シバケンの単なる雑談NO.443
NO.410 | NO.420 | NO.430 | NO.440 | ||
NO.360 | NO.370 | NO.380 | NO.390 | NO.400 |
NO.300 | NO.350 | NO.400 | ||
NO.50 | NO.100 | NO.150 | NO.200 | NO.250 |
目次
NO.4800 5月5日は、こどもの日の話(3)
NO.4799 5月5日は、こどもの日の話(2)
NO.4798 5月5日は、こどもの日の話(1)
NO.4797 十三参り「虚空蔵法輪寺」の話(3) 本堂の様子の記憶の話
NO.4796 十三参り「虚空蔵法輪寺」の話(2) 昔の、元服の話
NO.4795 何の話をするやと、迷うの話(2)
NO.4794 朝から、諸般の話の話と、お尻のごわごわの話
NO.4793 何の話をするやと、迷うの話(1)
NO.4792 モ一枚の、ジョーカー君の話(3)
NO.4791 モ一枚の、ジョーカー君の話(2)
NO.4791 モ一枚の、ジョーカー君の話(2)
いやねえ。
別途の、モ一枚の、ジョーカー君。
具体的話を、避けて、避けての、避けっ放しでは、さっぱりの、わからんねえ。
とりあえずは、性格も合わんのやろねえ。根本的に。
では、あれどの、当方的には、先方と出会せば、挨拶なり、当然のするですが。アチは、横向いてホイで、面と、顔会わせるがないです。結果、眼も会わせるはなくて。
当方なら、そち向いて、声出してるです。挨拶の、基本故。
まあ、つまり、常識がないなあと。
がしかし、こちも、それしてたら、同類になるが故、あえて、声出すなり、態度、動作でと。心掛けてるです。
イヤ、基本、当方的には、誰に対しても、そしてるです。そこまでせずともの、自然と、会釈してくれるの方なら、声までは、なと。出さず。
態度的、手振ったりは、あるかも、なあと。
オッとの、いやねえ。
諸般、この4月から、新年度でねえ。当町内会も。
結果的、組長<支部長>も、交替してねえ。薄々なら、家の並びもあっての、回覧順が、逆転するなあと。とは、予測してたですが。
イザの、一発目、回覧順見て、二度見、三度見、四度見までしたです。想定外の、先様に、当家より、回すになっててねえ。へえの、ゲと。
イヤ、通常なら、従前の、逆回転だけでして。右手の家、宅様からなら、左手にと。が、従前なら、新年度の宅様、組長の位置的より、逆回転や、なあと。
とは、思てたですが。説明厄介の、要は、角家の場合、次に回すの宅様、遠くになるの場合、あって、ねえ。その配慮をしたのかと。
がしかし、ここまで、替えるは、前代未聞の初でして。
イヤイヤ、当家の場合、角家でもないと、思てたですが。角扱いされたんやろなあと。極めての異例の、でして。要は、回覧順見て、びくりしたです。何でやと。
がしかし、基本、組長の考えに従わんと、なと。
そのよにしてるですが。
いやねえ。
結果的には、当家と、モ一軒が、いつもの回覧順からは、ズレてもてねえ。イヤ、ほんと。
再度の、組長の配慮なれど、です。多分なら、此度の、組長だけやろなあと。この回覧順にするのは。で、あればの、次回、あっても、15年後でして。
まあなあ、そんな希有なるの、回覧順にしたんやと。
まあなあ、諸般、組長なりに、考え、考えての、結果と、思うですが。当方、当家的には、異例に過ぎての、へえの、ゲと。何で、わざわざのと。
イヤ、ほんと。
があったり、ゴミ出しでねえ。
当方なら、委細構わんですが。アチは、意識してて、ねえ。当方、出してたら、処理してたら、出て来ず。そこに、居てるのにねえ。へえと、感心するですが。
当然の、当方的、即の、気ぃつき、挨拶するです。声出して。
いやねえ。
そんな事が、この4月だけで、何度か、あって、ねえ。
不思議やねえ。そんな事、この、何年かで、初めてやねえ。単に、ゴミ出しの事、だけなれどの、重なるが。顔見るが。
まあなあ。
当方、当家なら、ズと、その場所でして。当地に引っ越して来て以来の、ン十ン年。
あっち、モ一枚の、ジョーカー君なら、諸般で、こっちに、移動してねえ。10年前やねえ。
かと、言うて、10年経っての、その手、ゴミ出しするが、重なるなんか、過去皆無やのに、ねえ。
イヤイヤ、何故かは、わからんの、単純に、当方も、出すがばらばらなれど、です。基本、出来るだけ、早めにと、ダケ。
他の事、一切の考えず、でして。
にも関わらずの、珍しい現象でしたです。
まあなあ。
それ、言うたら、ゴミ出しで、遭遇するも、結構、宅様、限られてたは、あった、なあと。
くれぐれも、皆様、出すは、ばらばらかと、思うの、但しの、早め、早めか、遅めの違いと、思うですが。要は、朝早くは、いつでも、結構の、当方の場合、時々なれどの、一番手になる事、あるですが。
まあ、言うたら、その一番手ねえ。大体は、あそこ、あそこと、わかってるです。そらなあ。時には、遭遇するが故。
申せば、そんな事で、この4月より、諸般の異変がと。
期せずしての、1枚のジョーカー君、我が視界から、消えて、くれて。ホと、安堵と、思たのに、別途の、ジョーカーが、何故か、目立つになった、なあと。
トトトの、この件、とりあえずは、ここまでに、しとくです。
(25/04/30)
NO.4792 モ一枚の、ジョーカー君の話(3)
まあなあ。
異変ねえ。
遡ればの話の、昨年から、やねえ。
こじつければの、話の、隣家の、2階建て、プレハブが、取り壊されて。
これ、いつやったの哉の、4月頃から、やろか、なあと。再度の去年の話やでと。
このプレハブなるは、当家、当地に引っ越して来ての、最初には、無かったですが。暫くしてから、設置されて、ねえ。
正直申しの、ゲと、なったです。風通しは悪いし、暗くはなるし。
イヤ、ほんと。
知ってたら、この場所、選ばんですが。
ンの、選ぶ、選ばんなら、当家、選んでませんです。別途の場所にと、してたですが。まあ、言うたら、そこ様、プレハブ建つは、困ると、その当家が、選んでたの家をと、選択されたです。
オトトの、当然の、その時には、どこ様とも、知らんですが。
要は、そちら様、手付けと、するのか、資金をば、早期に、都合つけられ、そっちにと、決まって、ねえ。
とか、聞いたです。業者から。
よて、当家には、こちに、して頂戴なと、話され。
まあなあ。
その時には、諸般の事、知らんし、何の疑念なくの、諾と。
イヤイヤ、結果的、隣家が、2階建てのプレハブ設置でねえ。聞いてえへんのにねえ。
がしかしの、そんな事、苦情申せば、よかった、みたいなれどの、まあなあと。仕方がないなあと。
がしかしの、結果の結果的、後年、ン十年経っての、現在地にして、よかった、なあと、思うの現象あって、ねえ。
但し、まさかの、ジョーカー君の存在ねえ。こちの方が、当地には、早く来てるですが。あちは、後ですが。まあ、言うたら、えらそにしてねえ。イヤ、ほんと。
ンの、何の話ねえ。
プレハブと、ジョーカーの話ねえ。
言うは、プレハブなるは、ある意味、目隠しには、なってたです。遮蔽物故に。が、なくなっての、スカスカで、へえと。
とか、言うたって、当家、当方的、何も出来ず。まあなあ。窓に、スダレを付けたり、してねえ。結構、眩しいもあるし、ねえ。
オッとの、まあ、言うたら、それが、第一弾かと。
おそらくは、真向かいのジョーカー君ねえ。引っ越し云々については、その頃から、或いは、モっと、以前から、あったと、思うです。計画的に。
さもなくばの、突然には、なと。諸般の事情なるは、ハタでは、わからんですが。
この、プレハブの件も、さての、どこまでを、話をして構わんのかが、判断難しく。
どちにしろ、隣家にしても、突然の計画でも、あるまいにと、思うです。工事期間も、結構、長くてねえ。へえと、びくりしてたですが。
取り壊しだけでなく、庭の、整地、コンクリートを張ったりしてねえ。数個月を要してるですが。
