シバケンの単なる雑談NO.457


NO.456
NO.451 NO.452 NO.453 NO.454 NO.455

NO.455
NO.410 NO.420 NO.430 NO.440 NO.450

NO.300 NO.350 NO.400 NO.450
NO.50 NO.100 NO.150 NO.200 NO.250
題目一覧表

目次

雑談NO.458

NO.4940 町内会の話(1)

NO.4939 「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(5) 義理の伯母の名を知らずの話

NO.4938 「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(4) 義理の伯母が見舞いにの話

NO.4937 「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(3) 義理の伯母に遭遇の話

NO.4936 「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(2) 「無」でもないの話

NO.4935 夢見で、整流ダイオードの話(19) 電気工事士の、小父さんの話

NO.4934 夢見で、整流ダイオードの話(18) 強制加速試験の話

NO.4933 「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(1) これは、中学生時代の会話の話

NO.4932 まだまだ、やりたい事、言いたい事、あるの話(2)

NO.4931 まだまだ、やりたい事、言いたい事、あるの話(1)

雑談NO.456


NO.4931 まだまだ、やりたい事、言いたい事、あるの話(1)

いやねえ。
昨日<9月21日・日>から、突然に、肌寒うに、なった、なあと。
まあなあ。そらなあ。
9月も、下旬。彼岸の入りが、20日やったし、ねえ。さもありなんと。とか、言うたって、いつもの、この時期の気温、気候から、したらの、圧倒的、異常な、暑さであった、です。ここまでが。

まあなあ。
昼間、日中なら、まあまあの、気温でねえ。汗拭きタオルねえ。どしょかと、迷うの程に、汗かかずで、結構なる、なれどの、矢っ張りの、一寸でも、動くと、汗出だして、ねえ。困るなあと。

どちにしろ、昨日から、やねえ。
エアコンなしで、夜、寝るが出来てるです。それまでは、緩く、なれどの、エアコンなしでは、たーいへん。蒸し暑うてねえ。
寝てられんと、言う程ではないにしろ。ンの、寝苦しいは、確かでねえ。寝付くまでに、若干の間が掛かるです。

オッとの、いやねえ。
その昨夜。寒いかで、夜、何度、おしっこに起きたかと。2回やねえ。3回目は、起きてしまうか、寝直すかを迷いつつの、起きてしまうにしたが故、夜中、2回やねえ。

言うたら、大体は、1回は、夜中、おしっこで、起きてるです。
これねえ。
申せば、前立腺肥大の、手術以前と、一緒でねえ。おしっこに起きるの回数が。まあ、言うたら、手術以前でも、夜中、1回、2回起きて、行ってたし、ねえ。

とか、おしっこで、起きるの回数だけで言えば、手術して、替わってない、みたい、なれどの、手術以前には、出て、チョロ。量が。
がしかしの、術後は、沢山出てるです。出てる故、おしっこが、確かに、溜まってるになるですが。溜まり過ぎやねえ。

要は、よお、わからんわと。
意味なるは、手術以前には、夜中起きて、おしっこするに、出て、チョロ。
現在、夜中起きるは一緒で、おしっこするに、しっかり、出てるです。と、なればの、以前には、出来たの、おしっこ量、少なかったの怪と。思たり、してねえ。
イヤイヤ、少ないは、確かやねえ。気持ちよく出せたは、ホンの偶。

モ、あるし、気温の事、ダケなら、エアコンつけてる。とは、言えどの、暑いは、暑いしねえ。つけずでは、寝苦しくの、寝てられへんわと。寝ても、構わんのけれどの、熱中症になっても、困るし、ねえ。
我慢せず、夜中にも、エアコンつけて、寝てたです。
いやねえ。
昨年まででも、エアコンなら、つけて、寝る事、あったのけれどの、一夏、通して、数日かと。此度、今年の場合、6月頃から、やねえ。一昨日まで、基本、エアコンあり。


てな事も、その時々に、話をするのつもりが、イザ、話をするに、忘れて、もてねえ。結果的、1日、2日と、遅れて、ねえ。
まあなあ。
どしてもの、その日にと、言うではない故、構わんけれどの、その頻度が、高過ぎるです。
これは、加齢に寄ると、思てるですが、加齢が原因であるは、事実であると。それだけ、記憶力、集中力が、低下傾向にあるなあと。
であるからと、所謂の、認知症とは、思てはないの、まあ、この年齢なら、こんなモンやろと。

とか、思うの反面、時に、軽くの、90歳なり、100歳辺りの方が、結構、昔の話を、正確に、覚えてての、テレビで、話をしたりの光景あるですが。あの歳で、そこまで、明確、正確に、話が出来るは、超人かと。
言うたら、その辺りの、年齢なら、まともでも、やや、怪しくなって、来て、当たり前と、思ててねえ。
まあ、言うたら、90歳台にも、達してての、あの応答ブリ、思考能力あるは、まあ、言うたら、頭脳明晰であると。当方なんか、ソバにも、寄れずと。イヤ、ほんと。

ついでにの、申せば、一寸の以前。
とか、言うても、年単位なれどの、当方的、この手、話するにも、調べて、調べて、探索、検索した上で、話してるですが。
やってるのつもり。また、やらんと、なと、思いは、してるですが。次第、次第に、邪魔くさいが先に立ち。

と、するのと、果たしての、この手、HPの運営ねえ。
いつまで、出来るのかと。
オッとの、現在唯今、全くの、封鎖なり、引退なり、投げ出すの、気、毛頭のと。がしかしの、いつかは、その手の日、来るやろなあと。
と、するのか、延々には、やれず。いつか、限界は、来るやろなあと。どんな形でか、わからんの、けれどや。

てな話、するのつもりでなかったの、けれどの、どちにしろ、何時かは、来るの覚悟、つもりは、しておかねばと。
までには、当HPを通じて、やりたいの事、言いたいの事、まだまだ、多々あって、ねえ。
イヤ、ほんと。
(25/09/23)


NO.4932 まだまだ、やりたい事、言いたい事、あるの話(2)

いやねえ。
言うは、諸般、面倒が先に立ち。
検索なり、探索するが、です。
目的、その多くが、当HPで、話をする、するのつもりの、話をば、より、正確にと。イヤ、ほんと。

以前には、一寸、手抜きしたら。手抜きとは、真相等々、検索、探索なり、せずに、まあ、ええかと。そんなに重要でも、あらへんわと。
端折ったり、思たのままに、掲載なり、したら、一発、指摘あって、ねえ。それ、違うと。へえの、ありがとう、ございますと、修正したり。

が、よっく、あった、です。
よて、基本、検索、探索なり、した上でと、してるですが。時には、邪魔くさい時、事もあるわと。
がしかしの、最早の、その手、違うぞと。との、指摘も、受けずになって、ねえ。受けずは、受けずで、寂しくて。
がしかしの、言うたら、カウンターねえ。回転数ねえ。的には、そんなには、替わらんでして。ンの、替わらんも、どこを基準、比較対象にするかが、あるけれどや。

そらねえ。
長い、年月、経ってるです。1998年の4月23日開設の、HPやでと。
唯今、2025年の、9月23日やでと。
期せずしての、27年と、5箇月なんや、ねえ。フウンの、27年かと。振り返ればの、我れ乍らの、大したモンやと、感心するです。

それこその、基本、HPねえ。
当世、種類、様々なれどの、HPの場合、全て、自力やしなと。自身で、あれこれ、せねば、更新出来ず。
まあなあ。
万事、この手のは、自身での、更新命でねえ。

