シバケンの天国
パソコン大魔神

奥の院NO.5

奥の院NO.4
奥の院NO.1 奥の院NO.2 奥の院NO.3

パソコン大魔神の雑談<NO.2>


奥の院NO.6

NO.40 「日本維新の会」の話(2)

NO.39 「日本維新の会」の話(1)

NO.38 「安倍晋三元総理狙撃事件」(5)

NO.37 「安倍晋三元総理狙撃事件」(4)

NO.36 「安倍晋三元総理狙撃事件」(3)

NO.35 「安倍晋三元総理狙撃事件」(2)

NO.34 「安倍晋三元総理狙撃事件」(1)

NO.33 A級戦犯「旧厚生省」の実態(8)

NO.32 A級戦犯「旧厚生省」の実態(7)

NO.31 A級戦犯「旧厚生省」の実態(6)

NO.30 A級戦犯「旧厚生省」の実態(5)

NO.29 A級戦犯「旧厚生省」の実態(4)

NO.28 A級戦犯「旧厚生省」の実態(3)

NO.27 A級戦犯「旧厚生省」の実態(2)

NO.26 A級戦犯「旧厚生省」の実態(1)

NO.25 イイ加減考えなアカン 日本の教育(3)

NO.24 イイ加減考えなアカン 日本の教育(2)

NO.23 イイ加減考えなアカン 日本の教育(1)

NO.22 ボケ防止の特効薬の話(10)

NO.21 ボケ防止の特効薬の話(9)

奥の院NO.4


NO.21 ボケ防止の特効薬の話(9)


頭のリハビリ(9)日本の中での「漢民族」の話(3)

日本史の中では「聖徳太子」が斑鳩の地に「法隆寺」を建立したとか、中大兄王子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が曽我入鹿を暗殺して「大火の改新」をしたとか、その天智天皇が後目相続争いで「壬申の乱」を起こしたとか、ど~でもイイ話が沢山有る。しかし”漢民族”という広い視野で見ると「天智天皇」の「白村江の戦い」の終戦処理は余りにイイ加減やった。多くの日本人を残したまま撤退してしまったんや。こんな事は日本史に一切書かれていない。「NO.17」で書いた「韓国の朝鮮民族は遺伝子的には日本人と山東省出身の漢民族が多い」という話の理由がこれなんや。今から1340年前に朝鮮に置き去りにされた日本人が現在の韓国人を形成しているんや。「ヨン様」も「BTS」も事によると日本人かも判らんのやで!。

この時、幸か不幸か日本に亡命した多くの渡来人が政府の要職に就いている。中臣鎌足かて百済からの渡来人の子孫やし、「曽我氏」も「物部氏」も渡来人なんや。何しろ、「百舌鳥・古市古墳群」の古墳時代の日本国は、朝鮮半島から逃げて来た人達も含めて”漢民族”だらけの状態になってしまったんや。それだけ集まれば多少のイザコザは有っても仕方が無いやろ!。従って、これ以降の日本史は言わば「町内会の痴話喧嘩」のレベルの話なんや。歴史を考える時、周辺諸国との関係を考えなければ意味が無い。
その後の日本国内での”戦”と言っても中国大陸での”戦”と違って同じ民族同士。言わば「秋の大運動会」のようなもので、天下分け目の「関ケ原の戦い」でも半日で終わりや。城主が切腹しても、頭がスゲ替わるだけで領民は”お構い無し”や。これが中国本土なら皆殺しなんやで!。

ただし、この時代に注目すべき事が有る。「聖武天皇」による東大寺大仏の建立とその開眼法要や。
この「聖武くん」が天皇に即位した頃の大阪・堺や奈良は、今のシンガポールのような国際都市になってしまい、そのため大勢の外国からの使者が往来していた。その結果、天然痘のパンデミックが起きてしまったんや。そこで「聖武くん」は平城京からあちらこちらに遷都することになったが、遷都した先々で水害や地震や火災に見舞われたんや。余程”徳”が無かったのか、行いが悪かったのか、単に運が悪かったのか、結局は観念して元の平城京に戻り、東大寺盧舎那仏像の造立に専念する事になった。
この「奈良の大仏さん」は752年に完成し、開眼法要が大々的に執り行われた。その2年後に「鑑真」が来日するも、その2年後に崩御してしまった。恐らくは天然痘に感染したのだと考えられるが、そんな事は口が裂けても言えない。光明皇后(藤原鎌足の孫、藤原不比等の娘)は「聖武くん」が愛用していた品々を焼却処分せずに「正倉院」に隠して封印したんやろ!。その後は天然痘の療養施設として飛鳥から平城京に「薬師寺」を移転させる事業に心血を注いだとされる。この「平城の薬師寺」は平安中期には廃寺になってしまい現存していない。
毎年秋に「奈良国立博物館」で行われている「正倉院展」は、そういう裏事情が有るんや。1300年も経っているのでウィルスの感染力が残っているのかは判らんが、PCR検査をすれば天然痘ウィルスが検出される可能性が有る。勿論「宮内庁正倉院事務所」もその事を判った上で展示をしている。展示物を直接触れる事は出来ないので一応安全やと思う。



今日はここまでや。そろそろ”締め”を考えな終わりそうも無い。
何せ、年金生活者は暇やからな~。これを「ネット徘徊(はいかい)」と言う。



-次回は 日本の中での「漢民族」の話(締メ)や-
(22/06/22)


NO.22 ボケ防止の特効薬の話(10)


頭のリハビリ(10)日本の中での「漢民族」の話(締メ)

昨今、「中国が日本に攻めて来るんやないか」という懸念が報道番組などで議論されているが、実は今から2700年前頃にはすでに”中国から渡来した漢民族”に占領されていたんや!。現在日本で暮らしている「日本人」は「縄文人の血を受け継いだ漢民族」で、結論から言うと”すでに手遅れ”と言うこっちゃ!。
現在「中国」で暮らしている多くの”漢民族”の子孫達は、「夏王朝」の匂いを感じる「日本」を、あたかもイスラム教徒の「メッカ巡礼」の如く考えているやないかと思う。今はコロナの関係で中国人巡礼者も自粛しているが、中国政府が渡航制限を解除すれば、また3年前までのように京都や奈良は”中国人だらけ”になるやろな~。それでも「喧しい奴等や!」と言わずに”遠い親戚”やと思って暖かい目で見守ってあげんとアカンのや。

天平時代から平安時代初期は奥州(岩手県)で「金」発見された。この発見には「白村江の戦い」の後、日本に亡命した百済王「鬼室福信」の縁者が関わっている。弘法大師が「四国八十八か所」を開いたのは、この「金」を製錬するために必要な「丹」を探すためやったという説が有る。「丹」は赤い石で硫化水銀のことや。この「丹」を加熱すると水銀が残る。そこに砂金を溶かして加熱し、水銀を蒸発させる事で「金」が製錬される。この「金」は遣唐使によって「唐」に送られたんや。マルコポーロの「黄金の国”ジパング”」の話はこの頃の話や。また「鑑真」は今で言う”金銭トレード”されたという説も有る。

平安時代中期は、「パソコン大魔神 奥の院NO.3 ブレーク1「京都の野良猫」の話」で書いたように、中国の「唐」から「宋」に代わる間の「五代十国時代」の混乱期に沢山の”漢民族”が「猫」を連れて日本に逃げて来ている。今年は3年ぶりに「祇園祭」の山鉾巡行が行われるので、是非余り目立たない「山」に注目して頂きたい。どうしても大きな「鉾」に目が行ってしまうが、「鉾」は江戸時代に誕生したもので、平安時代の「祇園祭」では存在していなかったんや。「役行者(えんのぎょうじゃ)山」とか「太子山」とか後に追加された「山」も有るが、多くは古代中国の故事を題材にしている。現代の中国人が知らない話が数多く有るので”漢民族”のルーツに是非触れて頂きたい。

鎌倉時代の初期は、政治の中心が鎌倉に移ってしまい、天皇や公家がメチャクチャ暇になってしまったため、朝鮮から多くの楽師を招いて「高麗楽(こまがく)」の舞楽を伝授してもらっている。「納曽利(なそり)」「埴破(はんなり)」などが有名だが、童舞(わらべまい)の「胡蝶(こちょう)」は日本で作られた「何チャッテ高麗楽」なんや。お寺の落慶法要などで使われる子供の舞で、天竺楽(てんじくがく)の「迦陵頻(かりょうびん)」とセットで演じる可愛いらしい人気の舞楽や。

日本の歴史では多くを語っていないが、朝鮮半島や中国との人的交流は途絶えた事は一度も無い。ただ、鎌倉時代の末期には「元寇」が有ったり、安土桃山時代には豊臣秀吉の「朝鮮出兵」が有ったり、という揉め事が有ったが、諸説有って真相は未だに定かでは無い。

江戸時代になると、日本は意外にも”資源大国”としてヨーロッパ諸国に影響を与えている。佐渡の「金」、生野の「銀」、足尾の「銅」が大量に長崎の「出島」から輸出されていた。ただ、日本は貴金属の国際相場を知らなかったため、安く買い叩かれていたようや。ヨーロッパ諸国では日本から安く入手した「金」で多くの金貨を流通させた。またヨーロッパ諸国で使われた銀製食器の多くが日本から入手した「銀」が使われた。勿論銀貨としても大量に使われた。さらに「銅」は日本製の純度が高かったことからオランダでは大砲の材料として使われ、スペインとの20年戦争にオランダが勝利した事に貢献している。大航海時代に無敵を誇った「スペイン無敵艦隊」を日本の「銅」が撃破したということになる。
ここで不思議なのは、ヨーロッパ諸国に多大な影響を与えた「資源大国”日本”」が西欧列強の植民地にならなかった事や。キリスト教を早くから禁止した事も大きいが、イギリスなどは中国に「アヘン」を撒いてまで相手国を混乱させようとしたのに、徳川幕府はオランダだけと交易を行っていた。


「縄文人」は1万5千年もの間、足元に膨大な鉱物資源が有る事を知らずにノンビリ暮らして来た。そこにドタバタの中国から逃げて来た”漢民族”が居付いてしまった。その”漢民族”が日本の地下資源が半端で無いこと発見し、その財力を背景に東南アジア諸国を束ねて行った。巨大な「窃盗団」と化していた西欧列強は、東南アジア諸国を植民地化する段階で、東南アジアの実質的なリーダーは「中国」では無く「日本」だと知る事になった。そこで、「東インド会社」のオランダ一国に交渉窓口を絞った。そこに事情を良く知らないアメリカの”ペリー提督”が割り込んで来た。そこで焦ったヨーロッパ諸国は江戸幕府を混乱に陥れ、あの手この手で日本での権益を維持しようと画策した。それに乗せられた「明治新政府」は滅茶苦茶な政策を行ったという事やろ~。

