閻魔大王<NO.111>

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NO 表題 起稿 起稿日
閻魔大王NO.112
299 続4<眞子・圭>歴代天皇、遂に、怒られた<!>/眞子たんの我が儘から、天皇制瓦解危機<!> 閻魔大王 21/11/23
閻魔大王NO.110

NO.299 続4<眞子・圭>歴代天皇、遂に、怒られた<!>/眞子たんの我が儘から、天皇制瓦解危機<!><起稿 閻魔大王>(21/11/23)


【閻魔大王】 2021/11/23 (Tue) 19:51

<参考=NO.298 続3<眞子・圭>歴代天皇、遂に、怒られた<!>/眞子たんの我が儘から、天皇制瓦解危機<!>

副題=元々が、現天皇制なるは、はかないモノです。

日本人の尊崇の念の上に成り立ってるです。
その尊崇の念は期待を裏切られると、崩壊の危機に<!>


そもそも、秋篠宮殿下が、その認識希薄。
その長女故、眞子が全くの希薄。
加えての、圭は、皇室利用。秋篠宮殿下の要請も、延々の、無視致しまして。そこには、眞子の存在あるですが。
眞子なるは、失礼乍らの、単なるのメス<!>で、ありました。


果たして、次女、佳子内親王<26歳>は、どか<?>
肝心の、次世代の天皇、悠仁親王<15歳>は、どか<?>


<写真>
林真理子



>いつの時代も「高貴なる方々のご成婚」は世間の注目の的だ。明治の終わりから大正にかけて、娘である方子(まさこ)妃の結婚相手探しに尽力した皇族の梨本宮伊都子妃を主人公に、戦前の皇族・華族の結婚問題を描いた『李王家の縁談』が発売された。著者の林真理子さんは自他共に認める”皇族・華族フェチ”。執筆の舞台裏や、書き上げたからこそわかった現代の皇室の難しさについて語った。


>皇族の歴史の流れを知る必要があると考えた
>――つい最近、秋篠宮家の長女眞子さんが小室圭さんと結婚しました。梨本宮方子女王の結婚を描いた『李王家の縁談』は、時宜を得た刊行になりましたね。

>林 いろいろな方に「狙ったでしょう?」と言われますが(笑)、この時期に刊行となったのは本当にたまたまです。3年前から書きたいと思っていたテーマなんです。

>――書くきっかけは何だったのでしょう?

>林 旧宮家の復活や女性宮家の創設など、皇位継承問題についてさまざまな議論がされていますね。けれど、多くの方が皇族の成り立ちをご存知ないのではと感じました。そもそも幕末近くまで宮家は伏見宮、桂宮、有栖川宮、閑院宮の4家しかなかったんです。皇位を継がない男子は出家すると決まっていた。けれど明治維新のうねりの中で彼らは次々と還俗し、新たに宮家をたてた。身分も公家筆頭の五摂家(近衛、九条、一条、二条、鷹司)より下だったのが、維新によって変わった。そんな歴史の流れを知る必要があると考えたのです。

>皇室はある種はっきりした冷酷な世界
>――そこで焦点を皇族の結婚に絞ったのですね。

>林 今回書いたことで、いろいろな謎が解けました。例えば『徳川慶喜家の子ども部屋』(榊原喜佐子著)という本がベストセラーになったのを覚えていますか。最後の将軍慶喜のお孫さんが戦前の華族の暮らしを書いた本ですが、お姉さんは高松宮家に嫁ぎ、妹さんは新潟の元藩主に嫁いでいる。この差は何だろうと思っていたんです。すると、昔は正妻の子も妾腹の子も一緒に育てられるんですが、ただし、縁談で歴然とした差がつく。

>――本書にも出自によって扱いが違う事例がいくつか出てきます。下々とは隔絶した観念で暮らす様子もよくわかります。

>林 ある種はっきりした冷酷な世界です。今の道徳では割り切ることはできない世界があったということです。


>方子女王の縁談は伊都子妃主導だった
>――そこで展開するのが、方子女王の縁談です。日本に併合された朝鮮王朝の王世子、李垠(り・ぎん)がお相手ですが、この縁談を進めたのが母である梨本宮伊都子妃であるとしたのがこの小説の肝ですね。

>林 新城道彦・フェリス女学院大学准教授の『天皇の韓国併合』を読んでいたら、伊都子妃殿下から頼まれて縁談をまとめたという宮内省宗秩寮主事、小原駩吉の講演録が載っていたんです。伊都子妃は日記を書いていて、それをまとめた『梨本宮伊都子妃の日記―皇族妃の見た明治・大正・昭和』(小田部雄次著)はとても参考になりました。そこに「兼々あちこち話合居たれども色々むつかしく」(大正5年7月25日)と、方子さんの縁談に関する記述がありました。「あちこち」というのは他の皇族に頼んでいたという意味にとっていたんですが、そうではなく内々に進めていたのだと小原の講演録を読んで納得しました。

>これまで方子さんの結婚について、日本では韓国併合を進めるための政略結婚で、泣く泣く嫁いだ悲劇の女王と思われていました。そうではない、伊都子妃主導という視点に出合ったことがすべての始まりでした。

>資料を見ながら妄想して世界を作っていくのは楽しかった
>――その視点があってこそ、内親王の結婚事情が無類の面白さになっています。日々の暮らしから伊都子妃の心情まで、皇族の内側に踏み込んでディテール豊かに描き出しているのは、まさに林ワールドです。

>林 私は実は皇族華族フェチで、本もたくさん読んできたんです(笑)。このテーマは自家薬籠中のものといっていいでしょう。資料を見ながら妄想して世界を作っていくのは、すごく楽しかった。

