みんながパソコン大王
雑談<NO.369>

みんながパソコン大王
総 合 目 録 趣意書

表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
雑談NO.370
3230 <あおり運転 厳罰化から3年>違反数や警察対応に変化は #ニュースその後 シバケン 23/07/30
3229 <毛沢東>1500万人以上が飢餓で死んだ/1億羽のスズメを一斉駆除した中国で起きたこと シバケン 23/07/29
3228 なぜ富士通Japanだけが責められる? コンビニ誤交付トラブルで気になる責任の所在 磯津千由紀 23/07/29
3227 40年前のパソコンが現役!機械と手仕事で伝統を守りながらはんてんを作る日本の工場 磯津千由紀 23/07/29
3226 主体的ではない「冒険ごっこ」の危うさ 野口健(タイタン号の事故) 磯津千由紀 23/07/27
3225 <化石>恐竜にかみつく古代の哺乳類/極めて珍しい化石発見 シバケン 23/07/26
雑談NO.368

NO.3225 <化石>恐竜にかみつく古代の哺乳類/極めて珍しい化石発見<起稿 シバケン>(23/07/26)


【シバケン】 2023/07/26 (Wed) 18:26

窮鼠猫を噛む。
身を守るための行動かと。

<写真1>
恐竜にかみつく古代の哺乳類 極めて珍しい化石発見 研究
© AFP PHOTO / CANADIAN MUSEUM OF NATURE / GANG HAN



<画像2>
恐竜にかみつく古代の哺乳類 極めて珍しい化石発見 研究
© AFP PHOTO / CANADIAN MUSEUM OF NATURE / MICHAEL W. SKREPNICK



>中国とカナダの研究チームが18日、科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」に掲載された論文で、約1億2500万年前の地層から見つかった、より体の大きな恐竜にかみつくアナグマのような哺乳類の化石についての研究結果を報告した。

>2匹の格闘シーンを捉えた化石は、中国北東部・遼寧省で2012年、白亜紀の火山灰層から発見された。

>化石には、オウムのようなくちばしを持つ体長120センチの植物食恐竜「プシッタコサウルス・ルジアトゥネンシス」を押さえつけ、胸部に歯を食い込ませる哺乳類「レペノマムス・ロブストゥス」の姿がはっきりと残されていた。プシッタコサウルスの体は、レペノマムスの3倍ほど大きかった。

>論文の共同執筆者を務めたカナダ自然史博物館の古生物学者ジョーダン・マロン氏は、これまで発見された化石の中で哺乳類と恐竜が争っているものは初めてだろうと語った。

>マロン氏は2匹の絡みつき方から、レペノマムスがプシッタコサウルスの死骸をあさっていたのではなく、攻撃していたことが分かると述べた。哺乳類が死骸をあさる場合によく見られるかみ痕が、プシッタコサウルスにはなかった。

>また哺乳類が自身よりはるかに大きな動物を捕食することは珍しいが、現代ではクズリ(クロアナグマ)が大きなカリブーを狩る様子が観察されたこともあると同氏は述べた。さらに、レペノマムスの狩りが単独によるものだったのか、群れによるものだったのかはこの化石だけでは不明だが、どちらの可能性もあると付け加えた。

>哺乳類が恐竜を捕食していたことを示唆する最初の化石は、2005年に同じく中国の同地域で発見されている。この化石はレペノマムスの胃の中にプシッタコサウルスの子どもが入った状態で見つかった。(c)AFP/Daniel Lawler

<参考=「恐竜にかみつく古代の哺乳類 極めて珍しい化石発見」(AFP)>
(23/07/19)


NO.3226 主体的ではない「冒険ごっこ」の危うさ 野口健(タイタン号の事故)<起稿 磯津千由紀>(23/07/27)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@dynabookQosmioD711/T7CW】 2023/07/27 (Thu) 20:39

 こんばんは。


 野口氏いわく、「冒険はしたいが、冒険ごっこはしたくない」。


> 水深3800メートルにある「タイタニック号」の沈没現場まで〝行けることを売り〟にしていた潜水艇「タイタン号」が圧壊を起こし、全乗員乗客が犠牲になるという、いたましい遭難事故が6月に起きた。直後に「野口さんも冒険家ですから、たとえリスクがあっても深海や宇宙旅行に行きたくなりますか?」と質問を受けた。答えは「NO」である。「冒険はしたいが、冒険ごっこはしたくない」

> 思い出したのは1996年、エベレストで起きた大量遭難だ。92年頃からエベレストでは公募隊、いわゆる「登山ツアー」を企画する会社が誕生し「参加費用約1000万でエベレストに登らせます」といった具合に宣伝が始まった。中でも最も有名だったのがニュージーランドの登山家、ロブ・ホール氏率いる公募隊だった。96年5月、そのホール隊含め、複数の登山隊がエベレストに登頂。しかし、下山中に悪天候に見舞われ、大量遭難を起こしてしまう。「エベレスト史上最も多くの犠牲者をだした遭難」と大きく報じられた。

> 隊長のホール氏も帰らぬ人となった。実はこのホール隊に僕も参加をするのか、ギリギリまで悩んでいた。しかし、直前にキャンセル。その直後の事故だっただけに、ひとごとではなかった。公募隊全てに問題があるとは思っていない。利点は高額な参加費用さえ捻出できれば、極端な話、身ひとつで現地に向かえばいい。後はすべて公募隊が用意してくれる。

> ただ、自分をサポートするシェルパとベースキャンプで「初めまして」ということも。世界各国から集まる知らない人同士がザイルパートナーとなったり、ベースキャンプでザイルやアイゼンの使い方の講習会を開いていたりすることもある。つまり登山経験の少ない人でも参加できてしまうのだ。そういう僕も一度、公募隊に参加したことがあるが、登山スケジュール含め全てが決められてしまう。

> 「冒険とは命を懸けた表現」だと僕は思っている。そこには主体性が求められる。安易な形で命を懸けるべきではない。ゆえに深海や宇宙ツアーには参加したくない。


> 野口健
> のぐち・けん アルピニスト。1973年、米ボストン生まれ。亜細亜大卒。25歳で7大陸最高峰最年少登頂の世界記録を達成(当時)。エベレスト・富士山の清掃登山、地球温暖化問題など、幅広いジャンルで活躍。新刊は『父子で考えた「自分の道」の見つけ方』(誠文堂新光社)。


<参考=「主体的ではない「冒険ごっこ」の危うさ 野口健」(産経デジタル、7月27日)>


NO.3227 40年前のパソコンが現役!機械と手仕事で伝統を守りながらはんてんを作る日本の工場<起稿 磯津千由紀>(23/07/29)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@dynabookQosmioD711/T7CW】 2023/07/29 (Sat) 19:17

 こんばんは。


 シャープMZ-80ですね。
 この時代のパソコンを今も使ってる町工場は結構多く、修理依頼が舞い込むことがありましたが、同型のパソコンを入手して部品取り機にすることがありましたっけ。


