シバケンの単なる雑談NO.165
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目次
NO.1920 年末年始の話(21) 墓参の話
NO.1919 年末年始の話(20) やっとで、「八坂神社」境内の話
NO.1918 年末年始の話(19) 脱線の話
NO.1917 年末年始の話(18) いよいよの、墓参の話(8)
NO.1916 年末年始の話(17) いよいよの、墓参の話(7)
NO.1915 年末年始の話(16) いよいよの、墓参の話(6)
NO.1914 年末年始の話(15) いよいよの、墓参の話(5)
NO.1913 年末年始の話(14) いよいよの、墓参の話(4)
NO.1912 年末年始の話(13) いよいよの、墓参の話(3)
NO.1911 年末年始の話(12) いよいよの、墓参の話(2)
NO.1911 年末年始の話(12) いよいよの、墓参の話(2)
本日、豪雪。
云うたって、雪国で無い故、知れてるですが。
それでも、ここ数年、十数年では、一番哉と。
雪掻きせねば、車も出られませんでして。15時半頃、降雪も小康状態になったが故、嫁はんと、二人して、えっちら、おちら、やったです。
まあね、孫共でも居たら、喜ぶですが。過年には、孫娘、雪だるまを作り。
此度なら、鎌倉でも作れる哉の量でして。さての、明日の朝は、ど哉と。
まあな、先刻外見たら、左程で無いですが。
での、墓参の事、一寸、置いといての、「祇園」の話をと。
「祇園」ねえ。一言で、「祇園」も、種々あるです。
我々、思い描くは、本来的、「八坂神社」の、「祇園社」。一般的、「社」を省略してるだけの事での、まあ、云うたら、四条通りのドン突きでして。石段もあるですが。
それを、「祇園石段下」と、申しの、待ち合わせ場所にしてるですが。この辺りを想定致すです。
そして、「祇園祭」の、「祇園」。
ともなればの、京都の三大祭で、日本の三大祭でもあるです。
当然にして、「祇園社」の、「祇園」の、「祭」なるぞの、つまりは、「八坂神社」の祭でして。
これで、分かるの、「八坂神社」なり、「祇園<社>」と、申せば、「京都」を代表致すわと。
ついでになら、京都の三大祭とは、筆頭、「祇園祭」で、八坂神社。
「葵祭」は、下鴨神社と、上賀茂神社。
「時代祭」が、平安神宮。
では、日本の三大祭となればの、当方的、筆頭、京都の、「祇園祭」と、大阪、「天神祭」。
三番手が、諸説紛々での、東京、「神田祭」とされたり、青森、「ねぶた祭」であったり、福岡、「博多どんたく」とされたり。「長崎くんち」であったりの、三番手が、よお、分からんわと。
どちにしたって、当方、「祇園祭」以外を見た事あらへんでね。
当然の、京都の三大祭なら、皆、承知の、見てるわと。
ほんとなら、「祇園祭」の事、解説、説明したいけど。
ンの、チョとだけ、申せば、我が、「格致小学校」なるは、所謂の、「山鉾」の、「山町」あるです。
まあ、云う鱈、町名に、「山」が付けば、「山町」。「鉾」付けば、「鉾町」での、簡単になら、「長刀鉾町」なるが、「祇園祭」を代表するの、「長刀鉾」をば、管理してるの町内と、相成るわと。
ならばの、「格致小学校」区に、何がと、なればの、「山町」として、「太子山町」「芦刈山町」「木賊山町」。
ついでになら、四条通りを挟んで、向かい側には、「傘鉾町」。つまり、「傘鉾」の町内。
但し、四条通りから、北は、「格致小学校」区に非ずで、「学区」なるは、北は、四条通りまで。東、西洞院通りで、南、高辻通り。西が、堀川通りで囲まれたの区域。一部、その向かい側も、学区になってるの箇所あるのけどや。
オッとの、我が町内会、「喜吉荒神町」なるは、「山」も、「鉾」も、付かぬが故、圏外と相成るのけどや。
流石に、小学校時代の同級生が、来る事無いけどや。中学校、高校、大学、ローム時代には、「祇園祭」とも、なればの、来て呉れたわと。
オトトの、クレグレもの、宵山、宵々山の時でして。皆が、浴衣着たり、致しての、そらなの、「祇園祭」なるは、真夏、7月17日、本番の祭故の、「山町」「鉾町」をば、散策致したわと。
いやいや、その手、客人をば、諸般、もてなすが、「祇園祭」でして。もてなすも、当家、町内会に、「山」も、「鉾」もあらへんのけどや。
極の近所やわと。「山」「鉾」がや。
堀川高校一年の同級生には、「菊水鉾」の理事長の息子が居てね。現理事長なれどの。引退してへんなら、なれどの、そら、70歳故での、そこの家から、「菊水鉾」に乗せてもろたりも、致したわと。
とか、云うたって、鉾にも、よるの、誰でもを、乗せて呉れるですが。多分なら、なと。アカンの、鉾もあるですが。
斯くなるでの、京都にて、「祇園」と、申せば、当然の、「八坂神社」でありの、「祇園祭」。
その、「祇園祭」とは、日本を代表、筆頭の祭やわと。
モと、云うたら、京都人なるは、「八坂神社」の氏子やでと。
更に申すの、四条通り。
何度でも、云うの、京都のド真ん中の通り。その東のドン突きに何があるやの、「祇園」でありの、「八坂神社」也と。
その又、ついでの、ついでに、京都の、ド真ん中にあるの高校、堀川高校なるぞの、コレ又、当方、数少ないの自慢也。
での、夏の浴衣。
当世、着るの機会あらへんのけどや。
京都なら、現在でも、「祇園祭」の、宵山、宵々山の時には、着て、「山」を、「鉾」をと、界隈散策致すです。
何故かと、なればの、当たり前だのクラッカーの、京都は着倒れ<着物>、大阪、喰い倒れ<グルメ>で、神戸は、履き倒れ<靴>。
何故に、京都の、着倒れか、云うたろ怪の、云わんでも、分かるの、京都なるは、呉服の町。問屋の町。「鉾町」「山町」なるは、呉服問屋が、その関連の家多いわと。
さもなくばの、「山」が、「鉾」が、維持出来るのモンかと。
要は、資産家揃いの町内やと。
オッとの、トトトの、当家、親父。
何度でも、申すの、呉服屋関係に非ずの、電気屋やわと。
されどの、祖父の事、次に、申すわと。
イヤ、コレ又、度々の、云うてるのけどや。
(17/01/16)
NO.1912 年末年始の話(13) いよいよの、墓参の話(3)
一晩明けての、本日朝も積雪。
まあな、予測通りの、予報通り。
よて、朝から、雪掻き、カキ、致しまして。
での、その一晩明けるの、その本日。
ハタと。
いやな、当方、「祇園祭」の事をば、温っぽく語ってるですが。
ンの、よ、考え鱈、京都人、とは、京都市内の面々でさえも、話、半分も通じてえへんやろなあと。
この、「祇園祭」の区域の方、或いは、京都の中心部以外にはなと。
イヤ、「祇園祭」なるは、京都を代表するの祭なれど、です。
それは、誰もが、承知。少なくともの、京都の者なら、皆、承知と、思うですが。そこから、一歩、入れば、入るとは、中身なれどの、一部の面々しか、分からんなと。
ましてやの、京都以外のなら、尚更哉と。市内も、周辺の方、さっぱりではと。
ではの、「祇園祭」の全容をば、承知のが、どれ程怪と、なればの、その範囲、深さもあるの、まあ、僅少やろと。
殆どの面々、「祇園祭」の専門家でもあるまいにと。直接に携わってるの方なら、相応にと、思うですが。
いやな、「祇園祭」の事、諸般の前提なるがあるですが。当方的、当たり前だのクラッカーとして、端折ってるです。とするも、当方にしたって、専門家に非ずの、携わっても居てへんわと。
町内会も、先刻申してるの、「山町」でも、「鉾町」でもあらへんでして。
あらへんでも、横町には、「太子山」「芦刈山」「木賊山」がありまして。特になら、「太子山」なるは、我が、母校、「格致小学校」の、町内会の、「山」。
云うたら、その時期、小学生時代、学校の真ん前で、組立られ、分解もされ。小学校になら、家から、歩いて、1分と、掛からんの距離。
での、日本屈指の祭と云えどの、遠くの方なら、嗚呼、そ怪なと。
それで、何じゃの世界鴨なと。
で、当然でして。
祭とは、地方密着、土着でして。見たとしても、大多数、テレビで、でして。ニュースで、でして。
ンンの、その報道番組でも、放映されるの祭なれどです。
ここで、大前提の幾つか、申すです。くどいけどの、ここでの、京都とは、「市内」を指すです。