オッとの、その可成りの以前やねえ。
奥様が、倒れたは。よて、諸般、その手、工事をし出したかと、当方的、思ててねえ。あくあでも、一連の事象からの、勝手推量、推察、妄想、空想の事、なれど、です。
イヤ、諸般、家人が、動き易いよに、したのかと、思てるです。そらねえ。プレハブがない方が、動き易くて、ねえ。
ある意味、結果的、このプレハブの除去は、正解は、正解かと。隣家にとっての話。
当家の立場ねえ。
環境替われば、それに、順応せねばの、仕方がなくて。プレハブが建ったも、排除されたも、万事、その所有者、隣家の決断でして。
当家の場合、結果で、しか、知らんわと。
言うてるの、この地に来たの時には、プレハブの事なんか、知らんし、ねえ。後刻、数個月経ってからかと、出来たのは。出来て、へえと、ビクリしたですが。
取り壊しについては、工事の方が、来たしねえ。
では、ないかと、推測はしたですが。その動きあってから、隣家から、その件、話があったです。粗品と、金券くれて。金券は、気ぃ使いすぎやでと、突っ返したですが。受け取ってくれと、縁起モンやと、再度の、言われてねえ。デハと。
その工事、コンクリートが張られたの、直後辺りに、再度の、奥様、倒れてねえ。
ン、くれぐれもの、入院はしたですが。昨年末には、自宅に戻ってるです。
言いたいは、その工事は、正解であると。今、やってたら、大変ぞと。
まあなあ。
キッカケなるは、初回に、倒れたのが、理由と、思うですが。まあ、言うたら、介護施設のお迎えの車が、駐まり易くなった、です。
プレハブが、消えて。
要は、そこに、車が駐まるしねえ。
申せば、そこの、息子さんの嫁はん。言うたら、若奥さん。えらい、ねえ。
隣家の奥さんが、2度目、倒れた時からかと、思てるですが。毎日、毎日、食料、運んで来てるです。残念乍らの、その手の場に、遭遇してへんの、けれどや。
何分の、当家の横手。スグの、そこやしねえ。エンジン音なり、ドアの開閉の音で、一発。
嗚呼、来たか。嗚呼の、帰るのかと。
それ、言うたら、これねえ。
延々の続くになるなあと。
いやねえ。
二度目倒れた時には、入院やしねえ。強いての、申せば、一度目も、入院なれど、です。二度目になればの、ご主人1人やしねえ。よて、食事、食材なり、若奥さんが、運んでたのかと。
くどいけど、勝手に、そ思てるのだけで、実際は、知らんです。時間帯的、その辺りやし。以外に、毎日、毎日、来るの用事なんか、あらへんわと。
どちに、しろ、立派やねえ。
申せば、幸いにしての、息子さん一家、実際には、二家あるですが。広くの、大井町やしねえ。特には、長男さんは、歩いてでも、行けるの場所やしねえ。
食材、毎日、運べるは、運べるの距離なれどの、大変は、大変。よお、やってるです。
いやねえ。
申せば、当方の、母方の、下の伯父家の長男。当方的、母方従兄弟なれど、です。過年、亡くなったですが。
そいつも、親の近くでねえ。住処が。
毎日、毎日か、までは、知らんですが。何分の、当方、現在亀岡。そいつ、とするのか、伯父家なら、黒門の、仏光寺の方やしねえ。
従兄弟なら、五条通りの、丹波口の方。
まあなあ。
少々、距離あるけれどの、近くは、近くで、えらい、なあと。
まあなあ。
当方的、申せばの、当家なら、同居やしねえ。
と、一言申せば、済むです。申せば、最大の親孝行。
がしかしの、その上で、でも、えらい、なあと。とは、思うです。思てるです。
気は、心で、近くでも、やらんのは、やらんし、ねえ。少々、遠くともの、やるのは、やるし、ねえ。その距離、ど、なんやと。
申せば、当家の場合、長男、神戸やしねえ。高速使いの、概ねの、1時間半乃至2時間掛かるです。これでは、なと。食材云々、無理難題。
次男ねえ。
長岡京市やしねえ。
下道からなら、1時間程度かと。こんなモン、京都縦貫道なんか、使てたら、大変やしねえ。道路代で。
いやねえ。
話、逸れまくってもてるですが。その手の事、考えると、難儀やねえ。
での、それが、ジョーカー君と、何の関係ねえ。
あるには、あるですが。
詳しいの説明、解説辞めただけ。
とりあえずは、ここまでにしとくと、し乍らの、まだ、続けてるですが。
(25/05/01)
NO.4793 何の話をするやと、迷うの話(1)
まあなあ。
こちが、嫌なヤツと、思てたら、アチも、コチを、嫌なヤツやろなあと、推測してるです。
イヤイヤ、あちら、言うてるの、顔会わせる以前の、あちは、こちを、見た事、あらへんわと。こちなら、一発、認識しての、以前には、あちが、コチ見るまで、待ってたですが。顔向けへんし、ねえ。らち、開かんしねえ。挨拶するにも、出来ませんでして。
よて、問答無用の、こちから、声出し、挨拶してるです。
オッとの、基本、それが、当方の慣習、習慣の、常識。
強いて、申せば、あちは、あちの考えでの態度なれどの、こちは、こちの、信条、常識としての、言動実行。
少なくともの、挨拶すな。顔も、見るなが、正解は有り得ませんです。
とは、当家の教えとして、過言でなくて。それを、我が子なりに、継承出来てるかは、よ、わからんねえ。そこまで、注視してませんでして。
かと、言うて、そんな機会、場面、少ないし、ねえ。
イヤ、どこででも、当方的、声出し、応答してるの姿を、見せる、見せんも、一緒に、医者通いする事なんか、殆どあらへんわと。
まあなあ。
過日、過年、なんやったの哉の、インフルエンザの予防接種の件であったか。次男家の、嫁と、孫君、この場合長男で、当方的3号と、行った、なあと。
その時、どしてた、ねえ。当方的、いつもの通り。呼ばれたら、「ハイ」と、声出し、応答してるです。
その時には、三人一緒に、注射してくれたのか、なあと。多分。
そらなあ、「柴田さん」と、呼ばれたら、一緒やしねえ。苗字が。呼ばれて、そやなあと。一緒やなあと。その、元のは、当方なんやでと。
オッとの、何の話ねえ。
その件、一旦、終わるです。
とするのか、順番的になら、4月17日<木>の、立命館大学の、ドーソー会でして。ほっきゃーどーの、エイジ君が、こち、関西に来るが故、会わへんかと。
イヤイヤ、毎年来て、毎年会おてるです。
まあ、言うたら、会えるの内やしねえ。
現時点でなら、この、ドーソー会に顔出すの常連組では、1人だけやねえ。亡くなったが。それが、2023年の5月に亡くなっててねえ。
イヤ、その年の9月にドーソー会しよかと、面々に打電したなら、その1人の、メールが返品されて、ねえ。
との、連絡したなら、面々の1人が、その君に、電話をしてくれて。奥様が出て、の話で、亡くなってたを知ったです。
まあなあ。
とかとか、何故か、中学生時代、郁文中学3年2組のドーソー生の場合、半減してるしねえ。出て来るの内の、なれど、です。
言うは、中学生時代のやしねえ。中には、小学校から、一緒のも、居てるですが。幸いにして、小学校からの、面々なら、健在。
いやねえ。
高校のは、堀川高校のは、人数、ドーソー会で、会うのは、元々が少ないけれどの、皆、生存してるです。
皆言うても、6人でして。内の1人は、出て来やへんし、ねえ。事実上の、5人は、健在で、出席出来てるです。
オッとの、いやねえ。
それ、言うたら、ドーソー会も、後、何年続けるが出来るやと。
皆と、までは、言わんですが。住所ばらばらやしねえ。言うは、集まるには、JRなりで、移動せねばと、
その辺り、大学の方が、結構、近くでねえ。
ンの、説明厄介の、遠いのも、居てるですが。これは、参加を期待しておらずの、そらなあ、九州や、東京では、なと。
トトトの、それ、言うたら、ほっきゃーどーの、エイジ君なら、参加してくれてるですが。
ンの、その、ほっきゃーどーのケンゾウ君ねえ。参加は期待せずで、ドーソー会の連絡のみ、打電したですが。そらねえ、何かの、都合で、参加出来るのならと。
がしかしの、メールが返品されて。とは、概ねの、亡くなったの可能性がと。
いやねえ。
大学のドーソー会の話で、ここまでは、するのつもりでなくて。
