シバケンの単なる雑談NO.415


NO.411 NO.412 NO.413 NO.414
NO.406 NO.407 NO.408 NO.409 NO.410

NO.410
NO.360 NO.370 NO.380 NO.390 NO.400

NO.300 NO.350 NO.400
NO.50 NO.100 NO.150 NO.200 NO.250
題目一覧表

目次

雑談NO.416

NO.4520 閑話休題的、散髪屋の話

NO.4519 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(17) 次世代の話(2)

NO.4518 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(16) 次世代の話(1)

NO.4517 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(15) この手のは、相応の人相してるの話

NO.4516 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(14) 万事、継承難しいの話

NO.4515 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(13) 恩師の本業宮司、副業教師の話(2)

NO.4514 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(12) 恩師の本業宮司、副業教師の話(1)

NO.4513 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(11) 大井神社のも、充実し出したの話

NO.4512 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(10) 昔、千本通りの出世稲荷神社の話(3)

NO.4511 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(9) 昔、千本通りの出世稲荷神社の話(2)

雑談NO.414


NO.4511 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(9) 昔、千本通りの出世稲荷神社の話(2)

いやねえ。
ハタと。思い出したです。
一本やのに、千本とは、こは、如何に。

何の事か。
まあ、言うたら、川柳か、なあと。
これ、京都の、なら、何を言うてるか、大方の、見当付くの、通り名の、「千本」通りの事でして。
で、大方、わかるの、道、1本しか、ないのに、千本<通り>とは、こは、如何に。でして。
余り、おもしろくも、ないけれどの、出世稲荷神社の、宮司、トチオ先生、口癖みたいに、言うてたです。申せば、当時の先生、何かと、自身の、住所をば、生徒に、教えてたです。さもなくばの、ダアレも、知らんになるです。

言うは、出世稲荷神社ねえ。千本通りでして。旧二条通りの角にあった、です。
聞いて、様子伺いに、覗き見に、行ったよなと。まあ、言うたら、中学校から、左程に、遠くも、ないです。JRの、二条駅に近くてねえ。と、するのか、まさしくの、その辺りやねえ。多分。
現在には、引っ越してましての、存在、しませんですが。変な話の、神社も、引っ越しするんやなあと。イヤ、ほんと。

言うてるの、禿で、ねえ。
この先生。
冗談多く、おもしろい先生でしたです。今だ、そのお顔、姿、形、サと、思い浮かべるが、出来るです。愛嬌のあるの、顔でも、あった、ですが。
言うたら、そと、聞けばの、神主、宮司の人相でして。

いやねえ。
言うてるの、以外には、隣家。まさしくの、隣の家、神職。とは、言うても、隣家そのもの、神社でありませんの。されどの、的、雰囲気の家でしたです。

まあねえ。
隣家やしねえ。当方的、行ったり、来たりの、特段の、何とも、思ておらず。子ども時代の話やでと。
しょっちゅう、隣家には、行ってたと、するのか、家に上がった事、一度もないけれどの、中の様子なら、知ってるです。見えるの範囲だけ、なれど、です。

での、言うてるの、何の、かは、知らんの祠みたいなのが、あっての、それに向かいの、その小母さん、毎日、毎日、詔を上げてたです。
当たり前に、暗記。
当時なら、当方も、台詞、文言、憶えてたり、してねえ。いや、ほんと。

いやねえ。
その祠なるは、庭にあっての、八百万の神々に、挨拶してるんやと。とは、小母さんの言。
イヤ、時偶には、ズと、聞いてたです。
正直、えらい、なあと。兎に角、毎日、毎日、朝一番に、でして。

その隣家の、一番上の兄さんなるが、男山八幡の、神主さんと、聞いてるですが。兎に角、顔知らんです。知る程には、遭遇しておらず。とも、言えるですが。
ここだけの話の、その小母さんの、子とは、違うみたいでねえ。言うたら、小母さん、後妻さん。がしかしの、言うてるの、当方、物心付いたの頃には、居たはりませんでしたです。

そこさん、兄と、2人の姉妹。要は、3人の子がいてねえ。
その兄が、何度も、言うてるの、菊水鉾の囃し手。そして、姉妹の姉ねえ。1歳上かと。下のは、1歳下かと。
話、簡単、才女と、するのか、兎に角、勉強出来たです。その姉妹。通知簿なんか、見た事、あらへんけれどの、オールの、「5」と、聞いてたです。

が、しかし、姉、堀川高校落ちて、もて、ねえ。
町内の面々、大ショックの、大衝撃でしたです。あんなに出来たの子、お姉さんが、落ちたと。嘘やろなの、あの子が落ちるよでは、誰が受かるやと。イヤ、ほんと。

又、言うたら、その子よりも、何歳上かの、兄さん、町内一緒の、歳ねえ。とりあえず、中学浪人して、堀川高校に。イヤ、ほんと。
その兄さんとは、一緒になってませぬが故、4歳違うのやろ怪と。
イヤ、中学浪人で、1歳ズレて。当方、通学し出したの年には、卒業してたし、ねえ。

言うは、堀川高校ねえ。噂の範疇、中学浪人してでも、行けと。
イヤイヤ、理由なるは、当時には、資産の有無に関わらずの、結構、あったみたいに、聞いてるです。いわば、堀川高校に限らずの、公立高校にさえ、入って、卒業したら、格好付くと。

まあ、言うたら、私学では、金掛かるしねえ。大したと、するなら、洛星高校になるの、けれどの、ここは、桁がと。難しいわと。
まあ、言うたら、洛星高校に、入れたら、国公立大学確定みたいな、モンでして。
と、聞いてるし、承知の範囲、当方の、同学年で、洛星高校進学者居てませんです。

かと、言うて、言うてるの、中学の、3年2組の同組ので、3人、東京大学、京都大学、大阪大学に、行ってるです。
まあ、言うたら、大したモンやと。
私立の、洛星高校に行かんでもと。とも、言えるけれどの、言うてるの、入った、入れたと、言うだけでも、大したモンやと。
とか、言うたって、当世なら、堀川高校も、探究科なるが、出来ててねえ。ある意味、洛星高校と、ええ勝負になってるですて。
結構なると。

オッとの、何の話ねえ。
隣家、男子、神職であると。女子の方、勉学優秀でして。は、事実と、思てるの、その姉、落ちて、ねえ。
言うたら、当方、合格。妹の方、我が後輩になったです。これも、オールの、「5」と、聞いてるです。
ンの、当方ねえ。オールの、「3」で、チョロ、チョロの、4なりあった、ダケ。で、よお、合格したなあと。とは、正直、思てるの、オトトの、そこの、兄さん達、堀川高校とは、聞いてはないなあと。

申せば、実際は、知らんの、当時の話の、大学に行ってた的、話も、聞いてませんでして。イヤ、長兄の事。承知の兄さんも。
がしかし、神職と、聞いてまして。
イヤ、その当時には、そなんやと。神社で、修行なり、してと。的、思てた、わと。
反面では、神主、神職になるための、大学も、ある筈と。ズと、思ててねえ。
そらねえ。
坊主の大学なら、沢山、あるのやしと。特に、京都には。
そんな事なら、京都には、沢山の神社あるのに、大学が、ありませんでして。イヤ、国士舘大学も、皇學館大學も、京都では、ないです。
(24/07/09)


NO.4512 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(10) 昔、千本通りの出世稲荷神社の話(3)

いやねえ。
出世稲荷神社の、宮司。
郁文中学校の、社会科の先生。トチオ先生。
とか、言うたって、肝心の、郁文中学校なるは、少子化で、廃校になてもてねえ。後年、校名替わって、開校したですが。
場所一緒でも、校名替わると、違和感あって、ねえ。

とするのか、基本、卒業以来、行ってえへんなあと。
それ、言うたら、小学校、格致も、廃校になって、ねえ。結果、当方的、小学校、中学校と、消えたです。小学校は、そのままの、格致小学校のままなれど、です。

それ、言うたら、幼稚園も、あらへんねえ。
母校、母園の、明徳幼稚園。場所ねえ。正確なるは、忘れたです。とりあえず、五条通りまでは、行ってないです。堀川通りは、渡ったです。の、辺りやねえ。
当然の、明徳高校の関係でして。
明徳高校ねえ。女子校。
幼稚園の行事では、そこの、お姉ちゃんが、相手してくれて。イヤ、ほんと。

言うておくの、当世、高校なるは、ほぼの全入なれどの、その当時には、結構、辛く。
言うてるの、町内の兄さんにしたって、公立の、堀川高校でないと、アカンと、中学浪人してまで、進学でして。
そんな意味なら、隣の姉ちゃん、1歳上の、なれどの、どこか、知らんの、高校には、行ってるですが。
どこか、知らんは、少なくともの、堀川高校ではないの意。言うたら、堀川以外なら、校名、言わんかった、なあと。伝わっても、来ずで。

オッとの、言うは、女子で、私学の高校ねえ。再度の、くどいけれどの、当方、幼稚園児の頃の話やでの、軽くの、70年強経ってるですが。
当時なら、結構、ええ氏の、お嬢様かと。イヤ、ほんと。
有り体、明確には、高校進学ねえ。親に、甲斐性あっての話でねえ。
あくまでも、義務教育なるは、中学校まで。イヤイヤ、中学校卒業で、就職なるは、当方の当時でも、結構居たです。
言うておくの、京都のド真ん中やでと。
であるからこその、そであったかと。当時には、なと。