言うは、言いたいは、自力で、やってるの場合、1年継続すれば、ご立派。まあなあ。飛び飛びでも、一度、更新したなら、継続出来てる。とは、言えるのか、どか、わからんですが。飛び飛びでも、1箇月、2箇月、間が空いても、ハタと、思い出しの、手を加えるは、ご立派と、言えるです。自慢には、出来んのけれどや。
そこで、2年、3年と、飛び飛びでも、運営、更新出来てたらの、話の、大したモンやと、褒めてつかわすです。

まあなあ。
悪いけれどの、その、2年、3年程度なら、保つの面々、結構いてるです。それ言うたら、そこまで保てば、5年、10年ねえ。
保つ、保たせるは、可能でねえ。
但し、その、5年、10年とも、なればの、管理者の、環境が、激変、変動なり、するの事、多々あるかと。

実は、その手の方、実に多くてねえ。
それこその、一世風靡の、大人気の、HP。その当時に、パソコン触ってたの面々なら、大抵なら、承知のが、あるです。
「Windows処方箋」。
これが、活動時期、1998年10月6日から、2004年2月10日が、最終更新日でねえ。これ、活動期間、5年と、10箇月。

結果的、5年保ったです。
がしかし、HPそのものが、2016年11月10日に消滅したです。勿体ないなあと。とは、思うですが。掲示板なりに、アラシが一杯。
ならばの、掲示板を、切り離せばと、思うですが。全体を、消したです。
まあねえ。
これは、単独での、運営でなく、何人かで、共同管理されてたのではと、思うです。

イヤイヤ、言うは、このHPなるは、その5年と、10箇月で、軽くの、億単位の、回転数であった、です。言うたら、超の、人気HP。
当方も、パソコンで、不具合発生して、検索、探索したなら、そのHPが、検出されて。結果的、大いに、助けられた、参考にさせて戴いたと、言えるです。

ならばの、何故に、封鎖ねえ。管理を辞められた。かと、なればの、基本、Osが、<WindowsXp>(2000年)辺りから、安定し、出したです。
この、安定とは、それ、以前の、<Ms-Dos>とか、<Windows9x>時代とは、比較にならずでねえ。
がしかしの、不具合現象なら、度々のと。
それと、2000年辺りから、インターネットも、爆発的、普及し出して、ねえ。

と、するのか、後続の、<Windows7>以降、結構、安定してねえ。更に、<Windows8>では、尚更にで、現在の、<Windows10><Windows11>では、Os上での、問題、極めての、僅少。
又、一寸、検索、探索すればの、一発、解決法なり、検索出来て。

言うは、その手、個人的HPでの、<Q&A>なんか、いらんわと。
申せば、パソコン・メーカーの、その手、サポートなり、<Q&A>も、充実してねえ。
当然の、メーカーの、サポートの方が、確かに、決まってるの、メールなりでも、応答してくれて。

まあ、言うたら、<Windows>の、前世紀の、<Xp><Vista><7><8><8.1>の時代から、<10><11>に至りの、困るの事、なくなって、もてねえ。
困っても、致命的でなくて。何かの時、ハタと、思いの、検索、探索すればの、解決策みつかって、ねえ。
再度の、個人運営の、<Q&A>なんか、意味なくなった、です。


オトトの、での、何の話を、したかったの哉と。
そんな話でなくて。
言いたい事、多々あっての、その話を、したい、なあと。
但し、それは、<みんながパソコン大王>掲示板の方に、投稿かと、思てるです。
そらねえ。
話としたら、沢山あると、思うですが。言うの文言なるは、文字数知れてるです。
(25/09/24)


NO.4933 「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(1) これは、中学生時代の会話の話

いやねえ。
この歳やしねえ。
いつの間にやらと。

そらねえ。
ご幼少の頃より、ズと、連続、続いてるです。途中、切れたり、中断したり、不連続ではないです。
かと、言うて、ご幼少時代の、記憶は、記憶、記録であって。まさかの、現在唯今と、一緒ではないです。
とは、万事、体格、顔形、服装から、住所ねえ。周囲の環境ねえ。全部、違うです。但し、言うは、連続してるが故、何時頃、何があって、仏光寺の家、出たか、等々、分かってるです。

そらねえ。
昔。
とは、言うても、死と、称するの概念なるは、何歳頃から、考え出した。かと、なればの、中学生時代かと。多分。

何故に、死ねえ。
多分なら、勉強嫌いでねえ。では、あるのけれどの、高校受験なら、あるし、ねえ。苦手な、勉強せねばの。されどの、勉強、勉強と、言う、言われるけれどの、とは、何をする事かと。実は、当人、当方、わかってなくて。

聞いた、覚えあるです。
中学3年生ねえ。秀才、勉学優秀なるの君、最早の、この君のフル・ネーム言うて、わかるのなんか、極の、少数と、思うですが。
まあ、言うたら、その当時の、格致小学校区の方々。郁文中学校の、同学年の面々。堀川高校の。そして、大学の、同窓生。就職先の面々。
但しの、この君、東京さの、商社に、でして。

オッとの、こいつねえ。
中学校1年の時、格致小学校区に、引っ越して来たですが。その当時から、有名人でねえ。秀才で。
何故か、わからんの、とは、町内が一緒でもなくて。がしかし、よっく、承知してて、ねえ。賢いとか、秀才やとか。当然の、家が、どこかも。

言うは、何の用事でか、そいつと、一緒に、中学校に行って、ねえ。多分なら、休みの日であったかと。自転車で、行く程の事の、ないの距離なれどの。そらねえ、徒歩7分。
やのに、自転車で、行ったを、覚えてるですが。
何故か、当方が、そいつを誘いに行って、ねえ。自転車で。そして、中学校に、なれどの、その自転車に乗り乍らの、会話を記憶してるです。

当方の質問。「死」とは、何ぞやと。ソイツ、ナカムラ君やねえ。返答するに、「無」であると。死んだら、何にも、ないと。
当方、納得出来ずの、霊魂、御霊、てな、のが、存在するのではと。
まあ、言うたら、幽霊の世界、死後の世界が、あるのではと。てな、話をしたですが。ナカムラ君、曰くには、ないないと。全くのない。死ねば、「無」と、断言してねえ。

フウンの、そか、なあと。
只、ナカムラ君、えらく、断言するし、ねえ。
それも、あるかもと、思いつつの、現在に至ってるですが。

その現在唯今、当方的には、どちも、正解みたいに、思えてねえ。
理由的、まずは、何か、ある。霊魂か、何かは、実際には、当方的、経験、体験してるです。とか、言うたって、幽霊に、会おたでは、ないけれどや。
イヤ、あるかも、なあと。あっても、懐かしの、幽霊で、幻想かと、思てるです。
オッとの、話、戻しての、所謂の、不可思議なる、現象、体験してねえ。一面では、あるなあと。そらなあ、偶然にしては、出来過ぎであると。

とは、度々の、言うてるの、叔母の事。
言うたら、親父の、妹になるです。オッとの、そもそもがの、昔の、家の、子どもの人数多くてねえ。祖父母の子、6人。
男子4人で、女子2人。尚、全員、亡くなってるです。
生まれたの、順番的、
親父、長男・亀太郎<1912年・1991年(79歳)>
長女・福子<1914年・1920年(6歳)>
次男・政次郎<1918年・1945年(27歳・戦死・満州)>
次女・愛子<1922年・1986年(64歳)>
三男・重郎<1925年・1992年(67歳)>
四男・久雄<1930年・2020年(90歳)>。

とか、記載したなら、叔母の、福子。6歳ですて。一番に、可愛らしいの時期に、可哀想にと。つくずくの思うです。
次男叔父の、政次郎。これは、27歳。満州で、戦死。満州とは、当時、ソ連が、不可侵条約をば、突然の破棄で、敗戦濃厚の、日本軍を攻めて来たです。
兎に角、当家、本家として、福子、政次郎は、お祀りしてるです。墓地には、入ってるです。家族故。

