シバケンの単なる雑談NO.142
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目次
NO.1690 見舞いの話(3)
NO.1689 見舞いの話(2)
NO.1688 見舞いの話(1)
NO.1687 散髪屋の話
NO.1686 諸々の予定の話
NO.1685 元ワコー電器QC責任者の入院の話
NO.1684 母の一周忌の会席、どこでの話(5)
NO.1683 母の一周忌の会席、どこでの話(4)
NO.1682 母の一周忌の会席、どこでの話(3)
NO.1681 母の一周忌の会席、どこでの話(2)
NO.1681 母の一周忌の会席、どこでの話(2)
ンの、マの、しかるべくの、決断致したです。
イヤ、一周忌の件。
菩提寺、「光圓寺」には、5月3日、10時から、読経で、約の、1時間。
「東大谷祖廟」に移動で、墓参。まあ、移動時間、不明なれどの、所要時間、1時間哉と。
そして、「いそべ」に移動で、30分の余裕見て、12時半より会席をと。
要は、「いそべ」に決めたです。
主たる理由、駐車場の問題でして。まあなあ、大人だけなら、少々、強引にも、考えるですが。小さいのが居てたら、車は必須也と。
でや、早速にも、親戚筋に、連絡なれどです。
柴田の方、下の叔父に、その旨伝え。
当人曰くに、歳やしなと。ンの、分かってるわと。よお、よお、考えて頂戴なと。此度、一周忌の連絡をと。一週間したら、又、電話するしと。それまでに、考えてもろたら、結構なると。
会席の、「いそべ」の件もあるし、人数確定させんならんしと。
そらなあ、無理しんでも、ええで。
とは、云えず。
同様にして、上の叔父宅、電話で、従兄妹が出て。斯くの、然々でと。早いモンで、一周忌、チョと早めの、5月3日にと。
ンの、お母ちゃんがなあと、腰が云々での、立つが大変でと。ンの、マの、そ云われたら、申すの、無理しんでもと。人数の件あるしで、一週間したら、又、確認の電話するしと。
ここは、昨年、母の葬儀直後に、引っ越しまして。
伏見、深草の、京都教育大学の辺りでして。
本来なら、早々にでも、訪問したいけどの、引っ越し祝いも、諸般、葬儀の後だけにの、遠慮してるです。せめてもの、節分過ぎたらと、思てるの間にも、一周忌の事、真剣に考えんとの、2箇月先でして。
いやなあ、叔父の方は、諸般で、深草には、出向いたのらしく。
当人、先月<2月>にと、申したですが。従兄妹に、その話、伝えたならばの、来てくれやはったの、去年えと。ンの、サヨかと。
での、タケちゃん、とは、当方の事、なれどの、元気そな声やんかと。ンの、マの、何ちゅうかの、声だけやと。
そらなあ、腰が、歳がの、話で、元気、元気の、走り出す程の。とも、云えず。
モ一発、そらなあの、当方にしたって、イツの間にやらの、紅顔の美青年から、来年早々には、古希でして。我れ乍らに、嫌になってるです。ほんまやでと。
いやなあ、そらなあの、感覚的、来年にも、古希の声なるは、ボチボチの、この世、現世から、サイナラしても、無茶苦茶の早いなと、惜しまれるの年齢で無く。精々が、チョと、早いなの程度哉と。
少なくともの、我が感覚なら、そんなモンでして。
イツでも構わんの年齢哉と。
イヤ、事実、そんなには、この世に執着心、あらへんでして。
オッとの、されどの、長生き、しとは無いでも無いです。
この辺り、微妙なるの感覚での。そらなあの、健康で、動けて、食欲あっての、喰えての、金あっての、使えての、楽しい人生なれどの、ソラ、動けるですが。喰うは少食なれどの、旨いは、旨いし、旨いモノ、喰いたいは大いにあるですが。
先立つの、金無いわと。
ンの、こんな具合にの、金無い、金無いと、云うてたら、アカンですて。金運逃げるですて。
さりとての、あから様に、金欲しい、金欲しいも、貧相での。欲の皮、突っ張ってるみたいで、ども成らず。
簡単には、金に左程の、執着心無いは事実の、無いは、無いも、何故か、自然に回転してるも、事実で、当然の、贅沢なるは、してへんわと。しよが、無いと。とも、云えるですが。
オッとの、従兄妹にそんな話、してへんでと。来年には、当方、古希なんやと。とは、申したですが。
そらなあ、くどいけどの、皆、年々、一歳ずつ、歳喰うです。
それを、忘れる事あって。
叔父と、電話ででも、話、してたら、昔年の、一緒に暮らしてた頃の、事、フと、思い浮かべてまうです。そんな話、イツの事哉の、当方、20歳辺り、まで、でして。
ででや、柴田の方なら、その2軒。
母方、津崎の方なら、どの範囲哉の、基本、伯父達の、長男家にと。墓守、仏壇守の従兄弟にと。母の妹も生存してるですが。そこは、女子ばかりで、付き合い僅少の、情報無いです。
よて、下の伯父家の長男にと、電話したなら、大体が、コイツ、電話に一発、出て来るが、珍しく。
家にも、ケータイにも、電話したですが。アカンなと。後刻、後日にでもと。
デハの、上の伯父家の、ここは、次男家になるですが。長男家、早世にての、嫁、家継がず。そこの、長男も、ども、よお、分からんでねえ。イヤ、居てるですが。多分なら、家出て、どこかにと。
オトトの、所謂の、家出<いえで>で無いです。就職先なりが、地方ではと。
よて、長男家、墓守、仏壇守をば、次男家に託したわと。
要は、諸般の、親戚付き合い致さんの話での。
まあなあ、他家の事故、それ以上の事、当方知らんわと。
でや、そちに、電話一発の、ここは、嫁はん、出てくれての、久しぶりやねえも、昨年、母の葬儀、通夜で、会おてるですが。
いやなあの、早いモノでの、一周忌でねえと。
実は、ここは、当家に来た事も、当家、菩提寺も、知らんでねえ。墓地も知らんし、何も、知らんです。
そこの、長男なら、当家、親父の葬儀の時、来てくれたですが。先の通りの早世でして。
云うたら、下の伯父の長男家も、従兄弟も、来てませんの、親父の葬儀等々の時には、伯父健在でして。
よて、従兄弟嫁には、「光圓寺」の場所、松原通りの、西洞院東入るのと。細かくの、寺は、スグにも、分かるけれどの、寺には、駐車場は、無いしと。近在には、コイン・パーキングが、あるけれどと。
そして、そこには、10時から、読経で、当家のは、寺に墓無く、「東本願寺祖廟」也と。コレ、円山公園の、ソバなんやけどと。墓参で、その、円山公園内、「いそべ」で会席致すぞと。
どちにしろ、人数、確定せねばの、一週間したら、電話する故、よ、考えといてと。
尚、先の、モ片方の、従兄弟には、電話したけど、出て来いひんしで、連絡付いて無いでと。
それ云うたら、我が妹には、嫁はんから、ケータイ一発、出て来いひんでねえ。
ここも、ナカナカに、連絡がと。固定電話を引いてませんでして。
結果、折り返しの、電話も無くて。コマツタなと。
(16/03/07)
NO.1682 母の一周忌の会席、どこでの話(3)
にしても、俄然、気忙しいねえ。
イヤ、母の一周忌を決めたらです。
あっちに連絡、こっちにと。居てたら宜しいですが、居てへんかったり、ケータイに電話も、取ってくれへんかったり。
再度したら、嗚呼、昨日はなあと。
あのなあと、とは、申さんですが。後刻にでも、分かれば、連絡せよと、云いたいは、愚と、グの、我慢、ガマンにて。事を荒立てるの事もなと。
何よりも、困るは、何度、電話しても、出えへんの事。
これ、母方、従兄弟の事なれどの、どしてるの哉と。
葬儀の時、会おてるですが、元気無くて。そらなあ、一気、ガクンと、歳喰てもてねえ。当方より、若いのにと。パと見、老人でして。
ンの、マの、60代、還暦過ぎたら、それも、65歳にも、到達してたら、老人でありの、高齢者なれどです。世間的にはなと。
電話、繋がらんと、もしかしての、入院でも、してるの哉の。されどの、嫁も居てるやろにと。見舞いなり、付き添いで、行ってる鴨の、状況、皆目の分からんだけに、気ぃ揉むわと。
そらなあ、尋常で無いの、老けよでの。
その時、どしたんと、率直、単刀直入に尋ねたですが。酒止めたんですと。
あのなあと、酒止めて、そんなに老け込む怪と、コレ又、ズバリの、申したですが。ヘラヘラ、笑てるだけで、納得の応答得られずでして。それが、あるだけになと。
この従兄弟、京都の時には、スグの近くでねえ。
郁文中学校に通うの道中での、よお、立ち寄ったわと。イヤ、従兄弟に会うが目的に非ずの、伯父、伯母にでして。
