シバケンの単なる雑談NO.144
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目次
NO.1710 見舞いの話(20)
NO.1709 見舞いの話(19)
NO.1708 見舞いの話(18)
NO.1707 見舞いの話(17)
NO.1706 見舞いの話(16)
NO.1705 見舞いの話(15)
NO.1704 見舞いの話(14)
NO.1703 見舞いの話(13)
NO.1702 見舞いの話(12)
NO.1701 見舞いの話(11)
NO.1701 見舞いの話(11)
チョとずつ、真相、真意に迫ってるですが。
それは、別として、当方、見舞いで、泣いたは、一度だけ哉と。
イヤ、23歳の時での、祖母が、交通事故に遭遇での、骨折入院したです。
その事、会社、ロームに連絡あって、即の、退社したのか。多分なら、そと、思うですが。
「四条堀川病院」に入院してて。ここは、我が家から、数分、母校、堀川高校に行くまでの、道中。
オッとの、この時には、軽自動車も、購入してたですが。ホンダの、NV時代での。家に、車置いてか、直接に行ったかは、定かに覚えて無いの。多分なら、当時には、そこらに車も適当に駐めるが出来て。
そんな事、どでも結構の。
病室、この時は、個室でしたですが。入って、祖母の顔見るなり、大泣きしてもたです。
これはなあ、生死には、無関係の、家族、それも、大事な、大事な祖母の顔見たら、可哀想な姿見たら、ガマン堪らん以前の、会社からの道中から、既に、泣いてたわと。大丈夫か、大丈夫かと。
それも、祖母の顔見たら、青アザ作ってもての。転けたんやなと。酷い事、されてと。
まあなあ、これは、見舞い的感覚あらへんですが。
あくまでもの、当方の場合やでと。
祖母が、親父が、母親が。
嫁はんが、息子共が、嫁が、孫でもが、入院なりしてみい。コレ、見舞い怪。中身に寄るのけどや。
同居してたの、叔父達が、入院でもしてみ。万難排しの、即の、駆けつけるやろな。オトトの、当方の場合やでと。
叔父達の場合、結婚してもての、家族が居てるなら、その都合もあっての、即に、とは、出来んけど。
ンの、息子共にしたって、既に、結婚しの、独立してるが故、コレ又、少々の距離ある故、即もなと、相成るですが。
母のなら、万事、こちの、判断やろな。行くも、行かんも、息子共一家が、見舞いにも、こちが、同伴やろな。
云うてるの意なるは、反対に、東京の叔母と、妹婿母とは、こちの、気の持ちよが、全然の違うのけれどの、叔母なら、従兄弟の都合に合わせの、婿母なら、妹夫婦の都合やしと。
そこに、こちの、都合との相談でして。
要は、こちの、勝手都合で、見舞いの日、決まらんわと。
オッとの、涙する、せんの話やったなと。
基本、当方、涙脆いわと。ましてやの、祖母の時<死亡>、24歳。年齢的にも、若いわと。素直に泣いてもたですが。
東京の叔母の時には、従兄弟の涙するの情景見て、ンの、コマツタなと。
それに、弱いんやと。
見てもたら、気持ち、重々の理解故、貰い泣きしてまうわと。実際にも、従兄弟と、チョと、場を離れの、別途の場所に移動で、そこで、諸般の雑談するにしたですが。
イヤ、叔母は、母に任せてと、するのか、叔母のカラダでも、拭いたげると、カーテン、閉められた故でして。
場を離れの、従兄弟と、何の話をしたかは、鮮明に記憶してるです。
そのままを掲載しても、背景説明大変故、超の簡単には、彼からは、当家、当方の状況なるが、理想的ですて。
何の事かと、なればの、ズと、親と、同居がでして。彼の場合、諸般で、別居なれどです。
まあねえ、確かに、別居の考え、全くのあらへんでして。
反対には、同居せざるを得んの状況でもあったですが。祖母他界で、親父長期入院<結核による、隔離入院>でして。自動的、家長。
とするのか、いきなりの、家長。
そらなあ、母と、妹の三人に相成って。母の収入では、生活なんか、出来んわと。妹なら、七歳違うし、当方、就職したの時、マダ、高校生でして。学資もいるやんかと。
そ云うたら、高校卒業させてから、槇島に引っ越したなと。
トトトの、何の話怪の、又、ズレてもて。
そらなあ、その一度、当方、泣いたは、祖母の時の、一度だけ。
コレ、見舞いでも、何でも無いの、簡単には、只々の、大急ぎで、戻って、大丈夫かと、様子見に行っただけ。
云うたら、白内障や、骨折での、入院なら、基本、生き死にの、問題で無く。脳梗塞で、半身不随も、大変は、大変も、生き死にではあらへんわと。見舞いで、涙するの場面で無いわと。
対して、叔母の時、婿母のは、基本、それでして。
当方、見舞いに行って、涙なんか、見せてみい。アカンやろな。当人、そのよには、聞いてえへんし、知らんの事になってるのにや。
深刻なるの、表情、顔にも出せんやろな。
とりあえず、陽気な話題で、こんな、あんなと、昔話なり、当人主体の話を繰り出すです。
イヤ、事実、元気、元気で、話も、陽気でして。
やのに、その光景、様子で、婿殿、泪目してたら、困るの事よの、こちは、それに、弱いんやと。
そらなあ、諸般、この手の見舞いで、ポロリと、真相口にしてもてみい、大変ぞと。
当人に真相、伝えられてるのなら、宜しいですが。それでも、こちからは、断じての、口にチャックで、門外不出の、知らぬの事。聞けば、へえの、ほんかですかと、相成るわと。
そ云うたら、一件のみ、当人、真相承知のがあったなと。
当方、ダイオード製造部時代の、上司でして。大腸癌で、入院での、人造肛門になってもたですが。
当時には、大腸癌ともなればの、モあかんです。
事実、術後、復帰も、1年保たず。
まあなあ、上司も、マダマダ、若いもあったのけどや。40代でして。
病状、重々の承知で、我々も承知で、数人で、滋賀の病院に見舞いにと。行けば、当人より、縷々の説明、解説されて。
曰くに、人造肛門でも、浮気するぞ、遊びまくるぞ、酒飲むぞの、必ずやの、復帰するぞと。コレ、自分に云い効かすの如くに、繰り返し、繰り返しの、申してたです。
事実、復帰は果たしたですが。
当方、知るの限り、大腸癌では、2例、早いねえ。亡くなるがです。
されどの、以降の、2例、変な話、何年も経過してるに、生存されてるです。誰とは、申さんですが。
それ程に、医療の世界、技術が、進歩してると、云えるですが。
トッとの、くれぐれもの、婿母、大腸癌とは、違うですが。
(16/03/30)
NO.1702 見舞いの話(12)
そらねえ、涙する、泪目になる。
分からんでないです。分かるです。
そんな事なら、当方、母の時、諸般、見舞いで無くの、面会なれどの。ソラ、病院と、違うしなと。
涙は出して無いし、泪目にも、なてへんでして。
頭の中が、その手、感慨に、ふけるの状態に無く。
イヤ、息子共含め、妹一家、姪一家にしたって、ダアレも、そんな状況になってえへんのと、違う怪と。
細々となら、妹家なら、3度、来てて。一緒したは、最初の、妹夫婦ダケの時ダケでして。他のは、時間少々ズレたり、付き合うは、してへんでねえ。
息子共のは、我が家から、一緒に出向いてるですが。
そらなあ、その状態になるの、以前なら、オヤツ的なるを、持参で、何個でも、好きなだけと。
云うたって、持参してるの数以内。
その状態になっても、オヤツは持参で、この場合、何個喰えるか、吐き出すか、出さんかと。
出せば、その処置せねばの、殆ど、そちの方に、全神経と、までは、大袈裟も、関心事、それでして。
それと、状態でして。
この、状態の判断、難しいですが。
日によて、違うしなと。調子のええ時、悪い時。
云うたって、母の面前では、一滴の涙も見せてえへんわと。先の通りの、気持ち、別問題にあっての。
「こもれび」内で、涙したは、したけれどの、一度だけの。それは、「同意書」の提出の日、時でして。
コレ、亡くなるの、1週間前になるの哉と。
ケア・マネージャーに手渡したですが。その時でして。
そらなあ、提出なるは、臨終を、「こもれび」に託すに、「同意」するの、意でして。
