閻魔大王<NO.122>

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NO 表題 起稿 起稿日
閻魔大王NO.123
320 <皇位継承問題>愛子さま/秋篠宮家/旧宮家 閻魔大王 22/01/12
319 <閻魔大王の言いたい放題>アベ、スガ。そして、岸田政権は<?> 閻魔大王 22/01/10
閻魔大王NO.121

NO.319 <閻魔大王の言いたい放題>アベ、スガ。そして、岸田政権は<?><起稿 閻魔大王>(22/01/10)


【閻魔大王】 2022/01/10 (Mon) 23:19

副題=世耕氏曰くの、「菅政権の失敗は秘書官配置」<?>

これは、政権中枢に近い人物しか、わからんですが。
概ねの、スガなる人物、狭量と、見えたです。

そもそもが、政治家とすれば、演説下手であるが、摩訶不思議。
当初、演説するに、自力でと、プロジェクターを使わずで、下ばかり向いて、要は、原稿から、目が離せずがバレバレ。
結果、使い出したですが。

新型コロナ・ウィルスのワクチン接種について。
野党君からのバカな質問、首相はイツ接種するのかと、問われの、順番通りと。
意味なるは、彼当時72歳故、高齢者枠での接種ですて。

アホかと。
アホじゃと。
遠慮、損慮せず、ガタガタ、抜かさず、率先垂範、いの一番に接種せよ<!>

とかとか、この君、一国の首長として、器量が、なと、印象受けたです。
結果、この君が、首相のままで、総選挙なら、立憲民主党は、可成り延びたと、思うですが、では、国はメタメタの迷走するです。

>自民党の世耕弘成参院幹事長は8日、菅義偉政権が約1年の短命で終わったのは、首相秘書官の配置に起因しているとの見方を示した。岡山市で開かれた石井正弘参院議員の会合でオンライン講演し、「菅首相が官房長官時代の気心知れた秘書官たちを、そのまま首相秘書官にスライドさせたことが失敗の要因だ」と述べた。

>世耕氏は、安倍晋三政権下では、首相秘書官が他省庁と十分に調整した上で首相に報告していたと説明。菅政権では官房長官時代のように「全ての案件が直接、首相に持ち込まれる」と指摘し、「(情報が)オーバーフローして、判断ミスや拙速な判断がされていったのが一番の問題」とした。

>岸田文雄政権の首相秘書官に関しては「官僚のチームが良い感じでできている。霞が関のマネジメントは非常にうまくいっている」と評価した。

<参考=「菅政権の失敗は秘書官配置 自民・世耕氏」(産経新聞)>


【閻魔大王】 2022/01/11 (Tue) 12:49

副題=モリ、カケ、サクラのアベ政権

コレ、果たしての、ここまで、騒ぐの問題であったの哉と。
と、ダケの話。


副題=アベノマスク

コレ、エリート官僚のアイデアとするなら、情けなやと。
当時、マスク不足に陥ってたは、事実なれどの、アイデアが、貧しいねえ。稚拙やねえ。

まあ、言うたら、エリート官僚が考えたにしては、バカバカしくて。この程度のが、国を動かしてるのかと。先が思いやられるです。

そらねえ。
業者の言い値で、諸般の経費、全くの考慮せずの、まあ、言うたら、未経験の、新入社員水準。
新入社員なら、先輩社員なり、上司が、確認なりして、アホかと、修正、没なり、指導するですが。
政権内部では、素通り<?>

<写真1>
佐伯耕三氏



<写真2>
佐伯耕三氏



>少し前の話になるが、昨年12月24日、時事通信は「鈴木財務相、俗に言えば『損切り』=アベノマスク廃棄」との記事を配信した。

>アベノマスクは2020年4月から配布されたが、どれほど国民に不評だったかはご記憶の方も多いだろう。担当記者が言う。

>「昨年11月には会計検査院が、輸送費なども含めた支出は542億円にのぼり、1枚あたり200円の税金が使われたことを明らかにしました。検査院は報告書で『入札が行われず、業者の言い値だった』ことも指摘しています。今なお8272万枚が在庫として保管されており、その費用として20年度末までに6億円の税金が使われたことも注目を集めました」

>12月6日に開会した臨時国会で、野党は追及の構えを見せていた。国民民主党の川合孝典・参議院議員(57)は、「このままのペースだと在庫処分には33年以上かかる」と指摘した。

>これに岸田文雄首相(64)は“奇襲”を仕掛けた。臨時国会が閉会した12月21日、記者会見で突然、「マスクは希望者に配布し、残ったものは廃棄する」と発表したのだ。

>野党は振り上げた拳を下ろさざるを得なくなり、全国紙は政治面で岸田首相と安倍晋三元首相(67)の関係を取り沙汰する記事を掲載した。

>“戦犯”の責任は不問!?
>冒頭でご紹介した時事通信の記事は、鈴木俊一財務相(68)が閣議後の記者会見で、「アベノマスクを廃棄することは『損切りだ』」と解説したことを報じたものだ。

>「損切り」は金融や証券の世界で主に使われる言葉だ。SMBC日興証券のホームページでは、以下のように説明されている。

>《投資家が損失を抱えている状態で保有している株式等を売却して損失を確定させることをいいます》

>アベノマスクを破棄することは損失を確定することになる。税金を無駄に使ってしまったことは事実だが、これ以上、損が膨らむことはない。どうか許してください──岸田政権のメッセージは、こんなところだろう。

>しかしながら、アベノマスクという愚策が実行された“戦犯”の責任を問う声は、与野党からもマスコミからも聞こえてくることはない。永田町関係者が言う。

>「当時の安倍首相に『全国民に布マスクを配れば不安はパッと消えますよ』と進言したのは、経済産業省の官僚である佐伯耕三氏です。灘中・高から東京大学に進み、通商産業省に入省しました。安倍政権を首相政務秘書官として支えた今井尚哉氏の意向もあり、2017年に史上最年少の42歳で首相事務秘書官に抜擢されました。安倍首相のスピーチライターを務めたことでよく知られています」


