閻魔大王<NO.124>

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閻魔大王NO.125
322 <皇位継承>愛子天皇待望論・日本国消滅論 閻魔大王 22/01/20
閻魔大王NO.123

NO.322 <皇位継承>愛子天皇待望論・日本国消滅論<起稿 閻魔大王>(22/01/20)


【閻魔大王】 2022/01/20 (Thu) 16:39

<参考=NO.321 続<皇位継承問題>愛子さま/秋篠宮家/旧宮家


愛子天皇待望論と、それでは、日本国消滅論の2つを投稿するです。

どちらも、閻魔大王的、中身的、素直には、受け取れませんですが。
ま、ええかと。


>■「愛子天皇」は憲法の理念にもかなうはず

>愛子さんが天皇になってはなぜいけないの?

>多くの国民が疑問に思っているに違いない。

>新聞を始め、テレビ、通信社の世論調査、どれも「愛子天皇を望む」という声が7割以上あると報じている。

>憲法第1条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。それなのに男性しかなれないというのはどう考えてもおかしいと思う。多くの国民が望んでいる愛子天皇は憲法の理念にもかなうはずだが、事はそう簡単ではないようだ。

>憲法第2条に「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とあり、皇室典範には「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定められているからだ。

>2017年に天皇退位の特例法を制定したとき、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、特例法施行後に速やかに検討するように」という付帯決議に基づいて「有識者会議」が立ち上がることになった。

>特例法が施行されて2年以上がたってようやく設置された有識者会議が、昨年の12月22日に報告書をあげ、岸田文雄首相が衆参両院の議長に提出したが、安定的な皇位継承を確保するには程遠い内容である。


副題=「なぜ愛子天皇ではダメなのか」国民の支持がない象徴天皇制は絶対に維持できない(PRESIDENT)

数字だけは、女性、女系天皇は支持されてるですが、理解しての事か<?>

>■「機が熟していない」と継承の議論を先送り

>報告書では、悠仁さん以降の継承ルールを議論するには機が熟していないと、先送りしてしまっている。

>一番重要な課題を切り離し、皇族数の確保こそが喫緊の課題だとして、「女性皇族が結婚後も身分を保持する」「今は認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系男子を皇族とする」という2案を示しているが、何のために有識者なる者を集め、議論したのか理解に苦しむ内容である。

>「透けて見えるのは『皇位は男系男子が継がねばならない』という考えだ。継承ルールは議論しないといいながら、国民の間に一定の支持がある『女性・女系天皇』の芽を摘んでしまう仕掛けが講じられている」(朝日新聞1月13日付)

>朝日は一定の支持があると過少に書いているが、女性天皇待望の声はますます大きくなっているのだ。

>■「女性皇族の子は皇位に就かせない意思を表した」のか

>愛子さんは昨年12月1日に20歳になった。母親似の晴れやかな姿は多くのメディアで取り上げられ、愛子天皇待望論はいやがうえにも高まっているのである。

>そんな世論の背景を見てみないふりをして、“時代錯誤”のような報告書を作り上げたのはなぜなのか。

>朝日が指摘しているように、女性皇族が結婚して皇室にとどまったとしても、配偶者と子どもは皇族としないとすれば、「一つの家族の中に皇族と一般国民が同居するという分かりにくい形をとってでも、女性皇族の子は皇位に就かせない意思を表したものではないか」(同)。

>また、養子縁組でも、養子になれるのは男系男子に限る、対象として戦後改革で皇籍を離れた旧11宮家の男子と明記したのは、「(有識者=筆者注)会議の聞き取りに応じた複数の憲法学者が『門地(家柄、門閥=筆者注)による差別を禁じた憲法に反する恐れ』を指摘したが、無視された格好だ」(同)

>■岸田首相は女系天皇反対、女性天皇は容認? 

>ダイバーシティをないがしろにし、女性差別、憲法違反の疑いのあるものをまとめ、何が何でも愛子天皇実現を阻止するという報告書にしたのはなぜなのか? 