それもあるし、当方、高校生時代には、こいつの進学援助で、家庭教師もチョとだけ致し。
ここには、従兄弟3人居たですが。一番下のは、遠の昔に、他界でねえ。30代であったか、40代になってたの哉の。生きてたら、60歳、チョと、過ぎでして。伯父、伯母も他界でねえ。
中手は、神奈川の方やしなと。伯父の葬儀以来、会おてえへんわと。
結果的、京都の、この従兄弟となら、諸般の、母方、親族、葬儀なり、年会で、会うの程度なれどの。会おてまして。
トトトの、入院とは、決まってえへんわの、とりあえず、こいつ、酒飲みでの。
従前、電話してても、云うてるの事、呂律回ってえへんで、何云うてるか、さっぱりでの。困るの事よと。
それもあるし、ここでは、この段階で、詳しくも、掲載出来ぬの、妹の義理の母、要は、婿母なれどの、昨年、特別養護老人ホームに入所なれどの、余り、様態、芳しく無いよでねえ。
イヤ、当方にとては、姻戚での。ええのなら、見舞いと、するも、変の、入所の事、聞いたの時、面会になら、行ってもと。申したですが、そのままになてもての、以降、その手の話、出してえへんですが。
での、此度の、この件、聞いたの時も、ならばの、ええならと、申してるですが。特段ので、どしょ怪なと。当方がや。
ンの、マの、再度の、我々の立場なるは、基本、婿殿なりの意向、考えに従うのダケでして。
イヤ、先方、妹なり、婿殿より、見舞いなり、面会をと、成るなら、そかで、参るですが。血縁に非ずの、姻戚なるは、誠に以て、微妙なるの立場での。
我々が、面会なりに、行くに、婿殿のお母さんが、気ぃ使われるも、困るし。ソラなあの、行けば、気ぃ使て当然での。気楽で無いわと。
こちにしたって、諸般の立場があるわと。
イヤイヤ、云うとくの、従前、骨折なりでの、入院されたの時には、見舞いに、行ってるわと。
これは、入院の報聞いて、ならばと、即の、日決まり。
行くにしたって、妹夫婦の案内無くして、勝手には、行けへんもあるし。行ってもええけどの、妹夫婦の立場もなと。
いやなあの、事程左様の、何、云うてるかと、なればの、当方歳喰てもてるは事実の、認識しの、前提での。
ハタと、気ぃ付けばの、相応に、周辺、皆、歳喰てもてて。自分だけが、歳喰てるで無いを実感致すわと。
反対には、周辺の状況より、ハタと、こちも、その年代に突入してるんやと。痛感させられるわと。
云うてるは、その以前なら、電話に出て来いひんでも、コイツ、どこをほっつき歩いてるやと。この時間に、遊び怪、パチンコ怪の、飲み歩いてるなよの、範疇での。入院なんか、一切と、までは、申さんでもの、一番手候補、念頭に来るでは、あらへんわと。
それもあるし、その親年代なら、正直なるの話の、ボチボチも、不思議で無いの、年代での。
そらなあの、我が柴田の親族、叔父、叔母<叔父嫁>にしたって、皆、ええ歳やでと。皆も、残ってるが、2人だけなれどです。
ソレ思えば、親年代のが、少々芳しく無くの、報聞けどの、変な話、ここだけの話なれどの、意外性あらへんでして。
そらなあの、我が母の事にしたって、80代後半より、骨折しては、杖になりの、杖も、2本になりの、歩行器になって。又、骨折で、車椅子に、なれどの、モ、ボチボチとは、頭の片隅には存在も、現実的、百歳も、生きるよに、思てるわの。下手したら、こちの方が、早い鴨の、範疇での。
イヤ、冗談で云うてる、思てたで無いわと。
母、見送れば、結果、親2人、無事に見送れたに相成りの、誠心誠意の、親孝行、実践したの自負も、ハタと、次ぎ、自分の番也も、冗談で無くの、現実での。
又、そで無くてはならんわと。
こんな事、自分で、決められんのけどや。一歩先の事、誰にも、分からんのけどや。
とりあえずの、現実問題、親世代、順々にも、特段の事、感じんわと。順当でして。
そやからと、柴田の叔父、叔母<叔父嫁>が、今日の、明日のと、そんな事、全然の想定なんか、してへんわと。
永遠は、無理も、イツまでも、元気にしてて頂戴な、でして。
それこその、叔父なら、血縁親族も、年齢上も、特段の、こちの方、早くなりても、そらなあと。我が親に非ずの、親の弟での。寿命は、分からんしと。
その心なるは、後も、先も、左程の事であらへんわの、自身の親なら、順当に、見送ってるわと。文句、あっかと。
オトトの、何で、こんな話、してるの怪のと。
とりあえずは、当面の話の、母の一周忌の事やと。
これは、むしろの、母方、血縁者であるの、参加、参列をと、だけでして。
考えよでは、ホンの身内だけでの、一周忌でも、構わんのけどや。
ここだけの話、でも無いの、こんな時にしか、血縁親族、一同に集まるの機会、僅少になってもて。
そらなあの、我が息子共、その嫁、孫共にしたって、祖母の、曾祖母方、血縁親族なんか、よお、知らんやろと。
母の葬儀の際、チラ見だけやろと。息子共なら、時折なら、見せてるの表現異なれどの、伯父達の家には、連れてってまして。されどの、従兄弟まで、居たやろ怪と。
かと、申しの、以降、親族としての、お付き合いもなと。知っとして、損にはならぬけどの、知ってて、左程の得も無く。
そんなモン、親族、広げてたら、大変ぞと。
ででの、「母の一周忌の会席、どこでの話」。
となればの、既に、決めたの、「いそべ」やわと。
(16/03/08)
NO.1683 母の一周忌の会席、どこでの話(4)
いやねえ、母方、従兄弟の1人。
前夜、20時頃哉の、ケータイも、固定電話も、留守電。
本日、朝、11時頃、昼一番、夕方と、夜の、21時の、4度<たび>、挑戦なれどの、悉くの、不発の、留守電。
にしてもの、留守電ねえ。
一応は、用件、超の簡単、こちの名と、目的、録音させてるですが。云うたってなあ、その都度、録音も、チョとなあと、ケータイに、2度、固定電話に、2度しか、文言、発してえへんのけどや。
この、留守電に、モノ云うは、変な気分でねえ。何を云うの怪と、まごつくです。
どちにしたって、現時点までは、云いっ放しで、応答あらへんわと。
にしたってや。
当家、外出の際にも、一々の、留守電になんか、しやへんでと。
ケータイにしたって、病院、映画館程度哉の、電源切るがです。或いは、会議とかや、講習会なりの、そもそもがの、この、電源切るが、留守電怪と。違うやろなの、この場合、それなりの、アナウンスされると、解釈してるですが。
要は、留守電ねえ。
よお、云うたら、コマメでして。
されどの、ケータイまで、留守電にするの、理由、矢っ張り、病院で、入院怪なと。されどの、電源切るやろと。
そやけど、やけどの、当世、ケータイの電源切るのよな、奇特な方、居るの怪と。
留守電にしてたって、しかるべくの、確認するやろと。
当方なら、電源切ったら、切ったで、切った事、失念での、数日してから、ハタと、気ぃ付くですが。
大体が、ケータイに電話が珍しく。基本、嫁はん程度での。偶には、学友から怪と。嫁なら、ケータイの、メールでして。
息子からは、ケータイにか、固定電話にかの、電話なれどです。
イヤイヤ、にしたっての、再度の、従兄弟嫁まで、留守怪と。
ここには、長男長女、居てるですが。両方、結婚したのか、して無いのかも、あるの、片方、息子の方、昨年、結婚したは、その弟、中手の従兄弟からは、電話で、聞いたですが。
多分なら、2人共に結婚して、家には、居やへんのやろと。
とまあ、それは、結構も、嫁はんまでが、留守が、解せんでねえ。
かと、申しの、夜の、遅くの、22時以降に、電話するの、緊急で無く。朝の早くの、9時や、10時に電話するもなと。
相応の、電話するにも、一般常識なるが、存在致すの、当方、それ、無視までは、憚るの。そんな事、云うてたって、連絡付かんなら、相応の対応せねばの、コマツタなと。
何よりもの、ここまで来たら、余計なるの、心配致すです。
とりあえずは、昨年6月の母の葬儀の際の、覇気の無さ。ガクンと、老け込んでもたの、様子。
この件、その中手従兄弟には、話、したですが。へえと、そんな事、無かったですと、申してたですが。
去年、息子結婚も、去年のイツかまで、聞いてえへんしと。オトトの、去年も、一昨年<2014年>の事に成るけどや。
余計なるの話、年月経つは、ホントに早いねえ。
歳喰たら、喰うだけ、時過ぎるが、早いと、聞いてるですが。事実、アと云う間に、一日過ぎての、月、替わりの、年過ぎるです。
その分、加速度的、歳喰う、年齢加えて、歳老いるになるです。
