シバケンの単なる雑談NO.264


NO.261 NO.262 NO.263
NO.256 NO.257 NO.258 NO.259 NO.260

NO.260

NO.50 NO.100 NO.150 NO.200 NO.250

題目一覧表

目次

雑談NO.265

NO.2910 単なるの雑談<次男家の獅子肉の話と、法要の話>(2)

NO.2909 単なるの雑談<次男家の獅子肉の話と、法要の話>(1)

NO.2908 単なるの雑談<耳鼻咽喉科での話と、どら焼き買えずの話>

NO.2907 下の叔父、ヒサオが亡くなったの話(16) ご先祖様の年忌法要の話(2)

NO.2906 下の叔父、ヒサオが亡くなったの話(15) ご先祖様の年忌法要の話(1)

NO.2905 単なるの雑談<店員も様々、何様も様々なるの話>

NO.2904 下の叔父、ヒサオが亡くなったの話(14) 初七日での話

NO.2903 下の叔父、ヒサオが亡くなったの話(13) 本家の話(5)

NO.2902 下の叔父、ヒサオが亡くなったの話(12) 本家の話(4)

NO.2901 下の叔父、ヒサオが亡くなったの話(11) 本家の話(3)

雑談NO.263


NO.2901 下の叔父、ヒサオが亡くなったの話(11) 本家の話(3)

いやね。
矢張り、本日<2月14日・金>、喉痛く。
まあね。
過日、一昨日の如く、一寸、首回す、動かすに、激痛走り、恐怖覚えるの程では、無いですが。

での、朝二番、いつもの、耳鼻咽喉科医院に行けば、大入り満車、満員で、へえと。
いやね。
もしかしてと。流行の、新型コロナウィルスの件もありで、一寸した、風邪でも、発熱でも、早めにと、病院通いかと。
ンの、当方も、その手なれどの、新型コロナウィルスとは、思てませんです。熱皆無で、単に、喉の右側痛く。しかるべくの、処方薬が欲しいだけ。

イヤ、大入り満車だけなら、高がの、3台でして。ここだけの話の、スーパー、「マツモト」でも、その他の駐車場にでも、置きに行くですが。
大入り満員では、なと。
待つが嫌でして。
イヤイヤ、珍しい事でして。最近では。
その昔には、それこその、患者大勢故、1時間程度の待ちは当たり前だの、クラッカー状態が、ここ数年は、先客、先患者、精々が、2人から、4人程度で、待ちも、1人で、5分程度哉と。

オッとの、どちにしろ、診察券なら、モ一枚。内科のも、持参故、そちに行くかと。
風邪の時には、内科か、耳鼻咽喉科のどちらかでして。
そらねえ、耳鼻咽喉科の方が、専門医故、安心感あるですが。結果的、喉の痛いが、治ってませんでして。ならばの、その事、訴え、相応の処方薬を戴くの方がと、成るですが。

まあなと。
「ロキソニン錠60mg」が欲しいし、「トローチ」もと。
イヤ、何故か、専門医の方、その手、薬処方して呉れませんでして。

そんな事で、待つは、嫌と、内科に向かいまして。
車でなら、5分と、掛からんを、何故か、曲がるべきの道を、真っ直ぐに行ってもてね。少々の、遠回りで、着きまして。
まあなと。
ここは、駐車場広く、その車も、知れてましての、空いてるなあと。

結果、待合いには、5名様が居たですが。内の、3名様、精算待ちで、実質的、待つは、2名様のみでの、ヨカツタなあと。
での、体温計れと、体温計渡されましての、ピと鳴り、温度見たら、34.5度。コレ、当方的、平熱。低温動物でして。
どちにしろ、熱ありませんです。

そんな事で、順番来て、先生には、斯くの然と。
喉が痛くて、特には、右の方で。一昨日には、痛くて、痛くて、首回らずと。
との、訴えには、感心示さずの、口開けてと、懐中電灯で、喉見て、まあねえと。一寸、赤くなってるですが。この程度ならと。膿んでませぬ故、今の内にと。治さんとと。
されどの、当方には、花粉、杉がある故、抗生物質を出しとくですと。
更に、「ロキソニン」と、「トローチ」とと。結構なると。


オッとの、そんな事で、「本家」の話。
本家ねえ。
当家、柴田の本家に間違い無いですが。
値打ちの無い本家。

本家なる、印象、イメージなるは、大邸宅で、蔵の一つでも、あるよな、でして。
家宝も、その蔵にあっての、当主たる、その中身さえ、全部は知らんの、大地主。
まあねえ、祖父の代なら、代の一時、借家を何軒も持ってたの時期。
親父、長男で、お付きの女中さんまで、居たはったと。へえと。ええなあと。されどの、その下の兄弟姉妹は、その恩恵に与れずでね。
とは、叔父達には、度々の聞かされてたです。祖母からも。
よて、事実なんやろと。

てな、話まで、聞かされてたかは、どか知らんですが。
柴田の従兄弟達も、祖父亀吉は、絵の具で、大儲けしたの話は、自身の親からは、聞かされてたのらしく。
そして、曰くに、株で、大損したと。申すが故、ンの、それは、違うでと。
実印一発、保証人になって、没収されたと、聞いてると。

それが、従兄弟であったか、親友かが、定かに非ずの、正直には、苗字まで、聞いてるです。
聞いてても、どんな人かを、知らんでねえ。顔見た事、あらへんの、以前の、亀吉と、同時期に亡くなってるみたいでね。
その方が、当家、墓に入ってたです。
コレ又、事実の、祖母と、墓参で、何度か、遭遇してるです。その親族と。まあ、言うたら、鉢合わせ。

いやね。
その小母さんから、何か、オヤツを戴いて。当方が。墓参で、遭遇したの時の、一度だけ。
そしたら、祖母すゑが、ありがとうと、言いなさいと。ンの、言うたのにと。

イヤイヤ、実際には、祖母、可成り不愉快とするのか、険しい表情してたです。
この方に、その手の事、されるの身で無いと。とは、帰りの道中、言われたです。
そして、曰くに、その方の、苗字と、当家、お墓に入ってるの方の、家族也と。
実は、その時、初めて、余所の方が、墓に入ってるを知ったです。当方、小学生時代でね。多分。
良いも、悪いも、そんな事、出来るのかと。出来るのやろなあと。

その事、あったが故、後刻、祖母が、自身の生きてるの内にと、申したかの、墓から、出て行ってもらうと。
それは、当方の為と。
あんた、その人の事、知らんやろなと。どんな人か、どこに住んだはるかもと。事実、知らんでねえ。祖母が教えて呉れてませぬ故。
その時、概ねの住所、聞いたよな、気もしてるですが。何分の、まだまだ、小さな頃故で、馴染みの無いの地名聞いても、わからんわと。
イヤ、京都市内。

まあね。
結果的、その方、小母さんと、モ1人の、若い女の方と。とは、言うたって、若い方も、当方からしたら、可成りの年長のお姉さんで、何度かの、遭遇も、しんよになったのと。時々には、誰かが、墓参を済ませたかの、仏花なり、樒が備えられてたのが、見んよになって。
かと、申しの、そんな事、祖母が、亡くなるの、一寸の以前よりでして。
祖母が約束果たして呉れたんやと。

して呉れて無ければ、当方、諸般の連絡先も、知らんわと。
苗字知ってても、名まで、知らんし、住所も、概ねの場所のみでして。
モ一発、申せば、我が親族、以外の墓参の形跡無くなって、十年以上、経ったが故、意を決しの、墓石を新調した。
とも、言えるです。
てな事、経緯をば、葬儀の場で、従兄弟達に言うの積もりが、言えてませんです。
余所様が、入ったはったんやでと、ダケで、終わってるです。
(20/02/15)


NO.2902 下の叔父、ヒサオが亡くなったの話(12) 本家の話(4)

いやね。
実は、昨日<2月14日・金>の夜。何時頃やろねえ。多分なら、20時頃。
電話がりんりんの、ギクリ。何用、誰かと。
嫁はんが、出たら、ンの神戸の孫娘で、ホと、安堵。
これが、諸般の、訃報なり、宜しく無いの電話をして来るの筈は無く。

いやね。
小学校から、スキーに行ってたです。どこはは、知らんの、神戸の学校故、兵庫のどこか、やろねえ。
無事に帰って来たかと。雪はあったの哉と。あったみたいで、ヨカツタなあと。
とは、嫁はんとの会話で、聞こえてまして。

更には、ンの、珠算1級の検定試験受かったですて。へえと。おめでとさんと。
いやね。
過日には、自信が無いし、アカンと、言うてたです。電話で、嫁はんとの話でね。
よて、当人がそのよに、申してるが故、どんな具合に慰めてやろかと、思てたですが。蓋開けたら、合格故、その結果報告でして。結構なるの、電話替わって、おめでとうと。良かったなあと。

そらね。
当方承知の範囲、その昔、昔の話の、当世では、知らんの、半世紀以上の昔の話の、明徳高校では、珠算2級を取らんと、卒業させてもらえずの話、伝説あったです。
オッとの当方も、珠算塾には、小学5年か、6年の、1年間か、だけ、通いの、モ辞めますと、塾の先生に申せば、折角故、検定試験をと。
但し、その時には、最高位で、4級。
当時、2級練習してたが故、4級なら、楽勝の、検定合格したですが。

