閻魔大王<NO.119>

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表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
閻魔大王NO.120
315 <皇位継承問題>有識者会議が最終報告書をまとめる。 閻魔大王 21/12/22
314 <徳川家>徳川慶喜の孫のみた「戦後の日本」と「家の重み」 閻魔大王 21/12/22
313 <世界の食料>中国が買い占め<?>で、食料危機<?> 閻魔大王 21/12/19
閻魔大王NO.118

NO.313 <世界の食料>中国が買い占め<?>で、食料危機<?><起稿 閻魔大王>(21/12/19)


【閻魔大王】 2021/12/19 (Sun) 18:24

この事、人口の多い中国が、世界の食料を独占し、喰い潰す。
的なるは、ン十年以前より、言われてたです。
但し、人口の多い国は、中国だけでは無いです。

問題は、自国で、食料調達賄えるか<?>
日本は出来てませんです。
自給率を上げねばと、口では言うてるですが、施策は真逆を延々と、続けてるです。何がため<?>
日本政府は、日本人を餓死させるがため<?>


での、記事に入る前に、

<表1>
人口の多い国11傑。<外務省>
<注=日本が11番目故、11傑>



<図2>
昭和40年以降の食料自給率の推移<農林水産省>


【閻魔大王】 2021/12/19 (Sun) 19:24

副題=その昔より、何でもありの、中国<!>

さての、中国は<?>
「中国企業が海外M&A(合併・買収)を通じて輸入を支える。食肉加工大手の万州国際は21年6月、欧州の同業を買収。乳業大手の内蒙古伊利実業集団も19年、ニュージーランド乳業大手を買収した。」

「食品の価格は世界的に高騰している。国連食糧農業機関(FAO)が算出する世界の11月の食料価格指数は1年前より約3割高い。資源・食糧問題研究所の柴田明夫代表は「中国による買い占めが価格高騰の一因だ」と説明する。」

で、日本国は<?>
その昔より、やられ放題。


<写真1>
中国の港に立ち並ぶ巨大な食糧貯蔵庫(20年9月、遼寧省大連市)



<図2>
中国の食料在庫、世界の半分強に



<図3>
世界の食料価格指数も過去最高レベルに近づく



<図4>
中国の食糧生産量は頭打ちで、食品輸入額は急増した



>中国が食糧の買い集めを加速している。米農務省によるとトウモロコシなど主要穀物の世界在庫量の過半が、世界人口の2割に満たない中国に積み上がっている。中国の巨大な食欲が穀物の高騰や貧困国の飢餓拡大の一因になっているとの見方もある。

>東北部の大連市。港には巨大な円筒がずらりと立ち並ぶ。その数およそ310基。国有企業の食糧大手、中糧集団(コフコ・グループ)が持つ中国最大級の食糧貯蔵庫(サイロ)だ。国内外から集めた大豆などをここに備蓄し、鉄道や船で全国に運ぶ。

>「食糧の在庫総量は歴史的な高水準にある」。国家食糧物資備蓄局で食糧備蓄トップを務める秦玉雲氏は11月の記者会見で胸を張った。「小麦の場合、1年半分の消費需要を満たせる。食糧供給は絶対に問題ない」

>米農務省の推計データによると、2022年前半(穀物年度、期末)の世界の在庫量に占める中国の割合はトウモロコシが69%、コメは60%、小麦は51%に達する見通しだ。いずれも過去10年間で20ポイント前後高まった。中国が穀物の買いだめを続けてきたことが鮮明だ。

>中国税関総署によると20年の食品輸入額(飲料除く)は981億ドル(約10兆円)と、10年間で4.6倍に増えた。21年1~9月期もデータを比較できる16年以降で最高だ。5年間で大豆やトウモロコシ、小麦の輸入額が2~12倍に急増した。米国やブラジルなどから積極的に買い付けている。牛肉や豚肉、乳製品、果物類も2~5倍に伸びた。

>中国企業が海外M&A(合併・買収)を通じて輸入を支える。食肉加工大手の万州国際は21年6月、欧州の同業を買収。乳業大手の内蒙古伊利実業集団も19年、ニュージーランド乳業大手を買収した。

>食品の価格は世界的に高騰している。国連食糧農業機関(FAO)が算出する世界の11月の食料価格指数は1年前より約3割高い。資源・食糧問題研究所の柴田明夫代表は「中国による買い占めが価格高騰の一因だ」と説明する。

