不可思議の世界NO.3
京都・亀岡の良く当たる占い師の話
<京都でよく当たる占い師は?>
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目次
60.伯父貴が逝きよった(9) 葬式考
59.伯父貴が逝きよった(8) 南ブライト・ホール(3)
58.伯父貴が逝きよった(7) 南ブライト・ホール(2)
57.伯父貴が逝きよった(6) 摩訶不思議な現象
56.伯父貴が逝きよった(5) 空海と役行者
55.伯父貴が逝きよった(4) 聖護院の山伏
54.伯父貴が逝きよった(3) 南ブライト・ホール(1)
53.伯父貴が逝きよった(2) 訃報(2)
52.伯父貴が逝きよった(1) 訃報(1)
49.九死に一生(5) ご先祖様、守護霊様、お地蔵さんに感謝
48.九死に一生(4) 不幸中の幸とは
47.九死に一生(3) シミズ病院
46.九死に一生(2) 外傷は脱出時の指先
45.九死に一生(1) 長男交通事故
さて、新年早々、法の華の福永さんが代表を降りると云い出した。
天声が聞こえるのは、世界広しと云えど、釈迦、キリスト。そして、現世に現れた、我一人。それが福永法源であると豪語してたくせに、その天声で、代表を降りる。
降りて、ナニが変わるのか知りませんけど、福永さんあっての法の華。であるからこそ、天に納めた上納金まで、天声に基づき、福永さんが使たハズ。
法の華関係者以外、皆様、知ってます。法源さんにとっては、立場は、どうでも佳いことです。とりあえず、集めたお金さえ、没収されなければ上出来です。ナンなら、法の華なる団体も消滅しても構いません。私財も、一部なら、没収されても仕方ナイ。全部は困りますがが、手の打てる時間は充分に与えられました。
法源さんだけでなく、この手の団体で事件が、次々に、起きてます。加江田塾のミイラ事件。
ライフ・スペースと似たようなことをやりました。此方は、統一協会の亜流らしいです。
何故、こんなことになったのか。引っ込みが着かんようになったからです。
超能力で、どんな病気でも治してやる。さてここで、どんな病気でもとなれば、当然、お医者さんが見放したような難病に決まってます。
私みたいに、タバコの吸いすぎで、喉が痛い。これを何百万円も出し、超能力で治してくれと、そんなこと、間違おても頼みません。
コルゲン・コーワ、龍角散、参天のど飴、トローチ、喉ヌール・スプレー等々、薬局で、種類を取り揃えても、一万円もあったらオツリがあります。お医者さんで、お薬を貰ても、自己負担は数千円くらいかなあ。
ダレでも大凡の相場が分かってますし、経験もある。それに、死ぬことはナイ。
ところが、病院のセンセイに診察して戴いて、開口一番、困りましたねえ。そんなこと云われたら、ドキッとします。
精密検査をして、原因を調べる必要があります。喉を切開して、手術。それでも、声が出んようになるかも知れません。このまま、切開してもダメな可能性があります。と云われたら、困ります。それなら、超能力のセンセイにお願いしましょう。
センセイも、百万円単位の高額なお金を要求した手前。しかも、如何なる難病も、治してやると、豪語した手前。あきません。とは、云えません。
喉の切開は別ですが、超能力のセンセイに、持ち込まれるのは死に至る病のことがある。
引き受けて、死なしてしもても、イヤ、治してみせると、意地張ってますから、生きてることにしてしまわねばイカンことになったのです。結果、ミイラになった。
ライフ・スペースも、加江田塾も、ナンの根拠もナイのに、治したる。などと公言し、多額の金品を巻き上げたばかりに、引くに引けんようになったのです。
それなら、死んだ段階で、そう云えば佳いのに、しませんでした。生死に関わる問題では、正直になるべきでした。死体遺棄はもっとマズイです。そこまでのことさえ考えてなかったのやろなあ。
団体を維持するためには、そうでも云うて、お客さんを集め、集金せねばならぬ事情もあった。
不景気になり、似非研修も、研修生が集まらんようになったのや。
(00/01/25)
オウム真理教を巡り、事件が頻発してます。
まづ、上祐幹部が、名称をアレフに変更すると宣言して、同名の会社が大迷惑。
世間の注目を浴びてる内容が佳いことなら、大歓迎ですが、非難囂々で、常識のナイ団体さんですから困ります。そのことを、彼方様が理解してませんから、尚、困る。
名称を変更して、どんな効果があるか。識者が仰るには、ナンの効果もナイとのことですが、そんなことはナイ。
オウムなら、世間があのオウムやなあと認知してますが、アレフなら、もしかしてあのオウムのことかなあとなります。ピンと来ませんから、知名度に大きな差があるのです。それがネライの改称です。
三女(16歳)アーチャリーが、長男(7歳)を拉致しましたが、漫画の世界です。
教団は単なる兄弟喧嘩と申してますが、それにしては、暴行を受け、負傷した信者も居てまして、警察沙汰になってます。その通報はダレかです。被害者か、近所の住人か。近所の人が通報しても、当事者が、ナニもナイと云うしまえば、オシマイの話です。
そやけど、長男の保護者ガワに怪我人が出た。保護者ガワも教団関係者やのに、それが、被害届けを出してしもたし、アーチャリーと、その加担者に逮捕状が出たのです。
よって、明らかな内紛ですが、ダレが許可したか。そして、警察への通報です。通常なら、家庭内暴力は民事不介入で、知らん顔の警察が大喜びです。飛んで火に入るアーチャリー。
嘘か誠か、アーチャリーは、東大に合格するだけの能力がある。そこまで、云われたハズのアーチャリーですが、簡単な計算能力が無かったなあ。
荷担し、逮捕された信者も、東大出身者と発表されてますが困ったモンです。気まぐれアーチャーリーの命令で、三十代の佳い歳した東大出身の兄さんが、単なる下僕同然に、暴挙をやったのです。
兄ちゃんの親御さんも泣いてます。オウム信者だけでも恥ずかしいのに、そのウエ、犯罪者になってしもた。
それでなくとも、オウムの一大危機の時期。力ずくで、弟を拉致するとは無茶です。洗脳は怖いです。
アーチャリーは教団では自分が一番エライと思い込んでます。よって、幹部会からアーチャリーをハズしたのです。
所詮は、高校一年生の単なるキーキー少女。佳い歳した大人が何人も集まり、御姫様、教祖のお子様、アーチャリー様。
お抱え運転手付きベンツを乗り回し、大御殿に住まわせて戴き、持ち上げられれば、アーチャーリーでなくとも変になります。
トリアエズ、長男拉致に荷担した信者数人が住居不法侵入で警察に捕まり、アーチャリーも逮捕されましたから、警察の思うツボ。イヤ、上祐クンにとっても、思うツボ。勝手に転けてくれました。
ではありますが、未成年。そこらの少女なら親が呼び出され、コンコンと説教され、始末書を書かされ、お引き取り願われるだけですが、この一家はご両親までが刑務所暮らし。
親子共々、困ったモンです。広報部の兄ちゃんもそお申しておりました。性格が親に似て、困ったモンです。
そやけど、騙されません。兄弟喧嘩ではナイぞ。
上祐クンも、アーチャリー同様、自分勝手な性格です。彼にとっての邪魔者は排除です。
さて、どおなるか、アレフさん。
(00/01/26)
オウムの話もオモシロイ。オモシロ過ぎて、ツギツギと話題を提供してくれる。
公安庁が、オウム施設の立ち入り調査をしたのですが、どちらが調査されてるのか分かりませんでした。
調査員が、身分証明書を求められまして。求めるのは構いませんが、オウムの信者に名前を読み上げられ、点呼までされまして。
そして、パソコンのデーターは削除され、めぼしい資料もナカッタのです。事前に分かってたら、ナンとでも出来ますよ。その他の資料もナイのです。当たり前ですから、ご苦労様と涙が出て来ます。
圧力を掛けることが目的ですから、今後のご活動に期待します。オウムの話もこれくらいにして、本題に戻します。
本題とは超能力の話です。
ナニをもって超能力と称するのかがありますが、それは、人間が努力して到達出来る能力で、ダレにでも出来ることなら能力です。
此処での超能力とは神に通じる能力。つまり、神通力に近い超能力を対象にしてます。
神通力に近いだけですから、変幻自在、龍に変身して雨を降らし、大きな岩をも念力でもって、持ち上げ、粉砕。それは神通力ですから、除外です。
母方の伯父が聖護院の山伏をやってたのですが。山伏とは、修験道のこと。修験道とは、只の人間が超能力を会得するがためのモノ。
入信動機は聞いたことがありませんが、私の想像では、小さい子がボーイ・スカウトに入れば、キャンプの張り方、飯盒炊爨も教えて貰えるし、佳いなあ。水泳教室に入れば、水泳が出来るようになるから、佳いなあ。
その延長で、山伏になったら、修験道で超能力が得られたら、佳いなあ。
その程度と思てます。伯父には悪いのですが。
但し、修験道の修行のためには、まづ、大峯山に登らんとアカンのです。聖護院で、それなりの修行もさせられますが、如何なる修行かは知りません。
ではありますが、水泳教室やあるまいし、一週間や二週間で、超能力を得られるとは夢にも思てナイ。
ならば、一年か二年で、超能力が会得出来るとは、コレマタ、ダレも思てません。そしたら、山伏になったからと、生涯、超能力が得られんことも覚悟して、そのウエで、ヨリ早く会得したいと、精進し、修行を積む。
そこで、伯父は、不動明王が出て来ると、云うてました。これをドオ判断するかです。
私は修行してませんから、ナニも見えませんが、伯父にはどんな具合にお不動さんが見えてるのか興味があります。
それは、当人にしか分かりませんので、私がその話をどのよおに思うかですが、精一杯、信じてあげたい気持ちです。
人様からお金を取ってるワケでナシ。看板を掲げ、宣伝してるワケでナシ。只のそこらのオッサンや。セイゼイ、親族、知人、近所でナニかがあれば、佳い歳して、駆けつけてくれ、一生懸命、ナニやら、ブツクサ、読経し、念じてくれます。タブン、家内安全くらいかなあと、勝手に思てます。
ではありますが、大したモンです。坊主の倅でもナイのに、読経が出来る。お教の本も見てナイのにです。それだけ、修行したのやろ。
聞いたことがある。ナンのお経かと、そしたら、こお答えました。
「ナンでも佳いのや。そのヒトの好きなお経で佳い。お経で、仏さんも、安心してくれる。」
それだけで充分です。間違いナク、伯父には見えてます。お不動さんが。
その不動明王とは、大日如来が一切の悪魔、煩悩を降伏させるため具現したもの。
顔は青黒、眼は怒り、左は半眼、額に水波の相。右牙を上、左牙を外に出し、右手には降魔の剣で、左手には羂索を持ち、火焔光背を背に岩上に座す。
それで、ナンやと問われれば、それだけのことですが、只でさえ、怖い顔に、眼を怒りに引きつらし、剣を構え、オイ、悪いことしたら、首を刎ねたるぞ。
お不動さんは、そんなことは申してません。悪魔、煩悩を振り払おうとしてるだけで、怖い顔のワリには、親近感のある不動明王です。
一生懸命に念じるから、ソレらしきお姿が現れるのやろと解釈してます。
此れが、最近、現れませんのは、歳のためかなあ。伯父は、口惜しそうに、そお申しておりました。
私の解釈では、歳のため、集中力が無くなったと思うのですが、酒好きの伯父ですから、さぞかし、読経も般若経か。
(00/02/04)
「不可思議の世界」の見直しをしました。
読み治すと問題だらけ。しかも、直近が二年前。
その時々の拘りがありまして、或る特定の漢字を嫌たり、カタカナを避けたり、多用したりしています。