ほんまやでの、朝一番、顔洗うに、歯磨くに、鏡見るがゾとするわと。コレ、この老人、我輩怪と。ど見たって、自分1人しか、映ってえへんなと。
他に、幽霊も、居てへんし。幻覚、夢見てるで無いの、そこまでの、耄碌も、ボケても居てへんわと。
ほんまに、ほんまやでの、目の周辺、顎の、頬の、首筋の、皺がなと。分かるわと。見えてるわと。
手の皺もなと。自分でも、ゾと致すわと。
それ以上に、ゾは、腹の出っ張り。世に云うの、メタボ腹。
背高く、なら、都合、ええよにの、恰幅がと、出来て来てと。とも、解釈なれどの、背あらへんでみい。不格好ぞと。
ここだけの話の、されどの、同年代の、とは、比較で、可成りの、老け顔でも無くて。
自分で云うも、何やけれどの、若くは見られてるわと。
その若くもなと、まさかの、50代。60代も、なったのばかりの、辺りまでは、大袈裟でして。まあ、精々が、前半やろ怪の範疇での。
これが、損する事の方、多く。
損も、異なる表現なれどの、大体が、チョと下のからは、歳下に見られ。同年のからなら、当然の下に見られ。チョと、上のからは、可成りの歳下に見られの、概ね、上から目線で、モノ云われ。
よて、時折なら、アンタ、何歳と、問われたりの、申せば、そんな歳喰てるん怪と。されどの、それで、言葉使い、丁寧にもされへんでねえ。
オトトの、当方の話、余計なるの。
従兄弟、老けた、とは、頬痩けて、皺増えて。動作、よぼよぼの、までは、大袈裟でもの、きびきびも、この歳では、出来んけどや。
パと見、コレ、アイツ、従兄弟かと、瞬時、別人と、見える程の、でして。
まあなあ、幼いの時より、承知故、その瞬時より、相応に、見え出すですが。見えたって、当方よりも、軽くの年配に見えたわと。
そんな事、珍しくも無いのけど。余所様ならなの、その差激しくと。
言葉、弱々しくの、覇気、生気、乏しくて。
大丈夫怪と、病気でもと、心配になったが故、葬儀の時、我が運転の車内にて、問おたんやと。
そんな次第の、斯くなるでの。
若い頃なら、少々、老けたって、どて事、あらへんですが。この歳、60代も、半ばに達して来ててみい。この老けよは、尋常で無くの、必ずや、何か、隠してるの。
我々に隠したって、しょがあらへんのにと。
トットの、明日にでも、再度、電話してみる怪の。
電話が、マダ、掛からんなら、掛かってはいるけどの、留守電なら、埒空かんしで、別途の手段、葉書でもと。
出してみるかと。
(16/03/09)
NO.1684 母の一周忌の会席、どこでの話(5)
本日<3月9日>も、従兄弟の家に、ケータイにと。
電話、連発と、する程の、頻度で無いの、各々、4回なれどです。
イヤガラセでも、ストーカーでも、あるまいにと。
当方、至って、常識人の、積もりでして。
どちにしたって、当人、家族、家族も、多分なら、夫婦2人だけと、思うですが。
ダアレも、電話に出ませんし、留守電でして。当方的感覚なら、異常でして。特には、ケータイまでが、留守電、解せんなと。
されどの、まだまだ、急ぐ事もあらへんでして。
イザとなればの、葉書の手と、モ一発、あるです。
中手の従兄弟に、ケータイででも、尋ねるの法。
あのなあと、アイツに、なんぼ電話しても、出て来やへんのやけど、何か知ってる怪と。ソラ、弟故、兄の事、多少なら、なと。
云うたって、京都と、神奈川に別れて、ン十年。一々の、細々の、動向、知らせるかは、分からんですが。
コチにしたって、伏見の妹に、一々の、どのこのなんか、知らせませんでして。アチも、コチに、自分の事、家の事、細々とはなの、諸般、尋ねても、そんなにはなと。
イヤ、そんなモンです。
用事無くともの、面と、向こて、ナンボでして。
或いは、諸般の、通信あっての、値打ちでして。
そらなあ、通信あって、現状、チラとでも、世間話的、申すです。通信無いのに、テレパシーで、動向分かれば、予言師、占い師、神業でして。
今時、テレビで、「神対応」なる、文言、流行ってるですが。
要は、この有名人が、忙しいのに、ご親切にも、咄嗟の判断、対応にしても、素晴らしいぞの、宣伝でして。持ち上げでして、胡麻摩りでして。
「神対応」と、称され、気分、悪くなるの筈は無く。
かと、申しの、この通常の対応、出来ぬの面々、多いぞと。何でも、自分だけでして。
オッとの、自分だけも、結構なれどの、基本、本音の、本音での。最終的、とことんの、自己犠牲、出来るのなんか、居てへんわと。
とまでは、云い過ぎも、「神対応」にしたって、自分のためでして。
ンの、マの、それが出来ぬの面々、多い故、簡単なるの事、常識的なるが、「神」扱いされるんやの、或る意味、情けないの、世になったなと。
これを、当方、距離感と、思てるです。考えてるです。人間との、でして。従兄弟、ハトコ、親族、姻族、兄弟、親子間、夫婦間、町内会、同窓生等々。
会話あって、距離感、縮むです。面と向かうの機会あって、親密度増すです。コレ、何か、文句あっかの、当たり前やろと。
他家に出向きの、ご飯一膳でもは、その昔なら、当たり前の事やったんやと。もてなしのため、店屋物でも取るかは、歓待されてるの証左での。ンの、手製、手料理でも、結構なれどです。
昔なら、店屋物なるは、贅沢でして。その贅を、客人のためなら、一発と。
オトトの、当世、店屋物なるの文言、死語哉と。コレ、「てんやもの」と、読むんやでと。「てんやもの」ねえ。京都弁的なら、「てんやもん」なれどです。当方、京都故、「てんやもの」には、違和感がと。
要は、客人のため、出前を頼むの意での。当世、出前、そのものを、してくれるの店、僅少での。
昔なら、仕出し屋は、ソレやし、うどん屋でも、飯屋でも、近在のなら、出前してくれたわと。わざわざの、店に出掛けてまではなと。出掛けてもええけれどの、その道中の時間、さえが、勿体ない的感覚哉と。
モ一発、客人を動かすもなと。
イヤ、特段の、出前頼むも、高級料理に非ずの、先の通りの、うどん、とかでの。あるいは、丼、でもの、寿司なんかを、頼むとならばの、大散財、大歓待なれどの、そこまではなと。当然の、懐具合もあるやんかと。
云うとくの、寿司も、回転寿司なんか、あらへんの時代の話やでと。よて、握り寿司に相成るわと。これも、そこらに一杯と、までは、申さんの、あったんやと。京都市内の話やでと。
モと、云うたら、当時、その昔、店に、喰いに行くの方、贅沢的でして。
行くも、歩いての範囲故、近所やしと。店に入ってもたら、近在の方ばかりの、そんな店にショッチュウ、入るは、それこその、贅沢での、目立つし、皆、承知の方での、憚るわと。
店で、ばたり故、お互い様なれどです。
やから、当方にしたって、家の近所、歩いての範囲の店なんか、入って、喰たなんか、1回も、あるの怪の範疇での。
イヤイヤ、店になら、出向いてるです。親なり、祖母の指示で、出前を頼みにでして。「おつかい」で、でして。嫌も、応も、あらへんわと。
その当時なら、子どもの、「おつかい」なんか、当たり前。
云うたって、近所やしなの、町中での。車も、殆ど、走ってえへんの時代やわと。そこら、近在故、皆、承知やしと。当世の如くに、ホンの近所のみしか、双方、知らんの、水臭い、希薄なるの、関係とは、違うしと。
イヤ、兎に角、食堂なり、うどん屋に入って、喰うは、それ、そのものが、贅沢なんやと。昔はなと。当世でもや。
その多少の贅沢、気楽に出来るの時代になったんやと。それだけ、世間的、裕福になった。とも、云えるですが。事実、裕福になってるわと。
とかの、こんな話、してたら、ドンドンの、話逸れるですが。
この、中手、従兄弟と、前回、会おたとなればの、イツの話哉の、2003年の事やしなと。その伯父の葬儀の時やしなと。
<参考=「不可思議の世界NO.3、NO.4」伯父貴が逝きよった>
その前には、その伯父が危篤の時での、見舞いに行けば、元気でねえ。そこから、1年以上、保ったの哉と。
イヤ、危篤と云うのか、今の内にと、そこの長男、申すが故、母と一緒に、京都府庁の、「京都第二赤十字病院」に、伯父入院で、見舞いに行った事、あったなと。
危篤、との話故、中手も、神奈川から、来てたですが。
ここだけの話でも無いの、そこで、兄弟喧嘩、しよってねえ。口喧嘩なれどです。
要は、弟が、兄は、頼り無いと。
当方、聞いてて、あのなあと。
親と同居で無いにしたって、ソバに居てて、食事は、毎回、毎回、届けてるですが。コレ又、大変なるの、努力での。親孝行での。
その辺り、弟からしたらの、兄故、当たり前の事でして。