単に、その概略だけのつもりなれど、です。
そして、4月の27日<日>には、次男家長男、孫君3号の十三参りでねえ。
「虚空蔵法輪寺」に行って参じたの話をしたく。
まあなあ。
以外になら、町内会の話、新役員の件と、するのか、行事等々の話もしたいけれどや。
言うてるの間にも、実はの、この、5月の5日<月>。
要は、大型連休の、1日やねえ。神戸、長男家が、来るになっててねえ。
出来れば、次男家もと、思うけれどの、次男家の場合、伊勢の嫁の実家に行くのみたいでねえ。
まあ、言うたら、次男家なるは、近いもあっての、実家、当家には、よく、来てるです。よて、諸般の都合で、伊勢にと。の、明くるの日の、5日。時間あれば、こちにも、来るみたいな、話。
まあなあ。
孫世代であるの、従兄弟同士会うも、久し振りでねえ。
申せば、孫世代も、塾やとか、部活やとかで、忙しなてもてねえ。
いよいよの、疎遠になるのかと。最早の、今からやでと。寂しいねえ。
イヤ、本音。
(25/05/02)
NO.4794 朝から、諸般の話の話と、お尻のごわごわの話
申せば、朝2番。
とは、概ねの、9時頃やろか、ねえ。
9時は、過ぎてたですが。
又もやの、QQ車の音がして。このところ、よく、聞くですが。
ンの、当家の近所かと。これも、このところ、よく、あるですが。近所であっても、QQ車を追いかけて、までは、どこかと、詮索もせずで、大抵のは、詳しくは、知らんです。
言うは、町内会の誰かか、でもなくの、ハズレかの事、ハズレとは、ハズレで、近接、近隣町内会の宅様かも、わからんし、ねえ。
まあ、言うたら、当方的、その昔の、仏光寺時代なら、QQ車、そのものが、珍しくて、ねえ。近くにでも、来てみい。一発、どこやと、外に出て、探索したです。
がしかし、実際には、そんなに近くにまで、QQ車が来たを知らんです。
そらねえ。
基本、学校なりに、通学してまして。或いは、社会人やしねえ。日中、家に居るは、希。
オトトの、何時であったか、昨日か、一昨日にも、近在を走ってたですが。QQ車が。
言うの、本日<2日・金>も、その9時頃やねえ。音聞こえての、それが、何ちゅうかの、まさしくの、近在に駐まっての、ゲと。どこの誰なんやと。
話、先にしてもたらの、どこさんは、わかるですが。誰さんまでは、皆目の不明。当たり前に、どこさんなら、誰かは、あくまでもの、推測、推定の範疇なら、出来るですが。
オッとの、の、範疇で、止めるです。言うてるの通りの、全くの、その辺り、わからんです。
過去になら、偶々の、そこの方に、その数時間後に、会おたしねえ。ズバリの、どなんやと、真正面に尋ねたです。
言うは、その辺り、ここら、新興住宅街では、難しいねえ。容易に、話をしてくれず。
言うは、矢っ張りの、仏光寺時代には、方々から、その話、聞こえて来たですが。親しさの、桁違うなと。
いやねえ。
当方的に、ならばの、その当時の感覚で、居てるです。
有り体、申せば、当方で、役立つが、出来るの事、あらばの、遠慮なくと。言うて頂戴なと、するの口でして。そらなあ、ご近所さんでして。
まあなあ。
かと、言うて、そこ様も、家族が居てるし、場合に寄りの、近くに、子ども達一家が居てれば、要は、他人さんに、頼むの事なんか、あらへんかと。
それ言うたら、当家ねえ。
所謂の、中途半端。
現在唯今、現状なら、老夫婦だけであれどの、高齢者ではあっても、複数やしねえ。どちかに、何かあっても、何とか、なるかと。
あくまでもの、現在唯今なら、の話。
そらねえ。
緊急で、息子共云々、言うたって、ねえ。
再度の、緊急では、間に合わんわと。間があれば、何とか、出来ても、なと。
いやねえ。
それ、申せば、当町内会の面々ねえ。結構な世帯で、宅様では、お子さんが、近所に居てねえ。ええなあと、心底思うです。
言うなら、当家両隣。
片方、息子さんと、同居やしねえ。その面に関してなら、文句なく。心丈夫やなあと。
モ片方にしたって、息子さん家、当大井町内でして。
そらなあ、勤めなり、仕事があるですが。距離的、知れてるです。歩いて、行けるです。JRになんか、乗って、行くの、ではあらへんわと。
いやねえ。
それなりに、考えた、ならばの、お子さんが居ての、当町内会に在住のが、何軒か、あるなあと。結構やねえ。
町内会でなくともの、大井町の範疇でも、案外にあって。
当たり前に、当家みたいに、子どもは、居てるですが。少々の距離あるも、居てまして。それが、多数かと、思うですが。一々の、そこまでの、内情なんか、聞いてはないし、ねえ。
話、ころりの、お尻の、ごわごわの件。当方の。
これ、過去、何度か、成っててねえ。
言うても、ここ数年の話かと、思うですが。要は、座り過ぎ。
当方、座椅子なれどの、そのクッション性が、無くなって来たのかと。来たんやと。よて、堅い座椅子になっての、お尻が辛くてねえ。
とりあえずは、お尻の、水分と、するのか、水分やねえ。モ、僅少になりての、対策なら、なるべくの、座らずの、動け、動けと、なるですが。
そらねえ。
座椅子云々も、その座椅子に座ってるの時間、短かけりゃ、お尻がごわごわには、ならんし、ねえ。
いやねえ。
それが、高じて、何ちゅうかの、お尻の皮膚の一部に、豆状のが、出来て。
それが、痛あてねえ。座ってられんよになって、ねえ。
イヤイヤ、諸般、探しに、探しの、みつけたのが、かつて、買いの、残余の、「MINERAL GEL」<AQUA MINERAL><Johnson’s>の、200mlのがあって、ねえ。
何日か、塗ったけれどの、効果なく。
オッとの、経過から、言えばの、モっと、根気よくの、塗れば、よかったかも、なあと。
兎に角、その時には、効果なくと、判断。
近在の、皮膚科医院に行って、参じてねえ。紐解けば、話はしてるの、4月9日<水>にと。
要は、お尻のごわごわの件を訴えて。先生に。
<参考=「単なる雑談NO.441」NO.4772 お尻のごわごわで、皮膚科医院の話>
結果的、<「アンテベートクリーム0.05%(1g)」25g+「ヘパリン類似物質クリーム0.3%「日医工」(1g)」=25g>をば、処方して戴いて。
その時、先生に尋ねたです。
処方して戴いたの薬なるは、どの範囲、有効かと。意味なるは、その時には、お尻の、でして。過日には、胸の、乳首の、擦れて、痛いのを、戴いてるですが、どちに使ても、宜しいのですか、ねえと。
要は、お尻と、胸とでは、違うと、思ての質問でして。
ならばの、先生、返答するに、顔以外になら、使ても、宜しいですと。此度のでも、以前のでもと。へえと。
結構なると。
いやねえ。そらねえ。
当方的、処方して戴いたの塗り薬の、成分と、するのか、薬品名なるは、覚えてはなかったけれどの、中身一緒ならと。
言うは、その日に、戴いたの塗り薬は、とりあえずは、置いといて。当然の、古いのから、使うかと。
それ言うたら、一年前の、<24/04/15>に、処方して戴いたのを、胸に、乳首に、塗ってたですが。
<「アンテベートクリーム0.05%(1g)」10g+「ヘパリン類似物質クリーム0.3%「日医工」(1g)」=40g>
を、でして。
配合、異なるですが。成分一緒やしねえ。後刻、調べたらの、話。
どちにしろ、それから、使うかと。お尻にも、胸にもと。
まあ、言うたら、それで、宜しいなら、2ケースあるです。<24/10/04>にも、処方して戴いててねえ。
理由的、モすぐにも、終わると、思てたですが。そこから、治まって、もてねえ。
結果的、使用中のが、1ケースと、さらのが、2ケース。
オッとの、どちにしろ、ならばと、古いのから、使い切るかと。
当初には、ちょろり、ちょろりの、少しずつなれどの、次第、次第に、思うの存分と、するのか、ケチる事もないなあと。
この辺り、塗り薬なるは、塗るの量、加減が難しく。
現在では、可成り、大胆に、塗ってるですが。
いやねえ。
言うは、効能が、次第、次第に、現れて、来てねえ。