>中国が穀物などの輸入を増やすのは、国内での生産が追いついていないためだ。経済成長で豚などの飼料用需要が高まり、外国の良質な農産品を求める消費者も増えた。一方、国家統計局によるとコメや小麦などの食糧生産量と農作物の作付面積は15年以降頭打ちだ。中国の農業に詳しい愛知大学の高橋五郎名誉教授は「中国は農地の分散化や土壌の汚染で生産性が低い。都市部への農民の流出もあり、生産量は今後も伸び悩む」と話す。

>習近平(シー・ジンピン)国家主席はかねて「食糧安全は国家の重要事項だ」と強調してきた。全国人民代表大会(全人代、国会に相当)は4月に食べ残しを禁じる法律を可決、共産党と国務院(政府)も10月末に食糧の浪費を減らす具体策を各部門に通知した。全人代は今後、別の「食糧安全保障法案」も審議する。

>50代以上の中国人は大躍進や文化大革命による食糧不足を経験した。「我々の世代は多かれ少なかれ、飢えた記憶がある」。国営新華社によると、習氏はかつてこう述べた。食糧不足は国民の不安に直結する。中国の歴代王朝を倒した反乱は飢餓も一因となった。近年、米国やオーストラリアとの関係悪化で輸入環境が激変するという不安材料もある。在庫量を増やすのは危機感の表れといえる。

>国連によると、世界で飢餓に苦しんだ人は20年に7億人を超え、過去5年で1億人以上増えた。高橋名誉教授は「飢餓は先進国全体の責任だが、中国の責任はより重い。企業による農業参入などで生産量を増やし、食糧偏在の解消に貢献すべきだ」と話す。(大連=渡辺伸、宗像藍子、グラフィックス 貝瀬周平)

<参考=「世界の穀物、中国が買いだめ 過半の在庫手中に チャートは語る」(日本経済新聞)>


NO.314 <徳川家>徳川慶喜の孫のみた「戦後の日本」と「家の重み」<起稿 閻魔大王>(21/12/22)


【閻魔大王】 2021/12/22 (Wed) 14:33

徳川家、豊臣家、織田家。
戦国大名、それぞれに、家の重みがあるです。

中でも、天皇家なるは、延々の、唯一無二。
それを、思う人と、思わぬ人、逃げる人。

無名であり、歴史になんか、関係無くともの、各々の次元で、立場で、「家」の存続があるです。
当世、少子高齢化で、その存続、極めての難しいですが。

よて、有り体に申せば、永代供養が流行るです。


<写真1>
最後の将軍・徳川慶喜 ©文藝春秋



<写真2>
井手純さん ©文藝春秋



>今年決着を見た、小室圭さんと眞子さんの結婚問題。さまざまな報道がなされる中、2人はアメリカで新生活を始めることになった。しかし、「皇室」という特殊な世界から一歩踏み出して始まる、新しい街での生活。大きな「ギャップ」に、眞子さんの苦労を心配する声も上がっている。

>こうした「ギャップ」を、その人生を通して乗り越え続けたのが、徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜の孫・井手久美子さんだ。2018年には人生を振り返る『 徳川おてんば姫 』(東京キララ社)を出版。そこでは、まさに深窓の姫として育った幼少期から、戦後の「街医者の現場」での活躍まで、懸命に生き抜いた彼女の生き様が綴られている。

>彼女の人生から、新天地に挑む人たちは何を学べるのか。同書の編集にも大きく関わり、久美子さんの子で徳川慶喜のひ孫である井手純さんに、話を聞いた。


>「徳川久美子」として生まれた母、最初の結婚相手は…
>――井手純さんは、徳川慶喜のひ孫でいらっしゃいます。お母様の久美子さんは、慶喜家を継いだ慶久の4女。5人きょうだいの末っ子で、次姉は昭和天皇の弟君・高松宮に嫁がれた喜久子妃という家系ですね。

>井手 喜久子妃殿下は慶喜に抱かれた写真が残っていますが、母が生まれた大正11年には慶喜は亡くなっていました。

>母は女子学習院を卒業して、19歳で結婚しました。お相手は、幕末の福井藩主・松平春嶽から数えて5代目に当たる、松平康愛さんです。慶喜家は公爵で、松平家はひとつ下の侯爵です。

