みんながパソコン大王
雑談<NO.151>

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表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
雑談NO.152
1698 東京:手作り傘屋、別れの涙雨 台東区の老舗、来月閉店(毎日新聞,5月28日) 磯津千由紀 18/06/02
1697 WEB CARTOP:「常時ONはダメ」「定期的な稼働が大切」など古いクルマのクーラーは使い方に要注意(毎日新聞、5月21日) 磯津千由紀 18/06/02
1696 聖地巡礼:「ゆるキャン△」ラリー人気で初のツアー(毎日新聞、5月26日) 磯津千由紀 18/06/02
1695 カメラ:20年前の古いデジカメを今使うとどうなる?[ナックルの挑戦状](GetNavi web)(毎日新聞、2月2日) 磯津千由紀 18/06/01
1694 WEB CARTOP:輸入車は壊れやすいという意見は本当か?(毎日新聞、5月25日) 磯津千由紀 18/05/28
1693 京都:白タク天国、観光地横行 韓国業者も参入(毎日新聞、5月27日) 磯津千由紀 18/05/28
1692 論点:復権なるか時代劇(毎日新聞、5月25日) 磯津千由紀 18/05/28
雑談NO.150

NO.1692 論点:復権なるか時代劇(毎日新聞、5月25日)<起稿 磯津千由紀>(18/05/28)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2018/05/28 (Mon) 01:35

 こんばんは。


 BS放送で、暫く前から時代劇の再放送が増えており、何年か前から時代劇の新作が少しずつ増えてますね。
 因みに、NHKは時代劇のノウハウを絶やさぬように「大岡越前」の制作を始めた、と聞いた記憶があります。
 尚、有料CS放送「時代劇専門チャンネル」では、「剣客商売」や「鬼平犯科帳」や「三谷清左衛門残日録」などの新作を制作しています。


> 時代劇・冬の時代と言われる。一時は地上波テレビの「ドル箱」だった時代劇だが、近年は民放地上波での制作・放送本数が激減。一方、BS放送では見直され、地上波で人気を博した「水戸黄門」「大岡越前」などのシリーズもよみがえった。地上波からBSに主戦場を移した時代劇。復権はなるか。


> 単純な勧善懲悪から脱皮を 高橋英樹・俳優

> 昔に比べると、テレビ時代劇は激減した。制作費がかかる上、視聴者が高齢化している。テレビ局、広告会社、スポンサーの各関係者に時代劇を見ないで育った人が増えた。企画が通るわけがない。

> 「桃太郎侍」(日本テレビ系、1976~81年)に主演していた時、すでに「もうすぐ時代劇はなくなるね」と思っていた。なぜかというと、時代劇に出てくる悪者が“ワル”じゃなくなったからだ。現代の悪者に比べると、それほどワルじゃないから、ぶった斬ってもヒーローにならない。

> 例えば、貧乏人が住んでいた長屋を壊して遊郭を建てる悪者を桃太郎侍が斬る。今で言えば、再開発の経済行為をしているだけの人を「あいつは悪い」と殺している。それはあまりに理不尽だ。ワルをやっつけるからヒーローなのに、ワルのキャラクターを作れない。時代劇の制作者はその辺の研究が足りなかった。ワルの定義をきちんと考え直さないといけない。

> あの頃、大量に作られた時代劇はストーリーが浅い。人を斬るというのは殺すこと。何かが決まった裏でお金が動いたからと言っても、今の感覚では殺す(死刑)まではいかない。当時も「えっ、おまえを斬るの? それじゃ、弱い者いじめじゃん」と思っていた。

> ヒーロー像はどんどん変わっている。桃太郎侍、遠山の金さんといったヒーローは、今の世の中では受け入れられにくい。ハリウッド映画だって、かつてジョン・ウェインが演じたような西部劇を単純に焼き直したりはしない。

> 故・勝新太郎さんと話したことがある。ヒーローが悪者のところに乗り込んでいくと、「出会え、出会え」と家来が出てくる。「そいつは、おまえに一刀のもとに斬られる。けど、ワルじゃないよな。ただの家来だよ。主君の命令で出てきて斬られる。その男にも、女房や子供がいるかもしれない。それを描きたいよね」と勝さんはおっしゃった。そんな原点のところから、物事を考え直さないといけないのかもしれない。

> これだけ制作本数が減ると、ノウハウを知っている役者やスタッフがいなくなる。これからの時代劇を考えると、本当に怖い。役者も普段から勉強しておかないといけない。私は18歳の時に歌舞伎の二代目尾上松緑さんの下で修業したが、今の役者は1人で着物も着られない。演じる人物の知識、当時の時代背景など、あらゆるものを積み上げておき、いざ演じる時はそこからそぎ落としていくのが役者の力。名優は特に何も演じない。けれど、そこに存在するのは紛れもなく井伊直弼だったりする。