その、小学生の時、京都市立西京高校<堀川高校の姉妹校>に市電で、1人、行ったです。
検定試験であれ、何であれ、試験なるは、初体験の、ましてやの、高校やしねえ。その高校も、全くの初めての、でして。どきどきし乍らの、検定試験なれどの、先の通りの、2級練習で、4級の、でして。
軽くの受かるです。
その検定4級でさえ、当方的、自慢でね。

ましてやの、孫娘、1級合格故、大いに自慢に値するです。
ヨカツタなあと。
これで、諸般、大いに、自信になったと、思うです。
少なくともの、暗算得意の筈でして。

まあな。
珠算が出来たら、算数には、強くなるです。
算数得意以前の、目算が出来て。まあ、言うたら、正確な数字で無くともの、概算の値が直感的、知るが出来る故、大間違い致さんわと。
当方の場合なら、多分の話の、珠算塾通い出して以来、算数得意になったかと。

いやね。
それだけでは無いけれどの、加えての、二階に居てたの、ヒサオ叔父さんに、分数の事、教えて呉れと。頼みの、理解しての。
以来、算数で、満天取れ出して。
算数だけは、得意科目になてもてね。
常に満天取ってるのに、何故か、通知簿の、算数は、「5」に成らずで、変や、なあと。先生に嫌われてたかと。イヤ、ほんと。

ででの、孫娘電話で、曰くに。
聞いたは、嫁はんなれどの、ご褒美に、何か、買おてと、言われてね。へえと。
での、何がええのか、考えとくと。
多分なら、3月の下旬、20日<春分の日>の辺りから、3日間、来るになっててね。孫娘十三参りで。長男家が。
その時に、何と、言われるのやろなあと。
オッとの、バレンタイン・デーのは、マダ呉れては無いけれどの、そのお返し、ホワイト・デーがその辺りになるが故、それも、あるなあと。ゲと。


オッとの、そんな次第の、斯くなるでの。「本家」の話。
とか、言うたって、祖父亀吉の代からの、でして。
その亀吉の兄弟が、どか、わからんの、多分なら、一人っ子なんやろねえ。少なくともの、祖父の代の親族を知らんです。
当家、墓に入ってたのが、従兄弟か、親友か。なれどの、従兄弟なら、祖母もそのよにしてる筈が、してませんでして。先様も、一度も当家に来た事は無く。当方、承知の範囲では。

祖父母の代で、親戚付き合いしてたは、祖母の妹家の2人のみ。
それなら、重々の承知の、その子なら、親父の従兄弟でもあって。行き来してたです。
特には、真ん中の、すてさん宅には、泊まりに行ったりもしてたです。当時、電車通りで、夜にも、ガタゴト、五月蠅あて。寝てられんかったを、覚えてるですが。
そこは、北大路の、大徳寺の方でして。少々、距離あったが故、泊まったり。してたですが、三女の、とめさん宅なら、歩いて、10分も掛からんが故、その手の事、ぜず。

オッとの、トトトの、実は、ヒサオ叔父さんが亡くなって。
これで、亀吉、すゑの子が全員亡くなった、なあと。
ンの、すゑは、イツに亡くなったか、昭和の46年<1971年>で、ンの、ンンの、今年で、50年、五十回忌やぞと。
母、智の、七回忌が、来年<2021年>でして。

ンンの、モ一発の、えの、過去帳で、一番の古いの、福子。大正9年<1920年>で、オッとの、100年が今年故、百回忌は、去年。
更には、亀吉の母親、うの<「の」は、旧かなで、「み」に似た字。>、大正11年<1922>で、100年が再来年故、来年が、百回忌に成るぞと。

まあな。
基本、五十回忌で、打ち止め説あるですが。果たしての、福子、うのの、五十回忌はしたのか、してないのかが、わからんでして。
そらな、この二人の、五十回忌とは、50年前に成るが故、やってたと、したなら、祖母すゑ主体。
その祖母なら、骨折して、寝たきり状態の頃故、出来てませんです。
少なくともの、その当時に、親父亀太郎主催で、やる。母智がと、なればの、まあ、致しませんです。やったの記憶無く。

の、以前の、それどころの当家の状況で無くて。申してるの、祖母が、怪我して入院なり、寝た切りなり、してるです。
当方にしたって、入社した頃での、残業、残業、徹夜まで、してるしね。
の、以前の、当方が、その手の事、考えたりの、立場で無くて。そら、親居てるです。

でででの、そ言うたら、祖母が、五十年で、五十回忌で、打ち止めの話をしてたよな、気がしてて。
それが、福子でありの、うのの事かと。
今、思えば、なと。
イヤ、今頃、ハタと、気が付いて。
オッとの、トトトの、その、すゑの事なら、叔父ヒサオの訃報聞いて、つらつら、考えての、嗚呼、五十回忌やぞと。してやらんとと。

されどの、今、言うて、今は、出来ずの、まあな。
形だけ、内々の、嫁はんと、二人だけで、菩提寺、光圓寺に出向きの、なら、簡単に出来るです。
イヤ、住職に来て戴いても結構なれど。

まあな。
正式には、どするかで、又、相談なり、すればと。住職とか、息子共と。
どちにしろ、来年<2021年>に成るですが。
言うたら、福子、うのの、百回忌。
すゑの、五十回忌と、母智の、七回忌の、4人の法事を。

そらな。
個別にすれば、宜しいですが。
叔母福子のは、去年で、済んでもてての、祖母すゑのは、今年で、2月故、この、22日<土>にでもと、光圓寺住職には、連絡出来て。イヤ、基本的、我々夫婦だけでと、考えてるですが。
加えての、母智が、来年で、曾祖母うのが、再来年やでと。
これを、まとめてしまわんと。
オッとの、この手の事、法事するが、本家たるの、役目でもあって。
(20/02/16)


NO.2903 下の叔父、ヒサオが亡くなったの話(13) 本家の話(5)

「いきなりステーキ」。
では、無くての、いきなりの、「本家」の話。

オッとの、「いきなりステーキ」も、亀岡に出来てましての、一度だけ、行ったです。
次男家のご馳走で。
以来、ステーキは美味しいなあと、別の機会、墓参の帰りの道中にて、「ステーキ・ガスト」にも、行ったですが。
諸般、「芋煮会」の有志での、雑草刈り等々では、有志の皆で、レストラン「さと」え。
いやね。
「さと」でも、ステーキをば、出してまして。数切れなれど、です。数切れ故、安くてね。

オトトの、いきなりの、「本家」の話の積もりが、又、脱線してもてね。
本題に戻すの、本家にも、諸般あって、当家のは、大した事の無い、値打ちの無いの、本家。
そらねえ、当家で、本家と、なればの、当家でして。

祖父が、一人っ子なんやろねえ。兄弟姉妹を知らんし、聞いた事があらへんし。祖母なら、三人姉妹の長女でね。
親父が、祖父母の長男で、その又、長男が当方に相成るです。
よて、祖父の代からの本家になるですが。それ以前がわからんですが。

での、亀吉、すゑの、子どもとして、4男、2女。内の、長女<福子>は、6歳で亡くなってましての、次男<政治郎>は、戦争で、満州で、戦死してるです。
残った、子、次女<アイコ>が、亀太郎が、シゲオがと。順々に亡くなり、此度、ヒサオが亡くなり、以て、全員亡くなってもたになるです。

まあ、つまり、政治郎は、未婚で、戦地におもむき、戦死でね。
結果的、三男、四男が分家に成るですが。分家も、2家。
本家と、言うたって、枝葉知れてるに成るです。
イヤ、当方の代にしたって、一男、一女でね。弟が居てませんです。我が息子なら、2人居てるですが。長男家に、一女二男で、次男家に一男。

申すは、従兄弟達なら、居てるですが。その又、子の世代になればの、よお、知らんわと。
ヒサオ叔父さんの子、従兄弟は、承知も、その子と、なればの、此度の叔父の葬儀で、顔見たが、2度目やでと。1度目が、叔母の葬儀。での、話やでと。

いやね。
親父の代の、従兄弟なら、当方承知してるですが。全部、祖母の妹の子の方でして。
申してるの、祖父方のは、誰1人、知らぬが故、一人っ子かと。
まあな。
従兄弟までなら、年齢、少々離れても、同世代故、話もするですが。その子の世代ともなればの、時代が違い過ぎて。話なんか、まあ、致しませんです。

オッとの、トトトの、コレ又、当家の細々なるを、言うたって、なと。
思うに、考えるに、その昔、昔の、又、昔と、当世とは、事情異なるです。
昔なら、親戚筋なるは、そんなに遠くで無くて。余程の事情が無い限りは、皆、近くに住んでたかと。
これは、田舎程に、そでして。下手したら、隣近所が皆、同姓であったり、してね。皆親戚筋であったり、してね。

これが、時代と共に、交通の便、良くなって。又、仕事的、都会に、都会にと、なてもてね。
反対には、都会程、住むにも、土地代、住居代が、高騰での、住み難く。
皆、郊外に、田舎えと、転出してもてね。当家も、例外で無く。
そらねえ、相応の資産家なり、先祖代々、土地持ちで無い限りは、京都市内になんか、家持てず。