そして、次女に当たるの、叔母なるは、考えたら、当世的、早くに、亡くなったのやなあと。64歳やでと。
実は、この叔母ねえ。諸般あるです。
実際には、そんなには、会おてはないのけれどの、そらなあ。嫁いでから、親父が結婚で、当方誕生。

当時の嫁ぎ先、大阪の、梅田の方。そこには、祖母に連れられ、よく、行ったです。行っても、1泊、2泊程度なれど、です。
又、下の叔父に連れてって、もろたり、してねえ。夏休みなりに。これも、1泊、2泊の話。
但し、宿泊を伴うの、親族の家ねえ。ここだけやねえ。

オトトの、ここには、叔母家には、従兄弟が3人居てたしねえ。上は、一歳上で、ねえ。
とかとか、結果的、当方、中学生になるの前に、諸般、東京に引っ越して、ねえ。東京からは、その従兄弟<長男>が、度々の、家に、来てくれたです。

モ、あるし、中学の修学旅行は、東京でして。修学旅行の専用列車、「きぼう号」で、行って、宿に居てたら、叔母と、従兄弟<長男>が、来てくれての、びくり仰天の、嬉し涙。イヤ、ほんと。

以来、叔母に会おたは、当方的、就職しての、東京での、講習会に参加のため、修学旅行以来の、東京やねえ。
イヤ、従兄弟が、車で、迎えに来てくれて。高速道路ねえ。へえの、皇居を見下ろすの場所、走ってるのかと、これ又、びくりの仰天したを、覚えてるです。

まあなあ。
行って、一泊して、明くるの日には、講習会やしねえ。
次ぎに、叔母に、会おたは、祖母の、葬儀の時。とは、1971年<享年84歳>。

次ぎねえ。1985年やねえ。多分。
珍しく、来て、くれて、ねえ。
但し、祖母は、仏光寺の家での、葬儀。
1985年なるは、当家、亀岡に引っ越してたです。まあ、つまり、叔母の、実家は、実家なれどの、全くの、知らんの地で、家でして。
よお、来てくれてと、熱烈の歓迎。イヤ、ほんと。当然の、当方的、結婚してるし。既に、息子2人も、誕生してるしねえ。母なら、健在でして。
尚、母<2015年・享年92歳>

オトトの、何の話をしたいのかと。
その叔母、亀岡の当家に来たは、東本願寺祖廟の、当家墓石。これを、新調してねえ。墓開きに。
そして、叔母家、3男の、子どもが誕生するがため、わら天神に、腹帯求めに、でして。

まあなあ。
細々は、割愛の、その日、墓開きを終えて、大阪に向かい。叔母が。
これで、暫く、会えへんねえと。とか、言うて、大阪に向かうがため、京都駅まで、送ってねえ。車で。で、さいならと。
と、思てるですが。その明くるの日であったか、会社から、帰宅したなら、ンの、瞬時、祖母かと。

と、見間違う程に、似ててねえ。叔母が居たです。我が息子2人と、共に、出迎えてくれての、びくりの仰天。
そらなあ。
以て、何日か、大阪で、滞在で、そのままに、東京に戻るの筈が故、まさかのと。
又、言うてるの、祖母と、そっくり、瓜二つ。絶句する程に。イヤ、ほんと。
当方から、したらの、懐かしくてねえ。お化けとか、幽霊とか、そんな事、どちでも、よくての、そらなあ。瞬時、祖母で、次ぎの瞬間、叔母であると。

そ、言うたら、叔母婿、義理の叔父さんやねえ。祖母の葬儀の時、一家、全員で、来てくれたですが。仏光寺の家に。
その時、初めてやねえ。その叔父さんと、一寸だけ、話をしたを、覚えてるですが。叔母が、祖母に、そっくりに、なって、来てると。
まあねえ。親子、母娘故、何の不思議もないけれどの、当方的には、叔父の話、聞いて、フウンの、そかなあと。
当時には、全くの、別の人、人相、姿、形でねえ。
とか、思てたですが。その時、嗚呼の、成るの程と。一瞬、見間違おたです。叔母を、祖母と。祖母なら、遠の昔に亡くなってたですが。
遠の昔ねえ。年代、紐解けば、14年経ってたですが。当方的、思わずの、懐かしくの、涙する程に、相似。

オトトの、不可思議なるの事。経験、体験なるは、この事ではないです。
(25/09/25)


NO.4934 夢見で、整流ダイオードの話(18) 強制加速試験の話

オッとの、いやねえ。
又、夢見てねえ。
何のと、なればの、ROHM時代の事。
とするのか、後進に伝えたいの事になるのかと。
での、どんなかと、なればの、強制加速試験の事。

まあ、言うたら、信頼性試験なり、管理試験なり、称してるですが。これは、異常のないを、確認のための、試験でねえ。新製品なり、工程変更、改善なり、したの時。それが、その手、試験に耐えるか、問題はないかと、確認するがための、試験。
何も、ないなら、無事に、市場に出せるです。あれば、しかるべくの、解析なりして、その原因は何か。変更に寄るものか、では、ないのかと。
そらねえ。
原材料なりの、変更の場合、慎重に、慎重にと。この手、試験で、不具合検出されるでは、余程でねえ。採用なんか、出来ず。

オッとの、強制加速試験ねえ。
原則、先刻の話とは、異なりの、如何に、壊すかと。製品を。
寿命についてなら、温度、湿度があるです。負荷するの、電流なり、電圧なりが、あるです。

まあねえ。
単純に、壊すと、なればの、常温でも、結構の、100mAの定格なら、200mA、300mA云々と、どんどんと、負荷掛け、どこまで、保つやと。1A、30秒保つのか、1分、2分と、保つのか。10分、20分でも、保つのかと。
これは、短時間に、壊すの手法での、要因的、電流と、時間があるです。
まあなあ、言えば、厳密には、周囲温度もあるですが。温度までと、なると、手間掛かるし、ねえ。

とかとか、当たり前に、高負荷<電流>、高印可<電圧>でも、長時間、保つに超した事なくて。
保てば、どかと、なればの、その面での、耐久性良好、上等と、言えるです。
これを、他社製品と、比較で、自社の、実力が、判明するです。
判明して、どなんやと、なればの、欠点があれば、改善に繋げるが出来ればと。てな事、なかなかに、わからんですが。解決、改善策が。
がしかし、わかっておれば、将来、何かの、役に立つやろと。

強制加速試験では、その手の事で、わかるです。
長時間も、一緒。
長時間ねえ。所謂の、寿命試験と、称するですが。
とりあえず、これには、温度、負荷、時間。加えての、湿度もあるですが。言い出せば、その手、環境装置が沢山いるです。あれば、出来るです。そのための、場所も、いるです。

まあねえ。
当世なら、温度変化、精度ねえ。振れ幅ねえ。何度まで、出来るのか、0.1度にでも、なってるのかと。
それなりの、恒温槽が、いるですが。そらねえ。単なるの、オーブンでは、振れ幅デカくて、どもならず。上下で、5度、10度も、あるよりは、言うの、1度なり、0.1度の振れ幅が、優秀に決まってるです。
かと、言うて、少ない振れ幅でないと、精度云々に大問題と、する程ではないと、思うですが。

オッとの、言うは、温度ねえ。
常温と、言うも、25度なら、25度で、やるの方がと。そこら、室温でも、常温なれどの、夏と、冬で、違うです。よて、外気温に左右されぬの、よにと。
結果的、電子部品なりに、負荷加えれば、発熱するですが。結果の、結果的、常温をば、25度に、とも、なればの、恒温槽では、冷却されてるですが。の、程度の、恒温槽でないと、折角の、調査、試験に、誤差生じるです。

