シバケンの単なる雑談NO.151
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目次
NO.1780 孫共乗せての、四国行き(7) 孫共元気の話
NO.1779 孫共乗せての、四国行き(6) 「霧の森大福」の話
NO.1778 孫共乗せての、四国行き(5) 孫共の水遊びの話
NO.1777 超の単なるの雑談(2) 続・町内会の「夏祭り」で、二等賞当たったわいの話
NO.1776 超の単なるの雑談(1) 町内会の「夏祭り」で、二等賞当たったわいの話
NO.1775 孫共乗せての、四国行き(4) 「霧の森」の駐車場代、無料の話
NO.1774 孫共乗せての、四国行き(3) 即の、「霧の森」の話
NO.1773 孫共乗せての、四国行き(2) 渋滞も無くの着いてもたの話
NO.1772 孫共乗せての、四国行き(1) 諸般の事情の話
NO.1771 古希、北海道旅行の話(17) 遊覧船で、カモメのジョナサンと、日本語聞けたの話
NO.1771 古希、北海道旅行の話(17) 遊覧船で、カモメのジョナサンと、日本語聞けたの話
さての、いよいよ、明日<8月11日>昼頃、出発と、相成ったです。
とりあえずは、神戸、長男宅に集合。
集合とは、次男家<3人>も、明日、神戸に行くと、するのか、来るです。
一泊して、12日の朝から、四国、香川、、仁尾、比地木に向かうです。向かうに、長男両腕骨折故、自分で、何も出来ず故、嫁も一緒にお留守番。
結果、長男家の、孫3人伴いましての、都合の8人、車2台で、四国行き。
当方、2005年以来でして。
区長時代、四国の義理父、亡くなり、葬儀に参列がためでして。
イヤ、自分の車で、運転で、四国に行ったが、でして。
それまでは、大体は、息子共、学生時代に、免許取得以来、自身が運転するが、次第、次第に少ななってね。
息子共、自分の車を所有するになりての、その車に乗せてもろての、四国行きが、通例と成り。又、道も、年々の整備され。整備は結構も、いつもの道とは、違うの道でと、成って。景色も違うし、目印もと。
そら、その当時には、高松道も、未完成が、完成と成り。
そもそもがの、瀬戸大橋も貫通して無い頃に、行ってたわと。近畿道も、未完で、上道行ったり、下道やったり、でして。
交通渋滞も、当世とは、桁違いの、よお、行ってたなと。今、思えばの事、なれどです。知らぬ道ばかりを走ったり。
当然の、フェリーにも、乗ったり致しまして。
考えたら、当方、若いもあるのけどや。
むしろの、行く道、経路、その都度、替えて、楽しんでたの傾向あったなと。今とは、大違いの、度胸もあったの哉と。
イヤ、道、間違うの危険性、殆ど、考慮してへんでして。
イヤイヤ、大幅に間違おた経験あらへんわと。
そんな事で、古希の、北海道旅行の話なれどの、本日、エイジ君より、「さっぽろ便り<札幌不定期便>」としての、沢山の写真を電送して来たわと。「Yahooボックス」にて、でして。
彼も、写した写真の整理整頓、編集、貼り付けに、大変やった、やろなあと。
こちも、その写真を、ダウン・ロードして。似たよなのは、中で、一番の気に入ったのに、選定、加工せねばの。加工は、基本、「HTML」版の、ホーム・ページに貼り付けるが為でして。
されどの、明日より、四国行き故、作業なるは、帰宅してからやわと。
での、「洞爺湖」の話。
一応は、大量の写真にも、ザと、ではあるけれどの、目は通したわと。
当方も、その光景、承知故に、嗚呼、こんな事もあったなと、懐かしく。既に、過去の話。でも、あって。
でや、兎角にエイジ君、ええ写真をと。ジとしてへんでねえ。又、そんな場所から、写真撮ってたの怪の、写真もあって。
ででや、遊覧船の中、船内、テーブルに座ってても、何がため怪に相成るわの。デッキに出てと。出たって、湖故、島なら、あるのけどや。島は、島。初めて、見るで無いけどや。
オッとの、ここ、「洞爺湖」なるは、初めてやでの、そもそもがの、初めての、ホッカイドーやでと。
云うてるは、島あるですが、島は島で、延々の見てるのモノで無くの意。
ンの、ジョナサンが、カモメが、カモメのジョナサンが、沢山、居てねえ。飛んでてね。
遊覧船にくっついて来るです。目的、えさを貰えるが故での、何ちゅうかの、「かっぱえびせん」を見せたら、見つけたら、取りに来るです。
イヤ、船内売店に売っててね。
ヒカル君、一袋買いの、カモメ相手にと、するのか、カモメに相手してもらうが為なれどの、投げたら、上手い事、ぱくり。
手に持ってても、ぱくりと。
口にくわえてても、ぱくり。
イヤイヤ、船も、相応の速度で、航行してるし、風も、結構強く。よて、そのバランスやねえ。アインシュタインの、相対性理論みたいなモンやねえ。
要は、船と、併走してるです。
併走してる故、目の前に、ぴたり。あるいは、えさ見つけたら、急旋回の、そちの方えと。あるいは、休憩のため、船の、しかるべくの場所に、停まったり。
してねえ。結構、楽しめるわと。
当方も、ヒカル君より、数個、もろてね。さすがに、口移しは、チョと、怖いし、止めたですが。賢いのカモメは、手で持ってても、その手にクチバシ、触れる事も無く。サと、取るですが。
イヤ、基本、指先などには、触れんのけどや。ガツンと、衝撃走るの事あって。
とかとか、やてる内には、出航した桟橋に、帰港して。
さての、ここで、記念写真でも、撮るかと。
出来たら、皆、一緒に写った方がと。
ほならの、誰かに、頼めば、ええのけどや。その誰かを、誰にと。周辺見渡せどの、アジア系外人ばかりでね。コマツタなと。英語で、頼んでみる怪と、冗談半分、本気半分以上で、話してたら、妙齢の美女。2人の、子ども連れの、女性なれどの。
よかったら、写しましょかと、声、掛けて戴きましての、瞬時、皆、ンの、えと。
その心、なるは、ここで、この場所で、外人に非ずの、日本人観光客に会えて、日本語聞けた。
しかも、流暢、綺麗なるの、日本語をや。
すかさず、ヒカル君、ここは日本やった。
女性もニコリ。
(16/08/11)
<参考=「単なる雑談NO.153」NO.1793 古希、北海道旅行の話(18) サイロ展望台の話>に続く。
NO.1772 孫共乗せての、四国行き(1) 諸般の事情の話
あちの話、北海道のは、マダの、マダマダの、続くのけどや。
まずは、四国行きの話をと。
での、四国行きねえ。
自分で、運転で、出掛けるは、2005年、当方、町内会の区長時代以来。
と、思てたですが、違うですて。
その時、義父の葬儀には、長男の運転ですて。とは、次男の話での、フウンのそ云われたら、そ鴨なと。
比地木には、当家、4人が、参列致し。
息子共、一緒なら、当方、運転してるの可能性僅少での。ンの、11年の昔故、息子共、当然の、独身時代での。
只、兎に角、忙しい、気忙しいの、時でして。
そら、大井町自治会の行事の時での、準備がなと。諸般、事情、誰とは、申さんのに、云うてるのに、手伝おてくれんでねえ。
そんなに大層なるの、用事であらへんのにや。