>佐伯氏の“左遷”報道
>その体型などの容姿も相まって、週刊文春や朝鮮日報が「官邸の金正恩」と報じたことも話題になった。

>「安倍首相との密接な関係だけでなく、“権力を笠に着た”問題行動も報じられました。18年4月には衆院予算委員会で玉木雄一郎・国民民主党代表(52)にヤジを飛ばし、謝罪することになりました。また、年上の官僚にもかなり威圧的な言動をとっていたと伝えられています」(同・関係者)

>驕れる者久しからず──佐伯氏に再び焦点が当たったのは、20年9月に菅義偉前首相(73)が内閣を発足させてからだ。

>産経新聞は10月21日の朝刊に「チーム菅 霞が関に地殻変動 経産失速、省庁主導権争い」の記事を掲載し、今井氏や佐伯氏について次のように記述した。

>《重要政策を取り仕切ってきた官邸官僚は新政権発足で影響力を失った。筆頭格の今井尚哉首相補佐官兼秘書官はエネルギー政策担当の内閣官房参与に任命され一線を退いた。首相補佐官兼内閣広報官の長谷川栄一氏や、今井氏の秘蔵っ子で42歳の若さで首相秘書官になった佐伯耕三氏は官邸を去った》


>重要会議に出席
>「経産省に戻った佐伯氏に与えられたのは『大臣官房参事官兼大臣官房グローバル産業室付』というポジションでした。ノンフィクションライターの森功氏は著書『墜落 「官邸一強支配」はなぜ崩れたのか』(文藝春秋)で、佐伯氏の配属先はガランとした会議室で、『まるで現代版の座敷牢に閉じ込められているみたい』と周囲の同情する声を記しています」(同・関係者)


>ところが、である。その佐伯氏が復権を果たしているというのだ。

>「昨年7月1日に人事が発表され、商務情報政策局の生物化学産業課長に就任したのです。一部のメディアは《官邸から戻った有力官僚のポジションとは言い難い》(註)と報じましたが、ポジションとしては医療産業、それもワクチン開発と生産にも関わる部署です。政府の重要政策を担うポストであることは言うまでもありません」(同・関係者)

>昨年8月に厚労省で「医薬品産業ビジョン策定に向けた官民対話」が開かれた。出席者の顔ぶれは公式サイトでも紹介されている。

>「日本のトップ医療メーカーの会長がずらりと出席し、行政機関では当時の厚生労働大臣である田村憲久氏(57)の名前が筆頭に挙げられています。まさに官民のトップが集う会議ですが、ここに佐伯氏は経産省の出席者として名を連ねています」(同・関係者)


>果たして真実は? 
>更に今月には「政策キーパーソンと語ろう! ~vol.4 経済産業省 商務・サービスグループ 佐伯生物化学産業課長との60分間~」というイベントも開催される予定だ。

>「公式サイトを見るとオンライン形式のシンポジウムで、佐伯氏はバイオ医薬品や創薬ベンチャー事業などの注目政策を担う人物だと紹介されています」(同・関係者)

>どうも“閑職に飛ばされた”というイメージとはそぐわないのだ。

>生物化学産業課長の辞令が出たのは昨年7月ですから、まだ菅内閣の時でした。菅内閣の時に“飛ばされた”かのような動きがあったのは事実でしょう。とはいえ、今の精力的な行動を見ていると、アベノマスクの失策追求などから守るため、一時的な“緊急避難先”を提供した人事だったように思えてきます」(同・関係者)

>註:経産次官逃した「新原」飼い殺し 「菊池桃子の夫」は何とかお払い箱は免れたが、菅政権は使い勝手の良さを利用するだけだ(雑誌『FACTA』21年7月20日)

>デイリー新潮編集部 新潮社

<参考=「542億円「アベノマスク」発案の“エリート官僚”が秘かに復活 厚労省の“イベント”にも登場」(デイリー新潮)>


【閻魔大王】 2022/01/11 (Tue) 15:29

副題1=迷走、決められない、岸田政権<?>

副題2=岸田政権発足、1月11日で、100日<!>


<写真>
岸田内閣



>■「行かなくて良かった・・・」豪州訪問断念の裏に総理の安堵

>オーストラリアへの外遊が2日後にせまった1月4日。岸田総理は官邸で秘書官らを囲み、行くべきかどうか悩んでいた。国内ではオミクロン株が急速に拡大している。去年の暮れは地元・広島への帰省は自粛したのに、外遊にいくことに国民の理解が得られるのだろうか。

>一方で、豪・モリソン首相からはどうしても来て欲しいと熱烈なラブコールがあった。総理は「外遊はアメリカが最優先」と決めていたが、米・バイデン大統領との会談はいっこうにメドがたたない。今回検討していた豪州訪問は、自衛隊と豪州軍が互いの国で共同訓練などを実施する際の手続きなどを定める「円滑化協定」の署名という大きな意義があった。外交で成果を出したい総理にとって、豪州外遊で「実」をとるべきかどうか・・・。

>「やっぱり行くのはやめよう!リスクが大きすぎる」

>秘書官らと考え込むことおよそ10分、総理自らが下した結論だった。
翌日5日、都内ホテルでの講演を終え、車に乗り込んだ総理は秘書官から国内の感染状況の報告を受けた。沖縄の感染者数は623人、前日の4倍近くにまで跳ね上がり、東京も390人と前日の倍以上に膨れあがっていた。これを聞いた総理は車の中でこう呟いた。

>「オーストラリアに行かなくて本当によかったな・・・」

>■ボトムアップに力点、変わりゆく「霞が関」と「党本部」との関係

>どの政権も世間の反応を気にするのは当然のこと。国政選挙が近いとなるとなおさらだ。しかし、世論あるいは野党の反応を見て、即座に政策を変更する「変わり身の早さ」は岸田政権の大きな特徴と言える。

>1月11日、総理は在職100日を迎える。私はこの内閣をわずか100日間みてきただけだが、直近の菅内閣、あるいは安倍内閣と色合いが随分違うことを感じている。むしろ、両政権を反面教師にしているのでは?と思うこともしばしばだ。
岸田総理は、安倍、菅政権時代に行きすぎた官邸主導を是正すべく、この100日間はトップダウンよりもボトムアップに力点を置いてきたように思う。これによって官邸と「霞が関(=省庁)との関係」、「党本部との関係」が随分変容してきた。