>――方子女王は当初、皇太子裕仁殿下(のちの昭和天皇)のお后候補の1人と目されますが、従妹の久邇宮良子(ながこ)女王に敗れ李家に嫁ぎます。さらに妹の規子女王も山階宮家との縁談が不調となります。ここに至って伊都子妃が狂ったように泣き叫ぶところは読みどころの一つですが、これはフィクションですか。

>林 本当にあったことです。ヒステリーになって、治療を受けています。そこから雄々しく立ち上がって、お相手を「華族名鑑」から選んでやるわと猛然と調べ始めるというのは私の想像ですけれど(笑)。日記に沿って日常を構築していますから、そんなにでたらめなことは書いていません。


>皇室制度ははかない存在
>――伊都子妃はどういう人物でしょうか。

>林 後の世の言葉で言えば合理的な人。ご出身である佐賀藩鍋島家が進取の気性に富んでいました。祖父の直正公は日本初の種痘を息子、つまり伊都子の父に施しています。環境が育み、十分な教育も受けた。いろいろ動いてくれて、描き甲斐がありました。

>――その伊都子妃は方子さんの嫁ぎ先である李王家の妹や甥の縁談にもかかわります。一方で節子皇后(大正天皇の皇后)による皇太子とその弟たちの縁談も進められていく。そのため、皇族の結婚という大きなテーマになりましたし、さまざまな縁組のエピソードからこの時代の結婚観、皇室観が匂い立ってきます。

>林 李垠との結婚について悩む方子さんに対して、伊都子妃にこう説かせました。「私たちは皇族という、陛下のいちばんお側にいる者なのです。命を懸けても、陛下をお支えする。この日本という国を守らなければいけない立場なのです」。この時代の認識はこうでした。

>そういえば、『李王家の縁談』を書けたのは『西郷どん!』(2017年刊)の流れがあったかもしれません。幕末の江戸の人たちは天皇の存在を知らなかったけれど、明治の元勲のPR作戦があって、人々の心の中に天皇はすごいという観念が根付いた時代の話です。実はそんなに古いことではない。そう思うと、今の皇室制度がいかにはかない存在で、知恵と力を絞って守らなければ滅びていくものだということがよくわかります。

>――時代は移ろい、物語は美智子さまの登場で幕を下ろします。そして眞子さんの結婚がこの間あったわけです。

>林 いい小説だと、現実が近づいてくることがあります。小説家が時代を見据えた結果リンクするのですが、そういうことがこの作品に起きたとしたらうれしいです。

>(取材・構成:内藤麻里子、撮影:深野未希/文藝春秋)

<参考=「「皇室制度ははかない存在で、知恵と力を絞らなければ滅びていく」 林真理子が“皇族の結婚の小説”で描きたかったこと」(文春)>


【閻魔大王】 2021/11/23 (Tue) 20:43

副題=眞子たん、さっそくにもパパラッチされて/英デーリー・メール紙

警護が付いてない。
との事、なれどの、それはわからんです。
警護には、見え見えのと、そでないのがあるです。

この記事の記者<?>にしたって、見え見えで、映像撮ったり、してるであるまいにと。


>小室圭さんと結婚して米ニューヨークで新生活を始めた小室眞子さん(30)が19日、単身で日用品を買いに出かけ、その様子がパパラッチされていたことが明らかになった。

>英大衆紙デーリー・メール電子版が、全米チェーンの日用雑貨や生活用品を販売する「ベッド、バス&ビヨンド」の店舗を眞子さんが1人で訪れ、タオルや収納用品などを購入する様子を報じた。14日にニューヨークに到着し、マンハッタンのへルズ・キッチンに借りたアパートに向かって以降、現地で眞子さんの姿が確認されたのは初めてとなる。同紙はニューヨークで2人が暮らすアパートもスクープしており、元内親王の現地での様子を追いかけているようだ。

>ジーンズに深緑のロングコートを羽織った眞子さんが、マスク姿で日用雑貨やキッチン用品の棚を物色する様子やハンガーやタオルなどが乗ったカートを押す様子などを伝えており、圭さんとの新婚生活に必要な日用品を買いに出かけたとみられる。同紙によると、眞子さんは1時間半ほど店に滞在していたというが、周囲にセキュリティーや護衛する人の姿はなかったという。

>また、同紙のサイトは眞子さんが単身で、周囲をキョロキョロと見渡しながら街中を歩く姿や買い物袋を両手に抱えて夜の街を歩く様子をとらえた動画も公開。トランプ・インターナショナル・ホテルの前を荷物を抱えて歩く姿なども映っている。「大都会で道に迷ったようで、何人かの人に道順を訪ねなければならず、何度も同じ場所を行ったり来たりしていた」と不慣れな土地での外出に戸惑う眞子さんの様子を伝えている。最終的に午後6時ごろにアパートに戻ることができ、そこで圭さんが眞子さんが持っていた4つの買い物袋を運ぶのを手伝うためにアパートの入り口で出迎えたと報じた。

>また翌日に、2人そろってマンハッタンの街に繰り出す姿も激写している。写真ではグレーのジャケット姿の圭さんと深緑のショート丈のジャケットに黄色いバッグを持つ眞子さんが、手こそつないでいないもののマスク越しに楽しそうに会話する姿などが見られる。同紙によると、2人はタイムズスクエアとグランド・セントラル駅の中間に位置するブライアント公園に出かけたといい、休日の公園で散歩を楽しんだのかもしれない。オフィスビルに囲まれたブライアント公園は、周辺の企業に勤める人や観光客の憩いの場として知られており、2人ともリラックスした様子で周囲を気にする様子もなく、新たな地での結婚生活を満喫しているようだ。(ロサンゼルス=千歳香奈子通信員)