>海軍少尉として出征した康愛さんがフィリピンで戦死したため、康愛さんの親友で医師の井手次郎と昭和22年に再婚します。そして昭和25年に、私が生まれたわけです。


>敷地3400坪!大豪邸の世界
>――久美子さんの著書『徳川おてんば姫』(東京キララ社)に、慶喜邸の昭和初期の見取り図が載っています。敷地が3400坪で、建物だけで1300坪。住み込みの使用人が50人。すごいですね。

>井手 「小石川区小日向第六天町」という町名から、お屋敷は「第六天」と呼ばれていました。現在の地名で言うと、文京区春日二丁目です。戦火は免れましたが、戦後に華族制度が廃止されたために莫大な財産税を課せられ、国に物納されました。現在は、国際仏教学大学院大学のキャンパスになっています。

>男性の使用人は「表」、生活の場である「奥」には「老女」や「お次」と呼ばれる女性たちがいて、子どもたちが学校へ通う際の「お付き」もいたそうです。

>祖父の慶久は、母が生まれる半年前に37歳で急死していますから、女所帯でした。これは私の推測ですが、そのあとは渋沢栄一が援助していたのかな……とも思っています。大河ドラマの『青天を衝け』でも描かれた通り、栄一は慶喜の家臣に取り立てられて重用されたので、とても感謝していたようですから。


>――そんな環境で、久美子さんはお姫様として育てられたわけですね。
>井手 ところが本の題名の通りに母はお転婆で、石垣を駆け上ったり庭で木登りなどしては、お次から「大将軍のお孫様が……」と小言を言われていたそうです。

>あるとき、年子の姉の喜佐子と「カルピスがあと少し残っていたから飲もう」と学校から喜んで帰ってきたら、栓が飛んで中にハエが入っていた。飲もうか捨てようか1時間以上悩んだそうですが、「断腸の思いで捨てた」と、80歳や90歳になってからも振り返っていました。

>お姫様なのに「もう1本持って来て」と言わないところが、しつけなんでしょう。お菓子処という部屋へも、甘い物が欲しいときにこっそり取りに行ったそうです。何かにつけて「慶喜公のお孫様が」と言う“しつけばあさん”みたいな人たちの目が光っていたんですね。


>「徳川のお姫様が来る!」
>――昭和16年9月に、松平康愛さんと結婚されました。仲人は会津藩主・松平容保の六男・恆雄夫妻。福井を訪問されたときは、市をあげての大歓迎だったようですね。

>井手 「徳川のお姫様を嫁にもらった」というので、地元は大騒ぎだったようです。福井駅を出たら、道路の両側に子どもが並んで旗を振ってくれた。その真ん中を車で通ったときは、嬉しさと恥ずかしさで「夢のような世界だったわ」と言っていました。


>一転、リヤカーを引く生活に
>――しかし3カ月後に戦争が始まると、康愛さんは出征。久美子さんも八王子の農家に疎開して、苦労をされました。ジャガイモを背負って歩いたり、リヤカーを引いたり。ずっとお姫様暮らしをしていたのに、よく馴染めましたね。

>井手 何かやることが、とにかく好きでしたから。「背中があざだらけになった」と笑っていました。それだけの家で育てばわがままが出ても仕方ないと思うんですけど、不思議な人ですよね。

>空襲のときは 焼夷弾から家を守るために、屋根に上って必死に水をかけたそうです。なかなか勇ましい人でした。


>「松平家の血を残す」で揺れた運命
>――終戦の翌年、康愛さんの戦死公報が届きます。戦争未亡人は婚家から出て再婚するのが、普通のことだったんですね。

>井手 父の次郎が軍医としてサイパンに出征すると決まったとき、康愛さんは母に「あそこは激戦になる。かわいそうだが助からないだろう」と言ったそうです。皮肉なことに、運命が逆転してしまったわけです。

>母にとって辛かったのは、康愛さんとの間に3歳の娘がいたことです。松平家の血筋を引くその子は残されて、母一人が離籍することになったんです。断腸の思いだったでしょうが、徳川で育って家の重さを知っている母ですから、嫌とは言えなかったんです。