理由、もしかしての、座椅子に、クッション重ねたり、塗り薬の塗るの量多くしたり。可能なるの範囲の、立ってるにしたりの、相乗効果も、あると、思うですが。
まだまだ、お尻の豆みたいな。要は、水膨れ状の軽い奴があるですが。
まあなあ。
最早の、結構なるの、日数経っててねえ。そらねえ、我慢たまらずの、皮膚科医院が、先月の、4月9日と、言うてるの、既に、3週間経ってるです。
それでも、まだまだ、お尻のごわごわあるですが。
豆も、あるですが。痛さが相当に緩和されて来てるです。
結構なると。
(25/05/03)
NO.4795 何の話をするやと、迷うの話(2)
まあねえ。
真正面、真向かいのは、いよいよの、見ず。動きなし。
結構なると。
では、あれどの、16年間やで。あれ以来。
毎日と、までは、言わんですが。真正面故、嫌でも、視界に入るです。正直、注視もするです。
そこの、動き止まっても、嗚呼、止まったなあと、見るです。その習慣になってるです。それ、言うたら、そこの、周辺にも、眼は行ってるです。
内実、知らんけれどの、どちかと、なればの、皆様、仲がええみたいに、見えるです。あくまでもの、表面的には。
まあなあ。
どちにしろ、真正面のは、引っ越したんやと。結構なると。次、どんなのが、来るのか、知らんですが。言うたよな、事件はないを祈るのみ。
只なの、そんな変人、奇人、異常者やねえ。なんか、そは、方々には、存在せず。してたら、そこらで、事件だらけ。新聞沙汰には、なってないだけで。
イヤイヤ、その手の話なら、時折なら、耳にするです。
そらねえ。
その真向かいの、ではないけれどの、その近くので、その昔々、それこその、ステレオを大音響で、鳴らしてたのが、居てたです。
当方、槇島に引っ越したの日の夜、ステレオを調整してて、壁、ドンドンと、やられてねえ。2階の。
そして、間もなくの、玄関の、戸、ドンドンで、要は、隣家のが、音五月蠅いと、苦情やねえ。
結果、折角の、ステレオは、宝の持ち腐れで、鳴らすはなくなったです。現在も、ステレオなるは、車の、オーディオ装置だけで、家には、ないです。
オッとの、その話でなくての、現在地の話に戻すの、まあ、言うたら、休みになれば、そこ様の、誰やろねえ。若手やろねえ。大音量で。
がしかしの、五月蠅いと、苦情は申し立てずで、過ごしたですが。
申せば、当家以外も、五月蠅いと。とは、思うですが。大人しいのやねえ。まあなあ。大体は、そんなモンと、思うですが。
オッとの、それも、何時の時か、数年か、十数年かと、思てるですが。ステレオの大音響消えて、ねえ。
安堵したです。
更には、そこ様の、お婆さん、顔合わせればの、会釈してくれての、こちも、やあやあと。時には、会話したり、してねえ。そのお婆さんと、当方の話。
申せば、そのお婆さん、派手で、ねえ。確か、紫やったかの、スプレーやろねえ。髪の毛、染めてるよな、でして。再度の、お婆さんやでと。
紫ねえ。そ、言うたら、紫の髪の毛程度のは、散見するねえ。
オッとの、その大音量のは、そこの息子さんやったのやろねえ。あくまでもの、勝手推量、推測、妄想、邪推の範疇なれど、です。
どちにしろ、お婆さんが、亡くなったのみたいでねえ。そして、間無しに、その男性もで、暫くしてから、そこさんと、どんな関係の方かは、知らんの、ご夫婦やろねえ。比較的、若手の。
が、住みだしての、現在に至ってるです。
がしかしの、ダケでねえ。特段の、当方的、その大音量の件、過ぎての、無関心になった、です。
まあなあ。
町内会も違うしねえ。言うてるの、スグの、そこの方々であれどの、遠目でして。余程の特徴ないと、わからんわと。
先刻の、紫の髪の毛のお婆さんなら、出先で、遭遇も、わかるですが。
わかっても、間近では、見た事がなく。オッとの、話なら、してるですが。気さくな方でして。我が母とも、話をしたり、してたしねえ。プランターの話もしたですが。
オッとの、壊れた、壊された云々の件ではないですが。
いやねえ。
そんな風に、あちらの面々と、会釈なり、交わすは、居てるは、居てるです。現在唯今でも。
がしかし、遠目でして。間近で、遭遇の場合、その方であるの、自信がなくて、ねえ。要は、印象違うです。遠目と、間近では。
トトトの、又、話、違うですが。
どこ様と、申せば、隣家で、昨日のQQ車の件。
まあ、言うたら、誰であったかは、あくまでもの、状況判断より、わかったですが。何分の、そこ様とは、昨日、今日と、顔会わすの機会なくて。目立つよな、動きもなくての、ある意味では、よかった、なあと。
勝手判断してるです。
それにしても、この連休突入の辺りで、大変や、なあと。
とか、思うの反面では、とは、言えどの、であるからと、どこかえ、旅行なり、するの方も、案外に少ないのやなあと。
まあ、言うたら、当家の場合、夏場、お盆の時期には、毎年、毎年、嫁はんの里の方に、出掛けてるですが。まあなあ、以外には、出ませんですが。出ても、極めての希。
当方単独なら、高校なり、大学の、同窓生と、宿泊を伴うの、旅に出たり、温泉宿に泊まったり、してるですが。
まあなあ。
その範疇なら、傍目では、大した動きなく、わからんですが。
所謂の、その世帯が、留守するねえ。余り、ないみたいに、思われて。
と、するのか、その手の事も、諸般、お土産云々ねえ。持参なり、くれるの宅様なんか、知れてるなあと。
申せば、そらねえ。
余り、その手、旅行なりは、しませんですが。しませんでしたが。その僅少なるでも、すれば、その昔の、町内、喜吉荒神町でなら、方々に、持参した、なあと。よて、結構、金掛かってねえ。
と、するのか、そんなに高価なるのは、買わず。
がしかし、その昔には、宅配便なんか、なかったし、ねえ。下手にお土産買おてみい。持ち帰るに、四苦八苦の、イヤ、ほんと。
当世なら、宅配便が、一般化してねえ。当方なら、下手な事、してるよりは、直送した方がと。運送代掛かるですが。一緒やしねえ。
イヤイヤ、家に帰ってから、運送するも、現地からでも。
家人のなら、まとめて、送るか、持ち帰るかの、決断いるですが。
ンの、何の話ねえ。
いやねえ。
諸般、つらつら、考えるに、出るが出来る時に、出掛けたの方がと、思うなと。
これも、年齢と、共にの、出るが、邪魔くさくなって来るですが。
言うてるの、嫁はんの里ねえ。これ、当方的、結構、しんどくなり出してるです。
往復の道中、しんどいしねえ。先様では、基本、するの事、あらへんし、ねえ。
申せば、その昔の、孫世代が、小さい時には、監視役、見守り役的、用事してたですが。最早の、孫世代も、大きくなったしねえ。
まあなあ。
上、孫娘で、17歳の、高校3年生。
以下、高校1年生坊主で、中学2年生坊主で、1年生坊主。そして、少々離れての、3歳君。
上の、4人なら、ほっといいても、なと。一番の下も、親が居てるわと。イヤ、ほんt。
オトトの、それは、嫁はんの、でして。
かと、申しの、行ったの先の面々、義姉夫婦が、健在であるが、大前提。まあなあ。現時点、結構なれど、です。
こちも、皆がと、するのか、最低限、嫁はんがと。
当方なら、影響あらへんわと。余程の事でない限り。当方の里ではないです。
それ言うたら、可哀想に、当方には、当家のみ。
所謂の、実家なるは、当方の居てるの場、家が、皆の実家。
生まれの育ったの家なるは、借家故、遠の昔に、出たし、ねえ。まあ、つまり、その実家なるは、ありませんでして。仏光寺の家からは、一家皆で、出てるです。
その家なるは、その当時には、何度か、見に戻ったですが。忘れものを取りにやねえ。何度もも、一週間もあったのやろか、なあと。
後は、取り壊されたの話、耳に入って以来、前も通らず。通っても、なと、残念な、だけ。
そらねえ。
再度の、生まれの、育ったの家、消滅は、悔しいぞと。残念無念も、何も、自身では、何も出来ず。するのならばの、相応の資金がいるです。
その資金で、買うなら、なと。
当時、23歳、4歳の、若造で、そんな金、あるの筈はなく。