<参考=「40年前のパソコンが現役!機械と手仕事で伝統を守りながらはんてんを作る日本の工場」(YouTube・プロセスX)>


【パソコン大魔神】 2023/07/29 (Sat) 22:14

当時のマイコン制御は「Intel8080」とその互換品「Z‐80」が爆発的に機械制御の世界で使われ始めた。その時、画期的だったのが「Intel8255」というシリアル・インターフェースLSIだった。モトローラの「6800」系とIntel系の戦いを決定付けたのは、この「Intel8255」の存在と言っても過言では無い。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@PC-DA370CAB(無理矢理Win11)】 2023/07/29 (Sat) 23:57

 パソコン大魔神様、こんばんは。


 i8255は、通称PPI、24ビットのパラレルインタフェースICです。
 モトローラ6800ファミリーでは、M6820という、8ビットポート(制御線2本付き)が2個のICがあります。


【パソコン大魔神】 2023/07/30 (Sun) 00:15

パラレル・ポートやったかなぁ~。確かRS‐232Cのシリアル転送にも使った記憶が有る。フォトセンサーやリミットSWの信号を受け取ったり、サーボ・モーターや電磁弁のON/OFF信号を送ったりしていた。とにかく「8255」が無ければマイコンを制御器として使う事が出来なかった。
 モトローラはそこの所が決定的に弱かったと思う。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@dynabookQosmioD711/T7CW】 2023/07/30 (Sun) 00:17

 追伸です。


 インテルのシリアルインタフェースICは、USARTと呼ばれた、i8251です。
 i8255もi8251もM6820も、当時の技術水準でも、「LSI」ではなかったです。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@dynabookQosmioD711/T7CW】 2023/07/30 (Sun) 00:37

 パソコン大魔神様、こんばんは。


 i8255は、24本のラインを個別に入力にも出力にもできたので、自由度が高かったことは事実です。
 ソフトウェアUARTにでもしない限り、EIA-232シリアルには使えませんでした。
 因みに、1本単位で入力にも出力にもできる柔軟性が必要なければ、TTLのICの方が廉価でした。従って、最初から何を繋ぐかが決まってれば、i8255は使わなかったです。一方、汎用のマイコンボードなどでは、i8255は有用でした。

 尚、同期バスのM6800に非同期バスのi8255を繋ぐのは容易でした(i8080にM6820を繋ぐのは回路量が増えて大変でした)ので、そういう組み合わせのマイコンも多かったです。


【パソコン大魔神】 2023/07/30 (Sun) 01:48

Intel8080やZ-80と同じサイズの「8255」の存在は大きかった。(ICかLSIなんてどうでもイイ話。評論家が何と言おうが「ローム」的には立派にLSIだった。)

 自社「ローム(当時は東洋電具製作所)」で製作していた生産設備は最初はカム・シーケンサーだったが、その後リレー・シーケンサーに替わり、DTL・TTLロジックを飛び越してマイコン制御に替わった。その火付け役が「LED大魔神」だった。

 それが始まりで、CPUカード、メモリーカード、I/Oカード、センサーカード、ドライバーカード等が社内で標準化され、生産設備の横には「テレタイプ」が置かれるようになった。研究を開始して3年ほどでTVカメラの画像を読み込んでX‐Y二軸のパルスモーターの制御するまでになっていた。その頃、立石電機(オムロン)でもマイコン制御のシーケンサの商品化を研究していた。

 日本がバブル景気に沸く前、1980年代は機械制御に革命が起きていた。それがNTT民営化に始まる「バブル経済」が到来し、コツコツと技術で稼ぐより、「株や不動産で稼ぐ方が賢い」という世の中になってしまった。そして、ここから”技術立国「日本」”の凋落が始まった。「バブル経済」が崩壊して約30年、未だこの悪しき傾向は変わっていない。昨今の「ビッグモーター」のニュースを見ると自動車業界の終焉が近いという気がする。

 真剣に安全な自動車を作りたいと考えるエンジニアと、それを食い物にして稼ごうとする中古車販売会社と、そのグルになっている損害保険会社との考え方のギャップは大きい。
 かつての様に「良い物を作れば売れる」という時代では無くなった。何がヒットするか判らない、変な世の中になってしまった。

 そんな中でインテル社は良く頑張っていると思う。(それと同じ位「ローム」のLEDも頑張っている。何しろLED(発光ダイオード)は「エジソン」を越えた)

-写真は大魔神が47年前に設計した「LA‐601MB」-
   (今でも世界中でバカ売れしている)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@PC-DA370CAB(無理矢理Win11)】 2023/07/30 (Sun) 20:57

 パソコン大魔神様、こんばんは。


> CPUカード、メモリーカード、I/Oカード、センサーカード、ドライバーカード等が社内で標準化され

 成程、其れだと、一桁高価でも。i8255の柔軟性の高さが魅力的でしたね。


 制御用マイコンの話はひとまず置いて、昔のパソコンのプロセサの話に戻ります。

 パソコンが各社から続々発売された1977年ごろ、採用されたプロセサで最も多かったのは、インテルi8080でもモトローラM6800でもなく、廉価なモステック6502だったでしょう。(さらに廉価なナショナルセミコンダクタSC/MPは、まだ出てませんでした)
 但し日本では、日本電気μPD8080のエバリュエーションボード「TK-80」が予定外のホビイストに沢山売れたため、i8080(および互換プロセサ)が優勢でした。
 そして、i8080の電卓用の名残を残す命令セットよりも、間接アドレシングこそないもののpdp11に似た命令セットを持つM6800がコンピュータアーキテクチャ屋には好まれたものの、ホビイスト上がりの設計屋にはザイログZ-80の多機能な命令セットは魅力的に映ったようです。
 ダイナミックメモリーのリフレッシュ機能の内蔵やZ-80CTCなどの強力な周辺ICの存在もあり、ハードウェア屋にもZ-80を好むものが増えました。
 Z-80独り勝ちの時代の到来です。

 尚、フロッピディスク(フレキシブルディスクカートリッジ)ドライブの低廉化に伴い、CP/MというDOSの存在が、i8080系をM6800系よりも有利に導いたという事情も、ありました。

 のちに、IBM-PCが、16ビットアーキテクチャのプロセサでは最安だったせいでしょうか、i8088(バスは8ビット)を採用したため、x86系プロセサが優勢になりました。
 この時、32ビットアーキテクチャを見据えたM68000を採用していれば、パソコンの世界は今とは異なるものになってたでしょうね。


【パソコン大魔神】 2023/07/30 (Sun) 21:13

人間、歳をとると自慢話をしたくなるもので、そこは勘弁して頂きたい。

 皆さんが毎日手にしている「テレビ・リモコン」や「エアコンのリモコン」、赤外線通信を使っている。そのリモコンの先端に付いている「赤外線発光ダイオード」の殆どは大魔神が設計したLEDが使われている。透明なプラスチックの光らないLEDだが、瞬間的に強烈な赤外線を放出している。(レーザーと違って安全)

 何と、大魔神が45年前に設計した「SIR‐56ST」という5㎜径の赤外線発光ダイオードは未だに世界シェアトップを維持している。エアコンや扇風機のリモコンには3㎜径の「SIR‐34ST」が使われている。その理由は価格がベラボウに安い事(1個50円前後)と、絶対に断線しないという驚異の信頼性だ。未だに競合他社が「ローム」製(即ち大魔神設計)を越える事が出来ない。恐らく、永遠に高信頼性で安価な「赤外線発光ダイオード」は世に出ないと思う。

 そんなワケで、皆さんの手元に大魔神が居る。叩いても蹴っても絶対に壊れないが、燃やせば壊れる。だからリモコンは燃やさないようにして欲しい。
(万が一、焼いてしまったら大魔神の祟りが有ると心得よ!)