其れだけならマシですが、読み直すと言い回しが気に要らんかったり、読み難かったり。誤字脱字、編集ミスは数知れず。
一カ所治しますと、次々と、治したい処が出て来まして、ド壺に填ってしまう。
気が向けば、その都度、見直しを掛けるのですが、そのトキの気分にも寄りまして、修正したくなる個所も異なりますし、見直す度に削除します故、次第に文字数が減って往きます。
トキには、全面削除して、ナンバーまで変更したり。見直し中にも迷いが出たり。
「不可思議の世界」は、私自身、気に要ってますが、時間の経過と共に陳腐化しました。
今更、ライフ・スペースに海江田塾、法の華三法行もナイやろし。
オウムは活動してますが、馬鹿似非詐欺集団を取り上げるのもバカバカしいし、大いに世間を騒がせた、奇人、変人も色あせて。其れでも一部は記録として保管してオケ。
何故、見直しする気になったのか。
年末に、「不可思議の世界」に登場の山伏の伯父が尿毒症で危なかったのです。
従兄弟から、年内がチと難しく、年を越せそおもナイぞと担当医に云われた由。よって、イマのウチにと、母と共に入院先にお見舞いに往ったのです。
久しぶりに会う伯父も、左程ボケてはおりませんでしたが、従兄弟の云うとおり、気弱になっておりまして、顔を見るなり、泣いて泣いて。イヤ、私の顔を見てではありません。妹である母の顔を見てです。阿呆臭いから、従兄弟と話しをしてました。
ヘンな話ですが、電話が鳴るとその件かと思いましたが、年内持ちまして。
お正月元旦にはその従兄弟から電話が有りまして、遂にかと思えば、イマ、家に戻ってる。
とは云え、八十七歳であります故、そお長くもありません。我がサイトに掲載のことも想い出し、ナニを書いてたかと、読み治せば修正したくなりました。
その年末には、会社の同期生の父君も、伯父と似た歳ですが、年内持つかどおかも分からずで、年賀状をどおしたものかと申してましたが、持ったなあ。
かと思えば、年を越した先週ですが、学生時代の友人の父君が他界されました。身内だけでひっそりとヤルから一切、気にセヌよおにと。
その父君とは、二度お会いした。二度共学生時代で、自宅にお邪魔して泊まったトキでした。
その父君は九十ン歳と申してました。其処まで生存出来れば、充分です。
我が親戚の住処は京都が多いのですが、京都でもバラバラになりまして、お互いに其れ相応の歳にもなれば、そお簡単にも往き来は出来ぬし、次第に、法事でもなければ、会うこともなくなってます。
伯父も我が京都市内時代には極近所。何回も往ってますから、其れなりに想い出がある。
通り一遍ではありますが、先ほど修正完了して、ホッと一息した処でマタ電話。
「不可思議の世界」の見直しをしてましたし、その最後が、「お不動さんが見える」で、伯父の話でしたから、イヤなものを感じつつ、電話を取れば、うら若き女の子の声で、ダレ其れさん居てますか。
ダレ其れとは息子のことですが、今時の若い連中なら携帯電話やで。中身はワケの分からん勧誘電話ですから、腹の立つこと。相手も我が事情は知りませんから、其処は我慢で、居てませんと嘘ついて。
イヤ、分かってます。同級生なら、其れなりに、ナン年生のトキのと、しかるべきご挨拶が有るのです。或いは、帰って来られたら、電話が有ったとお伝え願えますか。
こんな電話、私のトキには無かったぞ。と、羨ましくなったりして。まあ、時代が違います。通信費用も所得のワリには高かった。
不謹慎な話をするつもりはなかったのです。とは思いつつ、我が年代の親達も其れなりの年齢に達してます。殊に、寒い時期、季節の変わり目には葬式も多い。
今年は暖冬故、どおなることやら。イマのウチに冗談でも云わせてクレ。
(02/01/14)
45.九死に一生(1) 長男交通事故
正直云うて現場の状況を理解するに連れ、身は凍り、足が竦み、我が目には見えぬご先祖様に、守護霊様に、神様仏様に感謝の思いだけでした。
九死に一生と申しますが、マサシク此の事かと実感したのです。
こんなこと、テレビの向こう側だけの世界であると多寡を括ってましたが、余所事では無かった。我が事でもありませんが、我が事同然。イヤ、其れ以上。
後遺症等の心配はまだ残ってますが、とりあえず、とりあえず、体に外傷は無いも同然でマズはマズは無事で安堵した。
事故から一夜明けまして、朝から車の残骸処理。其れも片が付きまして一息付けたのです。
やるべきことはマダマダ残ってますが、手筈は其れ屋さんに任せてしもて指示に従うしかありません。
そもそもナニが有ったのか。長男が交通事故をやらかした。
幸にして物損だけで済みましたがよくぞ其れだけで済んだなあと只々感心するばかり。
さて、当日です。嵯峨からの帰宅途中に携帯電話の呼び鈴が鳴りました。運転中ですから長くは話が出来ません。
今何処辺りかと聞かれましたから、亀岡に入ってるで。
長男が湯ノ花のホウで交通事故をやって、田圃に落ちたのやて。此れから往かんとアカンから早く帰って来てクレとのことでした。
長男は此の四月からは社会人となりますが、其の前に入社先のナンとか電産の三泊四日の研修で、滋賀県のラフォーレ琵琶湖に往ってましたが、当日には帰宅してるハズで、帰るなりドライブに出たのやろ。
車は当人のものでして、勿論、働いてもいませんから資金は貸してやっただけ。三年月賦で返済セヨとしてるのです。家にもお金は有り余ってませんし、二男にも学資が要りますし、定期預金を解約しての調達です。
車種は贅沢にもスカイラインの二千五百ccのミッションですて。ガソリンもハイオクで、リッター七キロ程度ですから新入社員の安月給で維持出来るのかいな。云うておきますが中古です。
中古でも私のスプリンター、一千三百ccの新車価格並ですて。私なんか既に十年を越してますから下取り価格どころか、処分代を取られます。
二男が卒業してくれるまでは我慢の二文字。卒業しても新車が買えるやら、買えんやら。当分、買う予定もありませんし、此処まで来たら乗り潰してやれ。但し、年数と共に彼方此方調子が悪くなりまして、其の都度修繕してたらお金が掛かってナニをしてることやら。
其れは其れとして、配属先は峰山工場で、当面は独身寮で寮からは徒歩一分やて。車なんか要りませんが、寮費は月五千円で駐車場代が千円やて。其れでも生活費に困ることは目に見えてますが、まあ、独身時代にしか乗り廻せぬ車やろ。私なんか、独身時代にも乗ったことは無い。
さて、スカイラインが田圃に落ちたなら引き上げねばなりませんし、頑丈なロープでも持って往かんとアカンのやろ。等と考え乍ら家に到着したら、嫁はんが家の前で待ってまして、そのまま現場に直行です。どおも、そんな甘い状態では無いのやて。其れ屋さんに頼んで、やってもらうのやて。そやけど、当人から連絡が有ったのですから、無事であることは分かってますし、現場で待ってるとのことですから救急車で運ばれたワケでもナシ。
兎に角、状況がサッパリ分かりませんが、場所もヨオ分からん。湯ノ花と云われても広いですし、詳しくもありませんが、そっちに向かって走れば佳いらしいけど、昼間でも分からんのに夜では尚分からん。
時間帯的にも、湯ノ花方面は車は少ないのですが、家も少ない。周辺は真っ暗で何処か分かるのかいなと思てましたら、遙か前方にパトカーの赤いランプが見えました。タブン、アレやろなあ。警察に連絡しとかんと修繕代が保険から出ませんしねえ。
現場の向かい側に適当な空き地がありましたから車を停めて、現場に向かったのですが、ご当人は警察官に説明してるよおでありまして、人も多いです。多いと云うても田舎ですから、総勢十数名程度。
誰が誰とも分かりませんので、マズは警察官にスミマセンねえ。
警察官がお父さんですか。此のカタが田圃の所有者ですと紹介されまして、又、スミマセンですねえ。只々、ヒタスラ、謝ってるしか仕方がナイのです。
自動車を買った先の担当者も居てまして、スミマセンですねえ。
警察官がとりあえず此の状態ですと灯りで照らしてくれまして、現場を見れば、イヤ、見下ろせばです。車は田圃にひっくり返ってますし、田圃は道路から二メートル程下である。
当然、車は大破してまして、車の部品がそこらに散乱し、仰るには、
「其れにしても、よくぞ、この状態で死なんかったのが不思議なくらいです。ご本人さんも外見的には怪我もしてませんし、ナニより、巻き添えの人がなくてヨカッタですよ。
万が一、有れば、我々も大変ですし、ご本人さんが奇跡的に生きてても、死人でも怪我人でも出してたらこんな悠長なことしてられませんし、一生引きずることになります。
そんなことにならんでヨカッタねえ。高い授業料やけど佳い経験と思てクレ。」
と、ソバに居た長男にお説教ですが、全く、其の通りです。
其れでも私の現状認識は甘かった。
(02/03/30)
46.九死に一生(2) 外傷は脱出時の指先
夜でも現場の状況は分かります。
街灯もありますから、周辺のことも把握は出来たつもりになってたのですが、明くる朝に再度現場に訪れたら、もっとビックリした。
されど、話には順序が有りますので、当日夜の続きからです。
警察官の話では、此の程度の事故は何度も見てるけど、大抵、死亡か病院往きやなあ。拾った命と解釈して此れから先の人生有意義に過ごしてクレ。
此れ又、其の通り。懐中電灯の灯りと、夜目でも分かるのは車はスクラップ状態。ガラスの破片も散乱してますし、体のことは別にして、何処からどおやって脱出したのかも分からんくらいです。
車は変形してますし、子細を確認すれば、窓ガラスは開かず、ドアも開かず。フロント・ガラスはヒビ割れで、運転席側の窓ガラスだけが割れて無い。其れがため、顔にも怪我しなかったのですが、後部座席の窓ガラスは右も左も割れていて、助手席側も割れていて、ナンとか助手席側の窓から脱出したとのことでした。
足腰腕等骨折、外傷のことですが、その場で分かる範囲なら脱出の際、指先をガラスの破片で傷して出血してる程度。
頭も顔も、その他、衣服のウエからでは目立った異常も見受けられず。
いずれにせよ、事故直後のことです。その辺り、内部のことは一刻も早く病院で診てもらったホウが佳いとは思てましたが、事故現場の後処理を如何にするかもあります。当面の方向性だけでも話合いをしとかねばなりません。
ところで、田圃の所有者と思われてたカタは使用者で、地主さんが別に居られまして、連絡しとかねばとなりました。
関係者、野次馬、野次馬も町の真ん中ではありませんから、通りすがりでは無く近所の人で、ソバに居た人が呼んで来てやると名乗りを上げて戴き、地主さんが到着されるまでが約三十分。ヤヤ遠かったのですが、お歳も相当に高齢でした。
にこやかに仰るには、風呂に入ってたら呼ばれてなあ。ナニよりも事故した子が無事でヨカッタがな。処置のことは使用者に任せると、一言仰って戴き感謝です。
警察もアトのことは当事者間で話合ってクレ。そしたら退散致しますとなりました。
此の段階から処置のことが具体化しまして、前提は元の状態に復元することで、マズはスクラップになった車を引き上げること。田圃にはガラス片が散乱してるため土は入れ替えること。
私には田畑のことは分かりませんが、作付け前の時期であるから土の入れ替えだけで済むけれど、時期に寄れば作物にも被害を及ぼし、エライことになってたのです。
道路に設置されたフェンスも二枚を破壊し、田圃に落下してまして、フェンスは張り替えるのですが、其処は国土交通省の管轄で、ホウボウに連絡方々要るし、其の前に保険屋さんの証拠写真も要るしなあ。