これねえ。
細々申せば、恒温槽の、内容積にも寄るです。資料の、数にも、寄るです。
まあ、つまり、オーブンと、称するの、ものでは、振れ幅デカく。
当方の時代には、メーカー的、<タバイ・エスペック>なるのが、主であった、です。当世、<タバイ>が、取れて、<エスペック>と、称してるです。
余計なるの話の、このメーカー、初期は、<田葉井製作所>でしたです。創業者の苗字でして。申せば、珍しいの苗字。


オッとの、何故か、わからんの、突如の、夢見で、この件が。
そ、言うたら、当方的、<REC>の件で、チラとは、触れての、基本的、話は終わったと、思てたですが。
(25/09/26)


NO.4935 夢見で、整流ダイオードの話(19) 電気工事士の、小父さんの話

オトトの、オッとの、いやねえ。
ハタと。
とは、又、夢見てねえ。
申せば、その当時の。

とは、言うても、ROHMに入社して、1年、2年は、関係なかったのかと。よ、覚えてませんですが。
いやねえ。
所謂の、試験関係も、持つ事になって、ねえ。

元々が、品質管理の面々、スタッフなるは、少人数。よて、試験関係、持つと、言うても、実務なるは、女子社員に、任せてるです。
結果、品質改善なり、品質向上なり。工場に出向いたりの、云々ねえ。やってるです。やってた、です。クレームで、営業と、顧客先に、出向いたりも、してるです。
要は、1人で、何役もと。

がしかしの、言うてるの、試験関係なるは、女子社員にと。抵抗器に所属の頃には、人数多くてねえ。班長を置いてたです。万事、その子を通じて、処理してたです。
班長故、しっかり、してるですが。当方以上に。イヤ、ほんと。

余計なるの話の、当方的、所属異動で、Diodeと、するよりは、当時には、半導体製造部であったですが。
要は、その手のが、なくてねえ。あったのか、なあ。よ、覚えてませんですが。兎に角、それが、分離して、Diodeとか、Trに、別れたですが。Diodeでは、その手、試験関係なくて。がしかし、やるになったの哉の、やるに、当方しか、居てへんし、ねえ。経験者が。

所謂の、試験室なるが、あっての、そこに、諸般の、恒温槽なり、色んな試験装置を、入れたです。当然の、購入して。
その購入の、主たるの先、田葉井製作所。
残念乍らの、当時の、営業担当の、苗字、失念。戴いてたの、名刺があれば、わかるですが。そこまで、しんでもと。

オッとの、言うは、この手の事、も、当方、担当。
とか、言うても、発注して、入荷の時、その装置、恒温槽なり、どこに置くか、でして。
置いても、電源が居るです。200Vがいるし、ねえ。の、以前の、その手、配線なるは、しかるべくの、電気工事士に頼まねばの、その方の、苗字をば、ハタと。コレが、夢の中で、出て来てねえ。再度の苗字が。

まあ、言うたら、コワダさん。
何歳ねえ。
所謂の、準社員の方、でしたです。準社員とは、一度、定年退職したの、高齢者が対象。
まあ、言うたら、当時、当方的、まだまだ、二十歳台の頃で、定年退職したの方。とか、言うても、ROHMとは、限らんです。他社でも、一緒。
余計なる話の、守衛さん。皆、警察OBでしたです。イヤ、ほんと。
要は、コワダさん、親父世代。や、なあと。今、思えば。

いやねえ。
夢の中で、そのコワダさんをみつけて、コワダさん、コワダさんと、呼び掛けるの夢見たです。呼び掛けて、嗚呼の、この、電気工事の小父さん、コワダさん。やった、なあと。
話、簡単、当方的、その手、担当、外れてからも、社内で顔会わせたらの、やあやあと。イヤ、ほんと。
電気工事士、工事屋はんの、格好したはるし、ねえ。一発、分かるです。

いやねえ。
大体が、試験室の事、そのコワダさんが詳しくて。その配線、全部、してると。又、当方的、専攻なるは、電気工学科でも、その手、電気工事士の資格も、電検のも、持ってませんでして。何も、出来ず。するにも、実務なんか、知らんわと。

申せば、所謂の、工業高校では、その手、実務が主。とするのか、その気なら、取得出来るよに、してるですが。これは、工業高校なり、その手、専門学校で、やるの事。
大学でも、実験はあるですが。その手、工事の、実務の、授業はないです。

オッとの、どちにしろ、コワダさんは、ロームの、建屋の、電気回りを、1人で、されてて、ねえ。
所謂の事務所なんか、レイアウトの変更の都度、やって、おられたです。これ、休日の仕事。
平日なら、細々、言うてるの、試験室で、何やら、やってたし、ねえ。用事あれば、そこにで、捕まえたら、あれ、これと、頼んでねえ。
まあ、言うたら、図面不要。ここに、電圧200Vの、恒温槽をと。だけで、通じるです。

或いは、この恒温槽は、あっちにと。これは、そこにと。
まあなあ。
余りに、沢山は、問題なれどの、その場合は、一応の、図面、メモ書きで、説明してねえ。

この、コワダさんねえ。
当方、ROHMに、在籍期間中にも、噂で、亡くなったと、情報入ってねえ。さての、ほならの、試験室の、その手、管理、配線ねえ。どするの哉と。
新しい方、入って来られたら、一から、やしねえ。その当時には、当方的、試験関係、外れてた、ですが。


オッとの、装置、恒温槽えの、配線は、コワダさん。
恒温槽内の、試験サンプルの、取り付け治具、治具えの、印可、負荷のための、電源の配置なり、治具えの、配線は、こっち持ち。
まあなあ、大した、話でないですが。

申せば、その手、電源についての、管理は、男子社員なり、当方がしてたです。基本、女子には、触らせず。
そらねえ。
感電でもされたら、えらい事。イヤ、ほんと。
まあなあ。
基本、試験室に、作業者なりが、入室の際には、電源切れるよに、してるですが。退室の際には、電源入れるよにの、これは、作業者が。
あくまでもの、当時の話の、我々が、入室の際には、中でも、通電要する場合、多々あるが故、そのよに、処置してるですが。
とは、くれぐれもの、万事、昔日の、当方が、諸般、してたの頃の話。

とかとか、言うてたら、その当時の事、種々、思いだしてねえ。次々と。
そ、言うたら、別途の、その手、その当時の夢、何回も、見てるなと。
(25/09/27)


NO.4936 「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(2) 「無」でもないの話

いやねえ。
この手、関連の話するに、登場の、電気工事士の、コワダさん。
ン十年以前の話やしねえ。
当方、在籍中にも、亡くなったの報、どこからともなくの、入ったです。その時には、辞められてたと、思うですが。とりあえず、親父世代やしねえ。
まあ、言うたら、とっつき易く。当方は。

世間的、社内的、評判なるは、気難しいと、聞いてたですが。当方から、してみたらの、そかなあと。
少々、無茶な話、依頼も、そか、そかと。所謂の、場合に寄りの、納期もあった、ですが。そらなあ、装置が入るまでに、電源が、来てないと、困るしねえ。
申せば、納入の日の事、コワダさんにも、伝えてての、しかるべくのと。
で、当方的、困った事、一度もないです。
がしかしの、他部署の面々、困った、困った、困ってると。当方的、ほんまかいなの、嘘やろと。

とかとか、そ、言うたら、仕事の、その手の話、以外、した事ないなあと。
言うたら、どこに、住んでるとかとか、一度も、してませんでして。大体が、無口。当方も。
相手さんが、喋るの方なら、喋るですが。無口な方に、無理して、その手、個人的なるを、聞いたり、するのも、なと。

での、その、電気工事してくれたの方、何さんやったかなあと。
沈思黙考の、考え、思い出そと、するにも、全くの、出て来ずで、ねえ。
が、しかしの、言うてるの、夢の世界で、現れてと、するよりも、突如の、コワダさんと、声出てねえ。夢の中では、声、聞こえませんですが。コワダさんを、見付けて、嗚呼の、コワダさんやと。ハタと、思い出しの、へえの、不思議や、なあと。