京都に、神社仏閣数多あるですが。所謂の中心部に存在のは、小さなの、でして。特に、大きな神社なるは、京都中心部には、存在致さんわと。
寺なら、総本山クラスのがあるですが。
オッとの、その中心部に君臨なるが、「八坂神社」。されどの、規模、広さ、境内とし鱈、狭いけどや。
ンの、三大祭の、「葵祭」の、「下鴨神社」「上賀茂神社」。そして、「時代祭」の、「平安神宮」なるが、存在も。
実は、京都のホントの、中心部では無いです。チョとだけ、外れ。この外れなるの表現、失礼千万なれどです。
京都の中心部なるは、東京、大阪、神戸からし鱈の、極めての狭い範囲也と。
京都市と称せば、所謂の京都の中心部は中心部なれどの、それで、間違い無いけどの、所謂の、通り名で、表せるの地域が、本来の中心部也。
それも、東西と、南北を、でして。
云う鱈、我が町内会、「喜吉荒神町」としてるですが。正式になら、当家、「仏光寺通り<東西>、油小路<南北>西入る、喜吉荒神町」に相成るです。
この、町名なるは、無くても、結構なると。結構とは、郵便物、届くです。
ついでになら、我が本籍地、「綾小路通り<東西>、大宮<南北>東入る、丸屋町」。
更なるのついでには、最初の通り名に面し、家あるです。モ片方の通り名で、西入るとか、東入る。或いは、上る<北>、下る<南>で、その通り名の通りの、東西南北、どち方向にあるかが、分かるです。
付け加えるなら、家は、次の通りまでの間にあるです。
反対には、町名でなら、通り名、省略出来るですが。
「丸屋町」の場合、京都に何箇所かありまして。「喜吉荒神町」なら、ここだけですが。
要は、その辺り、注意の上、古くより、住んでるなら、町名でも、郵便物届くですが。通り名で、記載の方が間違いなく。
での、最近、運転免許証から、本籍消えてもてね。心底、寂しい、思いしてるわと。
こんな話、実際問題、やってられる怪と。
該当の家々の面々ならばの、今更の、何の話をの、話やわと。基本の、基本の、常識なれどの、京都「市」在住も、該当せぬの地域なら、分からんの場合ある鴨なと。
分かろが、分かるまいが、委細構わずの、話進めるですが。
繁華街的、申せば、くどいけどの、中心、四条通り。
且つは、東西となればの、烏丸通りから、河原町通りまで。延長しての、祇園まで。強いての、強いてなら、堀川通り、大宮通り辺りまで。
南北と、なればの、本来的、御池通りから、五条通りまでと。
実は、「東本願寺」も、「西本願寺」も、その、五条通りよりも、南とするのか、下<しも>にあるです。
オトトの、この話でさえ、相当に端折ってるですが。
まさかの、京都案内、通り名教育するで無く。
かと、申しの、この、通り名、知らんなら。通り名を聞いて、嗚呼、あの辺りかと、推測出来ぬなら、当方、延々のしてるの話、分からんなと。
まあな、コレ、小学校、中学校、高校の同窓生なら、一々の説明して鱈、アホかと、云われるの事よの。確かに、生まれ、育ったのが、育ってない面々に、果たして、どこまでを、解説、力説するかもあって。
とは、思いつつの、やてるの間にも、熱なてもての、結果、是非共の、分かって頂戴なと、思えば、思うの程に、これ云う鱈、あれも、これもで、話、逸れて、逸れての、逸れまくるですが。
でや、逸れて、逸れての、逸れまくりの、「祇園祭」の話に戻すですが。
京都の代表的祭、「祇園祭」も、京都全域ではあらへんわと。を、申したく。
ではの、どの範囲怪と、問われても、当方、正確なるを、知らんわと。
その上で、「祇園祭」も、「前祭<さきまつり>」と、「後祭<あとまつり>」があるです。一緒にしたり、前と、後に別れてしたり。
その、「前祭」で、「山鉾」なるは、23基。23の町内会とも、云えるですが。「鉾」9基で、「山」14基。
「後祭」で、「山鉾」10基。「鉾」1基で、「山」9基。
町内会の数、幾つあるかは、知らんの、京都市人口、約147万人<2016年10月1日現在>。
世帯数と、人口、違うのけどの、一町内会で、世帯数バラバラなれどの、「喜吉荒神町」で、その昔の話の、40世帯也。
で、何やと、なればの、京都でも、「山」「鉾」なるは、出すが、極めての少ない事、云いたいだけ。
我が、学区の、なるは、「前祭」でして。云うたら、「祇園祭」そのものでして。「後祭」と、一緒にしよが、別れてしよが、7月17日本番の、「前祭」を云うてるですが。
での、その、「山鉾」を出すの範囲、概ねの、東西の通りで、油小路通りから、東洞院通りまで。
南北で、松原通りから、姉小路通りまで。
とかの、細かな通り名出し鱈、分からんですが。これを、概略的、大きな通り<大通り>で、申せば、南<下>は、五条から、北<上>が、御池通りに相成って。
蛇足的、注意しとくの、「上」は、「かみ」。「下」は、「しも」。
東西なら、堀川通りから、烏丸通りの、一つ先の通りまでと相成るです。
オッとの、通り名を付けて、申すの場合、「上る」<あがる>で、「下る」<さがる>。
「西入る」<にしいる>、「東入る」<ひがしいる>。
ででの、更にならの、「山鉾巡行」なるは、四条烏丸辺りの、長刀鉾先頭にての、四条通りを東え、河原町通りで、上<北>に進路替え。
御池通りをチョとだけ、西えで、解散。
ンンの、ほならの、「山鉾」巡行、肝心の、「祇園」であるの、「八坂神社」までは、行かずになるですが。
この事、分かって頂戴なの、もしかしたら、もしかしての、「祇園祭」当事者がさえ、疑問にも思てえへん話鴨なと。何故なら、生まれた時には、コース決まってまして。
よて、その理由、当方に聞いて呉れるな、知らんわの。当事者がさえ、怪しいのにと。
ではと、自説展開的、推測するならばの、現在唯今、四条大橋なるは、コンクリートなれどの、その昔、「祇園祭」巡行、創世の頃<室町時代・正確なる起源不明>には、当たり前だのクラッカーの、木製やわと。
重たいの、「山鉾」をば、木橋渡らせるは、出来んわと。
とは、勝手推量なれどの、当たらずとも、遠からじと、自負してるです。
オトトの、この、室町時代<室町幕府・足利氏><1336年から、1573年>。
これ、「室町」なるは、京都の通り名にあるの、京都の呉服屋、問屋街の、「室町」通り。
ついでになら、金閣寺<建立・足利義満>、銀閣寺<建立・足利義政>也と。
まあな、よて、京都なるは、歴史の宝庫と、されてるです。
奈良の、平城京から、長岡京の、京都、「長岡京市」。
そして、平安京なるは、京都御所。これは、天皇家の話。
武士の時代。室町時代にも、京都に、幕府あったんやでと。
となんか、中学校の歴史で、習てるやろなの話。
とかとか、実は、この手の話、「祇園祭」の事、するの積もり無かったですが。
「祇園」の一言で、話、広がってもてね。
されどの、祖父の事。
とは、その当時の家業、本籍地の、件、まだ、してへんですが。
(17/01/17)
NO.1913 年末年始の話(14) いよいよの、墓参の話(4)
本日、雪降らずで、溶けるだけ。
の程度に止めの、本題をと。
云うたって、逸れに逸れての、逸れまくり故、コマツタなと。
での、「祇園」の一言にて、諸般、あるですが。「祇園社」とは、「八坂神社」でありの、「祇園石段下」は、有名なるの、待ち合わせ場所。
「祇園」となれば、代表的、「祇園祭」。
更には、「祇園」界隈とするのか、地域としての、「祇園」があるです。
代表的になら、「花見小路<はなみこうじ>」。更には、「大和大路<やまとおおじ>」。「大路」となってるですが、大通りに非ずの、「小路」なれどです。
加えての、「先斗町<ぽんとちょう>」も、そでして。「町」の名の付く、通り名でして。但し、一部の区間のみ。
ンの、何の事、云うてるかと、なればの、所謂の、「花街」の事。
での、これ、当世でも、営業してるですが。
表現正しいかは、分からんの、まあ、云う鱈、一見さんお断りの、会員制の超高級クラブとでもの。芸妓なるは、一流コンパニオンに該当哉の。
どちにしたって、我々庶民にご縁無く。
まあつまり、一口に、「祇園」と申しても、四種の意味あるです。
京都には、「島原」もありの、他にもあるけれどの、割愛の。東京さなら、「吉原」哉と。東<あずま>の国のは、皆目の知らんですが。