イヤ、保険だけはナニが有るかも分かりませんので、フル装備のに掛けてたのです。詳しくはナンですが、あれこれ工夫しまして、安くなるよおにして戴き、其れでもン十万もしましたが、お陰様で事故関係の金銭面では助かります。
此れ等の手筈は其れ屋さんにやって戴くしか無いのですが、先方様から同意を求められれば、其れ屋さんに宜しくお願い致しますとしか返事のしよおもありません。
実は駆け付けて戴いた自動車屋さんが保険もされてまして、当家とは親しく、タマタマですが、使用者とも顔見知りでした。当家と云うても私ではありませんですが、でもなければ、夜も七時半頃の事故。自動車屋さんも閉店してますから来てもくれませんです。
私だけではナニをどおして佳いのやら皆目見当もつかず。仰る通りで御座いますので、そのよおに頼んでおきます程度の返事になりますから、助かりました。
何れにせよ、夜のことです。今からではナニも出来ませんし、話は此処までにしまして、明日、車を引き上げるときにでもとなりました。
さて、解散となったのですが、もお一点、気になってたのは何方様が警察に一報して戴いたのかで、息子ではなかったのです。
タブン、近所の人ではないかとのことで捜したのですが、物凄い音がしたなあとそんな話があっただけで、ザワザワするばかりで分からず仕舞い。
肝心の事故の原因ですが、亀岡から湯ノ花への山間部の曲がりくねった道を抜け、広い直線道路となりまして、そのつもりで居たら緩やかなカーブになってる場所があり、其処での無理な追い越しです。
追い越しを掛けた時点で前方のカーブに気がついて、速度の出し過ぎ状態のままでブレーキを踏んだのが不味かった。車がスピンして、回転して。回転してますからハンドル操作もナニも無い。
エアー・バックが作動したことまでは覚えてるとか。アトは運任せで、死ぬかも分からんと云うよりも、其の瞬間、病院往きは覚悟したらしい。当然ですが、シート・ベルトはやってます。してなければ体が座席に固定されずダメでした。
車は反対車線を突破して、ガード・レールを破壊し、道路の向こう側に落下したのです。
反対車線側に沢山の車が走ってれば追い越しもしませんが、追い越しを掛けてから対向車でも走って来たらアカンなあ。
夜とは云え、事故は七時半。対向車がなくとも、人が歩いてたら地獄です。
落ちた先が田圃で無く、人家が有れば、川なら、コンクリートなら、田圃であっても、もっと段差があったならと思えばゾッとする。
実際の処、段差は二メートル以上あり、周辺の状況からして、事故は事故としても、単に運がヨカッタだけでは済まされぬものがあり、目に見えぬ御加護の存在を実感したのです。
(02/04/01)
47.九死に一生(3) シミズ病院
現場から一旦帰宅したのは十時前。
帰宅するや否や、当人は首筋辺りが痛いと申してまして。気分的に落ち突き出すと痛い箇所も増えまして。
ではありますが、首筋にはシート・ベルトのアトがついてます。事故の内容が内容ですから納得ですが、目眩はしてないし、気分も悪くないらしく、其の痛さであったらなあ。
手首も足腰、脇腹も痛いけど、筋肉痛みたいで骨折ではなさそおで、口のナカにはガラスの破片が有ったけど、どおも無いでやて。
ナニを云うてる。即刻、ウガイして吐き出してオケ。ガラスを飲み込んだら大変やぞ。
何れにせよ、カクカクシカジカの次第でして、救急で診て戴けますかと南丹病院に確認すれば、当直が泌尿器科の先生でした。泌尿器科では鞭打ちなんかは専門外。
ホカには何処が佳い。いっそのこと京都洛西のシミズ病院でもと。其処なら外科、脳神経外科専門ですし、亀岡縦貫道路なら一発に往けます。その点だけなら、我が家の立地条件は有利です。
早速、三人して車で走りまして、診察を待ってる間に二男も到着しました。
研究室からの夜桜見物の最中にメール受信して、急遽先輩に送って戴いたとのことでした。メールは私ではありません。嫁はんです。
時間外のため灯りが乏しく薄明かりの病院内を二男と佳く似た歳格好風貌のが真っ青な顔して此方に走って来るではないですか。近づくに連れ、二男と分かってビックリした。連絡してるのは知ってましたが、足が無いため病院に来るとまでは考えてませんでした。
「どおなんやて。」
簡単な状況と、大丈夫とは思うけど念のため此処に来たと説明してやった。
シミズ病院も大きくなりました。息子等が産まれる前のことですが、私の親父が骨折で入院しまして、其の時にはシミズ外科病院は桂だけ。今でも桂にありますが、洛西のシミズ病院が出来まして、病院に貼り付けてある案内を覗いてましたら亀岡のあたご病院も亀岡シミズ病院として傘下に加わってるのです。洛西のは毎日通過してますが入るのは初めて。ナカナカ綺麗な病院です。
そお云えば、祖母が骨折したのが左の腰骨。親父も左の腰骨で、母もです。ついでに私も十年前に左の足首を骨折したのです。
どおも当家は左側に要注意。二男も左手の人差し指を骨折してますし、其れが二年前の夜桜見物の時でした。(「単なる雑談」我が家の事件簿参照)。
長男は其の左側の窓で救われた。尤も、車は炎上はしてませんし、窓が開かずとも救出されてますが、当人の話ではお金も無いし、ガソリンも少なかったのです。
そんなよおなことを診察の待ち時間、病院の外の吹きさらしの寒い喫煙所で煙草を吸い乍ら二男に話をしてました。
レントゲンも完了し、先生の診断では特に異常ナシ。念のため一日二日後にでも外来で再診に来いとのことで、とりあえずの一安心。
戴いた薬は湿布薬で、帰宅したのが十一時過ぎ。
二男は心配した分、怒ってまして、馬鹿たれ、阿呆の連発です。
チョッとでも傷すけたら怒りやがって、壊してしもたらナンにもならんワイ。二男もスカイラインを借りて乗り廻したのです。
この際、其の調子やもっと云うてヤレ。
ところで、腹が減ったなあ。実はナンにも食べて無かったのです。嵯峨からの帰宅途中に事故連絡を受け、家に入ることもなく現場に直行でしたから。
病院で待つ間にでも近くのコンビニでおにぎりかパンでも買おて喰おかいなとも思いましたが、状況が状況で、場所が場所。ナンとなく落ち着かんかったから辞めたのです。
ホカの者は食べてますが、家に着けば腹減ったと一緒に食事です。
飯喰って、一息ついて、まあ、病院の手術室で待って遅くなったワケでもナシ。
ヨカッタヨカッタ、さあ寝よかいなと時計を見たら二時を廻ってますがな。
(02/04/02)
48.九死に一生(4) 不幸中の幸とは
自動車屋さんは、車の引き上げ時には連絡する。タブン、九時以降になるやろなあと云うてました。
先方も遅いホウが佳いとのことで連絡を待ってたのですが、九時を過ぎても連絡が無いため確認したら、既に引き上げてしもたのやて。
其れは不味いぞ。ナニか手伝うことも有るやろと、長靴履いて長男と共に現場に馳せ参じたのです。
現場には自動車屋さんと先方様が居てまして。手伝えることはと云えば、マズ手始めに引き上げる際に外されたガード・レールを元に戻すこと。その作業の真っ最中に到着したのです。田圃には車本体は無くなってますが、部品の残骸とガラスの破片が散乱。其れもかなり広い範囲に散乱してまして。此れは土の入れ替えで、業者に任すのですが、せめてガード・レールの取り付け作業でもと交替したのです。
何故か寸法が合わず四苦八苦。其れも無事完了して、車を引き上げる際、道に落ちたガラスの破片も回収して、お次は車の部品の残骸を回収することです。
残骸の殆どは激突の際に破壊したガード・レールの側に集中してます。急峻な傾斜の土手から降りて拾ったのですが、田圃に降りて道路までの高低を目測すれば、車が落下したのは二メートルどころでなかったぞ。
二メートルなら背の低い私の身長に数十センチを足す程度ですが、倍以上は有って、軽く三メートル以上。四メートルには不足かなあと思われる程度で、今更乍ら驚いた。
部品の回収が終わってから、どのよおなコースを辿ったかを検分してみたのです。
車道、歩道にはブレーキ痕が有りまして、歩道に乗り上げ、街路樹をへし折り、ガード・レールを二枚吹き飛ばしたうえで田圃に落下したことになる。此の街路樹が太ければ、其の段階で車は大破してたやろ。幸にして細かったからへし折った。
フェンスは二枚を蹴散らしてますが、フェンスの向こう側の右手には電柱が有りまして、電柱から線が土手に走ってるのです。ナンの線か分かりませんが、引っ掛かってたら落下の方向が真下になってお陀仏やなあ。
引っ掛からんかったから、急峻ではあっても土手に沿い、斜め前方に落下したことになる。
電柱よりも更に左ならどのよおになってたか。
フェンスの手前には鉄柱が有り、其れを突破したとしてもナンのために有るのか知りませんが、コンクリートの分厚い壁が有る。コンクリートの壁では車は負ける。
つまり、其の僅かな間隙を縫って田圃に落下したのであって、左右どちらにブレても体は無傷に済んで無い。
勿論、カーブになってたにも関わらず、直線と勘違いして、無謀な追い越しをするために速度を出し過ぎて事故をした。
全て本人が悪いのですが、悪いナカでもよくぞ物損だけで済んだものです。
其処で思うのは事故に遭遇しても運良く無傷な人が居れば、そのまま不運にも怪我したり他界することも有る。
或いは、地震、火事等々の避けることの出来ない不測の事故に巻き込まれることも有る。其れでも、運良く無傷な人が居れば、そのまま不運にも怪我したり他界することも有る。
遭遇しないに越したことは無いし、私も此の歳までそんな目に遭ったことは無い。
イヤ、借りてる嵯峨のワンルーム・マンションの隣が火事になったのですが、出火が早朝のため私は居てなんだ。居てなんだことはどっちでも佳いのですが、其れ以上に私の部屋だけが無傷やで。
無傷とは誤解を招くため、窓ガラスにヒビが入ったのと室外に配管されたエアコンのホースが焼けただけで、室内は無傷と云うてオク。お陰様でエアコンは新品になりました。
マンションそのものが類焼を免れたのですが、ホカの部屋は室内が焦げたり、水浸しになって家財一式無茶苦茶やで。(「JR嵯峨嵐山駅界隈立ち話NO.3」隣家の火災事件参照)
(02/04/03)
49.九死に一生(5) ご先祖様、守護霊様、お地蔵さんに感謝
知らぬ処で間一髪にも関わらず、ご当人はナンにも知らず。そんなことなら有ったやも知れませんが、知らなければ無いも同然。
ヒヤリとしたことなら数知れず有りますが、命がどおとか大怪我覚悟とか、そんな危険な目に遭遇した経験は無いのです。
などと多寡を括っててはいけません。こんなことはイツ何時一寸先は不明。次ぎの瞬間にも遭遇するやも知れませんです。
さて、ガード・レール破損個所から急峻な土手がありまして、ガード・レールに激突の際に飛び散ったのか土手には車の部品が散乱し、土手から先は田圃で、田圃の三十メートル先に車は反転状態に有ったのです。田圃にはガラスの破片も散乱してますし、其処に至るまでのコースは分かります。明らかに、道路を直線と錯覚して殆ど一直線に突っ込んでますがな。
土手にはグニャグニャに曲がったガード・レールが落ちてましたが土手に生えた草を擦り潰した跡形は無く、電線にも触れた痕跡も無し。映画でもあるまいに事故状況を再生することも出来ませんから、どんな具合に落ちて往ったかは永遠に不明です。
少し遅れて到着の嫁はんも加わって、作業も粗方終えまして。そんなことを関係者一同で検証したのです。
針の穴を通すとまでは申しませんが、何事でもそおですがたったの一ミリの差でも助かるときには助かるし、ダメなときはその一ミリでダメになる。
