シバケンの単なる雑談NO.212

雑談NO.211
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雑談NO.205
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題目一覧表

目次

雑談NO.213

NO.2390 この数日、クタブレタの話(11) ところ替われば、形式も違うの話(2)

NO.2389 この数日、クタブレタの話(10) ところ替われば、形式も違うの話(1)

NO.2388 この数日、クタブレタの話(9) 自身の葬儀の話

NO.2387 この数日、クタブレタの話(8) 三豊メモリアルホールの話(4)

NO.2386 この数日、クタブレタの話(7) 三豊メモリアルホールの話(3)

NO.2385 この数日、クタブレタの話(6) 三豊メモリアルホールの話(2)

NO.2384 この数日、クタブレタの話(5) 三豊メモリアルホールの話(1)

NO.2383 この数日、クタブレタの話(4) 詫間駅の話(2)

NO.2382 この数日、クタブレタの話(3) 詫間駅の話(1)

NO.2381 この数日、クタブレタの話(2) 三豊メモリアルホールの話

雑談NO.211


NO.2381 この数日、クタブレタの話(2) 三豊メモリアルホールの話

いやね。
本日<7月5日>、大雨でして。
イヤイヤ、当方の周辺なら、大雨に間違い無くともの、そんなには、なと。
との、印象の降雨なれどの、京阪神地区の方々で、避難勧告発令されまして。
京都市なら、嵐山の、渡月橋の辺りが、氾濫か。鴨川が危ない。とかとか、でして。

京都も、北<実際には、「北区」なれどの、「区」は省略するです>、西京、右京、左京、山科も、でして。
まあね、中心部に位置するの、中京、下京については、避難云々無いですが。現在唯今の話なれどの。地理的にも、大きな川、山も、ありませんでして。

そらな、堀川なら、あるですが。
堀川も、過年、当方、居た頃には、時々には、氾濫したですが。
精々が、醒ヶ井通り、まで、でして。油小路通りまでには、至ってませんの、そらな、醒ヶ井通りは、傾斜的、やや、不利でして。
とりあえずは、我が家、仏光寺の、なれどの、家の前までは、水が来た覚え無く。
オッとの、この大雨でも、そこまでの話、出てませんですが。
云うたら、中京、下京なるは、再度の、京都盆地の中心部で、川無く、山無く、平穏無事。

現住み処、亀岡の、我が家も、幸いにして、近くに川無く、山なら、あるも、多少は離れてましての、崖崩れ云々の、山では無くて。
その多少、離れてるの、保津川の周辺では、避難勧告出てるです。

オッとの、現在唯今の、テレビのニュースと、するのか、「京都 大雨情報」<NHK>では、中京、下京を除くの、殆どの地区に避難勧告出てるです。
亀岡では、一部地域で、南丹市では、可成りの広範囲に出てるです。
<参考=NO.982 <7月5日>京阪神地方で、大雨<!>


とっとの、そんな事で、過日の、7月1日の話をと。
この日は、晴天。暑うてねえ。
正直、当方的、姻戚でして。且つは、嫁はんの姉の婿母でして。
イヤ、過年には、何度も、会おてるです。四国の義姉宅には、度々の、とするのか、過年より、諸般にての、嫁はんの里帰りでは、義姉宅に泊めて戴いてまして。
当家、総勢、10名様。

イヤ、婿母殿も、骨折されたり、致しまして。
そらね、当年、此度、92歳で亡くなったですが。5年程経つの哉の、その骨折で、入院で。結果的、中期リハビリ入所されましたりの、話簡単には、我が母と、一緒。
呆け症状にての、特別養護老人ホームに入所で、何年に成るの哉の、益々の、呆け症状加速で、食事が難しくと。
とは、過日より、聞いてまして。
とは、姉より、嫁はんに、でして。当方なら、嫁はんから、でして。

そらね、高齢となりての、食事がままならず。では、悪いけれどの、長くは無いなあと。
そらね、母を見て来てるし、方々のその手、話を聞いてるし、知ってるしと。
云うてもたら、高齢となりての、骨折は、致命的でして。そら、車椅子では、なと。自宅介護も大変でして。

いやね。
当家なら、出来る範囲の、バリア・フリーにして、手摺り付けたり、畳の部屋なれどの、母の部屋が。敷物敷いて、車椅子で、移動させてたですが。
そらな、結果、畳ボロボロ。
当然の、畳は替えたですが。内壁も、諸般で、ボロボロになってた故、塗り替えたりしてるです。

いやね。
延命処置は要らんと、したと。
いやね。当方、母の時にも、同様の決断してるです。90歳を超えた故、モええやろと。悪いけど。
いやね。
矢張り、呆け症状にての、食事が喉を通らずでして。
点滴をして戴いたですが。理事長が医者故でして。
婿母の、では、医者で無く、点滴をして貰えずと。仕方が無いわと。

されどの、親族なるは、諸般云うやろなあと。
オッとの、当家の場合、云うのは、居てませんでした、ですが。オトトの、心底、本音なるは、分からんのけどや。聞いて無いだけでして。

そらな、その気持ちも分かるですが。
こちにしたら、そんな事、云われんでもの、我が親の事でして。ある意味、全責任負おてるわと。いつの間にやらの、保護者の身でして。
云うてるは、その昔なら、保護者は、親でして。
それが、親の保護者が、自分やでと。その手、福祉施設にお世話になるに、です。

そらな。
ディ・サービス<日帰り>、ショート・スティ<短期預かり>、中期入所<基本3箇月>であれ、風邪引けば、病気したら、怪我したら、保護者とするのか、付き添いで、病院通いでして。
当人、通えずで、薬要るの場合は、代行でと。

オッとの、この手の話、し出したら、切り無くて。
要は、超の簡単には、特別養護老人ホームの場合、住民票を移動。その他の場合は、あくまでもの、自宅介護故、その手の事、着替え等々、洗濯なりは、家族がやるです。
且つは、あくまでもの、福祉施設であっての、病院に非ず故、病気、怪我等々については、当然の病院入院でして。
変な話、病気なり、したら、福祉施設からは、一旦、退所。

いやね。
当方も、この辺りの話、詳しくなってもた、わと。

モ一発、いやねと。
延命処置云々の件で、何でと、云うヤツの、気持ちならばの、こちは、理解も、あちは、こちの心情、全くの、分かってませんでして。
分かって無いが故、云えるですが。
そらね、悪いけれどの、親と一緒に生活して来てるの諸般諸々の事なんか、生活して無いのが、分かるの筈、あらへんわと。

いやね。
延命処置不用の決断なんか、そらな、ある意味、突然の、詰問で、返答なれどの。
そらな、常々、考えてるが故、即答出来てるです。
モと、云うたら、当方の場合なら、常に、頭の中にあるです。親の事が。

そらな。
親が、その状態にて、自宅に居たなら、野暮用にての、外出も、短時間で、済ませるです。
話簡単の、数時間もは、外出してへんわと。イヤ、嫁はんなり、居たら、特段の、なれど。
施設に居てたら、気は楽なれどの、電話一発、ギクリやでと。何事かと。
基本、最悪の事、想定してるわと。
ましてやの、諸般、呆け症状出て来たり、その手の話、ケア・マネージャ等々より、聞かされててみい。ある意味、今度は、常に覚悟してるわと。

まあな。
云うてもたら、親と、家族として、一緒に暮らしての者が、どれ程のかは、同じの立場の者にしか、分からんわい。
誰が、平気の平左で、延命処置、不用を軽くの返答してるかと。
再度の、自分の親の事なるぞと。一緒に暮らしてるの、やでと。
ほんまやでの、実際に、親の死を迎えの、ハタと、気が付けばの、自身、何歳やと。
くどいけどの、当方、生まれて、その日まで、ズと、一緒。
親の晩年には、福祉施設にお世話になったのけどや。何年やな。

いやね。
母亡くなったは、2015年6月8日やでと。92歳で、当方、68歳。
ハタと、今度は、こちの番で、後、何年生存してるの哉と。自分が。
がしかし、奇妙なるの、充実感、満足感、あるです。

いやね。
モと、モと、申せばの話の。
イヤ、何度も、申してるわの、仏光寺の家なるは、借家やでと。
本籍の、綾小路の家なるは、祖父の判子一発、没収、、取られてもてるです。
いやね。
何を云うてるかと、なればの、親の資産なんか、あらへんわと。

葬儀費用ねえ。
親父は、貯めて呉れてたです。残金なら、明確にの、100万円残っての、半分、母に、スコン。
残半分なるは、妹一家にも、平等に分配致したわと。

ここだけの話。
でも無いの、コレ、失敗したです。計算ミスと、するのか、諸般の法事、一周忌なり、三回忌なりの、費用まで、考えてえへんで、ねえ。
アホやねえ。

母のなら、残すの人で無くての、来るべくの、日のためと、こちが、貯金してまして。
コレ又、その金額、多分ならばの、一周忌以前の、逮夜なりの、それまでの、法事で、無くなってもた、わと。
遺品のアクセサリー類等々なら、妹に、好きなだけ、持ってけ、ドロボーの、残なるは、その手、貴金属類の買い取り屋に持参で、その金額、全額、我が一家、10人で、焼き肉喰て、綺麗さっぱりの、散財と、までは、申せませんの、オシマイの、チョン。

ンの、何の話、してるの怪と。
諸般、「詫間駅」には、ン十年ブリでの、義兄に車で、迎えに来てもらいの、葬儀会館、「三豊メモリアルホール」。
(18/07/06)


NO.2382 この数日、クタブレタの話(3) 詫間駅の話(1)

いやね。
昨日に続きの、本日<7月6日>も、又、大雨。
大井町の一部にも、避難指示出たです。
まあね、保津川のそばの地域ですが。

鴨川の増水状況、嵯峨嵐山の、桂川、渡月橋の辺りを中継してまして。
橋下駄が、可成り隠れてると。
まあね、当方的、その程度なら、まだまだ、とまでは、申さんの、まだ、決壊程では無いなあと。
とは、云えどの、昨日から、降りっ放しでねえ。雨音も、結構なるの、でして。気分良くは無いです。悪いです。
テレビでは、観測史上、記録的水量に達すると、申してまして。