あくまでもの、当方的イメージ、印象ならばの、「祇園」なるは、先の通りの、一見さんお断りの、会員制、超高級クラブ。
はきりと、申しの、他の所謂の遊郭とは、別格ので、暗いイメージあらへんわと。
まあ、云う鱈、「祇園」で遊んで来たの意。
明確には、芸妓遊びするが出来る程の甲斐性あるを意味してて。自慢話の類やわと。
となればの、触れねばならずの、水上勉の小説、「五番町夕霧楼」なるは、京都、西陣の遊郭の話。
ンの、西陣にも、遊郭あったん怪的、当方的印象なれどです。
更なるの、ついでの、「西陣」とは、「西陣織り」の、「西陣」。京都の、上<かみ>の方に位置してるです。
とか、云い出せば、ついでの、ついでに、「島原」なるは、これ、我が母校、「郁文中学校」区内にあったですが。で、どこにそんなのあったか、なんか、知らんわと。
何分のその手の事、知ったは、後年でして。地名的、その界隈の級友居てての、家には行ってるのけどや。
とっとの、「祇園」の話に戻すですが。それも、界隈に戻すですが。
一見さん、お断りの、会員制、超高級クラブとしての、「祇園」とは。
客筋、どの程度のかも、知らんけど。少なくともの、会社の社長クラスの、会社も、零細から、大企業まであるのけどや。零細ではなと。かどかは、知らんのけどや。
社長も、雇われでは、チョとなの、オーナー社長なりで、なければ、無理哉と。
とか、云うたって、雇われも、接待費用で落としたり。
或いは、多少なりともの、名のあるの役者、俳優とも、申すですが。歌舞伎役者なり、落語家とかの、まあ、云う鱈、芸能人とかで、無いの怪と。
でや、過日、中村橋之助なるの歌舞伎役者が、京都、祇園、先斗町の人気芸子と不倫。
なるを、「文春」がスクープしたですが。
これ、間違い記事での、そもそもがの、京都、祇園は、「芸子」とは、申さんわの、「芸妓」。東京さとは、云い方、違うわと。
イヤイヤ、何故にこの手の話、引き合いに出したかの理由、幾つかあるです。
まずは、当人、芸妓が、バラす筈は無いです。どこかの、お笑い芸人の、元彼女やあるまいにと。売名行為なんか、トンでもの、馴染み客の事、世間様に、バラすは絶対にの、ある意味、その手の事、商売でありの、プライドに賭けて、とも云えて。
「祇園」の、ならなと。
奥様、三田寛子が怒らず、懇々の説教だけと。
報道番組では、奥様理解あると、大絶賛。下手し鱈、神対応とかとかと。
あのなあの、当世、常識を知らん過ぎるの、歌舞伎役者なりが、贔屓、馴染みの、芸妓が、居てずで、どするやの梨園で、花柳界也と。
バーや、キャバレーの、やあるまいにと。ここに、「不倫」と断じて、スクープするも、どかしてるですが。
報道番組にて、三田寛子を、えらいねも、芸妓の存在、承知で無くて、梨園の妻、つとまらんわい。
モと、云う鱈、夫婦で、つべこべ云わずの、世間様をお騒がせして、申し訳ありません的文言、理解せよと。
その芸妓にしたって、予約で一杯、一箇月待ちの、売れっ子。
要は、中村橋之助クラスの歌舞伎役者なら、馴染みの芸妓が居て、全くの不思議で無く。
考えて頂戴なの、四条大橋東詰めにあるの、「南座」なるは、その界隈でして。当世、この界隈、超の人気観光地帯での、出演の面々、この辺、ウロウロもやり難なってる鴨なと。
オッとの、でや。
東京さと、京都では、諸般、名称異なるです。
まあな、東京さの名称、一般的に流布されてるですが。
ここで、モ一発。
一見さん、お断りの、会員制、超高級クラブの、超高級コンパニオン的なるが、芸妓。その、見習い、修行中のが、舞妓。
当世の、単なるの、コンパニオンとは、質が違うの、モノがの、三味線、舞、謡等、芸事の修行積んでるです。
での、花魁なり、太夫の名称、これ、最高位、頂点なれどの、東京の吉原のが、花魁。京都の島原では、太夫。ンの果たしての、祇園界隈にの、この名称あったかなんか、知らんわの、無いので、無い怪と。
とかとか、云い出せばの、触れねばならぬの、舞妓、芸妓、太夫なりと、所謂の、遊女とは、異なるです。
遊女なるのが、「五番町夕霧楼」の話。コレ、西陣の方<ほう>。だけでも、無いけどや。
とか、云うたって、何度も、申してるの、「祇園」界隈、色町、花街の話やわと。
一見さん、会員制云々であれどの、酒席の場であり、所謂の、水商売。
云う鱈、昨年、長男家、孫君2号の、七五三をば、「八坂神社」で、やったですが。何とまの、女の子に、太夫の衣装着せてるのがと。
これ、此度、初めて、見たですが。チョとなあと。
イヤイヤ、太夫ともなればの、可成りの教養、勉強しての、芸事一流なれど、です。その昔なら、憧れての、その道にの、女の子も居たと、思うのけどや。
親とし鱈、基本、推奨するの職業で無く。むしろの、止めとけと、制止が本当で無いの怪の衣装。
モ一発。
これ、「祇園」に無関係なれどの、このところ、十数年経つの哉の。
京都に来てるの観光客で、女の子が、所謂の、舞妓の格好するが、流行りの、益々の、大いに流行って来てるですが。要は、単純には、和服の積もり怪。
なれどの、コレ又、正直には、チョとなあと。夏場の、浴衣なら、まだ、分かるですが。まあ、浴衣の積もり、なんやろ怪、なあと。
されどの、当人、多分なら、舞妓にでもの、格好するの、積もりの、珍妙、トンチンカンなるの時代に相成ったなと。
オッとの、ここ数年なら、その手、女の子と、同伴の、男の子も、一緒に、コレ又、浴衣の積もりなんやろなの。レンタルの着物着てるですが。
コレ、夏場に限らずの、年中での、となればの、浴衣とは、違うのけどや。まあ、和服。
その関連業者、ウハウハの、ええ商売なれどの。
ンの、舞妓。
舞妓は客相手しませんですがと、その馴染みの旦那怪と。
要は不倫とは、申さんまでもの、まあ、云う鱈、許嫁の間柄とは、違うんやなと、相成ってもてね。
京都のが、原則、浴衣、着るは、当世、「祇園祭」の、宵山、宵々山、だけと、違う怪と。よて、その手の話、チラとしたですが。
当方ならばの、その昔、京都在住の頃、絣の浴衣なら、その時期、宵山、宵々山の時、とは、夕方からの話での、「宵」やしなの、「山鉾」見物するに、着たわと、申したわと。
ンの、又、触れねばならずの、絣の着物。
とは、当方的、イメージならばの、学生の、でして。当方の時代、既に、学生服なれど、です。
まあ、云う鱈、一般的なるの、普段着とも、云えて。
云うても鱈の、片方で、この手の女性も、不倫相手とされて。
片方では、七五三の我が娘に、格好させたり。
モ片方では、観光客が人気と、格好して。
極めての、アン・バランスの、珍妙奇妙、奇妙奇天烈なるの世になってもてと。まあ、云う鱈、諸般、諸々、歴史の知識の、欠落し過ぎやでと。
そこまで、細々、考えんでもの、思いもあるけどや。
考えるべきは、「文春」でありの、テレビの報道番組の、無知さ、バカさ、加減。それに、乗ってしまうの世間。
とりあえずは、観光都市、京都やなと。着倒れの、京都での。
とかとか、又もやの、話、大いに逸れたけど。
この手、「祇園」の話なるは、当方には、無縁の世界故、可成りの誤解、曲解、錯誤。
当方、得意の、勘違い、ある鴨なと、予防線張っとくわと。
(17/01/18)
NO.1914 年末年始の話(15) いよいよの、墓参の話(5)
さての、本日<1月18日>。
予定外に、我が愛車、カローラが修繕から、上がって来たです。
イヤ、予定なるは、20日の金曜日。
イヤイヤ、当然の、結構なると。
只な、車屋申すに、バッテリーが相当にヘタッてるでと。この冬、保つやろ怪と。えと。
ほらならの、交換なり、して呉れたらと、思うですが。納車の際、気が付いたですて。
まあな、従前のよには、乗ってませんでして。且つは、この正月、初詣も、墓参も、息子共の車に乗せてもろてましての、自分の車に乗るの用事も無く。
近所なら、歩け、歩けと、歩いてまして。更に、この数日、積雪の程の天候。要は寒波来襲での、余計にと。
オッとの、そんな次第の、斯くなるでの。さての、どしょ怪なあと。
ここまで、話、して来たら、ついでに、モ一寸と、思たりも。
ンの、何の話かと、なればの、祇園の芸妓の言葉なり、でして。