モと、言うたら、当方の学区<小学校区>は、まあ、普通。貧富の差なら、あっても、なと。中学校出たら、就職は、居てませんでしたです。
再度の、学区では。

話が、えらい、想定外の方向に行ってるなあと。
何で、再度、トチオ先生の話、出したか。中学校は、廃校になってと。校名替わって、開校してるですが。校名替われば、一寸、なあと。

てな、話でなくて。
トチオ先生ねえ。懐かしく思えてねえ。モ一発、1本しか、ないのに、千本とは、こは如何に。
その、千本通りに、先生の神社、出世稲荷があったんやと。思えば、格好ええの、名称でして。出世やでと。お稲荷さんやでと。
いやねえ。
神社名聞いた時、当方的、嗚呼の、聞いた事、あるなあと。イヤ、ほんと。
よて、場所聞いて、どんな哉と、様子見に行ったを、憶えてるですが。特段の、先生に会いに、でも、なくて。

いやねえ。
あくまでもの、その当時、当方、中学生時代の、先生の姿、形なら、思い出しの、そこらで、会おても、一発、わかるですが。残念乍らの、以来、60年以上経っててねえ。何かで、遭遇したって、わからんわと。
とか、言うたって、先生、生存してても、軽くの、百歳越えでして。


オッとの、いやねえ。
皆さん、どしたはるの、やろねえ。
顔、よおは、知らんの、隣家の、一番上の兄さんねえ。男山八幡のと。とは、聞いてるですが。何歳上か、知らんしねえ。菊水鉾の、兄さんよりも、上の筈での、ならばの、軽くの、80歳越え。
とか、言うたって、会おても、さっぱりのわからんわと。
下の兄さん、菊水鉾のにしたって、丁度の、80歳辺り故、うまくなら、生存の可能性大でして。がしかし、神主してるかは、知らんしねえ。してても、どこか、わからんわと。

そこの姉妹ねえ。美人姉妹。
イヤ、何度でも、事実でねえ。所謂の、京美人。大人しい子でねえ。少なくともの、遊び人ではないです。
かと、言うて、隣家やのに、殆ど、喋った事、あらへんでして。
そらなあ。
隣家やしねえ。会うは、あるけれどの、挨拶なり、会釈だけ。まあ、言うたら、居てるを知って、あち向いてホイの、知らんのフリなんか、間違おても、しやへんわと。


ここまで、話して、ころりと、違うの話、するですが。
いやねえ。挨拶の件。
そのあち向いてホイのが、結構居てるです。当方的には、そんなのは、失礼千万の、最低限の、礼儀も、知らんのヤツと。
とは、結構も、では、なあと。

挨拶なるは、基本でして。
人間としての。
又、その昔、武士の世界なら、挨拶なるは、最低限の、敵意ないを意味してねえ。
言うたら、挨拶せずは、警戒、警戒の、いつ、おそわれるかと。
申せば、古戦場でなら、やあ、やあ、我れこそ、何の某でと、名乗るです。殺し合いの場でさえ、名乗るです。コレ、礼儀。
結果、武運なく、不運にも、破れ、殺されたとしても、名を承知してまして。多分。しかるべくの、扱い受けるが出来るですが。名無し、名を知らんでは、どしょもないの、無縁仏で、その他、大勢、数の内にされるです。されても、仕方がなくて。

言うは、挨拶なるは、名を名乗るは、それ程に重要なる儀礼であるを、知らんが、多過ぎるです。
とかとか、挨拶するにも、アチ向いてホイのヤツねえ。
当方的、考え、替えたです。
わからんのヤツには、わからしめてやらんと、なと。

要は、嫌でも、わかるよに、こちから、声出し、出来る限りの、大きな声で、「おはよっす」とか。「おはよーさん」とか。
こちから、言うてやるにしたです。
そらねえ。
出来るなら、目と、目を合わしの、要は、しっかりと、対面での、挨拶が一番なれどの、てな事、一々の、ええ大人、下手したら、爺さん、婆さんに、コンコンと、説明なんか、してられへんわと。

よて、問答無用の、こちから、声出してと。
イヤ、ほんと。
てな、調子で、やり出しての、ン箇月経つですが。流石に、あち向いてホイのも、声につられて、声出したり、こち向いたり。
いやねえ。
当然の、声出す故、手も振ったりしてねえ。イヤ、ほんと。

要は、てな具合に、挨拶してるでと、わかってもらわんとと。
申せば、その手、堅っ苦しいの場でなくの、単に、そこらでの、話でねえ。
率先垂範の、教えてやらんとと。

いやねえ。
結果的、こちも、スカっと、するです。
さもなくばの、当然の挨拶なるは、目と、目を合わせるがため、こち向いてくれるを、待ってても、なと。そんなのは、まあ、向いても、くれず。

オトトの、先刻、現在の、出世稲荷神社の、場所なり、検索、探索したなら、駐車場がありませんでして。近在の、有料駐車場にと、してあって、ねえ。
ついでに、宮司の、苗字はと、ホーム・ページ内探すに、記述なく。
そらねえ。
トチオ姓なら、先生の、子かと。
(24/07/10)


NO.4513 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(11) 大井神社のも、充実し出したの話

オッとの、いやねえ。
そんな意味でなら、八坂神社だけ、やねえ。
だけと、言うても、そんなに沢山の、神社のホーム・ページを見てませんですが。
ンの、何をと、なればの、宮司の事、掲載が、八坂神社のは、あるなあと。
「八坂神社 宮司 野村明義」と、ご挨拶の頁に、写真付きで。

オトトの、そ、言うたら、この一連の話ねえ。
「大井神社」の、宮司の事、から、でして。
表題通りの、「夏越の大祓の日の話」としてるです。の、前には、「閑話休題的」と、あって、ねえ。まあつまり、そんなに長くはの、精々が、数回。数回ねえ。
曖昧に過ぎるけれどの、既に、10回に達してて、ねえ。へえと。

まあなあ。
あくまでもの、「閑話休題的」であって、「閑話休題」とは、してへんわと。
で、何じゃと、なればの、新宮司の事、ネタに、あちに、こちにと、逸れに、逸れの、脱線のし過ぎ。
なれどの、一寸だけ、話、戻しての、この神社の、ホーム・ページの事。なれどの、その昔には、なかってねえ。言うは、単独、運営のが。

まあ、言うたら、誰か、まあ、言うたら、当方みたいなのが、亀岡の、方々の、神社仏閣、名勝旧跡なりを、探索、探訪なり、されまして。
イヤ、当方なら、してませんの、したは、高校1年生の時やねえ。これは、同組のと、2人で、京都市内の、神社仏閣であったか、名勝旧跡であったか、「見て歩る記」と題して、それこその、夏休みやねえ。自転車で、参拝、見学、探訪したです。
振り返れば、よお、やった、なあと。

申せば、振り返れば、あの時、やっといて、良かったです。にしてもの、金もあらへんのに、なあと。
相棒の、猪田浩市君なるは、言うてるの通りの、室町筋の、でして。その中心と、言えばの、それこその、菊水鉾の、でして。
何度も、言うてるの、現在では、その向かいの会社、店から、鉾に上がってるですが。昔は、猪田家から、でして。イヤ、ほんと。
モと、言うたら、その当時には、鉾に上がるに、無料。

いやねえ。
余計なるの話の、結婚したの当時、母親と、嫁はんと、連れて、行ったです。イヤ、宵山の日に。彼、浩市君、居てるかなあと、期待して、行ったけれどの、不在。
では、あるけれどの、お母さんやねえ。には、チラと、挨拶したかと。てな、細々、憶えてえへんけれどや。

イヤ、ここで、申せば、基本、鉾なるは、女人禁制。
がしかし、当時には、菊水鉾だけは、許可されてたです。
事のついでに、ならばの、現在唯今でも、長刀鉾については、尚、女人禁制。

更なるの、ついでになら、ばの、何故に、女人禁制かと、なればの、基本、神事、神様の、でして。
加えての、言い伝えられてるは、女性乗ると、倒れるですて。鉾が。イヤ、ほんと。
当方、何歳の時か、小学生の頃か、倒れたと、聞いて、見に行ったを、憶えてるです。どこで、あったか、四条通りの、室町の手前故、室町筋から、東の、ではないは、確かと、これ、帰って来てから、みたいに見えたです。小学生の当方にも。

どちにしろ、そんな事で、女性が、鉾に乗ると、倒れると。
がしかし、言うてるの、それを、守ってるは、現在長刀鉾だけ。そらなあ、立場上、しょがない、なあと。他のは、大いに、上がったはるですが。
再度の、昔は、菊水鉾だけが、構わんと。よて、母なり、嫁はんを伴いまして。息子共、誕生してからも、尚更の、行った憶えあるですが。
言うたって、その当時には、息子共1回だけかと。

とするのか、その昔には、菊水鉾以外に、上がった事、あらへんなあと。
とか、言うたって、皆一緒でねえ。申せば、長刀鉾ねえ。
それこその、いつであったか、長男家が、是非にと、宵山に行きたいと。孫共3人になって、からやねえ。
次男家も、一緒にと、長刀鉾に上がったり、してねえ。

ここは、誰かが、何か、一つ、グッズを買えば、何人でも、上がれてねえ。結構なると。
がしかし、他のは、個々人で、粽なり、買わねば、上げてもらえませんでして。言うたら、ケチ。
当方感覚なら、昔は、只やったのにと。イヤ、ほんと。
それを、粽ねえ。買えと。しかも、1本、千円やしねえ。

