シバケンの単なる雑談NO.412
NO.410 | |||||
NO.360 | NO.370 | NO.380 | NO.390 | NO.400 |
NO.300 | NO.350 | NO.400 | ||
NO.50 | NO.100 | NO.150 | NO.200 | NO.250 |
目次
NO.4490 閑話休題的、園部で、靴を買うの話(2)
NO.4489 閑話休題的、園部で、靴を買うの話(1)
NO.4488 閑話休題的、親父の命日の話(14)
NO.4487 閑話休題的、親父の命日の話(13)
NO.4486 閑話休題的、親父の命日の話(12)
NO.4485 閑話休題的、親父の命日の話(11)
NO.4484 閑話休題的、親父の命日の話(10)
NO.4483 閑話休題的、親父の命日の話(9)
NO.4482 閑話休題的、親父の命日の話(8)
NO.4481 閑話休題的、親父の命日の話(7)
NO.4481 閑話休題的、親父の命日の話(7)
そんな事で。
真向かいの、うなされ君。気が付いてからの話の、見ず。
故に、就職なりで、家出たかと。
就職先がどこか知らんですが。基本、京都府下なら、家から、通えばええのにねえ。
とは、親の考え。
子は、何とか、早くに、親元離れたい。の、やろなあと。とは、推察するですが。
当方なら、の、時代なら、全くの、考えず。
でしたです。
とりあえず、長男の立場もあったしねえ。
言うたら、京都を離れるの考え、皆無。当然の、大学も、京都市内やしねえ。就職先も、自宅通勤前提。
とか、言うてもねえ。
当家、市内から、出たです。就職してから。
そらねえ。
借家やったし、ねえ。古い家で、雨漏りし出してねえ。漏電も、してねえ。
有り体、雨降ったら、天窓から、雨漏り。家の中で、金盥とか、傘まで、準備したり、してねえ。イヤ、ほんと。
言うは、家、諦めたは、再度の借家でありの、古くなりに、漏電したが、一番のきっかけやねえ。家主、隣家で、実は、売ってくれと。就職したての、青二才が。とは、当方の事。
言うたら、ならばの、なんぼで、買うかと、問われたと、したなら、よお、返事、出来ませんです。相場、知らんしねえ。
オッとの、何度でも、申すの、その時、就職して、2年目やねえ。
まずは、祖母が亡くなったです。
近所、歩いてて、車にぶつけられて。相手さん、祖母が、停まってるの車にぶつかって来たと、主張。と、聞いてるです。親から。
どちにしろ、その話、聞いて、会社から、帰宅で、即の、病院に。
イヤ、近くでねえ。堀川の四条でして。
大急ぎで、病室、個室でした、ですが、顔見て、泣けて、泣けて。可哀想にと。顔ねえ。内出血で、真っ赤。胸の辺りも。
包帯巻いてねえ。顔にも。
まあなあ。
顔なり、胸は、内出血で、真っ赤なだけの事で、問題は、骨盤の骨折。骨盤の、骨折と、するのか、足の骨折やねえ。ンの、右か、左か、忘れたですが。
左であったかと。
申せば、当方も、足骨折、左。
若かったが故、金具外すの手術したですが。祖母の場合、せず。せずは、金具入れたのまま。
オッとの、当時には、リハビリの概念なくて。骨折したなら、安静、安静。くっつくまでと。
で、当世なら、わかるです。
そんな事したら、最早の歩けずの、寝た切りになると。そら、何ちゅうたって、歳でして。亡くなったは、84歳。骨折は、83歳の時、やろか、なあと。
約の、1年、寝た切りになってたです。かえすがえすの、可哀想に、ねえ。
申せば、半世紀昔の、その歳で、杖も突かずに歩いてたです。思えば、達者やったんやと。
思えば、その歳で、2階に上がってたです。部屋、2階でして。
オッとの、当方も、2階。叔父達が、2階の真ん中の部屋に居てねえ。奥は、物置でして。表の部屋なるは、天井低いけれどの、中二階で、寝るなら、充分。
そこには、親父なりの、本とか、沢山置いてあってねえ。
思えば、奥の部屋、物置きには、髭のない、虎。端午の節句の。あるいは、蓄音機の片割れ。まあ、言うたら、がらくたやねえ。整理せねば、何があるのやらの、さっぱりの、わからんの。
実は、当家、仏光寺に、来るの以前には、綾小路通り、大宮の、丸屋町。でしたです。
話、聞くところでは、豪勢でねえ。
それこその、家を何軒も、所有で、親父なんか、親父付きの、女中さんまで、居たですて。要は、我が祖父が、商売してて、ねえ。
染料屋でねえ。
話では、独逸製の染料を、扱いの、一世風靡。
が、知り合いの、保証人になるに、実印一発、その知り合いが、夜逃げしたのか、借財全て、祖父に掛かっての、破産で、家も、取られて、仏光寺の家にと。
と、聞いてるです。
確かに、羽振りが良かったのやろねえ。親父の、趣味の、四柱推命の本なり、先の通りの、蓄音機とか、色々あったですが。皆、親父のらしく。
兄弟なら、親父、亀太郎。政次郎、愛子、重郎、久雄。の、5人。
いやねえ。
よっく、調べたならばの、歳が離れてて、ねえ。
亀太郎で、6歳下、政次郎。4歳下<10歳>、愛子。3歳下<13歳>、重郎。5歳下<18歳>、久雄。
オトトの、6人でしたです。
6歳で、亡くなってるの、叔母、福子が居たです。亀太郎の、2歳下。
オッとの、いやねえ。
要は、柴田の、祖父母の、代ねえ。には、子沢山の時代やったんやと。上、長男の、我が親父、亀太郎から、末の、久雄までなら、18年。
いやねえ。
その、柴田の、親父世代のは、皆、亡くなったです。
申せば、重郎の嫁。叔母やねえ。が、一人、残ってるです。
その亡くなったの、全て、死に目には、会えてませんです。
まあなあ。
政次郎なら、満州で、戦死やしねえ。その年に、祖父も亡くなってるし、ねえ。福子も、全くの、知らんです。
知ってるは、祖母、親父、叔母愛子、叔父重郎、下の叔父久雄嫁文子で、叔父久雄。
オッとの、当方的、一番、妹、佳枝なれどの、当時、まだ、死とは、何かが、わかってませんでしたです。
結果的、申せば、祖母ねえ。
同居でねえ。生まれてから、ズと、一緒でねえ。祖母還暦の孫、当方。
申せば、24年間やったんやねえ。一緒したは。
トトトの。祖母亡くなり。の、すぐにも、親父が、結核で、宇多野病院入院。これは、当時、強制隔離入院でしたです。
祖母亡くなり、すぐにも、親父が入院でして。
アと、言う間に、家族2人、消えて。
まあなあ。
祖母は亡くなったけれどの、親父は入院なれどの、その直後から、やねえ。
言うてるの、雨降ったら、2階の、我が部屋、天窓から、雨漏り。金盥とか、傘まで、準備してねえ。
とか、言うてるの間にも、漏電したり。
とか、言うてるの間にも、1階の、裏の柱が、腐って来てねえ。宙に浮いてるの状態でねえ。
よて、青二才、当方、世間知らずのが、青写真、設計図描いてねえ。新築の我が家の。イヤ、ほんと。
暖炉が欲しいなあと。
ホンダの、Zの、駐車もさせたい、なあと。
とかとか、費用、幾らかかるかは、わからんの、貯金なんか、一銭も、あらへんのに、ねえ。
家主であるの、隣家に、交渉にと。目的、家と、するのか、土地付き家やねえ。売れと。
まあなあ。
当家、家長代行、当方。親父は、入院中な、だけでして。
されどの、当方、就職してるしねえ。借金なら、出来るの筈と。借金とは、住宅ローンの事。
がしかし、世間は甘くはないの、家建てるは結構の、建てるは、当方の資金で。
建ったの家の、登記なるは、家主にと。ゲと。
での、新築になればの、その分、家賃上げると。ゲゲと。
要は、雨漏りしたり、柱、腐って来たりの、漏電までしてねえ。住んでられんなら、出てくか、建てるか、なれどの、建てるは、こちに資金で、云々では、ローンは組めず。
まあなあ。
どちにしろ、当方の能力、資金調達能力では、その家、土地買うは、出来ませんですが。よ、考えたら、なと。
まあ、言うたら、土地なら、当家の資産であるなら、建てるは、当方能力でも、出来ると、思うですが。土地がないでは、手も、足も出ず。
そもそもがの、入社して、何年、1年、2年、これから、3年目になるの、よなのが、ローン組んでも、なと。京都市内に土地なんかと。
とは、後刻、思えばの話の、当時には、借金能力とか、その手、相場も、知らんと、からにの、よお、交渉に行った、なあと。
世間知らずの、青二才故、出来たですが。
話、逸れてるよで、大して、逸れては、ないの。
親父ねえ。
死因、肺が破れたです。
言うてるの、結核で、強制隔離入院したと。
結果的、それから、約の、20年後やねえ。オッとの、入院から、亡くなるまでの期間が。
(24/06/08)
NO.4482 閑話休題的、親父の命日の話(8)
何か、言いたい事、あったの筈が、又、失念。
とか、言うてるの間に、ハタと。
いやねえ。
このところ、矢鱈に外出したく。
外出ねえ。我が周辺ではないです。とか、言うたって、旅行までは、なと。