<参考=「眞子さんジーンズ姿でNY1人でお買い物 日用品抱え、道に迷った? 英紙」(日刊スポーツ)>


【閻魔大王】 2021/11/23 (Tue) 21:33

副題=悠仁さまの教育は、これで、良いのか<?>

秋篠宮殿下は、兎角に、自由にと。
自由は結構なれどの、所謂の、「天皇家」をどするやと。
この部分に、秋篠宮殿下に思想なり、覚悟があるのか、無いのか<?>

「天皇家」は大きな課題なれどの、自身の、「秋篠宮家」をどするやと。
長女、眞子たんは出てったです。

ンの、ならばの、佳子たんに<?>
まあ、つまり、佳子たんも、女性故、結婚で、皇室を出るです。
結果、秋篠宮家は、無くなるですが、「天皇家」直系に成るですが、この殿下に、わかってるのかと。
当然の、わかってると、思うですが。

<写真>
悠仁さま 宮内庁提供



>宮内庁では“駆け落ち婚”に投げやりな声も
>「秋篠宮家の長女・眞子さまの“駆け落ち婚”が報じられ、宮内庁職員の間では『どうするんですかね?』といった、やや投げやりな感想も聞こえます。そんな中、弟君の悠仁さまが9月6日で15歳になられました。

>江戸時代までなら成人式に当たる元服を終えられていてもおかしくはないご年齢です。来年4月には高校生になられます。にもかかわらず、将来の天皇としての『帝王教育』がまだ本格化していないことを、危惧する声が宮内庁OBの間などから上がり始めているようです」


>宮内庁関係者はこう語る。
>当初、悠仁さまの「帝王学」は先例にならって中学ご進学を契機に始められるものと一部ではみられていた。2019年4月にはお茶の水女子大学附属中学校に進学されたが、秋篠宮さまは特別な教育係は置かない方針とみられ、ご夫妻で悠仁さまのご教育を担われているのが現状だ。

>「大正天皇の教育係は、2004年に逝去された高松宮妃喜久子さまの祖父・有栖川宮威仁(たけひと)親王が担いました。威仁親王は皇族として初めて帝国海軍の軍人となった人物で明治天皇の信頼も厚く、伊藤博文の推薦で1898(明治31)年に東宮賓友、翌年には東宮輔導となり、病弱だった大正天皇の健康回復と帝王教育に当たりました。また、1914(大正3)年には学習院初等学科を卒業した昭和天皇のために、東京・高輪に東宮御学問所が設けられました。

>御学問所は明治天皇の勅命で学習院の院長を務めた陸軍大将・乃木希典の建言をもとに『帝王学』の専門機関として作られたものです。ここで昭和天皇の帝王教育が本格化したことは、よく知られています。御学問所では歴史、地理、数学、国漢文、仏語などの担当に当代一流の学者が選ばれ、歴代天皇の事蹟と並んで最も重要な倫理の担当には学徳兼備の教育者・杉浦重剛が選任されています」(同前)

>ただし、上皇陛下には帝王学の専門機関は設けられなかった。その背景には、やはり敗戦の影響があった。


>超国家主義的な思想教育を危惧したマッカーサー
>「実は上皇陛下にも当初、東宮御学問所が1942(昭和17)年に開設される計画がありました。しかし、戦争が激化したことから延期となり、宮内省(現・宮内庁)は上皇陛下が学習院中等科に進学される1946年度に御学問所を設けて帝王教育を開始するとともに、中等科で一般授業も受けられるという方針を決め、中等科の教授ら授業の担当者を皇后宮職御用掛とする人事を発令しました。

>終戦直前の1945年8月10日に東宮職が設置されると、野村行一学習院高等科長が御学問所教育主任への就任含みで東宮職御用掛に任命され、授業の担当者も皆、東宮職御用掛に転任しました。その計画が終戦で全て中止となったのは、超国家主義的な思想教育が行われることを危惧した連合国最高司令官のダグラス・マッカーサーの強い意向があったからだったとされています」(同前)


>慶應義塾の塾長・小泉信三が説いた「帝王学」
>これ以降、将来の天皇の帝王教育は専門機関ではなく、学習院に通いながら外部から学識経験者を招いて行われるようになったという経緯がある。

>「学習院中等科に進学された上皇陛下には、慶應義塾の塾長・小泉信三が1946年に東宮御学問参与(後に東宮御教育常時参与)となり、『ジョージ五世伝』や『帝室論』などを講義して帝王学を説きました。天皇陛下の場合も学習院で一般的な教育を受けられながら、著名な学者らから歴代天皇の事蹟などについて学ばれました。学習院中等科進学を控えた時期には、漢学の権威だった宇野哲人東京大学名誉教授から論語を学ばれています。


>秋篠宮さまは「私自身はその立場ではありません」
>また、中学3年の時には王朝和歌の権威だった国文学者の橋本不美男氏から『徒然草』の写本の講義を受けられました。天皇陛下は2010年2月の誕生日会見で『歴代天皇のご事蹟を学ぶ中で、第95代の花園天皇が、当時の皇太子、後の光厳(こうごん)天皇にあてて書き残した書に、まず徳を積むことの重要性を説き、そのためには学問をしなければいけないと説いておられることに感銘を受けた』と述べられています。まさに、帝王学の重要性を痛感されておられたからこそのご発言と言えるでしょう」(同前)

>悠仁さまの帝王教育が進んでいない事実の背景には、悠仁さまが明治以降では初めて天皇・皇太子の長男ではなく宮家の長男であることがあると言えよう。皇位継承順位は皇嗣になられた秋篠宮さまに次ぐ第2位ではあるものの、あくまでも宮家の皇族という特殊事情が障壁となっている可能性があるのだ。

