親父として、爺としての話NO.9


親父、爺NO.6 親父、爺NO.7 親父、爺NO.8

親父、爺NO.5

ハデブスNO.12 孫娘の話NO.11 孫娘NO.3
題目一覧表

目次

親父、爺としての話NO.10

NO.90 二男の結婚式の話(4) 平安神宮神苑での話(1)

NO.89 二男の結婚式の話(3) 白無垢の話

NO.番外 母骨折の話(2)

NO.番外 母骨折の話(1)

NO.88 二男の結婚式の話(2) モーニング姿の話

NO.87 二男の結婚式の話(1) 忘れ物等々の話

NO.86 二男の結婚式接近の話(4) 最早、ここまでの話

NO.85 二男の結婚式接近の話(3) 挨拶の中身の話

NO.84 二男の結婚式接近の話(2) 誰に似たかの話

NO.83 二男の結婚式接近の話(1) 平安神宮のDVDの話

NO.82 息子としての話(4) 挨拶の文言の話

NO.81 息子としての話(3) ショート・スティの決まるの話

親父、爺としての話NO.8


NO.81 息子としての話(3) ショート・スティの決まるの話

そんな事で、ショート・スティの申し込みも、日が無さ過ぎて、諦めてたですが。
諦めるにしても、どするやと。
特には、食事の事で、2食分やでと。
まさかの、2食をカップ麺ではナと。言語明瞭の可哀想でして。
ならばの、ホカ弁でもと云うても、電子レンジを扱わせるも、危ないしと。ソラ、杖2本で移動やでと。片手で出来ん事も無いですが。
ソレを簡単に出来て、心配で無い状態なら、結婚式にも出られるし、当人も、出るとしてるかと。

息子共は、無理にでも連れて行くとか、したらと申してたですが。
云うは易しの、行うは難しく。ソラ、常の母の状態を知らんからでして。

過日、長男の嫁が、問うに、お父さんとしたら、どちらが良いのですかと。
オッとの、良い質問での、どちらが良いかとなればの、新郎の両親として、親族を相手にしんならんし、この状態では、出来れば、来て貰わん方が楽でして。
されどの、家で留守番させておくのも、心配やと。
よって、ショート・スティが決まれば、安心やけどと。ソラ、しかるべくの、人の目があり、当人も楽でして。

云うたら、新婦の実家にも、お婆さんが居たはりまして。
最初の挨拶の折り<3月>には、親父さん曰くに、きっぱり、連れて行きませんと。

理由なるは、先様からは、マイクロ・バスをチャーターの予定での、片道、約2時間、2時間半ともなればの、お婆さんでは体力的に大変でと、早くも、欠席を決めておられたですが。
2時間、2時間半となれば、亀岡から、都ホテルも、大した差は無いの、片道で、1時間半強かと。

とは、云え、我が母が、そんな事で、ホナラの遠慮しとくとは、断じての、こっちも、分かった話故に、行く、行かんについては、一言も云わずに、過ごして来たですが。
但しの、母は超安直に考えてるみたいで、車に乗って、結婚式に出て、披露宴で。終われば、車で帰って来るだけやと。
確かに、ソレで間違いは無いけれどの、所用時間が分かってるかと。
とは、度々の話はしてたです。

或いは、当日は土曜日でして。
土曜日となればの、ディー・サービスの日でして。
さて、どしたものかの、ディー・サービスに通うならばの、昼食は、先様で出るです。
されどの、送迎バスなりが、到着の時刻には、我々、出発してまして。
1人で、玄関先で、靴が履けるかと。
イヤ、履けるは履けるですが、自力で、座れるかと。鍵は掛けて出るしで、職員さんには、鍵をどするやと。暫しの間なら、施錠をせずに済ませるの手もあるですが。
出る際には、鍵は掛けて戴かんとナで、ディー・サービスで、帰って来たら、鍵を開けて戴かんならんです。

そんな、あんなで、思案すれば、当日、不参加となれば、ディー・サービスも欠席の方が無難かと。
別途の手段なら、隣り近所にでも、晩飯とするのか、手配をお願いの案もあるですが。
イヤイヤ、ホンマやでの、ディー・サービスと、ショート・ステイでは雲泥の差の、ショート・スティは、宿泊を伴うの介護施設でありまして。
全然の違うです。
しかるべくの、日数を責任を持って、預かって戴けるです。
病気、怪我でもあれば、しかるべくの、病院にと。

そんな次第の、11月に入れば、方向性を決めんとナと。
思てた矢先の、11月の始めに、「こもれび」の、ケア・マネージャーから、電話一発、「けやき」ですが、取れましたと。
へえの、ソレは、ソレは、有り難う御座いますと。
イヤ、キャンセルがあったためでして。空きが出来たらしく。さもなくばの、ダメですが。

での、11月20日が本番での、19日から、21日としてたですが。22日も空くらしくで、へえと。ホンマですかと。
イヤイヤ、21日なら、日曜日で、施設は休日にて、迎えに行かんならんです。尚かつの、迎えにの時間は決まってまして。17時半から、18時頃であると。

となれば、変な話の、四国組<嫁はんの里組>は、19日到着で、2泊して、21日に帰る予定にしてるですが。ソラ、結婚式当日は、終わるのが、18時頃になるのかと。よって、安全を見て、モ一泊としてるですが。
ならばの、出来れば、一食程度はお付き合いをと。
思いはしてたですが、母が在宅ならばの、ソも出来ず。

マア云うたら、こんな時、結婚式程度でしか、面々が揃ての、京都に来る事はあらへんしと。
前回は、当然にして、長男の結婚式の時でして。
その前はあらへんわと。前回が初めての事やったんやと。

そんな次第の、斯くなるでの、正直、諸般の事情より、時間的拘束が無ければ、当たり前に、こっちの、自由度が高まりまして。
ソラ、先様の計画、都合もあるですが。都合に合わせるだけの、自由度がと。
よって、そんな事なら、空いてるなら、22日まで、宜しくお願い致しますと。

イヤ、個室で、テレビ付きやでと。
当人、母の希望通りでありまして。
個室なら、当然の、自己負担金は高いですが、云うてられへんわと。
(10/11/14)


NO.82 息子としての話(4) 挨拶の文言の話

さての、マダ、風邪がスッキリとはしてませんですが。
散髪には、行っとかんとと。
咳が、ゴホゴホ、鼻が、ヒクヒクの状態では無くなって。
イヤ、済ませたです。散髪をと。以て、準備体勢の1つは、出来たです。

イヤイヤ、昨日<11月13日>には、二男が帰って来まして、散髪にと。最寄りの散髪屋にと。
マダ、長岡京では、見つけて無いらしく。
とするのか、散髪は、通い慣れた店でやるのが、一番でして。安心でして。

私もかつては、ソしてたです。
かつてとは、京都から、宇治槇島に引っ越した際です。槇島にも、あったはあったですが。何度かは、通たですが、気に要らんでねえ。
ムツっとした、兄さんが、夫婦でやったはったですが。客も閑散の、待つ事も無かったですが。その筈の、雑でねえ。
正直には、散髪が雑でも、そもそもがの、髪の手入れなんか、私自身がええ加減の、ピタリ、ビシリの、七三に分けても無いですが。適当に、櫛を通してるだけですが。

よって、仏光寺、油小路角の、通い慣れたるの、散髪屋はんに行ってたです。
只なあ、何分の、駐禁でして。辺りには、駐車場所も無く。そもそもが、京都市内の散髪屋で、駐車場完備の散髪屋なんか、あらへんわと。
オマケで、真向かいには、太子山の派出所がと。
結果、車はどしてたかなあと。
勝手知ったるの界隈故に、適当なる空き地<穴場>にでも停めてたかと。
そして、散髪屋のオヤジさんと談笑でもしてたかと。何分の、名前が面白いとするのか、「東京市(あずまきょういち)」でして。
イヤイヤ、オヤジさんは、我がオヤジと同年配やしで、最早の、当世、生存はと。

オッとの、そんな話は結構の、私も散髪に行きたかったですが、諸般の事情、野暮用があっての、風邪引きとは無関係の、嫁はんの用事で、お付き合いで、当日は止めたです。
イヤ、二男の行きつけの散髪屋とは、違うですが。

での、二男の散髪の方が早く終わって、家で待ってまして。私らが、帰ったら、曰くに、モ、挨拶は決めたかと。
ンの、ソレを問われるが、一番に辛いですが。
正直に、マダやなあと。

ソラ、諸般、案は種々あっての、全部を網羅出来るの心臓、度胸、気力、話術があっての、場慣れしてたらなれどの、全然でして。
案を練れば、練る程に、長くなってねえ。原稿用紙3枚半が、4枚になり、5枚になりと。
理由は簡単の、練れば、練る程に、こんな表現の方がと。
ハタマタの、コレは云いたいなあと、イヤ、云うべきやと、挿入結果、文字数がと。どんどんと、増えまして。