されどの、口では、文句云えても、ソレ、実行、ナカナカに出来んぞと。
当方なら、親と、同居故に、その中手従兄弟にも、説教出来るですが。年配者でもあって。血縁親族でもあって。
オッとの、説教なんか、してへんのけどや。イヤ、したんかなあと。ゴタゴタ、云うたるなと。コイツの、出来る事、しとるわと。
そらなあ、何度も、何度も、緊急にの、救急車で、病院に、でして。
ンの、そ云うたら、「京都回生病院」にも、見舞いに行ったなと。そこの方が、伯父宅、従兄弟宅の、近所での。
そらもお、出たり、入ったりでの、伯父が、でして。長男君、その度、親父を入院させたりの、大変なるは、重々の承知してたわと。
その細々、までは、中手、知らんのやろと。
知らずに、兄は、頼りない、頼りないと。まあ、そんなモンやと。
やてるの方、当たり前で、やってても、知らぬモノ、見えてるの事、だけしか、知らんわと。
ソラ、一々の、細々までは、弟にまで、知らせてえへんやろな。
神奈川やしなと。
一々の、こち、京都に、来いとも、云えへんし。イザの時だけやしなと。連絡するがです。
まあなあ、中手も、親思い故やと。
ンの何の話、してるの怪と。
とか、申し乍らも、ここの事、チョとだけ、補足しとくです。さもなくばの、若干の、辻褄がと。
ここ、逆見てるです。
まずは、伯父嫁、他界で、三男、他界したです。
よて、伯父の晩年には、嫁はん亡くし、1人暮らしに相成ってたです。
とは、云え、息子<長男家>、まあ、歩いてなら、実家に、15分哉の近所に住んでるです。現在も、そこに住んでるですが。
住んでるの筈、なれどです。連絡、付かんなと、
(16/03/10)
NO.1685 元ワコー電器QC責任者の入院の話
津崎方従兄弟には、マダ、連絡付かず。
付かずで、3日連続なれどの、アレコレ、考えたって、しょがあらへんでして。病気等々、入院なんか、万事、想像、妄想、勝手推量の世界でして。
家の電話なら、嫁はんの実家に行ってる。或いは、息子、娘の方えでも、旅行も、考えられて。
ケータイなら、電源の入れ忘れ怪と。
どちにしたって、伝言、入れてまして。当初なら、又、連絡すると、してたですが。直近のは、連絡呉れと。
さての、諸般、あってねえ。
岡山、笠岡の、ワコー電器の、元社員。
ここで、実名出したって、最早の、ン十年の昔に退社してるですが。
とか、云うたってなあ、はきりと、申しの、田舎でして。ワコー電器の所在地が、でして。会社らしい、会社、工場らしい、工場。笠岡で、ワコー電器と、申せば、殆どの方々、承知でして。
とかとか、云うたって、退社して、ン十年ともなればの、現役社員が、承知はしてへんのヤツ、なれどです。
かと、申しの、実名、ズバズバなんか、憚るわと。
イヤ、云うとくの、この件、先様の話、掲載するゾと、伝えてるです。
返答、イヤイヤ、ドンドンの、大いに結構ですよと。むしろの、掲載して頂戴なと。
イヤイヤ、嘘や無いの、ほんまやでと。
実は、当方、ダイオード製造部時代の、工場QC責任者が入院しててねえ。2月からでして。
イヤ、コイツ、その昔、昔、丁度、四国、香川の、アオイ電子で実習致し、ダイオード製造の、でして。増設のためでの、実習終えて、笠岡、ワコー電器に戻り、初期稼働前段階にて、倒れてねえ。
この、担当者と、するのか、責任者がでして。
基本、実習中は、当方も、アオイ電子で、一緒してたですが。稼働準備からは、当方、京都本社ロームに戻り、電話でアレコレ、指示してたですが。
ソラ、生産設備も、組立中での、稼働もしてへんのに、行っても仕方が無くて。
指示も、簡単なる事での、出荷検査なりの、ための、限度見本、作れ。工程の、パイロット・ダイオード作成せよ。検査規格、記録表、帳票類の作成をと。
こんな事、実習中にやっとかんと、あかんやないかと。
までを、云うたかは、定かに非ずの、そんなよな事、云うてるの電話の最中哉に、倒れてねえ。
オトトの、云うとくの、コレ、全て、QC責任者にヤレと、云うてるでは無いです。QC責任者が指示し、工程責任者に作成させよと、申してるです。当然にして、QC責任者が行うの事項もあるけどや。
云うとくの、余程の事の無い限りは、本社QCが、工程責任者なりに、直接の、指示する事は無いです。万事、工場QCを通じてでして。
そらなあ、指示系統、統一しとかんとなと。工程QCが、全容、把握しとかんとなと。
さもなくばの、バラバラになるです。
ここだけの話の、でも、無いの。
時により、アホの、下手なのが、あちこちに、勝手に指示しの、以て、工程で、もめるです。問題発生致すです。意思統一、出来てませんでして。
ソラ、指示系統、一本化であらへんでして。混乱の元凶での。
まあ、云うたら、工場QCも、強大なる権限、有してる。とも、云えるわと。
イヤ、それでや。この工場QC責任者に、電話で指示なり、してるの最中。
突然にも、電話の声、聞こえんよになって。
只、誰かに、電話、替わって頂戴なと、聞こえてたですが。
替わった、誰かは、誰とは、記憶してへんですが。
実は、彼、入院と、矢っ張り、元ワコー電器の工場QC責任者の、黒君。
こいつ、入社は、抵抗器で、後年、LED製造の工程QC責任者になったですが。
この黒君より、ケータイ一発、あのねえと。彼、カツノリさんに、電話してやってよと。
見舞いに行ったら、当方の話が出てねえと。久しぶりに、話がしたいと。声聞きたいと。へえと。
そらなあ、ン十年ブリでして。
止めたも、承知してるし、過年までは、年賀状程度、往復してたわと。
云うたら、カツノリなるは、当方と、同年。黒君、一歳下でして。要は、同年配でして。
諸般、業務では、親密、濃密なるの、連絡、取ってたしと。ソラ、意思統一なるが、重要での。
黒君にしたって、カツノリにしたって、想い出一杯でして。
での、このカツノリなるは、一時、ブラジル工場に出向してて。
当時は、設備関係と、するのか、元々は、計測器担当での。大体が、QC担当なるは、電気屋でして。ンの、正確には、電気専攻のが、QC担当に相応しく。
そらなあ、そもそもがの、電子部品製造でして。抵抗器、ダイオード、LED、トランジスタ、集積回路等々、全て、電気、電子、知らずに、やれへんわと。知らんでも、やれる事も沢山あるけどや。
電子部品故、工程での、特性測定なるは必須での。その測定法、条件、判定基準、中身なるは、製造過程の、知恵の集結でもあって。ここを、ミスったら、ヒックリ反るわと。
とかとかの、そのブラジル工場にて、台風の時、彼、屋外に出て、設備の点検してたの哉の。その時、落雷に遭遇、大火傷。
よお、一命とりとめた程の重症での。腕、手には、火傷の跡が、残ってるです。
結果的、以来、体調悪くなり。時折は、しんどくなりての、入院したりも、してたですが。
イヤ、普段なら、元気、元気の、所謂の、冗談多いの、オッサンでして。
コイツも、黒君も、喋る、喋るの、喋り出したら、止まらんでねえ。黒君、速射砲の、早口、早口、一方的で、モええ怪と、尋ねんならんの程での。
カツノリなら、早口に非ずの、反対の、ユックリ、ユックリと、する程の、ユックリでも無いけどや。話するは、好きな方での、喋り出したら、止まらんは一緒の、両人、ええ勝負。
事程左様の、先月、2月、入院した故、電話してやってよと。ンの承知と、ここまで、掲載、記載のしてるの事、概ね、こんな事、あったなあと、ケータイにての、話をしたわと。
ンの、柴田さん、よお、覚えてるなと。
そらなあの、印象深い事故、覚えてるわと。
オッとの、話好きの、カツノリ故、当然の、当方の話は、その程度での。
大部分、あちが、延々の話を、こちが、聞いてたわと。正確には、聞かされてたわと。
中身、ワコー電器、退社してからの自身の、活躍ブリを、でして。フウンの、大したモンやなと。
オトトの、ケータイは、病院に、でして。
あちら、カツノリ、病室での、電話での話やでと。手術なるは、2月の、29日と、申してまして。
経過は、どなんやと、近々にでも、ケータイ一発、尋ねてやろ怪と。
イヤイヤ、彼の話では、簡単なるの、手術で無いのらしく。
(16/03/11)
NO.1686 諸々の予定の話
当方、知る人ぞ、知るの、出嫌い、電話嫌いで、医者嫌い。
よて、電話するなんか、鋭意決断の、清水の舞台、三度、四度と、飛び降りるの気分やでと。