目に見えぬチカラですからどんなものかは分かりませんが、見守ってくれてるご先祖様、守護霊様には感謝してオケよ。墓参に往ったら報告のウエ、お礼も云うてオケ。
其の守護霊様かご先祖様が、チと余所目したときが危険。タマタマ余所目したときに追い越しを掛けたけど、チとだけの余所目で直ぐさま守りに入ってくれてヨカッタなあ。彼方様もきっと冷や汗掻かはったやろ。
長男も不可思議なる世界を垣間見た気がすると申してました。
自動車屋さんが云うには、此のタイプの車は若い人が好むけど危険性も有るとのこと。ナンのことかは、私のスプリンターではそれなりの性能しか無いから其の気にもならんけど、此のクラスのスカイラインは性能が良いから速度を出してしまうのですて。加速度が全然違うのですて。
性能が良い分、追い越しも簡単に出来るし、ツイツイしてしまうのか。
結局、私や嫁はんの車なら息子共も無茶な運転はしてませんし、出来ませんが、スカイラインであっただけにやってしもたと云えますし、無謀な運転で此の事故したら、ホカの車なら助かってませんが、此の車であったからこそ助かったとも云えるのです。
考えれば考える程に難問で、とりあえず体が無傷であったことだけを天に感謝すれば佳いのやろ。
ソオ云えば、母も嫁はんもスカイラインには乗せて貰てますし、二男は借りて自分で運転もしてました。
私は車の外観は見てますが一度も乗って無いのです。スプリンター以前はミッションでしたから懐かしのミッション・タイプを運転してみたいと云うのではなく、助手席にでも乗りまして、社内の景観、走行感触を味わいたかったなあ。スカイラインは当家に来まして、一ヶ月の命でした。
其の明くる日、シミズ病院での診察では、どおも無いとのことで益々安心。安心すれば関心事は車の保険のことに移ってしもた。
車はスクラップ状態で全損です。車両保険は掛かってます。となれば、どんな形で車が戻るのか。
中古車の価値でか、新車でか。調べれば、残念乍ら契約時の登録価格ですて。其の保険証書がまだ届いてないのですが、自動車屋さんは今度は大人しい車にしてクレよと当人に申してました。私も大賛成。
其のシミズ病院には安全を考慮して私の運転で連れて往ったのですが、帰りしなのこと。長男が自動車屋さんの側を通るから、どんな状態か見てみたいかやて。
お店は国道九号線沿いに有るのですが、車は裏手に置いてあったのが、既に消えてました。
そんなスクラップ状態の車なんかをイツまでも置いとかんわなあ。格好悪いがな。
息子は昨日車に積んでた荷物を取りに往ったのですが、スクラップになって原型を留めてませんでしたが、丁度運転席部分だけは辛うじて高さを保持してたと申してました。
そんな設計になってはいるのでしょうが、きわどかったのやて。
時々サボってはいますが、土日には夫婦で健康管理のため歩きをしてるのです。
そのコースにはお地蔵さんが二カ所ありまして、息子共の無事を祈り、手を合わせてます。
息子共は既に成人してますが、私共にしてみれば、まだまだお地蔵さんに守って戴きたい世界の住人でして。フと考えてみれば、長男は午年産まれで今年は年男で本厄でした。
いずれにせよ、不可思議なる世界の話です。
(02/04/04)
十月二十日は日曜日。
皇后陛下のお誕生日でありました。
えびす講でもありまして、誓文払でもあって、一粒万倍日で、オマケでお大安の吉日でもありまして。
風水家の言に寄ればですが、此の日に来年の事を神社にお参り、祈願するに佳き日ですテ。
我が家のカレンダーにも丸の印を付けまして。忘れんヨにするためですが、丸を早くにツケ過ぎまして。スッカリ忘れてたのですが、其処等にあったお寺さんの葉書を見まして、ナンか有ったナと。
お寺さんの葉書で神社の事を思い出したのですが、思い出せばドッチでも結構。アワヤの処で思い出し、早速亀岡は千歳の出雲大神宮に馳せ参じ。
走ったは車でですが、ツイデに御神水、名水も戴きましょト、ペット・ボトルも準備しまして。
到着すれば、神社前の駐車場満杯故、チとだけ離れた場所の常時設営の何故か看板、「臨時駐車場」、百台は停められる面積ですが、ガラガラでありまして、我が愛車一台のみ。
停めまして、ペット・ボトル一個、ぶら下げまして。テクテクと境内に入ったのですが、マア、云うたらナンですが、大型のポリ・タンク仰山、一杯、何個も持って来てるのです。
当然、手では持ち切れズに水場から車、ワゴン車ですが、運ぶために台車まで持参の面々、ゾロゾロと。
イツもの光景ではありますが、我がペット・ボトル一個だけのお水を戴くに、何分ではアカンやろし、何十分待たされるのかと、危惧し乍ら湧き水、遠目、遠視、老眼で、ドショかと。
余りに大勢なら断念ショかとも思いツツ、伺いましたらば、三カ所有る水場の左は水出てズ。真ん中のカ所が、何故かお見事、空きアキの空きで、誰も居ませんのです。
右のには長蛇の列で、云うても十名様の先客、一組何個かのポリ・タンクに数人掛かりで、注水に無我夢中の精一杯。
トリアエズ、何十個ものポリ・タンクが順番待ちで置いてあるのやで。
並んで待つお方様は早ヨしてくれヨと凝視してるだけ。隣がポッカリ空いたを知らん。ダケヤロなあ。もしかして、御神水、名水の水場でないのかなあ。或いは、その場でお口に一口飲むだけ専用の場になったのかナと、一瞬思たけど、我が輩も一見さんではナイし、何の張り紙も立て看板もナイ。鎖で通行止めともしてナイしなあ。間違いナク、見過ごされてるダケやんか。
トリアエズ、チと、チと失礼。お先に御免なさいネ。とは、何方様にも断ってませんが、ペット・ボトルもタッタの一個だけですから、所要時間、数秒やんか。
右手に並ばれてた先客、千客万来様、十名様ですが、真ん中の水場で余裕の我が姿、瞬時に発見されまして。ソラ、目立つヨなあ。何処かのオッサン、ツタツタ、並ぶ事無く、待つこともナク、遠慮することもナク、一直線に堂々とド真ん中。手には一個のペット・ボトル。水場に向かえば、欣然、ニコリと御神水、名水を戴いてるデと。
云うとくけど、離れてナイのやで、隣や隣。注水してるなら何ですが、順番、待ってる人なら目のマエやワイ。
アレマと、ワッと一斉に並び替えられましてネ。並ばれた頃には、ペット・ボトル一個の事や。ホナホナ、サイナラ。デハデハ、皆様、お先に失礼致します。トモ云うてませんが、気持ちや気持ち。軽く会釈しまして其の場を退散。
御神水、名水の御利益何卒宜しく御願い申し上げます。お賽銭はチャリンと一枚ですが、赤色の硬貨でナイですゾ。
イヤイヤ、気分爽快。逆ならエライことですよ。果たして、ペット・ボトル一個だけでも、お先にさせてくれるのか。まあ、アカンやろナと。注水量に関係ナク、順番は順番。
神社前の駐車場にさえ、ホカの車の邪魔になる場所に泰然自若、我関せずに停めてます。神社のお水、戴くトキくらい、善男善女であってクレ。
お水を戴けば、我が輩、本来の目的である本殿にお参りでして。モ一度お賽銭をチャリンと投入、クドイけど、赤色のでないゾ。
来る年、佳き事有りますヨにと祈願しまして。云うときますが、本殿、ガラガラなんや。
我が後方で待つ人存在セズ。本殿内にはお宮参り御一行様がお払いを受けてまして。ツイデで結構、我が輩にもお零れ頂戴と柏手ポン。誓文も持参してるゾとモ一度柏手ポン。
云うたら何ですが、お水、お持ち帰りの面々、お水だけがお目当て故、お参りするお方居てませぬ故、鈴鳴らしてお賽銭投入したは我が輩ノミぞ。
イヤイヤ、競争相手居てませぬ故、我が祈願、目立ってショがナイし、此れ又幸。
宜しく、御願い申し上げ候。と、思いつくがママ沢山なる祈願。誓文に記載してますが、余裕で御願い申し上げることが出来ましたです。
内容ですが、只々、無病息災、家内安全。何卒、来年こそは事故に逢わず、起こさず。
加えて、金銀財宝、濡れ手に一杯大粟ボッタクリで持ち切れぬ程。持ち切れズとも感謝感激雨霰で御座候。
遠慮一切致しませヌ故、何卒、重ねて宜しく御願い申し上げますル。
処で、本日一粒万倍日であります。我が財布の一万円一枚だけでも結構。一万倍で一億円。
クレグレも一枚だけデモですゾ。二枚三枚ならもっとモット結構で御座います。遠慮など致しませヌが、一枚だけデモ、我が窮乏一家、餓死セズ一生暮らせます故、お礼には又チャリンとお賽銭。赤色ではありませんので、宜しく、御願い申し上げ候。
誓願文持参で本殿に祈願。誓文払の日であります故。
又々、忘れる処でありました。
御神水、名水、何の御利益有るのか、正確な事は知りませヌ。
ポリ・タンクの面々はお風呂用までは知りませんが、お口に入る水一切を戴いてるらしい。
私はペット・ボトル一本分、慎ましくも、我が一家で夕食の際の暖かい、お茶の一杯、一家眷属、無病息災、家内安全、何卒、来年、とは云わず、飲んだ瞬間ヨリ以降、事故に逢わず、起こさず。
念じまして、有り難く頂戴のため、御神水、名水、一滴漏らさず、持ち帰りましたです。
十月二十日は日曜日。皇后陛下のお誕生日でありました。
えびす講でして、誓文払で、一粒万倍日で、おまけでお大安の吉日でもありまして。
お目出度い日なのでありまして。何でも叶えて戴けるヤロ。
我がササヤカなる祈願大願万願満願成就、大いに期待申し上げ御座候デス。
(02/10/21)
十月二十日は日曜日。皇后陛下のお誕生日でありました。
えびす講でして、誓文払で、一粒万倍日で、おまけでお大安の吉日でもありまして。
お目出度い日なのでありまして。
危うい処で思い出し、朝から出雲大神宮に参拝、来年の祈願極少々。目出度く御神水、名水もペット・ボトルに戴きまして、ホントは来年の干支、未の置物も戴くツモリにしてたのに、無かったなあ。無いものはショがないから、本殿に願文念じ、お水を戴いて。
お昼からは、野暮用でサティに往って参じました。
野暮用でありまして、用件ヒミツ。サティが如きで秘密も糞もナイけれど、単なる買い物やんかいさ。正直云うたら買い物はツイデの用事、デシタがね。嫁はんと二人で往ったのですから、余計にヒミツに程遠いケド。
イヤイヤ、其れでです。此の処、野暮用続きで日曜日ともなれば、毎週、サティに往ってるのです。嫁はんと一緒ですから、秘密にスルことナイけれど、ヒミツは秘密。単なる野暮用やんかいサ。
野暮用とは関係ナイのですが、サティの一階にマッサージ・コーナーが出来てまして。
往くのが日曜日故、イツも満員御礼。三十分待ちがザラでして。待つのも邪魔臭い故、やったことはナイのです。
マッサージをしたがってるのは嫁はんのホですが、十月二十日は日曜日。皇后陛下のお誕生日でありまして、えびす講。誓文払で、一粒万倍日。おまけでお大安の吉日でもありまして。お目出度い日なのでありまして。
朝の出雲大神宮では既載のとおり、満員御礼の水場ではイトもアッサリ、ペット・ボトルに御神水、名水、並ぶこともナク戴けまして。
しかるに、マッサージ・コーナーですが、マッサージ師さん、お二人ですから、定員もお二人様ですが、空いてましてネ。
されど、運試し。デモ無いけれど、本命の野暮用を済ましてからにして、運佳くですが、空いてタラ、やってもらいたいナと。まあ、イツもの様子ならアカンやろ。
野暮用は二十分程度で完了。二十分も経ったら先客、千客万来、満員御礼かと、マッサージ・コーナーを覗いて見ればです。
アラ、不思議、摩訶不思議。ガラリと空いてまして。手持ち無沙汰にされてます。さながら、私共夫婦の野暮用がスムのをお待ち戴いてるが如くでありました。
ならば、やって戴こかと、お品書きを見れば、十分千円也で、十五分が標準でして、千五百円で、ツイデ、ですから私も一緒にやってクレ。都合三千円になりますが、何せガラガラ。