いやね。
数年前には、ゲリラ豪雨が騒がれてたです。一気、大量、局地的、バケツの水をひくり反したよな、雨。土砂降りの事でして。
イヤ、ゲリラ豪雨と、されるよりは、土砂降りなる、日本語があるですが。
どちにしろ、そのゲリラ豪雨は、影潜め、今度は、広範囲の、長雨に成るの哉と。


そんな次第の、斯くなるでの。
話、チョと戻しての、「詫間駅」ねえ。
嫁はんは、高松の、「AOI電子」に勤めてたです。
「詫間駅」に、最初に行ったは、多分なら、車で、でして。当時なら、ボロ・バード<ブルー・バード>。それこその、値打ち、貫禄の、一桁の、「5」ナンバーの。
当然の、初の普通車なれどの、モ一発、当然の中古車。

いやね。
初代、ホンダのNⅢ<再生車・中古車>で、二代目、ホンダのZ<新車>。そして、三代目で、やとで、普通車なれどの、中古車でして。
四代目で、展示車であったの、マツダの、ファミリア。槇島時代の近所に販売店あったがためでして。
とするのか、以降は、普通車で、まあ、云うたら、新車になったですが。トヨタのね。コレ又、亀岡になっての、近所に販売店が故。
そらねえ、なかなかに、新車の、普通車には、手が届かずでして。

いやね。
そもそもがの、仏光寺の時代には、正式なるの、車庫が無くての、家の前に。とは、申しても、少々、道路からは、へこんでたの家で、そこに置いてたですが。
普通車は置けるの広さは無くて。軽自動車でも、溝を、当然の蓋はあるですが。そこを跨いで、道路には、はみ出てたですが。

諸般、申してるの、借家でねえ。
壊れ出して、ねえ。雨漏りするし、柱は、腐って来るしで、仏光寺の家買い、建て直すかと。若造が、です。若造とは、当方の事での、世間知らずの、身で、家主、隣家なれどの、交渉致し。結果、出るになてもてね。

イヤ、槇島の中古物件をば、買いまして。当たり前だの、クラッカーの、ローンは目一杯。
まあ、云うたら、24歳で、家持ちさんに相成ってもてね。
云うてるです。就職して、即でも、無いけれどの、2年目で、祖母亡くなり、親父、結核にての、強制隔離入院<宇多野病院>でして。
一家、我が家、家族を守らねばと。
云うたって、母と、妹の2人なれど、です。

イヤイヤ、そんなに深刻、落ち込むよな、では、無くて。
そもそもがの、ノー天気で、楽天家でして。自然の成り行き任せが正解でして。
そらな、家壊れて来たら、建て直すなり。建て直すも、借家でね。買いたいと、申しの、ダメなら、出るしか、あらへんしの、選択の余地あらへんわと。
要は、住むの家、探すしか、でして。
最初っから、借家は考えもせず。

いやね。
そもそもがの、自身、生まれ、育ったの、我が家、仏光寺の家が、借家であるを知らんがな。知ったは、中学生の頃でして。
いやね。最初の家主は、家に向かって、左隣の、でして。右隣のに、替わったらしく。
イヤイヤ、その事を、その、以前の家主から、聞いたです。正確には、聞かされたです。

で、親父に何の事かと、尋ねたならばの、諸般、申し。
居住権あるの、当家を飛び越して、頭越しに売られたと。買えたのにと。
いやね。
その親父の返答、中学生なりに、気にいらんでねえ。
買えたなら、買おて呉れたら、ヨカツタのにと。とは、中学生の身では、そこまでの考えにての。後年、当方、知識付くと共にの、買えるのなら、買うの気あるのならばの、その時、ゴネると、するのか、文句申しの、当家に売るにせよと、抗議でも、交渉でも、すべきであったと。

更なるの、後年には、親父のその話は、プライドで、云うてた、だけ哉と。
要は、買えるの資金なんか、あらへんかったんやと。

とかとか、ここで、親父の弁護すればの話の。
そもそもがの、親父は、趣味で、電化製品の修繕してたですが。「ナショナル代理店 柴田電気商会」なる、看板、店出してね。
今時、やらんの、修繕が主。半田鏝と、ヤニ入り半田でね。ニッパ、ラジオ・ペンチでね。こちょ、こちょ、地道にやってたです。

イヤ、云うてもたら、商売人に非ずの、技術者志向。
柴田家、全員、人を騙せる、はったり噛ませるの性格で無く。話、超の簡単の、真正直に過ぎて。騙すより、騙されるの方選択の。モと、云うたら、分かって、騙されるの傾向あって。まあ、云うたら、アホウで、アホウで結構なると。
まあ、云うたら、商売人には、不向きでね。その血筋引いてるの、当方も、アホウで、商売人には、向かず。

そらね。
当時、電気屋なるは、新商売に近く。
そらね。
テレビ<白黒>が出た時代。洗濯機が、冷蔵庫が、テープレコーダーがと。
今、考えたらの話の、今で無くの、当方も、その当時に、思い当たればの話の、修繕してるよりは、売った方が儲かるわと。
昔のテレビ。だけで無くの、ラジオでも、何でもの、よお、壊れたの時代でね。品質が、悪かったんやと。

且つは、技術革新もドンドンと、進みの、修繕してるの時代は過ぎて。
イヤ、修繕を、電気屋がの話の、そんな事、メーカーにやらせれば宜しいのに、ねと。
それで、儲けたのが、現在の、大型量販店の創業者。

そらな、申してるです。テレビが出だしたの時代やでと。
当世、当たり前だの、クラッカーの、洗濯機、冷蔵庫を加えての、三種の神器の時代やでと。
本来的、その気なら、売れて、売れての、売れまくりの、電気屋儲かってたの時代やでと。
売るのダケなら、なと。

それを、壊れたと、修繕をと、持ち込まれたり、来て頂戴と、頼まれたら、そですかと、修繕しに、歩いて先様に、行くの親父でして。要は、自転車にさえ、乗れんの人でして。
そらね、その時代に、修繕代、工賃で、生活してたんやと。とは、我が家の話。
そらね、儲からんし、当方、中学生時代から、アルバイトしてたと、申してるです。オコズカイなんか、呉れへんわと。
その日、その日、生活するが、精一杯でして。

云うてるです。
高校進学で、私学では、授業料出せへんでと、云われたと。
まあね、京都市立堀川高校故、授業料は出して呉れたですが。くどいけど、オコズカイはあらへんわと。
大学は、そもそもがの、無言でねえ。親父がで。
まあね、入学金の一部は、出して呉れたですが。授業料までは、出せんと。以来、こちも、授業料云々の話、一切してへんわと。

いやねえ、この、ノー天気、楽天家で、金銭感覚ゼロの、当方。
まあね、云うてるの、家庭教師の定期収入あったしなあ。これが、当時、9千円<1人3千円で、3人を一発で、週2回、1回1時間>。京都府立桂高校生でしての、今に換算で、幾らになるの、やろねえ。
とりあえず、アルバイトの時給100円の時代やし、なと。
オッとの、教え子、同志社と、立命館に合格やでと。現役で。


オトトの、とっとの、何の話をしてるの哉の、どこで、何で、話逸れたの哉と。
いやね。
「詫間駅」の話の、車で、中古で、5万円の、ボロ・バードで、行ったの話、やなと。何で行った。
かと、なればの、嫁はんのご両親に顔見せのため。

実は、そこに、嫁はんの姉も来てまして。
当方どんな哉と、見学に怪。
他にも、誰かは、知らんの、来てたの記憶あるですが。皆目の知らんの、覚えてませんでして。イヤイヤ、女の子が、です。
当時の、なと。
知らん、とは、それも、多分なら、当方が、どんな哉の、見学に。とは、思うの、嫁はんとの、関係を知らんの意。

イヤイヤ、姉と、その他の面々には、そこでは、こんにちはで、サイナラでして。簡単には、なと。
ここから、嫁はんの指図のままに、あちに、こちにの進路で、要は、この日、ご両親、法事のため、自宅で無くての、親族の家でして。
イヤ、その家に、までは、行ってませんの、途中のどこかの道に居たはって。
単に、自己紹介の、超の簡単なるの挨拶だけで、オワツタですが。そらね、法事の真っ最中故。

ここで、ここだけの話の。
当方的、ご両親についての初印象申せば、母親の方、多少、抵抗感あるの、イヤ、当方に対し。
親父様、歓迎ムードでねえ。当方に対し。
とは、あくまでもの、当方直感的感覚のみ。
イヤイヤ、反対の意では、無いです。反対なら、会いもして呉れへんわと。不愉快なるの表情されてるわと。

いやね。
親父様、2005年に亡くなったですが。柔和な方でして。
ある意味、我が親父と一緒。
母親、ある意味、嫁はんと一緒。家族一番の人。
両親共に、質素倹約の人。我が母親とは、正反対哉と。結構なると。
とは、その時の、コレ又、第一印象での、正解。
(18/07/07)


NO.2383 この数日、クタブレタの話(4) 詫間駅の話(2)

いやね。
昨日に続き、本日<7月7日>も、雨天。
イヤ、これで、3日連続の長雨でして。
いやね。
本日、再度の、7月7日でして。七夕の日。
可哀想に、牽牛、織姫の、年に一度の、デートの日は、散々でして。

イヤイヤ、暢気な事、云うてたら、叱られるです。
避難勧告対象、100万人に達するのではと。幸いにして、当方承知の範囲の方々には、被害及んでませんですが。
加えての、当家の立地的、水害には、無縁と、までは、断言出来ぬまでもの、危惧するの、川も、山も無く。無い事も、無いけれどの、少々離れてまして。

