シバケンの単なる雑談NO.181
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目次
NO.2080 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(20) 的屋、香具師の話
NO.2079 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(19) お盆の読経の話
NO.2078 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(18) 室町から、烏丸の地下鉄えの話(2)
NO.2077 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(17) 室町から、烏丸の地下鉄えの話(1)
NO.2076 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(16) 出身地の話
NO.2075 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(15) 山鉾の飾りと、瓶ビール1箱の話
NO.2074 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(14) 「さと」での話
NO.2073 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(13) 止まるな、写真は撮るなの話
NO.2072 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(12) 「粽」投げも、無くなってるの話
NO.2071 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(11) 「菊水鉾」も、拝観券がいるの話
NO.2071 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(11) 「菊水鉾」も、拝観券がいるの話
話、逸れるですが。
元々が、逸れっ放しですが。
いやね、町内会の、「夏祭り」の案内が配布されたです。
本日では無いです。過日、3日経つですが。
矢っ張り怪と。
いやね、当方、期首総会で発言の、缶ビールの件。
矢っ張り、3年連続の、缶ビールになってたです。
イヤイヤ、元々は、生ビールでして。
総会で、何を云うたか、手抜きであると。
まあね、当然の、今期役員会、正確には、支部長会と称するですが。そこで、決めれば良いですがと。
イヤ、事実、中身なるは、役員会、強いては、三役、執行部に一任になってるです。
但し、そらね、区民の意見に耳傾けるも、必要でして。
とまでは、申してませんですが。常識故。
がしかし、諸般、その時の、会計君、区長の様子より、嗚呼、望み薄とは、察知してたですが。
そらね、意見、半々也と、会計君申し。ンの、前期役員会での、採決結果の事也と。とは、分かったですが。
それと、区長が、予算が云々と、申し。ンンの、そかの、予算で、既に、缶ビールにしてるのかと。
まあ、つまり、役員会で、検討以前の、今期、計画そのものが、生ビールで無く、缶ビールになってるのやなと。
とまあ、つまりは、三役引き継ぎの段階にて、それが前提で、進められたが判明してるです。
正直申しの、今期、役員、三役以外の、ですが。情け無いなあと。
反論、異論、申すのが居て無かったに相成って。何たるチアと。散たるチアと。との表現、古いけど。古いで結構、手抜きすなと。
そらね、役員、特には、三役楽やねえ。生ビールとなればの、諸般準備が必要でして。只ね、年1回です。
町内会、特には、区長にしたって、この、「夏祭り」なるが、最大の行事。これが終われば、後、何があるの怪の、殆ど、コレと、するよな、町内会行事はありませんです。
無い事も、無いけどや。
「町民大運動会」があるですが。コレ、体育振興会主催。町内会としたら、側面支援。実質的、町内会がやってるも同然なれどの、区長にしたら、気分的、楽、楽、楽の、楽チンでして。
「大井神社」の秋の大祭もあるですが。コレ、子供御輿でして。子供会でして。側面支援。実際には、町内会がやるですが、「町民運動会」と、一緒で、気分的楽。
後、「秋の環境衛生」「防火訓練」があるですが。どて事、あらへんわと。
での、正直申すです。
今期女性区長、しっかりしたはるなと、高く評価はしたですが。
諸般の当方、発言に対するの、応答より、ンと。
今期、役員、若手が多い故、期待もしたですが。結果的、ンンと。
いやね、くどいけど、基本、区長のリーダー・湿布。イヤ、シップ。
再度の、申すの、役員さんとは、前に、「世話」が付きの、「世話役」員也と。それを、せねばの、ンの、何やろねえ。単なるの、「員」。
今から、悩むわの、さての、期末総会にて、発言するかを。
とっとの、その手、話、後刻に致し。
「祇園祭」宵山の話を致すですが。
そらね、「祇園祭」の宵山に行き鯛と、云われ鱈の、そらな、嬉しいわと。
そらねの、そらねで、我が地元。
それこその、30年ぶりに、見に行くかと。「菊水鉾」にも、乗り鯛なと。されどの、此度、「長刀鉾」に乗ったですが。初でして。
でや、「菊水鉾」の周辺にも、人、人、人で、一杯。
一杯は、一杯なれどの、先刻の、「函谷鉾」とは、可成り少なく。「長刀鉾」とは、数段の少なくて。
まあ、云う鱈、人をかき分け、かき分けの、強引に前進する必要性無く。
只な、雨が降ってまして。
雨は、うなぎの、「かねよ」を出た時には、チラと。
新京極の、アーケードを通過で、四条に出た時には、豪雨。
「長刀鉾」に乗り、烏丸に向かうの時には、やや、小雨。
但し、烏丸から先の、四条通りには、アーケードはありませんでして。傘差す人多く。イヤ、危ないでと。
高く、掲げてるのなんか、居てませんです。アホかと、思うの程の、気づかい無く。これで、よくぞ、事故、怪我、あらへんなと。
そらな、人、人、人で、人で一杯でして。そやのに、そんな中で、傘満開で、棒と、するのか、心棒をば、肩に背負てるの、バカ。
この手のアホウを良く見るです。
当人、危険性を認識してませんでして。自分が、その手のアホウが、ソバに来鱈、どするやの、危ないなあと、少なくともの、顔を避けるやろなと。
骨が、目にでも、刺さってみい。当たってみい、激怒以前の、失明するです。てな事、微塵も、想定してませんの、この手のアホウ。
イヤイヤ、我々なら。
とするのか、折り畳み傘なら、持参してるですが。2本だけもありの、この人出では、差すも、無理と、出してませんです。
よて、ズブ濡れ状態。
ほんまやでの、その程度の配慮するが、我々でして。配慮する故、せぬの面々の、無知ぶり、分かるです。
要は、我が身さえ、雨に濡れずば、それで良しの、身勝手なる、ご婦人多く、それの、どこが、「ご」婦人怪の、無知無能の無教養人也。
とっとの、その手のが、多過ぎるですが。
とりあえず、豪雨状態では無いの、本降り状態。
の中、長男、「菊水鉾」のグッズ売り場の姉ちゃん達に、尋ねるに、鉾に乗るに、どし鱈と。
和装の若き姉ちゃん、多分なら、アルバイト嬢なれどの、曰くに、まずは、「粽」<1000円>をと。
その上で、乗られるの、人数分の、拝観券をと。1人、500円也ですと。へえと。
イヤ、正確には、3人組なら、その3人で、粽1個と、3人分の、拝観券の、都合の、2500円也と、相成るです。
いやなあ、時代も、替わったなと。
その昔には、只でして。
「粽」の1個は買おた鴨なれど。拝観券なんか、知らんわと。
まあ、云う鱈、「長刀鉾」方式が、一般的でして。何かを買えば、そのグループ、皆様、どぞと、通されたです。
鉾に。
(17/07/29)
NO.2072 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(12) 「粽」投げも、無くなってるの話
さての、本日<7月29日・土曜日>。
「芋煮会」の農園の、我等が場所の、有志に寄るの、雑草刈り。