【パソコン大魔神】 2023/07/30 (Sun) 21:31

磯津さんへ

 「CP/M」の存在は決定的だった。もし、社長が自動車レースの事故で死ななかったら「MS-DOS」の出番は無かった。

 たった一人の”馬鹿”のお陰でコンピュータの世界が変わってしまった。

 そうそう、もう一人”馬鹿”が居たなぁ~。スティブン・ジョブスや。MACは厳密にはコンピュータでは無い。あれは”おもちゃ”の分類だと思う。未だに、MAC製品は”おもちゃ”の世界だと思う。スマホだって”SONY Walkman”、”iPod”の発展形だ。そんなのがインターネットに接続したからメチャクチャになった。


【パソコン大魔神】 2023/07/31 (Mon) 23:55

話がインターネットの事になったので、脱線ついでにインターネットの話をしよう。

 40年前、この世にマイクロプロセッサなる物が登場した頃、アメリカ軍の中で”核戦争”を想定した通信システムの研究が始まった。つまり、それまでのホスト・コンピュータが破壊されても通信を確保できる分散型システムが提案された。それがインターネットなんだ。

 インターネットはコンピュータの”割り込み制御”機能を利用して、外部からコンピュータを制御するという発想だった。ただ、初期のインターネットは、接続先のコンピュータに”割り込み”をして、テキスト・ファイルを送信するというのが主な目的だった。

 その機能に目を付けたのが大学で、学術論文を交互に遣り取りする簡単なシステムを構築した。その時に”IPアドレス”という概念が誕生し、”パケット通信”という通信手順が誕生した。”パケット通信”はデータサイズを短くして、データの頭に”IPアドレス”が書かれているという単純なものだった。こうする事で複数のコンピュータを”ルーター”を介して網の目の様に接続して、他の大学のコンピュータに割り込み、テキスト・データを送って貰うという、初期のインターネット網が出来上がった。

 当時、大学のコンピュータの多くがIBMだった(IBMが政策的に大学に無償でコンピュータを設置していた)ので、本来必須のオブジェクト権限を無効にした状態で”割り込み”命令を処理していた。ここが、そもそもの大失敗で、大学の”坊や”達が「ベル研究所」が公開してしまったUnixに飛び付いた。UnixはIBMほど厳格な”オブジェクト権限”が無いので、こんなザマになってしまった。さらに、何処ぞの”坊や”がLinuxなるものを勝手に公開したため、更にメチャクチャになってしまった。

 それでも、当初のテキスト・ファイルだけで有れば大きな問題は起きなかった。しかし、テキストだけでは画像が送れないので、GIFデータも送れるように拡張された。インターネットもそこまでにして置けば良かったのだが、JAVAスクリプトというプログラミング言語を送れる様に拡張した”お馬鹿”が居た。これによって”コンピュータ・ウィルス”に世界中が悩まされる事になってしまった。

 もうインターネットを安全に使える状況では無くなって、ウィルスを検知するフロント・エンドを介さなければインターネットに接続出来なくなってしまった。そのためにCPUパワーと膨大な常駐メモリーが必須になってしまった。

 インターネットを滅茶苦茶にした”お坊ちゃま”達に悪気は無かっただろうが、結果的にこんな事になってしまったのが「民主主義」なんだ。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@dynabookQosmioD711/T7CW】 2023/07/31 (Mon) 23:59

 パソコン大魔神様、こんばんは。


 今の目で見れば稚拙でも、当時としては画期的でした、CP/Mは。
 あれだけの機能を、あの小さいプログラムに詰め込んだのは、凄いと思った。加えて、アセンブラでなく、PL/Mで書かれていた。
 残念ながら、ソースコードを読む機会には恵まれなかったが。但し、マシン依存部分であるBIOSはアセンブラのコードが公開されていて、美しかった。(私は、1.4と2.0に触れた)
 尚、些細なバグは、数個あった(2.0の場合)が、無制限ライセンスを持ってないとパッチが提供されなかったのは、企業スタンスとしては如何なものかと思う。
 2.0のBIOSを書き換えて、マシンに合うように改造した人が、多かった(私も)。

 PC-DOS/MS-DOSは汚かった。動けばよいというコードで、エレガントさに欠けていた。
 私は、MS-DOS全盛期にはパソコンから離れて通産省の第5世代コンピュータプロジェクトに取り組んでいた(世の期待と違い、Prologワークステーションだけが出来ればよいと、「中の人」は考えてた、決してお莫迦なプロジェクトではなかった)ので、初期しか知らぬが。
 マイクロソフトにはDOSを作る力が無かったので、ソーシムDOSを買ってきてパッチを当てていたと聞く。

 ウォズニックとジョブスは、天才だと思う。
 20ピンTTLがまだないころの、Apple2の回路は、器用な曲芸をエレガントに実装していた。唯一、割り込みのデイジーチェインに設計ミスがあった(少なくとも私は他のミスを発見してない)が。
 ソフトウェアも、モニタを読んだ限りでは、器用でエレガントだった。
 Apple2という「お手本」がなければ、のちのパソコンは悲惨だったろう。尤も、Apple2と比べれば、以後に出たパソコンの回路は冗長なものが多かったが。
 IBM-PC(初代)は、回路に無駄が多いのみならず、アーキテクチャもミス(と言って良いと思う)だらけだった。其のアーキテクチャのミスを、今も引きずっている。
 アップルコンピュータは、LISAでは失敗したが、ゼロックス研究所のALTOの流れを汲むUIを普及させた点で、初代マッキントッシュ(通称512K-MAC)は画期的だった。あれがなければ、(OS2も)Windowsも誕生しなかったろう。
 Windowsは、(Windows 2000から少しマシになったが)エレガントさに欠けた力尽くのインプリメンテーションではあったが。
 尚、Windowsは、DECのVAX/VMSを可也、参考にしてたと思う。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@dynabookQosmioD711/T7CW】 2023/08/01 (Tue) 00:07

 パソコン大魔神様、こんばんは。


> 話がインターネットの事になったので

 いつから(?)。


【パソコン大魔神】 2023/08/01 (Tue) 01:08

磯津さんへ

 IBM PC-ATは汎用コンピュータSYSTEM-3を小型化したもので、I/O制御には欠点が有った。元々SYSTEM-3はアポロ計画の司令船に3台積まれていて、着陸船とのランデブーの軌道計算をするのが目的だったので、I/O制御まで真剣に考えていなかった。

 それを小型コンピュータにしたのが日本IBMの三井(みい)さんで、そこからIBMパソコンの歴史が始まった。当時、IBM-PCは神奈川県の大和研究所で行われていて、アメリカ本国では大型機しか作っていなかった。その時にマイクロソフトとの縁が始まった。

 そんな環境だったから大魔神が「DOS/V」を提案する事が出来た。MS-DOS V3.XXまではNECに対抗して「日本語DOS」という別物だった。初期の「OS/2」も「日本語DOS」上で動作するように作られていた。