>流布されている説として有力な一つは、安倍晋三元首相が頑なに「女性・女系天皇に反対しているから」というのがある。在任中に「女性が輝く社会」を掲げ、女性活躍推進法を成立させた張本人が、皇室だけは男尊女卑というのでは筋が通るまい。

>安倍元首相だけではなく、菅義偉前首相も消極的な反対派で、ポスト菅の総裁選に出馬した岸田文雄氏、高市早苗氏も反対の意思を表明した。

>岸田氏は、女系天皇を認めるかどうか質問され、「反対だ。今そういうことを言うべきではない」といい切ったが、これは安倍氏の支持を得るための方便だったといわれる。その後、歴史上前例のある女性天皇は許容してもいいのではないかと考えているといわれているようだ。

>安倍氏の“寵愛”を受けている高市氏は当然女系天皇には反対だ。文藝春秋1月号でその理由をこう語っている。

>■「今の時代に変えてしまったら、やり直しはききません」

>「愛子さまが天皇に即位されたら、男系(父が天皇)の女性天皇になられる。その後、仮に愛子さまがAさんという民間の男性と結婚され、第一子に女子が誕生して天皇に即位されると、『女系(母親もしくは母方の先祖が天皇)の女性天皇』となられます。この天皇の祖先はA家、女系の祖先は小和田家(雅子さまの父親の姓)ということになります。最初は男系の女性天皇、次に女系の女性天皇にすると、二代で男系の祖先も女系の祖先も民間人ということになってしまいます。

>父方の血統が、初代天皇から繋がっているのが皇統です。二千六百年以上の長きにわたり、一度の例外もなく男系でした。男性の天皇であっても女性の天皇であっても、南北朝時代にあっても、父親をたどれば必ず歴代の天皇に連なるという継承を維持してきた。今の時代に変えてしまったら、やり直しはききません」

>これが女系天皇に反対している人たちの典型的な考えなのだろう。

>文藝春秋から、歴代の天皇の約半数が側室を母に持つ庶系(正妻の子どもではない。庶子)の天皇だから、男系男子という伝統を守り続けるのであれば側室制度を復活させなければ無理なのではと問われ、

>「側室制度の復活などは、考えたこともございません(笑)」

>と答えている。

>■「皇室不要論」につながるのではないかと危惧

>そうであれば、将来、悠仁さんが結婚すれば、その妃にはかつての雅子皇后のように、男の子を生まなくてはという強烈なプレッシャーがのしかかってくるのだ。そんな苦労を承知で嫁いでくる女性がいるだろうか。

>高市氏は、男女平等だからという価値観でこの問題を議論する方がいるが、男系も女系の子孫も民間人という人間が天皇に即位したら、「皇室不要論」につながるのではないかと危惧しているようだ。

>文藝春秋から、国民の間には女性天皇待望論が根強くある、NHKが2019年9月に行った世論調査では、女性天皇に賛成する人が74%、特に18歳から29歳までの若い世代では90%が賛成だったがと聞かれ、「その調査については、私は承知しておりません」と、知らないふりをしている。都合の悪いことには耳を貸さない。

>高市氏は、女性天皇に反対する立場ではないと矛盾することもいっているのだが、「現実的には女性が皇位を継がれることは大変」だから無理ではないかと、体力の問題にすり替えている。

>保守派の考えはここに集約されるのだろうが、愛子天皇を認めないというには、論理が薄弱だと思う。

>すでに秋篠宮が天皇にはならないと表明している。皇嗣という立場で即位を拒否できるのかどうか、私には分からないが、もしそうなれば、皇位継承者は常陸宮と悠仁さんだが、常陸宮は86歳という年齢から考えても厳しいだろうから、悠仁さんしかいないのが現実である。

>■悠仁さまの即位拒否も「決してあり得ないとは言えません」

>週刊新潮(1月20日号)で麗澤大学の八木秀次教授がこういっている。

>「“開かれた皇室”という風潮には、スマホやSNSの普及も大きく影響しています。この数年で、誰でも気軽に意見ができるようになり、皇室が身近なものになり過ぎてしまいました。畏れる存在という意識が、世間からなくなりつつあるように感じます。そんな中で眞子さんは“私”を通したわけですが、皇室においてもっぱら個人のご意思が尊重されるような流れが定着してしまえば、これに続いて先々、悠仁さまが“天皇になりたくありません”と即位を拒否なさるようなことも、決してあり得ないとは言えません」

>自民党の保守派も今回の有識者たちも、仮にそうなったとしても、まだ先のことだと考えているのかもしれないが、大正天皇のときは、悠仁さんと同じ15歳で「お妃選び」が始まっていたそうだ。

>皇太子が結婚したのは33歳だったが、秋篠宮は24歳だったから、残された時間は少ないのに、有識者会議の報告書にはその危機感が感じられない。

>■小泉政権時代の女性・女系天皇容認論は深まらず…

>悠仁さんにかかる負担を少しでも軽くするためにも、愛子天皇の実現が急務だと思う。伝え聞くところによると、上皇も愛子天皇を望んでいるといわれる。だが、そのためには皇室典範の改正がなされなければならない。

>1947年に現在の皇室典範は制定された。そこでは明治の皇室典範にあった正妻以外の女性(側室)の子どもやその子孫であっても皇位継承を認めるとしていたのが、当然ながら外された。だが、継承資格の「男系男子」という縛りは残してしまったため、現在のような後継問題が常に付きまとうのである。