そう考えると、明治時代以降の「日清・日露戦争」「太平洋戦争」への道筋が見えて来る。要するに、学校で教えている日本史の筋書きとは真逆になって来る。

現在、日本は独立国家として国際社会に復帰したが、実質は現在も”アメリカ占領下”に有る。アメリカは「日米安全保障条約」で日本を守っているかに見せ掛けて、アジア諸国のリーダー格である「日本」の首根っこを押さえている。現在アメリカの「バイデン政権」は中国敵視政策を行おうしているが、アジアで一番怖いのは「日本」やという事を判っている。トランプはアホやからそれに気付いていなかった。「バイデン大統領」が絶対に日本を敵に回さないように気を使っているのはサスガやと思う。
しかし、すでに「自動車」や「家電」では日本が世界をリードしている。さらに、「コンピュータ」至っては「日本連合」が世界の市場を完璧に抑えている。もし、アメリカが日本を敵に回すと「コンピュータ」「通信」「自動車」「家電」「軍需産業」など一瞬で壊滅してしまう。

ただ「核兵器」すら無にする能力を日本の”漢民族”が握っていること迄は気付いていない。


取り合えず無理矢理に締めた。
御清聴、感謝いたします。



-次回からは 日本の「教育問題」を考えよう-
(22/06/24)


NO.23 イイ加減考えなアカン 日本の教育(1)


頭のリハビリ(11)「トーマス・グラバー」は偉人か、悪魔か、

昔、「ウ~サン」が高校生やった時代(て~と、今から54年前やな!)、山陽新幹線が開通してへんかったので、大阪「梅田」から寝台列車で九州に修学旅行に行った。
阿蘇の噴火口や草千里も良かったし、何より九重高原が綺麗やった。長崎では港を見下ろす「グラバー邸」からの景色は今でも忘れへん。
この「グラバー邸」の主、イギリス・スコットランド出身の「トーマス・グラバー」が日本にとっては極悪人だったという事は後で知った。勿論、諸説有る。時の明治政府から「勲二等旭日重光章」を授与されたほどの偉人というのも事実や。長崎の造船所を近代化し、九州の炭鉱を開発し、岩崎弥太郎と組んで「三菱財閥」を作り、「キリン・ビール」の基礎を築いた。しかし、もしコイツが居なければ徳川幕府がボロ負けする事は無かったはずや。何故なら、コイツは「武器商人」で幕府と薩摩・長州の連中の双方に武器や弾薬を売っていたんや。

お陰で京都では「鳥羽・伏見の戦い」で滅茶苦茶にされた。「ウ~サン」が住んでいる中京区(昔は上京区やった)も「蛤御門の変」で丸焼けにされ、この近辺で平和に暮らしていた「野良猫」達も逃げ回らんとアカン羽目になった。

とにかく、イギリスという国は世界中でロクでも無い事ばかりして来たんや。「ビートルズ」発祥の国で「エリザベス女王」の国でも有るので悪く言いたくは無いが、今の「ロシア」とは比較にならん位、悪いことばかりして来た国や。イギリスと言えば「007」の国、”諜報活動”が得意な国や。「トーマス・グラバー」の様に敵(かたき)同士の双方に「ニセ情報」を流し、言わば「火に油を注ぐ」ということばかりやって来た。記憶に新しいのはアメリカに対して「イラクに大量破壊兵器が有る」と言って馬鹿ブッシュにイラクを攻撃させ、実際には無いと判ると、雲隠れしてしまった件や。お陰で「フセイン大統領」は処刑され、その後の「IS(イスラミック・ステート)」を生み、更にはシリア内戦にまで進ませてしまったクセに、今度はウクライナ紛争にまで首を突っ込んで掻き回している。
何故、イギリスはここまで「根性ワル」なのか、イギリス人では無いので判らんが、そもそもあの国は「ケルト民族」と「ゲルマン民族」が過去から殺し合いばかりしていて「イングランド」「ウェールズ」「スコットランド」「アイルランド」で喧嘩ばかりして来た国や。長年の懸案であった「欧州連合」もEECからEC、そしてEUになったが、勝手に「離脱」を決めたり、通貨の「ユーロ」に移行せず「ポンド」に拘ったり、とにかく「根性の悪さ」は半端でない。
そんな国の奴が日本の幕末から明治にかけて日本の中枢で「武器商人」として暗躍していたんや。

確かに、明治維新は日本の近代化を大きく進めて来たのは間違いない。しかし、それが「この世の楽園”日本”」にとって良かったのか、悪かったのか。こういう事を考えるのが本来の教育やと思う。日本の歴史を考える場合、発掘考古学と古文書だけで無く、近隣諸国や世界史と合わせて考えなければ、意味が無い。増して、年号を暗記するなんて何の意味も無い。確かに、教師は大変やと思うが、文部科学省が決めた内容を暗記させるだけなら教師は要らん。文部省検定済みのDVDを配れば済む話や。テストかて大変やと思うが、それならテストなんかヤメてしまえばイイ。歴史は考えてナンボのもんや。

「ウ~サン」達の年代は、学校では「半導体」も「コンピュータ」も一切習っていない。それを「ゼロ」から勉強して”世界一”になった。ハッキリ言って学校教育なんてクソの役にも立っていない。それでも、”やる気”が有れば”世界一”になれるんや。今の教育が「全て無駄」とは言わないが、無駄な事ばかりに時間を食って「生徒指導が大変」とか「部活動の顧問が出来ない」とか、アホな事を言うな!。「生徒指導」や「部活」が出来ないなら教師は要らん!。DVDでエエ!。一日も早く教師なんぞ辞めて会社勤めをせい!。サラリーマンの方がもっと大変なんや!。文部科学省もそんなアホな事を言う教師は採用すんな!。



蛇足になるが、
「半導体」と「コンピュータ」の世界では、イギリスの企業は一切登場しない。この世界にイギリス人のようなヤヤこしい奴等は要らん。
(22/06/25)


NO.24 イイ加減考えなアカン 日本の教育(2)


頭のリハビリ(12)「拍子抜け」の正しい意味

頭がボケて来ると体全体に色々と支障が出て来るんや。支障が出てから病院に行っても、最終的に治すのは自分やで!。所詮医者は補助するだけや、補助ならイイが誤診されて毒でも盛られたら災難や。
そもそも、家の中で勝手にコケるような奴は車なんか運転したらアカンで!。どうしても車に乗りたかったらシルバーカー(電動車イス)や、一応立派な「EV車」やで!。
今年は”梅雨”が吹っ飛んでしまった。こんなクソ暑い時に、庭木の手入れなんかすんなよ!。熱中症で倒れて救急隊に迷惑をかけるだけや。
とにかく、年寄りはイランことをせんと、おとなしく”頭を使え”よ!。脳ミソは糖分だけで働く。停電になっても脳ミソは大丈夫や。頭を使っているだけなら、究極の「省エネ」なんや。
その点、”考える”というのは面白い。野良猫を見ていて色々「何でや?」と考えていたら、壮大な東アジアの隠された歴史が見えて来るんや。世の中の些細な「何でや?」を探して、色々と考えるだけで問題点が見えて来る。

さあ~、歳を取ったらみんな「哲学者」になろうやないか。最後の仕事や!。


さて、今年の夏も「何処ぞで水害が有るやろなぁ~」と思っていたら「梅雨明け」やて!。まさに「拍子抜け」や!。
「拍子抜け」という言葉は、来るぞ!来るぞ!と思っていたものが来なかった場合にズッコケる事や。「拍子」というのは雅楽用語で、太鼓の事なんや。管弦の曲の場合、舞台の真ん中に有る「楽太鼓(がくだいこ)」、舞楽の場合は舞台の両側に有る巨大な太鼓「大太鼓(だだいこ)」の事を言う。
結婚式の神前で流れる「越天楽(えてんらく)」の場合は「早四拍子(はやよひょうし)」で、太鼓は「1・2・3・ドン」と鳴るんや。「五常楽(ごしょうらく)」は「早八拍子(はややひょうし)」なので、「1・2・3・4・5・6・7・ドン」と鳴る。テンポはほぼ同じなので太鼓を打つ数が変わるだけなんや。
学校の音楽の授業で習う「2拍子」「3拍子」「4拍子」とは、まるで別物なんや。

そこで本題の「拍子抜け」の話や。
「越天楽」は「平調(ひょうじょう)」と「黄鐘調(おうしきちょう)」と「盤渉調(ばんしきちょう)」の3曲が有るが、結婚式で使うのは「平調:越天楽」を演奏するんや。先ず、曲に入る前に「平調音取(ひょうじょうのねとり)」という短い曲を必ず演奏する。「音取(ねとり)」は楽器のチューニングを確認するためのもので、オーケストラ演奏の前にオーボエで「A(ラ)」の音を出すのと同じやけど、それを曲のようにしたものなんや。音取が終わり琵琶(びわ)を床に置いた微かな音を聞いて「鞨鼓(かっこ)」が撥(ばち)を両手に持つ。その動作を見て「龍笛(りゅうてき)」の主管が一人で「越天楽」の演奏を始める。この部分を「音頭(おんど)と言うんや。「音頭取り」の音頭はここから来ている。その音頭の1フレーズが終わる半拍前に太鼓が左手で小さく「ズ~ン」と鳴らす。そのタイミングで「笙(しょう)」が「ビャ~ン」と演奏を開始する。そして太鼓が「ド~ン」と鳴ると同時に全員が演奏を開始する。........という流れが決まっている。

ところが、この一発目の太鼓はタイミングが早くても遅くてもアカンので、太鼓の演奏者は強烈なプレッシャーを受けているんや。そこで往々にして”打ち損じる”。こんな真っ青な状態の事を「拍子抜け」と言うんや。これが「吉本新喜劇」で有れば、全員がズッコケるところやけど、神聖なる雅楽の世界ではそれは出来ひん。演奏者全員が頭の中で「オイ!」と叫んでいるんや。後で、太鼓叩きは全員に土下座をすることになるんや。