提出を、求められたもあるし、母の様子より、そんなには、保たんぞと、判断したを、意味してるわと。
これら、諸々の判断、今、振り返れば、的確での、ズバズバやったなと。
「同意書」提出、一週間前やし。
散髪も、直前にしててね。
散髪は、電気工学科、同期生の、同窓会もあるには、あったけどや。
それが、6月7日<日曜日>での、その前に、散髪してて。
大体は、同窓会のためと、散髪するの人で無いわと。当方がや。そんなモン、男ばかりやしと。
男ばかりも、最低限の身だしなみ、整えるのけどや。基本、気なんか、使わんの人でして。当方がや。それを、珍しく、散髪でもと。行っといて、良かったですが。
そら、同窓会の日の、明くるの日。とするよりも、その夜でして。真夜中、2時頃でして。電話がや。
当然の、その程度の時刻なら、起きててね。話簡単の、結果的、延々の、徹夜やわと。
それでや。
まずは、次男が、一旦、出勤の上、取って返して、斎場に来て。涙流したですが。それ見て、この時には、連れ泣きの、涙したですが。
次男嫁も、一旦、出勤の上、取って返して、斎場に来て。
等々、長男一家も、神戸から、馳せ参じの、変な話、諸般の説明方々、してるの間に、こちも、少々、声詰まってもたり。
以降、涙するの間なんか、あらへんわの。最後の最期、告別式での、喪主挨拶の時。
これは、最早の、覚悟しての、涙での。
そらなあ、挨拶では、母の状況述べるに、文言、構築するに、コレ、云うたら、どしても、涙してまうぞと、分かってたですが。
大体が、涙なんか、してもたら、声、詰まってもての、言葉、出て来んよになるですが。当方の場合やでと。
ここで云うも、異なれどの、声出たなあと。
最低限、これと、これは、挨拶で、云うを決心してての、そこで、云わんで、どこで云うの怪の、文言での。
イヤ、正直なるの、気持ちでして。
何の飾りもあらへんわと。飾るの意味もあらへんわと。地のまま、素のままで結構なると。
云うたら、ここでは、涙も、構わんわと。
トッとの、又もやの、何の話、してるの怪の、話戻しての。
いやなあの、当方的、嫁はんでもや。
親孝行なるの、文言、相応しく無いですが。親孝行とは、思てませんでして。やて来たの事がや。当たり前の事也と、してまして。
されどの、親孝行なるの、文言、便利で、分かり易い故、親孝行と、するなら、コレ以上の、親孝行、何せよ、何出来るの怪と。するの自負あるわと。
そらなあ、母抜かすに、小遣い呉れ。旅行に行かせよ、ええ服買え、旨いモン、喰わせよと、贅沢三昧の、聞いて、あのなあの、話ばかり、するですが。
云うたろ怪の、母のモノで、自身で、買おてるは、アクセサリー類に、衣類哉と。
その他、飾りモノ等々なるですが。
家に附随するの、冷暖房器具、ストーブとかや。エアコン等々、こちやしなと。下手したら、しんでもの、下着類、衣服も、毛布、布団も、ええのを、使てたですが。全部、こちやしなと。
ンの、そ云うたら、ベッドと、洋服箪笥等々の、家具なら、自分で、買おたの哉の。それも、多分なら、借金でと。借金なら、こちが、全部、尻拭いしてるわと。
トトトの、斯くなるでの、母の事に触れ出したら、恨み、辛み、ばかりでね。
それと、親であるの、話は、別問題での。
ンの、何ちゅうても、母の生い立ちもあるやろなと。ソラ、幼くして、両親亡くして、苦労して育ってるですが。
その時の苦労、金欠を、取り戻したいと。
ンの、ンンの、それは分かるですが。こちから、取るの怪に相成るですが。
それと、時代背景あるです。
当世と、違いの、当時には、男の子が生まれたら、基本、嫁の鼻高々。一安心でして。家を継ぐの跡取り出来たと。当家の如くに、財産、資産、あらへんでもや。
無くともの、までは、分かるにしても、最初っから、男の子なら、親の面倒見て、当たり前の考えでして。
ンの、これも、昔には、その通りの考えあったは事実也でして。当世、希薄になてるのダケでして。
オッとの、トトトの、話、若干の逸れてもてるですが。若干やしなと。
繰り返せば、出て来るは、恨み、辛みの、愚痴話、ばかりなれどの。
それと、親、大切には、別途の話やわと。この大切にが、表現難しくの、世間的、親孝行の文言、使われてるですが。当方、親孝行を意識した事、あらへんと、申してるです。
当たり前の事をば、当たり前に、してるんやと。
そらなあ、一言で、申せば、家族でして。
よて、諸般、親孝行、してあげてなと、云われたら、ンの理解に苦しむの、コレ以上の、何、せえと、相成るわと。
はきりと、申しの、云うてるの方、当方、夫婦が、親にやて来たの事、出来るの怪と。出来るモンなら、やてみいと。
イヤイヤ、親孝行の文言も、極の素直に、受け取れば、えのやけれどや。
(16/03/31)
NO.1703 見舞いの話(13)
諸般、種々の見方が出来るです。
泪目なり、涙するに、単純明快の、ええお母さんなんやと。
当方、年齢もあるですが。年齢とは、若いの意での。そら、当時、24歳やしなと。
祖母の時には、単純明快の、ベッドに横たわるの、祖母の、顔には、包帯の、痛ましいの姿見て、号泣。
イヤイヤ、多分なら、遠慮無用の、隠す事も無いの、ハタ目も気にせずの、大号泣したと、思うです。
ンの、個室やったし、ハタ目もあらへんですが。祖母と、2人だけでして。
ソラ、大好きな、大好きな、お婆ちゃんでして。
云うてるやないかの、ここぞの時、親からは、助けてもろてえへんですが。祖母からは、助けられてるです。
ええ想い出も、満載でして。
そんな事よりも、祖母、84歳で、他界したですが。
云うたら、その事故、車との接触で、転倒、骨折したが原因での。以来、立つが出来ませんでしたです。
イヤ、現在の医療、とするのか、当時には、リハビリの概念無く。
骨折は、大腿部の付け根で、手術的、当世と一緒で、金具はそのままでして。但し、骨がくっつくまで、動かさずが原則での、ソラ、あかんわなあと。
80歳も過ぎた、老婆が、動けんとなれば、寝た切りでして。
それまでは、元気、元気の、歩いて、出掛けてたです。
よて、横町、醒ヶ井通りの綾小路と、仏光寺の間で、自動車にと。当時では、駐まってるの車に祖母がぶつかって来たと。との、運転手、車の持ち主の証言が通ったわと。
云うとくの、当時は、そんなモンでの、当方、その件については、関与してませんでして。万事、親父任せで、経過も知らんですが。
それよりも、寝た切りも、そのまま、死ぬとは、夢想だにも、してへんでねえ。
今なら、寝た切りでは、あかんと、分かるですが。当時は、そんな知識もあらへんわと。
毎朝、出勤時には、行って参りますと、祖母に挨拶して、家出てたですが。その日も、いつも通りに、挨拶して出たですが。いつも、当方の顔見て、ンと、口では無くの、表情にて、応答してたですが。
この日も、そのよに、見えてたですが。
会社について、暫くしたら、帰って来いと。祖母他界と。
状況より、その時には、亡くなってたみたいでねえ。
ほならの、ンと、応答してたよに、見えてたは、何やったに相成るですが。
頭っから、いつも通りと、信じてるが故哉と。
そらなあ、同じの屋根の下に、ズと、暮らしてるの、家族でして。
矢っ張り、祖母とも、産まれて、死ぬまで、一緒でして。
ここだけの話、でも無いの、祖母、怪我以来、朝飯抜きに相成ったわと。会社の食堂で、パンと、牛乳で、凌ぐに成ったですが。
要は、当方の食事の世話、祖母やしなと。母、朝、寝てるしと。
モ一発、申すなら、事故以来の、祖母の世話、したては、親父やしなと。
ここで申すです。
確かに、母、水臭いは、あるですが。最終的、矢っ張り、その子でして。と、断言も、不正解なれどです。
当家の場合、そらなあの、嫁はん、相当に母の事に神経使い、努力してるです。当方以上に、気を使てたです。
云うてるは、細々な事、当方には、気が付かずで、出来ませんでして。
只なの、介護なるは、チカラ仕事也でして。介護の手法、知識無ければ、ナカナカに出来ませんですが。ベッドから、母を起こす、車椅子に座らせるも、便座に座らせるも、悉くに、チカラ仕事でして。