言いたいは、粽なるは、1家に、1本でして。2本も、3本も、同じの鉾の、なんか、飾らんわと。飾って、違法、法律違反でも、あらへんの、ご自由に、なれど、です。
結果、当方なら、当家、男子と、一緒に、長刀鉾には、何回か、上がってるです。イヤ、グッズを買いまして。手ぬぐいやねえ。千円の。

オッとの、何の話をと。
名勝旧跡なりで、猪田君の話になって。猪田君と、なればの、菊水鉾。
そこから、祇園祭の、鉾の事になったんやと。


での、話、戻すです。
オトトの、八坂神社の、宮司の話もしたなあと。ホーム・ページには、宮司の、ご挨拶が、掲載されててねえ。写真付きで。フウンと。
イヤ、神社の、寺の、ホーム・ページねえ。
ここ、10年、20年の事やねえ。自前と、するのか、公開され出したのが。
20年昔なら、あっても、全体の、でして。多くの寺院の、一つやねえ。殆どが。

いやねえ。
承知の範囲、大井神社のは、昔には、なかったです。多分。
そらねえ。
検索、探索、不充分の可能性あるですが。検索で、見付けても、言うてるの、その手、趣味の方が、運営の、でして。
方々、探訪で、写真なり、簡単なるの、文と、共にでねえ。
申せば、その方、運営出来ずになればの、サーバーが、どこかにも、寄るの、数年で、消滅やねえ。
運営開始から、3年、5年、10年の、10年も、保てば、凄いぞと。イヤ、ほんと。対して、当方、当ホーム・ページなるは、何年保ってるやの、開設、1998年の4月の23日でして。現在唯今、2024年の7月の11日やでと。
丼勘定的、26年と、3箇月には、足らず。

この26年ねえ。
はきりと、申すの、日本屈指。
申せば、そらねえ。企業、団体とは、一緒にすなよと。それは、人替わって、延々の、存続させるが可能。
言うは、個人の、では、まあ、あらへんわと。あったら、教えて頂戴なと。
それも、1週間、2週間も、間空いたの事、ありませんでして。言うは、それだけ、大病患っておらずを意味してると、当然の、生存しの、呆けもせずと。邪魔くさいと、放り出したりも、しておらずの、何よりも、大病患っておらずが、デカく。

イヤイヤ、言うは、時には、数個月、数年、間空けての再開してるの、なら、存在かも、なあと。
がしかし、これは、当方のは、それがないぞと。自身で、言わせて戴ければ、驚異的。で、今尚、まだまだ、継続、更新中。
そらなあ、呆けたら、継続出来ずの、そもそもがの、パソコンで、作文出来ず。サーバーに、アップ・ロードも、ままならずと。
呆けずで、入院なら、継続なら、可能かと。インターネットの出来るの環境なら、なと。
がしかし、入院してて、更新も、しんどいねえ。多分。


ンの、何の話かと。
大体が、その昔には、可成りの、老齢の方が、趣味の写真撮影と、散策兼ねてやねえ。
言うは、その手ので、大井神社があったですが。1頁もあらへんの、どこかのと、一緒の頁故、半分やねえ。

がしかし、途中、出来てたよな、感もあるのけれどの、現在唯今、立派になってるです。イヤ、ほんと。
そんな意味でなら、昔には、どこ様のでも、正直、バカみたいなのが、一杯あった、ですが。次第、次第に、お手本的なのも、充実し出してねえ。

それを、手本に、やろねえ。結果的、似たよな、構成になるのけれどの、それでも、結構の、自前のをと。
オトトの、「大井神社」のも、結構、充実感のあるのに、なっててねえ。現の宮司が、やったのやろなあと。多分。
(24/07/11)


NO.4514 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(12) 恩師の本業宮司、副業教師の話(1)

オッとの、いやねえ。
「出世稲荷神社」。
とは、我が母校、京都市立郁文中学校の、社会科の先生の、神社。
当時には、千本通りに鎮座でねえ。言うたって、まともには、参拝しておらずで、様子見には、1度か、2度やねえ。これは、先生から、聞いて、冒険的に、でして。

がしかし、神社が、引っ越しとは、こは、如何にの、大原の方に移動ですて。へえと、びくりするです。神社がねえ。
この手のは、ズと、延々の、その地に止まると、思てたですが。違うんかと。
まあなあ。
諸般、氏子も居ておらずで、維持管理が大変と。
的なるは、先生も、冗談的には、言うてたです。簡単には、神社、宮司では、喰て行けずで、副業で、先生してると。当時には、そんな事、聞かされたって、さっぱりのわからんわと。

いやねえ。
先生の学歴知らんですが。
言うは、小学校、中学校の義務教育なるは、義務故、先生の養成なるは、国の責任で、行うです。そのための、大学なるが、現の、教育大学。多くの、都道府県に、存在するです。京都なら、京都教育大学でして、所謂の、国立二期。
まあ、言うたら、入るに結構難易度高いぞと。言うたら、名も知らんの、そこらの大学には、入れても、教育大学は、至難。イヤ、ほんと。
当世、名称、「教育大学」で、その昔には、何故か、「学芸大学」でした、ですが。

それ、言うたら、京都の、モ一校の、国立二期の、「京都工芸繊維大学」。
これも、正確には、わからんの、難易度的、教育大学と、同程度かと、推測するです。

オッとの、いやねえ。
宮司であるの、トチオ先生の、学歴知らんと、言うた、ですが。どこの大学出身なんやろねえ。
言うは、当時の、「京都学芸大学」なんやろ怪と。で、宮司怪と。イヤ、何とも、わからんです。

いやねえ。
わかり易くなら、所謂の、「師範学校」これが、先生の養成学校。とも、言えての、その大学が、「学芸大学」なり、現在の、「教育大学」。

いやねえ。
余計なるの話の、実は、その昔、現在でも、そと、思うですが。
「師範学校」なるは、範囲広くてねえ。
我が母校、「堀川高校」にしたって、「高校」やのに、師範<先生>になったの方、多いと、聞いてるです。特には、その昔には、女子校でして。イヤ、堀川高校が。
「京都市立高等女学校」として、1908年設立されて。
細々なるは、割愛の、当方、男女共学の、「京都市立高等学校」になっての、第17期生。

余計なるの話の、堀川高校の、校庭狭くてねえ。運動場は、嵯峨、広沢の池の、道路はさんで、向かい側にあるです。
先生、曰くに、昔は、女子校故、日焼けせぬよにと。との話、聞いて、嘘やろと。イヤ、ほんと。

イヤイヤ、言いたい事、その昔には、その、高等女学校時代の、卒業生なるは、師範になったの話、聞くです。
イヤイヤ、言うは、その昔には、先生、小学校、中学校のが、大いに不足で、この手、高校から、教員、但し、代用教員としての採用。

それ、言い出したら、当方の、小学校の先生なら、その代用教員であったと、聞いてるです。
オッとの、ややこしい、けれどの、その昔には、高校卒業せずともの、先生になれた。との話もあるです。
どちにしろ、代用教員も、しかるべくの、試験受けて、正式なるの、教師になるも、出来ると。ここで、言うてるは、小学校、中学校の、でして。

そもそもがの、小学校、中学校の先生で、学歴なんか、聞かへんわと。我々、生徒は。
但し、親から、諸般、聞いたり。とするのか、聞かされたり、してねえ。
イヤ、言うてるの、当方なら、高校の、先生の資格なら、取得してるです。その単位取ってるが故で。
但し、高校に採用されての話であると。

いやねえ。
申せば、女子で、高校なり、大学ねえ。
当方の、時代、年代では、大学は、珍しかった、です。高校なら、何とかと。
くどいけれどの、男子でも、中学校卒業で、就職のは、結構居たです。これは、当然にしての、親の経済的理由でして。


又もやの、話、どんどんと、逸れるですが。
当世、猫も、杓子も、大学進学の時代。なれどの、奨学金が、これ、インチキでの、高利。無利息のは、難しく。返済不要のは、尚、難しく。

まあなあ。
当方の時代には、難しくてねえ。
返済不要のなんか、まあ、言うたら、秀才なら、取得出来ての、我々、鈍才なんか、とても、とてもの、無理。
そ、言うたら、中学校で、同組になったの、京都大学現役合格のは、奨学金取得してたです。返済不要の。ええなあと。イヤ、ほんと。

当方なら、まあ、言うたら、アルバイト三昧。でも、何とか、卒業出来たですが。
イヤ、言うてるの、入学金は、親から、なれどの、親も、祖母からと、思てるですが。以降、自力。それこその、定職、家庭教師で、よかった、なあと。
だけでは、不足で、エキストラ、祭礼、交通量計測等々。夏休みなりには、その期間の、アルバイトを各種やってたです。

オッとの、いやねえ。
これ、京都市内在住であったが故、何とか、なったですが。違うなら、立命館大学理工学部に通学は、無理難題であった、かと。
理系の、学費は、高いしねえ。
イヤ、無理は、通学の時間の問題と、アルバイトが、そは、易々のありませんでして。市内以外では。

とかとか、話、またもやの、逸れに、逸れたですが。
トチオ先生の件から。
元々が、学歴なんか、知らんしねえ。
とりあえず、本業宮司で、副業教師。
オッとの、そんな方、お寺さん、住職でも、結構多いのではと。

オトトの、ホーム・ページの話をしてたんやと。
(24/07/12)


NO.4515 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(13) 恩師の本業宮司、副業教師の話(2)


忘れたです。
イヤイヤ、その昔の、ホーム・ページで、個人運営ので、「大井神社」が掲載されてたです。
その方ねえ。
実は、一時、リンクしたく。イヤ、ホーム・ページ上で、でして。
当然の、一言、お断りしまして。了解得た上での、事でして。快諾、得てるです。