>この問題を解決しようと動いたのは小泉純一郎首相(当時)だった。彼が設置した「皇室典範に関する有識者会議」が提出した報告書には、全員が一致したとして、こう書かれている。

>「今後における皇位継承資格については、女子や女系の皇族に拡大することが適当である」

>これが通っていれば、今のような事態は起きていない。だが、この報告書が出た直後に、秋篠宮紀子さんの懐妊をNHKが報道し、9月に悠仁さんが誕生した。

>そのために改正案を国会へ提出することを見送ったのである。小泉の後に首相に就いた安倍氏がこの問題に手を付けることはなかった。

>■女性の推古天皇が「最初の天皇」だった? 

>保守派が常に振りかざす「天皇は万世一系」という言葉も、多くの歴史研究家たちから疑問が投げかけられているようだが、それはさておき、千数百年、125代という皇位継承の歴史の中には、10代、8人の女性天皇が登場することはよく知られている。

>私のような無学な者でも、神話の中で頂点に君臨した最高神は“太陽の女神”である天照大御神で、伊勢神宮に祀られ、歴代天皇が崇拝していることは知っている。

>中でも推古天皇は、強いリーダーシップを持っていたという。

>『女性天皇の成立』(幻冬舎新書)を上梓した皇室研究家の高森明勅氏によると、「現在にまでつながる『天皇』という君主の称号が、この天皇の時代に成立した事実だ。これは、日本の歴史上、すこぶる重大な意義をもつ“飛躍”だ。推古天皇は厳密な意味で『最初の天皇』だった」可能性が高いというのである。

>雑誌『青鞜』の創刊号に寄せた平塚らいてうの言葉、

>「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である」を思い起こす。

>さらに高森氏は、日本という国号の制定は689年で、持統天皇の即位は翌年だから、最初の天皇も、“日本初”の天皇も「女性」だった可能性が高いといっている。

>■皇室典範はさっさと改正すべき

>また高森氏は、第44代の元正天皇は女系天皇だったと指摘している。父親が草壁皇子で天武天皇につながるから「男系天皇」といわれているが、母親は元明天皇だから「女帝の子」、当時の「大宝令」に照らし合わせて、女系天皇とされていたことに疑問はないといっている。

>さまざまな解釈はあるにせよ、天皇の歴史において、中継ぎではない実力派の女性天皇が幾人も現れてきたことは間違いないようだ。

>シナ(中国)や韓国と違って、日本では古代、女性が比較的高い地位を認められていたようだと高森氏はいう。

>さらに付け加えれば、『天皇はなぜ生き残ったか』などの著作がある東京大学史料編纂所の本郷和人教授は、

>「江戸末期になるまで、ほとんどの庶民は『天皇』という存在すら知りませんでした。それ以降、本居宣長らをはじめ国学が興ったことで、古事記などを読んだ人々が天皇を再発見したのです。“日本人とは何なのか”というアイデンティティ確立の過程で、庶民の側から天皇を“見つけた”わけです」(週刊新潮1月13日号)

>庶民が天皇を発見した江戸時代は男尊女卑が激しい時代で、「男児が生まれなければお家断絶・取り潰し」が行われていたが、そんな時代に明正天皇と後桜町天皇という2人の女性天皇がいたことは驚きである。

>それなのに男女平等といわれる現代で、天皇だけが男でなければいけないなどとする皇室典範はさっさと改正すべきこというまでもない。

>政治家たちの自分勝手な思い込みで、皇室典範の改正を遅らせ、安定的な皇位継承の方策を遅延させることは批判されてしかるべきである。

>■「女性天皇になるか主婦になるか」極端な選択肢しかない

>成人になった愛子さんは、発表した感想の中でこう述べている。

>「これからは成年皇族の一員として、一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております。そして、日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず、小さな喜びを大切にしながら自分を磨き、人の役に立つことのできる大人に成長できますよう、一歩一歩進んでまいりたいと思います。

>まだまだ未熟ではございますが、今後とも温かく見守っていただけましたら幸いに存じます」

>天皇皇后も彼女が幼い頃から、将来の天皇としてどうあるべきかを折に触れて教えてこられたに違いない。

>20歳になり、天皇に即位するのか、一般人と結婚して国民の一人として生きていくのか、自分ではどうにもならない“運命”を嘆くことも、ときにはあるのではないか。

>「制度の見直しがいたずらに“先延ばし”され、その結果、ご自身の将来が『皇室に残るか、ご結婚と共に国民の仲間入りをされるか』鋭く二つに分裂したまま、いつまでも宙ぶらりんの状態で放置され続けてきた事実こそ、残酷この上ない仕打ちだったと言えるだろう。特に敬宮殿下(愛子さん=筆者注)の場合は、女性天皇になられるか、それとも主婦になられるかという、極端に異なる二つの未来像に引き裂かれたまま、これまで二十年間の歳月をすごしてこられたことになる」(高森氏)