>■総理に全くこだわりがなかった・・・5万円分クーポン“あっさり撤回”の裏側

>世論の反応をみてすぐに政策転換した典型例が先の臨時国会で焦点のひとつだった「18歳以下への10万円相当の給付」だ。5万円分をクーポンにするという施策は、時間がかかる上に事務経費が970億円もかかるなど自治体などから不評を買った。
岸田総理が初めて挑む臨時国会では、野党にとってこれが格好の攻撃材料となるはずだったが、総理はその機先を制するかのように、いとも簡単に「10万円現金一括給付も選択肢」に方針転換した。
このときの状況を、政府関係者のひとりは、

>「総理はクーポンに全くこだわっていなかった。クーポンは財務省が言っているだけで、総理自身に思い入れがないから簡単に撤回できた」

>と話した。「批判を受けそうなら、一度決めた方針でも撤回する」という、この10万円給付を巡る方針転換は党内でも評判はまずまず良かったかと思う。
しかし、こうした方針転換は幾度となく繰り返された。

>■「対応を間違えると大変なことになるぞ・・・」繰り返される朝令暮改

>「10万円相当の給付」をめぐる方針転換から遡ることおよそ2週間。
昨年11月末、水際対策で国土交通省が行った“独断”は、官邸と霞が関の関係の「変化」がわかる象徴的な出来事だった。日本に到着する国際線の新規予約を一律で停止し、“海外の日本人が帰国できなくなる”と混乱が生じた。

>「そんな話聞いてない、なんで報告がないんだ?」

>岸田総理も官邸幹部らも国交省からの報告は受けておらず、急いで総理は方針撤回を指示した。その3日後、斉藤国交大臣は役所の独断だったこと、官邸へは事後報告だったことを認め謝罪したが、そのわずか1か月後、今度は文科省でも同じことが起こった。
オミクロン株の濃厚接触者は会場での受験は認めず追試などで対応すると文科省はいったん決めた。ところが受験生の中で予想以上の反発が起こった。またもや総理は文科省からこの方針を事前に聞かされてなかった。

>「これは対応を間違えると大変なことになるぞ」

>岸田総理は周囲にこう漏らし、別室受験を可能にするなど末松文科大臣に指示することになった。

>■「役所に力が戻ってきた感じがする」省庁幹部の実感

>一度決めた方針の撤回は、世論に配慮した“柔軟な対応”とも取れるが、政府内の調整機能が十分果たされていない証拠でもある。国交省も文科省も官邸に事前に伝えておらず、独断で行っていたようだ。官邸幹部の一人は、立て続けに起こった今回の事例に対し、「岸田内閣になって省庁側からの提案で物事を進めていく雰囲気になった。もう少し省庁との連携や目配せが必要だった」と反省を口にする。
一方で、ある省庁の幹部は、「安倍、菅時代の官邸一強と比べれば今は相対的に官邸の力が落ちている。我々からすれば役所に力が戻ってきたという感じだ」と話した。

>■「状況の変化があれば躊躇なく対応する」開き直る総理に国民の支持は・・・

>今回の事例を契機に岸田総理は至る所でこういう台詞を頻繁に使うようになった。

>「一度決まった政府の方針であったとしても、状況の変化があれば、前例にとらわれず躊躇することなく、柔軟に対応する。これが私の基本的な方針だ」

>繰り返される朝令暮改も「国民のために何が最善か考えた結果」だと胸を張る。開き直りともとれるが、こういえばなんとなく耳障りがいいのか、今のところ総理の方針はある程度評価されている。JNNが1月8日、9日に行った最新の世論調査でも岸田内閣の支持率は66.7%と政権発足後3か月連続で上昇している。
ただ度重なる方針転換によって振り回されるのは自治体であり、私たちであることは忘れてはならない。

>■「政高党高があるべき姿」党に“気を遣わなければいけない”事情とは

>霞が関(省庁)だけではなく、党との関係も岸田内閣になって変わってきた。安倍、菅政権では、意志決定において官邸主導の傾向が強く、党の力が相対的に低い「政高党低」だといわれた。

>「政府と党は車の両輪だ。『政高党高』があるべき姿だ」

>自身が出馬した昨年9月の総裁選を通じて、岸田総理は「政府と党は両方とも活力を持たなければならない。どちらが上の方がよいという話ではない」と主張してきた。総理に就任してから、弱体化した党の力を是正し、政策の「ボトムアップ型」を試みているように思う。人事でも副総裁に重鎮・麻生太郎氏を起用したことや、総理が就任後も頻繁に党本部に足を運ぶ姿からも感じ取れる。安倍・菅時代ではあまり見られなかった光景であり、総理が麻生副総理や茂木幹事長ら党幹部との意思疎通を重要視していることがわかる。

>一方で、総理には彼らに気を遣わなければいけない事情もある。
総理が所属する岸田派(宏池会)は43人で党内第5派閥。つまり総理は決して党内基盤が盤石ではない。党内最大派閥・安倍派(94人)を率いる安倍元総理、第2派閥・麻生派(53人)を率いる麻生副総裁らの顔色を見ながら、政権運営をせざるを得ない。今後支持率が低下すればいつでも“岸田下ろし”が起き得る環境にある。岸田総理はできるだけ党内に敵を作らず、少しでも多くの“味方”を作っておきたいという事情がある。
そんな中、憶測を呼びそうな会合があった。

>■くすぶる“大宏池会”構想・・・第5派閥の悲哀

>1月5日夜、東京・帝国ホテルにある鉄板焼が有名なレストラン。岸田総理は、麻生副総裁、遠藤選対委員長と会食した。麻生氏が率いる麻生派(志公会)と、遠藤氏が所属する谷垣グループ(有隣会)はもともと、総理が率いる岸田派(宏池会)の流れをくむ。これらの勢力が再結集するのではないかという“大宏池会”構想がくすぶり続けている。
遠藤氏が麻生氏にこの夕食会を呼びかけた時、麻生氏は