いやね。
明日、次男家が来るになってまして。
本来なら、先週、1日にでもと、云うてたですが。こちが、この話の、嫁はんの姉の、婿母の葬儀で、四国、香川、詫間行きでして。
一週間、延期して頂戴なと。
その明日も、果たしての、雨の状況、道路状況、どか、分かりませんでして。無理すなよと。
イヤ、来るの目的、米でして。
オッとの、当家、農家で無く、米作ってませんですが。嫁はんの旧知の方から、供給して戴いてまして。玄米を。
当家、3軒にて、消費してるです。
まあね、完全には、賄えず、なれどの、そらねえ、生産者が分かってるの米がええに決まってまして。

イヤイヤ、玄米で、30キロ戴いて、10キロずつに別けて。精米して、手渡してるです。
そらねえ、30キロを非力なる、当方、持ち運ぶは難儀でね。10キロなら、持てるしと。

ついでになら、さての、今年の祇園祭、宵山、宵々山と、するのか、まともに、宵山には、出掛けませんですが。
そらな、大人だけなら、結構なれどの、孫共、小学生や、保育園児を伴おては、無茶でして。
それは、昨年度にも、経験してまして。

オッとの、当方なら、重々の承知してるですが。
いやね。
昨年は、長男家と一緒に、でして。
今年は、次男家も、ど哉と。
当方的、そらねえ、祇園祭を知らずしてと、相成って。更には、折角なら、京極の、「かねよ」の、「きんしまむし」を喰わせてやりたい、なと。
いやね。
「きんし」とは、「金糸」の事なんか、なあの、オッとの、意味なるは、良くは知らんの、兎に角、「まむし」とは、ウナギの事でして。要は、ウナギ丼に、玉子とじ<きんし>を乗せたヤツ。
<参考=かねよ>
<工事中23/07/01>
<消滅・23/07/20>

そらね。
10人もで、行けば、金嵩むですが。
特に、最近では、ウナギが取れずで、値がなあと。

そやけどね。
昨年には、長男家5人に喰わせたし。是非共の、次男家にもと。
イヤ、主たるは、孫に、嫁に、でして。息子共なら、何度かは、連れてってるです。
再度の、申せば、「かねよ」を知らずして、ウナギを、まむしを語るべからずと。とは、当方の、思い込み。
イヤイヤ、祖母が、何度か連れてって呉れたです。何度か、とは、年に、1回か、2年に、1回なれど、です。
まさかの、こんな時期、祇園祭の宵山の、宵々山の日では、あらへんのけどや。

云うたって、土用の丑の日でも、あらへんの、けどや。
<注=2018年の場合、7月20日、8月1日>
その辺りの日、でして。
そらな、何も、わざわざの、混んでるの日には、行かんわと。
とか、云うたって、なと。いつも、混んでるですが。「かねよ」が。


オッとの、とととの、その話は、明日、次男家が来てからの話の、まずは、「詫間駅」の話。
とするのか、さての、最初には、車、ボロ・バードやった、なと。
イヤ、直接に、嫁はんのご両親に会いに行かずに、何故に、「詫間駅」に寄っての、その姉なりに、会うになった、成ってた、かは、知らんわと。
ンの、正確には、聞いてた、かも、なれどの、そんな昔の話、覚えてるの筈あらへんわい。
さっきの事さえ、忘れてしまうのこの身でして。

されどの、大抵の場合、この手の事、自然に、成り行き的に、主導、誘導してるは、嫁はんでして。
こちは、その手の事、良きに計らえ的の、適当でして。
此度の、義姉婿母の葬儀の件、参列するの、計画と、するのか、時刻とかとか、何を持参して等々の、準備万端、万事、全て、事細かくの悉くは、嫁はん任せでね。
更には、金策まで、嫁はん任せでね。
イヤイヤ、余計なるの話の、息子共家にも、連絡方々の、香典も、代行と、するのか、の分も、持参致しも、嫁はん主導。
イヤ、結構なると。

いやね。
そんな事、話をするの積もりで無くて。
「詫間駅」ねえ。
下車するは、二十年ブリか、モっとかに、なるなあと。そらね、大抵ならばの、車で来てまして。
ンのどんな時、列車で、来たかは、覚えてませんですが。当世なら、電車なれどの、その昔には、山陰線<嵯峨野線>同様の、ディーゼルであったの哉と。
結婚当時には、宇治、槇島なれど。よて、近鉄でして。電車でして。

いやね。
最初、駅降りて、ンの、改札に向かうに、地下道でも、高架でも無くての、線路を横断故、ンと。
いやね。
「並河駅」なるは、えらそには、云えずの、引っ越した当時には、無人駅で、鈍行の何本かは、停車せずの駅でして。
且つは、ディーゼルで、乗車するに、ボタン押して、ドア開けるの方式でして。へえと。

いやね。
通勤するに、基本、車で、なれどの、ノー・カー・デーの日には、列車でして。
一番最初、初めての時、列車到着で、最前列に並んでたですが。ンの、ドア開かずのため、どする兵衛哉と、戸惑おてた、ならばの、後ろの方、手を伸ばしの、ボタンを押して、ドア開け。へえの、ボタン式怪なと。

云うたら、当方、都会生まれの、都会育ちでね。
そんな方式、知らんがな。
列車のドアなんか、自動でして。ましてやの、ディーゼルも、知らんです。
云うてもたら、日本最古、最初の、チンチン電車。市電なれどの、それでも、電車。ンの、そ云うたら、チンチン電車に、ドア、ナカツタなと。
まあ、つまり、解放状態の市電でして。
モと、云うたら、嵐電も、京福電車も、皆、電車。ドア、自動故、ボタン式なんか、想定外の、未経験。

イヤイヤ、「詫間駅」で、列車降りて、改札に向かうに、線路横断なるは、それが初めてでして。へえと。
それ云うたら、「並河駅」は、それ以上の、超の、ローカル駅なれど、です。
再度の、ボタン式のドアで、無人駅で、高架も、地下道もあらへんしと。
オトトの、現在唯今なら、自動ドアで、電車で、駅員居て、高架も、エレベーターもあるですが。
云うたって、駅員居てるも、何時まで、なんやろねえ。24時間は、居たはりませんです。
まあね、それだけ、「並河駅」の利用客が多くなって来たと。とも、云えるですが。

「詫間駅」は、そのままや、なあと。
オッとの、その当時より、駅員居てるですが。駅そのものは、当時のままや、なあと。
要は、懐かしの、駅でして。
(18/07/08)


NO.2384 この数日、クタブレタの話(5) 三豊メモリアルホールの話(1)

いやね。
結果的、本日<7月8日>には、次男家、こちに来ませんでしたです。
理由、諸般、道中、崖崩れの危惧あって。これは、予測不可でして。
結果の結果、「かねよ」の話は出来ず。

まあね、「かねよ」そのものは、どでも良く。どでも、ええ事無いけれどや。
そらね、次男家の嫁、孫君3号にも、「かねよ」の、「きんしまむし」。メニュー上、「まむし」の文言、書かれて無いですが。単に、「きんし丼」なれど、です。
オッとの、昨年には、長男家とは、一緒に行きまして。次回、機会あらばと、思てまして。

いやね。
「祇園祭」は、7月17日と、日が決まってるです。
偶々の、14日<土>から、16日<海の日>まで、3連休でして。「祇園祭」本番は、どでも良く。どでもええ事無いけれどや。
当世、粽は、投げへんし。観光客、外人で、一杯でして。見られるの、ええ場所なるは、有料であったり、人で、人で、それこその、下手したら、下手しんでもの、もみくちゃにされるだけ。
且つは、こんな具合に申せば、顰蹙買うけれどの、延々の、見てるの祭であらへんわと。
理由なるは、皆、見るに時間掛かるです。

いやね。
当方にしたって、その昔、仏光寺時代にも、全部をなんか、見てへんわと。
粽を取りに行ったも、一度だけでねえ。隣の兄さん、菊水鉾の囃子手が、四条烏丸の、西北の角に居てよと。投げてやると、申すが故、行ったですが。
危ない、危ない、皆、必死でねえ。傘を逆さにして、受けるのも、居てね。受けられて無いと、思うですが。多分。

いやね。
コレ、当方、大学生時代やったの筈の、それでも、危険感じてまして。
イヤイヤ、申してるは、それ程の、凄い人集りで、とても、とてもの、粽を受け取るなんか、出来ひんわと。
いやね。危険故に、粽を投げるは、止めになったですが。それでは、又、「祇園祭」らしさがねえ。あらへんわと。

いやね。
それ以前の、そもそもがの、「祇園祭」とは、山鉾の巡幸よりも、宵山、宵々山の、暑い真夏の京都の町を、浴衣着て、何ちゅうかの、四条通りの、烏丸から、河原町の、ド真ん中、車道を、歩くが出来るが楽しみでして。
この事を、何と称してるかの、文言、失念。
オッとの、思い出したですの、「歩行者天国」。

云うたって、ねえ。
それでも、人で、人で、凄い人で。
イヤ、仏光寺時代の事を、申してるですの、精々が、長刀鉾辺り、まで、でして。
イヤイヤ、室町通り、とかとか、には、回ったり、してたのけどや。船鉾とか、それこその、菊水鉾、函谷鉾等々、山も、なと。
山は人気が無くて、ねえ。
とかとか、この話、し出せば、切りあらへんわと。

イヤイヤ、再度、申しておくの、「祇園祭」になんか、本来的、「かねよ」には、行った事、あらへんわと。宵山に、でもや。
これは、皆が、皆とは、息子共家、嫁共、孫共、宵山見物に行くの、ならばの、折角故と、ウナギの、老舗の、「かねよ」に、でもと。
喰わせてやりたい、なと、思うが故でして。
で、昨年には、長男家5人と共に、行ったですが。次男家は、仕事故、行くが出来ずであったがためで。そらな、その時、皆一同に、ならばの、当方的、何とか、次男家のをと、までは、思わんわと。
それこその、四条大橋、先斗町の、「いづもや」でも、とまでもは、申さんの。云うなら、亀岡の、「宮本屋」で結構也と。
とは、失礼千万なるの、文言なれどの、「宮本屋」なら、出前をして呉れまして。
待たずとも、ウナギを喰えるわの意。