女性では、大変でして。男の、こちでも、チカラが消耗、どするやの時、度々での。
コレ、年齢と共にの、加速するわと。
祖母であれ、母であれ、女性でして。
意味なるは、体重知れてるわと。それでも、こちの、年齢と共にの、動かすが、チカラ仕事で、体力消耗するですが。男親なら、尚更に大変やろなあと。大変以前に、保たんやろなあと。
あくまでもの、介護者、家族の年齢に寄るですが。
オッとの、又もやの、話、少々のズレて来てるですが。
元の話に戻せば、涙したり、泪目になるは、ええ親やったからでして。多分ならなと。
そら、実体、内実なんか、親子なり、一緒に生活してへんかたら、分からんわの。ハタ目でなら、誰もが、ええ人やと。
オトトの、その上で、東京の叔母も、婿母も、基本、ええ人でして。
基本とは、叔母なら、何度か、泊まったり、泊めてもろたりの、ソラ、血縁親族での。されどの、婿母の事なるは、左程に知るもんかと。
当人様とは、何度か、話をしてるし、妹なり、婿殿からの話も、聞いてるのけどや。
ハタと、よ考えたら、3月13日<日曜日>、面会したの日、小一時間、話をしたですが。
これだけ、延々の、あれこれ、昔話、含めての、談笑したは、初めてでして。それまでは、会うの度、簡単なるの、挨拶とかや。その範疇でして。この時以前の見舞いも、そんな大した話なんか、してへんわと。
病室でして。長居もしてへんしと。
そんな事で、ええお母さんなんやと。多分ならなと。
にしたって、ここまでは、当方の見解、正解でして。
ンの、何の事かと、申せば、当初、妹夫婦の話なら、遠の昔、とは、極端なれどの、今頃、葬儀になるみたいな、なれどの、現に、その報、届いてませんでして。
少なくともの、入院から、3週間の話が、本日で、以て、1箇月経つですが。
イヤ、結構なるの、ご当人様と、面談しの、談笑しの、昔話に花が咲き。
ホームでの、話も、聞いたり致しの、要は、呆け防止で、諸般の事、されてるのみたいの、その講義まで、聞かされて。
兎に角、想定外の、元気、元気の、当方の、手の艶よりも、綺麗でねえ。現に、手にも触って、感触見たですが。へえと、感心する程での。
これも、病院をお暇してからの、国道の向かい側の、「ガスト」にての、昼食の時の、婿殿の話なら、入院する以前は、艶も無くと。
ソラ、食べ物、喉通らん故での、病院での、点滴なりで、そこまで、回復したと。
にしたって、当方的、印象なら、繰り返すの、元気、元気の、とても、とてもの、今日の、明日の、危ないの話には、見えんですと。
或る意味、血縁で無いだけに、沈着冷静、第三者的、受け取りよ、なれどです。
さりとての、諸般、回復の見込み、あらへんでねえ。その処置、してませんでして。
イヤイヤ、ここからが、婿殿、その息子としての、判断、難しく。
オッとの、さりとての、何か、出来るであらへんでして。
只々、ひたすらに、天命、下るまで、見守るしか、あらへんですが。かと、申しの、ご当人様より、退院イツかと、尋ねられての、何と、返答するかが、あるですが。
イヤ、動けるだけに。呆けて無いだけに、なと。
これが、人生でありの、死生観。
(16/04/01)
NO.1704 見舞いの話(14)
死生観も、自身の年齢、年代によて、違うやろと。
そらねえ、10代、20代でも、生とは、死とはと、恰好良くなら、形而上学的、哲学的、想像の世界、空想的、想念、巡らすの事、あったのけどや。
振り返れば、可成り、理想的に設定してたよな、気がしてるです。
超の簡単、簡潔になら、人間の生には、死には、相応の意味あり、価値あると。
30代から、50代。
とするのか、その前に、20代で、社会人と成り、定年退職の話なり、年金の事、聞いたってなあ、全くの、想像すら、出来んでねえ。
60歳で、定年とか、その歳から、年金がと、云われたって、その歳まで、生きてるの怪と。
事実、受け取るよな年齢では、爺様での、棺桶に、半身以上、突っ込んでるやろと。
とまあ、そんな具合に、考えてた、思てたよな、気がしてるです。
での、30代、50代でも、その手の事、考えんでも無いですが。大いに、考えた。
とは、思うですが。この頃なるは、結婚して、子どもが出来て。
まあ、云うたら、生活、支えるに必死やしと。生きる、死ぬの事なんか、あほらしいてねえ。考えるがです。
そんな事、考えてるの暇あらばの、仕事、仕事で、精一杯でして。
思てるの間にも、リストラされたですが。
結果、大いに、計画狂たは事実の、マダ、死とはも、左程にはなの、遠い世界でして。まあ、云うたら、親も居てるし、生活がと。
それが、60代、還暦になるよな頃より、今度は、異次元の世界の、息子共が結婚し出してねえ。
云うとくの、そらなあ、結婚してもらわな、困るの事よの、されどの、なの、現実的に、考えるも、難しいんやでと。想像、想定してるのと、現に、彼女なりを紹介されての、イヨイヨ怪と、なるがです。
くどいけど、自身が結婚して、子どもが出来ても、同じくの、そなるまで、現実的に、想像難しかったんやと。
それが、今度は、息子共怪と。
イヤ、結構なるも、です。複雑怪奇なるの、気分でね。
イヤイヤ、現実問題として、順々に独立、巣立ってもてねえ。
幸いにしての、ええ嫁で、ええ孫共での、当方、嫁はん、共々の、満足と、するのか、現時点、一安心も、二<ふた>安心もしてるは、事実で、正直なるの、真意。
そらなあ、常々、思てるの、普通で結構の、その普通やしと。
この、普通が、極めての、難しいは、重々の承知してるわと。
そらなあ、細々なら、心配事も、希望、理想も、あるけどや。
基本、余所様から、尋ねられての、そのままの、正直なるの話をして、特段の問題あらへんわと。多くの方々からしたらの、理想的状態でして。
での、当家からしたら、最初の祖母が。コレ、順当。
オッとの、叔父なら、戦死で、逆見てるですが。戦死故、仕方があらへんわの。祖父なら、当方とは、行き違いで、会えてませんでして。
次ぎ、親父で、最新、母親でして。極めて、順当でして。
そこで、当方、65歳、前期高齢者に位置付けされたの頃より、諸般、体力的問題、具体的に、実感も、し出してねえ。
云うたら、何やけれどの、それまでは、息子共、結婚しよが、孫出来よが。孫出来たら、名実共の、爺様なれどです。
それなら、初孫、当方、還暦の孫娘、なれどです。
この当時、爺様になて、爺様と、云われて、或る意味、幸せにも、感じててね。
ソラ、爺様に成れたんやと。孫出来たんやと。
只なの、当初、孫娘、こちに慣れてくれへんで、腹の立つノリ、状態やったのけどや。そらなあ、1歳、2歳の頃、日本語、まともに、喋れんのが、ホンの偶、会おて、コチの顔、見たら、逃げての、泣いての、どついたろかと。
この調子で、延々の、懐いてくれるの時期来るの怪と、相当に、不安やったのけどや。
諸般で、懐いて呉れるのよになりで、一安心、二安心してるですが。
オッとの、それでや。
当方の死生観、そのもは、不変なれどです。
不変も、質が替わって来てるですが。
そもそもがの、死、そのものは、避け難く。その布石さえ、打っとけばの、特段にの。当然の、身分相応の、なれどです。
いやなあの、そして、昨年、母を送った段階より、何度も、申すの、順当で、次ぎ、自分也と。
自分で、当然の、逆、困るの事よの、それでや、人間の一生も、とするのか、一生なんか、つまらんなと。
何が残るか、残せるかの、残す、残さんも、結果的、金品怪と。つまらんなと。
残すの意味なんか、あるの怪と。
云うたってなの、使い果たして、死ぬるも、至難の技でして。自身、責任負うは、嫁はんにダケで結構と。
と、云うたら、金品やしなと。
金なるは、生命保険が満期になってての、当方、死亡の時、下りるの、保険代でして。
この金額なるは、結構あるですが。云うたって、先にも、申してるの、身分相応の、なれどです。
但しの、保険屋、外交員も、申してたですが。当世の基準でなら、破格の額ですて。へえと。
オトトの、この保険金、当方が使えるの、モノで無く。死ねば、嫁はんに、でして。