>「この3人が飯食えば“大宏池会”って言われるんじゃないか」

>と応じ、「この3派が集まれば安倍派を越えて最大派閥になる」と盛り上がったという。この会食でこの話が再度持ち上がったかどうかはわからない。しかし、総理は2年前の岸田派のパーティーで「宏池会の大きな塊を実現するために私自身汗をかいていきたい」と発言し物議を醸したことがあった。このときのことをこう振り返っている。

>「現実の政治において自分1人ではできない。より多くの賛同してくれる政治の塊が必要である。そういった1つの例として宏池会のつながりということをあげた」

>現在は麻生氏も遠藤氏も派閥の合流には消極的で、この構想は下火だ。
ただ岸田内閣の最初の人事をみると、鈴木財務大臣(麻生派)、中谷総理補佐官(谷垣G)、麻生副総理(麻生派)、遠藤選対委員長(谷垣G)と重要閣僚や党幹部に宏池会系の議員を据え、「これは大宏池会人事ではないか」とささやかれた。総理は派閥の合流にこだわっていないのかもしれないが、第5派閥の領袖として、同じ考えを共有する大きな塊が必要との認識は変わっていないはずだ。

>■“ハネムーン期間”がおわり・・・見据える長期政権の可能性は?

>1月11日で岸田政権が発足して100日を迎え、いわゆる“ハネムーン期間”が終わる。最初の100日間は有権者もメディアも批判を抑える傾向があるからこう呼ばれる。これからはいよいよ真価が問われることになる。
去年12月、岸田総理にとって初めての臨時国会はわずか16日間だった。1月17日からはじまる150日間の通常国会ではこれまで以上に激しい与野党の本格論戦が予想される。そしてそれが終われば参議院選挙が待ち構える。

>「安定政権があってこそ、難しい課題、重要な課題に結果を残すことができる。なんとしても参院選挙は勝たなければならない」

>年が明け、岸田総理からはこの夏の参院選を意識した発言が目立つようになってきた。しかし今回の参院選の勝利は容易ではない。
政権にとって最大の不安定要素はオミクロン株の急速な拡大だ。9日からは岸田内閣で初めてとなる「まん延防止等重点措置」が実施され、これからは本格的にコロナの“第6波”と対峙することになる。対策次第で支持率は一気に下がる可能性もはらんでいる。

>参議院選挙はこの政権にコロナ対策や経済対策を託していいのかどうか、岸田総理としての“実績”が評価されることになる。この選挙に勝利し、長期政権も視野にいれるのか、まだその見通しは明るくない。

>TBSテレビ報道局政治部 官邸キャップ
>室井 祐作(10日13:30)

<参考=「「アベ・スガを反面教師に・・・」岸田内閣発足から100日で見えてきたこと」(TBS NEWS))>
<消滅・22/02/10>


NO.320 <皇位継承問題>愛子さま/秋篠宮家/旧宮家<起稿 閻魔大王>(22/01/12)


【閻魔大王】 2022/01/12 (Wed) 19:14

<参考=NO.318 林真理子著『李王家の縁談』

<参考=NO.317 続3<失礼乍ら>愛子さまと、秋篠宮家の方とでは、違う。/両陛下をお助けしたい。

<参考=NO.315 <皇位継承問題>有識者会議が最終報告書をまとめる。


何度でも、申すの、皇位継承順位は、決まってるです。愛子さまは、問題外。

それを、覆すに、愛子天皇ねえ。無責任に過ぎるの議論也と。
されどの、皇室と、繋がるの、男系男子と、愛子さまが結婚とも、なればの、さての、どするやと。

の、以前の、当記事なるは、秋篠宮家の誤算<?>を記載されてるです。

そもそも、殿下曰くの、弁護されるに、眞子たんが、公優先<?>故、数年待って、結婚に至った<!>

では、
その公とは、何ぞやと。彼女の公務なるは、殆どありませんです。
精々が、数箇月に1度。
結果、圭君とは、毎日連絡取りの、あやこやと。圭君命で、暇で、暇で、金だけあって。
考えるの事、一刻も早くに、圭君と、結婚したい。こんな窮屈で、一方的に、言われ放題の、日本から、脱出したいと。

皇室の、内親王であるの、誇りなんか、微塵も感じられず。
てな、教育であったです。生家では。

>令和の皇室に襲い掛かった「小室問題」。その“起源”ともいうべき「開かれた皇室」の広がりを体現するかのような家風で知られた秋篠宮家は、戦後最大ともいえる皇室危機の“当事者”となってしまわれた。背景には何があったのか。

>昨秋の渡米から間もなく2カ月。小室夫妻はニューヨークの地に根を下ろし、新生活を満喫している様子である。小室さんは来月に「正念場の再受験」を控えるものの、報じられる現地での表情には悲壮感など皆無。眞子さんともども、見て取れるのはもっぱら解放感といった趣である。

>渡米の前、10月下旬の入籍日に行われた結婚会見では、眞子さんの体調を考慮して質疑応答は急遽中止、夫婦が一方的に思いの丈を述べる場と化してしまった。特筆すべきは、その数時間前まで皇族のお立場にあった眞子さんが、あたかも国民を敵と味方とに分断するかのような物言いを繰り返していた点である。


>皇室制度史に詳しい所功・京都産業大学名誉教授は、

>「一般の人々は、ふだん自分や身近なことにしか思いが至りません。しかし、天皇の視線の先には、つねに国民全員、国家全体があります。それを知る多くの国民が、皇室を敬愛しているのだと思われます」

>そう前置きしながら、

>「昭和天皇の侍従が、東京を襲った台風について“台風は過ぎ去ったようでご安心ください”と申し上げたところ、天皇は“その台風はどこへ行ったのか”と問い返されたそうです。たとえ東京から去っても、国内の別の場所にある限り安心できないと仰ったわけです。長年お仕えしてきたこの侍従も、陛下はいつも国民すべてに心を寄せておられることを、あらためて思い知らされたと語っています」