柴田の、叔父家も、同様での、男山八幡なり、京田辺えと。
コレ又、現在唯今、又、違うですが。上の叔父家のなら、深草の方に、転居してるですが。どちにしろ、バラバラ。
言うたら、その昔には、皆、一つ屋根の下で、暮らしてたのにねえ。暮らしてたのも、当方と、妹のみ、生存してるけど。そら、その家族内では、若かった故。
唯今では、上から数えた方が、早いの、当方が一番に年長になてもてね。
ここで、申してるは、我が世代の話。

まあね。
本家も、分家が、叔父家2つのみの、本家。
息子共なら、本家、分家で無くの、当家、実家。
ンの、本来ならばの、叔父達にとっても、当家、実家に成るけれど。
それは、祖母なりが、居てての話で、祖母ば亡くなってからは、葬儀の時と、年会でしか、来て呉れず。

そんな意味でなら、アイコ叔母さんは、居て無くとも、来て呉れたですが。
そして、一言、私は、この家から、嫁に、出たと。ンの、そやなあと。
これは、諸般あっての、墓石を新調したの、昭和59年<1984年>の事。
その墓開きに、東京さから、来て呉れたです。結果的、その2年後に亡くなってもてね。イヤ、その明くる年には、入院してしもて。その明くるの年、亡くなって。

いやねえ。
この件、その長男、キヨシ、当方的、キヨッちゃんと、呼んでるですが。今だ。
あちは、当方をば、タケちゃんと。
イヤイヤ、その事では無いけれどの、叔母の一周忌の頃、偶然の、入院してた、病院。又、葬儀の場となったの公民館の、真ん前の道を通ったの話を。

何度でも、申すの、偶然は、偶然なれどの、出来過ぎの偶然故、当方的、叔母が、招いて呉れたと。
そらねえ。
季節的にも、葬儀のあったの、桜の季節で、業務で、通行も、営業担当者の指定の駅で、待っただけの話でね。それが、偶々の桜の季節でね。
そこが、叔母の住んでたの、界隈とは、夢想だにもの、知らんがな。
ましてやの、病院が、住んでたの場所から、近かったも、全くの知らんわと。この界隈に、土地勘なんか、皆目の、そもそもが、方向音痴、地名音痴。

てな、話を、6日の、告別式、終えて。遺骨を前にしての、初七日の法要の待ち時間で、キヨッちゃんと、隣同士になっての、したです。
位置関係、それで正しいか、までの、確たるの、返答、聞いてえへんけれどの、そなんやろねえ。否定せず。
焼き場は、多摩の霊園と、言うたですが。キヨッちゃんが。
それが、どこかも、当方知らんしねえ。只、その道真っ直ぐに、行ったを覚えてると。営業車も。
ンの、コレ、焼き場に行ったの道やぞと。当方的、ビクリしたですが。当然の、行き先なるは、会社故、途中で、逸れたですが。とかとか、そこまでは、話をしたです。
事実故。

いやね。
当方には、その手、不可思議なるの、現象、時偶には、具現すると。
ヒサオ叔父さんの件では、現在唯今、マダ、何も無いけれどと。
叔母の件にしたって、1年経っての話。
(20/02/17)


NO.2904 下の叔父、ヒサオが亡くなったの話(14) 初七日での話

いやね。
本日<2月17日・月>、孫娘から。
当然の、その母親が、なれどの、遅れ気味の、バレンタイン・デーのクッキーは、その孫娘から。上等のチョコレートは、嫁からのが、届いたです。結構なると。

その応答をば、スマホで、メールするに、難しいねえ。
ガラケー、ケータイ電話の方が、余程に楽。とは、当方主張。
一番に楽は、パソコンから。

言うたら、ケータイでは、文字入力大変でして。指で、なぞって、一文字、一文字入れるが嫌になるです。まあね、それは、ケータイも、スマホも一緒なれどの、操作の方法、慣れてませんでして。
はきりと、申しの、やっとで、慣れた頃、スマホに変更で、アホやなあと。自身。
結果的、高い費用出して、ケータイ以下の使い方してるです。
まあね、以下も、ケータイ以上の使い方出来てませんです。用事無いもあるですが。

まあね。
来月、十三参りで、来た時にでも、ホワイト・デーのお返しをと。ンの、正直申しの、高く付くですが。
まあな、今なら、高いも、相応で済むけれどの、その内には、済まんよになるの哉の。されどの、済ませてもらわんとと。

での、早速にも、嫁はんと、戴いたです。
まずは、孫娘の、クッキーの方を。
嫁からの、チョコレートは、少しずつ、明日からでもと。
ででの、次男家は、来週と、するのか、23日<日>に、来るですて。何やら、丹波篠山に、恐竜のが、あるらしく、見に行くの、帰りに、寄るですて。

ンの、獅子肉持参でと。
獅子肉ねえ。正確には、獅子肉で無くの、シシ肉なんやろねえ。イノシシの、シシ肉故。
イヤ、次男、以前より、獅子肉喰いたいと、申してたです。
行き先、丹波の篠山故、そこで、調達するの哉と。コレ又、結構なると。

いやね。
余計なるの話の、当家、亀岡に引っ越した直後辺り。亀岡駅のそばの、「西友」で、抽選会あって。当たれば、獅子肉がの時、次男が、多目を当てて。
イヤ、下の方なら、獅子肉少々。上なら、多くの抽選でして。
イヤイヤ、次男が結構、多目を当てて呉れての、皆で、獅子肉の、すき焼きして喰たです。
それが、多分なら、最初で、最後哉と。

まあな。
正直には、左程に美味とは、思わんでねえ。美味なら、牛肉みたいに、好まれるやろと。
羊なら、北海道でも、喰たなあと。鹿は、喰た事、無いなあと。当然の豚は、喰てるですが。矢っ張り、一番は、牛。
オッとの、どちにしろ、獅子肉久しぶりに喰えるです。楽しみにしとくです。

それにしても、丹波の篠山ねえ。
強力な説の、我が祖父の出生の候補。
丹波の篠山の、どの辺りかは、知らんですが。
その近くの、三田<さんだ>でなら、三田牛を喰た事、あるです。当時には、嫁はんの里、四国の香川、詫間より、舞鶴道経由で、亀岡に戻ってたの時期でして。

イヤイヤ、道路の整備が整いつつあるの時期でして。
フェリーしか、無かった時代から、明石大橋、鳴門大橋で、淡路島から、四国えと。それが、順々に出来たり、瀬戸大橋が出来たりしてね。
近畿道も、出来出したの頃でもあった、なあと。
そして、高松道も、出来て。
これら、出来た頃には、息子共が運転するよになっての、結果的、当方、運転せずで。
次第、次第に、景観も替わってもての、最早の、サッパリ、わからんわと。四国の嫁はんの里えの、道が。
只でさえ、方向音痴、地名音痴で、真性、純正、音楽音痴故。


オッとの、何の話をと。
孫娘が、珠算1級受かったの話で、一つ、言い忘れしてるです。
イヤ、多分なら、どこかで、話はしてると、思うですが。
コレ、あくまでもの、巷の噂の話の、その昔には、商業課程の、私立の、明徳高校。その当時には、女子校なれど。

いやね。
何を隠そおの、隠す事も無いの、当方、ご幼少時代には、明徳高校が、当家、仏光寺の家の近くと、するのか、五条の堀川の方にあったです。
とするのか、当時の校名、「明徳女子商業高等学校」。

イヤイヤ、それは、それで、我が、幼稚園、「明徳幼稚園」。
まあ、附属なんか、系列なんか、よお、知らんですが。同名故、系列であるは、確か。
オッとの、現在でも、同名の、幼稚園が存在するですが。場所異なるし、一度、廃園になってまして。イヤ、現在のは、岩倉にあるですが。
当方のは、当時の、明徳高校のソバでして。五条の、堀川の方で、我々、園児は、歩いて、通てたです。

トトトの、その、明徳幼稚園の、第一期生が、我々。
そして、運動会なんやろねえ。催しでは、その、明徳高校のお姉さん達と、一緒に、でして。
言うておくの、その当時に、女子高生とも、なればの、可成りの、でして。少なくともの、お嬢様。そらな、可成りも、諸般の、区分あるけれどや。

この、明徳高校なるは、珠算の名門。
全国一位とかとか、競てるですが。
巷の噂の範疇の件なれどの、珠算2級取らねば、卒業出来ずの話、あったです。
の話より、小学6年の、最早の、モすぐにも、卒業で、中学生に成るですが。検定1級取得は大したモンやと。
の話をし忘れてたわと。


そして、キヨッちゃんにした話の、アイコ叔母さんの、一周忌の頃、偶然の、偶然にもの、その病院、公民館経由で、火葬場の方に、営業担当の車で、通過の件。
コレ、簡単に決まったであらへんでして。
中身、製品の品質保証体制の話を、しかるべくの、品質管理担当者から、聞きたいと。
物も、覚えてるの、GSR<ガラシ封止整流ダイオード>について、でして。
申せば、その程度の事なら、営業担当がするべきの事で、わざわざの、所謂の品管<QC>が、出向く程の用件で無く。

そんな事、してたら、身が幾つあっても足らんわの話で、断ってたです。
断っても、断っても、その担当者、熱心でねえ。
何度も、何度も、お願いしますと。諦めて呉れんでねえ。
こちも、そら、出来れば、要請に応えてやりたいけれどの、重要事項でもあらへんでして。後回しの、更に、後回しの、時間取れればなと。

それが、日が取れての、やとで、この日ならと。
ここまでに、日数掛かってるです。1月<ひとつき>や、2月<ふたつき>では、なかったよな、でして。
結果、偶々の、桜の季節に成っただけの、その季節を選んで決まったで、あらへんわと。