での、何で、コワダさんの話をし出したの哉と。
それが、よ、わからんでして。
オトトの、当「単なる雑談」をば、紐解きまして。この話、し出したの、直前のお題目、「「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(1)」をし出して、ねえ。

本当に、「無」やろ怪と。
当方的、奇異なるの体験をと。
それを、説明するに、「愛子」叔母さんの事、言いたかったんやと。
生きてたら。と、するのか、1922年生まれやしねえ。25歳上。つまり、103歳になってるねえ。がしかし、思えば、若くして、亡くなったです。享年64歳。
これ又、思えば、早くに、過ぎるねえ。

オッとの、いやねえ。
振り返ればの話の、この手、親族の動向、亡くなる等々、続くねえ。
全親族の、経緯、列記したなら、より、わかるかと、思うですが。面倒が先に立ち。又、そんな事して、何の意味がと。
がしかしの、分かってるの範囲での、亡くなるの話、のみ、記せばの、まずは、その叔母やねえ。1986年。
次ぎ、親父、亀太郎で、1991年。間的には、5年あるのけれどの、5年なるは、短いぞと。
とりあえず、亀太郎の明くるの年、重郎が、1992年やしねえ。
申せば、次ぎ、我が母<智>になるの、けれどの、23年の、間、空いての、2015年やしねえ。次ぎ、叔父<久雄>になっての、2020年。と、なればの、5年やねえ。短いと、言えば、短くて。

言うは、この親族ねえ。血縁の。
場合、死ぬるなりは、想定しておらず。とは、言うたって、90歳台に突入なら、歳やなあ。とは、思うですが。
当たり前に、今日の、明日のと。とは、全くのと。変な、話の、永遠に、生存するの錯覚したり。


オトトの、での、死ねば、「無」。
では、ないのではの、話。
特には、愛子叔母さんでの、体験あるです。

<参考=「不可思議の世界NO.18から、NO.26」桜散る散る、花吹雪の話>

要は、叔母の葬儀、桜の季節でして。
実は、その1年後、本当に、偶々の、営業担当より、しつこく、しつこくの、来てくれ、来てくれと。用件、その程度なら、営業で、やってくれと。
そらねえ、当時、忙しくの、工場に行ったり、してて、ねえ。

での、ぱかりと、空いて。日程が。
の時、偶々の、その営業から、どか、ならんですかと、電話受理で、ンの、いついつなら、可能の返答してねえ。
当方的、その顧客の、場所知らずで、とりあえず、どこに、何時と、教えてくれと。モと、言うたら、当方、その手、何線で、云々苦手故、何線で、どこから、どこと。東京駅からの、径路、細かくに、メモして、Faxでと。送ってくれと。

での、当日、その通りに、着いて、迎えの営業担当の、車に乗って、目的地、会社になれどの、その道中。
と、するのか、見た事のあるの、景色、光景や、なあと。
実は、そもそもがの、桜の季節でねえ。桜満開の、フと、見た、見えたの建物、ンの、叔母入院してたの、病院名知らんの、そらねえ。従兄弟が、車で、送ってくれて。
見舞いは、母と、一緒でねえ。

ででの、更に、行けば、営業車での話の、ンの、又もやの、見た事、あるの、建屋。
所謂の、公民館。
申せば、叔母の葬儀、その建屋やぞと。そらなあ、一晩、過ごしてるです。その公民館で。

更に、申せば、そこから先、行くは、何と、まの、叔母の斎場。平たくに、火葬場に、行ったの道、そのままで、ねえ。へえと。
当たり前に、会社は、場所異なるが故、途中で、径路替わったですが。
いやねえ。
当方的、そこまで、再現されるかと。

1年。
まさしくの、一周忌に、叔母が、招いてくれたんやと。
話あっての、即なら、桜の季節なんか、まだまだでして。尚且つの、営業で、やってくれと、するの程の、中身でねえ。要は、当方的、資料のみ準備で、こんなモノ、既に、あるです。
何等、想定問答も、考えずで済むの、気が楽、気楽な、要は、製品の、工程管理等々の説明でして。しかも、失礼乍らの相手様、購買担当。要は、技術者、品質管理の方でなくの、クレームでも、ありませんでして。

モと、申せば、営業との、待ち合わせの駅。
これが、一つ先の、ならばの、公民館のあるの、駅になりの、葬儀の時、母と、電車で、行っての、降りたの駅故、聞き覚えあるなあと、なるのけれどの、違うしねえ。
ならばの、何線等々ねえ。そんな事、当方的、一々の覚えてませんです。何線なら、時折乗ってるですが。駅名皆、違うしねえ。

モと、モと、申せばの、指定の駅での、待ち合わせなるは、表通りでなくての、裏手。
言うは、駅の表通りなら、見たよな、景観や、なあと、思うですが。裏手でして。且つは、その営業担当と、当方、電話では、言うてるの通りの、話、してるですが。会うは、初。
余計なるの話の、関西の営業所なるは、ローム本社と、隣接故、しょっちゅう、来てるし、その手の話、会おて、話をするですが。

東京営業所なるは、当然の、電話での、調整故、顔知らんのが、多く。知るは、クレームなりで、行ったの場合やねえ。営業所なり、営業担当が、指定の、場所で。
お互いに、知らんが故、ロームの書類入れの、封筒をば、持ちまして。目印のため。
まあなあ、主要駅でないなら、そんな場、駅の裏手の、ロータリー等なら、一発、わかるですが。他に、らしきのは、居てへんし。営業担当者は、社用車に乗って来てるしねえ。「ROHM」と、明記してあるです。


オッとの、言うは、この話、出来過ぎ。
偶然が、重なり過ぎ。
申せば、こんな気が楽、気楽な、顧客訪問なんか、後にも、先にも、この1度のみ。
ついでにの、申せば、当方、営業者の後部座席に乗せてもろての、その光景。桜ねえ。病院ねえ。
ンの、もしかしてのと。注視してたら、公民館見えて、ねえ。
涙したです。叔母に、ありがとうと。イヤ、ほんと。
わざわざの、一周忌に、招いてくれたんやと。

オッとの、トトトの、明日<9月28日・日>なるは、「町民大運動会」の日。
当方、「玉入れ」に出場。
(25/09/28)


NO.4937 「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(3) 義理の伯母に遭遇の話

いやねえ。
そんな事で。
その当時、お世話になったの、電気工事の小父さん。
名前が出ずで、困ったですが。何故か、夢見で、一気、コワダさんと、判明してねえ。へえと。
夢で、教えてくれるかと。

お陰様で、その当時の、その関連の方々、悉くの、思い出したです。
ここだけの話の、大体は、この手、技術者、気難しい面々、多くてねえ。何か、口開けば、小言。
この、コワダさんも、そと、聞くですが、当方的、小言を聞いた、聞かされた、覚えなく。
がしかしの、諸般、お世話になってるですが。個人的なるは、全くのと。多くの、その手、小父さんねえ。諸般、雑談的、色んな話、したですが。この、コワダさんは、正直、苗字、承知も、名は知らんです。

まあなあ。
基本、この当時には、制服に、ネーム・プレート<名札>を付けてたですが。そんなモン、一々の、見てへんわと。
それこその、同じの部署なりなら、知るですが。
まあなあ。
基本、年賀状のための、名簿作成で、配布されるです。その部署内で。よて、その範囲なら、名まで、知るはあるですが。他部署の場合、知らん、ねえ。
業務で、関係するのなら、覚える機会もあるですが。

