シバケンの単なる雑談NO.457


NO.456
NO.451 NO.452 NO.453 NO.454 NO.455

NO.455
NO.410 NO.420 NO.430 NO.440 NO.450

NO.300 NO.350 NO.400 NO.450
NO.50 NO.100 NO.150 NO.200 NO.250
題目一覧表

目次

NO.4936 「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(2) 「無」でもないの話

NO.4935 夢見で、整流ダイオードの話(19) 電気工事士の、小父さんの話

NO.4934 夢見で、整流ダイオードの話(18) 強制加速試験の話

NO.4933 「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(1) これは、中学生時代の会話の話

NO.4932 まだまだ、やりたい事、言いたい事、あるの話(2)

NO.4931 まだまだ、やりたい事、言いたい事、あるの話(1)

雑談NO.456


NO.4931 まだまだ、やりたい事、言いたい事、あるの話(1)

いやねえ。
昨日<9月21日・日>から、突然に、肌寒うに、なった、なあと。
まあなあ。そらなあ。
9月も、下旬。彼岸の入りが、20日やったし、ねえ。さもありなんと。とか、言うたって、いつもの、この時期の気温、気候から、したらの、圧倒的、異常な、暑さであった、です。ここまでが。

まあなあ。
昼間、日中なら、まあまあの、気温でねえ。汗拭きタオルねえ。どしょかと、迷うの程に、汗かかずで、結構なる、なれどの、矢っ張りの、一寸でも、動くと、汗出だして、ねえ。困るなあと。

どちにしろ、昨日から、やねえ。
エアコンなしで、夜、寝るが出来てるです。それまでは、緩く、なれどの、エアコンなしでは、たーいへん。蒸し暑うてねえ。
寝てられんと、言う程ではないにしろ。ンの、寝苦しいは、確かでねえ。寝付くまでに、若干の間が掛かるです。

オッとの、いやねえ。
その昨夜。寒いかで、夜、何度、おしっこに起きたかと。2回やねえ。3回目は、起きてしまうか、寝直すかを迷いつつの、起きてしまうにしたが故、夜中、2回やねえ。

言うたら、大体は、1回は、夜中、おしっこで、起きてるです。
これねえ。
申せば、前立腺肥大の、手術以前と、一緒でねえ。おしっこに起きるの回数が。まあ、言うたら、手術以前でも、夜中、1回、2回起きて、行ってたし、ねえ。

とか、おしっこで、起きるの回数だけで言えば、手術して、替わってない、みたい、なれどの、手術以前には、出て、チョロ。量が。
がしかしの、術後は、沢山出てるです。出てる故、おしっこが、確かに、溜まってるになるですが。溜まり過ぎやねえ。

要は、よお、わからんわと。
意味なるは、手術以前には、夜中起きて、おしっこするに、出て、チョロ。
現在、夜中起きるは一緒で、おしっこするに、しっかり、出てるです。と、なればの、以前には、出来たの、おしっこ量、少なかったの怪と。思たり、してねえ。
イヤイヤ、少ないは、確かやねえ。気持ちよく出せたは、ホンの偶。

モ、あるし、気温の事、ダケなら、エアコンつけてる。とは、言えどの、暑いは、暑いしねえ。つけずでは、寝苦しくの、寝てられへんわと。寝ても、構わんのけれどの、熱中症になっても、困るし、ねえ。
我慢せず、夜中にも、エアコンつけて、寝てたです。
いやねえ。
昨年まででも、エアコンなら、つけて、寝る事、あったのけれどの、一夏、通して、数日かと。此度、今年の場合、6月頃から、やねえ。一昨日まで、基本、エアコンあり。


てな事も、その時々に、話をするのつもりが、イザ、話をするに、忘れて、もてねえ。結果的、1日、2日と、遅れて、ねえ。
まあなあ。
どしてもの、その日にと、言うではない故、構わんけれどの、その頻度が、高過ぎるです。
これは、加齢に寄ると、思てるですが、加齢が原因であるは、事実であると。それだけ、記憶力、集中力が、低下傾向にあるなあと。
であるからと、所謂の、認知症とは、思てはないの、まあ、この年齢なら、こんなモンやろと。

とか、思うの反面、時に、軽くの、90歳なり、100歳辺りの方が、結構、昔の話を、正確に、覚えてての、テレビで、話をしたりの光景あるですが。あの歳で、そこまで、明確、正確に、話が出来るは、超人かと。
言うたら、その辺りの、年齢なら、まともでも、やや、怪しくなって、来て、当たり前と、思ててねえ。
まあ、言うたら、90歳台にも、達してての、あの応答ブリ、思考能力あるは、まあ、言うたら、頭脳明晰であると。当方なんか、ソバにも、寄れずと。イヤ、ほんと。