会員と、するのか、仲間、15名なれどの、参加、農園主含め、5名様。
いやね、そらね、雑草刈りで、全員集合したって、なと。
それもあるし、いつもの、集合時刻、13時半からの、わざわざの、暑い最中に作業するも、なと。
幹事に提案、有志で、朝にと。
結果、本日、10時、現地、農園に集合と、相成ったです。集まったは、先の通りの、総勢、5名様。
農園主は、現地故、半強制的。
とも、云えて。
それは、結構の、9時45分頃、ケータイに電話一発、幹事君よりで、メンバーの1人が、当方、現地集合、知ってるやろなあと、心配してるですと。
オッとの、承知の、何でやなと、問えば、皆様、現地に来てるですて。フウンの、そ云えば、前回、現地集合とは、知りませんでして。
最寄りの駅、いつもの、集合場所、並河駅にて、指定時刻、待ってたですが。一向に誰も、現れぬ故、幹事君に、ケータイ一発、掛からんでねえ。正確には、電話に出ませんでねえ。
フサオ君に掛け鱈、皆、現地に居てるでと。左様かと。
てな、事、あったが故、又、間違おてるの可能性がと、早めに電話したの、らしく。
イヤ、ご心配無用の、此度は、伝達文、メールを真面目に拝読してるですと。これから、出発するですと。
での、冷凍した、烏龍茶のペット・ボトル。熱中症対策の、タブレットの、「塩分チャージ」持参で、向かいまして。車でね。
着けば、皆様、作業中で、即の、仲間入りは、結構も、朝、午前中も、暑うてねえ。忽ちにして、汗タラタラの、当然の汗拭きタオルは首に掛けてるですが。
帽子も被ってるですが。ひさしから、汗が、ひたたり落ちるの程の汗。
これは、たまらんなと、まずは、冷茶、冷凍茶の溶けた分を飲んだり、汗拭いたり。
これが、作業に掛かって、半時経っての事での、再度の作業に掛かって鱈、ンの体調の変化。
表現、難しいけれどの、まずは、当方、耳鳴り症でして。四六時中、耳鳴りしてるですが。この音と、するのか、音色に変調。変調の具合の表現出来ませんですが。
感覚的、断続的になったのかと。断続で、消える瞬間があるなら、結構なれどの、ンの、強弱出来てと、するが、正解哉の、異様なる状態でして。
イヤ、直感的、宜しく無いぞと。
加えての、心臓音、鼓動音が、聞こえ出し。
常平生、心臓音、とするのか、鼓動なんか、感じませんですが。それが、伝わって来るです。
いやね、別段にの、目眩するよな、状態では無いです。
只ね、このままにして鱈、危険哉と。的、感覚になって。
まあね、無理する事もありませぬ故、農園主宅、縁台に腰掛けての、小休止。フサオ君と、共に。
いやね、この縁台、宜しいねえ。京都の我が家では、縁台までは、無かったですが。床几があって。
いやね、大抵の家々には、床几があって、この季節、特には、「祇園祭」の頃には、出して、皆様、夕涼み等してたですが。
或いは、縁台とか、床几で、近所の面々と、話込んだり、将棋、囲碁等々、したりして。のどかと、するのか、雰囲気良かったですが。
今時、見ませんねえ。
我が町内会のどの家にも、ありませんですが。あっても、車が往来して鱈、出せませんですが。
農園主宅の縁台、前庭にあるです。
イヤ、正解でしたです。再度、冷凍茶飲み、タブレットの、「塩」服用で、再度の、作業に挑戦。その際、ハイハイと、「塩」配ったり。
まあね、結果的、1時間程度で、作業そのものは、終えまして。
ところがや、汗が引かんでねえ。頭から、水被り。
イヤイヤ、農園主宅、前庭には、水道あって。要は、収穫した作物、農具等、洗う用、水道。
それでも、汗引くまで、結構なる、時間を要しの、やとで、着替えも致し。
いやね、農園主の姻戚の方、亡くなり、葬儀があって。作業、終え次第、諸般、行くの準備すると。
我々なら、着替え鱈、さての、皆で、昼飯でも、喰いに行くかと、並河駅、そばの、レストラン、「さと」えと。
幹事君の車と、2台でね。
オトトの、ついでの話の、カボチャが、本日の収穫品、戦利品。皆様、一個ずつ、戴きまして。
持ち帰れば、早速にも、夕食に出たです。
オトトの、そんな次第の、斯くなるでの。
これは、「祇園祭」の、宵山の、日の話の。又、話、逸れるですが。
「さと」でね、飯と、するのか、冷やし中華なれどの、喰い乍らの、この話をチラと、出したならばの、ンの、幹事君、「長刀鉾」の、「粽」を持ってると。
とするのか、入手してると。へえの、大したモンやな、どないしたと、問えば、妹さんから、回って来たですて。ええなあと。
そしたら、今度は、フサオ君、申すに、何時であったか、何年か前かに、御池通りで、放り投げられたの、「粽」を取れたでと。へえの、ならばの、相当なるの、以前やなと。
この件、探索、検索したなら、昭和52年<1977年>、鉾から、投げた粽が、観客の目に当たったの事故発生にて、自粛と、するのか、止めになったですて。
いやね、一千ン百年も続いてたの、粽投げが、その1件で、自粛怪と。
失礼乍らの、その観客の方がと、思うですが。
イヤイヤ、実は、「粽」なるは、原則、買うのモノで無く。
とは、語弊あるですが。
そらね、宵山、宵々山の時なりには、山鉾のところでは、粽等々、売ってまして。
がしかしの、基本、「祇園祭」本番当日、「鉾」から、投げるの粽を受け取ってこその、御利益でして。
云うたって、そは易々の、取れませんでして。そらなあ、人一杯。
云うてるです。
当時、我が家、隣の兄さん、申すに、タケちゃんよと。四条烏丸の、西北の角辺りに、来い。投げてやるからなと。
そかと、その場に行ったですが。人、人、人で、人で、一杯で。
兄さん、何度も、何個も、投げて呉れるも、とてもや無いの、そんな上手い事、コントロールも出来んし、周囲の面々に、取られるわと。
云うても鱈、傘を反対にして、そこに、粽を入れよと、請求してるのも、居てまして。危ない、危ない、要領、良過ぎるのも、居ててねえ。
いやね、或いは、粽を紐に括って、二階なり、居てるの知り合いに向けて、放るのも、居てたです。
まあね、それが、囃子手の、まあ、云う鱈、見せ場、特権、格好のええ場面。
そらねえ、下から、人、人、人が、粽を投げよと、請求してまして。投げ鱈、ブンドリ合戦。
まあね、当時には、観客の大多数、京都人でして。年々、所謂の、観光客も、増え出して。
ある種、マナー等々、メタメタに成ったの哉と。
オトトの、そんな事で、幹事君にしたって、「長刀鉾」の「粽」買おてませんです。回って来たと。
ええなあと。
当家にしたって、その当時には、基本、隣の兄さんより、「菊水鉾」の粽が。
その他、どこからとも無くの、種々、回って来てたです。
(17/07/30)
NO.2073 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(13) 止まるな、写真は撮るなの話
少々、補足しておくです。
イヤ、フサオ君が、御池で、「粽」をの、話。
いやね、分からん事、無いです。
「祇園祭」で、一番の人気スポット。となればの、四条河原町。
ここで、進路を、東向きから、北向きに変えるです。これが、所謂の、辻回し。
そらね、車輪は可動式でもありませんでして。
そして、河原町通りを、御池の京都市役所まで、引っ張り、又、進路を北向きから、西にと変えて、一筋、寺町通りで、解散。解散とは、そこから、地元、町内に戻るになるです。
囃子手の残余の、「粽」は、そのまま持ち帰るか、まくになりの、まいたんやろと。
運良く、フサオ君、その、「粽」を拾たになるです。まあ、珍しい事でして。
そらな、見物人、ン十万人。囃子手が、何個の、「粽」を投げるかは、知らんですが。そは、易々の、取れるはありませんです。
それも、過年、四十年の昔、昭和52年<1977年>に自粛と相成ってもて。
当方にしたって、何回、「祇園祭」本番を見物に行ったかは、分からんでして。云うたって、数回でして。
内の一回、隣の兄さんが、投げてやると、申すが故、指定の場所に行ったけどや。投げてもろても、拾える、取れるであらへんわと。
まあな、そんな事で、基本、「粽」なるは、買うモノで無く。
当然の、寄付なり、してるですが。幾ら、幾らと、決まってるで無く。気持ちや、気持ちの世界の、当たり前だの、クラッカーの、まく、投げるの、「粽」なるは、当時、囃子手の負担。