 以前にも話したと思うけど、「DOS/V」は最初バイリンガルDOSとして「DOS/B」だった。しかし、これでは「インパクトが無いなぁ~!」という事で「DOS/V」と命名した。元々英語版MS-DOS上で動作させていた「OS/2」を「DOS/V」に変更した。

 Windows3.1まで独自に進んでいた(実際はIBMも絡んでいた)Windowsは、Windows95からOS/2と合体させた。これには色々とIBM内部で揉めたけど、Windows Meまでこの路線で突っ走った。しかし、メモリー制御で限界に達してDECのエンジニアの力を借りてWindows 2000が誕生した。

 その頃、汎用機の世界は64ビットRISCプロセッサに主力が移って、システム36やAS/400が一気に小型化し、何とES/9000までもがZシリーズとして小型化してしまった。その64ビットRISCプロセッサがPCの世界に降りて来て現在の姿になった。

 この50年の変化の中枢で大魔神が生きていた。何という幸せな事だとつくづく思う。ただ、最近話題沸騰の「生成AI」は遣り過ぎ感が有る。あんなモノに掻き回される前に、あの世に行こうと思っている。我ながらLEDだけにして置けば良かったと後悔している。


NO.3228 なぜ富士通Japanだけが責められる? コンビニ誤交付トラブルで気になる責任の所在<起稿 磯津千由紀>(23/07/29)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@dynabookQosmioD711/T7CW】 2023/07/29 (Sat) 20:08

 こんばんは。


 有料記事のため、尻切れですが。
 「本物のシステムエンジニア」が不在だと、こういう事態が、起きるんです。
 過去、住基カードの導入時には、こんな為体なかったです。


> 富士通Japan製コンビニ交付システムを巡る誤発行トラブルが後を絶たない。2023年3月に横浜市で他人の住民票が誤発行されるトラブルが発生したのを皮切りに、東京都足立区や川崎市、徳島市、新潟市、さいたま市、熊本市などでも同様のトラブルが続々と明らかになっていく――。

> 事態を重く見たデジタル庁は同年5月8日、コンビニ交付システムを一時停止した上で不具合を検査する「総点検」を富士通Japanに要請。同社は要請に応える形で、6月17日までに全国の自治体123団体の点検を完了させた。ただ点検完了後まもない同月28日には新たに福岡県宗像市で住民票の誤交付トラブルが発生しており、事態が収束したとは言い難い。


> 自治体側の責任は?

> 不具合が相次いでいることからも、富士通Japan製システムに設計上の問題があるのは明らかである。一部の専門家からはその設計について「稚拙」という指摘も出ている。

> ただ、富士通Japanを巡る一連のトラブルで気になるのは、発注側の責任問題についてだ。

> トラブルが公になった当初からITエンジニア界隈(かいわい)では、発注者である自治体の責任を問う声は少なくなかった。「システムを検収して受け入れたのだから、トラブルが起こればそれは自治体側の責任だろう」というわけだ。

> ご存じの通り、システム開発において請負契約を結んだ場合、発注者はITベンダーが納入したシステムについて「受け入れ検査(受け入れテスト)」を行う。システムが要件通りに稼働することを確認して検収し、成果物を受け入れた後の不具合は原則、発注者側の責任となる。これはシステム開発を巡る訴訟でも争点になりやすく、IT業界において「検収は重い」というのが常識である。

> ただ正確には検収を終えたら即日、すべてが発注者側の責任になるわけではない。ITシステムは一定期間以上使ってみないと不具合が発見できないケースもあり、検収後にプログラムに起因する不具合が見つかった場合、発見から1年以内であれば開発会社に改修を要求できるのが一般的だ。これは、受注側のITベンダーが、成果物の品質を満足させる義務「契約不適合責任(旧:瑕疵担保責任)」を負うためである。

> この記事は会員登録で続きをご覧いただけます。次ページでログインまたはお申し込みください。

> 次ページ 自治体と富士通Japanの実際の契約は……

【有料記事のため、尻切れ】


<参考=「なぜ富士通Japanだけが責められる? コンビニ誤交付トラブルで気になる責任の所在」(日経クロステック/日経コンピュータ有料記事、7月11日)>


【パソコン大魔神】 2023/07/29 (Sat) 21:58

富士通とNECはコンピュータ業界でも特殊だった。

 悪い言い方をすると”汚い”営業が横行していた。例えば富士通であれば医療システム、地方自治体の住民情報管理はNECが圧倒的に強かった。「強かった」と言っても、システムの完成度では無く”営業力”の差で、IBMをもってしても、全く割り込む隙が無かった。

 更に悪い言い方をすると、贈収賄が普通に横行していて、競合にもならなかった。とにかく、富士通とNECは”寝技”が余りにヒドかった。その結果が、現在の状況を招いている。マイナンバー・カードの問題も、富士通とNECに丸投げしたために起きている。

 みずほ銀行のトラブルを見ても判るように、金融システムは圧倒的にIBMの文化だと言える。日立製作所は、そのIBMの企業文化を受け入れて”互換路線”に徹して来た。しかし、そこに富士通が割り込むとメチャクチャになってしまう。
 同様に「運輸」の世界もIBMの企業文化なので航空機の座席予約システムと同じ考え方で”新幹線”や在来線の座席予約システムが作られている。この世界も日立製作所が強い。早い話がIBMの世界の文化だからだ。

 国や地方自治体の延長線上に有るシステムは”富士通”と”NEC”に総ての責任が有る。そんな事を今まで見過ごして来た”お馬鹿”な日本国民にツケが回って来ただけの話だ。

 この際だから大声で言わせて貰う。日本の医療システムと自治体のシステムは”富士通”と”NEC”を甘やかした為に腐り切っている。それを許したのは”賄賂”と”宴会”が大好きな日本人の弱さに有る。その結果、みんなが困る事になってしまった。

 これを「自業自得」と言う。


NO.3229 <毛沢東>1500万人以上が飢餓で死んだ/1億羽のスズメを一斉駆除した中国で起きたこと<起稿 シバケン>(23/07/29)


【シバケン】 2023/07/29 (Sat) 23:34

世紀の愚策と評される「四害駆除運動」の末路。

<写真1>
毛沢東



<写真2>




<本3>
トム・フィリップス著、禰冝田亜希訳『メガトン級「大失敗」の世界史』(河出文庫)



>人類の歴史において、最悪の政策とは何か。イギリス人ジャーナリストのトム・フィリップスさんは「毛沢東による四害駆除運動が挙げられる。この政策の結果、イナゴによる食害が発生し、少なくとも1500万人が飢え死にした」という――。

>※本稿は、トム・フィリップス著、禰冝田亜希訳『メガトン級「大失敗」の世界史』(河出文庫)の〈第3章 気やすく生物を移動させたしっぺ返し〉の一部を再編集したものです。


>最悪の結果を招いた毛沢東の四害駆除運動
>人間の進歩の物語は、思考と創造性に幅が出てきたことに始まる。これが人間とほかの動物との違いだが、同時にこの幅があるせいで、私たちは日ごろからどうしようもないあんぽんたんになってしまうのだ。

>生態系は複雑なもので、自然の微妙なバランスを乱せば、かならずや揺り戻しがくる。人類は痛い思いをして、そのことを学んできた。これからする話は、人類史上、後にも先にも例がないほどきわだっている。