>「秋篠宮ご夫妻は在位中の上皇陛下のご静養先で悠仁さまとともに合流し、悠仁さまに天皇のあり方を身近で学ばせようと努力されてきました。一方で秋篠宮さまは2014年11月の誕生日会見で『天皇のあり方について悠仁さまにどのように伝えていくか』と質問されると『私自身はその立場ではありません』と述べられています。


>「やはり特別な教育係を置いた帝王教育を」
>これは、帝王教育をご夫妻だけで担うことには限界があることを示唆されたとも受け取れるものです。やはり特別な教育係を置いて腰を据えた帝王教育を、一刻も早く始めるべきなのではないでしょうか」(同前)

>明治期以降、天皇は学習院で学ぶ一方、学識経験者らを教育係に据え、帝王教育を行ってきた。しかし、秋篠宮ご夫妻は悠仁さまを学習院には進ませず、大学の学長経験者など専門の教育係も置かれてはいない。

>年内結婚を抱える長女の眞子さま、公より私を優先させているとの批判の声もある次女の佳子さまに起因して、秋篠宮家のご教育方針には疑問の声もある中、悠仁さまの帝王学については軌道修正が必要な時期が来ているのではないだろうか。

<参考=「「どうするんですかね?」眞子さま“駆け落ち婚”で秋篠宮家の教育に疑問の声《悠仁さま15歳でも帝王教育が始まらない》朝霞 保人」(文春)>
(21/09/06)


閻魔大王】 2021/11/23 (Tue) 23:33

副題=<前編>眞子たん、佳子たんは、早くに皇室を出たい<!>

で、
眞子、佳子は、一時金の額、1億3700万円の、価値は、わかってるの怪<?>

まあねえ、
価値は大きくとも、所有者の生活状況、使い方で決まるかと。

そらねえ。
皇族的、生活してたでは、忽ちに、底突くです。
庶民的、つつましくなら、或る程度の年数保つですが。どちにしろ、普段の生活なるは、仕事なりの、収入で、出来てるならと。

<写真1>



>秋篠宮家の長女・眞子さんが小室圭さんと渡米し、ニューヨークで新生活を始めました。「文藝春秋」編集部特別取材班による「秋篠宮家『秘録』この3年間に何が起きていたか」(「文藝春秋」2021年12月号)を一部公開します。(全2回の1回目/後編に続く)


>幽閉状態にも近い人生
>「早くここから抜け出して、外の世界に行きたい」

>ある皇室関係者によれば、秋篠宮家の眞子さま、佳子さま姉妹は今から10年ほど前から、そんな想いを強く抱いていたという。

>どこに行くにも四六時中お付きの職員が付いて回り、自分の意思で自由に外出もできない。赤坂御用地という空間でしか生活することを許されない。その息苦しさは大学や高校で、自由に暮らす友人達と接するにつれてより痛切に感じるようになったという。幽閉状態にも近い人生を生きることは、すでに20歳を迎える頃から二人にとっては耐えがたいことだった。


>姉妹をよく知る人物が語る。
>「お二人は、同い年の子よりも10歳以上は精神年齢が上の印象で、窮屈な環境での暮らしにいつも苛まれていました。『ここから抜け出したい』という切実な想いは、常に二人の心の奥底にあったのです。


>ダンスで苦しい立場を忘れられた
>その気持ちを覆い隠し、父母をはじめ周囲に悟られないために、佳子さまは、趣味のダンスに打ち込まれていた面もあります。ダンスをすれば体力も使うので、自分の苦しい立場を少しでも忘れられたのでしょう。一方の眞子さまは、妹さんより精神的にお強い方ですから、佳子さまほど何かに打ち込む対象がなくても、不安定になることはありませんでした」

>まだ高校生だった佳子さまは多感な時期でもあり、精神的な乱れも多かった。この人物に頻繁に悩みを相談し、同時に様々な質問をしたという。「皇族が置かれている立場をどう考えるか」といったことや「男女はどういう考えに基づいて交際するのか」など、話題は多岐にわたった。

>そこで話したことは、佳子さまは逐一、姉の眞子さんに報告していた。姉妹は一心同体と言えるほど仲が良く、常に同じ考えを持っていた。ある日、この人物は眞子さんにこう言われたという。

>「あなたが妹にアドバイスをしてくださっていたことは、妹から聞いて全て知っています。私も同じ考えでいます」


>「一生ここから抜け出せないのではないか」という恐怖心
>当初は佳子さまのほうが悩みは深刻だったが、次第に眞子さんも自分の心の奥底に隠していた悩みを打ち明けるようになったという。皇室の中で自分たちの絶望的な想いを理解してくれる、数少ない味方だと判断したのかもしれない。

>今から10年前、民主党野田政権下で、本格的な女性宮家創設の議論が開始された。皇族の減少や皇位継承の問題を打開すべく、政府は、女性皇族が結婚後も独立した宮家の当主として皇族であり続けるという案を本格的に検討していた。

>当然、秋篠宮家のことも念頭に置いた議論であり、その法案が成立することは、姉妹が今後も半永久的に皇室で暮らすことを意味した。この議論が影響してか、佳子さまの精神的な乱れは、一層激しさを増したという。

>「佳子さまは、一生ここから抜け出せないのではないか、という大きな恐怖心を抱かれているようでした。このまま皇室を出られないならば生きている意味はない、と。極端な言い方をすれば、自分で自分の命を絶つ、そんなことも辞さないほど、当時の佳子さまは深刻な悩みを抱えていらっしゃったのです」(同前)