で、あくまでもの、リンクでして。画像等々、取得とするのか、ダウン・ロードしてませんでして。
問題は、この方、どされたか、元々が、高齢でもあった、ですが。言うたら、当方よりも、10歳、20歳、歳上かと。
イヤ、自身のホーム・ページに、自身の写真掲載されててねえ。

がしかし、そこが、リンク切れになっての、ホーム・ページはと、見たら、見るにも、消滅してて、ねえ。なあんやと。
消滅原因なるは、不明。
大抵なら、亡くなったのやろ怪と。
がしかし、我々では、真の原因までは、届かんです。そらねえ。親戚筋でも、ありませんでして。町内会一緒でもあらへんし。どこの方か、さえ、知らんしねえ。
失礼乍ら、残念乍ら、諸本の状況より、亡くなったの可能性がと。


オッとの、何で、こんな話ねえ。
言うてるの、その昔のホーム・ページとは、異なりまして。当世では、所謂の雛型あって、ねえ。言うたら、Blog型式でして。作るも、アップ・ロードするも、簡単ですて。大家さんに、登録で、出来るのらしくてねえ。
言うたら、気が楽、気楽に、運営出来て。

オッとの、それでや。
「大井神社」のが、過去のからは、数段に、充実してると。
数段ねえ。
むしろ、1桁、2桁、詔程に、違うです。

言うたら、「兼務神社」なるのがあるです。
イヤイヤ、承知してるです。区長時代に。
まあ、言うたら、近在の町内会。まあ、言うたら、我々の町内会なるは、新興住宅街であると、言うてるですが。
まあ、言うたら、昔の地主っさんが存在してましての、その、町内会の、一隅に、「小金岐八幡宮」なるのが、存在してねえ。
まあ、言うたら、小さな神社で、祠があって。ダケと、申せば、ダケでして。
ここには、宮司なるは、居てませんです。常駐する程には、小さく、狭いの神社でねえ。

イヤイヤ、当方、承知してると、してるですが。
1回目、町内会の、子供会の役員になって、ねえ。これは、子供が居たなら、やらせられるですが。要は、ゼロ歳児から、中学の1年、2年の子までが、所属するですが。
その時と、区長になったの時の、2度、参拝してるです。

いやねえ。
言うてるの、境内狭いけれどの、祠があってと。そこには、宮司は居ておらずで、大井神社の宮司が、諸般の行事をやって、くれるです。

まあ、言うたら、正月の、何日かに、「小金岐八幡宮」で、何ちゅうかの、役員が集うの場があっての、実際には、そこでは、玉串奉納が主での、酒席の場、なるは、別途の、会議所に成るですが。
その時、「小金岐八幡宮」では、お祓いと、玉串奉納の指示に、大井神社の宮司が現れましての、祝詞なり、奏上しまして。
そらなあ、一発、わかるの、兼務なんやと。大変や、なあと。
これ、2005年の事で、宮司は、現の、親父さん。

オッとの、いやねえ。
だけなら、1箇所なれどの、全部なら、13箇所も、あるですて。
まあなあ。
確かに、祠を造った、なら、一定の面積あるなら、本来なら、宮司をと、なって、当然で。かと、言うて、そんなに細々なるのまで、専属の宮司置いても、なと。
喰えませんです。
よて、しかるべくの、兼務してるです。兼務でも、喰えるかは、わからんですが。まあ、無理やろなあと。

言うたら、八坂神社なんか、やったら、とりあえず、人出の桁違うしねえ。お守り等々、飛ぶよに、売れて。
ここのは、儲かって、儲かってと、形容したなら、顰蹙買うになるですが。事実やねえ。お賽銭も、結構あると、思うです。一人、一人の、金額知れてるですが。とりあえず、人数多く。

よて、社務所の、巫女さんねえ。実際には、売り子さんになってしまうですが。更には、神主も、一人でなくの、結構してるです。
まあなあ、人数居てたら、人件費も嵩むですが。くどいけれどの、参拝者からの、お賽銭、お守りの販売金額なるは、桁違う、やろと。

オッとの、いやねえ。
ハタと、この手、神社なり、お寺さんねえ。
余所と、するのか、本山、本部なりから、派遣されるのか。世襲なんやろ怪と。
当方的、勝手推量なら、世襲かと。
世襲なら、申せば、大井神社の、現宮司には、子どもさん、居ててねえ。
何ちゅうかの、見てるの範囲なら、男の子と、女の子で、へえと。

言うは、世襲なら、最早の安泰やしねえ。
お姉さん、と、するのか、女子なら、さての、どするやの、テレビ報道で、ならばの、女医さんも、結構居てるです。
(24/07/13)


NO.4516 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(14) 万事、継承難しいの話

まあねえ。
今になって、こその、神社仏閣、名勝旧跡の、何ちゅうかの、ホーム・ページ。名称、Blogでも、何でも結構の、言うておくの、Blogと、当ホーム・ページを一緒にすなよと。違うわと。
所謂の、雛形なんか、あらへんぞと。言うても、公開されてるのを、参考には、当然の、してるです。がしかし、まあ、言うたら、構成なるは、自力。
とか、言うたって、一度、構築すれば、後は、なと。

そらねえ。
当方にしたって、Blogをしてみるかと、挑戦した事、あったですが。オトトの、FaceBookねえ。
登録したり、したですが。結果的、わからんのと、自由度が少なくて、ねえ。それこその、3日も保たずで、ほったらかしの、封鎖したり、してねえ。

当然の、ホーム・ページには、「ええね」「あかんな」とかの、は、一切のなく。登録者の人数ねえ、わからんです。オッとの、登録者と言うのか、何と、言うのか、知らんです。その人数を競うと、するのか、何人、何十人。多くなれば、万人、10万人、100万人とか。
話としては、聞くですが。それが、毎日、毎日、訪問、閲覧してくれてるでは、あらへんやろなと。あくまでもの、登録者数で、その1度、2度で、忘れ去られてるのも、数に入ってるかと。

申せば、ホーム・ページの場合、その手の事、不明でねえ。
言うなら、日々の回転数でして。100回転とか、200回転とか、でして。
オッとの、言うなら、ホーム・ページで、10回転、20回転でも、立派。
自身が、回転させておらぬの、ならば、なと。当人がさえ、日に、1回も、閲覧、訪問せずでは、どもならず。
基本、更新せねばの、忽ちにして、廃るです。

ここで、言うなら、Blogなり、FaceBookでの、回転数、閲覧数なるは、実際か、どか、わからんが多々存在。
言うは、回転数なりの、計測法が、異なりまして。
一寸、ややこしいけれどの、ホーム・ページなり、掲示板なりでは、ロボットをカウントしませんです。正確には、カウント出来ませんです。
モと、正確になら、カウント出来ず場合が多いと、なるです。
とするのか、その辺り、計数法よっく、知らねば、あちら、ン百回転、あっち、ン千回転では、一桁、二桁と、違うが故、まあ、実際にも、違うと、思うけれどの、そのままに、桁違うかは、わからんわと。

言うは、ロボットが多いんやと。
ロボットなるは、所謂の、検索サイト、Googleなり、Msnとか、各種あるです。加えての、正体不明の、何ちゅうかの、Spam屋ロボットも、数多くの、存在してねえ。
言うは、そのロボットをさえ、カウント、計測してしまうの場合があって。しても、構わんですが。なるべくの、排除出来るよに、工夫されてるのも、あるし、ねえ。
オトトの、言うておくの、Googleの、ロボットねえ。GoogleBotとか、言うですが。一個ではないです。それこその、何個あるか、知らんですが。Bot1号、2号等々、数多くあって。


トトトの、何の話をと。
話、戻すです。
当方的、宮司なり、神主なり。兎に角、その手の方ねえ。現物、人物、承知は、人数少なくて。
そらねえ。
京都時代、仏光寺時代の、隣家の、兄さん。多分なら、神職してると、思うけれどの、その服装、装束着てるの姿、見た事がなくて。

出世稲荷神社の、宮司、トチオ先生ねえ。神社には、冒険、探索で、一度、二度程度、行ったと、思てるですが。そこで、トチオ先生見たでないです。
言うたら、学校で、ダケでして。学校では、神主の格好してへんやろな。するのわけがなく。

大学生時代、アルバイトで、知ったの君。国士舘大学生とは、聞いてねえ。実家が、偶々の、立命館大学衣笠学舎の、まあ、言うたら、正門の、近くでねえ。
一度、訪問したですが。当たり前に、学生でもありの、家、神社でもあらへんかったし、ねえ。その君の、神主の格好なんか、見た事なくて。

いやねえ。
言うは、知ってるの神主で、その格好で、見てるは、大井神社の、だけ。
言うたら、旧と、するのか、前の宮司。そして、現の宮司の、2人だけ。

何が言いたいねえ。
それ、言うたら、お寺さんの場合、袈裟なり、しかるべくの、装束ねえ。で、見てるは、当家、菩提寺、光圓寺の歴代、3代の住職でして。
お爺さんねえ。
当方的、一番最初の、住職。既に、祖母の年代辺りでねえ。まあ、言うたら、お爺さん。少なくともの、当方、知った時から、槇島に引っ越すまでの、仏光寺時代は、その住職。