>――次郎さんが医院を開業されたあとは、手伝いをされていたんですか。
>井手 高輪警察署の近くだったので、留置場の患者がよく来ました。全身に入れ墨の人が来たら、「ちょっと見せてよ。すごいわね。これ、どのくらい時間かかったの?」とか、平気で話しかけていました。あちらも見せるために彫っているわけですから喜んで、すぐ打ち解けてしまうんです。

>父は外科と皮膚科の専門医だったので、泌尿器科と性病科も兼ねていました。局部の手術などを間近に見て、包茎だの淋病だのという言葉が飛び交う中で、顔色一つ変えずに働いていました。大した度胸です。

>出る所へ出るとキチっとする「その辺にいるおばさん」


>――普段はどんな方でしたか。
>井手 肉が好きで、朝はローストビーフを細かく刻んで玉ねぎと和えたのに、フレンチトースト。子供のときから、朝は洋食だったようです。

>負を引きずらない性格で、嫌なこともひと晩寝れば忘れてしまう。まったく飾らないし偉ぶらないし、誰に対してもフレンドリーで、本当にその辺にいるおばさんでした。ただ、出る所へ出るとキチっとするんです。徳川家の姫として育ってきた重みは、身に付いていました。「やりたくない」「嫌い」「美味しくない」といった言葉は周囲を不快にさせるので、決して口にしないように躾けられたとも言っていました。

>時間の使い方が上手で、いつも何かをしていましたね。有栖川御流の書か、絵を描くか、テニスかボウリングか、車の運転をするか。はたまた本を読むか。その間にテレビを見たりマージャンをしたり、我々子どもたちの世話をしたり。いま考えても「いつ寝てたのかな」と思うくらいです。

>「最初からなかったと思えばいいじゃない」


>――朝ドラのヒロインみたいな方ですね。
>井手 私は帝国ホテルに30年勤めましたが、放蕩三昧もしました。というのは、喜久子妃殿下が亡くなって母が賜った6億円もの遺産を、詐欺に遭って騙し取られてしまったんです。そのことを母に打ち明けたら、こう言われました。

>「最初からなかったと思えばいいじゃない」

>すごい人だなと思いましたよ。クーラーもない公営住宅で暮らしたあとは千葉に移って、私はハローワークで紹介されたマクドナルドで夜中に清掃する仕事に就きました。しかし母は文句も言わず、私を気遣ってくれました。

>2人で暮らすようになってから、なかなか聞けなかった昔話をよく聞かされました。亡くなるまで介護をして、最後は友達付き合いみたいでした。

>「大変懐かしかった」と電話が…続いた“皇室とのつながり”


>――平成30年、本を出版した翌月に、久美子さんは95歳で亡くなりました。現在の上皇上皇后両陛下をはじめ、天皇皇后両陛下、秋篠宮家、常陸宮家、三笠宮家、高円宮家などから、お花やお供えが届いたそうですね。

>井手 はい。賜物御礼のため記帳にうかがった際、母の著書を侍従長にお渡ししたんです。そうしたら後日、上皇后陛下の侍女長からお電話がありました。

>「本をお読みになり、大変懐かしかったとおっしゃっていたので、それをお伝えするために電話しました」

>と聞いて、思わず背筋が伸びましたよ。なんとお優しい方なんでしょうか。

>「家の重み」を感じ続けた人生…「小室さん・眞子さん結婚問題」を見たら…


>――皇室も徳川家も、「家の重み」という点が共通します。久美子さんがご存命でしたら、小室圭さんと眞子さんのご結婚について、どうおっしゃったでしょう?

>井手 皇族の結婚問題が芸能人のゴシップ同様に扱われることに呆れているでしょう。昭和と平成の皇室だったら、あり得ないことですね。当時は、喜久子妃殿下がしっかり仕切っていらっしゃいました。僭越ながら申し上げれば、今はそうした仲介や調整をされる方がいらっしゃらないのかもしれません。その意味で、これは秋篠宮家だけの問題ではないと思います。

>皇族はスターでもタレントでもなく、あくまで皇族です。それなのに皇室の中があからさまに見えるような世の中になってしまったところから、ぎくしゃくが生じているのではないでしょうか。「家」という存在を感じづらくなっている世の中かもしれませんが、その重みを背負って人生をかけて歩んできた母を見ている昭和の人間としては、国民全体で皇室の重さをもっと感じて欲しいと思いますね。