ついでにの、申せば、一寸の以前。
とか、言うても、年単位なれどの、当方的、この手、話するにも、調べて、調べて、探索、検索した上で、話してるですが。
やってるのつもり。また、やらんと、なと、思いは、してるですが。次第、次第に、邪魔くさいが先に立ち。

と、するのと、果たしての、この手、HPの運営ねえ。
いつまで、出来るのかと。
オッとの、現在唯今、全くの、封鎖なり、引退なり、投げ出すの、気、毛頭のと。がしかしの、いつかは、その手の日、来るやろなあと。
と、するのか、延々には、やれず。いつか、限界は、来るやろなあと。どんな形でか、わからんの、けれどや。

てな話、するのつもりでなかったの、けれどの、どちにしろ、何時かは、来るの覚悟、つもりは、しておかねばと。
までには、当HPを通じて、やりたいの事、言いたいの事、まだまだ、多々あって、ねえ。
イヤ、ほんと。
(25/09/23)


NO.4932 まだまだ、やりたい事、言いたい事、あるの話(2)

いやねえ。
言うは、諸般、面倒が先に立ち。
検索なり、探索するが、です。
目的、その多くが、当HPで、話をする、するのつもりの、話をば、より、正確にと。イヤ、ほんと。

以前には、一寸、手抜きしたら。手抜きとは、真相等々、検索、探索なり、せずに、まあ、ええかと。そんなに重要でも、あらへんわと。
端折ったり、思たのままに、掲載なり、したら、一発、指摘あって、ねえ。それ、違うと。へえの、ありがとう、ございますと、修正したり。

が、よっく、あった、です。
よて、基本、検索、探索なり、した上でと、してるですが。時には、邪魔くさい時、事もあるわと。
がしかしの、最早の、その手、違うぞと。との、指摘も、受けずになって、ねえ。受けずは、受けずで、寂しくて。
がしかしの、言うたら、カウンターねえ。回転数ねえ。的には、そんなには、替わらんでして。ンの、替わらんも、どこを基準、比較対象にするかが、あるけれどや。

そらねえ。
長い、年月、経ってるです。1998年の4月23日開設の、HPやでと。
唯今、2025年の、9月23日やでと。
期せずしての、27年と、5箇月なんや、ねえ。フウンの、27年かと。振り返ればの、我れ乍らの、大したモンやと、感心するです。

それこその、基本、HPねえ。
当世、種類、様々なれどの、HPの場合、全て、自力やしなと。自身で、あれこれ、せねば、更新出来ず。
まあなあ。
万事、この手のは、自身での、更新命でねえ。

言うは、言いたいは、自力で、やってるの場合、1年継続すれば、ご立派。まあなあ。飛び飛びでも、一度、更新したなら、継続出来てる。とは、言えるのか、どか、わからんですが。飛び飛びでも、1箇月、2箇月、間が空いても、ハタと、思い出しの、手を加えるは、ご立派と、言えるです。自慢には、出来んのけれどや。
そこで、2年、3年と、飛び飛びでも、運営、更新出来てたらの、話の、大したモンやと、褒めてつかわすです。

まあなあ。
悪いけれどの、その、2年、3年程度なら、保つの面々、結構いてるです。それ言うたら、そこまで保てば、5年、10年ねえ。
保つ、保たせるは、可能でねえ。
但し、その、5年、10年とも、なればの、管理者の、環境が、激変、変動なり、するの事、多々あるかと。

実は、その手の方、実に多くてねえ。
それこその、一世風靡の、大人気の、HP。その当時に、パソコン触ってたの面々なら、大抵なら、承知のが、あるです。
「Windows処方箋」。
これが、活動時期、1998年10月6日から、2004年2月10日が、最終更新日でねえ。これ、活動期間、5年と、10箇月。

結果的、5年保ったです。
がしかし、HPそのものが、2016年11月10日に消滅したです。勿体ないなあと。とは、思うですが。掲示板なりに、アラシが一杯。
ならばの、掲示板を、切り離せばと、思うですが。全体を、消したです。
まあねえ。
これは、単独での、運営でなく、何人かで、共同管理されてたのではと、思うです。

イヤイヤ、言うは、このHPなるは、その5年と、10箇月で、軽くの、億単位の、回転数であった、です。言うたら、超の、人気HP。
当方も、パソコンで、不具合発生して、検索、探索したなら、そのHPが、検出されて。結果的、大いに、助けられた、参考にさせて戴いたと、言えるです。