> 今も時代劇はやりたい。喜怒哀楽を現代劇の1・3倍表現でき、かっこよさは1・5倍。役者にとって、こんな気持ちいいことはない。あと、「静」の魅力。時代劇は、チャンバラのような「動」だけでなく、「静」の場面が絵になる。そこが時代劇の魅力だ。

> まだまだ斬りたいと思うし、最近は斬られる悪役も魅力があると感じている。作品は少なくなったが、出演のチャンスがあれば、自分の持っているものを今後も精いっぱい表現していきたい。【聞き手・佐々本浩材】


> ドラマの幅広げる挑戦必要 清水拓哉・NHKチーフプロデューサー

> 初めて担当した時代劇は2004年放送の大河ドラマ「新選組!」だった。役割はAD(アシスタントディレクター)、言わば撮影の進行役。当時、喜劇作家の三谷幸喜さんの脚本は、「大河らしくない」「変化球」とも言われたが、振り返れば「歴史の大きなうねりに人間が翻弄(ほんろう)され、個人の意志や才覚でその波を渡っていく」という大河が目指すものをきちんと描いていた。大河の枠を広げてくれた作品だと感じる。

> その後、「風林火山」(07年)「江」(11年)「八重の桜」(13年)などの大河に携わり、真田信繁(幸村)が主人公の「真田丸」(16年)ではプロデューサーとして三谷さんと再び組んだ。「真田丸」では、ゲーム会社の技術協力で領地の広さを地図上に示したCG(コンピューターグラフィックス)を使った。強敵に囲まれた「小さな真田」という主人公の切迫感を表現することができ、作品の目指す趣向にも合っていると思った。

> 「過去の大河はユーザーフレンドリー(視聴者に親切)でなかったのではないか」と自ら反省するところがあった。もちろん時代劇の文法は大事にするが、歴史に詳しくない視聴者にも背景を分かってもらわないと、芝居の情感が伝わらない。視聴者を入り口でつまずかせないようにしたかった。まず見てほしかった。

> 一方で、時代考証にも力を入れた。歴史研究は日進月歩。戦国時代や幕末を描く時代劇では「お約束」のドラマ展開が学会では既に否定されている例もある。「真田丸」では信繁が豊臣秀吉の「馬廻衆(うままわりしゅう)」(親衛隊・側近)だったとの説を採用した。これは時代考証の先生が見つけてくれた。大坂の陣で豊臣のために命を捨てた信繁の動機は何だったのかを描くためにも、秀吉との関係は記したかった。大坂の陣をここまで丁寧に描いたドラマはなかったはず。真田の時代のドラマを初めて見る視聴者にも納得がいく展開に三谷さんがしてくれたと思う。

> 時代劇はある種、「海外旅行」のような面がある。現代と全く違う価値観や人々の生活を見ることができる。日常と違う場所に連れていってくれる一方で、どの時代にも共通する普遍的な人間の感情を発見する喜びもある。また、制作側の視点で言えば、時代劇の方が「理不尽」を設定しやすい。現代にはない身分の違いや、究極的には「殺す、殺される」こともリアリティーとして成立する。理不尽に向き合わざるを得ない状況設定が、登場人物の感情の振れ幅を大きくし、物語の力を強くする。

> 時代劇の制作本数が減っている状況は、やはり寂しい。かつて人気だったシリーズものも復活しているが、新しい切り口の作品も見たい。歴史漫画が原作の「JIN-仁-」(TBS系、09年など)は素晴らしかった。漫画では茶の湯に心を奪われた戦国武将、古田織部が主人公の「へうげもの」(講談社)や、実在した英雄たちが異世界で戦いを繰り広げる「ドリフターズ」(少年画報社)など面白いものがたくさんある。NHKも含め、各局がドラマの幅をさらに広げていく挑戦をしていければいいと思う。【聞き手・屋代尚則】


> 「なんでもアリ時代」に活路 ペリー荻野・コラムニスト

> 少し前の話になるが、今年2月、時代劇好きにとっては喜ばしくも苦しい一夜があった。同月17日の午後9時から、フジテレビ系の田村正和さん主演「眠狂四郎The Final」とNHKBSプレミアムの内田有紀さん主演「荒神」の放送時間が重なったのだ。当時は平昌(ピョンチャン)冬季五輪が盛り上がっており、普段あまり時代劇を見ない人たちに関心を持ってもらうには不利な状況だったようにも思う。興味深いのは、この2本が、現在の時代劇の二つの制作スタイルを象徴するような作品であったことである。

> 虚無に生きる孤高の剣士「眠狂四郎」は、映画時代から半世紀以上の歴史を持つ時代劇の人気キャラクター。田村さんは原作者、柴田錬三郎の推薦でこの役を1972年に始まったフジテレビ系の連続ドラマで初めて演じた。今回は自らファイナルとしたいと申し出た企画である。スターが人気キャラを演じ、衣装、セットなどは東映京都撮影所のスタッフが手作りする。テレビ黎明(れいめい)期から続いてきた京都の伝統的な時代劇制作のスタイルである。昨春、久々に現場に入った田村さんを昔から組むスタッフが出迎え、狂四郎独特の赤みがかった髪(狂四郎の父はオランダ人)などをピタリと再現した。さすが京都だと思う。