又、当方的に、ならばの、そらな、気楽な、出張。
クレームでは無く、単なるの、品質保証体制の説明で、先様、購買担当故、営業で、出来るやろなと。
クレームで無い分、理論武装不要で、単に、一般的資料持参での話。
モと、申せば、クレーム以外で、顧客に出向くは、記憶の範囲で、この1回のみ。

ででの、営業担当と、駅の裏手、ロータリーで、会いまして。
車に乗って、表に出たら、桜、桜でね。へえの、この光景、見覚えあるなあと。ンの、叔母のと。
の、程度でね。
そして、病院らしきの見えての、ンの、この病院、見覚えあるぞと。もしかして、もしかしたら、キヨッちゃんが車に乗せて、連れて行って呉れたの、叔母さんの入院先に、酷似してるぞと。

言うておくの、それは、東京駅に着いたの明くるの日でね。母と。
宿は、丸の内ホテルで、朝、キヨッちゃんが迎えに来て呉れての、病院えであっての、病院が、どこかも、知らんわと。
年明けての、3月、叔母亡くなってもての。これは、何とか線の、何駅で降りれば、すぐにも、わかると、連絡あって。最寄りの駅まで、電車で、でして。
何線の、何駅も、覚えてませんです。言うてるの、地名音痴、方向音痴で、その手の事、全くの考えず。只々、言われた事、メモって、その通りにと。ダケで、必死。
申してるは、病院と、公民館の位置関係なんか、全くの知らんわと。

本来なら、そこまでの話をば、キヨッちゃんには、したかったのけれどの、何分の、初七日の、住職到着までの、待ち時間の一寸の間でして。
申すなら、当方、営業担当が運転するの、車中より、その光景、情景、状況見て、知って、嗚呼、叔母の一周忌なんやと。
招いて呉れたんやと。
1人、涙したです。
(20/02/18)


NO.2905 単なるの雑談<店員も様々、何様も様々なるの話>

いやね、過日。
過日故、イツとは、忘れたです。

いやね。
スーパー、「マツモト」に買い物に、でして。他にも、用事で、行ってるですが。
その日、1割引きの日故、嫁はんに、コレコレ、買おて来てと、頼まれて。メモ書きまで、して呉れて。良く、間違う故、なれど。

での、まずは、近所の、スーパー故、ご近所さんと、するのか、会うです。遭遇するです。
大抵なら、こちが先に気が付き、会釈なり、後ろから、ポンと、肩叩いたりして、こんにちはと、挨拶してるです。
ここで、ンの、某さんにも、遭遇。
イヤ、結構、会うですが。出先で。

ところがや、この方、10回に、9回までは、無愛想。何かの間違いで、1回程度は、最低限の会釈して呉れるですが。
この日は、9回の方なんやねえ。
いやね、こちは、承知で、挨拶するにも、こち向いて呉れん事には、1人芝居になてしまうしねえ。さりとて、当方の存在なら、知ってる、わかってると、思うですが。多分。

での、店内、ウロウロしてたら、まともに遭遇の真正面にて、こんにちはと、会釈するも、あちらさん、首頷くも、大儀で、あち向いて、ホイ。
当方、えと。
余程に、見とも無いのを、見てもたの感。あちら様が、こちらを。
いやねえ。言うてもたらの、ここ様の誰様も、その手の方。
まあねえ、相当に嫌われてるなと。構わんですが。

さりとて、こちも、その手の態度してたでは、同類に成るが故、無視されてもと、思てるですが。イヤ、挨拶はキチンとせねばと。
されどの、段々に、邪魔臭なて来てまして。
そらねえ、気を使てまで、何故に、挨拶せねばならぬの怪と。気を使うとは、あちが、こちを、認識してるのか、してへんのか、見定めつつの、挨拶を、でして。
いやね。後ろから、肩ポンの方々なるは、完全に、こちの事、気が付いて無いがわかるが故。肩ポンで、先様、振り向きの、嗚呼の、ニコりの、こんにちはで、。買い物かと。
とかとか、会話成立致すですが。その手の方、まずは、成立致さんわと。そもそもが、口開かんです。寒いのやろねえ。


オッとの、それでや。
どこにあるのか、探すにみつからんの品、2点。
スーパーの場合、そこらの店員さん捕まえ、尋ねたなら、懇切丁寧に教えて呉れるです。
よて、見付けて、すみませんですがと、声掛け、尋ねるに、ンの、この方、表情がと、一発、わかるの、邪魔臭さそな様子。
めげずに、モ一発、すみませんの、これこれ、どこにありますかと、申すに、それは、生鮮食料品なら、あちらの方ですがと。ンの、当方、尋ねてるの1点なるは、クルミ。生鮮食料品でも、あらへんでして。乾物哉と。
モ1点なるは、天ぷら粉。メモ書きには、黄金とされてまして。これは、辞めとこと。精々が、あちの、粉物の方にあると、言われるのダケと。そこなら、見てるです。わからんが故、尋ねてるです。

での、一応は、生鮮食料品のコーナーも見たけれどの、クルミが無くの、別途の、店員、こちらは、時々見掛けるの、親切そな方でして。美人。
でもあっての、長く居ておられるですが。先刻のは、新人やろかの、顔見たは初でして。イヤ、若くは無いですが。
ででの、こちらさんの方、すみませんねえと、声掛けたら、ニコとされての、ハイ、何でしょと。

これやなあと。
この愛想良さで、尋ねるに、気が楽、気楽に成るです。
イヤ、クルミで、「生活良好」のと、天ぷら粉の、「黄金」のは、どこですかねえと。
尋ねたならばの、ハイの、まずは、クルミの方ですがと。ででの、その場所に行きの、これですの、曰くに、「生活良好」で無くの、「くらし良好」ですねえと。へえの、そですねえと。

モ一点の、「黄金」のは、こちらですと、言われて、付いてけば、ハイの、ここですと。へえの、天ぷら粉は、下の棚故、その辺りばかりを、見てましてと。
あったの場所、最上段。
嗚呼、ありがとうございますで、いえ、ど致しましてと、ニコニコと。元の場所に戻られて。

イヤ、助かったです。
どちにしろ、最初の方、歓迎されずの、邪魔臭いの表情されたは、初。そんな店員も居てるのかと。居てるんやねえ。
そら、10回に、9回は、あち向いてホイのが、居てるしと。

いやね。
スーパーでの買い物頼まれ、嫁はんから。
わからんのが、ままあっての、店員に尋ねるにしてるですが。皆、親切。
これ又、過日の、その日では、無いけれどの、とあるのブランドの、干しぶどうを頼まれて。嫁はんから。
探して、探して、探しまくって、見つからんが故、店員に尋ねたですが。その方も、場所わからんでねえ。同僚に助けを求めて、尚、わからんでして。そんな事、あるんやねえ。

そして、尚わからんが故、事務所なんやろかねえ。入って、尋ねて呉れての、場所判明。実は、置かれてるの場所が替わったらしくの、ここですと。
嗚呼、このブランドで、この袋ですと。ありがとうございますと。いえ、ど致しましてと、返答戴きの、多くは、こんな感じが、過日の無愛想なのは、雰囲気からして、違うなと。拒否、拒否の、近づいて呉れるなオーラがぷんぷんの、漂おてるです。

対して、どこぞの、某様なるは、顔も、当方の事、見とは無いオーラ、満開。
こちは、又、あの子かで、無視されるんやろなあと、思いつつの、コレ又、こち、当方の性格で、習慣でもあっての、仕方があらへんわと。挨拶するが。
最低限の礼儀故。
そらねえ、顔承知で、無視するも、なと。


ででの、これは、本日<2月18日・火>の事。
諸般、燃えないゴミで、出すの、出したいの、ガラス板。
このままでは、危ないしねえ。回収の方が。そら、扱い方によっては、割れたりして、怪我されたら、大変故、予めの、小さく、細かくの、割っとこかと。
その上で、袋に入れて、幾重にもでの、しとけば、大丈夫やろと。

での、NTカッターで、割るに挑戦するに、無理。
さりとての、袋にでも入れて、ドンと、割るは、こちが危険の、怪我しそでして。
ならばの、コーナンにでも、行って、ガラス・カッターを探すかと。

そんな事で、行けば、見つからんでねえ。矢っ張り、店員捕まえ、ガラス・カッターは、どこにあるですかと、問えば、方々探しの、わからんのみたいで、何ちゅうかの、無線なんやろねえ。これこれ、どこにと、尋ねて呉れての、こちらの方ですと、案内されて、嗚呼、あった、あったのコレです。ありがとうございます。
は、結構も、結構なるの値。1400円程度してましての、どするの兵衛哉と。

されどの、そのまま、ガラス板のままでの廃棄、燃えないゴミで出すは、危険故、適当なるの大きさに割らんとと。エイの、ヤで、鋭意決断の買うにしたですが。
オッとの、オイル式ですて。へえの、オイルはどこにと、その周辺探せど、みつからんでねえ。
再度の、そこらに居たの店員捕まえ、これの、オイルは置いてるですかと。

問えば、成る程の、オイル式のカッターですねえと。がしかしの、見た事、ありませんねえと。えと。
ではと、店員、どんなオイルかと、裏面の内容見て呉れたならばの、書いてあったです。灯油。
へえの、灯油怪なと。
灯油ねえ。我が家に灯油は無いなあと。わざわざの、灯油を買う程でもあらへんが故、無しで、やるかと。