例えばの、結婚式は、「平安神宮」での、結婚披露宴会場は、「都ホテル」なれどの、「都ホテル」となればの、披露宴に参列なるが二度目でして。
何を隠そおの、隠す事も無いの、奇しきご縁での、長男の結婚式が、そこやったんやと。
云うたら、我が息子共、二人が、同じのホテルで、披露宴やでと。

長男の時には、結婚式は、洋式での、全てを、「都ホテル」で執り行いましたですが。
此度は、「平安神宮」での、神式やと。要は、着付け等々、「都ホテル」で、「平安神宮」に移動で、式を挙げ。終われば、「都ホテル」に戻っての、披露宴でして。

神式故、式は、親族だけの参列なれどの、その親族は移動しんならんわと。
その分、母も大変になるしで、当初より、危惧してたです。

オッとの、その話は、別途での、ソラ、この程度の話、長男が、ここでと。
冒頭とするのか、決まり文句を述べたアトにででも、触れても構わんですが。
どちみちの、当家の親族なるは、そっくり、そのままの、二度目でして。強いてなら、母が欠席で、長男の家族が、二人、増えてるですが。更には、四国の姪が結婚して。
滋賀<現在は、滋賀では無いです>の姪が結婚して。

四国の姪に長男誕生。
滋賀の姪にも長男誕生。
この、11月になって、四国の甥に二男誕生。
細かな話は余計な話の、されどの、この程度はと。お目出度い話やし、触れてもええよにも思いまして。

思いの、したい気は重々にあるですが、どんな具合にの、簡単、簡潔、手短にでもと。
されどの、新婦側には、無関係と云えば、無関係やしと。そんな事を一々、気にしてたら、何にも云えんよにもなりまして。

イヤイヤ、ホンマやでと。
新郎新婦には、是非に実行とするのか、心掛けて欲しいとするのか、心掛けるべき事、むしろの、是非にもの、遵守事柄がありまして。
コレ又、下手したら、参列者の一部には、皮肉に聞こえるの、可能性もありまして。
そんなこんなで、私の場合、余りに感情移入すれば、気持ちが入ってしもての、感情高ぶり、自身でウルウルになってしまうの、危険性がと。
されどの、こんな機会に云うべきを云うとかんとと、思うの気もあってねえ。

イヤ、実際、難しいです。
クドイけれどの、小心小身小者で、胴長短小、無芸小食の我が身故に。
度胸満点、勇気凛々ならばの、諸般、気にもせずの、独断場での、一時間でも、二時間でも、委細構わずの、延々にの、その程度の気概があればなれどの、気力、体力、迫力がと。
全然の自信皆目でと。

出来れば、避けたいの気の方がと。
出来る限り、短くならばの、とちるの可能性も、少ないわと。長けりゃ、長い程に、その可能性は、高く、高くなりまして。
そもそもの、そんな延々の、演説の、経験が、あらへんわと。

とととの、二男に、挨拶の事はと、問われて、そこまでの、詳しい話はしてへんですが。
単にマダやと。思案中やと。
難しいなあと、だけでして。
(10/11/15)


NO.83 二男の結婚式接近の話(1) 平安神宮のDVDの話

母の件を中心とした、「息子として」の表題のツモリが、二男の結婚式の準備体制突入の話題にと。
ソラ、仕方が無いです。
二男の人生最大の行事、イベントでして。
イヨイヨの迫って来たら、我が事、大事。

イヤイヤ、ソラナア、母も出来れば参加をするのが、一番に良いとは、重々承知やわと。結婚を、1人でも沢山が祝ってやれるしと。
されどの、毎日の様子を私ら夫婦が一番に承知してるわと。母の体力が保つのかと。ソラなあ、当日は保ちはしても、アトが大変ゾと。
更には、自分の体調、気力、体力なるは、自身が承知やわと。よって、「こもれび」の、ケア・マネージャーに自らが、ショート・スティの申し込みとするのか、話をしに行ったんやと。

イヤ、此度の事、以外で、何度かは、ショート・スティも、予約が出来ずに、計画は狂てたです。
そのショート・スティも、以前は、頑として、嫌がってたですが。次第に許容するよになってまして。
家の中での移動も、杖2本が必需品になってたでは、自身では、一歩も外には出られませんです。運動量も次第に減りまして。減れば、足の耐力、体力が、弱まって来まして。

一寸の移動でも、ヒイ、フウ、ハアと。
云うたら、この夏場の猛暑で、体力的にも、消耗の可能性がありまして。イヤ、消耗してるかと。
にしても、私にしてみたら、運が良かったなあと。結婚式なるは、11月の、京都は観光の季節で、尚かつの、飛び石連休でして。当初、ケア・マネージャーも、危惧されてたです。当の私にしてみても、マア、無理やろと。

新婦の実家の、お婆さんは、その辺り、オヤジさんの判断にて、最初っから欠席は正解でして。3月の挨拶の時には、決めておられたです。
決断が早ければ、早い程に、手は打ち易いわと。
ショート・スティの申し込み<予約>は、2ヶ月前からにしたって、早めに云うとけば、何とかしてくれやはるです。

嫁はんの里の親、私の義母にしたって、前回、長男の結婚式の時にも、欠席を決めてたです。保たんし、シンドイと。
当方からしたら、親族が大挙で、一緒に来るのやし、安心と思てたですが。当然にして、今回も最初っから、欠席でして。
そんな事、云わんと、来たら、ええのにと。
とは、思えど、コレ又、同伴者にしたら、強行スケジュールは組めへんです。

されどの、我が家の場合、私にしたって、疑問を持ち乍らも、母の性格的、云うたって、問題外の外の、行く、ゼッタイに参加すると云い張るに決まってまして。
よって、着付けの衣装も選択したりと。
二男も、披露宴の席次に入れてたりと。
イヤ、二男は、前提、参加の予定にしてたです。母のそんな話があっても、欠席と決めんでもと。席は確保で、料理なら、前日でも、キャンセルは出来ると。

この意見も、ええよな、悪いよなでと。
優しい気持ちで云うてるは分かるの、母の実情を知らんからでして。
有り体には、四国の義母の方が動けてまして。大体が1人で生活したはるです。但し、杖は突いてまして。ディー・サービスにも通てまして。
新婦のお婆さんにしても、様子はチラとしか、見てへんですが。矢っ張り、ディー・サービスに通たはるです。
何が云いたいかとなればの、ディー・サービスに通うとなれば、「要支援」なり、「要介護」の認定を受けてるです。受けてるとなれば、相応に、「支援」なり、「介護」を要しまして。

斯くなる次第の、出られる体調なら、多少の無理してでも、出たら宜しいですが。必要以上に無理して、頑として、出席しても、アトの事を考えたら、欠席が無難やわと。
での、結果的、我が母が、ショート・スティに決まったら、決まったで、しかるべくの、準備も要りましてと。

オッとの、での、二男が散髪方々、戻って来た日に、DVDも持参してまして。
見といてやと。
持って帰るしと。
ホナラの居てる間に見てくれと云う事でして。

要は、「平安神宮」での、挙式の模様の映像でして。実際に、行われるの手順等々が説明されてまして。
実は、過日、相当に以前に、家に置いてたですが。見ぬままに、二男が持ち帰りまして。

での、当日。
とは、来た当日は、所用にて、私ら夫婦は外出での、昼飯は、マクドナルドのドライブ・スルーで、調達しまして。
家で、昼飯を喰い乍ら、DVDを見ましょかと。一番に手っ取り早いしと。

イヤイヤ、神式でも、神社、神社での、方式がありまして。「平安神宮」では、「平安神宮」の形式に則りまして。
結果、何が判明かとなればの、新郎新婦が玉串奉奠(たまぐしほうてん)。
そして、両家代表として、男親が、玉串奉奠ですて。へえと。

云うたら、このン十年、神式に参列は無かったです。
神式となればの、参列なるは、親族だけでして。我が叔父の時は神式でして。従兄妹が、彦根での挙式が、神式での、2度だけでして。
甥であり、従兄妹の立場もあっての、気楽に参加の、そもそもが、若いのもあっての、詳細なんか、覚えてるモンかと。
アトは、友人としてであれ、親族としてであれ、友人なら、神式は無関係の、教会式だけであっての、観察も出来てませんです。

オッとの、とととの、玉串奉奠も、区長時代に、やらせて戴いたです。
玉串をば、時計回り、右回りに回しまして。しかるべく、台に置きまして。二礼二拍手一拝でと。
コレ又、区長時代には、「大井神社」の祭礼等々、参列にて、何度も経験させて戴いてるですが。派手がましいなあと。
要は、両家、調子を或る程度、合わせませんとと。バラバラでは、格好がと。

