みんながパソコン大王
雑談<NO.113>

みんながパソコン大王
総 合 目 録 趣意書

表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
雑談NO.114
1359 学力低下の汚名、文科相が「決別宣言」 「ゆとり教育」失敗だったの?(毎日新聞) 磯津千由紀 16/06/04
1358 雲仙普賢岳の噴火災害から25年 磯津千由紀 16/06/03
1357 徹底レビュー:サーバ用CPU搭載のモンスターノート「ThinkPad P50」に不可能はないか(TechTarget) 磯津千由紀 16/06/02
1356 事業者への取材で分かった熊本地震発生直後の通信状況、東日本の教訓は生かせたか(ITpro) 磯津千由紀 16/06/02
1355 スマホ購入時に同じ大手通信キャリアと契約したのは69.6%―MMD研究所(ITpro) 磯津千由紀 16/06/01
1354 新車が実質2千円 ふるさと納税、富裕層の節税策に(朝日新聞) 磯津千由紀 16/06/01
1353 特集ワイド:元自民党タカ派の遺言 安倍首相、覚えてますか?(毎日新聞) 磯津千由紀 16/06/01
1352 <今更ですが>中国に偽大学400校 通りすがり
でもないMr.X
16/05/23
雑談NO.112

NO.1352 <今更ですが>中国に偽大学400校<起稿 通りすがりでもないMr.X>(16/05/23)


【通りすがりでもないMr.X】 2016/05/23 (Mon) 23:46

架空の卒業証書、偽博士号。

偽医者は危険です。

>中国の民間調査機関は来月の大学受験シーズンを前に、実体がないのにインターネット上で学生を募集する「偽大学」を公表、2013年以降で発覚したのは約400校に上った。23日付の中国紙、北京青年報などが伝えた。

>本物の大学と思って申し込み、学費などをだまし取られるケースもある。だが、昇進などで有利となるよう、偽大学と知りながら架空の卒業証書を購入する人たちも後を絶たず「偽大学がはびこることを助長している」(北京青年報)という。

>北京青年報によると、「北京同済医科大学」はホームページで「1983年に設立された新しい実用型の医学学校」と説明していたが、所在地は北京の架空の住所だった。また、江蘇省南京の学生は約1万元(約17万円)の学費を払い「上海工程管理学院」のネット通信教育を受講したが、後に偽の大学と判明した。(


<参考=「中国で偽大学400校 ネットで架空証書も発行」(産経ニュース)>
<消滅・21/05/29>


NO.1353 特集ワイド:元自民党タカ派の遺言 安倍首相、覚えてますか?(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(16/06/01)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/01 (Wed) 20:04

 こんばんは。


 本日18時から安倍首相が演説をしましたが。
 十日ほど前の記事です。


> 参院選が近い。大勝して、悲願の改憲に乗り出したい安倍晋三首相は「今の憲法には自衛隊という言葉がない」(3日、改憲派集会へのメッセージ)と9条改正に意欲的だ。1960年代にも同じような主張をした自民党きってのタカ派議員がいた。安倍首相は覚えておられるだろうか。その彼が晩年には「自衛隊を愛するからこそ9条を守らねば」と訴えたことを−−。【吉井理記】


> その人の名は、箕輪登さん。北海道小樽市出身の元衆院議員だ。医師から転じ、67年衆院選で旧北海道1区で初当選。81年の鈴木善幸内閣で郵政相を務めた。防衛政務次官、衆院安保特別委員長も務めた経験から、一般的には防衛族議員として知られる。

> 「箕輪先生、か。懐かしいなあ。5月(14日)で亡くなって10年ですか……」

> 衆院議員会館で、しばし目を閉じて思いにふけるのは、元衆院議長、民進党の横路孝弘衆院議員(75)である。

> 箕輪さんの主張は「自衛隊は必要な防衛力で合憲で、有事法制の整備も欠かせない」との立場。当時は「自衛隊の存在を憲法に明記を」と9条改正も訴えていた。今ではさして珍しくない主張だが、60〜70年代には自民党内でタカ派と目されていた。

> 旧社会党議員だった横路さんは同じ選挙区で何度も戦った。「北海道は革新系が強くてね。当時の社会党は非武装中立路線、ほかの自民党議員もリベラル寄りで。でも箕輪さんは改憲論者で『自衛隊は必要だ』と。自衛隊を票田にしていたからやっぱりタカのイメージでしたなあ」

> 横路さんは“政敵”の箕輪さんと議員時代に私的な交流はなく、引退を聞いた後も久しく名前を思い出すこともなかった。だから箕輪さんが2004年1月、小泉純一郎政権が行ったイラクへの自衛隊派遣(03〜09年)の差し止めを求め、国を相手に札幌地裁に訴訟を起こした時は驚いた。

> あれから12年。地球規模で米軍などへの後方支援を可能にする安全保障関連法が3月に施行された。横路さんは言う。「あの法律で自衛隊の海外活動の枠が一気に広がってしまいました。箕輪さんがお元気なら? 怒髪天をつく、ですよきっと」


> イラク派遣「自衛隊員への裏切り」

> 箕輪さんが訴訟で訴えたのは、自衛隊のイラク派遣は武力行使を禁じた憲法9条に違反するという内容だった。

> 「札幌の弁護士会が開いている市民向けの相談電話があるんだけど、そこに03年12月、箕輪さん本人が『元国会議員の箕輪ですが』と相談を求める電話をかけてきて。最初は冗談かと思いました。僕も学生時代は箕輪さんを『タカ派で自衛隊寄りの悪いヤツ』だと思っていたんで」。訴訟弁護団の事務局長を務めた札幌市の弁護士、佐藤博文さん(61)はこう振り返る。

> 訴訟は全国に広がり、11地裁で争われた。しかし、すべて敗訴。08年の名古屋高裁判決だけが、請求自体は棄却しながらも「航空自衛隊による多国籍軍の空輸は違憲」と原告の主張を一部認めた。

> 「箕輪さんの『自衛隊は専守防衛のための最低限、必要な自衛力で、だからこそ合憲である。日本が侵略されたわけでもないのに、自衛隊を海外派遣するのは専守防衛の枠を逸脱する』という立場は、保守の主張としては新鮮でした。湾岸戦争以来、どんどん海外活動を広げるやり方が我慢できなかったようです。タカ派と言われていたが、ピシッと筋が通っていました」

> 箕輪さんは提訴に先立ち、イラク特別措置法(03年成立)に反対する手紙を自民党の国会議員全員に送っていた。提訴は、反応がない小泉政権への抗議でもある。安倍首相は当時、党幹事長だった。引退した箕輪さんがそこまで海外派遣反対にこだわったのはなぜか。晩年、秘書役を務めた札幌学院大名誉教授(平和学専攻)の坪井主税(ちから)さん(74)はこう回想する。