私はマッサージなるものやって戴くは初体験。肩も腰も手足も凝りに凝ってますが、初体験は初体験なんや。本人が云うてるから間違いナイのやワイ。
凝りコリの凝りは認識してますが、感じないホでありますが、時々息苦しくなるトキも有ったのです。
実は、苦しいと要らぬ事ではありますが、正直なことを掲載(単なる雑談NO.19」366.閑話休題的半日人間ドック)、肩胛骨辺りが事実苦しかったのですが、しましたなら、富山のMayさんから私宛にナニやら小包届き。
ナニも頼んだ覚えはナイし、悪いことした覚えも、云うた事もないけどナ。一体全体、ナニかいナと、中身を改めて見れば、富山の呆けに利く薬。
ではなくて、T字型木製肩叩き器でありました。一緒に肩凝りの本まで入ってましたから、老眼の目で読めと云うことかいな。
イヤ、肩凝りの本ではなかった。似たヨなものですが、「ツボ、鉛筆指圧療法」でありました。早い話がT字型木製肩叩き器の取扱説明書のヨな内容であります。
何せ、七月末の事でありまして。遅ればせながら、有り難くも、以来重宝。効能有ってか、息苦しいのは解消してますが、頭や頭。
頭が時折オカシくなるのは元々ですが、ピリリと電流が走るヨな感も有ります故、機会有らば、一遍やってみたいナと。思てたら、空きスキの空きで丁度ヨイ。
やって欲しいと常々云うてた嫁はんよりも先に私が着席。云うてもマッサージ師さんお二人さん。同時にやって戴けるのです。さもなくば、呆けッと十五分、待たねばならぬ。横手には休憩所、喫煙所もありますので、煙草でも吸い乍ら待てば佳いのですが、ホカのお客も居てませんので、ついでや、ついで。やって貰おかと。でなければ私は肩なんか凝って無いフリしてましたです。人様にマッサージとか肩を揉んで戴くのは、気がずつない思いし、気が進まんのです。
着席すれば、何処が凝ってる等、調査表、アンケートみたいなもんですが、記載してる最中にも、次なるお客が覗きに来まして、マズは先客、我々夫婦のことですが、終わってからになりますので、待ち時間十五分と云われてましたです。
そんなことで、初体験のマッサージ。金銀財宝、財布も携帯電話も、煙草も百円ライターも、有り金、持ち物全部出せ。出せば此処に腹這いの体制とナレ。参ったカ。
とまでは云われてませんが、命令どおりに腹這いとなれば、其処等をチョイチョイと、何カ所か触わられまして、ナルホド、首から肩が凝りコリの凝りに、凝り固まってます。特に右側ですネと、触っただけで分かるのかト。
されど、ウン、思い当たることも有る。パソコンの遣り過ぎカと。思た瞬間からアトはウンウン唸ってましたが、腕まで凝ってるのか痛いこと痛いコト。
されど、マッサージと整体は何処がチガウのか。整体ならば、耳鳴りの話に記載のとおり、ナンとかしたいと必死の思いで、やって戴きましたがね。変化してませんです。
サティから、帰ってからも、又コンコンと、T字型木製肩叩き器で肩を叩き乍ら、止せば佳いのにパソコンのキー、叩き。まあ、日曜日です。
十月二十日は其の日曜日。皇后陛下のお誕生日でありました。えびす講でして、誓文払で、一粒万倍日。おまけでお大安の吉日でもありまして。お目出度い日なのでありまして。
出雲大神宮では御神水、名水、満員御礼状態にも関わらず、瞬時も待つこともナク、ペット・ボトルに戴けまして。本殿もガラ空き状態でして、我が誓文払、つつがなく、申し述べる事出来まして。
サティでは、初体験のマッサージ、此又瞬時たりとも待つことナク。私共夫婦同時にやって戴きまして。
お気遣い戴きました富山のMayさんには、御礼申し上げる事も出来。
イヤ、気分爽快のえびす講でして、誓文払で、一粒万倍日で、おまけでお大安の吉日でもありまして。皇后陛下のお誕生日でもありまして、お目出度い日なのでありました。
何事も順調、こんな日も、タマには有って佳いワイな。
(02/10/22)
52.伯父貴が逝きよった(1) 訃報(1)
<内容は、「単なる雑談」的なれど、伯父貴に相応しく、「不可思議の世界」に掲載する。>
さて、大型連休も終盤、五月三日の憲法記念日。
申しましても、特に予定はナイし、何処にも往って無い。
かと云うて呆けッと過ごしてしまうのも勿体ないし。嫁はんとドしょなあ。
発想が乏しいもんでして、月初めやし、お墓参りにでも往こか、イツ往こか。
四日にしよか、五日にしよか。
七条東大路の京都国立博物館で空海と高野山展をやてるみたいやし、ツイデに往っても佳いけどナ。
博物館には一回しか往って無いし、嫁はんは往った事ないし。
とか相談してる間に電話が掛かって来まして。
黒門の母方の従兄弟、信ちゃん、ノブチャンからですが、昨夜、親父が死んだんですワ。
お通夜、夜伽というか、葬式の日程もマダ決めてナイんです。決まったら連絡します。
ソか、遂に逝ったかオッサンが。
死んだと聞いても驚いてない。従兄弟も慌ててる様子もない。
一昨年の年末には年内保たんと入院先、府庁前の日赤病院ですが、医者から宣告されたと親戚一同集められ。(「不可思議の世界NO.3」44.冗談云うてオケ参照)
一同とは大袈裟ですが、ソ聞いてた筈が、集まったは伯父貴の信ちゃんと二男宏ちゃん、ヒロムチャン夫婦と妹である母と私ダケ。親戚はホカにも居てますが。
往けば、今にも泣きそな悲壮な顔して。信ちゃんがですが、よお、来てくれやはって、オオキニな。もお、アカンみたいですわと診断書まで見せられて。
エライ事まで書くのやなあ。尿毒症で云々で、保って一週間。会わせるべき人には早めにと書いてある。
オッサンは医者の話は知らんから、お見舞いに来てクレタのか。よお来てくれたナと、ポロポロ涙を流して泣き出して。もお、ボチボチ、お迎えやなあ。
私が云うたのではナイです。当人がです。涙を流したのは妹の顔を見てです。
私が云うたのは、そんな事云える元気がアタラ、死なへんわ。
事実、其の日を境に元気にナテしもて、保ちまして。
昨年一杯も保ってしもて。入退院は繰り返してましたが、此の正月にはチラリと寄ったのです。
お邪魔してる母を迎えにですが、玄関の扉に鍵が掛かってるし、呼び鈴を押しても出て来やへんし、窓を開けて。
窓から新年のご挨拶と、元気にしてるかと、様子伺い。(「単なる雑談NO.22」424.窓から新年のご挨拶参照)
イヤイヤ、寂しいです。想い出深きオッサンであります。(「不可思議の世界NO.2」修験道、「不可思議の世界NO.3」43.お不動さんが見える参照)
昔なら家まで歩いて十分も掛からんかた。中学校の通学路でもアタし。
そおか、そおか、オッサンさんも、とおとお、逝ってしもたか。マアマア、数えでは九十歳やから、早くはナイ。
云うたら何やけど、信ちゃんも自分の親とは云えど、面倒見てるのは、口では云えん大変さとは、私も同じく長男やからよお分かる。
ホントに寂しいです。
正月、窓からでも顔を見といて佳かった。チョコンと炬燵に入ってまして。
突然、窓が開き、顔を出したのが誰かが分からんカタみたいで、暫くしてから、オオ、タケかいな。
オッサンからはタケなんです。
オッサン、すっかり元気になてるなあ。佳かったなあ。
ウン、オオキニ、元気やで。
で、ドしたんや。
母が居てる筈でしたが、見渡せど居てないモンで。
アア、二時間マエに帰った。
オッサンも若ければ、玄関の鍵でも開けて、マア、入れとなりますが、動く気配がナイのです。
そやから、帰れ。でも無いけれど、気のつかんオッサンやし、話し込む話もナイやんか。伯母なら話にもなるのですが、二年前に逝ったし、何を云うても、フン、そおか。で、お仕舞いで、話が続かんし。
年寄りには其処を我慢と云うけれど、元々が話好きでもナイし、私も右に同じやし。
そしたらナ。そやけど、窓もチャンと鍵掛けときや。
フンフン、ソやなあ。
其れが最後の会話となりました。
今現在、覚之祐オッサンは何処に居るのか、何処まで往ってるのか知らんけど、早く逝きたカタし、ホッとした。
とでも独り言してるやろ。
(03/05/04)
53.伯父貴が逝きよった(2) 訃報(2)
覚之祐オッサンの歳が歳だけに、もお保たん。
死ぬ前に一目とお見舞いに往った背景があるからにして、信ちゃんから電話があると、逝ったか、となる。
昨年は何回も電話がありまして。
入院した。
退院の話を聞いてナイのに入院とはナ。
イヤ、年末、正月前に一度退院して。
そしたら、お見舞いに往ってスグやんか。
正月は自宅で過ごして、再入院して。一週間で勝手に出て来てしもて、入院して。
入院ですから、生きてるのは分かりますが。
又、電話があって、入院させた。
府庁前の日赤では遠いから信ちゃんの近くの回生病院に入院した。ではなくて、入院させた。
JR丹波口駅のソバの病院ですが。
暫くしたら、退院させた。
介護保険でホーム・ヘルパーさんがついてくれて、自宅に居る事にした。
早い話が何回も入退院を繰り返し。其の度に連れて往けば、勝手に戻って来たり。戻って来ては具合が悪くなて、救急車で入院して。
そんな電話も今年になて無くなったからスッカリ安心してました。
されど、誰でも病院は厭なんです。
殊に爺ちゃんは面倒なんです。私もそんな爺ちゃんに成るのは厭やけどです。
頑固気儘で病院の規則の規則尽くしに従う気はナイし。自宅が佳いに決まってるし。私もマッタクの同感やし。信ちゃんもソやと分かってますし。
信ちゃん、信ちゃんと云うてますが、一応は親父さんが九十歳にもなろおとする。なろおとするだけで、なってませんが、五十歳には達してるオッサンや。
酔った勢いで私に電話してるだけと解釈してるのですが、私は呑めませんが、信ちゃんは呑める。そんなには呑めませんが、基準が低いけど、私よりは強い。
呑めるし、呂律が廻ってナイし、話がチグハグやし酔ってるナと分かる。
人生相談で、面倒見るのが大変ならしかるべき施設に往って戴いたらどですか。
今や綺麗で立派になてます。昔のよな陰気くさい老人ホームではありませんよ。説得したら分かって戴けますのに。
などと無責任な事を申してますが、施設にしても定員がありますし、自分から好んで往く老人は居てません。そんなに素敵なら、相談に乗る人が入ってからにしてクレ。
但し、有料のホテル並で医者つき、看護婦つきの至れり尽くせりのはアカンのや。年金のみで生活してる一般人の水準やぞ。
勿論ですが、冷淡冷酷冷徹冷静に、手錠して、目隠しして、袋詰めにして、無理矢理なら出来ますが、自ら進んで往かれるのは諸般の事情があるか。余程、悟った人。
覚之祐オッサンなんか、修験道を長年やりまして、お不動さんが見えて、霊とは会話が出来てと、悟ったよなですが、根は人間。
居るベキ場所が浮き世に有れば、遠慮セズ、勝手気儘に自宅に居てたいのが本音。
イヤマア、念のためです。施設の話は出てませんし、私の母にも出てません。
伯父貴も寝た切りでナク、自力で歩けますし、母もソですからマダマダ楽なんですが、寝た切りになられたり、痴呆で徘徊でもされたら地獄やで。
誰とは申しませんが、知人の親の話も聞いてます。念のため、一人や二人、三人、四人ではないです。
云うたら悪いけど、病気してくれてホッとした。痴呆では入院出来ませんが、病気なら可能。其れでも週に何回かは病院に往かねばならぬ。洗濯物、日用品にオシメ等々。
遂に死んでくれてホッとした。とも聞いてます。勿論ですが、仮にも親です。寂しいのは当然です。ホッとしたも、寂しいのも本音であります。
老人とは、勝手気儘な子供です。
我が子なら、諭し、叱りつけ、お尻ペンペンも出来ますが、一応は親なら、諭し、叱りつけても、お尻ペンペンは出来ひんやんか。しても、聞いてはクレへんやんか。