その一助としての、寄付。
当然と、云えば、語弊の、返礼として、「粽」を戴くです。コレマタ、気持ちや、気持ちの世界で、実際問題、「粽」を買う事無く、宵山なりで、山鉾では、売ってたですが、値を見た事無くて。
当時、云うたって、半世紀の昔の値は皆目の知らんです。
但し、現在、1本、千円也と、聞けば、フウンの、高いなと。
且つは、鉾に上がるだけで、500円とか、千円も取るの怪と。
云うてるです。以前には、そんなケチな事、云わんかったなと。
まあな、維持費も大変でして。分からんでも無いですが。それは、昔っから、一緒やわと。
むしろ、「粽」にしたって、観光客が増えてるの分、売れてると、思うですが。
オトトの、それとや。
「粽」を紐に括り付け、二階の人に投げた。
なるの話をしたですが。
それで、成功とは、申してませんです。まあ、失敗。
での、その場所、正確なるは、失念の、多分なら、四条通りの、現在なら、アーケードのあるの場所。
ででの、その当時には、アーケードが有ったか、無かったか、定かに覚えてませんの、多分なら、無かったやろと。アーケードも、結構高いアーケード故、あれば、二階に投げるもなと。
紐に括り付けの、投げるも、町内の、狭い道路でなら、成功確率高いですが。
四条通りは、歩道があるです。距離あるです。まあ、無理難題。
とかとか、それでや、女人、嫁はん、嫁、孫娘の3人、「菊水鉾」に乗るの列に並びまして。
イヤ、列成してるです。鉾から、渡してるの、廊下のあるの、家とするのか、会社の建家かは、知らんですが。この界隈、当世、殆どが会社組織でして。
女人が乗るが出来る鉾故、並ぶの全員と、までは、申さんの、殆どが、女人。中にぽつり、ぽつりの男性がと。
にしたって、相当なるの時間要するなと。
そらね、道路から、並んでまして。建家に入って、二階に上がっての、経路でして。
オッとの、孫君2号、オシッコと、親父であるの、長男に申しの、長男、売り子の女の子に尋ねるに、どこにあるのか、コンビニ哉と。
あっちにあると、聞いて、ほならの行くしと。こちは、孫君1号と、女人3人下から、見守ると。
イヤイヤ、それでや、鉾えの、渡り廊下の様子なれどの、ドンドンと、進み。ドンドンと、戻り。
オトトの、申すの、ここは、囃子手が、祇園囃子をやっててね。所謂の、コンコン、チキチン、コン、チキチンでして。
いやね、やり難いやろなあと。見物人が、鉾の中に次々入って、出て行くがです。
そ云う鱈、過年、三十年の過年なれどの、「菊水鉾」では、囃子をしてたなと。それ以前も、してたですが。ンの、大抵ならばの、鉾では、囃子をしてたよに、記憶してるです。
むしろ、「長刀鉾」では、囃子手が居てませんでしたが、これが、変。
これも、時代の流れで、昼間は、やって無いの哉と。
オッとの、云うてるは、その昔には、こんな状態、数珠繋ぎ状態で、見物してませんです。精々が、一組、二組の、五人、六人程度でして。
それも、入れ替わり、立ち替わりに非ずの。可成りの、間が空いてたですが。
ンの、要は、此度、見てる、経験したよな、大人数、延々の、上がってませんでして。
とかとか、云うてるの間にも、女人、降りて来て。
ンの、実は、せめてもの、下からでも、ケータイで写真撮ってやろかと、構えてたですが。一向に現れんでねえ。
暫くし鱈、モ、下に居てると、へえと。
いやね、聞くに、上では、とするのか、鉾では、立ち止まるな。写真を撮るなと、云われての、ぐるりと、一周したら、ハイ、サイナラ状態ですて。へえと。
入ると、出るの場所も、違うでね。
どちにしたって、「長刀鉾」とは、全然の違うなと。
イヤイヤ、斯くしての、以て、一応は、全員、鉾に乗り。1つの目的達成致し。
まあね、長男申すに、「船鉾」はどするやと。ンの、この状態故、止めとこかと。
いやね、「菊水鉾」の周辺、そのものは、まあな、空間あるですが。雨は降ってるし、空間あれどの、人が多いは、一緒。
ンの皆様、何をされてるのかと、なればの、雨宿り。
雨宿りしてたって、意味は無く。我々、長男が、浴衣を見鯛と、申すが故、ここ等、室町筋、呉服屋通りでして。その店が、真向かいで営業してるし、見に行くかと。
入ったですが、誰が、客か、従業員かが、分からん状態。
いやね、店内には、浴衣の、若い女の子が沢山居てるですが。これが、得体不明。
外には、テントで、矢っ張り、安めの浴衣が陳列されてて、そこには、浴衣の男子、コレ、明らかなるの売り子が居てての、内と、外で、よお、分からんでねえ。
若い女の子に非ずの、浴衣の老年女性が、売り子であるは、分かったですが。
そら、付かず、離れずの、息子共の様子を見てるが故で。そのそばの、浴衣の女子連、若き連中、五人、六人と、居てるの割には、単に立ってる、居てるだけでして。
結果的、長男、気にいったのが、無くて、買わず。
(17/07/31)
NO.2074 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(14) 「さと」での話
余計なるの話。
いやね、過日、とは、この29日。
「芋煮会」有志によるの、雑草刈りの日。作業終わって、皆で、皆も、農園主を除くの4名様にての、昼食の際。
いやね、昼食も、適当なるの箇所、ファミリー・レストランなるは、近在でなら、「Joyful」「さと」の2箇所あって。
「Joyful」なら、過年、フサオ君と、女子一名、矢張り、有志に寄るの雑草刈りの時なれどの、行ってるですが。
喰てるの最中、ゲリラ豪雨あって、へえと。
とかとか、その時の状況、フサオ君に、申したですが、覚えてませんでねえ。
更なるのその時の状況、申したならばの、ンの、それは、何とは無く、覚えてると。されどの、「Joyful」は思い出せんと。そかと。
結果的、「Joyful」よりは、「さと」の方が、分かり易いし、フサオ君、そのままに、JRで、嵯峨嵐山駅にと、申す故、そかの、「さと」の方が、便利やなと、そちにしたですが。
いやね、当世、「さと」も、タブレット端末にて、注文するの方式になってまして。
当方なら、基本、息子共なり、嫁共に操作させてるですが。要は、よお、分からんが故。
でや、その時、皆様、爺様世代。
自慢やないけれどの、操作方法、よ、分からんでねえ。遠慮無用の、呼ぼ、呼ぼと、担当姉ちゃん、呼び鈴、リンと、呼び出しまして。
これこれをと、注文致し。
何やねえ、我々、この手、分からんと、助け呼ぶに、何の恥とも、手間取って。とも、思わんでして。見て一発の、爺様世代故。
とかとか、その手、話をするの積もり無く。
いやね、フサオ君、申してるの通り、嵯峨嵐山の方。
行動範囲が違うです。違うで、当然の、「祇園祭」の事、当方とは、承知の範囲も、違うです。
いやね、問うに、何で、女人禁制怪と。
いやな、彼、当方、元々の住み処、承知してるです。その辺り、「祇園祭」界隈なるを、です。
かと、申しの、そらね、当方、所謂の、「祇園祭」に携わってるの人間でもありませんでして。さりとて、そらね、近在から、離れたの面々よりは、数段に詳しくて。
かと、申しの、「祇園祭」については、その研究家が居てる程の、何ちゅうかの、解明出来て無い事、多くの、全容承知の方、居てませんの程の、難しいです。
遂の先日には、文献、古文書に記載の、「大厄」についての解釈がと。
「疫病」で無くと、するのか、「地震」もあるなあと、新説でも無いの、矢っ張り、解釈についての、これが、正しいのではと、テレビで、放映してたですが。
それ聞いて、見て、特段の、新説でもありませんの、当時、伝染病、疫病蔓延の、対策、退散せよの、意での、「祇園祭」とは、承知の上の、退散せよは、疫病だけに非ずの、諸般の災難也と、解釈してまして。
疫病、火災、天災、盗人、戦乱も、その退散範疇にあると。
オッとの、それでや。
これ、「さと」での、昼飯喰てるの、或いは、待つの、喰てからの、一寸の間での、雑談的話故、事細かくには、話せずの。
するにしたって、当方、専門家に非ずで、当方なり、聞いてる、承知してるの範疇の、極一部をと。
イヤ、それ以外の事なら、既に、掲載してるですが。
でや、申すに、当方がや。
女人が鉾に乗ると、転けるの話を致したです。
でや、フサオ君、そんな事、ほんま怪と。理屈云いでして。