での、ででの、マダあっての、親族紹介なるは、挙式が終わってからですて。へえと。
イヤ、前回等々、教会式の場合は、挙式の直前に、親族紹介があったかと。
何でも結構の、方式に従い、指示されるがママに、やらな仕方が無いの、二男曰くに、よって、DVDを見といて欲しかったんやと。へえと。

どっちにしたって、当事者なら、詳細、覚えてるですが。
親族でも、単なるの親族なら、ホンマに気楽での、精々が、バージン・ロードの辺りを注視してただけかと。この場合は、新婦の男親が大役なれどです。
新郎の親は、見てるだけやったのにと。
(10/11/16)


NO.84 二男の結婚式接近の話(2) 誰に似たかの話

そんな次第の、斯くなるでの、最早の、ソレばっかり。
ソレとは、両家代表挨拶の文言やと。

クドイけれどの、度胸満点、勇気凛々の我が性格ならば、悩みもせずの、一時間でも、二時間でも、ハタから、冷たい視線で、ハヨ、終われと、催促も無視の、好き放題、勝手放題の、何でも有りかと。
イヤ、そんな性格ならば、悩まへんわと。
さりとての、所要時間なるも、常識の範疇があるですが。

それこその、アレも、コレも、アレコレと。
アレを追加で、コレアレと。
そんな性格のなら、演説になりての、その場で、適当にアレンジしてるかと。ソやないと、実際問題、一時間、二時間は、やってられへんゾと。
オッとの、大学の講義、講習会でもあるまいにの、一時間、二時間を、教材なり、題材無しでは、喋ってられへんですが。

そんな意味ならばの、インタビューとするのか、問われて、返答の、更に、質問されたりの、云うたら、相手があっての、会話ならば、やり易いやろなあと。
但しの、コレにも、慣れがあっての、想定外の設問は困るですが。
テレビなんかで、芸能人は流石やなあと、感心するです。
イヤ、私なら、カチン、コチンと、頭に来るよな、投げ掛けされても、上手に洒落で、誤魔化したり、応答したはりまして。

しかるにの、原稿用紙<400字詰め>で、5枚にもと。
なれば、覚えてられへんゾと。我が知能ではの話の、記憶容量、HDDが頑丈、充分なら、可能でもや。知れてまして。

ホンマやでと。
高がの、町内会の議長拝命の挨拶、数語でも、どしよかなあと。
イヤ、二度しかしてへんけれどの、初回のでは、数語は喋ったですが。イヤ、数語とは、ひらがな、1文字、1語としての、数語やわと。
そんな勘定なら、二度目も、数語は喋ったかと。
「ン組の柴田と申します。宜しくお願い致します。」
だけで、チョンと。

本当なら、モ一寸は、準備だけはしてたですが、議長席に行った途端に、度胸ヘナヘナ、勇気ナエナエの、モええかと。止めとこかと。自己紹介以外の、余計な話はと。
イヤイヤ、云うたら、議長なんか、目立ったら、アカンわと。挨拶の文言なんか、ソレこその、ダアレも聞いてえへんの、精々が、皆様、心底、ハヨして、ハヨ終われかと。

オッとの、とととの、そんな話は結構の、当面の我が最大の課題やわと。
両家代表挨拶をば、如何にと。

振り返れば、長男の際には、親子3代、所謂の電気屋はんでと。
我がオヤジは、それこその街の電気屋はんで、看板は、「ナショナル代理店 柴田電気商会」としてあったと。
何で、こんな話をとなればの、当人、長男が、松下に就職したためでして。上司も来られてた故に、本当の話の、私も、電気専攻でと。
私は、ローム<ROHM>で、品質管理を担当してまして。クレームで、松下さんに、お世話になりましてと。
クレーム処理で、良く呼ばれたしと。
とまでは、云うてえへんの、「お世話になって」で、分かるわと。そして、3代目<息子>は、松下そのものにお世話になるのかと。
原稿用紙、2枚を全文、一生懸命に覚えまして。

イヤイヤ、ホンマやでの、一方的なるの話なんか、し慣れてえへんしで、何でもが、原案作成の、全文記憶しての挨拶してたんやと。
区長時代、ソレでも、とちるの事もあったですが。とちっても、ダアレも知らんですが。
役員会なら、度々かと。
役員会ともなればの、構想だけは練っての、文面までには、してへんですが。コレが拙(まず)かったかと、現在唯今でも、反省してるです。最早の5年が経ったのにと。
失敗の光景だけが、記憶鮮明に残ってまして。困ったモンやと。
イヤ、構想だけは練ってても、そこまで到達出来ずに、話を終わらせましての、コレ又、私以外、分からんですが。分かる筈があらへんわと。簡単なるの、挨拶文言なんか、コピーして渡してえへんわと。

ホンマやでの、期首総会なんか、ガタガタやと。オッとの、我がカラダがでして。
「夏祭り<屋外での催し>」の際には、顔面蒼白やったんやろねえ。役員の1人が、「柴田はん、一杯飲んだら。」と、声を掛けて戴いて。ソやなあと、生ビールを戴いたですが、そもそもが、飲める状態でもあらへんですが。
斯くしての、本番となればの、ガタガタしてても、気迷いもと。

紹介されたら、兎に角、大声<野外のため>一発、コンバンワと。
コレで、度胸定まったとするのか、原文通りと相成ったですが。
イヤ、この、コンバンワも、原稿通りやでと。大声一発も、計画通りなんやでと。
要は、計画通り、原稿通りが我が方針やと。さもなくばの、話の途中で、語尾が、出だしが、縺れてしまうわと。話と話が、繋がらんよになるわと。

での、云うてる最中に、原稿のこの辺りかと。
オッとの、とととの、原稿は手にはしてへんでと。

手にしてたは、長男の結婚披露宴での、両家代表挨拶の時でして。
但しの、手にはしてたですが、見てへんでと。安全、安心確保の万が一のためと、持ってただけでして。
そもそもが、原稿を持って喋るが出来たら、苦労は要らんの、私め、自慢や無いけれどの、持つ手が震えるわと。震たら、アカンと、意識したら、する程に、ガタガタと。
持つ手が震たら、当然の原稿が震えてるわの、増幅してるわと。ワナワナの、誰が見ても、遠くからでも、分かるかと。
よって、持たんよにしてるです。

イヤイヤ、云うたら、我が母なるは、全くの反対でして。
度胸があるとするのか、怖いモノ知らずかの、ン十年の昔の事なれどの、我が従兄弟、母方、伯父の二男の結婚式には、謡(うたい)を披露したり致しまして。
当時とするのか、教室に通てたですが。
或いは、黒田節を唸(うな)ったり。

イヤ、正直、下手でして。
下手で、挙手して、飛び入りでも、何でも、やるだけ、大したモンとは、思うですが。
ホナラの私め、誰に似たかの、オヤジかと。
(10/11/17)


NO.85 二男の結婚式接近の話(3) 挨拶の中身の話

イヤイヤ、ホンマやでの、こんな時期、風邪はスッキリしいひんし。
要は、喉は痛いし、咳が出るし。鼻水もと。

熱が無いだけかと。
されどの、泣いても、笑ても、もお、間近の、名実共の、待った無し。
当たり前に、当のご両人、新郎新婦が一番に胸ドキの、ドキドキなれど、嬉しいが先行かと。待ちに待ってる日かと。

私にしたら、風邪は置いといても、モ、気迷いなんかは、してられへんです。
挨拶の文言をば、決めてしまわんとと。
何でも結構の、覚えるなら、覚えてしまうなり、してしまわんとと。
文面をば、プリント・アウトで、紙にしまして。声出し、朗読でも致しませんとと。同時に、方向性をば、決めんならんですが。
ソレが思うよに、出来てたら、苦労は要らんわと。

マアなあ、ええ格好云うて、長文にしての、ワザワザの、ミス、とちりの可能性を大にしてるよりは、出来る限り、絞り込みの、短くした方が無難やわと。
前回、長男の際も同様での、アレコレ、コレアレ、アレコレと、尾鰭を付けて、幅を拡げまして。思いっ切り、拡げて、結果、アカンなと。
息が、気力が、精神力が保たんの、何も、ワザワザの、危険性を増やすの事もあらへんわと。結局は、原稿用紙で、2枚にしたですがと。

2枚でさえも、気は動転の、ガタガタ、震えてたのにと。見掛けだけは、冷静でもや。
イヤ、別段に、声は上擦(ず)ってえへんかったし、とちりもしてへんし。所謂の、外見的になら、無難にお役目全うさせて戴いたですが。
日が迫りの、こんな余計な話は削除の、削除と、削除のしまくりのと。無難に、無難にの、ええ格好出来るの、云えるの、度量も、器量も、能力もあらへんわと。
我輩、誰と思うやの、シバケンぞと。