そんな意味なら、コワダさんねえ。
業務では、関係したけれどの、装置云々、そんなに頻繁ではないです。予算もあるし、ねえ。
あって、年1度かと。
但し、言うてるの、試験室では、よく、顔会わせたです。その電気配線、全部、コワダさん故。その点検なりで、巡回されてまして。


オッとの、愛子叔母さんねえ。
そんな事で、色々あった、ですが。所謂の、血のつながりあるの、親族やしねえ。
そんなには、会わずともの、親しくて。

オッとの、いやねえ。
それ言うたら、血のつながりのないの、親族。
とは、母方の。
その、母方の、親族ねえ。申せば、下の伯父嫁。伯父は、血縁親族なれどの、その嫁、つまり、義理の伯母なるは、姻族。で、ありの、血は、繋がってませんです。

がしかしの、ある意味、極めての、親しくしてたです。
言うは、当家、当方の、郁文中学校えの、通学路途上の、仏光寺の黒門の方でして。中学校なるは、その大宮通りに面しての、仏光寺から、北。

どちでも、結構の、兎に角、近いしねえ。
我が家からも。
そらなあ、学校まで、徒歩7分。

そこには、皆、歳下なれどの、従兄弟、皆男の子が3人居てねえ。
伯父さんも、よっく、我が家に来てくれてたです。
余計なるの話の、この伯父、聖護院派山伏してまして。当方、小学生の時、その聖護院のお稚児さんとして、山伏の格好させてもろたです。

更には、高校1年生の時、修験道の、修行場、大峰山にも、連れてって、もろて、ねえ。逆さつりの修行、荒行させられたり、してねえ。ええ思い出で、あった、です。
実は、その伯母。
あくまでもの、他家故、記録しておらずの、歳も、知らんでねえ。気にも、してなかった。とも、言えるですが。
言うは、その手、親族が、何歳、何歳と、なんか、関心ないの意。

兎に角、亡くなって、20年は経つですが。
とりあえずは、母が、伯父宅に行きたいと。それは、よくあっての、車で送って行って、ねえ。
帰りたいと、電話あれば、迎えに、でして。イヤ、その当時には、亀岡在住故、結構距離あるです。時間も、掛かるですが。こち、当方も、若かったしねえ。何とも、思ておらず。

での、ある日、送ってくれと、言うわれての、行ったですが。
まあ、言うたら、その時には、結構、間が空いてたがあったと、思うのけれどの、行けば、大体は、伯母さんも、居てるですが。時偶には、居てませんでして。買い物に、出てたり、してねえ。

その時には、言うてるの、結構、間が空いてたがあっての、行けば、伯母不在。
まあなあ、伯父が居てれば、母の目的、達成での、要は、四方山話を、伯父と、したく。
当方的には、折角に行って、伯母不在ねえ。

伯父に尋ねたならばの、さっき、出たとこ故、まだ、そこらに、居てるやろと。ダケの情報でねえ。
言うは、右か、左も、不明状態。そもそもがの、どこえも、わからずの、とりあえずは、さっき、出たのとこと、言うしねえ。
さての、当方的、それこその、右か、左かの、まあ、言うたら、亀岡に帰るの、方向、道をば、選択。黒門通りを、左に。そして、高辻通りを、右で、その先、大宮通りを左で、五条通りになるです。五条通とは、国道9号線やしねえ。そこを、西、つまり、右で、亀岡方面。

てな事で、帰りの、道中。
とするよりは、黒門を左で、高辻をば、右。
ででの、その、高辻に入ったの時、まあ、言うたら、通りの、右側。車は、通りの、左なれどの、伯母をば、発見してねえ。

当方的、即の、車停止で、降りて、ねえ。
まあ、言うたら、右側、歩いてるの伯母追いかけての、「伯母さん」と、声掛けて。
肩抱いて。
とするのか、高辻通りなるは、中程度の、4メートル幅哉の、車も、頻繁に、結構走ってるしねえ。声だけでは、聞こえんの可能性あるが故、肩抱いたです。抱いて、顔、覗き込みの、まあなあ、後ろからであっても、確信あるが故、なれどの。そらなあ、一応は、女性やしなあ。肩抱くなんか、したは、それが初なれどの、伯母も、ビクリの仰天で、こち、後ろ向いての、嗚呼の、「タケちゃんか」と。

突然の、男前が、声掛けてくれての、びっくりしたわと。
とかとか、今なあ、母を連れてったんやと。僕は、帰るしと。又、電話があったら、迎えに来るしと。と、までを、言うたかは、忘れたですが。
どちにしろ、それが、伯母との、対面、会話の最後と、なった、です。
その後、1週間も、あったか、なかったかに、伯母急逝。
よくぞ、あの時、見付けて、追いかけ、話をしたなあと。出来た、なあと。

当方的、これも、偶然にしたら、出来過ぎかと。
言うは、伯父宅で、伯母に会おてるなら、肩なんかと。基本、触れも、しやへんわと。
(25/09/29)


NO.4938 「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(4) 義理の伯母が見舞いにの話

いやねえ。
実は、昨日<9月28日・日>、大井町の、「町民大運動会」開催されて。
当方的、「玉入れ」に挙手で、出場。
結果ねえ。どやったんやろねえ。カゴに入ったの数が点数になるですが。何個入ったか、なんか、全くの覚えておらず。まあなあ、町内会対抗で、中程度の戦績と、思うですが。

オッとの、いやねえ。
この話をしたいけれどの、諸般、後回しにするです。
先に、「「死」とは、何ぞや、「無」であるの話」の続きをと。と、するのか、母方、伯父嫁、要は、義理の伯母の話をしたく。

実は、この伯母の、名、正式なるを、知らんです。
「おじゅうさん」と、呼んでたですが。当方的、重箱の、重<じゅう>かと。の、程度の認識。
大体は、当方なりが、伯母を、「おじゅうさん」なんかと、名で、呼ぶ筈がなく。当たり前に、伯父は、「伯父さん」。伯母は、「伯母さん」と、だけ。
要するに、名なんか、どでも、よくて。

では、何故に、「おじゅうさん」かと、なればの、親なり、祖母なり、要は、柴田の、家族が、そんなよに、呼んでたが故、承知してるです。
嗚呼の、伯母さんは、「おじゅうさん」なんやと。

での、何の時か、字を知ったです。字、言うても、呼び名でありの、「じゅんこ」さんであると。とは、知っても、「じゅんこ」の、漢字までは、知らんでねえ。
最後まで、知らんかった、なあと。
そらねえ。
当方にしたら、伯母さん。実際には、「おばさん」やねえ。漢字で、考え、言うてるでなくて。
そらなあ。
我々が、伯母さんの事を、おじゅうさんと、なんか、間違おても、呼ぶのもんかと。失礼千万故。

がしかしの、結果的、「おじゅうさん」は、「じゅんこ」さんであると、知っても、言うてるの、じゅんことは、どんな字であるか、なんか、全くのと。
知らずで、済むし、ねえ。再度の、呼ぶは、「おばさん」でして。


での、このおばさんねえ。出身は、鳥取の方と、親から、聞いてるです。
なんとか、しいと、言うしねえ。まあ、言うたら、京都出身でないは、わかってたですが。
そのおばさん、乗りもの超の苦手。酔うですて。バスで、酔うなら、わかるですが。電車もダメと。電車ねえ。市電がダメと。
何の時か、おばさんと、市電に乗って、ねえ。

ならばの、真っ青になって、うつむいて、堅く、堅くになって、手足、体も、震てた、なあと。
いやねえ。
当方的、隣に座って、どもないで。どもないで、大丈夫やでと、声掛けて。
オッとの、いやねえ。そんな風に、聞いてたです。酔う方には、声掛けて、話掛けて、気を逸らしてあげる事と。
要は、酔う、酔う、恐い、恐い、困った、困ったと、思いの、そちに、集中させるを避けるがため、話掛けてあげると。とか、聞いててねえ。
まあなあ。
何とか、保ったと、思てるですが。がしかし、その噂、話は、本当やったんやと。イヤ、おばさんが、乗りものに弱いを。