も、あるし、そら、違うわと。
「かねよ」は、ウナギ<まむし>一本の老舗やわと。下足番が居てね。
ン、昨年には、下足番までは、居てへんかったよな、気もしてるですが。イヤ、姉ちゃんが、札で管理してた、よなと。
イヤイヤ、その昔には、老年の爺様が、履き物をチャンと、管理されてたぞと。札は、札なれど。


オッとの、何の話をしてるの哉の、「詫間駅」ねえと。
懐かしの、です。ン十年ブリやなあと。
そもそもがの、ここ、二十年なるは。とするのか、正確には、息子共が、免許取得当初には、安全なるの高速道路、高松道哉では、運転を代わったり、してたですが。

いやね。
就職で、自分で購入以来、息子共の車でして。
と、時期を同じくの、瀬戸大橋が開通したり、比地木、嫁はんの里なれどの、えの、道も、年々綺麗にと、するのか、新しい道が出来たり、高松道も、延長、延長でねえ。「三豊鳥坂」のICまで、行けるよに、なてもてね。
要は、年々の、道が、良くなって。反対には、当方的、運転せずの、道が、替わって、替わって、替わりまくりの、益々の、道が、訳分からんよになてもてね。

にしてもの、当時、現在でも、なれどの。
カー・ナビゲーションも無く、よお、行けた、なと。嫁はんの里に。
それも、宇野から、宇高連絡船であったり。神戸から、宇野まで、フェーリーであったり、淡路島経由の、フェリーであったり。
鳴門大橋、明石大橋が出来てねえ。
まあな、当時には、分かり易いの道では、あったですが。
そらな。
高速道路、高松道が出来て、本来的、分かり易くは、なってるものの、こちからしたらの、毎回、毎回、来る度、道が違いまして。
ンの、その昔にも、こっちの、ルート、あちのと、毎回、毎回、替えてたですが。

若かったんやと。
一発、と、までは、申さんまでもの、当然の、嫁はんなり、息子共のナビゲーターも居ての、余りに、迷う事も無くの。とは、嘘なれどの、大きくは、ミスる事も無くの、着けてたし、帰れてまして。車の話。
当世、自分だけでなら、高速道路に行くの道が分からんわい。
いやね。
その昔なら、国道11号線をひたすらに走ったダケなれど。ダケでは、無いけれどや。

イヤイヤ、そんな事で、「詫間駅」には、義兄が迎えにで。
一路、葬儀会館、「三豊メモリアルホール」には、アと、云う間。
(18/07/09)


NO.2385 この数日、クタブレタの話(6) 三豊メモリアルホールの話(2)

いやね。
7月5日<木曜日>から、7日の、長雨なるは、西日本に甚大なる、被害をもたらしたです。
まあ、云うたら、台風でもあらへんのにと。
雨雲が、西日本に陣取って、動き鈍く。結果的、延々の長雨でして。
河川の近く。或いは、山、崖の附近では、山崩れ、崖崩れで、家屋が浸食されたり、致しまして。
気象庁は、「平成30年7月豪雨」と銘々したです。
<参考=NO.982 <7月5日>京阪神地方で、大雨<!>

イヤ、当初、京阪神の滞った雨雲でした、ですが。広がりを見せて、西日本に被害をと。
結果、7月9日<23時現在・NHKニュース>、判明してるだけで、死者123人、行方不明80人以上で、今後も、犠牲者増えるとされてるです。
幸いにして、当方地域、左程でも無く。
イヤイヤ、亀岡でも、死者は出てるです。当家、地理的、山間部で無く、河川も近くに無く。水害については、心配してませんでして。
イヤイヤ、当地域が水没なら、亀岡市の大部分が水没でして。

いやね。
長雨一過、今度は、暑うて、暑うて、大変でして。
ならばの、エアコン点けたら、宜しいですが。勿体ないしと、我慢大会までは、してませんの、扇風機を回し出したです。

いやね。
本日<7月9日>なるは、諸般、堀川高校の同級生<369会>の、烟河温泉<湯の花温泉>の件で、調整しまくりでして。
イヤ、まだ、結論は出てませんの、少々のコマツテルです。
<参考=「単なる雑談NO.192」NO.2181 堀川高校3年9組5人の伊勢旅行の話(7) 早くも、来年の話
<参考=「単なる雑談NO.201」NO.2271 単なる雑談<烟河温泉見学、下見の話>

イヤ、実は。
7月の2日<月曜日>に、東京さから、来たの、アキラ君と、これは、京都在住なれどの、ミノル君の3人して、今年の、同窓会、烟河温泉の下見に行ったです。
その日程調整と、するのか、厄介でして。
ここだけの話、でも無いの、アキラ君の我が儘が、ねえ。まあね、とりあえず、云いたい事、希望は云うてもらうの方が宜しいですが。

オッとの、その話は、7月の2日の話に譲るです。
ここでは、その前日、7月の1日の、詫間でして。嫁はんの、姉の婿母の葬儀の告別式で、「三豊メモリアルホール」に行ったの件。
イヤイヤ、事程左様の、6月30日には、嫁はんの目眩が云々にての、「亀岡シミズ病院」に付き添いで。
明くるの、1日なるは、四国、香川の、詫間でして。
更なるの、2日に、アキラ君、ミノル君と、烟河温泉の下見にと。毎日、外出で、クタブレタの話をしてるです。
結局は、中身、脱線ばかりで、話、進まんですが。

いやね。
11時に、「詫間駅」到着で、義兄が迎えに来て呉れてましての、即の、車で、向かいの、所用時間、5分、10分。
その道なら、その昔には、何度か、通ってまして。記憶はあるですが。そこに、この手、葬儀会館は、気が付かず。
いやね。
そもそもがの、イツに出来たかも、知らんわと。用事無く。幸いにしての。
そらね、前回には、ここの、親父様が亡くなったですが。その時には、当家母の件ありての、夫婦揃ての、外出は、一寸なと、嫁はんだけにしたです。

イヤ、その当時に、我が母、今日の、明日のと。
の状況では、無いけれどや。
その時には、自宅に居たのか、ショート・スティか、中期入所かは、忘れたですが。何れにせよ、風邪なり、熱なり、その他諸々の異変あったの時には、即の家族が対応せねば、でして。

それ以前には、嫁はんの親父様でして。
これは、2005年でして。よっく、覚えてるの理由なるは、当方、区長職拝命の年度故。
イヤ、自宅での葬儀でね。心のこもったの、葬儀やなと。感心したです。理由なるは、近所の方、親族なりが、まあ、云うたら、当時には、本宅に集まりまして。
亡骸の周辺で、夜伽でして。田舎だけに、流石やなと。
イヤイヤ、嫁はんも、亡くなるの、数日前より、こっちに来てまして。臨終には、立ち会おたです。

イヤイヤ、その辺りの事、重々の記憶してるです。
電話で、息がと。しんよになったと、泣いてたです。嫁はんがや。
いやね。我慢強い、義父でして。肝臓癌と、聞いてるですが。医者の話では、相当に痛みある筈なれどと。痛い等々、口にはせずと。とは、嫁はんから。

イヤ、亡くなるの以前に、当方も、入院先の病院には、見舞いに行ってるです。
いやね。義母なるは、病院に泊まり込みしてたです。嫁はんも。
相部屋故、2人もの、付き添いで、寝泊まりなるは、大変でして。
イヤ、当方なら、病院に泊まってませぬ故、大変さの度合い、分からんですが。

いやね。
云うてもたら、昔には、家族入院なら、入院の中身もあるけどや。基本、家族なりが、付き添いで、病室で、寝泊まりしてたです。
或いは、付き添いを雇うなりをしてたです。
当世、そんな事、致さんですが。

いやね。
その昔には、原則、それが、家族の役目でして。
家族が居てる、なら、なと。
いやね。
それが、病院も、24時間、完全看護体制と、なりての、その手の事、家族は致さんよになったですが。
それでも、洗濯モノは、家族でして。

洗濯モノねえ。
これも、量に寄るです。大量なら、一々の自宅に持ち帰りの、洗濯するは、大変でして。一寸した、病院には、洗濯機が設置してあっての、そこで、家族なり、当人が出来るのならばの、自身でと。

いやね。
老人福祉施設でも、洗濯はして呉れるですが。全部とは、違うです。よて、週2回は、家族が、しかるべくの、洗濯モノの交換をと。
オッとの、病院での話なら、当方、足の骨折にて、「公立南丹病院<現、京都中部総合医療センター>に、前半3箇月、後半3箇月の入院したですが。
イヤ、前半とは、金具を付けるの手術で、後半は、原則、1年半経って、その金具を取るの手術を云うてるですが。
その間の、洗濯モノなるは、どやったのかと、なればの、嫁はんが、交換しに来て呉れてたです。一応は、完全看護体制の、総合病院故。

オトトの、何の話をしてるの哉の。
いやね。
京都では、当世、葬儀会館でが、主流でねえ。京都も、府下で、先の方では、分からんですが。
有り体には、都会であれば、あるの程に、葬儀会館。田舎であれば、あるの程に、自宅かと、思てたですが。最早の、こちの方、有り体には、田舎なれどの、葬儀会館かと。

いやね。
コレ又、ここだけの話に非ずの、当方、喪主として、親父と、母の葬儀をば、出してまして。
親父の時には、当たり前だの、クラッカー的、自宅で、葬儀したです。
当時には、当地、亀岡在住でして。