簡単に申せば、ドライブがてらの外出でして。そのドライブも、当然の、日帰りで、片道、精々が、2時間程度。3時間も、4時間もは、我が気力保たず。
その、範囲の外出ねえ。亀岡からなら、福知山とか。でして。
その福知山なら、大分、行ってるです。伊勢の、ではないの、内宮、外宮。天の岩戸神社とか、あったり、してねえ。その3つ、遂に、お参りしてるです。
加えての、福知山城も。
とも、なればの、余り、行くのネタが、あらへんなあと。
とするのか、正直には、当方、方向音痴、地名、人名音痴でねえ。真正、純正の音痴。でも、あるですが。
まあ、言うたら、その福知山にしても、モっと、他にも、見るべき、行くべき、楽しむべきが、あるやろなあと。とは、思てるですが。よお、知らん、わからんが、本音。
オッとの、当世なら。
イヤ、tantoなら、カー・ナビ装備故、基本、どこえでも、行けるです。結構なると。
但し、当方自身、その手、慣れてませんでして。イヤ、ほんと。
いやねえ。
何も、わざわざの、田舎方面に、行くの事、あらへんですが。一つには、空いてるしねえ。交通量から、人出から。飯喰うに、店なりに、入るにしたって、大入り満員で、待つ、待たされるも、あらへんし、ねえ。
がしかし、大問題は、当方的、そっち方面、土地勘ゼロ。
むしろ、京都市内なり、滋賀の方が、知ってると、言えば、知っててねえ。特には、市内なら、任せて頂戴なと。とか、言うたって、出て、何年経ってるやの。24歳の頃、出たし、ねえ。出て、既に、半世紀以上。
とするのか、元々が、当方的、出不精。
但し、出張なりで、方々に、行っててねえ。とか、言うたって、主たるの先なら、四国なり、岡山でして。東京さねえ。方面には、適宜、行ってるですが。何分の、地名、方向音痴でありの、その手に、興味もなくて。
いやねえ。
余計なるの話の、最初に、韓国、Seoulの工場に出張の時。
誰とは、申さんの、技術面の、ではないのが、韓国の、旅行案内の本、持参してて、ねえ。へえと。
当方的になら、旅行と、業務での、出張とは、違うしねえ。旅行の本買うも、毛頭のと。がしかし、今、思えばの、所有してたらの話の、知識も、加わったやろ怪なあと。
とは、思てるです。
ですが、実際には、出張の間には、初期だけ、やねえ。工場の面々に、方々、案内されたは。案内されたって、右も、左も、そもそもがの、予備知識なくて。
ンの、何の話。
実は、手軽に、道の駅なら、わかり易いなあと。次、行くなら、どこがと、探索してるです。
して、本来なら、今日<6月8日・土>にでも、行くのつもりが、朝から、嫁はん、体調と、するのか、熱っぽくと。36度と、5分程度なら、どて事あらへんですが。
そ、言うが故、延期して、明日に、でもと。言うてはいるけれどの、明日ねえ。雨かと。イヤ、よ、知らんですが。
オッとの、いやねえ。
何故に、外出云々ねえ。
心配すなの、言うてるの間にも、出られんよに、なるわと。今、当方、何歳やと。イヤ、ほんと。
周辺見渡し、この年代ので、方々、出かけてるのなんか、知らんでと。言うたら、出来るの事、ならばの、近場にでも、行けたらと、思てるのが、多いぞと。
その近場ねえ。ほんとの、近場で、スーパーとかで。遠くて、病院やったり、してねえ。
冗談では、ないです。
言うは、行きたいと、行けると、行くは、違うしねえ。
実は、行きたいは、誰もが一緒かと。行けるねえ。行くの気なら、行けるのと、実際に、行くとは、なと。
申せば、当方、その気なら、行けるです。健康上、何もなく。
されどの、だんだんと、行く気あっても、邪魔くさいの気、出て来てるです。実は、その、邪魔くさいとの、戦いや、ねえ。
更に、申せば、歩きも一緒。自身との、戦い。
オッとの、いやねえ。
言い出せば、出たら、金掛かるわと。
ガソリン代がいるしねえ。出先で、飯喰たら、その分、いるし、ねえ。てな事、考えたら、どこえも、行けへんわと。
オトトの、本題。
親父の話。
申せば、早くに、入院してもてねえ。
申せば、祖母亡くなって、スグやしねえ。印象的、殆ど、同時やねえ。当たり前に、祖母の葬儀、納骨等々、しかるべくの、関連行事、終えてから、なれど、です。そらなあ、自身の、親の事。
いやねえ。
1年ねえ。祖母の、一周忌の事、なれどの、これ、当方がしたよな、感してるです。施主としての話。
言うたら、親父入院してまして。
言うてるの、結核で、強制隔離入院。
オッとの、いやねえ。
会社から、帰って来たら、母から、その事、聞いて、へえと。
早速にも、見舞いと、するのか、宇多野病院に、行ったです。宇多野病院ねえ。実は、我が母校、立命館大学理工学部と、するのか、衣笠学舎から、近くてねえ。
まあ、言うたら、よっく、承知してるです。
双ケ丘の方やしねえ。
申せば、立命館大学衣笠学舎の、そばには、堂本印象美術館があるしねえ。
あるは、承知も、結果的、一度も、入ってえへんなあと。
そして、竜安寺があって、ねえ。ここには、何度か、行ってるです。当時には、閑散と、しててねえ。イヤ、ほんと。枯山水を前にして、寝っ転がってたです。イヤ、ほんとの、事実やわと。
横手、無料の場所なれどの、には、何ちゅうかの、小川が流れてるしねえ。当時には、人なんか、ダアレも居てへんし。
今は、知らんです。多分なら、観光客で、一杯やろと。可哀想にと。
その先には、御室仁和寺でして。
ここも、学生時代、一度、花見に行った、なあと。当然の、歩いて。卒業研究の面々と、一緒に。
逆には、現在の、同窓会で、会うの面々の大半、この、卒業研究の、でして。
更に、先に行けば、宇多野病院。
その又、更に、行けば、広沢の池。
実は、その池の、向かいには、我が母校、堀川高校の嵯峨野グラウンドがあった、ですが。当然の、現在でも、存在。
そして、更に、行けばの、嵯峨嵐山。
まあ、言うたら、当方的、一番に好きな界隈。
オッとの、いやねえ。
結果的、病院には、家族も、行けるし、お見舞いも、出来るですが。基本的、完全看護。且つは、強制故、入院、治療費、無料でねえ。
但し、言うてるの、通りの、中途半端でねえ。
親父なら、生存で、特段の、呆けてもおらずの、入院中。疾患、結核なれどの、治れば、戻って、当然。
いやねえ。
再度の、当方的、当時には、ホンダのNⅢか、Z。
NⅢなら、中古車でして。業者、車屋は、再生車と、言うてたです。整備して、座席等々なるは、交換してると。
Zなら、初めての、新車。
まあなあ。
余計なるの話の、この当時、当方の運転も、あらっぽくて、ねえ。方々に、傷、へこみ。
それをば、補修してたです。当然の自分で。
そらなあ。
そんなモン、一々の、業者に直してもろてたら、費用嵩むわと。オッとの、傷、へこみねえ。当たり前に、自損。
ンの、何の話ねえ。
要は、祖母の援助、入社祝いとして、教習所の費用出してくれて。
勤務し乍ら故、時間、日数要したけれどの、足、単車、スーパー・カブ所有でねえ。
通うは出来たですが、毎日は、行けずで、結果的、半年掛かっての、その年の年末までには、やっとで、実技は合格したです。
免許証さえ、手に入れたならばの、早速にも、先程の、軽自動車の、中古、NⅢ買おて。
とりあえず、残業、残業で、忙しいのに、休みも、出勤多かったのに、宇多野病院には、何度も、何度も、行ってたです。
まあ、言うたら、ドライブがてらも、あった、なあと。
当然の、親やしねえ。
当方以外、お見舞いにも、行かへんし、ねえ。
(24/06/09)
NO.4483 閑話休題的、親父の命日の話(9)
いやねえ。
結果的、本日<6月9日・日>、外出せず。
まあ、言うたら、夜半より、雨。朝方、上がったですが。さての、どするの兵衛哉の、嫁はん、体調悪いのみたいでねえ。
言うたら、無理しんでもと。
そらなあ。
出て、しんどい、しんどい、言うてたでは、どもならず。
そもそもが、で、どこえ、ねえ。決めてませんです。単純には、丹波篠山の方。と、だけ。
では、あっても、「道の駅」が、よい、みたいに、思うですが。ならばの、有料道路の中、SA、やったり、してねえ。わざわざの、高速道路に入ってまで、行く気なく。
と、なればの、ど、なんやろねえ。丹波の篠山に限定の場合、余り、あらへんねえ。
検索の範囲では、福知山の方になったり、してねえ。
オッとの、いやねえ。
丹波の篠山なら、その昔には、走ったです。当然の、車で。
要は、嫁はんの里帰りで、そっち方面から、行ってたです。その時、まさしくの、丹波篠山インターであったか、から、有料道路に入ったり、してねえ。
イヤイヤ、所謂の、デカンショ街道であったかも、通ったし、ねえ。言うたって、当方的、見解、特段の、何も、なく。
言うたら、息子、長男やねえ。ナビゲーターしてくれて。イヤ、ほんと。