槇島は、何ちゅうかの、家にまでは、来て戴く事がなくての、何かあれば、光圓寺に、出向いてたです。イヤ、盆の法要を依頼したりの、時には、なと。
そして、亀岡に引っ越してからは、松原の、光圓寺からは、遠いしねえ。
近在の、寺の住職に、お盆に来て戴いた事、1度だけ、あったですが。そらねえ、何ちゅうても、近いしねえ。光圓寺に、確認したら、それでも、結構ですよ。決まれば、しかるべくの、そのお寺さん、住職に、連絡したり、するですと、意味なるは、当家、ご先祖様の、名、法名なり、命日なりの、言うたら、資料の引き継ぎの事。

がしかし、そこの住職、一度だけ、来て戴いたですが。兎に角、金銭の話ばっかり、してねえ。へえの、ゲと。
そらねえ。
当方的、光圓寺の、住職とは、お盆には、会いの、時には、お寺に行ったりもしてたですが。子ども時代から、そんな金の話なんか、一度たりともの、聞いた事がなく。イヤ、ほんと。

よて、そのお寺さんに、来て戴くは、辞めたです。
結果的、現在唯今、尚、松原の、光圓寺に、来て戴いてるです。
実は、この、8月、お盆の法要で、4日の日曜日やねえ。来て戴くべくの、連絡してるです。

オッとの、現の住職なるは、いつ頃から、やろねえ。言うたら、下の叔父嫁の時には、先代住職。とは、お爺さん住職の、次の住職。
この方も、既に、ええ歳でして。まあ、言うたら、当方よりも、10歳程度、高齢であったの哉と。

とりあえずの、その住職、亡くなってねえ。
当然の、以来、現住職でして。
がしかし、問題は、現住職、結婚しておらずで、子がなくて。

オッとの、いやねえ。
この手、神社仏閣ねえ。有り体には、世襲なんやろ怪と。承知の範囲では、そでして。
少なくともの、光圓寺については、先々代より、繋がって来てるですが。言うは、その次。

いやねえ。
それ言うたら、大井神社ねえ。現の宮司の、お子さん、居られるしねえ。当然の、家族構成、知らんですが。お正月、初詣に参拝に行きの、神社、氏神様の、お札と、天照大神の、お札、神宮大麻の、二つ、戴いて。
受付で。
その際、巫女さんと、若きの神主居てねえ。
とするのか、これ、お子さんやろと。結構なるの、次期安泰。と、勝手に思ててねえ。イヤ、ほんと。

言うは、それが、結構、難儀でねえ。
代々、寺なり、神社守るは、至難の技。
寺、神社に限らずの、そこらの家々でも、一緒。事情、様々なれどの、よて、当代限りと、建募せずの、と、するよりは、墓じまいされたり、してねえ。永代供養とかに、してねえ。

余計なるの話の、当家、墓地、東本願寺祖廟なれどの、当家の墓石までの、道中には、札が掲げてあるのを、数多く、散見の。これ、10年間、連絡付かずで、管理費未納の場合、貼られるです。
で、猶予期間1年で、没収になるです。つまり、11年間待ってくれるですが。11年間も、墓参はどか知らずの、管理費支払わずを意味してるです。振込用紙送って来るのにねえ。その他、お盆の時期には、万灯会の何ちゅうかの、費用、幾らであったか、3000円かの、振込用紙もあるし、ねえ。当家なら、基本、正月の月参りで、管理費。6月か、なあの、万灯会の費用も、墓参の時、支払おてるです。

オッとの、管理費の件。
墓地なるは、借地故。支払わずで、10年。警告1年の、都合の、11年経てば、東本願寺が、強制的、お召し上げ。

いやねえ。
余計なるの話の、墓地の借地権、概ねの、150万円。墓石も、ほぼの同額での、都合の、300万円でして。
かと、申しの、権利なるは、個々人が勝手に売買出来ずで、出来るは、返納のみ。
墓石なんか、余所様、他人様に、譲れるでなくて。言うたら、家々の、でして。引き継ぎ手、なければ、処分せねばと。

まあなあ。
細かくには、個々には、色々あると、思うけれどの、以前には、その手、空き地あれば、早期に、新しく、建募されたりが、あったけれどの、最近、あらへんねえ。少なくともの、空きの多いが、目立ち出し。
墓の継承も、大変なんやと。イヤ、ほんと。
(24/07/14)


NO.4517 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(15) この手のは、相応の人相してるの話

いやねえ。
言うたら、本日<7月14日・日>。
オッとの、実際には、昨日にでもと、思てたですが。諸般で、行けずで、今日やねえ。
行くのつもり、だけはしてたですが。昨日からの、天気予報では、少なくともの、昼から、雨と。

よて、安全見て、止めとこかと。嫁はんと。
オッとの、何の話。かと、なればの、まあ、言うたら、北の方やねえ。福知山とかなら、何度も行ってるですが。出来ればの話の、丹波篠山方面にも、行きたいなあと。ダケなら、以前より、言うてたですが。遂に、行こかと、なって、ねえ。
がしかし、生憎の、雨の予報で、止めたですが。結果、終日と、までは、言わんの、降っておらずで、しもた、なあと。

いやねえ。
申せば、ええ歳でして。我々が。
まあなあ、はっきり、言うたら、行けるの内に、行っとくかと。
思うは、当方年代の、当町内会の面々ねえ。人数的、一番に多いけれどの、どこえでも、行けるのかと、なればの、しんどいの、ではと。
しんどいとは、カラダの都合あるです。

その点、当方的、制限事項何もないです。ない事も、ないの、そらねえ。年々、体力、気力の低下は、感じてるです。感じてるのと、実際に、無理と、するは、違うしねえ。
申せば、伏見稲荷大社の、奥の院ねえ。余程の決心せねば、しんどいねえ。前回、いつ、何年前であったか、途中、諦めたです。断念したです。
がしかし、最初っから、それを、目指してた、ならばの、行けてるかも、なあと。とは、その当時には、思たけれどの、それから、何年か、経っての、現在ねえ。果たしてと。

まあなあ。
朝の早くから、家出て、ゆっくり、ゆっくり、それに集中で、登れば、上がれば、行けん事、ないと、思うですが。しんどい、なあと。
オッとの、そ言う事で。これは、まだ、上がれるの可能性なら、あるですが。後、数年も経てば、気力も減退で、まあ、無理やろなあと。

言うは、頭っから、無理ではないだけ、結構なると、思てるです。
がしかし、この状態がいつまで、継続、維持出来るかは、それこその、神のみぞ、知るです。当方には、先の事、皆目のと。がしかし、気だけなら、存在。

イヤイヤ、言うは、そんな事で、行けるの内に、方々にと。
とか、言うたって、近在の話。車で、行けるの範囲の話。
その点、折角の、カー・ナビ装備してまして。とか、言うたって、今一使い方なり、わかってませんですが。辛いのお。
がしかしの、先代、カローラの時には、知らぬの方面、行く気にさえ、ならずでねえ。
そんなモン、一々の地図帳広げて、こっちや、あっちやと、やてられへんわと。大昔の、若き頃なら、出来たのけれどや。最早の、何歳と、思うやと。

オッとの、要は、そんな事で、行けるの内にと。
とか、言うても、カー・ナビの案内前提。且つは、そんなに遠くでもなくての、軽くの日帰り出来るの先。
まあ、言うたら、昼飯でも、喰いに、の、感覚。で、結構なると。

オトトの、更に、申せば、いつまで、運転出来るのかと。高齢者やしねえ。3年に、1回、試験受けねばならずの、認知症検査ねえ。
要は、高齢での、免許返納を、迫られてるの気分。

まあなあ。
次回の、検査ねえ。
来年やねえ。ならばの、今年には、通知が来るのかと。多分。

いやねえ。
3年毎でして。その多分なら、次回のは、受かるの自信満々なれどの、その次やねえ。80台に入ったら、わからんぞと。
更にの、その次ねえ。
いよいよの、覚悟かと。

てな具合に思てるの、高齢なるは、別途の、圧力掛かって来るです。申せば、既に、運転機会、少なくなってるですが。今後、益々の、少なくなるの、やろなあと。
そして、免許返納になってみい。さての、ハテの、どするやと。亀岡では、どこに行くも、大変ぞと。
イヤ、ほんと。

オッとの、言うてるは、それは、健康であって、動けてるが前提。
怪我でも、してみい。病気でも、患おてみい。次回、受かるか、合格出来るかの、以前の、検査さえ、受けに行けるの怪と。
オトトの、言うてるは、今の内でして。方々に、行けるの内にと。車でねえ。
その内には、行けずになるです。

申せば、80台で、ばんばんと、運転してるの面々ねえ。大したモンやと。
かと、申しの、言うておくの、当方的、まだ、耄碌してへんと、思てるです。軽くの、100点満点で、合格、通過してやると、思てるです。
現時点、1回しか、受けてはないの、その1回については、満点と、講師から、聞いてるわと。イヤ、ほんと。

での、話ねえ。
その件、昼飯喰いの、気の、遠出なるは、道の駅の事。の、方が、安心やし、行き易く。
明日<15日・月・海の日>、晴れなら、行くにしてるですが。どなんやろねえ。


オトトの、本題。
言お、言おと、思てての、結果的、失念してもての、言わずにの事。なるは、人相の事。
有り体、そのままには、この手の、住職、お寺さんやねえ。或いは、神職、神主、宮司でも、何でも、結構の、それ、相応の人相してはるです。

お寺さんと、神主さんとは、左程に違いなく。
言うは、お寺さん、坊主は、坊主的、人相。神主は、神主の人相なるが、あるです。
と、思てるです。

いやねえ。
お寺さんと、するのか、実家が、お寺のが、ローム入社の同期生に、2人居てるです。11人で。
一人は、愛知県が実家で、その新入社員当時、業務で、なれどの、愛知の方に、車で、行ったですが。そいつと、一緒に。
その際、初めて、聞いてねえ。兄が、住職してると。