とりあえず、自身の甲斐性で、親と、妹を、何とかと、だけ。とするのか、住処やねえ。これを確保せねばの、どもならずの、母の知り合いの不動産屋に、紹介してもろたのが、槇島の家。
とするのか、借金<住宅ローン>能力で、決まるわと。
よて、当時で、築40年の、5連棟の、まあ、言うたら、長屋やねえ。の、中古で、且つは、宇治槇島の、でして。
それでも、無一文に近いの身で、よお、買えた、なあと。
結果的、以来、ローン人生が始まったですが。
当時の利息なんか、当世とは、桁違うしねえ。
何の話をしてるの怪と。
こんな話、するのつもり、なかったのに、なあと。
したかったは、出られる、行けるの時、出て、行かずば、以降、何かあればの、要は、カラダが動かずになれば、その気あっても、行けへんぞと。
申せば、ましてやの、夫婦でねえ。これは、2人が、動けるの程度に、健康でないと、なと。
まあなあ。
どちにしろ、動けるの間にと、思うけれどの、この辺り、難儀でねえ。
動けるのと、動きたいは、違うしねえ。
大体が、当方的、出不精でして。イザの、出るにしたって、どこえと、相成って。
遠くは、邪魔くさいし、近くは、行き慣れ過ぎてるし、行った事のないの場所なるは、よ、わからんし、ねえ。
まあなあ。
折角にもの、カー・ナビゲーション付きの車になった、ですが。その使い方にも、慣れてえへんし、ねえ。
まあなあ。
そんな事で、カー・ナビゲーションがあれば、基本、設定さえしたら、ならばの、どこえでも、案内してくれるですが。
それ、思うと、ないの時代に、よお、方々、行った、行けた、なあと、感心するですが。その当時には、怖さを知らんし、少々の間違いなんか、何ともと、までは、言わんけれどの、左程には、気にも、しておらず、で、あったなあと。
言うは、年齢と共にの、勇気、度胸、思い切りが、なくなって来てるなと。
(25/05/04)
NO.4796 十三参り「虚空蔵法輪寺」の話(2) 昔の、元服の話
まあねえ。
話としたらの、過日、先月の。ンの、孫君3号の、十三参りも、先月。大学のドーソー会も、先月の話。
そらなあ。
5月も、本日、4日<日>でして。そんなには、経ってはないです。
オッとの、ドーソー会が、先で、17日<木>でした、ですが。
後刻、後日の、27日<日>の、十三参りの話を先にするかと。
とか、言うても、何日か、経てばの、記憶も、薄らいで、もてねえ。それ、言うたら、17日の、ドーソー会のなんか、モと、薄れての、霧散してるですが。まあなあと。
いやねえ。
そんな事で、どこまでの話をしてたの哉と、再読してねえ。自身の、話の箇所を。
<参考=「単なる雑談NO.442」NO.4789 十三参り「虚空蔵法輪寺」の話(1) 孫君3号の話>
読んで、嗚呼の、そかと。
要は、次男家と、待ち合わせたの、嵐電の、嵐山駅で、無事にの、話やねえ。
そして、「虚空蔵法輪寺」に、行くの道中にて、孫君3号に、法輪寺での、十三参りして、その帰りの、道中、「渡月橋」を渡るに、振り返ってはあかんぞと。
振り返ると、折角の、授かったの、大人の知恵が霧散すると。
これは、何があっても、やと。
誰かが、名呼んでも、オイオイと、声掛けても、一切の、無視の、委細構わずの、振り向くなと。橋渡ってしもたら、振り向いても、構わんと。
とは、昔々よりの、伝承でして。
まあ、言うたら、当方なら、親から、聞いて、そのよに、死守で、振り向かず。と、するのか、当時を振り返れば、必死やった、なあと。誘惑に、負けずと。早く、早くと。渡ってしまえと。
イヤ、ほんと。
そして、その事、更には、息子共にと、伝えてねえ。
まあ、言うたら、当方的には、自身が、渡り。渡月橋を。
息子共には、当方から、伝えて、ねえ。その話を。
当然の、此度、孫君3号。次男家長男には、その親であるの、息子から、伝えてるですが。
イヤ、孫君3号には、尋ねてるです。聞いたかと。聞いたと。そかと。その上で、再度、伝えてねえ。同じの話なれど、です。
いやねえ。
今、思うに、確かにに、元服が、その辺りやなあと。基本、数え年で、十二歳から、十六歳と、されてるです。まあ、言うたら、何歳とは、決まってなくて。
確かにの、小学生では、一寸、早いかと、思うですが。
さりとての、6年生とも、なればの、殻も、デカくになってるし、ねえ。中学生とも、なればの、尚更での。高校生ねえ。最早の大人やねえ。
オッとの、元服なるは、まあ、言うたら、成人式やねえ。
確かに、再度の、殻、デカくになって。申せば、長男家の、孫君1号、2号。特には、1号なんか、この、4月から、高校生なれどの、軽くの、背、抜かれてるです。
この、孫君3号も、抜きやがったかなあと。イヤ、ほんと。
要は、どんどんと、背的、親を抜くの頃かと。
ンの、とも、なればの、時代と、共にの、体格が、進歩するのかなあと。
まあなあ。
コチが、年々の、縮んでくのも、あるのかと。ンの、健康診断的には、そは、変動あらへんですが。
反面では、孫世代に、追い抜かれるは、心地よく。イヤ、ほんと。
あれが、ここまでに、なった、かと。結構なると。
まあ、言うたら、無事に、やなあと。
申せば、特段の何もなく。
申せば、諸般、頭のええ、悪いなるは、別途の話でねえ。そらなあ、学業優秀が、よいに決まってるですが。かと、言うて、まあ、言うたら、普通であればと。
この普通が、結構、難しく。
当家、基本的、その普通と、思ててねえ。
考えよでは、この普通が、で、あればの、理想像でもあって。そこに、諸般、女の子なら、美人であればと。へちゃよりは。
男の子なら、男前であればと。ぶおとこ<醜男>よりはと。されどの、男の場合、顔形の事、余り、言わんですが。オッとの、当世、結構、言うてるですが。
まあ、言うたら、男の、女性化かと。化粧もしたり、してねえ。当方的に、ならばの、そんなの、ゾと、するですが。
オトトの、何の話ねえ。
孫君3号の、十三参りねえ。
言うは、祖父母世代として、一緒出来るは、結構なると。イヤ、ほんと。
トトトの、その道中には、女の子、男の子で、十三歳辺りのが、散見してねえ。嗚呼、あの子も、そなんやと。この子もと。
これは、所謂の、七五三とは、又、違うしねえ。七五三は、当然の、子ども。十三参りも、子どもなれどの、意味が、元服の時期でして。
まあなあ。
反面では、ここから、どんどんと、親の言う事、聞かんよに、なるのやなあと。イヤ、ほんと。
所謂の反抗期が来るです。
まあなあ。
当方の時ねえ。自身では、その手の事、余り、感じてなくて。息子共ねえ。あったよな、なかった、よなのと。
大体が、男の子なんか、親の言う事なんか、聞かんわと。
そんな事で、行けば、渡月橋を渡ったの先に、「十三参り」と、記したの登り、看板があったり、してねえ。道と、するのか、石段も見えてるですが。
ややこしいけれどの、当たり前に、そこからも、行けると、思うですが。そこからは、行った事、なくて。
申せば、その先、左手に曲がったの先の、右手に、所謂の、「法輪寺」の、門があるです。
ンの駐車場もあって、管理人も居てねえ。
いやねえ。
正面入口、よ、わからんの、こっちかと、行けば、嗚呼の、そっちですと、言われてねえ。へえと。
イヤイヤ、その方、どちからでも、行けるですがと。行き先、一緒やしねえと。ンの、サヨですかと。
話、違うですが。
明日<5月5日・月>、長男家が、来るになってるなあと。
されどの、孫娘は、塾か、何かで、来ませんですて。いよいよの、そんな事かと。
(25/05/05)
NO.4797 十三参り「虚空蔵法輪寺」の話(3) 本堂の様子の記憶の話
そんな事で。
孫君3号、次男家長男の、十三参りで、嵐山の、「虚空蔵法輪寺」。
我々夫婦は、JR嵯峨野線で、嵯峨嵐山駅に着いて。嵐電の嵐山駅は、終点やねえ。で、次男家と、合流で、「渡月橋」を、渡ったですが。申せば、その、渡月橋の辺りから、嗚呼、あの子、十三参りやなあと。
するのが、散見してねえ。
イヤ、結構なると。