> 一方、宮部みゆきさん原作の「荒神」は巨大な怪物が村を襲い、人間を食らうというすさまじい物語だけに、最新の映像技術が駆使された。60年代、「仮面の忍者赤影」など特撮時代劇で着ぐるみの怪物を数多く見てきた世代としては、とんでもないものがCGでできてしまうことに感心した。手作りにこだわる時代劇と映像技術であっと驚かせる時代劇。二つの流れは、今後も続いていくことと思う。

> 制作技術の二分化とともに、最近特に感じるのは、時代劇のステージの変化である。BSプレミアムの東山紀之さん主演「大岡越前」は今年第4シリーズが放送され安定感があるし、昨秋、BS-TBSでは武田鉄矢さん主演の「水戸黄門」が登場。有料の時代劇専門チャンネルは池波正太郎や藤沢周平原作のオリジナル作品をBSフジなどと組んで次々と制作している。

> 今春は、NHKでは田村さん主演の前作から実に40年ぶりに「鳴門秘帖」(山本耕史さん主演)をBSプレミアムで放送。総合では、タイムスリップした女子高生が足軽となってイケメン若君を守ろうと奮闘する「アシガール」の続編の制作が決まった。BSジャパンは山田風太郎の名作「くノ一忍法帖」を放送。主演はベッキーさんである。くノ一ものといえば、アクション、お色気、きてれつな忍法と娯楽テイストいっぱいなのがお約束だ。

> このラインアップを見ると、時代劇は地上波だけでなく、さまざまな放送波で流されるのが当たり前になり、内容も「なんでもアリ時代」に突入したことがわかる。私はこれがあるべき姿だと思う。歴史劇、捕物劇、人情劇、恋愛劇、SF、特撮と、時代劇は元々、なんでもアリだった。予算の確保や技術の継承など、時代劇ならではの課題に果敢にチャレンジし、さまざまな形の時代劇が出てきたことに希望を持ちたい。(寄稿)


> BSで好まれる傾向

> 地上波テレビではかつて、ほぼ毎夜のようにどこかのチャンネルで放送されていた時代劇だが、2016年の「石川五右衛門」(テレビ東京系)を最後に民放キー局で新作連続ものの放送はない。一方、BS放送では、武田鉄矢さん主演の「水戸黄門」(BS-TBS、昨秋放送)、「くノ一忍法帖 蛍火」(BSジャパン、放送中)など新作が増えている。関係者によると、「BSは中高年の視聴者が比較的多く、時代劇が好まれる傾向にある」という。


> ご意見、ご感想をお寄せください。 〒100-8051毎日新聞「オピニオン」係 opinion@mainichi.co.jp


> ■人物略歴

> たかはし・ひでき

> 1944年生まれ。高校時代に日活ニューフェース5期生として日活入社。68年の大河ドラマ「竜馬がゆく」出演を機にテレビ時代劇に活躍の場を移す。代表作は「桃太郎侍」「三匹が斬る!」など。


> ■人物略歴

> しみず・たくや

> 1978年生まれ。東京大文学部卒。2001年、NHK入局。他に担当したドラマに「サイレント・プア」(14年)、「悦ちゃん」(17年)など。来年の大河ドラマ「いだてん」は制作統括を務める。


> ■人物略歴

> ぺりー・おぎの

> 1962年生まれ。時代劇研究家。時代劇主題歌のオムニバスCD「ちょんまげ天国」をプロデュース。著書は「ちょんまげだけが人生さ」「バトル式歴史偉人伝」など。

<参考=「論点:復権なるか時代劇」(毎日新聞、5月25日)
<消滅・23/05/27>


NO.1693 京都:白タク天国、観光地横行 韓国業者も参入(毎日新聞、5月27日)<起稿 磯津千由紀>(18/05/28)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2018/05/28 (Mon) 03:17

 こんばんは。


 中国の白タクが空港に多いと聞いてましたが、中国・韓国の白タクが京都に増えてるとは。


> 多くの外国人観光客が集まる京都市内で、違法な白タクが増え続けている。最近は、中国人業者に加え、韓国人業者の白タクも登場した。京都府警は、国土交通省京都運輸支局などと連携して、英語や中国語に加え、韓国語によるチラシも作製し、利用しないよう啓発。地元のタクシー業界団体は「京都は白タク天国」と悲鳴を上げ、本格的な実態調査に乗り出している。

≫ <中国式白タク>検挙困難…スマホ決済で 日本側の対応追いつかず⇒
≫ <中国式白タク>「稼げる」 在日中国人、同胞客目当て⇒
≫ <中国式白タク>「タッチ・アンド・ゴー」⇒

