シバケンの単なる雑談NO.428


NO.426 NO.427
NO.421 NO.422 NO.423 NO.424 NO.425

NO.410 NO.420 NO.425
NO.360 NO.370 NO.380 NO.390 NO.400

NO.300 NO.350 NO.400
NO.50 NO.100 NO.150 NO.200 NO.250
題目一覧表

目次

雑談NO.429

NO.4650 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(12) 車の話

NO.4649 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(11) 諸般のガラクタの話

NO.4648 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(10) 早々に、隣家よりの苦情の話

NO.4647 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(9) 引っ越し手伝いの話

NO.4646 孫君4号の、七五三の話(2) サンマルクの話

NO.4645 孫君4号の、七五三の話(1)

NO.4644 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(8) 三人と、一匹の話

NO.4643 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(7) 三人で、の話(3)

NO.4642 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(6) 三人で、の話(2)

NO.4641 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(5) 三人で、の話(1)

雑談NO.427


NO.4641 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(5) 三人で、の話(1)

いやねえ。
諸般ねえ。
そらねえ。

とかとか、明確には、表現難しくの、息子共、孫共であっても、個々、考えなり、違うですが。個性あって。
但し、長くに渡って、一緒の屋根の下で、生活。食事も、共にするの機会多ければ、多い程に、当然の、親密さが、違うわと。
有り体になら。
祖母は、完全なるの、家族。
こんな事、言うまでも、あらへんの程の、大切な、大切な、家族。

イヤ、誰しも、自身の、血縁親族なるは、大切な、大切な、家族であるですが。姻族も、他人や、あるまいにと。
の、上で、当たり前の、一緒に暮らしてるの、期間なるが、その濃淡に、大いに影響するです。を、言うてるです。
祖母ねえ。
完全なるの、家族。
言うは、生まれた時から、一緒でねえ。亡くなるまで、一緒の屋根の下での、生活でして。

それこその、墓参も、一緒に、行ったり、してねえ。
どこそこに、これ、持って行ってくれと、頼まれたり、してねえ。所謂の、お使いやねえ。
祖母の、知り合いなら、当方も、重々の、承知してたしねえ。まあ、言うたら、祖母が、衣服の、繕いなり、してたら、ズと、ソバに居ての、何や、かやと、話をしたり。
その光景なら、諸般、当たり前に、印象深く、記憶してるです。当たり前やねえ。日常茶飯の事、やしねえ。

針刺しねえ。糸を針に通すが、難儀みたいでねえ。そらなあ、ロー眼でして。見難いわと。あの、針の小さな穴に、糸通すのは。
よて、後年、通してくれと、頼まれての、ハイと。イヤ、ほんと。
当方なら、一発で、通せるですが。そのやり方なるは、祖母のやってるのを、見てるしねえ。

ンの、どんな具合ねえ。
糸の先をば、くるくると、丸めてねえ。
オッとの、その前に、唾付けて。糸の先に。さすれば、丸めるが、楽で、キチンと、丸めるが出来て、針先、穴に、通し易くなるです。

これを、祖母が、難儀し乍らの、やってるを、ズと、見てるしねえ。
言うは、以前なら、一発、通せてたのが、次第、次第に、何度も、何度もの、挑戦しての、遂には、孫の当方に、オマエのええ目で、やってくれと。

てな事、度々あっての、とあるの日、夜店があって、ねえ。9の付くの日に。
夜店とは、まあ、言うたら、当世、縁日なり、神社なりの、参道に、店開いてるの、あれ。屋台とか、台だけ出したり、してねえ。
香具師やねえ。
これが、沢山、出しててねえ。
夜に。

まあ、言うたら、バナナの叩き売りもあった、なあと。
パチンコも、スマート・ボールも、あったし、何ちゅうかの、それこその、曲がり物と、言われてた、ですが。針に、糸通すの小道具。
をも、売っててねえ。
イヤイヤ、その香具師が、実演してくれるです。一発、通せるしねえ。
当方からしたらの、これは、凄いな、素晴らしいなあと。当然の、祖母のため、買おて上げよと。

イヤイヤ、言うは、当時、小学生低学年と、記憶してるですが。の、身分で、買えるの値でして。
その当時ねえ。1円が立派に使えたの時代でねえ。
1円で、サイコロ飴が、一個買えたの時代。まあねえ。貨幣価値的どなんやろねえ。その1円が。100円見当なら、高がの、サイコロ飴1個が、ねえ。たっかいねえ。
精々が、10円なら、まあなあ、高めに思うですが。妥当値に近いかと。とは、当方感覚の話。

どちにしろ、小学生が買えたです。とは、言えどの、全資産であったかと。大体が、オコズカイなんか、貰てえへんの、身分故、お年玉やろねえ。
買おて、祖母に、これ、ええのが、あったでと、見せたならばの、嗚呼、これかと。
ンの、祖母知ってたのかと。まずは、その事に、ビクリした、なあと。

そして、祖母、曰くの、おおきにと。
の、上で、これなあ。
所謂の、曲がり物と、言うて、なあと。昔っから、あるのんやと。
の、上で、これなあと。
小さな穴の、針では、アカンのやと。実は、その小道具で、通せるのは、穴の大きいヤツなんやと。要は、その小道具で、使えるの、針。
聞いて、へえと。成るの、程のと。これ又、祖母の実演で、納得したです。

の、上で、ありがたくと、その針刺しの、小引出しに、入れた光景、今だ、覚えてるですが。
残念乍らの、その小道具なるは、残存、現存、しておらず。

オッとの、いやねえ。
我が孫共が、そんな事、まあ、無理やろねえ。
当方の、日常を知らんです。

オトトの、全くの、と、までは、申さんけれど。
オトトの、槇島の話からは、少々、イヤ、可成りの、ズレてるですが。
(24/11/20)


NO.4642 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(6) 三人で、の話(2)

いやねえ。
当家、最多の時、7人家族。
と、言うてるです。

よくは、知らんですが。兎に角、当方生まれるの、以前でして。皆と、一緒に居たが。
その時、我が母と、一緒の時期あったかも、知らんです。多分なら、なかったかと。あっても、短いの期間やろなあと。
言うは、叔母家の従兄弟。長男なるは、当方の、一歳上。
東京さの、とするのか、その長男なるは、千葉在住。三人兄弟で、ねえ。

オッとの、言うは、母、当家に嫁いで来て、叔母と、一緒の時期あればの話の、6人家族やねえ。
叔母、嫁いで、家出て、5人家族。当方、生まれて、6人で、妹で、7人。
までが、仏光寺の家の話。
後は、減って、減っての、まずは、叔父2人が、出てって、ねえ。5人になって。祖母亡くなり、4人になって。父は、結核での、入院で、実質的、3人家族に相成ったです。

この父の、入院なるは、当方的、厄介でして。
そらなあ、基本、社会人になったの、ばかりでねえ。
やのに、家が、壊れ出しの、どしょかと。イヤ、ほんと。

当方、若造、世間知らずで、家主なるは、隣家でねえ。これ又、生まれたの時から、重々の承知の家で、一家。
申せば、そこには、娘2人でねえ。当方よりも、下でして。
更に、申せば、当方、小学生辺りまでは、居てたですが。中学生に成るか、成らぬの頃、急逝。原因知らんわと。
言うは、その当時には、男で、長寿なんか、余り知らんでして。そんな意味では、母子家庭が多く。かと、言うて、お婆さんが居たり、してねえ。

オッとの、いやねえ。
その隣家、思えば、僅かなるの期間で、余程に、儲けたんやと。小父さんは。
ンの、更に、先代から、かも、わからんですが。兎に角、当時、隣家、材木屋。材木の、何してたか、までは、知らんですが。家の前に、何本もの材木置いてたです。亡くなってからも。

での、言うは、で、ズと、その一家、小父さん亡くなっても、そのままに、生活してたです。よて、余程に、儲けたんやと。
且つは、何故か、当家、飛び越し、その宅に、当家売るの話が行って。買おたはるですが故、家主。
いやねえ。
何故にと。当家に話をしやへんかったんやと。
理由、別隣が、その前の元の、家主でねえ。言うてるの、当家、飛び越し、隣家に、でして。まあなあ、金無いと、見られたんやと。
考えよ、なれどの、居住権なるが、あるが故、当家を避けた。とも、言えるですが。
そらなあ。
売り手から、したら、1銭でも、高くにと、成るし、ねえ。その手、当家になら、その1銭でも、安くに売らんならんやろなあと。

イヤ、当方からしたらの、残念無念。
当方なら、そんな話、知ってみい。ごねるです。何でやと。腹立てるです。で、当然でして。
その辺り、父は、大人しかったかと。
イヤイヤ、当方には、言うてたです。ウチに、話来てたら、当時なら、買えてると。当方から、したらの、あのなあと。
そんな話、当方にしてくれたって、どもならず。
聞いたは、中学生、高校生時代と、思うです。