で、結果的、それこその、お寺、名称、軽くの失念してるですが。寄って、ねえ。
そして、食事をご馳走になった、ですが。外食で。注文が、味噌カツ。
その時、初めて、知ったです。味噌カツは、愛知の名物であると。且つは、カツの生臭さを、味噌で、中和と、するのか、誤魔化すがためと。
フウンの、当方的には、カツの生臭さなんか、感じた事、あらへんですが。要は、味噌の効能なるは、臭い消しと。とは、同期生の、お兄さんの言。

言うは、その君、同期生の方、言われてみたらの、そのまま、丸刈りにでも、してみい、坊主顔。
的、雰囲気もあって、ねえ。
そらねえ。
聞けば、何年、何百年も、続いてるの、寺の、でして。されどの、長男以外、寺、継げずでねえ。相応に、独立、別途の道に進んでると。
この君、お兄さんが、継いだしねえ。最早の、住職には、無縁。

での、モ一人ねえ。
これは、会社、退職して、現在、住職してるです。実家が、お寺さんでして。長く、長らく、ロームに在籍で、言うたら、機械屋で、技術者でして。
オトトの、どこまで、言うかが、あるのけれどの、まあなあ。
関係者なら、誰と、わかるです。
言うたら、この2人、我が同期生の面々なら、誰の事、言うてるか、一発、わかるです。

オッとの、いやねえ。
こちらは、京都の人間。
実は、高校違うですが。高校も、違うが、正確の、住所、結構、近くでねえ。そ、言うたら、どこの高校か、聞いてえへんなあと。
但し、年齢、2歳上の君。実は、一浪、一留でして。
何歳、違えど、同期入学、同期入社なら、皆、同等の、同期生。君でして。実際には、呼び捨て。
但し、大学院なりを経て、同期なら、さん付けかと。がしかし、年齢上的、感覚抱いておらず。さりとての、院なら、2歳上やしねえ。さん程度、つけてやってるの感覚。

の、君。一浪、一留のは、同志社大学の、機械工学科卒。故に、住職するに、抵抗してたの哉と。イヤ、その辺りの真相知らんのけれどの、言うたら、結婚して、奥様が、住職勤めてねえ。イヤ、ほんと。
社内恋愛故、奥様も、重々の知ってるです。

いやねえ。
定年まで、ロームに在籍で、お寺さんに、とするのか、住職するになった、ですが。
奥様曰くに、ペーパー坊主。イヤ、ほんと。
退職して、資格だけは、取得したですて。しかるべくの、講義受講で。がしかし、実際を知らんしねえ。それまで、やって、来たは、奥様でして。
奥様曰くに、なかなかに、住職してくれへんのやと。イヤ、ほんと。

但し、言うは、この君、そのままの、住職面してて、ねえ。
言うたら、布袋さん、達磨大師みたいな、風貌、体型してて。イヤ、ほんと。
何も、知らんでも、言わんでも、住職的、説得力あるなあと。イヤ、ほんと。
(24/07/15)


NO.4518 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(16) 次世代の話(1)

いやねえ。
本日<7月15日・月・海の日>、行くにしてたですが。どこえねえ。
近在でして。どの程度で、行けるかも、余り、しかり、とは、調べもしてませんでして。

候補ねえ。
「丹波おばあちゃんの里」と、「瑞穂の里・さらびき」。
ついでになら、「京丹波味夢の里」も、あるですが。こちらは、過去2度行ってるです。正確には、モっとかと。

イヤ、何かの、ついでに、行って、ねえ。別途、京都縦貫道のSAに入ったが、ここ。言うたら、一般道からでも、京都縦貫道からでも、入るが出来るの、道の駅。
結構、広くてねえ。されどの、まあなあ、道の駅は、道の駅でして。そんなには、なと。

がしかし、偶然にでも、2度行きの、3度目なるは、意図して、入ったですが。その時やねえ。まあ、言うたら、2005年度の、区長会のと、遭遇してねえ。やあやあと。
申せば、この方が一番に、頻度高く、遭遇してるです。まあ、言うたら、それだけ、ご縁あるのやなあと。イヤ、ほんと。
オッとの、言うは、退任以来、何度もの、話でねえ。遭遇が。
言うたら、何人かは、出先なりで、遭遇してるですが。全くの、道で、スレ違いも、せぬのも、居てるし、以前には、結構、度々の、遭遇してたのが、ぱたりと、出会わんのも、あるし、ねえ。

オッとの、それ言うたら、近在の町内会の、同期の、区長。
退任直後ねえ。言うても、10年程度はと、思てるですが。モっと、哉の、実は、この方、「大井神社」の、宮総代しててねえ。であるが故、夏越の大祓式なりに、参加したなら、やあやあと。
てな、事も、あったのけれどの、言うは、最近、見やへん、なあと。見やへんは、宮総代をば、止めて、交代したのやろねえ。

その理由、大きく、2つ。
1つには、歳であると。諸般、体力的、保たずと、元気な内にと、後任を頼むなり、してねえ。
と、モ一手、なるは、病気なり、怪我なり等々、お役目出来ずと、後任をと。
まあなあ。
結果的、一緒やねえ。高齢で、出来ずもあるし、健康上があるにしても、どちらも、高齢。元々が、この手の役、高齢者でして。若い方ねえ。知らんなと。

オトトの、話、逸れたですが。
見てたら、見るとは、宮総代の方。結構、その手、区長職歴任してるの方、多い、なあと。とは、思てるです。
まあなあ。
宮総代なるは、地の方が主でねえ。当方的、感覚なら、そは、易々の、出来んわと。

オッとの、そ、言うたら、当町内会をも、見て戴いてるの、地の宮総代ねえ。言うても、当方が、区長してたの時の、故に、可成りの高齢の方で、ねえ。既に、当時には。
イヤ、車のお祓いをば、申し込んでねえ。ほならの、その方が、直々に、お札なり、ステッカーを、持って来てくれやはって、ねえ。
とかとか、結構、親しくは、してたの方でして。
ある時、ばたりと、出先で、遭遇。イヤ、実は、お宅のそばで、哉の時、癌なんやと。へえと。びくりしたですが。
最早の、治療はしやへんに決めたと。この歳やし、なあと。
まあなあ、その手も、あるなあと。

イヤ、ある意味、正解でして。
下手に、切ったり、貼ったり、放射線治療云々ねえ。薬投与にしたって、そのため、辛かったり、してねえ。
言うは、ある程度の高齢、歳になったら、治療のための、苦しみ、制限受けるか、自然に任せるか、やろなあと。とは、当方考えでもあるです。

言うは、下手に手術したって、ねえ。そのための、消耗、体力の。入院もせねば、ならぬし、何回も、通院したり。薬もねえ。どかと、思うしねえ。
当然の、内視鏡で、取れる程度のなら、結構なれど、です。

申せば、大体が、癌ねえ。
その昔には、癌年齢に達するまでに、昇天やろしと。それが、高齢化と、するのか、寿命が延びに、延びての、表面化した。だけであると、勝手に思てるです。とするのか、事実かと。
その昔、当方、ご幼少の頃なんか、男で、高齢者、お爺ちゃん世代。下手したら、お父ちゃん世代さえ、少なくて。言うてるの、当方の祖父69歳やでと。亡くなったが。
当方、今、77歳やしねえ。軽くの、祖父の歳、突破してるです。

余計なるの話の、親父79歳やしねえ。後、2年やねえ。とか、言うても、親父ねえ。誕生日の前日故、80歳と、言うても、宜しいですが。
ならばの、当方にしたって、77歳と、半年経過。まあ、言うたら、2年と、半年で、親父には、追いつくです。生存してたら、なと。


ンの、何の話をしてるの哉と。
本日ねえ。外出なら、したですが。雨予報故、ほんとの近在。諸般で、「アル・プラザ」に用事あって。嫁はんが。
飯ねえ。昼飯ねえ。
「イオン亀岡<旧サティ>」に、でもと。そこの、3階に、食堂あって、ねえ。客少ないが故、一寸でも、貢献をと。イヤ、ほんと。

ここが、無くなってみい。困るです。
ここはねえ。結構、安くてねえ。値の割に、立派でねえ。堀川高校の同窓生と、会おたりしたら、ここで、昼食でして。そらねえ、駅、亀岡駅のそばでも、あっての、移動も、し易くて。

での、本日、祝日やのに、客、少なくて、ねえ。
大体が、ここ、「イオン亀岡」で、大入り、満車、満員の事、知らんぞと。がしかし、利用者から、したらの、楽やねえ。
食堂で、席はと、心配しんでもと。
とりあえず、よお、保ってるです。結構なると。
イヤ、存続希望してるです。これで、無くなってみい。亀岡駅の近在で、西友が無くなって、イオン亀岡までが、無くなってみい。亀岡なんか、何じゃと。

言うたら、亀岡までは、JRも、本数あるのけれどの、そこから先、当家、最寄りの駅、並河駅に、なんか、下手してみい。下手しんでもの、1時間に1本。
これ、ど田舎であるの、証左。


オトトの、又、本題から、逸れてるです。
いやねえ。人相的に申せば、当家、菩提寺の光圓寺住職ねえ。その手の人相でも、ないなあと。
イヤイヤ、人柄結構の、言うたら、ええ人でして。当方的、話もし易くて。

そらねえ。
先々代ねえ。
これは、祖父年代の方でして。まともには、会話なし。
先代ねえ。基本、母年代に近いの哉の。されどの、そもそもが、話、されずの住職でして。基本、母が相手してたですが。相槌程度やしねえ。話なんか、続かんわと。