>佳子さまは1億3700万円を「そんなにもらえるんですか!」
>この人物は様々な話題を話し合うことで、少しでも佳子さまの気持ちを上向かせようとした。その過程で最も説得力を持ち、佳子さまの関心を惹いたのが「結婚」についての話題だったという。

>「実は、早い時期からお二人は、結婚して降嫁することでしか、皇室を抜け出せないという考えで一致していました。それがお二人にとっての唯一の希望だったのです。しかしそれは二人だけの秘密でした。成年皇族として、今後も皇室を支えてほしい、と期待を寄せる周囲に『本当は一刻も早く結婚したい』などといった本心は決して悟られてはならない。それは二人だけの『脱出計画』のようなものでした」(同前)

>ある日、女性皇族が結婚をすると、品位保持のために一時金が支払われ、「内親王であれば1億3700万円が支給される」と話したことがあった。すると佳子さまは、

>「そんなにもらえるんですか!」

>と目を輝かせたという。

>それまで両親から聞いたことがなく、高校生にして初めて一時金の存在を知ったのだ。「1億円」という金額があれば、外に出ても心配はないと思われたのかもしれない。すぐさま眞子さんに報告され、姉妹の希望の光になった。


>秋篠宮家にとっての挫折
>「その時のことがあったので、今回、眞子さまが小室さんと結婚するにあたり、一時金を辞退されたのは意外な印象でした。ただ、それほど眞子さまは皇室を出たかったのだと思いました」(同前)

>姉眞子さんの結婚は、長らく二人が抱き続けてきた悲願の実現でもあった。だからこそ佳子さまは2019年、まだ二人の結婚の行方が見通せず、世間では「破談もあり得る」との論調が少なからずあった中、ICU(国際基督教大学)を卒業される際に発表した文書で、

>〈私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています〉

>と、姉を強く支持するコメントを出されたのだった。

>そして10月26日の結婚当日、現在の住まいである御仮寓所で、娘を見送る秋篠宮と紀子さまの表情は神妙だった。一方の佳子さまも姉との別れに悲しそうな表情を浮かべておられたが、最後は思わず両手を挙げ、笑みを浮かべて姉に近づき抱擁した――姉妹の悲願はついに実現したのだ。「皇室脱出」を誓い合った日から10年近い歳月が流れていた。

>今から数年前、ある秋篠宮家関係者は不安げな表情で、

>「この問題が、秋篠宮家にとって初めての挫折になるかもしれない」

>とまるで予言のように呟いた。


>後悔の念が滲む秋篠宮ご夫妻のコメント
>「この問題」とは、眞子さんと小室圭さんの結婚のことだ。ちょうど圭さんの母・佳代さんの金銭トラブルが発覚し、世間から二人の結婚に疑問の声が上がり始めた頃のことだった。

>3年あまり膠着状態にあった二人の結婚問題は、今年春ころから宮内庁内で具体的な検討が再開され、9月初めに「ご結婚へ」との報道が出て以降、急展開を見せた。

>眞子さんは、品位保持のために皇族に支給される一時金を辞退、「納采の儀」をはじめとする結婚に伴う儀式はすべて中止となった。異例づくしの事態に国民の理解が追いつく間もなく、眞子さんは皇籍離脱をして小室さんとの結婚を果たした。

>全てが終わった後に、秋篠宮ご夫妻は、「ご迷惑をおかけした方々に誠に申し訳ない気持ち」「皇室としては類例を見ない結婚」など、およそ慶事には似つかわしくないコメントを発表した。その後悔の念が滲む文面からは、前述の関係者の予言が親子の反目という形で現実になったことがうかがえる。

<参考=「佳子さまは一時金を「そんなにもらえるんですか!」眞子さんに報告された“結婚と男女交際”への意見《ダンスに打ち込み“精神的な乱れ”を…》#1」(文春)>
<消滅・22/02/16>


【閻魔大王】 2021/11/24 (Wed) 00:24

副題=眞子、佳子、姉妹の抱擁の場面

<参考=「NO.298 続3<眞子・圭>歴代天皇、遂に、怒られた<!>/眞子たんの我が儘から、天皇制瓦解危機<!>」寄稿閻魔大王2021/11/22 (Mon) 17:39
<副題=眞子さんと小室圭さんの結婚で深まる“皇室不信”…“小室さん騒動”の核心とは《“皇族の誇り”が眞子さんには稀薄》 #1(文春)>

>次代の天皇家は、大丈夫かと。
>まずは、長女が、この状態。
>次ぎ、次女、佳子たん、なるは、公衆の面前、報道陣待ちかまえてるを承知の上で、家を出るの、姉との抱擁。
>コレ、屋内で、済ませておくのべきではと。


<参考=「NO.299 続4<眞子・圭>歴代天皇、遂に、怒られた<!>/眞子たんの我が儘から、天皇制瓦解危機<!>」寄稿閻魔大王 2021/11/23 (Tue) 23:33
<副題=<前編>眞子たん、佳子たんは、早くに皇室を出たい<!>>


イヤ、
姉妹での、抱擁の場面、全面的、問題とは、思てませんです。
が、皇室の方としては、ど哉と。
報道陣が居てないの、屋内で、出来るの事でして。

こんな意見、言うのがいてるが故、皇室は、住み難い<!>
がしかし、皇室の方々は、別世界、別次元で、棲息されてるものと。
謂わば、日本人の理想型。
とか、申すと、古いと、言われそですが。古いで結構なると。


【閻魔大王】 2021/11/24 (Wed) 10:11

副題=眞子さんは「食欲がなくていつもと違う感じがする」渡米前に一番懸念していた“悠仁さまの異変”《夕食時に紀子さまが叱ると…》#2」(文春)