>毛沢東の四害駆除運動は、過去最悪の公衆衛生の政策で、何もかも破壊することに完璧な成功を収めてしまったものと位置づけるべきだ。この政策は社会のあらゆる面をまとめあげて総力で目標を目ざし、驚嘆すべき度合いで目標をしのいだ。

>目標の半分は、ほぼ確実に国民の健康状態を広範にわたって大きく改善した。したがって、四害のうち二つは悪くないと思われるかもしれない。悪かったのは、四つ目の目標が何千万人もの死を招いたことだ。

>この問題の根っこは、生態系の複雑さのために予測ができないことにある。そうだね、ちょっと種を一つ、ここに足してみよう、いくつかの種をそこから減らしてみようか、と私たちは思う。そうすれば何もかもがよくなるだろうと。

>そのとき、「想定外の結果」が起こって、お友達の「ドミノ効果」や「カスケード故障」を連れてくる。言い換えれば、事態が「わらしべ長者」や「風が吹けば桶屋がもうかる」の厄災版みたいになってきて、皆で仲よく思いあがりのうたげを開くのだ。


>国難は生物のせい
>1949年の後半に、毛沢東主席の共産主義が中国で権力を掌握すると、国は医療危機に見舞われ、コレラやペスト、マラリアなど感染性の病気がはびこった。毛沢東の目標は、ほんの数十年前に封建主義を脱したばかりの農業国を、一挙に近代の産業大国に変えるというもので、この帳尻を合わせるには何かをする必要があった。

>解決策のいくつかは、当たり前で分別あるものだった。集団ワクチンの計画や、衛生状況の改善などである。問題は毛沢東が国難の批判の矛先を生物に向け、国難は生物のせいと決めつけたときに始まった。

>蚊はマラリアを広めるし、ドブネズミはペストを広める。ここまでは否定できない。だから、その数を減らすための国家規模の計画が立てられた。まずいことに、毛沢東はそこでやめておかなかった。もしこれが二つの害を撲滅する運動だったなら、計画はうまくいっていたかもしれない。

>だが毛沢東は(専門家の意見を訊くこともしないで)ほかの二つの種も加えることにした。槍玉に挙げられたハエは、鬱陶うっとうしいからという理由で撲滅されることになった。


>四つ目の害は? こともあろうにスズメだった。

>なぜスズメを駆除したのか
>理屈はこうだ。スズメがいけないのは穀物を食らうからだ。スズメが穀物を食べる量は、1羽につき毎年最大で4.5キロである。中国人が飢えをしのぐために使えたはずの穀物をだ。

>これを計算すると、100万羽のスズメが駆除されたら、6万人の食いぶちがまかなえると考えたのだ。理にかなっているだろう?

>四害駆除運動は1958年に始まり、これには全精力が注がれた。全国展開された運動のポスターを使って、子どもからお年寄りまで中国人全員が義務を果たし、該当の生物をなるべくたくさん殺害するように呼びかけ、「鳥は資本主義の公共の動物だ」と高らかに宣言した。

>人々はハエ叩きから拳銃まで携えて武装し、学童はなるべく多くのスズメを投石機で撃つ方法をしこまれた。スズメを目の敵にした群衆は、旗を振り、熱に浮かされたように街中を練り歩き、鳥との戦いに加わった。スズメの巣を壊し、卵をかち割った。

>市民は鍋や釜を叩き鳴らし、木からスズメを追い払ったものだから、スズメは休むことができずに疲れ果て、空から落ちて息絶えた。上海だけでも20万ものスズメが戦闘初日に死んだと推定されている。


>スズメの駆除で大量増殖したある昆虫
>「戦士たるもの、戦いに勝つまで撤退してはならない」と「人民日報」は書いた。結果、戦闘には勝った。宣言された目標を達成することにかけては大勝利だった。小さな生物の軍勢に対し、人類は圧倒的な勝利を収めた。

>四害駆除運動は、合計すると1億5000万匹のドブネズミに1100万キロの蚊、10万キロのハエ……そして1億羽のスズメを殺したと推定される。

>あいにく、この戦いの何が悪かったかはすぐにわかり始めた。1億羽のスズメは穀物を食らうばかりではなく、虫も食べていた。とくにイナゴを食べてくれていた。突如として1億羽の天敵がいなくなってせいせいした中国のイナゴは、毎日が正月だとばかりに祝い始めた。

>スズメはそこかしこでほんのちょっと穀物をつまみ食いしていただけだったのに、イナゴの集団はというと、とめどない巨大な雲のようになって、中国の作物を荒らしまわった。

>実際の専門家はこの考えの何もかもがどんなによくないかとかねてから人々に訴えてきたが、1959年、鳥類学者の鄭作新の忠告はようやく聞き届けられ、公的な「殺すべき害虫」のリストにあったスズメはトコジラミに変更された。

>だが時すでに遅し。1億羽のスズメを殺戮さつりくし尽くしてから、今度は戻ってこいと虫のいいことを望んでも、そうはいかない。


>1500万人が飢餓で死ぬ
>はっきりさせておくが、1959年から1962年まで中国を襲った大飢饉ききんの原因は、スズメの駆除だけではなかった。

>複数の恐ろしい決断ミスが同時に重なって、引き起こされたのだ。従来の自給農業から、価値の高い換金作物へと党が命じたことで変化が起こったこと、ソ連の生物学者トロフィム・ルイセンコの疑似科学にもとづく一連の農業の新技術が破壊的だったこと、そして中央政府がすべての農産物を地元の社会から取りあげたこと、このどれもに原因がある。

>また、よい結果を報告するようにという励ましが圧力となって、あらゆる階層の役人にのしかかったとき、上層部の官僚のなかには、すべてはうまくいっている、そして国民にはたっぷり食べ物があるという絵空ごとを胸に抱いた者たちもいた。

>実際には、何年もの過酷な天候にやられたあとで(国土のあちこちで洪水が起こった一方で、ほかの地域では干ばつが起こった)、国民が食える蓄えなどありもしなかったのに。だがスズメ殺しと、続いて起こった本物の害虫による作物の食害は、襲いかかった大飢饉の元凶だった。

>飢餓による死者数の概算は1500万から3000万人。ただでさえ背筋の凍る話なのに、1500万人もの人間の生死がわかりさえしないとは、怖さがいっそう上乗せされる話だ。

>このことから学べる基本的な教訓(自然を荒らしてはならない。そうしていいのは、どんななりゆきになるかが前もってよくわかっている場合だけだ。それでも、おそらくはよいことではない)が胸に浸みたと思うだろう。

>ところが2004年になって、中国政府はまたしても、ジャコウネコからアナグマにいたるまで、哺乳類の大量駆除を命じた。SARSウイルスの発生を受けてのことだった。このことから、人類は過去の過ちからなかなか学べないことがわかる。

<参考=「1500万人以上が飢餓で死んだ…毛沢東の指示で「1億羽のスズメを一斉駆除」した中国で起きたこと 世紀の愚策と評される「四害駆除運動」の末路 トム・フィリップス」(PRESIDENT)>
(23/07/29)


NO.3230 <あおり運転 厳罰化から3年>違反数や警察対応に変化は #ニュースその後<起稿 シバケン>(23/07/30)