ほんま怪と、問われたならばの、困るの事よの、只な、見てるです。
鉾が転けたの事を。
但し、その原因が、女人が乗ったが故怪と、問われたならばの、そらな、分からんです。その鉾の関係者皆集め、女人乗せた、乗ったの怪と、調べ尽くさん事には、なと。
とまでは、申してませんですが。
当世、女人禁制の鉾なるは、承知の範囲、「長刀鉾」「放下鉾」。
現に、三十年の昔には、宵山に、女性が乗るはだめは、他にも、あったよに、記憶してるし、最近では、緩和方向にあって、囃子手に、曳き手に、女人参加は、聞いて、へえと、ビクリするです。
それで、鉾が転けるなら、当世になりての、毎年、転けるになるですが。そこまでの話、知らんです。
イヤイヤ、申してるです。
三十年の昔でも、「菊水鉾」には、家族全員、母、嫁はん含め、息子共も、宵山にて、乗ってるわと。
そらねえ、千何百年の歴史も、現に、過年とは、相当に違て来てるです。
鉾に乗るに、搭乗券怪の、金取るの怪と。当方的、これが、一番の、違いを感じたわと。
オッとの、最大の違い、違和感なるは、鉾から、「粽」をまかんよになったの事也と。
まあな、安全第一は、理解するですが。それこその、千何百年の歴史あるのに、なと。
それだけ、見物人が多くなりの、マナーも、なと。
云うたって、当世、ガイコツ人が多いしなあと。
と、までの話、「さと」にては、してませんですが。
そらな、昼飯が主で、この手の話、単なるの、雑談の、1つ。
(17/08/01)
NO.2075 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(15) 山鉾の飾りと、瓶ビール1箱の話
いやね。
過日、便秘が云々で、試供品、「怪通ハーブ粒」を服用。
にて、下剤を飲んだみたいな症状に陥り。
がしかし、そこから、又、便秘症状で、ンの、ぼちぼちの、粒の数減らして、飲むかと、考えてた矢先に、快便で、ホと安堵が、二日続きで、結構なると。
そらね、基本、その手の薬、飲まずが一番。
とっとの、話なるは、「祇園祭」の事でして。便秘には、無関係。
でや、そもそもがの、京都に豪商多く。
昔の話やでと。
現在でも、居てると、思うですが。
いやね、云いたいは、そもそもがの、山鉾の四方に飾られてるの、何と、称するのか、織物やねえ。これ、大抵が、重要文化財。
それを、惜しげ無く、見せてるです。
それが、「祇園祭」。
惜しげなくと、するよりは、見て、見て、見てえな、見て頂戴なと。自慢をしてるです。
但し、年1回の、「祇園祭」にて。
当世、本店なるは、大阪、東京なれどの、その昔の、三井家、住友家等々、京都で稼いだです。
豪商なら、角倉了以、茶屋四郎次郎が有名なれどの、これ等、京都。
とかとか、その手話も、どこまでをと。
どこまでも、余り詳しくはありませんでして。そらな、豪商とは、無縁の当方でして。
まずは、その手、豪商が、当時に入手の織物、欧州、中国、チベットとかとかの、一級品を入手。
直接に入手もあるし、例えばの話、徳川家からのもあったり。何故に、徳川家かと、なればの、徳川家に限らんですが。所謂の大名貸しをしたり、してまして。
云うたら、四条烏丸の方にある、「大丸」。四条河原町の角にある、「髙島屋」も、元は呉服屋。
申してるです。室町筋は、呉服問屋が多く。
元々は、現在でも、京都は、着倒れであると。
ついでになら、大阪、喰い倒れで、神戸は履き倒れ。
斯くしての、京都には、呉服関連の店、家、要は、稼業多く。西陣織りの、西陣なるは、織物業でして。
ついでにの、申すなら、当家、祖父の代、我が本籍地の、綾小路、大宮東の、丸屋町時代に、何をしてたかと、なればの、染料屋をしてたです。
それも、ドイツ製のと、聞いてるですが。染料とは、呉服の白生地を染めるの顔料。
そんな事で、年に一度、家宝を見せる、見て頂戴の祭が、「祇園祭」也と、解釈してるです。
見せたいは、その手、織物、山鉾のみに非ずの、家々の家宝もあるです。
いやね、宵山で、フラフラ、歩いてみ。四条通りの、「長刀鉾」のみに非ずの、方々の町内、山鉾の辺り。だけで無くの、その近在でも、家の前に、ミニチュアの、山鉾を出したり、してるです。
オッとの、ミニチュアも、プラスチックの、では無いの、精巧に手作りされた、本物に近い造りの、モノでして。
イヤイヤ、代々、その家に伝わってるの家宝なんやろねえ。
立派な呉服も飾られてるですが。当方、そち方面、無知故、何故に、どんな意味があるの、呉服かは、皆目の分からんですが。
イヤ、「長刀鉾」に乗ったの時にも、二階には、「長刀鉾」の簡単なる解説パネルと、呉服も、飾ってたです。
ここは、誰でもが、入るが出来るの、まあ、云うたら、休憩所的場所でして。
とかとか、その手、山鉾、特には、「鉾」については、乗るのため、入り易いし、入れるですが。そでも無い家々でも、その手、お宝を見て戴くべくの、飾られてまして。
云うたら、我が町内には、山鉾ありませんですが。矢張り、旧家には、その手、お宝を家の外、門<かど>に出して、見せてたです。そこ様、どこ様とは、申さんの、酒屋でして。長刀鉾の、ミニチュアを出してたです。
イヤイヤ、云うてるです。そこ様に限らず、フラフラ、歩いてたら、その手、立派な家には、お宝を門に出して。或いは、家の一部には、入れるよにされてての、飾ってあるです。
大いに、見て差し上げれば宜しいです。その為に、飾ってあり、或いは、戸を開け、見えるよにされてるです。
いやね、されどのね。
その手の家も、常には、解放されてませんでして。結構、入り難うてね。
ご心配無用の、悪戯するモノ、居てませんですが。
オッとの、当世、分からんなと。我々、見るだけの、一切の、触らんですが。観光客なら、特には、ガイコツ人なら、触ったり、弄くったり、するかもなと。
そんな事で、当時の当家なら、直接的、山鉾町に非ずがため、「祇園祭」で、家の前には、町内には、何も無いですが。
横町になら、「太子山」「木賊山」「芦刈山」等、あるですが。
いやね、云うてるです。大学生以降、学友なり、就職してからは、同僚なりが、我が家に来て呉れて。
まあ、云うたら、我が家を起点に、方々えと、フラフラとと。
当然の、ご来客故、予め、承知故、喰いモノ、飲み物、準備してるです。
喰いモノのとは、寿司とかや。飲み物とは、ビールとか、ジュース類等々、菓子類等々でして。
要するに、来客熱烈の歓迎の、ビールも、その時くらいでの、一箱、1ダース也を買おたり、致しまして。
飲めよ、喰えよの、されどの、酒飲み、知り合いに余り居てませんでして。
当時、木箱のビール1ダースもあれば、殆ど残ってもてね。云うとくの、缶ビールなんか、あらへんの時代やわと。よて、瓶ビール。
残るは結構の、当方にしたって、飲む方でありませんの、家族一同、親父も、祖母も、飲みませんでして。母のみ、少々飲むですが。
いやね、その明くるの年まで、殆ど、そのままに、ビールが残ってたり、致し。
イヤイヤ、上の叔父なら、少々飲むですが。
時々には、来てるですが。
イヤ、当時の話故、来てたですが、ビールを箱で、置いてるを知らんし、なと。
オトトの、特段の隠しもしてへんけどや。こちが、飲まぬ故、勧める等々の気も、付かんわと。
「祇園祭」の季節になれば、テレビで、放映等々、見たり、したなら、変な話、そのビール1箱の事、思い出すです。
1年経って、そのままに残ってたを、です。
多分なら、2年目も、そのままではと。
では、何時、無くなったかと、なればの、多分なら、祖母の葬儀の時哉と。
(17/08/02)
NO.2076 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(16) 出身地の話
いやね、云わんとする事、上手く表現出来ずで、ストレス貯まってね。
そらね、「祇園祭」の事、当方にしたって、知ってるよで、知らんわと。
そらね、山鉾のある町内と、違いまして、横町にはあるですが、外れでして。
その町内の面々なら、諸般、数段の詳しいやろと。親であり、町内の方々と、その手の話、したり、聞いたり、目にしたり。時により、場合により、実際に携わったりの機会もあるです。
いやね、当方、自慢で申してるです。