まあ、そこまでは、大層で無いの、あんな高い所から、飛び降りたら、怪我するわの、怪我も、骨折大抵限の、下手したら、地獄まで、落ちて仕舞うの話での。
現在唯今、自殺するの気無く。天国、極楽にも、マダ、早いなと。この体調からはです。事件、事故に遭遇したなら、分からんですが。当世、この年代にもなれば、突然死もあるけれど。
オトトの、コマツタ、コマツタ、コマツタなと。
連絡の付かん、先様、2件。
余計な話、この、2件の、「けん」、漢字でなら、「件」か、「軒」か、迷うですが。口で喋る分には、区分せずとも、済むですが。この辺りを、掲載文では、悩むですが。
先刻、先日より、電話してるの、従兄弟は、マダ、電話が繋がらんでねえ。
年齢的、前回会おたの時の様子からして、心配でねえ。
さりとて、嫁はん居てるし、息子、娘も居てるしと。結婚したからとて、様子なら、知ってるやろと。オッとの、当方、そこまでの、先、知らんです。知らんとは、どこに住みの、電話番号も、皆目のと。
まあなあ、モ暫く、この状態で、根気良くと。
モ1件、元ワコー電器のヤツ。
過日、2月29日に、手術と、云うてたです。
よて、術後の様子、チョと尋ねてみるかと、ケータイ一発、「唯今、電話に出られませんので、ピと鳴ったら、云々」と、宣告された故、あのですねえと。柴田ですと。その後の様子はど哉と、電話したですがと、用件、入れて。
いやなあ、実は、簡単なるの、手術で無いです。
前回、イツであった哉の、2月の中旬、ケータイしたなら、その辺りの話も、しよったです。
症状、視界が狭くなってると。原因、髄液がと。
事、細かに、説明して呉れたですが。何分の、医者嫌い故、さっぱりでして。
只なの、脳下垂体に髄液がと。それが、原因とは、分かってましての、前回、頭蓋骨に穴開けてと。へえと。
そんな手術、度々の繰り返せずで、主治医が、諸般、学会に出席の際、知り合いの医者に尋ねて見ると。手術の方策なりを、でして。その手法で、29日、やってみると。
要は、電話したの時には、手法、決まってませんでして。只、29日に、手術すると、だけらしく。
以来、10日は過ぎた故、一応は、落ち着いてるやろと、思いの、電話したですが。
そんな事で、又、1つ、心配のタネが増えたなと。
イヤ、本日、午前中の電話での、現在唯今、日付的には、12日に成ってるですが。応答無く。
そんな矢先、我が家の電話が、リンリンと、鳴る故、誰怪なと。取れば、ミノル君での、実は、4月15日に、高校3年の、ミニミニ同窓会、再度やるの話になってての、その件での。
マサノリ君は、どなんやろなあと。
実は、実はの、電話して、出欠の確認しといて頂戴なと、頼まれててねえ。
イヤ、マサノリ君えの、電話なら、してるです。
奥様が出ると、思いきやの、いきなりの当人故、えの、マの、柴田です。嗚呼、柴田かと。
あのなあの、ミノル君から、葉書が届いてるやろなと。ミニミニの、ミニ同窓会の件なれどの、どやと。どとは、出席するのか、しやへんのかと。
ほならの、出席の積もりやでと。そかと。
いやなあの、ミノル君が、彼、彼とは、マサノリ君の事なれどの、どしてるんやろなあと。生きてるのやろなあと。との、生死の話は、冗談なれどです。
イヤ、実際にも、そのよに、申した故、この、10年、会って無いけど、年賀状なら、往復してるでと。少なくともの、一昨年までは、生きてた筈と。
イヤイヤ、平成28年度については、当方、年賀状遠慮の、喪中葉書でして。
喪中葉書に、返信無くて。
よて、前回、年賀状からは、生死の判断、出来兼ねるですが。まあ、生存してるやろと。
オッとの、その手、冗談も電話で致し。
話、それだけでの、積年の、積もるの話なるは、その日、4月15日にでもと。そやなあの、楽しみにしてると。ついては、ミノル君にも、連絡しとくと、マサノリ君、申してたですが。
連絡あらへんかったん怪と。無いなあと。
そかの、どちにしたって、当日、参加やしと。
このミニミニの、ミニ同窓会には、前回、アツオ君、ミノル君、当方の、3人に加えの、アキラ君と、マサノリ君で、都合の、5名に相成るですが。
アキラ君なるは、現在、東京在住での、多分ならなと。それが、戻ると、するのか、来る故、それに合わせての、ミニミニの、ミニ同窓会でして。
アツオ君は、三重県名張市でして。2名は、遠くから、遙々の、京都えと。
イヤイヤ、アキラ君なら、基本、大学生の頃、一度会おたですが。以来故、最早の、50年ブリ怪と。こいつ、京都大学農学部の筈でして。
既に、紹介の、アツオ君なら、大阪大学の、何専攻やったの哉の、そこまで、聞いて無いの、シャープの研究所では、レーザーをやってたわと。よて、理学、工学の、どちか、やろと。
マサノリ君なら、同志社大学文学部。
オッとの、こいつの話も、過去数度、掲載してるです。
後年、魁党首の、武村正義が、滋賀県知事時代の、番記者してたと。
トットの、トトトで、ここで、この手の話、してたら、延々の脱線で、戻って来るに難儀故、ここまでにして。
明日、12日<土曜日>は、今年初の、芋煮会でして。
明くるの、13日<日曜日>には、妹の婿母が入院してるの先に、見舞いにの、予定での。入院の事、聞いた時より、その積もり、してたですが。よおやくにしての、日が決まり。
いやねえ、婿殿、息子としたら、母親の様態、心配とは、分かるですが。ソラ、こちも、昨年、母亡くしたのところやわと。
とりあえずは、元気したはると。
ンの、元気で、入院、異なるの話なれどの、それは、ソレ。
先様、母親の入院でなら、過去、大昔を含めの、事の、3度、見舞いに出向いてるわと。
一度は、宇治の徳州会病院。これは、もお、30年、40年の、40年には、成らんですが。程の昔の話でして。
後は、滋賀、大津の日赤病院と、伏見の、大橋病院でして。この、2回なるは、骨折でして。
日赤は、妹夫婦、大津在住の時で、大橋病院には、伏見に転居してたですが。ついでになら、徳州会病院は、妹夫婦が、宇治、小倉時代<実家は黄檗>でして。こちは、宇治の槇島時代。
ついでの、ついでになら、19日、20日の、土日は、神戸行きでの、遅い、遅いの、大幅に遅くになったの、孫娘の、お雛さんを祝うの云々のと。とするのか、最早の、遅蒔き乍らの、ホワイト・デーのお返しなん怪と。孫娘にや。
そして、21日<月曜日・春分の日の振り替え休日>には、町内会の期末総会でして。
オッとの、トットの、明日、芋煮会<13時半、並河駅集合>までに、散髪に行っとかんと、アカンなと。
前回、行ったが、12月初旬やしと。それもあるし、見舞いで、この頭では、恰好ワルツと。
とまでは、大袈裟には、考えてえへんですが。
髪の毛、ボウボウ、目に毛が、入り出したわと。
加えての、来週には、神戸で、4月になれば、ミニミニの、ミニ同窓会もあるし、5月になれば、母の一周忌もあって。
散髪程度、しとかんとと。
ンの、今となればの、行くも、明日朝しか、あらへんわと。
13日の見舞いなるは、朝、10時、JR山科駅集合と、なっててねえ。ン、ンの、山科駅、よお、知らんでねえ。
ソラ、従前、用事があらへんかったわと。
(16/03/12)
NO.1687 散髪屋の話
での、本日<3月12日>、予定通りと、するのか。
朝、2番、9時過ぎに、家出て、散髪屋にと。当たり前の、安い散髪屋にでして。
着けば、いつもより、多くの方の、順番待ちの。皆様、中年、老年、話簡単の、中高年で、モと、簡単には、当方辺りの年代の、ばかりでねえ。
ソラ、60歳以上のは、割引されて、安いわと。
イヤ、多いからと、ほなら、サイナラ、次回にでもと、出直すには、少々、距離あって。一旦、来たからには、引き返すはなと。順番取りの、番号札取れば、23番。
ここ様、散髪屋、8時半開店でして。直近の呼び出し番号、16番での、へえの、既に、16人怪なあと。流石に、回転早いなと。
云うたって、待つ事、概ね、20分。20分なら、早いと、思うですが。
いつもの、散髪屋、近在のなら、殆ど、待つ事、あらへんですが。要は、ガラガラでねえ。ここの、3回分の、値でして。一度、ここに来たら、余程でないと、戻れえへんわと。
待つ事、20分で、散髪し出したら、15分程度で、終わるです。
只なの、少々、接客態度、とするのか、言葉使いが荒っぽいです。
どんな具合にと、問われて、耳にチョと、被さる程度にと、返答したなら、1センチ程度ですか。イヤ、モ一寸、短めにと、申せば、ンの、殆ど、見えるの程ですねえと。