てな事で、ガラス・カッターをば、買い求めの、高いの廃棄処理やなと、思いつつの、我が家に戻りの、ガラス・カッターで、線入れるに、入れ難く。
まあね、それなりの、何ちゅうかの、定規と、するのか、線引きのための、道具が居るですが。本当は。
まあなと。
実は、30cmの物差しでは、10cm程度、不足の、要は、短い方でも、40cmあって。

まあなと。
一発、無茶してやろかと。
ガラス板をば、ポリ袋に入れて。オッとの、当然の手には、軍手を填めて、割ってやれと。コンと、地面に、ブツけたならばの、上手くと、するのか、割れて呉れて。
は、結構も、その割れ方では、鋭利な箇所ありの、余計に、危険が故、それこその、ここからが、ガラス・カッターの出番也の、半分程度の大きさになればの、特段の、定規なり、使わんでもの、エイの、ヤで、ガラス・カッターで、直線的、筋なら、入れるは出来るわと。

事実、適当なるの大きさ、実際には、可成りの細かくに、線入れては、手で、割って、割っての、粉々は、大袈裟の、とりあえずは、ポリ袋で、幾重にも、包み込みの、まあ、これで、怪我させるの危惧無いぞと。
自身、この状態なら、持つに不安無く。
の、程度なら、ええやろと。

いやね。
燃えないゴミの回収日、なるが、明日でねえ。
今日中に、処分出来るよに、処置しとかん事には、埒開かず故と。
まあね。
その他、ガラスのコップ、瀬戸物の容器も、そのポリ袋に一緒に入れるかと。再度の、結び目、解いて、それらも、一緒に致しの、嗚呼、これでも、無事に廃棄処分出来るなと。
実は、昨年末からの、懸案事項。
一件落着致すです。
(20/02/19)


NO.2906 下の叔父、ヒサオが亡くなったの話(15) ご先祖様の年忌法要の話(1)

いやね。
昨日<2月18日・火>に準備の、燃えないゴミ。要は、埋立ゴミ。
本日、朝一番、集積場所に持ち込んで、1件落着で、ホと安堵。

オッとの、それでです。
ヒサオ叔父さんの、葬儀の話。
とするのか、諸々の件。

いやね。
以て、祖父亀吉の。祖母すゑの。
子が全員、亡くなった、なと。
での、ンの、祖母すゑの、五十回忌の事をば、ハタと。

五十回忌ねえ。
そ、言えば、祖父の五十回忌。とは、叔父政治郎の、五十回忌も一緒なれどの、どしたの哉と。
いやね。
当方産まれるの、2年前故、遠の昔に、五十回忌でして。

いやね。
その当時に、親父亀太郎が亡くなってまして。又、当方も、足骨折で、入院したり、リストラ云の、時期でもあって。そんな事には、気回らずで、どしたの哉と。
とするのか、母智が言うて呉れるなり、せぬ事には、頭の中に、あらへんでして。その当時には。
されどの、果たしての、母が五十回忌の事、しんならんえ等々、言うた記憶無く。
再度の、その当時、時期には、自身の、又、親父の、でして。
まあ、やってえへんやろなあと。

そこで、又、ハタと。
叔母福子、曾祖母うの<「の」は、旧かなの、「み」に似た字。>は、大正時代で、ンの、百回忌やぞと。
正確には、亡くなったが、大正9年<1920年>と、大正11年<1922年>故、本来なら、2019年と、2021年に成るですが。福子の、2019年は、昨年でして。ゲの、過ぎてるぞと。

まあねえ。
それにしても、福子享年6歳。とは、満年齢では、5歳かと。
まあ、言うたら、一番に可愛らしいの時期でして。又、早くに、過ぎて。コレ又、昔、昔は、幼い子がと。結構、亡くなってるですが。当世とは、医療等々、違い過ぎて。

どちにしろ、当初、すゑの五十回忌と、智の、七回忌を思たですが。
沢山居てるぞと。申し訳無いなあと。
いや、亀吉、政治郎の五十回忌の失念を。やったの覚え無くの、その辺りでは、再度の、親父の、でして。葬儀に、一周忌に、三回忌をと。法事については、それで、頭の中一杯。
更には、当方、リストラされて。残念無念で、頭の中、満ち満ちの、溢れ過ぎててね。
返す返すの、申し訳無しと。

まあねえ。
祖母すゑなり、親父亀太郎が、生きてたならの、必ずや、言うて呉れてるですが。そら、すゑにしたら、自身の、夫、子2人と、義理の母の事でして。又、親父からしたらの、自身の親父、妹、弟と、祖母の事でして。
いやね。
当方立場的なら、時期、ズレてての、現物、実態、知らんです。それ、申せば、母も、知らぬが故、無理からぬ事。

いやね。
どちにしろ、わかったの限りは、してやらんとと。
されどの、亀吉、政治郎の、五十回忌は、ども出来ず。当方、百歳近くに、百回忌でね。これは、息子に、委ねねばの、ども成らず。

まあねえ。
百回忌なるは、実際には、やらぬですが。多分。
多くの場合、三十三回忌で、打ち止め、弔い上げと、されてるやに、承知してるです。
出来れば、それを、五十回忌でと。この五十回忌について、誰の言かと、なればの、祖母すゑが、そんなよな事、言うてたです。

ンの、祖母が言うてたの、五十回忌。
とは、誰の事かと。
オッとの、これぞ、福子でありの、うのの事かと。されどの、自身で、法事を手掛けるの積もりが、事故で、骨折入院。寝た切りと、なりての、出来ず仕舞いかと。コレ又、時期的に。

いやね。
百回忌。
とも、なればの、我が親族でも、最早のダアレも知らんの人物、ご先祖様。
すゑの、五十回忌なら、上の叔父シゲオの嫁<叔母>と、我が従兄弟達。それでも、ヒサオの息子ならばの、50歳故、知らんなと。
以外の従兄弟なら、知って呉れてるですが。
当たり前の、残念乍らの、我が嫁はんも、息子共も、知らんです。

又、一説では、五十回忌で、打ち止めも、その五十回忌も、やるは、なかなかに難しい。
とも、聞いてるです。
これねえ、過去帳を精読、熟知の、常々、見てるなり、記憶せねばの、わからんでして。
そらねえ、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌等々辺りなら、知ってる者多く。又、計算も出来てるですが。基本、自身の親なり、祖父母の事でして。
大抵ならば。

ンの、そ言えば、祖母の、十三回忌等々、したの怪と。
いやね。
その当時には、どちかと、申せば、親任せでね。まあ、してへんの可能性大。多分。
イヤイヤ、申し訳無いなあと。
いやね。
祖母の、その辺りの年会なるは、当方的、仕事なり、家の事と、するのか、家族の事で、精一杯。考え及んでませんです。

今、諸般、申してるは、その手、考えるの余裕あるが故。
そらねえ。
息子共、結婚しの、独立してもての、孫も、出来て。
今度は、自身、そは、長くは無いわと。後、2年で、後期高齢者。

オッとの、ここだけの話の、基本、目標、78歳辺りまで、生きるが出来たらと。そこまでなら、後5年ぞと。
少なくともの、金さん、銀さんの、百歳、百歳なんか、全くの想定しておらず。
さりとての、今日の、明日も、想定してへんのけどや。よて、78歳と、するが、60歳を過ぎたの辺りで、考えた寿命。
要は、80歳は、結構なると。結構とは、どでも結構の意。
そらねえ。
健康寿命的、達者なら、宜しいですが。呆けてもたりの、諸般、不自由やてみい。ハタ迷惑。

オッとの、何の話哉と。
どちにしろ、この、22日<土>には、嫁はんと、2人だけで、菩提寺、光圓寺に出向きの、要は、祖母すゑの、祥月命日兼の、内々の、五十回忌の法要をと。

そこで、住職とは、福子、うのの、百回忌。
すゑの、五十回忌、智の、七回忌。
これは、来年にでも、するの積もりなれどの、更には、亀吉、政治郎のは、どしょかと。七十五回忌なんか、知らんですが。
どするの兵衛哉と、相談するかと。
(20/02/20)


NO.2907 下の叔父、ヒサオが亡くなったの話(16) ご先祖様の年忌法要の話(2)

いやね。
本日<2月20日・木>、菩提寺、光圓寺に、法要のため、行くの準備で、お供えをば、調達に、「小倉山荘」えと。
予め、ホーム・ページにて、探索の、ええのがあるです。
仏事用で、「白菊の花」。値も手頃で、相応のをと。
以て、22日の準備は出来たです。

いやねえ。
服装も、難しいですが。祥月命日的で、簡単にと。まあな、華美な服装で、無いならと。華美ねえ。そもそもがの、そんな服、持ってませんですが。
要は、大人しい服で、参じるにしてるです。

での、いやね。
嫁はんと、諸般、調べたです。
年会、法事の記録をと。イツ、誰の、何回忌をしたの哉と。
さればの、懸念してたの、祖父亀太郎、戦死の叔父政治郎の、五十回忌等々、執り行こなってたです。嗚呼、ヨカツタなあと。