そらなあ、昔々の話でねえ。道路が出来たら、通ってみるかと。冒険心旺盛でもあったです。
くどいけれどの、カー・ナビなんか、あらへんし、ねえ。道路地図帳一冊で、どこえ、でもと。
思えば、多少は、迷子、道、間違おたりも、してるですが。で、当たり前だの、クラッカーの時代でねえ。現在地も、わからんよに、なったりも、したですが。
とりあえず、全員無事、目的地に到着してるし、戻りも、出来てるし。
現在唯今、斯くの、如くの、存命してるです。
息子共も、健在やし、ねえ。皆、結婚して、独立して、当方的、孫も居てるし、それが、長男家で、3人。次男家で、2人で、結構なると。
本音で、申せば、とりあえず、次世代、次々世代までは、居てるになるです。
更なるの、本音でなら、京都府下には、次男家でして。長男家、神戸やしねえ。言うは、墓守ど、なるの、やろねえ。それは、次世代なり、次々世代に任せな仕方があらへんわと。
言うたら、当方的に、ならばの、現住所、亀岡や、けれどの、死ねば、墓地、京都市内、一望に見渡せるの場所に、埋めてもらえるです。
結構なると。
いやねえ。
理想的に、申すならばの、本当は、死ぬ地、京都市内が宜しいですが。生まれ、育ったの、喜吉荒神町が、尚、宜しいですが。
最高なら、その地、仏光寺の油小路なら、理想なれど、です。そは、なと。現実問題、宝くじの最高額でもが、当たらんの事、には、なあと。出来ませんです。
そらなあ。
土地値だけでも、坪、ン百万円。10坪でも、ン千万円。
且つは、売ってくれたらの話でねえ。
話、逸れるですが。
色々、言うてるですが、空き地が一杯。とか。
これ、所有者、所有権、放棄してるであらへんです。まあ、言うたら、それなりの、値なら、売ってやると。されどの、公示価格、実勢価格では、売らんやろねえ。
よて、借りるになったり、してねえ。借りるも、家賃高いぞと。
いつぞやの、ン十年昔の、話。家、建て直すは結構。所有権家主。その分、家賃上げる。
これが、当世の主たるの、方向かと。
とりあえず、京都市内なるは、土地代高いわと。買うに、売るに。よて、多くは、借地。
オッとの、何の話。
いやねえ。
本来的、一寸の外出ねえ。この一寸も、程度問題での、スーパー、コンビニなら、左程に、悩まんの、けれどの、矢張り、一寸、遠出になればの、決断いるです。行き先も、要検討せねばの、どんなか、なんか、皆目の、知らんし、ねえ。
まあねえ。
行って、つまらんなら、それは、それで、二度とは、行かんですが。
さりとての、ここはと、成っても、二度は、わからんのけれどの、三度も、四度もは、ど哉と。そらなあ、出来れば、新地開拓したく。それも、次々と、あって、ねえ。で、あれば、宜しいですが。
慣れてませぬ故、新地開拓にも、難儀してるです。
まあなあ。
内部、自分達の範疇での話、故に、急ぐ事もあらへんですが。
思うは、果たしての、いつまで、やろなあと。出るが、出来るのが。
言うは、生存、大前提。加えての、出るが出来るの、健康であるの事。
生存してて、健康であっても、言うは、方々に、行くの、気が、気力が、あればの話。
申せば、次第、次第に、邪魔くさいが、先に立ち出すです。
そらねえ。
北方、西方ねえ。最近になって、行き出してるですが。とりあえず、最近でして。馴染み薄く。土地勘も、当方的、希薄でねえ。
かと、言うて、東方ねえ。滋賀県方面ねえ。車が一杯、やろなあと。
申せば、京都市内なら、墓参で、よお、行ってるです。以前なら、中学の学友、同窓生やねえ。作品、絵画なりの、なれどの、展示会開催されての、11月辺りの、中旬やねえ。には、行ってたですが。
丁度、平安神宮の、神宮道でして。
まあ、言うたら、この界隈も、好きな場所での、駐車場も、あるし、ねえ。「唯」の、会場には、喜んで、行ったですが。その彼女、亡くなって、もてねえ。この歳で。
2022年4月やねえ。
結果、その年より、用事なくなって。そら、案内状届かず。多分なら、「三人展」で、一人亡くなれば、「二人展」としては、開催せずかと。多分。
イヤ、案内状来るならの、「唯」なら、出向くですが。他の、2人、承知してるです。
オッとの、1人、男で、結構、若い方、でしたです。モ一人、女性で、若干の、若い方かと。我々よりもの、話やでと。
がしかし、案内状、来ませんでして。多分なら、辞めたのやろ、なあと。
オッとの話が、逸れてるです。
言うたら、遠出も、近在なれどの、行くも、行けるの季節があるし、天候もあるし、ねえ。こちの、体調もあるし、ねえ。
結構、難しく。
どちにしろ、親父の話からは、逸れ過ぎたですが。
言うたら、親父ねえ。基本、出不精でして。当方と、一緒やねえ。
がしかし、結果的、殆ど、旅行なり、遠出も、してへんかった、なあと。親父の話やでと。
親父と、出たと、なればの、一箇所、憶えてるは、比叡山。
それこその、展望台に、までは、一家、とは、言うても、父母と、妹の4人で、バスで、上がったかと。
オッとの、妹ねえ。当方とは、7歳違うし、ねえ。
言うは、下りは、自力で、降りたです。
7歳違いの妹も、自力で、降りてるからには、少なくともの、小学生には、成ってるです。ケーブル・カーの横手の、階段なりで、降りたの記憶でねえ。結構、大変。
思えば、妹ねえ。よお、頑張ったですが。親ねえ。よお、そんな事をと。
とか、言うても、下りの、ケーブル・カーなり、バス代、節約したかと。の、程度の、当家、経済力。
がしかし、一家で、遠足やねえ。モ一箇所、あったですが。場所、忘れたです。
イヤイヤ、親父が、どこかに、旅行ねえ。ありませんです。
祖母も、ありませんです。
母なら、当方、結婚してから、なれどの、所謂の、老人会なりから、方々に、旅行してるです。大体が、出たがり屋。
オトトの、老人会ねえ。60歳からかと。
言うは、現在の、敬老会の、75歳。とは、一緒にすなよと。
(24/06/10)
NO.4484 閑話休題的、親父の命日の話(10)
いやねえ。
旅行ねえ。
その昔々の、半世紀昔ねえ。
まだまだ、車が、ステータス・シンボルの時代。
では、そは、易々の、遠出は、出来んなと。
出るに、交通機関、JR<国鉄>ねえ。バスねえ。市電では、その名の通りの、市内やしねえ。
よ、考えたらの話の、半世紀昔では、方々に、出る。遠出する、旅行するなんか、まあ、なかった、なあと。伊勢参りは、大変なるの、一生行事。とも、言えるの時代でもあって。
あると、したなら、市会議員で、国会議員とは、違うみたいに、思てるですが。
ほならの、何の議員やろねえ。正確なるは、憶えてませんです。憶えてるは、そこの家業、牛乳屋。オッとの、格致小学校区の市会議員候補者も、牛乳屋でねえ。
牛乳屋は、儲かるのかと。イヤ、ほんと。その議員では、なかったです。ンの、その方、何度も、立候補して、落ちてたなあと。
多分なら、岩野マサオさん。苗字は、この漢字で合おてるですが。名が、自信なく。そらねえ。多分なら、当方、小学生とか、中学生の時代の話でして。牛乳屋の、小父さんでして。
その何の議員か、失念のが、どこやろ怪の、大阪やろか。大阪湾やろかに、バスで、貸切バスで、連れてって、くれたの事、あった、です。
まあ、言うたら、選挙運動。
なれどの、こちから、したらの、当方的、小学生やしねえ。親なら、選挙権あるですが。何でも、結構の、只で、招待してくれるの、ならと、母と、一緒に行ったを憶えてるです。とするのか、母に連れられて、やねえ。
結果、貝が沢山とれて、ねえ。
母曰くに、予めの、貝を、まいてるのやでと。夢のない話をしてねえ。イヤ、ほんと。
とか、あるいは、町内会、喜吉幸神町なれどの、矢っ張り、バス一台、貸切したのか。で、保津峡の方に、遠足、飯盒炊爨で、行ったを、憶えてるです。
保津峡ねえ。
まあ、言うたら、当時には、飯盒炊爨出来るの、場所。
まあ、言うたら、当家、現在の地、亀岡の、並河の方。なるは、その地よりも、遙かなるの、田舎。ド田舎。
実は、JRで、京都駅方面に、行くの都度、保津峡駅通過してねえ。あの時のと。当時、飯盒炊爨したの、地やなあと。
オッとの、保津峡駅ねえ。どなんやろねえ。亀岡か、京都か。よ、知らんです。まあなあ、地図上で、見たなら、丁度の、境界線の辺りで、正確、厳密には、駅は、亀岡。
いやねえ。
言うてるは、祖母、親父なり、母、叔父達ねえ。
少なくともの、皆、一緒に生活してたの頃には、遠出なんか、滅多には、してへんねえ。するなら、JR<国鉄>なり、でして。
言えば、大阪、梅田の方、十三かなあ。には、その昔には、叔母一家が居てねえ。諸般、叔父達も、行ってた事、あった、です。
イヤ、言えば、叔母婿、事業してまして。まあ、言うたら、やり手。イヤ、ほんと。
ある意味、我が祖父と、似たよな面、あったかと。
とは、当方の勝手推量。