それ、言うなら、我が家が、借家と、知ったは、中学生くらいでねえ。
何かで、隣の小母さん、売ったの方、なれどの、口喧嘩になって、ねえ。その理由、中身、覚えてないけれどの、何かの、拍子に、ここ<当家>は、元々は、自身の持ち物やったんやと。今は、あちの、やけれどと、聞いてねえ。ゾと、したです。
まあなあ。
生まれの、育ったの地でして。そこらの、近所の、小母さんとも、口喧嘩出来るの、くらいに、親しくしてた。とも、言えるです。


オトトの、言うは、家壊れ出し。
隣家の家主に、青二才の当方、一人で、売ってくれの交渉ねえ。母なら、オマエが長男やからと、自身は、つきあわずでねえ。
当方にしてみたらの、実は、新しく建てるの家の、構想。設計図。
と、までは、言わんですが。単なるの、絵やねえ。だけなら、書いてたです。それこその、駐車場設けて、暖炉あるの、居間。
イヤ、ほんと。
当方的、理想の家なるは、ソファーあって、暖炉があって。当方の書斎があって、ねえ。
オッとの、現在唯今、尚、実現しておらずの、夢の家。

更に、申せば、断られるは、想定しておらず。
言うてるの、隣家のお婆さん、小母さんねえ。娘2人も、幼馴染みやしねえ。重々の承知やし、快くの、受けてくれると、多寡括ってたです。
そもそもが、この地、家出るなんか、夢想だにもの、しておらず。

がしかし、肝心の、お婆さん、小母さんは、交渉には、顔出さずで、代理の、見知らぬの小母さん一人。
イヤ、想定外で、びくりしたです。
がしかしの、話の中身なるは、家の人では、言い難いの事でして。

要は、家、新築するは、こち、当方の資金で、
但し、所有権なるは、家主に譲れ。どちにしろ、新築なれば、その分、家賃上げると。
まあ、つまり、家建てるは、好きにせよと。がしかしの、権利は、家主で、その分、家賃上げられては、ども成らずの、そもそもがの、それでは、ローン組めへんわと。

てな事、重々の承知の話でねえ。要は、売らんと。
ついでに、申せば、雨漏り等々、諸般、家治すは、自由にして頂戴の、その費用、一切の出さんの、こち、当方が出せと。
尚、いついつまでに。
とは、言わんの、引っ越し先探して頂戴なと。

まあなあ。
大いなるの、勉強させて戴いたです。持てる者の考えやねえ。当然かと。
当方とか、所謂の無産階級なるは、気が、気前が、良過ぎてねえ。損ばかり。で、結構なると、思てるですが。

いやねえ。
そこから、家探しでねえ。
当然の、借家は、考えず。当たり前。
所謂の、アパート・マンションも考えず。まあなあ。アパートなら、基本的、賃貸になるですが。

かと、言うて、諸般、物件見たって、京都市内、近所で、なんか、売り家あらへんし。あったとしても、軽くの、手が届かんわと。
かと、かと、言うて、幾らのなら、手が届くかも、わからんがままに、休みになれば、新聞のチラシなり、見てねえ。母連れて、見に、行ったです。
イヤ、ほんと。

での、言うてるの、最低でも、山科辺りでないと、届かんわと。それも、狭いの家で、ねえ。
での、行けどの、当時には、即の、現地に行っても、売り切れ御免。
での、そこの、営業担当から、ここで、売り出してると、聞いて、ねえ。記憶に、残ってるは、近鉄小倉駅の、横手の、でして。750万円と。
がしかしの、線路の真ん前でして。

言うたら、祖母の、妹。おすてさんの、家、大徳寺の真ん前の、なれどの、当時には、市電が走っててねえ。一度か、二度、泊まってるですが、祖母と、一緒に。
そんなモン、寝られへんぞと。市電通るの度、ガタゴト、五月蠅あて。

がしかしの、候補の一つと、考えて。
そらねえ。新築でして。坪数も、少々広めであったの哉の、750万円ねえ。止めと、称したかの、いくらか、支払えば、他の方との、商談止めてくれるの、話で、2万円であったの哉の、出して、ねえ。
契約、成立なら、家の代金と、するのか、に、充当と。
当時の、2万円ねえ。高額なれどの、出して、ねえ。

がしかしの、肝心の、当方の、借金能力なるが、言うてるの、440万円か、そこらでねえ。750万円ねえ。サイナラと。
そらねえ。
入社、2年か、3年目の、若造故。
且つは、当時の貸し付け可能額なるは、総額で、あったかの、30%以内の返済額であると。
ある意味、妥当なるの話。

まあ、言うたら、一銭の、とまでは、申さんでもの、限りなくの、それに近いの、当方の所持金。
まあ、言うたら、貯金なんか、してへんわと。
まあ、言うたら、無一文で、家買うねえ。
まあ、言うたら、しょがあらへんやんかと。長男故、何とか、せねばと。要は、自分がやるしか、あらへんわと。
イヤ、ほんと。

正直、正確には、長男云々ねえ。左程にはの、と、するのか、前提に過ぎて。深刻には、考えておらず。
言うたら、母以外には、妹一人やしねえ。まだ、何歳やの、高校出たばかりの頃かと。
どちにしろ、それこその、長男でして。社会人でも、あって。

とりあえず、親から、資金出る。
なんか、夢想だにも。
(24/11/21)


NO.4643 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(7) 三人で、の話(3)

いやねえ。
ここ最近。
2度、夢見てるです。
がしかしの、1度目の、夢ねえ。忘れたです。場面も、情景も、何もかも。
対して、2度目のは、現在唯今なら、概略覚えてるです。オッと、何日か、以前に、見たの夢。
覚えてたら、そのウチには、話をするですが。

での、申せば、あれやねえ。
以前には、見た夢の話、その概略でも、覚えてたですが。場面だけでも、覚えたですが。歳喰たら、アカンねえ。
軽くの、霧散するです。
イヤ、1度目の夢の事、言うてるです。これは、何時の夢か、さえ、失念してもてねえ。情けなやと。


いやねえ。
言うてるの、寒くに、なりの、歩きに出だしてるです。まあ、言うたら、10月に入ってから、やねえ。基本、寒い筈、なれどの、例年に、比べて、暖かく。
イヤ、困るんやと。暖かいは。

これ、年齢的、影響してるのか、一寸、動けば、汗かいて。
それが、なかなかに、収まらんです。
がしかし、いよいよの、寒くなりの、上着ねえ。着ずに、歩きに出てるですが。それで、充分の、道中、汗かいての、厄介なると。
まあなあ。
夏場みたいな、汗かかず。

下着、シャツやねえ。
が、汗で、少々、濡れるの程度かと。これが、中途半端でねえ。シャワーなり、昨日の風呂の、残り湯に、入って、云々の、汗流したいと、するの程でもなくて。言うたら、一寸の間、静かにしてたら、汗引いて。
まあなあ。下着のシャツ程度は、着替えるですが。

オトトの、歩きの先ねえ。
本来なら、工業団地の、奥の方まで、行きたいの、気、あるのけれどの、邪魔くさいのと、保つのかと。
そらねえ。
最早の、結構の、しんどくて。無理すなと。イヤ、ほんと。
概ねの、5千、6千歩程度でねえ。所用時間、1時間。で、充分やろと。をば、維持するも、難儀になるの、やろ、なあと。
イヤ、言うておくの、当方、歩いてるの辺りまでは、町内会の面々、歩いてえへんわと。


そんな次第の、斯くなるでの、槇島ねえ。
当家、3人になって、ねえ。
母と、妹をば、槇島の家に、連れてくに。まあ、言うたら、家財道具なり、移動させたら、戻って来ても、布団もあらへんし、ねえ。
それこその、茶碗も、箸も。ヤカンも、何も。の、時には、ほんと、寂しいて、ねえ。
言うたら、まさしくの、都落ち。

まあなあ。
実際には、当方一人、小物なり、何なり、まあ、言うたら、忘れ物やねえ。をば、取りには、何度か、戻ってるですが。
又、散髪ねえ。
槇島では、知らんしねえ。散髪屋を。実際には、並びであったか、次の通り、「7」であったかに、一軒あったですが。一度しか、行ってませんです。
如何にもの、暇そでねえ。待つのも、嫌ですが。店主、暇にしてるの店も、困るです。

よて、仏光寺の、散髪屋。イヤ、それこその、まさしくの、歩いて、1分もは、掛からんの油小路の角。南東角やねえ。に、行ってたです。言うても、1度、2度。
ダケ。

そらねえ。
車を置くの場所がなく。そらねえ。市内では、どこも、駐車場付きのなんか、あらへんわと。
申せば、ロームが、五条の、西大路やしねえ。西院まで、歩いて、行って、阪急で、四条大宮まで、乗って。散髪屋、最寄りの、には、歩いて、行ってたですが。くどい、けれどの、1度、2度。