その前に、修行積みと、申しの、一流の芸妓も、酒席の場での、所謂の水商売也と、申したですが。バーや、キャバレーや、あるまいにと。
その、バーや、キャバレーと、申したの、当世の、その手のは、相応の事情あっての勤めてると、思うですが。
安直に、では無いと、信じるですが。
云うても鱈の、所詮は、水商売。
まあな、当方、酒飲まん。でも無いけれどの、下戸故、その手の店には、全くの、無縁なれどの。そらな、飲めるの方なら、その道の、なら、女性ならばの、只で飲めて、金もろて。上下、全然の違う故に、出るに苦労と、聞いてるですが。
現在の、芸妓は、どか知らんの、一般的、その道の女性、所謂の日陰の身故、まともなるの結婚出来ませんが、相場也と。
云うても鱈、バーや、キャバレーのが、家に来てみい。馴染み客のやでと。家、ヒックリ反るです。大騒動。
その手の店では、あり得るわと。
適当に遊んだの、男、旦那が悪いのけどや。
芸妓の場合、お家騒動、有り得んわと。
オッとの、場合により、贔屓にして戴いてるの家に挨拶に来られる事、あるですが。ご心配無用の、挨拶でして。
奥様に取って替わって、云々なるは、有り得んの話。
その昔なら、あって、所謂の、二号さん。
ンの、後妻になら、有り得ても、家により、手順大変でして。まあ、云う鱈、一旦、他家、相応の、なれどの、養女になってから、正式にとかに、相成るの話哉と。
イヤイヤ、実際問題、どかは、知らんですが。
江戸時代から、昭和初期を扱おたの、映画、ドラマなら、この世界、触れてる事あるですが。
云うても鱈、日本文学、文豪の、小説でも、読めと。どの小説にかは、忘れた故、適当になら、谷崎潤一郎、川端康成でも、森鴎外でも、三島由紀夫のでも結構なると。
ンの、先刻、云うたの、水上勉の、「五番町夕霧楼」なら、遊郭の話。
でや、京都言葉として、誤解されてるの、「どすえ」。
「堪忍しておくれやす。」的表現も、そやったの哉の。
京都弁的、女性言葉でなら、「堪忍え」で、終わるですが。他に、どんな言葉あったか、失念の。これ、「芸妓」言葉でありの、京都の、一般女性が、そんな言葉使い、致さんわと。
勘違いされるわと。冗談になら、あるですが。
なぜに、特殊なる言葉使いしてる、かとなればの、お国訛り<なまり>を隠すが為でして。所謂の、「芸妓言葉」也と。
そらなの、バーや、キャバレーでも、本名云わんやろなと。源氏名と、称するの愛称使てるです。「芸妓」も一緒。
ンの何故に源氏名哉と、申せば、当たり前だのクラッカーの、正業に非ず也と。
何故に、お国言葉、隠すかと、なればの、これ又、出身地を隠すがためと。そら、出生、日本全国方々からやと。
ンンの、当世、バーや、キャバレーのが、正々堂々の、本名名乗れるなら、名乗って頂戴なと。
でや、ここまで、分かれば、七五三の我が娘に、太夫の衣装着せるの親。
京都見物、観光にての、舞妓の、レンタル衣装、着てるが、異様に見えるが分かるやろ。
まあな、本物か、レンタル衣装の観光客かは、一発、分かるのけどや。
事程左様の、「祇園」。
だけでも、話、し出せば、相応に仰山あるわの、この、「仰山<ぎょうさん>」なるは、京都弁、関西弁と、するよりは、京都女性好んで使うの表現哉と。
当方なら、沢山でして。仰山は、ホンの若干、僅か、京都弁的に聞こえるなと。
の、以前の、抑揚、アクセントなるがあっての、京都独特やわと。それを、似せるの言葉なるが、「どすえ」でありの、「堪忍しておくれやす」では無い怪なと。
オッとの、「祇園」、「祇園社」、「八坂神社」。
その、「祇園石段下」。
とは、申すも、石段下なら、ほんとは、道路。
なれどの、「石段下」と、申してるですが。
何故に、ここが、待ち合わせ場所として、有名かと、なればの、四条通りから、見鱈分かるの、遠目からも、そこに人、沢山居てるが、見えるわと。
沢山居てても、友人なら、一発、分かるわと。
石段からは、小高い故、尚更の、見晴らし良くて。大体は、石段に行くに、北と、南の横断歩道あるも、大抵ならばの、南側の信号、横断歩道から、でして。
オトトの、云うとくの、同窓会とか、仲間内、数人の待ち合わせ場所でして。くどくどの、説明不要の、場所、一言、時間のみで済むです。
云うたって、中学ので、1回か、2回。ローム、その当時には、「東洋電具」なれどの、仲間内で、数度哉と。
当世、超の観光地故、それこその、舞妓姿したの、観光客がわんさか、わんさの、記念写真撮ってたりで、人数多いのけどや。
その昔も、多かったのけどの、ここまではなと。
されどの、この、正月2日。
なるは、輪を掛けての、もの凄い人。初詣の人で。
イヤ、駐車場所、「京都市円山駐車場」故、祇園石段下には行ってえへんですが。
駐車場に行くの道中、見えてるわと。
オッとの、又もやの、祖父の件、飛んでもて。
(17/01/19)
NO.1915 年末年始の話(16) いよいよの、墓参の話(6)
オッとの、お年玉付き年賀葉書で、1枚当たったです。
当然の、切手シート。
只ね、例年なら、100枚で、3枚、2枚当たってるが。まあね、ゼロ枚の年もあったですが。1枚の年もあるけどや。
本日<1月19日>交換しに行くの積もりを失念してたです。同時に、書き損じのを、ンの、切手にか、葉書にか、交換するを迷てるもあるですが。
での、での、ついでの、ついでの、又、ついでの話の。
しつこくもの、この手の話の、中村橋之助と、祇園の芸妓。
そして、同じく、歌舞伎界の、片岡愛之助と、熊切あさ美。お笑い界の、狩野英孝と、加藤紗里の件。ここ等は、独身でして。愛之助は、当時はなと。
おつきあいの中身、大して知らん故、超の簡単には、中村橋之助は、代々の歌舞伎役者で、結婚もしてるですが。
片岡愛之助は、途中からの歌舞伎役者なれど。
相手の女性の出方が全然の違うやろな。熊切も、加藤も、所謂の、芸能人でして。別れた、裏切られたと、ひつこい程に、トーク番組、バラエティ番組に出て、喋りの、まくり。愚痴云うたり。
お陰様で、彼女等、可成りの小遣い稼ぎが出来て、名も、顔も売れて。これを、売名行為と、申すですが。
祇園の芸妓、その世界では有名、名もあっての、業界紙表紙にも出たり、何のかは、知らんのレギュラー番組もあってと、されてるですが。
その件、「文春」の件について、一言も喋らず、その手、テレビのトーク番組、バラエティ番組には、一切の、顔出さず。ネット上では、晒されてるですが。意にも介せず。
云うてるは、この差やわと。
芸妓たる、相手様に迷惑掛かるの事、一切せず。表に出ず。淡々と、してるです。よて、自然と、世間の噂からも、消えるですが。
流石に、一流芸妓也と。立場弁え、教養あるなあと。橋之助の、値打ちも上がるし、三田寛子も、賞賛されて。
片方の、愛之助は、藤原紀香と、結婚したですが。狩野英孝は、よお、知らんですが。両者、相応に値打ちを下げたですが。出て、喋る故、噂もなかなかに消えず。
ンの、モ一発、愛之助は、代々の歌舞伎役者に非ずと、してるです。少々脇が甘かったと、とも、云えて。又、少々弁解もしてしもて。
どちにしろ、その手、女性と、結婚に至らずも、まあ、理由、分かるです。して鱈、大失敗也と。
云いたいは、その辺りの事なんやと。
まだまだ、補足的、言葉足らず故、云い鯛の事、あるけどや。そんなにも知らんし、この程度で、止め置くですが。
での、ででの、祖父の話。
まあな、度々の触れてるですが。
実は、当方的、常識也と、してるが故、全くの触れて無い事、多々あって。この常識とは、京都ではの話であって。以外には、全くの通じてえへんです。多分ならなと。
イヤ、祖父の事で、触れてるは、丹波篠山の出身と。
京都に来て、京都も、当家、本籍地にしてるの、大宮通り綾小路通り東入る丸屋町なれどです。何故に本籍地にしてるかと、なればの、所謂の自宅故。
自宅の意、借家に非ずの意。
オッとの、丹波篠山も、果たしての、そかと、なればの、京都で、丹波篠山云々と云うは、田舎の意。事実、田舎なれどです。
只な、何故に出て来た。何故に、自宅持てる程に儲けた、までは、知らんわと。
そらなの、当時、住宅ローンなんか、あらへんわい。しかも、当時、持ち家何軒も所有してたと、聞いてるです。親父には、お付きの女中さんまで、居てと。