> 「箕輪さんから、何度も防衛政務次官時代の話を聞きました。立場上、隊員に訓示する機会が多い。彼は『日本に急迫不正な侵害が起きた時は、専守防衛として、みなさんの力で国民の安全と生命を守ってもらいたい。その任務を全うしていただくみなさんに感謝します』と言っていたそうです。海外派遣を認めたら、専守防衛ではないのに必ず犠牲者が出る。それは自分が頭を下げて任務の全うを頼んだ自衛隊員への裏切りだ。そう考えていたんです」


> 「専守防衛」参院決議知り、猛勉強

> 箕輪さんが防衛族議員の道を歩んだのは、議員になりたてのころ、自衛隊の合憲性が争われる裁判が相次いだことが背景にあった。

> 亡くなる3カ月前の06年2月、札幌地裁の口頭弁論で箕輪さんは、専守防衛を前提にした自衛隊合憲論を持論とするようになった経緯について、次のように証言した。

> 「自衛隊が違憲なら、自衛隊法を作った自民党、いや、むしろ議員をやめようと。それで当時の佐藤栄作首相に相談したら『違う。自衛隊は専守防衛、攻められた時に独立を助けるためのものだから違憲じゃないんだ。もっと自衛隊法を勉強しろ。参議院では自衛隊の海外派遣を禁じる決議もした』と諭され、自衛隊や法律を学び始めたんです」

> 箕輪さんが議員になる前に秘書として仕えた佐藤栄作は、安倍首相の大叔父。箕輪さんが「勉強しろ」と叱られたのは、54年の参院決議だ。この決議は今も有効だが、法的拘束力はない。決議の年に生まれた安倍首相が安保法を成立させたことで、ますます有名無実のお題目になった。

> 参院決議を踏みにじった安倍首相に箕輪さんと同じように憤るのは、新潟県加茂市の小池清彦市長(79)だ。元防衛官僚で防衛研究所長や教育訓練局長を務め、92年に退官。現職時代は箕輪さんと接点はなかったが、ともに自衛隊のイラク派遣に反対したことで親交が芽生えた。

> 「専守防衛で固めてきたのに、今や安保法の施行で後方支援名目とはいえ、自衛隊は世界中どこでも海外派遣できるようになった。必ず多くの犠牲者を生む。箕輪さんは泣いておられるでしょう」

> 小池さんも箕輪さんも戦争を知る世代。小池さんの叔父はフィリピンで戦死し、妻の父親は沖縄で戦死した。箕輪さんも軍医として陸軍に従軍した。箕輪さんが引退直後の90年に出した自伝「腰を据え脊筋伸ばして」(非売品)には、戦争体験のほか、全盲でマッサージ師だった父と暮らした少年時代、近所で垣間見た朝鮮人差別への怒りなどがつづられている。

> 小池さんが嘆息する。「箕輪さんの根底にはそういうヒューマニズムがあるんです。だから自衛隊員は国の宝で、何があっても彼らを死なせてはいかん、と。本来の任務ではない集団的自衛権行使や海外派遣でなら、なおさらです。『一将功成って万骨枯る』と言いますね。箕輪さんは枯れる『万骨』に思いを寄せた。最近の政治家は『一将』ばかりです。憲法解釈を変え、自衛隊を海外に出して功を成したい、と……」


> 「米国と一緒に戦争」憲法、許せない

> 専守防衛を前提にした自衛隊合憲論を唱えた箕輪さんが、改憲を諦めたのはなぜか。坪井さんは、箕輪さんの胸の内を解説する。「9条改正で自衛隊を明記すれば、もう普通の軍隊です。イラク派遣のやり方を見ていて、今後、米国から集団的自衛権行使を求められれば日本は断れないだろう。それは自衛隊員との『約束』に背くことになる。そこに気づいたんでしょう」

> 99年5月の毎日新聞インタビューでは「9条は抽象的な書き方ではいけない」と改憲論を続けていた箕輪さんは、イラク戦争後、護憲に傾く。「いま憲法改正論議が出ておりますけれども、9条の精神はどうしても残しておきたい」(04年5月の札幌市での講演録)▽「アメリカが戦争すれば一緒に戦争する。そのための憲法にしようというのは許されない」「9条改悪に反対だと意思表示することが大切」(05年5月の医療労働者団体「民医連」機関誌でのインタビュー)。護憲にかじを切った箕輪さんが、再び自衛隊の憲法への明記を主張することはなかった。

> 06年5月、箕輪さんの葬儀で、参列者に配られた礼状を佐藤さんに見せてもらった。亡くなる3カ月前のイラク訴訟に出廷した最後の法廷で述べた言葉が刷られていた。

> <何とかこの日本がいつまでも平和であって欲しい 平和的生存権を負った日本の年寄り一人がやがて死んでいくでしょう やがては死んでいくが死んでもやっぱり日本の国がどうか平和で働き者の国民で幸せに暮らして欲しいなと それだけが本当に私の願いでした みのわ登>

> 箕輪さんと同じ旧北海道1区を地盤にした町村信孝前衆院議長が昨年6月、死去した。安倍首相は葬儀で「安全保障環境は厳しさを増しています……町村先生のバトンは私たちが受け継ぎます」と誓った。では、もう一人の先輩のバトンはどうなるのか。安倍首相に、箕輪さんの遺言をかみ締めてもらいたい。


> ■人物略歴

> みのわ・のぼる

> 1924年北海道小樽市生まれ。医師、佐藤栄作元首相の秘書を経て67年から衆院議員連続8期。72〜73年防衛政務次官、81〜82年郵政相。90年に政界引退し、2006年死去。

<参考=「特集ワイド:元自民党タカ派の遺言 安倍首相、覚えてますか?」(毎日新聞)>
<消滅・21/05/21>


NO.1354 新車が実質2千円 ふるさと納税、富裕層の節税策に(朝日新聞)<起稿 磯津千由紀>(16/06/01)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/01 (Wed) 20:19

 こんばんは。


 半月前の記事です。
 其の後、返礼額が自粛されましたが、納める住民税の無い庶民には夢のような話でした。


> 房総半島の中央にある人口約1万人の千葉県大多喜町。返礼品は町で使える金券で、ふるさと納税をする富裕層には有名な自治体だ。2014年12月に金券を贈り始め、15年度の寄付額は前年度の40倍近い約18億円に急増した。4月下旬、ネット上で高級ブランド品販売をうたい、金券の使用先として富裕層に人気の「店」を訪ねた。