文字にしたら、何でも無いの会話なれどの、言葉でなら、チョと、きつめ。
いやなあ、ビクリしたよな、声、表情で、云われたら、ンの、変な要求したの怪と、責任感じたり。
次ぎ、整髪はと、問われて、ンの、ムース程度でと、返答したなら、別けるか、別け無いかですと、云われてねえ。ほならの、最初に、そのよに、問おてくれたら、そのよに、返答致すですが。
確かに、髪の毛に付けるモノをどするかと。とは、問われて無いは、確かなれどです。
要は、理髪師の、質問の意図が、我々には、分かってえへんのやわと。その辺り、流石は、いつもの、散髪屋は、斟酌してくれてるです。その分、値が高いわと。
での、以前の、不機嫌な、小母ちゃんねえ。
居てるですが、この小母ちゃんも、似たよなと、するのか、モと、モと、数段に、酷い、応答、叱られてるよな、話し方やったですが。ハキリと申しの、こちの方、このところ、凄く、丁寧での、人が替わったみたいでねえ。気色が悪い程での、へえと、感心してるですが。その分、男性理髪師の言葉が、ぞんざいになりての、どもならず。
こちは、安い分、ガマン、我慢の、ガマン大会。
ほんまやでの、気分良くとも、3倍もの値では、ども成らず。せめてもの、1.5倍程度、2000円なり、2500円の範囲なら、気分を取るの可能性も、出て来るけどや。
我々なんか、この年代の、なんか、最低限の身だしなみ、髪の毛、ボーボー、ボサボサ状態で、さえ、なければ、特段のと。ビシリ、バシリと、決めるに、何がため怪と。
にしては、この散髪屋に、ええ恰好と、するのか、ええ服着た、中高年が来てるですが。ハキリと、申すの、場違い感、漂おてるわと。
そんなに、ゼニ、あるなら、高級散髪屋、理髪店に行けと。
ほんまに、ほんまやでの、天井向いて、おまえらとは、懐具合が違うわと、そんな表情、上から目線で、周辺、見渡しやがてねえ。腹の立つノリの、原監督も、辞めたなと。今や、高橋由伸監督での、大いに満足してるですが。
にしたって、元巨人、清原和博<48歳>の麻薬に、4人もの、投手、福田聡志<32歳>、笠原将生<25歳>、松本竜也<22歳>。そして、高木京介<26歳>の、野球賭博やてえ。
麻薬に、賭博となればの、ヤクザの世界での。
どもならんなと。
一掃したけりゃ、司法取引する事やと。
正直に、自白せよと。期限、ここまでに、申せば、罪、罰、一等、斟酌してやると。
さもなくばの、それ、過ぎてみい、事の大小に関わらずの、週刊誌、文春にでも、書かれ、事実やてみい。問答無用の、球界より、永久追放の、刑に処すると。
そのくらい、強固なるの事、やらんと、自分可愛さにて、隠すわと。人間でして。
結果、読売の、3首脳、渡辺恒雄球団最高顧問<89歳>、白石興二郎オーナー<69歳>、桃井恒和球団会長<69歳>が辞任でして。
中でも、渡辺恒雄氏は、読売の、ドンだけにねえ。
とは、云うたって、この3首脳なんか、ええ歳での、どにでも、して頂戴のと。後進に、道譲れの、ナベツネなんか、よおも、その歳で、君臨してるなと。老害の象徴での。
それよりも、選手は、若いしなあ。
可哀想は、可哀想も、球団も、相応に、教育してやらんとと。
当たり前に、賭博、それも、野球が対象では、悪い事、分かってやってるですが。よて、隠すですが。
よて、判明したなら、即刻の野球界、追放であると、明言しとくの、べき
オッとの、何の話怪と。
とりあえず、本日、散髪したの話の、昼からは、芋煮会で、ジャガイモの植え付けでの。
後は、面々の、飲み助の、相手で、農園主宅から、面々をば、亀岡駅まで、送り届けの、正直には、草臥れたわと。
明日は、明日で、朝の早くから、JR山科駅に向かうです。
10時集合故、車よりは、JRでの方が、安全、確実、移動時間も、短くて、済むわと。
そらなあ、山科駅界隈、知らんしなあ。知らんの場所え、車運転して、時間キチリは、無理でして。
そらなあの、我が家、亀岡から、山科駅には、少々、距離あっての、時間帯的にも、状況読めず。
よて、モ寝るわと。云うたって、既に、2時回ってもてるわと。
(16/03/13)
NO.1688 見舞いの話(1)
さての、そんな事で、3月13日<日曜日>には、朝から、山科えと。
病院なるは、丁度、名神高速道路の、京都東インターのソバ、とするのか、横手の、洛和会音羽病院。
イヤ、行った事、あらへんわと。従前には、そこから、名神高速道路に、突入なり、高速道路の、湖西線<道路>に入ったりでの、よお、行ってる故、存在のみ、承知。
湖西線は、以前には、その先、真野のインターの方、琵琶湖大橋の方、とも、云えるですが。そこに、妹一家、住んでてねえ。何回かは、使てるです。行ってるです。
いやなあ、妹婿母の、入院見舞いなら、宇治の徳州会病院、大津の、赤十字病院、伏見の、大橋病院、以外にも、洛西ニュータウンの、当時、関西医科大学病院。現在なら、洛西ニュータウン病院<シミズ病院グループ>にも、見舞いに行ったなと。
ここでは、白内障の手術でして。
一々の、解説しやへんですが。見舞い等々、必ず、嫁はんと、2人で、でして。
それでや、亀岡、並河駅までは、徒歩。
ここだけの話、スーパー、「マツモト」の駐車場に車駐めて、とも、思たですが。止めとこと。動け、歩け、歩けと、概ねの、1.5キロ。
イヤ、並河から、山科なるは、嵯峨野線で、京都駅。京都駅から、湖西線、琵琶湖線、両方、東海道本線なれどです。一駅での、片道、500円也でして。2人で、往復、2000円。
イヤイヤ、山科駅なるは、よお知らんです。
Web地図で、見たなら、ンの、ここ怪と、分かるですが。車ででは、細々なるの、経路とことか、どこに駐めて、待ち合わせも、さっぱりでの。うろうろ、もたもた、してたら、危ないわと。
一方通行なんかがあってみい。忽ちにして、狂てまうわと。
時間通りに、到着してたって、ロータリーでと、成ってるですが、車満車で、駐められへんかったら、大変でして。
その辺り、電車でなら、時刻通りでして。並河駅に、予定時刻通りに着いて、乗れて、京都駅での、乗り換えさえ、間違わんかったらと。
とりあえず、山科駅、そのものが、初でして。降りるがや。通過なら、従前、相当以前になら、何度かは、通ってるけどや。降りるの用事あらへんわと。
云うとくけれどの、山科、そのものは、重々の承知。
当世、京都市内の、「区」なれどの、その昔は、「村」で、「町」となりの、東山区の、一部になって。更に、分区で、「区」となってと。
そんな話は、結構と、云いたいけれどの、国道1号線なら、その昔には、度々の、車で、走ってるわと。滋賀に、行くには、山科経由でね。
特段の、妹家の、以前より、でして。
ボーリング場もあったし、ガソリン・スタンドもの。ガソリン・スタンドなんか、どこにでもあるですが。第一次オイル・ショックの当時<1974年>、世に云うの、トイレット・ペーパー、洗剤までが、消費者の買い占めに遭遇の頃。
イヤ、石油製品と、流布されて。
細かな、数字、忘れたけどや。
ガソリンがねえ、多分なら、リッター、25円辺りのが、一気、倍額、50円代になてもての、安いガソリン・スタンドをば、探しに、山科えと。
ンの、あるいは、加えてかの、日曜日が、休日になったん哉の、ローム、当時は、マダ、東洋電具哉の、残業、残業での、土曜日なるは、平日で、通常出勤の時代での。その日曜日にしか、給油に行けずで、その、ガソリン・スタンドが、山科にあったん哉と。
オーナーが、元売り、財閥系の、方針やったん哉の、値上げ、日曜日休日に、反旗翻し。別途の、ルートで、ガソリンをば、入手と、豪語。したよな、記憶がと。
イヤイヤ、余計に、話、逸れるのけどや。
当時、休日どころや、あらへんの、夜間でさえ、平日でさえ、閉店のが、出現の。ソラ、ガソリンが、スタンドに、配給されへんでねえ。ガソリン不足で、でして。
噂で、あそこのガソリン・スタンド、やってるでと、聞けば、サと、給油にと。
オトトの、先刻のは、独立系のガソリン・スタンドでしたです。その当時、独立系なる文言も流行ったなと。
そしたら、大元売り界からは、新聞で、でもや。混ぜモノ、されてるとか、純度が低いとか、様々の、イヤガラセ情報も、流布されて。
云われたってなあ。給油出来ずでは、通勤も出来ませんでして。
オッとの、その当時からや。世の中、ノー・カー・デーとか、節電に協力をとか。派手、派手の、パチンコ屋の、ネオンも、自粛せよとか、そんな風潮に成り出したがや。