秋篠宮家の内部の事を記載されてるですが。
この手の話は、どこまでがと。

只、圭君が現れ、秋篠宮家に、不協和音が漂い出したは、事実。


<写真2>
眞子さま(当時)と佳子さま ©JMPA



<写真3>
10月26日に婚姻届を提出し、記者会見に臨む小室眞子さん ©JMPA



>秋篠宮家の長女・眞子さんが小室圭さんと渡米し、ニューヨークで新生活を始めました。「文藝春秋」編集部特別取材班による「秋篠宮家『秘録』この3年間に何が起きていたか」(「文藝春秋」2021年12月号)を一部公開します。(全2回の2回目/前編から続く)


>2018年に何が起きたか
>眞子さんのことを深く知る、ある宮内庁関係者が語る。

>「秋篠宮は今も結婚には納得していませんが、親子の分裂を食い止めるには結婚を認めるしかありませんでした。それほど秋篠宮ご一家の苦しみは深刻化していたのです。幸せそのものに見えたご一家の親子関係が完全にこじれたのは、今から3年前、2018年のことでした」

>今年10月1日に行われた、皇嗣職大夫の会見で、眞子さんが「複雑性PTSD」という病気であると発表され、波紋を呼んだ。会見には、眞子さんを診断したNTT東日本関東病院元精神神経科部長の秋山剛医師が同席し、
「2018年から19年頃にかけ、状況を変えることが困難である、という無力感を感じる状態になられ、結婚後には平穏で幸福な生活を送りたいという願いが、不可能となってしまうとの恐怖を感じるようになられた」

>とコメントをした。

>先の宮内庁関係者は、秋山医師が下した「複雑性PTSD」という診断に首を傾げるものの、「2018年から19年頃にかけ」という時期については、「たしかに眞子さまが不調を訴えていた時期だ」と認める。

>2018年に秋篠宮家の内部では一体、何が起きていたのか。


>紀子さまが思わず吐露された弱音
>前年末に小室さんの母の金銭トラブルが初めて報じられ、2月にはご結婚に関する儀式の延期が発表された。8月には小室さんが国際弁護士を目指し、米国に留学をしたことが世間に衝撃を与える。金銭トラブルが解決の兆しを見せないままでの突然の留学に、疑問の声が噴出。小室さんへの批判が高まった。

>つまり18年は二人のご結婚が完全に暗礁に乗り上げ、見通しが立たなくなった時期にあたる。

>ちょうど小室さんが留学する前後の頃、紀子さまは近しい人物に苦しい胸の内を吐露している。

>「私はもう駄目かもしれない……。もうこれ以上、公務はできません」

>悠仁さまは順調に成長し、紀子さまは積極的に公務に臨むようになっていた。皇室という環境になじめず「適応障害」と診断された雅子さまとは対照的に、美智子さまを模範にして公務に励まれる姿は、時に「過剰適応」とも評されたほどだった。

>その紀子さまが思わず弱音を吐いたのは、当初は小室さんとの結婚に賛成していたのに反対に回ったことを眞子さんに責められ、自らの判断の誤りに苛まれたからだった。

>以来、紀子さまは、近しい人物に不安な心境を吐露することが増えた。涙を流しながら、止めどなく喋り続けることもあったという。

>眞子さんの結婚に、はっきりと反対意見を述べることもあった。

>「お相手の方も問題のある方だから、娘は本当に馬鹿なところがあって、その辺もよく分からないので。私は非常に困っていて……」

>そんな母親に眞子さんは反発心を抱かれ、会話を交わすことはほとんどなくなった。

>眞子さんは「きれいに隅々まで検査をしてほしい」

>実は同じ夏頃に眞子さんの身にも異変が起こっていた。

>この年の7月、眞子さんは日本人移住110周年を迎えるブラジルへの訪問が予定されていた。それに備えて、直前には宮内庁病院で検査を受けている。その際、体の不調を訴えられ、「きれいに隅々まで検査をしてほしい」というのが本人の希望だった。ただ結果的に身体的な異常はどこにも見つからなかった。


>眞子さんの本当の悩み
>この時、眞子さんは精神面での不調も訴えられている。ある近しい人物に、「食欲がなくて、いつもと違う感じがする」と相談を持ち掛けた。その人物は、「これだけご結婚のことが批判的に報じられていて、影響を受けない人なんて、この世の中には誰もいませんよ」と言って励ました。

>眞子さんは「もちろんそれもありますが……」と一度は納得の表情を浮かべたものの、すぐさま堰を切ったように、自身の本当の悩みを打ち明けたのだった。

>「『夕食時など家族で団欒をしている際に、自由に話ができないことが苦しい』とおっしゃいました。秋篠宮さまは家長としてのお立場上、眞子さまに話しかけづらい。一方、紀子さまは結婚には絶対反対なので、眞子さまのほうが会話をしたくないわけです。妹の佳子さまは、お姉さまの味方なので、眞子さまに同調して両親と話そうとはしなかったそうです。

>眞子さまがいちばん懸念していたのは、悠仁さまへの影響でした。自分たちのギクシャクした関係が悠仁さまに伝わってしまう。それがまだ小学生だった弟の心に、どれほど深刻な影響を与えてしまうか、考えただけでもつらい、と。だから自分を偽って、紀子さまとはまるで仲が良いかのように振舞っている、そうおっしゃっていました」(同前)


>悠仁さまに起きた夕食時の異変
>秋篠宮邸では、ご家族一人一人の好みに合わせて、料理の温度を微妙に調節するのが決まりだった。

>そばのキッチンで職員が料理を温め直していると、まだ小学生だった眞子さんが駆け寄り、「今日の晩ごはんは、何ですか?」と無邪気に尋ねる。そんな姉の陰に隠れて、後ろから控え目にのぞき込むのが妹の佳子さまだった。秋篠宮はソファに腰かけギターをつま弾きながら、料理がテーブルに配膳されるのを待っていた。