> ふるさと納税額、3倍超に 返礼競争でお得感高まる⇒
> 特集:ふるさと納税⇒

> 建物の2階に「大多喜百貨店」の看板。入り口がわからず、1階の飲食店で尋ねると「鍵を預かっています」。案内されたアパートの一室には千円のサングラスやしゃもじが並ぶ。案内してくれた女性は「普段は誰もいません。専らネット通販の会社だそうです」という。

> 「店」はなぜ人気か。

> 例えば、給与年収1億円の男性が昨年、町に400万円をふるさと納税したとする。自己負担は2千円で、399万8千円は男性の所得税と住民税から減額される。町からは寄付額の7割、280万円分の金券が贈られ、2千円を引いた279万8千円分が「もうけ」になる。金券を資産に換えれば節税完了だ。

> 「大多喜百貨店」は客に金券を郵送させ、高級品を送るのが売りだった。東京の業者が町に「支店」を登記したのは15年4月。町は金券を扱える業者として登録した。業者が持ち込んだ金券は町が換金する。業者は「町にまずはネット販売でいいと言われた」。最近になってネット通販はやめたという。

> 町は3月から、寄付に対する金券の額の割合を7割から6割に下げるなど規制を始めたが発行は続く。


> ■金券の束、町内の店に次々

> 千葉県大多喜町に2015年末に現れた「大多喜ウォルマーケット」もふるさと納税で贈られた金券を扱い、ネットで家電製品の多様な品ぞろえを宣伝する。だが、店内をのぞくと陳列棚には歯ブラシやシャンプー。建物は廃業したラーメン店で、看板に「ら~めん かぞく」の文字が浮かぶ。敷地は雑草だらけだ。店の関係者は開業の理由について「金券の利用も念頭にあった」と言う。

> こうした業者が町に進出するのは、町が刷った大量の金券と市場規模が釣り合っていないこともある。町が15年度に贈った金券は約12億円。町の年間の町税収入の10億円を上回る。小売業売上高が90億円ほどの町に多額の金券をさばける店は多くないからだ。

> 「ふるさと納税の目的は節税」。「100%得をする ふるさと納税生活」の著者、金森重樹氏(46)は断言する。年収は7億円にのぼるといい、15年度にふるさと納税した額は約1300万円。うち約1千万円は大多喜町へ。「大多喜百貨店」を中心に通販で高級腕時計やシャンパンなど数百万円分を買ったという。

> 大多喜町のほかのお店にも足を運んでみた。

> 大型連休初日の4月29日、家族経営の電器店。川崎ナンバーの高級外車でやってきた自営業の男性と妻が、最新の冷蔵庫など約25万円分を選んでいた。大半を金券で購入。男性は「町を4回訪れ、大きな買い物はここでした」と話した。

> 町の複数の電器店が、事実上の通信販売も行ってきた。この店にも全国から注文メールが押し寄せ、対応にてんてこ舞いだ。多くの客は実質負担2千円で高額の家電製品を買っていることになるが、店主は「ネットで価格を比べて、価格にかなり敏感だ」と語る。

> 町の中心部のスーパー「いなげや」では、別の夫婦がカートを連ね、かご四つに山盛りの買い物をしていた。レジで渡したのは分厚い金券の束だった。

> 町内のある業者はここ数カ月で200万~700万円の新車を数台、全額金券で売った。業者は「町がからんだ、お金持ちの合法的な節税対策が行われている。これでいいのかと迷いながら販売した」。

> 総務省は4月、金券や家電製品など資産性の高い返礼品を贈らないよう自治体に通知。しかし、大多喜町は金券発行を続け、自治体の競争は過熱する。町の担当者は「金券は町内使用が前提。一般的な『金券』には当たらない」とみる。

> 総務省の通知に逆行するように4月、千葉県勝浦市と群馬県渋川市は金券を返礼品に加えた。金券で潤う近隣の自治体に追随した。勝浦市の担当者は「隣が大多喜町。寄付や市内の消費が流出するおそれがあった」と打ち明けた。


> ■「自治体にとっては麻薬」

> ふるさと納税は、菅義偉官房長官が第1次安倍政権で総務相の時、「都会の人もふるさとに恩返ししたい思いがある」と創設を求めた。しかし、菅氏が2007年に設けた研究会で返礼品競争への懸念はすでにあった。豪華な返礼品を贈る自治体ばかりに寄付が集まる半面、節度を保つ自治体では、地方の都市でも税収が失われてしまう。

> 本来、「寄付」は見返りを求めない。実際、熊本地震後、熊本県南阿蘇村には、返礼品を贈れないのにふるさと納税による寄付は数週間で15年度の4倍の額が集まった。見返りが前提の今の制度はこうした寄付の理念をゆがめる。

> 一部では高所得者の「節税対策」の形で利用されている。国や地方に納められ、福祉や子育てなどに充てられるべき税は、返礼品に化けて目減りする。街づくり専門家の木下斉(ひとし)氏は「返礼品頼みのふるさと納税は財源のほしい自治体にとって麻薬。業者も返礼品を買い集めてくれる役所に依存する。地方経済のためにならない」と話す。(青山直篤、杉浦幹治)

<参考=「新車が実質2千円 ふるさと納税、富裕層の節税策に」(朝日新聞)>
<消滅・17/06/09>


NO.1355 スマホ購入時に同じ大手通信キャリアと契約したのは69.6%―MMD研究所(ITpro)<起稿 磯津千由紀>(16/06/01)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/01 (Wed) 23:45

 こんばんは。


 母集団が小さいですが、スマートフォンの購入の際に3割もの人がキャリアを乗り換えていると云います。
 長く使い続けてる人こそを優遇すべきと思うのですが、現状、乗り換え客を優遇してますから。
 料金が安いMVNOはまだ浸透してないようです。
 また、端末の使用期間が短いですね。物持ちが悪いというか。


> 調査会社のMMD研究所は2016年4月28日、スマートフォンの購入意向に関する調査結果を発表した。2015年10月~16年3月にかけて、スマートフォンを購入した15歳以上の男女693人を対象に実施した。

> それによると、スマートフォン購入時のポイントとして、操作性の良さを「重視する」または「やや重視する」と答えた回答者は83.1%に達した。バッテリーの持ちが82.6%、画面の大きさが78.2%と続いた。

> 購入前に利用していた端末の利用期間についても聞いた。「2年~2年半」が25.4%で最多。3年以上の利用は、21.2%だったという。

> 端末購入前の通信事業者と購入後の切り替えの有無についても調査した。現在大手の通信キャリアを契約している人は、「同じ大手通信キャリアを使っている」という回答が69.6%で最多だった(図)。「大手通信キャリアから別の大手通信キャリアに変更した」が29.5%と続いた。「MVNOから大手通信キャリアに変更した」という回答は、0.9%にとどまった。