イヤ、悪い事では無いですが。ノー・カー・デーには、コマツタわと。
この当時には、宇治、槇島在住での、交通の便、悪うてね。現在の、亀岡から、比べたら、数段のマシは、マシ、なれどです。ソラ、京都から、転出では、その差、歴然でして。
大体が、京都の家の時、交通の便、良過ぎたですが。
そやから、交通の便が、如何に、重要なんか、皆目のと。考慮するの意識、皆無。引っ越してから、ゲと。
とするのか、問答無用の、引っ越しせざるを、得んかったんやと。
ソラ、借家で、家壊れて来たんやわと。
直す、建て替えたいと、家主に申したならばの、費用、こち。それは、当然の、その積もりでの。問題は、建て替えるは、勝手も、建て替えたら、家賃、相応に上げると。ゲと。
されどの、年齢重ねたならばの、家主たる、当然の要求かと。
にしたって、オイル・ショックの直前には、祖母、他界しの。親父、入院。
その上で、所謂の、新興住宅街の、一軒をば、やっとの、ギリギリの、限度一杯、借りまして。
そらなあ、入社、2年目やったの哉の、祖母他界がで。親父入院も、家壊れ出したも、その年でして。くどいけど、オイル・ショックの直前の話やでと。
入社1年目では、年収の実績無く、借りるに、借りられへんの。2年目故、前年度実績にて、限度ギリギリを借りたんやと。借りられたんやと。
よて、母、妹の3人して、転出、転入したんやわと。
その歳で、よおやったの、以前の、それしか、道、あらへんわと。
イヤイヤ、その当時には、毎週の如くの、山科え、ガソリン給油に行ってたの哉と。会社終わってからでも、行ったわと。若い分、馬力もあったし、ドライブがてら的、気分もあったわと。
とかとか、云うたって、国道9号線沿いなんやと。
そこ以外、知らんわと。
知らんでも無いけどや。以来、チョと、用事が出来たは、妹家が、先の、真野の方に。そして、間空いて、次男嫁が、結婚以前、山科在住と、するのか、マンションにての、住んでてね。
云うたって、嫁のマンションに行ったであらへんしと。その近所哉と、するのか、真向かいのコンビニで、待ち合わせの、嫁の実家えと。実家に諸般のご挨拶に、でして。
コレ、次男の車で、やしなと。当方、運転してへんわと。
そんな事なら、余程に、次男の方が、その界隈には、詳しいやろなあと。最近の状況をや。
どちにしたって、山科駅になんか、これまで、用事無く。
此度、初での、さての、山科駅には、時刻通りの、9時50分着。
妹婿との、待ち合わせの、10時に、10分前での、電車降りて、プラット・ホームの、ンの、どち、方向怪の、皆が行くの方向に一緒にと。行けば、改札口で、そこ出て、さての、コレ又、どち方向怪の、まずは、灰皿でもと、探すのまでに、ンの、ロータリーみたいなのが、目に入りの、そちの方、行けば、そこに、妹婿の車が見えて。
嗚呼、残念の、タバコ吸うの時間、無いなあと。
心なるは、マダ、10時には、間があるしで、多少の時間待ちの間にでも、一服出来る筈が、無くなってもたわと。
(16/03/14)
NO.1689 見舞いの話(2)
ケータイに、固定電話にも、何度掛けてもの、留守電の、母方、従兄弟。
本日も、又、掛けたですが。留守電でねえ。コマツタなと。
思てたの矢先、電話がリンリンの、出たら、ソレ。
嗚呼、留守電えの、伝言、聞いて呉れたんやと。
イヤ、声聞けば、一発、誰と、分かるわと。当方、耳鳴り症も、案外に、電話の声、主、聞き分かてるです。
での、嗚呼、ノブちゃんかと。
どないしてたん等々、とりあえずは、電話を掛けて来てくれたが、一安心の、そら、最低限の、生存してるが判明したわと。2つ目には、電話が掛けられるの状態とも、分かって、ホと安堵したです。
只なの、何云うてるかが、分からんでねえ。聞き取り難い声、喋り方での、何度も、聞き返えしたですが。
とりあえずは、公衆電話からですて。へえと。
ここで、何でと、問うも、返答導くに、時間掛かるし、まずは、用件、母の一周忌、どするやの件。
問おてるのに、ゴタゴタと、云うのか、要は、自身のカラダの具合、芳しく無くの、スミマセンと。スミマセンだけは、明確に分かったですが。
その説明が、色々あっての、誰の事、云うてるのかが、次第、次第に判明の。
要は、嫁はんが入院してたですて。へえと、さもありなんの、やから、ダアレも、電話に出えへんかったんやと、合点したですが。
合点して、ンの、何の病気で、入院怪と。
これ又、云うてるの説明、よ、分からんでねえ。声が籠もってるみたいで、鮮明で無く。加えての、当方、耳鳴りで、耳も聞こえ難いんやろなあの、ども、心臓疾患らしくの、弁が何たら、かんたらの。
中身、よお分からんですが、へえの、えらい事やたんやと、申したならばの、過日か、今日か、退院したですて。それは、それは、ヨカツタなと。
での、再度の、再確認の、一周忌の件、明確にの、問おたならばの、不義理して、スミマセンと。嗚呼、了解と。気にして貰わんでもの、とりあえず、電話があって、よかったわと。
確かに、母の葬儀、通夜、告別式では、やつれてもてての、大丈夫哉と、心配になる程での。よお、来てくれたんやと。
ででの、親父の家を処分したとかとか、申しの、それは、大夫以前にも、しかるべくの、話聞いてたですが。只なの、置いてるの石等々、魂入れてての、伯父がや。
ポイと、簡単に処分も出来ずの困ってる。とは、聞いてたです。
まともに、しかるべくの、処分するなら、百万円は、掛かる鴨と。
云うたら、魂抜きするの、費用等々らしく。よて、下手に、石を家に持ち込み、魂入れてもたら、大変なんやと。
ここで、チョとだけ、解説したなら、伯父、聖護院派山伏やっててねえ。修験道が生き甲斐でしたです。
又、その手、不可思議の世界にも、趣味と、するのか、探求してて。家には、色んなモノを飾って、お守りしてたです。
オッとの、ダケで、当方、それが、何かは、知tらんですが。
にしてもの、一体、イツなら、家に居てるん怪と、問えば、朝の、5時半頃には、家、出てるですて。へえと。
イヤイヤ、結果、概ね、概要、理解したですが。
そらなあ、朝、基本、早朝も、失礼故、10時頃。昼頃、そして、夜なら、21時頃マデを一応の目安にしてまして。その時間帯、家に居てへんみたいでね。そやからと、ケータイにも電話してるですが。
その件、ゴタゴタ、説明して呉れてたですが。意味、文言、聞き取り難くの、公衆電話と、申してる故、分かるまで、問い返すもなと、遠慮したです。
どちにしたって、以て、ノブちゃんの消息判明。一周忌、欠席明確となりての、母方従兄弟達には、これから、出欠の確認でも、致すかと。
そらなあ、この件、不明確なままでは、柴田の方に、確認するも、踏ん切り付かずで、逡巡してたです。
での、話、コロリの、当方、云うまでも無いの、方向音痴。
自分で運転なら、概ね、現在地、分かるですが。分からず、運転、迷子になてるわと。
いやなあ、次男の車で、諸般、その当時なら、彼女とするのかの、乗せるの場所、さっぱり、分からんかったですが。
そら、山科の、どこかは、分かってるのけどや。マンションも見てるですが。目的果たしの、戻って来て、送るに、ここですと、嫁が申した故での。
嗚呼、そかと、返答するも、そやからと、そこが、山科のどこか、なんか、全然の分かってえへんわと。現在地が分かってえへんのにと。
くどいけど、方向音痴以前の、自分で運転してんへんのにと。
要は、どこ走ってるかも、考えてませんでして。万事、運転手任せ。
反対には、あち行け、こち行けと、なんか、当方、云えへんわと。
オッとの、それでや。余計なるの話、話前後するの、ン年経って、此度、妹婿殿の母親の見舞いに行ったの帰り、まあなあ、近在の、「ガスト」で、昼飯喰ての、帰り、通ったの道には、ンの、記憶あるぞと。
実際には、ン、ンの、このコンビニで、嫁をと。待ち合わせの場所での。ンの、ンンの、ならばの、その向かい側には、マンションある筈の、嗚呼、あったなと。ここやったんやと。
以前、住んでた、マンションがや。結構、ええマンションやったんやと。今更乍らの感心したですが。
イヤ、綺麗なマンションの意での。
コレ、車で走り乍らでの、チラとしか、見てへん、見えてえへんのけどや。概要のみ、当時には、記憶してるわと。
正直、申せば、その時には、コンビニが、嫁のマンションの真向かいとは、知らんです。そこまでの事、気にもしてへんでして。当方、頭の中、ご挨拶に向かうの、嫁の実家、ご両親なりに、話するのシュミレーション、想定問答集作成で、頭の中、一杯なんやと。
