シバケンの単なる雑談NO.130
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目次
NO.1570 ン十ン回目の、嫁はんの里帰り(3)
NO.1569 ン十ン回目の、嫁はんの里帰り(2)
NO.1568 ン十ン回目の、嫁はんの里帰り(1)
NO.1567 恒例の、嫁はんの、里帰り
NO.1566 真夏の、寝苦しい夜の、夢の話(6) 続・ケータイ紛失の話
NO.1565 真夏の、寝苦しい夜の、夢の話(5) 叔父達と、迷子と、ケータイ紛失の話
NO.1564 9年ブリかの、大丸の話(2)
NO.1563 9年ブリかの、大丸の話(1)
NO.1562 義姉婿殿の親父様、亡くなるの話(5) 嫁はんの、里帰りの話
NO.1561 義姉婿殿の親父様、亡くなるの話(4) 芋煮会での話(2)
NO.1561 義姉婿殿の親父様、亡くなるの話(4) 芋煮会での話(2)
イヤイヤ、そんな事で、ついでの話。
彼の寺なるは、京都、下京、西本願寺のソバでして。
我が、京都時代の住所、仏光寺の油小路からも、近くでして。そこからなら、歩いて、10分程度哉の。寺までは、行ってませんですが。新入社員時代には、一緒にドライブしたり、してまして。
但し、学校は一緒で無く。学区が違うからでして。就職するまで、その存在は知らんかったですが。
その前に、歳一緒では無く。彼、一浪、一留がため、2歳年上でして。
ではあれどの、卒業年度が一緒で、就職一緒ならばの、同期生でして。本来ならばの、「さん」付けなれどの、同期故、呼び捨てになってねえ。
オッとの、ついでの話とは、その事に非ずの。
当世の、葬儀事情を尋ねたです。
葬儀事情とは、家、自宅で、葬儀するの方は、どれ程哉と。
さすれば、ここ最近、数年、自宅での葬儀は、あらへんですて。へえと。
彼曰くに、その方が楽やでと。
ンの、それは、そと思うですが。何かねえ。寂しい思いするけれどと。
葬儀費用も、家と、葬儀会館では、殆ど、差は無いのと、違うかと。そもそもがの、最近の家の建て方そのものが、葬儀出来るの構造、構成になってませんですて。
ンの、それも、そ思うです。
しかるべくの、飾り、祭壇を設えるに、幕で、周辺隠したりしてたら、例えばの、トイレが使えんよになったり、致しまして。さすれば、隣近所のトイレを借りんならんとか。坊様の着替えの部屋も必要での。
又、親戚筋の場が無く。家の前で、ウロウロしてんならんしなあと。
ンの、それも、異議無く、同感は、同感でして。
家の者でも、家の中に居てられへんでねえ。親戚筋、優先でして。
とは、従前の、私共の立場でして。祖母の葬儀なら、喪主、親父でして。親父の時には、長男たるの私が喪主なれどです。本来ならばの、母なれどの。まあ、やらんわと。
後の、家族で無く、親族のなら、変な話、気楽での。外に居てても宜しいですが。喪主が、家の外で、ウロウロもしてられへんし。
何よりも、茶、茶菓子、食事の世話等々、家では、大変でして。
葬儀社なら、会館なら、全部、そっちで、手配してくれてねえ。当然の費用発生するですが。それは、家でも一緒でして。
云い出したら、家でなら、駐車場、車を駐めるの場所まで、心配しんならんですが。葬儀会館なら、駐車場もあっての、余計なるの、心配せずにも、済みまして。
そらなあ、その昔ならです。
若手親族、従兄弟なりに。或いは、友達にです。辻々に立ってくれとか。案内の張り紙してくれとか。頼んだりしたですが。
葬儀社でなら、場所さえ、連絡で、済みまして。案内役、連絡役、頼まずに済むですが。
云うたら、それも、昔乍らの、葬儀の風景でして。役割分担でして。
まあ云うたら、何か、手伝う事、無いかと、申し出したりしたモンですが。当世なら、精々が、受付程度しか、あらへんです。受付も、案外に難しく。
責任重大でして。香典、預かる故でして。
その香典もなの、当世、不要とするの、葬儀多いらしく。
いやなあ、芋煮会の、フサオ君、申すに。下手したら、隣近所のでも、葬儀、終わってから、連絡戴いたりも、するですて。へえと。味気無いなあと。
葬儀とは、最後の分かれも、冷たいとするのか、水臭なったなあと。
確かに、隣近所でも、昔のよな、付き合い、致しませんでして。皆様、内に籠もってしもてまして。
斯くしての、本日<7月27日>、嫁はん、四国から、帰って来まして。駅まで、向かえに参じたですが。車でですが。
曰くに、参列、弔問客、約の、500名様ですて。へえの、凄いなと。
これは、諸般、親族の勤め先の関係もあるですが。その関係によりの、弔問客、雲泥の差になるですが。
そらなあ、どこかの、会社員で、現役のが、他界しの、葬儀ならです。軽くの、ン百名には、成りまして。
当人が、でなく、家族が、でもでして。
祖母の時が、そでして。我が勤め先、ロームの、上司が、何名か、来てくれてまして。親父の、叔父の、関係先も、でして。花輪にしたって、沢山、飾られたですが。
実は、その花輪の数にも、中身にもです。少々の見栄もあってねえ。
そらなあ、少ないよりも、多いの方、恰好付くです。花輪には、提供者の屋号なり、社名が記載されるですが。見て、読んで、へえと。お付き合い、広い方、やったんやなあと。一種、生前の活動範囲、付き合いの広さまでを、彷彿させの、周辺に知らしめるの、効果もあったですが。
最近では、下手したら、その手の明記、致さんの事、多々あるですて。イヤ、花輪は、飾ってもです。
理由、原因、一切の知らんですが。故人の、個人情報になるの哉の。変な世になったモンやと。
事程左様の、葬儀に対するの考え方も、変化してるですが。
楽な方、楽な方えと、成ってるですが。楽がええに決まってるですが。
葬儀、出棺なるは、住み慣れたの、自宅からがと、考えるは、野暮なんかなあと。さりとての、当世、戸主でも、葬儀会館からの、出棺でして。
そんな事ならです。
マンション、団地ならです。
場合によりの、そこの、公民館なりで、葬儀させてくれるの事、あってねえ。
父方、叔父、叔母の時が、そでして。これなら、自宅と、までは、申さんでもの、近くでして。町内会から、出棺されるみたいなモンでねえ。
むしろの、戸建ての家の方が、町内会の公民館等々にての、させてくれへんなら、葬儀社に成るの哉の。
それも、もしかしたら、次第、次第に、葬儀社えと、移行してるのかなあと。
そらなあ、公民館も、駐車場の問題あるです。矢張り、親族等々には、辻々に立って戴くなりの、案内役、必要となってねえ。
オトトの、そんな次第の、嫁はんの、姉婿の親父様の葬儀にての。諸般、諸々の、考えさせられたです。
(14/07/28)
NO.1562 義姉婿殿の親父様、亡くなるの話(5) 嫁はんの、里帰りの話
フサオ君、芋煮会での、雑談で、曰くにです。
親父さんの、葬儀なるは、自宅で無く、葬儀会館でも無くの、お寺さんですて。へえと。
大体は、葬儀会館を積もりしてたですが。空きが無く。
お寺さんに相談したら、寺でしたらと。ンの、その手もあるかと。
がしかしの、お寺さんでは、気を使うでと。何がと、一々の、細かくは、聞いてませんですが。
確かに、諸般、気を使うやろなあと、想像なら、出来るです。
まずは、寺やしなの。寺の規模にも寄るの。されどの、大体の寺の規模やろしの。寺の皆様、家族も、居られるしと。
