、別売のロウソク立てを売っててねえ。千円やった哉のを、墓石に置いてるですが。それが、あらへんでねえ。無いのに、叔父、ロウソク持参してまして。へえと。

ここでも、まごつくですが。
我が家流なら、基本、家族の人数分、11人故、11本の線香をば、線香立てに立ててるですが。立てるは、墓掃除したモノが、代表してるですが。ンの、線香立てが無いけどなあの。中央香炉にあったですが。
これは、四国、義父の墓石と同じの方式かと。
要は、立てずに、横向けに置くの方式でして。フウンと。

デハと、叔父に、どんな具合にしてるのかと。
義父のなら、墓参の面々に、例えばの、線香2本ずつ、火の付けたのを、手渡してるですが。そんな事にこだわらずの、適当なるの、本数に火点けて。誰かが、香炉に置くも良しと。
こんな事、何が正しいもあらへんわと。
主役であるの、所有者が決めれば、ええ事でして。四国のなら、そちら様の方式に従おてるだけで、一切の口出ししてませんでして。するの事で無く。

ででの、叔父曰くの、ロウソク立てあらへんしで。ライターなりで、線香に火、点けてくれと。ハイ、承知の、渡されたの分。何本かも知らんの、全部かと。ンの、家に、まだあるしと。そかと、全部に火、点け。まとめて、香炉にと。

斯くしての、拝むの順番なれどの、叔父、私が一番にやれと、云うが故、ならばと、嫁はんから、数珠、受け取りまして。
諸般、思うが事、叔父嫁に伝えまして。

ンの、何を伝えたかなあ。
来たでと。やっとでなあと。にしても、早いもんやねえと。
5年が経つのやねえと。5年も、年号で、云えばの事で。実際には、平成20年12月、他界故、4年と3箇月やけどなあと。
にしても、一寸、早かったなあと。70歳に成るか、成らんの、頃やねえ。当世、70歳は早いなあと。とかとかと。
引き続きの、嫁はんが、妹が、妹婿で、叔父が、拝みまして。

叔父曰くに、先日には、叔父嫁の、姉が、墓参に来てくれたですて。そかと。
そっちの方が早かったんやと。血分けたの姉妹でして。こっちは、血の繋がりは無く。正直には、叔父がどしてるの哉と。独り暮らしに成ってるしと。
その話は、叔父宅に戻ってからにで。

皆が拝んでるの間には、ハタと。
叔父の結婚式の時の様子、想い出し。
私なら、学生故もありの、学生服でして。それしか、着るモノ、ありませんでして。又、学生服は正々堂々の、立派な正装でして。

いやなあ、祖母、大反対でねえ。末の息子故でして。祖母も、気性激しく、自分に正直でして。隠すが出来ませんでして。
云うても、一旦は、賛成したが故、結婚式に相成ってるですが。
どこで、式上げたかまでは、記憶してへんですが。当然の神式でして。

先様、親族に挨拶しに行くに、嫌と。
そっぽ、向いてねえ。式に出るも嫌と、駄々こねてねえ。頑として、動かんでねえ。
いやなあ、式場の案内係が、式場に入れと、促してるのにです。よって、私、祖母をば、一生懸命に、説得致しまして。
説得も、祖母でして。孫でして。年齢も若く、難しい話、よ致しませんの。只々、そんな事、云わんと、席についてえなと。頼むしと。
その繰り返ししか、云う事、あらへんわと。
(14/03/30)


NO.1499 叔父嫁の墓参の話(5) 結婚当時の話

そらねえ、当世と違いまして。
祖母には、相応の威厳、尊厳ありまして。私共、意見の喰い違いあれどの逆らう事、一切致しませんでしたですが。
私共なら、ぼろくそでして。親の値打ちなんか、無いけれどや。

祖母駄々こねて。
親父も、母も、上の叔父もです。困った、困っただけでして。私も、困ったなと。されどの、こんな場で、ここまで、来てて、ワテ<私>、反対やと、云われてもなあ。
との、光景、鮮明に覚えてるですが。
その場に、主人公、新郎の叔父が居てたかは、定かに非ずの。もしかして、着替えなり、別室にの可能性あるですが。