そこの、親父さんねえ。
何度も、この手、話に出してるですが。「東京市」さん。惜しいねえ。東京市は、ないのやねえ。「都」やねえ。
京都なら、京都市があるですが。

トトトの、そこの親父さんとは、当然の親しくて。行けば、当方の小さい時の話をしてねえ。へえの、こんなに大きなったんかと。
あのなあと。
そこの、娘さんねえ。何歳かの、歳下なれどの、居てるのにと。
残念乍らの、一緒に遊ぶ事、なくての、名、知らんです。
まあなあ。
言うたら、その当時には、子どもの数、多くてねえ。基本的、町内が、一緒なら、遊びもするですが。違うの場合、同級生程度やねえ。家行ったり、何なり、したは。

いやねえ。
その、「東京市」さん、曰くに、話をするに、アンタを見たら、小さい時、1歳か、2歳、3歳辺りの頃やろねえと。家の前の、水溜まりに、入って、寝ころんで、なあと。
イヤ、親大変や、なあと、思た、なあと。フウンと。

そらなあ。
孫共見てたら、有り得るの話の、誰しも、一緒。
只なの、その界隈。京都市内なるは、道路、舗装なったは、小学生時代でねえ。それまでは、土の、でして。
今時なら、そこら、殆どが、舗装されてるですが。そ、言うたら、堀川通り、四条、五条等々の、大通りだけやねえ。は、立派に、舗装されてたです。

オッとの、その言でなら、槇島も、舗装はされてねえ。
但し、何ちゅうかの、トイレは、簡易貯め置き式で、バキューム・カーで、吸うてたです。行ったの当時は、なと。
申せば、仏光寺の家なら、これも、小学生時代辺りやねえ。水洗式になった、です。

やのに、成人しての、槇島で、再びの、バキューム・カーかと。へえと。
がしかしの、1年、2年やろ哉で、水洗式になったかと。当然の、費用掛かるですが。
ついでの話の、8年後やねえ。亀岡に引っ越したら、又、バキューム・カー。イヤ、ほんと。

まあ、言うたら、それだけ、田舎へ、田舎へと、引っ越したになるですが。それ程に、亀岡なるは、田舎であったと、言えるです。
まあ、言うたら、現在でも、田舎。
なれど、です。


オッとの、この土曜日。
11月の、23日<土>やねえ。勤労感謝の日。
には、次男家次男<孫君4号>の、七五三。
声掛かってるし、9時半、息子宅と、するのか、出向くの予定。

オトトの、孫君3号、どら焼き好きやしねえ。
此度は、スーパーのでなく、「シャトレーゼ」のを、持って、行って、やろかと。
まあなあ。
値は安くの、スーパーのと、左程に変わらんのけれどや。変わらんのは、普通のどら焼きで、栗入りは、高いですが。孫君3号なら、何故か、栗苦手。
かと、言うて、普通のだけでは、なと。栗のも、調達のつもりしてるですが。倍程、値が違うですが。此度だけの、処置。
とりあえず、注文したら、有料なれどの、袋に入れてくれるしねえ。
気は心と。

いやねえ。
家の近くの、小倉山荘の、工場では、以前、特別に、小売りしてたですが。この場合、安くてねえ。又、袋<有料>にも、入れてくれるしねえ。
来るとかの、話があって、間があればの、話の、その工場で、調達してたですが。売れ行き芳しくなかったのか、週3日売ってたのが、金曜日だけになって、ねえ。そして、1年、2年経つのか、遂に、小売りを止めて、ねえ。
結果、スーパーのに、してるですが。
スーパーのなら、いつでも、売ってるし、直前の話でも、対応出来たですが。

まあなあ。
折角なら、「シャトレーゼ」のに、したろかと。有料なれどの、袋に入れてくれるし、なあと。
要は、袋入りなら、格好、付くです。

オッとの、当日の、主人公なるは、孫君4号。
まあなあ。
3歳やし、どら焼き程度、一丁前に、喰えるやろと。何時頃かは、失念の、人数に、個数に、孫君4号も、加えてるです。
(24/11/22)


NO.4644 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(8) 三人と、一匹の話

いやねえ。
昨夜の事。
テーブル・タップ<6連>が熱持って。申せば、Dysonの、プラグが、熱持って。
まあ、言うたら、当方的、危険信号発令。

即刻の、テーブル・タップから、諸般の、プラグ。主たる、ノート・パソコンの電源なれど、です。
抜いて、ねえ。
さての、どするの兵衛哉の、発熱の原因、どっちやと。
意味、テーブル・タップが壊れたのか。Dysonの、送風機<冷風、温風>が、異常を呈してるのかと。

まあなあ。
やってみるの、べきは、超の簡単の、別途の、テーブル・タップでも、延長コード<コンセント付き>を引っ張り出して、Dysonの電源<プラグ>をば、差し込み、様子見したら、わかるです。

イヤ、それなら、発熱しておらずが故、原因、テーブル・タップ也と。
イヤイヤ、そ、言うたら、過日より、変調なら、あったです。
嫁はんが、ケータイの充電するに、出来ず。とか。
それも、時には、出来たり、してねえ。
どちが、悪いか、ケータイか、充電器かと。思てたですが。
此度、判明の、テーブル・タップ。
でした、です。


オトトの、別途のは、3箇所しか、差し込み口<コンセント>があらへんし、ねえ。
本日<11月22日・金>、近くの、「ケーズ・デンキ」に行って参じたです。6連式ので、基本、個別に、スイッチあって。
且つは、何ちゅうかの、その、スイッチと、コンセント部には、段差があって、何ちゅうかの、スイッチ部に、接触せぬのをと。
いやねえ。
此度の、異常なるは、それも、あるかも、なあと。要は、スイッチが、中途半端になって、そこで、熱持つの可能性。

まあなあ。
どちにしろ、新しいのを、調達で、プラグ部、触ったり、しての、様子見の範囲では、熱持っておらずでねえ。矢っ張りかと。
まあなあ。
応急的、別途の延長コードで、確かめてはいるですが。

いやねえ。
Dysonの方に、原因あれば、困るしねえ。
まあなあ。
Dysonなら、買おて、まだ、1年もは、経っておらずが故、クレーム返品するですが。


そんな次第の斯くなるでの。
本日、朝から、あっちに、こちにと。
あっちは、「シャトレーゼ」で、どら焼きの調達。孫君4号の、七五三でして。明日に。
実際には、どら焼き好きは、孫君3号なれど、です。まあ、えやないかと。

こちは、「ケーズデンキ」に、テーブル・タップをと。6連で、言うてるの、スイッチと、コンセント部には、段差があるのをと。
まあなあ。
検索、探索で、調べてるですが。値、3千円見当。実際には、3千円で、95円の釣り。オトトの、実際には、3005円出して、100円の釣り銭をと、してるですが。
<注>消費税10%、会員券提示5%引き。


での、話、ころりの、槇島の話をと。
まあなあ。
言うたって、大した話が、あるでは、あらへんですが。

7年、8年住んでたし、ねえ。
がしかし、諸般、忙しいの時期でもあって。忙しいとは、仕事面とかとか。又、住まいの、周辺も、そんなに、ウロウロとは、探索しておらず。

まあ、言うたら、我が家から、駐車場なるは、同じの並びと、するのか、やしねえ。うろつくの、事もなく。
オッとの、駐車場ねえ。
借りねば、自宅には、置けませんです。前庭ねえ。あるには、あるの、けれどの、花壇なりは、設けられ、犬小屋程度が、置けるかと。

がしかし、実際に、犬小屋置いて、泣かれたり、吠えられたりしたら、困るなと。
いやねえ。
仏光寺の家の場合、家の、奥の方でして。まあ、言うたら、裏庭の、一角故、泣かれたり、吠えたりしても、外には、なと。隣近所の裏手に居たら、聞こえるですが。

まあなあ。
当家で、飼おてたの犬ちゃんねえ。メスでしたが、命令絶対の服従で、泣かず、吠えず。では、あった、ですが。
そこに、十年程、過ごしてましての、老齢となり、環境大きく違えば、ど哉と。
と、危惧したは、事実。

での、そのままに、オマエなあ。連れてけるのか、なあと。槇島の家にと、言うたも、事実。
結果、引っ越しの、数日前やねえ。
隣の、兄さんから、オマエのところの、犬。死んでるが故、引取に来てくれと。

いやねえ。
その兄さんの家なるは、昔乍らの、細い路地通ったの、先にあるですが。その路地で、亡くなってたです。
その時には、ンの、オマエ、何でやと。
ダケでしたが。
後刻、後日。ンと。