がしかしの、1人だけ、失念のが、あったです。
我が妹の、佳江の仏事。
この一連のでも、名を失念の、嗚呼、スマンのおと。申し訳無いなあと。

いやね。
妹は、居てるですが。それは、次女に成るです。
長女佳江が、昭和26年<1951年>に生後、1週間程で、亡くなってもてね。コレ、五十回忌は、2000年でして。
2020年なら、七十回忌。

本来、七十回忌なるは、しませんですが。やるなら、やればと。
いやね。
諸般、菩提寺より、葉書が届いてましての、それには、五十回忌以降、十年毎に、やる事もあると。へえの、そかと。
まあね。
百回忌とも、なればの、当方、103歳でして。生存怪しくと、する以前の、可成りの確率にて、あの世。
むしろの、こちの、年会をば、息子共がして呉れてるやろと。

オッとの、何れにせよ、この妹、当方、4歳の時の、でして。
実は、鮮明に覚えてるです。
梅鉢産院が、すぐのそこ、横町でして。歩いて、1分も掛からんの場所。産まれたと、毎日のよに、見に行ってたの記憶あるです。
そらねえ。
妹が出来たと。嬉しい、楽しいと。
当方も、その梅鉢産院で、産まれてるですが。

どちにしろ、4歳ねえ。
当然の、死が理解出来ておらず。
されどの、産まれて、産院に日参してたの状況なるは、鮮明。部屋の様子から、ベッドの様子。当然の、産院そのもの、木造でして。ベッドも、木製であったよな、気がしてるです。

ここから先の記憶なるは、夢と、現<うつつ>の半々。
意味なるは、明らかに、現実の話と、ど、考えても、夢の世界のを、今だ、覚えてるです。
先の、産院の光景なるは、現の世界。

産院から、妹が、我が家に戻るの光景は、夢の世界ではと。
事実としては、親父から、やろねえ。妹が家に戻ると、聞かされてたです。多分。
ところが、実際に、戻って来るの様子が、ほんま怪なあと。

母の兄、黒門の伯父が、自転車に、妹の入った箱、棺の事なれどの、荷台に載せて、我が家えと、向かうの道中の光景が異常。
実際、そであったかも、なれどの、自転車の荷台にねえ。
箱なるは、リンゴの木箱程度の大きさで。まさかの、リンゴの木箱では、無いと、思うですが。概ねの大きさの印象が、そでして。

何故に、自転車の荷台かと。
何故に、伯父、カクノスケかと。
生後1週間の赤子の亡骸なんか、箱に入ってても、自転車の荷台に載せる程の重さかと。申してるの、歩いて、1分も掛からんわの、横町でして。
距離にして、精々が、百メートル程度。倍にしても、二百。
その距離で、自転車怪と。

且つは、当方が、その自転車の周囲を、踊り乍らの、ニコニコしての、楽しそに、回ってまして。
そらね。
妹が戻ると、するのか、我が家にと。
されどの、箱の中は、見ず。見せて呉れず。大人が。

そして、これは、現の世界なれどの。葬儀の日。
葬儀は、チャンとしてるです。
親戚筋の方々、沢山来られましての、賑やかで。
当方的、可成りの興奮状態であったです。兎に角、嬉しくて、嬉しくて。人が沢山来て呉れてるがです。

いやね。
知ってるのと、知らぬの方あって。
知ってるのは、何故か、誰々と、記憶せずで、知らぬの方のみ、その姿格好をば、覚えてるです。

いやね。
どこのか、知らんの女の人。これが、二人か、三人か。二階の、部屋の、且つは、表の方の部屋で、和服に。これは、喪服の事と、思うですが。
着替えてまして。

とするのか、その様子を、見に、二階えと。当方が。
イヤ、着替えの様子の意では無く。単に、どんな人かと。と、だけの事。
なれどの、祖母がアカン、アカンと。行ったら、アカンえと。絶対にと。言われたら、余計に、見に行きとに成るが、この年齢。

実は、どこの誰様と。とも、聞いたですが。祖母より。
イヤ、上の伯父、ケイスケの、嫁はん。詰まり、伯母の親族也と。フウンと、ダケですが。
余計な上に、余計なるの話の、この伯母、ンの、名すら、失念してもてるです。それ程に、表に出ぬの方。当然の、言われれば、そかと、そやったなあと、思い出すですが。

当家にも、一度も来た事、あらへんかと。話も左程にするの方でも無くて。要は、上の伯父宅に、正月等、お年玉呉れと、請求に、母と向かえども、居て無かったり。居てても、先の通りの、積極的に、話をするの方で無く。
正直には、印象に乏しくて。
イヤイヤ、早くに亡くなってるです。

も、あるし、祖母から、聞いたの、その伯母の親族の女の人ねえ。その一度だけしか、見てませんです。
よて、余計に興味津々の、様子見に、二階えと。
既に、着替えは終わってまして。多分。

モと、余計なるの話の、上の伯父からは、結果的、お年玉なんか、もらた事、あらへんわと。
こんな大きな、大きなと、手を広げて、最終的、両手合わせての、グにしてもての。そのグの中身。外周で無くて。隙間の無いの、程の、ケーキを、その内には、買おてやると。
まあ、詰まり、気持ちは、買おてやりたいけどなと。悪いなあと。
結果、ケイスケからは、その手、もろたの事、あらへんなあと。

いやね。
正月には、その手、親戚筋を母と、共にも、年始参りを兼ねての、回ったですが。呉れたは、親戚では無いの、船岡公園のそばの、宅様だけであったかと。
そこは、母が若い頃、奉公に出てたの先様でして。
親戚筋同等に、親しくしてたです。
イヤ、行けば、そこのお婆さんが、手料理で、もてなして呉れたです。よお、来たと。

オッとの、何の話をと。
その佳江の法事を失念してたです。スマンのおと。
22日、光圓寺に参じまして。すゑの、祥月命日としての、五十回忌。
等々、佳江の件をどするの兵衛哉の、来年にでも、皆と一緒に、抱き合わせの、七十回忌でも、してやろかと。
ンの、それにしても、佳江生きてたら、七十歳になるんやなあと。

まあね。
良き機会でして。
叔父ヒサオの葬儀で、諸般諸々の、当家の面々、ご先祖様の事に、思い馳せて。
ンの、佳江は、ご先祖様では、無いけれどや。妹故。
されどの、当家が、守ってやると。
斯くの如くの、当方の記憶の中で、存在してるぞと。

残念乍らの、当方、産まれるの以前に亡くなったの面々については、記憶に存在せずは、どしょも、あらへんですが。
過去帳なり、祖母なり、親父等々から、聞いてるの話の中で、存在してるです。
(20/02/21)


NO.2908 単なるの雑談<耳鼻咽喉科での話と、どら焼き買えずの話>

いやね。
喉風邪か、花粉症かの、兎に角、喉痛く。
まあね、実際には、モ一歩の状態なれどの、声出せば、割れてるの感致し。

さての、本日<2月21日・金>には、耳鼻咽喉科がやってるの日。
ここ様、月水金と、土の午前でして。
大入り満員なら、別途の内科に行くかと、診察券は、2箇所のを手に、まづは、耳鼻咽喉科にと。
さすれば、3台で満車の駐車場所の1台分、運良くの空いててね。ならばの、専門医がええに決まってるしと、駐めて、診察して戴くにしたです。

で、玄関の、靴6名様分。
まあね、この程度なら、診察中1名。精算待ち、1名か、2名様。要は、待ちなるは、3名、4名の範疇故、結構なると。
イヤ、ここ様の最近の様子からは、やや、多いですが。季節柄。

での、診察券と、健康保険証等々、提示で、待合室で、待つに、長椅子に座ってたですが。当方の横手に、まあな、中年女性が1人。イヤ、1人分の間空けてるですが。
そらな、その気なら、15人程度座るが出来るの待合室。そこに、案の定の、5名でして。

いやね。
実は、その中年女性、落ち着きが無くの、矢鱈、カラダを動かして。動くと、長椅子が、動いてね。
時には、立ったり、座ったりの動作して。その動作で、座るの都度、ドンと、音までしてね。何や、こいつめと。とは、当方の、頭の中での話なれど。

いやねえ。
モ一寸、他に、周囲に、配慮出来んかと。ドンと、音する程の勢いで、座るの事、あらへんやろと。音してるし、揺れ動いてるは、自身、わかるやろにと。
且つは、そんなに体重あるの、でもあらへんでして。かと、申しの、小柄でも無いですが。強いての、小太り気味ではあるですが。

いやねえ。
当世、この手の何も考えずのが、多いねえ。
待合室故、大人しく、待てばええのになと。
当方なんか、その口にての、少々の待ち時間程度、ジッとして、微動だに、動かんぞと。動くの用事もあらへんでして。

オッとの、そこしてる内、その小太り中年のが、呼ばれまして。看護師から。ホと、安堵。
これで、静かになるなあと。
そこしてる内には、出て来まして。又、我が、隣に鎮座で、ドンで、ユラ。長椅子が。

ほんまにねえ。
余所様が、ドンで、ユラなら、この中年、多分なら、嫌な人やなと、嫌味な表情するのやろなあと。
事実、その手のは、そでして。自分の事、そっち退けの、全くの除外。