これは、ホントと、思うの、叔父、叔母、そのよに、申してまして。
且つは、ええ人やったと、ええ商人<あきんど>やったと、近所の小母さんまで、云うてたです。近所とは、当然の、喜吉荒神町の、であって。
そら、当方、丸屋町の家、知らんわと。祖父他界、昭和の20年<1945年>での、当方、生まれてませんでして。その時には、破産してての借家での。
余所様から、褒められるの祖父故、そなんやと。
でや、残念乍らの、知人の連帯保証人になって。判子一発、資産全部、没収されたですが。やから、借家住まいと、相成ったですが。
イヤイヤ、相当なるの額の保証人になったんやと。ある意味、よお、そんな額の保証人になったなと、思うのけどや。
はきりと、柴田家、皆、お人好しでして。よっく、分かるですが。
その相手様、苗字のみ、知るも、どこの誰様とは、全くの聞かされて無く。イヤ、当方、知る事無いと。知って、ども出来ず故。
イヤイヤ、祖母、苦労したと、思うです。
一夜にして、生活、急変、真っ逆様でして。次男、徴兵されて、戦死やし。云う鱈、長男、我が親父の事なれどの、ボンボンでして。
云うても鱈、祖父、昭和20年に他界で、終戦その年で。次男戦死、判明、昭和27年やったの哉と。
以て、恩給もらえるですが。空白の、7年、経済的、生活、どしてたの哉と。
三男、四男居てるですが。歳、若いわと。四男の、叔父と、当方、15歳の差やでと。
基本、親父、長男故、支えてたに相成るのけどや。諸般、出来てた、とは、思えんでして。
苦しい生活してたのやろと。
イヤイヤ、そらなの、電気屋、営んでたのけどや。親父はなと。
オッとの、でや、祖父居てたのか、どかは、分からんの、多分なら、生存哉の、昭和の20年<1945年>の事での、長女<親父の妹>、嫁に出し。
そらなの、葬儀出してからの、嫁入り、チョとなと。はばかるわと。
又、云うけれどの、そのご主人、義理の叔父になるですが。仕事もやり手でね。息子三人、諸般、大学出して。
そもそもがの、懇願されて、されての、嫁に出したと。それも、事実やろと。承知の叔母、正直、美人やわと。はきりと、聡明でね。郁文中学では、総代もしたと。
細かくまでは、申さんの、云う鱈、良妻賢母を地で行った人。
オトトの、柴田家の叔父、叔母、云うまでも無いの、丸屋町も、郁文中学校区故、当方と、一緒の学校でして。
でや、まだ、本命の話は、してへんわと。
ここまでの話なら、手替え、品替え、何度も、してるわと。目新しいと、なれば、当時の柴田家、皆、「京都市立郁文中学」出身なるぞの、話だけ。
でや、ででや、墓参の話で、何で、祖父の話怪と、なればの、何度も云うてるわの、建墓したは、祖父。
墓石欠けて来た故、新しいのに、したは、当方。
ンの、祖父が建墓は、定かに非ずの、「東本願寺祖廟」の墓地確保は事実哉と思えどの。
そら、元の古いのを、ここに移動したの線あって。
ンンの、もしかし鱈の、丹波篠山そのものが、冗談の可能性で、元々、丸屋町に、在住なるは、可能性薄いと思うですが。
この辺り、叔父に尋ねるの積もりが、なかなかに、なと。
されどの、叔父も、知らんの可能性ありで。
(17/01/20)
NO.1916 年末年始の話(17) いよいよの、墓参の話(7)
さての、云い忘れてたです。
当方、学生時代、着た絣の着物。
これ、親父のでして。当方の、として、新調されたの和服は無いです。時代が違うです。
但し、まあ、云うたら、チンチクリンでして。寸法直し等々、祖母が、母がして呉れたですが。寸法短いは、どするも出来ず。
色も褪せ、何回か着て、ハタと、気が付けば、処分されてたと、思うです。
イヤ、当時には、衣類、着物なるは、繕い、繕い、長きに渡って、大切に、大切に、生かされてたです。
さての、さて。祖父の事。
云うても、実物知らんです。2年のズレあるです。
遺品として、柴田家には、祖父の代のが、何点かあるです。
遺品とは、云えませんですが、墓もその一つ。引き継いだ、者として、大切に思てるです。
イヤ、黒檀の机もあるです。布袋さんの置物もあるです。祝い膳の椀も、その時代のを、引き継いでると、云えるです。
祖母のなら、針刺しがありまして。こんなモノ、今時使わんですが。しかも、壊れてるですが、過日、しかるべくの、補修しまして。小物入れとして、復活させたです。
当方としても、想い出あるも、あるです。
イヤ、見る度、嗚呼、祖母の大切な、大切な、針刺しやなと。
針刺し、すなわち、祖母でして。いつも、針刺しで、繕いモノしてたを見てるです。当方、小学生頃には、当たり前だのクラッカーの、老眼故、針に糸通せずで、当方に、通して呉れと。
オッとの、祖母、還暦の孫、当方。当時としたら、遅過ぎるの、内孫でして。
当方の還暦の孫、孫娘でして。これは、当方、男故、特段の、そんなモンでして。
云うとくの、当方、柴田家の話、特段の、そんな場を設けて、聞いたで無いです。
何かの、おり、チラと聞いた話を記憶してるし、殆どの場合、疑問抱けば、こちから、祖母なり、親父、叔父達に、質問したり、してまして。
イヤイヤ、本題、此度のですが、祖父の事。
いやね、こんな話、過去にも掲載してるですが。我が一家には、当然の、直接に話をしてるですが。
息子共結婚の際には、嫁共には、してるです。
云うたら、嫁はんに。
当然の、長男、次男、その嫁にも、全くの、同じ事、伝えてるです。の、程度、記憶してるし、伝えるが、当方の役目と、思てるです。
これ又、伝えるも、場面、異なるが故、表現も、違うですが。
そらね、この手の話、するに、そんな機会しか、あらへんです。
そらね、又、その手の質問でもされたら、承知の範囲、するですが。呆けん内ならの話。
で、何の話かと、なれば、祖父、絵の具屋してたと。
オッとの、絵の具と、するよりは、染料屋。ドイツ製染料を扱ってたの話、必ずや、してるです。当時の本、これ又、必ずや、紹介しの、見せてるです。
一冊のみ、保管してる故でして。
昭和11年発行、非売品の、「日染廿十年史」。豪華本では無いです。極普通の本。
ここで、前提なるは、話をせず。
前提とは、京都なるは、着倒れ也と。とは、話はしたか、して無いかは、定かに非ずの、その事と、染料が、繋がってるの話はしてませんでして。
いやね、京都なるは、平安京の時代、一千年の都也。と、なんかの話、常識故、一々の解説するまでも無いですが。
古都でありの、神社仏閣多いも、一々の説明致しませんですが。
柴田の親族に、どんなのが居てるかの、概ねの、ルーツは云うてるです。
まあね、有名人、歴史に名を残すよなのは、居てませんですが。さりとて、犯罪犯したり、余所様を騙したりの、世間様より、後ろ指、指されるのも、居てませんでして。
よて、大した事の無い、柴田家と、思うなら、バカでして。
この事、いかに、重要かと。
オトトの、又、話、逸れて来た故、若干の、戻すです。
京の着倒れとは、京には、呉服屋、その関連家業、営むが多いを意味してるです。我が町内会、「喜吉荒神町」、約40軒。
少なく見積もっても、約半分は、その関係の家でして。
いやな、我が家、電気屋。その向かって、右隣、材木屋で、その隣、砂糖屋。左隣、神主で、その隣の生業知らんですが。
真向かい、酒屋で、その隣も、酒屋で。
とか、云うたら、違うの職業ばかり、みたいでね。
されどの、斜め向かいは、湯のし屋でして。湯のしねえ。
生地なり、染め上げたの布をば、何と云うのか、蒸気で、ピンと、綺麗に伸ばすの業。
とかとか、呉服と、一言に申しましても、関連の業者、多いです。
刺繍もあるし、染めるもあるし、絵を描くもあるです。
染めるねえ。これに、使うが、染料。
絵を描くねえ。これに、使うが、絵の具也。
油絵に使うの絵の具、水性絵の、絵の具と、布に絵を描くの絵の具は又、違うです。
とかの、詳しい事、当方、絵の具屋、染料屋とは、違うですので、知りませんですが。
してたは、祖父の代。
染料無くして、呉服屋、成り立たんです。
加工以前の、白生地では、なと。これは、呉服の材料でして。これを、染め、刺繍をし、描き。以て、付加価値付けて、呉服屋大儲け。