我が家から、こいつの、居場所から、どんな風に、そこえ、行ったのかと。
言うは、隣家の路地ねえ。
人間様なら、裏手からでも、表からでも、行けるですが。犬やしねえ。
裏手からは、簡単なるでもの、鍵掛かってるです。申せば、元の家主やしねえ。行き来は出来るは、出来るですが。再度の、簡単では、あっても、鍵が。
且つは、基本的には、そこは、使うはしておらず。あくまでもの、基本であって、希には、開けて、そこから、隣家に行くの事なら、何度かは、あった、ですが。
犬に、鍵は、開けるは出来ず。

ならばの、表から、ねえ。
行くに、表の間なるは、親父の作業場でありの、店でして。台所との間には、格子戸が。
そこは、基本、解放しておらず。
当たり前に、人間様なら、閂外して、往来出来るですが。犬が、閂外すは、不可。
まあなあ。
表の、扉なるは、あって、ないよな、でして。鍵も、何もなくの、玄関の戸は、手で、簡単に外すは出来るですが。持ち上げんならんわと。

人間様には、出来ても、犬コロでは不可。
と、思てるですが。何故に、どやって、隣家の路地にと。
これは、残念無念の、永遠の謎。

そらなあ。
犬の動きを観察してるであらへんです。
そもそもがの、当方、帰宅なら、自身の場所から、飛び出して来たり、してねえ。アカンぞと、申せば、場所に戻っての、行けば、飛びついて、来てねえ。
何度、おしっこ、掛けられたかと。イヤ、ほんと。
まあなあ。
おしっこ掛けられ、一切の、叱ったりは、しませんでしたが。家人がソバに来てくれての、喜んでるは、重々の、理解。


オッとの、いやねえ。
槇島の、その家に慣れるまでの、間がねえ。犬が。
そもそもがの、仏光寺の家では、犬小屋では、なくて。簀の子に、毛布だけ。
屋外は、屋外なれどの、屋根の下。加えての、当然の、家の中では、リードなんか、付けてえへんし、ねえ。
申せば、タタキなり、裏庭には、自由にと。がしかしの、勝手に、隣家には、行けるの筈がなく。その手、閂なり、鍵なり、最低限の、戸締まりなら、してたです。習慣的に。

とかとか、若干の話、逸れたですが。
全くの、逸れたでもなくての、槇島の家。
嗚呼、この辺りやなあと。思たの時、その犬の事も、思うしねえ。本来なら、表庭、玄関の横手には、犬小屋をと、想定なら、してたしねえ。
只、慣れてないが故、犬も、暫くは、泣くやろなあと。
且つは、皆、出掛けるし、ねえ。寂しく、するやろ、なあと。

言うは、仏光寺のなら、環境には、慣れてるですが。又、結果的、家族3人になったも、わかってるし、ねえ。
当然の、家人が、5人から、3人やしねえ。突然に。
そんな意味なら、祖母が、結構面倒見てくれてたと、思てるです。
当方なんか、家に居てるの時間なんか、短いしと。
そ、言うたら、ここ、暫くは、5人と、一匹であったのが、結果的、祖母、亡くなり、父が、結核で、強制隔離入院で、
引っ越しの直前には、犬一匹も、でして。
事実上、3人になって、槇島にと。

結果の、結果。
以来、犬飼わず。
可哀想でねえ。面倒見るも、自信なく。
イヤ、当方なら、当世流行の、家の中で、飼うは致さんです。所謂の、外で。
犬小屋で。
まあ、言うたら、犬は、犬。
(24/11/23)


NO.4645 孫君4号の、七五三の話(1)

いやねえ。
昨日<11月23日・土・勤労感謝の日>には、次男家次男。当方的、孫君4号。
の、七五三の日でねえ。
申せば、誕生の月、10月なれどの、その前の、月の、末と、するのか、日なら、記憶の、26日。
要は、9月26日から、喫煙中断したです。

とりあえず、五体満足、母子共健康でと。
イヤ、ほんと。
まあ、言うたら、願掛け的、さての、何する兵衛哉と。沈思黙考する程でもないの、一発、煙草をと。
これ、健康のためも、あるし、ねえ。10月から、又、値上げされるし、ねえ。度々の、値上げで、こちが、音を上げたです。降参と。

そらねえ。
当方の、オコズカイでは、保たんです。とかとかの、経緯なら、過去、何度も、解説、説明、くどくどと、してるが故、割愛の。
兎に角、孫君4号も、遂に、三歳でして。早いねえ。
結果的、当方の、禁煙、或いは、喫煙中断も、3年と、少々になるです。コレ又、年月、経つは、早いねえ。
兎に角、煙草、喫煙なるは、卒業して、3年になるのやなあと。

がしかし、何年経っても、吸いたいねえ。吸いたいの気なら、常に。とまでは、言わんですが。あるです。
がしかし、最早の、手元に、煙草がないです。灰皿も、ライターも。とは、若干の、嘘あるですが。ライターなら、使い捨ての、煙草買えば、くれるのが、まだ、数個あるです。
煙草ねえ。
過日、多分なら、嫁はんと、墓参の道中やねえ。ダッシュ・ボードの、蓋、開けたら、あった、なあと。メビウス1箱。
忘れてたです。

多分なら、止めてから、何回かは、発見してるです。てな、記憶あるです。
が、処分するが、邪魔くさく。イヤ、ほんと。
まあなあ、一つには、記念で、取っとくかと。的、考えも、あって、ねえ。
どちにしろ、アレから、3年経って、今更の、吸わんわと。但し、言うてるの、誘惑と、する程でも、ないの、フイと、吸いたいなあと、思うの事なら、度々の、数知れずの、あるです。
がしかし、言うの通り、今更やねえ。

モ、あるし、周囲が吸てたら、煙草の煙が漂いの、ンの、懐かしいの、気分には、成れるです。
オッとの、煙草の香りは、好きでして。モっと、近くで、吸うて頂戴なと。イヤ、ほんと。

で、何の話ねえ。
イヤイヤ、孫君4号の、七五三の話。
でしたです。その、孫誕生の際、煙草を止めたんやと。結果的、三年経つと。

トトトの、どの、その前日。
テーブル・タップなり、どら焼きを買いにと、言うたですが。
夕方になって、FHさんより、奉納米が届いてねえ。イヤイヤ、今日か、明日かと。とは、FHさんからの、打電で、承知してたですが。
要は、七五三の、前日に届いてねえ。イヤ、結構なると。

これも、何かの、ご縁かと。
早速にもの、コーナンに走って、ねえ。当たり前に、tantoで。
言うは、米入れるの袋やねえ。兎に角、当家、息子共家に、お裾分けをと。見合うの、大きさのを、調達にと。の、程度なら、充分に間はあるの時刻に、届いてねえ。再度の、結構なると。
イヤイヤ、原則、営業時刻、7時から、20時と、してるです。


てな事で、次男家には、奉納米を、手渡すが出来て、ねえ。
オッとの、次男当方に問うに、どこの、奉納米かと、尋ねてねえ。
ンの、言うてるの筈。なれどの、あのなあの、平安神宮やと。

いやねえ。
申せば、次男の結婚式なるは、平安神宮。
基本、披露宴なりは、都ホテルでねえ。その都ホテルも、正式名称「ウェスティン都ホテル京都」と、称するの、らしい、ですが。
要は、基本、都ホテルに集合。式の時には、平安神宮へ。
まあ、言うたら、平安神宮の、お庭も、拝見出来て、ねえ。結構なると。

まあねえ。
長男家には、お裾分け、全員集合の、年末年始の時になるですが。


オトトの、孫君4号の、七五三ねえ。
まあ、言うたら、その兄、孫君3号の、七五三の、三歳、五歳の時には、長岡天満宮で、やってるし、ねえ。オッとの、次男家長男なるは、現在小学の、6年生。
来年には、中学生やねえ。

での、次男に、十三参りは、やってやるのかと、問えば、やって、やると。
まあ、つまり、嵐山の、「虚空蔵法輪寺」やねえ。結構なると。

オッとの、思えば、孫君3号の時には、嫁の母親、姉と、三女<嫁の妹>の、子、4人が、来てくれて、ねえ。
とするのか、どっちかが、子ども達に見つかったのらしく。どっちか、とは、子の、4人ねえ。上三人、男の子で、一番の下、女の子でねえ。
女の子だけを連れて来るのつもりが、男の子に、見つかったと、聞いたの哉の、よおは、忘れたです。

とりあえず、伊勢から、嫁の、母親、姉と、4人の、甥姪の、都合の6人が、来てくれて。
まあなあ。
当方も、車やしねえ。当時には、カローラやしねえ。
全員、乗るが出来たですが。
いやねえ。次男なら、マツダの、何たらの車で、6人乗れたです。まあなあ、当時には、次男家も、3人やしねえ。
総勢も、11人。何とか、なった、なあと。
今でも、何とか、成るですが。次男のは、NOAHで、7人乗りになったしねえ。当方は、軽自動車のtantoで、4人やしねえ。都合の、11人が定員。