【シバケン】 2023/07/30 (Sun) 15:42

当方的、若い頃、20代、30代辺りには、あおりに遭遇したですが。
以降、余り、覚えがないです。つまり、遭遇しておらず。

まあねえ。
基本的、高速道路走るの際、「走行車線」優先。
追い抜く場合のみ、「追越車線」にしてるです。

いやねえ。
時により、それまで、ゆっくり走行の、前方走るの車が、追越に掛かると、突如、速度あげたり、しましてねえ。
追越終わると、元の速度に落としたり。てな事、結構あるです。

<表1>
違反とその件数。


<クリックで拡大>

<図2>
妨害(あおり)運転の対象となる10類型の違反。


<クリックで拡大>

>あおり運転 厳罰化から3年

>東名高速道路で発生したあおり運転を起因とする夫婦死亡事故から6年が経過した。

>2017年6月に起こったこの事故。あおり運転のクルマに止められた家族が乗るワゴン車が大型トラックに追突された。車内の家族2名は無事だった。本線上に出ていた夫婦は、はねられて死亡した。

>危険運転致死傷罪などに問われた石橋和歩被告(30歳)の差し戻し裁判員裁判の判決公判が2022年6月6日に横浜地裁で開かれた。求刑通り懲役18年が言い渡された。

>その後もあおり運転による被害は相次ぐ。

>2019年8月には常磐道(茨城県内)を走行中、あおり運転で挑発し、本線上で停車させ、車外から暴力をふるうという衝撃的な動画が拡散された。

>同じような嫌がらせ行為を静岡や愛知、茨城などでもおこなっていたことが明らかとなる。

>この事件では2020年10月2日、あおり運転殴打など3つの事件で強要と傷害の罪に問われた宮崎文夫被告(44歳)に対し、水戸地裁は懲役2年6か月、保護観察付き執行猶予4年(求刑は懲役3年8か月)が言い渡された。

>これらの事件をきっかけに、あおり運転を誘発する車間距離不保持、通行区分違反などの取り締まりが強化される。2020年6月には「妨害運転」への罰則が強化される。

>妨害運転に対する罰則(妨害運転罪)が創設されたのは2020年6月10日に公布された道路交通法の一部を改正する法律によるもの。同年6月30日から10類型の違反行為は厳正な取締りの対象となる。

>最大で3年以下の懲役または50万円以下の罰金、さらに妨害運転によって著しい交通の危険を生じさせた場合は最大で5年以下の懲役または100万円以下の罰金。いずれの場合も免許は「一発取消」となる。

>あおり運転厳罰化から3年。ひところに比べるとあおり運転に事件や事故のニュースは減ったように感じる。あおり運転の報道によってドライブレコーダー装着率が急速に高まった背景もある。

>あおり運転の被害や取り締まりの状況、通報システムなどはどのように変化したのだろうか。

>取締りの状況からみてみよう。

>取締り件数を確認すると

>あおり運転につながるとして、2017年頃から高速道路での取り締まりが強化されている違法行為に「車間距離不保持」と「車両通行帯違反」がある。

>「車間距離不保持」とは、前者との車間距離を適切に取らず車間を詰めること。「通行帯違反」は、追越が終わって走行車線に安全に戻れる状況でありながら追越車線をずっと走り続けることなどの行為だ。

>ひところはこれらの取り締まり件数は、いちじるしく増していた。いっぽう令和3年→4年の取り締まり件数は、いずれも大きく減っている。「車間距離不保持」は29.8%減った。「通行帯違反」も21.7%減った。妨害運転の取り締まりも減少している。

>近年、免許更新時の講習等において、悪質/危険な運転の危険性や、これらの行為が禁止されていること、およびその違反行為に対しては取締りがおこなわれることについて繰り返し説明される。あおり運転が社会問題となる前にはなかった講習である。

>更新時講習等に実施している運転適性についての診断と指導においては、運転者本人に自己の運転意識等を自覚させるとともに、運転適性検査結果に基づいた安全指導をおこなっている。つまり、あおり運転の加害者になる可能性があるかどうかを適性検査であぶりだすということだ。

>そんななか、あおり運転の防止、妨害運転の検挙において、劇的な効果をもたらした県がある。

>全国初 動画専用の情報提供窓口
>あおり運転の防止、妨害運転の検挙において劇的な効果をもたらした岡山県警。岡山県警では全国で初めてウェブサイト上に専用の情報提供窓口を設置した。

>事故や交通トラブルのシーンにおいて、ドライブレコーダーの映像は非常に有用性がある。それは警察も認めるところだ。同県警では窓口を開設してから1年間で1000件以上の情報が寄せられた。このうち妨害運転を含む38件の交通トラブルの検挙につなげたという。

>なお、全国の警察の公式サイトにはそれぞれ妨害運転などの情報提供を映像として送ることができる窓口があるが、ほとんどの場合、使い勝手が非常に悪い。手間がかかるし、警察側の許可を得てからではないと映像を送ることができない。

>そのような中、誕生した新たなシステムがある。2023年4月以降、全国の警察で本格運用がはじまった「110番映像通報システム」である。


>110番映像通報システムとは
>「110番映像通報システム」は、スマートフォンなどを介して通報者が撮影する映像を警察とリアルタイムに共有するシステムである。

>ただしリアルタイムといってもビデオ通話のようなものではなく警察が構築した専用のシステムを介して通報する。

>110番に通報して状況を伝えると警察から、「映像による通報に協力いただけないか?」と聞かれる。通報者のスマートフォンにショートメールが届く。記載されるURLに警察から口頭で伝えられたパスコードを入力してログインする。映像を共有する。


>ドラレコ、あおり防止は不十分

>あおり運転が社会問題となってから、ドライブレコーダーは急速に装着率が高まり、今や新車の場合は7~8割とも言われる。

>比較的安価な1万円以下のドライブレコーダーでも基本性能が充実した機体も増えてきた。

>しかし、ここで重要なのは「ドライブレコーダーそのものがあおり運転の防止にはなるわけではない」ということである。

>あくまでもあおり運転を受けた際に記録として残すためのものであり、ドライブレコーダーがあれば煽られないというわけではないのだ。

>また「ドライブレコーダー録画中」のステッカーを貼っていれば抑止力になると思っている人もいるようだが、それも危険な考えだ。

>あおり運転をおこなうような精神状態(=怒り狂っているような)のドライバーは、そのようなステッカーは視界に入っていても衝動を抑えられない。

>逆に「ドライブレコーダー録画中」のステッカーを貼って追い越し車線をのんびり走り続けるようなドライバーは狙われやすいという見方もある。

>ドライブレコーダーは運転状況や違反状況を映像に残す記録装置であるが、それ自体があおり運転をやめさせる能力を持っているわけではないということは覚えておきたい。


>では、あおり運転と無縁で過ごす方法は無いのだろうか?