そこで、絵の具に、染料。
加えての、ドイツ製。
ドイツ製にどれ程の意味あるかは、知らんですが。先進国の、輸入モノでして。品質が良かったと、思うの、これが、当たったの哉と。
まあ、つまり、京の呉服に、無くてはならぬの、材料でして。
当家、祖父、呉服関係の業してたと、相成るです。
とは、京都人なら、通り名と、一緒の、常識の話なれどの、常識過ぎての、そこまでの、説明致さんです。
(17/01/21)
NO.1917 年末年始の話(18) いよいよの、墓参の話(8)
での、祖父の代、家業、染料屋。
親父、「ナショナル代理店柴田電気商会」なるぞと、申し。
それが、何じゃの世界哉で、嗚呼、寂しいなの世界。
戸籍に傷付けたりの、犯罪者、世間様に後ろ指、指されるよなご先祖様、居てません。
それが、何じゃで、当たり前だのクラッカー哉の、つまらんなの世界。
されどの、この事、如何に重要かと。
前科ン犯なるが、戸籍に記載されるは、末代、子々孫々の恥也と。
オッとの、但し、戸籍原本には、前科が記載されるですが。当世、謄本、抄本の写しには、印刷されませんです。
ならばの、記載されずも、同然なれどです。
法務省、警察庁の犯罪人原簿からは、永久に消えませんです。
いやね、ご先祖様が、どんな人かを伝えるは、我が使命と、考えてるです。
但し、その機会、僅少でして。
それもあるし、そんな事、改まって、度々の、話をするの事、ありませんです。
叔父に聞く、聞きたいと、思うの事、あっても、実際に叔父に会うも、その手の話、聞くを失念してるです。
そらね、常々、そんな事、念頭にありませんです。
又、ご近所の方に、あのなあと、話するも、バカげてまして。誰様が、余所様の、ご先祖様に興味あるかと。ありませんです。
ンの、下手したら、親族がさえ、興味、なかったり。
まあね、余程の家系、立派ならでして。立派なら、口癖の如くに、耳にタコ出来る程に、云われるの哉と。
されどの、そんな家、沢山はありませんでして。基本、普通で結構なると。
とは、重々の承知の上での、さもなくばの、墓参の意味も何じゃの世界哉と。
とまあ、そんな次第の、斯くなるでの。
現実的、自身の生活がと。健康がと。家族、親族の生活、健康がと。ご先祖様が、どれだけご立派も、自身の事、最優先でして。
ここが、崩れたら、家族に累及ぶです。
及びの、カバー出来れば宜しいですが。これ又、なかなかに大変でして。
ンの、話、変な方向に逸れそが故、修正致すです。
当方にしたって、祖母なりから、延々、懇々と、話をされた、聞いたで、ありませんでして。
何かの時、チラと聞き、それを覚え。又、ハタと、聞きたい事あれば、聞いたりでして。その蓄積と、後年、それらを繋げ、組立てた結果の話でして。
それを、このよに、文面化するに、相応の検証もしてるわと。
されどの、不明なるは、不明で、推測、憶測も大いに混ぜてるです。そら、先の通りの、祖母からも、筋道立てての話としては、聞いてませんです。
バラバラの話でして。
ましてやの、祖父には、時期ズレあって。現物、当人には、会おてませんでして。会おてても、僅かなるの期間なら、分からんです。
そらね、我が母の事、孫娘、孫君1号まででして。何とか、記憶に残るがです。残っても、漠でして。
以下の、孫君2号、3号では、まあ、記憶の中には、難しく。
そもそもがの、孫共、我が母に、何回、会おてるやの世界でして。回数、数えられるの範囲哉と。
ましてやの、我が親父の事、祖父母の事なんか、見も知らず。ズレにズレまくってるです。嫁共にしたって、知らんわと、結婚の時には、亡くなってまして。
オトトの、嫁はんにしたって、知ってるは、親父と、母まででして。母なら、嫌と、云う程に知ってるですが。
ンの、親父の事、息子共も、会うの回数、数えるの程哉の、数回哉と。
果たして、どのよな、記憶してるの哉と。
いやね、当方、見もしてませんの、祖父の事、身近に感じてまして。
ンの、我がソバに居てるの意で無いわと。我が背後にての、守護霊として、守って呉れてるの可能性なら、あるですが。
オッとの、そんな意でも無く。
ンの、そんな意味もあるなと。
ご先祖様あって、現在の自分有り。現在の自分あって、ご先祖様があると、しても、良いの哉と。
いやね、墓参する事で、何かしらの安堵感抱くです。そらね、それこその、気が付いた時、ご幼少の時より、回数、数えられん程に墓参してるです。
当方、何れ、この墓に入るの身でもあって。
まあ、ええ景色やなと。京都の町、眼下に見下ろせるの立地やしと。
当方的、数少ないの、自慢の、且つは、一番の、自慢でね。常々思てるです。祖父、よくぞ、ここに、建墓して呉れたなと。
(17/01/22)
NO.1918 年末年始の話(19) 脱線の話
本日<1月22日>、日本生命外交員の小母ちゃんが来まして。
ンの、小母ちゃんも、当方と、ほぼの同年なれどです。ならばの、ばあちゃんに相成るですが。
曰くに、若手不足で、なかなかに、辞められませんですと。
されどの、この歳で、要請され、活躍出来るは、ある意味、羨ましい事で、立派でして。オッとの、まだ、70歳には、成っておられませんでして、同年生まれとしておくです。
ンの、目的、当方の掛けてるの、保険の件。
原則、年1回は、現在掛けてるの保険の説明する事になってる故、説明しますと。
ならば、受取人嫁はん故、嫁はんと一緒にと、本日になったですが。
そらね、所謂の養老保険で、掛けてるの当人、当方の事なれどの、死亡せぬ事には、受け取れず。
死亡故、使うは嫁はんでして。それがため、延々の掛けたですが。且つは、満期になって、そのままでの、現時点、別途の、医療保険を掛けてるですが。
イヤイヤ、そらなの、当方、ロームに入社即の、掛けててね。母、日本生命の外交員、やってた故での、むしろの、半強制的でして。
まあ、云うたら、凄い金額の掛け金でしたです。
現在なら、その保証金額のは一般的、掛けてる方、僅少でして。云うたって、死亡で、億なんかの話、別世界なれどです。あれは、社長とかや。相応の社会的地位のある方の話での。
そらなの、その保証とも、なればの、年額、ン十万円でして。ンの、それに近い掛け金であったですが。
ンンの、よ考えたら、ン十年の早くに、死亡ならばの、6500万円の保証でしたです。
そらね、諸般、結婚等々、息子が出来たりで、その分、死亡してもと、次第、次第と、保証金額、増額してたなと。
オッとの、既に満期で、保証金額、びくりする程の少額になってるのけどや。6500万円からは、なと。
あとは、嫁はんとの、相談の上、果たして、死亡まで、待つのか、それまでに、一部でもを、出して、使うかの選択もありまして。
その辺りの、今、出せば、幾ら哉と。ンの、ほぼの半額ですて。つまらんなと。
それが、保険でして。保証と、満期金額、途中解約の差でして。まあな、80歳辺りにでもなれば、死亡時のと、差額、狭まるですが。
いやね、相続の事、考えてるですかと、尋ねられ。
我々の資産、知れてるですと、返答したなら、少額でも、当世モメる事、良くあるですて。へえと。
そらね、持ち家でしょと。されどの、少子化で、不動産バブルの時代からは、可成りの目減りしてるですが。そらね、家屋の価値、ありませんでして。土地だけ哉と。
最早の推定、1千万円もは、しませんでして。その昔なら、転出、即の、売れてたですが。ここ、ン年なら、転出も、1年、2年、売れてませんでして。
かと、申しの、これも、当方死亡で、嫁はんに全面的なると。
相続のための、遺言なら、そのよにと。文句あっかと。
ンの、そらね、どちが早くにかは、分からんのけどや。常識的、当方先でして。
そらね、諸般、以降についてなら、老後の面倒見て呉れたの方に、全面的、当然也と。
云うたって、果たしての、どれ程が残るか、なんか、分からんの、まあ、ご心配無用の、無資産階級でして。
何とか、葬式代をの、程度でして。
それ、云い出したら、我が親、資産なんか、トンでも状態。
むしろの、親父の時には、元々が、家あらへんし、葬式代も、無かったですが。ンの、とは、申せずの。
親父、貯金して呉れてまして。
又、葬儀も、世間様に、恥ずかしいのでは、非ずの、相応ので、出したですが。自宅でして。