葬儀会館でも、汚したりは出来ませんですが。寺では、余計にと。寺の飾りを、壊してもで、触る訳にもでの、慎重さが、要求されるの哉と。
いやなあ、寺での葬儀も、承知はしてるです。
それこその、二十年は経つですが。会社での、部下とするのかの、社員の、祖母がか、祖父かが、他界されまして。連絡受理での、急遽の、通夜の、お参りに参じたですが。それが、どこであったかの、寺でして。
当たり前の、喪服は着てませんの、スーツでして。スーツでも無く、ブレザーであったの哉の。派手めので無く、ほとしてたですが。
そらなあ、出張でもあるなら、スーツ姿なれどです。会社えの出勤なら、精々が、ブレザーでして。夏場なら、カッター・シャツだけなれどの。秋か、春かで、ブレザーでも、着用してて、良かったなあと。
数珠なんか、持参してませんの。
連絡受理の、即とするのか、当日故、着の身、着のままでも、結構でして。当然の、夜でして。
親族でさえが、まばらか、そんなモンかの、数人居られたですが。お辞儀致しましての。当人には、しかるべくの、会社からの、香典。部署で、集めたの、香典を手渡しの。数珠貸してくれと。
まだ、受付もあらへんでねえ。
イヤ、特段のいらんです。
当人にさえ、我々、来たぞと。勤め先のがと。分かっておれば、結構でして。当人から、親父様なりえの、紹介無ければ、特段の挨拶も致しませんの。致しよも、あらへんしと。誰が、誰かも、知らんしと。
多分なら、明くるの日には、出張予定してたの哉と。
にしても、京都の、どっち方面かも、皆目の、忘れたです。寺の名も、皆目での、よお、行けたなあと。自分の車で行ったと、思うですが。場所的、とりあえず、ややこしいのとこでねえ。
ややこしいとは、諸般あるの。ンの、チラと、思い出したの、上<かみ>の方とは、思うですが。
安置されてるの、堂内、明々と、電灯点けられててねえ。一種異様なるの、雰囲気あったですが。
いやなあ、会社関係での、当人で無く。親でも、兄弟でも、無いならです。
正直には、可成り、楽でして。気分的にでして。
当人であったり、嫁はん、子どもさんとか、やってみい。これはねえ。困るです。言葉無いです。
とかとかねえ。
親族以外。町内会以外の、会社関係での、その手の、お参りなら、相当数、させて戴いてるですが。
その、二十数年の昔。
少なくともの、2000年以前、ならです。葬儀会館での、葬儀を知らんです。寺でのも、その一度だけ。
ドチにしたって、そらなあ、陰気なるの、弔事、葬儀よりは、慶事の、結婚式に招待されるが、えに決まってるわの。こっちの方が、出費嵩むのけれどや。
斯くしての、四国、香川、仁尾のです。
義姉婿殿の親父様の他界にての、この盆の、四国行きは遠慮しとこかと。遠慮すべきと、してたですが。
ンの、あっちの方から、気にせずと、するのか、お参りしてくれるの積もりで、来て頂戴と。云うてると。へえと。
云うたら、四十九日も過ぎて無くの。ええの哉と。こっちが、ンと、成るですが。
基本、故人に、一番に身近なるの、存在の、義姉婿殿が、ど考えてるかが、重要でして。そこが、来てくれと、例年通りと、してる、云うてるならなれどです。ソレ以外の言なら、どかなあと、逡巡致すですが。
嫁はん、曰くに、その当人が、そんな具合に云うてると。へえと。ほんまかいなと。
まあねえ、あちら様がさえ、ええなら、こっちはねえ。
万事、嫁はんと、先様に任せとこかと。当方、私めが、どの、このと、云うてもなと。
くどいけれどの、私には、故人との、血の繋がり無く。所謂の親戚筋の範疇でして。
会話も、数度の、挨拶程度でして。精々が、先方様に、お邪魔しての、会えば、そのままの、お邪魔しておりますでして。
それも、入所されるの以前までの数度。入所されての、一度だけ。
そんな事なら、お顔も承知の、お参りにはなあ、わざわざでも無くの、変な話、行くのならの。これも、ご縁での、結構なれどです。
私なら、断固、遠慮でも無く。先様、嫁はん次第の、自然体でして。
只なの、例年通りも、バーベキューが、子ども達の花火もどかと、思うですが。
これも、万事、先様次第哉の。嫁はんと、義姉の話での、成り行き任せでと。
そらなあ、葬儀も、祭事でして。との、考えも、あってねえ。
とは、云えどの、嫁はんの里帰りは、本来ならばの、仁尾で無くの、比地木なれどの。
コレ又、変な話でねえ。余計なるの事はなと。
更には、姉妹の仲、悪ければ、叶わんの事でもありの。婿殿の考えも、あっての話での。
モ一発、私にしたって、イツまで、付き合えるの哉と。
年齢的にや。
(14/07/29)
NO.1563 9年ブリかの、大丸の話(1)
この日曜日。
要は、昨日<8月3日>。
月参りの墓参をしてからです。何年ブリなんやろねえ。
イヤ、9年ブリかで、四条烏丸の、大丸に行ったです。
オッとの、私が、9年ブリかの話で、嫁はんは、チラと、行ってたですて。
いやなあ、過日の、「芋煮会」でです。同期の、住職、寺の坊主ですが。高島屋の駐車場、稲荷駐車場が、マンションに衣替えで、少々、混むよになったと、申したならばです。
最近、高島屋には、行ってえへんなあと。
ンの、ならばの、所謂の、デパート、百貨店には、行かへんのかと。問おたならばの、大丸にしてると。
大丸ねえ。大丸こそは、何十年行ってないけど、駐車するに、困らへんかと。云うたならばの、混んでえへんでと。へえと。
待っても、10分程度哉と。大抵、スと入れるでと。ほんまかと。
その辺り、高島屋の場合、河原町通りを並んで、駐車場に入るになるに。下手したら、20分程掛かってねえ。場合により、御池の駐車場にまで、向かうになるですが。
待っても、10分なら、一度、大丸にでも、行ってもええなあと。
思てたの矢先、嫁はん、盆の里帰りの、お土産とするのか。調達にです。墓参の帰り、高島屋に寄りたいと。申したが故、久しぶりに、大丸にしやへんかと。
そんな次第の、斯くなるでの。
東大谷祖廟から、東大路通りを、五条通りに。烏丸通りを上がりまして。四条通りを突破の、錦小路を右折。
とまあ、大丸駐車場の手前に大丸の契約駐車場があったですが。その先には、大丸駐車場があってねえ。スと、入れて、フウンの、聞いた通りやなと。
云うたら、それだけ、百貨店に行くの人数減ったを意味するですが。
過年には、高島屋も、駐車場えの車列、延々での、待ち時間、下手したら、1時間。適当なるの、有料駐車場に駐めた事もあったですが。息子共が、まだまだ、小学生、中学生時代であったの哉と。
同様にしての、大丸にしたってなあ。
烏丸通りで、延々でして。上<かみ>から、下がって来て、錦小路に入るのがあれば、動けませんでして。
これが、解消し出して、大分経ってるですが。解消は、高島屋の方での、大丸には、行ってませんでして。
での、スと、駐められ、大丸7階の食堂街、見たですが。高いなあと。折角なら、錦小路の、店にでもと。ンの、過年、どこかの、2階で、昼食喰たですが。それから、9年経つの哉の。
にしても、当世、錦小路も、観光地として、有名に成ってねえ。
人が多い、多いの、行き交うの人、若手か、中年に別れててねえ。若手なら、学生やろか。友達同士の、女の子が大多数。中年となればの、我々世代より、若干の若手が多く。