そらねえ。
祖父なるは、実物知らんわと。写真でしか。その写真も、葬儀の時の、でして。
叔母婿ねえ。
そらねえ。
当時なら、会えば、わかるですが。が、しかしの、言う程には、会おたの回数僅少。喋ったの回数、何回やの、範疇。
まあ、言うたら、結果的、当方、小学生の頃やねえ。東京さに、行って。諸般の事情あって。
再度、見た、会おたは、祖母の葬儀の日。
結果的、それ切りで、亡くなってもてねえ。イヤ、当家、話、あったか、なかったか。葬儀には、行ってないと、思てるです。
多分なら、遠方故、叔母婿の親族のみに、声掛けたの哉と。
イヤ、そんな話、した事、ありませぬ故、全くのと。
当然の、叔母の時には、京都の面々、2人の叔父夫婦、我が母と、当方、葬儀には、出向いてるです。
当方の場合、叔母が、怪しいと。今の内にと、その長男、従兄弟やねえ。から、連絡受理で、母と一緒に、東京さにと。
当然の、これ又、それが、最後でねえ。叔母と。
話、どんどんと、逸れるですが。
叔母、生前、亀岡の我が家に、来てくれて。一泊して、くれたですが。当家的、熱烈の歓迎。夕食には、手巻き寿司をしてねえ。
今でも、鮮明に、憶えてるの、そのネタをば、幾らであったか、5千円分。ンの、何年前の話か、亡くなったは、1986年やしねえ。38年前。の、以前やしねえ。
いやねえ。
亀岡、並河駅の、近くの、「誠」寿司であったかに、注文してねえ。取りに行ったです。
店主の話、ネタだけで、5千円分ねえ。一寸しか、あらへんなあと。がしかし、その分やし、なと。申せば、舎利にネタが付いて、カサあるです。ネタだけなら、極めての、僅少。
まあなあ。
それで、当時、当家、5人と、叔母の6人。楽しく、手巻き寿司をと。
での、叔母に対しては、諸般、母と、息子共2人で、保津川下りに、でもと、資金出して。イヤ、ほんと。
まあ、つまり、当家で、最初に、保津川下りしたは、母と、息子共2人。
我々夫婦ねえ。
その何年後かと。次男夫婦が結婚した頃やねえ。
嫁はんの姉夫婦が来てねえ。亀岡に。
よて、諸般、京都案内したですが。その時、保津川下りして。戻りは、トロッコ列車と、記憶してるです。
ンの、何の話、ねえ。
どんどんと、話、逸れるですが。
叔母来てぅれたは、当家の、墓開きに、でして。
旧の墓石を新しくしたです。イヤ、欠けて、欠けて、墓石が。
よて、墓石新調してねえ。血縁親族をば、呼んで。墓開き行事終えて、円山公園の、「いそべ」で、会席料理をと。二階貸切で。イヤ、ほんと。
での、墓開き終えて、明くるの日やねえ。保津川下り、云々は。母と、我が息子共2人で、まあ、言うたら、京都観光。
とか、言うたって、叔母、京都育ち、なれどの、保津川下りとか、トロッコ列車は知らんやろと。
での、叔母、その日に、そのままに、大阪の、婿殿の、兄弟さん、やろねえ。叔母婿の、親族の事、当方的、皆目の、知らんでねえ。
兎に角、行って、そのままに、東京さに、戻ると。
ならばの、当面は、会えへんねえと、朝には、さいなら、して、当方なら、会社にと。車で。
言うてるの、婿殿には、左程に会いの、話も、した事もなくて。一番にしたが、我が祖母の葬儀の時。
ホンダの、Zであったかの、ラジカセ見ての、当時、アンディ・ウィリアムスの歌、所有でねえ。叔母婿曰くに、趣味ええなあと。言われたを、記憶してるです。
再度の、叔母婿とは、結果的、それが最後。
での、叔母の話ねえ。
繰り返しになるですが。
亀岡の我が家に来てくれて。先程の、当家の墓開きに。
諸般、保津川下りなんかをしてねえ。大阪に行って、そのままに、東京に帰ると、聞いてたですが。
その日、当方、帰宅で、ンの、瞬時、祖母かと、見間違う、思い違うの、錯覚の、幻想の。
イヤ、実は、大阪に行って、そのままに、東京の筈の叔母が、我が息子達と、一緒に、出迎えてくれて、ねえ。
駐車場と、するのか、玄関先で。
イヤ、再度、申すの、瞬時、祖母かと。
の、程に、そっくりでして。姿、形、雰囲気が。
当方的、涙流したです。祖母現れたと、錯覚して。
イヤ、ほんと。
そして、その日、夜、叔母曰くに、自身は、この、柴田から、嫁いだと。
イヤ、間違いないです。
その通り。
イヤイヤ、当方なら、叔母が、嫁いでからの誕生故、一緒には、生活してませんですが。
多分ならの、祖父が生きてたの時かと。結婚は。
なんかの、細々なんか、全くの、聞いてませんですが。
言うは、叔父達なら、同居してたしねえ。上の叔父なら、当方、中学生時代まで。下の叔父なら、中学卒業辺りで、家出てったです。
当時なら、そんなモンでして。
狭くとも、皆、一緒にと。結婚なり、して、独立でして。
(24/06/11)
NO.4485 閑話休題的、親父の命日の話(11)
とかとか、親父の話。
するに、どしてもの、親父世代の親族の話になるです。
言うてるの通りの、その当時には、叔父達なら、同居してたしねえ。
叔母の場合、既に、嫁いでたですが。そこの従兄弟ねえ。
三人兄弟で、上は、当方の一歳上。
イヤイヤ、当家、当方には、妹でして。男兄弟居てへんし、ねえ。
まあ、言うたら、その従兄弟、初期、当方、小学生時代までは、大阪でしたが、以降、東京さでねえ。
とか、言うても、その従兄弟、長男の方なれどの、はきりと、申しの、関西が好きでねえ。高校生になって、から、なれどの、京都の、当家に、よお、来てくれたです。一人で。
以降も、度々の、来てくれてねえ。
まあ、言うたら、一番に仲よかったかと。
オッとの、母方にも、従兄弟は沢山居てるですが。
こちは、当時、皆、近在でして。要は、京都市内やしねえ。特には、下の伯父家なんか、我が中学校の、通学路途上にあって、ねえ。
用事もないのに、伯父さん、伯母さん、居てる怪と、寄ったり、してねえ。イヤ、ほんと。
まあ、言うたら、近くでもありの、下の伯父は、当方をば、可愛がってくれて。
オトトの、親父の話やねえ。
でや。
5月31日なるは、親父の命日に、間違いないけれどの。先日、チラと、仏壇の過去帳見てねえ。ゲと。
イヤイヤ、紐解けばの話の、当家、5月、6月の、命日の多い事。
5月ねえ。
23日、祖父、亀吉でしたです。スマン、忘れてた、わと。
何と、マの、親父の、葬儀が云々の、その、6月1日には、曾祖母の、命日でして。ゲゲと。
その、6月ねえ。8日、我が母の、でして。ゲゲゲの、ゲと。
一寸だけ、先なれどの、6月の、22日には、我が妹の、佳枝の、やった、なあと。スマン、なあと。
今、思えばの、話の、親父、誕生日が、その父の、祖母の、命日の日、やったんやと。特段の、意味ないと、思うですが。
ついでにの、申せば、当家、親族、ご先祖様、この、5月、6月に、多いねえ。
5月には、祖父と、親父の、2人。
6月には、曾祖母、母、妹の、3人。
祖母が、2月でねえ。一寸、離れてるですが。
この、伝で、ならばの、当方ねえ。
5月かと。命日になるのが。
イヤ、冗談では、ないです。確率的、結構、高いの可能性。
で、特段の、何とも、思てませんです。どちにしろ、自身では、選べませんでして。5月も、1日から、31日まで、あるし、ねえ。
オッとの、どちにしろ、次回と、するのか、直近ねえ。
本日、11日でして。直近、近々なら、22日の、佳枝やねえ。生きてたら、何歳になるのか。73歳やねえ。フウンと。
イヤ、生まれて、1週間、保ったか、保たんかったかの、寿命でねえ。可哀想にと。
とか、言うても、当方的、死とは、何か、さっぱりの、わからんの頃やしねえ。てな、事、言うたら、現在、唯今、尚、わからんですが。死とは、何ぞやと、問われて、正解答えるが出来るの、なんか、居てへんわと。
そらねえ。
経験しても、それっ切りでして。
まあなあ。
死ぬか、生きるか、三途の川、見た、渡りかけて、戻って来て、気がついた。
てな、話、山程あるですが。
あちらの世界、その三途の川、渡れば、知った、親族、知らんの親族、皆が、迎えに来てくれてと。熱烈の歓迎してくれる。
とか、聞くですが。
あるいは、その世界なるは、お花畑みたいでねえと。皆、天使みたいで、ねえと。
まあ、言うたら、皆、若くてねえ。
諸般、身体的、道具、機能なり、不自由になって、亡くなっても、あの世、極楽では、それこその、五体満足、頭脳明晰、聖人君子。
てな、話も、聞くですが。
皆、何等かの、縁者でねえ。懐かしくと。
嫌いなヤツなんか、居てませんでしてと。あの世には。ほんとなら、結構なるですが。
いやねえ。
当方的、話をしてるよな、親族ねえ。
度々、登場の、なら、再度の、何度でも、会いたいわと。
会おても、話なんか、あらへんですが。
そらねえ。
元気にしてたの怪の、挨拶も、変やろな。
今まで、何してた、ねえ。
そんな話、聞くの怪。まあなあ、答えてくれるなら、先輩諸氏に、聞くは出来るなと。イヤ、本気。