しなくとも済むのは余程に高潔、人格者で、聖人君子の仏様か神様でお金持ち。
彼処が具合が悪い、此処の調子が悪いと訴えられたら、ホットクわけには往かん。
母も今年で八十歳。アト何年生きるか知らんけど、十年なら私は何歳になる。トリアエズ、親子程にしか年齢差はナイのやし。
要は、祖母、母だけでなく、身近に老人と称する人種を延々と見てますので、私は長生きしたくはナイけど、勝手に寿命は決められんから困ってる。
いやまあ、私の愚痴を零してもしょおがない。
伯父貴の逝った話をせねば。
イヤ、実は、予兆とまでは云えんけど、直前の四月三十日、信之君とはしてたのです。
誰とまでは申してませんが、覚之祐オッサンを想定しての話です。そんな事まで掲載してませんが、私自身としては、長生きしたくはナイと。(「騒慌珍嬉のThailandNO.5」NO.82ヴィハーン・プラ・モンコン・ボピット寺院(5)トイレの話(2)参照)
更には、当日、京都国立博物館の空海と高野山展を嫁はんとです。(「不可思議の世界NO.3」52.伯父貴が逝きよった(1)参照)
伯父貴が登ってたのは高野山でなくて、大峯山ですが、空海とは、伯父貴がこよなく憧れた、密教、修験道の元祖です。
イヤイヤ、私になんか、まかり間違っても霊感なんかありません。
お不動さんは見えへんし、見えたら感謝感激歓迎なれど、得体不明の霊みたいなんが話し掛けて来やがたら、真っ青になて卒倒する。
けれども、振り返ればですが、親族に限定ですが、偶然であれ、何であれ、奇妙なる現象の生ずる事はある。
博物館の話は嫁はんからで、まだ先やけど、スター・ウォーズをやるらしいナ。
スター・ウォーズを博物館に見に往く気はナイけれど。今現在、何をやってるのかと、インターネットで調べたら、空海をやってる。ウン、此れなら連休の間にでもと。
話が飛び出したのは、伯父貴の逝った日、二日の夜やんか。
(03/05/05)
54.伯父貴が逝きよった(3) 南ブライト・ホール(1)
三日、朝九時に届いた訃報第一報。
詳しくはアトでとなてるから、第二報があるまで家を留守に出来んよにナタ。
出掛ける用事もナイのですが、三日が夜伽となて、四日にでも葬式かと。暦を見れば五日が友引故ですが、勝手に推測。博物館は葬式のアトにでもと心ツモリ。
しかるに、伯父貴の事でヤルべき事を想い出した。
正月の一件、扉に鍵が掛かっててで、我が家の扉の塗装です。想い出すとするよりも、玄関の扉やから、出入りの度にやらなアカンなと。
年末に一度塗りしましたが、二度目は温かくなてからにしたらと、ご訪問のaraiさんより、ご親切なるご提案を掲示板にて戴いてました。(「単なる雑談NO.22」421.年末は忙しいのや参照)
ナルホド、寒いと乾きは悪いし、塗料の粘度も高く、木目への染み込みも今一でして。素直に従い、暖かくなたらと、虎視眈々、機会を伺おてたし、塗料も半分残してますし、早く処理してしまいたカタ。
五月三日、憲法記念日はポカポカ陽気。春を飛び越し、夏にでもなたかと想う程で、嫁はんは衣替えで衣服の整理をやり出した。
私も佳い機会ですし、懸案事項の塗装でも。
イナバの物置から材料、塗料とウスメ液。道具、刷毛一本ですが、塗装なんか三十分もあれば出来てマウ。
日が昇るに連れて、気温も上がり。乾燥具合を確認したら、沫が吹き出てまして。
木目の隙間から空気が出た来たのですが、乾く直前です。仕舞た刷毛を取り出して、沫潰しをしたり、もお乾いてるかと何度も外に出ては触ってみたり。
兎に角、第二報がイツかと落ち着かん。先方は大忙しヤロし、急かすワケにもイカンのやし。
ナイ予定でも、日程が分からんと、決めるに決められんし。
そおこおしてましたら、昼の三時にナテ、宏ちゃんから連絡がありまして。二男は京都でなくて関東在住。訃報を聞いて、着いたのかと。
スカリと関東弁になてまして、五日がお通夜で六日が葬式で。
ウンウンそおかいな。当事者の決定に従うだけですが。
場所はコレコレで、分かってくれますか。
堀川五条からなら、堀川を真っ直ぐに。八条通りで信号を左に往きましたら、京都駅の八条口です。
其方ではナイです。反対側の右側ですが、堀川通りからでは車は曲がれませんので、八条からでないとダメです。間違わんよに頼みます。
頼みますと、方向音痴の私にクドクドと余計な解説と共に説明されたら、余計にヤヤコシくなてしまう。
私が方向音痴を知っててでして。前科があるからですが。
堀川五条の話が出たのは、前科の勃発地点です。思わず想い出してしもた。
ヤパリ、此方さんの葬祭での事です。車を預けてました、四条大宮の、正確には黒門の四条ですが、南大門の駐車場を出まして、黒門通りを高辻に抜けて、堀川通りを五条通りに。そして、五条通りを真っ直ぐ東に向かうベキを何を勘違いしたか、左折してしもて。
早い話が左は嘗ての我が家の方向でして。黒門の親戚宅で従兄弟なんかと話し込み。童心に返ってましたから、引き寄せられるよに、反射的なる動作です。
此の界隈、私の庭みたいなモンやから災いしたのですが、後続の宏ちゃんが必死に追い掛けて来た。世話の焼ける奴やなと。
ご当人は其処まで考えての事ではなくて、単に自分の実家のソバであるのと、私が車で往った場合の道程。
しかるに、JRの京都駅、新幹線の八条口くらい、知ってるがな。
イヤ、違いますよ。反対側の西側です。
反対は分かってるがな。場所は堀川八条、正確には油小路八条の南西の角やろな。何と云う名前の処やな。
南ブライト・ホールです。
南ブライト・ホールなんか聞き始めです。アンナ処に葬祭場がイツ出来たのか知らんけど、京都駅八条口にも暫くは往ってないけど。
往ってましても、葬祭場に用事がなければ気になってない。
手伝う事があればナンデモ手伝いますが、葬祭場なら手伝う用事が無いラシイ。
楽と云えば楽、埒が明いて佳いけど、今時、殆どが葬祭場。
(03/05/06)
55.伯父貴が逝きよった(4) 聖護院の山伏
聖護院と聞けば何を連想するか。
京土産として、聖護院八つ橋の総本家。生八つ橋に、アン入りの聖、ヒジリと読んで欲しいのですが。聖護院カブラの千枚漬けもありますし。
間違いではナイけれど、伯父貴がこよなく愛し、精魂込めたる修験道。
聖護院は八つ橋、千枚漬けでも有名なれど、修験道の総本山である。
超人的伝説で彩られた役行者、エンノギョウジャと読んで欲しいのですが、役行者が祀られ、御本尊様は不動明王様なるゾ。
私が聖護院と聞けば、迷わず伯父貴の山伏装束を連想する。
甘党故、アン入り生八つ橋も好きですから、お土産に推奨致します。お漬け物も大好きで、老舗大安、ダイヤスですが、大安と西利のお漬け物も美味しいけれど、名物千枚漬けダケは苦手です。
そんな事はどでも佳い。
正月八日頃には聖護院派の山伏が京の町を法螺貝を吹き鳴らして寒中托鉢修業で練り歩くのです。予め分かってたら、外に出て待ち構えてた事もあったなあ。
伯父貴は山伏装束で我が家にも立ち寄ってくれて、五大力さんのお札を戴いたから祀ってオケ。
陀羅尼助、大峯山の名物看板胃薬ですが、持って来てくれたり。
托鉢ですから、来られたらお布施が要るのですが、採算は合ってなくて、いわば、挨拶廻りみたいなもんです。
よって、京都に居た頃は陀羅尼助が切れる事なく有りましたし、引っ越してからも、貰いに往ったり。
イヤ、陀羅尼助をクレと頼まんでも、お暇するトキには持って帰れと陀羅尼助。其処等の薬屋でも売ってるのですが、現地調達のが利きそでね。
お腹の強くもナイ私は大いにお世話にナタし、韓国出張の際の貴重なる携帯薬。
小学生時分には聖護院のお稚児さん。
聖護院ですから、山伏装束のお稚児さんにさせてもろたから、伯父貴だけでナク、私のお稚児さんの事も想い出す。クレグレも格好をしただけです。
高校入学早々には大峯山に登らさせられたし。あくまでも登らさせたれたのですが、大峯山と聞けば、逆様に吊された西の行を想い出す。
イヤマア、伯父貴の山伏装束の格好は厭と云う程見てますし、私が中学生の時分であったのか、正月の練り歩き、寒中托鉢修業で山伏装束で四条通りを河原町から烏丸。
そして、室町辺りと想うのですが、何人もの行者が闊歩してるのがテレビで流れ。もしかしてと見てましたら、オッサンが映ってる。
沢山の人が同じよな格好してますが、見慣れてるから瞬時に分かる。オッサンは自分の一団が撮されてる。とは分かってなかったのですが、其の辺りは確かに通行した。とは当人が証言してる。
ビデオがあれば撮ってるのですが、中学生時代やで。テレビがやっと普及で、一抱えもある卓上録音機が出回り出した頃やんか。ビデオが有るわけが無いやんか。
斯くなる次第で、山伏のお稚児さんにさせてもろたり、大峯山にも登らさせられました。
オッサンの長男、信ちゃんは四度も大峯山に登ったけれど、山伏の修業はしてない。
ではありますが、オッサンの影響大でして、興味はある。
元々が京都には神社仏閣、沢山あて、知らず知らずに摩訶不思議の世界、宗教的行事、事象は身近に存在してますし、山伏も見慣れてる。ソやから云うて霊の世界は御免被る。
しかるに、時代劇では悪人、隠密の変装に丁度佳い格好ですが、理由は太刀を持てるし、行者なら何処に居ても往っても不思議でナイのですが、実際には流派に寄り、修業の程度も装束には取り決めがアテ、偽物かどかは一目で分かるよになってます。との事や。
山伏なら坊様みたいに丸坊主にする事は無いし、お経は出来るし、肉を喰っても酒を呑んでも大丈夫で、極めて俗世間的存在。
イヤイヤ、其処等のオッサン、伯父貴でさえもやってるのですから、特別な世界ではナイし、修験道完全習得までは難かしくとも、山伏入門ならば簡単です。
但し、職業的専門的にやるので無し。生活のための仕事を持っての修業と持続は大変なる努力と強靱なる意志の成果です。
現に二十歳です。早い話が大東亜戦争に徴兵される以前からやってましたから、七十年もの経験となる。
勿論ですが、高齢でお山には登れませんし、聖護院にも訪問が難しいのですが、自宅に諸々お飾りしまして、対峙し、修業してたのか。
此のお飾り物ですが、信ちゃんの話では親父が魂を入れてるからにして、簡単には処分が出来ひんのやて。
処分とは処分でありまして、部屋から部屋の単なる移動ではナイのでありまして、しかるべき能力者に魂抜きをやって戴いてからですて。或いは宗派にご相談の上、お納めするのが無難であります。
魂抜きは、仏壇ならお坊様ですが、伯父貴のお飾り物は修業を積まれた行者さんになるのやろか。
そんな事、気休めと云うナカレ。ぞんざいに扱えば、誠に得体不明、摩訶不思議なる世界に迷い込むからにして。
悪い事は云わんから、気休めでもしとくベキなるぞ。
どっちにしても、素人が下手な事はすべきでない。
(03/05/08)
56.伯父貴が逝きよった(5) 空海と役行者
使い慣れたる物、肌身離さず大切にしてた物には愛着がある。
一生懸命に拝み倒し、入魂した物には魂が宿る。
愛着のある物を用が無くなたからと、ポイと放すのも気が退ける。
物に対しても、佳く頑張ってくれた。心の支えになてくれたと感謝の心がなくてはナラヌ。
よって、事情に寄り、処分するトキにはしかるべき処置、供養をしたホウが心安らぐ。
この手の話は信じない人には馬鹿みたいなれど、軽々に扱ってはナラヌと存ずる次第。
お仏壇を新調するなら、古いのは魂を抜いたウエで処分せねばならぬ。魂を抜くとは供養を意味し、処分はお仏壇を買おた処に任せば宜しい。
古いお仏壇の魂を何故抜くかとなれば、先祖代々の魂が其処に在ると想定して、日々拝んでますがな。