>岸田政権は、多くの国民の意思に反した有識者会議の報告書を破棄し、国民の大多数が望んでいる愛子天皇の実現に向けて、すぐに動き出すべきである。

>国民が支持しない、敬愛しない象徴天皇制が存続できるはずはないのだから。


>元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

<参考=「「なぜ愛子天皇ではダメなのか」国民の支持がない象徴天皇制は絶対に維持できない」(PRESIDENT)>
(22/01/18)


【閻魔大王】 2022/01/20 (Thu) 19:27

副題=正論 「愛子天皇」待望論は国を滅ぼす エッセイスト動物行動学研究家・竹内久美子(産経新聞)

尚、既に、国の内外に、次期天皇は、秋篠宮殿下であるを宣言してるが故、この流れは、替わらんです。

詰まり、所謂の、天皇家の家督なるは、秋篠宮家に委譲されるです。
詰まり、愛子天皇はありませんです。

但し、理屈上、宣言を取り消せばと、成るですが。そんな不格好なる事、すれば、日本国の、又、天皇家の信用失墜するです。


<写真>
竹内久美子さん



>最近、気がかりなこと
>最近、週刊誌やインターネットで投稿される動画、そのコメント欄など主にネット上の言論の場がひどいことになっている。気味悪いほどに足並みを揃(そろ)え、秋篠宮家の一挙手一投足を貶(おとし)める。一方で秋篠宮家がこんなにもひどいのなら、あとはもう、愛子さまに天皇になっていただくより他はない、と愛子天皇論を展開する。

>信頼のおける雑誌と思っていた老舗出版社の週刊誌2誌までもが、「愛子天皇が誕生する日」「愛子天皇に前のめり」などというタイトルを掲げている。

>いくつかの証言によると、某コメント欄にこのような意見に反論を書いても反映されないし、反映されたとしても、たった数秒のうちにバッドマークが大量につく。それは人間がしているのではなく、機械が、特にAI(人工知能)が行っている証拠だろう。明らかに組織的な「言論統制」「言論誘導」が展開されているのだ。

>このような動きに対し、そんなことは不可能だ。皇位継承順は秋篠宮皇嗣殿下、悠仁親王殿下と決まっていて、それは内外にも示された。今さら覆されるものではないだろう。覆されるとしたらクーデター。第一、皇室典範には「皇位は男系男子に限る」と明確に示されているではないか、と危機感を抱かない人々も存在する。

>しかし今や、世論が一番力を持つ時代だ。世論の高まり次第では今後どうなるか、わからないではないか。

>この、つくられつつある世論は、秋篠宮家の眞子さまのご結婚によってますます勢いを得た。

>これまで皇室にほとんど興味を持っていなかった人々が、その衝撃的なご結婚によって秋篠宮家を最低最悪の皇族とみなすようになった。秋篠宮家から天皇が現れることだけは我慢ならない、秋篠宮家の人々を見るだけでも気分が悪い、秋篠宮家の会計監査をして全員皇籍離脱させよ、などと憎悪の念を露(あら)わにするようになった。


>皇室への理解と敬意を
>しかし私のように長年皇室をウオッチしている者にとっては、秋篠宮家ほどご立派な皇族は見当たらない。宮中祭(さい)祀(し)を何より大切にし、公務も完璧にこなし、日々研鑽(けんさん)を積み、清廉潔白、国民に対し、常に慈愛の眼差(まなざ)しを投げかけられてきている。

>ところがこういうことを言うと、世論誘導にはめられた人々が、秋篠宮家を擁護する竹内はおかしいと評する。秋篠宮家にはどんな暴言を吐いても構わないと信じている。結局、これまでウイークポイントがなかった秋篠宮家であるからこそ、今回の〝失態〟が、これでもかとクローズアップされ、攻撃される材料と化しているのだろう。

>秋篠宮家を攻撃する者たちが何を目的としているのか。それは、かの宮家から皇位を簒奪(さんだつ)し、愛子天皇を実現させようとすることである。しかもそれは単なる皇位簒奪にとどまらない。

>愛子天皇が実現すれば、父が天皇である女性が天皇になったことになり、過去の8方10代の女性天皇(お二人は2度天皇になられた)とポジションについてはほぼ同じである(祖父が天皇という方もあった)。だが事情は大きく異なる。