現在一般に使われている「拍子抜け」の意味は平安時代から変わっていないが、学校で習う「拍子」とまるで話が違うのは、明治初期に宮内省雅楽部の楽士が洋楽の「ビート」を誤って「拍子」と翻訳してしまった事がそもそもの始まりなんや。その間違いが未だに学校の授業で使われているんや。
「長調」とか「短調」も間違いやし、「ドレミファソラシド」が「ハ二ホヘトイロ」のままだったり。明治時代に決めた事が150年経った今でも使われているんや。

パソコン大魔神 奥の院NO.4 憲法記念日に「民法」を考えよう。」と同じ問題が音楽の授業でも未だに行われている。そう考えると医学部も明治時代のドイツ語混じりの変な医学用語を未だに教えている。とにかく「文部省学習指導要領」は一度全部見直さなアカンやろ!。
(22/06/28)


NO.25 イイ加減考えなアカン 日本の教育(3)


頭のリハビリ(13)「大学共通テスト」って何なんや

「ウ~サン」が大学を一応卒業したのは昭和49年(1974年)や。エライ昔の話や。その頃は「大学共通テスト」なんて無かった。勿論、その前の「センター試験」も無かった。学校毎に問題集が有って、それで学校の考え方を逆に吟味出来た。例えば「この大学は成績のイイ奴だけを集めようとしてるな!」とか「この学校は企業で使える人間を育てようとしてるな!」とか、入学試験の問題集で有る程度判断が可能やった。そやし未だに「大学共通テスト」の存在が理解出来ない。

こう言う発想は、中国の「科挙(かきょ)」の試験が基本になっている可能性が高い。かつての中国で「隋」の時代から「清」まで1300年も続いた「官僚登用試験」や。こういう制度は、日本、韓国、ベトナムで行われていたが、あくまで官僚のための採用試験なんや。それが何故「大学共通テスト」として存在しているのか?。まさに、”時代錯誤”の象徴やろ!。

そこでネットで調べて見ると「試験問題」や「解答」がPDFでダウンロード出来るやないか。そこで、去年の問題を幾つか調べて見たんや。すると「こんな問題、実社会の何処で役に立つんや?。」という寝ぼけた問題ばかり並んでいたんや。つくずく「こんなアホな試験を受けずに大学に入れて良かったなぁ~。」と思う。逆に、こんなアホな試験で人生が決められる現代の子供達は哀れやな~と思う。

そこで「ウ~サン」は奮起したゾ!。
「世界一の信頼性のLEDを開発」し、「DOS/Vマシンを世界標準にした」”ウ~サン”や。こんなアホな制度、絶対潰したるわ!。

それにしても大変や。日本最大の詐欺師集団「財務省」は潰さんならん。「東京天文台」と「JAXA」は放っとくとして、「文部科学省」も潰さんならん。アホの象徴「弁護士」と「裁判官」も潰さんならん。税金に群がる寄生虫「日本税理士会」も潰さんならん。何千億円もの給付金詐欺を働いた「日本医師会」も潰さんならん。何より物価が上がっているのに年金の支給額を引き下げた「厚生労働省」は最優先ターゲットや。木端微塵にしたる。もうこうなったら「高齢テロリスト」やな~。
死んでる場合や無いがな!。

これからの投稿を楽しみにしてや~!。
(22/06/29)


NO.26 A級戦犯「旧厚生省」の実態(1)


頭のリハビリ(14)「消えた年金問題」の真相(1)

戦後の日本の歴史の中で「60年安保」「ロッキード事件」に勝るとも劣らない事件「消えた年金問題」の真相を暴露しよう。「ウ~サン」がローム株式会社を退社した後、日本IBMの仕事の延長で、実際にこの事件の裏側をこの目で見て来た。これまで話す機会が無かったので、公にはして来なかったが、現在でも続く「特殊詐欺」に繋がる大問題が有ったんや。これから話す話は、当事者でも知る人は少ない。テレビドラマか映画にしてもイイ様な内容や。心して閲覧願いたい。

時は1992年(平成4年)頃やったと思う。当時は「厚生省」と「労働省」が統合する前、京都駅近くの「下京社会保険事務所」に用事で行ったところ「ウ~サン」に見せたい物が有ると課長に案内されて3階の秘密の部屋に通されたんや。そこには真新しいコンピュータが並んでいた。台数は4台ほど、一台ごとに「OCR装置」とプリンタが接続されていた。「お~、いよいよ社会保険庁もコンピュータ化するんや!」と褒めてやったが、「何時から稼働するんや?」と聞くと「当分、無理やろ!」という話。聞けば現在手書きで処理している台帳を「OCR」で読ますことが難しいとの事、「なら、データ入力はどうすんや?」と尋ねると「本庁の方で全部やるらしい」という事やった。「それなら、本稼働するまでパソコンとして使ったら?」と言うと「パソコンのソフトは使えないんや」と残念がっていた。

マシンは「沖電気」製の特注品で、OCRもプリンタも「沖電気」製やった。恐らく、ホスト・マシンは「UNISYS」の大型汎用コンピュータで、専用回線で接続されていたんやと思う。これは想像やけど、紙の台帳を手入力するのが困難なので、台帳をOCRで読み込ませようと考えた迄は良かったが、当時の通信回線は速度が遅かったために手書き文字を処理する事が困難やったのが後で判って、システム全体が宙に浮いてしまった。.........と言う事やと思う。当時はパソコンも処理能力が低く、俗に「バカチョン端末」という「ホスト・エミュレーション端末」の能力ではOCRを機能させる事が出来なかったんやろ。
年金データというのは高度な個人情報なので、データ入力を外部委託しなくて済むようにOCRを標準装備したが、思い通りには行かんかった。......という事ちゃ!。しかし、当時としてはセキュリティを考えて端末毎にカードリーダーが搭載されていて、IDカードが無ければ電源が入らんようになっていたのはサスガやった。

この頃は、この問題が安倍内閣を追い詰め、政権交代が起きるという事までは想像出来ひんかった。

その後、日本IBMの仕事で東京出張が多くなり、そこで大型コンピュータ関連のソフト開発会社と話す機会が有り、「最近、大量のデータ入力を請け負って忙しい」という話を聞いた。何でも「NTTデータ通信(株)」から、大量のデータ入力を依頼されたが、人手が足りないので台湾の下請けソフト会社に外注している....との事。それでも人手が足りないので、台湾から中国本土の上海の下請けに出している....という話も聞いた。「そんなんアリ?」と尋ねると、「中国人なら漢字が読めるしなぁ~」という話やった。これが、マサカの「年金データ」とは思わへんかった。

今にして思えば、NTTが民営化されたのが1985年、NTTデータ通信(株)が発足したのが1988年や。当時の「厚生省」から見れば「NTTグループ」は感覚的に「日本電信電話公社」のままや。高度な個人情報を民間企業に外部委託するという感覚は無かったんやと思う。NTTデータも発足して間も無い状態やったので、大仕事に飛び付いたわけや。ところが、その頃のNTTはマイクロウェーブ回線化と自動交換機への転換が進んで、交換手の女性職員が殆ど居なくなっていた。頼みのNTTにも人手が居なかった。そこで、大手ソフト会社に外注する策に出たが、そこでも人手が足りなかったので漢字が読める「台湾」「中国」とデータが流れたというカラクリや。

そこで起こった大問題は、「台湾人」はともかく「中国人」は訓読みが判らない。
フリガナを間違えて、まるで別人になってしまったんや。

そして2007年第一次安倍内閣の時に、約5,095万件もの持ち主不明の年金記録の存在が発覚した「消えた年金問題」となる。



-「消えた年金問題」の真相(2)へ続く-
(22/06/30)


NO.27 A級戦犯「旧厚生省」の実態(2)


頭のリハビリ(15)「消えた年金問題」の真相(2)

「消えた年金問題」が発覚した2007年、間が悪い事に政権の座に居たのが「安倍晋三」総理やった。「消えた年金問題」=「安倍晋三」というのは完璧な”濡れ衣”やったが、自業自得なのか日頃の態度が災いしたのか、体調悪化を理由に退陣。当時官房長官やった「福田康夫」総理にバトンタッチ。更に「麻生太郎」総理で自民党政権は国民の信を失い、2009年9月に民主党「鳩山由紀夫」総理に政権交代する事となった。
「社会保険庁」はマスコミ等から”犯人扱い”されて廃止となり、翌2010年1月に「日本年金機構」と名前を変えた。しかし、単に名前が変わっただけの話で、まさに「頭隠して尻隠さず」、とにかく「旧大蔵省」と同様「社会保険庁」という”悪いイメージ”から逃れるためだけの誤魔化しやった。

さて、ここからが「哲学」の世界や!。何故、こんな事になったのか考えて見よう。

高度な個人情報が、ほぼ無節操に海外流出していた時期から、それが実害となって発覚して世間で騒がれるようになるまでに15年かかっている。事件が発覚する15年前何が有ったのかを遡って考えて見よう。
この「消えた年金問題」のそもそもの原因となるような具体的な事件は、幾ら思い返しても思いつかない。ただ、今では考えられないような好景気に沸いて世の中全体が”大きなうねり”の中に有った。そこで、見えない原因を見えるようにして見よう。
そもそもの原因は、更にその20年前、1972年に制定された「男女雇用機会均等法」に有るのでは無いか。......と言う、あくまで「ウ~サン」の推測や。

1972年は昭和47年、「シバケン」さんが(株)東洋電具製作所に入社して3年目、「ウ~サン」は東洋電具という会社の存在さえ知らず、ひたすら体育会自動車部のボロ車の下で油まみれになっていた。
その頃の出来事は、1月にグァム島で横井さんが発見され、2月には「札幌オリンピック」が開催、”日の丸飛行隊”と言われた笠井さん達が70m級ジャンプ(現ノーマルヒル)で金・銀・銅メダルを独占、その月には軽井沢で「あさま山荘事件」が発生、5月には大阪で「千日デパート火災」が発生、6月には田中角栄が「日本列島改造論」を発表、7月に「佐藤栄作」内閣が退陣し「田中角栄」内閣が発足、刑事ドラマ「太陽にほえろ」が放送開始、8月は「ダイエー」が「三越」を抜いて小売日本一となり、9月は「日中国交正常化」、必殺シリーズ「必殺仕掛人」が放送開始、10月には上野動物園にパンダの「ランラン・カンカン」が初来日、11月には「北陸トンネル列車火災事故」が発生、まさに「激動の昭和47年」やった。
この「男女雇用機会均等法」が施行されたことにより、急激に女性の高学歴化が始まった。