そやから云うて、実際にご先祖様がお仏壇にお住まいになてましたら怖いし、成仏しててくれんと困るのですが、理屈は云うてくれるな。
シカル後、新しいのには魂を入れねばならぬは、ご先祖様に入って戴かんと困るからでアテ、お仏壇の魂を抜くも、入れるも、お坊さんにお願いするべし。此れ又、理屈は云うナ。説明に窮する故。
出すも入れるも読経されるだけですが、気は心です。拝む人がご先祖様が其処に在ると、心底納得しなければ、日々拝みませんです。単に場所を取るだけの木箱と化す。
我が家のも古いのを処分して、新調の際にはお寺さんに拝んで戴いたし、覚之助オッサンにも来てもろた。
そもそもは、亀岡の地に引っ越したトキには一番に来てくれて、悪霊、悪縁が寄りつかぬよにと祈祷をしてくれた。
悪霊、悪縁とは何を意味するかは瀑としてるけど、気は心。何でも気は心であるけれど、瀑は瀑としてても、やってくれただけで理屈抜きに安心したで。
供養する物として、書家の筆なら東福寺。
私等では筆塚に納めるべき筆がなくて、ボール・ペンにサイン・ペンなら気を使う事もあらへんし、千円、二千円のペリカン、パーカー、モンブランの万年筆さえ持ってナイ。持ってましても使う用事がナイものでして。
裁縫の針なら千本釈迦堂とナテますが、針を使う仕事に従事はしてナイし。
神社寺院で戴いたるお札、お守り。本来なら戴いた処に納めるが本当なれど、云うてしもたら邪魔臭いから、最寄りの神社寺院で結構でして。初詣のついでにお札納め所に納めてクレ。
人形なら人形塚でありまして、京都上京の宝鏡寺で此処には往った事がある。
戴いた人形、不要にナタ人形。人形は放すにも気を使うから、戴いた人にも、人形さんにも申し訳ないけどと、嫁はんと一緒に納めに往きました。
今時なら、壊れた愛機のパソコンの塚が要るし、愛車のも欲しいのに。一気にスクラップか。
事程左様に伯父貴の飾り物には気を使うやろ。
信ちゃんの親父さんが大切にしてた物、しかも仏具をお守りしてた当事者が居なくなたと、塵同然に扱うは失礼千万でもあるし、ご当人様はご自分のためで無く、一家眷属を守ってたから、佳くご供養してやらねばなりません。
さて、葬儀の日程が決まってしもたら、連休の日曜の四日が空いた。
ならばと、お墓参りのついでの京都国立博物館に、「空海と高野山展」でも見に往こかと、息子共は各自用事がありまして、母と嫁はんとの年寄り三人。
お墓参りの話はいつもの事やから飛ばしてしもて。京都国立博物館は何十年振りやろか。
嫁はんは初めてと云うてるから、軽く二十五年以上にはなるのです。こんな場所と云えば失礼なれど、一人で来る事なんかあらへんわ。七条の東大路方面に往くのも久し振り。
インターネットで調査をしまして、駐車場が無料も分かりまして。停める場所は大丈夫。
入場料金四百二十円。それくらいならと、軍資金も楽と想てたのに、現地に来たら特別展覧会では特別料金が要りまして。お一人様千三百円也でそんなに高かったのかとビクリした。
特別料金が要るとはしてあったけれど、ホーム・ページにはシカとは明記してなんだゾ。
そんな事はどでも佳い。こんな時期、連休でポカポカ陽気で天気は快晴。
若い人なら、息子共と同様、連休には郊外が殆どやろし、博物館なんかガラガラやで。
多寡を括ってたのは甘かった。
「臨時入場券発売所」までが開設されてまして、凄い人出。展示品に接近するのも大変やた。
そんな事もどでも佳い。
想うに、空海は屈指の大天才。
アインシュタインの知能指数も凌ぐのではと。
弘法も筆の誤りとも云うけれど、ちなみに、空海を弘法さんとも云うのですが、失敗の許せぬ巻物に筆で書くは至難の技。若き日の直筆を拝見しましても達筆でして、しかも漢語に梵語。私になんか読解さえ不能。
唐に渡りて密教を会得し、日本全国行脚、疫病を治すわ、治水土木工事は行うわ。清水で眼病を治すわで。
昔の僧は学者で知識人であたのですが、空海は医者でもあり、土木技術者でもありで、万能やた。
対して、役行者は比類の超能力者。
伝説的、謎の人物であり、実在したのかどかさえ不明なれど。
役行者が実在したとして、双方に共通するは、超人的気力、体力、行動力。とても生身の人間とは想えへん。
(03/05/09)
57.伯父貴が逝きよった(6) 摩訶不思議な現象
空海は歴史的人物。
役行者は伝説的人物。
早い話が空海は実在で、役行者は架空でないかと。イヤ、私は研究家でもないから独断と偏見や。
役行者が実在したとしたら大法螺吹きの誇大妄想狂の大言壮語で佳い格好しいのオッチョコチョイで。伝わる話をホントやでと、心底、真顔、真剣に云うてたらキチガイやで。
苦もなく、空を走り、水面を歩く。千里眼で何でもお見通しで、全知全能、万人を艱難辛苦から救い、霞みを喰て不老不死。
もしかして、もしかしたら、現在も生きてるカモ分からんから、もしかしての仙人やろか。
イヤ、間違いなく役行者は仙人であり、修験道とは仙人を目指してるからにして、究極の目標であり、憧れの存在であるからにして。
斯くなる次第で、伯父貴も仙人を目指したのでありましたが、当たり前に生身の人間でアタが故、目標達成出来ずに逝ってモタ。
されど、接近してたとは信じてヤル。お不動さんは見えたと当人が申してました。
イツの話か忘れたけれど、小学生の頃やろか。足に手にアカギレが出来て泣いてましたら、気合い一発、治してくれた。以来、アカギレでは泣かんよにナタのやて。イヤイヤ、ホカのでも泣かんカタ。
祖母が他界したときやから社会人にナテますが、仏壇に向こて念仏を唱え、印を結び。大声と共に気合いを入れるのです。
極めて真剣そのものやから、一通り終わってから、オッサン、オッサン、何してたんや。
問えば、他界した筈の祖母が、仏壇から皆さん、ヨオ来てくれた。
嬉しいナとニコニコ顔で出て来たから、アンタは此方の人では無いのやで。棲む世界はあの世であると諭し、念仏と気合いで戻って戴いた。
葬式の日やデ。そんな事があるのかと、相当に驚ろかされた。
されど、折角出て来た祖母です。余計な事して追い返さんでも佳いのにナと。複雑な気分にナタのを覚えてる。ユメユメ、嘘つきめがとは想てない。想てもチラリです。
対して、空海の真似なんか其処等のオッサンでは逆立ちしても出来ひんがな。書き物一つを真似するだけでも一生涯を費やしての大事業となる。とてもやないけど、追いつけん。
仙人なんか、遠い存在みたいやけど、修業に修業を重ねればです。何かの間違いで突如霊力備わる。カモ分からんのや。
よって、実在の空海は偉大過ぎ、架空の役行者には知能指数に無関係故、成れる可能性秘めてるによて、親しみを感ずるのでないかと想てます。
しかるに、「空海と高野山展」にも来てました。
伯父貴ではナイです。来てたら怖い。
山伏装束まではしてませんが、数珠を首から幾重にも、ブラ下げた格好で展示場を彷徨いてのが何人居たか。悉く、覚之祐オッサンの仲間、同類です。
元気なら来たカタやろに。来るに来られへんから、私が代わりに見といてヤタぞ。
さて、大型連休中はポカポカ陽気。
と云うよりも相当に暑かった。車で走ってても、葬祭場の南ブライト・ホールでも冷房が要る程が、一転して此処数日は暖房が欲しくなる寒気。昼間はクーラー、夜には暖房。
葬祭が此処彼処で多いのです。季節の替わり目、寒暖の差が激しい時期は葬式が多い。案内の張り紙に喪服を毎日毎日、何件見る事か。
余所様の話はどでもよい。
度々縁があても困りますが、南ブライト・ホールなんか知らん筈。出来て半年ですて。
変な話やけど、親戚縁者が集まるのもこんな機会しかなくなった。
昔なら市内が殆どやから、歩いて往けるのが何軒もあたのに、私もですが、皆様引っ越しされたりで遠くてバラバラになってしもてと、そんな話が挨拶言葉になってしもて。
此の前はイツ顔を揃えたかとなれば、二年前。
若くして伯父貴の三男坊で私の従兄弟の葬式で。
従兄弟の三年前には、伯父貴の奧さん、私の伯母さんやたから、バタバタと続いてる。
バタバタの直前ですが、伯父貴主催の年会で。年会が誰のであたかは忘れたけれど、従兄弟の子供達まで含め、全員が顔を揃えた事がありました。
誠に摩訶不思議であります。柴田家にも似たよな現象がありました。
お墓の古いのを新しくしての墓開きでは柴田家親戚一同顔を揃えたのです。東京在住の叔母は祖母の葬式以来の帰京ヤタから十三年ブリやった。
それから、暫くして、其の叔母で、親父で、叔父でと、立て続きやで。
叔母にしてみたら、京都の兄弟に最期の挨拶に来たみたいなもんでした。
墓開きの祝い事が最期の顔合わせとナタのですが、やっといて佳かったナと想てます。
以降、顔を合わせるのは葬式バッカリでと。こんな話は佳く聞くのです。
(03/05/10)
58.伯父貴が逝きよった(7) 南ブライト・ホール(2)
謝って済んだら警察は要らん。
筈やなあ。
ロス疑惑の三浦和義氏(五十五歳)が本を万引きやて。ペット雑誌と自ら執筆した文庫本の二冊。
我が輩は有名人であるからにして、万引きなんかしやへんわい。レジが混んでたから並ぶのが邪魔臭かただけや。
此のニュースを知って、ビクリしたは私だけではナイやろに。
確かに、私でも知ってる有名人ですし、財布に二十数万円が入ってたから、お金持ちであるのも認めます。
私なんか、財布の中身、恥ずかしいてよお云わん。云うなら嘘でない処でン万円。警察で調べられたら、恥ずかしいも糞もナイけど、其処まで表に出たのは、警察がお喋りなんや。
されど、誰にでも分かる屁理屈、論理破綻を展開しての傲慢振りを発揮したのですが、警察に連行され、相手が替われば、素直にスマンと謝った。
謝った事でもあるし、被害額も少ないしと、東京地裁は不起訴処分にする見通しヤテ。
もしかして、有名人にナタ背景が背景だけに、警察と地検には顔見知りが多かったのかと。
幼い時期は別として、万引きは病的な傾向があるからにして、五十代でやってたら、常習犯と見て間違いはない。其処は専門家に任せてしもて、筋道として謝る相手がチガウやないか。
警察ではなくて、被害を与えた本屋さんと窃盗の現行犯を捕まえた有能な警備員さんである。
開口一番、屁理屈抜きの問答無用。スミマセンと謝り、平身低頭、地面に頭をくっつけ、土下座して、地面を這い蹲り、三度廻ってワンと吠えよ。
レジが混んでても、買いたいのがアタラ、並んで待つのが常識やんか。レジを経ずして持ち去ったら窃盗や。窃盗は犯罪であるからにして、金額の多寡に関わらん。
金額に寄るのならナンボから起訴するのやな。十円からか、一万円からかいな。相手様によて、百万円、一千万円にでも変動するのか。
金額の多寡で不起訴なら、ヤパリ世の中、金持ち、有名人には甘いのか。イヤイヤ、実際にはソやと想てますけどネ。世の中、法の下に不平等でアル。
其処を何とかして頂戴ナ。
警察には突き出さんといての懇願受け付けるかどかは、被害者の判断である。
いの一番に土下座されて三度廻ってワンと吠えられたら、もお結構ですから、消えてクレとなる。カモ分からんかたのに、自惚れての傲慢な態度やから突き出されたんや。
現行犯で過失でないだけに、ロス疑惑、殺人が無罪もホンマかいなとナテしまう。
そんな余所さんの三面記事なんかはどでも佳い。私等は自分で自分の身を守らなしょおがないナと想ただけ。
さて、訃報第一報の日に塗った扉も綺麗にナタ。
一度塗りでは光沢がなくてと気になてたのが、二度塗りで輝きも出て。塗り斑がチと目立つし気になるけれどです。
南ブライト・ホールには母と嫁はんと三人ですが、控え室では久し振りに信ちゃん、宏ちゃん一家にも会いまして。暫くしたら、ホカの従兄弟も到着で。