>一方の国民もまた、

>「多くの人々には“陛下や皇族方は国民全員、国家全体を気にかけて下さっている”という信頼感があるのだと思います。ところが眞子さんは、会見などで一部の人々から『誹謗中傷』を受けたと、これまでにない強い言葉を使いました。世の中にはいろいろな意見を持った人がおり、皇室はそうした国民全体をご覧になり包み込んでこられたのです。しかし眞子さんは“結婚を支持してくれる人はよいが、非難する人は困る”というメッセージとも受け止められかねない発言をしてしまった。それが国民の分断に繋がりはしないかと心配しています」(同)


>自由な家風を黙認してきた国民も…

>会見の日、秋篠宮さまは「類例を見ない結婚」「誠に申し訳ない気持ちでおります」など、慶事にあって異例の談話を発表されたのだが、所氏は続けて、

>「とても辛いお気持ちだろうと拝察いたします。秋篠宮さまには、これまで“自分たちは内廷皇族ではないから、ある程度自由にしてよい”というお考えがあり、子育ても本人任せにしてこられたのかもしれません」

>そう指摘するのだ。

>「ところが、お父上の退位により兄君が即位されると、男子のない兄君の後にご自分が皇位を継承しなければならないことになられました。これまで秋篠宮家の自由な家風を黙認してきた国民も“これでいいのか”という疑問を抱くようになったのではないでしょうか。皇室は、国民の“お手本であってほしい”という期待に応え、信頼され尊敬されてきました。その皇族で次の天皇となる皇嗣の長女が、公的に品位保持を放棄して“私”を優先させるような形の結婚をした。そのあり方に、国民が失望してしまったのだと思われます」(同)


>秋篠宮さまの行動原理
>今回の騒動でクローズアップされたことの一つに、皇族のお振る舞いにおける「公」と「私」がある。多くの国民の理解を得ないまま結婚に踏み切り、戦後初めて婚姻の儀式を経ずに皇籍を離脱することとなった眞子さんは、あわせて一時金も辞退。まさしく皇室の歴史を塗り替えてしまったわけである。加えて、小室家の抱える金銭トラブルにおいては、皇族でありながら民間人同士の争いに介入、挙げ句一方に肩入れして仔細な指示を出していたのである。

>にわかに信じ難いこれらの振る舞いは、いかなる“行動原理”に基づくのか。

>「ひとくちに皇室といっても、お一人ごとに個性やお考えの違いはあるものです」

>とは、慶應義塾大学の笠原英彦教授(日本政治史)。

>「なかでも秋篠宮さまは“皇室ももっと自由であるべき”“国民にもっと近づくべき”とお考えになっていたのではないでしょうか。こうしたお考えをもとに、お子様方の教育でも学習院にこだわらない学校選びをされたのだと思います」(同)

>秋篠宮さまもまた、在学中に知り合われた紀子妃とは自由恋愛を成就されてご成婚。昭和天皇の喪が明ける前に婚約発表をなさるなど、従来のしきたりに囚われないお振る舞いが目立った。


>皇室の“神秘性”
>「よく言えば“自由度が高い”ということですが……」

>さる皇室ジャーナリストは、そう言いながらも、

>「ご自身がそうであったように、大学で将来の伴侶に出会うこともあります。となると学習院に進んだ方が、皇室への理解も深く、お立場をよく理解しているお相手に出会える可能性が高まるのは言うまでもない。ところが眞子さんと佳子さまはICUに進まれ、悠仁さまも現在まで学習院とは無縁。これは先々、皇室のあり方に関わってくる問題となるかもしれません」

>果たして眞子さんは、皇室という伝統への理解を欠く「王子」に共鳴し、異国へと発ってしまったのである。先の笠原教授が言う。

>「国民と共にあろうとするお考え自体は悪くありません。特に秋篠宮さまは女のお子様方が、将来皇室を離れても大きな落差を感じずに暮らしていけるようにと、一般の感覚や自由を尊ばれたのだと思います。ただ、どうしても国民との違いがはっきりしなくなってしまい、やや近づきすぎてしまった面は否めません。いかに国民との距離が近くなっても、やはり皇室には宮中祭祀などに起因する“神秘性”があります。よい意味で畏れ多く、近寄りがたい存在。超えることのできない一線が存在するという感覚は、非常に大切だと思うのです」


>皇族の結婚は私的なものか
>昨秋、お誕生日に際しての会見で秋篠宮さまは、眞子さんについて、

>〈皇族でいる間、常に公的なものを優先してきている〉

>そう述べられていた。が、皇室制度に詳しい小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授は、あらためて言うのだ。

>「秋篠宮さまご自身に“これからの皇族はもっと自由でいい”といったお考えがあるのでしょう。天皇家の次男ということで、ご自身がお若い頃から比較的自由に過ごされ、お子様方にも“自主性を重んじる”との名目で、学習院にこだわらない教育を施してこられました。ところが女性宮家の話などが浮上し、自由でなくなる可能性が生じたことで、皇室から出たいと願う気持ちを眞子さんが強く持ったとしても不思議ではありません」

>“公より私”を選んだとして眞子さんが批判されたのも、

>「自由恋愛そのものより、コロナ禍のなか強引に結婚を進めようとしたことが、国民の理解を得られなかった原因だと思います。そもそも皇族方のご結婚とは、一連の儀式や品位保持のための一時金など公的な要素を含んでおり、全く私的なものとは言い切れません」

>とのことで、

>「一時金は“民間人となった後も皇室に連なる一員としての自覚をもって過ごして下さい”という趣旨で支給されるもの。これを受け取らないのは眞子さんのご判断ですが、だからといって品位保持に努めなくてよいということにはなりません。皇室から離れたとはいえ、元皇族としての品位を保つ責務は生涯負わねばならず、完全なる私人にはなり得ないのです」


>小室さんの“道徳的資質”
>“自主性”を重んじる家風と、皇室に受け継がれる「無私の精神」との齟齬は、3年前にも見受けられた。2019年3月、ICU卒業にあたり眞子さんの結婚について佳子さまが“結婚においては当人の気持ちが重要”“姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい”と文書回答なさり、物議を醸したのは記憶に新しい。海外の王室に詳しい関東学院大学の君塚直隆教授が言う。