横町、我が母校、「格致小学校<廃校>」は、「太子山町」にあってと。
つまり、「太子山」と、称するの、山町が、そばでして。学区になら、他に、「芦刈山」「木賊山」があると。町内があると、申してるですが。
そこで、期待するは、へえの、そかの、「太子山」「芦刈山」「木賊山」が近所かと。
更には、「菊水鉾」になら、乗ってるし、そこのが、高校1年生当時の、同級生で、「菊水鉾」の保存会理事長也と。
申せば、へえの、そかと、ビクリして戴き鯛ですが。
そでも、なさそでね。
つまらんなと。
と申すか、そもそもがの、どこまでが、「八坂神社」の氏子かは、知らんの、正確には、なと。
概ねの、この範囲とは、推測してるですが。実際には、範囲なるが、あるの哉と。
イヤ、京都市、とは、云えどの、昔で云うの、洛中が、氏子哉と。
とか、云うたって、実は、その、洛中<都の範囲>も、時代と共に変遷致し、正確なるは、分からんでして。
分からんがまま、現在に至ってると、申しの、過言で無く。
では、一般的にはと、なればの、「北大路」「東大路」「九条」「西大路」が、洛中では、ないの怪と。
とか、云うたって、京都市に住んでた、住んでるの者にしか、分からんわと。
土地勘あって、通り名、知って、嗚呼、その範囲怪と、分かるですが。
とかとか、云うたって、この区分も、明治維新が云々とされてるです。とまあ、この洛中も、「八坂神社」の氏子との関係からは、ど哉と。
いやね、申してるは、山鉾で、どの程度の名称、承知してるの怪と。京都の面々でもや。
それこその、嗚呼、「長刀鉾」なら、知ってるでと、申すが、圧倒的での、下手したら、それさえ、知らんのが、居てる鴨なと。
とかとか、云い出せば、当方の、この話、どこまで、通じてるの怪と、相成って。
正直、申せば、嫁はんにも、息子共にも、この手の話、した事が無く。
そらな、目の前にあれば、仏光寺の、油小路の家に住んでるのなら、そこに、横町に、山あって。一寸、足伸ばせば、鉾あって。
「祇園祭」が近づいて来鱈、フラフラと、近在、回って、これがなあと、承知の範囲、解説、説明、教育致すですが。
現在、亀岡でして。ありませんでして。ここで、「祇園祭」云々なんか、話題にも、成らず。
ンの、余計なるの話、「京都銀行」の、キャッシュ・カードを本日<8月2日>、新しいのに変更致したですが。
イヤ、機能向上ですて。
云うたって、当方的、意味の無いのが、多いけど。
いやね、その新しいカードのデザイン3種。
1つ、「東寺の五重の塔」。1つ、「祇園祭の月鉾」。3つ、「遠くから見た、東寺五重の塔」。
迷わずの、とは、語弊あるの、「祇園祭」のに、したですが。惜しいねえ。「月鉾」でして。何故に、「長刀鉾」にしやへんかったの怪と。
いやね、「京都銀行」なるは、文字通り、屋号通りの、地方都市、京都を地盤の銀行でして。されどの、京都市内のみに非ずの、京都府全域網羅。
とまでは、知らんですが。
結果的、京都を象徴の、「東寺の五重の塔」でありの、「祇園祭」でして。
ンの、面白いねえ。
「八坂神社」では、「京都」を代表してませんでして。
オッとの、語弊ありの、「八坂神社」の場合、どこが象徴かと、なればの、四条通り真正面の、「西楼門」に相成るですが。
通称、「祇園」さん。
とか、云うたって、京都の面々のみに通じるの哉と。
そもそもが、「八坂神社」が、「祇園」さん<正確には、「祇園社」>であるを、承知のが、どれ程怪と。
それこその、新参者には、分からんやろと。知らんやろと。
いやね、「八坂神社」の、「西楼門」の写真見て、嗚呼と、一発、分かるは、京都人。
「平安神宮」の、門の写真見て、一発、そこと、分かるは、京都人。
とは、当たり前だの、クラッカーでして。地元の事、分からずして、どするやと。
がしかしの、地方の方々、「京都」と、聞いて、何を、どこをイメージするかと、なればの、何をと、なればの、筆頭、舞妓さん怪。
どこと、なればの、「金閣寺」でありの、「清水寺の舞台」であったり、「東寺の五重の塔」なんやろねえ。
何をの、「祇園祭」は、さての何番手哉と。「長刀鉾」なら、嗚呼、「祇園祭」と、察知されるですが。果たしての、「祇園祭」が、どの程度の認知されてるの哉と。
いやねの、いやねで、諸般、諸々の、此度、「祇園祭」の、宵山にと、長男家より、話聞いての、へえと、ビクリしたですが。
いやね、まさかの、当方、産まれ、育ちが、亀岡也と、とは、思てはないと、思てるですが。
そらね、所謂の、結婚式するの以前の、まあ、云うたら、許嫁状態の頃、長男、次男、それぞれに、彼女を紹介して呉れたの時。
概ねの、当家の、歴史なるを、語ったですが。それするが、親の役目也と、承知故。
いやね、その時には、当然の、本籍地、丸屋町の事、祖父の事も、親父の事も、要は、我が親族の事々、申してるですが。
オッとの、「本籍」なるの、文言出しては無いけどや。多分なら、なと。
オトトの、それなら、長男の嫁、次男の嫁の実家に、ご挨拶の際には、その辺りの事、触れてるです。
但し、超の簡単の、京都に住んでたですと。嫁はん、四国、香川と。
とは、話的、ホンの、チラと、とは、触れてるですが。当方的、「京都」とは、頭っから、「市内」を意味してるですが、その辺り、亀岡も、「京都」でして。
多分なら、通じて無いなあと。今、思てるですが。
そらね、当方の場合、丸屋町云々なんか、云うたって、京都市内の方なら、通り名なり、までもを、申すですが。先様、違う故、細々申さんわと。
当然の、どちらの先様、親父様も、「本籍」との、明言されてませんですが。所謂の出身地はと、どこどこと、話されてるです。
長男嫁のなら、親父様、愛知、名古屋で、お母様、九州、熊本であると。どこで、知り合われたか、までは、細々、聞かずの、こちの事も触れず。
そらな、親の話、延々はチョとなと。
次男嫁の実家なら、ご両親共、ご近所様のよで。細々は、知らんの、云われたって、土地勘あらへんのに、さっぱりでの。
嗚呼、「伊勢」のご出身と、するのか、地元かと。
とだけで、充分でして。
(17/08/03)
NO.2077 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(17) 室町から、烏丸の地下鉄えの話(1)
この5日<土曜日>には、お盆で、光圓寺、住職に来て戴くになってるです。
よて、その準備と、するのか、準備やねえ。
座布団の準備。
とは、日干しをしまして、ふっくらと。
とか、仏花を、お供えを。おけそくさんをと、調達でして。
ンの、中の、おけそくさん。
漢字でなら、御華足さんと、なるの哉の。「華足」とは、仏壇、ご先祖様にお供えするの、餅とか、菓子の類の事でして。
ならばの、特段にの、餅とか、限ってませんですが。基本、餅。
でや、本日<8月3日>、「スーパー・マツモト」に、仏花と、おけそくさんを買い求めに行ったです。
イヤ、見付からんでねえ。そこらの、従業員、ンの、中年の小母さんが居てた故、おけそくさんは、どこに置いてあるですかと、問えば、怪訝な顔されて。
ンの、何ちゅうかの、小餅、丸餅ですと、解説にての、嗚呼、あそこですと、棚を教えて戴いたですが。
云い鯛事、中年のご婦人でも、知らんの怪と。若い姉ちゃんには、通じぬの文言とは、思えどの、中年ならと、期待も、外れ。
それと、お坊様に、出すの、和菓子を、「若菜屋」にて、調達。まあな、基本2個。
まあな、超の高級和菓子なら、1個でも、結構なれど。まあ、2個。
その、2個のが無くてねえ。まあな、しょがないしで、5個入り買い求め。後の、3個は、こちが、戴くにしたですが。
オッとの、それでや。
ここ数日、晴天。超の快晴。暑いねえ。
オトトの、だけなら、結構も、明日、明後日、明々後日<しあさって>の、明々後日くらいから、台風が来る鴨の、来るも、既に、出来てるのが、こち方面に接近鴨の、それまでにと。一昨日辺りから、梅干しを干し出したです。
いやね、FHさんから、梅を頂戴してまして。
天日干しでもと。笊<ざる>に、梅干し、一個ずつ、並べまして。しかるべくの、囲いして。
結構、手間やねえ。されどの、それ、しませんとと、箸で、ガラス瓶から、つまみ出し。