>あおり 無縁で過ごす究極のコツ

>あおり運転に関わるトラブルのほとんどは過去の事件や事故の報道を見てもわかる通り、追越車線で起きている。

>追越車線、または追越のための車線は、一般道でも高速道路でも2車線以上の道路すべてに存在している。

>つまり、通常はキープレフト。左車線の走行を心がけ、追い越したい場合だけ右車線に出て追越が終わったら速やかに左車線に戻る。

>特に高速道路においては追越車線をゆっくりとした速度で走り続けることが、後続車のイライラを募らせ、あおりトラブルにつながるケースが多い。基本的なことではあるが、これを、わかっているようで、わかっていない人も多いのではないだろうか。

>数年前に比べればあおり運転によるトラブルは取り締まり件数などを見ても減少していると言っていいだろう。

>しかし、運転の基本ルールを知らずに追い越し車線を走り続けるドライバーはいつ、あおりの被害者になるかわからない。

>被害者にならない方法はとてもシンプルだ。基本は「キープレフト」を常に守って走行すること。これに尽きる。

>※この記事は、AUTOCAR JAPANとYahoo!ニュースの共同連携企画です。

>加藤久美子(執筆) 上野太朗(編集)

<参考=「あおり運転 厳罰化から3年 違反数や警察対応に変化は #ニュースその後」(AUTOCAR JAPAN・Yahoo!ニュース)>
(23/07/30)


【パソコン大魔神】 2023/08/01 (Tue) 04:20

”あおり運転”の話は報道を鵜呑みにしない方がイイ。

 かつて「Audi100ターボ」で東名・名神高速をかっ飛びしていた頃、”あおり運転”の被害に何度も遭遇した経験から言うと、原因の最初は”あおられた”側に有る。

 何せ「Audi100ターボ」は本場アウトバーン仕様なので「制限速度で走れ!」と言う方が無理。普通に150Km/hで走っていると、ゴボウ抜きになる。すると、中には気合を入れて追いかけて来る奴が居る。もちろん、パンダのパトや覆面なら素直に左に寄るが、そうで無ければ「Audi」の名誉に掛けて抜かせるワケには行かない。しかし、そんなバトルを30分もやっていると大抵は相手が諦める。

 そこで考えた。そもそもの原因は巨大ゴキブリ「Audi100ターボ」がゴボウ抜きをした事に有る。もし、万一抜かれたりしたら、前に出られて急ブレーキを踏まれるのは目に見えている。仮に、こちらが「黒のベンツ」だったら、普通は追いかけて来ない。それが「Audi」如きに抜かれた事で火が着いた。しかし、大抵の人は「Audi100ターボ」の走行安定性が抜群だという事を知らない。簡単に抜き返せると思って必死で追いかけて来るが、「Audi100ターボ」の凄さを思い知る事になる。

 話を戻そう。報道には出ないが大抵”あおり運転”をされた側に最初の原因が有る。そこのところを考えて、この手の報道は鵜呑みにしない方がイイ。

 ところで、大魔神は70歳を機に運転免許を返納し、現在はママチャリに乗っている。過去の馬鹿な行いを反省する日々を送っている。


【シバケン】 2023/08/01 (Tue) 09:43

「”あおり運転”の話は報道を鵜呑みにしない方がイイ。」

報道鵜呑みにねえ。
鵜呑みにと、するよりは、むしろ、そんな事例がと。要注意せねばと。

そらねえ。
多くの方、経験してると、思うです。


当方、冒頭、極の簡単記載してるです。
「当方的、若い頃、20代、30代辺りには、あおりに遭遇したですが。
以降、余り、覚えがないです。つまり、遭遇しておらず。」


背景、説明するです。
当方的、最初の愛車なるは、再生車<中古>の、ホンダの、「NⅢ」。次、新車で、ホンダの「Z」。
までは、全くの、でして。
要は、軽自動車<!>やしねえ。

「Z」が壊れましての、資金ありませぬが故、中古の、「ボロ・バード」。当時でも珍しくの、「5」ナンバー<!>。

で、乗ってましたら、会社からの帰宅途上、軽トラックの兄ちゃん、えらく接近して来まして、危ないしねえ。
降りたら、降りて来ての、何たら、かたら。
言うてるの台詞、よお、わからんですが。要は、生意気と、言うたの哉と。

当方、察知の、当時、三十代には、達しておらずの、若造故、「5」ナンバーのボロ・バードを生意気、身分不相応と、思われたと。
確かに、中古で、5万円は、傍目からは、わからんです。余所様からは、高級車の、ブルー・バード。

いやねえ。
当然の、当方にしたって、軽から、やでと。大いなるの、自慢でねえ。5万円の中古車でもや。
傍目からは、わからんわと。とは、こちも、わかってるです。
但し、屋根とか、ボンネットなるは、塗装も禿げててねえ。方々に、細かなるの、キズも、あるし、ねえ。そらねえ、中古車でして。5万円の。
されどの、余程の注意深く見な、わからんわと。



パソコン大魔神君、曰くの、「Audi100ターボ」と、大いなるの、自慢。
あのなあと、ボロ・バードで、やられるのに、高級外車なら、軽くのやられるです。
当方の場合、年齢的、若過ぎたもあるですが。

ここからは、当方的、グランド・ファミリア<新車・展示車>になりの、スプリンターで、カローラに成ったですが。全て、新車。
煽りをされたの、記憶なく。多分。
こちも、相応の年代にも、成っててねえ。目立つの車種でも、ありませんでして。

加えての、現在唯今、tantoですが、乗るの機会、少ないもあるのけれどの、全くのと。煽られず。


まあ、つまり、
煽るは、勝手なるの判断なり、やっかみがあるなあと。
加えての、煽り屋も、存在するは、事実かと。


まあ、つまり、
当方なら、軽に始まりの、軽で、終わる。
つもり、なれどの、軽では、煽られんなと。
ましてやの、現在唯今、70歳になって以降、「高齢運転者マーク」をば、きっちり、しっかり、つけてるし、ねえ。
遠巻きにされたり、してねえ。結構なると。
イヤ、ほんと。

まあ、言うたら、tantoの「高齢運転者マーク」のなんか、煽り甲斐なくの、下手してみい、不利になるぞと。
まあ、つまり、煽るのヤツ、当然の、相手見てるです。


【パソコン大魔神】 2023/08/02 (Wed) 01:39

「大いなるの、自慢」かぁ~。 そういう受け止めしか出来ないところが視野が狭いところや。

 もし、大魔神が「ローム」を辞めずに定年までサラリーマン生活を送っていたら、550万円もする新車の「Audi100ターボ」なんか買えなかった。また、必要も無かったやろなぁ~。

 その頃、大魔神の会社では「IBM AS/400-B35」を4,000万円で購入する必要が有った。そこまで事業の規模が大きくなって大型のマシンが必要になっていた。当時は冗談で「フェラーリが買えるなぁ~」と言っていたが、フェラーリなんて仕事上はクソの役にも立たなかった。このAS/400のお陰で大企業のサポートをする事が出来た。更に、東京六本木の日本IBM本社に堂々と入る事も出来た。その結果「DOS/V」開発の仕掛人「パソコン大魔神」が誕生した。

 もし「ローム」でLEDの商品設計だけで終わっていたら、多聞最初の「スバル ff-1」から「アルシオーネ」くらいで終わっていたと思う。飛ばし屋のクセは治らなかったので、40歳までに交通事故を起こして死んでいたと思う。

 もし「スバル」だったら、京都と東京六本木を週二回徹夜で往復するなんて馬鹿な事は出来なかったと思う。「Audi100ターボ」が大魔神の人生で果たした役割は大きいと思っている。それが良かったのか悪かったのかは判らない。