>「他国の王室に比べ、皇室の公務が少ないことも問題だと思います。例えば、イギリスの王族がトップを務めるなどして携わっている団体は約3千あるのに対し、日本は約80団体にとどまります。イギリスの王族は一人で数百団体を受け持ちながら、名誉職ではなく団体のトップとしての実務をこなしているのです」


>一方、皇室においては、

>「結婚前の眞子さんは『日本テニス協会』『日本工芸会』の総裁職を務めていましたが、やはり少ないと言わざるを得ません。“公”という感覚は、教育と経験によって培われるもので、自由な時間が多く、ご公務の機会も少なかった眞子さんにその意識が十分に育ったとは思えません。結婚して出ていくから皇族ではない、との理屈で済まされるものではなく、おのずと元皇族としての振る舞いが求められて然るべきです。秋篠宮家の中で、こうした“公”としての意識を養う教育がなされてこなかったからこそ、大多数の国民による反対の声も聞き入れず、眞子さんは小室さんとの結婚を進められたのだと思います」

>国民と誠実に向き合い、疑惑に対して真摯に説明しようとしなかった小室さんには“道徳的資質”が欠けており、これが批判の声を強めたと君塚教授は指摘するのだが、秋篠宮家の事情を知る関係者が明かすには、

>「17年5月に小室さんの存在が報じられる前から、秋篠宮殿下は『眞子が選んだ人だから』と、諸手を挙げて交際に賛成なさっていました。小室さんの経済力を危惧する声が上がっても、殿下は『パラリーガルでも構わない。二人で収入に見合った暮らしをしていけばいい』と仰り、まったく意に介されなかったのです。その年のお誕生日会見でも『非常に真面目な人だというのが第一印象』と述べておられたくらいですから、現在のお気持ちは察するに余りあります」

>秋篠宮さまご自身も、ご結婚に際してはイレギュラーな形でご意思を貫かれた経緯があり、あるいは眞子さんの姿にご自身の過去を投影される場面もあったのかもしれない。が、その結果、皇室の歴史にとって決して喜ばしくない記録を残してしまった点は否めない。


>教育方針が裏目に
>この関係者が続けて、

>「殿下には“兄(陛下)よりも自分の方が世知に長けている”といった思いがおありだと見受けられます。04年5月、皇太子時代の陛下がいわゆる“人格否定発言”をなさったのを受け、殿下はお誕生日会見で『会見の前にせめて陛下と話をするべきだった』『残念に思う』と批判なさり、“平成の壬申の乱”などと騒がれる事態となりました」

>さらに18年秋のお誕生日会見で秋篠宮さまは、

>「大嘗祭が公費で催されることに疑義を呈し、『身の丈にあった儀式にすれば』と、あたかも兄宮の儀式に水を差すかのような仰り方をされ、あわせて『宮内庁長官に言ったが聞く耳を持たなかった』と、異例の苦言も呈された。これらはいずれも“国民の思いに通じている自分が代弁した”という殿下ならではのお考えによるものでした。が、平成の大嘗祭におよそ22億5千万円の公費が支出されたのに対し、ご自身の宮邸の増改築費には約33億円が捻出されるなど、ご発言の“整合性”を問う声が上がったのも、また事実です」

>ともあれ、宮家のご当主が天皇にならんとする兄君を軽んじるかのような言動をなされば、それを見て育つお子様方にも影響が出るのは道理である。18年10月に結婚した高円宮家の三女・守谷絢子さんは、

>〈皇族の一員に生まれるということは、天皇、皇后両陛下をお支えすることだと教わりながら育ちました〉

>と述べていた。この至言が眞子さんに響かなかったのだとすれば、その教育に遠因がありはしまいか。

>「お子様方を学習院以外の学校に進ませなさったのも、皇室の伝統に対する“反発”だと拝察いたします。定められたレールではなく独自の道を好んで歩まれる殿下のご方針は、ご一家の家風にも反映されたわけですが、今回はその“一味違った教育”が、完全に裏目に出てしまいました」(同)


>小室問題はいわば、秋篠宮家の教育の「集大成」ともいえよう。

>再び起きる可能性も
>そんな令和皇室の行方について『天皇はなぜ生き残ったか』などの著書がある東京大学史料編纂所の本郷和人教授(日本中世史)は、

>「今回の問題が起こるまで、“開かれた皇室”や皇室の民主化は至極当然のことだと思っていました。ところが今回の一件を受けて、それが当たり前のことではないのだと思わされました」

>と、驚きを隠さない。

>「結婚は一生のことですから、一般家庭でも自分の将来を考え、ある程度の制約を設けて相手を選びます。ところが皇族方は本来、少なくとも生活の危機を考える必要がないため、自ら制約を課さなければ、どなたでもお相手としてOKとなってしまいます。そのように考えると、これまで皇室の方々が実践されてきた“制約がない中での慎ましい生活”とは、実に奇跡的だったともいえます」

>本郷教授によれば「皇室と国民」の歴史は意外にも浅いのだといい、

>「江戸後期になるまで、ほとんどの庶民は『天皇』という存在すら知りませんでした。それ以降、本居宣長らをはじめ国学が興ったことで、古事記などを読んだ人々が天皇を再発見したのです。“日本人とは何なのか”というアイデンティティ確立の過程で、庶民の側から天皇を“見つけた”わけです」

>そして、その決して長くない国民との歴史の中で、

>「上皇ご夫妻は積極的に国民と交流する場を持たれ、皇室の威厳や特別感はそのままに、親しみやすい皇室を作ってこられました。こうした皇室のあり方を保つためには、今後、何かしらの対策を講じる必要があるのではないでしょうか。さもなければ、同じような問題が再び起きてしまう可能性があります」

>覆水盆に返らずとはいえ、こうした“類例を見ない”騒動を繰り返さないためには何をすべきか。

>「週刊新潮」2022年1月13日号 掲載 新潮社

<参考=「「開かれた皇室」は間違いだったのか “私”重視を生んだ自由教育と失われた神秘性を検証」(デイリー新潮)>


【閻魔大王】 2022/01/12 (Wed) 21:17

副題=「愛子天皇」待望論と20代以下の「男系男子」のいる「4つの旧宮家」復帰シナリオの実現度(デイリー新潮)