とか、言うてもねえ。
当方的、不思議に思てたは、鳥取から、嫁に来たはるです。鳥取ねえ。行った事ないの、可成りの、遠方。少なくともの、京都でないです。電車で、どれ程の時間、掛かるか、知らんのけれどの、何時間も、掛かるの筈と。よお、保った、なあと。


言いたいは、その伯母が、南丹病院<現京都中部総合治療センター>に、当方をば、見舞いに来てくれて、ねえ。
イヤイヤ、当方、47歳頃であったか、仔細省略の、左足首骨折してねえ。入院してたです。
まあ、言うたら、当方的、初入院。
そもそもがの、そんな、何箇月、最初が、3箇月で、1年半乃至2年であったかは、忘れたですが。骨くっついたの頃、手術で、入れたの金具を外すがための、入院で、又、3箇月の、都合の、6箇月やねえ。もの、入院したですが。

その時、この伯母が、見舞いに来てくれたです。
言うてるの、乗りもの苦手、超の苦手の、伯母が、やでと。正直、ビクリの仰天したです。
まあ、言うたら、決死の覚悟して、来てくれたです。

そらねえ。
京都の下京の、黒門の、仏光寺から、亀岡の、八木の方でして。
ンの、何で、来てくれたのか、なあと。その辺り、聞いてはないです。今になって。まさしくの、今やねえ。振り返りの、バスで、来たのか、JR<当時、国鉄>で、来てくれたのか、なあと。

市電が、あの状態で、バスねえ。
考えられず。なれどの、考えよでは、五条通り<国道9号線>なら、歩いて、スグの、そこ。と、までは、言わんですが。まあなあ、200m、300mかと。
考えたら、南丹病院なるは、そのバス、京都交通バスであったか、名称、会社名、忘れたですが。で、一本で、行くが出来るです。

JRなら、五条の丹波口駅やろねえ。多分。二条駅でも、構わんですが。変な話の、どちでも、結構の、距離でして。まあ、言うたら、二条駅、丹波口駅間は、近いです。
とか、言うても、その当時に、バスであれ、JRであれ、結構、時間、掛かるです。
それが、1人で、来てくれて。病院に。まさかと。あの、乗りもの苦手の、伯母が。
言うてるの、決死の覚悟をしたんやと。

それから、何年経ったのやろねえ。
伯母が、亡くなったのは。20年、25年かと。30年もは、経っては、ないです。

いやねえ。
そんな伯母でして。
申せば、変な話の、上の伯父宅には、そんなには、行ってはないなあと。当時、近くは、近くでねえ。四条の、大宮の一寸の先と、記憶。

がしかしの、モ一発、変な話の、そこの、伯母ねえ。要は、伯父嫁ねえ。黒門と、同じで、伯母さん、伯母さんなれどの、こちは、全くの、名を知らんです。
偶々であれ、親が、何とかさんと、言うを聞いた事もなく。

それ言うたら、大体が、目立たぬの方でして。控えめ、控えめで、顔も、モロ、見た事がなくの、話なんか、全くのと。したの、記憶なく。
申せば、上の伯父ねえ。
当家に、来た事、あるの怪と。そこの、伯母も、一度も、知らんの、とは、言い過ぎの、多分なら、当家の葬儀には、来てると、思うです。
の、程度でねえ。

イヤイヤ、下の伯父なら、聖護院派の山伏してたと、言うてるですが。
毎年、何時であったか、京都の町を、装束して、法螺貝吹いて、練り歩くの行事あって、ねえ。
「寒中托鉢修行」と、称するの、1月の行事で、毎回、毎回、来てくれたです。五体力さんの、お札を持って。

或いは、大峰山に修行で、登ったの時、土産として、名産、陀羅尼助<胃腸の薬>を、持って、来てくれて。
等々、結構、何や、かやと。そらなあ。近いもあるです。

オッとの、この母方、下の伯父家ねえ。伯母も。
そんな事で、結構、話もしたです。その伯母なら、言うてるの、亡くなるの直前。偶然にも、会えて、ねえ。ヨカツタ、なあと。
イヤイヤ、ある意味、高辻通りで、遭遇の話、なるは、ええ、思い出になった、です。
てな、思い出ねえ。
亡くなったは、亡くなった、けれどの、人間、どちみちの、死ぬるです。
では、あるのけれどの、こんな風に、思い出すです。
(25/09/30)


NO.4939 「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(5) 義理の伯母の名を知らずの話

いやねえ。
話、したいの話が沢山あって。コマツタなあと。
まあねえ。
そんな事で、母方の親族なるは、血のつながりのあるの、伯父なら、名も承知。従兄弟達の、名も承知。してるですが、その伯母さんの名が、極めての、ええ加減。
ましてやの、上の伯父嫁 なんか、呼び名さえ、記憶しておらず。言うてるの、実際に、会いの、名なんか、呼ぶ事、皆無。精々が、おばさん。
或いは、おじさん。従兄弟なら、名を呼ぶですが。

それ言うたら、明確には、母の妹故、叔母さんやねえ。リキおばさんと、呼んでたですが。ここだけやねえ。名で、おばさんと、言うてたのは。
がしかしの、変な話の、可成りの、後年まで、苗字を知らず。叔母婿の名を知らずであった、なあと。

これ又、京都在住当時には、何度か、行ってたですが。大体が、おじさん、無口で、喋った事、ないなあと。
で、当然の、後年には、苗字を知ったですが。当方が、親の代行で、年賀状を書き出して。
がしかしの、母方の方、ダアレも、年賀状をくれず。がしかし、宛名書きするが故、叔母婿の、とするのか、リキおばさんの、苗字を知った、なあと。

イヤ、そんなモンでしたですが。
このリキおばさん宅には、そんなには、行っておらず。そこは、果たしての、何人の、従兄妹が居たのか、とりあえず、皆、女の子でねえ。4人居たのか、おつきあい薄く。
薄い故、名も、知らず。

イヤイヤ、リキおばさんなら、よっく、会おてるです。何度も、何度もの、度々の、我が家に、来てくれたしねえ。姉妹仲よくて。お姉さん、お姉さんと。当方の事なら、タケオちゃんと。
まあなあ。
そこにも、男の子が居たですが。早くに亡くなってもてねえ。その時も、母と一緒にリキおばさんの家に行ったです。その時、初めてやねえ。そこの叔父さんに会おたのが。

女の子達、その時、居たのか、どかは、全くの、覚えておらずの、多分なら、居てなかったかと。或いは、奥の方にでも、居たのかと。
とか、言うたって、そんなに広い家でなく。
どちにしろ、おつきあい薄く。その従兄妹達とは。言うてるの、名も、知らんでねえ。誰が誰も、皆目のと。

後年には、次女か、なあ。伏見、大手筋の商店街の、文房具屋に勤めてたかと。
イヤ、そこに、母と、一緒に行ったです。へえの、この子が、リキおばさんの子かと。変な話の、初めて知った、なあ。
イヤイヤ、何度か、会いはしてるですが。所謂の、成人しては、それが初やし、大体が、女の子は、顔形大変化するし、ねえ。
それが、何番目のか、二番手<次女>かと。とか、言うても、再度、会おたは、叔母婿の、葬儀の時。

当家、親父の時には、そこの、長女が来てくれたの筈。
筈とは、異なるの事、言うてるですが。それ程に、疎遠の意。何やら、挨拶されて。ンの、誰怪なあと。周囲に聞けば、母が、リキおばさんのと。へえの、サヨかと。