実際には、その手、話せずともの、以心伝心で、伝わって来ると。
てな、話も、聞いてるです。
では、あっても、常識的、死んだの面々に、元気ししてたの怪と、尋ねるは、変やねえ。
どしてたと、聞くも、どなん哉と。
結構、難しいねえ。真面目に考えたらの話。
(24/06/12)
NO.4486 閑話休題的、親父の命日の話(12)
ほんとにねえ。
亡くなったの、血縁親族等々、懐かしく、思うの面々に会おて。
イヤ、自身が、亡くなりの、三途の川渡っての話やでと。
面談するに、話も、難しいねえ。
言うてるの、元気にしてたの怪も、変でして。何してたも、奇妙でねえ。
結果、以心伝心かと。
その親族なりが、諸般、主導してくれるですて。何を、かは、知らんですが。
そこまでは、その手の話には、出てませんです。あっても、当方的、そこまでは、信用しておらずでねえ。
イヤ、そもそもがの、この、記憶のままに、死ねるの怪と。手足なり、何なり、動くに、不自由してるのに、に、次第、次第に、成ると、思てるですが。当方的には、なと。
いやねえ。
であれば、まだ、幸せかと。それだけ、生存したと、言えまして。
オッとの、誤解なきよにの、当方的、長生きしたい。とは、思てはないです。ある意味、それこその、元気な内にと。皆から、嗚呼、早いな、可哀想にと、思われるの間にと、思てるです。
申せば、それは、何歳かと。
当世、長生きし出してねえ。
周囲見渡しましての、90台なんか、当たり前だの、クラッカーでして。90台も、後半が主流かなあと。それこその、100歳。100歳も、特段にの、結構、居てるのみたいでねえ。
いやねえ。
そらねえ。
100歳でも、110歳でも。何なら、200歳でも、元気、元気で、自力、自身の足で、歩けてるなら、何歳でも、結構。
又、美味しいものを、自身の歯で、諸般、気にも、せず、食せるならと。
イヤ、言うは、糖尿病が、血圧が、これ捨てロールが、心臓が、肺がと、呼吸がと、方々、あちこち、気になるよなら、困るですが。
呆けておらずで、言うてるの通りの、杖は許すにしても、とりあえず、自力で歩けてるなら、ご立派。
がしかし、そは、甘くはないぞと。
いやねえ。
「桂ざこば」が、本日<6月12日・水>、亡くなったですて。享年76歳ですて。知って、ゲと。へえと。
イヤ、当方よりも、下でして。学齢が。
死因、喘息ですて。
喘息ねえ。
咳や、コンコンも、似たよな、でして。結構、しんどいは、事実。下手したら、窒息死するかと、思うの時もあるです。
イヤ、ざこばが死ぬ程の喘息は、そなんやろなあと。
当方なら、咳やこんこん、連続で、遂には、腹の筋肉痛に至ったです。
言うは、咳やこんこん、ゴホン、ご本よりも、腹の筋肉痛の方が、余程に辛くの、痛くの、のたうち、回るです。加えての、場合により、息苦しくて。イヤ、ほんと。
オッとの、いやねえ。
我が親父、肺が破れてと、言うてるです。それこその、呼吸困難、呼吸出来ず。
その元なるは、咳であったか、何であったか、までは、知らんです。
いやねえ。
肺が破れたねえ。苦しかった、やろなあと。可哀想にと、思てるです。
がしかし、死ぬねえ。の、時には、相応に、皆、ある程度は、苦しむの、やろねえ。
時には、眠るが如くにと、形容されての、方々も、あるですが。そやねえ。それが、一番に幸せかと。そら、苦しまずに、済むのなら、なと。
イヤ、そこなんやねえ。
死の恐怖を味わうは、嫌でして。避けたいと。とは、自身では、ども、出来ずの、これは、何やろねえ。運命かと。天命かと。
イヤ、見掛け、苦しいやろなあ。痛かったやろなあ。は、あると、思うです。
但し、瞬時なら、ええも、悪いもあらへんです。
半面では、諸般、当人、死んだ事さえ、わからんがままに、逝ったも、あるやろなあと。
オッとの、何の話。
いやねえ。
当方、入院中でして。現の、京都中部医療センター。その当時には、府立南丹病院。要は、嵯峨野線の、八木駅から、徒歩、数分の総合病院。
これは、骨折で、金具入ってまして。左足に。それを、外すの手術でして。
かと、申しの、外す、抜くは、手術で、アと、言う間。とするのか、手術で、何時間掛かるか、忘れたですが。で、終わるですが。問題は、足を切るし、ねえ。イヤ、皮膚を。
切れば、それが、癒えるまでは、退院出来ず。とするのか、リハビリ入院でして。これが、約の3箇月。
とりあえず、諸般、親父も、腰骨骨折してまして。これは、年齢的、抜かずの、そのままですが。
と、するのか、宇多野病院なるは、退院したですが。何年に退院か。
忘れたです。
とりあえず、宇治、槇島に居た頃でして。そこには、8年居たですが。
申せば、そこに在住の時、結婚。
妹も、そこの時、嫁いでねえ。
更に、申せば、我が息子共も、そこに、居てるの時、生まれてねえ。正直、家運のよい家であったと、言えるです。
但し、親父が、一度、外泊やねえ。
戻って来たの時、転けてもての、骨折してねえ。それが、腰骨で、桂病院に入院したです。何故に、桂病院ねえ。よお、わからんですが。
とりあえず、当方、居てませんでして。その時。
イヤ、出勤で。
多分なら、会社、ロームから、近いが故、そしたの哉と。
での、どこまで、言うて、よいのやらの、親父と、母ねえ。仲悪くてねえ。
話簡単には、親父が戻るなら、自分は、余所行くと、どこであったか、下の伯父<母の兄>、黒門の、覚之祐のところかと、思いきやの、当時には、宇治大久保に在住の、上の伯父<母の兄>、圭介のところに、行っててねえ。
連れ戻しに行ったり、してねえ。イヤ、ほんと。
母、変に有言実行での、行動してねえ。どれだけ、振り回されたかと。イヤ、ほんと。
要は、どしてもの、親父との、同居、嫌と。
結果、所謂の、老人ホームに入所。それが、明星園<宇治莵道>。申せば、宇治槇島からは、近くでねえ。
では、あれどの、結果的、宇多野病院と一緒で、面会なりは、当方。
まあなあ。
思い立てば、即の、行けるしねえ。車があるし。
但し、言うてるの、そこ、槇島には、7年、8年しか、居てませんでして。
そらねえ。
正直には、槇島の家で、両親、我々夫婦と、息子共2人。計の、6人ねえ。
そらねえ。
その昔には、仏光寺の家で、7人が住んでたですが。再度、申せば、祖母、叔父2人と、両親と、妹と、当方。
簡単に申せば、祖母と、叔父達なら、2階。
我々4人なら、下の階で、寝たりしてたですが。
申せば、我が両親、仲ええなら、一つの部屋でと、出来るですが。母、嫌と。簡単には、顔見るも嫌と、言い張って。
オッとの、仏光寺の家の時には、一緒に居たですが。親父、入院で、別れて、槇島に住んでからの話でねえ。折角、別れたのにと。イヤ、ほんと。
どちにしろ、結果的、狭いの、我が家で、親2人に、部屋2つねえ。無理。顔も会わすしねえ。
まあなあ。
明星園には、即の、受け入れてくれたです。
当時には、当人であるの、親父と、保護者、当方が出費してねえ。
基本的には、親父の年金で、行けるですが。保護者も、応分の、収入に応じた負担がいったです。当時には。
思えば、保護者の負担、結構高くてねえ。イヤ、ほんと。
可成りの、経済的、負担でねえ。
言うは、当家、5人家族でねえ。ある意味、一気、当方、我々夫婦に、掛かって来てねえ。生計が。元々が、掛かってるですが。自由意志で、生活費、当時には、飯代、適当に、されどの、結構なるの額でした、ですが。そらねえ、初任給、33500円の時代。
残業代含めての、手取りから、その33500円か、3万円か、忘れたですが。多分なら、3万円やろねえ。ドンと、出して、残、自身。言うておくの、残業代なるは、定額とは、違うしねえ。
がしかし、結構あった、です。そらねえ。
当時、土曜日、平日の時代。日曜日も、結構、出勤してたです。平日なら、男子、21時までは、帰宅すなと。イヤ、ほんと。
での、言うは、宇多野病院なるは、結核での、強制隔離入院故、一切、無料。
母なら、年金、皆、自身の、オコズカイでねえ。イヤ、ほんとやでと。
オッとの、要は、親父、結果的、家に帰れず、帰っても、仏光寺の家、あらへんですが。あれは、借家でして。
一家、モロ、槇島でして、その時は。
どちにしろ、息子共2人誕生で、槇島の家も、手狭になって。
そらなあ。
その昔の、なら、何人でも、狭いの家でと、なるのけれどの、息子共の事、思えば、一寸でも、広いの方がと、まだまだ、安かったの、亀岡にと。イヤ、ほんと。
そらねえ。
当方の、甲斐性では、亀岡辺りまで、行かんと、無理でして。
イヤ、嫁はんも、パートで、出てた、ですが。
(24/06/13)
NO.4487 閑話休題的、親父の命日の話(13)
オッとの、いやねえ。
真向かいの、家の、犬ねえ。
亡くなったかと、思いきやの、声と、言うのか、鳴き声、聞こえてねえ。へえの、居てるんやと。