今度は、現の住職ねえ。当方よりも、軽くの年下でして。
の、以前の、先代よりは、話、してくれて。
いやねえ。
母の葬儀の時には、この方でして。申せば、色々、話も、出来てるです。

オッとの、いやねえ。
それ言うたら、母方の菩提寺、妙満寺なれどの。その一つの、僧坊なれどの、そこの住職ねえ。既に、10年は、経つと、思うけれどの、離婚されて。へえと。
言いたいは、子どもさん、2人。男子でねえ。
過年の、年会の時、小さいのが、太鼓叩いたりして、お手伝いしてたですが。こちらでは、太鼓叩いたりしてるですが。母方従兄弟から、離婚したと、聞いてねえ。へえと。
とか、言うたって、我々では、どしょも、なくて。檀家でも、どしょも、あらへんですが。当人、住職の事でして。

いやねえ。
それ言うたら、余計なるの話の、獨鈷抛山千手寺<とこなげさん>。
ここには、何度か、行ってるですが。
内の一回、「芋煮会」で、訪問、参拝と、するのか、要は、そのままの寺でして。
農園主、ここの、宮総代勤めてて、ねえ。

いやねえ。過年、言うてるの、そこから、山、縦断したですが。その時、偶々の、お子さん、見掛けてねえ。
ここも、安泰かと、思いきやの、農園主曰くに、離婚したと。子ども連れてと。へえと。
オッとの、<とこなげさん>、千手寺の、住職の年齢なり、よ、知らんですが。その時には、お子さんを見ただけでして。何人居たのか、住職ねえ。その時には、見てませんが、お子さんの歳格好、精々が、小学生辺りでねえ。若いなと。

当世、難しいねえ。
結婚しても、離婚があって。結婚してへんのも、あるし、ねえ。
その点、「大井神社」ねえ。次の世代、少なくともの、小学生ではあらへんの、最早の、大学生なり、修行中なり、哉と。
イヤ、よおは、知らんわと。
その内、神主姿で、現れたり、してねえ。

オッとの、言うておくの、妙満寺の僧坊なり、千手寺の話ねえ。あくまでもの、又聞き。
「大井神社」のは、当方的、勝手推量。
(24/07/16)


NO.4519 閑話休題的、夏越の大祓の、日の話(17) 次世代の話(2)

オッとの、本題とは、違うの、獨鈷抛山千手寺<とこなげさん>の話。
「芋煮会」農園主。
要は、元ロームの、なれど、です。
宮総代と、形容したですが。よ、考えたらの、お寺やねえ。

行けば、わかるの、寺と、されれば、寺。神社と、言えば、神社みたいでねえ。その昔には、神仏混交、特段の、区別なく。
イヤ、結構なると、思てるです。
言うは、お寺さんなら、宮総代では、あらへんなあと。言うなら、檀家総代なり、かなあと。名称、よくは、知らんです。

の、話をしたですが。
どんな場面で、出たかは、当然の、「芋煮会」で、やろなあと。
言うは、以前には、会から、方々に出掛けたです。サントリーの、山崎の、ウィスキー工場の見学したり、伏見界隈の、月桂冠、カッパの、黄桜等々。
更には、言うてるの、獨鈷抛山千手寺<とこなげさん>に上がって、ねえ。上がるたって、山そのものは、低いけれどの、そこを、千代川方面に、縦断してねえ。道なき、道を、でして。

今、思えばの、ンの、それ、10年程の前やろねえ。10年前と、なればの、皆、そのままに、10歳、若くてねえ。若いたって、ねえ。
70台手前であったり、70台になってたり。
がしかし、そこから、10年経てば、そのままに、70台後半であったり、80台になってたり。まあなあ、女子の方、皆、若いけれどや。
男子ねえ。歳やねえ。

言うは、よお、行けた、登れた、なあと。ある意味、あの時、やっといて、よかったなあと。
よい、悪い、でも、あらへんですが。現在、「芋煮会」も、一旦、解散したですが。これ、面々の、高齢化のため。農園主も、ええ歳でして。80台の、何歳やろねえ。よおは、知らんですが。言うてるの、獨鈷抛山千手寺の話、出たって、又、行こかと、なんか、ダアレも、言わへんわと。あの時、やから、一発と。
最早の、若くは、ないけれどの、行けるやろと。自信を問われたならばの、怪しいけれどの、怪しいも、その度合いが違うです。
現在なら、行くの話も、冗談やろねえ。行けたら、なあの、願望やねえ。

イヤイヤ、鋭意決断の、死をも、覚悟でなら、なれど、です。下手してみい。途中で、下山。まあなあ、それこその、獨鈷抛山千手寺までなら、行けるです。寺なるは、山道登っての、すぐの、そこでして。どれ、程の、とか、言うたら、適当になら、数十分かと。
はきりとは、その麓の、保育園、ンの何ちゅうの、であったかの、オトトの、唯今、思い出したです。「太田保育園」の、園児が、登るの、程度の山。
申せば、我が息子共の、母園。
変な、話の、そこを、さえ、遠慮しとくわと。即答になればの、いよいよの、怪しいなあと、なるですが。

オッとの、話、逸れついでの、それも、年齢やねえ。平坦なるの、道さえ、距離、歩けねば、山道、多少であれどの、まあ、無理難題の、そんなに、無理すなと。
実は、この辺り、言うてるの、難しいねえ。
イヤイヤ、何度でもの、現在の当方なら、何とも、思わんです。登るなら、一緒するぞと。イヤ、ほんと。

いやねえ。
言うは、この辺りの歳になればの、外見的、どもなくともの、歩けるのが、少なくて。
更には、何とか、福祉施設には、お世話になってないだけでの、極めての、近いかと。的なるが、結構、居てるねえ。

ついでの話の、この福祉施設ねえ。
当然の、お世話になるは、出来る限り、避けたいが、誰しもの、本音。
そらねえ。
自力で、何でも、出来たら、結構の、されどの、年々、そは、なと。
一番には、風呂か、なあと。

風呂ねえ。
若い時には、全くの、そんな事、考えも、せず。なれどの、当方的、親、見て来ての話。以外にも、方々の、親世代の事、承知してるですが。
兎に角、風呂やねえ。
問題は、湯船に足入れるにも、上がらんねえ。上がっても、入るに難儀で、下手したら、下手しんでもの、転けるです。

それ、思えばの、我が祖母ねえ。
結果的、交通事故と、するのか、車にぶつけられの、転倒して、腰骨折りの、寝た切りになったですが。
言うてるの、入院先に、即の、行ったの時の、祖母の状態。尋常ではないの、可成りの勢いで、まともに、転けてるです。
顔も、胸も、赤く、青く、染んでてねえ。まともには、見られずの、可哀想で、可哀想で、泣き崩れたです。当方が。
それで、相手の言、直接には、聞いてはないの、親父からの、伝聞なれどの、言うは、一寸、接触しただけと。それも、当初は、自身の車、停まってるのに、ぶつかって、来たと。あのなあと。
とは、相手さんの事、苗字すら、顔なんか、全くの、知らんでねえ。交渉なるは、親でして。

オッとの、その祖母ねえ。
怪我するまでねえ。
当家には、内風呂ありませんの、銭湯に通てたです。言うたら、毎日、毎日なんか、風呂に入れずの、場合により、1週間に1回でして。
オッとの、毎日なんか、面倒故、通てませんです。当然の、そんな金、あらへんわと。

イヤイヤ、祖母と、一緒に、銭湯に行った事、あらへんですが。怪我するまでは、行ってた、なあと。一人で。多分。
言うは、没84歳。その前、少なくともの、83歳の頃には、自力で、通いの、銭湯に入れてたんやと。当世の、84歳とは、違うぞの、半世紀昔の老人。

いやねえ。
思うは、当世とは、違いの、他に手段ないです。世間、皆、そんなモンでして。まあ、言うたら、歳喰て、怪我して、歩けんのよになれば、おしまいと。
てな事、冷静には、よっく、承知も、我が家族、親族なるは、永遠に死なんわと。てな感覚であった、なあと。当方は。


オトトの、その、獨鈷抛山千手寺の住職ねえ。
結果的、お会いした事、あらへんですが。
イヤ、何の時か、そのお父さんやろねえ。年代的。には、お会いした事、あるのではと。当然の、10年くらい、昔の話で、お会いした。と、するよりは、偶々に、遭遇の方が、そではと。推測してるのダケでして。

いやねえ。
言うは、継承、伝承ねえ。至難の技と。
比較には、成らんのけれどの、天皇家ねえ。
色々、言われてるですが。諸説あっても、基本、男系男子で、神代より、粛々、延々の、当世まで、来てるは、凄い事。
それを、当世の、知識人たる、女系が。とか。女子も、結婚しても、皇籍を。とか、奇妙なるの、議論出てるですが。
そのための、皇族でして。
イヤ、後世に、皇族の血筋、男系で、引き継ぐための、です。
それを、敗戦で、GHQとやらが、皇族を、絶やすがため、廃止にしたのが、沢山あっての、それを、復帰が筋と。
とは、当方考え。

何で、こんな話ねえ。
基本、どの家でも、継承は、大変なるの事。
そらねえ。
申せば、当方世代、200万人。ベビー・ブーム世代で、一番に多く。現在、それが、80万人。4割に、まで、減ってるです。
つまり、それだけ、家の継承出来るの確率、減って来てると、言えて。