但し、既に、満期故、下ろして、嫁はんと、2人で、使うは出来るですが。使てもたら、嫁はんに、残すのモノが無くなるしなと。
他にも、多少なら、あるのけどや。
オッとの、トトトの、又もやの、話、可成りのズレてもてるです。
云うてるは、云いたいは、65歳<前期高齢者>に達したの頃より、相応に考え出しの。母を見送り、次ぎ、自分やなで、更に、一段、数段の、具体性増してもて。
当然の、自身の年齢も関係してるですが。
そらなあ、年々、一歳ずつ、着実に、加齢の、その分、棺桶に、半身処か、限りなくの、全身がと。入って行くを痛感してて。
トッとの、さりとての、生前より、一度、どんな気分哉の体験、実感の、棺桶に入ってみたい。
となんか、考えてえへんけどや。
コレ、当世、流行ってるんやてねえ。体験、棺桶なるがです。名称、これが、正しいかは、知らんのけどや。
当方的、感覚なら、モノ好きやなと。そんなモン、生きてるの間に、棺桶に入っての、気分なんか、ゾとするわと。
とかとか、云うたってなあ。
自身、余命、ン年、ン箇月、ン日とか、宣告されてみい。
そらなあの、達観してるよな、事、云うてたって、イザとなればの、分からんわと。
かと、申しの、じたばたしたって、始まらんのけどや。
(16/04/02)
NO.1705 見舞いの話(15)
での、ほんとはねえ。
4月2日<土曜日>なるは、我々夫婦の、40回目の、結婚記念日でね。
ほんとはねの、「ルビー婚」と、申すのらしいけどの、嫁はん、風邪気味でね。
ほんとの、ほんとは、ショート・ケーキでも買い求めの、ささやかなるの、2人だけの、祝いでもと、思てたですが、延期したです。
延期も、延期の程の、大層なるの話で無いけどや。折角の、喰うにしたって、気分爽快の、マシな時の方がと。
オッとの、当方ならばの、便秘症状でね。大して、食欲もあらへんですが。延期も、イツまでの延期も、分からんですが。
どちにしたって、我々夫婦のみ故、大した事も致さんですが。
での、死生観、死生観、云うたってねえ。
「人の命は、地球よりも、重い。」
となんか、誰が云うたんやと。
ダッカ<バングラディッシュ>国際空港を舞台に、日本赤軍が起こした、ハイジャック事件<1977/09/28>にての、人質解放のための、身代金について、時の首相、福田赳夫氏の言でして。
超法規的、投獄の、日本赤軍メンバーの解放に加えての、600万ドルを出したですが。
これも、人、それぞれに、受け取りよも、違うですが。
人質になてもたの方、その家族と、第三者では、又、違うしと。
政治家として、ンの、そんな高額、支払えるモンかと、蹴ってもたら、又、非難囂々でして。
ン、ンの、又、余計なるの話、してもての、訳が分からんよに相成るですが。
毎日、毎日、この瞬間にも、どこかで、誰かが、他界してるですが。第三者の我々、そんな事、一々の知らんがな。
しかるべくの、高名、名のあるの方なら、テレビなり、新聞ででも、報道されるですが。殆ど、大多数は、無名やしと。精々が、地方新聞なり、地方版の、片隅の、死亡欄に氏名記載がやっとでして。
これも、不要としたら、掲載されませんですが。
されたって、我々の場合、この地、亀岡に、承知してくれてるの方なんか、果たしての、数えるの程でして。
ンの、産まれ、育ったの、地、京都、下京でも、知ってくれてるの人数、知れてるのけどや。まあ、同級生くらい哉と。
申せば、我が母、他界も、そら、我々夫婦は、諸般、大変でして。
親族も大変なれどの、大変の質も、量も、違うやろな。
諸般、落ち着くに、軽くの、半年掛かってるです。
悪いけど、事実、現実として、妹の、婿母の場合、当家、第三者でして。
ンの、ここらが難しくの、全くの、第三者にも非ずの、姻戚でして。
そらなあ、見舞いにも、行きの、しかるべくの、葬儀の際には、列席も、しんならんのやなあと。列席したって、末席の、その又末席の、最期の、最後の席なれどです。それで、結構なれどです。
云うたら、先様の親族、知らんがな。
妹夫婦の、結婚式では、会おてるの、やろねえと。お母さんの、妹さんなら、一度か、二度、チラと。
これ、親父様の見舞いの時でして。覚えてえへんわと。
ン、ンの、そ云うたら、婿殿家の、仏壇の魂入れの時、招かれての、参列したですが。当時、当家、総勢、5名様でね。
これは、親父様、他界で。他界は、遠の昔での。お母さんが、仏壇購入されての、その時でして。息子共、大学生故、10年までは、経ってえへんのやなと。云うたって、9年、8年なれどです。
その時にも、何名様かの、親族、参列と、するのか、来ておられ。
くどいけどの、知らんの方、ばかりでね。そらなあ、妹夫婦と、その子、姪、甥なら、承知してるですが。それと、主人公の、婿殿の、お母さんをね。
オトトの、その妹さんも、やけどや。話題なんか、あらへんわと。
当時には、当時で、当時の事、掲載してるですが。
検索、探索の、探してまで、この時やと、リンクしての、事細かにの、紹介する程の事で無く。
トトトの、何の話怪の。
人の人生なんか、つまらんなと。
母の時にしたって、そやけれどの、我々、何も出来んわと。ええ歳になってもたら、手術するにも、体力、保たんし、自然の成り行きに委ねな仕方が無くて。
今度、婿殿の母親の事なら、最終的、婿殿の判断でして。
この判断も、生き、死にに、関係してるしなと。してたって、どするも、出来んわと。
柴田の叔父にしたって、モ手術なんか、しやへんと、この場合、自分で判断、決断してるわと。
こちは、聞いて、あのなあと。手術出来るなら、した方がと、云うたって、当人の考えでの、どするも、こするもなと。ましてやの、その息子、我が従兄弟なれどの、居てるしと。
叔父、甥の関係も、それには、無力で、任せとくしか、仕方が無くて。
こちらも、後、何年保つかなんか、神でも無いの、当方に、分からんわと。
分からんも、こちは、血縁親族やわと。産まれて、高校生になるまでは、同じの屋根の下で、生活共にしてたの叔父でして。
当世の、一般的なるの、叔父、甥の関係よりは、濃厚と、思うのけどや。
もお、ほんとにねえ、自身の気持ち、説明するに、難儀でね。
簡単には、婿母なら、他家での、基本、当家に、影響あらへんわと。他家で、血縁親族でもあらへんしと。
母の時なら、形見別けとして、妹には、相応のと、したですが。大して、値打ちモノ、あらへんですが。よ、考えたら、実の母のを、当方、何1つ、手元に、残してるのモノ、あらへんなと。
祖母のなら、針刺しなるを、復元とは、大袈裟も、修繕しの、小物入れとして、使てるですが。使うも、小物入れ故、適当なるの場所に置いてるのダケなれどです。
親父のなら、三文判1本、判子入れの袋に残してるですが。
残してたった、使うの用事もあらへんですが。まあ、ええ怪と。
イヤ、当たり前の、他家の方が、亡くなっても、当方には、その辺りの形見等々、無関係。別段にの、欲しいモノもあらへんし。あるも、無いも、知らんしと。
での、一番の問題、言葉選ばずの、しかるべくの、時期でして。
実は、諸般の予定、計画なるが、存在致すです。
5月3日の連休冒頭なら、母の一周忌でね。
それ、突破なら、7月21日から、数日の予定で、学生時代、同期生の、古希の北海道旅行を計画してて。
更には、8月のお盆辺りには、嫁はんの里えの、当家全員、総勢10名様の、大移動でして。
細々となら、直近で、4月の15日<金曜日>には、高校3年時代の、ミニミニの、ミニの同窓会の延長戦も計画してて。
云い出したら、北海道のは、5月の連休直後にでも、一発、計画の打ち合わせ、意志統一、費用の問題等々の、打ち合わせ会、開催の積もりも、しててね。
かと申しの、そこを避けて頂戴なの、話でも無くて。
そやからと、生き、死にの話、葬儀なるは、突然でもありの、待った無しやしなと。
とかとか、当方的、勝手乍らの、その辺り、困るの事よに、成らんよにと、願うのみ。
(16/04/03)
NO.1706 見舞いの話(16)
今一、しっくり、致しませんでして。
云うてる、思てるの、死生観が、です。
基本、年齢によるですが。