そんな事で、孫君3号の、三歳の時には、沢山の人数でねえ。
とするのか、確かに、子どもの数も、気持ち、少なくに、なってるかと。
まあなあ。
時期も、あると、思うですが。

まあなあ。
どちにしろ、ご祈祷も、気持ち、短いよなと。神楽舞を、してへんぞと。構わんですが。待つの身からは、早くに終ってくれたの方がと。

トトトの、滞りなくの、ご祈祷終えて。
さての、どこで、昼食をと。先週なら、諸般、何たらと、言うてたですが。そこは、主人公、孫君4号の喰えるの、要は、お子様向けの、料理が、あらへんですて。
よて、困った、なあと、言うてるの間に、当日になって、ねえ。

まあなあ。
申せば、内々の、だけでして。
過年の如く、11人にもなればの、場所の確保もいるですが。我々だけなら、どこでも、ええでと。

結果的、ベーカリー・レストランの、「サンマルク」<伏見店>にと、なって、ねえ。
イヤ、結構なると。
当然の、伏見店なるは、初、なれどの、何ちゅうかの、桂の方に。
又、次男が、諸般、学生時代に、入院してねえ。大学のソバの病院に。その近辺にも、店あってねえ。行ったの事、あるですが。
いやねえ。
検索、探索すればの、以前、行ったの、店、ホーム・ページ上からは、消えてるです。
(24/11/25)


NO.4646 孫君4号の、七五三の話(2) サンマルクの話

いやねえ。
次男より、昼飯、ベーカリー・レストランの、「サンマルク」は、どやろ怪。と、聞いて、ねえ。
ええも、悪いもありませんでして。
基本、パンは好きやしねえ。

むしろ、別途の事。
「サンマルク」には、何年ブリやろ怪と。
少なくともの、ここ、10年無縁。まずは、近所には、ありませんでして。申せば、その昔には、桂の方にあっての、そこには、何回か、行ってるです。

そこになら、長男嫁とも、行ってるです。
イヤイヤ、要は、その日、多分なら、結納の儀の日であったです。当方の、記憶、遡れば。

終わってから、その時には、先方様の、お嬢様やねえ。一緒に、昼飯でもと、なって、ねえ。まあ、言うたら、その当時の嫁の実家、現在でも、なれどの、向日市<当時には、向日町>の方でして。そこからなら、桂の、「サンマルク」が近いなと、なって、ねえ。

もしかして、もしかしたらの、その時か、なあ。
当方の還暦のお祝いもと、成ってねえ。
とりあえず、全員から、1万円ずつ、出費してくれるに、なって、ねえ。申せば、嫁も、加わってくれて。まだ、嫁では、あらへんですが。
結果的、母も、くれて、ねえ。
オッとの、結納の儀の時には、当然の、母も一緒。何でも、一緒。

あれの、まの。
計算が合わんです。
意味、7万円の腕時計を買おたです。その還暦の祝いの時。
当家、母、嫁はん、当方と、息子2人。が、当時の家族。ここで、都合の、5人。それに、長男嫁が、加わってくれての、6人で、6万円やねえ。

言うは、記憶的、時計は、7万円。
実は、現在唯今も、保有の、現役で、動いてるです。結構なると。
どちにしろ、当方的、7万円の時計であると、認識してるですが。後の、1万円、どしたんやろねえ。次男嫁ねえ。この当時には、その手、聞いておらず。
もしかしての、もしかしたらの、当方、この時計をと。したが、7万円故、自身で、2万円出したの哉と。よ、わからんの、そこまでは、記憶しておらずでねえ。

どちにしろ、その「サンマルク」で、そんな話になって、ねえ。但し、次男なるは、当時、富山、高岡の、カネボウの、医薬品部門に、勤めてての、不在。では、あった、ですが。多分。
多分と、するよりは、そでして。


オトトの、「サンマルク」ねえ。
次男が、大学生時代であったですが。実験動物のアレルギー反応かで、呼吸困難に陥って、ねえ。
その大学の、近くの、病院に、入院したです。
よて、その病院に、出向いて、ねえ。カローラで。嫁はんと。

申せば、カー・ナビもあらへんのに、一発で、病院に着いて、ねえ。病室に、行けば、まあなあ、山は越しての、元気、元気。
その上、病室がなくての、と、言うのか、満室御礼で、個室になって、ねえ。但し、患者の希望でなくの、病院の都合故、差額ベッド代、発生せずと、聞いて、へえの、ええなあと。結構や、なあと。

実は、その見舞い、様子見が終わってから、やねえ。
どこか、病院の近所に、適当なるの、食堂、飯屋でも、あらへんかと、探せば、あった、です。その、「サンマルク」が。
がしかし、ここも、現在唯今、ホーム・ページ上では、記載されておらずで、無くなったんやろねえ。
要は、桂のも、次男の、大学、薬科大学なれどの、病院の近くのも、なくなって、もてねえ。
オトトの、そこは、嫁はんと、2人だけで、行ってるです。

そらねえ。
次男なら、入院中の身分。
嫁ねえ。
その当時には、交際はしてた、ですが。その手、結婚云々の話なんか、してませんでして。したは、大学卒業、大学院2年で、富山、高岡の、カネボウの、医薬品部門に勤めて、ねえ。何年やったか、経って、辞めて、こちに、戻って来てねえ。
オッとの、それが、2009年やねえ。

その年には、色々あった、です。
そして、大阪の医薬品の会社に勤めまして。が、諸般、ここは、短期で辞めて。結果的院外薬局に勤め出しの、現在に至ってるですが。その明くるの年やろか、ねえ。
次男より、諸般、聞いて。イヤ、結婚の件。
大学の同窓生であるは、当方だけが、知らなんだ、ですが。
どちにしろ、還暦の時には、次男嫁でも、婚約者でも、何でもあらへんしで、時計の件には、関わってませんです。


での、話、戻しての、「サンマルク」で、どちが、直近かと、なればの、桂の方。
言うてるのとおりの、嫁、結婚前のが、一緒でねえ。更に、言うてるの、還暦祝いの話出ての、ならばの、丁度ええなあの、腕時計が欲しいと。
成ったです。
結果、その当時から、現在唯今、尚、現役の、腕時計。要は、17年間、動いてるになるです。


てな事で、直近でも、17年も、経ったんやと。
まあ、言うたら、ベーカリー・レストランでして。焼きたてのパンが喰い放題なれどの、メインの料理を注文せねばの、これが、結構、高いしねえ。
あくまでもの、当方的、感覚では、の話。
言うは、相応に、決心せねばの、ホイホイと。とは、行けませんです。

とかとか、結果、17年ブリやなあと。
「サンマルク」の、伏見店にと。当たり前に、初めてでして。予約も出来ずでと、するのか、時間帯的、出来ずと。そら、丁度の、12時頃、やったしねえ。

まあなあ。
しょがあらへん、なあと。
での、嗚呼、ここかと。着いて、先客2組。終わったですが。我々よりも、後に来たのが、3組、4組。なるは、予約組やったんやねえ。後から来て、先に、案内されての、しょがない、なあと。


オッとの、そんな事で、やとで、順番来てねえ。担当者に案内されての、席に着き。丁度の、6人掛けのテーブルでの、ヨカツタなあと。
での、肝心の、メインの料理、何にするか、ねえ。
よ、わからんわの、右に同じで、結構なると。サラダは、欲しいし、ドリンクなるは、カフェ・オレでと。

オッとの、いやねえ。
当方、パン好きでして。朝だけ、なれどの、パン喰てるです。
オトトの、くれぐれもの、日本人やし、米のご飯なるは、大好物。とするのか、諸般、炊くに、水加減については、日々、検討。

トトトの、パンねえ。
焼きたてのパン、届けてくれるしねえ。
当方的、一式、頂戴なと。来る度、一式でして。沢山、喰たです。
イヤイヤ、嫁と、嫁はんが、大丈夫かと。メインのが、喰えるかと、心配してくれての、この程度、大丈夫也と。

での、メインの、肉料理、届けば、そちも、旨いしねえ。
とかとか、運ばれて来たのは、一式、全部と、注文しての、メイン料理が、喰い終われば、流石にねえ。満腹。
結構なると。
(24/11/26)


NO.4647 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(9) 引っ越し手伝いの話

いやねえ。
諸般、隣家奥様、まだ、退院しておらず。
での、えらい、ねえ。
何がと、なればの、息子さんの奥様。

言うは、息子さん2人が、まあ、言うたら、近くでして。同じの、大井町。申せば、長男さん宅なら、歩いて、5分かと。次男さんねえ。
家の前なら、通過してるです。オトトの、御神輿で。順路でねえ。
イヤ、現在、入院してるの奥さんが、居てねえ。へえの、次男さんは、ここかと。