いやねえ。
十三参りなるは、春、秋があるのやなあと。
春は、この時期、3月13日から、5月13日までと、されてるです。と、なればの、春のも、まだ、先があるになるです。
そして、秋のが、10月1日から、11月30日。
まあ、言うたら、暑い夏場、寒いの、冬場は避けての、ええの季節にと。そんな事なら、モと、早めなら、桜やねえ。嵐山の桜も、綺麗やでと。
そして、秋の、では、紅葉。イヤ、ほんと。
嵐山の、紅葉も、素晴らしく。その昔には、よっく、見てるです。見てるとは、それを見にと、言うでなくの、何かで、嵐山界隈に来たの時、偶々の、桜であったり、紅葉の季節だあったのダケ。
そんな事で、「法輪寺」の、石段ねえ。結構あるですが。驚嘆するの程でなくの、
言うは、この歳、当方の、でも、まあなあ。特段の疾病なくての、こんな程度、平気の平左。
要は、孫達ので、ここ数年、来てるですが。石段に印象、記憶なく。まあ、言うたら、石段は、あったけれどの、大したでは、ないと。
事実、アと、言う間に、登れて、ねえ。結構なるの、上がったの先、本堂の辺りで、ねえ。人で、一杯で、ねえ。
ここは、観光地の嵐山。
なれどの、観光客ねえ。居てるですが。特には、そと、わかるの外人が、散見なれどの、散見で、済んでるです。
要は、観光客も、混ざってるですが。圧倒的、十三参りの面々の、当人と、その家族。兄弟姉妹なり、親、祖父母世代ので、一杯。
一杯ねえ。
一杯で、ごた反してる、でもないです。まあ、言うたら、適当に、賑わってるの結構なるの、状態。
申せば、嵐山は、外国人観光客で、超の満杯なれどの、その典型例、渡月橋渡るに、順番待ちせねばと。或いは、車道に、溢れてもてと。
の、傾向、朝の早くに。とは、言うても、11時頃なれどの、には、あって。皆様、どこに行くのやろねえ。嵐山の。渡月橋で、一杯は一杯なれどの、その先は、左程でなくて。多分なら、東詰の、店の多い方にでも、行ってるのかと。そち方面なら、行きしに、通ってるですが。確かに、多いなあと。との、印象。
言うは、この界隈、以前なら、昼からでして。大入り満員状態になるのは。朝方なら、空いてるです。の、記憶ですが。
オッとの、その話は、過ぎたです。「法輪寺」での、十三参りの、ご祈祷やねえ。
そらねえ。
多過ぎたら、順番待ちも、大変やしねえ。ご祈祷の申込みにも、時間掛かるしねえ。
まあ、言うたら、待合いの、テントねえ。そこの椅子に、丁度のええの程度に、座れて、ねえ。
まあなあ。
ご祈祷も、時間、時間で、集まったの方、一気、全員なれど、です。
強いてなら、余りに、人数多くなったら、住職なりが、ご祈祷の名、読むに、時間掛かるのだけかと。
まあなあ。
申せば、本堂に入るの人数多くなるですが。
オッとの、とかとか、とりあえず、我々なら、次回の、最初に名、孫君3号のを、呼ばれるやろなあと、思たですが。状況より。
つまり、親が、申込みの手続きしてるの間に、先客の一団が、本堂に、移動してねえ。へえと。
まあなあ。
寺の方、曰くに、概ねの、十五分ですと。待ち時間が。
へえの、そんなには、長くはないしで、安堵したですが。とりあえずは、十五分の修行。
そんな次第の、斯くなるでの。
その十五分済んだの辺りで、先の組のが、本堂から、出て来てねえ。
さての、我々の番、孫君3号の出番と、思た、ならばの、予定通りの、一番手に、名、呼ばれてねえ。
さあ、行こかと。
申せば、この組も、十五分でして。結構なると。
イヤイヤ、住職が、登場で、主人公なるは、ここにと。並ばされ。
我々ねえ。付き添い人なるは、囲いの、外の箇所で、居てくださいと。と、するのか、着席。椅子はないがため、単に、座ってるのだけ。
いやねえ。
長男家の時も、こ、やったんやろなあと。
申せば、本堂の中で、どしてたか、なるは、全くの、記憶しておらず。中の様子も、アカンねえ。霧散してるです。
まあなあ。
この、法輪寺には、そんなには、来ておらずやしねえ。
「八坂神社」の本殿の、中の様子なら、記憶してるです。
「八坂神社」そのものに、慣れててねえ。そらねえ。月参りの墓参の都度、参拝に寄ってるです。
それ、言うたら、七五三なり、宮参りで、長男家は、「八坂神社」でねえ。その回数、本殿に上がってるです。
次男家のは、「長岡天満宮」なれどの、そこの、様子も、記憶してるですが。
何で、ここ、「法輪寺」の本堂については、記憶してないのかなあと。と、沈思黙考の、考えても、わからんわと。
がしかし、此度ので、明確に、記憶したの感あるです。がしかしの、次回ねえ。孫君4号ねえ。十年後やでと。当方、生存してるかが、あるですが。
生存してて、ここに、一緒するの、気力、体力、脚力あれば、結構なれど、です。まあなあ、88歳やで。無理やろ、なあと。
言うておくの、生存してて、その気あらば、賑わしに、来てやりたいは、重々にあるです。それこその、最後の孫でして。
オトトの、本日<5月5日・月・こどもの日>には、長男家の、孫娘以外の、4人が、来てねえ。
途中から、次男と、孫君3号、来てねえ。
まあ、言うたら、久し振りに、孫世代も、顔合わせたになるなあと。
イヤイヤ、諸般、孫君4号、熱出しての、実は、嫁の実家に行くのつもりが、辞めにしたですて。そして、本日には、嫁と、孫君4号、お留守番で、次男と、孫君3号、来てくれて。
まあなあ。
そんな事やから、夕食は、次男は、自宅でと、孫君3号と共にの、帰ったですが。
どちにしろ、昨年からやねえ。
又、人数多くなるとも、あっての、皆の予定なり、体調なりで、全員揃うが、難しくなって、来たなあと。
まあなあ、諸般、言うてるの、成長と、共にの、予定が、一杯出来て。塾やとか、部活とかで。そして、人数分だけ、体調問題あるわと。
出て来るわと。
(25/05/06)
NO.4798 5月5日は、こどもの日の話(1)
いやねえ。
昨日<5月5日・こどもの日・月>には、長男家は、孫娘以外の4人。
実は、次男家は、久し振りに、嫁の実家えの、予定してての、4日に、なと。伊勢故、1泊して、間に合うよなら、こっちにも、寄る。
みたいな事、言うてた、らしいですが。
そこまでは、嫁はんから、聞いてたですが。
強行軍過ぎるしと、こちは、辞める。的、話は、聞いてなくて。
そして、その当日、長男家なら、久し振りに、墓参してねえ。結構なると。
そらねえ。
当方的、申せば、当然の事。がしかしの、諸般、神戸在住では、なと。ごたごたは、申さず。
此度なら、元々は、午前中、嫁の実家に寄って、午後辺りに、こちに、来ると。で、夜は、寿司希望と。なっててねえ。フウンと。
イヤ、当方、余り詳しくは、知らんでねえ。結果、どするか、さえ、わかればと。
そらねえ。
基本、予定的、好きにしたらと。好きにしてるですが。
の、筈が、長男嫁の実家の方、都合が悪いと、なって、ねえ。
ほならの、午前中に、東本願寺祖廟に、墓参をと。ならばの、昼飯いるなあと。結果、長男家と、するのか、孫共の希望か、背景知らんですが。マクドナルドが良いと。イヤ、結構なるの、そのよに、何をと、言うてくれるの方が、余計な事、考えずに済むわと。イヤ、ほんと。
と、同時に、当方的には、どら焼きでも、買おといてやろかと。
イヤ、主たる、長男家に、なれどの、その時には、強行軍も、次男家が寄る的、聞いてたしねえ。ならばの、次男家の分もと。調達しておくかと。
がしかしの、後刻、強行軍は避けるかもの、話、聞いて。
まあなあ。
次男家、来られずなら、その分、長男家が、持ち帰っても、結構かと。
とか、思てたならばの。
要は、どちにしろ、人数分の、どら焼きをと。
予め、買おておくかの、「シャトレーゼ」で。ならばの、4日の日なり、5日の午前中、少々早めにと、考えたり、してたですが。
まあなあ。
実は、過日の、孫君3号の、十三参りの時。
お参り<ご祈祷>済ませ、さての、昼飯、どするやと。結果的、桂川街道にあるの、「ステーキ・ガスト」に行こかと。とは、次男の提案で、へえの、結構なると。