少額なるも、香典とかとかも、あっての、残ってもてね。されどの、くどいけどの、当方、公明正大。隠し事せず主義でして。
ずばりの、これだけ、残ったと。はきりと、申しの、我が一家、妹一家に伝えまして。
その場で、母に半額。他は相応の、妹一家にも、平等にと。文句あっかと。
まあな、結果的、親父の孫にも、でして。孫の人数、妹家、3人。当家2人が故、妹家の方、大目になてもたですが。まあ、結構なると。
元が、知れてるが故、大目も、知れてるですが。
とまでの、詳しい事、外交員には、申してませんですが。
単純明快の、平等にと、事実故の、申したならばの、立派ですねえと。立派も、当方的、それが常識かと。
されどの、当方、その手、遺品等々、我が親以外の誰からも、戴いた事、無いです。戴けるよな、親族、無いは、無いですが。
嫁はんの、にしたってなと。
いやね、この事も、度々の触れてるですが。母の時の、葬儀会館では、親父の時の倍額掛かったです。
この場合、当たり前だの、クラッカーの、母、貯金なんか、トンでもの。はきりと、借金までは、無いだけでして。
ンの、云うてもたら、借金なら、遠の昔に、こちが、返済してるの、ボーナス、全額、何回分怪と。
まあな、母のは、無いが、分かってる故、こちが、イザの時のための、貯金してまして。
そらな、一気、ン百万円もの、葬儀代。正確には、200万円もの、現金故、とても、とてもの、早めにと、準備してたです。
してくれてたは、嫁はんでして。感謝、感謝。
お見事、その貯金も、綺麗さっぱりの。
残余の、諸般のアクセサリー類等々、もってけ、ドロボーと、までは申さんの、和服等々、衣類等々含め、これだけやと。
最優先的、妹には、見せての、好きなモノ、もってけと。
当家、嫁共にも、見せてる筈の、そちは、果たして、貰て呉れたか、定かには、当方、知らんの、多分なら、欲しいの無かったのではと。
まあな、年代、歳、全然の違うし、好みもなと。
それもあるし、目を見張りの、嗚呼、これ、欲しいと、するよなのもなと。あれば、ンの、妹が貰てるやろと。
そんな高価のが、ある筈がなと。アクセサリー類なんか、当方にしたって、趣味ありませんでして。
衣類に、和服も、母なら、女性で、当方、男。
残余の、残余のは、コレ又、綺麗さっぱりの、宝石、貴金属、高価買取業者に持参で、売ってもての。
売った金額、綺麗さっぱりの、当家家族で、焼き肉屋で、喰てもたわと。
の、程度の金額でして。
いやね、結果、子孫には、焼き肉となりての、皆の腹の中えで、血となり、肉と、なってるなと。
オトトの、親父の遺品なら、当方、三文判一つ、所有してるですが。
ンの、そんな事なら、母の遺品とするのか、箪笥類、現在唯今、ありがたくの、使てるです。
いやね、斯くなるでの、当家の祖父母、両親のも、ちゃんと、残してるです。祖父母のであれ、我が親が残してたが故、現在唯今、残せてるです。
云うたって、仏光寺の家、出る時、これこれと、持ち出したは、主たる、当方なれどです。ソラ、祖母亡くなり、親父、宇多野病院入院中で、男子、当方、一人だけの、事実上、24歳の家長代行。
云うとくの、主たる出来事、予定なるは、全部、親父に、伝えてるわと。そらな、生まれ、育ちの、住み慣れたの家です。
親父に無断の、勝手に引っ越しなんか、するもんですか。
柴田家家長代行として、残念無念の、断腸、この身、切り裂かれるの思いやわと。
何よりも、我が家、出るが、どれ程の辛さか、寂しいかの、町内会の面々も、同級生からも、遠くになるんやでの。
母、妹連れての、三人で、都落ちやでと。
(17/01/23)
NO.1919 年末年始の話(20) やっとで、「八坂神社」境内の話
本日<1月23日>にも、保険のばあちゃん、来られまして。
昨日の続きの話をされたですが。
続きとは、説明聞いたのネットでの、対象者確認。
での、この方の事、これ以上記載すれば、同僚なり、担当顧客なら、一発分かるですが。
特段の隠すよな話もしてませんでして。
云うてもたら、どこえでも、所謂のママチャリでして。従前までは、ですが。此度、電動自転車にしたと。要は、年齢的なるの問題での、楽ですねえと。
10万円程したと。
只、速度が出ましてと。
ンの、注意してくださいねえと。速度出て、転けたり、ぶつかったりしたら、大変でして。
まあ、大分、慣れて来られたよですが。
イヤ、この方、可成りの距離、自転車でして。そら、どこえでも、自転車でして。自動車乗れぬ故ですが。
オッとの、話の中身、そのものは、割愛しの、本題でも無いの話をチラと。
イヤ、久しぶりに、夢見たです。しかも、多分なら、二本立て。当世、映画の二本立てなんか、死語化してるですが。その昔には、良くあったですが。
での、当然の現時点、記憶してる故、見たと云うてるですが。
考えてみたら、初夢哉と。
あくまでもの、記憶してるの夢なれどの、記憶してなければ、初夢であろが、なかろがの、見て無いも同然の。記憶してるが故、見たと云えまして。
この初夢の定義、年明け、最初に見たの夢を初夢とするが正当と、思うですが。
されどの、何時までの夢を初夢とするの哉と。
云うてるは、正月元旦限定か、三賀日に見た夢を初夢とするのか、七日か、十一日か、十五日まで、一月中ならの、等々、期限があるの哉と、余計なるの事も、チラと、考えたり。
モと、云うたら、正月元旦も、そもそもがの、零時過ぎたら、二日故、大晦日から、元旦に掛けて、寝た時の夢を、云うの哉、とかとか、理屈云い出したら、切りが無く。
イヤ、此度、その事、夢見の話なれどの、掲載致さんです。
もっと、日が経ち、覚えてたら、「不可思議の世界」にでもと。
云うてるの間にも、筋を忘れてしまいそ、なれどです。ンの、そもそもがの、夢に筋はありませんですが。
よて、余計に、掲載するが、難しく。記憶も、刻々の変化しの、曖昧になるもありまして。筋があれば、筋道立てて、構築、組立出来るですが。その辺り、全くでして。
何故に、夢見たかと、なればの、多分なら、電気毛布の電気、入れ忘れで、寝しな、ゲと。寒いのに、コマツタなと。風邪引いたら、大変ぞと、思いつつの、必死で、寝たが原因哉と。
必死で、寝られるなら、結構なれどです。寒い、寒いの、早よ、暖かくなれと、思いの、チョとだけ、暖かくなったの辺りで、安心して睡魔の中えと、相成って。
までもを、覚えてまして。
どちにしても、後日の話。くどいけどの、覚えてたらの話で、本題えと。
本題も、結果、「京都市円山駐車場」から、出ての、さての、一歩も進んでませんでして。
やのに、「祇園」の一言で、延々の脱線してまして。それ程に、「祇園」なるは、京都の名所での。意味あるの、場所でして。極端なるの話、「京都」と、云えば、「祇園」也と、申しの、過言で無く。
云うてるは、その、「祇園」の、「八坂神社」。その先には、しだれ桜の、「円山公園」。
その、「円山」を冠する、駐車場。
且つは、且つはの、そのそばには、「東本願寺祖廟」がありての、当家、墓地、墓石あるぞと。
それが、云いたいだけでして。よって、くどくどの、云うてまして。
イヤ、出口より、皆が出たは、「八坂神社」の横手。正確には、横手の入り口でして。
イヤイヤ、この日、正月2日。横手、入り口付近に、出店あって。へえと。平日、いつもなら、無いですが。無い筈ですが。こんな場所にまで、参拝客、来ませんでして。
イヤイヤ、更に、横手入り口より、「八坂神社」境内に入れば、もの凄い人、人、ヒトで、まあ、大変。
当方なら、こんな人出、最近でこそ、慣れてませんですが、どて事あらへんでして。孫娘の手を取り、スイスイと、進んでたら、長男、お父さん、お父さん、皆を待ってやりいなと。
オッとの、トトトの、当方、自分と一緒に思てまして。こんな人混み、どて事、あらへんわと。
本殿横手から、「舞殿」経ての、目指すは、あっちの、「南楼」。
そこを出たら、すぐのそこが、「東本願寺祖廟」の石畳でして。入り口でして。
長男に皆を待ってやれと、云われて、オッとの、そやなあと。
自分は、構造重々の、承知故に、一目散なれどの、他は、左程であらへんぞと。もしかしたらの、もしかしんでもの、この経路、初でして。