只な、香典は、親族、一般からも、戴いたです。それが、常識的慣例故。
いやね。
結果的、葬儀費用、浮きはせぬまでもの、そらな、仏光寺の時の、祖母のは、喪主、親父故、収支決算知らんけど。
所謂の、地元故、会葬者も、多く。家も大変でしたですが。そらな、親族の寝泊まりの場所狭く。
会葬者も、外で、待機してまして。
イヤイヤ、相当なるの、人数が集まって呉れたです。

いやね。
親父は、亀岡でと、申したですが。自宅でと。とも、申したですが。
親族、一般の、香典も戴いたですが。それが、常識の時代故で、結果的、親父が残して呉れてたの、貯金、云うてもたらの、200万円あったですが。
記憶、曖昧の、本当は、175万円であった、よな、気もしてるですが。

兎に角、100万円残ったと、申してるですが。
その、残ったの、半分、母に、とかとか、正直に申してるの、妹家と、折半してるわと。そんな事、するの必要性ナカツタですが。
イヤ、コレ、逮夜、四十九日、一周忌、三回忌の費用の事、計算して居らず故。
そらな、ここだけの話に非ずの、逮夜であれ、何であれの、参列の面々なるが、相応の、香典持参ならばの、なれどの、そは、なと。
且つは、住職には、相応の御礼の金子いるです。

いやね。
母の時には、亀岡の、メモリアルホールでして。親族のみ、香典戴いたですが。一般からは、遠慮したです。
遠慮も、損慮も、一般の人数知れてるです。但し、粗供養は出してるです。
での、予めの、貯めてたの。ンの、こちがで、嫁はんがで、それが、200万円あったのけどや。忽ちにしての、霧散。
そらな、親父、1991年でして。母、2015年故、24年の年月経ての、物価も違うかと、なればの、殆ど、一緒。
そらな、祖母なら、1971年でして。これは、幾ら何でもの、物価が違うですが。当方、24歳の頃で、葬儀費用42万円と、聞いたです。

要は、1971年と、1991年では、20年。
1991年と、2015年では、24年の差があるけれどの、前のは、高度成長時代の、真っ直中で、そこから、先、物価なんか、落ち着いてもてるわと。

いやね。
正確には、24年も、経てば、物価は上がってるですが。高度成長時代の如くの、倍々ゲーム、みたいなであらへんを申してるです。
特には、葬儀費用は、感覚的、大差は無いなあと。
これは、親父と、母のを、比較しての話の、但しの、自宅と、葬儀会館では、場所違うも、考慮しての話やでの、葬儀会館では、施設の借り代分、費用嵩んで、当たり前。

イヤイヤ、嫁はんの姉の、婿母の葬儀では、親族も、一般からのも、香典は、ありがたくの受理されてるです。
イヤ、くどいけど、当方的、それが、当たり前だの、クラッカー也と。
そらねえ、香典の精神なるは、互助、助け合いでして。
そらねえ、葬儀なるは、急でして。急なるの、葬儀費用、出費故、皆が、各々に助け合うがための、香典也と。
それを、何故に、遠慮するかと。
イヤ、当家、母の時、一般のは、遠慮したですが。そらな、町内会の、面々の、葬儀で、直近の、2軒が、一般の香典遠慮致すと、されて、こちが、戴くと。
とは、出来んわと。
(18/07/10)


NO.2386 この数日、クタブレタの話(7) 三豊メモリアルホールの話(3)

いやね。
いつも、いつも。
とするのか、何か、云う事あったなと。
思いつつの、イザとなればの、思い出さずに、延々の、日が過ぎて。
此度、ハタと、思い出したです。内の一つ、だけ、ですが。

いやね。
近所の、でも、無いですが。正確には、我が家から、一番に近い、レンタル・ビデオ屋、「ビデオインアメリカ亀岡店」なる、屋号の、なれどの、場所的、亀岡の、道の駅、「ガレリアかめおか」の向かい側。
いやね。
閉店したです。
そもそもがの、何回、行ったの哉の、回数しか、行ってませんですが。
孫共のための、アニメのDVDを借りるがための、入会でした、ですが。あんパンマンとか、機関車トーマス、名探偵コナンとかとか、でして。
ついでになら、当方のも、借りてたですが。洋画を。

いやね。
我が家にも、元々が、ビデオ・プレーヤーを保有してたですが。
何分の、長男が結婚の際の、式場のイベントで、当たったのを、呉れたのを、保有でして。調子が悪くてね。途中、止まったり、飛んだり、色が変に成ったり、致してね。
イヤ、我々で、買おたのも、あったですが。コレ又、調子が悪くてね。
そらまあ、従前には、殆ど、使うの用事が無くて。

いやね。
孫共が、DVDを見るよになったが故、活躍し出したですが。調子の問題にての、一発と。
新調したですが。
期せずして、孫共も、レンタルDVDを借りたいとも、云わんよになてもてね。
イヤイヤ、正確には、新調のビデオも暫くは、大活躍したですが。

孫共の興味が、DVDから、パソコンで、見るの、YouTubeに移りまして。
暫くしたら、テレビでも、YouTubeが見られるよに、なてもてね。
オッとの、テレビも、従前の、何と、称したの哉の、ンの、プラズマ方式のが、壊れてもてね。液晶に変更で、YouTubeが見られるよに、なったですが。

話簡単の、我々にしても、わざわざの、レンタル・ビデオ屋で、借りてまで、見たいの映画が無くて。
孫共なら、DVDで無く、YouTubeに趣向が変わってもてね。
どちにしろ、先刻、申したの、「ビデオインアメリカ亀岡店」からは、足遠退いてもてね。
先日には、ンの、閉店怪なと。さもありなんと。

そらね、こちは、見たいの、映画が無くて。あれば、映画館に見に行くですが。機会失い、結果的、DVDを借りてになるの、その、見たいのが、あらへんしと。
孫共も、一口に、アニメと、云うても、タイトルが有り過ぎて。DVDで、延々の見てるよりは、YouTube程度で、短いのを、幾つも見たいの傾向哉と。

いやね。
何れにせよ、レンタル・ビデオ店が閉店で、へえと。されどの、さもありなんと。
見たい映画を、見過ごしてもての、借りたい、見たいの、DVDが無くなれば、そらなと。
あっても、大抵なら、貸し出し中で、戻るを待って、までの、ご執心でもあらへんでして。


オッとの、そんな事で、葬儀の話、なれどの。
この、ン十年で、形態も、大きく変動したなあと。
そらね、その以前には、土葬から、火葬が大きな、変更なれど。
家で、執り行うが、葬儀会館で。
その葬儀会館のも、一般からは、香典辞退。
更には、家族葬が主流に成りつつあって。
イヤ、此度の、嫁はんの姉の、婿母のは、葬儀会館で、なれどの、従前の方式でして。

いやね。
金の話、ばかりに成るですが。
安く、上げるなら、下記<参考>が、「みんながパソコン大魔神」掲示板に投稿賜ってるですが。実際問題、ど哉と。
<参考=NO.984 葬式事情はこんなに“激変” 10万円台の「直葬」も当たり前(毎日新聞、7月6日)

いやね。
葬儀をど考えるか、でして。
イヤ、申すは、コレ、故人には、分からんの話の、そら、亡くなってもてて。
ならばの、葬儀なるは、残された者、要は、喪主の、体面、面目かと。
イヤイヤ、その通りで、御座候の、当方にしたって、最低の、では、格好付かず故と、一番の下避けて。上も、避けての、中庸、中位、半ばの、無難にと。
選択するは、基本、喪主。故人の意向に非ず。

いやね。
申すは、当方の場合でなら、矢張り、近所、町内会の動向、大いに参考に致すです。
それもあるし、仏光寺の家に、在住してるのならばの、そらな、知人の人数、亀岡の比較に成らずの、大人数。
アと、云う間に、少なくともの、格致小学校区には、伝播するです。
祖母の場合ならばの、その関係。親父の、叔父の、母の親族。当方のも、そらな、報知れば、来て呉れるです。
イヤイヤ、ありがたいの事でして。
さぞかしの、故人、祖母も、浮かばれると、するのか、黄泉の世界より、感謝、感謝の雨霰やろと。

いやね。
コレ、義理もあるけれどの、真意。
心底より、故人を、その親族に対しの、お悔やみ申して呉れるです。と、信じるです。
がしかしの、亀岡の地では、なと。

そもそもがの、亡くなったの報、通達されるは、町内会のみ、でして。
イヤ、それで、当然。
その上で、母の知人、別途にも、居てるですが。家知らんし、当方が。その方々の、年齢の事もありての、わざわざの、知らせるも、なと。遠慮するです。

まあな、正直申しの、現亀岡の、町内会の面々、来て呉れても、おそらくは、義理でして。
当方にしたって、町内会の方々の、葬儀に参列なるは、義理でして。そらな、何名様かは、心底、お悔やみ申すの、嗚呼、残念と、思うの方、あるけどや。

いやね。
話、こちら、詫間の、「三豊セレモニーホール」に戻すですが。
所謂の地元の方だけにねえ。云うたら、凄い人、人、人。
少々、話、先走れば、親族の範疇不明なれどの、50人程が参列かと。我々夫婦含むけど。
イヤイヤ、正確なるの、人数、数えてえへんわの、丼勘定。
一般の方も、同程度哉の。ならばの、100名様に相成るですが。

いやね。
この人数、親族をば、自宅では、大変やろと。出来んなと。
イヤ、婿母の兄弟さん多いらしく。さもありなんの、その孫子までが来てたら、そなるわと。

いやね。
それでも、その昔々ならばの、葬儀会館ありませぬ故、自宅でして。
当然にしての、葬儀会館ならばの、その借り代、利用代だけでも、相応の、でして。
いやね。
基本、自宅で、100万円の葬儀なら、葬儀会館では、諸々にての、倍の、200万円掛かるが相場哉の。
この数字、適当なるも、当たらずともの、遠からじと、推測してるです。
イヤイヤ、極の一般的、庶民の葬儀の場合やでと。
(18/07/11)


NO.2387 この数日、クタブレタの話(8) 三豊メモリアルホールの話(4)