単に、町内会のテントを出して、しかるべくの、取りに来た方に、渡すのダケの用事でして。そのテントを行事に使うの故で。
結果、出るの間際に、会議所の倉庫に行って、出して、手渡して。即の、四国、香川、詫間の、比地木えと。葬儀に参列の、終われば、即の、取って返して、帰宅で、即の、行事会場えと。
会場なるは、大井小学校校庭でして。そこに、全町内会の、テントを出してて、その後片付けでして。後片付けしたら、こちのテントを持ち帰るになるですが。
大きなテントなんか、普通車には、乗らんしなと。近在の町内会区長に頼みまして、我が町内会のも、運んで戴いて。
とかとか、大変やったんやと。
でや、結果的、どちでも、ええと云えば、ええけれどの。2005年が、長男の運転ならばの、当方運転で、四国行きなるは、17年、18年の昔に成るんやなと。
その当時に、「瀬戸大橋」あらへんし。「明石大橋」「鳴門大橋」なら、あったですが。「高松道」が、「近畿道」もあらへんわと。
いやなの、「高松道」を使うと、国道11号線を走らずで、景色、景観、全くのと。
大体が、「高松道」降りるの、「鳥坂<とっさか>」からして、承知してるの、国道の、「鳥坂」とは、場所違うわと。
そんな話は結構の。
神戸長男宅に寄り、孫共3人、預かっての、四国行きでの。
理由、長男、両腕と、するのか、骨折にての、当然の運転不可。ならばの、長男のみ、お留守番させての、嫁も一緒にと。
なれば、当方、運転せずに済むのけどや。まだ、一人では、諸般、自分の事、出来ずと、申す故。嫁、介護士、看護婦役での、まあ、はきりと、仕方が無いなあと。
自分の車で、運転でと。
そやけどなと。
要は、道が、細かな道がや。分からんでねえ。従前とは、経路が違う故での。ンの、経路は一緒なれどの、自分の運転では、先の通りの、十数年、二十年近くは、運転してへんでねえ。何分の、当方、地名、人名音痴で、真性、純正、方向音痴で、音楽音痴を自認。
おまけで、カー・ナビゲーション装備して無くて。オッとの、戴きモノの、ケータイのは持参するのけどや。
親族の、住所なるは、皆、登録もしてるわと。してたってなの、余り使てえへんでね。
いやなあの、これを、ダッシュ・ボードに取り付けるですが。振動に寄り、ポトリと、落下するです。難儀やなと。
そんな話も結構の。
8月11日、何故か、祝日での。何の日哉と。ンの、「山の日」ですて。へえと。そんな祝日あったの怪の。ン、ンの、当年<2016年>からですて。へえと。
そら、知らんわの、山で無く、海に行くになるですが。
オッとの、11日、そのものは、長男宅での、海でも、山でもあらへんわと。
でや、要は、11日、次男一家も、神戸、長男宅に来ての、明くるの、12日朝から、出発と、成っててね。
孫共3人の内、2人は、当方の車に乗せて。1人は、次男の車えと。これで、4人、4人と、成るは結構も。
これがや、3人共々、次男の車に乗りたがてね。
理由、よお、知らんの、孫君3号が居るからか。叔父、叔母が好きなんかは、聞いてえへんわと。
どちにしたって、孫娘、孫君1号の、チャイルド・シートなら、簡易式でして。孫君2号のは、しっかり型故、とりあえず、孫君2号が、移動なら、チャイルド・シートまでを、交換しんならんのやと。
軽いモノ故、構わんのけどや。一々の、邪魔臭い事。
とかとか、11日の昼から、当家、出発して、長男宅で、1泊するも、そらなの、目的地に、一気には、概ねの、300キロでして。
最近、そんなには、車での、遠出してへんでね。
精々が、長男宅の、100キロやわと。
それもありの、長男宅が中継地点でもあって。どちみちの、孫共も預かるになるしの、余裕も見てと。
そらなの、当方、二十年近く、自分の運転では、四国え行ってえへんでね。
何度でも、申すの、毎年、毎年、行ってても、息子共の運転やわと。ましてやの、道中の、景色、景観、すっかり変貌の。ましてやの、孫乗せて、行くは、責任重大ぞと。
これ又、慣れてえへんわと。一昨年<2014年>、孫娘を夏休みの一週間、預かって以来やわと。
ほんまやでと。
正直には、遠出慣れて無いも、嫁はんと2人なら、一気、100キロでも、200、300キロでも、400キロでもや。別段にと。
されどの、孫乗せては、チョとなと。
運転も、慎重の上に、慎重にと、相成るわと。
次男も大変やろなあと。後続車、当方の、カローラでして。12年選手に成るの哉の、車やわと。
そもそもがの、車一台なら、右に左にの、鬱なるの、車が前、走ってたら、追い抜きの、自由気儘の、好きなよに、運転出来るのけどや。
追い越しも、諸般の状況、観察、判断してからにと成ってね。
そんな話も、結構の。
云うたら、当方、7月21日から、24日には、同窓生ご一行様の、古希を記念も異なれどの、学友に会いに、北海道え。
そして、月変わって、8月11日から、14日までが、四国行きと。
本州から、北海道、四国の、島に行くに成るなあと。まあ、結構なれどです。
そしてや、行ってるの真っ最中、ケータイに、メール一発着弾の。
中身、10月23日<日曜日>に、中学生時代、3年2組の、古希の、同窓会しやへん怪の。幹事と、するのか、案内状作成方々の世話お願いがと。
(16/08/17)
NO.1773 孫共乗せての、四国行き(2) 渋滞も無くの着いてもたの話
中学校の同窓会の話。
なるは、我が家に戻ってから、マサヒロ君にケータイ一発。
その手、メールが届いた怪と、尋ねたならばの、概ねの事、決まってるですて。フウンと。
要は、それを、同窓生に連絡の手間と、するのか、文面作成で、往復葉書で、出すだけですて。フウンと。
イヤ、そこまで、決めてる、決まってるなら、当方、いつもの事故、その程度の労、取っても宜しいと。で、決まりでして。
その詳細、中身なるは、別途、葉書にでも書いて、出すですと。フウンと。
いやね、話なるは、一昨年。
この時には、母の事で、当方、同窓会には出席出来ずの、欠席でして。只、案内状だけの労取ったですが。その時の同窓会にて、古希を記念しての、どこかえ、一泊しての話、なるが、出たらしく。聞いて、へえと。
いやね、我々の世代、当たり前の男女共学やしなと。中学校の、やしなと。
大学の理工学部なるは、当時には、男子の牙城での、女子なんか、ダアレも居てへんわと。正直申しの、女子が、云うたって、古希故、爺様、婆様なれどの、そらなの、気ぃ使うわと。
大体が当方、口下手、大人しいの方で、話題貧弱、気の利いたの話なんか、殆どしませんでして。
オッとの、多少のアルコール、ビールの一杯、ほんとの一杯だけやけどの。下手に、二杯も飲めばの、気分悪なてもてね。どもならずの、今度は、急に大人しくなてもての、精々が、周囲に気ぃ使わせんとこと、席外したり、トイレに行ったりでして。要は、気分悪くなるを、一人、個室、トイレ等で、落ち着くまでの、時間稼ぎしたりして。
でや、一杯程度なら、適当なるの、ホロ酔い加減での、能弁になるのけどや。
ででや、大体は、中学の同窓会も、出席するは、決まってて。