さりとての、減らし過ぎたでは、サテの、常套文句、台詞だけになり果ててもナと。
にしても、長男の時の、文言をば、読み返すに、上手にまとめたなあと、我れ乍らに感心致すです。
イヤ、原則、云いたいの事は、全部入ってまして。多少のユーモアも交えてまして。文言は、チャンと繋がってるしと。

イヤイヤ、そんな意味ならばの、アレコレ、コレアレ、アレコレと、削除しまくりの、簡単簡潔にしたら、出来るですが。
簡潔にし過ぎたら、背景が、分からんわの、第三者にはナと。
云うたら、第三者には、分からんでもええのかなあと。分かる、分からんの範疇もありましてと。かと云うて、ソレを全部説明してたでは、日が暮れるわと。

ソラ、余りに個人的な話もで。さりとての、元々が、結婚披露宴なるは、個人的なる行事でして。
我が方にしたら、先様、新婦側の親族の事は知らんし、先様の親族にしたら、新郎の事は皆目かと。
此度は、親族以外には、二人の共通の友達、学生時代のを招待故に、友人関係のみが、重々の、二人を承知での、私共より、数段に、詳しいの可能性大かと。
イヤ、詳しいわと。決まってるわと。

そんな話は結構の、最大では、遂に、8枚の原稿用紙になりての、コレはなあ。
アカンわと。
2枚がやっとの、我が知能では、とてもや無いけれどの、覚え切れへんわと。失敗、ミスするに決まってまして。
とは云え、最低限、コレはの、話もあっての、何とか、4枚、ビッシリまでには、抑えて来たですが。云うたら、半分までには、削減したですが。マダマダ、先が長いなあと。
半分には、無理がありましての、せめてもの、3枚にはと、思えどの、至難の技かと。

イヤイヤ、云うたら、我が妹の娘<姪>の結婚披露宴の際の、婿殿の親父さんの、挨拶は長かったゾと。
簡単には、こんなええ娘(こ)が、嫁に来てくれてと。更には、息子の小さい頃の、想い出話をと。
当然にして、紙、原稿を見乍らではあるですが。
変な話、手が震てえへんです。
ここらが、度胸とするのか、冷静での、私は、この事だけでも、凄いなあ、エライなあと、感心したですが。

私にコレが出来たら、相当ゾと。
案なら、山程あっての、苦労はしてへんわと。削除、省略に苦労してるわと。

早々にも、却下したですが。
名前の由来をと、考えた事もあったです。
二男は承知してるとは、思うの、むしろ、当世の、読み方の分からんの名前が多過ぎるの、我が息子共は、日本的、伝統的、名前を見たら、一発、長男か、二男かが分かるの名前でして。

コレに触れたなら、読み方の難しいの、名前のが居てまして。
皮肉に聞こえても拙いナと。
イヤイヤ、ホンマやでと。
名前なるは、一発で、覚えて戴けて、字も、聞けば、分かるのが一番でして。当世、余りに、奇妙なるのが、多過ぎてるです。この漢字で、そんな具合に読ませるかと。

アカチャンの名前の付け方の本を一度見たら、分かるの、変な傾向にありまして。殆ど、姓名判断の、画数を主にで。主には結構の、当て字を推奨してまして。
云うたら、親の名前から、一文字等々、明確に男女が分かるの根本的思想からは外れてまして。
よって、女性の男性化が、男性の女性化で、中性が流行るかと。

オッとの、とととの、当然に止めたです。
やるにしても、そこまでの話はツモリはしてへんかったですが。
あくまでも、名前の出所(でどころ)を解説したかっただけでして。当人にしたって、復習になるし、新婦にしたって、知って損は無いですが。

結婚披露宴での、挨拶に相応しいかとなれば、疑わしいかと。
さりとての、こんな話、あらためてのする場も無いですがと。子どもやあるまいにと。ではあっても、質問されたら、丁寧に返答するですが。

或いは、長男が結婚以来、結婚と出産が相次ぎまして。
例えばの、長男は平成19年<2007年>3月に。
その年の5月には、四国の姪が。
昨年の5月には、妹の娘<姪>が結婚での、姪は2人共に、長男出産。我が息子にも、一姫二太郎が誕生してまして。
加えての、この、11月8日には、四国の甥に二男誕生での、お目出度い話故に、触れよか、触れまいかと。
正直には、思案中でして。

ソラ、我が身内の話ばかりをしてたではナと。
そしたら、先様の事も触れても宜しいですが。情報乏しく、間違えたら、失礼やしと。
ホナラの委細構わずの、我が身内に絞っても宜しいですが。よって、思案の為所(しどころ)、気力、声力、精力があればの話になるのか。
どっちにしたって、構想的、最初の段階、出だしやしと。
やる、やらんは、しっかり、決めとかんと、挨拶真っ直中で、頓挫するわと。
ホナラの、止めるかと、気迷いばっかりしてまして。
(10/11/18)


NO.86 二男の結婚式接近の話(4) 最早、ここまでの話

オッとの、新婦の誕生日でして。
結婚式の直前かと。

オッとの、とととの、メール一発、おめでとうさんの、体調をば、崩さぬよにと。
云うてるの当人、私め、風邪でしてと。ハヨ、治さんとアカンなと。
とかとかの中身かと。

での、イヨイヨでして。
正直、マダ、コレにするの、鋭意決断の、文言、挨拶言葉は定まってえへんです。困ったなあと。
或る意味、想定だけはしまして。その場で、臨機応変もええなあと。
とは思えど、そのためには、相応の経験値、度胸満点、勇気凛々の、下地が要求されまして。私め、自慢やないの、皆目でして。

ホンマやでの、高がの、同窓会<中学校>の乾杯の音頭にしたって、手が震うのにと。
分かってるだけに、原稿用紙片手に、両手にでも、持っての、挨拶なんか、出来ませんです。
イヤ、上手なお方は、片手を、腕に添えたりでの、或る意味誤魔化してもいたはるですが。多分なら、震えんよにやろなあと。
イヤイヤ、ソレも手<方策>やなあと、思いはすれどの、私めは、アカンやろと。

での、上がらんよにの、秘策、秘伝ならばの、左手薬指を何度も握るですて。
ハタマタの、掌の真ん中よりも、若干の上辺り、結局は、中指、薬指の辺りを押さえる、刺激するで、緊張が解れるですて。
芸人が、出番での呪文で、掌に、「人」文字を書いて、ペロリと舐(な)めるの仕草にて、臨めば、大丈夫の説があるですが。結局は、この事かと。
掌の、ツボとして、「労宮(ろうきゅう)」の刺激とされてるです。

フウンの、イツか調べて、やったよなの。
イザ、本番にては、ソレさえ、忘れてしもたよなで、困ったモンやと。
ソレ程に中身は上がってた証左の、実際問題、イザの本番にて、呪文、秘策、秘伝が念頭にあらば、上がってえへんわと。

とかとか、余計な話をしてるの場合と違うです。
兎にも、角にも、挨拶文言をば、決めてしまわんとと。グズグズはしてられませんですの、4枚も、5枚にもなってみい。2枚なればこその、チラと見たら、分かるの、枚数多けりゃ、現在地が何処か探すに一苦労ゾの、迷子になってるわと。

明日の前日、<19日>には、長男一家が来るです。
来たら、孫娘、孫の相手もしてやらんとナと。嫌がらへんかったらの話ですが。マア、前回からは、3週間が経ってまして。マダ、3週間か、モ早の、3週間かと。

加えての、新郎、二男も、もしかしたらと。来るかもと。
何分の、詳細なるは、知らんですが。
諸般、新婦のお母さんが、前日に来られるとか、未定やとか。
来られるなら、場合が場合やしで、居てん方がの意向かナと。イヤ、知らんです。細かな話は聞いてませんです。
私なら、新婦のお母さんは、来てやらんとと。準備諸々の有るやろしと。誰であっても、男が居たでは、邪魔な事もありまして。

での、私めの方は、この期間の、個展の案内については、遠慮するとメール一発、しといたです。
こんな調子で、事での、諸般、諸の、諸々にての、気忙しくと。
正直なる文言でと。

オッとの、とととの、そんな次第での、云うたら、ホーム・ページに掲載のための、或る程度、まとまったの文面なるは、落ち着いての、考えてられへんわと。
よって、最早の、ここまでと、致すです。
落ち着いてからやと。