>過去の女性天皇は生涯独身か、未亡人であり、天皇になってから誰かと結婚し子を産み、その子が天皇になることはなかった。だから皇統に影響を与えることはなかった。しかし今日、女性天皇となられた方に生涯独身を強いることは不可能だ。もし強いるとすると「おかわいそう」の大合唱となり、ご結婚していただこうという流れとなる。


>無理解、無責任が国を危うく
>そうして生まれたお子さんが、性別に関係なく天皇の座につくと、女系天皇。これまで一度たりともなかった存在だ。そして最も肝心なことは、女系天皇は皇室の方ではなく、女性天皇の配偶者の家の方だということだ。

>つまり女系天皇の出現で皇室の歴史は終わり、別の王朝が始まるのである。愛子天皇を待望している人々が本当に狙っているものとは、実は皇室の滅亡であり、それは日本国の解体をも意味する。

>皇室と日本国を滅ぼしたい勢力が、なぜこれほどまでに幅を利かせることになったのだろう。それは、皇室のことに国民は口出ししてはならない、不敬であるという国民のおとなしさ、ルール遵守(じゅんしゅ)の精神に対し、皇室破壊、日本国滅亡を狙うかのように、朝日、毎日、NHK、共産などの反日左翼、外国の勢力が付け入り、勢力を伸ばしてきた結果ではあるまいか。

>皇室を命がけでお守りするはずの宮内庁は、戦前の宮内省とは違い、皇族を監視する機関となり果てた。GHQ(連合国軍総司令部)による、皇室と日本国を弱体化する計画の一環のためだ。

>皇室をめぐる不健全な状況は、不敬の名の下に考えることや調べることをやめた国民の怠慢に責任の一端がある。今、最も警戒すべきは、怠惰で無責任、言論誘導にたやすく乗ってしまう国民なのだ。(たけうち くみこ)

<参考=「正論 「愛子天皇」待望論は国を滅ぼす エッセイスト動物行動学研究家・竹内久美子」(産経新聞)>
(22/01/19)


【閻魔大王】 2022/01/22 (Sat) 10:33

副題=<皇位継承>過去の経緯<前編#1

<参考=NO.311 続2<失礼乍ら>愛子さまと、秋篠宮家の方とでは、違う。/両陛下をお助けしたい。
(21/12/17)


<写真1>
伊藤博文



<写真2>
小泉純一郎氏 ©文藝春秋



<写真3>
2006年11月、お宮参りにあたる「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」のため、皇居を訪れられた秋篠宮ご夫妻と悠仁さま 宮内庁提供
<注>上記<参考>にも添付してるです。



>「文藝春秋」2月号よりノンフィクション作家の石井妙子氏による「『愛子天皇への道』皇室の危機を考える」を一部公開します。(全2回の1回目/後編に続く)


>皇室に存在する男女の格差
>令和3年は、眞子さんの結婚があり、愛子さまが成年となられ、いつになく女性皇族の存在が注目された。またこうした出来事を通じて皇位継承への興味が一般国民の間に、強く芽生えた1年でもあった。

>とくに眞子さんの結婚は、すでにそこにあった問題や矛盾を顕在化させたように思える。女性皇族と男性皇族の間にある格差、皇族の人権、皇統の維持、といった事々を。


>長姉の眞子さんに皇位継承権はなかった。だが、弟の悠仁さまは皇位継承順位第2位の立場にある。天皇の長女である愛子さまにも皇位継承権はなく、ご結婚されれば民間人になられる。皇室に歴然として存在する男女の格差。しかし、国民の間では、この数年で、「女性が天皇になってもいいのではないか」「女性天皇が結婚し、そのお子さまが天皇(女系天皇)になってもいいのではないか」という意見が圧倒的に多くなっている(NHKが2019年に行った世論調査では7割以上)。

>ところが、こうした国民の声は国会には反映されてはいない。長きにわたった安倍晋三政権は男系男子主義の立場であり、女性天皇・女系天皇を否定、女性宮家の設立にも反対していたため、まったくこの問題に取り組まなかったからだ。

>この流れを汲んで先の総裁選でも、岸田文雄総理と高市早苗政調会長は揃って、「男系男子で継承すべき。皇統の維持のために、旧皇族の子孫である男子を皇籍復帰、もしくは天皇家の養子にする案に賛成」と明言した。この問題に関する限り民意と政権与党との間には、大きな「ねじれ」があると言えよう。


>「女性女系天皇容認」に寛容だった男性の指導者
>大日本帝国憲法と旧皇室典範が公布されたのは、1889(明治22)年。当時の皇室典範は、憲法と同格とされ、帝国議会が定めるような法律とは異なっていた。