ならばの、何故に、封鎖ねえ。管理を辞められた。かと、なればの、基本、Osが、<WindowsXp>(2000年)辺りから、安定し、出したです。
この、安定とは、それ、以前の、<Ms-Dos>とか、<Windows9x>時代とは、比較にならずでねえ。
がしかしの、不具合現象なら、度々のと。
それと、2000年辺りから、インターネットも、爆発的、普及し出して、ねえ。

と、するのか、後続の、<Windows7>以降、結構、安定してねえ。更に、<Windows8>では、尚更にで、現在の、<Windows10><Windows11>では、Os上での、問題、極めての、僅少。
又、一寸、検索、探索すればの、一発、解決法なり、検索出来て。

言うは、その手、個人的HPでの、<Q&A>なんか、いらんわと。
申せば、パソコン・メーカーの、その手、サポートなり、<Q&A>も、充実してねえ。
当然の、メーカーの、サポートの方が、確かに、決まってるの、メールなりでも、応答してくれて。

まあ、言うたら、<Windows>の、前世紀の、<Xp><Vista><7><8><8.1>の時代から、<10><11>に至りの、困るの事、なくなって、もてねえ。
困っても、致命的でなくて。何かの時、ハタと、思いの、検索、探索すればの、解決策みつかって、ねえ。
再度の、個人運営の、<Q&A>なんか、意味なくなった、です。


オトトの、での、何の話を、したかったの哉と。
そんな話でなくて。
言いたい事、多々あっての、その話を、したい、なあと。
但し、それは、<みんながパソコン大王>掲示板の方に、投稿かと、思てるです。
そらねえ。
話としたら、沢山あると、思うですが。言うの文言なるは、文字数知れてるです。
(25/09/24)


NO.4933 「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(1) これは、中学生時代の会話の話

いやねえ。
この歳やしねえ。
いつの間にやらと。

そらねえ。
ご幼少の頃より、ズと、連続、続いてるです。途中、切れたり、中断したり、不連続ではないです。
かと、言うて、ご幼少時代の、記憶は、記憶、記録であって。まさかの、現在唯今と、一緒ではないです。
とは、万事、体格、顔形、服装から、住所ねえ。周囲の環境ねえ。全部、違うです。但し、言うは、連続してるが故、何時頃、何があって、仏光寺の家、出たか、等々、分かってるです。

そらねえ。
昔。
とは、言うても、死と、称するの概念なるは、何歳頃から、考え出した。かと、なればの、中学生時代かと。多分。

何故に、死ねえ。
多分なら、勉強嫌いでねえ。では、あるのけれどの、高校受験なら、あるし、ねえ。苦手な、勉強せねばの。されどの、勉強、勉強と、言う、言われるけれどの、とは、何をする事かと。実は、当人、当方、わかってなくて。

聞いた、覚えあるです。
中学3年生ねえ。秀才、勉学優秀なるの君、最早の、この君のフル・ネーム言うて、わかるのなんか、極の、少数と、思うですが。
まあ、言うたら、その当時の、格致小学校区の方々。郁文中学校の、同学年の面々。堀川高校の。そして、大学の、同窓生。就職先の面々。
但しの、この君、東京さの、商社に、でして。

オッとの、こいつねえ。
中学校1年の時、格致小学校区に、引っ越して来たですが。その当時から、有名人でねえ。秀才で。
何故か、わからんの、とは、町内が一緒でもなくて。がしかし、よっく、承知してて、ねえ。賢いとか、秀才やとか。当然の、家が、どこかも。

言うは、何の用事でか、そいつと、一緒に、中学校に行って、ねえ。多分なら、休みの日であったかと。自転車で、行く程の事の、ないの距離なれどの。そらねえ、徒歩7分。
やのに、自転車で、行ったを、覚えてるですが。
何故か、当方が、そいつを誘いに行って、ねえ。自転車で。そして、中学校に、なれどの、その自転車に乗り乍らの、会話を記憶してるです。

当方の質問。「死」とは、何ぞやと。ソイツ、ナカムラ君やねえ。返答するに、「無」であると。死んだら、何にも、ないと。
当方、納得出来ずの、霊魂、御霊、てな、のが、存在するのではと。
まあ、言うたら、幽霊の世界、死後の世界が、あるのではと。てな、話をしたですが。ナカムラ君、曰くには、ないないと。全くのない。死ねば、「無」と、断言してねえ。

フウンの、そか、なあと。
只、ナカムラ君、えらく、断言するし、ねえ。
それも、あるかもと、思いつつの、現在に至ってるですが。

その現在唯今、当方的には、どちも、正解みたいに、思えてねえ。
理由的、まずは、何か、ある。霊魂か、何かは、実際には、当方的、経験、体験してるです。とか、言うたって、幽霊に、会おたでは、ないけれどや。
イヤ、あるかも、なあと。あっても、懐かしの、幽霊で、幻想かと、思てるです。
オッとの、話、戻しての、所謂の、不可思議なる、現象、体験してねえ。一面では、あるなあと。そらなあ、偶然にしては、出来過ぎであると。