要は、顔会わすの回数やねえ。親しさは。それと、柴田のなら、それなりにと。一発、覚えるですが。母方のは、何か、一線あって。
と、するのか、母方の、伯父嫁、伯母さんやのに、ねえ。正確なるの、名を知らず。
対して、柴田の、なら、皆承知。
柴田の、母方の、その手、慶では、会わずの、連絡も、ないしで、弔では、会うし、ねえ。がしかしの、最早の、従兄弟の代では、可成りの、疎遠気味。

とするのも、申せば、その昔とは、違いの、皆、住所がねえ。離れたです。
モ、あるし、その昔、祖母存命中なら、叔父達、来てくれたですが。亡くなってからは、なと。
イヤイヤ、寂しいねえ。
矢張り、当方にしたって、叔父なりが、存命なら、行くですが。行ってたですが。亡くなったら、なあ。疎遠になるねえ。
言うは、その葬儀の時には、昔話で、花咲くですが。叔父が、こんな、あんなと。当方的、一緒に暮らしてたの時期あるし、ねえ。
言うたら、独身時代の、叔父達の事、よっく、知ってるです。


ンの、何の話をしてるの哉と。
「死」は、「無」。
事実かも、なあと。死ねば、何にもないです。生きてるものの記憶に残るのみ。
その記憶が、年々に、薄れてねえ。これ、仕方がないです。生きてるモノも、年々、歳喰い、自身の番に接近してくです。
(25/10/01)


NO.4940 町内会の話(1)

いやねえ。
その手、親族の話。
親世代の。
モっと、話があるのけれどの、切りないし、ねえ。
思うは、現在唯今なら、当方の記憶に残ってるですが。息子共にも、記憶あると、思うですが。会おてるの回数、少ないし、ねえ。
そんな人、会いはしてるけれどの、ボヤっと、やろなあと。

言うは、皆、そでして。誰であっても、どんどんと、記憶から、消えるです。ンの、正確には、世代が違えば、記憶に残るも、余程の関係かと。
言うてるの、あれ程に、親しかったの、黒門の、伯母<伯父嫁>。
ハタと、正確なる、名を知らんです。呼び名なら、「おじゅうさん」と。これは、親が、そんな風に、でして。実際の場面の、多くは、お姉さんでして。
まさかの、我が母でも、当人に対し、「おじゅうさん」とは、言わんわと。

どちにしろ、そのおばさんの事、名は、「おじゅうさん」と、承知してたですが。イザの、何かの時、母に尋ねたならばの、「じゅんこさん」と、聞いてねえ。全然の違うやないかと。
がしかしの、これ又、字<漢字>を知らず。
がしかしの、当方、解釈、「おじゅんさん」と、言うてるのを、「おじゅうさん」と、聞き間違えての、そのままに、記憶したの可能性、大いにあるです。

がしかしの、これ又、昔の、祖母の時代なんか、女性に漢字は当てずで、祖母、「すゑ」。中手妹、「すて」。下の妹、「とめ」。
何度でも、言うの、「すゑ」=末<最後>。「すて」=捨てる。「とめ」=止める。
我が子、娘に、そんな字を当ててたんやと。がしかし、特段の、珍しいの事でも、ない、みたいでねえ。
葛飾北斎の娘、画号、応為<おい>は、父から、おい、おーいと、呼ばれての、おい説。まあなあ、これは、本名でなく、画号。


トトトの、この手、話してたら、延々のと。
よて、本題、つもりしてるの話をと。
その前に、事あっての、過日、実際には、昨日<9月30日・火>、界隈、何やら、せわしくなっててねえ。
イヤ、当方的には、単に、「プラスチック」の日、捨てるの、収集の日でして。袋詰めの、プラスチック・ゴミをば、所定の場所にと、持ち運ぶの、道中。

まあねえ。
諸般あるです。この短いの、道中で。
いやねえ。
結構早いの、時間帯なれどの、出て、ンの、誰様とは、言わんの、ご婦人2人。何やら、話込んでてねえ。当方的、こんな場合、大きな声で、「おはようさん」と。
であっても、大抵なら、大きな声では、かえらんですが。かえるよなら、姿見たら、会釈なりするが、相場でねえ。まあねえ、どちでも、結構。

での、ンの、諸般の、賑やかなるの、一角。ンの、言うたら、とあるの会社の社用車駐まっててねえ。ンンと。
これは、一発、推測出来るです。
まあ、言うたら、車が沢山駐まってるダケなら、この界隈、高齢者が多くてねえ。福祉関係の方々が、三者面談なりでの、訪問がと。
そら、当家、母の時、重々の承知してるです。
がしかしの、時間帯が、早過ぎるです。且つは、とあるの会社の社用車ねえ。要は、何か、あったんやと。

どの、諸般、その明くるの、本日<10月1日>、これ又、とあるの方、何ちゅうかの、遭遇で、とあるの情報得たです。伝わったです。
そこ様の、ご主人がと。へえのと。正直、正確には、そかと。少々、早かった、なあと。

イヤ、過日、QQ車が来てねえ。この界隈に。てな事、最近、珍しいの事でなく、よっく、来てるです。そらねえ。高齢者多くてねえ。
全くの、不思議でないです。

とは、別途の、過日、そこの、奥様に、ばったりと、遭遇での、世間話方々、尋ねたです。最近、ご主人、見やへんねえと。
ほならの、返答、入院したと。へえと。
とかとか、ここでは、ここまでの、話にしての、昨日の状況での、もしか、したらと、推測なら、したですが。矢っ張り、やったんやと。


そんな事で、当方的、残念無念でねえ。
言うたら、この町内会で、気楽に喋るが出来るの1人やし、ねえ。
申せば、同年。かと、言うて、苗字承知も、名は知らんですが。諸般、顔会わせたならばの、やあやあと。会釈なり、手を振ったり、してるの方。
あちは、歩くに、少々、大変故、杖突いてるですが。その杖、振って、挨拶、応答してくれるの方。

イヤ、ほんま、やでと。
何度でも、申すの、その手、応答するのは、希少価値あるです。
大抵の面々、知っても、知らぬフリの半兵衛装うてるですが。要は、礼儀がないなあと。
イヤ、事実。

この方ねえ。
結構、歩きをしたり、してて、ねえ。体力回復のために。
イヤイヤ、2年程経つのか。退院して。その前には、2年程かと、思うの、入退院繰り返して、ねえ。やとで、解放かと。入院から。
と、思てたのに、過日、いつであったか、1箇月程経つの、QQ車。

いやねえ。
退院直後には、一寸、歩いては、ヒイ、フウの、ハアと。してたですが。努力の甲斐あっての、過日には、4百メートルは、あるやろなあの、コンビニに、買い物に行ったと、言うてくれたり、してねえ。
要は、世間話をば、気兼ねなく、出来るの、でして。
再度の、存在知っても、横向いてるの、非常識なるの、とは、違うわと。

言うは、そんな方故に、諸般、知って、残念無念と。
と、同時に、町内会ので、同年のが、又、1人、減った、なあと。
7人やとか、8人とか。イヤ、9人とか、ややこしい事、言うてるですが。9人としての、これ、当方含むの、亡くなったのは、以て、4人になったが故、ホボの、半減したになるです。

かと、言うて、可成りの、以前より、顔見ずのが、1人。時折の見るのが、1人。諸般、最近、入院した、らしいのが、1人。
歩きの訓練、鍛錬、してるのが1人。
話、簡単の、まとも、なのは、当方1人やでと。
まともの、定義ねえ。
車の運転してるし、その気なら、何キロでも、歩くは出来るしねえ。言うたら、外出なら、してるですし、自己判断的、呆けても、いてへんわと。
結構なるの事での、自身、健康であると、公言しの、言えるです。
(25/10/02)