いやね。
本日<7月11日>、やとで、皆に、しかるべくの、結論、イツ、どんな予定でと。
あくまでもの、超の概要なれどの、報、打電したです。

オッとの、堀川高校の同級生の、同窓会兼旅行の件。
旅行ったって、亀岡が舞台故、京都組3名なるは、まあ、云うたら、近在。当方にしたら、地元。
但し、烟河温泉<湯の花温泉>には、宿泊経験無く。ンの、地元故、当たり前だの、クラッカーなれど。
イヤ、この件、何度も、申してるの、7月2日<月曜日>の続きの話でして。詳細、その時に、でもと。
とか、云い乍らも、チビリ、チョビリと、小出しをしてるですが。そらな、ショガナイわと。幹事たる、悩ましいの話、ばかりでして。


オッとの、そんな事で、「三豊メモリアルホール」での、葬儀の話を進めるです。
いやね、そらね。
葬儀の話も、従前には、余所事と、とは、云い過ぎの、勘違いされても、困るですが。
いやね、そらね。
母存命でも、まだまだ、若いの頃ならばの、左程には、でして。

それがや。
母も歳喰い、80代も後半、モすぐにも、90歳に。又、諸般、怪我、骨折したりで、福祉施設にお世話に成り出したら、葬儀の事、可成り真剣、参考にし出したです。

そらね、どの葬儀であれ、来るべくの、自身の家族なり、自分の時にはと、考えつつの参列してるですが。
嗚呼、こんな形式、あんなと。
費用は、どの程度哉、とかとか、あるです。
但し、実際の、費用なるは、自身が喪主なり、せぬ事には、分からんですが。分からんでも、祖母なり、親父の時ので、推測なら、出来てるです。

いやね。
母の時のは、予めの、近在に出来たの、「府民葬儀会館」なるのを、見学、見聞に行った事も、あったですが。
まあね、正直申しの、ここは、なあと。
陰気で、狭くの、母が可哀想と。
ンの、葬儀会館が、明るく、陽気、派手なるの、雰囲気では、変なれど。
かと、申しの、そらな、諸般の感ずる事、あるです。方々、見てる、参列してるだけに、なと。

オッとの、何の話をしてるの哉の。その母の葬儀は、終わってるです。
申してるの、正確なるは、忘れたですが。親族で、約の30名。一般の方々、合計では、50名になるの哉の、よ、分からんですが。
合計とは、通夜、告別式の合計の事での、実際には、20名、30名での、少なかった、なと。
要は、婿母殿の、半分でして。人数が。

いやね。
変な話、所謂の地元故、さもありなんの、我々の場合、地元に非ずの、新参者。
申してるですの、祖母の時には、地元でして。仏光寺の家が。とも、なればの、人数まで、数えてえへんしで、分からんですが。親族も、50名は軽くの来て呉れてたと、考えてまして。
イヤ、くどいけどの、親族も、その範疇あるです。

且つは、殆どが、近在でして。
歩いて、来られるのは、泊まらんし。自宅では、親族席に、座って呉れと、思たって、場所的、狭くて、座れませんでして。本当の、親族、家族のみに、相成って。
本当とは、異なるの表現なれどの、まあ、云うたら、祖母の子ども達の家族が主でして。当方なら、喪主たるの、親父、祖母の、長男の、長男でして。
まあ、云うたら、叔父達と、その家族と、叔母の家族が、親族席にと、相成って。他の面々、祖母の妹達の、家族なりは、家の中に居てたか、居てへんかったかは、皆目の覚えてませんです。
イヤ、多分なら、家には、入れずで、外で待機してたと、思うです。

そらな。
その当時には、親族一同、近所でして。
近所も、語弊あるですが。
そらな。
祖母の妹家なら、大徳寺の方でして。されどの、その次女は、早くに亡くなってもてての、その子ども達が来て呉れてたです。ンの、子ども達と、云うたって、話簡単の、親父の従兄弟でして。
只ね、そこの長男たるは、当然の別格として、その妹達<2人>、弟<1人>は、少々歳の離れたの、お姉さん、お兄さん的感覚でして。
その長男たるは、親父が居てませぬ故。早くに他界故の、親替わりしてまして。

モ一人の妹、三女なら、富小路の方でして。簡単に申せば、歩いて、十数分。
そこは、反って、子どもの数知らんでねえ。兎に角、矢っ張りの、長男と、同居してまして。
ンの、当時には、それが、当たり前だの、クラッカーの時代でね。イヤ、そこも、親父様を知らんなと。
よて、その長男さんが、母を、一家を支えてたです。
とかとか、なんか、当時には、皆一緒。特段のえらい事も、何でも、あらへんでして。

要は、大抵の親父様、早くに亡くなってまして。
云うてるです。我が祖父も、知らんと。見て無いと。そら、当方生まれるの、2年前に亡くなってまして。
同じよに、祖母の妹であるの、次女のも、三女のも、親父様見てへんわと。

オッとの、ぎりぎりの、話の逸れよ、でして。
要は、諸般の親族、京都でして。親戚付き合いも、親密でして。
祖母の妹達、しょっちゅう、我が家に来ては、愚痴こぼしてたです。そらな、祖母長女故、一番に値打ちと、するのか、一目も、二目も、置かれてまして。
特には、次女は、頻繁でしたです。要は、大徳寺の方から、市電に乗って。まあな、北大路でして。市電なら、30分掛かるの哉と。当時は、なと。
我が叔父達、当時には、どこに住んでたの哉の、当然の結婚もして、上のは、田辺で、下は、男山八幡の方ですが。

ンの、もしかして、もしかしたらの、軽くの、50人以上哉の。母方の親族も来てるしと。ここは、上のが、どこであったの哉の、四条大宮で、下のは、仏光寺の黒門でして。それこその、歩いて、10分もは、掛からんなと。

当方も、既に、社会人2年生。
上司が、2人して、来て呉れてましての。花も、沢山あった、なと。何軒かの軒先借りるに相成っての。
当時には、それが、付き合いの広さ、顔の広さ、親族の多さを云わずともの、語ってたです。

イヤイヤ、当世でも、一緒なれど、です。
子ども達、孫共の、の勤め先等々、からも、花が飾られまして。賑やかになって。
それでや。
向かい三軒両隣については、諸般、その手、諸々のお手伝い等々、トイレを借りたりの、世話も掛けての、これ又、しかるべくの時には、なと。
これがや。
当世、葬儀会館で、執り行われるでは、葬儀出たも、分からんでして。

イヤイヤ、その当時なら、現在でもや。
自宅でなら、通りすがりにでも、一発、判明の、さあと、誰やろと。嗚呼、お婆さんかと。周辺に知らされまして。
イヤ、特段の、知らせるの事、せずとも、でして。
ソラな、親族は一番に。勤め先等々にも、一報入れるけれど。
よて、変な話、互助の精神にての、葬儀費用掛かれど、回収出来るわと。
いやね、変な話、浮く事も、あるの、ではと。
浮いても、葬儀関連費用で、霧散で、足出るですが。それでもなと。
香典で、助かるわと。
(18/07/12)


NO.2388 この数日、クタブレタの話(9) 自身の葬儀の話

さあて。
脱線、準脱線、ド脱線、超脱線。
とかとか、ばかり、してたでは、話進まんなと。

葬儀の話をしてるですが。
いやね。そらね。
生まれの、育ったの地での、葬儀なら、一般葬も、値打ちがあるです。
反対には、家族葬なりで、身内だけで執り行おたら、喪主は、何でや、水臭いなあと。とかとか、影口されるです。

いやね。そらね。
そもそもがの、葬儀なるは、そんな意味もあるです。お別れの儀式でして。
お別れするは、したいは、家族、親族のみに非ずの、近所の方、学友、その他諸々、竹馬の友も、居てるです。仕事仲間も、あるやろ、あったやろと。

加えての、金の話、したならばの。
参列者、会葬者、多けりゃ、多い程に、香典で、実質的、出費も、軽減されるです。
特には、自宅で執り行うなら、尚更でして。

いやね。
昔は、そでしたです。
自宅が、余りに狭くて、出来ぬならばの、菩提寺でして。
いやね。
元々が、それがための、菩提寺でして。しかるべくの、葬儀をと、思うのならばの、なと。
イヤ、諸般の事情、思惑あっての、菩提寺でして。
くどいけれどの、葬儀会館なんか、影も、形も、無いの時代には、そでして。会葬者多数で、自宅では、とてもやないの、収まらんなと、思えば、菩提寺でして。

云うたって、菩提寺が近在なら、宜しいですが。
当世、当家の菩提寺は、京都<市>でして。詳しくなら、松原通の西洞院東の、光圓寺。
なんか、亀岡の面々に云うたって、分からんし、そこで、葬儀を行うは、念頭に無く。
イヤ、京都の面々に云うても、分からんやろと。京都には、寺が多過ぎるです。

オトトの又もやの、話が逸れてもたです。
申してるは、生まれ、育ったの地なら、一般葬も値打ちでして。且つは、そのよにするが、ある意味責務とも、思うですが。
当方の場合、親父の時には、左程には、思わんかったですが。母の時には、ンの、ど哉と。
これは、時代の変遷、町内会の方々の、葬儀の仕方、香典の取り扱いから、でして。
それもあるし、金掛かり過ぎでして。葬儀会館では、なと。
ましてやの、一般の会葬者に、香典遠慮は、損慮で、変や、なと。その上、人数も知れてまして。

いやね。
母の葬儀の時には、家族葬なるは、念頭には、皆無。
そもそもがの、家族葬なる名称が悪いです。誤解するです。当方的、文言、言葉、表現、そのままになら、家族のみで、執り行うの葬儀と、相成って。当家なら、家族のみなら、たかがの、10名様。妹家加えて、18名様。だけで、葬儀するの怪と、考えてもてね。
いやね。
常識的、親族にも、知らせるが故、一般葬也と。これが、誤解の元でして。