とは、度々の、言うてるの、叔母の事。
言うたら、親父の、妹になるです。オッとの、そもそもがの、昔の、家の、子どもの人数多くてねえ。祖父母の子、6人。
男子4人で、女子2人。尚、全員、亡くなってるです。
生まれたの、順番的、
親父、長男・亀太郎<1912年・1991年(79歳)>
長女・福子<1914年・1920年(6歳)>
次男・政次郎<1918年・1945年(27歳・戦死・満州)>
次女・愛子<1922年・1986年(64歳)>
三男・重郎<1925年・1992年(67歳)>
四男・久雄<1930年・2020年(90歳)>。

とか、記載したなら、叔母の、福子。6歳ですて。一番に、可愛らしいの時期に、可哀想にと。つくずくの思うです。
次男叔父の、政次郎。これは、27歳。満州で、戦死。満州とは、当時、ソ連が、不可侵条約をば、突然の破棄で、敗戦濃厚の、日本軍を攻めて来たです。
兎に角、当家、本家として、福子、政次郎は、お祀りしてるです。墓地には、入ってるです。家族故。

そして、次女に当たるの、叔母なるは、考えたら、当世的、早くに、亡くなったのやなあと。64歳やでと。
実は、この叔母ねえ。諸般あるです。
実際には、そんなには、会おてはないのけれどの、そらなあ。嫁いでから、親父が結婚で、当方誕生。

当時の嫁ぎ先、大阪の、梅田の方。そこには、祖母に連れられ、よく、行ったです。行っても、1泊、2泊程度なれど、です。
又、下の叔父に連れてって、もろたり、してねえ。夏休みなりに。これも、1泊、2泊の話。
但し、宿泊を伴うの、親族の家ねえ。ここだけやねえ。

オトトの、ここには、叔母家には、従兄弟が3人居てたしねえ。上は、一歳上で、ねえ。
とかとか、結果的、当方、中学生になるの前に、諸般、東京に引っ越して、ねえ。東京からは、その従兄弟<長男>が、度々の、家に、来てくれたです。

モ、あるし、中学の修学旅行は、東京でして。修学旅行の専用列車、「きぼう号」で、行って、宿に居てたら、叔母と、従兄弟<長男>が、来てくれての、びくり仰天の、嬉し涙。イヤ、ほんと。

以来、叔母に会おたは、当方的、就職しての、東京での、講習会に参加のため、修学旅行以来の、東京やねえ。
イヤ、従兄弟が、車で、迎えに来てくれて。高速道路ねえ。へえの、皇居を見下ろすの場所、走ってるのかと、これ又、びくりの仰天したを、覚えてるです。

まあなあ。
行って、一泊して、明くるの日には、講習会やしねえ。
次ぎに、叔母に、会おたは、祖母の、葬儀の時。とは、1971年<享年84歳>。

次ぎねえ。1985年やねえ。多分。
珍しく、来て、くれて、ねえ。
但し、祖母は、仏光寺の家での、葬儀。
1985年なるは、当家、亀岡に引っ越してたです。まあ、つまり、叔母の、実家は、実家なれどの、全くの、知らんの地で、家でして。
よお、来てくれてと、熱烈の歓迎。イヤ、ほんと。当然の、当方的、結婚してるし。既に、息子2人も、誕生してるしねえ。母なら、健在でして。
尚、母<2015年・享年92歳>

オトトの、何の話をしたいのかと。
その叔母、亀岡の当家に来たは、東本願寺祖廟の、当家墓石。これを、新調してねえ。墓開きに。
そして、叔母家、3男の、子どもが誕生するがため、わら天神に、腹帯求めに、でして。

まあなあ。
細々は、割愛の、その日、墓開きを終えて、大阪に向かい。叔母が。
これで、暫く、会えへんねえと。とか、言うて、大阪に向かうがため、京都駅まで、送ってねえ。車で。で、さいならと。
と、思てるですが。その明くるの日であったか、会社から、帰宅したなら、ンの、瞬時、祖母かと。

と、見間違う程に、似ててねえ。叔母が居たです。我が息子2人と、共に、出迎えてくれての、びくりの仰天。
そらなあ。
以て、何日か、大阪で、滞在で、そのままに、東京に戻るの筈が故、まさかのと。
又、言うてるの、祖母と、そっくり、瓜二つ。絶句する程に。イヤ、ほんと。
当方から、したらの、懐かしくてねえ。お化けとか、幽霊とか、そんな事、どちでも、よくての、そらなあ。瞬時、祖母で、次ぎの瞬間、叔母であると。