>しかし、2018年の段階ではそのような光景はすっかりなくなり、食卓は重々しい沈黙に包まれていた。眞子さんの懸念した通り、悠仁さまは、そんな家庭の異変を敏感に感じ取っていた。

>ある日の夕食でのこと。紀子さまは、悠仁さまが料理を食べ残しているのに気づき、

>「今は成長する時期なのだから、出された食事はちゃんと全部食べなきゃ駄目よ」

>と叱った。悠仁さまは気が進まないようすだったが、残さず食べ切ったという。だが、母親が席を外していなくなると、食べたものを吐いてしまった。

>そばで一部始終を見ていた眞子さんは衝撃を受け、介抱しながら、「どうしたの? 大丈夫?」と声をかけた。悠仁さまは「ちょっと調子が悪いだけだよ」と答えたという。

>眞子さんはこの時、自分のことがきっかけで起きた家族の不和が幼い弟の心を蝕んでいる、と思ったようだ。いつも家族に気を配ってきた「しっかり者」の眞子さんにとっては、つらく苦しい出来事だった。

>「しかし、眞子さまは、非常に芯の強い方です。当時は小室さんがどんなにマスコミに騒がれようとも、『彼は何も間違ったことはしていない。個人の人権が尊重される時代にあって、なぜ、ここまで寄ってたかって批判されなければならないのか』と心底疑問に思われていた。ですから、思い悩まれる家族を心配しながら、それでも結婚を諦めるという発想は眞子さまの中になかったはずです」(同前)


>「目」の字を怖がるといけない
>眞子さんの「眞」の字は、正式には「目」の字が下の部分に付いた特殊な字であることはあまり知られていない。

>「秋篠宮さまが名前を下賜される際、娘が将来、自分の名前の『目』の字を見て怖がるといけないから下に付けてくれと言ってきた。自分は何でもできるという秋篠宮さまの性格が現れていると思いました」

>とある学習院関係者は語った。

>現に宮内庁のホームページの「ご略歴」を見ると、作字したせいなのか「眞」の字だけが異様に大きく膨れ上がって表示されていることが確認できる。


>秋篠宮さまのこだわりや頑なさ
>候補となった御名前の調査に協力した元宮内庁書陵部編修課長の米田雄介氏が当時を振り返る。

>「秋篠宮さまが言われる『眞』の字は特殊だったので、作字にするか世間にならった通常漢字に変えるかで議論になった覚えがあります。

>官報に載せて公表する必要があるので、最終的には当時の大蔵省印刷局に『どうしたものか』と相談しに行きました。そうしたら担当者が官報でも『眞』の特殊な文字を使用できると教えてくれて、ホッと安心したんです。ただ、当時の秋篠宮さまの漢字へのこだわりや頑なさは不思議に感じました」


>眞子さんにも受け継がれた秋篠宮さまの性格
>秋篠宮の長年の友人がこう語る。

>「一度決めたことを絶対に譲らなかったり、皇族として前例破りの行動であっても敢えてやってみせたりするところは、秋篠宮さまと眞子さまは親子でうり二つです。秋篠宮さま自身も、紀子さまとの結婚を決められた際には、『昭和天皇の喪中なのに』とか、『兄の浩宮よりも先にするなんて』などと世間からのバッシングがありましたが、本人の意思は揺るがなかった。

>学生時代には自ら、『自然文化研究会』という新しいサークルを作って旅行に出かけたり、自分の興味がある生物学を学ぶために他大学の教授を招いて講義を聞いたり、一緒に飲み会を開いたりしていた。前例にとらわれず、自分の思うがまま、自由に振舞うことがお好きなのです。今回の一連の騒動を見ながら、そういった面が眞子さまにもしっかり引き継がれていると思いました」


>「秋篠宮家『秘録』この3年間に何が起きていたか」の全文は、「文藝春秋」2021年12月号と「文藝春秋digital」に掲載されています。

<参考=「眞子さんは「食欲がなくていつもと違う感じがする」渡米前に一番懸念していた“悠仁さまの異変”《夕食時に紀子さまが叱ると…》#2」(文春)>
<消滅・22/02/16>


【閻魔大王】 2021/11/24 (Wed) 12:39

副題=婚姻届け提出、小室眞子としての会見に違和感。

眞子、圭、口揃えの、謂われ無き、誹謗中傷。

確かに、一部には、根拠無く、報道してるもあるですが。大方は、妥当な話と、閻魔大王的、見てるですが。

又、誤解からと、されるがあるなら、代理人弁護士君なり、宮内庁を通じ、出来るの事でして。
現に、西村長官は、上芝弁護士を呼び出し、その辺りの事、申してるです。間違ってる事は、正せば宜しいです。

それを無視し続けたは、結果的、眞子、圭。
その事、忘れての、眞子、圭の記者会見でしたです。

又、一々の反論もと、コレ、圭母の言なれどの、そんなに沢山の疑惑は無いです。
間違ってるのは、間違ってると、言えば、宜しいです。その機会、眞子たんにも、充分あるですが、自身、無いと、申しまして。
それこその、宮内庁の定例記者会見で、眞子たんの意向をば、何度か、公表してるです。

とかとか、
結婚後の記者会見では、眞子が、圭を、指導し、誘導してるかの如くに見えたですが。
基本、圭君、そんなに甘々の君では無いです。
圭君なるは、ハッタリ屋<!>