> 「ソウルから家族で京都観光に来た。ガイドの運転手に車で案内してもらっている」。清水寺(東山区)近くの五条坂で2月下旬、30代の韓国人女性が取材に答えた。直後に車道のワンボックスカーから男性運転手が慌てて降りて女性に駆け寄り、耳元で何かささやく。女性は「ごめんなさい。運転手の指示でもう話せない」と口をつぐんだ。白タク行為ではないかと尋ねる記者に運転手は「親戚だ」と繰り返した。

> こうした白タクの横行に頭を悩ませるのがタクシー業界だ。警察や行政による摘発・指導が進まない現状に危機感を募らせる業界団体「京都タクシー業務センター」(伏見区)は京都市内の観光地で独自調査を始めた。

> 駐停車対策委員会の中畠俊次委員長(66)が昨年10月下旬から金閣寺や二条城、嵐山など観光地を巡回し、白タクとみられる車の車種やナンバーを記録。数は5月上旬までに延べ計152台に上る。

> この調査により、中国人運転手による白タクは、混雑する観光地で訪日客が車を見失わないよう「ぞろ目」や数字が少ないナンバーの車が多いことが判明。中国で縁起が良いとされる「8」や「6」などの数字を好んで使う傾向も分かった。

> 記者が4月初旬、金閣寺(北区)前の駐車場で白タクとみられる車に乗った中国人観光客の40代男性に取材すると、「北京から家族で来た。1日3万円で3日間、スマートフォンのアプリを使い車を予約した。鉄道で各地を旅行するよりも安い」とメリットを強調した。

> 国交省近畿運輸局によると、京都市域で普通車貸し切りの公定幅運賃は30分で2330~2550円。上限運賃で1日8時間使用すれば4万800円となり、白タクの方が割安になる。

> 中畠さんは「白タク問題はタクシー業界にとって死活問題。警察と行政の素早い対応を望む」と訴える。既に調査結果をまとめ、近畿運輸局などに報告したという。

> 国交省旅客課は「調査を進め、無許可の運転手のブラックリストを作るなど、まずは実態把握を進めたい」としている。京都府警は各国語によるチラシなどで啓発に努め、「社会的関心も高く、白タク行為の排除を進めたい」としている。【中津川甫】

<参考=「京都:白タク天国、観光地横行 韓国業者も参入」(毎日新聞、5月27日)>


シバケン】 2018/05/28 (Mon) 09:47

副題=観光都市京都の問題・白タクだけではありません。

結論的には、元々が観光都市京都。
ですのに、行政が後手、後手で、だらしない<!>


白タク、なるは、個人故、市に税収無く。
事故時の保険無く。

只、外国人<中国、韓国>の利用者からしたら、母国語で、話が通じるの利点あるですねえ。
ならばの、その組合でもを、結成しまして、しかるべくの、責任体制での、営業させるべくの、指導監視をすればと、思うですが。


で、
この手の問題、これだけでは収まりませんです。
京都の観光地には、和服<浴衣的>着て、歩くの観光客が目立つですが。
コレは、レンタル和服でして。概ね、1万円見当と、思うですが。
コレマタ、京都の業者より、地方、外国のが、多く進出してまして。
コレマタ、京都市の税収に成らず。

何を申してるかと、なりますと、この、10年、観光地に行きますと、アジア系外国人が凄く目立ち。
神社仏閣の、拝観料なるは、神社なり、寺の収入で、税金掛かりませんでして。

結果、肝心の日本人観光客の肩身狭くなりまして。

だけで無くの、外国語、特には、ハングル、中華の落書き目立ち。

<参考=「京都・嵐山の竹林に落書き相次ぐ 外国語やハートも」(朝日新聞)>
<消滅・23/05/27>

ではあっても、市の税収は増えてると、思うですが。
増えても、ゴミの収集等で、消えてるのではと。

イヤ、京都市在住の知人申すに、税収増えて、市民税でもが、若干なりとも、減額ならなれど、替わらずで、四条通りの、烏丸から、河原町までの車道が、観光客のためと、車道の道幅狭くされたり。

昔には、気楽に買い物に行けた、錦市場は、観光客で、ゴタ返しで、値も高くなり。
試食の食べ物も、ゴソリと、取られるが故、無くなってもたりで、生活に不便になって来てると。
さもありなんと。


NO.1694 WEB CARTOP:輸入車は壊れやすいという意見は本当か?(毎日新聞、5月25日)<起稿 磯津千由紀>(18/05/28)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2018/05/28 (Mon) 19:50

 こんばんは。


 かつての伊太利亜車を別にすれば、外車国産車を問わず、「当たりはずれ」の方が大きいですね。某国産車で修理代が積もって何百万にもなったオーナも居れば、同型車で殆どトラブルなしというオーナも居たりします。
 只、外車は修理代が高いですが。