オッとの、忘れる処でありました。
新婦からの、返信メールでは、至って、体調、順調ですて。
ソレよりも、当日のお天気が心配と。
イヤ、数日前には、昼から、雨が予想されてまして。式は、昼一番からやしと。
オマケで、両家代表挨拶等々、宜しくやてえ。
オッとの、とととの、現在唯今では、当日雨にはなってえへんです。曇りかと。
(10/11/19)


NO.87 二男の結婚式の話(1) 忘れ物等々の話

そんな次第の斯くなるでの、ソラ、気忙しいです。
既に、23日<勤労感謝の日>となりての、終わったアトも、アレコレ、コレアレで、気忙しく。
気忙しいだけなれどの、まとまった事には、手が着かず。

での、結婚式の、前々日からは、明くる日の、母のショート・スティにで、準備するべきを揃えまして。嫁はんがですが。
ソラ、薬から、衣類から、歯ブラシ等々の、要は生活必需品一式でして。
持ち物の、チェック・シートに基づき、確認方々、記入しんならんです。余計なモノを持って行ったら、問い合わせがあったりと。
イヤ、何度かあるです。
母が勝手に、薬を持参してまして。先様から、電話一発、コレは何のと、こっちに聞かれても、分からんわと。

そんな事が無いよに、しんならんですが。
無事に、9時半頃にお迎えがで、出発でと。一安心やと。

そして、長男一家も、到着にての、荷物が一杯。孫娘と、孫が居たら、モ、万歳三唱状態の、目が離せへんです。特には、孫のハイハイで、移動の素早い事、早い事。
アっと、云う間にどこに行くやと。
大抵ならばの、階段でして。
階段を登るのが、好きでして。登れば、降りられへんしで、抱っこしてくれと、前歯が、上下2本ずつ生えて来てまして。その歯を見せて、ニと笑うですが。
イヤマア、前回から、日が経って無いのもありまして。慣れるが早いかと。

ソレはええけれどの、この状態になれば、両家代表挨拶の文言を覚えてるの時間がと。
イヤ、正確には、時間があっても、気忙しく。その気になれへんのやなあ。神経を集中させられへんのもありまして。
での、長男の嫁、曰くに、余裕がありますねえ。完璧ですかと。
オッとの、余裕があるので無く、諦(あきら)めの境地かと。さりとての、失語症以前の、挨拶途中で、立ち往生したでは、二男に悪いし、自分も恥やしで、最初と、最後の締めの文言のみは、シッカリとと。

或る意味、出だしと、締めの言葉さえ、明確で、スラスラなら、ダアレも中身は聞いてえへんしで、何とかなるかと。
とか、思てな仕方が無いです。
実際問題、原稿用紙で、4枚も、5枚も、やってられへんゾと。端折るにしたって、どこをと。ユーモアたっぷりで、話を進めるにしたって、気力が保たんわと。
イヤ、文言が多けりゃ、とちるの確率が高くなっての、呂律も回らんしと。

そんな話は結構の、寝た、明くる日の朝、9時半には、都ホテルに着かんならんです。着くに、安全を見るなら、8時にはと。
9時半に着いても、私ら、男は用事が無いですが。女性陣は、ヘアー・セットとか、着付けがありまして。そのために、早くに出発でして。

イヤマア、アレを、コレをの、息子の車、NOHAに詰め込みまして。
オッとの、とっとで、義姉からのケータイが、長男の嫁に掛かって来まして。何故かと、思いきやの、嫁はんのケータイを入れた袋が、荷物と一緒になってしもて。
取り出すに取り出せへんの、ケータイに掛かって来ても、分からんかったです。

での、用件なるは、義兄の靴がと。
要は、四国を出しなには、あった筈の、靴<正装用>のを、車に積み込み忘れですて。へえと。

イヤイヤ、イザとなれば、何かを、忘れるです。手落ちがあるです。
私なら、親族紹介のための、名簿。準備万端、宜しいです。
両家代表挨拶のプリント。準備万端、宜しいですが、果たして、喋る事が出来るかと。
アトは、喉飴、ハンカチ、ポケット・ティッシュに、ケータイに、小銭入れと、オッとの、忘れてならじの、タバコに、ライターにと。
コレを小物入れに入れまして。
オッとの、とととの、靴も、正装用のを、過日、先週、買い求めてまして。チャンと履いてまして。

イヤイヤ、孫娘の衣装も、準備万端はしてたツモリの、衣装だけでの、コレだけでは、寒いのではと。
イヤ、ナカナカに気が付かんし、昨夜、時間も時間で、姪<四国>に頼みまして。
こっちには、着いてまして。此度、宿は、山科のホテルで取ってまして。丁度、ソバには、大丸<山科店>があるですて。へえと。
私は、大丸の山科店なるは、存在そのものを知らんです。
どっちにしても、閉店前でして。適当なのを、宜しくと。
イヤ、良かったです。

そんな、あんなの、昨夜は、孫娘の衣類。
当日、朝には、義兄の靴がと。
されどの、靴となればの、朝から、デパート、靴屋は開いてえへんし、24時間営業の、コンビニにはあらへんわと。
よって、再度の調べて、無ければ、妹の婿のでも、借りるかと。

オッとの、とととの、妹の婿のを借りるの案は妙案で、結構なれどの、連絡は速やかに、してやらんと、あっちも、家を出んならんわと。
出てしもたら、間に合わんし、間に合うにしたって、あっちも、準備等々がある筈の、ユックリはしてられへんわと。

イヤ、我が考えならばの、四国からは、車で来てまして。荷物は多くとも、靴の有り無し程度はスグにも、分かるかと。再確認で、無いから、頼むと云われたって、妹一家が出てしもての、手遅れではナの、出来る限りの、先にと。迅速にと。
そんな次第の、嫁はんから、妹にケータイ一発、宜しくと。
結果、適当とするのか、寸法のがあって、持参すると。モ出ると。
スマンなあと。

イヤイヤ、ホンマやでの、そんなモンやと。
出るに、準備万端、整えてても、イザとなれば、アレが、コレがで、何かあるです。
買えばも、買うに、位置関係、時間帯もありましてと。
(10/11/24)


NO.88 二男の結婚式の話(2) モーニング姿の話

過日、11月23日。
韓国、北朝鮮の、境界線地点で、韓国の軍事訓練を実施。
北朝鮮としては、するなと警告にて、結果、北朝鮮が、韓国・延坪島(ヨンピョント)を砲撃しましたです。

島に直接の砲撃故、島は炎上、島民も数名が死亡。韓国軍にも、死傷者が出たです。
但し、北朝鮮軍の被害は発表されず。

にしても、民間人が生活してる場、島に、砲撃をするのかと。北朝鮮の考え方は、常軌を逸してまして。
されどの、コレが、一触即発の、戦闘状態一歩手前の最前線の姿かと。
日本国に、コレをやられてみい。右往左往で、済まへんゾの、韓国での、砲撃、戦闘を受けての、ア菅首相の、発言なるや、顔面蒼白の、事態を、「報道」で知ったの、情報収集に努め、あらゆる事態に備えるべく、官房長官に命じたですて。
フウンの、立場が分かって無いの、官房長官仙谷君が、国会答弁にて、「暴力装置」と云い放つの、自衛隊に何かさせるのかと。中身は希薄の、何にも無いです。

イヤ、20日に結婚式で、晴れての、夫婦となったの、二男と嫁は、21日から、新婚旅行に出てまして。
イヤイヤ、先は、オーストラリア故に、こっちには、関係無いみたいなれどの、大韓航空機爆破事件<1987年11月29日>がありました。
金賢姫(キム・ヒョンヒ)<48歳>が、工作員として、実行の事件でして。
気分爽快なる事件では無いです。
何にも、無くとも、心配やのに、類似の事をしやがってみいと。帰って来るまで、心配でと。

とかとか、心配の種は尽きぬの、その結婚式当日の話を致すです。
結婚式場は、「平安神宮」
披露宴は、「都ホテル」でして。
主たるの場所、ヘアー・セットに、着付けに、控え室は、「都ホテル」でと。
その、「都ホテル」に着いたが、丁度の、9時半に、一寸の手前かと。四国組も、横手玄関に着いた処で、ありまして。

での、どこに行けばの、二男は先に到着での、ケータイで、嫁はんには、4階の、「高砂」の間が、我々、「柴田家」の控え室になってるですて。
とは、聞いてても、現在地が分からんの、ホテルの従業員らしきのを捕まえまして。「寿」には、どんな具合に行けばと、問えば、エレベーターの場所まで、案内されて。
四階で、降りて、右に、右にと。さすれば、左手にありますと。ハイ、承知と。