> 現在MVNOと契約している人を対象とした調査では、「キャリアからMVNOに変更した」という回答が64.4%で最多となり、「同じMVNOを使っている」が32.7%と続いた。MVNO間での切り替えは2.9%だったという。


<参考=「[データは語る]スマホ購入時に同じ大手通信キャリアと契約したのは69.6%―MMD研究所」(ITpro)>


NO.1356 事業者への取材で分かった熊本地震発生直後の通信状況、東日本の教訓は生かせたか(ITpro)<起稿 磯津千由紀>(16/06/02)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/02 (Thu) 00:33

 こんばんは。


 私は、熊本地震を受けて、低速の携帯電話データ通信専用回線(無線WAN)を3本増やしてる最中です。


> 災害の後は、電話回線の混雑を防ぐため、被災地に向けた不急の音声通話はなるべく避け、メールやSNS、災害用伝言板を使った方が良い――このことは、東日本大震災を通じて広く国民に知られるようになった。

> では、音声で通話したい場合でも「携帯電話」から「固定電話」といった異種間の通信はできれば避けた方がいい――こんな話はご存じだろうか。

> 2016年4月に発生した熊本地震は、音声電話からデータ通信まで、現地の通信ネットワークに大きな被害をもたらした。停電やケーブル断による回線の不通に加え、安否確認のための音声通話が集中し、回線容量を逼迫させる「輻輳(ふくそう)」も発生した。

> 停電やケーブル断、音声通話の輻輳は、東日本大震災の際にも大規模に発生し、音声通話がほとんど使えない事態となった(日経テクノロジーOnline関連記事:【震災、そのとき情報通信は(1)】想定外の72時間、停電で携帯電話は使えなくなった)。その後、国内通信各社は「災害に強いネットワーク」を目指し、設備の増強や冗長化に取り組んでいた。

> 熊本地震では、これらの試みは実を結んだのか。通信事業者への取材を元に、今回の地震から得られる教訓を考えてみたい。


> 混雑による通信障害の多くは短期間で解消

> まず熊本地震における、通信回線の混雑に起因する通信障害からみていこう。


> 固定網を管轄するNTT西日本によれば、「前震(14日午後9時26分、M6.5)と本震(16日午前1時25分、M7.3)の直後に、それぞれ数分ほど、混雑のため電話がつながりにくい事象が発生した」(広報部)という。ただ、一定割合の発信を強制的に遮断する「発信規制」を迫られるほどには、回線容量は逼迫しなかったという。

> 携帯電話網にも、混雑に伴う障害が発生した。例えばNTTドコモは「前震直後、平常のピーク時の35倍の発信があり、通話量が容量を超えてあふれた」(サービス運営部 災害対策室 室長の池田正氏)ため、前震の発生から1時間ほどつながりにくくなった。ただ、発信規制をかけるほどの混雑には至らなかった。

> KDDIの場合、混雑に伴う障害はみられず、発信規制もかけていないという。ソフトバンクは前震の直後に、ソフトバンクの携帯電話から熊本県内の携帯電話への発信に規制をかけたが、1時間半後には解除している。


> 長期の発信規制がかかった「携帯→固定」通信

> その一方、熊本地震で唯一、長時間にわたって発信規制がかかったケースがあった。NTTドコモの携帯電話から熊本県の固定電話への通話である。

> NTTドコモが発信規制をかけたのは、前震から半日が経過した4月15日午後2時14分頃から、本震をまたいだ16日午前11時43分まで。ほぼ1日規制がかかったことになる。とはいえ、この規制は25%、つまり4回に1回の発信を規制するもので、8割~9割を規制した東日本大震災当時よりははるかに緩やかなものである。

> NTTドコモが規制をかけたのは、携帯電話から熊本県内の固定電話への発信が、NTTドコモとNTT西日本の回線を接続する交換機の容量を超えたためだ。

> 異なる事業者間を接続する回線の容量は、1対1で接続している双方の交換機の容量に依存する。だが、「近年は『携帯から固定』への発信がほとんどなく、携帯と固定を接続する回線の容量は相対的に小さかった」(池田氏)。そこに地震が発生し、「手元の携帯電話から被災地の実家に電話する」といった、平時にはない通話ニーズが急増した結果、細い回線をパンクさせた。

> 池田氏は「『固定から固定』、『携帯から携帯』は、普段から使っているため一定の回線容量を確保している。その一方で、『携帯から固定』など異種間の接続は、普段はほとんど使わないため、災害時にはボトルネックになりやすい」と語る。

> 今回、KDDIやソフトバンクに同種の障害は見られていない。その点で、「携帯から固定への電話は避けるべき」と断定調で言えるほど一般化できる話ではない。実際には、通信の逼迫事情に応じ、柔軟に対応できればいいだろう。

> ただ、今後は固定網のインフラは需要が小さくなり、特に固定網側による追加投資は期待しづらい。今後、災害において「携帯から固定」の通話がボトルネックになる傾向はますます強まる、と見ていた方がいいだろう。


> LINE Outの無料化アナウンスは輻輳を助長させたのか

> 今回の熊本地震では、前震発生直後の14日23時に、LINEのTwitter公式アカウント(@LINEjp_official)が以下のようなアナウンスをしたことが話題になった。

> "LINEから固定電話・携帯電話にかけられる「LINE Out」機能で、日本国内の番号への発信を1通話最大10分まで無料化しました。家の電話やLINEでつながっていない方への安否確認にご活用ください。 #熊本 #地震 #拡散希望"

> このアナウンスに対し、Twitter上では「被災地の電話回線の輻輳を助長する行為だ」と批判するツイートが殺到。その後、公式アカウントは

> "先ほどご案内したLINE Outは回線に負荷が集中する恐れがあるため、緊急性が高い場合のみご利用いただくようご協力をお願いします。 #熊本 #安否確認"

> とツイートし、軌道修正した。

> LINE Outの無料化がNTT西日本の回線網に与えた影響について、NTT西日本は「災害対応のため精査できておらず、不明」としている。ただ、地震直後の混雑による通信障害について「数分で解消した」(NTT西日本)としていることから、今回のLINEの対応がNTT西日本の回線に与えた影響は軽微だったといっていいだろう。