医者から、余命、ン日、ン箇月、ン年と、教えられ、さての、どするやと。
なれば、コレ、その方の年齢にも、状態にも、寄るなあと。
叔父の如くの、ンの、叔父は、余命云々の話、では無いけどや。
医者から、すんなり癌、転移と、聞いて、モ結構の、ほっとくと。との、判断、自身でして。モ、ボチボチの、87歳やしと、当人、申してまして。
東京の叔母なら、当家、墓開きに来てくれて。
我が家にも、泊まり、兄弟にも会えて。戻って、暫くしたら、入院でして。
まさかの、死期を悟って、京都に来たのやろかと、思わんでも無いけれど。何ちゅうたって、60代やしなと。64歳やったの哉の、若過ぎるです。
但し、その分、動けたです。動けた故、産まれ故郷の、京都に来てくれて。
印象深いは、沢山あるけれどの、ほんとは、叔母婿殿、要は、ご主人<当時には、既に他界>の親族宅にも、方々、訪問の上、そのまま、東京に帰るの話が、行った、その日に、急遽の、当家に戻ったです。
イヤ、深い話、事情等々、なんか、聞いてませんの、只、一言、私は、ここから、嫁に出たんやと。
まあ、つまり、本家であると。里であると。
イヤイヤ、それに、間違いは無く。
只、家、そのものは、叔母が、嫁に出たの、当時の、下京の家で無いけどや。亀岡に引っ越してまして。
この亀岡には、初めて、来たですが。叔母がや。そんな具合に云うてくれたは、嬉しかったわと。
要は、柴田家を宜しくの意でもあり。自身、帰るとしたら、ここしか無いの意での。その意なるは、叔母の里、出生であるを、意味してるわと。
イヤ、全くの、正解でして。イツでも、戻って来て戴ければと。
とは、返事はしてへんのけどや。至極、当然の事でして。そらなあ、言葉無用の、我が家、一家全員、熱烈の、大歓迎して、迎えてるわと。
気の済むまで、事情許すの限りの、何日でも、泊まって頂戴なと。
とも、云うてえへんけれどの、ソレ、前提でして。
出生とするのか、里とは、そんなモンやと、思てるです。
まあ、そんな事、有り得えへんと、思うのけどや。何等かの、事情にての、叔父なり、叔父嫁なりが、当家に身を寄せるも、一向に、構わんわと。
叔父嫁の場合、当方とは、血縁無いけどや。やからと、邪魔者扱いする事、あらへんわと。当方は、なと。嫁はんでもや。
それ、云い出したら、息子でも、その嫁でも、孫共でもや。全くの、一緒やわと。
諸般の事情に、どんな事あるかは、分からんのけどや。戻って来ても、一時か、永遠にか、想像も、想定も、出来んのけどや。遠慮すなと。
但しの、こちの、歳が、歳やしなと。
ンの、そんな話、死生観に全くの無関係なれどです。
そらなあ、当家、水臭くはあらへんわと。云うたら、東京の叔母の時なんか、我が家、5人やでと。それでも、母の部屋に一緒にならと、泊まって戴いたわと。多分ならなの、正確には、覚えてえへんけどや。
今なら、夫婦2人だけやしなの、何とでも、成るです。
オッとの、での、死生観の話、なれどの。
母の場合、妹婿殿のお母さんの場合。
母のなら、「こもれび」の、Dr.から、聞いたの認知症が云々なんか、当人、母に話をして、何になるの怪でして。
流動食でもを、胃に入れるがため、切開云々なんかの、残酷な事、出来る怪。何歳やと、思うやの、90歳、過ぎてるです。
余命、何日も、分からんし、ならばと、当人の好きなよに、好きな事をと、云うたってなあ。
旅行するにしたって、どこえ、何しに行くやの。美味しいモノ、ご馳走でもと、云うたってなあ。食べられへんのやわと。
母の従前より、申してるの、ええ服着ても、着て、どするやの、話やわと。
結果的、一番の上等の、母の好きな、和服を着せて、送ってやったですが。
妹婿殿の、お母さんの事にしたって、難しいわと。
最早の、食べるは、流動食でして。後は、点滴での、車椅子で、どするやの話やわと。どこにも、行けへんわと。
云うてるは、東京の叔母なら、若かったし、その時には、見掛け、健康故、京都にも、1人で、来るが出来たですが。
80歳、90歳ではなと。自力で、動けるなら、やけど。
叔父にしたって、モ手術は、ええと、申しの、デハの、余生、好きにと、云うて、どこえ行くの怪の話での。とりあえずは、毎日のよに、その息子<従兄弟>が、訪問してるみたいなれどの、それで、充分哉と。
ほんまやでの、小説、ドラマ、演劇や、マンガで、あるまいにの、余命、どのこのと、云われて、ンの、何するやと。
まあなあ、やり残した事、やるが、小説なりの、物語なれどの、劇的になら、叔母の如くに、遠くの親族なり、知人に会いに行くの全国行脚なれどの。知人もなと。
叔母の場合、皆、京都、大阪やしなと。
三人の息子なら、東京方面でして。コレなら、イツでも会えるわと。
イヤ、そんなモンやでと。
そらなあ、我が子が、マダ、小さいとか、ならばの、諸般、残されたの、嫁はんなりの、今後の事等々、思い残すと、するのか、気がかり一杯なれどです。
そんな事でなら、今、マダ、若いと、するのか、動けるの間に、諸般しときたいなと。
思うのけどや。自由の出来た時には、当方、この歳やと。
さりとての、特段の、どこえ、行きたいも、あらへんでねえ。あるには、あるけれどの、金掛かるしなと。
イヤイヤ、思うの事、するに、全部、金掛かるわと。
新車が欲しい、カー・ナビ付きの。
とか、自動運転の車も、ええなあと。とは、思ても、バカ高く。現有、10年選手の、カローラで、ガマンしとこ怪と。
結果、現実に戻れば、現状維持と、相成って。
ンの、コレ又、死生観に関係ありや、無しやの、話なれどです。
死生観、云々して、意味あるは、若いの時期で、無いの怪と。
(16/04/04)
NO.1707 見舞いの話(17)
ンの、よ、考えたら、暗い話になてもてねえ。
モ一発、よ、考えたら、無理からぬ事での。
そらねえ、昨年、6月、母他界。
9月に、同じの町内会の同じの組の方が。そして、年明けての、1月、再度の、同じの町内会の方の葬儀でして。
この3名、何を隠そおの、2005年当時の、当方、区長した時の、敬老会で、参加されたの、3名様。
同じの組の方なら、会えば、話も致しまして。云うたら、婆様仲間でして。
1月のは、区長時代、含めの、諸般、よっく、お世話になったの方でして。
色々、考えるわと。
しかも、当町内会、約110軒で、年に1回、ありや、なしやの、葬儀でして。それが、一気、一期で、3軒連続でして。
さりとての、年々、高齢化、進みの、今後は、珍しくもなくなると、思うのけどや。
そらなあ、参列者、町内会の面々の事なれどの、コレ又、年々、歳喰てるなと。自分の事、片脇に置いてもての、思たりも。
そして、この3月には、妹婿母の入院の知らせ。
且つは、年齢も、年齢なれどの、状況より、そかの、話やし。
片やの、我が叔父の話の、年会の連絡の際、チラと、聞いた、胃癌云々でして。モ手術しやへんわと。へえと。あのなあと。云うたって、当人の決意でして。
コレ又、年齢問題あるしで、何とも、ハヤの。そら、叔父の息子とも、相談の上やろしと。強いてなら、主治医から、聞いて、話をしての事でして。
とかとかなの、最近、こんな話、ばっかりなんやでと。
オッとの、まだあったですが。
母方従兄弟のども、生気の無い状態と、その嫁はんの心臓の手術の話もあって。
ンの、まだあったなの、連絡、付かんの、岡山、笠岡の、元ワコー電器の、QCのヤツ。手術は、2月末の、29日と、聞いてたですが。以降、何度か、ケータイしてるですが。応答、あらへんでねえ。
こいつは、癌とは違うの、視界が狭くなりの、その原因、髄液云々と。手術では、頭蓋骨に穴開けてとかとか、凄いの話、しててねえ。
その手法での、手術かは、分からんけどや。主治医が、諸般、手立て考えると、してまして。
只なの、ケータイの留守録にも、メッセージは入れてるですが。応答の無い事にはなと。別途の伝手<つて>で、状況知りたいなら、聞くは出来るですが。
オトトの、それ以外にも、同期生なりの、親の訃報も、入ってるのけどや。
これはなの、我々の歳が、歳やし、その親の訃報も、特段の、なれどです。そもそもがの、当方の親も、以て、亡くなってもてるしと。