にしてもや。外人が多いねえ。
白、黒、黄色で、黄色も、喋るの言葉で、日本人とは、違うなと。国際色豊なるの、場所に変貌しててねえ。
その昔、京都に住んでたの頃なんか、人出多いは、多かったけれどや。日本人だけでして。
又、買い物なら、松原通りの市場でして。何も、わざわざの、錦小路<我々、錦と称してたですが>にまで、行かんでもの。数える程しか、行ってませんですが。
尚且つの、特段の、値が安いでも無く。
にして、何故に、松原の市場が寂れ、錦の市場が、有名と成りの、観光地化したのかは、推測なれどの。この距離感かなあと。
イヤイヤ、松原通りは、道幅広おてねえ。車も、交差十分出来るですが。錦は、「小路」でありの、狭あてねえ。車は通れませんの、基本、二輪車でして。それも、遠慮してまして。
オッとの、人だけが通れるのか。自転車までは、許可かは、道路標識まで、見てへんですが。その昔より、自転車さえ、通ってなかったと、思うです。
とかとか、そらなあ、狭い道路の両側に、店。
それも、基本、魚屋、菓子屋、漬け物屋に、肉屋にの。ソラ、市場でして。試食もさせてくれるし、歩いて、見てるだけでも、懐かしくて、楽しくて。
この情景、状況見てたら、亀岡は、ほんとに、田舎やなあと。
これだけの、人数、集まるとするのか、賑わうの場所が無く。外人なんか、珍しく。外人の多いを望まんけれどや。
それでも、これだけの、国際色豊な情景あれば、賑やかで、宜しいですやんかと。
ほんまやでの、観光人、この雰囲気、楽しんでるの風情、伝わってねえ。外国の、若い子、姉ちゃん達、数人が、何やら、よお知らんの、言葉で、喋っててみい。それが、あっちでも、こっちでもの。
一々の、アレ、何人<なにじん>と、考えてるの間も、無い程の、バラバラでして。
且つは、どこの国の子<娘>も、大同小異の、似てるなと。似てるとは、雰囲気がでして。
それだけ、日本人が、国際的感覚に成って来てるのか、外人が、珍しくも無くなりの、特別視、せんよになったがためかは、分からんですが。
オッとの、での、端から、端、寺町まで、行ってしもてねえ。
何を喰うやの、昼飯をでして。
喰えるの店なら、沢山あっても。イヤ、基本、2階のが、多いですが。高いんやと。正確には、正直にはの、相応の値なれどの、昼飯で、ン千円も張り込むの気、毛頭でして。
せめてもの、千円にプラスのアルファーならなと。探して、あったなの。和食屋でして。2階に上がれば、席も空いててねえ。
メニュー見たら、「うなぎ」が、1290円也での。まあ、ええかと。
ででの、正直には、余り旨くは無かったですが。ご飯が、柔らか過ぎてねえ。「うなぎ」も、少なくて。まあ、値は、値だけの哉と。
ここでも、入って来るのは、若い姉ちゃん、20歳そこそこの2人、3人連れのが、多てねえ。或いは、孫3人、中学生、高校生程度のを伴いの、お婆ちゃんがです。元気な婆様で、宜しいなあと。
オトトのです。
大丸駐車場なるは、3000円以上の買い物にての、2時間無料。
以降、最初の1時間、600円也でして。錦小路をウロウロの。飯喰てたら、1時間経ってしもてねえ。ま、ええかの、駐車場代、600円の、覚悟して。
大丸に入れば、人の少ない事。
昔日から、したらの話なれどです。錦と、比較したら、雲泥の差でねえ。
錦なら、真っ直ぐ歩くに一苦労なれどです。人、人、人で。
大丸の方、これは、完全に、高島屋に抜かれてるなあと。規模も、半分もあるの哉なれどです。
(14/08/05)
NO.1564 9年ブリかの、大丸の話(2)
昔はねえ。
大丸の屋上には、子どもの遊び場的、小規模遊園地的なるの。又、ゲーム・センター的なるのが、あったですが。
無くなってるねえ。
園芸品と、ペット用品売り場になってるです。
イヤ、正直には、全容見てませんですが。元々が、そんなに広い場所でも無く。云うたら、屋上とするよりは、7階の食堂街でして。一角には、喫煙所もあってねえ。嗚呼、見つけたゾと。
この日、大丸の目的なるは、嫁はんの里帰りに伴うの、お土産類の調達でして。
最上階の、7階に用事は無くの、地階でして。
エスカレーターで、何階には、何かの、様子見しつつ、地階に行けばです。大勢の人でねえ。へえと。
本体の、1階以上とは、全然の違てねえ。
されどの、高島屋の地階と一緒の、中高年、年寄りばっかりで、ごった反っててねえ。
まあねえ、店の数は、少ないもののです。概ねなら、これだけあれば、充分哉の、充実してまして。
どこさんには、何をで、どこには、これをの、諸般、聞いてても、誰に何かを全然の覚えてませんでして。買い物袋だけは、両手の花状態の、一杯になってねえ。
ついでになら、オヤツとするのか、高島屋に寄っても、買おてるの、和菓子をと。ぼた餅と、後一種類の、名称よお知らんの和菓子でして。オッとの、水菓子とでも云うの哉と。
更なるの、ついでに、夕食の弁当をと。
いやなあ、所謂の、デパ地下のは、安いんやでと。所謂の、幕の内弁当的なるのが、正価700円代のが、3割引きであったりしてねえ。要は、一食、500円見当で、買えるしねえ。
総菜も、漬け物も、一杯置いてるしねえ。
コレ目的に、婆様、沢山、来たはってねえ。要領ええねえ。買い物籠の場所も、よお、知ったはってねえ。イヤ、籠が置いてまして。高島屋には、無かったの光景でして。
大丸の、買い物籠片手に、方々の店、陳列物の、物色したはってねえ。
ほんとにねえ、年寄り、2人だけ。1人だけなら、ここ、大丸に、高島屋にです。近くならです。デパ地下で、食料品、晩飯の弁当、総菜、おかずでも、何でも、物色した方が、作るの、調理するの、手間はぶけて、便利で、楽でして。
そらなあ、スーパー・マツモトのとでは、種類が、モノが、値段にしてもです。圧倒的、こっちが優勢でして。
まあなあ、スーパーなら、デパ地下の、出店、一店のみの規模でして。種類、知れてるですが。こっちなら、店沢山あってねえ。選り取り、見取の、何でも御座れ。見てるだけでも、楽しいなあと。
云うても、夏場でして。
そんなには、食欲もあらへんでねえ。脂っ濃いのは、いらんしなあ。野菜類、苦手やし。魚も、気が進まんし。さりとての、ハンバーグもなあ。いらんなあ。軽いので、結構も、麺類もなあ。
そんな事なら、デパ地下で、物色せんでも、スーパーで、充分でして。
いやなあ、デパ地下も、都会の、スーパー並でして。近所の婆様にしたらです。
そんな意味でなら、客筋も、若干の違うです。
スーパーには、概ね、中年主流で。デパ地下では、婆様主流。何でやと。先の通りの、三度の食事の出来合の、食材調達哉と。確かに、その方、宜しいわと。
只ねえ、スーパーと、デパートでは、服装がなあ。違うなあ。当たり前なれどです。
別段にの、上等の服装で無いと、入場禁止として無いですが。全体的、余所行きの服装したはるが故、余りに、恰好悪いの、変な恰好しては、デパートには、行けませんでして。
対して、コンビニ、スーパーなんかは、普段着で、お気楽にの、どぞでして。ファッション雑誌から、飛び出したよな、恰好して、入ってみい。目立つゾと。
イヤ、時々居てるなあ。その手の、派手、ハデ、貴婦人風のがです。コンビニ、スーパーに、です。違和感あるなあ。
オッとの、そこまでの、ハデ、派手の、貴婦人風では、デパートでも、目立つですが。