>明治憲法において天皇は「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」「天皇は神聖にして侵すべからず」と位置づけられ、さらに「皇位は皇室典範の定むるところにより皇男子孫之を継承す」とされ、憲法の条文においても「男子」と定められていた。

>しかし、敗戦後の1947(昭和22)年に施行された新憲法において天皇は「日本国の象徴」となり、「皇位は世襲のもの」「国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とされ、「男子」の文字は憲法から消える。

>一方でこの時、旧皇室典範に代わって新たに施行された新皇室典範は、まず「憲法と同格」という位置づけから、憲法の下位にある一法律となった。その際には名称を「皇室法」に改めるべきだという議論もあったが、「皇室典範」の名称は残され、内容にも抜本的な変更は加えられず、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」という文言もそのままとされた。

>新憲法では「皇位は世襲」とのみ記され、一法律である皇室典範には「男系の男子」という縛りがあるのだ。

>新憲法の14条では、「すべて国民は法の下に平等」であり、性別により差別されてはならないと謳われている。そのため当時から、「皇位を『男系の男子』に限定する新皇室典範は憲法に違反しているのではないのか」という声があった。

>振り返って見ればこれまでも、「女性女系天皇容認」に寛容な態度を示した男性の指導者はいた。古くは初代総理大臣の伊藤博文、そして記憶に新しいところでは、小泉純一郎元総理——。


>今から約15年前の小泉政権では、皇室典範改正に向けた議論が国会で繰り広げられた。

>2004(平成16)年当時、皇太子(現天皇)夫妻の間には、愛子さましかおられず、雅子さまは40歳を超え、「適応障害」というご病状が発表されていた。一方で秋篠宮家、三笠宮家、高円宮家にも男子の跡取りはおられなかった。

>間もなく40歳となる秋篠宮さまよりも若年の男性皇族が、ひとりもいない。皇室典範における男女差別を改正するという意味合いからではなく、男子に縛っては皇位継承者がいなくなってしまうという切迫した状況から、小泉政権下での議論は始まったのだった。


>反対運動で主導的な役割を担った「日本会議」
>同年12月に小泉総理は「皇室典範に関する有識者会議」を設置。皇長子である愛子さまの存在を念頭に、皇室典範の改正を目指した。有識者会議は翌年、「女性、女系天皇を認める。皇位継承は長子優先」とする報告書を提出。これを受けて小泉総理は2006年、国会での施政方針演説で「皇室典範改正案を提出する」と宣言した。


>だが、すでに、この流れに抵抗する保守派の政治家、ジャーナリスト、一般国民の一部からは、猛烈な反発が巻き起こっていた。

>女帝・女系天皇容認に反対する運動で主導的な役割を担ったのが、神道系の保守系団体として知られる「日本会議」である。当時、日本会議国会議員懇談会会長の地位にあった平沼赳夫氏は、男系男子主義を強く信奉していた。今も、その考えは変わっていないと平沼氏はいう。


>「小泉政権で女性、女系天皇容認に傾きましたが、125代(現在は126代)続く天皇の歴史の中で女系天皇はひとりもいない。過去にいた8人の女性天皇はすべて中継ぎ的な役割で、ご結婚もなさらずに、次の男系男子の天皇に位を譲られた。男女同権に反するという考えは、この問題に持ち込むべきとは思わない。ローマ法王も代々男性で、ユダヤ教のラビも男性です」

>同じく同会に所属する高市早苗議員も2006年1月27日の衆議院予算委員会で「男系男子で継がれてきたことが天皇の権威の前提。男親から男の子ども、男系男子だから継がれてきた初代天皇のY染色体が女系天皇では途絶してしまう」と述べて、女性女系容認に向けて舵を切った当時の政府の方針を牽制する立場を取った。


>なお、男系男子とは父が天皇である男の皇子を言う。父親の父親の父親の……と父方だけをたどっていくと初代神武天皇に行き当たるという。一方、天皇の娘の子孫は父方が天皇ではないため、女系天皇ということになる。過去に女性天皇は江戸時代まで8名おられたが、女系天皇はひとりもいないというのが、保守派の男系男子主義者の主張である。

>しかし、保守派の誰もが必ずしも男系男子主義というわけではなく、中には女性・女系天皇支持者もおり、そのため保守派内も分裂し、激しくぶつかり合った。

>男系男子主義に反対する立場を取った保守派言論人に、皇學館大学名誉教授、田中卓(2018年没)がいる。彼は「男子尊重は中国大陸から入ってきた外来思想であり、男系女系という考えも西洋由来。女性を尊重してきた日本の伝統が消された。そもそも皇室の祖神である天照大神は女性であり、歴代8人の女帝が存在した。男系固執派が女性天皇を否定するのは、明治以来の皇室典範に底流する単なる男尊女卑思想によるもの」(要旨)と強く批判した。