まあねえ、
眞子たんも、影響されてか、似て来たですが。


【閻魔大王】 2021/11/24 (Wed) 18:33

副題=眞子たん、圭母にまで、指示<?>

要は、
元婚約者の代理人が週刊誌屋<記者>故、無いこと、無いこと、尾鰭付けて、ばらまかれると、判断したの哉と。

当然の、その危惧あるですが。
それは、それで、対応の仕方があるのではと。眞子たんの浅知恵だけで無く、無能弁護士君の意見、見解も参考にと。

まあねえ、
結果的、ここまで、長引かせたは、眞子たん。
結果的、「納采の儀」は、出来ずで、一時金も辞退。
可成りの、何ちゅうかの、短絡思考、浅知恵内親王様であったと、思われるです。

尚、渡米の際の、席が、ビジネス・クラスとか、ファースト・クラスとか、よお、わからんですが。
料金支払、エコノミーなれどの、では、無いだけは確か。

>混乱を避けるためビジネスクラスに変更

>入籍からわずか3週間足らず、慌ただしい旅立ちだった。先ごろ新天地ニューヨークへと発った小室夫妻。その直前には圭さんの母・佳代さんの金銭トラブル解決に向けて元婚約者男性との面会が行われたが、そこで交わされた言葉とは――。

>さる14日朝、夫妻は羽田空港から出国、日本時間の23時ごろにニューヨークのJFK空港へ到着した。

>「お二人の予約はもともとエコノミークラスでしたが、機内での混乱を避けるため航空会社の判断でビジネスクラスに変更されました」

>とは、宮内庁担当記者。到着後はNY市警の警官らにガードされながら、待ち受ける車へ。空港には日本のメディアが勢揃いしていたものの、

>「現地での取り決めで、到着取材を終えた後の追尾はしないことになっていました。すでに一般人夫婦であり、パパラッチに追われて事故死したダイアナ妃の事例も念頭に、各社ともこれに合意したのです」(同)

>が、その間隙を縫うように英紙「デーリーメール」は、夫妻が新居に到着したとされる場面を撮影、電子版に掲載した。記事などによれば、新居はマンハッタンのセントラルパークの南西に位置する「ヘルズ・キッチン」という地区に建つ高級マンション。リンカーンセンターやタイムズスクエアにも近く、夫妻が住む部屋はワンベッドルームの間取りで、月およそ50万円から賃貸可能。マンション内にはフィットネスジムやスパ、映写室も備えられている。ちなみに同地区は、シルベスター・スタローンの出身地としても知られている。


>「なぜ週刊誌に暴露したのか」と恨み節も
>小室さんが9月下旬に緊急帰国したのは記者会見のためではなく、“結婚後は二人一緒に旅立ちたい”という眞子さんの強い希望に沿うためだった。その願いを叶えるべく、彼は12日夜、母親・佳代さんの金銭トラブルで交渉を続けていた元婚約者の男性と対面、問題の金額と同じ約400万円を「解決金」として支払うことで合意した。


>男性の代理人を務める週刊誌記者が言う。
>「小室さんが帰国後、面会へ向けて調整を行ってきました。日程がまとまりかけたこともありましたが、先方から何度かドタキャンされて対面に至らなかった。交渉の場では男性の側から“圭君”と呼びかけ、昔の思い出話をして場を和ませようとしていましたが、小室さんは終始、表情がこわばっていたように見えました。話し合いの終盤、合意のための書面が手渡され、男性はその場で一読し、サインしたのです」

>その場では、小室さんから元婚約者に対し「なぜ週刊誌に暴露したのか」「悲しいです」といった恨み節をぶつける一幕もあったというのだが、小室家側の代理人である上芝直史弁護士は、
「結婚会見で『自分で解決する』と述べた通り、圭さんはトラブルの当事者ではありませんが、本人(佳代さん)が対応できる状況ではないので代わりに出てきたのです。解決は、早ければ早いほどよかったとは思いますが、結果的に(出国直前の)12日となりました」


>主導権を握っていた眞子さん
>実際に小室さんは先月26日の結婚会見で、母の佳代さんについて、

>〈元婚約者の方と会うことにはドクターストップがかかっています〉

>そう述べていた。が、一方で宮内庁関係者は、こう明かすのだ。

>「会見で眞子さんが“元婚約者の方への対応は、私がお願いした方向で進めていただきました”と述べている通り、主導権は眞子さんにありました。実際の交渉についても眞子さんは、佳代さんに対し、“元婚約者とは直接お会いにならない方がよろしいのでは”“先方の代理人は週刊誌の記者なので、接触は控えるべきだと思います”などとアドバイスしていました」

>再三にわたる男性からの呼びかけに佳代さんが応じなかったのも、こうした眞子さんの“方針”が大きかったというのだ。

>ともあれ、最大の障壁となっていたトラブルはひとまず解決した。400万円は後日、男性の口座に振り込まれるというのだが、3年にわたる留学中の生活費を古巣の法律事務所から貸与され、いま新たにNYで「法務事務員」に就いたばかりの小室さんに大金を支払う能力があるはずもない。そこは渡航費用ともども、眞子さんの“懐”に頼らざるを得ず、浪人の道を選んだ新郎はふたたび隘路へと入り込んでしまったかのようである。

>「週刊新潮」2021年11月25日号 掲載
>新潮社

<参考=「小室佳代さん「金銭トラブル」対応の背景に眞子さんが 「先方の代理人は週刊誌記者なので接触は…」と進言」(デイリー新潮)>


<参考=NO.300 続5<眞子・圭>歴代天皇、遂に、怒られた<!>/眞子たんの我が儘から、天皇制瓦解危機<!>


<参考=NO.318 林真理子著『李王家の縁談』
(22/01/05)