> ただ、「異種間通信のボトルネック」という観点からすれば、LINEの対応について考察する余地はまだある。

> LINEは、LINE Outが採用する通信経路について「明らかにしていない」(LINE)。仮に、LINE Outが海外のゲートウェイを経由して国内の固定網に接続しているとすれば、大量のLINEユーザーによる発信でゲートウェイの回線容量を逼迫させ、緊急を要する他の海外通話を妨げてしまう可能性も否定できない。

> LINEによると、回線を借りている通信事業者とはLINE Outの無償化について事前に協議しており、海外でも災害時に無償化した実績があるという。ただ今回は、「接続先の通信事業者(NTT西日本やNTTドコモなど各社)との事前協議は行っていなかった」(LINE)。

> 「普段は使われていない回線は、災害時にはボトルネックになりやすい」という原則からいえば、普段LINE Outを使っていないユーザーに対して、被災地の電話回線への発信を促した点について、やはりLINE公式アカウントのツイートは軽率だった、と評価せざるを得ない。


> 停電によるサービス断エリアをカバーした「中ゾーン基地局」

> 回線の混雑による通信障害には様々な課題が残った一方、停電やケーブル断による通信障害の対策については、東日本大震災の教訓が生かされたといえる。

> NTT西日本によれば、基幹網のケーブル損傷によって最大2100回線が何らかの影響があった(電話局と住宅との間の損傷による不通は除く)が、「基幹網の冗長化により、大規模なサービス影響とならず、サービス提供が継続できた」(NTT西日本)という。停電については「予備電源や移動電源車を活用することによって電力確保できたことから、サービスへの影響はなかった」(NTT西日本)という。

> 携帯電話網については、例えばNTTドコモの場合、16日に発生した本震により、最大84基地局がサービス中断となり、うち78局は電源断と電池の枯渇によるものだった。

> このサービス断エリアをカバーしたのが、NTTドコモが震災後に設置を進めた「中ゾーン基地局」だ。蓄電池の24時間化、伝送路の多重化に加えて、アンテナ角度の遠隔制御によって、カバー範囲を一般的な基地局の数倍となる3~5kmまで拡大できる。24時間以内に蓄電池を交換、あるいは移動電源車を配置できれば、そのままサービスを継続できる。

> 「もともと台風が多い地域であり、停電対策のため蓄電池を強化していたのが奏功した」(池田氏)。アンテナ角度の制御のみに対応した基地局を含め、41局がサービス断エリアのカバーに寄与した。

> 中ゾーン基地局ではカバーできないエリアについて、NTTドコモは東日本大震災でも活躍した衛星移動基地局車を9カ所に設置し、補った。壊滅的な被害を想定した大ゾーン基地局(半径7kmカバー)は使わずに済んだという。

> この結果NTTドコモは、18日夜には全避難所で通信エリアを復旧。本震から4日後の20日夜には、立ち入り禁止地域を含む阿蘇地域の4局を除いて地震前のサービスエリアを復旧させた。

> 5年前の東日本大震災では、全国の基地局の4%ほどに当たる約1万2000局が機能を停止し、このうち8割前後は停電による停止だった。当時、多くの基地局は停電後も3~8時間は非常用蓄電池でサービスを継続できたが、その後は電池切れで次々に使用不能になった。こうした震災の被害を教訓に設置された中ゾーン基地局は、通信障害の軽減に大きな役割を果たしたと言えるだろう。

<参考=「事業者への取材で分かった熊本地震発生直後の通信状況、東日本の教訓は生かせたか」(ITpro)>


NO.1357 徹底レビュー:サーバ用CPU搭載のモンスターノート「ThinkPad P50」に不可能はないか(TechTarget)<起稿 磯津千由紀>(16/06/02)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/02 (Thu) 08:08

 おはようございます。


 ThinkPad P50ハイエンドモデルは、仕事用ThinkPad T530改の後継に欲しいけど、手がとても届きません。


> パワフル、長持ち、4Kディスプレイ

> Lenovoの「ThinkPad P50」は、最高のパフォーマンスと持続時間の長いバッテリーをコンパクトな15.6型の本体に格納しているモバイルワークステーションだ。


> Lenovoはモバイルワークステーションシリーズの導入に伴いブランドを変更した。「Lenovo ThinkPad P50」は、従来の「ThinkPad W541」の後継機で、P50はワークステーションUltrabook「ThinkPad W550」のフォローアップ機となる。

> 名称は変わっても、Lenovoのワークステーションである「ThinkPad」の神髄は変わらない。IntelのCPU「Xeon」とNVIDIAのGPU「Quadro」を搭載したワークステーション「ThinkPad P50」(以下、P50)は、4K動画編集や3Dモデリングといった負荷の高い作業にも十分に対応できる馬力を持つ。15.6型のP50は、魅力的な4K IPSディスプレイとMIL規格に準拠した筐体、最高のキーボードで重さ約2.67kgのノートPCとしてパッケージ化されている。市場で最軽量のワークステーションではないものの、総合的には素晴らしい選択肢といえる。以下のP50のレビューで、その理由について解説する。


> 仕様とデザイン

> P50は、ノート型ワークステーションにしては驚くほどスリムだ。厚さ1.16インチ、重さわずか約2.67kgのP50は、厳密には軽量ではないものの、持ち運びは可能だ。15.6型のワークステーションは、約544gの電源アダプターと共に簡単にかばんに収まり、全て合わせても約3.2kgしかないので扱いやすい。

> デザインはスリムでも、P50の外観は非常に実用的なワークステーションだ。黒いボックス型をした筐体のデザインは、Lenovoのクラシックな「ThinkPad T」シリーズの趣を残す。ThinkPadの「i」の文字と、ディスプレイの蓋の左上はライトアップする。このノートPCのデザインで驚かされた要素の1つは、プラスチックの蓋のソフトなタッチで、これは標準的なThinkPadのデザインの逆をいく。だがこのおかげで本体を持ちやすくなったことは歓迎できる。

> ThinkPadに期待される通り、他の部分は、れんが建ての家のような造りになっている。P50のマグネシウムとアルミニウムのベースは極めて耐久性が高く、事実上妥協のない印象だ。Lenovoによれば、このノートPCは極端な温度やサンドブラスト、湿度、振動、衝撃に関してMIL-STD 810G試験(注:米国国防総省の性能試験の一種)に合格した。簡単に言えば、このノートPCは長持ちする構造になっている。


> ポートと機能

> P50は幅広いポートを備え、素晴らしい接続性を提供する。左側にはSDカードリーダーと、オプションのExpressCard/34ポート、オプションのスマートカードリーダーを搭載。右側にはミニDisplayPortポート1つとUSB 3.0ポートが2つ、オーディオジャックが1つある。ポートの大部分は本体の背面にある。背面には電源コネクタ、HDMIコネクタ、Thunderbolt/USB Type-Cポート、イーサネットコネクタが各1つと、USB 3.0ポートが2つある。ほとんどのポートが背面にあるのはやや不便だが、何もないよりは背面にでもある方がいい。