只なの、これも、重ねって来たら、気分良くは、あらへんわと。元々が、訃報で、気分爽快なんか、万が一にも、口にしたら、顰蹙買うですが。
意味なるは、従前なら、ン年、十年、ン十年の間を置いて、飛び込むの話が、最近では、連続してるなと、実感でして。
云うたら、こちが、若い時なら、左程に、思わんかった話も、じわり、ジワジワと、我が身に迫るの感してねえ。事実、迫ってるですが。
そらなあ、同期生、同窓生の親なら、相応の年齢での、或る意味、充分に長寿であったと、云えるですが。
云うまでも無いの、その分、こちも、歳喰て来てるを意味してるわと。
従兄弟達の親、当方にしたら、叔父、叔母なり、伯父、伯母に相成るですが。これも、年々と、までは、申さんの、次第、次第に、残ってるの人数、僅少になてもてねえ。
生存してるのも、健康で、しゃきしゃきの、顔負けするの話なんか、あらへんわと。皆、調子悪いのばかりやわと。
モ一発、そらなあの、皆、ええ歳やわと。
斯くなるでの、死生観。
その昔なら、イザ、知らずの、ソラ、その昔なら、人生五十年。
とは、織田信長の辞世の一句。とするのか、「敦盛(あつもり)」<幸若舞(こうわかまい)>の一節、なれどの。コレ、天界と、比較したでは、人の世の、時の流れの儚さについての事での、人の一生、五十年の事ではあらへんですが。
それでも、それに近く。
ならばの、既に、当方、その年齢、過ぎててねえ。
云うたら、叔母の年齢をも、超えててねえ。
オッとの、そんな話、どでも良くの、当世、自身の年齢なるは、中途半端なる、でして。
この歳で、死ぬるは、チョと、早く。まあ、ええよに、申せば、惜しまれるなと。
トッとの、そんな話、本命で無くの、この歳なら、歩けるし、その気なら、走れるし、旨いモノ喰て、旨いを感じられるし。まあ、云うたら、まだまだ、人生、楽しむが出来るの年代でして。
されどの、ここから、十年哉と。
80代に達してみい、そはなと。十年は、無理鴨の、それでも、十年哉の、微妙なるの、歳でして。
いやもお、有り体には、先が見えて来てるです。
まだ、80歳には、間があるも、80歳で、元気やねえと、云われる、思われるの方、多いのけどや。さりとての、行動範囲、知れてるわと。ンの中には、海外旅行にも、ガンガン、行ってるの方も、おられるですが。僅少でして。
そらなあ、くどいけど、先立つモノがあっての話やわと。
イヤイヤ、諸般、年齢もあるですが。
健康あっての事なれどの、まあ、正直、その歳まで、一遍の、不安、持病、病魔、抱えずの方、おられるの怪と。
まあなあ、旅行なり、ガンガン出来るの方なら、概ね、それ、出来る範囲の、健康あっての事、なれどです。
いやなあ、つまらんなあと。
人生、晩年なるは、です。
そこまで、生きてたらの話、なれどの、諸般、難しいなあと。
自分で、自分の寿命、決められへんし。決められても、さての、納得出来るの怪と。決めたの、その時期、決断がや。
納得するも、しんも、寿命は必ず、尽きるわと。
生きててこその、華と、申すですが、コレ又、ほんま怪の、ハタ迷惑の事もあるんやわと。
さりとての、死んだら、ほんとに、おしまいやなあと。あっさりしたモンやでと。
よて、生きててこそ、のと、申すは、分かるのけどや。
病気持ち、持病持ちでは、ど哉と。
(16/04/05)
NO.1708 見舞いの話(18)
死生観ねえ。難しいねえ。
基本、生きるを、どれ程に執着するかの話哉と。
病魔に挑み、戦い、生きるに努力されてる方に対しては、尊敬致すわと。えらいなあと。
只なの、その方の置かれたの立場に寄るやろなと。
親が居て、その子なら。その親も、或る程度、若いなら。親の介護が必須の場合、とかとかや。
そらなあ、その親が必死で、介護し、回復するに、させるに、努力惜しまずでして。
そやけどなの、双方、相応に歳喰て来てみい。親が大変ぞと。体力、気力が、保たんわと。常識的、親の方が、早く逝くです。
反対に、希に見るの、親孝行の子ども。云うたって、相応のええ歳の子どもが、親の介護も結構なれどの、コレ又、歳喰てもてみい。保たんわと。
やから、助けとして、福祉介護施設が存在するですが。
当世、ほんとに、充実しててねえ。昔っから、あったは、あったのけどや。
介護費用、個人負担、1割とは、違うかったしなと。介護保険なる制度があらへんかったしで。
又もやの、話、ズレまくるですが。当家にしたって、母の介護、母、最終的、「要介護4」やしなと。
正直申せば、「特別養護老人ホーム」に入所出来るの、等級でして。
されどの、その選択、我々夫婦、結果的、最後まで、してへんでして。何度でも、申すの、昨年4月に、担当ケア・マネージャーから、その話出たですが。
ボチボチの考えるの時期ですと。
実際問題、こちの、体力、気力に限界感じてての。ならばの、5月にでも入れば、ボチボチの、施設を、見学、見聞にでも、行こかと。コレ又、実際には、担当ケア・マネージャーからの、合図と、するのか、指示あればの話での。意味なるは、家族が、ここがええなあと、思うの施設に申し込めばの、助言でして。
相応の積もりしてたの矢先でして。急激なるの、老衰がや。母のやでと。
イヤ、本来なら、5月の連休明け、過ごし易いの季節になれば、母、家に戻すの積もりしてて。その計画の下の、リハビリ入所でして。
状況より、むしろの、「特別養護老人ホーム」の方がと。決まるまでは、「こもれび」に居て戴いてもの、話でして。
云うたら、結果的、しかるべくの、施設、「特別養護老人ホーム」の見学、見聞せずでして。
イヤイヤ、これ、我々夫婦の選択でもあって。
最期の最後まで、「特別養護老人ホーム」には、抵抗感あったです。ソラ、その分、こちが大変なれどです。重々の承知の上で、出来るの限り、自宅介護をと。ソラ、親でして。
ソレ云い出したら、相当の以前より、その選択肢、考えた方がの、話なら、あったですが。或る意味、無視してたわと。マダ、早いと。
そらなあ、その方が、こちは、楽は楽。
但し、住民票は、施設に移動でして。その替わり、費用、安くで、済むのけどや。概ね、概算なら、半額と、までは申さんですが。近いの哉と。さすれば、母の年金で、余るですが。
リハビリ・センターなりの入所でなら、ダケでは、不足で、足出るけどや。出てたのけどや。
オッとの、どしてもの、この手の話になるなあと。
本来的、最期の最後まで、我々夫婦で、見るの積もりやったんやと。それが、当然也と、考えてまして。
されどの、想定外の、状態になてもてねえ。それも、急激にでして。
何故に、最期の最後まで、我が家でと、考えてたかと、云うたら、これが、当方なりの、死生観也と。
まあ、云うたら、祖母のよな、状況をば、想定してたんやと。時代が違うのけどや。
そらなあ、家族と一緒がええに決まってるわと。残念乍らの、往診してくれるの掛かり付け医者がと、施設の、理事長、Dr.から、云われたならばの、あらへんでして。そんな事までは、考えてえへんでねえ。
そらなあ、万事、思うよには、成らんけど。
そらなあの、しかるべくの、施設に入れるなら、その方が、楽は、楽であるは、承知してるですが。これも、順番待ちやしなと。
更には、何が最善の方策かは、誰にも、分からんわと。
ンの、誤解無きよにの、これは、母も嫌がってたを承知もあるわと。
人それぞれに、考えあっての、それを望むの方もあるやろと。されどの、極の一般的、当方的、ほんま怪なと。嘘やろなの。
嘘と、までは、云い切らんのけどや。
そらなあ、大金あって、有料老人ホームなら、結構なれどです。
それでもや、何でわざわざのと、思うのけどや。
まあなあ、しかるべくの、介護士が居て、医者まで居て。何なら、食堂で、シェフの料理でもを、喰い乍らの、わいわい、がやがやを好むの方々なんやろなあと。多分なら、なと。
そんなモン、入所と、するのか、契約だけでも、ン千万円、億円での。
だけでは無いの、月々、20万円、30万円とかや。おまけで、食事なら、食事、洗濯なら、洗濯等々、別料金やしなあ。
とても、とてもの、庶民には、遙か彼方の、別世界での。