目的果たしの、帰って来ての、マンション前で、嫁降ろし。この時には、当方、気分的、安堵してての、マンションの方なら、ガチリと、記憶してもたわと。あくまでもの、外観をや。
ンの、記憶するの用事も、意味も、あらへんのけどや。
そして、この日、見舞いの日、初めて、コンビニと、マンションの位置関係、分かったわと。
結果、これからなら、当方運転にて、そのマンションに行けるのけどや。場所、はきりと、ここと、認定。ここの、そこは、三条通りからの道での。明確に分かったわと。
今更、分かって、意味あらへんのけどや。
嫁、最早の、そこの、住人でもあらへんでして。
今となればの、昔話の、偶々の通るの機会あらば、あのなあと。その昔、昔の、大昔、ここに、次男嫁、独身時代、住んでたの、マンションやでと、話のネタ、世間話の1つになら、なるの鴨と。
但し、有効期限、ここ数年限定。
理由、ボケてもたら、分からんわと。
いやなあの、事程左様の、当方の、記憶回路、メモリーなるは、基本、点でして。
点、点で、記憶を、後刻、線に結び付けるです。線になれば、ボケぬの限りは、記憶出来るけどや。
ボケなるは、揮発で、年齢的の、経時の、劣化も加速致すわと。
(16/03/15)
NO.1690 見舞いの話(3)
従兄弟の動静、分かったら、分かったで、心配で。
分かったも、中途半端、なれどです。
大体が、コイツ、表現下手でして。娘が何たら、息子がと、電話での話で、そこだけ、分かれどの、中身、要領得ませんでして。
何故に公衆電話から、かが、分からんし。母の一周忌の件のみ、確認したら、他の事も聞いたですが。くどいけど、公衆電話では、忙しないねえ。
とりあえず、出られへんは、了解でして。
そらなあ、諸般、無理して、出る事でもあらへんでして。
さりとて、この手の事でも無ければ、会うの用事無く。
そらなあ、ここ、ン十年、従兄弟に会うは、葬儀と、年会だけでして。
次回、会うと、なればの、誰かの、葬儀なんやろなと。年齢の順番なら、当方怪と。
イヤ、母方なら、叔母が1人、残ってるですが。この動静が、さっぱりでして。問えど、元気にしてる、としか、云うてくれへんし。そこの子、娘がでして。特別養護老人ホームに入所は、承知してるですが。どこのかも、教えてくれへんし。
問えば、教えてくれる。とは、思うですが。
ウウンの、表現、難しいけれどの、従兄弟も、付き合いあるのと、無いのがあって。そこは、余り、お付き合いが、密とは、云えへんでねえ。
ソラ、男は、男同士で、女は、女同士。そこは、男の子が居てませんでして。居たは居たけれどの、幼くして、夭逝してるです。
当方より、1歳、2歳、下やったの哉と。
トッとの、そんな話、ばかり、してたでは、話、進まんしで、本題に戻るです。
妹婿母故、妹の義理の母の、見舞いの話。
入院内容、一切の、公開致さんですが、現段階ではなと。所謂の、他家の事でして。遠慮しとくです。そらなあ、他家の、内輪の話を、事、細かくは、憚るわと。
での、婿殿の車に乗せてもろての、「音羽病院」えと。
名称なら、概ねの、場所なら、従前より、承知も、行くは初。
駐車場に車駐めて、正面玄関え、なれどの、その前に、婿殿曰くに、兄さん、玄関の左手の方に、喫煙場所、ありまっせ。へえの、嬉しいねえと、2人して、喫煙場所えと、出向いたです。
イヤ、屋外喫煙場所での、先客、2人。患者と、モ1人は、その友達なんやろ怪と。
さての、タバコ、一服したら、見舞いやなと。
それがため、来てまして。
妹夫婦の案内で、病棟、4階えと。
いやなあ、「音羽病院」なるは、相当の以前より、承知の、存在の、病院故、古い建屋と、思いきやの、そらなあ、この、ン十年の間には、改装も、されてましての、意外に、綺麗でねえ。
そして、ナース・センターで、婿殿、看護師に、曰くに、「談話室」の使用を申し出たです。
イヤ、見舞いに、結果的、4名故、病室の方々に迷惑やろと。との、配慮でして。
イヤイヤ、従前、婿母の見舞いで、「談話室」的なるの、場所に移動した事、あらへんでねえ。
病室で、短時間と、するのか、時間まで、計測してへんですが。まあ、云うたら、10分、20分の範囲哉と。
そらなあ、所謂の、入院患者に、長々の話もなの、疲れやはるわと。そもそもがの、我々なんか、話するのネタもあらへんでして。
オッとの、それでや。
婿殿、病室より、お母さんを車椅子に乗せて、連れ出して来たですが。来て、一緒に、「談話室」えと、行ったですが。「室」も、特段の、部屋で無くの、解放状態の、フロアの一角での、まあなあ、案外に広い場所での、テーブルが、4箇所程の場所での、その、1つに座りまして。
でや、正直、申すの、点滴三昧の入院での。と、聞いてるですが。
点滴は、してへんでねえ。問えば、日に3回、1回で、4時間ですて。ならばの、半日、12時間、点滴してるになるですが。現在、丁度、休みの時間。
更なるの、正直には、モと、げっそりしたはると、思いきやの。
そらなあ、以前には、ふっくらも、したはったの、けどや。頬なら、少々、痩けてるも、思いの外、元気そな感。
正確には、元気、元気の、顔色、皮膚の状態、色艶なんか、下手したら、当方よりも、若々しいので無い怪の、様子での。
表情も、明るうて。どこが、病人さん怪と。
ほんまやでと。
当方にしたら、従前、現在唯今まで、単なるの見舞いと、元気な今の内にの、見舞いにも、相当数、出向いてるわの、とても、とてもの、コラ、長くは無いぞの、印象受けるのがあれば、反対のも、見て来てるわの。
婿母なんか、元気、元気の、こちより元気は、大袈裟も、今日の、明日の、なんか、全くの、でして。
イヤ、今日の、明日のの、話で、見舞いに来てるで無いけどや。
少なくともの、元気な内には、正直なるも、面と向かいの、婿母の隣の椅子に座ったけれどの、へえの、元気やねえと。コレ、第一印象、おべんちゃらでも、気を使いの、でもあらへんの、心底、そでして。
そらなあ、婿殿、妹より、諸般、聞いてるですが。ほんま怪なと。
モ、これは、アカンなの、状態のも、何人も、見て来てるわと。
そらなあ、ここの、親父様、東山通りの、「京都第一赤十字病院」に、見舞いに行ってるですが。この場合、見て、一発、これはなと。長くは無いは、分かったわと。
足の色、土色、太さ、棒程での。当然の、顔も、カラダも、痩せこけてもてて。
我が叔父嫁のも、そやったわと。最終的にはなの、最初の見舞いでなら、話も出来たし、色艶、まあまあでの。そこからなら、半年軽く、保ったわと。
東京の、叔母なら、話も出来たし、当人、点滴持って、歩いてたですが。イヤイヤ、従兄弟、その長男なれどの、今日の、明日のの話故、母と一緒に見舞いに出向いたわの。そこから、軽くの、半年保ったわと。
いやなあ、婿母、それ以上に、元気、元気の、大元気。
左半身、脳梗塞にての、動かん故、自力で歩けんですが。よて、車椅子なれどの、東京の叔母よりも、元気、元気でね。
まだまだ、承知の、母方、従兄弟、上の伯父の長男なれどの、話簡単、当方よりも、年下なれどの、歯抜け、頬痩け、話すの声に、元気、覇気無く。動作緩慢での。
病室の、ベッドからは、身、起こしの、座った状態での、話をしたですが。
そらなあ、我が親族、皆と、までは、申さんですが。入院と、聞けば、入院先に、見舞いに出向いてるです。一度たりともの、聞いて、都合が、時間がと。
なんか、云うて、見舞い、断った事、あらへんわと。そんな、水臭いの人間、性格と、違うわい。
事程左様の、これは、モ保たん、保つ。
見たら、分かるわの。
婿母のは、正直、保つなあと。
そらなあ、ホレ、左足、動かせへんのでっせと、云いつつの、動かして。
動いてるや無いですかと、申せば、ここまでしか、動きませんねん。あのなあの、そこまで、動けば、動いてるですと。以前、大橋病院の時には、ほんとに、動かへんかった、ですやんかと。
申せば、リハビリで、手摺りを持ったら、何歩かは、歩けるのでっせと。そやけど、付き添いありますけどねと。
そら、当たり前の、その調子なら、ここで、リハビリ積んで、付き添い無しで、歩けるよになったら、儲けモンやねえ。そやねえと。
いやもお、話するの、ネタが無い故、早々にの、積もりが、結構、話、弾んでね。
オッとの、婿母殿、何歳怪の、90歳には、モ1年哉と。
(16/03/16)