まあな、当方にしたって、度々は、こんな経路で、来ませんですが。強いてなら、初めてかもなと。
初めてでも、チラと、周辺見たら、察しが付いてるですが。方向音痴の、我が輩がや。
これが、行き慣れてないの、地方と、まあ、云うたら、地元的感覚の地との差でして。この辺り、ややこしいけれどの、正確には、地元となればの、「格致小学校」界隈になるですが。
まあ、云うたら、当方的、地元の範囲に入るです。様子、分かってるです。
とっとの、そんな事、云うてられませんの。
いつもと、違うです。正月二日で、初詣客で、一杯でして。そこを、総勢、10名。孫共、4名。当方、孫娘一人、ガチと、手を繋ぎの、はぐれんよにと。
他のは、大人が沢山居てるわと。任せてしもたのつもりして。
まあ、云うたら、行き先なら、墓故、皆、承知してるわと。それには、間違い無いですが。
そやなあと、振り向き、皆に、あそこに行くしと、「南楼」をば、指指して。
ンの、いつからか、工事中、修繕中がため、幌被せてあるですが。
まあな、本殿横手をさえ、過ぎた辺りより、皆も、現在地、分かるやろと。只、人が多過ぎて。
(17/01/24)
NO.1920 年末年始の話(21) 墓参の話
本日<1月24日>。
朝から、又、積雪。
結果、残念無念の、遂に、バッテリーが上がってしもたです。
イヤ、ど哉と、キーを挿入一発、かちゃかちゃの、カチャと、プラグの点火音、聞こえてるものの、エンジン始動せず。嗚呼、あきませんですかと、即の、車屋に電話一発、すぐにも、来て呉れたです。
すぐ、云うても、1時間半後。イヤ、想定以上に早いですが。
そして、約、10分程で、バッテリーの交換終了。
いやね、このところ、遠出するの用事は無く。近在なら、基本、歩け、歩けの、健康のためと。
一昨年<2015年>の6月までなら、母の件で、諸般、用事有りで、車は欠かせませんでしたですが。その手の用事、無くなってしもて。
そらね、風邪引いた。
の程度なら、宜しいですが。転けては、病院にで、入院しては、洗濯モノの交換にと。
当たり前だのクラッカーで、病院には、車に乗せて、等々、大変でしたですが。
余計なるの話、昨日も、保険の小母ちゃん、帰りしなに、玄関の手摺り見て、大きいのがあるですねえと。ええ、母ので、付けたですが。
取らずは、その内には、こっちがいるよになるですしと。
冗談に非ずの、本気でして。
そんな事、スと、言葉に出るの歳になったなと。
そんな次第の、斯くなるでの。
墓参、そのものは、いつもの通りでして。只、年に何回かは、斯くの如くに、家族全員、10名で、来てるですが。
当家墓地、少々高い位置にありまして。結果、下を見れば、京都の町、眼下に見下ろせるの、ええ場所でして。当方、来たら、眺めてるです。
眺めるも、意識せずとも、見えるですが。墓地故、他には、墓石だけでして。
最近でこそ、云わんですが。息子共結婚で、嫁共と、来た時。孫共が、日本語、話せるよになった頃には、申してるです。
まずは、景色、ええやろと。
特になら、長男嫁には、あそこの、あれ、見えるやろと。日本電産やでと。
イヤ、長男、「日本電産」に勤めてまして。
イヤイヤ、結婚と同時に、転職してね。ある意味、勇気あるなあと。
そんな事なら、次男も、当初の就職先、富山、高岡でして。はきりとは、最初は、「カネボウ」の薬品部門。行ってるの間に、薬品部門のみ、分社で、「クラシエ」に替わってもたですが。
転職で、こっちに、戻って、結婚でして。
正確には、転職で、こっちに、戻って、結婚直前、モ一発、転職したですが。どちにしたって、次男、薬科。嫁も薬科。
薬剤師免許所有でして。
ンの、そ云うたら、最近、その手の話、しやへんねえ。
結婚した当初、嫁捕まえては、その手、薬品の事、尋ねたり、してたですが。オッとの、真剣なるの、質問でして。常日頃、疑問に思てるの事を、でして。
ンンの、そ云うたら、その嫁には、諸般、話をしたです。
イヤイヤ、長男嫁にもしてるですが。多少は、表現、中身、違う鴨ですが。そら、一緒に居てるの場ではしてませんでして。
多分ならですが。
当家、直系では無いですが。親族ですが。
要は、祖母の妹の、長男の、息子。
その昔には、会おてるですが。そこの家、大徳寺でして。ンの誤解されたら、いけませんので、正確には、北大路通り、大徳寺の真ん前の家。
祖母の妹、おられた時には、度々の出向いてるです。一度、泊まった事もあるですが。
オッとの、要は、親父の従兄弟の息子が、麻酔科の医師してると。
との話はしてるです。云うたって、最早の顔見ても、分からんですが。親父の従兄弟なら、親父の葬儀の時、参列して呉れてるですが。
その息子なら、当方より、年上で、半世紀以上、顔合わせてませんでして。最後は、中学生くらいでね。
オトトの、そこまでの話、嫁共には、してませんの、麻酔科の医師の話まで。要するに、医療関係やと。
それ以前の、祖母の親が、彦根で、医者してたと、聞いてるです。医者故、当然の医療関係。
イヤイヤ、祖母の出生、彦根でして。
過日にも、申してるの、三姉妹、京都に出て来て、結婚してるです。先刻の、大徳寺の妹なるは、中手。末のは、富小路の方でして。当家、仏光寺時代、歩いて、15分程度の場所。
ンの、まさかの、大徳寺までは、歩いては、チョとなあと。歩いて、行けん事、無いですが。自転車でなら、何度か、行ってるですが。
つでになら、祖母の、祖母が、井伊直弼の孫娘と、同級でしたと。何やら、NHKの大河ドラマで、「井伊直虎」<おんな城主直虎>をやるらしいですが。
加えての、親父、「ナショナル代理店 柴田電気商会」をやってたと。当方なら、電気工学専攻で、ロームに勤めてたの程度はなと。
とかの話なら、息子共、結婚したの当時、嫁にもしてるです。
こんな話、嫁にするにしたって、度々のするの話でなくの、一度っ切り。
そんな時にしか、しませんでして。
オッとの、当たり前の、モと、詳しくのしてるですが。祖父の話もなと。そら、柴田姓になるのやからにしての、当家の概要、知っといてもらわんとと。
そらな、さもなくばの、墓参で、誰にと。当家、ご先祖様とは、どんなかも、知らんで、何してるやに相成るわと。
息子共、嫁共、知らずで、孫共知る筈が無く。
オッとの、孫共にも、教えるが、当方役目の一つ。
とも、思うけど。コレ又、度々の機会、あるで無く。常平生、ご先祖様が云々なんか、考えてませんでして。説明、難しいけれどの、話に矛盾生じるですが。
常に身近にある。
とも、云えて。
まあな、身近に過ぎて、意識など、してません。
とも、云えて。
それも、あるし、孫共には、難しいです。
嫁共なら、その手、機会、結婚の時也と。
されどの、孫共の場合、その手、機会、あらへんです。生まれた時には、日本語、分からんわと。分かってたら、お釈迦様。
それだけで、世界中に評判となりての、将来的にも、歴史に名を残すの、大天才。
喋り出したとて、ご先祖様云々の話、言葉理解出来るよに、なってからでして。それが、どんな時か、何時かが、判断難しく。
オッとの、何の話、してるの怪と。
その墓参が終われば、「島津人形」に行きたいと。長男が、でして。
目的、「鯉のぼり」を買い鯛と。
いやね、我が町内会、とするのか、「大井町」の、氏神様、「大井神社」。
当神社、「鯉」に、関係有りの、詳しくは、ここでは、申さんの、鯉は、喰てはダメ、鯉のぼりも、ダメと、されてまして。
当家、当地に引っ越した時、即の、当時の、区長殿、我が家に来て、その事、教えて呉れたです。
正直、聞いて、へえと。
結果、お見事、「大井町」には、五月の節句で、「鯉のぼり」出ず。
当家、真向かい、町名違いましての、「鯉のぼり」が出て。へえと。
いやなの、当家、男の子、二人居ても、「鯉のぼり」上げるが出来ませんでして。
この事、迷信と、云うなかれの、確かに、諸般あるよな気配濃厚。
も、あるし、何も、わざわざの、ダメと、されて、災い招くの事も無く。
オッとの、当然の、「大井町」内の事での、一歩出たら、無関係。
よて、そんな意味でなら、息子共、長男、神戸で、次男、長岡京故、そこで、立てる分には、ども無いです。
(17/01/25)