イヤイヤ、ここだけの話。でも、無いの、隣近所のベランダなり、ンの、どことは、申しませんの、干したはるです。皆様、考える事、一緒やなと。
イヤ、晴れてるの間、ええ天気の日を狙いの、又、台風の事も、考えまして。ほならの、ここ数日しか、ありませんでして。
天気予報上は、なと。
そんな次第の、斯くなるでの。
いやね、諸般、消化不良気味。気味ではなくの、万事、消化不良。
心中、正確には、ザンネン、ムネン。
最早、出来ぬ事、なれどの、そらな、出来るの事なら、以前の我が家、起点にならば、我が家、そこでして。
「菊水鉾」の程度なら、歩いて、10分も、掛からんわと。その上で、「太子山」「木賊山」「芦刈山」も、見せてやれるのにと。
その辺りなら、そらな、常平生とは、違い、この時期、「祇園祭」の、宵山、宵々山の時には、人出も多いけれどの、そらなの、そらなで、鉾町界隈よりは、人も僅少。
そらな、囃子をしてるで無くて、嗚呼、これが、山かと、ダケの話で、終わるですが。
そらな、矢張り、「祇園祭」の主、人気は、鉾でして。残念無念の、落ちるのけどや。
話、逸れるですが。
いつも、逸れてるですが。
そらな、亀岡では、諸般、外出するに、大変でして。
意味なるは、墓参1つ、京都に、でして。
基本、京都に出てから、始まるですが。その時間、費用も、バカに成らず。
JRで、並河駅、京都駅間、410円也で、鈍行なら、所用時間、30分。快速で、23分。
まあな、これでも、早くなったですが。複線電化になったが故の、それ以前なら、掛ける事の、1.5倍。
しかも、家から、並河駅まで、徒歩、25分哉と。早足なら、20分なれど、です。
まあな、仏光寺の我が家からでも、諸般、不便は、不便やったのけれどの、桁違うです。
阪急なら、四条大宮まで、歩いて、10分以内。但し、京都駅までが、不便で、バスしか、ありませんでして。堀川通りに出るか、西洞院か、烏丸になるですが。
バスは、何時来るか、分からんでして。とか、贅沢なる、話をしてたですが。
亀岡になって、国道9号線を走る、京阪京都交通バスなんか、尚、何時に着くのやらと。殆ど、乗った事、あらへんでして。
まあな、ロームの時代、会社からの帰宅、ノー・カー・デーの時には、乗ってたですが。急ぎませんでして。
話、戻しての、いやな、そらな、出来るの事なら、モっと、沢山の、山鉾をば、見せてやりたい、紹介したい、けどや。
小さな、孫共一緒は、無理、無理、ムリの、止めておく方がと。
それと、兎に角、当方以外、土地勘ありませんでして。
さての、17時辺り、ともなればの、人は、ドンドンと、増え出して。そらな、ここから先、18時からが、宵山本番、四条通りが、歩行者天国に相成るです。
それだけの、人出があるの意。
よて、ボチボチの、帰る怪と。
云う鱈、今の内に、でして。それが、賢明でして。
とか、云うて鱈、嫁、そして、孫共申すに、夜店がと。ンと。
要は、孫共、夜店、屋台も楽しみにしてたですて。そ云うたら、四条通りから、室町通りに入るの辺りに、何軒か、出てたなと。
そか、そか、行くか、見て見る怪の、とか、云うたって、すぐの、そこで、屋台なら、二つ出てるです。その1つ、リンゴ飴。
イヤイヤ、孫共、よお、知ってましての、リンゴ飴があったと。欲しいと。そかと。
まあな、殆ど、喰えるとは、思わんですが。丸々のリンゴ1個の、リンゴ飴故の、されどの、こんな時にしか、買えませぬ故、そかと。
さての、買えば、ここで、喰う訳にもの、そもそもがの、人で、人で、人で一杯の上、雨も降ってましての、兎に角、地下鉄で、帰るになるですが。
まあな、リンゴ飴は、袋に入れて呉れてる故、帰ってから、喰うかと。
での、皆が揃いの、さあと。
意味なるは、云うまでも、無いの、ドンドンと、人増えて。
遠慮して鱈、一歩も進めませんの、今から、この状態でして。
ではと、当方、孫娘の、手を取って、先陣切って、皆に、着いて来いと。
云うてるは、「長刀鉾」から、こち方面に来るの状態よりも、人多く。
ましてやの、雨降ってての、バカが、傘差して。まなあ、濡れるが厭なら、傘差すですが。場が場。危ないわと。
とか、云うてるの場合で無いの、要は、こんな場合、基本端が宜しいですが。その端を、更に、姿勢を低く致し。
そらな、姿勢低くせねば、人、人、人の間を、前塞ぐの面々をば、スリ抜けられませんです。加えての、傘が怖いわと。
いやな、そらな、「長刀鉾」からの際も、帰りの、「菊水鉾」から、地下鉄の時も、一寸、行けば、皆が揃うを待ち。そらな、箇所々々で、その程度の隙間、場所なら、あるです。
さもなくばの、勝手に、ドンドン進めば、はぐれてしまうです。
云うたって、当方、こんなに人の多いの場、余り経験してへんけどや。
とするのか、突入避けるですが。近寄らんですが。
よて、その昔にも、「長刀鉾」なんか、宵山で、見になんか、行かんかったわと。ンの、正確には、見てるですが。ソバには、近寄らずの意。
云うても鱈、こんな時、そんな人出の多い箇所に、行くは、観光客か、物好き、変人でして。
オッとの、此度、その物好きの類になるけどや。地下鉄の、烏丸四条駅に到達するに、そしな、仕方があらへんわいと。遠回りの手もあるけれどの、多分なら、一緒。
加えての、想像するに、今の内。
イヤ、時間の経過と共にの、こんな程度で無くの、モっと、モと、人増えるです。
四条通りは当然の、地下鉄も、です。
そらな、17時で、この状態でして。遠慮して鱈、一歩たりともの、前進出来ず状態。それも、烏丸の手前やでと。高がの、室町から、烏丸の駅までの、一筋行くが大変でして。
まあな、1人だけなら、どて事あらへんのけどや。
総勢、総数、7名様。中に、小さいのが、3人居て鱈、ムリ出来ず。
(17/08/04)
NO.2078 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(18) 室町から、烏丸の地下鉄えの話(2)
ここだけの話。
でも、無いですが。
以来、快便。
オッとの、以来とは、二手あって。
1つは、過日、7月29日の、「芋煮会」有志に寄るの、雑草刈り以来。
1つは、以来も、モ一手、考えられるの、7月17日に、「Joshin」にて、エアコン買い求めたの際、ポイント、1万点戴きまして。それで、IRIS
OHYAMAの、「ヨーグルトメーカープー レミアム<IYM-012>」なるを、買おたですが。
以来、それで造った、ヨーグルトをば、喰てまして。これが原因哉と。
いやね、そらね、買おて来て、即には、造ってませんですが。ヨーグルトを。
2、3日経ってからですが。
それにしても、少々、日が経ってから、効き目がと、思うですが。雑草刈りの効き目なら、効き過ぎてる哉と。
どちにしても、快便、結構なると。
そして、モ1つあって。
当方、血圧、やや高め。
どの程度かと、なればの、ホントは、150近辺。時には突破。時には、未満。
それがです。
このところ、120台に成ってまして。我乍らに、へえと。ホンマ怪なと。
当然の、血圧下げるの薬なんか、服用してませんです。特段の、医者から、勧められてませんでして。聞かずもあるですが。
いやね、一気、下がってるではありませんです。
諸般、梅干しを控えて以来、では無いかと。
云うたって、便秘対策にて、ヨーグルトも、バナナも、朝には、喰てまして。
それと、血圧とは、無縁と、思うですが。血圧なら、梅干し哉と。
イヤ、当方、好きでして。梅干しがや。
従前、ン箇月以前までは、毎日、毎日、1個乃至2個、喰てたですが。これは、塩分の塊也と、テレビで、云うててね。そかと。
そかの、以前に、承知はしてるですが。
コレ捨てロールが多く、血圧高いでは、危険が一杯故、とりあえずは、梅干しを、少々控えめにと、してから、血圧下がるの傾向哉と。
そらね、梅干しも、血液サラサラ、健康食品でして。但し、少々、イヤ、可成り、喰い過ぎもあるなあと。
そんな次第の、斯くなるでの。
当方、別段にの、所謂の人混みには、慣れてると、とは、申さんです。避けてると、とは、申すです。
誰様も、好き好んで、人混みには、突入致さんですが。
好き好んでは、掏摸<スリ>くらい哉と。
オッとの、でや。
地下鉄の入り口えと、申しても、当方、烏丸四条の、地下鉄入り口なんか、知らんわと。