> ポートの幅広い選択肢に加え、P50は法人向けのIT管理者のためのセキュリティ機能も多数搭載している。CPUオプションは全てIntel vPro管理技術とセキュリティチップ(TPM)を実装。P50の全モデルとも、デッキの矢印キーの下に指紋読み取り装置が付いている。


> ディスプレイとスピーカー

> P50は、解像度15.6型4K(3840×2160)の美しいIPSディスプレイを搭載する。画像は精彩かつ鮮明で、純粋な色がビビッドに再現される。映画『Captain America: Civil War』の予告編を視聴したところ、爆発の雲のオレンジ色の重なりや、殴られたアイアンマンの右目の回りの紫色のあざをうまく表現した画面がTechTargetのレビュアーに好評だった。驚くほどの色の正確さや鮮明さを考えると、P50は設計ツールであるCADなどのハイエンドな画像を使う作業に最適といえるが、美しい色調は一息つく時のメディア視聴も楽しめる。

> P50のディスプレイで1つだけ難点があるとすれば、明るさが限られていることだ。300nitしかないP50の画面は暗い部類だ。普通の状態で見ているのであれば、これは全く問題にならない。斜めから見ても、色や画質は驚くほど保たれる。唯一画面が見にくくなるのは直射日光が当たった時だ。強い光や直射日光の下では、画面に光る部分が表れて色彩も薄れる。

> キーボードの上部には、薄く黒いグリルスピーカーバーがある。P50の音声は、それなりの大きさの部屋全体に聴こえる音量まで上げることができ、ミーティングでのプレゼンテーションにも適している。音楽ユニット『Duo Sonidos』のクラシックのデュエット曲多数をこのマシンで正確に表現できたことも「TechTarget」のレビュアーに評価された。クラシックギターとバイオリンが正確にキャプチャーされ、フィードバックはほとんどなかった。ベースは重厚感がないので、『Captain America: Civil War』の予告編の爆発音のような特殊効果は空虚に聞こえる。


> キーボードとタッチパッド

> P50の最も魅力的な特長の1つは、液体をこぼしても侵入しないクラシックなアイランド型キーボードだ。光沢のある黒いプラスチックのキーは角が丸く、わずかに内側にカーブしてユーザーの指先を受け止める。キーボード上で指を動かすと即座に正確な反応が返ってくる。P50では素早く簡単かつ正確な入力ができる。

>古くからThinkPadを支持してきたファンは、TrackPointスティックが「B」のキーの上に復活したと知れば喜ぶだろう。この赤いゴムのパッドは素晴らしい操作性を提供し、タッチパッドの上にあるマウスボタンと完璧に連動する。

> デッキの右下のスペースバーの下にはSynapticsタッチパッドがある。パッドはハードプラスチック製で大きさは中くらい、下部にハードプラスチック製のマウスボタンが3つ並ぶ。パッドの表面は滑らかで、滑るように指を動かして素晴らしい精度を実現できる。クリック、スワイプ、マルチフィンガーなどの動作も全て問題なくこなせた。

> P50のCPUは2.8 GHzの「Intel Xeon E3-15-5M v5」、GPUは「NVIDIA Quadro M2000M」の4GB DDR5。16GBのDDR4メモリ、驚くほど高速な500GB PCIe SATA 3 SSDを搭載し、全般に素晴らしい性能を発揮する。

> 「TechTarget」がテストしたP50のレビュー機は最も高額な仕様で、同社のWebサイトでは現在、2353ドル(約25万円)で販売されている。LenovoのWebサイトに掲載されたP50は最も安いもので1323ドル(約14万円)から。P50は拡張性が高く、画像解像度が低いオプションや、CPUに「Intel Core i7」を使うオプション、HDD容量を抑えたオプションもある。スケールダウンすれば大幅に予算を削減できるが、あらゆる装飾品が付属したP50には何かがある。

> 予想通り、同ワークステーションはCADやエンジニアリングソフトウェアといった高い処理能力を要する業務用アプリに最適だ。言うまでもなく、普通の日常業務は難なくこなす。専用のNVIDIA Quadro M2000Mは4K動画編集や3Dモデリングに最適だ。余暇に最新ゲームを楽しみたいのであれば、P50はそれにも対応できる。ただし3DMark Firestrikeのベンチマークスコアは中程度で、同チップセットは真にゲームを指向するものではない。PCIe SSDによって生産性はさらに強化され、P50はわずか数秒で起動できて、大容量のデータファイルの移動も比較的難なくできる。

> P50レビュー機の技術仕様は以下の通り。

≫ •Windows 10 Pro
≫ •15.6型4K(3840×2160)IPSディスプレイ
≫ •Intel Xeon E3-1505M CPU 2.8GHz
≫ •NVIDIA Quadro M2000M 4GB DDR5
≫ •Intel HD 530グラフィックス内蔵
≫ •16GB DDR4
≫ •512GB PCIe SSD SATA3
≫ •802.11 b/g/n/ac
≫ •Bluetooth 4.1
≫ •サイズ: 14.86 x 9.93 x 1.16インチ
≫ •重さ: 約2.67kg
≫ •価格: 1323ドル(約14万円)~
≫ •レビュー機仕様の価格: 2,353ドル(約25万円)


> ベンチマーク

> wPrimeによる処理能力比較結果(単位:秒、スコアが低いほど高性能)

<略>

> PCMark8 Home(Accelerated)によるWindowsの相対的なシステム性能比較。Web閲覧、ビデオストリーミング、文書入力、ゲームなど一般的な操作に関する性能を比較(スコアが高いほど高性能)

<略>

> PCMark8 Work(Accelerated)によるWindowsの相対的なシステム性能比較。業務関連のタスク性能を比較(スコアが高いほど高性能))

<略>

> 3DMark 11によるグラフィックスカードの相対的なゲーム性能比較(スコアが高いほど高性能)

<略>

> 3DMark Fire Strikeによるビジュアル性の高いゲームに関する相対的なグラフィックスカード性能比較(スコアが高いほど高性能)

<略>

> CrystalDiskMarkによるストレージドライブ性能テスト

<略>


> 発熱とノイズ

> P50は本体の後部に2つの大きな通気口がある。ワークステーションとしては驚くほど静かで、発熱したのは30分のHDビデオの後のみだった。冷却システムの動作音はユーザーには聞こえないかもしれないが、確かに機能している。キーボードを使いながらHDビデオをP50のレビュー機で30分間ストリーミングした後に本体の底部に触れると温かく感じる程度で、ひざの上に乗せても快適に使用できる。