オトトの、そんな資金あらへんも、あるけれどの、行きたい、入りたいとなんか、全くのと。
とは云え、選択肢に入れるが出来るの身分、資産あったらなあと、思うは、思うのけどや。
イヤ、内実、実体、諸般の内部的事情あると、推測致すわと。
ン、ンの、死生観も、如何に老いて、死に場所見つけるかの話もあるなあと。
とか、云うたって、コレ又、選択出来る事と、出来ぬの事あって。
云うたら、突然に、刃物でも、突きつけられたり、銃口、こちに、向けられてみい。
ビクリ以前の、カラダ、ガタガタ、震えてもての、腰抜かしの、失禁もと。
されどの、これが、状況一緒も、身内、家族を助けるなりの場面なら、別段にのと。
左程に怖いの場面と、思わんでねえ。
云うてるは、殺すなら、こちを殺せと、相成るわと。そんな場面での、死するは、怖い、とかは、あらへんでして。
所謂の、犠牲は、厭わんわと。むしろの、それで、家族なりが、助かるならなと。どにでも、して頂戴でして。
これも、又、死生観での。意味あるわと。
(16/04/06)
NO.1709 見舞いの話(19)
死生観ねえ。難しいねえ。
とか、云いつつの、延々のやってるですが。
元の話、原題、「見舞の話」なんやねえ。
そこから、話、膨らみまして。
イヤ、今だ、どの、このの話、あらへんです。要は、入院されて、1箇月以上、経過したです。
変な話やねえ。何が、今だ、なんやと。失礼千万也と、思えどの、申し訳無いけど、仕方が無いわと。諸般、こちには、こちの、都合もあるです。
これが、再度の、申し訳無いけど、自身の家族と、そでは無いの差でして。
ほならの、我が母の時は、どやったの怪となればの、ある種、覚悟はしてたですが。余りの急激なるの変化に、頭が付いて行かんかったと、正直なるを、申してるです。
覚悟ねえ。覚悟は事実も、イツ頃かの、想定なんかも、してへんわと。明日なんか、来週なんか。1箇月、半年、1年先とかとか、全くのと。
イツでも、不思議で無くの、さりとての、人間、そは、易々の、逝かんわと。
云うたら、一番最初の、Dr.から、呆け云々で、食べ物、喉を通らんの話と、選択肢の件と、しかるべくの、時期になればの、「同意書」の提出をと、伝えられても、まだまだ也と。
少なくともの、「同意書」をば、即刻の出せの、話であらへんでして。
呆け云うたってなあ、年齢相応と、見てるわと。食べ物がと。これも、以前より、そんな事、時々ならあったです。只なの、頻度が、増してたは、察知してるですが。それと、呆けの関係がねえ。ド素人には、分からんでして。
事実、オヤツなりを、喰わせたら、喰てまして。
但しの、量が少なくなたなあ。とは、感じてるですが。吐くのも、又かと。厄介やなと。
の程度でねえ。
ンの、車椅子のあちこちに、吐いたモノが、こびり付いたりは、見てるです。見たら、掃除したり致しまして。
それも、発見するの頻度が、高くなり。とかとか、諸般、好ましい方向で無いは、分かってるですが。それが、何じゃと。又、治るわと。
事程左様の、相矛盾するの、状態でね。自身の頭の中、考えてるの事が、です。
その上で、呆け<認知症>が進行で、死ぬなんか、想定してませんでして。
イヤ、Dr.の説明には、納得してるです。
呆けのため、食欲がと。コレ、生存意欲でして。
又、その内には、息子さん、当方の事なれどの、分からんよになり、自身の名前も、分からんよになるですと。
これも、重々の、理解もしの、納得してるですが。
それと、死ぬが、結び付いてえへんでねえ。
そらなあ、コレ又、正直には、生存、生きるの意欲が薄れて来たら、ソラ、あかんわと。との、モ1人の、当方なら、申してるです。こいつの方は、沈着冷静でして。
生身の自身は、その反対の事、ばかりを想定してるです。何、抜かすの、呆けで、死んだの話、聞いてえへんわと。
呆けで、偶に訪問の、息子なり、娘の顔見ても、分からんの話、よお、聞くけどや。偶に故での、始終、顔見ててみい。分かるわと。
ほんまやでの、母親が、自分の顔見て、誰か、分からんであなと、寂しい思いしたの話なら、方々より、多数、聞いてるです。
年に数回しか、会わん、会えんなら、そ鴨と。そんな意味なら、呆けは、呆け出してたは、分かっても、当方の事なら、分かってたわと。表情にも、多少の変化あるわと。こちも、その辺り、観察しの、見てるわと。
かと、申しの、常の事での、一々の会話なんか、してへんわと。
何の話をするの怪と。オヤツ、持って来たで。喰うか、幾つやと。聞きましても、数なんか、聞かんの間に、数個、持たせてもての。無くなれば、マダ、欲しい怪の、話やわと。
この会話も、そらなあ、年々、日々、乏しくのなるのけどや。呆けのせいなんやろなあと。
されどの、所謂の、意思の疎通、伝達なら、明確にの、出来てるわと。
Dr.の最初の話を受けて、濃い親族には、通達したです。
結果、妹夫婦も面会にで、その際、色々話をしたと。へえと。結構なると。
さての、妹婿殿のお母さんに、お見舞に行っての、久しぶりもあったが故の、3年ブリ哉の。長々と、話をしたですが。小一時間と、申してるですが。
そんなに長く、話をしたなんか、従前、あらへんかったと、申してるですが。
お母さんも、ご機嫌さんで、色々な話をしてくれて。こちも、印象に残るの、昔話をしたりして。
イヤ、コレ又、事程左様の、全くの、呆けたあらへん故でして。くどいけどの、我が母とは、数歳、4歳、5歳、歳の差もあるしで、その歳なら、我が母も、呆けてえへんかったです。
それこその、呆けを思たは、Dr.の口から、呆け<認知症>の話が出た故でして。
事実、それ以来、急激なるの、変化も、体感、実感してるですが。
オッとの、多分なら、妹婿殿のお母さんも、我が息子が、面会なりに、行ったとての、そんなに話は、したはらへん、のではと。
精々が、イツ退院出来るの怪の程度哉と。
当方なら、3年ブリ故に、あれこれ、話に華が咲きは、重々の承知してるわと。
自身、元気であるを、示しまして。リハビリで、手摺りを伝い歩きなら、出来るんやと。介護士ソバに居てもろてと。
足がねえ、動かんでねえと、車椅子に座ったままなれどの、半身不随であったの、左足を動かしてみたりで、見たの、こちが、えと。動いてるや無いですかと。
当人、動かせへんのですよ。嘘云えと。今、動かさはったや無いですかと。事実、思たよりも、動かんの筈の左足が動いてねえ。
イヤイヤ、重々の承知してるです。
一生懸命に、嫁の兄夫婦に、心配させるまいの、努力でして。
当然の、偶故、積もるの話もあってねえ。多分なら、病室から、出るの際には、髪を整えられ、身嗜みも、確認されてるやろと。その上で、談話室と、するのか、来られてるです。病室から、連れ出したは、婿殿。
そして、一言も、イツになれば、退院出来るの怪。とは、息子<婿殿>には、詰問されてませんです。こちも、余計なるの、細々、一切のしてへんわと。
当方の、申してるの事、解るやろなと。要は、こちは、嫁の兄夫婦と称するの、客人でして。超の簡単、言葉選ばずの、赤までは、付かんの、他人やわと。
での、元々が、我が母と、このお母さんの性格、全然の違うのけどや。
環境も違うし、ここまでの、人生も、全然の、違うのけどや。
違うの事、倹約家で、遠慮しいと。
とは、聞いてるの話やでと。
確かに、華美なアクセサリー類なんか、されてるの場面、見た事は無く。派手な服装もしたはりませんでして。結構なると。
オッとの、ここ数年なら、病院に見舞いでしか、会おてへんのけどや。病院で、アクセサリーも、派手な服装も、しやへんのけどや。
我が母にしたってなと。
しかるにの、病院も、しかるべくの、福祉施設も、自身の、持ち物、殆ど一緒やでと。
置けるの場所、限られてまして。
下手したら、下手しんでもの、1人暮らしの、年寄りなんか、入院してるの方がええなあと。
理由、飯作ったり、家事せんでも、病院なら、やってくれやはるし、医者、看護師は居たはるし、安心で、楽、楽の、楽と。
とは、申しの、前提には、帰るの場所、家が、ある故になと。病状も、回復の見込みもある故になと。