且つは、亡くなってもたりで、年々の人数、少ななて来てね。ここ数年で、承知の範囲、女子で、1名、男子で、1名。
60代で故、早いなと。
とか、云うたって、男子1名なるは、恒例の同窓会に参加した事、あらへんけどや。
イヤ、こいつ、優秀なるの、京都大学経済学部やったんやでと。中学、高校は、同じで、大学生時代までは、近所やし、親友でして。卒業で以て、東京さ、行ってもてね。
オトトの、そんな話は結構の。
要は、マサヒロ君から、しかるべくの、決まった事、書いたのを、送ってもらわん事には、事、進まんわと。云うたって、彼の勤めてた先の、京都のホテル<リーガ・ロイヤル・ホテル京都><旧京都グランド・ホテル>の、地階の、中華料理屋で、昼食を、ですて。話、全然の違うけれどの、結構なると。
イヤ、一泊云々消えてるですが。消えて、結構なると。
でや、ででや。
四国行き、嫁はんの、里帰りの話をと。
いやね、長男宅にて、全員、一泊して。
しかるべくの、朝食喰ての、朝一番。しかるべくの、車に乗って、イザの出発。
いやね、孫娘は、概ね、大人しいのけどや。孫君1号、2号なるは、五月蠅あて。口喧嘩したり、何したりの、コマツタやつやなと。
お腹が痛い、寒い、暑いの、色々云うて。
ンの、お腹が痛いは、オシッコ怪、うんち怪と。違うと。
ほなら、何や、お腹が痛いは、ど痛い。我慢出来るの範囲か、家に戻る怪と、問えば、戻らんでええ。
要は、次男の車に乗れんが、気にいらんのや。
コレも、結構、原の立つノリでね。原辰コ君は、巨人の監督卒業したですが。大体が、こいつ、次期、4番打者を作らず、育てずでの、監督として、不合格、最低でして。大嫌い。
高橋由伸現監督が可哀相でね。現時点、2位で頑張ってるですが。
オッとの、何の話、してるの怪の。
とりあえずは、淡路島経由で、「明石大橋」「鳴門大橋」から、「高松道」えと。道中、適当なるの間隔、時間で、トイレ休憩、たばこ休憩したりして。
での、案外に、案外にの、道中、コレと云うよな、渋滞あらへんでね。
「高松道」に、入った辺りで、ど哉と、危惧してたですが、全くのと。そらなの、この季節、お盆。そして、正月なり、5月の連休なら、多少のと、思てるですが。
とろとろ運転になるの場面無く。へえと。
モ一発、そらなの、この季節故、車は、多分なら、いつもよりは、多いのやろと、思うのけどや。この季節で、この程度なら、普段なら、超の閑散ではと。
勿体無いの道路なれどの、これがあるのお陰様で、所用時間も大幅なるの、短縮出来てるわと。
過年ならばの、一日仕事でして。早朝に家<亀岡>出て、里に着くは、ややの、薄暮の頃でして。
そらなの、フェリーも種々のあるのけどや。東神戸から、高松なら、それだけでも、5時間でして。乗るに待ち時間もあるし、なと。
そもそもがの、乗り場までが、時間も掛かるわと。高松に着いて、そこから、里までは、概ね、1時間掛かるしと。
でや、ででや。
これと、云うよな、渋滞無くての、結構なるも、着くの予定、昼頃の筈が、ど考えても、11時までには、着いてしまうの状況でね。
ある意味、コマツタなと。
イヤ、昼飯どするやの。
そこらで、適当も、早過ぎるわと。
嫁はんなりから、姪に、打電、ケータイにての、連絡取ってたですが。諸般、それなら、真っ直ぐ、こちに来たらと。
行ってどするやがあるですが。
とりあえずは、来いと。
来て、荷物、下ろして、皆で、昼飯喰てと。喰て、川で、足でもを、漬けに行く怪と。
ンの、前半理解も、後半の話、よ分からんのけどや。
まあな、当方の立場、云われるがままの、付いてくしか、仕方あらへんわいと。
(16/08/18)
NO.1774 孫共乗せての、四国行き(3) 即の、「霧の森」の話
いやね、仁尾の義姉家の200メートル哉の。
離れた所に、その長男家の家あって。まあ、云うたら、味噌汁の冷えぬ距離。
イヤ、義姉家に荷物、持ち込めば、当方の車は、そこの駐車場に置きまして。置くに黙っては、置いてえへんぞの。一応は、ピンポンのパンの、呼び鈴鳴らして、「柴田です。」と、名乗って、車置かせて頂戴なと。インターフォンの向こうからは、嗚呼、こんにちはの、どぞと。
出て来たの、義理の甥には、久しぶりやねえと。この辺りで、ええ哉と。ンの、まの、結構ですと。
事のついでに云うておく。
当地、四国、香川の、仁尾の、義甥宅に一旦、車を置いたからには、当方、最早の、運転する気、あらへんわと。
オッとの、必要ならばの、運転と、するのか、車出すけどや。まあ、無いやろと。
ここでは、義姉夫婦で、2台。姪1台で、甥夫婦で、2台の、要は、大人達、5人で、5台所有してるです。
当家より、と、するのか、京都からは、2台で、8名様でして。長男夫婦が来て無い故で、次男のは、7人乗りの車やしと。
要は、1名様、姪の車に乗せてもらえば、事足りるわと。
での、着くや否やの、ではと、まずは、昼飯で、近在の、「ゆめタウン三豊」えと、向かいまして。
そこには、この所、来る度、行ってましての。ショッピング・センターでの、モール街と、でも、云うの怪の、当世流行の、大型スーパー。
「ゆめ」とは、「夢」と、思てたですが、「YouMe」で、「貴方」と、「私」の意。との事での。まあ、どちでも、ええけどや。
京都には、あらへんわと。
イヤ、駐車場が広おてね。結構なると。沢山駐まってての、余計なるの話、儲かってるやろなあと。
ででの、余計なるの話。
でも無いの、出掛けたは、当家、8名様と、義姉婿殿、その娘<姪>と、その息子の、総勢、11名様での。
当方なら、「ゆめタウン三豊」の、「はなまるうどん」で、うどん喰て。婿殿の奢りでね。
その他の面々、個々人好きなのを適当にで、さての、ここからが、足でも川に漬ける怪の、何の事やら、さっぱりの、分からんがままの、当方、次男の車に乗せてもろてるだけの、気楽なるの身分での。
そらなの、正直申すの、諸般、疲れてるわと。
孫共、預かり、四国行きでの、事故ったら、事故られてもや。あかんやろな。ましてやの、当地になら、毎年のよに、出向いてるですが、そこの家なら承知も、細々、周辺知らんわい。
「ゆめタウン」にも、過去、2度、3度、来てる、行ってるのけどや。一人で、行けとなてみい。迷子、迷爺になてまうわと。二度と、義姉宅に到達出来んわと。
でや、ででや。
高速で、二十数分哉と、云うてるの、「霧の森」なるは、何じゃらほいの、皆目の知らんわと。
川が云々故、川があるのやろ怪の。何故にそこえか、知らんですが。云うたら、孫世代に、川遊びでもと、考えて呉れての事やろと。
そら、ありがたいけれどの、それ前提の上での、くどいけど、疲れてるわと。とも、云えへんしと。
例年ならばの、一旦、仁尾の宅に到着にての。当方、運転せずともの、ごろりと、ひっくり反って、寝てるわと。
そらなの、運転せずとも、疲れるわい。運転せぬ故、疲れると。とも、云えるけど。そらなの、暇やし、迷走、瞑想、夢の世界に旅立つも出来ず。
運転手に悪いわと、思うが故での。これも、結構、しんどいわと。
されどの、乗せてもろてるは、気楽やねえ。何も考えずに済むわと。