勿論の事、祖母、不機嫌なままに、式には出たですが。
さもなくばの、結婚式、どなってたかと。教会式やあるまいにの、男でも無いの。この結婚に反対と、祖母が、息子であるの、新郎を拉致も出来ませんですが。
又、式場で、祖母が、ワテ、反対やと、大きな声で、ぶちこわすも、してませんですが。

そら、当時の私、二十歳でしたですが。
祖母の気持ちは理解してまして。叔父は、末の息子故でして。自分の手元から、離れるのが嫌なんやと。
そんな事なら、私も同様でして。叔父が、見も知らんの、よお、知らんの、人、女性に取られるみたいな、気になってたはあるです。高校生時代より、別居にはなったですが。長年一緒に暮らしてまして。
よい、遊び相手してくれて。

小学校、高学年、5年生辺りかなあの。算数を教えてくれと、教わった事もあったです。
とりあえず、分数が分からんでねえ。
叔父に教わり、理解したのか、俄然の、初の百点取ってねえ。以来、算数好きになったかの。算数のみなれどの、突然の、常に百点。はっきりとは、それまで、劣等生のレッテル貼られてたの筈のが、私が満点取れずは、問題が難しかったんやと。1つの、基準にされたり出して。我れ乍らに、へえと。

それまでは、勉強になんか、全くの無関心の。成績なんか、先生から、親から、褒められた覚え無く。
まあ云うたら、勉強に欲無く。遊びが一番での。学校から、帰ると同時に、遊びに出てたです。唯今と、云うと、外に出るが同時やなと、親から、祖母から、云われたモンでして。
当時には、外で遊ぶが主でして。車少なく、子どもが遊ぶのビー玉、メンコ、ケンケン、陣取り合戦、スイコンと云うたかなあの。何の遊びであったか、あってねえ。足で、やるの、ジャンケンやったのかなあと。
イヤイヤ、よお、覚えてませんですが。そらなあ、ベビー・ブーム世代でして。隣近所に、同級生、1つ上、下のが、ウジャウジャでして。遊び相手、探すに、誘うに、不自由無く。
大体が、家の中で遊ぶのオモチャなんか、持ってませんでして。買おてもらえませんでして。貧乏故。


オトトの、そんな裏話であるのか。その場に叔父が居たのか。
その内の、いつか、確認したいなと。思いつつの、その日も、忘れてしもてねえ。
ほんとにねえ。私にとっては、重大事件でありの、記憶鮮明も、果たしての、親族の誰が、覚えてるかの話やしと。
結果的、叔父は無事に結婚式挙げ、息子1人、我が従兄弟なれどの。まあ云うたら、良い家庭を築きの、その息子も、結婚しの、独立致しまして。叔父宅のソバで、住んでまして。孫も2人、居ててねえ。
云うたら、その嫁が、早くに逝ったが、番狂わせだけでして。


まだ、あるなあと。
結果的、先の話も、叔父にはしてませんですが。
この話も、してませんですが。
この話とは、結婚して間無しに、祖母と一緒にとするのか。叔父が住むの、アパートに行ったですが。
場所が、よお、分からんでねえ。百万遍の、辺りとは、承知してたですが。

いやなあ、当世なら、ケータイもあるけれどや。当時、ありませんでして。電話一発も、叔父宅、マダの時でして。ドア、コンコンの、大きな声で、来たでと。居てるかと。
正直、瞬時、嗚呼、叔母も居てるのやなあと。
上鳥羽に下宿の時代には、コンコンも無くの、離れに居たのかの、部屋に、直行でして。叔父、多分なら、コイル巻きの、内職してたの哉の。生活費の足しにするがためでして。
巻くの電線で、手が相当に荒れてたですが。

上鳥羽時代には、特段の遠慮も無かったですが。ハイと、女性の声、返事が聞こえてねえ。
オッとの、結婚してたなと。当たり前は、当たり前なれどの、違和感あってねえ。
開いたドアの先の、叔母が、私共見て、ビックリの表情したを、覚えてるです。先の通りの、電話が無くの。連絡出来ませんでして。