オッとの、間も無くの、看護師より、当方、呼ばれて、嗚呼、これで、この中年女性の、ドンで、ユラから、解放されるかと。
診察室に入って、診察台に座りの、先生より、どされましたかと、尋ねられの、斯くの、然でと。
イヤ、喉が痛くてと。声が割れましてと。しかるにの、喉は、右側でして。過日には、首を回すと、痛くて、痛くての、時期あったですが。現在では、可成り解消してるですと。
伝えたならばの、内視鏡で、喉の奥診られての、嗚呼、荒れてるねえと。嗚呼、そですかと。とは、内視鏡を突っ込まれてる故、返答、応答するにもの、声出すにも、出せませんですが。

での、先生、花粉症はどですかと。
花粉症気味と、しますか、軽いですが、涙目には、成ってるですと。
花粉ねえ。
何があったかなあと、問われるが故、「杉」ですと、返答したなら、今は、「檜」ですねえと。「檜」はありませんかと、尋ねられたが故、「杉」しか、聞いてませんですがと、返答。
そしたら、「杉」も、「檜」も一緒ですと。
ンの、先生、何が言いたいの怪と。とは、口にはせずの、そですかと、無難に返答。

ででの、先生、柴田さんは、毎年、4月頃、花粉症ですねえと。
嗚呼、そですかと。
とは、返答も、大体は、先生、その話題を申すですが。
ではの、少々長め、7日間分の薬を出しておきますと。又、花粉症の目薬もと。嗚呼、そですか、ありがとうございますで、終了。
精算は、安かったです。980円<2割負担>でして。


オッとの、明日<2月22日・土>は、祖母すゑの、祥月命日名目にての、菩提寺、光圓寺。
なれどの、その更にの、明くるの日には、次男家が、丹波篠山の、何やったかの、催し、恐竜であったかの、で、行きの、その帰りの道中、獅子肉調達で、寄ると。我が家に。
よて、野菜類を頼むと、嫁はんに連絡あったですが。

そやなあと。
孫君3号、どら焼きが好き故、買おといてやろかと、どら焼き製造工場直売所えと。
馳せ参じたならばの、一寸、様子が変。

いやね。
ここ様、営業日、月水金で、売り切れ御免。
故に、午前中故、売り切れしてへんやろと、思ての、門の辺り見ても、「どら焼き販売中」の看板出てませんでして。
可笑しいなあと、思いつつの、敷地内、駐車場所に入って、直売所の方に行けば、張り紙してあっての、一つには、材料代高騰等々によりの、130円に致しますと。
従前には、110円故、20円もの値上げかと。
は、結構の、モ一つには、営業日変更の件で、木曜日のみ。
と、してあっての、ゲと。
ゲでも、何でも、売って無いなら、仕方があらへんわと。孫君3号には、悪いけど。折角故と、爺ちゃん、チャンと、記憶で、買いには、行ったのけどと。
とは、独り言。

いやね。
明日、光圓寺に、行くのならばの、本来なら、ついでに、でもの、錦小路の市場。
更には、大丸にでも寄りたいですが。
そらねえ、好都合の、コロナウィルス騒動にての、ガラガラですて。結構なると。

されどの、ガラガラでも、人多く。単に、外国人観光客が激減してるだけの話の、本来の、京都に成ってるですが。
ンの、原因が原因の、下手に人混みの場所に行って、コロナウィルスに感染でもしたら、えらい事。
嫁はんとは、やめとこかと。そやなあと。時期が、時期だけにと。
まあな、往復は、車故、電車での、感染の危惧あらへんですが。
まあ、余計な動きは辞めとこかと。
(20/02/22)


NO.2909 単なるの雑談<次男家の獅子肉の話と、法要の話>(1)

いやね。
本日<2月23日・日>には、次男家、丹波篠山の、恐竜博に行きまして。
<参考=丹波竜化石工房ちーたんの館>
<消滅・21/06/17>

その帰りの道中にて、当家に寄って。
一緒に獅子肉を喰うにしてたですが。

イヤ、そのため、獅子肉をば、調達してるですが。
嫁はんの調子が今一の、やや、熱あると。56.7度とかで、安全見て、寄るだけにと。
まあね、時期が時期だけにの、コロナ・ウィルスで、騒がれてるもありの、万が一にもと。言うたって、その手、人混みの場所には、行ってませんですが。

どちにしろ、15時頃、やろかねえ。到着が。
まあな、濃密接触せぬなら、ええのやない怪の、折角故、コーヒーでもと。そやなあと。
での、どやったの、恐竜の方はと、孫君3号に問えば、一言、ヨカツタと。そか、その一言が聞きたかったんやと。当方が。

オッとの、嫁より、ハイ、これをと。
ンの、当方に何を呉れるかの、オトトの、バレンタイン・デーのチョコレート。へえの、オオキニと。ありがとさんと。
早速にも、お仏壇にお供え致し。ンの、これは、当方に呉れた物なれどの、習慣になっててね。まずは、ご先祖様にと。
喰うは、生き仏様なれど。気持ちや、気持ちの世界。

とかとか、折角故、昨日<2月22日・土>の、話を、次男夫婦にと。
イヤ、孫君3号も居てるですが。まあな、何の話か、わからんがままでも、聞いて呉れてたら、結構かと。
での、福子<当方の叔母に当たる>の、百回忌。佳江<当方の妹>の七十回忌。そして、祖母すゑの五十回忌を、光圓寺に行っての、住職の法要でと、伝えまして。

まあねえ。
この辺り、説明するも、聞いてる方、理解するも、難しいやろなあと。そらな、次男も、嫁も、全くの知らぬの面々でして。
当方にしたって、福子の実態知らんわと。
但し、自身との、関係性なら、熟知してるが故、説明なら、ドンドンと、出来るですが。

いやね。
どちにしろ、佳江には、申し訳なかったなあと。
理由なるは、ここまで、何回忌なるを、全くのしてませんでして。七十回忌ねえ。
これも、言うてもたらの、こじつけでして。されどの、ハタと、気が付いたを機会に、この際と。
イヤ、来年の適当なるの時期、多分なら、5月頃、皆の法要をと。正式にと。
ンの、正式なるの表現も、異なれど、です。
そらな、一年、遅れてたり、早まったりしてるです。されどの、知った限りは、その気あるなら、やって、やらんとと。

とかとか、次男夫婦は、薬剤師でして。
このコロナ・ウィルスの、最前線の一端勤めてまして。そなら、諸般、その手、調子の悪い方が、処方箋持参で、薬を求めて、来られるですが。
避けるが出来んなと。
次男なら、職場が大阪故、通勤電車でも、諸般あるやろなあと、申せば、下手に咳払いも出来ひんでと。変な目で、見られたりと。そやろなあと。
通勤電車、満員電車では、どするも、出来ず。吊革には、ウィルス一杯と、言われたって、捕まらん事には、転けるし、どしょも出来ずと。そやろなあと。

とかとか、昨日の話も致し。
いやね。
嫁曰くに、家系図でもないとと。そやなあと。
実は、来年の母智の七回忌では、4人の法要も、一緒にと、考えてると。
先程の、叔母に当たるの、福子。なるは、満6歳で亡くなってまして。可哀想にねえ。これが、本来なら、昨年が百回忌。
正直には、法要なんか、一度も、してませんの、祖母の代でも、どなんやろなあの、してへんのではと。
妹の佳江なら、生後一週間程で、亡くなってるが故の、コレ又、可哀想に、年会なんか、まあ、やってえへんやろと。我が親の代でも。

いやね。
住職には、当初、すゑの五十回忌の祥月命日としてと、伝えてまして。
当日、光圓寺に行って、住職に、斯くの然での、福子の百回忌、本来なら、去年なれどの。それと、佳江のは、多分なら、一度もでの、七コレ又、昨年に、七十回忌になるが故、本日、一緒にと。
ではと、急遽の、法名と、何十回忌になるの事、記載で、貼り付けて呉れて。法要して戴いたです。

いやね。
住職とは、この、5日、6日の、叔父ヒサオの葬儀で、お会いしてまして。
法要も、その2日の連続、して戴いてまして。当然の、ヒサオの、なれど。
その5日の時、すゑの、五十回忌の話はしたです。本来、今年なんですがと。されどの、福子、佳江の事、までは、その時には、計算してませんでして。
返す返すの、この二人には、申し訳無しと。スマンのおと。

されどの、昨日、三人一緒にと。話を致しの、やって戴いての、一寸は、気分的、楽になったです。イヤ、ほんと。
いやね。
この手、法事、仏事なるは、生きてるの、我々の、気持ちの問題。
やってやりたいなら、やればで。
モええやろと、思うなら、やらずでもと。
それも、どんな形でするも、諸般様々。

斯くの如くの、住職に、法要をして戴くも一法やし、内々の、自宅で、仏壇に手を合わせの、念じるも、一法。
何なら、墓参りで、するも一法やしと。
何とでもの、気は心にて。

そらねえ。
言い出せば、逮夜も、四十九日も、住職に来て戴いたり、菩提寺にて、行うも、一法。
一周忌を行うも、行うに、親族に声掛けても、一法で、内々でも、一法。
三十三回忌で、打ち止めと、するのか、五十回忌でか。その後も、十年毎に、延々も、一法。されどの、正直申しの、全てのご先祖様の法要なり、年会、仏事をば、執り行うは、大変ぞと。
そもそもがの、覚えてられへんし、やり出せば、毎月と、までは、大袈裟も、毎年、毎年、誰かのが、来たりして。

まあね。
当家の場合、まだ、少ないと、するのか、少ないですが。
何代も、続いてるの、所謂の本家では、大変ぞと。ご先祖様、多過ぎて。
ンの、その手の家、どされてるの哉と、思うですが。