での、いやね。
再びの、「高松道」に突入の。そこから、何ちゅうかの、愛媛に入っての、「高知道」えと。
当方的、フウンの、高知に行くの道路、高速が出来てるんやなと。知らなんだなと。
そして、「四万十川」方面の標識見える故、もしかしたら、もしかしての、まさかの、四万十川にまで、行くのやろ怪と。まさかなと。
イヤイヤ、高速なら、早くに行けるのかの、どち方面か、さえもがの、距離感、皆目の分からんのけどや。
云うたら、四国の川。ともなればの、四万十川。しか、知らんわと。
とも、云えるですが。それ程に、当方でさえが、反射的に出て来るの、承知してるの、高名なるの川での。されどの、まさかなと。
そのまさかの、道路標識では、四万十川、高知の名が、時々の出ててね。
フウンの、高知に入ったの哉と。
そもそもがの、高知、土佐の、「播磨屋橋」になら、それこその、当方、20代の頃、会社、ロームでの、後輩、2人との、3人にての、我が愛車の、HONDAの、「Z」で、来た事、あったわと。
そやけどなの。
ここだけの話、でも無いの。びくりしたわと。
どこや、どこどこと、探してるの間に、過ぎてもてね。
話簡単、大きな橋、長い橋。と、思てたが、超の短い、小さな橋で。あち向いて、こち見たら、ンの、さっきのが、彼の有名なるの、歌で、歌われてるの、「播磨屋橋」やったん怪と。
やったんやと。
イヤ、それで、納得もしたけどや。
来て、見て、分かるわと。
にしたって、云うとくの、半世紀と、までは、申さんの、カー・ナビゲーションなんか、陰も形も、スマホは勿論の、ケータイも、パソコンも、無いの時代やでと。
何を頼りにかと、なればの、四国の地図帳一冊。まあな、ガイド・ブックも持参してた鴨なの、程度やわと。
オッとの、「播磨屋橋」を見に行ったであらへんわの。足摺岬、でも無いの。何やったの怪と。
宿泊したは、愛媛の旅館と、思うの。誰とは、申さんのが、近く、云うても、遠いけどの、「柏島」があると。云うてもたらの、その、「柏島」が姓のと、モ一人は、田中君でして。
云うたって、今更の、ロームでもの、承知の面々なんか、僅少哉と。
での、何の話、してるの怪の。
その、「高知道」の、「神宮」ICで、降りたの哉の。「四万十川」に非ずの、「馬立川」なるの、川の畔。
オッとの、「馬立川」なるは、この時、初めて知ったの川やでと。
(16/08/19)
NO.1775 孫共乗せての、四国行き(4) 「霧の森」の駐車場代、無料の話
先刻の話。
会社に入社しての、3年、4年してから哉の。
土佐の、高知の、「播磨屋橋」をチラと見た時の話やけどね。
旅館は、愛媛の方と、記憶してるですが。ここで、柏島君、曰くに、四国、愛媛には、「柏島」なるの、島あると。
での、よ、考えたら、この話、四国えの旅なるは、当人、柏島君発案であったよなと。
ででの、ついでの話の、四国には、当時、それが、二度目でね。
一度目、学生時代、3回生の夏休みであったの哉に、四国、愛媛、宇和島出身のが居てね。里帰りするに、一緒に来る怪と。との提案あっての、何人かで、そやなあと、同行。気楽やねえ。
金も無いのになと。但し、宿泊なら、その学友の実家で、宿泊代、いらんしな。要は、交通費主体の旅行での。
その同行者、誰であったの哉の、多分なら、北海道旅行にも、一緒の、ケンイチ君、ヒロシ君と、当方の3名と、記憶してるですが。
当然の、宇和島出身の、フミオ君も、でして。
当然の、当然乍らの、半世紀の昔故、瀬戸大橋なんか、陰も形もの、宇野から、高松には、国鉄の列車がそのままに、フェリーに乗って。
乗客は、下ろされ、デッキに出たですが。多分ならの話やでの、その辺り、イヤ、列車までが、フェリーに乗ったの話なるは、定かで無いけどや。
それが、当方、初の、宇高連絡線でして。確か、ブルー・コメッツの、「ブルー・シャトウ」が流行ってた時での、皆で、歌たの哉と。つでになら、フォーク・クルセダーズの、「帰って来た酔っ払い」も、流行ってたよに思うけど。
とか、云うたって、当世、「ブルー・シャトウ」「帰って来た酔っ払い」なんか、通じるの怪と。
でや、高松駅からは、予讃線に成るですが。ハタと、気が付けば、牽引してるは、汽車ポッポで、へえと。
当時、予讃線では、汽車が現役で、走ってたんやでと。
ででや、トンネルに入ったら、煙が、もうもう、車内に入って来てね。びくりして、窓閉めたですが。
そこでや、フミオ君は、下にか、上であったの哉の。上なら、お姉さんで、下なら、妹さんになるですが。2人の姉妹が居たはって。
イヤイヤ、何を隠そおの、隠す事も無いの、美人姉妹でね。
フミオ君の話では、ミス宇和島ですて。へえと。
確か、ポスターも見せてもろたよな、記憶あるですが。
でや、ででや、その姉妹と、我々4人で、トランプしたりして。
この時代には、人数集まれば、トランプするが、常でして。ポーカーとか、ナポレオンとかや。ルール統一するに、苦労したけどや。
オッとの、忘れてならじの、フミオ君の親父様、学校の先生したはって。加えての、家、綺麗と、するよりは、新築、出来たての、ホヤホヤと、見たけどや。
ついでになら、その親父さん、お母さんは、居たはったの哉の、記憶に無くて。我々が寄ったの時の話やでの。
そして、明くるの日には。とするのか、家、海岸線でね。
ボートを借りて、コレ、家のボートであったの哉の。離れ小島に渡って、テント張って、一泊したと。
との、話なれどの、当方、ボートは記憶鮮明も、小島に渡ったも、記憶あれどの、テントで一泊、全くの、記憶に無く。
当たり前に、我々4人での話やでの。その姉妹が弁当作ってくれたは覚えてるわと。
イヤイヤ、海流に流され、流され、すぐの、そこの島になかなかに辿り着けんでねえ。焦ったも、覚えてるの、されどの、当方、河童でねえ。焦ったは焦ったけれどの、全然の、イザとなればの、泳いで、でもと。云うたって、他のが、泳げるの怪と。
話、全然のズレるですが。
この、フミオ君も、卒業以来、会おてえへんでね。
一度、夫婦で、大阪に、来たらしいけれどの、その時、数人で、会うよな話あったけど。当方、諸般の仕事あっての、大阪にまで、行けへんかったわと。
そんな次第の、斯くなるでの。
オトトの、ついでの、ついでの、又、ついでの話ならばの、四国、香川、高松にも、学友居てるです。「栗林公園」の近くと云うてたですが。
四国電力で、原子力関係してるのが、でして。
これなら、大阪、梅田での、同窓会に、一度来て、会おたですが。二十数年の昔やでと。
「北島」では無いけど、「三郎」でして。
こいつの事で、記憶してるは、何の時であったの哉の。1回生の時、三条京阪の、「日昇館」で、宴会あって。
旅館やしなと、宴会前に、風呂入ってね。酒飲んでね。
当時の当方でも、そら、あかんやろの、知識あったですが。構わん、構わんと、飲んでもての、嗚呼、天井回ってると、倒れてもてね。
ンの、コレ、新入生歓迎会、やったんやろかの。特段の、クラブ、同好会等々になんか、所属も、入部も、冷やかしにも、行ってえへんかったですが。先輩学生も、数人来てて。