マア云うたら、前回、長男の際にも、「都ホテル」で、結婚式も、披露宴も執り行おたですが。
あの時は、洋間やったですが。此度は、和室でして。
中には、二男が待機してまして。嗚呼、居たかと。
での、女性陣は、同じ階の、ヘアー・サロンとするのか、美容室に直行でと。
多分ならナで、「寿」の間に着いて、ホッと、一息ついての、周辺見渡せばの、男性陣ばかりで、女性陣が居てへんでねえ。嗚呼、あっち、美容室かと。

イヤ、和室でも、洋間でも、どっちでもええよなの、和室の方が、くつろげはするですが。どっちにしたって、親族、片側、約の、20名。
小さい組、孫娘、孫に、四国の姪の息子は数の内には、入ってえへんです。
とか、云うても、控え室はこんなモンかの、20名が居てるにしたら、狭いわと。精々が、10名ならナと。
での、大体が、お茶を飲むに、茶碗が、5個でして。ホナラの、5人部屋かと。
とは云え、女性陣は、美容室やし、それまでは、まあまあかと。
とととの、そんな次第での、タバコ組は、適当に一寸した、休憩場所的なるがありまして。灰皿も完備で、そっちにでもと。

そんな次第での、新婦の控え室は、廊下の向かい側にありまして。
過日、お会いしてるの、新婦の親父さん、お姉さん、妹さん、妹さんのご主人も、見掛けまして。
こんな場合の挨拶言葉はどしたモンかの、とりあえずは、お辞儀で、会釈の、宜しくお願い致しますと。

イヤ、実際問題、気忙しいです。
控え室には、私のモーニング一式が置いてありまして。新郎のも、ありまして。
新郎のは、しかるべくの、担当の方<年配女性>が、着付けに来られまして。
私のは、ホッタラカシと云えば、ホッタラカシの、適当に、モーニングの上下を着な仕方が無いですが。ズボン吊り<サスペンダー>なんか、し慣れてえへんしなあ。
委細構わずの、着替えをしんならんわの、されどの、ズボン吊りの要領不明の、ドギマギしてたら、義姉婿が、こするのやと、教えてくれて、嗚呼、助かったと。
ホカには、手袋、靴下、ポケット・チーフ、ネクタイまでが、ありまして。
コレなら、教えて戴かんでも、分かるわと。

イヤイヤ、モタモタも、ボケっとも、してられへんです。
詳細は知らんの、式は、昼の1時でありまして。されどの、11時45分頃には、ホテルを出発してくれと。
よって、最低限、ソレまでには、格好をしとかんとと。

ソラナア、タクシーに乗って、果たしての、この季節、観光シーズンで、「平安神宮」まで、スムーズに辿り着けるかが、問題なれどの、来しなの状況からは、思たよりは、混んでえへんでねえ。

イヤイヤ、ホンマやでの、「平安神宮」なるは、岡崎公園にありまして。
「京都会館」「京都美術館」「京都市勧業会館」「京都市動物園」等々がありまして。こんな時期に車で、この界隈に来たら、駐車場を探す、停めるに一苦労ゾと。
とは云え、餅は、餅屋で、タクシーの運ちゃんなら、道路状況を把握故に、近道とは云わんの、しかるべくと。

とか、タバコを吸い乍らの、休憩場所で、話をしてたら、新郎新婦が、姿を現しまして。へえと。
何をするのかと、思てたら、新郎が、「お父さん」と、私を呼んだよな、気がと。
での、そっちに行けばの、オッとの、姿を現しての、前を通過も、目と鼻の先の、至近距離では無いです。丁度、エレベーターがあっての、中から、「嗚呼、お父さん。」と。
云うてる間に、ドアが閉まりの、階下にと。

イヤ、何の事か、分からんでねえ。
イヤイヤ、何かの用事で、私を呼んだとは、思うの、何の用事かと。
での、そのソバの、ソファーには、四国の、義兄夫婦が居てまして。何か云うてたやろかと、尋ねたなら、一緒に来て欲しいみたいな事を云うてたでと。へえと。

こんな場合、下手に動けへんし。さりとての、下にと云うても、どの階に行ったか、見てへんかったナと。困ったなあの、誰かが、来るにしたって、着付け担当のと、新郎新婦と、新婦のお母さんが居てただけの、ホナラの、1階か、2階か、分からんの、多分なら、1階かと。
多分の、多分なら、新郎新婦は、結婚式を挙げるの、当事者故、一足お先に、出発の、私に伝言でもあるのかナと。

とりあえずは、エレベーターで、下にの、安全を見て、2階の様子を伺えどの、何にもあらへんしで、1階にと。
行けば、ホテルの正面玄関に、らしきの面々がと。発見即の、向かえば、新郎曰くに、一緒に、「平安神宮」に付いて来て欲しいと。へえと。
何でかとなればの、タクシーを頼んでるの台数の関係もあるですて。フウンと。
兎に角、一緒に行けば、ええのやなと。

しかるにの、新婦の、花嫁姿、白無垢姿を初めて見たは、その、4階のタバコを吸うてた間かと。
イヤ、二男が、「お父さん。」と、呼んだ際、チラとこっちをで、心持ち、お辞儀をしてくれたかと。
されどの、こっちは、何用かと。そっちに気がで、観賞してる間は無かったかと。
(10/11/25)


NO.番外 母骨折の話(1)

11月24日の、夜の、11時半頃。
又もやの、母、トイレから出て、ドスンと、転けまして。
諸般諸々、横着してるからでして。イツかは、転けて、骨折するゾと。
警告してても、知った事かの、口達者にて。

ホンマやでの、ソレ以前の、19日から、22日まで、「けやき」にて、ショート・スティに行ってたですが。
22日、帰ってスグにも、ベッドのソバで、転けまして。
長男一家も居てたですが。嫁が、大丈夫ですかの声で、馳せ参じれば、転けてまして。されどの、様子からして、骨折等々はして無いかと。
諸に転けたのでは無いですし。
足を動かせてみいで、動きまして。嗚呼、良かったと。

云うたら、孫娘、孫に相手してからに。
大体が、ええ格好し過ぎの、先にしかるべくの、用事を済ませてからにしたらええのにと。

オッとの、この時は、大丈夫やったですが。
イヤもお、杖で、脱いだ衣服を片脇に退けたりの、一寸なあと、丁寧に扱えばと。云うたら、片付けるのにと。
云うても、聞いて、聞かんフリの、聞こえんフリしまして。

そんな事も結構の、先の通りの、睡眠薬も、利いてえへんしで、反って、中途半端は危険やでと。
コレ又、頑と、聞き入れずの、毎日、確実に、夜の、8時頃には、請求での、飲みまして。
そして、11時半頃、寝惚け眼(まなこ)で、トイレにと。危ないでと、云うたって、大丈夫やわと。

そんな次第の、とおとお、転けまして。
様子を見たら、骨折してるは、医者で無くとも、分かるの、左の足が動かんわと。
ホナラと、救急車を呼びまして。
結果、再度の、再々度の、「亀岡シミズ病院」に運ばれまして。着けば、日も替わってまして。

私と嫁はんは、アトにくっつき、車で、病院にで、当直の先生<脳神経外科>の話では、レントゲンで見る限りは、大腿部が骨折の可能性がと。
専門医は、明日になりますがと。
そのまま、入院と相成ったです。
帰って来たら、2時やでと。
(10/11/25)


NO.番外 母骨折の話(2)

そんな次第の、斯くなるでの、結局は、落ち着かんです。
気忙しいです。
実質的、忙(せわ)しくもあるです。
そやけれどの、二男の結婚式が終わってからで、良かったです。
ホンマやでと。
前日、当日やってみい。目も当てられへんわと。
ショート・スティが決まってて、良かったなあと。胸を撫で下ろしてるです。こんな事がある故に、1人には、しとけへんのです。

での、明くるのとするのか、帰ったのが、夜中の2時やしナと。
それから、風呂にで、寝たは、軽くの、3時を過ぎてたかと。

イヤ、当日、母がトイレの前で、転けて、様子を伺うの、兎に角、歩けへんし、左足が動いてえへんし、動かせてえへんしと。
救急車を呼ぶかと、問えば、ども無いと。このまま、ジッとしてたら、直るわと。痛(い)ともあらへんしと。あのなあと。
確かに、完全に骨折してるかどかは分からんの、当人にとっては、ショックもあるやろしと。

イヤイヤ、別段にの、頭を打った訳では無くて。骨折してるにしたって、即の手術はして貰えへんしと。暫くは、様子を見てたですが。
ソラナア、嫌々するの、歳喰たアカチャンをば、強引に、救急車にもと、考えまして。
ホナラの暫くしたら、救急車はマダかやてえ。あのなあと。
呼んだんと、違うのかと。分かった。ホナラの、呼ぶかと。