いやね。
正直申しの、そらね、正式に、菩提寺なりで、或いは、住職に来て戴いての、法要致すが、本当。
とは、思うけれどの、経費がバカに成らず。

オッとの、そんな事で、諸般、獅子肉は、次男家とは、一緒に食せず。
なれどの、獅子肉呉れて。
夕食にて、鍋で、喰たですが、過年、ン十年の、多分なら、三十年の昔に喰たの、獅子肉とは、比較に成らずの、馬勝ったで、牛負けたです。
まだ、余ってるが故、明日には、焼いて喰うかと。

当然の、加えての、上等のチョコレートは食後に戴いたです。
いやね。
正直には、長男嫁からのが、丁度無くなってもての、ええ時期になったです。
そらねえ、高級チョコレート故、一気には、喰わずの、勿体ないわと。
孫娘お手製クッキーなるは、一気と、するよりは、ンの、一気やねえ。嫁はんと、2枚ずつ喰たです。
これを、2回に別けるは、難しく。
(20/02/24)


NO.2910 単なるの雑談<次男家の獅子肉の話と、法要の話>(2)

いやね。
本日<2月24日・月・天皇誕生日振替休日>には、夕食で、獅子肉を焼いて、喰たです。
正直には、昨日の、味噌鍋で、よりも、美味。
まあな、経験でして。
ンの再度があるか、ないかは、わからんですが。
前回が、30年程の昔故で。次回、30年後なら、当方、百歳突破してるし、生きてませんです。確率99%で。

オッとの、そんな事で、22日<土>には、松原、西洞院<にしのとういん>の、光圓寺にて、福子の百回忌。
佳江の70回忌と、すゑの、50回忌の法要をば、嫁はんと、二人で、執り行いまして。とするのか、参列したダケなれど。
まあな、正式には、来年にと。

ンの、何が正式かは、わからんですが。
イヤ、22日のも、菩提寺住職に寄るの、法要でして。3人の法名等々、紙に書いて戴き、唱えて戴いてるです。
まあね。
住職の言なら、2人でも、3人、4人でも、法名を読むだけですと。ダケでも、我々としたなら、気が済むです。

での、この日、大雨。
久しぶりの大雨でして。
こんな時期で無いなら、雨降って無いなら、錦小路の市場にでもと、思うですが。辞めにしてるです。
されどの、11時からと、されてた故、10時半頃、光圓寺には、着いてるですが。

ンの、玄関には、靴が2つ、脱いであって。
要は、先客かと。法要なりの。されどの、そんな話、聞いてませんでして。上がって、チラと、様子見したなら、荷物が、持ち物らしきのが、置いてあったり、してね。
上がって、先に進むと、するのか、本堂に行くも、ど哉と。

勝手口の、呼び鈴、リンと、りんりんと、鳴らせど、ダアレも、出て来やはらへんし、気配も無くて。
まあね、11時と、されてるが故、久しぶりに、松原市場がどんな具合に成ってるかと、要は、松原通りにも、市場があって。
仏光寺時代には、主たり、ここで、食材等々、買い求めに来てたです。

とは、申しても、狭い範囲でね。
松原通りの、西洞院通りの、新シ町通りとの、間の通り。
とか、言うたって、土地勘の無い面々には、わからんですが。要は、新シ町通りと、西洞院通りの間に通りがあるですが。名称知らんです。
故に、もしかしたらの無名通り哉と。
兎に角、松原通りの、東側は、その無名通りの辺りまでと、西は、堀川通り辺りまでの範囲が、松原市場。

何屋がどこにの、そこまで、詳しくは覚えてませんですが。
一寸、見て、一発の、店が、極めての少ななってもてね。ゲと。
それよりも、所謂の民宿が方々に建っててね。まだ、建設中のも、あったり、してね。へえと。
それと、肉屋の、「キムラ」が、何ちゅうかの、肉もやってるのみたいなれどの、スーパーみたいな感に替わってもてての、へえと。

も、あるし、薬屋が、あらへんなあと。
当方、風邪引いたりしたなら、そこの薬屋に行きの、症状訴えたら、そかと、薬を調合して呉れたです。
それを、セロハン紙に一服分ずつ、包んで呉れて。オブラートも、呉れて。飲む時には、オブラートに包んで飲むんやでと。
さもなくばの、良薬は、口に苦しと。フウンと。
多分なら、イヤ、必ずや、その小父さん。実際には、その当時には、お爺さんでしたが。薬学専攻なんやと。
イヤ、小父さん申すに、余所の薬屋では、これは、出来ひんのやと。コレとは、薬の調合。
まあねえ、その小父さん、遠の昔に亡くなってると、思うけどや。そらな、当方の親父よりも、尚、年配と、思てまして。

そして、いしのの、味噌屋もあったなあと。イヤ、店構えが、まるきりの違うの、以前は、店頭で、味噌を並べてたのが、何ちゅうかの、店の中に入って、買うの式に成ってるかと。多分の話で、中にまでは、入ってませんですが。
それも、あるし、ここら、辺りに、八百屋がの、その八百屋は、全くの跡形も、無く。フウンと。
勿論の事、乾物屋、魚屋もあったですが。どの辺りかは、失念の、オッとの、油小路通りの方、松原通りを一寸、上がった、東側にも、肉屋があったですが。屋号失念の、そこでは、コロッケを売ってたですが。揚げたての。

とするよりは、ミンチ・コロッケとか、只のコロッケとか、何個と、注文で、その場で、揚げて呉れたですが。当世でも、コロッケは、その式なれどの、そこのお姉ちゃんが、何ちゅうかの、熱いの天ぷら油のソバで、頑張ってるが故に、顔がねえ、皮膚がねえ。イヤ、火傷では無いですが。

それに近いよな、状態になってたです。イヤイヤ、焦げてるでは無いです。顔は色白の方なれどの、目鼻立ちも、本来なら、美人系なれどの、状態にと。
要は、熱い油のそばで、頑張ってるが故、汗疹でかと。
イヤ、表現難しく。くどいけどの、火傷されての状態では無いです。と、思てるですが。
言うたって、当方、居た頃の、お姉さん。まあ、言うたら、軽くの、10歳は年長故、今時なら、90歳近く哉と。

オッとの、その肉屋、コロッケ屋の事をば、ハタと、思い出しの、店はまだ、あるのかと、チラと、見たけれどの、あらへんでして。嗚呼無くなってるなあと。
余計なるの話の、住職に、その肉屋の事、尋ねたならばの、あったかなあと、返答されての、あるは、あったですと。
当方、コロッケ買いに、何度も、何度も、行ってまして。お使いで。

そらなあ。
その当時には、子どもなんか、お使いで、方々に、行ってるです。
この松原市場に、オコウコ買いに来たり。大根を、タマネギを。肉を。夕食の食材を買い求めに、でして。
言うたって、我が家から、200メートル程度で、知れてるです。ましてやの、その道中には、格致小学校あって。

そ言うたら、油小路の、高辻の、一寸、下には、時計屋とか、貸本屋があったですが。今時、貸本屋なんか、あらへんやろと。時計屋も。
時計屋なるは、基本、修理専門。
貸本屋では、当然の、漫画本を借りたりしてね。言うたって、オコズカイが僅少故、実際には、借りるが出来ずの、貸本屋で、立ち読みしたりして。


とかとか、いやね。
当家、年会等々では、光圓寺には、度々の来てるですが。
嫁はんと、二人でだけは、どなん哉の、一度か、二度哉と。
又、年会では、当方、主催者と、するのか、喪主たるの立場で、早めには、来てるけれどの、こんな具合に、界隈、ウロウロ、する事、ありませんです。
そらな、招いた、声掛けたの面々、揃うを待ち受けまして。まさかの、こちが、時間ぎりぎりなり、遅刻なんかしたら、トンでもでして。

そもそもがの、此度、余所様の靴が二足あったり、してね。
勝手口の呼び鈴鳴らせど、気配無く。
出て来られたの、ならばの、しかるべくの、上がって良いのか、悪いのかの、様子伺いの、良いなら、上がって、法要まで、待つです。

いやね。
そんな事で、15分程度、松原市場をウロウロ致し。して、へえの、市場とは、言えんなと。店も、殆ど、消えてもての、寂しいなあと。
戻って、再度の、呼び鈴、リンの、りんりんにて、今度は、人の気配で、住職現れて。
挨拶方々の、あのですねえと。余所様がと。
申せば、嗚呼、お茶、お花の、教室の日なんですと。へえと。法要なりの、先客とは、違うのかと。
よて、上がって、本堂で、お待ち戴ければと。さよですかと。
いやね、実は、30分前には、来てましてと。呼び鈴鳴らしたですが、出て来て戴けませんでしてと。イヤ、お母様もと。へえの、すみませんですねえと。
とかとか、上がるが出来ての、靴は、先刻より、増えての、四足、四人分。されどの、お茶、お花故、2組かと。イヤ、知らんですが。

での、そこで、住職には、福子、佳江、すゑの法要をと、話を致し。
そですかと、少々のお時間をと、紙に、三人分の、法名等々書いて戴いて。オッとの、この件、予めの伝えておくのべきやった、なあと。
イヤ、住職、言うてたの、三人なら、三人を読み上げるだけと。
よて、簡単に考えてたですが。紙に書いて、貼り付けんならんのやと。
(20/02/25)