そ、言うたら、叔母婿、義理の叔父さんやねえ。祖母の葬儀の時、一家、全員で、来てくれたですが。仏光寺の家に。
その時、初めてやねえ。その叔父さんと、一寸だけ、話をしたを、覚えてるですが。叔母が、祖母に、そっくりに、なって、来てると。
まあねえ。親子、母娘故、何の不思議もないけれどの、当方的には、叔父の話、聞いて、フウンの、そかなあと。
当時には、全くの、別の人、人相、姿、形でねえ。
とか、思てたですが。その時、嗚呼の、成るの程と。一瞬、見間違おたです。叔母を、祖母と。祖母なら、遠の昔に亡くなってたですが。
遠の昔ねえ。年代、紐解けば、14年経ってたですが。当方的、思わずの、懐かしくの、涙する程に、相似。

オトトの、不可思議なるの事。経験、体験なるは、この事ではないです。
(25/09/25)


NO.4934 夢見で、整流ダイオードの話(18) 強制加速試験の話

オッとの、いやねえ。
又、夢見てねえ。
何のと、なればの、ROHM時代の事。
とするのか、後進に伝えたいの事になるのかと。
での、どんなかと、なればの、強制加速試験の事。

まあ、言うたら、信頼性試験なり、管理試験なり、称してるですが。これは、異常のないを、確認のための、試験でねえ。新製品なり、工程変更、改善なり、したの時。それが、その手、試験に耐えるか、問題はないかと、確認するがための、試験。
何も、ないなら、無事に、市場に出せるです。あれば、しかるべくの、解析なりして、その原因は何か。変更に寄るものか、では、ないのかと。
そらねえ。
原材料なりの、変更の場合、慎重に、慎重にと。この手、試験で、不具合検出されるでは、余程でねえ。採用なんか、出来ず。

オッとの、強制加速試験ねえ。
原則、先刻の話とは、異なりの、如何に、壊すかと。製品を。
寿命についてなら、温度、湿度があるです。負荷するの、電流なり、電圧なりが、あるです。

まあねえ。
単純に、壊すと、なればの、常温でも、結構の、100mAの定格なら、200mA、300mA云々と、どんどんと、負荷掛け、どこまで、保つやと。1A、30秒保つのか、1分、2分と、保つのか。10分、20分でも、保つのかと。
これは、短時間に、壊すの手法での、要因的、電流と、時間があるです。
まあなあ、言えば、厳密には、周囲温度もあるですが。温度までと、なると、手間掛かるし、ねえ。

とかとか、当たり前に、高負荷<電流>、高印可<電圧>でも、長時間、保つに超した事なくて。
保てば、どかと、なればの、その面での、耐久性良好、上等と、言えるです。
これを、他社製品と、比較で、自社の、実力が、判明するです。
判明して、どなんやと、なればの、欠点があれば、改善に繋げるが出来ればと。てな事、なかなかに、わからんですが。解決、改善策が。
がしかし、わかっておれば、将来、何かの、役に立つやろと。

強制加速試験では、その手の事で、わかるです。
長時間も、一緒。
長時間ねえ。所謂の、寿命試験と、称するですが。
とりあえず、これには、温度、負荷、時間。加えての、湿度もあるですが。言い出せば、その手、環境装置が沢山いるです。あれば、出来るです。そのための、場所も、いるです。

まあねえ。
当世なら、温度変化、精度ねえ。振れ幅ねえ。何度まで、出来るのか、0.1度にでも、なってるのかと。
それなりの、恒温槽が、いるですが。そらねえ。単なるの、オーブンでは、振れ幅デカくて、どもならず。上下で、5度、10度も、あるよりは、言うの、1度なり、0.1度の振れ幅が、優秀に決まってるです。
かと、言うて、少ない振れ幅でないと、精度云々に大問題と、する程ではないと、思うですが。

オッとの、言うは、温度ねえ。
常温と、言うも、25度なら、25度で、やるの方がと。そこら、室温でも、常温なれどの、夏と、冬で、違うです。よて、外気温に左右されぬの、よにと。
結果的、電子部品なりに、負荷加えれば、発熱するですが。結果の、結果的、常温をば、25度に、とも、なればの、恒温槽では、冷却されてるですが。の、程度の、恒温槽でないと、折角の、調査、試験に、誤差生じるです。

これねえ。
細々申せば、恒温槽の、内容積にも寄るです。資料の、数にも、寄るです。
まあ、つまり、オーブンと、称するの、ものでは、振れ幅デカく。
当方の時代には、メーカー的、<タバイ・エスペック>なるのが、主であった、です。当世、<タバイ>が、取れて、<エスペック>と、称してるです。
余計なるの話の、このメーカー、初期は、<田葉井製作所>でしたです。創業者の苗字でして。申せば、珍しいの苗字。