> 国産車が「壊れなさすぎ」ともいえる

> 輸入車に抵抗がある人の意見のひとつとして、「壊れやすいのでは?」というものがある。その反対として、日本車は壊れないというのがあるのだが、結論からというと、日本車に比べれば壊れやすい。これは事実。まぁ、日本車が壊れなさすぎといっていいのかもしれないが。ちなみに最近の日本車も軽量化やシステムの複雑化によって、将来的には故障が増える可能性もなくはない。

> やはり複雑化すると壊れやすいのだが、ドイツ車勢は世界の自動車テクノロジーの最先端を行くという自負が強いのか、画期的ではあるものの、複雑ゆえに壊れるときは壊れるし、直すのもかなりの費用がかかったりする。

> ちなみに以前言われたような、日本は高温多湿だから輸入車は壊れやすいというのは今はない。配線のコネクターなどを見ても、しっかりと対策はされているし、グローバル化が進み、国によって形状に差があるというのもなくなった。

> ただ、ATがほとんど売れないヨーロッパメーカーはATを作るのが不得意なところもあるのは事実。たとえば、某国某社の2ペダルMTは早いと3万kmぐらいからガタガタしてくる。

> あとはやはり生産技術も含めた、品質の問題。ラテン車系はどうしても品質にばらつきがあるし、そもそも設計からして抜けているところが見受けられたりもする。また各パーツのクオリティも日本製ほどはないことが多い。パーツの集合体がクルマだけに、そうなるとどこかしら弱い部分が出てきてしまう。

> これまたよく言われるし、雑誌などにも書いてあったりするが、日本メーカーのパーツを輸入車も使っているから品質が上がったというのは半分正解。設計自体は日本でしても、生産が現地だと日本製ほどの品質にならないというのは確かで、タカタの問題がいい例だろう。

> 日本車と比べること自体がかわいそうな気もするが、故障する可能性が高いにしても、その分、それぞれのお国柄や個性などが楽しめるのが輸入車の醍醐味。一時のイタリア車みたいにボロボロ壊れることはないので、シビアに考える必要はないし、その分、日本車にはない魅力が楽しめるのは事実だ。

<参考=「WEB CARTOP:輸入車は壊れやすいという意見は本当か?」(毎日新聞、5月25日)>


NO.1695 カメラ:20年前の古いデジカメを今使うとどうなる?[ナックルの挑戦状](GetNavi web)(毎日新聞、2月2日)<起稿 磯津千由紀>(18/06/01)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2018/06/01 (Fri) 03:40

 こんばんは。


 キヤノンが販売してるのは「デジカメ」ではなく「デジタルカメラ」です。
 「使い捨てフィルムカメラ」も、正しくは「レンズ付きフィルム」です。
 距離計を内蔵したファインダではないので「レンジファインダー」も誤りで、単なる「光学ファインダ」です。
 毎日新聞の本紙に掲載された記事ではないので、校閲もいい加減なのでしょう。

 当方、流石に20年前のデジタルカメラは現用してませんが、20世紀のデジタル一眼レフEOS D30は現役です。


> 最近のデジカメって、エントリーモデルでも高画素で高画質な写真が撮れますよね。ちょっと奮発して一眼レフを購入すれば、素人のお父さんでも立派なアマチュアカメラマンになれちゃう近年のデジカメ事情。

> ふと思うのが、いまでこそ最新テクノロジーの結晶のようなデジカメですが、ここに来るまでに紆余曲折の技術革新があったはず。そう言えば、デジカメが普及し始めたころってどんな仕様だったっけ? とオジサンなりの懐古にふけった次第であります。

> そこで、20年前に発売された初期のデジカメをいま使うとどうなるのかを検証してみました。


> 20年前のデジカメなんてどこにあるんだ!?

> 20年前といえば筆者も20代の半ば。ご多分に漏れず、自作PCやら携帯電話にハマり、ガジェット大好き人間と化していました。デジカメも購入した記憶はあるのですが、当然手元にはありません。もちろん、アキバあたりの中古ガジェット屋さんにもジャンク屋さんにも完動品の20年前のデジカメなんて置いてありません。

> そこで、古いデジカメを入手すべくメーカーさんにすがることに。今回、協力して頂いたのは国内最大手のキヤノンさんです。ワラをも掴む思いで、広報さんに泣きついたところ、どうも古いデジカメを資料として保管してあるらしい。

> なんとか手配して頂いたのがコレ。

> キヤノン「PowerShot 600N」は1997年3月発売のモデルで、発売当時の時価は、なんと11万8000円。現在であれば、フルサイズ一眼レフのエントリーモデルが買えそうな価格です。

> PowerShotは、現在でも同社の人気シリーズで、その系譜は20年経ったいまも脈々と受け継がれています。600Nはキヤノンのコンデジのなかでも2代目にあたり、コンデジ創世記の遺物といっても過言ではありません。主なスペックは、1/3型CCDで57万画素。1MBの内蔵メモリーを搭載し、ファインモードの解像度は832×608ドットで、内蔵メモリーに記録できるのは4枚のみ。勘違いしないで頂きたいのは、メモリーは1メガバイトですよ、ギガバイトではありません。レンズは、7mm F2.5(35mmフィルム換算50mm)の単焦点。ズームなしのコンデジなんて……と思うかもしれませんが、フイルムカメラ時代は当たり前の仕様でした。

> このPowerShot 600Nのサイズ感をお伝えするために、現代のデジカメと比較してみました。600Nの寸法は本体のみで159.5×92.5×58.8mmで、重量は約420g。最新のPowerShotであるSX730HSが276gなので、約1.5倍の重さ。本体のサイズだけでなら、フルサイズミラーレスのソニーα7IIよりもデカい!