それまで、女の子は高校を卒業すると「事務員さん」か「女工さん」と相場は決まっていたが、「女子大生」という選択肢が増えた。全国各地で「女子大」の新設や定員増やす動きが活発になった。その結果、全ての業種で「事務員さん不足」が発生、その打開策として「事務処理のコンピュータ化」が水面下で始まった。そして.....、

1985年、日本電信電話公社が「NTT」として民営化され、これを契機に”バブル経済”が始まった。”花の女子大”を卒業した女性達は大手企業に「総合職」として入社、過去には考えられない高収入を得て”ディスコ”で踊り捲り、海外旅行で高級ブランド品を買い漁った。この頃になると企業や官公庁での人手不足は増々深刻化し、その打開策として「派遣社員」に頼るという風潮になり、大手の「人材派遣会社」がこの時期に操業を始めた。その「人材派遣会社」での問題を規制するために、1986年に「労働者派遣法」が制定された。そのような社会の変化の渦に「社会保険庁」も巻き込まれてしまったんやろな~!。


"悪の象徴”とされた「社会保険庁」はむしろ被害者やったんか!
(22/07/01)


NO.28 A級戦犯「旧厚生省」の実態(3)


頭のリハビリ(16)「消えた年金問題」の真相(3)

「消えた年金問題」が発覚した2007年から遡ること15年、1992年というのは”バブル経済”絶頂を過ぎ、チョット雲行きが怪しい時代やった。しかし、多くの”バブル世代”の面々は、「まだまだ行けるやろ!」と、やや楽観的に考えていた。まあ、人間という動物は楽観的に考えて来たから進化できたんや。もし、ネズミの様に何時喰われるか判らん状況でビクビクして生きていたらネズミのままやったやろ~。ただ、余りにも楽観的過ぎた。

女子大卒の”お嬢様”方が芝浦の「ジュリアナ東京」や六本木・麻布十番の「マハラジャ」の”お立ち台”で踊っていた頃、世の”オジサン”達も別の所で踊っていたんや。
本題から外れるが、今では考えられない”バブル経済”の一端を話そう。今だから言える事やけど「良い子は絶対に真似をしないように!」。

1988年 「ブリヂストン」がアメリカのタイヤメーカー「ファイアストン」を買収。
1989年 「ソニー」が「コロンビア・ピクチャーズ」を買収。
1989年 「三菱地所」が「ロックフェラーセンター」を買収。
1990年 「パナソニック(当時松下電器)」がハリウッドの「MCA」を買収。
1991年 「ホテルニュージャパン」の元社長「横井英樹」が「エンパイア・ステート・ビル」を買収。
1992年 「任天堂」の社長「山内溥(やまうち ひろし)」がメジャー球団「シアトル・マリナーズ」を買収。

余りに度が過ぎたため、ついにアメリカを怒らせてしまったんや。この頃の政権は「宮沢内閣」、政治の世界でも大波乱が起きたんや。自民党の内部で「宮沢降ろし」の風が吹き荒れ政権が弱体化した間隙を縫って、アクシデントのような政権交代が起きてしまった。

1993年8月 日本新党「細川護熙(ほそかわもりひろ)」内閣誕生。ところが翌年の4月に突然の辞任。
1994年4月 新生党「羽田孜」内閣にバトンタッチ。しかし、2か月後に内閣総辞職し、
1994年6月 社民党「村山富市」内閣誕生。何と「自民党」と「社民党」が連立を組んで政権を奪還した。ところが.......
1995年1月 「阪神淡路大震災」が発生、その時の「村山内閣」の対応が問題になった。
1995年3月 「オウム真理教」による「地下鉄サリン事件」が発生、「村山内閣」は8月に退陣。
1996年1月 自民党「橋本龍太郎」内閣に引き継がれた。

ここから”バブル経済”崩壊が表面化したんや!。ちまたでは多くの企業が新規採用を停止し、大学を卒業しても就職出来ないという「就職氷河期」が始まったんや。特に金融機関は多額の不良債権を抱え、経営破綻は免れても合併して人員削減を強いられた。俗に言う「失われた30年」というのはバブル絶頂の1990年から後の事を指す。

1996年4月 「三菱銀行」と「東京銀行」が突然の合併「東京三菱銀行」と名前が替わった。
1997年11月 「北海道拓殖銀行」が経営破綻。「山一證券」が自主廃業。
1998年3月 「日本長期信用銀行」が経営破綻・一時国有化された。

政治の世界では、経済の混乱をまともに喰らって昏迷状態になる。

1997年4月 「橋本龍太郎」内閣は消費税率を5%に上げたため、消費や景気の低迷を招いた。7月の参院選で敗北し退陣。
1998年7月 自民党「小渕恵三」に引き継がれたが、在任中に突然死去。
2000年4月 自民党「森喜朗」内閣に引き継がれ、翌1月に中央省庁再編により、「厚生省」と「労働省」が統合して「厚生労働省」となる。
2001年4月 自民党「小泉純一郎」内閣が自民党総裁選挙で勝利して発足。

ところが、アメリカでは大変な事件が起きて、「経済対策」なんて言っていられない状況になってしまった。

2001年9月 「ニューヨーク同時多発テロ」発生。
2003年3月 「イラク戦争」勃発

2005年   「個人情報の保護に関する法律」全面施行

何と、高度な個人情報がほぼ無節操に海外流出していた1990年頃から15年もかかって、やっと規制の網がかかった。そして......

2006年9月 第1次「安倍内閣」発足
2007年9月 健康上の理由により第一次「安倍内閣」は総辞職となる。

「消えた年金問題」の最初の話に戻った。しかし、こうして年表のように並べて見ても何も”見えて来ない!”。そこで、これら政治・経済の流れにコンピュータ業界の流れを重ねると何かが見えるかも判らない。よ~し、やって見ようやないか。こんな事を考える奴は後にも先にもおらんやろ!。何せ、年金生活者は暇なんや!。


1990年頃から2005年までの15年間、個人情報は”野放し状態”やった。「社会保険庁」は「厚生省」と「労働省」の統合の狭間で自力で問題解決を強いられた。考えて見れば可哀そうな話やな~!。”助け舟”だと思った「厚生省」から魚雷が発射されて撃沈したという事か!。


-「消えた年金問題」の真相(4)へ続く-
(22/07/02)


NO.29 A級戦犯「旧厚生省」の実態(4)


頭のリハビリ(17)「消えた年金問題」の真相(4)

”バブル経済”の崩壊が足元でジワジワと始まった1990年、実はコンピュータの世界では画期的な事が起きていた。日本IBMが「DOS/V」を発表したんや。開発自体はマイクロソフト社に発注して作らせたが、公表したのはIBMが先で、マイクロソフト社が公表したのは翌年の1991年なんや。
この「DOS/V」の構想は「ウ~サン」がIBMに持ち込んだんや。香港のユーザーにIBM PS/55を設置した時、現地で使用できるOSは「中文DOS」だけやった。この「中文DOS」は英語版MS-DOSをベースに中国語のフォントが使えるという変なDOSやったんや。ところが、便利な事に英語版「マルチプラン」が動いた。また、当時は使い物にならなかった「英語版Windows 2.0」も動いた。そこで、パソコンの企画をやっていた「IBM六本木事業所(本社ビルの隣に有った)」の蔦澤(つたざわ)さんと河合さんに「英語版MS-DOSベースで日本語フォントが使えるDOSが要るで!」という話をした事から「Windowsが動くんだったら、やって見るか!」と言って実現したものが「IBM DOS 4.0/V」やった。この「/V」は、英語と日本語が使える「バイリンガル(Bilingual)」の意味で、本来なら「DOS/B」とすべきところ「DOS/V」の方が「カッコいいやろ!」というフザケタ理由で命名したんや。
ウィキペディア(Wikipedia)には、「VGA」のVとか「Victory」のVとか「Variable(可変)」のVとか書かれているが、実際は「バイリンガル」の意味なんや。まあ、決めた本人が言っているので間違い無い。(ど~でもイイ話やけど)

この半分冗談で作った「DOS/V」がその後ド・エライ事になるとは全然思わんかった。何とコンピュータの世界を変えてしまったんや!。
ただ、何処で誰が間違えたか知らないが、「IBM PC-AT互換機」の事を「DOS/Vマシン」と呼ぶようになってしまった。

さて、また「社会保険庁」の話に戻ろう。

ここからは大型汎用コンピュータの世界の話になる。何せ、ほぼ全国民を管理するコンピュータとなればパソコンの世界の話では無いので「DOS/V」の事は忘れてクレ。
当時、大型コンピュータを使っていたのは銀行と保険会社と国鉄の「みどりの窓口」くらいのものやった。銀行と保険会社は殆どが「IBM」か「日立製作所」やった。ところが、「日立製作所」は国策で”IBM互換路線”やった。そうなると、銀行と保険会社は完璧なIBMの世界や。当時「富士通」は”蚊帳の外”状態やった。勿論、この頃は「日本電気」「東芝」「三菱電機」、外資系では「ユニバック」も凌ぎを削っていた。しかし、激烈な競争の中でポロポロと脱落して行ったんや。
銀行と保険会社が圧倒的にIBMの世界やったのは、そもそもOS自体が金融機関用とか保険会社用とかに分かれていて、ソフト開発をする必要が無かったからなんや。つまり、銀行も保険会社も元々アメリカの文化や。「カタカナ」さえ使えればアメリカのまんまや。そんなもんアホでも出来る。

ところが、「年金制度」は国の事情によって千差万別で統一されたものでは無いんや。ちなみに日本の場合は1876年(明治9年)に「陸軍恩給令」が公布されたところから始まり、1923年(大正12年)軍人、官吏、教職員などの恩給制度を一つにまとめた「恩給法」が制定され。現在の制度になったのは1942年(昭和17年)近衛内閣の時代にナチス・ドイツの年金制度を手本として「労働者年金保険法」が施行されたのが現在も続いている。あまり考えたくは無いが、多分に戦費調達の要素も有ったんや。