とは云え、原則、「亀岡シミズ病院」が適当なれどの、当直医がと。電話一発、嫁はんがで、先の通りの、脳神経外科医でして。専門ではありませんがと。
ホカの病院となれば、様子がと。
変に遠くなら、こっちが大変での、救急隊員には、拝み倒してでも、「亀岡シミズ病院」にと、決心してたですが。

結果、救急車が到着にて、その辺りでは、足が痛い、イタイの、イタイイタイ病になってまして。
イヤ、痛く無いなら、我が車で、連れて行くの案もあったですが。正直、呼んで良かったです。
イヤイヤ、担架に乗せるに大変やったんやと。
ソラ、時間の経過で、気分も落ち着き、本来の痛さが出て来てたかと。

何度も、救急車には、来て戴いてまして。
救急隊員には、救急車のアトを付いて行きますと、伝えたなら、ユックリで宜しいですよと。理由は簡単の、アチラは、緊急車両故に、赤信号も突破が出来るですが。
家族であれ、保護者であれ、自家用車は、緊急車両と違うわと。
では、あっても、時間も時間で、既に、零時は回ってまして。思たよりは、早くに着いたかと。

でででの、当直の看護師さん、病室に向かうに、曰くに、知ったはるやろ、4階やしナと、母にです。
イヤ、2年前にも、入院してまして。ここ、「亀岡シミズ病院」には、何回目かと。常連客かと。

そんな次第での、母は入院にて、アトは、明くる日の、本日<11月25日>なれどの、起きての、朝からは、諸般諸々の、母の入院準備もしんならんです。
嫁はんがと。

準備も、手元に無いモノもあるしで、調達もしんならんですが。
での、マズは、「亀岡シミズ病院」に出向きの、専門医の、所見を聞かんならんです。
コレが又、駐車場が空いてるのかと。

イヤ、出向きの、病室、実は、満員のため、個室しか無くてねえ。それは当面、仕方が無いにしても、さて、担当医の所見はと。
病室に待機してたら、来られまして。
開口一番、手術は致しませんと。ンと。何でやろと。
とは、云うてえへんの、最早の歳故、手術は無理の意か、体力がと。

思たですが、引き続きの、骨は、折れてませんですて。へえと。良かったなあと。
ヒビが入った故、イタイ、痛いの、イタイ、イタイは仕方が無いの、要は、出来る限りの早急にリハビリをと。
当たり前に、痛みの緩和であるとかの、更なる、出来る限りの側面支援は致しますが、それしか出来ませんの、要は、ご当人様のやる気次第ですと。
へえの、フウンと。

イヤイヤ、手術になるなら、多分なら、再起不能とまでは、申さんの、動けん日数が出来まして。
結果、足腰の体力、気力、筋肉がと。現在唯今でも、怪しくての、多点杖を両手、2本で、移動してるのにと。

での、でででの、ナース・センターに先生と一緒に移動で、レントゲン写真を見せて戴きまして。
昨夜も見てるですが、専門外の先生と、専門では、所見が異なりましての、昨夜は、折れてるの可能性がと、仰ったですが。同じ写真で、折れてませんと。フウンと。
私共、ド素人の目では、ガバっと、口を開けての、折れてるの、写真に見えるですが。見えてるだけみたいでねえ。

での、そんな次第の、約1週間、様子、リハビリの状況から、先の判断を致しましょうと。
原則、入院は、2週間の予定であっての、完全に元通りは、無理ですと。
2年前の入院からは、2歳を加齢されてましてと。

骨のヒビの箇所も、当然にして、2週間やそこらでは、くっつきませんが、しかるべくの、間隔で、来院での、様子を見るしかありませんねえの、車椅子の生活も視野に入れて戴くの必要性もと。

オッとの、車椅子となれば、我が家では無理でして。移動が出来ませんです。
コレは、正直、そのままに伝えたならばの、しかるべくの、施設にも、予めの、頼む等々、そっちの準備もされた方がと。へえと。
イヤ、ハッキリとした、医者でして。
要するにの、完全に元通りには、ならないの覚悟で、検討してくださいと。
ソレも、コレも、万事、ご当人さんの努力次第ではあっても、歳も歳ですしと。

イヤ、重々承知が故に、母にも警告もし、介助もしてたですが。
ホンマやでの、2年前の入院の際の、リハビリにしたって、イタイ、痛いの、イタイイタイ病での、怠けた結果、足首が曲がらんよになってまして。
余計に歩き辛くと。

イヤイヤ、そんな事は結構の、個室も、延々は、費用の問題にて、困るし。担当医が、2週間を目安とされたら、1ヶ月かと。
洗濯モノ等々、日々の必要品もご用聞きに来んならんナと。
オッとの、コレより、1ヶ月先となればの、年末年始のヤヤコシイの時期やゾと。
(10/11/26)


NO.89 二男の結婚式の話(3) 白無垢の話

オッとの、そんな次第での、バタバタしてた。
とは、云えませんです。
気忙しいだけで、タバコを吸うたり、談笑してたり。談笑してても、気はあっち。

あっちとは、あっちで、次ぎには、何があるのかと。何をするのかと。当然にして、両家代表挨拶の文言なれどの、落ち着いて、考えてられへんです。
ソラナア、誰がするやの、女性陣が居てへんかったら、お茶の準備もしんならんし。居てても、しんならんし。茶碗の数は足らへんし。
云うたら、新郎新婦の親故、我が親族の招待者でありの、両家代表でありのと。オッとの、招待者は、新郎新婦なれどです。
モっと、云うたら、肝心の、招待状を戴いてえへんです。よって、正確には、控え室も知らんかったんやと。嫁はんは、聞いて知ってたとは思うですが。
私なんかは、又聞きでして。又聞きとなれば、ええ加減にしか聞いてえへんわと。
ソレで、無くとも、我が思考回路は、ええ加減でして。

ホンマやでの、居てたら、色々聞かれるです。
披露宴会場は、どこやったかなあと。知らんわと。
どんなイベントをやらはるのかと。知らんがなと。
長男の時には、披露宴会場は、見学しに行ったですが。見学とするよりは、諸般で、何度か行ってまして、披露宴会場は、ここやでと、聞いたですが。
此度は、見事なまでに、一度も行ってえへんです。
誘いが無ければ、行けへんわと。

イヤイヤ、料理も知らんの、長男の時には、一連のサービスの中に入ってたらしく。此度は、家族なら、半額等々の、特典があらへんですて。よって、料理の中身も知らんわと。
イヤ、長男の時には、4人が試食で、4種類の料理を注文の、新郎新婦は、無料故に、そっちを、上等のにしまして。こっちは、安いのをと。

されどの、気忙しいだけで、「都ホテル」は、長男の時に承知はしてまして。
但しの、結婚式場が、「平安神宮」だけに、移動があるだけに、要領が分からんがままに、新郎新婦が目の前<距離はありますが>を通過で、何やら、呼ばれたみたいでと。

結果、サッパリ、分からんがままに、エレベーターではぐれ、行かんならんみたいで、されどの、何階に行くかも分からんの、階下に降りて、運良くの遭遇にて、二男が曰くに、一緒に来てクレと。へえと。
来てクレとは、結婚式場の、「平安神宮」でありまして。
行くのは、ええけれどの、誰か、嫁はんにでも、連絡しとかんと、私が消えてたら、大騒ぎになるしと。
ソラ、原則、皆と一緒に行くの予定やったしと。

での、二男と一緒に車に乗って、「平安神宮」への道中、二男の説明も、ハッキリとは、分からんの、兎に角、車の台数と、人数の関係。並びに、一足お先にの、「平安神宮」にて、スナップ写真を撮るらしく。フウンと。
スナップ写真は、新郎新婦の写真やでと。
マア、云うたら、付添兼の、車の人数割りの調整かと。
新婦には、お母さんが同行ですて。ふうんと。

イヤイヤ、どんな経路で行くのかと、チラチラ、車外を見れば、要は、「都ホテル」を出て、三条通りを西にで、神宮道を北上やと。
ンの、成る程の簡単明瞭の、車も思てたよりは、少なくて。
イヤイヤ、このコース故に少ないとも云えるの、三条通りを、神宮道で、北上せずに、三条京阪の方に真っ直ぐに、行ってみい。大変ゾと。
ハタマタの、蹴上から、仁王門道り経由で、「平安神宮」も、コレ又、大変ゾと。

兎に角、車は一杯の割りには、上手い事、納得の経路で、「平安神宮」へと、向かいの、サテの、どこから入るかと、思いきやの、正面向かって、右手に、あったです。結婚式場らしきの雰囲気の場所、「平安神宮会館」がと。
イヤ、当たり前に、知らんわと。正面の、「応天門」なら、見慣れてるですがと。