申せば、何年前やろねえ。1度だけ、行ってるですが。当然の、亀岡からは、少々距離あるのと、当家的には、可成りの高めでねえ。値が。
モ、あるし、当然の、行き慣れてないのがあっての、話簡単には、要領わからんわと。且つは、我々に適切なるの、肉の量なんか、見当つかず。
100gでは、少ないやろし。150gねえ。微妙やねえ。
200gでは、多いみたいに、思うの、兎に角、決断難しく。
結果、その1度で、以降、疎遠。多分なら、5年程、経ってる、やろか、なあと。
以来でねえ。
がしかしの、そらねえ。肉は好きでして。聞いて、サヨかの、結構なると。
更に、申せば、この手の事、次男夫婦が、よっく、知ってるやろと。多分。
まあ、言うたら、その2人に任せるかと。まあなあ、わからんなら、聞けばと。
そらねえ。
前回なるは、適当に行って、ねえ。メニュー見ても、何見ても、わからんわと。完全なるの、田舎モノ。イヤ、ほんと。
正直には、当世の、店の、やり方なりには、付いてくも、大変やでと。最近になって、やと、やねえ。タッチ・パネルでの、注文の方法、理解し出したが。
イヤ、レストラン、「さと」になら、よっく、行ってるですが。タッチ・パネルになったの、初期には、店の子、呼んでねえ。メニューから、これ、これと、伝えてねえ。
一寸、慣れて来たら、一応は、品物選んでの、で、どんな風に、タッチ・パネルから、注文するですかと。方法、聞いたり、してねえ。
言うてるの、やとで、最近、店員の、応援求めずで、済むよになった、なあと。
がしかしの、「ガスト」なら、「さと」と、一緒やし、わかるですが。「ステーキ・ガスト」では、主が、ステーキだけにねえ。
その他、何を選択かが、分からんわと。
まあなあ。
息子に教えてもろての、サイド・メニューねえ。喰い放題がよいと。値も、知れてると。更には、ドリンクも、飲み放題<アルコール以外>を付けてと。
さすれば、コーヒーも、何杯でもと。へえの、サヨかと。
そのサイド・メニューなら、野菜、スープ、パン、カレー・ライス等々、いくらでもと。それで、550円であったか故、それなら、安いなあと。イヤ、ほんと。
言うて、もたらの、その、昼食済んで、さての、帰りねえ。
実は、我々なら、モロ、JRで故、どこか、適当なるの、JRの駅まで、送ってくれればと、思てたですが。家まで、送ると。へえの、さよかの、結構なると。
まあなあ。
考えよでは、下手に、嵯峨嵐山駅に戻ってたでは、行きも、帰りも、車で一杯で、ねえ。どもならず。
要は、嵐山界隈で、どこか、あるの、なら、なれどの、そこら、観光客で、一杯やろし、ねえ。
まあなあ。
当方的、心当たりなら、あるですが。ン十年経ってるし、ねえ。場所も定かであらへんし。下手な、進言言わんとこと。イヤ、ほんと。
いやねえ。
息子一家なら、車で、来てるです。
四条通りの、梅津の方、話、簡単には、「梅宮大社」の、そばに、諸般、駐車場あって、ねえ。へえと。
申せば、この界隈、「梅津」と、称するですが。
「梅津」の、地名が先か、「梅宮大社」があって、「梅津」であるのかと。よ、知らんですが。要は、京都では、高名なるの、神社。
まあ、言うたら、四条通り、松尾橋があって、その先、西詰には、「松尾大社」。東詰、京都市内方向は、「梅津」と、称しの、「梅宮大社」が存在。
とは、承知してたですが。
「松尾大社」の、所在地なら、わかり易くの、要は、四条通り、松尾橋を渡ったの、そこに存在するですが。見えてるですが。
「梅宮大社」なるは、四条通りから、北の方に、一寸、入るしねえ。
要は、大通りからは、見えず。且つは、えの、道も、道幅狭くの、が、故に、当然の、知ってる方、知ってるですが。四条とか、申せば、当方、大きくは、四条大宮の方、なれどの、一寸、離れてたら、知らんわと。
とかとか、今頃でして。
次男の案内で、駐車場にの、その時、へえと。ここかと。「梅宮大社」はと。再度の、名称なら、重々の承知してたしねえ。
そ、言うたら、梅津界隈に、存在してたんやと。
オトトの、話が、あちこちに。
なれどの、その、「ステーキ・ガスト」で、肉喰てねえ。
その帰り、次男が、家まで、送ってくれると。へえの、ありがとさんと。
かと、言うて、家に帰っても、何もないなあと。
言うは、折角やしねえ。オヤツをでもと。買おて、帰るかと。
てな、次第で、亀岡の、「シャトレーゼ」に寄って、ねえ。お菓子、オヤツをば、調達してねえ。
申せば、大体が、孫君3号の、好物の、どら焼きは、この、「シャトレーゼ」まで、買いに行ってるです。時間、あれば、なと。
まあなあ。
基本、突然では、ども出来ず。なれどの、予め、分かってるなら、以前でも、調達してたですが。その以前なら、どら焼きの、製造工場あったしねえ。そこが、諸般の変遷あるですが。最終的、毎週金曜日に、一般に売ってたですが。一昨年かに、辞めになって、ねえ。
結果、スーパーの、どら焼きにしてたですが。最近では、そやそやと、と、するのか、別途の目的で、偶々の、「シャトレーゼ」に入ったならばの、どら焼きあって、ねえ。
言うは、ここ、洋菓子屋やのにねえ。和菓子も、結構置いてるを、知っての、それならと。孫君3号のためと、調達に。
の、次第であった、ですが。
その話、先月、4月の、27日<日>でして。次男家長男、孫君3号の、十三参りの時の。
まあ、言うたら、今度は、5月の5日。こどもの日やしと。申せば、「シャトレーゼ」ねえ。余所との、比較で、結構なるの、お手頃価格やしねえ。意味的、安価でねえ。
まあ、言うたら、奮発出来ての、1人2個と。本日、喰うのと、お持ち帰りのをと。
まあ、言うたら、昨日5日には、結果的、次男と、孫君3号も、来てくれたしねえ。
ではと、行くかと。皆で、「シャトレーゼ」に。
過日と、同様の、基本、1人2個で、家で、喰うのと、お持ち帰りのをと。
その時には、長男と、次男の車の2台でねえ。「シャトレーゼ」の、駐車場は、大丈夫かと、危惧しつつ。
イヤ、駐められるの台数、何台やろねえ。6台、7台程度かと。
がしかしの、平日なら、空いてるですが。何分の、こどもの日やしねえ。
(25/05/07)
NO.4799 5月5日は、こどもの日の話(2)
いやねえ。
一昨日の、こどもの日の話。
言うてるの、結果的、次男も、孫君3号と、一緒に来てねえ。
要は、孫君4号、熱出して。結果的、予定してたの、嫁の実家に行けずで、孫君4号と、嫁はお留守番。
オッとの、とか、言い乍らの、話を若干戻しの、過月、先月の、4月27日<日>。
この日なるは、孫君3号の、十三参りした日。
嵐山「虚空蔵法輪寺」に参拝したですが。京都では、その十三参りするは、何度でも、申すの、「虚空蔵法輪寺」に決まってるです。
そして、帰りの道中。
「渡月橋」を渡るに、振り向くなと。一目散に、渡れと。
ではの、振り向けば、どなるやと、なればの、折角の授かったの、大人の知恵を無くすと、伝えられてるです。
申せば、十三歳ねえ。実際には、数え歳で、故に、十二歳なれどの、一二歳は、小学6年生やねえ。
よて、区切り良く、小学校卒業して、中学生になるの、間、辺りにと。するが、結構なれどの、そはなと。諸般の都合もあるやろしの、春なら、3月13日から、5月の13日。
秋では、10月1日から、11月30日までと。
言うは、嵐山のええ季節。
春なら、桜で、秋なら、紅葉。
かと、言うて、孫君3号の、十三参りの日、4月27日では、桜はあらへんですが。ま、ええかと。結構かと。
兎に角、当方的になら、孫共、順々に、十三参りをしてくれたらと。イヤ、ほんと。
言うは、いよいよの、その歳になったんやと。とは、所謂の、その辺りの年代なるは、元服でして。確かに、大人の儀式をするの頃。
イヤ、元服で、何をするのか、知らんですが。
基本、その昔の、概ねの話なら、男子の場合、髪結い、服改め。身分にも、寄るの、冠を被ったり、一般のは、の、代わりに、烏帽子<えぼし>を着用したり。
女子ねえ。基本、一緒で、振り袖を着たり。