問題の「社会保険庁」は「厚生省年金局」が余りに大きくなり過ぎたため霞が関には監督部門を残して1962年(昭和37年)杉並区高井戸の井の頭通り沿いに「厚生省の外局」として業務部門を移転した。
コンピュータ化の経緯は、
1967年(昭和42年) オンラインシステム検討開始 
1974年(昭和49年) オンラインシステムの導入開始。
1986年(昭和61年) 基礎年金制度の導入。
1989年(平成元年) オンラインシステム全体が完成。
1997年(平成 9年) 基礎年金番号の導入。
1998年(平成10年)基礎年金番号への国民年金番号・厚生年金番号の統合を開始。

これを公開されている随意契約や会計検査院の資料と照合すると、
「年金記録管理システム」は1980年(昭和55年)~1985年(昭和60年)まで「日本電信電話公社」に、
1988年(昭和63年)まで「日本電信電話(株)」に、1998年(平成10年)までは「NTTデータ通信(株)」に、
「基礎年金番号管理システム」は(平成 8年)以降「(株)NTTデータ」に、
「ソフトウェア開発委託契約」が「日立製作所」に、
「コンピュータの賃貸契約」は「日立製作所」と「日本電子計算機(株)」莫大な金額が支払われている。

これらの資料から推測すると、「社会保険庁」の年金システムは「旧・電電公社」と「日立製作所」に丸投げしたと言える。そやし、こんな事になってしまったんや!。
コンピュータ本体は高井戸の「事務センター」では無く、三鷹と三田の「NTTデータ通信」に置かれている。
これでは、上手く行く筈は無い。高井戸の事務センターと全国の「社会保険事務所」では職員の不満が表面化し、モラル低下を招いたんや。
これも全て監督部門の「厚生労働省」が原因や。


「社会保険庁」を廃止して「日本年金機構」に移行したのは「国鉄民営化」で使った手口と同じ”労働組合員排除”が目的やったんや。
やはり、監督官庁の「厚生労働省」はA級戦犯やった。


-「消えた年金問題」の真相(5)へ続く-
(22/07/03)


NO.30 A級戦犯「旧厚生省」の実態(5)


頭のリハビリ(18)「消えた年金問題」の真相(5)

さあ、これで全ての役者が揃った。
ここから「社会保険庁:消えた年金問題」のストーリーを組み立て行こうやないか。この「消えた年金問題」はネットで調べると山程ヒットする。しかし、どのサイトでも事件の上っ面を批評しているだけで、「何故、こんな事になったか?」まで吟味している記事は無い。つまり、ネットに出ている膨大な情報は、殆どが”上っ面を舐めている”だけの物やという事や。こんなガセとは言わないが薄っぺらな情報を引用したり、転載しても意味が無いことを判って欲しいんや。

ちなみに「哲学」( philosophy フィロソフィー)は「物事の真理を追究する学問」で、全ての学問は「哲学」を頂点としている。つまり、「哲学」の無い学問は「学問」では無い。これは「ウ~サン」の勝手な個人的見解やけど、世に言う「経済学」と「法学」は「あんな物はクソ学問で”学問”なんかや無い!」と思っている。実際「バブル経済」を論じる時に「何故、あんなアホな事が起きてしまったのか」を考えてこそ「学問」であり、起きた現象を並べるだけでは「バブル経済」を論じたことにはならない。「法学」も、「なんでこんな条文が要るんや!」という事を考えるのが「法学」という学問で、ただ条文を暗記するだけなら”九官鳥”と変わらん。
「消えた年金問題」がナンデ起きたんかを考えてこそ「学問」なんや。年金で生活している我々”要らん人間”は釣りとかゴルフなんかしている場合や無いんや。過去の行いを懺悔(ざんげ)し、二度とアホな事が起きないよう反省してから死ななアカンのや。そやないと、生きてたことが無駄になる。

-「消えた年金問題学」のすすめ-

この、思わず笑ってしまうような「新学問」は「政治学」「経済学」「法学」「心理学」「情報工学」「民俗学」「言語学」などを統合したものである。

時は「昭和」の末期、昭和初期の「太平洋戦争」敗戦の暗闇から脱却し、多くの日本国民が平和で安定した生活を謳歌していた頃のお話。
東京の霞が関村に「厚生省」という国の行政機関が有りました。その西側の桜田通りを挟んだ向かいに「大蔵省」という威張りくさった官庁が有りました。この霞が関村から少し離れた東京駅と皇居の間の大手町に「郵政省」という行政機関が有りました。
この物語は、この「厚生省」「大蔵省」「郵政省」の三つ巴の戦い「中央官庁版:三国志」そのものなんや!。

中央官庁の力関係は”如何に国民の金を集めるか”で決まると言っても過言では無い。従って、最も強力な官庁は「大蔵省」で「日本銀行」を頂点とする”金貸し”である「銀行」を傘下に持ち、「国税庁」を筆頭にした全国の「税務署」が国民から”みかじめ料”として税金を集めるというヤクザ組織の頂点に君臨する圧倒的なパワーを持っていた。それに対抗する金集め官庁が「厚生省」で「病気になったら大変でしょ!」とか「会社を退職したら収入が無くなるでしょ!」と国民に不安を与えて金集めをしていたんや。”しのぎ”としては「大蔵省」ほど悪質では無いが、国民の不安を掻き立てて稼ぐというのは、あまり歓心する話では無い。その点、電話事業や郵便事業でコツコツと稼いで来たのが「郵政省」や。ただ、郵便貯金と簡易保険で金集めをしていたのが唯一の問題点やった。

「大蔵省」にして見ると、「厚生省」はともかく「郵政省」が金集めをやっているのが面白くない。そこで、「日本電信電話公社」を民営化して”株”を売ったらひと稼ぎ出来るやろ......と考えた。その目論見は見事に的中、株価がドンドン上がり好景気になった上に税収も増えた。ところが、企業の資金調達方法が銀行融資から証券市場に流れて”手下”の銀行達が悲鳴を上げ始めた。そこで「大蔵省」は「住宅ローンをやれ!」と個人金融を解禁し、これが”バブル景気”を招いてしまった。
「大蔵省」が余計な事をしたために、行き場を失った「日本電信電話公社」の職員は「厚生省」に泣きついた。「厚生省」は”年金事務”の機械化を検討していたので、快く受け入れ、「社会保険庁」の意向を聞かずに「旧:電電公社」の職員に丸投げした。
ところが、複雑怪奇な日本の年金制度に素人集団の「NTTデータ」と「日立製作所」が予想外の苦戦を強いられた。この過程で「消えた年金問題」が発生した。そこで、「何しとんねん~!」と現場の「社会保険庁」職員が反乱を起こした。そこで「厚生省」は強硬策として「日本年金機構」を設立し、職員525人を”分限免職”し反乱軍を鎮圧した。

「大蔵省」は銀行からの接待「ノーパン・しゃぶしゃぶ事件」という”下ネタ”で「財務省」に改名し、謹慎中。
「厚生省」は「労働省」と合併して「厚生労働省」と改名。終戦処理に追われ、更に「新型コロナ」のパンデミックでボロボロに。
「郵政省」は「総務省」に合併され、「かんぽ生命」の不正契約事件で謹慎の身である。

.....という筋書きや。残念な事に”ハピーエンド”にはならんかった。

そこで、最後に「ウ~サン」が解決策を授けて進ぜよう。
まず、霞が関の「厚生労働省」の敷地に「社保神社」を建立し、毎年12月31日の大晦日に分限免職した職員の霊を慰めることや。そして、京都の「祇園祭」のような巡行を桜田通りから「大蔵省」の横を通って「日比谷公園」まで行い、盛大な”慰霊祭”を行うこっちゃ!。
そうでもしなければ「厚生労働省」に執り着いた”怨霊”は永遠に祓うことは出来んやろ!。


- 完 -
(22/07/04)


NO.31 A級戦犯「旧厚生省」の実態(6)


頭のリハビリ(19)「消えた年金問題」の真相(まとめ:1)

前回、”バブル景気”から”バブル崩壊”、そして「社会保険庁」廃止から現在まで40年ほどの大まかな時代の流れを考えた。この半世紀にも満たない短い期間に色々な事が有った。戦争こそ無かったが、大きな災害や大事故も沢山有った。その中で「消えた年金問題」など些細な話かも判らん。しかし、避けようと思えば避けられたかも判らない。そこを考えなければ同じようなトラブルは今後幾度なく起きる可能性が有るんや。そこで、何処でどう間違ったかを考えて見よう。

そもそもの原因は、国民の財産を横領したに等しい「日本電信電話公社」民営化に有る。従って「電電公社を民営化したら、年金が消えた」という話になる。これは「風が吹いたら、桶屋が儲かる」という話と同じで、何の説得力も無い。この物語に登場するエピソードの夫々の場面で判断ミスが有った。その積み重ねで、結果として”年金が消えた”....という事なんや。それをシッカリ検証し反省の材料としよう。

しかし、こんな事を”元半導体エンジニア”の「ウ~サン」がしなければならんのか。世の「経済学者」は何をしてたんや!。そやし、「経済学」なんて”クソ学問”なんや。あまり言いたくは無いが「一橋大学」なんて要らん大学や!。(文句が有るなら反論して来いや!、受けて立ってやるわ!)