>構成=石井謙一郎

>親戚同士は爵位で呼ぶ、お正月には獅子舞が…「徳川慶喜の孫娘」の過ごした「本物のお姫さま」の日常 へ続く

>「文春オンライン」編集部

<参考=「徳川慶喜の孫のみた「戦後の日本」と「家の重み」《小室圭さん・眞子さん結婚問題についても・・・》」(文春)>


【閻魔大王】 2021/12/22 (Wed) 15:59

副題=親戚同士は爵位で呼ぶ、お正月には獅子舞が…「徳川慶喜の孫娘」の過ごした「本物のお姫さま」の日常(文春)


<写真3>
久美子さん(『徳川おてんば姫』より)



>徳川慶喜終焉の地・小石川第六天町の徳川邸。建物だけで約1300坪、敷地に至っては約3400坪ともいわれるそんな大豪邸で、“最後の将軍”の孫娘・井手久美子さんは育った。幕末の記憶も残る時代……。彼女の過ごした、文字通り「本物のお姫さま」の生活とはどのようなものだったのか。

>2018年に出版された『徳川おてんば姫』(井手久美子著・東京キララ社)より、一部を抜粋して引用する。


>「本物のお姫さま」のお正月
>お正月の楽しさは格別なものでした。元旦は、家令を筆頭に表の人たちが母が待つ奥に新年のご挨拶に訪れ、姉と私もそこで待っていました。また、多くの親戚も年賀に訪れます。

>親戚はほとんどが徳川か松平で同姓ですから、「林町様」や「千駄ヶ谷様」といったように屋敷のある場所だったり、「紀州様」とか「越前様」といったような呼び方をしていました。

>台所が一番賑やかになるのもお正月です。オーブンで焼いた鴨で作る、とってもおいしい鴨雑煮から始まり、鱈と昆布のお吸い物、お刺身、鴨焼き、蒲鉾、玉子焼き、酢の物、お煮物など、何しろお客様にも御膳をお出しするため数十人分ものご馳走を用意するのですから、コックさんも目が回る忙しさだったと思います。

>大人は大きなお茶碗とお椀で、私たちは可愛らしい朱塗りに金の御紋入りのお茶碗とお椀で頂いていました。伊勢海老のお飾りを飼っていた猫が狙うので、お正月はそれを見張るのもお次のお仕事でした。

>鴨雑煮を食べた後の楽しみは、何と言っても百人一首です。普段はお付きの者や姉と数名でのカルタ取りですが、お正月は大勢いる従兄弟たちとの対戦になりますから、面白くないわけはございません。

>お正月の間は、従兄弟の屋敷に呼ばれ出かけることもありましたが、そのときもカルタ取りに皆夢中でした。1枚の札めがけて何人もが殺到するわけですから、手に汗握るというよりも、血がにじむほどの激しいものでした。皆が真剣そのものだからこそ愉快だったのでしょう。

>三が日が過ぎ5日頃になると、消防士の皆さんが屋敷にやってきます。玄関の式台で新年のご挨拶を受けた後、馬車廻しのところへ梯子を立て、木遣りや梯子乗りを披露してくれました。三河万歳や獅子舞などもやって来て、お座敷で踊ったり、お次たちを追いかけ回したりする様子は、見ていて「何だろう」とわけがわかりませんでした。まだ子供だったのでしょうね。

>母が亡くなってから、12、13歳の頃になると、小事のお客様にも私たちがご挨拶に出なければならず忙しくなったのを覚えています。その頃になると遊びはお預け、カルタ取りなどは夜しかできませんでした。クリスマスからお正月まではずっと賑やかな日が続いていて家の中で遊ぶことがほとんどでしたが、ときには庭に出て、家令たちと雪合戦もしました。


>第六天の「特別な日」
>第六天の特別な日、それは御授爵記念日です。慶喜公が公爵を授爵した6月3日に「御授爵の宴」を催していました。この日は、学校から帰るとまずお風呂に入り、赤い縮緬(ちりめん)の着物に着替えます。そして、男の人は羽織袴、女の人は紋付きの正装した大人たちと一緒に御膳を頂き、この日ばかりは大人の仲間入りをしたようで嬉しかったものです。