オッとの、それでや。
無事に、ご祈祷も済みの、言うてるの、渡月橋をば、西詰から、東詰。つまり、京都方面に渡って、ねえ。
イヤイヤ、人、多いしねえ。見失おてねえ。主人公の孫君3号と、その親の次男を。
我々夫婦と、嫁と、孫君4号は、一緒に橋渡って、嗚呼の、あそこやと。橋渡ったの、右手の川岸に2人が居てねえ。嗚呼、居た、居たと。
結果、皆が揃いの、再度の、橋を戻りの、阪急の嵐山駅に、やねえ。
次男の車が、梅津の方でして。兎に角、阪急で、嵐山駅から、松尾大社駅に、やねえ。
その道中。
と、するのか、「渡月橋」の、川岸で、孫君3号に、尋ねたです。
応えなら、わかってるですが。どやったかと。
振り返えらへんかった、かと。
ならばの、振り返ってないと。
そか、よかった、なあと。
かと、言うて、思うに、考えるに、主人公達が、振り返ってもてたら、ど、なるやの、どもならず。
あくまでもの、伝承でして。言われてるの、折角に、授かったの、大人の知恵、失うねえ。
ある意味、大人の知恵なんか、いらんのも、あって、ねえ。出来るの事なら、子どものままの、純粋なるの、気持ちで、あって、欲しいも、あるなあと。
かと、言うて、余所様から、騙されっ放しでは、どもならず。なれどの、コレ又、騙され方、騙されたの結果にも、寄るのけれどの、騙すよりは、騙されてるの方が、罪はないと。
天も、必ずや、見てると、思てるですが。
話、逸れるの、にしては、米国大統領の、トランプ君ねえ。あれも、天命怪と。
申せば、ヒットラーも、どなんやと。
とかとか、理不尽なるの、辻褄合わんの事、多々あるですが。
庶民は、庶民でと。罪造りは、せぬよにと。イヤ、ほんと。
オッとの、こどもの日の話が、飛んでもた、なあと。
(25/05/08)
NO.4800 5月5日は、こどもの日の話(3)
いやねえ。
話をしたい事、沢山あって。
かと、言うて、余りに、あれこれ、これあれも、なと。
この辺り、難しいねえ。厄介やねえ。
まあなあ。
申せば、次男家長男、孫君3号の、十三参りは、無事終えて。
只なの、考えればの、長男家孫娘のは、一緒したは、重々の記憶の、さての、長男、孫君1号も、一緒したよな、気もしてるですが。
孫君2号ねえ。お呼びが掛からんでして。一緒してへんなあと。
言うは、お呼び、お声掛かれば、必ずや、一緒するですが。声掛からねば、一緒せず、出来ず。
いやねえ。
こちから、したらの、出来る限り、一緒したいわと。基本、孫共、皆、その姿と、するのか、成長の程をと、立ち会いたいわと。
これ、当然でして。
申せば、言うてるの、孫が、その歳、十三歳ねえ。再度の、孫やし、なと。
こちが、それまで、生存してるが大前提。且つは、一緒するなら、何十段あるのか、「虚空蔵法輪寺」の、あの階段、上がらねばならぬです。
イヤイヤ、何十段ねえ。
当方、この年齢でも、特段の、問題なく、登れるです。
がしかし、言いたいは、生存はしてても、高齢と、なりての、その気、重々にあっても、あの石段がと、なってみい。場合により、その入口には、「法輪寺」の、臨時の、やろねえ。駐車場あっての、そこまでは、息子なり、嫁なりの、車で行けても、石段ねえ。自力で上がれるなら、なと。
言うは、現在唯今なら、何でもなくの、石段程度、上がるは出来るですが。
その体力、気力、脚力あっての話やしねえ。再度の、簡単に、申せば、車椅子のお世話になってたでは、無理やろな。
車椅子には、間があっても、石段ねえ。と、思うです。
それ言い出したら、特段の、十三参りの話だけでなくの、墓参も、出来ひんぞと。こんな程度、「法輪寺」のなんか、知れてるです。
「東本願寺祖廟」のは、結構あるです。それこその、当方でも、一気にと、なればの、ヒイ、フウの、ハアと。
それこその、高齢で、自力で無理で、車椅子の方が、孫世代やろかねえ。支援してもらいの、墓参。但し、月参りではないの、納骨であるとか、一周忌、三回忌等々で、やろねえ。
そらねえ。
墓参で、月参りは、そんなには、居てませんです。当家、希と、思てるです。そらなあ、墓地の近くなら、どて事、あらへんですが。
当家、祖母と、一緒にの、墓参なるは、少々、距離あるですが。まあ、言うたら、祖母が元気、元気で、当たり前に、孫の当方連れての、墓参をしたが故、でして。
言うは、当方、祖母、還暦の孫。
さての、何歳くらいまで、一緒に、墓参したのか、なあと。よくは、覚えてませんですが。
と、言うも、墓参そのもの、習慣的でして。
日が、何時と、決まってたかも、なれどの、当方的、その手の事、全くの考えておらずでねえ。単に、祖母が、行こと、言うから、一緒したのだけ。
時には、妹が連れられ、墓参してたも、あるですが。
その妹は、自分だけが、祖母に一緒したよな事、言うててねえ。
当方的、そかと。そ、言うたら、祖母、妹と、当方の3人で、墓参した事、ないなあと。
まあ、つまり、妹は、祖母と、自分だけで、墓参したと。当方なら、自分とだけでと、思てたり。
多分なら、祖母としたら、イザ、墓参の時、偶々でもの、家に居てるの方、妹なり、当方に声掛けたかと。
まあなあ。
我々、祖母の言、絶対的でして。断るなんか、有り得ず。イヤ、ほんと。
祖母の、だけでなく、父、母の言も、断るは、ないなあと。反抗期なら、あったと、思うですが。それは、それ。用事言われたら、やってたの記憶。
ンの、何の話ねえ。
振り返ればの、孫君2号ねえ。残念やねえ。
そんな意味では、最後、孫君4号ねえ。これの時には、どなんやろなあと。言うてるは、十年後やし、ねえ。生きてるが大前提で、生きてても、さての、カラダが、一緒するの、出来るの状態にあるのかと。あれば、結構なるでして。
まあ、言うたら、88歳にもなって、孫君4号の、十三参りに、一緒出来たら、万歳やねえ。但し、あくまでもの、自力であるが、これ又、前提。
まあなあ。
十年後の、嵐山界隈が、どんな風かは、わからんですが。
当世、現在みたいに、観光客、外人で、ごたがえしててみい。渡月橋渡るに、難儀しててみい。90歳近いの、爺さんなんか、ハタ迷惑。
では、ないの状態なら、なと。
一緒して、祝ってやる、やれるは、結構なるの事也と。
イヤイヤ、現時点、ハタ迷惑な状態では、一緒する気はないなあと。
オトトの、そ、言うたらの、阪急ねえ。嵐山線ねえ。
十三参り終えて、次男の車を駐めてるの、「梅宮大社」の駐車場ねえ。言うてるの、そこまで、行って、へえの、ここかと。「梅宮大社」が、と、なったですが。
その嵐山線。
一度哉の、乗ってるなあと。
何の時かは、失念の、何とは、なくの、覚えててねえ。懐かしいなあと。
或いは、実際には、乗ったの事ないの可能性あるですが。言うは、松尾駅<松尾大社>の辺りは、よっく、承知してて、ねえ。
その踏切の箇所には、その昔、フルーツ・パーラがあって、ねえ。
当家、5人時代、要は、母、家内、息子2人と、共にの、何度か、入った事、あると。
がしかしの、電車で、嵐山から、松尾駅下車で、その箇所、フルーツ・パーラねえ。ないなあと。寂しいねえ。
オッとの、明日<5月9日・金>ねえ。
「京都市美術館<現京都市京セラ美術館>」。
これは、銘々権、50年間で、「京セラ」と、なった<2017年>ですが。そこで、モネ展<モネ 睡蓮のとき>やっててねえ。<2025年3月7日から、6月9日>
嫁はんと、見に行こかと。
それこその、美術館ねえ。前回何時に行った、ねえ。当方的、半世紀以上昔かと。
それこその、その近所、要は、岡崎公園の、「京都会館<現ローム・シアター京都>」には、桂米朝を、嫁はんと、見に行った事、あるなあと。
そ、言うたら、京都会館には、「ポール・モーリア・グランド・オーケストラ」を見に、聞きに、行った事もあった、なあと。嫁はんと。
尚、「ローム・シアター」は、ロームが銘々権取得の名称。
オトトの、又、こどもの日の話が飛んで、もて。
まあなあ、話の中身的、大した、違いはないなあと。
(25/05/09)