ン、ンの、もしかして、もしかしたら、学園祭の、打ち合わせやったの哉と。
当方、兎角に幹事役頼まれましての、1回生、2回生では、「善哉」の店、やったなと。元々が甘党故。当方、やるなら、そ、成るわと。
とかとか、「霧の森」とは、無関係なるの、話なれどの。
当方からしたらの、高知となれば、土佐で。土佐となればの、「播磨屋橋」で。
とりあえずの、四国と、なればの、宇和島なり、栗林公園とかが、フと、頭をかすめるわと。
そこで、「霧の森」に接近の。
既に、道中、道の片側、川。反対側、山での、その山際には、車が駐めてあってね。
様子からしての、相当なるの、人数、来てるなと。どんな場所、様子かも、知らんのけどや。
での、駐車場あっての、2百台程度、駐められるの、場所なれどの、空きが無く。
探せば、あったが故、車2台、運良くの、駐めるが出来たですが。
ここらは、ええなあと。何分の、駐車するに、駐車料不要。要は、只、無料。ご自由にと。空いて鱈なと。
(16/08/20)
NO.1776 超の単なるの雑談(1) 町内会の「夏祭り」で、二等賞当たったわいの話
よ、考えたら、学生時代。
そして、就職してからも、よ、遊んだなと。
そらなの、学生時代なら、真性、純正の、貧乏学生やったのにと。
教科書も買えずで、授業だけ、受けて。教科書なるは、前期か、後期の、試験直前、徹夜のアルバイトして、買うのつもりが、今晩のおかず代あらへんし、金貸せと。
とは、母からでして。
その事、云わずに、フンと、二の返事で、千円札一枚、アルバイト代、全額手渡したわと。
結果、その課目、どであったのかは、忘却のと。
多分なら、下宿してるのやつ、桂離宮の方に居た、アキノリ君のところに行って、一緒に勉強しよと、出向いたの哉と。
イヤ、留年せず、卒業してる故、最低の、「可」でもを取ってる筈と。
そんな事なら、当方、殆どの課目、「可」であったの鴨と。そらなの、実入りのええアルバイトあれば、授業よりも、そち優先。
オッとの、出席回数も、採点の内に入ってたの哉の。半分以上か、それ以上かは、忘れたですが。最低限の、出席なら、してたわと。
まあな、とりあえず、留年せず、成績最低も、卒業出来たらと。
イヤイヤ、云うとくの、超の真面目な学生やったわと。
遊ぶったって、ゲーム・センターとかには、足運ばずの。まあな、パチンコなら、してたのけどや。当時には、1箇、1箇、入れるの式のでね。
結構、強かったと、自負してるの、負け、負けの、負けてばかり。
では、足なんか、運ばんわと。熱くなる程、なれるの資金力あらへんわいと。一定額、負けたら、止めと、決めててね。
その辺りの、意思強固。
オッとの、何の話、してるの怪の。
実は、本日、町内会の、「夏祭り」でして。
例年なら、ビールは、生。焼きそばなら、役員<組長>が、その場で、焼いてと、成ってたですが。昨年より、生で無く、缶。
焼くので無く、溺愛。イヤ、出来合いのを、出すだけになっててね。フウンと。
ここだけの話の、手抜きもええとこやなと。
少なくともの、当方、組長したの、一昨年には、生で、焼いてたわと。当方、焼きそば担当でね。雨降る中、テントの際、濡れるの方で、頑張ったわと。
それでや、皆、会うの面々、口々に、缶やて、出来合いのやて。
手抜きもええとこやなと。聞かされ、云うたりもして。正直、評判悪いわと。
そらなの、当方、下戸でも、生なら、チョと、一口でもと、自分で買いにも行くのけどや。缶なんか、なと。
されどの、「おでん」は予約制で、嫁はんと、2人分、注文してての、晩ご飯の、おかずにして喰たですが。
その際、缶ビールも1個、買い求め。イヤ、嫁はんには、そのよに、頼み。ついでにと、餃子もなと。但しの、「王将」の、なれどの。「王将」のなら、上出来でして。
でや、顔出したら、一昨年の副区長居てね。やあ、久しぶりやなと、声掛けたら、「柴田さん、コレ、飲みいな。」と、缶ビール呉れて。イヤ、下戸故、いらんでと。
云うてるのに、そんな事、云わんとと。まあ、云うたら、無理矢理やねえ。
戴いたわと。
とかとか、顔会わした面々と、雑談、世間話、町内会の話、なんか、してたら、ンの、誰の奥様やろ怪の、「柴田さん、当たってたえ。」と、聞いて。
何の話かは、福引の話での、話してたら、分からんわ。聞こえんわの。そかと、会場に向かいの、「柴田です。」と、申せば、会計殿夫人、嗚呼、柴田さんですかと。
呉れたが、二等賞の、「スーパー・マツモト」の商品券、二千円分。
ンの、正直申すの、この、「夏祭り」で、何か当たったは、初。
モと、申すの、当方、大人しいてね。会場であるの、公園には、余り入らずの、道路側で、雑談、世間話しててね。全然の聞こええんかったんやと。
ついでになら、福引の方式なるは、役員なりが、籤引いて、箱の中には、町内会全戸の組と、苗字の書いたの、紙切れあって。その場に居た人だけが、景品戴けて。ハズレの方は、明日にでも、組長が、多分なら、ティッシュの1箱でもを、持って来て呉れるになってるわと。
でや、更なるのついでの話の、当方にしたって、完全、夢中であらへんわと。福引してるは、承知故に、聞き耳立て乍らでの。
只なの、即の現れんの方には、某さん、居たで。見たでと、籤を読み上げるの副区長がや。連呼故、何度か、云うて呉れると、思てたわと。
されどの、すんなり故、分からずでの。まあ、ええけどや。
結果、誰の奥様哉の。思い出さんの、多分なら、一昨年の、副区長夫人やったの哉の、極めての、ええ加減。
いやな、事程左様の、当方、話込んでたの面々、皆、奥様同伴でして。
奥様が、福引結果を注視してて。当方、嫁はん、家でして。
それもあって、分からんかったんやと。
どちにしたって、ご注進あって、ヨカツタなと。
とかとか、夜とは、云えどの、蒸し暑く。
缶ビールも、結果的、我が家で、半分。会場で、1個、飲んでもての、ホロ酔い加減でね。極めての、経済的なるの、人でして。当方がや。
二等賞の景品、商品券なるは、我が家に戻りの、ハイと、嫁はんに、でして。
嫁はん、へえと。当たったの怪と。そやなあと。珍しい事も、あるんやなと。当たったんやなあと。
当たる事もあるんやなあと。
(16/08/21)
NO.1777 超の単なるの雑談(2) 続・町内会の「夏祭り」で、二等賞当たったわいの話
諸般、一昨年の、当方、単なるの役員、組長<支部長>の時の、副区長なるは、年代違うわと。
あちは、多分なら、30代。
それでや、云うとくの、「夏祭り」での、景品にや。
「米」「商品券」の採用なるは、我が期、区長時代の、嫁はんの発案やでと。
それまでは、電化製品とか、やったんやと。そやけどなと、当たったら、何でも、ええとは、云えどの、ドライヤーなんか、誰もが、所有してるわと。
当たって、有り難いモノ、必ずの使うモノがと。
「米」なら、日本人故、食するわと。
「商品券」なら、しかるべくの、店で、好きなモノを買えるわと。そやなあと、一発採用。それが、2005年で、現在唯今まで、続いてるわと。