「離脱された方々と現在の皇室との繋がりとなると、実に600年ほど遡らねばなりません。そもそも、臣籍降下した後は一般社会に身を置き、皆さん世俗にまみれて暮らしているわけです。その後の暮らしをみると、たとえば昭和の時点ですでに、消費者金融や風俗店経営に携わっているような末裔もいました。国民感情としては、70年の時を経ていきなり“血が繋がっているので復帰します”と言われても受け入れがたいのではないでしょうか」

ここで、
奇妙なるの話が出てるです。
600年遡るが故、違和感<?>
70年の時を経て、いきなり<?>

たったの、70年で、そんな事、言われるですか。
600年であろが、千年であろが、明確に、繋がってるなら、繋がってると、言えるです。

但し、誰しもの、ドンドンと、遡れば、その内には、歴史上の人物と、親戚筋になったり、下手したら、皇室と、繋がったり、するの可能性なら、あるです。

但しの、男系男子と、なればの、寸断されるです。


>女性天皇への賛成はおおむね80%程度

>「愛子天皇」という4文字がメディアをにぎわせるようになってしばらく経つ。この動きは、いわゆる「小室問題」をめぐって秋篠宮家への風当たりが強まっていることとの関係が指摘されてきた。その一方で、女系天皇に反対する勢力は、20代以下の「男系男子」のいる「4つの旧宮家」復帰シナリオに期待しているという。(週刊新潮2019年10月3日号掲載の記事などに加筆・修正しました。肩書や年齢などは当時のママです)。

>実はここ20年ほど、世論調査を行うと、女性天皇への賛成はおおむね80%程度で高止まりしてきた。

>「『男女同権』意識の浸透に加え、現在の皇族において、年若の男性は悠仁さまただ一人。その先に男性皇族が誕生する保証はありません。現行の『皇位継承者は男系男子に限る』という制度を維持する限り、皇室の存続は危うくなるのではないかという考え方が幅広く浸透してきたゆえのことと思われます」(皇室問題に詳しいジャーナリスト)

>近代的な概念とは必ずしも相容れない皇室制度を「男女平等」という思想で切ることの是非はともかく、こうした世論の傾向はさらに強まりそうだと言うのは、さる宮内庁関係者だ。


>秋篠宮家への国民の風当たり
>「秋篠宮家への国民の風当たりが依然として強いのです。いわゆる『小室問題』について、“公”より“私”を優先させるかのような眞子さんの振舞いと、それを後押しされる佳子さま。これに対して、父である秋篠宮殿下はなすすべがない、といった状況が続いてきました」


>他方の新天皇家は、
>「長年の懸案だった皇后陛下のご体調が回復基調にあることに加え、愛子さまも『成年デビュー』され、立派に成長された姿をお披露目されたばかりです」(同)

>こうした両家の現状への国民のまなざしが、皇室制度を巡る議論に影響を与えかねないと見るのである。

>一方、安定的な皇位継承のあり方などを議論してきた政府の有識者会議は昨年12月に最終的な報告書をまとめた。皇族数を確保する方策として、「女性皇族が結婚後も皇室に残る案」と「旧皇族の男系男子を養子に迎える案」が盛り込まれた。


>社会部デスクによると、

>「報告書に真新しい観点はなく、現在の皇室典範に定められている『皇統に属する男系男子が皇位を継承する』との部分には手をつけないというのも既定路線でした。表向き“愛子さまか悠仁さまかという風に、お世継ぎ候補で世論が二分されてはいけないから”という考えでいるわけですが、事実上、80%が賛成している『愛子天皇』の可能性を封じ込めた格好です」


>安倍元首相の論文
>とはいえ、繰り返しになるが、皇位の安定的継承は喫緊の課題。そこで旧皇族の復帰プランが意味をもってくるのだ。

>1947年、GHQの意向もあって11宮家51人が皇籍を離脱した。すなわち伏見、閑院、久邇、山階、北白川、梨本、賀陽、東伏見、朝香、竹田、東久邇の各宮家である。

>すでに断絶の憂き目に遭った家もあるが、2700年にわたり連綿と受け継がれてきた皇統の「Y染色体」を有する未婚男子は、複数の家庭に存在する、というのが旧皇族復帰プランを唱える側の共通認識である。安倍晋三元首相はかつて野党時代にはこんな論文を寄せていた。以下、『文藝春秋』2012年2月号より抜粋する。

>〈敗戦という非常事態で皇籍を離脱せざるを得なかった旧宮家の中から、希望する方々の皇籍復帰を検討してみてはどうだろうか〉

>〈三笠宮家や高円宮家に、旧宮家から男系男子の養子を受け入れ、宮家を継承していく方法もある。現行の皇室典範では、皇族は養子をとることができないことになっているが、その条文だけを特別措置によって停止させればよい〉

>さらには、

>〈敗戦後長きにわたって民間人として過ごされた方々が急に皇族となり、男系男子として皇位継承者となることに違和感を持つ方もおられよう。そうした声が強ければ、皇籍に復帰された初代に関しては皇位継承権を持たず、その次のお子さまの代から継承権が発生するという方法も考えられよう〉

>血が繋がっているので復帰します
>が、そこは疑問の声も上がるわけで、先の宮内庁関係者によれば、

>「離脱された方々と現在の皇室との繋がりとなると、実に600年ほど遡らねばなりません。そもそも、臣籍降下した後は一般社会に身を置き、皆さん世俗にまみれて暮らしているわけです。その後の暮らしをみると、たとえば昭和の時点ですでに、消費者金融や風俗店経営に携わっているような末裔もいました。国民感情としては、70年の時を経ていきなり“血が繋がっているので復帰します”と言われても受け入れがたいのではないでしょうか」

>かつては“事件”も起きていた。12年前に84歳で亡くなった旧梨本宮家の梨本徳彦氏のケースである。

>「徳彦氏はもともと久邇宮の血筋で、1943年に臣籍降下した伯爵家の当主でした。66年には梨本家に養子に入り、旧宮家を継ぐことになったのですが、他人を疑わずすぐに信用してしまう性格が災いし、トラブルを招くことになりました」