それもあるし。
上の、叔父の時。高校生時代であったかに、南区の、映画館、南会館のソバのアパートなれどの。これは、祖母のお使いでの。ミカン持参で、訪問したですが。叔母に、散らかしてて、ご免ねえと。
又、叔父、部屋の中で、上半身裸で寝ててねえ。熟睡でして。
叔母が、ソと、毛布掛けたのが、違和感あってねえ。腹立たしく思えてねえ。ンの、その瞬間、叔母に、叔父取られたなと。

イヤイヤ、叔父達とは、長らくの同居してまして。一寸、歳の離れた、兄的存在でして。
兄取られたの気分での。ついには、下の叔父まで、取られたなと。

この時、過日の、結婚式での、祖母の気持ちがシカと。
祖母にしたら、兄で無く、息子でして。さぞかしと。憎たらしいの、嫁共め、でして。こっちにしたら、叔母共め、でして。

まあなあ、いつまでも、そんな気では居てませんですが。
叔父達の嫁。叔母も、私を相応に大切にしてくれて。行けばでして。
その辺り、上の叔父は、余り、我が家には、戻りませんでしたですが。
下の叔父は、夫婦で、良く戻って来たです。戻れば、諸般、8ミリのフィルムで、自分達を撮したの映像を見せてくれたりしましてねえ。見るに、部屋、暗くしの。そこらの、白い布を引っ張り出しての、スクリーンに致しまして。

時には、祖母に、お小遣いをと、手渡したりは、下の叔父。
さすれば、祖母、感涙の、有り難う、おおきにと。

いやなあ、ここだけの話の、長男のバカバカしさを思い知ったも、この時なれどです。この場合の長男とは、我が親父の事でして。
オッとの、祖母に、お小遣いを上げてくれるは、我が事、同然の、嬉しいですが。そんな気があるだけでも、叔父は親孝行やなと、評価しつつです。

トトトの、こんな話、叔父達に、した事、無いけれどや。
叔父達は、叔父達なりに、精一杯の、親孝行してたは、承知してるです。裏返せば、叔母達がえらいんやと。
程度の道理、当時の、私でも、分かってるわと。
(14/03/31)


NO.1500 叔父嫁の墓参の話(6) 親戚筋の話

いやねえ、上の叔父の娘。我が従兄妹なれどです。
これが、当家、墓に参ってくれてるですが。この下の叔父の墓にも、参ってくれてるですて。へえと。えらいなあと。
当家のに、参ってくれてるの頻度、どの程度か、定かで無いですが。可成りの頻度と思うです。少なくともの、盆正月。もしかしたら、3箇月に一度と違うかと。
私共、この時が、初でして。負けたなと。
墓参に、勝ち負け無いですが。

いやなあ、話の通りの、この従兄妹、私が高校生時代に叔父結婚でして。その長女でして。下に弟居てるですが。
下の叔父は、二十歳頃の結婚でして。長男1人なれどの、柴田の従兄弟となれば、それ程の年齢差あってねえ。ここまで、差あれば、従兄弟は、従兄弟も、一緒に遊ぶ事が無く。
ではあっても、従兄弟は従兄弟で、「ちゃん」付けでして。
間違い無いしで、構いませんですが。

母方のでも、私が一番の年長でして。年長でも、マダマダ、年齢近く。年齢近くとも、小さい頃の、数歳、可成りの年齢差でして。
従兄弟として、喧嘩したり、遊んだは、現在、東京とするのか、千葉の、叔母の息子でして。昔は、大阪在住故でして。

そんな事で、我が息子共が大学生時代までは、叔父達宅には、年始の挨拶で、訪問したですが。
目的、簡単の、息子共にお年玉をやって欲しいからでして。
変な話、年齢差あれどの、向こうのは、我が従兄弟でして。従兄弟に、お年玉はやらんです。やるなら、母でして。その当時なら、母も、若くの、どこえでも、一緒に付いて来てまして。
コレ又、母、渋チンとするのか。お年玉を渡す事をしやへんでねえ。困った人やなと。

くどいけど、諸般、見舞いに、とかとかの際には、母、出費せずとも、こっちが、出すですが。
我が従兄弟のお年玉にまで、こっちが、肩代わりするの必要性無く。この場合、一切の出さんかったですが。当然でして。
この年始の挨拶も、本来なら、叔父達が、我が家に来るべきなれどです。祖母も、親父も居てへんしなあ。