ンの、その経緯、ダアレも、覚えて呉れてえへんのけどや。
オッとの、それでね、いやね、諸般の、諸般で、皆、口々に曰くに、缶ビールに、出来合いの焼きそばの評判悪く。
昨年からやでと。手抜きやなと。
ンの、当方も、そ思うわと。噂の範疇なれどの、この件、役員会で計ったのらしく。結果、1票差で、斯くの如くに決まったですて。へえと。
とは云え、別途、誰様とは、云わんの方より、聞いてまして。
この件、役員会で、計るの事項であらへんでして。
云うてもたら、区長なりの決断にて、こと決めたら、こなんやと。生ビールのサーバーの借りるの手間なるは、三役でして。当たり前に、その他、役員が、その担当せねばならぬのけどや。
イヤイヤ、くれぐれもの、このよにやると、するの計画なるは、役員会で発表で、了解得るはしんとなと。
云うてるは、多数決で、決めるの事項怪と。されどの、経過そのものは、知らんわと。当方、前期、今期の役員でもあらへんわいと。
それもあるし、この時期、区長も、成り立ての、ピカピカの一年生区長での。決断は、区長也も、難しいの面あるなあと。
只なの、やから、三役には、特には、区長の成り手がと。あらへんのやなと。
責任ばかり、多く、重く。決断も、三役に計り、役員会で計り、しかるべくの、手順あるです。異論が出たら、しかるべくの、検討もしんならんです。
当方も、経験あるが故、同情もしの、されどの、どなん哉と。
そらなの、役員も、年々の高齢化でして。生ビールも、焼きそばも、おでんの担当も、大変でして。
されどの、一昨年、当方も慣れぬの、焼きそば担当致したわと。多分なら、焼きそば担当、一番に大変でして。材料あるの限り、焼きまくり。
云うてる、聞かされるは、三役たる、やるべき事、やって、やったなの、充実感がと。手抜きしたら、その充実感があらへんやろと。ンの、それも、ある鴨なと。
当方も、諸般で、区長時代、やりまくりでの、されどの、充実感なるは、ど哉と。
実は、本当にやりたかたの事、手が付けられずの、一口には、内憂外患。
むしろの、内憂哉と。役員なら、諸般の手助けして戴き、助かったなと。さもなくばの、身が保たず。それ程に区長職、大役でして。
大役も、任期満了にての、只の人で、アホみたい。
下手に、手助け的、動きしたら、思わぬところで、揶揄されて。アホらしいてね。
やて無いヤツ程、目立ってね。イヤ、公然と、手助けしてね。自分の時には、手抜きだらけ、やのにです。
単なるの、雑談、世間話で、色んな話、聞かされたり、話をしたり。
こんな時にしか、この手の話も、出来ひんし。最近の事なんか、知らんしと。
そらなの、ゴミ問題にしたってなと。
諸般の経緯、経過なるは、当時の関係役員にしか、一切の、話せず。オッとの、次期組長、次期区長、副区長には、説明したけどや。
次期の区長、副区長なるは、相手に成らず。完全拒否してね。
そんな事、今期の面々、皆目の知らんわと。そら、先の通りの、一切のと。云うべきでもあらへんでして。
ここで、云うてもたらの、そら、楽やった、やろなあと。
次期三役がや。
そら、余計なるの、件、受付ずの、拒否で、「夏祭り」も、こで。
昨年度の三件もの、葬儀も、音頭取らずに済んだんやと。オッとの、三件もは、異例中の異例なれどの。当方の期には、一件も無く。
あれで、あったら、えらい事、なれどです。
でや、あれでも、やった。これでも、やったんやと。
やり方、様々での、任期終われば、お役目御免で、下手したら、邪魔者扱い、されたりしてね。ほんまやでと。
ここだけの話、でも無いけどや。
はきりと申しの、ほんとに、年々の質落ちてるなと。それだけ、諸般、人材がと。枯渇してるの哉と。してるなと。
当方の期にやったの事で無いけどや。
輪番制役員の決め方一つ、丁寧さ、慎重さが窺えずの、安直での。
いやな、初期の決め方、初版、改訂の時の区長のやり方なるは、極めての妥当なる手法やったのけどや。以降、めためたの、適当。
では無い怪と。
そら、相応に悩んでの、決めた。とは、思うのけどや。
でや、当方の先輩区長、尊崇に値するの方々なるは、亡くなってもたり、総会にも、行事にも、参加せずになてもたり。
そら、高齢化もあるのけどや。
当方にしたって、何歳やと。やった、云うたって、2005年度の話やでと。11年経ってもたわと。それでも、諸般、覚えてるのけどや。
そら、事情あっての、全部と、云うたら、語弊あるの、やらざるを得んかったんやと。
お陰様で、細々、よ分かったわと。
オッとの、何の話、してるの哉の、「超の単なるの雑談」の続きでして。
二発目、掲載するの予定無かったのけどや。
「夏祭り」にて、雑談、世間話してたら、なと。色々聞いて、へえと。
お陰様で、二等賞当たったを、聞き漏らし。誰かの、奥様から、注進あって、へえと。薄々なら、当たったみたいな、アナウンス聞いたよなと。
そやけどの、一部役員には、会場にての、挨拶してる、のにと。
云うてもたら、今期、区長にも、挨拶した。
のにと。
そら、親しいと、云えば、親しいのにと。一緒に、「大井神社」の祭礼、御神輿にご奉仕したわと。
三度なと。それで、先様、卒業してもてね。
オッとの、同年やわと。
(16/08/22)
NO.1778 孫共乗せての、四国行き(5) 孫共の水遊びの話
ほんまやでと。
当方、21代目区長で、19人目での。した以前の歴代区長で、コレ、落第と、思えるのは、居てへんでと。皆、立派。
故に、踏襲するでさえ、大変やったんやと。
以降のでなら、11人。
コレ、落第は、悉くの、合格なるは、2人だけ。云うてもたらの、1人、最年少区長でして。
彼は良くやったなと。当方だけで無くの、皆が高くの、評価してるわと。
モ1人も、皆が高く評価の、ンの、何ちゅうかの、区長は諸般で、活動出来ずの、実質的、区長の代行したの、副区長。兎に角、区長が、区長がと、区長を立てて。
これが、出来そで、出来んわと。皆、自分が、自分がの、人でして。この手、実に多いなと。感心する程にと。
とりあえずは、そら、評価様々あると、思うのけどの、めためたでして。
最初っから、期待されて無いの区長も居たけどや。
期待した程で無いが大多数哉と。この場合、反動大きくて。へえの、この人、コレ怪、この程度かと。びくりするわと。
実は、そんな方多いんやでの、コマツタ事に。
での、大きく2種あるです。
区長職、任期満了にての、町内会行事に、顔出さんの方。多分なら、モ邪魔くさいの哉と。
反対には、それまでは、顔出さず。とも、云わんのけどの、兎角に目立つの人。
どちかと、なればの、当方以前のは、町内会行事に顔出すは少数派で、以降のは、目立つの人多数。云うてもたらの、目立ちたがり屋哉と。
変な話、やるべきやらずに、任期満了にて、目立つの人、変でして。くれぐれもの、遠目からの話やでと。ソラ、内実知らんわと。
当方、どちかと、なればの、区長歴任以前も、以降も、変化無く。ほんまやでと。
特段の目立ちたがり屋でもあらへんわと。
むしろの、諸般の事情にての、不燃焼やったが故、より、積極的に顔出してるの傾向にはあるの哉と。