云うてられるです。
(16/04/07)
NO.1710 見舞いの話(20)
死生観、死生観。
延々の、掲載してるですが。
基本、当方なら、延命処置、不用。
とか、云うたってねえ。状況にもよるです。植物人間的になてもたら、ソラなと。
申してるは、母の時の、保護者としての、当方の判断、正解也と、自信あるです。自分自身が、同様なるの、状態なら、自身でも、そのよに、返答してるわと。
処置不用也と。
叔父のよな場合、どなんやろなあと。胃癌で、一度は内視鏡で、処置するも、完全では無くて。再度のを、断ったと。当人がや。
その事、聞いて、当方、申してるです。やったらええのにと。何でやと。
何でやと、とは、何故に、再度の内視鏡での、処置しやへんのかと、でして。当人申すに、この歳やと。も、ええわと。
そかと、年齢の事もあったなと。
これは、その年齢にならな、分からんの話でして。
イヤ、申してるは、叔父と、母では、中身違うわと。
呆け、認知症は、現時点、治らんですが。治療により、進行、遅らせるは出来ると。遅らせるねえ。大した、期待、薄でして。
この呆けも、確かに、急激でして。車椅子になるの以前なら、こちが、へえと、ビクリする程に、記憶力、凄かったわと。
手術に向かうのベッドで、横たわり乍らに、各々の病室に掲げられてるの、部屋の人の名前見てたんやねえ。嗚呼、この、何とかさん、知ってるえ。
とかとか、結構、昔の話なんかも、鮮明に覚えててねえ。感心させられてたですが。
矢張り、車椅子になったでは、自力で、歩くが出来ひんし、運動が出来んし。テレビ見てるしか、あらへんでして。後は、トイレでありの、食事でして。家でならなと。
ディ・サービスなりでは、仲間が沢山居てて、話相手もあるですが。家ではなと。家族、とは、我々夫婦の事、なれどの、そんなに話も、しやへんわと。基本、家族となんかは、日常会話でして。
只なあ、そらなあ、自宅での方が、気楽やわと。
ベッドで、ひっくり反って、テレビ見てられるわと。
但しの、施設とは、違いの、キチリ、キチリの時間通りの、食事は出来ませんでして。ソラ、こちの、都合の時間やわと。早くになるは、珍しく。基本、遅れ気味。
云うたって、出来るの限りの、母のペースに合わせるよには、努力してるですが。毎回、毎日は、よやらんわと。母専属、介護士、料理人でも、あるまいにと。
結果、チョとでも、遅れたら、ブースカ、ガタガタ、文句タラタラ、愚痴ばかりを、申してたですが。
まあなあ、遅れるが、予めの、分かってる時なら、チョとした、オヤツでもを、あてがいまして。時間稼ぎをしたりして。
オッとの、又もやの、イツの間にやら、話、逸れてもてるですが。
そらなあ、ハキリと、申すの、施設で、家と、一緒の事、態度してられへんし、文句も、云うてられへんわと。食事なら、キチリ、キチリなれどです。
介護士の指示に従うが、原則でして。まあ、云うたら、介護士なるは、他人さんでして。家で、家族に対するの、文句云うたり、悪態付くは、出来んわと。
言葉、選ばずの、あちら、介護士なるは、業務でありの、こちは、家族でして。
イヤイヤ、超の話、簡単には、赤ちゃん帰りでして。口達者で、云う事、聞かんの、文句タラタラの、でして。
家族故に、親故に、ガマンと、するのか、しょがないと、思てるのけどや。他人さんなら、何で、そんな事、云われんならんのやと、血を見るぞと。当然の、冗談なれどです。
親でも、ガマンの限度、突破の事、度々の、コレ、日常茶飯なれどです。
ここで、チョとだけ、申すです。
ズと、家族故に、基本、双方、遠慮なんか、してへんわと。
あちでは、基本的になら、客でして。
で、終わってもたら、言葉足らずの、大いなるの誤解、語弊あるです。
我々、家族からは、しかるべくの、施設で、介護士のお世話にならねば、遠の昔に、バテてるわと。
感謝、感謝の、神様、仏様、キリスト様的、拝み倒してるです。
当世、少子高齢化で、介護疲れ等々にての、家族に手を掛けるの、妻が、夫を。夫が妻を。子が、親を。親が子をと。
三面記事、賑わすの事件、多々の、頻発してるですが。
我々、よっく、分かるです。そんな事、あり得るがです。
で、これ又、だけで、終わってもたら、言葉足らずの、大いなるの誤解、語弊あるです。
今後、益々の、この手の事件、多発するは、予測するですが。
我々、親を、手に掛けるとかとか、頭に過ぎった事、あらへんわと。瞬時、どついたろかと、思うの事なら、あるのけどや。実際に、どついてもてみい。そのままの親殺しに相成るわと。
ほならの、どついたろかと、思たは、過ぎったになるかと、なればの、次元違うわと。表現、言葉上の話やわと。
それ、以前の、何度も、既載してるですが。諸般の、ディ・サービスなりで、送るの時、母を抱えて、玄関先に座らせるに、迎えるにも、コレ、チカラ仕事での。こちも、年々、日々の、歳喰て行く故、体力、腕力、持続力に、自信無くなって来てての、万が一にも、抱えるの体力、失せてみい。時間掛かって、尽きてもてみい。母をば、落としてもてみい。
そのままの骨折、多分なら、殺人的失敗での。
そんな事が、こちの、加齢と、共にの、頭過ぎるに、なって来てもての、困ったなと。これが、真意で、真相でして。
要は、ハタと、これが、老々介護哉と。
それまでは、自身の年齢なんか、考えもしてへんのが、体力、気力、腕力、持続力の衰えと、共に、痛感、実感、恐怖、覚えるわと。
当人様、母の事なれどの、手摺りでもを、掴んで、離さんでねえ。やめてくれ、手を離せと、叫べば、叫ぶ程に、ガチリと、掴んで、離さんでねえ。考えてみたら、考えんでも、これも、母の体力、あったの時の話、なれどです。
イヤイヤ、諸般、諸々の、です。
コレ、日常の話やでの、偶の話と違うの、トイレも、短くなら、10分毎で、長くなら、2時間保つの哉の、一日も、24時間体制やでの。施設と違うの、直言するの、あちなら、交替制勤務で、こちは、家族のみ。
反対には、家族故、やってるですが。出来るですが。
突然で無く、次第、次第にの、重症化でして。但しの、骨折なり、転けては、重症化でして。
ンの、云うてるは、施設を利用出来てるが故、保つのけどや。保つとは、こちがやでと。
その上で、云いたいの放題、云われてみい。腹の立つのり状態なれどです。ソラなの、家族故での、こちも、云い反すの、家族故での。双方、遠慮があらへんしと。
よて、殺害、事件、勃発なるは、理解するも、我々夫婦、殺意、覚えたの事、無いなあと。
ン、ンの、我々、極の自然の、状態でして。
諸般の判断にも、間違いなるは、一切のあらへんと、大いなるの自負してるです。
そらなあ、自身の事でも、そのよに、判断してるわと。
まあ、云うたら、母の歳で、93歳で、呆けも、仕方があらへんわの、自然やわと。
進行遅らせるが出来たって、多少やわと。それよりも、喉の辺りを切開しての、食物、流動食、注入なんか、当方、そんな事、されるは、断じての、嫌やわと。
そんな事、されてまで、生きたいとは、思てえへんわと。
オッとの、トッとの、母の意思、分からんのけどや。確認なんか、してへんしと。
まともに、尋ねたならばの、母なら、生<せい>えの、執着大いにある。とは、思うのけどや。
喉の辺り、切開してまでは、ど哉の。嫌と、返答するわと。ここにも、歳の問題あるわの。
考えただけでも、ゾとしの、拒否反応やと。こちも、そんな状態なんか、想像するだに、可哀想也と。
当人にしたって、人間としての、尊厳なるが、存在致すわと。
別途の話、なれどの、頼むからと、懇願も、オムツをしてくれへんかったんやでと。してくれたら、こちも、夜の部、チョとでも、助かるのにや。頑として、受け付けずで、家族泣かせ。
であても、仕方が無いなあと、こちは、無理強いは、せずの、耐えたんやでと。
云うたって、3日が限度怪と。ソラ、寝てらんわと。夫婦共々、共倒れの危機に相成るわと。
とまあ、そこまで、してくれるの、息子、嫁が、居てるの怪と、自負してるわと。
とかとかの、介護の大変さ、なら、重々の分かるわと。
(16/04/08)