オッとの、何故か、わからんの、突如の、夢見で、この件が。
そ、言うたら、当方的、<REC>の件で、チラとは、触れての、基本的、話は終わったと、思てたですが。
(25/09/26)


NO.4935 夢見で、整流ダイオードの話(19) 電気工事士の、小父さんの話

オトトの、オッとの、いやねえ。
ハタと。
とは、又、夢見てねえ。
申せば、その当時の。

とは、言うても、ROHMに入社して、1年、2年は、関係なかったのかと。よ、覚えてませんですが。
いやねえ。
所謂の、試験関係も、持つ事になって、ねえ。

元々が、品質管理の面々、スタッフなるは、少人数。よて、試験関係、持つと、言うても、実務なるは、女子社員に、任せてるです。
結果、品質改善なり、品質向上なり。工場に出向いたりの、云々ねえ。やってるです。やってた、です。クレームで、営業と、顧客先に、出向いたりも、してるです。
要は、1人で、何役もと。

がしかしの、言うてるの、試験関係なるは、女子社員にと。抵抗器に所属の頃には、人数多くてねえ。班長を置いてたです。万事、その子を通じて、処理してたです。
班長故、しっかり、してるですが。当方以上に。イヤ、ほんと。

余計なるの話の、当方的、所属異動で、Diodeと、するよりは、当時には、半導体製造部であったですが。
要は、その手のが、なくてねえ。あったのか、なあ。よ、覚えてませんですが。兎に角、それが、分離して、Diodeとか、Trに、別れたですが。Diodeでは、その手、試験関係なくて。がしかし、やるになったの哉の、やるに、当方しか、居てへんし、ねえ。経験者が。

所謂の、試験室なるが、あっての、そこに、諸般の、恒温槽なり、色んな試験装置を、入れたです。当然の、購入して。
その購入の、主たるの先、田葉井製作所。
残念乍らの、当時の、営業担当の、苗字、失念。戴いてたの、名刺があれば、わかるですが。そこまで、しんでもと。

オッとの、言うは、この手の事、も、当方、担当。
とか、言うても、発注して、入荷の時、その装置、恒温槽なり、どこに置くか、でして。
置いても、電源が居るです。200Vがいるし、ねえ。の、以前の、その手、配線なるは、しかるべくの、電気工事士に頼まねばの、その方の、苗字をば、ハタと。コレが、夢の中で、出て来てねえ。再度の苗字が。

まあ、言うたら、コワダさん。
何歳ねえ。
所謂の、準社員の方、でしたです。準社員とは、一度、定年退職したの、高齢者が対象。
まあ、言うたら、当時、当方的、まだまだ、二十歳台の頃で、定年退職したの方。とか、言うても、ROHMとは、限らんです。他社でも、一緒。
余計なる話の、守衛さん。皆、警察OBでしたです。イヤ、ほんと。
要は、コワダさん、親父世代。や、なあと。今、思えば。

いやねえ。
夢の中で、そのコワダさんをみつけて、コワダさん、コワダさんと、呼び掛けるの夢見たです。呼び掛けて、嗚呼の、この、電気工事の小父さん、コワダさん。やった、なあと。
話、簡単、当方的、その手、担当、外れてからも、社内で顔会わせたらの、やあやあと。イヤ、ほんと。
電気工事士、工事屋はんの、格好したはるし、ねえ。一発、分かるです。

いやねえ。
大体が、試験室の事、そのコワダさんが詳しくて。その配線、全部、してると。又、当方的、専攻なるは、電気工学科でも、その手、電気工事士の資格も、電検のも、持ってませんでして。何も、出来ず。するにも、実務なんか、知らんわと。

申せば、所謂の、工業高校では、その手、実務が主。とするのか、その気なら、取得出来るよに、してるですが。これは、工業高校なり、その手、専門学校で、やるの事。
大学でも、実験はあるですが。その手、工事の、実務の、授業はないです。

オッとの、どちにしろ、コワダさんは、ロームの、建屋の、電気回りを、1人で、されてて、ねえ。
所謂の事務所なんか、レイアウトの変更の都度、やって、おられたです。これ、休日の仕事。
平日なら、細々、言うてるの、試験室で、何やら、やってたし、ねえ。用事あれば、そこにで、捕まえたら、あれ、これと、頼んでねえ。
まあ、言うたら、図面不要。ここに、電圧200Vの、恒温槽をと。だけで、通じるです。