-公営企業の民営化の問題点-

物凄く基本的な問題が、実はこれまで慎重に検討されていなかったんや。基本的に役所の世界は「収支会計」でお金の出入りしか管理していなかった。ところが民間企業は「貸借対照表」と「損益計算書」の財務諸表でお金に出入り以外に「資産」と「負債」も管理する必要が有るんや。つまり、お役所の世界には「資産」「負債」という概念が無い。従って、公営企業を民営化する場合「土地・建物・設備」をどう評価するかで大きく違って来る。「日本電信電話公社」の場合、「土地」は国有地、「建物・設備」は「電話債券」が原資になっているので「負債」勘定にしなければならない。それを誰が間違えたか「資産」勘定にしてしまったことが、そもそもの間違いやった。しかも、株式上場時に”入札”としたため株価がベラボウな額になってしまったんや。その大ボケに信託銀行も証券会社も誰も気付かなかった。後に大赤字で民営化した「日本国有鉄道」と「日本電信電話公社」では根本的に企業の成り立ちが違っていたんや。
この責任は、「NTT」の財務諸表を認定した「監査法人」に有る。監査法人の「公認会計士」がOKを出せば、如何にデタラメな財務諸表でも”正しい”とされる制度に重大な欠陥が有る。この”監査法人”がOKを出せば「信託銀行」も「証券会社」も「東京証券取引所」も「それって無いやろ!」とは言えない。
その結果が”バブル経済”の引き金になってしまったんや。


-株価高騰によって企業の資金調達方法に変化が-

「大蔵省」が大きく判断を誤ったのは、多くの上場企業が資金調達の方法を”面倒な”「銀行」から「証券市場」に急展開したことを予測出来なかった事や!。「NTT株」の入札結果が予想を大きく超えたため、誰でも「ゴチャゴチャうるさい銀行から金を借りるより、新株を発行する方が簡単に金集めが出来る。」と思うやろ!。企業というのは、そこまで節操が無いという事を「大蔵省」は予想せんかったんや。もちろん、「NTT株」の株価がイカサマだったことは誰も気付いていなかった。


-巨大なサラ金と化した銀行-

大手上場企業が銀行取引を減らしたことで、「銀行」に資金が滞留し、収益が急激に悪化した対策として、それまで農協系の「住専」だけに限られていた住宅ローンの取り扱いを一般銀行に解禁したのが「大蔵省」の”大失敗”。実際に蓋を開けて見ると、住宅ローンよりも「土地転がし」「地上げ」「ゴルフ場開発」「偽リゾート開発」など反社会勢力に多くの資金が流れ、空前の”バブル景気”を演出してしまったんや。「住宅ローン」だけやったらこんなザマにはなっていない。銀行の裏で「政治」が動き、それが反社会的勢力に流れた結果、下品な”バブル”になったんや。(後に反社勢力に流れた資金が”不良債権”となる)


-バブルの火消しの大失敗-

「大蔵省」「日銀」は”バブル景気”の火消しに「燃料カット」という最悪の手段を取ってしまった。つまり「総量規制」という上限設定をしたために”急降下”どころか”墜落”してしまったんや。これに怒った「銀行団」はマスコミに「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」をリーク。まさかの”下ネタ”攻撃に対抗できず「財務省」に改名して謹慎。銀行は「金融庁」の傘下に格下げとし、未だに睨み合いが続いているんや。自業自得とは言え「大蔵省」は可愛いところが有る。



中央官庁の話とは思えないレベルの低さや。しかし、所詮「人がやる事」、町内会の喧嘩と根っこは同じや!。


-「消えた年金問題」の真相(まとめ:2)に続く-
(22/07/06)


NO.32 A級戦犯「旧厚生省」の実態(7)


頭のリハビリ(20)「消えた年金問題」の真相(まとめ:2)


-「年金システム」が何故「NTTデータ」に-

「年金システム」を民営化前の「日本電信電話公社」に発注することになった経緯は、直接当事者でないので正直判らない。「NTT」になる前の事なので、当時の「日本電信電話公社」が暇やったという事は考えにくい。ただ「電電公社」内部では当然民営化の件は話題になっていた筈で「民営化になったらどないなるんや?」という不安は有ったと推察できる。「電電公社」は膨大な数の加入者を抱え、その請求業務は1通話単位の細かなデータの処理であったため、国内最大規模のコンピュター・システムを維持管理していた。その部隊は民営化後「NTTデータ通信(株)」となっている。この巨大なコンピュータ・システムを運用するためには、国内最高レベルのシステム・エンジニア集団が必要で、実際にその通りやった。そのSE部隊が当時の「郵政省」に働きかけて当時の「厚生省」に提案活動を行ったとすれば、十分に考えられる。「厚生省」としては自力でシステム開発をするのは困難やと考えていたので、まさに”渡りに船”となったわけや。
しかし、日本の年金業務は明治時代から続く”ナチス・ドイツ”式の複雑な制度やったため、「社会保険庁」は「そんなん、無理やろ~!」と「厚生省」の話を蹴った可能性が高い。現場の「社会保険庁」にして見れば”マイナンバー制度”が最低限不可欠で、かつ、すでに亡くなった人の情報管理も必要なので、そこは「電電公社」とは世界が違っていた。そこで「厚生省」の”偉いさん”達は「社会保険庁」抜きで行け!.....と、見切り発車した可能性が考えられる。
これが”素人”の恐ろしいところで、トランプの様なアホな奴が「厚生省」の上層部に居たんやろ。


-何故「社会保険庁」が蚊帳の外に-

「社会保険庁」が蚊帳の外に置かれたと思われる大きな理由は、1980年(昭和55年)から支払いが始まっている「基礎年金番号の導入」や。もし最初から「社会保険庁」が絡んでいれば、「加入者番号」を統一しなければならない事は判っていた筈。それが「年金記録管理システム」の導入開始から6年経って慌てて追加している。恐らく、年金記録を紙台帳やマイクロフィルムからデータ入力する時点で”個人の紐付け”が出来ない事が判明、そこで後付けで「基礎年金番号」を追加したという事やろ。「台湾」や「中国」に外注したデータ入力がデタラメやった事が発覚、”ふりがな”での紐付けが出来ない事が判明し、恐らく内部では大パニックになっていた筈や。従って、「消えた年金」はこの時点で発生していた筈や。後に「社会保険庁」が反乱を起こしたのは、「もう、見てられへん!」と立ち上がったからやと思う。
その「社会保険庁」の善意の反乱に対して「厚生労働省」は”ヤミ専従”問題や”国民年金保険料の不正免除”問題として対抗したから「社会保険庁 VS 厚生労働省」の血みどろの戦いに発展してしまったんや。”年金記録の紐付け”に失敗した事は「厚生労働省」内部で極秘扱いされていたが、2007年「第一次安倍内閣」の時に「社会保険庁」が民主党にリークした事から「消えた年金問題」が世間を騒がす事になってしまったんや。
ここでの大失敗は、「厚生労働省」が現場の声を聞かなかった事や。大きくなり過ぎた組織では良く有る話やけど!。


”バブル経済”も”消えた年金”も、どちらも防ぐことは可能やったんや。要するに「余計な事はするな!」という事や。例えば、「医療保険」の世界は余りにも複雑(....と言うより、滅茶苦茶)な制度なので、未だに手作業で処理している。こんな物をコンピュータ化したらエライ事になるやろ。無理にデジタル化せず、アナログの世界は残して置いても構わない。何もかもデジタル化したら人間が要らなくなってしまう。その辺の加減が難しいところや!。


「消えた年金」問題の話はここで終わりにしたいんやけど、実は”現在進行中”なんや。下手をすると年金そのものが無くなる可能性が出て来たんや。”バブル崩壊”も「第二次バブル崩壊」が間近に迫っているんや。余り聞きたくは無いと思うが、同じ失敗を繰り返さんように心の準備をして置く必要が有る。


-次回は「迫る”第二次バブル崩壊”と”年金が本当に消える”話や-
(22/07/07)


NO.33 A級戦犯「旧厚生省」の実態(8)


頭のリハビリ(21)「迫る”第二次バブル崩壊”と”年金が本当に消える”」


これから話すことは、非常に深刻なことなので、真剣に考えて欲しい。

そもそも”バブル景気”の発端となった「日本電信電話公社の民営化」は、電話加入者に”電話債券”を買わせることで設備投資をした。当時の国家財政では公費負担が出来なかったにも拘わらず、国の財産として計上して株価を算定した。国は国民の財産を横領したに等しい犯罪を犯した。しかし、この犯罪は刑法の枠を超えていたため、犯罪として立件出来なかった。以後、これと同様の巨大犯罪が横行し、現在は「日本国」そのものが”反社会的集団”になったしまったんや。

この「失われた30年」の間に”驚くべき事”に驚かなくなってしまっている。
その顕著な例が「集団的自衛権行使の容認」で、明らかな”憲法違反”を解釈を拡大して「改憲」に等しい事をやってしまった。”憲法違反”は刑法の枠を超えているので、逮捕したり、裁判にかける事が出来ない。ここの隙間を利用して「安倍晋三内閣」は強硬突破してしまった。
同様に「日銀」が発行した”国債”を日銀自ら買い取る行為は、明らかな「市場操作」で誰が考えても違法行為や。株式市場でも”○○ホールディングス”なんて持ち株会社が株を買い支えるのは、明らかな「株価操作」で犯罪やろ!。さらに、昨今問題になっている「タックス・ヘイブン」は明らかな”脱税行為”やろ!。海外の租税回避地に利益を移す方法は、日本の刑法が想定していないところや。もっと凄いのは「年金」の積立金で株式を購入しているのは、明らかな「株価操作」と「政治介入」やろ!。

こんなデタラメがまかり通るのは、普通の神経なら考えられない。日本国全体が「ご乱心状態」になってしまった。問題は、社会全体が「それ、アカンやろ!」と思わなくなってしまった事や。本来で有れば「経済学者」や「憲法学者」や「公認会計士」が怒らないかんのに、こんな事を肯定しているから話にならん!。

これが、江戸時代であれば「天皇の命に背いた」として”朝敵”となり、即刻”近衛兵(現在なら皇宮警察)”に逮捕されて、京都の三条河原に”晒し首”になるところや!。「電電公社の民営化」で国民の財産を横領した「大蔵省」は”天下の大泥棒”として石川五右衛門のように三条河原で”釜茹での刑”や!。
日銀の黒田総裁も、世が世で有れば三条河原で”晒し首”や!。


(ここまで入力した段階で「安倍元総理狙撃」のニュースが流れたので中断、夕刻に死亡が報道された。 -合掌-)

今日の事件は、今後の日本社会の大きな曲がり角になる可能性が有る。ここは、冷静に、冷静に、冷静に事態を見守る必要が有る。
あえて言わせて貰うが「天皇陛下(昭和天皇)の意に反した」報いとしか思えない。


-迫る”第二次バブル崩壊-

正確に言うと、現在はバブル景気では無いので”バブル崩壊”という表現は正しく無いが、1990年後半を彷彿とさせる大恐慌が起きる危険が迫っている。いや、あの時以上の経済パニックになる可能性も考えられる。この30年間での銀行の質の低下は恐ろしいものが有り、何れ窓口業務も大幅に縮小され”ネット銀行”だけが残る事になるやろ。少しでも金利が上昇すれば、多くの「住宅ローン」が焦げ付き、莫大な不良債権を抱える事になる。本来、「住宅ローン」や「カード・ローン」は銀行がすべき業務では無かった筈や。日銀からの資金供給が無くなれば生き延びる銀行は僅かやと思う。