どちにしたって、デパートが近所なら、ええなあと。
こんな暑い、暑いの、猛暑、猛暑で、ジッとしてても、汗タラタラの。家でならです。バテバテに成りそでも、チョイと、デパートにでも、入れば、冷房完備。
居たはるです。7階にでも、そこらにでも、椅子が置いてあれば、爺様が、婆様が、腰掛け、寝たはったりしてねえ。中には、爆睡のがです。ええなあと。私、そこまでの、勇気無いです。
オトトの、そんな次第の、斯くなるでの。
錦小路で、昼飯、喰うに、ウロウロしてての、1時間。
デパ地下で、土産類調達。オヤツの和菓子に、晩飯の弁当物色だけでも、軽くの、1時間。別途、嫁はん、バッグを買おてねえ。イヤイヤ、ノー・ブランド、バーゲン的、ン千円のでして。
上に上がったり、下に降りたりでの。サテの、用件終わって、ンの、都合の3時間までには、間があっての。大丸駐車場に行きの。受付にての。3000円分の領収書提示で、2時間無料で、超過1時間以内で、600円也を精算。
高島屋なら、5000円の領収書で、2時間でして。高島屋内で、無料化手続きなれどの。大丸では、駐車場でなんやねえ。
手続き法なんか、すかりと、忘却のです。
にしても、車で、来てたら、諸般、駐車場に苦労致すなと。
での、オッとの。
先刻、1時17分。
震度「4」の地震があったです。
震源地、京都府南部みたいでねえ。
イヤイヤ、突然の、ガタガタと。揺れてねえ。「4」ともならばの、少々、キツイねえ。横揺れ故、マシなれどの。これが、縦なら、怖いんやねえ。
とりあえずは、無事でして。その程度で、済んでねえ。
ホと安堵。
(14/08/06)
NO.1565 真夏の、寝苦しい夜の、夢の話(5) 叔父達と、迷子と、ケータイ紛失の話
当たり前の、夢の話故。
それも、真夏の、寝苦しい夜の、夢の話故に、辻褄さっぱりの、話でして。
とりあえず、暫く、夢らしいの夢。オッとの、起きても、覚えてるの夢、見てませんでしたですが。久しぶりに、記憶の夢の話を致すかと。
見たは、多分なら、昨夜でして。日付替わって、掲載文言、考えるの時まで、覚えてたら、です。
ネタにするかと。
大抵なら、夢の話故、軽くの忘却してる筈が、覚えててねえ。フウンと。
での、どんな夢かと、なればです。
我が親父の弟。つまりは、叔父が2人居ててねえ。上の叔父なら、22年前、1992年、オッとの、67歳にて、他界してるですが。下の叔父なら、現在唯今、80歳かなあで、元気にしてるですが。
夢の中に、この2人の叔父が出て来てねえ。
しかも、若あてねえ。一緒に暮らしてた時の、年代哉の。
若い分、こっちも、若いとするよりも、子ども的感覚で、出て来てねえ。あくまでもの、感覚でして。一緒とならばの、私、小中学生辺り、でして。
とは云え、あくまでもの、感覚でして。
ででの、どんな情景、設定されてたかと、なればです。
泳ぎにでも、行ったのやろか。銭湯やろかなあ。現実には、叔父達と、銭湯に、行ったを覚えてませんですが。尚、京都時代には、内風呂ありませんでしての。銭湯通いでして。
泳ぎもなあ、一緒に行ったの筈は無く。
ならばの、当世で云うの、銭湯は、銭湯も、健康村と称するの類の、大浴場なんかなあ。小規模銭湯も、大規模の健康村にでもです。実際には、叔父達と、一緒に行ったの記憶無いけれどや。
あくまでもの、夢の世界の話でして。
健康村も、どこはか、知らんです。
且つは、健康村であるかも、よお分からんですが。
兎に角、さあ、帰ろかと、なってねえ。帰ろかは、結構なれどの、叔父達、歩くの速度とするのか、早あてねえ。ドンドン、先を行きの、こっちは、子ども的、追い着かんでねえ。
大体が、叔父達、こっちは、見向きもせず。容赦無くの、ドンドン、先急ぎ。
遂に、はぐれてしもたと、するのか、見失いの、1人になってしもてねえ。困ったなあと。
どこえ、帰ればええのかも、皆目のです。
イヤイヤ、京都の家、あらへんし。上の叔父なら、京都田辺やし。下の叔父は、男山八幡の方でして。私、亀岡やしなあ。まあ、云うたら、3っつ共、方向違うです。
とかとか、してるの間にも、どこかの、団地、みたいな場所に成ってねえ。棟の幾つも建ってるのです。
ならばの、どちかの、叔父の家でして。
やけどなあ、団地は、団地も、様子が違いまして。古い団地で無く、当世の、高級マンション風と、までは、申さんでもの、兎に角、どちかの、叔父の団地は、団地も、どっちの叔父のか、分からんでねえ。
しかも、見た事の無いの団地でして。
イヤイヤ、感覚的、上か、下の、叔父の住むの団地なれどです。
見た事が無いの団地故に、現在地が分からんし。そもそもがの、叔父の部屋番号も、この団地のはです。分からんでねえ。困ったなあと。
くれぐれもの、夢の話やしなと。
合理性も、あらへんわの。そもそもがの、上の叔父、他界してるわの。若い叔父達、ドンドン進みの、視界からは、消えてもて。
ハタと、気ぃ付けば、見た事の無いの、団地でして。最初は、どちかの、叔父のと、思てたですが。次第に、立派な団地故に、違うのではと。
違う以前の、迷子状態での、さての、困った、困った、困ったなあと。途方に暮れてねえ。
されどの、何とか、せねばの。
ンの、そやの、ケータイで、嫁はんに尋ねるかと。我が子ども時代に、ケータイなんか、影も形もあらへんけれどや。子ども時代に、嫁はん、居てへんけれどや。突然に、現在唯今の、年頃に成ってねえ。
ケータイで、何をするの積もりかは、叔父達の、ケータイ番号でも、家はどこかでも、何でも結構の。
ケータイ番号さえ、聞けばの。叔父に電話して、今、どこに居るやの。迷子の、当方をば、救てくれと。頼むの感覚でして。
ででの、オトトの、トッとの、えらい事。
ですやんかの。
ケータイ、あらへんでねえ。
ンの、そこで、健康村かで、脱衣しての。上がって、着替えの際です。
そのままに、ケータイを忘れて来たかの。ならばの、えらい事、ですやんかと。どするやの。その健康村の場所なんか、知らんでの。誰かに、ケータイ盗られてみい。コレ又、えらいの事、ですやんかと。
方々の、登録のです。先様のです。迷惑掛けるになるしなあ。
それもあるし、ケータイなければ、誰にも、連絡取れずの、イヨイヨの、本格的、迷子哉の、家にも、帰れずの、どするやと。
ケータイ紛失ならばの、紛失届け出しの。別途のケータイでもを、入手せなば、ならぬですが。保険にも、掛けてえへんかったしなあ。そんなオプションでの、出金勿体ないわと。
困った、困った、困ったなあと。
そんな、新しいのを、買うの資金なんか、あらへんしなあ。スマート・フォンをさえ、よ買わんのにと。ランニング・コストが、バカ高く。
どするやの、先程の健康村にでも、見に行こかの。その健康村も、どこやったんやの。屋号でさえもの、皆目のです。覚えて無い以前の、気にもしてへんかってねえ。
そもそもがの、現在地でさえが、分からんのにです。誰にも、連絡さえも付けられずの。
途方に暮れての、万事休すの、名案無くの。
そこで、目が醒め、ハタと。
嗚呼、夢かの。夢で、良かったなあと。現実やってみい。
ケータイがと。
(14/08/08)
NO.1566 真夏の、寝苦しい夜の、夢の話(6) 続・ケータイ紛失の話
巨人がねえ。