とは、知ったですが。
当方、方向音痴で、この手、地名も、何も、余程の簡単な場所しか、わからんでして。要は、あの辺り。の、程度なら、わかるですが。
行けと、言われても、なと。皆目のと。

いやねえ。
どちにしろ、近くでねえ。息子さん宅が。
よて、ホボの毎日、食事、料理やねえ。持参したはるです。とは、親父さんに、届けに来てるです。
よて、えらい、なあと。

ホボと、するは、偶には、来ておらずの日、あると、思てるですが。果たしての、こちが、監視してるでありませんでして。気の付いてないの間に、用事終えてるの可能性大。
いやねえ。
ここだけの話の、車の、ドアの、開け閉めの、閉めるの音、ドカンと、よお、聞こえてねえ。嗚呼、来たかと。来てたかと。帰るんかと。
それを、音無で、なら、わからんわの、ダケの話。

いやねえ。
この手の話。
母方、下の伯父家、長男が、やってたと、聞いてるです。当事者たるの、伯父から。

まあなあ。
そこは、三兄弟で、下は、早くに、亡くなってもてねえ。中手は、京都を出ての、神奈川やし、ねえ。
長男なら、伯父宅まで、歩いて、どれ程かの、5分、10分かと。多分。
当然の、ここも、えらいなあと。

ここの方が、尚、諸般、あってねえ。伯父宅。オッとの、従兄弟からしたらの、実家。
なるは、それこその、路地やしねえ。まあなあ、車、置けぬ事もあらへんですが。従兄弟ねえ。後年では、車は所有しておらずと、思てるです。
そもそもがの、市内では、基本、車は邪魔。とも、言えて。但し、こんな場合には、難儀やねえ。
それを、伯母、つまり、母親が亡くなってから、父が亡くなるまでの、何年、十何年、継続してたのやねえ。立派。
伯父、高齢でして。亡くなったは、90歳台。


てな事、伯父の次男、中手は、知らんやろなあと。
諸般、そんな事、言うも、なと。今後、機会あれば、伝えるかも、なれどの、最早の、伯父も、その長男も、亡くなってもてねえ。
伯父なら、妥当なれどの、その従兄弟は、早過ぎるです。当方よりも、2歳、3歳下でして。亡くなって、5年程が経つのかと。

オッとの、当家ねえ。
何かあっての、食事を、料理を、毎日届けるなんか、無理難題。
そらねえ。
長男、神戸やしねえ。高速道路使ても、当方的、2時間は、軽くの掛かるです。
次男ねえ。長岡京市やしねえ。軽くの、神戸よりは、近いかれどの、それでもの、下道で、小一時間かと。
どちにしろ、届けるねえ。無理難題。

まあなあ。
幸いにしての、当家、嫁はんにしても、当方にしても、そこまでの、長期ねえ。
オッとの、当方なら、あった、ですが。左足骨折ねえ。30年程経つです。その当時なら、全員、居てたです。我が家に。息子共も、何歳なんや。
中学生時代かと。


いやねえ。
どちにしろ、現在唯今なら、我々夫婦、健康でして。健康ねえ。この範疇、難しいけれどの、何度でも、申すの、当町内会で、ならばの、同年ので、まともに、動けてるは、当方一人。
イヤ、ほんと。

とか、言うて、努力もせねばの、次の瞬間にも、わからんぞと。
の、年齢であるは、承知してるです。
まあ、言うたら、細々になら、色々あるですが。現時点なら、どこえでも、行けるし、喰うに制限なく。制限ねえ。やるべきは、あるですが。
血糖値高いし、余り、喰うも、なと。又、甘いの、遠慮せねばと、思ては、いるですが。根が、甘党でして。加えての、糖尿病の気配なく。

さての、血圧も、高いしねえ。煙草を止めて、下がるかと、思いきやの、マダ、不充分の、150辺りかと。まあなあ、一時には、170辺りであったが故、下がってる。
とも、言えるですが。
どちにしろ、塩分避けたの方がと、思いつつの、アカンなあ。


オッとの、トトトの、何の話をと。
槇島ねえ。
言うてるの、本来なら、3人と、一匹の、つもりしてたのに、犬ちゃんやねえ。引っ越し間際に、死んで、もてねえ。
正直、ビクリしたです。
且つは、場所が、場所だけに、何でやと。イヤ、隣家の、路地でして。そんな風に、行ってる、行けてるが、解せずでねえ。
又、隣家から、そんな話、聞いた事もなく。
イヤイヤ、こちに、よお、来てるでと。なんかは、言われてませんです。
行ってたら、何かの時、聞かされるです。申せば、そこの、小母さんなら、毎日のよに、来てたです。母なりと、雑談、世間話の、ために。

いやねえ。
三人で、多分なら、会社、ロームから、借りたの、トラックで、ある程度の、荷物を積んで、ねえ。槇島に、行くの時には、母、妹も、一緒でねえ。
要は、3人で。
言うてるの、そらなあ、寂しいぞと。以て、原則、帰れませんです。家財道具一式、移動したなら、後は、忘れ物なりを、取りに帰るの、程度でねえ。

オトトの、全員、3人、引っ越しの前には、肌着なり、何でも、結構の、衣類なりを、大安吉日に、引っ越し先に、持ち込み、適当なるの箇所に、置くですて。
ならばの、大安吉日に、引っ越したになると。
そらねえ。
イザの、家財の、移動なりは、休みの日には、出来ませんでして。なるべくの、無難な日に、してるですが。形だけでも、やっとけば、深刻に考える事もなく。

そんな事で、当日であったかには、母方の、上の伯父の次男やねえ。要は従兄弟が、トラックに乗って、応援に来てくれてねえ。
助かったです。

又、その当日には、会社の同僚にも、応援求めてねえ。
イヤ、メンバー覚えてるです。
ノブユキ君。
これ、実は、大学の同期生でもあるです。
そして、スギやん。モ一人、タナカ君。これは、同僚でもあらへんの、後輩やねえ。直接的、一緒の部署に、なった事は、ないですが。仲が良くて、ねえ。頼んだを、覚えてるです。

での、実は、お礼をねえ。
どしたんやろなあと。全くの、記憶しておらずの、母が、そんな事、してくれるの筈はなく。気がつけば、当方に、しときやと、言うだけかと。
いやねえ。
当方的、諸般、バタバタしてるしねえ。言うは、最初には、わかってた、お礼せねばと。がしかしの、あれこれ、これあれ、あっての、失念してもたの、よな、気もしてねえ。
言うたら、今頃、何じゃと、なるですが。
当たり前に、一寸、間があっての、落ち着いてから、ハタと。どしたの哉と。
思てるの間に、日が、月が、年が、経ってもてねえ。今だ、どやったの哉と。

いやねえ。
槇島から、亀岡には、引っ越し業者に頼んでるです。
仏光寺から、槇島の時には、兎に角、金あらへんわと。あれば、業者に頼むですが。同僚なり、従兄弟に、頼むの程に、金がなく。
よて、お礼をどしたの哉と。
(24/11/27)


NO.4648 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(10) 早々に、隣家よりの苦情の話

いやねえ。
本日<11月27日・水>、ハタと。
インフルエンザの予防注射しとこかと。思い立ち。
思たが、吉日の、即の、近在の町医者に電話して、尋ねたです。予約なり、いるですかと。
さすればの、電話出たの子、受付嬢やねえ。いりませんと。健康保険証を持参してくださいと。ハイ、承知と、即の、行ったです。

いやねえ。
時期が、時期やしねえ。風邪引きさんなり、当方みたいに、予防接種の面々、多いかと、思いきやの、先客おらずで、ビクリしたです。
の、反面、ヨカツタなあと。待つ事、ありませんでして。

オッとの、先客、先患者少ないは、駐車場の、車の台数で、わかるです。
当方、駐めてるの真っ最中に、終わった方、車に乗って、帰ったですし。少し遅れて、なら、お一人様が。車で。
どちにしろ、受付に行って、インフルエンザの予防接種をと。申せば、問診票やねえ。記載して。したら、ホボの即の、呼び出しされての、結構なると。
兎に角、即の出来て、精算ねえ。1500円也で、ホと、安堵。

言うは、来週やねえ。
立命館大学の、同期生の、関西組やねえ。の、同窓会しやへんかと、なっててねえ。
大阪、梅田の、「がんこ」ですて。12月の5日<金>にと。
人混みの中やしねえ。やっとかんとと。最早の、高齢で、リスクも高いわと。イヤ、ほんと。