> さて、600Nのディテールをご覧頂いたワケですが、さすがに年代を感じさせます。筆者にとっては、PCMCIAやパラレルといった過去のインターフェースに感慨深いものがあり、双方とも現代のパソコンには搭載されていません。デジタル機器の進歩は、転送速度の進歩といっても過言ではなく、現代においても次々と新しい伝送規格が生まれ続けているのも頷けます。

> 幸いにして、パラレルはなくてもコンパクトフラッシュは読み込める環境がありますので、なんとか撮影したデータを皆さんにお見せすることはできそうです。


> 見せてもらおうか、20年前のデジカメの性能とやらを!

> では、早速このPowerShot 600Nを使用して作例を撮影してみたいと思います。今回は、比較用に最新のPowerShot SX730HSも使用して、PowerShot新旧対決と洒落込んでみました。

> まずは風景を撮影しようと、ロケの準備をしていたところ、致命的な問題が発生! なんと、さすが20年前のモデルだけあって、バッテリーが経年劣化により死亡寸前……。いくら充電しても、にわかに起動はするものの、起動した瞬間に「LB(Low Battery)」の表示が。

> さすがの筆者もコレには困り果てました。こんな20年前の専用バッテリーなんて入手困難だし、乾電池を入れるアダプターもありません。本体にACアダプターを直結して電源を確保すれば動作するのですが、それだと屋外ロケが不可能に。そこで、筆者は最近、巷を賑わせているアイテムのことを思い出しました。それがコイツ。

> この巨大なモバイルバッテリーは500Whもの容量を誇り、家庭用コンセントも使えるという代物。スマホなら50回はゆうに充電できるほどの性能を有しています。しかし、その容量がゆえに、重さが5.4kgと無差別級。しかし、600Nで撮影するためには「重い」なんて言ってられません。

> これで600Nに命が吹き込まれました。早速、撮影してみます。再度おさらいになりますが、600Nは57万画素、SX730HSは2030万画素で、その差は約35倍! さてどうなることやら……。

> まずは六本木ヒルズ。天気は晴天でしたが、夕暮れ直前というシチュエーション。同じ地点からワイド端(最広角)で撮影したもの。まずは画角の違いに驚きを隠せません。昔のコンデジといえば、風景やスナップを撮影するために単焦点とは言え、もうちょっと広角に撮れるもんだと思っていましたが、換算値50mmというのは中望遠の域なので、こんなもんでしょうか。

> 光学機器のカメラと言えども、デジカメともなるとデジタル機器としての色合いが強い。レンズの性能はともかく、センサーや画像処理エンジンなどもやはり20年前のもの。見劣りするのは仕方ありません。とは言え、ビルの窓などを見るとなかなかの解像感です。

> 次に公園にて、逆光を試してみました。このシチュエーションでは最新カメラがさすがとしか言いようがありません。600Nもなんとか撮影できていますが、まるで使い捨てフイルムカメラの写真をスキャンしたような画像になっています。

> 素早い動きをする動物や子どもはシャッタースピードが命となるわけですが、600Nの仕様は1/30~1/500秒。しかもマニュアルで設定できないのでカメラ任せとなるワケです。下記の写真は何枚も撮影して唯一ブレが少なかった作例。アングルが滅茶苦茶です。

> ブツ撮りはご覧の通り。さすがにインスタ映えには程遠いですが、落ち着いてシャッターを切れる環境であれば、そこそこ撮れることが解りました。ただし、背面液晶や電子ファインダーに甘えっぱなしの筆者は、レンジファインダーでの撮影に四苦八苦。パイナップルの葉っぱが見切れてしまうという、非常にお恥ずかしい写真に。

> さて、作例を見る限り、20年前とはいえそこそこ撮れることが解ったと同時に、現代の技術のスゴさを改めて知る結果となりました。


> 写真をパソコンに取り込んだ時どうなる?