こんなトキにしか会わんよにナタなあ。
ホンマにソやなあ。
子供時分なら一緒に遊びもしたし、喧嘩もしたけれど。育つに従い疎遠になり、社会人となり、家も遠く離れてしもて、益々疎遠。
オッサン、オバサンが居てたら折りにふれ、往き来もしますが、往ってもその場に従兄弟が居てるとは限らんし。オッサン、オバサンが居てなんだら往き来もしやへんで。
私は立場上、親戚縁者の冠婚葬祭には必ず顔出ししてますが、母方の従兄弟の何人が我が家に来てくれた。
イヤ、京都を出てからの事やけど、信ちゃん、宏ちゃんは来た事がない。冠婚葬祭なら親の役目やたからやけど。これからは来てくれるのやろか。
イヤイヤ、そんな話をしたいのでナイ。
従兄弟同士としては母方では私が一番の年長者。年長者云うても殆どが五十代。
聞けば、大手術をしてたり、お孫ちゃんが出来てたり。伯父貴そっち退けでそんな話、近況報告に華が咲いてしもたりで。
ソオコオしてたら、ボチボチです。弔問客が来ておられますのでと会場の案内役が通知してくれまして。
全く持って、葬儀場では彼方様任せで楽ですわ。
時間までには間があるのですが、親族としての手前もありますし。親族席に座らなしょおがナイのですが、何処に座るのやな。アッチやろか、此処で佳いのやろか。私は末席のホウですが、末席は何処やいな。
葬儀社の構成で異なるのですが、親族席の右手と左手の両方にお焼香の場所がこさえてあったらマゴツクやんか。
(03/05/11)
59.伯父貴が逝きよった(8) 南ブライト・ホール(3)
南ブライト・ホールの案内役さんが、説明してクレまして。
本来ならコッチが上座で、アッチが下座。
しかるに、お焼香はアッチになてるから、反対に座ってクレ。
ウン、佳く分かった。ホナラ反対やと座り治しをしたりして。
云うたら何ですが、単なる友人、知人、町内会の一般席なら関係ナイけれど、親族には席順があるから気を使う。しかも、両側に二分されて、ご対面、お見合い形式になてるから余計に気を使う。
お席はお焼香の順番としてもです。来やへんのか遅れてるのかもあるやんかいさ。末席やからと一番の末席に陣取ったら、詰めてクレ。詰めてたら、血の濃いのんが来たりして。
こんなモン、多少なら順番が狂ても身内やし大丈夫やし、人数も知れてます。
やけど、本家、分家、枝分かれ。家柄がどのこのの一族郎党、大所帯で大人数の五月蠅い家系なら大変やで。往かへんかたら往かへんでチクチクやられるし。
しかるに、今時、家ではやらずに殆どが葬儀社やから、実感が湧かん。
家でなくとも家のソバ。団地なら公民館等、類する場所なら周辺の状況も懐かしく。
堪えに堪えたる涙も我慢堪らず噴水の如くに吹き出すのに、申し訳ないけど葬儀社では其れがナイ。
こんな事があった。あんな事もあったと頭のナカでは故人を偲んでるのですが、南ブライト・ホールは初めてでもあるし、葬儀社によて形式も異なってるし、余計な事ばかりに気を使う。
葬儀社で開催では親族なんか単なる賑わし的存在となる。彼方様、葬儀社ですが、ご指示に従うだけでありまして。ご指示もそんなに有るでナシ。
基本的にやるべき事なんか知れてるやんか。大人しく神妙に着席して、弔問客のお焼香の際、お辞儀をされたら返礼して、お焼香の順番が来たら、スルだけやんか。
誤解もヘタクレもナイけれど、楽は楽ですし、極めて楽チンやけど。
楽チンやから、有り難い事やし、喪主、家族、近親者にしても多少なりとも楽やけど、その上での事やけど、ハキリ云うて、物足らんものを感じてる。
伯父貴の近所では想い出もあるがな。
一軒置いて隣の家の飼い犬に噛まれた事がある。
私は犬好きやから、相手してたら、ガバリと足、左の太股に喰いつかれてしもて、其処の家で治療してもろたんや。ウチの犬がスマン事したなあ云うて。
予防注射なんか、殆どしてない時代やたし。変な病気、狂犬病にならんで佳かったのですが、小母さん一人が住んでたのですが、治療で一度お顔を見ただけや。
今、顔を見ても分かりませんが。そもそも、生きてるのかどかも知りませんが。知ってドヤと云うでナシ。云い出したら、黒門には中学生時代の同級生も居たのです。
柴田家系列では葬儀社での開催は一般的でナカタがため、公民館か自宅やた。
むしろ、先程の大家族で親戚縁者も多数なら弔問客、親戚縁者の人数の関係もアテ、自宅でするワケにも往かんからお寺とか、しかるべき会場でも借りてとナテました。
早い話が別の場所でとなれば、お金の要る話でありまして。現在でもお金は要りますが、考え方も替わって来た。
自宅でのお葬式なら堪らんで。
私は涙脆いせいもありますが、叔母、叔父なんか、止めども涙が流れてしもて。状況が状況やから、隠す事も無いけれどです。
祖母、親父のトキには衝撃強過ぎて。加えて、親父のトキには私が喪主やし、バタバタしてしもて、気も張りつめてるし、泣いてる暇がナカタ。
親族でなくて、知り合いでもです。
家が狭い、広いに関わらず、自宅での葬式ならば、親族が涙を流して眼を真っ赤にしてるのを見ただけでも我慢堪らんやんか。相手が若ければ若い程堪りませんし、左程の知り合いでなかっても、お気持ちを推し量ってしもて、貰い泣きしたり。
祭壇に故人の遺影を見ても堪らんし。早い話が堪らんもんばかりがズラリやから、涙を堪えるのに必死です。
そして、此処数年で葬儀社が主流になり出した。
グッと胸詰まる瞬間は有るけれどです。流すまでに収まってしまうのは道具立てが揃ってナイせいかと。ハタマタ、私が葬儀の場に慣れてしもたのかと。そんな筈はナイのです。
ご近所の人、オッサンの友人、知人にしましても、ワザワザ足を運んで来て戴いてますのに、涙を流してる人が居てないのです。
場所がチガウと実感が沸かんのと、道具立てが乏しいのと。悪いけど、オッサンの歳のせいもありますが。
泣きたいからではなくて、心境、複雑でして。
(03/05/12)
60.伯父貴が逝きよった(9) 葬式考
此の手の話をイツかはしたかった。
イヤ、身内では必ずシトクベキであると想てます。或いは、時代が替わってしもてるから、しなくとも佳いカモ分からんのですが。
我が家でもそお遠くナイ時期に訪れるからで、避けて通れる問題でもナイし。
順番では母で私で嫁はんでと。此の順番は不変であらねばならぬし、息子共はもっと先やから、自分等の事は自分で決めてクレ。
要は昔どおりに自宅でやるか、葬儀社か。
自宅でも葬儀社に頼まな出来ませんけど、場所の問題や。
三十年前には京都で祖母で。十年前には亀岡で親父のをやったのですが、悩む事はなかたのは、家でやるのが常識でして。
京都は勿論のこと、大阪、滋賀、東京まで。葬式には何回往ったか、往かされたのか。数えてないけれど、此の数年、五年くらいやろか、相当に変化した。
以前には自宅か公民館、お寺以外に往った事が無いのです。むしろ、家か公民館が殆どでして、お寺は極僅か。僅かも一回だけヤタし、葬儀社には往った事が無かった。
反対に此処五年では様変わりしてしもて、家でされたのが何回かいな。一回の筈で、殆どが葬儀社。
葬儀社とは所謂、互助センターか、的なもの。
祖母の代から一口幾らで掛けてまして。今ではセレマと云うてますが、私の結婚式も円町の玉姫殿でやりました。
要は冠婚葬祭、イツかはお世話にならねばならぬ。
親父のトキには我が団地での葬式が初めてで。団地には公民館ではなくて、会議所ならあるけれど、会議所での葬式には前例がなかた。誰も葬式を出してないから当然ですが。
前例がナイ以前に自宅でするものであると決め込んでたから、会議所の借用も考えズ。
以降には団地住民の葬式もあったけれど、あったトキには亀岡にも葬儀社が出来てた故、会議所でも家でもやらずに、葬儀社やんか。
どのよおに考えるかで違って来るけれど、一番有り難いのは近所の方に気軽に弔問に来て戴ける事でアテ。
申し訳無いのは隣近所に町内会の役員さん。殊に両隣さんには細々色々、式微を置かしてもらうわ、トイレをお借りするわで、どしてもお世話にならんとアカンのやし。イヤ、当家ダケの話をしてるので無いです。総合的なる話です。
役員さんには彼れ此れ、面倒を見て戴かなアカンし。
葬儀社によっては受付をやってクレル事もあるし、そおでない事もあるし。受付をやってクレへんかたら、誰かに頼まなアカンのですが、本来なら、一般弔問客のは町内会の人に、親戚縁者は親戚に頼むが一般的。
或いは、遠路遙々来てクレる人のために最寄りの駅とか電柱には案内の貼り紙を付けるとか、案内係を配置するとかで。
大抵なら町内会に職場の同僚、後輩とか学生時代の仲間に頼んだり。当人のだけではなくて、家族の関係者も寄って集って協力してくれるとか、スルのが常識やた。
家でなら、お飾りは別として、葬儀社では単にテント一張り、机が二つで椅子何個にお茶にお供養、お絞りなんかは任せてください。だけやった。
トキにはそんな事まで町内会がやってくれましたり。
そんなモン、頼むな。お茶役等々、人出は有りますがな。
業者であろおがなかろおが、余所さんに頼まれてしもたら、町内会の恥やんかと、町内会の会長さんが五月蠅かたりして。
五月蠅いくらいに面倒見が佳い人が町内会の会長さんで、今時みたいにクジ引き、順番制とチガウのヤ。
もしかして、此の事が大きいのではと想わん事も無い。
イヤイヤ、そんな事はどでも佳い。
葬式にしても隣近所に町内会が全面的に協力してくれたモンで、日頃のお付き合いが重要でもアタ。
私なんか、出来る事なら遠慮セズに命令してクレ。やったるでの口でありまして。命令されへんかたら、ナニして佳いのやらウロウロしてしもて、出しゃばるのもイカンしなあ。
いやまあ、京都の頃なら私も若かた。
やらせて戴いても最寄りの駅。云うても何処やな。京都駅では遠過ぎるし、その他の交通機関、バス、市電に阪急、嵐電まで伸ばしたのでは有り過ぎるし。
適当なんはあらへんから、碁盤の目の辻々四つ角に立て、案内役させて戴くのがやっとの事で、碁盤の目の範囲なら迷う事も無いから立ってるだけやけど。
立ってるだけで佳いのです。応援者が多ければ多い程、故人にはそれだけ人望がアタのやなと弔問客に感じて戴ければ結構でして。
しかるに、受付なんか若造にやらせて戴けるもんですか。町会長さんは別格やから、チョッとした年輩者のお役目でして。何せ、お香典を一旦は預かるのやで。
昔はそんな雰囲気やた。隣近所とのつき合いは深かったし、或る意味、ご不幸があたときにはご近所さんの互助の精神でありまして。
とも云えるし、今時ではご近所の皆様、町会長さんに役員さんも大変やし、会社を休んでまでお手数掛けるは如何なものかと、しかるべき葬儀社でとなるのも当然でして。
クダクダ、考えれば考える程、悩んでしまうのですが、トアル葬儀社での事やけど、弔問客何人とまでは云わんけど、一桁のがアタのは、如何にも寂しいものでして。
ソかと想えば、凄い数の弔問客で、葬儀会場での座席の確保が大変なんもアタけれど。
派手、大袈裟でナクて結構です。
私もソは想てるけれど、幾らナンでも葬儀会場でやてるのに、親族のホが弔問客より数段多いのでは格好がつかん。親族さえも用事でなあとナタラどないする。
万が一にも誰も来てくれんかたら、此奴、生前、ナニしてたとなるやんか。弔問客の人数、顔ブレは故人の顔の広さ、お付き合いに関係するやんか。
事程左様に沽券に関わるのが厭ならば、コソリと身内だけでやてもらうのも手かなと。
イヤ、私のをですが、お付き合いは狭いし、顔は小さいし、ついでに出不精やし。
今はソ想てるけれど、果たして接近してきたらど云い出すやらと。
(03/05/14)