>小泉政権下での皇位継承をめぐる議論は白熱し、「テロが起こるのではないか」と危惧されるほどで、「国民の感情も2つに分裂してしまうのではないか」と懸念されもした。


>紀子さまのご懐妊で議論は唐突に中断される
>だが、国会会期中の2006年2月、議論は唐突に中断される。紀子さまのご懐妊が報じられたからだ。9月、紀子さまが皇室にとって41年ぶりとなる男児の悠仁さまをご出産。すると、女帝容認に向けた皇室典範改正の流れは、完全に打ち切られることになった。改正に反対していた人々は、「天祐」「神風が吹いた」と悠仁さまのご誕生を熱狂的に喜んだ。この時、秋篠宮家の長女・眞子さんは14歳、次女・佳子さまは11歳。皇位継承の議論と弟宮の誕生をどのように見ておられたのだろうか。また、男子を産むことができず、皇室に馴染めなかった皇太子妃の雅子さまを案じる声と批判する声の両方が当時のメディアには溢れ返っていた。

>それにしても、男系男子による皇統の維持は、田中卓が指摘したように、本当に日本の伝統と言えるのであろうか。

>石井妙子
source : 文藝春秋 2022年2月号

<参考=「「神風が吹いた」と…紀子さまのご懐妊報道と悠仁さまご誕生で“女性女系天皇容認”の議論が唐突に中断されるまで #1」(文春)>
(22/01/22)


【閻魔大王】 2022/01/22 (Sat) 12:14

副題=<皇位継承>過去の経緯<後編#2

皇位継承なるは、議論しても、切りが無いです。
伝統に基づくが、一番に賢明。

<写真4>
愛子さま ©JMPA



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石井妙子氏



>「文藝春秋」2月号よりノンフィクション作家の石井妙子氏による「『愛子天皇への道』皇室の危機を考える」を一部公開します。(全2回の2回目/前編から続く)


>明治に起こった活発な“女帝議論”
>1875(明治8)年に明治天皇は「立憲政体を立つるの詔書」を発表。元老院も設置され、憲法を起草する動きが加速していく。全国で活発な議論が起こり、政府だけでなく各地で人々が憲法試案を作った。それらの中には「女帝を認める」としているものも数多くあった。

>後に立憲改進党の母体となる政治結社の嚶鳴社も憲法論議の中で「女帝を立つるの可否」という大討論会を1882年に開催。内容を「東京横浜毎日新聞」で発表した。


>女帝否定派が「女帝が配偶者を得た場合、婿が女帝に対して采配を振るい政治に関与するのではないか」と意見すれば、賛成派は、「婿が政治に干渉することは憲法で禁じればいい」と応じ、また否定派の「我が国の現状は男尊女卑なので天皇が女性だと婿のほうが天皇の上になってしまう」との主張に、賛成派は「男尊女卑の風潮はあるが、それは一般人民の話であり、皇室にあてはめるべきではない」と反論した。賛成派が8名、否定派が8名。明治において、これだけ女帝が支持されていたという事実は今日、あまり知られていない。


>「皇位を継ぐ人は正嫡子」と学んだ伊藤博文
>政府側の立憲責任者であった伊藤博文は1882年、各国の憲法事情を視察調査するため欧州に滞在していた。伊藤はオーストリアのウィーン大学で国家学を教えるローレンツ・フォン・シュタイン教授に出・会い、その教えに深く傾倒する。伊藤博文と明治憲法成立の過程を長年、研究する国際日本文化研究センターの瀧井一博教授が語る。

>「伊藤博文はシュタインから『皇室の皇位継承は非常に重要で、しっかりしていないと国が乱れる原因になる。継承の順番は明確にルール化しなければいけない』と教えられます。憲法をつくるよりもまず先に、憲法とはわけて皇位継承を定めた法を作らなくてはならない、と。シュタインは『重要なのは血筋である。長子相続で男性に継がれることが望ましいが、適当な後継者がいなければ女性でもいい』と説きます。さらにシュタインが重視したのが、一夫一婦制と庶出の問題でした。『今の天皇も正式なお妃から生まれた方ではないと聞いているが、ヨーロッパでは考えられないことだ。皇位を継ぐ人は正嫡子でなければならない。この点は改めたほうがいい』と伊藤に言います。一夫多妻で庶子でも皇位につけることは、西洋人には生理的に受け入れられないことでした。伊藤もよくこの点は理解し、帰国後、憲法に反映しようとしました」