オッとの、そ、言うたら、昨日やねえ。
所謂の、当方の、オモチャ箱。中身、HDDなり、メモリなり、でして。ンの、HDDも、ン十GBのやしねえ。基本、<CF-Y7>なり、<F9>の、バック・アップ、クローンの、HDDでして。
これが、何個あるやの、5個、6個。

最早の、ン十GBでは、使いよも、あらへんでして。ましてやの、HDDやしねえ。
メモリも、形が違うしねえ。現所有のマシンには、合致せず。と、するのか、コレ又、単位、GBでなくの、MBかと。イヤ、ほんと。

イヤイヤ、SSDなら、別途の、オモチャ箱に入れてまして。この箱、段ボールでして。
言うてるの、旧のオモチャ箱ねえ。不要なのは、廃棄で、いるのは、残すのは、新のオモチャ箱に移動やねえ。
さもないと、いつまでも、この手、使わん、使えんのが、残存するです。

オッとの、そのオモチャ箱には、当方の、何歳くらいやろねえ。写真があったり、してねえ。
イヤイヤ、諸般、写真屋で、撮ったのもあるし。証明写真器で、撮ったのも、あったり、してねえ。
ンの、多分なら、自動車の免許証の、やなあと。

これねえ。
その昔には、自身が持参のが、免許証に貼られたですが。何時頃か、から、持参してるのは、使われずで、その場で、撮ったの写真を貼付され出して、ねえ。
正直、そんなつもりと、違うし、ねえ。髪の毛ばさばさであったり、してねえ。
とかとか、何時のか、兎に角、ン十年の昔の写真やなあと。されどの、果たしての、残しても、なと。


そんな事で。
槇島の話をと。

いやねえ。
当方にも、その当時、理想があったです。
イヤイヤ、一つは、諦めたですが。住みなれたの、家、買いまして。解体して、新しい家、建てるの案。新しい家には、駐車場設けて、ねえ。
イヤ、屋内。
大体が、京都市内の、普通の家で、わざわざの、庭設けての、駐車場には、しておらずの、屋内。建屋内。その上は、2階やしねえ。
仏光寺の、なら、親父の、作業場、店やねえ。その空間をば、そのままに、駐車場に出来るかと。

加えてねえ。
書斎と、するのか、居間には、暖炉をと。この暖炉が、夢、理想であった、ですが。
そもそもがの、生家、買えず。

当然の、まだ、あって、ねえ。
仏光寺の家では、少々、無理あっての、要は、ステレオを設置したく。ステレオ故、スピーカーは、何個も、置いて、ねえ。ブロックの上なり、天井の一角にと。
申せば、プレーヤーもと。イヤ、あった、ですが。

これ、どしたん、やろねえ。
当家、親父、電気屋でして。あったんやろか、なあと。家に。古い、古いのが。
オッとの、初期の頃の、ビクターの、犬のは、部品バラバラで、欠損もしてるが故、廃棄したですが。これは、売り物でなくの、屋根裏の、物置に、置いてたですが。

チャンとしたヤツねえ。何故か、所有してたです。
夢の一つでも、あったしねえ。どこかで、買おたんやろねえ。その買いに行った、等々、全くの、記憶になくての、兎に角、手元にあった、です。
矢っ張りの、売れずに置いてたの、プレーヤーであり、ステレオか、なあと。

それを、問屋が、回収にも、来てへんし、ねえ。
イヤ、親父なら、言うてるの、結核で、強制隔離入院で、宇多野病院でして。その半年辺り、経ってからの、引っ越しやしねえ。多分。
要は、当方が、金出して、買おた、買いに行ったの、記憶なくて。

いやねえ。
その当時の電気屋。問屋。
そんな風であったかと。
言うは、新製品出たら、店に、置いといてくれと。要は、見本。
がしかしの、ドンドンと、新製品が出るし、ねえ。置いてるの間にも、旧式になてもてねえ。イヤ、事実。
売れ残ったのは、家で、使てくれ。状態であったの哉と。

それ、言うたら、テレビの、白黒から、カラーねえ。パナカラー。
そして、どちが、早かったか、洗濯機に、冷蔵庫等々、いの一番にあった、なあと。
申せば、当家、金持ち、金満家でありませんでして。そんな新製品をば、じゃんじゃんと、買えるの身分ではあらへんわと。
結果、とりあえずの、1号機に、近いの、型のが、家には、あったです。
言うは、実際に、家で、使てたです。

モと、言うたら、洗濯機ねえ。脱水ねえ。手動で、ローラーを通して、物理的、強引に、絞り出してたです。水気を。
モと、モと、言うたら、余りに、部厚いのを、ローラーに通したら、通らへんしねえ。詰まったり、してねえ。強引に、引っ張って、出したり、してたです。イヤ、ほんと。
この手の話、し出したら、一杯あって、ねえ。とするよりも、想い出すに、一苦労するです。最早の、半世紀は、軽く経ってもてねえ。と、するのか、軽くの、60年以上経ってるの話でねえ。


いやねえ。
そんな事で、槇島に引っ越しての、一番に、当方的、やったは、ステレオの設置。言うてるの、スピーカーも、4個置いて、ねえ。
天井に、床に。ブロックの上にと。
要は、あや、こやと。

そして、諸般、音調なり、確認してたの矢先、隣家から、ドンドンと、壁叩かれて、ねえ。ゲと。
ゲの次には、即の、玄関の戸、叩かれての、要は、隣家の方、五月蠅いと、苦情言いに、でして。へえと。

いやねえ。
当方的、諸般、調整に熱中で、時間忘れてたです。ええ加減なるの、記憶なら、兎に角、時刻的、零時過ぎてた、やろ、なあと。多分。
それは、それは、申し訳なしと。

オッとの、いやねえ。
以来、結果的、ステレオねえ。プレーヤーねえ。電源入れず。
イヤ、ほんと。
そらねえ。
いきなりの、苦情で、こちも、ビクリの仰天したです。
これが、槇島の家に、引っ越して、即の、事件。
(24/11/28)


NO.4649 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(11) 諸般のガラクタの話

いやねえ。
ステレオねえ。プレーヤーねえ。
設置だけして、そのまんま。

オッとの、実は、仏光寺の家には、レコードが沢山にあった、です。
何のかと、なればの、何やろねえ。その当時には、プレーヤーがなくて。正確には、あった、ですが。基本、売り物やしねえ。
実際には、全くの売れずで、言うてるの間にも、型落ち、前世紀の、遺物と、化して。世紀の程の年月経たず、ともの、アと、言う間も、なくの、型落ちしてもてねえ。
オトトの、当方的には、それで、好都合やねえ。温存出来て。

いやねえ。
余計なる注文、あれこれ、言わんのなら、旧式で、充分でして。
申せば、ビクターの、あの犬が、聞いてるの、デカい、スピーカー式のがあったですが。肝心の、デカいの、スピーカーがなくて、ねえ。
要は、部品欠品の、ガラクタ化したのが、ズと、二階の、奥の、物置部屋に、あったを覚えてるです。
そもそもがの、そこには、何が、あったんやろねえ。

叔父達に聞いても、わからんと。そんな筈、あらへんのにねえ。
いやねえ。
その、二階の物置ねえ。ガラクタは、片脇にで、中央箇所に、何ちゅうかの、現像装置。とするのか、道具一式、置いてて、ねえ。

実際にも、写真の現像してたです。主たる、下の叔父が。
アルミであったかの、トレーに、現像液入れて、ねえ。部屋は、カーテンで、仕切りまして。で、充分に、暗室になった、です。の、程度の、感光度やしねえ。フィルムが。
当然の、水洗をせねばの、言うたら、その水洗が、不充分が故、現像された、写真が変色するです。


オトトの、何の話ねえ。
その手、現像装置なんか、置いたまま。所謂の、ガラクタは、そのままにしてたです。で、結構なると。とは、家主の言。
イヤイヤ、結果的、その、物置には、何があったか、当方的には、見えてるのモノしか、知らんです。
言うたら、壊れたの、張り子の虎も、あった、ですが。これは、当方か、それ以前からかの、五月人形の一つ。

イヤ、所謂の、大将さん。
と、言うてた、ですが。あるには、あったですが。どしたん、やろねえ。忘れたです。
三月の、お雛さんなら、妹にと。これは、槇島に行って、妹が、嫁ぐの時、持ってけと。
イヤイヤ、結構、立派なのが、あった、です。
オッとの、大将さんも、探せば、あるかも、なあと。よ、覚えてませんです。

いやねえ。
それ言うたら、ガラクタねえ。それは、置いてるですが。基本、叔父達には、引っ越しの事、伝えてるしねえ。いるのが、欲しいのが、あれば、持ってけと。イヤ、ほんと。
あれだめ、これだめ。
とは、言わへんしと。所詮は、当方的、わからんでして。