ソラ、そんなモンでして。
祖母が存命故、叔父達も、親に会うがため、来るですが。ここだけの話の、大体が、兄弟仲悪くてねえ。
されどの、叔父達、私は、可愛がってくれまして。当方も、叔父を大切に思てまして。口実、設けては、往来してたです。
イヤイヤ、元々が、親戚付き合いなるは、そんなモンでして。
上の叔父が、他界で、そっちの方とは、やや、疎遠に成ってるですが。年会以外で、会うの事も無くなってねえ。
下の叔父は、存命故、こんな具合に、訪問したり、してるですが。


オッとの、での、墓参故、当家の墓の話もチラとしたですが。
いやなあ、祖父の従兄弟であったか、親しい友人が、当家墓に入ってたの話。その代はそれで良くとも、私共の世代では、無関係でして。苗字は覚えてるですが。顔も、家も知らんでねえ。
その話をしたなら、叔父、意外なる事、云うて。
イヤイヤ、ここでは、苗字、出さんですが。その苗字の方がと、申したならばの、それは、祖父のでは無く。祖母の従兄弟ですて。へえと。

当然の、姓が異なり、私共の世代では、無関係やしと。祖母、存命中に、解決すると、口癖のよに、申してまして。祖母他界した頃には、先様が、墓参してるの気配、消えてたですが。
さもなくばの、墓の新調出来ませんでして。重々、確認出来てからの、昭和59年<1984年>に、「河波忠兵衛」で、墓石注文しの、新調したですが。
そらなあ、ここだけの話の、余所様が、入ってるの墓を下手には、扱えませんでして。触れませんでして。

にしても、祖母の従兄弟と知って、一寸だけ、安堵したです。
従兄弟なら、祖母と血縁あるが故でして。祖母に血縁あれば、私にもありまして。友達関係なら、赤の他人でして。

いやなあ、当世、この手、親戚付き合いも、希薄に成ってねえ。オッとの、祖母の従兄弟まで、手を広げての、付き合うの必要性無いですが。近くなら。又、先方が度々の、我が家に来ておられたとか、ならば、なれどの、全然の知りませんでして。
朧気なるの、記憶なら、祖母と墓参の際、東大谷祖廟で、二度、会おた哉の程度でして。家がどこかも、聞かされてませんでして。

云い出せば、この叔父、下の叔父なれどの。その息子、我が従兄弟なれどの。近在に住むとは、承知の。されどの、家を知らんわと。
イヤ、気のええ、従兄弟なれどです。その子を見たも、叔父嫁の葬儀の時でして。
皆、そでして。
従兄弟の子となればの、精々が、年会で、会うの程度でして。寂しいなあと。
ここで、申せば、当方の加齢と共に、諸般、思うです。この手、親戚付き合いなるを、伝承するに、術が無いです。どんどんと、疎遠に成るです。

その辺り、私の場合は、特殊であったのかと。
大体が、親父が、親戚付き合い、致しませんでして。結果、祖母が、私を、出来るよに、教育したのか。結果的、親戚筋を大切の気持ち、持ち合わせてまして。

そらなあ、或る意味、妹の結婚の際にはです。
私が親代わりみたいな立場に成ってしもてねえ。
妹婿殿の実家には、何度も、訪問してるです。一家、全員ででして。

妹婿の両親故、私にとっては、何になるやの。何に成るのやろねえ。義理の両親でもあらへんしと。単に、妹の義理の両親でして。オトトの、親父様、既に、他界で、お母さんが、妹一家と同居なれどです。

私の立場的、現、妹宅には、一番に行き易いわと。
次ぎが、下の叔父宅での。その次ぎが、上の叔父宅なれどの。そっちの、叔父は居てませんでして。
要は、親父の兄弟では、男山の叔父が、独り、残ってるのだけでして。
母方なら、母と、その妹が、存命で。その配偶者は、皆、他界。

とかとか、云い出せば、我が親世代は、3人だけでして。先の、叔父と、母と、その妹哉と。
その叔父も、4月には、85歳かと。へえと。年齢聞けば、自分も、歳喰たなと。そら、我が母も、5月になれば、91歳でして。
(14/04/01)