> バッテリー

> バッテリー持続時間のテストはFuturemarkのPowerMarkを使ってバランスモードで実施した。テストではWeb閲覧、ワープロ、ゲーム、ビデオ再生のワークロードを組み合わせた。このテストでは一般的なWeb閲覧のみの場合に比べてはるかに高い負荷をかけ、高いストレス下で使った場合のシミュレーションを繰り返した。負荷の高いテストだったため、単にSNS「Facebook」をチェックしたり動画配信サービス「Netflix」を見たりしただけの場合に比べてスコアはかなり低い。

> Powermarkによるバッテリー持続時間のベンチマークテスト(単位:分。スコアが高いほどバッテリー持続時間が長い)

<略>

> ワークステーションのバッテリー持続時間は必ずしも長くない。だがこのマシンは例外だった。Lenovo ThinkPad P50のレビュー機は終了するまで5時間12分持続した。普通の日常業務に使っている限り、バッテリー消費は今回のバッテリーテストほど激しくない。つまり、バッテリーは1回の充電で最大7時間もつことが期待できる。


> 結論

> パワフルな仕様、美しい4Kディスプレイ、反応の良いキーボード、耐久性の高い筐体を備えたP50は素晴らしいマシンだ。持続時間の長いバッテリーのおかげで、電源がない場所でも業務を続けられることを忘れてはいけない。

> 持ち運びやすさは多少譲ってもいいというパワーユーザーであれば、さらに高速なNVIDIA M4000M GPUを搭載したLenovoの「P70」モデルも選択肢になるだろう。一方、それほどの性能を必要としない場合、「MacBook Pro」や「Dell Precision 5510」も検討対象になる。いずれもP50より450グラム以上軽い。

> それでもほぼ全ての分野における優れた性能や、バッテリー持続時間の長さを考えれば、総合的に見てP50に対抗できるワークステーションはほとんど存在しない。


長所:
≫ •バッテリー持続時間の長さ
≫ •素晴らしいキーボード
≫ •美しい4k IPSディスプレイ
≫ •力強い性能


> 短所:
≫ •明るさの制約
≫ •代替製品に比べた重さ

<参考=「徹底レビュー:サーバ用CPU搭載のモンスターノート「ThinkPad P50」に不可能はないか」(TechTarget)>


NO.1358 雲仙普賢岳の噴火災害から25年<起稿 磯津千由紀>(16/06/03)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/03 (Fri) 22:55

 こんばんは。


 ニコンF4のレリーズ釦に指を掛けたまま亡くなっていたという讀賣新聞記者の話は、「シンデモ ラッパ ヲ クチカラ ハナシマセンデシタ」を思わせる美談として、当初は報道された。
 其の後、私は、最初のオートフォーカス一眼レフとして、ニコンを選んだ(F4には手が出なかったので、F-801とAiAF80-200mmF2.8Sにした)。
 記者たちが立ち入り禁止地域に残って居たため其の地に留まらざるを得なかった消防団員やタクシー運転手の多くが犠牲になったことを知り、「美談」どころではなく「人災」であったと判ったのは、後の事である。因みに、高名な火山学者のクラフト夫妻も亡くなったことが知られているが、どういう交通手段で現地に出向いていたかは私には分からなかった。

 今、日本全国で、火山活動が活発化している。
 再び人災を招かぬよう、人知の限りを尽くす必要があろう。かのクラフト夫妻でも火砕流を予見できなかった、羹に懲りて膾を吹くことになっても良い、安全第一である。


<同文(ちゆきの懸想文)>

<参考=雲仙普賢岳の噴火災害から25年


NO.1359 学力低下の汚名、文科相が「決別宣言」 「ゆとり教育」失敗だったの?(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(16/06/04)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2016/06/04 (Sat) 00:46

 こんばんは。


 身近を見る限り、「ゆとり教育」の「実践」は失敗だったと思っています。
 過去、習ってる筈のことを殆ど覚えてない大人が多かったので、「普通の子」には教える量を半減させる代わりに徹底的に教え込むこと、一方、「出来る子」が授業に退屈してるので、悪平等を無くして勉強したい子にはどんどん先に進ませること、が持論でした。
 しかし、「ゆとり教育」は普通の子にも出来る子にも学力低下を齎すものだったからです。
 勿論、下の記事中にあるように、「ゆとり世代」と一括りにすることには反対ですけど。


> 自ら学ぶ力身につけ、視野広がる

> 「ゆとり教育」との決別宣言を明確にしておきたい−−。馳浩文部科学相は5月10日の閣議後記者会見でこう述べた。でも、学力低下の“汚名”を着せられ、揚げ句に「決別宣言」まで出されてしまった「ゆとり教育」って、本当に失敗だったの?> テレビドラマ「ゆとりですがなにか」が放映されるなど「ゆとり世代」が注目される中、当事者の声にも耳を傾けながら検証した。【小国綾子】

> 「ゆとり世代は“失敗作”にされるんだ」。今春、京都造形芸大マンガ学科を卒業した打越愛梨(あいり)さん(22)は、スマートフォンで馳文科相の「決別宣言」のニュースを見た瞬間、がっかりした。

> 高校は石川県の進学校。ゆとりどころか詰め込み教育だったのに、大学では先生から「ゆとり世代は就職活動で人一倍頑張らなきゃ」とハッパを掛けられ、アルバイト先では「君は、ゆとりか」とため息をつかれた。

> 「『ゆとりはダメ』と決めつけないで。私はゆとり教育を受けられて良かった」。その思いで、卒業制作の漫画のテーマに「ゆとり教育」を選んだ。タイトルは「僕らは“今”を生きている」。ゆとり世代の高校生5人のそれぞれの内面を描き、学科内の最優秀作品「学長賞」を贈られた。

> 馳文科相は決別宣言をした記者会見で「ゆとり教育がゆるみ教育と、間違った解釈で現場に浸透してしまった」と説明した一方、「(ゆとり教育の)全否定ではない」とも述べた。理念自体を否定しなかったことに、打越さんは少し救われた思いがしたという。

> それでも、ゆとり世代のショックは大きい。「文科省が導入した教育なのに、あっさり決別だなんて。こちらはハシゴを外され、名実ともに『ダメな世代』と烙印(らくいん)を押された気分」「ますます、ゆとり世代への差別や偏見を助長しそう」などという声が上がる。