いやね。
町内会の方で、母を知るの方、親しいの方なるは、知れてまして。加えての、皆様、高齢で、葬儀に参列出来ませんでして。
当人様は、なと。結果、その家族がと、成るです。

いやね。
結果的、又、脱線してるですが。
当方的、親父の、母の、葬儀の喪主勤め。
親父、自宅で、母、葬儀会館。当然の、場所的、差は付いてもたですが。どちも、一般葬故、基本、同等でして。

での、以て、当方的、親の葬儀出して、責任果たしの、さての、一周忌、三回忌を終えて、気分的、落ち着けば。
落ち着かんでもの、親のが、終われば、次ぎ、自分やわと。現実に戻ればの話の、ハタと、我れに帰れば、俄然の、現実味帯びて来てもてね。
そら、気が付けば、自身、ええ歳でして。最早の、イツでも、結構なるの、年代に突入してるの、現実をば、ハタと。

いやね。
当初なるは、世帯主故、自宅でと。頑として、当然也と、心底思てた、考えてたですが。
それこその、現実的、思えば、一般葬の意味あるの怪と。
再度の、生まれて、育ったの地では無く。隣は何をする人ぞの、悪いけれどの、町内会でして。
この町内会に、竹馬の友も、学友も、会社の同僚、後輩、居てへんわと。義理、厄介で、挨拶してる、して呉れるの面々ばかりで、オッとの、久しぶりや、なと。どしてる、元気怪と、延々の立ち話、世間話、近況報告する、しとなるの、面々なんか、居てませんでして。
下手したら、アチ向いてホイのも、居てるわと。

とか、考えたら、果たしてのと。
当方の葬儀で、一般葬にするの必要性あるの怪の、あらへんなと。
そらね、大しては、経費、替わらんの話も、あるですが。全くの一緒でも、あらへんでして。多少は、安くに上がるやろと。

いやね。
そんな事なら、自身の葬儀代を残すの、云々のと、考えるの事、あるの怪と。
いやね。
自身の親ので、基本、親が残して呉れてるやろかと、なんか、全くの、期待してませんでしたです。
結果的、親父は残して呉れてましての、葬儀では、余ったですが。計算ミス、諸経費、有り体には、葬儀以降のを、考えて無くて。こちの出費となったですが。特段にと。
イヤ、全額覚悟してた故。
イヤイヤ、残して呉れてたも、その程度やでと。


母のは、全くので、分かってる故、何年もの、以前より、積み立てててね。嫁はんがで、助かったですが。
イヤ、それで、良いのではと。
要は、当方の時には、嫁はんが、喪主に成るの事、あらへんでして。息子がと。その息子が、金銭面、どのよな、形式で、葬儀出すか、するかを、決めればと。
且つは、自身の甲斐性の範囲で、やて呉れと。
それこその、家族葬でも、直葬でもと。何でも、結構なるの。こちは、あの世で、感知せず。

いやね。
このところ、思うは、果たしての、子、息子共に、残すの必要性あらへんなと。
息子共なら、しかるべくの、自立出来るよに、してやてるわい。現に、自立してるです。
で、充分也と。
こちが、生活出来ぬ故、資金出せ。借金あるが故、返済しといて頂戴なと。なんか、あらへんやんかいさあと。
それは、現時点の事での、ここから先、分からんのけどや。

いやね。
モと云うたら、当方、先にを、前提での。
責任負うは、嫁はんに対して、だけで、宜しいわと。それが、大変なれどの、民法改正で、ヨカツタなと。
イヤ、これが、当然でして。
<参考=NO.983 配偶者の老後生活安定=改正民法が成立(時事ドットコム、7月6日)
(18/07/13)


NO.2389 この数日、クタブレタの話(10) ところ替われば、形式も違うの話(1)

さての。
明日<7月14日>夕方か、夜か、定かには、知らんの、長男家が。
そして、明くるの、15日に、宵山にと。
15日なら、宵々山になるですが。且つは、昼間故、宵には成らぬですが。マ、ええかと。
での、次男家も、参加する故、現地集合哉と。
そらね、長岡京から、亀岡に来て、京都の祇園祭は、非効率的でして。

いやね。
ならばの、「かねよ」なれどの、昨年の事、思えば、昨年は、遅めの昼食として、「かねよ」でした、ですが。
それでは、時の経過と共にの、人で、人で、溢れ反りの、菊水鉾から、烏丸四条駅までの、要は、室町からの一筋。高がの、数十メートルの移動が大変でして。
そらね、7名様の移動でして。
且つは、当方以外、界隈の、地理分かってませんでして。
加えての、孫共、3名でして。はぐれたり、したら、大変でして。大人でさえ、大変やのに、です。

の教訓生かしの、早めにと。
の、だけで無くの、「かねよ」も、早めの、万事、早めが、安全でして。
そらね、昨年は、13時に、「かねよ」であったの哉の、それでも、大入り満員にての、多少、待たされたですが。
それが、時分時であてみい、大変ぞと。
よて、早めの方がと。
そらね、10名様でして。席の確保も大変でして。
云うたって、席の方なるは、「かねよ」の担当者に任せておけばの、話なれど。

いやね。そらね。
当方なら、云うたら、都会生まれの、都会育ち故に、その程度の人出、かい潜り、かい潜りの、突破、すり抜けるの、技と、する程の事でもあらへんですが。
以外は、そこまでの、人出、経験してませんでして。
イヤ、昨年には、経験したですが。
当方の、やり方も、見た、知ったと、思うですが。

いやね。
要は、姿勢低く、端の方、端の方を移動。
これが、コツ。
そらねえ、人の流れに任せてたら、一歩も動けえへんわと。人の流れは、動いてませんです。動きはしてるけれどの、牛歩。どころに非ずの、前にも、横にもの、状態。
ほならの、人と、人の隙間、かい潜るより、手はあらへんわいと。
且つは、端を端をで、動き易く。先頭集団も、後続を発見し易く、後続も、先頭が見易くて。

オッとの、でや。
本日<7月13日>。
我が家の、呼び鈴、ピと、鳴って。
いやね。ホンの瞬時故、又、悪戯かと。或いは、気のせい、空耳かと。無視してた、ならばの、又、ピと、鳴って。
嗚呼、誰か様が来たはるのやなと、大急ぎで、実は、二階に居てましての、階下に降りて、外に出たならばの、見知らぬの、男性。

ンの、何事、押し売り哉の。にしてはの、表情、柔和で、多少の品を感じの、ンの、もしかしての、もしかしたらと。
イヤ、耐震診断の方。
では、無いの哉と。とは、途方独自の、直感でして。

イヤ、先方様、名を名乗りの、名刺を戴きの、嗚呼、それで、間違い無いなあと。
いやね。
市役所からは、しかるべくの、一級建築士、耐震診断するの方の、名を予めの、文書、封書にての、連絡戴いてるです。
但し、先方様より、連絡すると。
よて、電話ででも、イツの診断にしますかの、打診かと、思てたならばの、直接の来訪かと。

まあね。
どちみちの、家の場所、知らねばの、直接に来た方が、手っ取り早くの、で、イツにしますかと。
イヤ、当方都合ならばの、明日からは、諸般あるが故の、そら、長男家がと。
よて、来週の土日なら、どちらでもと。結果、21日<土曜日>の、9時半からに、キマツタです。結構なると。
イヤイヤ、申してるですの、第一印象的、まあ、云うたら、ええ人でして。四十代半ばの、ええ頃でして。警戒するよな、人相に非ずと。


いやね。
そんな次第の、斯くなるでの、「三豊メモリアルホール」での、こちら式葬儀の話をと。
いやね。
そもそもがの、着いたが、11時過ぎでして。
予めの、聞いてるは、昼食で、弁当準備されてるですて。へえと。

いやね。
こちの方。
とは、まあ云うたら、京都の方では、告別式であれ、通夜であれどの、参列者の、弁当までは、準備致さんです。
イヤイヤ、通夜なら、通夜終わっての、夕食的、会席と、するのか、親族集まっての、ンの、これも、通夜でして。
要は、住職の読経、法要終えての、会食の、これは、準備してるですが。但しの、弁当に非ずの、寿司とか、オードブルに、アルコール類等々でして。

明くるの、朝食ならばの、皆、適当の、葬儀会館にての、一夜を送った者も、我々も、そこら、コンビニで、食料調達で、腹ごしらえ致し。
オッとの、よ、考えたら、告別式の時刻が遅めや、なと。13時でして。
それは、妹の婿母の時にも、そでして。
イヤイヤ、昼食なるは、皆、適当の、我々ならばの、近くの、「マクドナルド」で、済ませたですが。
丁度、姪一家も、一緒になてねえ。

イヤイヤ、申してるは、喪主家が、昼食の弁当までは、準備致さんですが。
こちでは、弁当準備するのや、なと。
イヤ、結構なるも、ここだけの話の、出費や、なと。

イヤイヤ、諸般諸々の、我々夫婦ならばの、式場到着、即の、親族控え室にと。
そこで、礼服に着替えましての。義姉も、一緒にで。
イヤ、義姉は、喪主家故、礼服なれどの。諸般、嫁はん、妹なれどの、話をしてまして。あや、こやと。
中身、当方、聞いてても、全くの、記憶せずの、覚えとくよな、話に非ずの、道中、調達の、手土産の事、香典の事。コレ、息子共家のも、預かってると。
それは、しかるべくの、受付にと。さよかと。

ンンの、もしかして、もしかしたらの、香典なるは、一番に受付に、渡したよな、気もしてましての。
いやね、姉妹で、あや、こやと。
いやね。
実は、芳名帳に記載せずの、短尺に、一軒、一軒、住所、氏名を書くですて。
それを、香典袋に、差し込み、しかるべくの、受付にと、相成って。へえと。
確かに、その方が、間違い少なく、効率的かと。
等は、姪と、嫁はんに任せの、こちは、適当に良きに計らえでして。