そもそもがの、当方、京都を出てからでして。地下鉄出来たが、です。
少なくともの、当方居た時には、市電が走ってたです。幾ら何でもの、所謂の、ガタ電、チンチン電車は、廃止されてたですが。
余計なるの話、こっちの方、ガタ電の方なるは、当方、高校入学の時<昭和37年(1962年)>廃止。
線路が、堀川高校の真ん前に敷設されてまして。その線路の上、歩いて、登下校したを覚えてるです。オッとの、四条堀川から、高校までの、一寸の間、なれど、です。
云うたって、コレ又、この界隈の地理、土地勘無ければ、分かってもらえませんですが。
精々が、二百メートル程度。
そらな、我が家より、堀川高校まで、徒歩、7分も掛からんわと。
ほんとにねえ、便利に過ぎたです。当時は、なと。
小学校、徒歩、1分は大袈裟も、そんなモンやし。中学、高校も、7分程度。大学だけは、歩いては、行けずの、理工学部は、衣笠<きぬがさ>の方でして。バイク、でした、ですが。
当時は、なと、申すは、我が母校、格致小学校も、郁文中学校も、廃校でして。
現在、どこのかは、知らんの、遠くに成ってる筈でして、可哀想や、なと。
オトトの、何の話、してるの怪の。
要は、四条通りを、室町から、烏丸までの話の、その、地下鉄入り口なんか、知らんわと。多分なら、四条通りの、烏丸手前にあると、思うですが。無くとも、烏丸通りになら、あるですが。云うてるは、烏丸四条の、四条通の、四つ角に、ある筈でして。且つは、烏丸通りの、四つ角故、都合の、8箇所でして。
とは、頭の中では、理解の、想定してるですが。
常平生なら、見晴らしあって、嗚呼、あそこと、一発、分かるですが。分かるの筈ですが。そこから、地下鉄になんか、乗った事、ありませんですが。
人、人、人で、一杯故、一歩先も分からんわと。
且つは、姿勢、低くしの、二つ折りにしてまして。当然の、傘も、気になるしの、とかとか、申し乍らも、ンのらしきの箇所、地下鉄のや。到着にての、そこで、皆が揃うを待って。
いやね、その箇所、真空地帯の如くの、人、少なくて。
そらね、大抵の方々、地下鉄から、上がって来るの人多く。多いも、まだまだ、少なくて。
それよりも、四条烏丸で、人、動かぬは、信号で、東に移動しとても、向こう側にも、人、人、人で、一杯で、そは、易々の、渡れませんでして。
にも関わらずの、西から、人が、ドンドンとと。
そら、動かんし、動けませんでして。
よて、遠慮して鱈、一歩も進めず、圧縮されるです。的、人集り。流石は、「祇園祭」の宵山でして。とは、感心してられませんですが。
くどいけど、小さな孫共居て無いなら、ンの、居て無くとも、急ぐなら、そするですが。
そらな、流れに従おてたら、時間、幾らあっても、足らんわと。思うの所え、行けませんです。
でや、地下鉄入り口に到着したなら、まあな、人も少なくて。皆、揃えば、さての、階下に降りての、ンの、切符売り場は、どこ怪なと。
知らんがな。
人左程で無いと、云うたって、そらな、多いです。上、地上と、比べ鱈、少ないけどや。
ンの、切符売り場も、人、人、人で、ンの、これは、息子、長男に任せての、切符受け取り、さての、どこが、どちが、地下鉄のホームなん怪の、さっぱり分からんでねえ。
云うてるです。知らんがな。
とか、云うたって、ここが、地下鉄故、案内板さえ、見鱈、分かるですが。
つかつかと、更なるの階下に降りて、ンの、到着の列車には、間に合わずの。ンの、その列車、京都駅方面故、乗って鱈、反対方向怪と。
イヤイヤ、向かうは、御池方面。
要は、南北線で、「御池」。「御池」で、東西線に乗り換え、「太秦天神川」。
そこの、駐車場に、長男の車が置いてあるです。
にしてもの、ここまで、戦争状態。
(17/08/05)
NO.2079 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(19) お盆の読経の話
したかった話、失念。
まあね、その内、思い出す鴨と。
での、本日<8月5日>、予定通りの、お盆の読経。
して戴くの、光圓寺住職にご足労願い。
朝、9時44分、二条駅で、10時8分並河着と、嫁はんから、聞いてたですが。
よて、一昨日より、準備し出しまして。
本日、朝も、来られるまでにと、教机出したり、長机を出したり。
長机は、黒檀の、でして。まあな、仏光寺の家から、持ち出してるのモノでして。当然の、祖父の代から、あると、思うですが。
実際には、どか知らんですが、あちこち、傷んでまして。その修繕費用、ン十万円と、聞かされてるの、モノ。
イヤイヤ、実用的、日常的と、するのか、使てるです。
そらな、そこらの、長机出してるよりは、その手、立派なのを、出して、住職にも使て戴くよにと。
ンの、実用的、日常的、何に使てるかを、バラせば、モノ置き台。
いやね、準備も粗方終わった頃、電話一発、りんりんと、鳴りての、出鱈、住職でして。モすぐ着く、電車に乗るですと。着は、10時4分ですので、宜しくと。ンと。
イヤ、時計見鱈、44分でして。既に、乗っておられるの時刻であるのと、8分が、4分怪と。まあ、ええけどや。
ならばの、少々、早めにと、愛車、カローラで、迎えにの。
オッとの、先刻の、失念したの話、今、思い出したです。
2年前哉の、契約のと、するのか、近在の、ガソリン・スタンド、「ゼネラル石油」ですが。廃業致しまして。
こちが、知らんかっただけで、概ね、知ってる方も、おられたよでして。先月、7月末を以て、廃業。
イヤ、コマツタなと。
ならばの、余所を探さねばなりませんでして。いやね、このスタンドが一番に近く、且つ、便利。
洗車のプリペード・カードも、あるですが。最早の使えませんでして。
いやね、それなら、洗車も致し、ガソリンも、満タンにしとくべきでしたです。7月中に、です。知らん故、その内にと、思て鱈、そんな話でね。
ここは、セルフ・スタンドでして。それがため、自分で、給油の方法、勉強したですが。慣れたのに、こんな事怪と。
多分なら、余所の、セルフ・スタンドも、やり方、一緒と、思うですが。
給油のなら、と、するのか、他のなら、「ENEOS」も、所有してるです。「ENEOS」は、少々、遠くでね。近い方に、セルフのが、更に、遠くに、給油して呉れるのが、あるですが。
セルフの、「ENEOS」のは、我が家からなら、入り易いですが。そら、国道9号線の、京都行き側でして。反対には、出て、反対車線から、戻るになるが、やり難く。
その辺り、従前の、「ゼネラル」は、9号線沿いなれどの、園部方面側でして。その進行方向にあって、スタンドの裏手に行けば、その道で、我が家えと。
とかとか、細々になら、まだ、話、あるですが。
此度、ここまでにして、住職の話に戻すです。
イヤ、毎年の事故、特段の話、ありませんですが。
オッとの、イヤイヤ、駅から、我が家えの、道中には、台風の話、接近してますねえと。
我が家に着いて、読経前の雑談では、過日の、宵山の話をと。
光圓寺なるは、松原の、西洞院。
云うてるです。仏光寺の家からなら、まあ、10分も掛からんの、5分は少々しんどいの哉の、7分哉と。
要は、当方、その辺り、「祇園祭」の話をするに、宵山の話をするに、重々、通じるです。話、やり易いねえ。
イヤイヤ、当方、仏光寺の油小路の方に住んでたと。概ねなら、住職承知の、そらな、亀岡在住、産まれ、育ったのが、京都の、寺に、お盆の読経を頼む筈が無く。
さりとて、仏光寺に居た頃は、現住職の、祖父でして。実は、槇島の頃には、疎遠になって。
亀岡に来てからです。その手、再開が。
その頃には、先代住職。つまり、現の、親父様。
との、状況、あっての、旧住所、申せば、嗚呼、その辺りならと、「太子山」「木賊山」「芦刈山」があるですねえと。
皆が、皆は、云えずで、当方、補足的、申したですが。
オッとの、ならばの、住職、昔の事なれどの、「岩戸山」の、曳き初めさせて戴いた事、あるですて。「岩戸山」なるは、当然の、「山」なれどの、新町の、仏光寺。
「光圓寺」町内でもありませんですが。まあ、簡単には、横町。
イヤ、知って鱈、誰でも、させて貰えるですて。へえと。
イヤイヤ、曳き初めなるは、本番に非ずの、試運転とでも、申すの儀式。
とかとか、今時、鉾に上がるに、乗り代取るんやねえと。