オッとの、漫才の話で無いです。プロ野球です。
2位の阪神に、1.5ゲーム差に追い上げられ。尻に火が点いての、やっとで、高橋由伸君をば、スタメン起用。
本日、中日戦にての、本塁打で、拍手喝采。
相手投手、左腕ですが。この高橋君に、右も、左も関係あらへんわと。
いやなあ、高橋君、どっかと、スタメンに名を連ねて、重量感、増すです。厚みが感じられるです。
それを、何を血迷おたか、長野選手を4番起用は、ビクリの仰天したです。この選手、若い分だけ、将来性あるですが。4番を任せられるの、器量を感じませんでして。迫力感じませんでして。
且つは、好球必打は、結構なれどです。
初球で、ゴロ、フライでは、相手投手、楽やねえ。ノー・アウトで、走者出て、バントもせず、走れる選手に盗塁させずの。強攻策で、初球、1球にての、併殺打なら、クククと、笑いを押し殺すも、苦労するやろなあと。対戦相手様がです。
まあなあ、これを、機に、腹の立つノリ監督も、原点に戻って戴きまして。粘れ、粘れの、粘り倒せの。走者は、走るぞ、走るぞの姿勢示し。先発投手を一刻も早くに潰すにせよと。
オッとの、野球の話で無くの。夢の話の続きやわと。
私、時々、寝て乍らの、声出したりするらしく。この手の夢、時には、声出してるの声で、自分で、ビクリの仰天にての、目ぇ醒めるの事あるですが。
結構、恥ずかしいぞと。
目の醒めたの、その時には、夢でも、叫ぶ、うなされるの情景をば、覚えてるですが。寝直す事で、忘却のと。
忘却してるのに、声出すの場面、目の醒めたの直後には、夢の中身、覚えてると、云えるのかと、成るですが。
これはなあ、叫ぶなり、うなされるなりの、夢の状態から、現<うつつ>の世界、現世、この世でも、声出してるの、だけは、分かってまして。夢で、そのよな場面、あったが故、声出してまして。
されどの、現世、現実の世界に戻りの、嗚呼、夢で、良かったなあと。
とは云えどの、何の夢であったかは、スグにも、忘れてしまうんやと。
覚えてたら、話のネタにしてるわと。
そんな事ならです。
覚えてる云うても、夢の話なんか、日数経てば、忘れるですが。忘れんの夢も、幾つか、あるですが。それは、それとしてです。
斯くの如くに、ネタにすると、殆ど、忘れませんでして。
少なくともの、キムタク君の夢、現在唯今、尚、シカと、記憶してるです。
あれも、ソであったよに、此度の、2人の叔父も、夢に出てるが、叔父であると、勝手に認識してるのダケでして。
イヤ、キムタク君なら、面と向かいの、話をしてたですが。
叔父達とは、面と向かうの場面無く。場面なるは、ひたすらに、先急ぐの叔父でして。全くの顔見てませんですが。兎に角、叔父であると。
自分の姿は、見えてませんでして。見えてるよにも、感じてるですが。只、小学生か、中学生くらいの、男の子的、感覚でして。そのよに、認識してまして。
健康村なんやろねえ。そこから、帰るに、何故にそんなに急がんならんなんか、知らんわと。
帰るも、どこなんやと。上の叔父か、下の叔父のところえかも、聞いてえへんでねえ。叔父達、急いでて、こっちの事なんか無視でして。こっちは、はぐれてならじと、必死に追いかけるに、遂には、見失のおてしもてねえ。困ったなあと。どするやと。
思てたら、マンション風の場に居てて。
このマンション、もしかしての、次男のところみたいにも、思えたり。コレ、今、思えばの話の、大体が、この手の建屋に入るの数、僅少でして。
2人の叔父のところと、引っ越し前の、神戸、長男宅と、長岡京の、次男宅。そして、中学時代からの、親友の、ミノル君のところとです。モ一軒、30年以上昔の、同僚のです。これは、洛西ニュータウンでして。
印象的、長岡京の次男のマンションに近いなと。
近くとも、印象的、近いだけでの、全くの違うわと。
次男のと、気ぃ付いてたら、部屋番号、覚えてるわと。長男のも、覚えてましての。只なあ、上の叔父のなら、そんなに沢山の棟で無く。下の叔父の、男山のは、相当なるの、数あってねえ。
突然にも、そのどこかで、置き去りにされてみい。現在地、皆目の、見当付かんわと。それこその、迷子になるわの。自慢や無いの、迷子になりそになった事、あってねえ。
今年、叔母の墓出来たの墓参に行ったの際でして。駐車場に駐めるに、その駐車場、叔父宅のソバのが、分からんよになっての、往生したですが。
この手のは、皆、同じの造りでして。
行くの方向、道が違うと、さっぱりでして。
オトトの、そんな話、するの積もりでないです。
置き去りにされ、現在地不明の、ケータイで、叔父達に連絡取るにしてもです。現在地分からんでは、話に成らず。
分かってもです。車での移動と違うです。歩いての話での。距離的、どなんかなあと。
冷静になら、管理人室でも、探しまして。住人に聞けば、どこかは、教えてくれるですが。夢の世界で、そこまでの、知恵、出ませんです。何故か、嫁はんに連絡取るが、先決に思えてねえ。
モと云うたら、上の叔父なら、22年の以前に他界してるですが。ケータイなんかの話の、理屈は結構の、固定電話なら、親族、全部、登録してるわと。
での、ハタと。
電話をと、考えましての。
ンの、ケータイが無いに気ぃ付いてねえ。
えの、ゲの、どするやと。
これも、又、無いなら、無いで、公衆電話でも、宜しいですが。公衆電話で、掛けるに、無一文。
ついでになら、公衆電話を思い付きもしやへんでねえ。当世、公衆電話も、数少のおなって、探すに、それこその、一苦労。
とするの以前の、夢の世界で、思いの、付かんわと。断じての、ケータイからの、発想から、離れるが出来ませんの。潜在的、無一文があったの哉と。無一文でも、ケータイさえ、手元にあればの、電話は出来るです。銀行口座からの、自動引き落としでして。
ケータイになら、電話番号登録しててねえ。
そんな事ならです。その昔の、固定電話だけの時代ならです。頻繁に電話をするの相手なら、10個でも、20個でもは、自信無いですが。記憶してたわと。少なくともの、手帳にメモってての、手帳は、肌身、離さずの、持っててねえ。
それがなあ、ケータイ時代突入してから、電話番号なんか、メモるも、覚えるのも、必要性無くなってしもて。覚えてるは、自分宅の電話、固定電話番号のみでして。
自分のケータイ番号さえを、覚えるの気も無く。番号問われたならばの、ケータイで、表示させての、コレですと。
での、ハタと。
その、ケータイがさえも、手元に無くの。出先で、紛失哉の。そなればの、諸般、どこに居てても、孤立状態哉の。
加えての、手元に、一銭も所有してなければ、こんな事に成るのやなと。孤立で、孤独の、孤島状態。
ケータイは便利な道具なれどの。現世、当世、この世で、紛失したならばの、えらいの事。
ですやんかと。
夢の話ならです。
醒めれば、無事でありの、ホと、安堵なれどです。
(14/08/09)
NO.1567 恒例の、嫁はんの、里帰り
さての、この、8月の、10日<日曜日>から、長男、戻ってまして。
イヤ、嫁の里帰りで、向日市に送って、行って。当人のみ、こっちでして。
明くるの、11日には、2階の、網戸の、網の交換してくれて。
本日<12日>、墓参にと。お盆やしなあと。
その墓参にねえ、一緒にと。あのなあと。
この、3日<日曜日>、嫁はんと、月参りの、墓参してまして。