とか、言うてるのにねえ。後刻、叔父達、結構、文句、苦情言うたです。当方に。
あれは、値打ちやし、欲しかった。何で、処分したんやと。あのなあと。
最初っから、欲しいのが、あれば、持って行ってと、言うてたわと。

いやねえ。
その上で、什器ねえ。塗りの。
とかは、母の希望で、槇島に。とかは、現在唯今、亀岡の家にも、引き継いでるですが。果たしての、塗りの什器ねえ。使うの怪と。
値打ち的、どか、わからんですが。そんなに高価なものにも、見えず。なら、祖母なりが、教えてくれてるかと。

よて、黒檀の机は、処分せず、保管と、するのか、モノ置きの台的に、使てるし、ねえ。掛け軸も、銘不明なれどの、丁寧に、保管されてたのは、現在も、あるです。
まあなあ。
掛け軸なら、時には、床の間に飾ったり、してねえ。


オトトの、とっとの、結果的。
その隣の兄ちゃん。当家の、向かっての、左手の、なれどの。とは、以外、殆ど、口効かんかった、です。そもそもがの、用事あらへんし。
ドンドンと、二階の壁、叩かれたり、玄関の呼び鈴鳴らされの、印象悪く。
イヤ、こちが、悪いは、重々の理解してるですが。言い方、あるわと。

対して、右手の、兄ちゃんねえ。ここは、気さくでねえ。
言うてるの、諸般、電話貸して頂戴なと、来たり、してねえ。での、電話代と、称して、10円なり、20円なり、置いて行ったを覚えてるです。
兎に角、明るく、気さくでねえ。別隣の、とは、大違いでねえ。とりあえず、若手の大工さん。
モ片方のは、職業も、知らんの、そんなには、話をせず。用事があらへんしと、言うてるです。


トトトの、一寸、話、戻しての、当然の、ガラクタも、親父には、尋ねてるです。
いるのが、あればと。持ち出すと。
がしかし、一切任すと、言われてねえ。そのよにと。まあ、言うたら、あれは、これはと、するよなのは、あらへんのやと。
いやねえ。そらねえ。
そんなのが、あれば、なあと、期待はしたですが。

変な、話の、祖母の貴重品。
とは、お仏壇の中身には、墓地の、借地の、権利書と、するのかが、あったしねえ。その他、諸々の、戦死の叔父の、遺品なり、あったは、祖母から、聞いてるし、ねえ。
言うてるの、祖母の針刺しなら、現有、現役。
(24/11/29)


NO.4650 閑話休題的、槇島の当家、存在の話(12) 車の話

いやねえ。
先に、言うてもたらの、過日、過月、槇島の家の前、或いは、周辺を通ったの時ねえ。
当然の、状況変わってた、ですが。概略一緒。

当方的、印象違うは、駐車場でして。広さが、全然の、狭くなり。
イヤ、この界隈、槇島の家では、駐車場なんか、出来ず。設けるが。
言うてるです。自転車なり、犬小屋なら、置けるですが。以上の、車ねえ。無理難題。

あの当時ねえ。引っ越したの頃なら、軽くの、百台は、置けたかと。の、広さがあったですが。
過日、過月、チラと、行ったの時の印象なら、半分も、あらへんぞと。結果的、置けて、30台程度かと。

まあねえ。
かと、言うて、この界隈ねえ。延々と、住み続けるには、狭いし、ねえ。入れ替わりが、激しいと、思うです。
申せば、近鉄、向島駅乃至、小倉駅の、中間辺りでねえ。槇島の場所が。言うたら、どちに、行くにも、徒歩、15分乃至、20分でして。

オトトの、それ、言うたら、亀岡の当家。最寄りは、JRの並河駅なれどの、徒歩軽くの、15分以上で、ゆっくりなら、20分かと。
更には、千代川駅にも、行けるですが。それこその、軽くの、20分かと。要は、並河駅と、千代川駅の、中間でして。
言うは、槇島なら、近鉄で、駅の中間。
どちに、しろ、歩いて、15分乃至、20分やねえ。

いやねえ。
当時には、それでも、異常に思えたです。
そらねえ。
仏光寺時代が、便利に過ぎたです。

基本、ロームねえ。単車、ホンダの、スーパー・カブで、5分かと。当然の、信号なりで、変わるですが。とりあえず、5分、10分。
これが、通勤時間かと。
がしかしの、むしろの、当たり前の、バスは、時間がわからんし、ねえ。阪急なら、四条大宮から、西院下車で、そこから、会社までは、西大路通りを、四条から、五条。
大きくはで、これも、四条大宮まで、我が家から、歩けば、7分程度で、西院から、会社までは、15分かと。
乗ってるの時間なら、一駅で、知れてるですが。

いやねえ。
四条大宮ねえ。
大宮の、綾小路には、我が母校、郁文中学校があるです。そこまでが、7分故、四条大宮も、7分と、したです。まあなあ、8分かも、わからんですが。どちにしろ、その辺りの所用時間。当然の、徒歩。

言うたら、仏光寺の家では、大学生時代より、ホンダの、スーパー・カブが、通学手段でありの、通勤手段。
就職してから、二条教習所に、通いの、これは、単車があるし、ねえ。機動力発揮で、通うが出来たです。
話簡単の、多分なら、フサオ君と、一緒にと、通い出したですが。彼、途中挫折で、後年、取得。フサオ君、その事、完全に、忘れてしもてて、ねえ。話、通じませんですが。

当方の場合、所謂の、年内には、仮免許には、行けたですが。そらねえ。
業務し乍らの、教習所通いなるは、たーいへん。
当方の場合、足あったが故、何とか、なった、ですが。それでも、何月入所か、までは、忘れたですが。多分なら、取得までは、半年程度、掛かったと、思てるです。
そらなあ。
学生時代や、あるまいにの、たーいへん。やったんやと。

オトトの、その、教習所費用ねえ。
祖母が、就職祝いとして、出してくれたです。正直、びくりの仰天したです。
まあ、言うたら、費用なるは、大卒初任給辺りでして。これ、現在でも、概ねの、そんなモンかと。
まあ、つまり、当方の時、初任給、33500円でして。祖母には、3万円見当と、伝えたかと。結果、その程度くれて、ねえ。実際には、モ一寸、高かったと、思うですが。当時に、3万円も、出してくれたら、仰天するです。
当世なら、30万円見当怪。初任給が。まあ、つまり、半世紀以上経ってるですが。ホボの、10倍。

余計なるの話の、何故に、祖母、そんなに資金出せたか。と、なればの、戦死の、次男、当方の、叔父やねえ。
の、恩給が、結構あったかと。
当たり前に、額までは、知らんですが。
更なるの、余計なるの話の、終戦昭和20年<1945年>なれどの、認定されたは、昭和27年<1952年>であったと、聞いてるです。
まあ、言うたら、遡ってまでは、恩給くれませんでして。かと、言うて、結構なるの額であったと、聞いてるですが。で、どのくらいの額か、までは、全くのと。
但しの、自動車の教習所の費用、スコンと、出して、くれたです。

どちにしろ、入社の年、昭和44年<1969年>の、明くるの年、免許取得出来て。
取れば、即の、購入が、ホンダの、NⅢ。当然の、中古車。
二台目では、軽自動車の新車の、ホンダのZ。
果たしての、この時ねえ。祖母、生きてたか、までは、失念の。どちにしろ、軽自動車の時。

がしかしの、槇島に引っ越しの、言うたら、駐車場を借りての、結果、所謂の、普通車でも、置けるしねえ。
結果、三台目、「5」ナンバーの、ボロ・バード<ブルー・バード>。
オッとの、再度の、「5」ナンバーでして。既に、その当時には、「5」だけは、最早のなくての、そらなあ、5万円の中古車。

正確には、ホンダのZも、壊れてねえ。
乗り過ぎで。
急遽の、中古車屋に、持ち込み、引き取ってくれと。更に、中古の車をと。
それが、「5」ナンバーの、でして。これが、初の普通車。

オトトの、いやねえ。
初代、一番最初の、愛車。ホンダのNⅢねえ。

当たり前に、一番に乗せたは、祖母。
イヤイヤ、正直には、恐かった、やろなあと。
一つには、祖母ねえ、車になんか、乗り慣れてませんです。
下手したら、下手しんでもの、生涯初であったかと。当人に、聞いてはないしで、わからんですが。
乗りものなるは、国鉄、阪急なり、市電、市バスの程度でねえ。
オトトの、何よりも、免許取り立ての、孫やしねえ。運転手が。

とかとか、一寸だけ、槇島の話から、逸れたですが。
祖母は、槇島を知らんです。
ならばの、どこどこを、知ってるのかと。

当然の、生まれたの、彦根の家。嫁いだの先の、綾小路大宮の家。要は、本籍地。
そして、仏光寺の家で、終えたです。
(24/11/30)