>しかし、母国日本においては、高貴な身分にある人々は天皇家でも武家でも一夫多妻が一般的であり、歴代天皇の約半数が側室を母に持つ庶出だという現実があった。また、何よりも日本の一般社会では男性を女性よりも上に見る男尊女卑の価値観が徹底している。富国強兵を目指す時代でもあり、女帝の選択肢を残すことが日本の国づくりにおいては難しい状況でもあった。

>翌年に帰国した伊藤は、悩みながら憲法と皇室典範の作成に着手する。当初は「男系男子を基本としつつ、やむを得ない場合には女系で継ぐ」と考えていた。現に1886年頃に発表した皇室典範の草案「皇室制規」では女系を容認している。


>「女帝を認めず男系男子に限定するべき」
>しかし、これに真っ向から異を唱えたのが、伊藤を補佐する立場にあった法制官僚の井上毅だった。彼は嚶鳴社の「女帝を立つるの可否」論争における反対派の意見を引用した反論文「謹具意見」を提出。「女帝を認めず男系男子に限定するべき」と強く主張した。熊本藩士の家に生まれ育った井上は儒教的な男性優位の伝統の中で育ち、そうした信条を彼自身も強く持っていた。

>この井上の反論に対して、伊藤は意外なほどあっさりと、これを聞き入れ、女帝容認という自説を手放し、「皇位継承は男系男子に限る」とする井上の意見を取り入れる。だが、その一方で、井上に折れず、自分の意見を押し通した箇所もあった。それが「天皇の譲位(生前退位)」である。江戸時代までは生存中に退位し、天皇の位を次代に譲ることが、当たり前に行なわれていた。井上はこの伝統を残すべきだと主張したが、伊藤は却下し、「天皇は崩御するまで終身、天皇であり続けなければならない」として、生前退位を否定する文言を皇室典範に入れる。生前退位をきっかけに皇統をめぐる争いが起こり、国が乱れることを危惧したからだろう。


>伊藤が「女帝」と「生前退位」を封じた真の思惑
>瀧井教授が語る。

>「伊藤は西洋の慣習を意識していましたが、同時にあまりにも国情から離れた憲法を作ったのでは国に定着せず、うまく運用できなくなる、ということもよく理解していた。だから日本の伝統的な考えを代表する井上の意見にも耳を傾け、折れるところは折れている。男系による万世一系こそ日本の伝統という井上の“発見”を聞いて、そのほうが国もまとまるし、日本の歴史を国際社会にアピールできると合理的な判断を下したのだと思います。井上は、伊藤に比べて非常に理詰めでものを考える人で、机に向かって国学や法律を勉強した熊本藩士の秀才です。


>伊藤の根本には、皇室が政治化することを避けたいという考えがあり、天皇はシンボル的な存在であることが望ましいと考えていた。つまり伊藤は今日の象徴天皇制を先取りしていたのです。大権を持った、優れた天皇が統治することを理想視した儒教的な徳治主義者の井上とは、そこも大きく違っていました。伊藤自身は法律そのものに興味があったわけではなく、法律をどう運用するか、どう機能させるかを考えていた。伊藤の中には大きな国家ビジョンがあり、井上のことは法律の文言を考えさせるために重用し、ある種、利用した。井上もそれを悟って死ぬ間際、『自分は伊藤のおかげで人生をし損なった』という言葉を残したのでしょう。


>伊藤は『世の中のものは全部、変わっていく。万物は流転する』とも言っています。それが彼の人生哲学でした。一方、井上は、『変わってはいけない不動のものがあるはずだ』と考える。非常に対照的なんです。そうした両者の落としどころが、明治の憲法であり、明治の皇室典範だったんです。あの時代にヨーロッパの文明国に仲間入りするためには、男系男子主義を取らざるを得なかったのだと思いますが、今はまた違った局面を迎えているのではないでしょうか。私は伝統というのはいろんな引き出しのある棚だと思っています。井上はあの時代に『男系』という引き出しを引いた。でも、今の時代に井上がいたなら別の引き出しを開けて、そこから理論を体系化するかもしれない」

>時代を見据え、その時代の制約の中で、「女帝」と「生前退位」という2つの伝統を伊藤は憲法と皇室典範において封じた。皇統を安定化させるという目的のために。


>廃止できなかった側室制度
>その一方で、伊藤が廃止したくとも廃止できない伝統もあった。それが側室制度と庶出である。

>ノンフィクション作家の石井妙子氏による「『愛子天皇への道』皇室の危機を考える」の全文は、「文藝春秋」2022年2月号と「文藝春秋digital」に掲載されています。

<参考=「愛子さまか、悠仁さまか 伊藤博文があっさり“女帝容認”説を手放した理由〈皇統をめぐる争いによる国の乱れを危惧〉#2」(文春)>
(22/01/22)