要は、車で、一緒にと。その車は、我が愛車。
まあなあ、お盆の墓参も、今週本格化でして。前回なるは、少々、早めは、早めでして。松のシキビでもありませんでして。ま、ええかと。
私共、別段に、お盆やからと、その期間にと。とは、こだわってませんでして。基本、月初めに、墓参してまして。
予想通り、東本願寺祖廟の駐車場は、満車と、してあったですが。運良く、スと入れてねえ。
イヤ、周回、ダメとしてあってねえ。
従前には、満車御礼の場合、何回か、回れば、回数に応じ、空きが出たの段階にて、駐めるが出来たですが。
意味合い不明の、周回車の、マナーが悪いらしく。周回ダメになってるですが。
マナーが悪いとは、どんな行状、醜態を演じてるの哉と。よお、分かりませんでして。
私共なら、普通に、周回してるだけでして。マナーが云々の場面無く。
での、寺務所に、墓参の証明、押印をば、戴きに行けば。事務員、申すに、正月の期間、実際には、12月31日から、1月の3日の、4日間。駐車場を封鎖するですて。へえと。
困ったなあと。
正月には、家族全員での、墓参、恒例でして。
封鎖なら、どこかの、有料駐車場にと、相成るですが。墓地に一番に近いは、円山公園の市営駐車場やろなあと。
地下に駐めて、出てきた先は、円山公園でして。まあ、云うたら、東太谷祖廟の、隣でして。
にしても、蒸し暑うてねえ。所謂の曇天でして。
そこに、日傘差したの、女性陣。老いも、若きも、マナー知らずでねえ。墓地内の道中、石段をです。差したままで、傘も避けずに、えらいの、迷惑でして。
いやなあ、コレ、差してるの当人、分かってませんですが。パカリと開いた、骨の先が、怖いんやでと。そんなに接近致しませんですが。目にでも、刺さってみい。どしてくれるやの、刺さった事、無いけれどや。
刺さったの話も、聞かんけど。ハタからは、怖いんやでと。
オッとの、そんな事で、8月度、2度の、墓参、致しまして。先の通りの、まあ、構わへんけどや。
家に帰れば、コーヒー一杯飲んで、長男、向日市の嫁の実家に迎えに参じの。そのままに、神戸に戻ったですが。
今度は、明日からです。朝からです。
長岡京の次男一家、こっちに、迎えに来てくれるになってまして。どこでかは、知らんの、長男一家と合流。2台の車で、四国香川の嫁はんの実家。この辺り、説明厄介での、詳細省略のです。
実際には、予定は殆ど、知りませんの。
多分なら、一旦、義母の住むの、比地木に寄って。母屋にあるの、仏壇を拝み。浜にあるの、墓にと、相成るの哉と。
いやなあ、この日、13日なるは、義母、ディ・サービスの日ですて。
行っても、居てないの可能性がと。居て無くとも、墓参、仏壇を拝むは出来るですが。果たしての、その辺り、どんな話に成ってるかを、知らんです。
私共、嫁はん任せ、息子共任せでありまして。
どっちにしろ、明日は、観音寺の、「琴弾回廊」で、風呂入って、晩飯喰うの手筈になってるのらしく。
イヤ、四国の義姉一家と共にです。あちら、何名様かの、8名様哉の。総勢、18名になってねえ。小さいのが、7名故、部屋も取ってるのらしく。
長男の話では、その辺りの宿で、泊まるになってるですて。へえの、聞き始めでして。
ほんまやでの、諸般、そんなモンでの、嫁はんの里帰りでの、私共、予定は、殆ど、知らされずの、蚊帳の外。
まあなあ、一向に、構いませんですが。知って、知らずで、どちでも、一緒の、特段の、運転するで無しの。息子共の車に載せてもろての、くっついてくだけでして。
あしょ、こしょなんか、一切の口出しも致しませんでして。
するに、その、ネタも無く。
大体が、地元でもあらへんの。どこに何がも、知らんわの。
兎に角、事故無く、怪我無く、無事に里帰りが出来て。皆が、無事に、帰還出来たら、結構でして。
そらなあ、黙って、車に乗ってるだけも、辛いぞと。
常に、事故るな。事故るなよと。ソレばっかりでして。
はっきり申しの、片時も、事故の事、心配、頭離れませんでして。スピード出しやがったら、気が気や無いし。
盆の時期なら、スピードもなあ、出すの場面、僅少での。むしろの、渋滞がなあ。どの程度で収まるのか、続くの哉と。
それもあるし。
孫共も、扱い難しいてねえ。
基本、親が居てまして。原則、親に任せるのべきでして。
結果、私共、爺なんか、何がために、一緒にと。
付け足しでして。
まあなあ、里帰りも、結婚以来、何十回。義姉宅に寄りの、お世話になるも、何十回。ここ、ニ三年なら、里帰り以外に、あっちから、京都に。又、神戸にと。
度々会おてましての。気楽は、気楽なれどです。
前提、姉妹仲、宜しい故、こんな事、出来てるですが。
加えての、義姉婿殿、ええ人故、往来出来てるですが。あっちの、甥、姪一家も、熱烈の歓迎してくれるが故、有り難いですが。
何度でも、申すの、婿殿と、私とは、血縁無く。
息子共なら、甥、姪とは、従兄弟関係なれどです。
今度はなあ。
婿殿、話題豊富で、気の使うの御仁では無いけれどや。
延々の、自慢話ばかりを聞かされるの我が身に成ってみい。大変ぞと。こっちの話なんか、殆ど、聞かへんしと。
最初は、ええけれどの、終盤になってみい。どしょかと。年齢的、こっちが、2歳上でして。されどの、義理の兄でして。
余計になあ。
(14/08/13)
NO.1568 ン十ン回目の、嫁はんの里帰り(1)
イヤ、原則、毎年の行事でして。
次第、次第に、家族、一家が増えてねえ。
結婚初期には、家族3人。
母までが、同行しましてねえ。
時には、とするのか、1度だけなれどの、我が妹と、その婿殿<当時、婚約者>も、一緒に来た事、あったですが。
そして、息子共が産まれて。4人で、5人でと。母も同行故でして。
イツ頃から、なんやろねえ。母が、同行せずと、なったがです。概ね、母、70代後半辺りから、哉と。現在母、91歳でして。
そらなあ、普通車、5人乗りの車に、大人、5人はしんどいわと。息子共も、次第に成長してまして。母は、反対に、体力がと。気力、その気はあってもでして。
よって、暫くは、家族4人、私共夫婦と、息子2人での、四国行きが続いてねえ。
この場合、少々の、無理利いて。そらなあ、カローラに、5人は、しんどいけれどの。4人ならなと。陸路を行ったりしたですが。陸路と、申しても、主は、宇高連絡船利用なれどです。今時、フェリー・ボートを使いませんですが。
イヤイヤ、カローラになって、24年に成るの哉の、2代目でして。それ以前には、スプリンターでして。どちにしたって、1300ccでして。
での、長男結婚以来、人数増え出してねえ。
次男結婚で、又、増えてねえ。
オッとの、有り難い事でして。目出度いの事でして。不平、不満。微塵たりともの、思てませんですが。
結果、現在唯今、10人の、大移動と、相成っててねえ。
京都からは、次男の車、7人乗りでして。
次男一家、3人と、私共、爺婆が、次男の車に載せてもろて、山陽道のサービス・エリアで、神戸在住の、長男一家、5人<車は、8人乗り>と、合流するにしてるですが。
要は、こっちからは、車2台での、四国えの、移動でして。
云うたってなあ。
着替え、お土産等々、車に積んでてねえ。
後部座席の、半分、荷物置きにしてたら。孫共にしたって、チャイルド・シートやしなで、場所喰てねえ。ソラ、狭くなっての、後部座席、楽で無いですが。