或いは、この恒温槽は、あっちにと。これは、そこにと。
まあなあ。
余りに、沢山は、問題なれどの、その場合は、一応の、図面、メモ書きで、説明してねえ。

この、コワダさんねえ。
当方、ROHMに、在籍期間中にも、噂で、亡くなったと、情報入ってねえ。さての、ほならの、試験室の、その手、管理、配線ねえ。どするの哉と。
新しい方、入って来られたら、一から、やしねえ。その当時には、当方的、試験関係、外れてた、ですが。


オッとの、装置、恒温槽えの、配線は、コワダさん。
恒温槽内の、試験サンプルの、取り付け治具、治具えの、印可、負荷のための、電源の配置なり、治具えの、配線は、こっち持ち。
まあなあ、大した、話でないですが。

申せば、その手、電源についての、管理は、男子社員なり、当方がしてたです。基本、女子には、触らせず。
そらねえ。
感電でもされたら、えらい事。イヤ、ほんと。
まあなあ。
基本、試験室に、作業者なりが、入室の際には、電源切れるよに、してるですが。退室の際には、電源入れるよにの、これは、作業者が。
あくまでもの、当時の話の、我々が、入室の際には、中でも、通電要する場合、多々あるが故、そのよに、処置してるですが。
とは、くれぐれもの、万事、昔日の、当方が、諸般、してたの頃の話。

とかとか、言うてたら、その当時の事、種々、思いだしてねえ。次々と。
そ、言うたら、別途の、その手、その当時の夢、何回も、見てるなと。
(25/09/27)


NO.4936 「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(2) 「無」でもないの話

いやねえ。
この手、関連の話するに、登場の、電気工事士の、コワダさん。
ン十年以前の話やしねえ。
当方、在籍中にも、亡くなったの報、どこからともなくの、入ったです。その時には、辞められてたと、思うですが。とりあえず、親父世代やしねえ。
まあ、言うたら、とっつき易く。当方は。

世間的、社内的、評判なるは、気難しいと、聞いてたですが。当方から、してみたらの、そかなあと。
少々、無茶な話、依頼も、そか、そかと。所謂の、場合に寄りの、納期もあった、ですが。そらなあ、装置が入るまでに、電源が、来てないと、困るしねえ。
申せば、納入の日の事、コワダさんにも、伝えてての、しかるべくのと。
で、当方的、困った事、一度もないです。
がしかしの、他部署の面々、困った、困った、困ってると。当方的、ほんまかいなの、嘘やろと。

とかとか、そ、言うたら、仕事の、その手の話、以外、した事ないなあと。
言うたら、どこに、住んでるとかとか、一度も、してませんでして。大体が、無口。当方も。
相手さんが、喋るの方なら、喋るですが。無口な方に、無理して、その手、個人的なるを、聞いたり、するのも、なと。

での、その、電気工事してくれたの方、何さんやったかなあと。
沈思黙考の、考え、思い出そと、するにも、全くの、出て来ずで、ねえ。
が、しかしの、言うてるの、夢の世界で、現れてと、するよりも、突如の、コワダさんと、声出てねえ。夢の中では、声、聞こえませんですが。コワダさんを、見付けて、嗚呼の、コワダさんやと。ハタと、思い出しの、へえの、不思議や、なあと。


での、何で、コワダさんの話をし出したの哉と。
それが、よ、わからんでして。
オトトの、当「単なる雑談」をば、紐解きまして。この話、し出したの、直前のお題目、「「死」とは、何ぞや、「無」であるの話(1)」をし出して、ねえ。

本当に、「無」やろ怪と。
当方的、奇異なるの体験をと。
それを、説明するに、「愛子」叔母さんの事、言いたかったんやと。
生きてたら。と、するのか、1922年生まれやしねえ。25歳上。つまり、103歳になってるねえ。がしかし、思えば、若くして、亡くなったです。享年64歳。
これ又、思えば、早くに、過ぎるねえ。

オッとの、いやねえ。
振り返ればの話の、この手、親族の動向、亡くなる等々、続くねえ。
全親族の、経緯、列記したなら、より、わかるかと、思うですが。面倒が先に立ち。又、そんな事して、何の意味がと。
がしかしの、分かってるの範囲での、亡くなるの話、のみ、記せばの、まずは、その叔母やねえ。1986年。
次ぎ、親父、亀太郎で、1991年。間的には、5年あるのけれどの、5年なるは、短いぞと。
とりあえず、亀太郎の明くるの年、重郎が、1992年やしねえ。
申せば、次ぎ、我が母<智>になるの、けれどの、23年の、間、空いての、2015年やしねえ。次ぎ、叔父<久雄>になっての、2020年。と、なればの、5年やねえ。短いと、言えば、短くて。