この原因、少子高齢化以前の、核家族化にあるみたいに、思うは、当方だけやろかと。
何故にと、なればの、大家族とか、言うても、人数、知れてるですが。一緒なら、助けあえるけれどの、核家族で、離れてたら、そんな事、出来ず。
モ、あるし、生活費にしたって、二重やしねえ。世帯、増えれば、嵩むわと。その分、金ないと。言うたって、当たり前やないかと。
とか、言い出したら、切り、あらへんですが。

まあなあ。
誰しもの、自由が、欲しいんやと。自由ねえ。何からの。決まってる、わかってる、けれどの、ダアレも、口にせず。
の、ダケ。
(24/07/17)


NO.4520 閑話休題的、散髪屋の話

いやねえ。
本日<7月17日・水>なるは、祇園祭の日。
とは、その昔には、重々の頭にあった、けれどの、当方、現在唯今、亀岡在住やしねえ。念頭には、ないです。無くて、当然の、周囲の雰囲気、違うしねえ。

いやねえ。
その昔々なら、早くから、的、雰囲気あったです。少なくともの、格致学区では、方々の町内で、鉾なり、山が、組立られ、出しててねえ。
かと、言うて、まともには、小学生時代、学校の真ん前の、太子山しか、見てないけれどや。そらねえ、学校の真ん前故、登校、下校の時、嫌でも、見えるです。

オッとの、その話ねえ。
実は、正直、申しの、この歳になって、可能ならの話。残念無念の、不可能の確率、極めての高いけれどや。
そらなあ。
京都の、あの界隈に、住むねえ。余程に資金、資産あっての話やねえ。移住は。
そらねえ。
元々が、そこに、家あるなら、相応に、生活出来るです。もしかしたらの、生活費なんか、亀岡よりも、安いかも、なあと。イヤ、ほんと。

第一、交通と、するのか、どこえ、行くも、容易でねえ。
まあなあ。移動も、亀岡内、近在なら、左程でないけれどの。いやねえ。本日、散髪に行ったです。散髪屋ねえ。当家の近く、まあ、言うたら、並河駅の近くにも、あるですが。
そこなら、そこの、契約駐車場に駐めるが出来るですが。申せば、当地に、引っ越して来たの時、とりあえずの散髪屋ねえ。探すが面倒故、わざわざの、仏光寺時代の散髪屋にまで、行ったり、してねえ。

まあ、言うたら、ロームは市内やしねえ。
かと、言うて、仏光寺、油小路の角の、散髪屋には、距離あるですが。オッとの、何が言いたいのかの、従前には、並河駅の近くの、散髪屋に通てたです。マスターの年齢も、近くてねえ。
奇遇と、するのか、その散髪屋、仏光寺通りの、「東<あずま>」と、称するですが。知ったはって、ねえ。へえと。
再度、申せば、そこの、親父さん、姓名、東京市。つまり、「あずま・きょういち」さん、なれどの、惜しいねえ。「東京都」なら、なあと。てな、話、当人がしてたですが。

何なら、「京一」でもと。なら、「東京一」やしねえ。がしかし、ここは、「京都」やしねえ。
てな、世間話か、何やろねえ。そんな話、行けば、聞かされてたですが。そらなあ、24歳まで、でして。こちから、親父さんに、世間話、する程の、では、あらへんわと。

現在ねえ。
とするのか、こちに、来た辺りからは、相手さん、マスターが、似たよな、歳、実際には、何歳か、下なれどの、故に、世間話も、出来るですが。

いやねえ。
余計なるの話の、この、十数年、通てるの散髪屋、なるは、所謂の、チェーン店でして。店長、店員、ころころ、替わるがあるし、何ちゅうても、チェーン店やしねえ。世間話なんか、するの雰囲気あらへんでして。

がしかし、何ちゅうかの、当方的、完全なるの、昔人間。故に、そんな雰囲気、要は、散髪屋の、店長か、店員か、何か、知らんの、兎に角、散髪してくれるの方、相手に、世間話、してるです。とか、言うたって、超の簡単の、「今日は、暑いですねえ。」の、出だしやったり、してねえ。

更には、「暑いし、空いてるかと、思てた、けれどの、甘かった、なあ。」とか。
「一寸、歩いたら、汗出るしねえ。そんな頭では、申し訳ないなあと、思うんやけど。」とか。
ここまで、来たら、それは、仕方はないですねえと、応答あったり、するです。ここで、初めて、会話成立の、イヤ、ほんと。

言うは、従前の店なら、散髪してくれるは、いつ行っても、マスター一人。がしかしの、この手、チェーン店では、人が、ころころ、替わるしねえ。
まあ、言うたら、1年保てば、へえの、結構、長いぞと。相成って。実際には、シフトで、出勤時間、日が、異なるのらしくてねえ。どちにしろ、こっちは、その手、内部状況、知らんしねえ。本日ねえ。
行けば、散髪してくれるの2人、男なれどの、は、前回と、一緒。余計な事、言えば、その2人、前回が、初。

そして、シャンプーなり、してくれるの女性。此度、初。
いやねえ。ころころと、替わるの中でも、前回までの、女性、中年なれどの、へえの、替わったのか、なあと。或いは、日が違う、かったり、してねえ。

であれば、更なるの、次回、何箇月後になるやらの、又、それ以前の方が、居てたり、してねえ。
がしかしの、概ねなら、チェーン店なるは、止めたり、入って来たりで、目まぐるしくしくて。
での、言うは、こちからは、いつもの、兄ちゃん、居てへんになるし。あちからも、所謂の、常連さんなんか、ないになるです。
要は、客と、あるいは、店の方と、世間話するにも、継続性がと。そらねえ。
何よりも、マスター、店長が、ころころでは、なと。


オッとの、何故に、並河駅の、から、チェーン店に替えたかと、なればの、言うまでも、ないの、値が違うわと。
言うは、当方の身では、そんな高級店、と、するのか、正価の、散髪屋でなくともと。
そらねえ。値上げされてないならの話の、消費税が、7%から、10%に成ったの時、正価4500円なら、7%で、4815円が、10%になって、みい。4950円。
値的、大幅に、違うでは、ないけれどの、5000円札で、50円の釣り銭では、たまらんなあと。

申せば、以来、転々としたです。
そらねえ。
出来れば、近くて、歩いてでもの、これ、美容院なれどの、3000円であったか、店主、店員、皆、女性でねえ。場違い感覚あっての、一度で、撤退。

で、チェーン店の、「cut-A」が出来てるを知って、ねえ。値、忘れたけれどの、とりあえずは、2000円で、釣り銭あって。一発、決まったです。
そこに、数年通たけれどの、人気店過ぎての、待ち時間、30分乃至小一時間も、あってみい。たまらんぞと。

での、更に、一寸、近くの、亀岡警察署の辺りと、するのか、にも、別の、チェーン店が出来て、ねえ。
それが、現在、行ってるの、「プラーナ」。
オッとの、途中、屋号替わってねえ。以前には、「ブラージュ」。
どちにしろ、現在、カット、1600円、シャンプー、300円で、都合の、1900円に、消費税190円で、都合の、2090円。
そこから、シニア割220円での、結果、支払い金額1870円。

言うたら、正価の散髪屋なら、約の、5000円やしねえ。
当方では、最早の、行けへんわと。
但し、言うてるの、正価の店なら、マスター一人やしねえ。細かくに、言わんでも、やって、くれるし、一寸、短めにと。とかで、通じるですが。
この手、チェーン店なるは、マニュアルに沿っての、やしねえ。諸般、尋ねてくれるですが、返答に困って、ねえ。
言うは、散髪に来てるのやし、短くしてくれたら宜しいですが。諸般、好みもあるし、ねえ。

まあなあ。
こちも、次第、次第に、慣れては、来てるです。
どちにしろ、当方年代で、髪の毛、散髪屋で、ビシリ、バシリの、なんか、居てへんやろと。
思てたですが。諸般、そんな方も、当然にして、居たはるですて。へえと。

いやねえ。
にしたって、散髪の時、チラと、横手の老人。実際には、大して、年齢替わらんと、思うの、とりあえずは、禿。
いやねえ。
散髪ねえ。
当方なら、その程度の、に、なれば、散髪なんか、卒業させて戴くです。イヤ、正直、そ、思てるです。勿体ないと。

にしてもの、当方ねえ。
年齢の割には、髪の毛、あるし、白髪も、あるのけれどの、何故か、それ以上に、白髪化が、進まんでして。
まあなあ、あって、黒いが多いなら、結構は、結構なれど、です。
ンの、黒が多いねえ。光線の加減で、変幻自在。

いやねえ。
むしろの、この歳で、余りに、黒髪多いも、変な具合でねえ。
いやねえ。
申せば、若く見られて、ええよな、悪いよなと。
言うは、町内会の、同年のに、何回聞かれるや、尋ねられるやの、2歳、3歳、下みたいに、言われてねえ。2歳、3歳なら、そんなには、替わらんの、5歳、10歳なら、嬉しいけれどや。

がしかし、正直、散髪屋の鏡に映るの自身の顔、人相、顔色、皺の状態等々、髪の毛見てたら、年齢相応の、歳喰た、なあと。
イヤ、自身的になら、モっと、モと、若くに、見えてるのではと、贅沢に。
情けないけど、現実は、これであると。
偶にしか、会わんの、こいつ、どこの、どいつや。知らんのヤツや。
何分の、散髪屋の鏡なるは、デカくて、細々、よお、見えるし、ねえ。
そこには、当方ではない、只の、爺<じじい>が写ってるです。イヤ、残念無念。
(24/07/18)