での、でででの、車から、降りたら、新婦の車が先に到着での、当然にして、お母さんに、ご挨拶をと。
挨拶も、何を云うかの、考えてるの間もあらへんの、「お世話になります。」としか、云いよが無いわと。

イヤ、「お世話になります。」は、便利な文言やなあと。
柳田稔(56歳)元法務大臣なら、「個別の事案についてはお答えを差し控えます。」と、「法と証拠に基づいて適切にやっております。」
この2つで、務まってたらしいですがと。

オッとの、そんな次第の、白無垢の花嫁さんは独特の雰囲気やねえ。
イヤ、正直には、化粧が、一寸、下手かと。あくまでも、一寸だけの話なれどの、化粧は、ソレ屋、専門家がやってるですが。私には、不満な面がありまして。
彼女の良さが、モっと、引き出せへんのかと。

イヤイヤ、ソラなあ、長男の時には、ホカの花嫁さんよりも、こっちの方が、数段に美形やわと。イヤ、ホンマやでと。同じの、「都ホテル」で、「教会」式やったですが。余所の花嫁さんが、ウロウロとするのか、こっちが、ウロウロなれどの、沢山居たはったとするのか、見たです。
順番になら、次ぎの、四国の姪は、自宅から、文金高島田で、出たですが。イヤイヤ、良かったでと。コレ<この子>の良さが出てたかと。見違えたわと。

滋賀の姪の時には、比較対象があらへんでねえ。されどの、一世一代の、花嫁姿は、ええモンやと。
イヤ、四国のも、滋賀のも、ソラ、小さい頃、言語明瞭の、アカチャンの頃、オシメの頃から、知ってまして。見てまして。
歴史とするのか、現在に至るの過程を承知での、アレが、コレかと、ホンマかと。信じられんよな感覚が先行してまして。
親は、モッと、信じられんやろなあと、そっちが気になったりと。

ソラ、ソやでの、長男の嫁も、二男のも、そんな意味では、完成品の状態からしか、知らんわと。
云うたら、いっぱしの大人の女性になってからの、存在を知ったの、ソレも、長男のしかるべくのと。或いは、二男の、しかるべくのと。
出来た子は、我が孫になるのやでと。二男のは、これからなれどです。
この辺りの感覚が、摩訶不思議でねえ。

当然にして、我が子、長男、二男と結婚するに至ったが故に、親族になるんやでと。
有り体には、好きや、嫌いの云々の話と違うです。次元が違うです。
表現が難しいけれどの、我が息子と同等なんやと。もしかしたら、同等以上の存在かも、分からんなあと。
同等以上の存在ではあっても、小さい頃の事は知らんのやと。云うたら、存在を知った、その瞬間から、歴史を共有するになるの存在でして。
更には、双方にとって、親以上の存在になるのやなあと。

よって、しかるべくの、存在となった日より、なった日とは、原則、結婚以来としておくの、家族となりの、大切な存在になったんやと。
ソラ、健康を願い、幸運を願い、何なら、我が一命を賭してでもと。
イヤイヤ、ホンマやでと。
あっちは、あっちで、こっちは、こっちとなんか、考えてえへんわと。先様は、どか知らんけれどや。
(10/11/27)


NO.90 二男の結婚式の話(4) 平安神宮神苑での話(1)

イヤイヤ、風邪がねえ。
そもそもが、結婚式の直前には、喉風邪をひいてたですが。
町医者に薬を処方して戴きまして、治ったとは、云えんまでも、風邪も、当日は、咳は無く、喉が痛いだけでして。
よって、喉飴で、誤魔化してたですが。

遂にとするのか、昨夜から、咳や、コンコン、喉が、ガラガラ。声が完全に替わってしもて。
ソラねえ、1つには、二男の結婚式が、20日でして。21日には、四国組が滞在にての、ソラ、あんな時間に、帰れへんわの、車やでと。昼食でもと、長男一家も一緒に、「いづもや」にての、買い物もチラと付き合いの、以て、気を付けてと、サイナラしまして。
サイナラしたら、孫の腹帯を納めにの、「わら天神」さんえと。

一家は、22日に神戸に帰ったですが。
24日の夜の、母のドスンの、真夜中に、救急車やしナと。応急処置のみで、帰ったが、2時過ぎの、当日とするのか、明くるの日<25日>にも、入院先の、「亀岡シミズ病院」にで、結果、ヒビと分かったですが。
落ち着かん状態が継続してまして。

オッとの、困ったの、28日<日曜日>は、学生時代の同窓会なれどの、どしょかと。
過去、一度も欠席してへんですが、大阪、梅田、曾根崎警察署が集合場所でして。
正直には、一旦は、治ったかのため、処方して戴いたの、薬も、若干量、残してまして。ホントは、残さず、服用するべきなれどの、この薬、飲めば、眠たくなりましてねえ。
まさかの、結婚式当日等々、寝てられへんわの、多分なら、残余のを、全部、飲んでも、睡眠薬を加えても、神経高ぶりの、眠るは出来ませんですがと。

結婚式も終わりの、四国組も、無事に送り出せまして。
腹帯の、お納めも、出来ましてと。
風邪の事なんか、スッカリ、忘却の彼方の、よって、モ治ったと思てたですが。
26日の夕方辺りから、自分でも分かるの、時々刻々の、寒気がし出して、喉が痛くなるのの、鼻水がと。咳も出だすは、来たなあ、困ったなあと。
ソラ、明日の、28日<日曜日>には、同窓会が予定されてまして。
とは、云え、明日の様子を見るまではと。

斯くなる次第の、斯くなるでの、当日、本番の日、二男の結婚式の日の話やわと。
「神宮道」を北上の、真正面には、「平安神宮」の、「応天門」が見えまして。
オッとの、「神宮道」とは、「平安神宮」の、「神宮」でして。

云うたら、神宮道の、「唯」なるギャラリーにて、中学時代の同窓生が、個展を開いてるですが。
チラと横目で見たら、居てるナと。
イヤイヤ、奇しきご縁やでと。過ぎての、この週にも、会社時代のが、この、神宮道の、「青い風」にて、個展を開催してるですが。
こちらは、日展に二度まで、入賞してまして。

行く気はあるけど、どしょかと。
風邪引きにて、気だけがあっても、行動に移すの気が萎えまして。困ったなあと。

イヤイヤ、でででの、「平安神宮会館」に着きまして。
新婦の母上様に、「お世話になります。」と。
イヤ、開口一番ならばの、「宜しく、お願いします。」か、どっちかやと。

での、挨拶が済めば、アトは適当の、その場、その場で、臨機応変の、「コレから、何がありますか。」と。
「知りません。」と、返答されて、さもありなんと。
オッとの、カメラ・マンらしきの人が居たはりまして。ソレと、着付け担当の女性がと。

様子を伺えばの、兎に角、式までに、「平安神宮」で、スナップ写真を撮るですて。ええなあと。
イヤ、我々、母上様と、私は、写真には、関係無いです。当たり前の、常識的の、あくまでも、主人公は、新郎新婦でありまして。
私らなんか、居ても、居んでもでして。

オッとの、とととの、そんな話は結構の、誰が何の担当かの、私ら以外には、男性カメラマンと、着付けの女性と、モお一方の女性が居たはりまして。
何者かは、知らんです。
どっちにしたって、花嫁以外の女性、母上様を含めて、ええ歳でして。男なら、私がええ歳での、カメラマンで、新郎が当然に一番に若いかと。
オトトの、トットで、そんな話も結構の、誰が、何をも、関係無くの、兎に角、「平安神宮」の庭園、神苑をば、背景に、スナップ写真を撮るのでありまして。

ここは、有料<大人600円>での、参拝出来まして。
云うたら、当然にして、拝観者と一緒になるです。
イヤイヤ、行き交う面々、おめでとう御座いますと、声を掛けて戴きまして。
何やら、私めに、云われてるよでねえ。実際には、新郎新婦と、その関係者一同にで、私も含まれてるには、間違いは無いの、加えての、お目出度い事やわと。
とりあえずは、コレ又、会釈で、「有り難う御座います。」と、返事をしとかんとと。一々の、会釈で、返答をば、させて戴いたです。

での、新婦の母上様には、ここ、「平安神宮」には、新郎の、七五三の時以来かなあと。
ホナラの、母上様曰くに、返答するに、ここは、初めてですねえと。
さもありなんの、こっちでは、七五三は、ここでやるのですかと。
問われたならばの、こっちでとは、限りませんの、やってるの、神社なら、どこさんでも宜しいかと。例えばの、「八坂神社」でもと。
ちなみにの、我が孫娘、孫の、七五三、初宮参りは、「八坂神社」でしましたですと。
話簡単には、「平安神宮」境内に入るは、二十と数年ブリかと。
されどの、庭園については、全然の、記憶が無いです。
(10/11/28)