なんとか撮影できたのは良かったのですが、気になるのが57万画素という低い画素数の写真をパソコンに取り込んだ時にどうなるのかということ。今回は解りやすく、PCに取り込んで4Kモニターで表示してみました。

> 「ちっさ!」という感想が聞こえてきますが、確かに等倍表示でこれだと小さく感じますね。20年前にはコレよりも低解像度のデジカメがいくつもありました。しかし、当時のモニターも低解像度のものが主流だったため、この画素数でも十分だったのです。

> 一説によると、カメラの起源は約1000年前にさかのぼるそうです。また、300年前には世界初となるコンパクトカメラが発明されたとのこと。日本でも坂本龍馬や西郷隆盛など、幕末を生きた人の写真が残っていることを考えると、100年以上の歴史があることが解ります。

> しかし、デジタルカメラはまだ数十年。これからも日進月歩で進化し続けて行くことでしょう。今から20年後に、今回の600Nと最新デジカメの比較ができることを楽しみにしている筆者なのでした。

<参考=「カメラ:20年前の古いデジカメを今使うとどうなる?[ナックルの挑戦状](GetNavi web)」(毎日新聞、2月2日)>


NO.1696 聖地巡礼:「ゆるキャン△」ラリー人気で初のツアー(毎日新聞、5月26日)<起稿 磯津千由紀>(18/06/02)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2018/06/02 (Sat) 00:09

 こんばんは。


 アニメ化されてから、「ゆるキャン△」は大人気になりましたね。
 間違いも少なく、キャンプの知識がない人にも取り付きやすい、なかなか良く出来た作品です。まだ連載中で、単行本第6巻が先日に出ました。
 アニメは、冬の場面から始まって、其の冬のクリスマスまでと、物語中のごく短期間を描いています。此れだけ人気が出ると、続編が制作される可能性が大ですね。


> 山梨県を舞台にしたキャンプアニメ「ゆるキャン△」のモデル地を巡るツアーが25日、やまなし観光推進機構の主催で開かれた。26日にかけて県内11カ所を巡る予定で、県外や海外からファン36人が参加した。

≫ <訪日中国人 聖地巡礼1位は「君の名は。」舞台>
≫ <アニメ聖地88カ所の0番札所に成田空港>
≫ <アニメ聖地88カ所、ツーリズム協会が選定>
≫ <らき☆すた10年 聖地巡礼、久喜市が先駆け>
≫ <「結城友奈は勇者である」聖地に自販機お目見え>

> ゆるキャン△は、県内のキャンプ場を主な舞台に、アウトドアを満喫する女子高生の日々を描いている。今年1~3月には、東京MXテレビなどでテレビアニメ化された。

> ツアーは舞台となったモデル地を中心に巡る。スタート地点の市川三郷町のキャンプ場と山荘「四尾連湖水明荘」では、県職員らがガイド役となり場所の説明をしたほか、店主の北島慎介さん(41)が湖にまつわる知識やアニメに登場した一輪車などを紹介した。参加者はアニメに登場する湖畔の風景を写真に収めていた。

> 同機構はゆるキャン△をてこに峡南地域に観光客を誘致しようと、4月から「デジタルスタンプラリー」を実施している。スマートフォンなどで各スポットにある二次元コードを読み取り、デジタルスタンプを収集する。全5コースあり、総距離は約170~200キロ。これまでに延べ3000人以上が参加している。

> ただ、交通が不便な位置にスポットもあり、今回のツアーを企画したという。東京都から参加した、会社員の女性(25)は「普段来ることができない場所に来られてうれしい」、長野県松本市の男子大学生(27)は「峡南地域に訪れたことがなかったので、今後もアウトドアで訪れたい」と話した。【加古ななみ】

<参考=「聖地巡礼:「ゆるキャン△」ラリー人気で初のツアー」(毎日新聞、5月26日)>


NO.1697 WEB CARTOP:「常時ONはダメ」「定期的な稼働が大切」など古いクルマのクーラーは使い方に要注意(毎日新聞、5月21日)<起稿 磯津千由紀>(18/06/02)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2018/06/02 (Sat) 22:56

 こんばんは。


 昔は常識だったことも、若い人が新たに古いものを入手した場合、知らないのでしょうねぇ。
 因みに、古い車に知らずに無鉛ガソリンを入れてエンジンを焼き付かせる人もいるかも。


> まだまだ多い80年代以前のクルマは要注意

> 室内を快適に保ってくれるなど、今や1年中欠かせない装備がエアコンだ。一方、旧車はどうだろうか? あまりに古いモデルとなると、湿気はあまり取れず、温風も出ない、ただのクーラーになるが、冷やす理屈としては同じだ。当時はサンデンのレザムなど、社外クーラーもあったが、仕組みは純正と変わるところはない。

> ただし、構造は大きく違う。最近ではコンプレッサーに電磁クラッチのない可変タイプが主流になりつつある。またクラッチ付きでも、エンジンへの負担が小さいロータリータイプだが、旧車になるとピストンタイプなど、構造そのものが違う。

> となると、旧車の場合、クーラーをオンにすべきか、オフにすべきか迷うところだ。極端なことを言うと、今のクルマのように、1年中オンにしたままでもいいのだろうか?