まあね、「粽」を買う、買わされるは、分かるですが。加えての、乗り代はねえと。
イヤ、住職も、それは、聞き初めらしく。今時、諸般の経費がいるのですかねえと。そやろねえと。
そらね、住職にしたって、毎回、毎回、鉾に上がってるで無く。上がってたは、若い頃に決まってるです。
オトトの、住職の年齢知らんですが。多分なら、40代後半哉と。
での、読経が終わり、ンの就職、これから、二条駅に戻りの、別途の先様え急ぐと、申される故、そですかと、即の、並河駅に送りまして。
こちは、実は、読経終われば、月参りの、墓参を積もりしてまして。
その帰りには、四国行きの、何ちゅうかの、手土産を買い求めに、「髙島屋」にと、予定してまして。
(17/08/06)
NO.2080 三十年ぶりの、「祇園祭宵山」の話(20) 的屋、香具師の話
最寄りのガソリン・スタンドが消えまして。
昔、昔には、「cosmo」石油のカードも所有してたですが。
とするのか、「cosmo」石油のしか、所有してませんでしたですが。理由、ロームのそばにあったが故。
会社を辞めてからは、亀岡には、「cosmo」石油がありませんでして。正確には、ある鴨の、当方、知らんが、だけで。
結果、諸般、「ENEOS」カードを所有。
がしかし、これ又、最寄りと、するのか、国道9号線沿いの、ガソリン・スタンドが消えまして。
がしかし、「ENEOS」は、全国に多いもあって、カードはそのままに、所有してるですが。ソラ、年会費、無料。
実際は、年千円分、カードで使えば、無料。要は、1年で、1回でも、「ENEOS」で、ガソリン入れ鱈、無料でして。多分なら、なと。実際問題、会費支払わずの、現在唯今、使えてまして。
又、「ETC」も、そこのカードで、登録してまして。
この、「ETC」カードも、無料カード。イヤ、「ENEOS」で、2枚も、カードがあるです。
当方的、簡単には、ガソリン用と、ETC用。よお、分からんですが、どちでも、「ETC」に使えるですが。
オッとの、よ、考え鱈、「ETC」用のは、「阪神高速道路株式会社<旧公団>」の提携カード。
イヤイヤ、ややこしいですが、「ENEOS」のカードがあって、「ETC」カード。にも、関わらずの、どちのカードでも、「ETC」に使用出来るです。
何故に、このカードを所有かと、なればの、ETC端末が、「阪神高速道路道路公団<当時>」のが、無料キャンペーンで、申込み致し。
イヤ、長男嫁からの、情報あって。
オッとの、当初、積もりしてたの話から、随分逸れてるですが。
したかったは、加えての、一番に近在の、「ゼネラル石油」のカードを2年昔に、申込み。
但し、1年間のみ、会費無料。2年目からは、年1800円哉の、有料でして。家族会員分もあるがため、又、消費税ある故、それ以上の年会費なれど。
いやね、ガソリン代にての、果たして、年1800円以上もの差額が生まれるかと、なれば、我々の場合、甚だの微妙。
但し、便利でね。
イヤ、「SpeedPass」なるのも、ありまして。翳せば、ピと鳴って、カードと、同等の働きするです。それも、便利でね。
されどの、既に、カードは解約してまして。これも、解約手続きせねばならぬですが。
でや、本命の話。ガソリン・スタンドの件なれどの、少々離れてるですが、近くの、「ENEOS」がと、申してたですが。勘違いの、「Esso」でしたです。
イヤ、新規には、近在の、JAのガソリン・スタンドの、プリペイド・カードにするを検討してるです。
イヤイヤ、「ゼネラル石油」ので、「Esso」も使えるらしいですが。年会費が勿体ないと。
とかとか、当家、当面の課題、ガソリン・スタンドをどするやと。
基本、近在の、JAのプリペード・カードにするの積もりなれど、カードの年会費、無料なり、差額に大した差が無いなら、カードでもと。
近々には、立ち寄り、その辺り、尋ねるの積もり。
での、「祇園祭」の宵山の話。
いやね、この時刻、17時辺りより。
とするのか、「長刀鉾」に乗って、室町の、「菊水鉾」に向こたの時から比較したなら、地下鉄えの時には、数段の多さの、人混みになっててね。
再度申すの、そら、歩行者天国の時刻が迫ってまして。
且つは、本来は、宵山での、夕方からが本番。
まあね、我々世代が、この時間帯に出向くは、余程の事での、若手中心。
とは、云えどの、そらね、孫なり、家族が、行きたいと、申せば、健康なら、です。一緒に出掛けるの面々も居てると、思うですが。
基本、若手とは、20歳辺りのを指してるですが。
当方でも、その当時には、友人達と、出歩いたです。それ、以前にもでして。
まあね、1人で、フラフラ、出歩いても、仕方が無くて。とも、申しませんですが。ソラ、祭故。
オッとの、申したいは、その若い子、女子連、浴衣着て。
小さな子も、浴衣着せてもろて、親に連れられ、地下鉄から、出て来てるです。
先の通りの、これからが、本番故。我々、それに、逆行の、帰るですが。
いやね、地上の状況、見てたら、とても、とてもの、小さい子、孫共世代を連れて、ここから先の、その状況では、突入、考えられんです。
イヤ、くどいけど、以前の、我が家、そこなら、仏光寺なら、全くの、別途の話。
方々、回るは致さんですが。此度、こっち方面。次回は、あっち方面と、行動範囲、限定するですが。
そらね、夜店も楽しい筈でして。
オトトの、住職曰くに、夜店も、通りの片側と、決められてるですて。要は、界隈に夜店は出るも、道の両側には、出てませんですと。ンの、その昔、三十年の昔、以前には、どであったかは、定かに、覚えてませんですが。多分なら、道の両側かと。
その当時には、夜店そのものが、珍しいモノで無く。
委細構わずの、通り名で申せば、西洞院通りの、四条から、錦小路の間には、「9」の日、云うたら、9日、19日、29日の日には、夜店が出たです。
山鉾で申せば、「蟷螂山<かまきりやま>」の辺り。
イヤイヤ、此度、山が再開なって、山に、「蟷螂」しかも、絡繰り<からくり>のを乗せてのが、祇園祭にと。
正直には、当方の居た時代と、するのか、時期に、あったのかは、定かに、覚えてませんの、そもそもがの、全部の、山鉾なんか、知らんわと。
「格致小学校」区の、なら、承知してるですが。
オトトの、夜店、「9」の云々と、蟷螂山には、無縁なれど。いやね、単に、その界隈、道幅広く。されどの、その昔、その当時には、ガタ電も走ってませんでして。
意味なるは、走ってた時、「京都駅」発、「北野天満宮」行きのが、「西洞院」を走ってまして。但し、「四条」通りで、左折で、「堀川」通りを、右折。「堀川高校」前を走って、「二条城」前通過。
そして、「中立売<なかだちゅうじ>」通りから、「北野天満宮」えと、相成ってたです。
<注=「中立売」の読み、「なかたちうり」が正解と、思うですが。発音的、「なかだちゅうじ」と、聞こえてるです。よて、当方も、そのよに、申してるです。>
ンの、何の話怪と。
夜店は、特段の、珍しいモノで無かったの話やった、なと。
とは、云えどの、現在唯今、どの程度の数の夜店が出てるかは、知らんですが。室町の、「菊水鉾」のところには、2軒でしたですが。
昔には、桁違いの数の店が、延々のと。
イヤ、室町筋だけに出てたでありませんの、そこら、一杯。
当世なら、家の前に、店出すなと、苦情が出たりで、出し難いかも、なと。当時なら、特段の、問題視されてませんでして。
トトトの、申せば、当世は、知らんの、当時には、諸般、縄張り的なるが、あったです。とか、云われてたです。
云われてるも、当世でも、通じると、思うですが、その手、業者を、「的屋<てきや>」と称し。又は、ここでも、「香具師<やし>」とも、称されて。
<注=「的屋」は、「まとや」とも、称するですが。当方的、「てきや」と、聞いてるです。>
元々は、夜店、屋台等を出すの業者の事で、ンの、どこまでをと、相成るですが。
その昔には、暴力団、当時には、その手、表現してませんでした、ですが。に、絡んだ、業者が多かったと。
云うだけでの、孫共が欲しいと、云うた、りんご飴のは、若手の男女2人でね。この2人が、様子、人相、格好からしての、暴力団と絡むは想定し難くて。
大抵ならばの、レンタル屋台では無いの怪と。
(17/08/07)