>とは、さる皇室ジャーナリストである。

>「自身が名誉総裁に就任していた団体が、元皇族という肩書を利用して寄付集めをし、詐欺の疑いをかけられたのです。徳彦氏も警察の事情聴取を受けるはめになりました。その後、出羽三山の一つ・羽黒山の山伏だった男性が、皇室とは無関係にもかかわらず家に入り込んだ。徳彦氏は彼と養子縁組し、梨本家を継がせてしまったのです」

>結果、旧梨本宮家は断絶。が、こうした宮家ばかりでないのは言うまでもない。


>にわかに脚光を浴びる東久邇家の存在
>「現在、旧宮家の男系の血を引く子孫には、少なくとも10人の独身男子がいるとされます。内訳は、久邇家と竹田家に一人ずつ、賀陽家に二人、そして東久邇家の系統に6人というものです」(先の宮内庁関係者)

>なかでも東久邇家の存在が、にわかに脚光を浴びているという。それは何故か。

>久邇宮家から分かれ、1906年に創設された東久邇宮家の初代当主は、終戦直後の“宮さま宰相”として知られた稔彦(なるひこ)王。夫人は明治天皇の9女にあたり、その長男・盛厚(もりひろ)氏も、昭和天皇の長女・成子(しげこ)さんとの間に3人の男子をもうけた。

>「長男は昭和天皇の初孫で、上皇さまの甥にあたる信彦さん。慶大を出て三井銀行に勤務し、日本タイ協会常務理事などを務めた人で、今年3月20日に74歳で亡くなりました。その10日ほど前、家族から連絡を受け、上皇さまは美智子さまとご一緒に都内の信彦さん宅をお見舞いに訪ねられています。上皇さまがご成婚された頃、信彦さんはまだ中学生でしたが、当時から親しいお付き合いを続けていて、お見舞いを大変喜んでいました」(旧宮家関係者)

>血筋のみならず、現在の皇室と極めて近しい間柄である事実が窺えるエピソードだが、命日となった3月20日、国会でも同家の話題が取り上げられていた。


>男子が随分いらっしゃるがご存じか
>「参院の財政金融委員会で、国民民主党の大塚耕平議員が“東久邇宮さまの系譜に男子が随分いらっしゃるがご存じか”“血統的には天皇家に近いのか”などと出席した宮内庁幹部に質問したのです。答弁に立った安倍首相は、あらためて“男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重みを踏まえ、(法的な工夫を)慎重に検討していきたい”と述べていました」(前出デスク)

>亡くなった当主の信彦氏には、大手生命保険会社に勤務する長男・征彦(まさひこ)氏(46)がおり、その家庭には男の子が2人いるという。

>また信彦氏の弟の秀彦氏(70)は、親戚筋にあたる旧伯爵の壬生(みぶ)家に養子入りし、壬生基博と改名した。慶大を卒業後、日本航空に勤務。第一ホテル副社長などを経て、現在は皇室とも縁が深く、サーヤこと黒田清子さんが勤務していたことでも知られる山階鳥類研究所の理事長の任にある。

>“世俗まみれ”との論難を超越するやんごとなき職位にあるわけで、この基博氏の長男と次男の家庭にも、それぞれ10歳前後の男児がいる。

>さらに信彦氏の下の弟である眞彦(なおひこ)氏(66)は玉川大農学部を卒業後、伊藤ハムに入社。長男は住宅建材商社に勤め、やはり高校生の男の子が。さらにもう1人、眞彦氏の孫には男児がいるという。


>GHQがなくした仕組み
>国士舘大学の百地章・特任教授が言う。

>「旧宮家の復帰に否定的な『女性・女系天皇』容認派はこれまで、天皇の直系、または血縁が近いことを重視する傾向がありました。この点、東久邇家は男系の継承者であるのはもちろん、女系においても今上天皇と血縁関係が濃いわけですから、おそらく抵抗感も薄まるのではと思います」

>さらには、こう指摘する。

>「かつて皇室には『世襲親王家』が四家あり、天皇家に男系の血筋が途絶えた際、その家から天皇を出してきました。まさしく“血のリレー”で、戦後はGHQの意向によって失われてしまったこの仕組みを、再び作るべきです。新たに復帰させる皇族を秋篠宮殿下の次の世代、悠仁親王をお支えする20代以下の男子に絞れば、国民の理解も得やすいのではないでしょうか」

>その手順として、前述の安倍元首相の論文にもある“養子”を挙げるのだが、

>「現代に強制結婚などあり得ませんから、内親王や女王と一緒になるという意味では決してありません。まずは宮家に養子入りし、独立する時にはその宮家を継ぐ、あるいは新たな宮号を戴くなどの方法があるでしょう。皇室典範で養子が禁じられているのは、一つは皇族が増えすぎて皇族費が枯渇する恐れがあったから。今は減少が危ぶまれているのだから、禁止は不要だと思います。実際に、旧宮家の若い男性の中には『いざとなれば……』と、決意を固めている人もいます」

>一方で百地特任教授は、「女性天皇」待望論に対して、「ムードに流されて、皇室制度の本質を見誤るなど言語道断」と警鐘を鳴らし、こう続ける。

>「“愛子さまを天皇に”という議論は、必ず“その次の天皇は愛子さまのお子さまに”という議論に繋がります。すると次の次の御代には、『女系天皇』が誕生することになる。2000年以上の伝統を持ち、126代に亘って継承されてきたわが国の『男系天皇』の歴史を閉ざしてしまうことになるのです。女性天皇に賛成という人のうちどれくらいが、こうした歴史や理論を理解して答えているのか。はなはだ疑問に思います」

>デイリー新潮編集部 新潮社

<参考=「「愛子天皇」待望論と20代以下の「男系男子」のいる「4つの旧宮家」復帰シナリオの実現度」(デイリー新潮)>


<参考=NO.321 続<皇位継承問題>愛子さま/秋篠宮家/旧宮家