> 結論は夏場は運転中はオンにしてOK。必要のない気温のときは基本的には使わないというのが、今までの経験上の結果だ。

> 1年中オンにしっぱなしだと、やはり各部への負担が大きくなる。旧車に搭載されるクーラーの部品は純正、社外問わず、基本的に供給はされないので、修理するのはかなり厳しい。もちろん品質的なこともあり、1年中作動させて負担をかけるのはよくない。

> ただし、ポイントは基本的に必要のないときはオフにするというところの「基本に」という部分だ。じつはたまにオンにしてやるというのが、古いカークーラーを長持ちさせる秘訣だったりする。

> 理由はエアコンのガスには専用のオイルが混ぜられていて、内部を潤滑させているから。定期的に動かしてやることで、潤滑切れを防止してやるのだ。1カ月に1回、10分ほどオンにするだけでかまわない。これだけでも好調を保つことができる。

> ちなみにオンにするときはエンジンが高回転のときにいきなり入れるのではなく、アイドリング時にしたほうがコンプレッサーへの負担が小さく済む。高回転でいきなりオンにすると、コンプレッサー内部が焼き付く原因になるので要注意だ。

<参考=「WEB CARTOP:「常時ONはダメ」「定期的な稼働が大切」など古いクルマのクーラーは使い方に要注意」(毎日新聞、5月21日)>


【june】 2018/06/03 (Sun) 10:51

タイトルとは関係ないのですが、気になりましたので

> 因みに、古い車に知らずに無鉛ガソリンを入れてエンジンを焼き付かせる人もいるかも。

このことですが、無鉛ガソリンを入れても、普通は焼き付きません。
害があるのは、バルブとバルブシートの方です。
有鉛ガソリンは鉛の成分が、バルブとバルブシートとの間を保護する効果がありました、でも無鉛ガソリンにはその保護効果がないため使い込むうちに
圧縮漏れが起きるようになり、出力が下がり、そのうちにエンジンがかかりにくくなっていきます。

私が農機具屋さんで仕事をしていた時がちょうど無鉛化の時期でして
調子が悪いと持ち込まれる小型ガソリンエンジンが載った農機具が多かったのを記憶しています。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2018/06/03 (Sun) 22:32

 june様、こんばんは。


 そういえば当時バルブシートが云々と聞いておりましたが、てっきりエンジンが焼き付くものと思っておりました。

 ありがとうございました。


NO.1698 東京:手作り傘屋、別れの涙雨 台東区の老舗、来月閉店(毎日新聞,5月28日)<起稿 磯津千由紀>(18/06/02)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2018/06/02 (Sat) 23:29

 こんばんは。


 昔は当地にも傘屋がありました。
 傘屋に限らず、個人の手作りの店は、イヤ手作りでなくても個人の店は、どんどん減ってます。


> 下町情緒あふれる東京都台東区で梅雨時の6月、手作り傘屋が閉店する。洋傘製造・卸の「サイトウ」。明治時代創業の米屋が戦後、傘屋へ衣替えした。安価なビニール傘を使い捨てる人も多い昨今、「一点物の良い傘を長く大事に使った時代は終わった」と斎藤元春社長(67)は寂しそうに語る。【夫彰子】


> 「一点物、大事に使う時代は終わった」

> 事務所と合わせて約80平方メートルの店内に色とりどりの傘が所狭しと並ぶ。「閉店SALE」「50%OFF」。そこここに張られたセール札が、間近に迫る店じまいを告げていた。

> 店は斎藤さんの祖父、林太朗さん(故人)が1910(明治43)年に東京・市ケ谷で米屋として始めた。関東大震災で店が焼け、現在の台東区入谷へ移転。戦時中の42年、米が配給制になったため、傘作りを一から教わり生計をたてた。終戦後、洋傘屋として再出発。斎藤さんが両親に聞いた話では、「入谷の地価が1坪(3・3平方メートル)700円だった当時、1本5000円の洋傘があっという間に売れた」。皇室に納めた品もある。戦後復興、高度経済成長を経て洋傘は庶民にも普及した。「うちの傘の唯一の欠点は長持ちしすぎること」と斎藤さんが笑うほど、1本の傘が何十年も愛用された。

> 今は500円もあれば買える大量生産品があふれる。手作り傘への需要や関心も薄まり、サイトウの傘を作る職人は80代の1人のみ。2人の娘は結婚して他家に行き、後継者がいない。「店をたたむ潮時」と決断した。時折、評判を聞いて傘を作りたいという若者が店を訪れると、無料でノウハウを伝授する。「ここの『遺伝子』を受け継いでくれた若い子らが、俺にとったら後継ぎみたいなもんだよ」と言い、屈託なく笑った。

> 経済産業省工業統計表によると、全国の洋傘製造業者は05年の21社が14年には10社と10年間で半減。全国の洋傘製造卸業者でつくる日本洋傘振興協議会(台東区)は「後継者不足や職人の高齢化が進んでいる」と話しており、調査に含まれない従業員4人未満の零細業者も減少している可能性が高い。

<参考=「東京:手作り傘屋、別れの涙雨 台東区の老舗、来月閉店」(毎日新聞,5月28日)>