所謂の、大型犬でして。種類知らんですが。独特の、遠吠え聞こえまして。
イヤ、以前から、聞こえはしてるですが。どこの犬かと。
とりあえず、姿見えずでねえ。又、そんなには、長くは、泣いて、おらず。とするのか、吠えて、おらず。
どちにしろ、その家の、犬、存命なんやと。
言うてるのは、2009年の話やしねえ。その事件が。
その時には、犬居てたです。但し、諸般で、飼い始めの頃と、思うです。で、言うは、今年、2024年やしねえ。15年経ってるです。
犬で、15年ねえ。結構なるの、高齢。
とは、言うても、犬猫も、人間様同様、寿命が延びてるのらしく。
犬なら、昔10年。今20年。
猫なら、昔5年。今10年。
とか、言われてるです。
オッとの、人間様は、倍もは、延びてませんですが。
での、何の話ねえ。
諸般、親父ねえ。明星園に、入園してたですが。面会なら、当方、度々の、行っててねえ。
正直、槇島の頃なら、近かった、ですが。亀岡の、大井からは、結構なるの、距離あって。どれ、程やろ怪の、多分なら、50キロまではの、40キロ辺りかと。45キロやろかなあと。
まあ、言うたら、当方的、当時、宇治方面にも、詳しくて。
そらなあ、住んでまして。とか、言うても、細々なるは、知らんですが。そらなあ、生まれの、育ったの、地でありませんでして。
但し、まあ、言うたら、妹の、婿殿の実家は、宇治方面。黄檗の方。
言うたら、槇島時代には、近かったです。
まあ、言うたら、そこの親父さんが、来てくれ、来てくれと、言うて、ねえ。当方から、したらの、妹の、婿父の話故、その声に応じの、結構、行ったです。イヤ、ほんと。
余計なるの話の、その親父さん、プロ野球、阪神タイガースの、大ファンでねえ。
行こ、行こと、甲子園に。イヤ、ほんと。
当方、当時、巨人ファンやのに、ねえ。観戦したは、阪神、大洋。現の、DeNA。
憶えてるは、当時、大洋に、シピンなる内野手居てねえ。こいつ、守備でも、ヘルメット被ってやがってからにの、日本野球をバカにしてたです。
オッとの、こいつ、後年、巨人に入団。流石に、守備で、ヘルメットは辞めたですが。
オトトの、こいつ、現在77歳なんやねえ。当方と、同年ですて。ゲと。
トトトの、何の話ねえ。
その手の事、なるは、当方も、まだまだ、若かったです。
亀岡に引っ越してからでも、そこから、宇治莵道の明星園に行ったり、妹婿の実家にも、行ったり、してねえ。当然の、後年、妹一家も、黄檗から、小倉の方に引っ越したですが。
いやねえ。
話が、あちこち、行くですが。その、槇島時代、短かかった、けれどの、色々、あった、なあと。
柴田の、上の叔父家の長男。従兄弟やねえ。
バイクで、転倒、骨折してねえ。宇治の、徳州会病院に入院してねえ。何度か、見舞いに行ってるです。
又、妹婿母も、そこに、入院してねえ。腹に出来物あって。まあなあ、手術成功で、良かったなあと。
とかとか、兎に角、親父も、歳で。
とか、言うても、79歳やねえ。亡くなったが。
実は、諸般、当時には、男で、79歳ねえ。結構なるの高齢で、言うてるの、腰骨骨折してまして。
では、あっても、杖で、歩いてた、ですが。
がしかし、いよいよの、歩くに難儀で、車椅子にと。車椅子になると、当時には、特別養護老人ホームにと、促され。
実は、決まっての、隣接の、特別養護老人ホームに、入所が出来て。
結果、親父の荷物なりを、移動してくれと、言われて、移動しに、行って、ねえ。新しい部屋。とするのか、部屋は、まだ、決まっておらずか、とりあえずは、新築の、でして。
ここにと、場所、仮のなれどの、そこに、荷物を収めてねえ。
ではと、帰ったは、当然の、病院の方。当方、南丹病院に、入院の身でして。それでも、当方しか、居てませんです。親父が云々で、出向くは。
母なら、嫌てねえ。とは、言え、何度、2度、一緒に行ってるですが。
言うてるの、当方、骨折入院してまして。言うたら、リハビリ入院中。
で、明くるの朝方であったと、思うですが。家から、電話ですと。出たら、嫁はんが、親父が、大変と。危篤状態と。
又、入院先、黄檗<黄檗病院>であると。
オトトの、この頃ねえ。
妹夫婦、一家なるは、滋賀県の方に、引っ越してたです。宇治、小倉から。
言うは、起こされ、電話で、親父がと。
とりあえずは、帰宅してねえ。飯喰てねえ。の、辺りで、妹婿より、電話があって。
くどいけれどの、当時には、ケータイは、まだ、普及しておらずで、基本、出先からは、公衆電話。
での、婿曰くに、危篤状態になって、ン時間。
先生の体力がと。続かんと。
問題は、人工呼吸を先生、してくれてるけれどの、保たんと。
で、先生が、辞めてもええかと、尋ねてると。
での、辞めたら、呼吸は止まると。の、状態であると。
とかとか、肺が破れて云々と、言うててねえ。
どちにしろ、決断は、兄さん。とは、当方の事での、してくれと。
何の決断か。言うまでも、ないの、人工呼吸の手を辞めるか、否かと。
申せば、亀岡大井から、黄檗病院ねえ。車で、どれ程掛かるやの、当時には、京都縦貫道なんか、あらへんし、ねえ。モロ、下道。
まあ、言うたら、早くて、2時間。では、無理の、3時間掛かるかと。実際には、わからんですが。朝も早いし、渋滞も、少ないと、思うですが。
がしかし、しょがないなあと。人工呼吸辞めてくださいと。
言うたら、最早の、戻らんです。
戻るとは、何かの手を打てるなら、打ってるです。打てぬが故、時間稼ぎで、人工呼吸してるですが。既に、ン時間で、先生の体力保たずと。
言われたら、仕方があらへんの。
ンの、親父の、生死、当方が、判断するのかと。がしかし、仕方がないなあと。長男でして。いつの間にやら、親の、保護者、当方でして。
イヤイヤ、申せば、その返答するに、涙、涙でねえ。
スマンと。親父には。
回復の見込み、あるなら、やけれどの、ないし、なと。
とかとか、運転ねえ。
どころで、あらへんですが。
我が家族、母、嫁はん、息子2人、乗せて、ねえ。
涙で、前方見えてませんですが。何とか、黄檗病院に着いたです。何時か、忘れたです。
(24/06/14)
NO.4488 閑話休題的、親父の命日の話(14)
いやねえ。
向かいの犬ねえ。
声だけなら、時折の、聞こえてたですが。基本、存命とは、思ておらずの、どこの犬かと。
思てたですが。半分は。
おもしろいねえ。
その矢先の、本日、犬見えたです。見たです。嗚呼、あいつやなあと。生きてたかと。
結構、元気そで、飼い主、奥さんの方、なれどの、尻尾振ってねえ。どこかに、お出かけかと。イヤ、全くの、何も、知らんです。とりあえず、車に乗せられ、どこかに、行ったです。
がしかし、そこの、うなされ君なるは、見ず。バイクも、見ず。
故に、就職か、何か知らんの、出てったの、やろねえ。
多分なら、5月の大型連休の時、一度、帰ってたのやろねえ。
言うてるの、当家、隣家が、倉庫、プレハブの2階建てのを、解体でして。その工事が、結構な日数掛かってねえ。解体なりは、遠の昔に終えてるですが。ガレージをしたりで、本日も、尚、それ屋はん、業者が来てたです。何してるかは、知らんわと。
オッとの、そんな事で、真向かいの事なんか、気にもしておらずでねえ。
只、ハタと、気がつけば、バイクを見ず。音も聞こえず。そ、言うたら、息子さんも、見てへんなあと。
まあ、言うたら、近くでは、ないの、やろなあと。近くなら、モっと、頻繁に、戻るの筈でして。イヤ、当世の、子の考え、向かいの、うなされ君の、思考回路なんか、知らんですが。
只、思うは、あの、犯人。相手の事、見極めずに、悪さしてねえ。まあ、言うたら、人間違いで、報復しやがってからにの、腹の立つ。
の、息子ねえ。
言いたいは、真向かいも、若干の距離あるし、ねえ。真正面から、こちに、歩いて来ても、それとは、わからんです。そらなあ、その犯人、親父の方も、最早の、わからんです。
言うは、その家で、うろうろしてる、そこに居るが故、あそこのやと、わかるのダケでして。
但し、言うてるの通りの、家族構成程度、遠目でも、わかるわと。にも関わらずの、人間違いで、報復しやがってからにの、ど、考えても、腹が立つです。今だに。
左様の、当方、結構、記憶してるです。都合のええ事でも、悪いの事でも。
の、上で、モ一寸、親に顔見せてやらんとと。
とは、思うですが。
こんな息子で、親でも、なと。
それは、それでして。とは、当方考え。
オッとの、そんな事で、その日の話。
とは、危篤で、スグにと、黄檗病院の事。
当然の、黄檗病院なるは、初でして。されどの、莵道の、明星園に行くの、道中にあるは、知ってたです。イヤ、デカいの、総合病院でして。
昔は、なと。そんな認識でした、ですが。
いやねえ。
精神疾患の患者も、居てたかと。当時から。