いやな、気分的、目立つは避けてるです。遠慮してるです。
これは、年齢の問題もあるの鴨の、年々、目立たぬよに、心掛けてる。とも、云えて。コレ、但しの、自分の思てるの範疇での事で、余所様どんな具合にかは、分からんわと。
とかとか、うだうだ、掲載してるですが。正直申すの、この手の話、記載するに難儀するわと。
ずばずば、記載したら、すきりとするも、そも出来んわと。よて、核心、肝心の事、避けて、避けての、避けまくっての、コレ又、不完全燃焼で、コマツタなと。
さての、四国の話。嫁はん、恒例の、里帰りの話。
云うたって、毎年、毎年、基本一緒。されどの、此度、少々異なりの。それ、云うたら、毎年、微妙に違うのけどや。
此度なら、長男夫婦、来てへんわと。お陰様で、長男家の孫3人の、保護者的立場でね。
且つは、「霧の森」なるの、名勝にも、連れてってもろて。
されどの、正直申すの、そらなの、当方運転で、四国えは、概ねの、二十年ブリでの、草臥れてるわと。そもそもがの、何歳と、思うやの、古希やわと。
自身でなら、若い、若いの、爺様でもあらへんわいと。
云うたって、爺様なれどの、爺様とは、自覚もしてるわの、時と場合に寄るのけどや。
加えての、義姉一家、皆が、諸般、計画練っての、歓待して呉れてるは、重々承知の、しんどい。とは、口避けてもの、云えんわと。
元気な顔、にこにこして、おつきあいなんやでと。
そんな事、ダアレも分からんやろと。分からんよに、相応にと。
オッとの、ままでは、語弊、誤解されてもと。再度の、明言、補足するの、此度、当方運転大きいわと。孫3人の事も、あるわいさ。
イヤ、云うとくの、「霧の森」なるは、聞きはじめの、行って、フウンの、こんなところがあるんやなと。自然に恵まれたの、四国、中心部故にと。
ここで、申すの中心部とは、地形的の話。
いやな、京都にもあるです。山あり、川あればの、どこにでも、あると、思うのけどや。
当方、記憶の範囲、小学生の時代哉の、当時の町内会からの遠足でして。ンの、そなんやでと。
当世とは、まるきりの違うの、正反対の、ベビー・ブーム世代でして。当方がや。
又、町内会の大人達も、若かったわと。
山陰線に乗って。そもそもがの、当時なら、ディーゼル車やったの筈の、京都と、亀岡の中間地点、保津川に、でして。
降りたの駅、「保津峡」。
そこで何したかと、なればの、飯盒炊爨。
そして、所謂の川遊び。
云うとくの、当時、小学生の身でも、保津川なり、保津峡とも聞けば、ともなればの、えらい遠くのド田舎的、印象でして。現在唯今、その更なるの先の、並河駅が最寄りの駅、なんやけどなと。
どんな具合に、川遊びしたかと、なればの、海水パンツなんかの、上等所有せず故、皆、裸になって。或いはの、パンツ一丁怪で、泳いだり、してたわと。
イヤ、云うとくの、そんな格好での、水遊びなんか、珍しくも無く。皆、そやったんやと。
されどの、ンの、「霧の森」では、パンツ一丁で、泳いでる、遊んでるのなんか、居てへんねえ。
小学生、それ以下の子。でもや。
それもあるし、狭い範囲でね。
イヤイヤ、モっと、広いの範囲と、思うのけどや。人が余りに少ない場所は、危険やわと。
相応に、浅く、人の多いの方が、安心感もあるです。
ほんまやでの、対岸に渡るに、木の板、置いたある、だけの橋あって。怖い、怖いの、怖いの事よの。この手の気分になったは、ン十年ブリ哉と。
オッとの、この手の、まあ、云うたら、冒険、嫌いで無いわと。
只、そんなに若くもあらへんわと。落ちたら、怪我するなあと。ンの、孫共でもが、落ちやがたら、どする兵衛の。沢山の人、居てるし、助けて呉れる。
とは、思うのけどや。
孫共だけで無く、大人でも、落ちるの可能性あるのけどや。落ちたら、格好ワルツと。
ワルツで済めばなと。
(16/08/23)
NO.1779 孫共乗せての、四国行き(6) 「霧の森大福」の話
くれぐれもの、町内会行事の中身。
なるは、その期の区長なり、三役なり、役員が決めたらと。決めるべき事での。
区長が指導力発揮は、実際には難しく。半期経ったのこれから哉と。只なの、前例を見てるやろと。参加者として、又、役員として。
そらなあ、区長たる、重責でして。
よて、区長に成りたいなんか、ダアレもあらへんわと。次第、次第に、責任の重さ、忙しさも浸透しの、余計にあらへんわと。
この方なら、出来る筈と、思うの人、上手く逃げてるです。まあ、賢いわと。
逃げおおせずで、やるになったの方なら、余計な事、せずと。まあ、賢いなと。
当方とは、考え方、立ち位置、根本的、土俵が違うわと。
一番に難しいは、町内会役員なるは、職制で無い事。
自身の責任感だけでして。以外、何にもあらへんわいと。
当方なら、アホやし、裏も表もあらへんの、このまんま。あち向いて、にこにこ。こち向いて、悪口雑言の、罵声あらへんわの、そんな器用な事、よ、しやへんわいと。
そやから、こち向いて、拒否で、放置で、あち向いたら、やったぞ、やったは、よ、云わんわと。
器用がええか、悪いか。融通利かんが、ええのか、悪いのかと、なればの、評価様々やと。
当方には、何故か、その辺り、見えてまうし、コマツタなと。
オッとの、でや。
「霧の森」ねえ。ネーミングが宜しいねえ。謎めいて。
もしかしたらの、この辺り、亀岡と一緒で、季節に寄るの、霧が深くなるの哉と、思たりもの、秋口になてみい。朝晩、霧で、先見えへんぞと。
まあなあ、子ども達には、ええとこやと。
オッとの、当方、孫達と、一緒にと。するのか、サンダル履いてる故、川水にチョと、足漬けてみたわと。冷たあて、気持ちが宜しいねえ。
イヤ、サンダルなら、京都より持参の、本来なら、海遊びの為でして。まさかの、浜辺で、革靴なんか、履いてたら、アホやろな。
当方、無知蒙昧故、雪国に、スキーしに行くに、革靴履いて、参加したのけどや。
オッとの、半世紀程の昔の話やでと。
されどの、当方、河童。
とは、云うたって、コレ又、半世紀程の昔の話やでと。当世なら、古希故、金槌になてもたと。までは、申さんも、下手に泳いだら、息が、体力、気力が保たずに沈没哉と。
それ以前に、心臓麻痺哉と。
トッとの、ここで、泳ぐは出来んわと。
少々の深めの場所もあるけれどの、概ねの、水深、膝小僧辺りでして。但し、小柄と云えどの、大人の話での。3歳から、8歳、10歳の子どもでは、膝の上まで、浸かる哉の。案の定の、孫君2号、転けてはいてへんの、ズボン濡らしてもてね。
まあな、こんな場で、大人しくしてよは、無理でして。
ここでは、そんな事で、別途、ここ特製、名物、饅頭と云うか、大福あるですて。
称して、「霧の森大福」での、へえと。
ンの、この界隈、茶の産地らしくの、基本、抹茶大福。クリームと、あんこが入っててね。大福の上には、抹茶がと。
イヤ、何個か、喰たです。美味でね。
美味も、沢山、喰えるモノでもあらへんですが。
いやね、大人気の大福での、実際には、注文の時には、売り切れててね。
まあ、云うたら、予約しての、購入での。帰りしな、次男が取りに行って呉れたですが。