【パソコン大魔神】 2023/08/02 (Wed) 03:49

話は”あおり運転”に戻るが。

 あの「東名高速道路で発生したあおり運転を起因とする夫婦死亡事故」。たぶん、その前のサービスエリアで犯人の車の停車位置が邪魔だったので「何処止めとるんや!ボケ!」という様な罵声を浴びせたのだと思う。

 そんな些細な事でもブチ切れる奴は居る。クラクションを鳴らされて切れる奴、パッシングをされて切れる奴、そんな奴は沢山居る。普段は小心者でも車に乗ると”狼”になる奴も沢山居る。特にHONDA車乗っている奴に多い。

 中には精神的に怪しい奴も居るが、運転免許の試験では精神鑑定まではやっていない。特に発達障害は学科試験でも実技試験でも判らない。

 その事は警察も判っていて、本当なら運転免許の適正検査の精神鑑定も入れるべきだと言っているが、実施が困難なので実際は野放しになっている。”あおり運転”をする奴に発達障害者が多い事は警察も判っている。


【シバケン】 2023/08/02 (Wed) 15:57

「「大いなるの、自慢」かぁ~。 そういう受け止めしか出来ないところが視野が狭いところや。」

しか出来ないのか、の受け止めも出来るのか<?>
が、あるですが。
視野的ねえ。
目の検査では、そんなに悪くはないです。年齢的、極めての、優良かと、自負してるです。
がしかし、いよいよの、辛いのお。


さての、自慢は、自慢で結構なると。
的なるを、申せば、話、又、逸れるが故、辞めるです。

煽り運転の原因なんか、一手でないは、誰もが承知してるです。
その昔、とするのか、車が普及し出したの、当初より、ハンドル握れば、別人に。てな、事、言われてたです。
イヤ、事実です。


【パソコン大魔神】 2023/08/02 (Wed) 21:22

シバケンさん、パソコン大魔神、磯津くん、それぞれ5歳づつの年代の差が有る。この年齢差が絶妙で面白い。

 シバケンさんが立命館に入学した頃、世は学生運動が盛んで”東大安田講堂事件”や”よど号事件”が有った。その3年後”あさま山荘事件”で学生運動は終焉を迎える。
 大魔神が千葉工業大学に入学した頃は成田闘争が盛んで、体育会の連中が機動隊のアルバイトで中核派の連中と戦っていた。
 磯津くんが大学に入学した頃は、第一次・第二次石油ショック後の神武景気に沸いていたが、第五福竜丸が水爆実験で被爆、青函連絡船の洞爺丸沈没事故などが有った。

 いずれも太平洋戦争を知らない”戦後派”で、平和な世の中でも何やカンやと世の中は動いていた。日本の外では”朝鮮戦争”や”ベトナム戦争”や”中東戦争”で特にアメリカさんは大変だった。………が、日本の自動車業界はメッチャ元気だった。

 その頃に、多くの名車が誕生した。バイク用のエンジンをそのまま搭載した”ホンダ N360(Nコロ)”。安さが売りの”サニー1000””トヨタ カローラ”。ラリーの王者”日産 ブルーバード”。高速道路の覇者”プリンス スカイライン2000GT(通称スカG)”そして富士重工自慢の”スバル1000”等々。あの頃のガソリン代は1リットル36円くらいだった記憶が有る。

 その頃から”あおり運転”が横行していた。要するに国産車の性能が向上して危険運転が可能になった事が要因でも有る。当時、飛ばし屋御用達の車は”マツダ ファミリア(ロータリー)”、”ホンダ クーペ7/9”、”三菱 ギャラン”、"日産 フェアレディZ”、そして”スバル 1300G”。まだ、世にエアバックなど存在しなかった時代、日本の自動車メーカーは”あおり運転”が十分に可能な”お馬鹿”な自動車を製造・販売していた。


【シバケン】 2023/08/02 (Wed) 23:42

時代認識に、若干のズレあるですが。
まあねえ。
大した話でありませんですが。

チラとだけ、言うておけば、東京大学の安田講堂の話ねえ。昭和44年<1969年>です。
実は、この年、当方4回生で、卒業の年です。

それこその、アホウが、大学の改革とか、叫びまして。それと、何の関係あるのか、入学試験阻止と。
当方的には、後輩の入学阻止は、勝手なるの話でして。どしてもなら、自分達、卒業せずで、留年して、がんばれと。彼らの実家が、自身が、それで、保つなら、なと。

イヤ、
当方なら、保ちませんです。
諸般で、早くに卒業して、一家支えねばと。
と、まあねえ、実際には、そこまで、真剣、深刻には、考えてませんでしたが。

加えての、
「いずれも太平洋戦争を知らない”戦後派”で、平和な世の中でも何やカンやと世の中は動いていた。」

まあねえ。
戦争を知らないは事実ですが。
当方、昭和22年<1947年>1月生まれですから、終戦から、1年半経ってまして。
がしかし、全くの、「知らない」では、ありませんです。
細かには、申しませんですが。板の趣旨、異なりまして。


さての、
当方、免許取得<二条教習所>、入社し、社会人に成ってからでして。
何とか、その年の、年末に、仮免許合格<?>で、兎に角、免許取得なるは、年明けてからですが。
それこその、ホンダの、スーパー・カブを乗ってまして。何とかと。足ありまして。

免許取得で、即の、ローンで、中古の、ホンダの、NⅢをと。

その当時、煽り屋ねえ。
当方、根が、ノー天気で、わかってませんでしたです。少なくともの、軽自動車ですので、煽られるの経験も、なくて。

反対に、余所様をば、煽るなんか、とても、とてもの、あれは、人種異なると、思うですが。
とりあえず、免許取り立て、運転未熟の時代、可成り、荒っぽくの、物損事故度々にての、車体、キズだらけでねえ。
イヤ、ほんと。

の上で、煽り、やられたは、軽自動車<2台>から、やとで、5万円の、ですが、中古車、ボロ・バードになったの時と、言うてるです。
の、1回、鮮明に、覚えてるです。


【パソコン大魔神】 2023/08/03 (Thu) 02:20

確かに、このところの暑さが原因なのか暗算が出来なくなってしまった。

 シバケンさんが立命に入学した頃の事件は「三島由紀夫事件」やった。あの事件、当時サッパリ意味が判らなかった。未だに、何であんな事をしたのか、あの事で何かが変わったのか、サッパリ判らない。

 「安田講堂事件」の学生運動も未だに理解できない。ただ、印象に残っているのは、東大生が作ったバリケードより日大生が作ったバリケードの方が頑丈だったという話。

 別の「板」の話の、名門企業「東芝」を立命閥の「ローム」が支える話に通じる。ちなみに、現在の「ローム」の社長:松本功クンは九州工業大学卒で立命館では無い。今の「ローム」は「東洋電具製作所」組が駆除(?)されてしまったが、立命館卒の佐藤研一郎会長が存命だった3年前迄は、立命館カラーが出ていた。どんなカラーかと言うと平気でバカな事をやるという理解不能な文化だ。その一例が「ローム・イルミネーション」。昨年から廃止になってしまった。

 「ローム」の前の「東洋電具製作所」だった時代は、”盆踊り大会”、”運動会”、”カラオケ大会”、”オリエンテーリング大会”とか半導体メーカーとは思えない変なノリが有った。