とかとか、バタバタ、バタバタの、礼服に着替え、靴も履き替えの、喪主にも、そそくさ、挨拶致しの、義姉より、さあ、弁当をと。
義姉も、まだ、喰てなくての、一緒にと。
ンの、姪も、その従姉妹哉のも、一緒のと、するのか、要は、畳の大広間で、長机でして。
イヤイヤ、既に、沢山の方々、食事されてましての、適当なるの場所が、偶々の、手前、端の方でして。

いやね。
当方的、喪主一家、8名承知。
嫁はんの兄夫婦も、承知で、何ちゅうかの、喪主の弟も承知で、ンの、基本、その兄弟夫婦で、来訪者に対しの、立礼してたですが。
それは、こち、我々の地域では、してへんし、知らんなと。されどの、この方が確かに、丁寧では、あるなあと。

とかとか、その大広間の、向かいの方には、その喪主の弟さんを発見で、黙礼致し。
そもそもがの、その弟さんも、これで、何回目やろねえ。数えるの程でして。会おてるが、です。
イヤイヤ、先様、食事が先に終わりの、わざわざの、こちの方に来られて、遠路、遙々の、ありがとうございますと、挨拶されて。


そんな事で、さての、13時からの、告別式なれどの。
それまで、どするやと。
そらね、11時着で、昼飯、弁当喰ても、12時でして。
ンの、そやなあの、式場の椅子席にでも、座ってるかと。
の前に、故人に対し、焼香致しの、ンの、こちらでは、何ちゅうかの、焼香の際には、百円玉をお供えするですて。へえと。

での、席なれどの、参列者、親族の、席には、名前を書いたの札が貼られてましての、へえの、結構なるの、座るの席、迷う事なく、間違いも、無くの、陣取れまして。
イヤ、当然の、我々夫婦なるは、末席なれどの、席順なるが、祭壇の後方でして。
イヤイヤ、形式が、違うなと。
要は、葬儀の場合、祭壇に対し、喪主たる、後方と、するのか、基本、一般会葬者の近くでして。こっちは、なと。こち、とは、京都。

とかとか、形態一々の、図示もせずの形容難しく。
どちにしろ、末席で、大人しくの、してたら、結構なるの。それで、告別式の、法要まで、待機をと。
するに、会葬者も式場に入って来ては、焼香致しの、100円玉をで、結果的、読経の際、一般の会葬者は、焼香致しませんでして。
するは、親族のみでの、へえと。
いやね。
諸般、ところ替われば、形式も違うです。
(18/07/14)


NO.2390 この数日、クタブレタの話(11) ところ替われば、形式も違うの話(2)

さての。
7月14日の、夕方やねえ。
長男一家、我が家に到着が。
まあね。
皆で、夕食喰て。「さと」で。
とかとか、明くるの、15日の相談で、昨年とは、違えての、早めにと。
特には、ウナギの、「かねよ」の事。

いやね。
それも、どする兵衛哉と、諸般の意見出たですが。
いやね。
当方の思いを述べたです。

何の事かと、なればの、要は、「かねよ」で、ウナギ、「マムシ」をと。
昨年は、次男家が合流せずで、長男家は、「かねよ」に連れてったですが。イヤ、長男なら、知ってるですが。嫁、孫は知りませんでして。
結果的、次男家の、次男は、置いといての、嫁、孫君には、是非共と。

いやね。
当方にしたら、息子共は置いといての、嫁と孫共には、是非共でして。
いやね。
どちにしたって、息子共も一緒になるです。まさかの、以外は、「かねよ」に、連れて行かんわと。そんな事なと。出来んわと。

オッとの、どちが、本命の話になるか、分からんよな話に成ってるですが。
「祇園祭」の、鉾見物が、本命の話。
なんやろねえ。そのついでに、折角なら、「かねよ」で、ウナギをと。この季節故。猛暑故。

いやね。
「祇園祭」とは、夏の祭りでして。一番に暑い時期、季節の祭りでして。何度でも、申すの、暑くて当たり前だの、クラッカーの祭り。
がしかし、昔は、ここまでの暑さでは、ナカツタやろ、なあと。こんなにも、猛暑、激暑では、風情ありませんでして。熱中症で、倒れてたら、洒落にならぬです。
いやね。
ここだけの話の、京都では、余り、洒落なるの文言、申さんです。使わんです。それは、あちら様、東国での言葉。
ではの、どんな具合に、形容するかと、なればの、当方的に、ならばの、難儀やねえ。


トトトの、さての、コマツテルです。
先に、「この数日、クタブレタの話」をば、してまうか。新鮮なる内に、題名、考えてませんですが。「祇園祭」の話をするかをです。
いやね。
途中、途中で、話を挟むが故、間延びしてしまうもあるですし。中断、中断、間延びの結果、最終的、後の方なるは、端折ってしまうの傾向あって。
アカンなあと。

オッとの、さての、どする兵衛哉の。
ここは、矢張り、先に、「この数日、クタブレタの話」をやてまうかと。
云うたって、端折るで無いです。大方の話、してしもてましての、ところ変われば、品変わるの通りの、葬儀の形態、進め方から、所謂の席の決め方まで、四国と、こちでは、違うなと。
但しの、あくまでもの、当方承知の範囲の話の。されどの、京都で、執り行われれるの可成りの数の、通夜、告別式には、参列してましての、大方は、一緒でして。

いやね。そらね。
多少の違いあるも、これは、葬儀社の違い的解釈してまして。且つは、多少でして。
オッとの、それを申すならばの、四国も、葬儀は葬儀での、日本の佛教の形式に則ってまして。葬儀社も、違うわと。
但し、焼香の際、100円玉を置いたり、一般会葬者は、先に焼香済ませの、法要の際には、焼香せずは、違うなと。

それもあるし、葬儀始まるまでの、何時間もの間、喪主たるが、参列者に立礼も、見てませんでして。
イヤ、こちなら、親族控え室に居てるです。葬儀始まるの頃には、所謂の親族席に座りまして。
法要が始まれば、筆頭、喪主より、焼香開始で、故人に近い者より、順々にで、末席の者えと、相成りまして。
親族の焼香が終われば、一般会葬者が、焼香しまして。その際、喪主たる。又、長男なりが、両側で、立礼致し。

の形式なれどの、こちらでは、2時間前に、当方、到着したですが。その時には、沢山の方が到着されてましての、喪主たる、立礼されてまして。
そこから、告別式、始まるまで、立ちっ放し。
でも、無いけれどや。ソラな、人間故、又、喪主としての諸般の雑用、打ち合わせもあるです。
その上で、立礼するは、喪主たる、大変や、なと。イヤ、時間が長いわ、長過ぎるわと。

いやね。
それは、それとしての、祭壇に献花なれどの、当家のも、やって戴いてまして。
感心したです。
イヤ、花より、何より、文字。
当方の名、「柴田健雄」の字が、お見事でして。お持ち帰りして、我が家に飾っときたい程の、綺麗な文字。
イヤイヤ、バランスがと。
いやね、
この、「柴田健雄」なるは、バランスが難しいです。画数的にも、苗字が少なく、名が多く。名がデカくなてしまうの傾向あって。

それも、あるし、当方、字が下手でねえ。
自身の名、書くが面倒もあって。そもそもが、字を書くが面倒なれどの、気に入った自分の名が書けませんでして。正確には、書けた事、ありませんでして。

オッとの、そんな事で。
告別式には、住職3名。
イヤ、張り込まはった、なと。とは、思うですが。ソラ、読経されるの坊様、多い方が、その分、金掛けてるを意味しまして。
かと、申しの、一人で、幾らの、相場は、知らんですが。そんな金額、聞いてませんでして。

一説では、二説、三説、誤説では。イヤ、正解知りませぬ故の。
相場、10万円、20万円、30万円とか、50万円説まで、あって、ねえ。イヤイヤ、上は、上限知らんの、青天井なれどの。そらな、戴く方、幾らでも、でして。
ぶっちゃけたの話、当家、母の時には、30万円としたです。イヤ、住職一人。
ンの、まの、親父の時にも、一緒ですが。
その30万円を相場と、するならばの、3人も来て戴いたら、90万円と相成ってもてね。まあな、1人、10万円は無いやろしと。とは、超の勝手推量なれど、です。

そんな事で、親族。
そして、一般会葬者の焼香終えて。
坊様3名様退席で、故人の、何ちゅうかの、回顧録とするのか、何かの芸事の写真であるとか、どこそこえ、旅行した際の、写真とかとか。孫達と、撮ったの写真なりを、モニターで、写し出されてね。司会者が、解説致しの、へえと。結構なると。

いやね。
そやけどね。
悪いけれどの、この司会、進行の方の声。
とするのか、マイクに、口近付け過ぎでして。多分。
焼香の順番、親族については、だれそれと、苗字なりを、アナウンスされてたですが。さっぱりの、何云うてるか、分からんでねえ。

オッとの、話戻しの、反面では、当方なんか、その手、モニターで、写し出してもらうよな写真、僅少。特には、歳喰てからの写真を撮ってもらうの機会が少なくて。
まあね、当方については、どんな葬儀になるかも、知らんしと。
いやね。
葬儀なるは、難しいなあと。

そらね。
3人の坊様で、読経して戴くは、丁寧、立派な、葬儀になるですが。
イヤイヤ、当方、諸般の葬儀、可成りの回数、参列してるですが。3人もは、初でして。へえと。
イヤイヤ、喪主、頑張ったなあと。
とは、思えどの、当方の時には、そこまではと。
イヤ、京都では、だけでも、無いけれどの、まあ、簡単には、当方的、初故、突出するも、なと。

オッとの、それは、それとして。
我々夫婦、告別式終われば、嫁はんの姉の車を借りまして。比地木の、義母宅に行くにしてまして。
そらね、義母もええ歳、94歳になるの哉の、ここまで来てて、顔も見ずに、ハイ、サイナラでは、なと。
(18/07/18)