言うは、この親族ねえ。血縁の。
場合、死ぬるなりは、想定しておらず。とは、言うたって、90歳台に突入なら、歳やなあ。とは、思うですが。
当たり前に、今日の、明日のと。とは、全くのと。変な、話の、永遠に、生存するの錯覚したり。


オトトの、での、死ねば、「無」。
では、ないのではの、話。
特には、愛子叔母さんでの、体験あるです。

<参考=「不可思議の世界NO.18から、NO.26」桜散る散る、花吹雪の話>

要は、叔母の葬儀、桜の季節でして。
実は、その1年後、本当に、偶々の、営業担当より、しつこく、しつこくの、来てくれ、来てくれと。用件、その程度なら、営業で、やってくれと。
そらねえ、当時、忙しくの、工場に行ったり、してて、ねえ。

での、ぱかりと、空いて。日程が。
の時、偶々の、その営業から、どか、ならんですかと、電話受理で、ンの、いついつなら、可能の返答してねえ。
当方的、その顧客の、場所知らずで、とりあえず、どこに、何時と、教えてくれと。モと、言うたら、当方、その手、何線で、云々苦手故、何線で、どこから、どこと。東京駅からの、径路、細かくに、メモして、Faxでと。送ってくれと。

での、当日、その通りに、着いて、迎えの営業担当の、車に乗って、目的地、会社になれどの、その道中。
と、するのか、見た事のあるの、景色、光景や、なあと。
実は、そもそもがの、桜の季節でねえ。桜満開の、フと、見た、見えたの建物、ンの、叔母入院してたの、病院名知らんの、そらねえ。従兄弟が、車で、送ってくれて。
見舞いは、母と、一緒でねえ。

ででの、更に、行けば、営業車での話の、ンの、又もやの、見た事、あるの、建屋。
所謂の、公民館。
申せば、叔母の葬儀、その建屋やぞと。そらなあ、一晩、過ごしてるです。その公民館で。

更に、申せば、そこから先、行くは、何と、まの、叔母の斎場。平たくに、火葬場に、行ったの道、そのままで、ねえ。へえと。
当たり前に、会社は、場所異なるが故、途中で、径路替わったですが。
いやねえ。
当方的、そこまで、再現されるかと。

1年。
まさしくの、一周忌に、叔母が、招いてくれたんやと。
話あっての、即なら、桜の季節なんか、まだまだでして。尚且つの、営業で、やってくれと、するの程の、中身でねえ。要は、当方的、資料のみ準備で、こんなモノ、既に、あるです。
何等、想定問答も、考えずで済むの、気が楽、気楽な、要は、製品の、工程管理等々の説明でして。しかも、失礼乍らの相手様、購買担当。要は、技術者、品質管理の方でなくの、クレームでも、ありませんでして。

モと、申せば、営業との、待ち合わせの駅。
これが、一つ先の、ならばの、公民館のあるの、駅になりの、葬儀の時、母と、電車で、行っての、降りたの駅故、聞き覚えあるなあと、なるのけれどの、違うしねえ。
ならばの、何線等々ねえ。そんな事、当方的、一々の覚えてませんです。何線なら、時折乗ってるですが。駅名皆、違うしねえ。

モと、モと、申せばの、指定の駅での、待ち合わせなるは、表通りでなくての、裏手。
言うは、駅の表通りなら、見たよな、景観や、なあと、思うですが。裏手でして。且つは、その営業担当と、当方、電話では、言うてるの通りの、話、してるですが。会うは、初。
余計なるの話の、関西の営業所なるは、ローム本社と、隣接故、しょっちゅう、来てるし、その手の話、会おて、話をするですが。

東京営業所なるは、当然の、電話での、調整故、顔知らんのが、多く。知るは、クレームなりで、行ったの場合やねえ。営業所なり、営業担当が、指定の、場所で。
お互いに、知らんが故、ロームの書類入れの、封筒をば、持ちまして。目印のため。
まあなあ、主要駅でないなら、そんな場、駅の裏手の、ロータリー等なら、一発、わかるですが。他に、らしきのは、居てへんし。営業担当者は、社用車に乗って来てるしねえ。「ROHM」と、明記してあるです。


オッとの、言うは、この話、出来過ぎ。
偶然が、重なり過ぎ。
申せば、こんな気が楽、気楽な、顧客訪問なんか、後にも、先にも、この1度のみ。
ついでにの、申せば、当方、営業者の後部座席に乗せてもろての、その光景。桜ねえ。病院ねえ。
ンの、もしかしてのと。注視してたら、公民館見えて、ねえ。
涙したです。叔母に、ありがとうと。イヤ、ほんと。
わざわざの、一周忌に、招いてくれたんやと。

オッとの、トトトの、明日<9月28日・日>なるは、「町民大運動会」の日。
当方、「玉入れ」に出場。
(25/09/28)