> 「ゆとり世代」。その定義は明確ではないが、一般的には「ゆとり教育」を受けた主に今の20代を指す。野心、競争意識、協調性がない世代と、社会から見られがちだ。

> 彼らを生み出したとされる「ゆとり教育」は、受験戦争や詰め込み教育への反省から始まった。文科省は「生きる力」の獲得を掲げ、小中高校で2002年度から週完全5日制を実施。それに伴い学習内容を約3割削減し、「総合学習の時間」を新設した。

> しかし「ゆとり教育」は学力低下を招いたと批判を浴びる。小学校で11年度、中学校で12年度に、それぞれ総合学習の時間が削減された。

> 学力低下説の根拠とされるのが、経済協力開発機構(OECD)が3年ごとに実施している国際的な学力調査「生徒の学習到達度調査(PISA)」だ。対象は15歳。日本の順位はゆとり教育導入後の03年、06年の試験で急落し、「脱ゆとり」を掲げた後の09年、12年の試験でV字回復を遂げた。例えば読解力では00年は8位だったのが、03年は14位、06年は15位と低迷。しかし09年に8位に戻し、12年には4位に食い込んだ。

> 一見、ゆとり教育が元凶だと思えるが、元文科省審議官(生涯学習担当)で「ゆとり教育」のスポークスマン的存在だった寺脇研さんは「00年代に順位が落ちたのは、PISAの問題が受験学力を測るのではなく応用力を問う内容だったため。また参加する国や地域が増加した影響もありました。さらに、再び順位を上げたのは、PISA型の学力を身につけた、ゆとり世代です」と指摘する。

> どういうことか。成績が低迷した03、06年の試験を受けた高校1年生は小学校時代、「ゆとり」以前の教育を受けてきた生徒たち。逆に、V字回復した09、12年の試験を受けたのは、小中学校を通して「ゆとり教育」で育った世代に当たる、というわけだ。

> 寺脇さんは言う。「『ゆとり教育』の本質は、画一的で知識偏重型の教育から、子供一人一人に応じた教育への転換にありました。その流れは文科省が現在、次期学習指導要領での導入を目指すアクティブ・ラーニングに継承されている。黒板に書かれたことを丸暗記するのではなく、自ら学ぶ力をつけていくというこの勉強法は、総合学習で目指したものと同じです」

> では、なぜ馳文科相は決別宣言をしたのだろうか。

> 「アクティブ・ラーニングに対して、与党議員や教育現場から『ゆとり回帰か』『授業内容を減らすのか』などの批判があった。これらをかわし、『ゆとり』対『詰め込み』という不毛な二項対立から脱却し、アクティブ・ラーニングを円滑に導入するため、学習内容を減らさないことを強調し、あえて『決別』という言葉を使う必要があったのでしょう。決して『ゆとり世代』を否定する意図はなかったはず」。寺脇さんは、決別宣言の裏事情を解説する。


> 「世代で語るのって無意味」

> 「ゆとり世代」はこれまで、数々の誤解と偏見にさらされてきた。大学入学年を迎える前から、新入生の学力低下を懸念した大学関係者らは「2006年問題」とささやき合った。彼らが就職すれば「すぐ辞める」「協調性がない」など「ゆとり社員」批判が雑誌などをにぎわせた。

> テレビドラマ「ゆとりですがなにか」(日本テレビ系日曜夜10時半)はまさにこの世代の生きざまを描いている。脚本家、宮藤官九郎さんの初の社会派ドラマとして話題だ。若いスタッフが「僕、ゆとりなんで」と自嘲気味に言うのを聞いて驚いた宮藤さんが多くの20代の若者を取材し、脚本を書いた。

> 主人公は29歳の青年。「ゆとり教育」の本格実施の時には既に高校生だったのに、あらゆる場面で「ゆとり」と呼ばれ、就職活動の年にはリーマン・ショックに襲われた「ゆとり第1世代」。ドラマでは、会社の飲み会に対し「それって強制っすか?」と平気で切り返す20代前半社員と、上司との間で板挟みになったりもする。

> プロデューサーの枝見洋子さんは「ゆとり世代を否定も肯定もせず、また、世代で束ねてしまうこともせず、『ゆとり』と呼ばれながら実はそんな余裕すらなく、日々を頑張って生きている若者一人一人の姿を描いています」と語る。

> 番組放送前は「また『ゆとり』をバカにする番組?」などと、ゆとり世代から反発もあった。だが、放送が始まると誤解が解け、同世代の共感を広く集めているという。

> では、当の「ゆとり世代」はその偏見や誤解をどんなふうに受け止めてきたのだろうか。

> 安全保障関連法に反対する大学生らの団体「SEALDs(シールズ)」の創設メンバーで、筑波大大学院で教育社会学を学ぶ諏訪原健さん(23)は「シールズは『ゆとり、イコール、バカ』という文脈でさんざんたたかれました。『ゆとり教育の失敗の代表例』とか『ゆとりだから考えが浅い』とか」。一方で「自分で考え、行動する学生が出てきたのは、ゆとり教育の成果だ」と評価されたこともあった。

> このような見方に諏訪原さんは「活動するのは、ゆとり世代だからじゃない。憲法がないがしろにされる今の政治状況下では、どんな世代にも行動する人は一定数いるはず。世代で語るのって無意味じゃないですか」。

> 「ゆとり教育」で良かった、と語る打越さんは、高校時代、勉強する意味を見失い、不登校になりかけたことがあったという。一番楽しかったのは小学校の総合学習で、内容を今も鮮明に覚えている。「地域の人に染色を習ったりして、好奇心が湧き、視野が広がった。大人になった今も私の中で生きている。ゆとり教育でなきゃ、私はとっくにつぶれてました」

> 高校への出前授業や中高生の居場所づくりに取り組む認定NPO法人「カタリバ」のスタッフ、山田将平さん(24)は「学校5日制のお陰で高校時代、好きな本をたくさん読むことができた。僕には『ゆとり』によって生まれた『すきま』が大事だった」。週末に自分の時間があったから、考えて、進路を選ぶことができたと考えている。

> 「ゆとり教育の何が評価され、何が反省されるべき点なのか、冷静に考えるべきではないでしょうか。僕たちは『ゆとり』があったからこそ、自ら考え、行動し、新しい価値を創造する機会や場を多く得ていた可能性だってあったと思います」と山田さんは実感を語る。

> 教育の成果は数値だけで語れない。そして、人だっていろいろ。世代では語れないのだ。ゆとり教育への「決別宣言」の前に、安易な「ゆとり世代」批判とまず、決別したほうが良いのかもしれない。


<参考=「特集ワイド:続報真相 学力低下の汚名、文科相が「決別宣言」 「ゆとり教育」失敗だったの?」(毎日新聞)>
<消滅・21/06/04>