イヤ、私共爺婆、運転するで無くの、後部座席故、楽な、姿勢で無いですが。慣れたら、左程で無いですが。慣れるの、まではなと。
かと、云うて、車3台もで、移動してたら、ややこしいわと。ガソリン代、有料道路代も、バカバカしくて。勿体無くて。
特には、この時期、お盆でして。大移動の最中<さなか>でして。とは、云うても、登り、下り共、ピークの日は、ズレてまして。別段にの、意図的、ズラしたで無いですが。
そらなあ、10人もで、移動するに、休みの日を、一致させるは大変でして。オッとの、孫共、爺は、特段のです。
次男が休み取るが難儀でして。13日<水曜日>から、15日<金曜日>まで、取れたですが。明くるの、16日<土曜日>には、出勤ですて。へえと。
院外薬局勤めで、病院の日程に合わせんならんが為でして。
そんな次第の、斯くなるでの。
13日<水曜日>、次男一家、長岡京をば、8時に出まして。当家には、8時半過ぎ、着いたの哉の。
早速にも、荷物載せて、舞鶴自動車道、丹波篠山経由の、山陽道でして。どこでか、サービス・エリアに着いて、2分、3分後かには、長男到着して、へえと。
まあなあ、舞鶴自動車道に入ったの辺りで、一報入れてるですが。嫁はんがでして。
後は、随時、今、どの辺りと、連絡しつつなれどの。
最後部座席の、こっちには、殆ど、分かりませんでして。会話が、聞こえてませんでして。さっぱりでして。
そのサービス・エリアで、昼飯喰たですが。12時に30分前なれどの。その時なら、空いててねえ。嫁はんが、次男嫁が、食堂の席の場所取りしてくれて。
そらなあ、10人分となれば、場所取りしませんとと。バラバラでも、結構みたいなれどの。席が空かんでは、昼食も一緒に取れずで、時間喰うばかりでねえ。
その替わり、10人もで、行動してたら、孫共に、気は使うものの、心丈夫でねえ。
モ一発、そらなあ、孫共、ジッとは、してんへんし。ウロウロするし。下手したら、泣くし、わめくし。こんな人の多い場所で、見失おてみい。大事<おおごと>ぞと。
要は、監視、監視でして。
とは、云え、孫娘は、云う事、聞けるし、孫君1号辺りは、落ち着きが出て来ててねえ。
孫君3号なら、まだ、勝手に方々えは、行きは、するものの、まだ、マシでの。問題、孫君2号哉と。その内には、2号が落ち着き出し。3号君が、目を離せんよに成るの哉の。
順繰りでして。
まあなあ、昨年よりは、楽になってまして。
更に、来年は、楽に成るの哉の。その内には、こっちが、無理するにもの、出来んの年代に突入するの、やろなあと。
ほんまやでの、面々、こっちの年齢、考慮に入れてえへんみたいでねえ。
オッとの、気を使てもらわんならんの年齢でも無いですが。着実に、1年経てば、1歳、歳喰てるは事実の、現実でして。
ここだけの話の、イツまで、付き合えるの哉と。
心底、考え出してるわと。
(14/08/17)
NO.1569 ン十ン回目の、嫁はんの里帰り(2)
そこの、サービス・エリアにて、1時間程度、居たの哉の。
とりあえず、そこから、四国香川、仁尾経由で、大浜<地名>えと。
仁尾は、義姉宅なれどの、素通りでして。先に、義母の通うの、ディ・サービス・センターに直行したです。
時間的、15時過ぎであったの哉の。その時刻なら、そっちでして。義母がでして。
大浜なるは、義姉宅と、義母宅のある、比地木の、概ね、中間地点になるですが。
綺麗な施設でねえ。
昨年、出来たですて。へえの、ええなあと。
ここで、孫共の七五三の衣装、先取りのアルバムが出来ててねえ。一緒に見せてもろたですが。ナカナカに、よお、出来ててねえ。相応の費用掛かってるなあと。当世の子どもはええなあと。
オッとの、本番、10月なれどです。
京都、八坂神社で、執り行うの予定でして。
諸般、母のショート・スティ等々、早くも、調整がと。その、10月16日<水曜日>には、大井神社の、「秋祭り<御神輿>」もあってねえ。
例年通り、参加予定してまして。ならばの、母の件、コレ又、調整をと。
ここだけの話、でも、無いですが。
リハビリ・センターの入所の延期をと。
延期したら、したで、冬場の、予約が、その分、先になってねえ。中旬までが、限度哉の。その先の、ショート・スティ等々の予約が取れてませんでして。
母の希望、「けやき」のがでして。
オトトの、そんな話は結構の。
全員、10名にて、義母と面会致しまして。
明くるの、14日<木曜日>には、比地木に行くの積もりしてるですが。本家にも、行き、仏壇にお詣りしまして。墓参をと。墓は、比地木の浜の方にあってねえ。坂道故、結構なるの、坂故、5分程度、要するですが。距離的になら、200メートル程度でして。スグの近くでして。
での、ここからの予定なれどです。
大浜の義母に面会終われば、義姉宅えと。
そこから、観音寺の、「琴弾回廊」に向かいまして。風呂に入って、そこで、夕食でして。
これがなあ、何分の、四国組と、合わせての、総勢、18名でして。部屋の予約、確保をと。したなら、会席料理をと、云われてねえ。最低でもの、ン千円のをと。へえと。
へえも、従わざるを、得ませんでして。そらなあ、大人だけの18名なら、適当にと。しても、結構なれどの。それでも、食堂が主で無く、風呂でして。食堂の収容人数、知れてましての、精々が、20名程哉の。我々だけが、客で無く。
会席にしとこかと。相成ってねえ。
実は、長男、宿泊すると、勘違いしてたですが。ここでは、風呂と、夕食のみでして。
泊まるは、仁尾の、義姉宅でして。
正直、さもなくばの、費用大変。
イヤイヤ、この、「琴弾回廊」に隣接してるの、宿泊施設には、過年、宿泊した事、あってねえ。7年前であったかの、姪の結婚式の時でして。
この時には、長男結婚してて、次男マダ。
5名で、来たの哉と。
要は、ウィークリー・マンションでして。安くて、宿泊出来まして。仁尾にも近く。
イヤ、当時には、仁尾の義姉宅には、宿泊してませんでして。かと云うて、比地木の、義母宅では、狭く、我々、夫婦のみで。場合により、息子共、甥宅に泊まったり、仁尾でと。分散してたですが。
変な話、義姉婿殿のご両親、介護施設に入所から、仁尾で、泊まるよになったですが。
ででの、13日、当日、宿泊するは、仁尾でして。
明くる日、14日には、先の通りの、比地木の義母宅と、本家の、長男宅にで。仏壇拝み、墓参り致しまして。
昼からは、仁尾の海岸にて、海遊びなれどの。今回、私め、遠慮しとこかと。
ここでは、潮干狩りをしてたですが。婿殿、足、骨折でねえ。行けませんでして。
私なら、そのお付き合いで、行ってた程度でして。
いやなあ、比地木の浜でなら、泳げるですが。従前、泳いでたですが。
仁尾は、遠浅での、孫共の、海遊びが主でして。私なんか、居てもなと。ウロウロしてるだけで、用事無く。孫共の相手するも、親居てて。
とかとか、その間にでも、夜のバーベキューの準備でもを、婿殿と、してるの方、気楽でして。
それもあるし、昼寝でもと。
そらなあ、正直、疲れてるです。
既に、何回も、仁尾で、泊まってるし、その辺り、気ぃ使わんですが。好きにしてるですが。年々、車に乗ってるだけで、疲れるわと。
事故られたら、どしょかと。
当然の、運転手任せなれどです。こっちが、安全運転でも、巻き添え喰うもあるしなあ。