この病院であったか、桂病院と、混同してるのかと。桂病院なるは、母方の、下の伯父が入院で、見舞いに行ったですが。その際、入り方、わからんでして。イヤ、玄関がどこかと。
迷いの結果、病棟の上の階、イヤ、構内から、見えてるの範疇での事、なれどの、正直、ど、見ても、その精神疾患あるの方と、思しきのが、見えて、ねえ。数人。
話簡単の、所謂の、キチガイ病院かと。
言うは、それが、桂病院であったか。この、黄檗病院の事か、定かでないです。
とりあえず、ホーム・ページからは、精神疾患の、患者に特化の、病院であると。
イヤ、当時には、半世紀までは、経ってはないけれどの、30年程度、昔には、親父が、呼吸困難、肺が破れて、緊急入院でして。
そんな科目が、あらへんでして。現在ではの話。
どちにしろ。
黄檗病院について、どんな具合に、親父の居てるの病棟、病室に行ったかは、忘れたです。
一発で、辿り着いたか、色々、聞いてか。聞くは、受付なりで。
当たり前に、初めての病院でして。
先刻の光景、この病院の事であったか。それは、矢張り、桂病院かと。
とは、思うですが。現在、その手の病棟なくて。
オッとの、そんな事、どでも結構の、病室なら、即の判明の、所謂の、大部屋。大部屋も、結構、広くての、ベッド数、10程度、あったの哉の、有り体には、危篤状態の方々、ばかりでねえ。
正直、申せば、明確に、危篤の方、この部屋に入れられるかと。
そらねえ。
普通の、病室で、危篤、臨終云々で、家族なり、呼んでられませんです。周囲の目があるかと。
イヤ、個室なら、なれどの、2人とか、3人、4人の、大部屋の事、言うてるです。
モと、申せば、どこの病院にも、この手のが、あるです。
まあ、言うたら、この手、部屋、病室に、移動させられたら、最後かと。イヤ、ほんと。
どちにしろ、親父のベッド。
そこには、親父が居たですが、残念、無念の、既に、亡くなっててねえ。口、鼻に、脱脂綿。嗚呼、遅かったんやと。
申せば、人工呼吸の手を止めればの話、理解も、多少は、なと。期待してたですが。アカンかったんかと。再度の、残念、無念と。
スマンなあと。許して、くれと。イヤ、ほんと。
イヤ、実は、てな事で、早速にも、頭の切り替えせねばの、何のと、なればの、葬儀の話になるです。
と、するのか、親父を、どこにと。
我が家に決まってるですが。当時は、なと。
イヤイヤ、先生には、ありがとうございましたと、御礼申し。妹夫婦も、居てるし、諸般、オオキニと、御礼申し。
看護婦さんであったか、その辺りの話、あって。
イヤ、引取なり、書類なり。精算なりの。よて、頭の切り替えでして。
はきりとは、泣いてる、涙してるの間がないです。
モと、申せば、親父の姿、見たら、反って、余裕が出来たかと。
最早の、戻らんわと。この世に。
であると、同時に、先刻の、周囲見渡したり、してねえ。ど、見ても、臨終間近の方々ばかり。言うてるの、この部屋に移動では、最早の、死を待つのだけ。イヤ、ほんと。
再度、申すの、どの病院、大病院の場合、この手、病室存在するです。
モ、あるし、見舞いなりに行って、見て、一発、悪いけれどの、回復無理と、するの場合、結構あるです。
それは、血縁親族でない場合やねえ。至って、冷静に、見るが出来て。
申せば、足の太さ、骨と、皮やってみい。無理やろな。
まあなあ。
若くともの、何日も、何日も、ベッドで、寝ててみい。瞬くの間にも、足なり、痩せ細るです。そんな事では、歩けえへんやろな。
よて、動けるなら、歩くの気力あるなら、歩け、歩け。少なくともの、自力で、立て。イヤ、ほんと。
まあなあ。
親父の場合、肺破れて、即の、入院と、するのか、緊急入院が故、足なりは、歩けるの足、太さも、筋肉もあった、ですが。
周囲の方々のは、歩けてえへんなあと。
オッとの、どちにしろ、そんな事で、親父の遺体を乗せた、車を、先導して、我が家に戻ったの哉と。
まあなあ。
救いなるは、苦しそな顔しておらずでねえ。イヤ、ほんと。
イヤイヤ、まともに、見てたです。見てるの間にも、嗚呼の、葬儀や、なあと。
当方、喪主かと。
イヤ、ほんと。
イヤイヤ、言うておくの、当方、入院中の身でねえ。
装具して、運転して来てるです。とか、言うてられへんですが。
まあなあ。
この段階なるは、足の骨、くっついて。金具は取っての、リハビリ入院でして。
但し、まともには、歩けておらず。どしてもの、装具付けた状態での、歩きで、アキレス腱等々、足首曲がっておらず。曲げられず。
要は、ギッコン、バッタンと、ちんば状態。松葉杖状態。
(24/06/15)
NO.4489 閑話休題的、園部で、靴を買うの話(1)
本日<6月15日・土>ねえ。
急遽。
とするのか、元々は、どこか、とは、丹波篠山方面の、どこか。簡単になら、道の駅にでも、行こかと。嫁はんと。
言うてたですが。諸般、体調悪くと。嫁はん、言うてるが故、その最中に、道の駅云々も、言えへんやろな。
よて、黙ってたら、突然に、どするのえと。ンの、何の話か、即のわかるの、どこかえ、出掛けるの件。
どこかも、言うてるの、丹波篠山方面を考えてたですが。諸般、頭から、消えたです。言うてるの、体調云々言うてるのに、なと。
がしかし、ええなら、どこか、ねえ。当方的、行くは出来るです。体調なんか、基本、動けんの状態でなく。気掛かりなんか、皆無でねえ。イヤ、ほんと。
まあなあ。
急に、言われても、なあと。そらねえ、本気で、探さんと、わからんです。丹波篠山方面の土地勘なくて。
思い当たるは、園部の、道の駅、「光悦村」。正式には、「京都新光悦村」。
話簡単には、本阿弥光悦の、所縁の、でして。
申せば、京都の、鷹峯に、「光悦寺」があるです。
オッとの、更に、申せば、当方、高校の1年生の夏休みの時、同組になったの、猪田浩市君。
彼、過年まで、「菊水鉾」の、保存会理事長してましての、祇園祭のテレビ番組では、大方、登場してたです。がしかし、何年か前、コロナもあった、ですが。から、見てませんですが。
その君と、「京都名勝旧跡見て歩る記」と、題して、自転車で、方々に行ったですが。その一つに、鷹峯の、「光悦寺」があって、ねえ。
当時には、辺鄙な、場所で、寺で。入口には、竹の筒に、「寸志」と、記載で、思たのだけ、入れよと。意味なるは、拝観料は、決まってませんの、志で、結構の意。
さての、我々、高校生やしねえ。
さりとての、無料も、なあと、幾ら、入れたかは、知らんの、憶えてるの筈、あらへんわの。10円であったか、100円やろかと。100円もは、出してえへん、かも、なあと。そんな金、持ってませんでして。イヤ、ほんと。
オッとの、その、鷹峯。市バスで、源光庵前で下車なれどの、実は、その界隈には、当方の恩師、中学3年2組の時の、担任の教師の実家があって、ねえ。
当方、その3年になったの時、先生、結婚でして。
申せば、学級から、何人やったか。3人やろかねえ。よお、憶えてませんの、そらなあ、中学3年生の時の話でねえ。
結婚式に、招待されまして。行って、何するかで、その3人で、急遽、何の歌かは、失念の、歌披露。
その時の、メンバーねえ。
誰やったの哉の、一人は、当方。これ、間違いはなく。
一人は、中村茂博君。これ、優秀でして。少なくともの、中学生時代、高校、大学生時代の親友。
オッとの、こいつ、高校一緒の、堀川高校なれどの、大学は、京都大学経済学部に、現役合格でして。申せば、中学2年の時には、生徒会会長に立候補したです。
当時には、基本、この手のは、学校から、指名やねえ。
の、時の、副会長なるが、奥様。
がしかし、10年経つのか、亡くなってるです。ASLで。
オトトの、大学卒業で、東京さの会社に就職してねえ。以来、結果的、1度しか、会おておらず。
モ一人ねえ。
イヤ、中学3年の担任の先生の、結婚式で、呼ばれたの、女子1名。当然の、旧姓なれどの、福田さんやねえ。当然の健在で、結構なると。
イヤイヤ、この子、優秀。当時、京都学芸大学<現の教育大学>に、現役合格してるです。当たり前に、堀川高校。
この子は、高校3年でも、組一緒でねえ。イヤ、ほんと。
どちにしろ、振り返ればの話の、中学3年2組なるは、優秀なるのが、多かったんやと。イヤ、ほんと。
いつも、言うてるの、1組50人の学級で、東京大学、京都大学、大阪大学に、現役合格のが、居てたに、なって、ねえ。
フウンと。
話、完全に、逸れたですが。
園部の、道の駅、「光悦村」なるは、言うてるの、本阿弥光悦の、「光悦」の事で、所謂の、技術集団と、してるです。間違いないですが。
オッとの、いやねえ。
そこなら、ここ数年の話、なれどの、そもそもが、いつ出来たかは、知らんの、結構、来てるです。
言うたって、道の駅でして。そんなに広くも、ないの、でして。