イヤ、この里帰りでは、諸般、次男が大活躍でね。
そらなの、成人男子、4名。いつもなら、5名なれどの。長男来てへんしと。
来てたって、両腕骨折では、使いモノにならへんわの。4名の、内の、2人、爺様でして。当方と、婿殿でして。特には、当方、使いモノに成らず。
使いモノに成らんの範囲で、諸般、してるのけどや。
そんな事で、「霧の森」から、帰れば、即の、比地木の、義母、義兄宅えと、行くに成っててね。
そこからは、義姉も同行なれどの。
とりあえずは、義母宅にで、北海道土産、京都土産を持参して。これは、当家からでの、長男家、次男家からも、京都土産があるですが。
そして、仏壇なるは、義兄宅故、総勢何名、当家8名、義姉家8名の、都合の、16名様にての、訪問致し。
同じくの、土産モノをお供えしたり、義兄夫婦に手渡したり。
イヤ、万事、まとめて、嫁はんが、でして。
いやな、少々疲れてると、云うてるですが。
喉が渇いてね。暑さもあるし、方々行って、来ての、疲れもあって。
いやなの、何云うてるかと、なればの、諸般、出向いたですが。お茶が出えへんでね。
いつもなら、大していらんも、ご厚意故に、戴いたですが。
此度、真性、純正、欲しいてね。されどの、請求も出来んわと。
特段の、話する事も無くの、サと、お暇したですが。義兄宅、お暇で、戻ったの先、義母宅での、ここでは、諸般、請求しての、茶を一杯。
いやなの、いやなで、北海道土産については、一言、質問なりの、世間話的で結構の。
して欲しかったなと。本音、して頂戴なれど、です。
云うたら、質問と、するのか、して呉れたは、たたの1人、甥嫁だけなんやでと。コレ、2日目の事でして。
その日に、京都からの土産モノをば、手渡したから、なれど。
当家、長男家、次男家なら、旅行にと、お小遣い呉れてる故、内容、承知なれどの。
四国組、詳細知らんやろにと。
まさかの、当ホーム・ページを閲覧なら、なと。
(16/08/24)
NO.1780 孫共乗せての、四国行き(7) 孫共元気の話
での、その日、夕食喰て、銭湯行って。
ンの、義姉宅には内風呂あるけど、沢山の人数入ってたら、時間喰う故、銭湯にと。
歩いて、1分、2分で、銭湯あって。
イヤイヤ、当方、京都の時には、銭湯やったわと。
云うとくの、ややこしいけれどの、京都とは、基本、京都市内を指すです。
おっとの、亀岡も京都なれどの、京都府故、一つ、細かに称してるだけ。同じの、京都の、ばかりでは、分からんやろな。
その京都で、内風呂あるは、相応の家<うち>でして。大抵の家では、内風呂なんか、あらへんわと。
ここで、云うとくの、内風呂なる表現、文言なるは、当世生きてるのやろ怪の、銭湯との、区分の為でして。殆どが、内風呂付き家故、余り使わんよになったなと。
銭湯あるは、コレ又、近在に相応の軒数無ければ、成立しやへんわと。
ついでになら、四国えの、嫁はんの里帰りと、申しても、細かくなら、さての、ど表現する怪に成ってね。
そもそもがの、当家から、四国の親族なるは、大きくは、基本、2軒のみ。
香川<県>、三豊<市>でして。そこの、比地木に、義母が。仁尾<町>に、義姉宅がと。ここまで、細か云うたってなと。知ってる人しか、知らんわと。
それ、云うたら、亀岡なんか、四国の人が、知る訳があらへんわと。
あちから、したらの、大きくは、京都なんやと。それで、結構なると。
そら、云い出したら、長男、兵庫<県>の、神戸<市>で、次男、京都の、長岡京<市>でして。神戸なら、高名故、地方の人でも、分かるですが。
亀岡も、長岡京も、位置関係からして、何じゃらほいの。よて、まとめてもての、京都で、充分通じるし、正解でして。
オッとの、何の話、したかったの怪の。
行った日、銭湯から、帰ったら、スと、寝てもてね。当方がや。
大体は、我が家でなら、夜中の、2時、3時まで、起きてるのけどや。我が家以外なら、スと寝てまうわと。そらなの、起きてるの、用事あらへんわと。
イヤ、久しぶり故、皆と、四国の面々とも、雑談でもと、思うのけどや。
正直、草臥れてもてね。
本来ならばの、夜の四方山話で、北海道の話、でもと、成るのけどや。諸般の、諸般で、まあなと。
でや、ででや、面白い事に、婿殿、何故か、次男一家には、気ぃ使てね。
次男単独、或いは、独身時代には、そでも、あらへんかったのけどや。結婚以来、次男夫婦、或いは、一家の場合、兎角に、2階で寝たらと、自分等夫婦の部屋解放と、するのか、空けてもての。
そこで、寝よと。
イヤイヤ、一階の居間なるは、当家と違いの、広いの間で、本来的、そこで、当家京都組全員寝るですが。長男家なら、神戸なれどの、それで、通じるわの。
云うたら、全員、10名も、子ども達、まだまだ、小さい故、充分寝るが出来るですが。今ならなと。
これが、大きなたら、さての、どなるの哉の、分からんのけどや。
ンの、それ以前の、当方にしたって、いつまで、一緒に来るが出来るの哉の、問題あるけどや。
モと、云うたら、全員、健康故に、来られてるですが。現に、此度、長男両腕骨折にての、嫁共々、来てへんわと。
反対には、仁尾の面々も健康故に、歓待してくれ、又、計画練ってくれてるですが。
そんな次第の、斯くなるでの。
明くる日には、朝飯喰て、午前中に、海遊びをと。
コレ、恒例の事での、浜えは、歩いて、そやなあ、10分、15分程度哉の、遠浅の海岸あって。
当方、保護者。
これが、子ども達、仁尾組含めの、7人では、監視の目、届かんわと。
当方1人が、監視してるであらへんのけどや。
大きいのも、小さいのも、云う事、聞かんしなと。これも、大きい云うたって、マダマダ、小学生。これが、中学生、高校生にでもなてみい、どするやの、最早の別世界、異次元の生物に相成るの哉と。
ンの、ンンの、こちが、監視で無く、監視されるの身になてもたり。来てたら、なと。
そらなの、当家の場合、最年長、孫娘で、9歳でして。三年生。
これが、高校生とも、なてみい。6年後の話の、当方、75歳に成るなあと。
ンの、遂には、後期高齢者怪と。ゲと。
勝手に考え、勝手に、ゾと、したりして。
いやな、60代、還暦に成るの頃、なてからも、特段の感慨あらへんかったわと。
にしては、気分的、若いなと。
これが、65歳に成って。まだまだ、なれどの、さての、70代に接近して来てみい。接近故、まだ、なてないけどや。最早の、時間の問題やわと。
正直申すの、若い頃と、するよりは、遂の最近、数年前までと、格段に老けて来てるを実感するわと。
何を以て、実感かと、なればの、朝、顔洗うに、髭剃るに、ンの、皺々やないかと。その皺が、範囲が広がり、深くなってくが、見えて来てね。
とりあえずは、チョとした、擦り傷、引っ掻き傷なるが、なかなかに治らんわの。
足も、腕も、いつ、怪我したかの、傷だらけ。なかなかに治らんのと、すぐにも、傷してしまう故なれどの。
それと、孫共との、比較も変なれどの。
そもそもがの、チョと、こすったの程度で、傷なんか、出来てえへんわの、その差歴然での、フウンと。
そして、元気やなの、結構なると。
(16/08/25)