そんな事で、14日は、墓参、海遊びと、バーベキューでして。
最終日には、バーベキューの後かたづけと、昼には、近在のうどん屋で、昼飯喰えば、帰路に着くになりまして。
そんな次第の、斯くなるでの。
婿殿、足骨折なるは、階段からの、降りしなに、足踏み外しての、踵をでして。
その数日後かに、親父様、他界。
変な話、私と、一緒でして。
私も、足の骨折にて、入院中に、親父の訃報、入ってねえ。
私の場合、手術致しまして。1年半後、足の骨にくっつけた、プレートを外すの二度目の手術してねえ。その入院中でして。
こんな時には、こんな事、重なるの哉の。
こんなとは、不幸な事、重なるの意での、変な話やなと。親父様、94歳とかでして。
まあなあ、寿命伸びてるとは、云えどの、天寿哉と。
オッとの、トットの、我々の寝場所に、親父様の飾り付けあってねえ。納骨前でねえ。
全員と、するのか。次男一家は、婿殿の部屋に。婿殿は、どこにか、知らんの、部屋に。
残りの、我が一行、7名が、その部屋とするのか、居間でして。仏壇も新調されたの部屋でして。
失礼乍らの、家の中心、台所と、部屋の間。
その、一番の端っことするのか、奥の方には、孫共なんかなあの。夜、寝相悪くの、暴れて、飾りを壊さぬよにと。反対側の、端っこのです。我が足元には、飾り付けあっての。
かと、云うてねえ。
枕元に、お骨、飾り付けではなと。
(14/08/18)
NO.1570 ン十ン回目の、嫁はんの里帰り(3)
オッとの、そらなあ。
義姉宅、訪問一番。
諸般の、我が御一行様、全員揃たところで、私、代表致しの、婿殿親父様、遺影、飾り付け、遺骨を前に、ロウソク点しましての、線香に火点け、チインと、鈴<りん>鳴らしの、拝んでるです。
基本、それがため、今回、来てると云うて、過言で無く。
息子共も、香典をば、嫁はんに託してまして。
多分なら、一度や、二度なら、顔合わせてるの筈でして。
いやなあ、こんな時期、飾りがあっての、時期にです。他家訪問初でして。
婿殿の話ならです。
来年の盆が、初盆にての、諸般、忙しくの、こんな事、してられへんしと。今年の方がと。
云われてもなの、可成り、気が退けるですが。先様が、構わんとの事での、来させて戴いたですが。
当たり前に、バーベキューは、昨年には、こちらの向かいの空き地を、買おたか、借りたか、してましての、そこで、やってたですが。
幾ら何でもの、葬儀出したばかりの家の向かいで、夜にバーベキューや、そら、花火やと、騒いでられませんでして。はばかれまして。
近在、別の町内会に在住の、甥宅にて、したですが。
ここでも、基本、一緒なれどです。我々の地域の如くに非ずの、ここら、地元故、近在の方なら、葬儀出してるは、承知されてるですが。本家宅よりは、マシかと。
コレ又、万事、仁尾一家の意向でして。例年通りにと。
本宅前の空き地でのバーベキューも、昨年やっただけでして。
それまでは、甥宅でして。近く故でして。出来るの庭の広さあってねえ。
そらなあ、ここだけの話。
でも無いの、ここら、土地安いです。坪、2万円程度ですて。ええなあと。
ほなら、住んでみるかと、なればの、一寸なと。遠慮致すですが。当地に産まれ、育ってたら、ええ場所なれどです。
人口、6700人<2005年統計>でして。城下町でして。仁尾城があったですが。戦国時代、落城してるです。
オトトの、そんな事で。
全員揃たところでと。申したですが。本家ソバには、車置けるの場所が無く。城下町であったがため、道幅、軽自動車が通過がやっとでして。それも、ミラーを畳んでの、通過でして。
息子共の車は、甥宅にと。
まあ、つまり、我々、荷物等々、降ろしてから、甥宅に車を置いてから、戻って来てまして。息子共、到着まで、待ってたですが。
バラバラで、拝むよりはと。バラバラでも、結構なれどの、全員にて、拝むの方が、明確での、ケジメがと。
での、婿殿親父様の遺影に対してです。
基本、ご冥福を祈るになるですが。在りし日の、情景、思い浮かべ乍らですが。ソラなあ、あるです。3っつあるです。
こちらの、一室に居られて、帰りしな等々、お邪魔致しましたと、声掛けた時の、情景。
ディー・サービスから、戻られた時、お邪魔してますと、挨拶した時の、情景。
モ1回は、リハビリ・センター<中期入所>に挨拶に行った際の、婆様に囲まれ、歯を磨いておられたの光景。イヤ、さながらの、ハーレム状態でして。へえと。
そらなあ、入所者、圧倒的、婆様多く。爺様なんか、1割も、居たはりませんでして。
この当時には、我が母も、ディ・サービス、ショート・スティのみでして。中期入所はしてませんでして。
されどの、圧倒的、婆様多いは、この時、承知したですが。知って、さもありなんと。男の寿命短いが故、この状態になるのやなと。
それもあるし、爺様の場合、入所は、嫌がるの傾向がと。
での、リハビリ・センターなるは、中期入所での、数箇月<基本3箇月>なれどです。
こちらの場合、戻って戴くは無いと。
所謂の、老人ホーム、特別養護老人ホームでも無いの、介護施設なれどです。こちらでは、それが、出来るのやなと。
イヤ、難しいの判断でして。
1人で、自分の事、出来んよになれば、この手、介護施設の助けを借りねば、家族大変でして。
されどの、誰しもの、自宅が、家族と共にが、ええに決まってまして。
とは云え、実際に、家族の手を借りねば、生活出来んの状態になれば、どなんやろなあと。介護施設の方が、当人にとっても、楽は、楽なれどです。
ズとは、嫌やろと。
家でなら、好き勝手出来るですが。施設では、集団行動、生活でして。
そんな話は結構の。
明くる日には、我々、10人で、比地木の、義母宅えと。そこから、裏手の、本宅の義兄夫婦に挨拶方々、義父の仏壇を拝みにと。
義父のはなと。想い出多く。又、拝み慣れてるとするのか、まだしもの、身近な存在でして。私共、結婚して以来でして。
小屋では、家の外の、仮屋根の下で、義父が昼寝してたの光景がなと。ソラ、お盆の時期での、外の方が、風通し良く、涼めるです。
実は、この義父のイビキが凄く。義母が、気を使てたですが。私なら、左程に気に成らんかったですが。早く寝た方の勝ちなれどです。義父の寝付きも、よおてねえ。負けっ放しでの。我が長男、孫娘が、案外にイビキをと。
義父よりは、数段のマシなれどです。
オッとの、そんな事で、ここには、仏壇にはです。
義母も同行致しまして。
仏壇に向かいの、嗚呼、京都から、皆が来てくれたゾと、泣き乍ら、拝んでねえ。
義兄夫婦からは、孫娘と、次男嫁には、クマの縫いぐるみを戴きまして。
これがなあ、次男嫁になら、孫君3号と一緒になるですが。孫君3号、縫いぐるみに左程の興味無く。されどの、孫君2号、興味津々での、貸してくれ、貸してくれと。姉を追い回し。
下手したら、孫君2号と、取り合いになっての、壊されてしまうの可能性がと。
要は、孫君1号、2号には、何も無く。
そして、ここが終われば、義兄も一緒に、浜の墓にお参りをと。
義母も行くと云うてたですが。坂道きつく、止めといたらと。要介護、「2」では、杖突いてては、無理でして。我々でも、身一つ、難儀な坂でして。
以て、お盆としての、やるべきの事、やれまして。
(14/08/19)