されどの、駐車場なら、充分の広さで、台数駐まれてねえ。土産物屋、野菜類。そして、食堂があって、ねえ。パンも売ってるし、ねえ。
基本、その食堂で、適当なるの、昼食をと。が、定例化してねえ。我々の話やでと。
ではと、そこにと。出向いたです。有り体には、昼食に、でして。その時間やし、ねえ。
着いて、メニュー、お勧めのを、見たなら、本日、あさりご飯でねえ。それにして。パンも、何個か、調達して。ついでに、お漬け物も、買いまして。ここの、高菜漬けが、結構美味しくて。
ここ、とは、食堂の、でして。
ここ、何回かは、ここのを、買おてるです。再度の、食堂で、漬けてるです。よて、注文なら、食堂の方に、でして。まあ、言うたら、所謂の、通<つう>しか、知らんです。注文出来るを知ってるのは。
オッとの、実は、靴の件あって。
とは、現在の靴ねえ。年季入ってましての、ぼちぼちの、保たんなと、寿命や、なあと。何年履いてるやの、10年近くでして。過ぎてるかも、でして。
まあなあ、一寸の外出でも、履いてるですが。
但しの、歩きには、運動靴。
での、ぼちぼちの、調達しんと、なと。
思てるの矢先、チラシが入っての、それが、園部駅の方。あくまでもの、方であっての、駅周辺ではないですが。どの範囲を、周辺かが、あるですが。
出掛けると、なっての、そのチラシの電話番号で、カー・ナビに登録してねえ。
イヤ、表示されたです。
よて、「光悦村」で、昼飯喰て、その、チラシの、店、靴屋えと。ウォーキング用品専門店、「いなふ」と、称するですが。
行って、参じたです。
まあなあ。
カー・ナビは便利やねえ。
駐車場が登録されてましての、到着。
イヤ、行けば、客我々だけでの、結構なるの。
足の寸法、計ってくれての、結構なるの。値も、適当でして。イヤ、11210円であったかと。スペーサー、多分なら、3000円を含めて、ねえ。
イヤイヤ、言うは、現の靴。軽くの、2万円以上してまして。
出してくれたの靴、外見的、ほぼの、それと、同等。ここのは。言うたら、あっちの値で、2足買えるなと。
イヤ、ほんと。
諸般、寸法測定してくれて。合うの靴、出してくれて。へえと。結構なると。
購入したです。
(24/06/16)
NO.4490 閑話休題的、園部で、靴を買うの話(2)
いやねえ。
隣家の工事も、いつと、するのか、わからんですが。
まだ、業者、工事の方、来てるですが。何しに、来たはるの、やろねえ。工事、そのものは、終えてるです。多分。
物置も、設置されててねえ。
申せば、ここからは、そは、大幅に、何かは、ないやろと。景観替わるよな、事は。
よて、現況をば、前提にしたなら、当家、外から、丸見えでして。
従前には、二階建てプレハブがあったしねえ。当家、横手、その隣家に接してるの方なれどの、余所からは、見えずであったのが、まあ、言うたら、丸見えになって、もてねえ。
がしかし。
元々が、そであった、ですが。
よて、その当時には、そっち側の、窓には、カーテンしたです。申せば、その当時、引っ越したの当時やねえ。には、方々の窓に、カーテンしたです。
がしかし、カーテンも、大層でして。順々に、いらんなと、取って、ねえ。
特には、隣家と接してるの方の、窓ねえ。カーテン・レールなら、あるですが。カーテンは、外してるです。
オッとの、での、以来の、約の、40年やねえ。実際には、40年以上の、2年、3年経っての、プレハブが消えて、もてねえ。
これ、その40年、大きくての、再度の、外から、丸見えになるし、ねえ。とか、言うたって、窓をそは、度々の開くはないけれどの、この季節やしねえ。
言うは、6月。
これから先、益々の、暑うなっての、窓も開けるですが。通行人から、丸見えも、困るしねえ。
イヤ、言うてるの隣家、角家。
よて、見えるです。通行人に。当然の、その近隣の家からでも、その気になれば、見えるです。窓が。
そらなあ、正直には、こちから、見えてるなら、あちらからも、見えるです。
まあ、言うたら、目隠しした方がと。
本日<6月16日・日>、天草すだれを買い求めに、コーナンなり、カインズに行って参じたです。
いやねえ。下の階のは、すだれでも結構の、上のは、シャッター、ブラインドやねえ。が、ええやろなあと。
イヤ、二階の、その窓にも、昔には、付けてたですが。止めてるです。とするのか、諸般、動きが悪いもあっての、放置。と、するのか、その部屋、使わんしねえ。
申せば、息子共、独立して、出てったし。母は、亡くなったし、ねえ。現在、我々夫婦だけやし、そんなに沢山の部屋いらんわと。
余計なるの話の、現在なら、2階も、1階も、使てるですが。その内には、2階ねえ。果たしての、あがれるやろか、なあと。イヤ、ほんと。
オッとの、そんな事で、とりあえずは、天草すだれをば、買いまして。
こんなモン、簡単に、取り付けできるしねえ。
取り付けたは、夕方なれどの、ンの、嫁はん、一寸、外から、見てみと。丸見ええと。
フウンと、出て、見たなら、言うの通りの、丸見え。
実は、その時間帯より、電灯、点灯。嗚呼の、アカンなと。丸見えや、なあと。言うたら、すだれなんか、無いも、同然。がしかし、これは、電灯点けたが故で。昼間、電灯点けずと、するのか、点けても、周囲明るいなら、見えんやろと。イヤ、ほんと。
まあなあ。
それは、明日にでも、確認せねばと。
とかとか、話、戻しての。戻すも、何も、皆、今日の話でねえ。
いやねえ。
父の日で、長男家より、神戸牛をば、送ってくれて、本日、着いたです。この、ン年、定番になった、なあと。
イヤ、長男家の近くに、松田屋なる、神戸牛の販売店あって、ねえ。
イヤイヤ、早速にも、本日、焼き肉してねえ。イヤ、焼き乍ら、喰たではないですが。そんな事、したら、窓、全開で、又、丸見えやしねえ。
焼いたのを、タレ浸けて。
イヤイヤ、久しぶりに、缶ビールでねえ。イヤ、ほんと。
当家なんか、普通サイズの、1缶あれば、嫁はんと、2人で、飲めるです。イヤ、ほんと。
まあなあ。
言うてるの、下戸は、下戸。
されどの、一滴も、飲めずの程ではないです。
当方なら、同窓会なりでは、中ジョッキで、1杯なら、気分よくと。これを、飲めるからと、気分よいからと、2つ、2杯目ねえ。
注文結構なれどの、まあなあ、精々が、半分程度、まで、やねえ。これを、無理して、全部、飲んでもてみい。まあ、しんどくなるです。
オッとの、余計なるの話の、この、水曜日、19日やねえ。
には、三重、名張の、アツオ君が、来ると。京都に。多分なら、次回の、同窓会をば、三重で、やろかと、言うててねえ。こっちの面々が。
結構なると、応答あっての、アツオ君から。
で、具体的に、どするの兵衛哉の、相談かと、思てるですが。こちも、あっち、三重の事、全くの、知らんわと。伊勢神宮、内宮、外宮、夫婦岩程度やねえ。イヤ、ほんと。
まあなあ。
そんな細々よりは、皆、この歳でして。会う、会えるに、意味あるです。イヤ、ほんと。
結果的、アツオ君、ミノル君、マサノリ君と、当方の4人が集合。要は、京都組の3人と、三重在住の君やねえ。
アツオ君、前回、休暇村富士には、欠席でして。
まあなあ。正直、三重からは、遠いなあと。とは、理解。
オトトの、での、昨日<15日・土>に、購入の、靴。
18日<火>が、大安吉日でして。まあなあ、特段の、縁起、担ぐ程の、では、あらへんですが。まあ、言うたら、降ろすに、急ぐでも、あらへんし、ねえ。
その火曜日にでも、降ろして、水曜日の、ミニ・ミニの、同窓会にも、履いて行くかと。
いやねえ。
諸般、気に入ってるです。
見掛け、現の、靴と、一緒でねえ。但し、少々、不満と、するのか、あっての、若干の、足よりも、デカいのではと。あくまでもの、若干なれど、です。
での、昨日、靴屋では、足の寸法、実測してくれての、その数字から、適切なのを、出してくれたです。結構なると。
イヤ、足に合致のサイズの靴でして。
言うたら、その靴、旧の、なれどの、店でも、寸法、計ってくれてるですが。目的違うのみたいでねえ。スペーサーと、するのか、下敷きの、作成のための、でして。
イヤ、変やろな。
折角の、細々と、機械で、測定器で、データー出してて、肝心の靴、若干のデカいでは、なと。
イヤイヤ、そらねえ。当初には、わからんわと。されどの、年月経て。とするのか、経んでも、一寸、大きいめやなあと。
がしかし、それこその、此度なるは、下敷きのための、ではなくの、当たり前に、靴のサイズで、適切なのをと、選定してくれて。
言うは、長さだけでなくの、幅もあるやろな。その幅も、より、適切なのをと、選んでくれての、結構なると。
当方的、非常に、満足出来てるです。
まあ、言うたら、そらなあ、モっと、実際に、履いて、履いての、履かねば、わからんですが。現時点なら、次回買うも、そこやろと。
イヤ、ほんと。
(24/06/17)