-年金が本当に消える-

年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が年金年金積立金を何と200兆円も運用している。これは、明らかな「市場操作」で違法行為と言わざるを得ない。何と「ロシア国債」まで買っているんや。そうでなくても、過去に「グリンピア事業」で莫大な欠損を出している。お陰で国民年金は満額でも生活保護レベル以下になってしまった。さらに、平成16年小泉内閣の時に導入された「マクロ経済スライド」で、年寄りが長生きすればするほど年金の支給額が下がる仕組みになっている。もし、株価が暴落してGPIFの運用資金が枯渇すれば、年金は消える。そやし、「竹中平蔵」は”ベーシック・インカム”なんて話を持ち出している。要するに「年金財政が破綻したら、生活保護で生き延びよ」という話なんや。ふざけるな!。


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安倍元総理狙撃事件について今後多くの報道が行われると思う。
ここで注意すべきは、政治評論家の話や。
また、「読売新聞」系と「産経新聞」系の報道には要注意や。
安易に引用しないように、心掛けて欲しい。
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-ちょっと微妙な時期なので、しばし休憩する-
(22/07/08)


NO.34 「安倍晋三元総理狙撃事件」(1)


頭のリハビリ(22)-あえて”ガセネタ”を公表する警察に注意-


-しばらく休憩して事態の推移を見ようと考えていたが、無理!-

先ず、”警察からの情報”の多さに違和感を感じる。警察は事件当日や翌日に「容疑者の供述の一部」なんて”絶対”に公表しない。正式な記者会見以外で事件に関する情報をマスコミに流すことは”絶対”に無い。刑事課の捜査官に個人的に取材しても、今の段階で発表できる情報は”一切”無い。

従って「母親が宗教に嵌って、その恨みが.......」という話は、100%ウソやろ。宗教団体の話はマスコミの動きを攪乱するためのものや。

恐らく、奈良県警と警察庁の「公安部」は捜査体制を取っている筈や。ただ、今回の「708事件」は明らかに”奈良県警”の失態なので、奈良県警自体が外される可能性が高い。奈良県警自体が”沙汰待ち”の状態で謹慎処分になっている可能性も有る。
今回の事件は「単独犯」では無いやろ。「公安部」の読みは、「海上自衛隊」の中に支援部隊が有るのか、無いのか.....やと思う。何せ、海上自衛隊は爆発物のプロで、特に「掃海部隊」は世界でもトップレベルや。「たまに撃つ、弾が無いのが、玉に傷」と揶揄される”陸上自衛隊”と「旧帝国海軍」の生き残りである”海上自衛隊”では、勝負にならん。増して、警察庁や警察など束になってかかっても”海上自衛隊”の敵では無い。
現在、防衛省内部でも大変な事になっている筈や。そもそも、防衛大臣が「安倍晋三」の実の弟の「岸信夫」や。

もし「海上自衛隊」が蜂起した.....となれば、「226事件」の再来や。ヤバい世の中になってしもた。

とにかく、この段階で警察が情報をリークする事は”絶対”に無い。有るとすれば”ガセネタ”や。



今回の事件は日本の歴史に残る事件になる。そやし「708事件」と名付けよう。
(22/07/09)


NO.35 「安倍晋三元総理狙撃事件」(2)


頭のリハビリ(23)-山上徹也容疑者の身柄は何処へ-


元海上自衛官の無職山上徹也容疑者(41)の身柄は、現在「奈良県警 奈良西警察署」と言われているが、あそこは狭過ぎて”取り調べ”や”拘留”には適していない。事件の重大性から考えて東大寺近くの「奈良地方検察庁」に”送検”するかに見せ掛けて、「大阪地方検察庁」かヘリで東京:霞が関の「最高検察庁」に送られる可能性が考えられる。「最高検察庁」の隣が「公安調査庁」なので、場所的には問題ない。
午前10時30分段階の報道では「奈良地方検察庁」に”送検”されたとなっているが、今日の参議院議員選挙の結果次第で状況は変わる可能性が有る。

取り合えず、今日の選挙結果が出るまで、動きは無いと思う。問題は、明日からや!。

1932年(昭和7年)5月15日に武装した海軍の青年将校たちが内閣総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣「犬養毅」を殺害した”515事件”とは明らかに違う。もし、自民党が選挙で大勝すると、憲法改正論議が進む事になる。仮に「憲法改正」が進まなくても「集団的自衛権行使」が容認され”解釈改憲”されている。
現在のウクライナ紛争も含めて、台湾有事(無いとは思うが)等の緊急事態が発生し、アメリカ政府からの要請が有れば、真っ先に最前戦に送られるのは「海上自衛隊」になる。「海上自衛隊」は「冗談や無い!」と思っている筈や。

何しろ、現在の「海上自衛隊」は、世界でも有数の装備を保有している。その事を日本国民は気付いていない。
現在ネットで公開されている「船舶位置情報」では、自衛艦の位置情報が一切出て来ない。それが気になるんや!。
(22/07/10)


NO.36 「安倍晋三元総理狙撃事件」(3)


頭のリハビリ(24)-目には見えない巨大な”力”が.....-


皆さんもお気付きと思うが、目には見えない巨大な力が働いている。

まず、テレビCMから「ビール」のCMが7月8日以降消えている。「リクルート」のショ~も無いCMも、「トヨタイムス」も消えた。「日産」や「マツダ」も消えた。すべて「公益法人ACジャパン」の広告に入れ替わっている。こんな事は過去、昭和天皇が危篤やった時と、東日本大震災の時以来の事や。

今回の参議院議員選挙の報道でも、選挙事務所で”万歳三唱”をしている姿は放送されていない。大勝した筈の「自民党本部」でも、まるで”お通夜”の様な状態や。
何より「さあ、憲法改正や!」という人は見事に居ない。「憲法改正」の話は、ほぼ”禁句”のような状態になっている。

「統一教会」の話は、元々ガセネタなので、幾ら追いかけても真相には行き付かない。いずれ”ウヤムヤ”になるやろ。

日本は”そういう国”なんや。自民党が何にビビッているのか、ヨクヨク考えて見よう。
あえて明言しないが、「安倍晋三」元総理は越えてはならない一線を越えてしまったんや。


これを”天誅”と言う。
(22/07/11)


NO.37 「安倍晋三元総理狙撃事件」(4)


頭のリハビリ(25)-目には見えない巨大な”力”の正体-


安倍晋三元総理の告別式も終わり、テレビCMも徐々に以前の状態の戻りつつ有る。この民放のCM規制は、総務省が”民放連”に指示を出した訳では無い。そんな事をしたら、それこそ”言論の自由”に政治が介入した事になってしまう。あくまで「自主規制」の範囲なんや。それで、ここまでの規制になる。今回「自主規制」されたCMは、”喧しい”系のCMで、お笑いタレントが出演するCMは全て「ACジャパン」の広告に入れ替えられた。総理大臣経験者が街頭で銃撃されて殺害されたという非常事態に”そぐわない”と思われたテレビCMが対象になったと考えられる。

こういう”力”が「見えない巨大な”力”」で、イイ意味での「忖度(そんたく)」と言えるやろ。日本人は「縄文人の血を受け継いだ”漢民族”」なので、何か事が起きると一斉に同じ方向を向く傾向が有るんや。こんな国は世界でも「日本」しか無い。

この「見えない巨大な”力”」かつて世界を驚かせた事が有る。それは1945年(昭和20年)8月15日の正午からラジオで放送された天皇陛下の「玉音放送」により、前日に決まったポツダム宣言受諾、及び日本の降伏が国民に公表された。日本政府が軍に武装解除とアメリカ・イギリス・中国などの連合軍への投降命令を発し、連合国もそれを受け戦闘を止めたという「終戦の日」の出来事や。”天皇陛下のお言葉”だけで太平洋戦争が終わるという、欧米人には考えられない事が起きた。
国際的には1945年(昭和20年)9月2日の日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日が正式な「終戦の日」だが、日本では天皇陛下の「玉音放送」をもって”終戦”としている。この2週間のタイムラグに、当時の「ソビエト連邦」が北方4島を占領してしまった。

この様な「見えない巨大な”力”」は大きな災害が発生した時に必ず現れるが、実は日常でも現れている。欧米諸国では多くの市民がマスクを外している。しかし、日本人は未だにマスクを外そうとしない。これは決して”惰性”では無い、理由が有るんや。
結論を言うと「天皇陛下がマスクをしている」からなんや。日本国民は常に天皇陛下の行動を見ている。天皇陛下がマスクを外さなければ、岸田総理も、小池都知事も、尾身会長もマスクを外せない。それを見て国民もマスクを外そうとしない。日本という国はそういう国なんや。

昭和天皇は最後まで「私の決断が、もう少し早ければ広島と長崎に原子爆弾を落とされる事は無かった。」と後悔されていた。また、沖縄についても「もっと早く戦況を聞いていれば、あの様な悲惨な事にはならなかった。」と後悔され、何とか在位中に沖縄訪問を実現したいと願っていたが、侍従たち止められて実現しなかった。案の定、皇太子(現:上皇様)殿下が沖縄を訪問した時には火炎瓶を投げられた。そういう”お気持ち”を日本国民は十分理解している。
特に広島と長崎の原爆記念日には必ず出席されている。人類史上初の原子爆弾投下がアメリカの責任では無く、「自分の責任だ」と感じているんや。

それなのに、「安倍晋三」元総理は「アメリカとの核シェアリングをタブー視せずに(実現に向けての)議論をすべきである」といった主張を始めたんや。これには、上皇様も天皇陛下も激怒した筈や。その事を”以心伝心”で多くの国民が「何言うとんねん!」「それはアカンやろ!」と思った筈や。ここで”一線”を越えてしまったんや!。

今回の狙撃事件の根っこはここに有る。
7月8日の事件は「見えない巨大な”力”」が働いて、奈良県警の”空き”を作り、最悪の結果になってしまった。


昨日の告別式後の葬列は、芝の”増上寺”から「皇居」を避けるようなルートで永田町を周り、品川の斎場に向かった。何でやろ~?。
(22/07/13)


NO.38 「安倍晋三元総理狙撃事件」(5)


頭のリハビリ(26)-後は奈良地方検察庁のお手並み拝見-


おバカなマスコミは、奈良県警の術中に嵌って「統一教会」の話題に振り回されている。
まあ、どの道これから先の話題は”第7波コロナ感染拡大”のニュースしか無いやろ。しばらくは「統一教会」の話題で騒いでいればイイ。暇な弁護士達も当面仕事にあり付けるやろ。「統一教会」の問題は”桜田淳子”以来久しぶりなので、それはそれで叩く値打ちは有ると思う。頑張ってクレ!。
この話が一段落したら、「森友学園問題」「加計学園問題」「さくらを見る会の問題」を洗い直すのもイイと思うが、本人がお亡くなりになったので”欠席裁判”にならんようにすべきやろ。ただ、あの御方は説明責任を果たす方では無かったのである程度は仕方が無いかも判らん。ただ、昭恵夫人に辛い思いをさせないよう配慮して欲しい。

奈良県警の作戦は大成功や。


問題は、奈良地検や。「安倍元総理殺害」の動機をどう組み立てて行くか。これはナカナカ難しいやろと思う。
何しろ物証が凶器しか無い。結果は誰が見ても判っているので、動機の解明が焦点になる。「統一教会への怨恨から安倍元総理を狙撃した」なんて結論を出したら世間の笑い者になるだけや!。


さあ、公判を維持出来るだけのものが組み立てられるか。お手並み拝見としよう。
(22/07/14)


NO.39 「日本維新の会」の話(1)


頭のリハビリ(26)-京都に進出して果たせず-


先日の参議院議員選挙、皆さん暑い中、ご苦労様でした。
結果はご存じの通り「福山哲郎」クンが議席を維持たんやけど、今回はヤバかった。何せ、山科の「前原」クンが裏切ったからや。勿論、予想はしていたが「大阪維新の会」が総掛かりで攻め込んで来たのには驚いた。何故なら、余りにも”京都”を舐めて掛かったからや!。
先ず、京都で「維新」という言葉は禁句なんや。京都では「明治維新」という言葉は「薩摩・長州藩のクーデター」と解釈している。とにかく「蛤御門の変」で丸焼けになった恨みが今でも根強く残っているんや。そやし「維新」という言葉は京都では悪いイメージなんや。その事が判っていないのは「明治維新」以降に日本に来た人を意味する。

ここからが「本題」や。

学校で習う日本史で「明治維新」は日本を近代化する契機になったとされているが、江戸幕府の方が先に日本の近代化を進めていた事は、京都の人は誰でも知っている。二条城で「大政奉還」をした後、京都の町をグシャグシャにして江戸に攻め込み、薩長戦争で内輪揉めになって、結局その後の混乱を収拾したのは幕府方の人達やった。学校では今でもウソを教えている。それを鵜呑みにしているのは、その時期に日本に居なかった人達なんや。

江戸時代後期から明治にかけて、朝鮮半島では1392年から1897年まで500年続いた統一王朝「李氏朝鮮」が末期症状で混乱が続いていたんや。そりゃ~朝鮮半島は民俗学的に考えれば絶対に統一王朝なんか出来る筈は無い。「隋」や「唐」にも負けなかった「高句麗」、山東半島から移住した「百済」「新羅」、「加羅」に取り残された日本人、この4つの民族を一つに出来る筈は無かった。それを500年も無理矢理に1つにしたから揉めるのは当たり前や。
一部の人達は中国東北部に逃げて「清」に助けを求め、また一部はハバロフスク方面に逃げて「露西亜(ロシア)」に助けを求め、一部は日本に逃げて「明治政府」に助けを求めた。明治政府に救援依頼をしたのは、先祖を辿れば日本人なので、明治政府も本気モードで支援に向かった。
そして、1910年から1945年までの日本統治が行われたんや。その頃の「清」はイギリスとのアヘン戦争でボロボロ、「露西亜(ロシア)」もロシア革命直前のボロボロの状態やったので、日本が助けに行くしか無かったんや。

それを西欧列強から「侵略」と言われてしまったんや。その前に東アジアを植民地化して滅茶苦茶にしたのは「イギリス」「フランス」「オランダ」「ドイツ」「スペイン」やんか。日本人が日本人を助けに行って、何故「侵略者」と言われなければならないのか。普通ならブチ切れるやろ。それが「第一次世界大戦」に発展するんや。
学校で教えている歴史には、日本が朝鮮半島を一方的に「占領」した事になっている。それは戦後GHQが”ウソ”を教えるように介入したからなんや。

「李氏朝鮮」末期は国家としての体を成していなかったので経済的に破綻状態で、多くの朝鮮の人達が日本の炭鉱や鉄道建設のために「出稼ぎ労働者」として日本に来たんや。そのまま日本に居付いてしまった人達で日本国籍を拒んだ人を「在日朝鮮人」と呼ぶ。日本国籍を取っても日本社会に馴染まなかった人達を「同和」と言う。韓国に戻った人達の一部が「徴用工」として騒いでいる。何故、恩を仇で反すような行動をするのか理解に苦しむ。

京都では、朝鮮半島出身者の子孫達が京都の産業を支えて来たんや。例えば、「ローム株式会社」(旧:東洋電具製作所)は今でも「同和地区」の中心地である右京区西院に本社を置いている。東洋電具製作所時代は「同和地区」の女性達がピエールカルダンがデザインした制服を着て働いていた。その時代は「立石電機」も「京都セラミックス(現:京セラ)」も「村田製作所」も「ニチコン」も「ワコール」も「同和地区」に本社と工場を持っていたんや。「ローム」同様「任天堂」も東九条の同和地区に本社が有る。「日本電産」は亀岡:湯の花温泉近くの竹藪の中に有った。
京都のハイテク企業は多くの”朝鮮半島出身者”の子孫達が支えていたんや。多くは元々日本人なので日本国籍を取得しているが、ごく一部の人は”在日”のまま働いていたんや。ガラは悪かったが、みんな仕事は真面目にコツコツとやってくれたんや。


「同和」と言うと”差別用語”になるので、今後は「維新の会」と呼ぶべきなのか微妙やな!。
(22/07/14)


NO.40 「日本維新の会」の話(2)


頭のリハビリ(27)-京都の「同和地区」の話(1)-


日本での「在日コリアン」や「同和」の問題は、民俗学的に考えれば簡単な話なんや。それを「社会学者」や「歴史学者」や「法学者」がややこしくしてしまった。色々な経緯が有っても、所詮は東アジアの親戚のようなものなので、外から素人がツベコベ言わずに中に飛び込んで一緒に考えれば、何も難しい話では無いんや。勿論、多少の衝突は有るが、一緒に考えれば殺し合いになるような事は無い。この問題に関わって来た「アホ学者」共は反省して欲しいもんや!。

「在日コリアン」や「同和」の世界は、中に入って見ると意外に”居心地”がいいんや。この世界を知らない人は「怖い」とか「危ない」とか「下品」やとか悪いイメージでしか見ていないが、実際は「ビビり」で「優しく」て「明るい」世界なんや。例えば、京都の”同和の娘”の典型が「倖田來未」で、結構美人でスタイルが良くて、気取らずに「餃子の王将」の餃子をパクついて、大口を開けて「ガハハッ」と大笑いする。「ローム株式会社」に居た”同和の娘”は、あんなんばかりやった。クリーンルームやアッセンブル工程での仕事は結構細かい仕事ばかりやったが、あんなのがゴロゴロ居たので結構楽しかったんや。”同和の男の子”達は更にその上を行っていて、まさに「吉本新喜劇」状態で、仕事をしているのか漫才をやっているのか判らん状態が当たり前やった。それでも難しい仕事をキッチリやっていたんや。

もし京都に「在日コリアン」や「同和」の人達が居なければ「京都のハイテク企業」は成り立っていない。

「ウ~サン」が世界一の高信頼性LED(発光ダイオード)を開発した「ローム株式会社」は、その”同和地区”の中心地に今でも本社を構えている。”右京区西院”は”うきょうくさいいん”と読むが、嵐電の「西院」駅は”さい”と読む。「賽の河原」語源で、平安時代初期は河原やったんや。平安中期に上賀茂から下鴨に川の流れを変える大土木工事を行い、北野天満宮横の紙屋川はその前は大きな川やった。その頃、河原に亡くなった人の遺体を置き、石を積み上げて埋葬したのが「賽の河原」なんや。その「賽」の字が「佐井」や「西院」になったんや。現在の右京区西院地区は川では無くなっているが、昔「天井川」やった地形がそのまま残っていて、今でも大雨が降ると水浸しになってしまうんや。そんな条件の悪い所に朝鮮半島から逃げて来た人達が住み着いたのが「同和地区」になった理由なんや。そのド真ん中に「ローム株式会社」の本社が有る。その悪いイメージを払拭するために年末の「ローム・イルミネーション」が派手に行われている。中国人で創業者の「佐藤研一郎」元社長の夢やったんや。

ちなみに、
「立石電機(オムロン)」は、今は京都駅の西側に本社を移しているが、元々は右京区御室(おむろ)の”仁和寺”の裏に有ったんや。そやし商標が”御室”の「オムロン」なんや。裏千家の「今日庵」の向かいに有ったんや。「リレー」と「マイクロスイッチ」では世界一のメーカーや。道路の「信号機」や駅の「自動改札機」や銀行の「ATM」の多くが「オムロン」製や。実は、ゲーム・センターの「プリクラ」も殆どが「オムロン」製なんや。

「京セラ」は現在伏見区竹田に本社ビルを建てているが、元々は山科区の”椥辻󠄀(なぎのつじ)”の北側で、国道1号線沿いのヤカマシい場所に有った。一帯は山科の”同和地区”やったので、伏見区の”赤池”に逃げたんや。元々は抵抗器の磁器棒を焼いて、ロームになる前の東洋電具製作所の下請けやったが、品質が悪かったので蹴られ、仕方なしにIC用セラミック・パッケージを製作したのが運良く”大ヒット”して大きくなったんや。今ではコンピュータのCPUパッケージのトップメーカーや。電子部品以外では「ミノルタ」を買収してコピー機やレーザー・プリンタを供給したり、スマホも生産している。稲盛クンは今でも頑張っている。

「村田製作所」は元々”長岡天満宮”の西側の竹藪の中に有って、セラミック・コンデンサより筍(たけのこ)の産地やった。今はJR長岡京駅の東側にビルを建てているが、以前は「神足(こうたり)駅」という小さな駅やった。今では色々なセンサーを作っていて、航空機や精密誘導兵器には不可欠な多くの部品を供給している。


まだまだ有るで~! 驚きの企業がテンコ盛りや。

-京都の「同和地区」の話(2)に続く-
(22/07/15)