>少し大きくなってからは、お客様にお酌をして回りました。上野の精養軒からお料理をとり、慶喜公ゆかりの方々をもてなしました。特別に何の儀式があるわけではありません。厳かな日でもあり、無礼講の宴もあり、慶喜家にとっては特別な一日でした。

>私たちにとっては「お写真様」と呼んでいるお部屋に飾られた写真が「おじじ様」であるというだけで、御授爵記念日以外は、日常の会話の中にごく自然に慶喜公の名が出てくる程度でした。ただ、毎朝の食膳に出るおかかは「これはおじじ様のご好物」として出されていました。このおかかは昔からのしきたりのようで、御膳所の一番若い人が毎日鰹節を削っていました。


>「身内の者は爵位で呼ぶのが一般的」だった
>第六天では皆、慶喜公のことを「ケイキコウ」か、従一位ということから「一位(いちい)様」と呼んでいました。「よしのぶ」というのは忌み名で、そう呼ぶことができるのは主君か親だけで、祖父自身も普段は「ケイキ」と音読みしていたそうです。

>私たちは「おじじ様」か「一位様」が多かったような気がします。身内の者は爵位で呼ぶのが一般的で、第六天町の松平保男様は「三位様」、私の最初の主人・松平康愛(やすよし)は「五位様」でした。

>大政奉還の後、軍官をしていた慶喜公は、上野の寛永寺で2ヶ月ほど過ごし、その後水戸へ移りました。それから3ヶ月ほどして静岡へ。静岡には30年近くいたのでしょうか。そこで10男11女で21人の子供をもうけました。祖母には子供が1人もいなかったのですが、おふたりの側室がはげんで、従兄弟たちも47人ほどおりました。私が従兄弟たちの中で一番年下でした。従兄弟の中には、長じて勝海舟家、鳥取の池田家などを継いだ方もいらっしゃいます。


>晩酌に甘い物…「凝り性」な慶喜公のその後
>慶喜公は電車がお好きでなかったのですが、静岡では住まいの近くに電車が開通しまして、その後巣鴨に移ってからもまた電車が近くを通ることになってしまい、騒がしさを避けたくて第六天へ移ったそうです。ですがその第六天の家も今は地下鉄が通っていますから、電車の方に好かれているのでしょうね。

>第六天では庭で鶴を飼い、弓と打毬を日課にし、謡曲、囲碁、刺繍などにも堪能だったそうです。また、飼っていたかじか蛙のために御膳所に入り込み餌用のはえを捕っていたという意外な話も聞きました。私が凝り性なのは祖父の血のせいかもしれないと思うこともあります。

>酒に強く、保命酒や白葡萄酒などで晩酌していたそうですが、どら焼煎餅や「風月堂」の特製品、ベッタラ漬などの甘い物にも目がなかったようです。私が暮らしていた頃もその名残なのか、第六天ではお菓子がよく作られていました。

>投あみ、写真、油絵等、趣味が多かった慶喜公ですが、軽井沢の別荘では慶喜公が描いた油絵がマントルピースの上にかけてありました。投あみの腕は子供たちにも受け継がれ、中には漁師さんから養子に欲しいと言われるほどの技術をもつ身内もいたと聞いています。


>ひと言で「徳川」といっても家同士にも複雑な関係が…
>後半生は多彩な趣味に時間を割き、政治権力や野心とは距離をおいていた慶喜公らしいエピソードがあります。

>旧大名家に招かれた慶喜公が、床の間を背に上座に座り雑談をしていたところ、田安徳川家の家達が「私の席はどこだろう」と言いながら現れたそうです。慶喜公はそっと隣の座布団に移り、家達の席を用意したといいます。

>徳川家といっても様々な家がありましたから関係は複雑でした。家達は「慶喜は徳川家を滅ぼした男、俺は徳川家をたてた男」とよく話していたそうです。その伝でいくと、私などは「徳川家を滅ぼした男」の孫になりますから、憎まれていたかもしれませんね。姉たちとそんな話をしたことがあります。

>慶喜公は大正2年(1913)11月22日、77歳で亡くなりました。葬儀では集まった人々で沿道が埋まり、江戸名残の火消しが一番から十番まで総出でお供をしたそうです。

>谷中にある慶喜公のお墓は、皇族と同じような円墳状で、「公爵」を与えてくださった明治天皇に感謝の意を表すため、自分の葬儀を仏式でなく神式で行うよう遺言を残したのだそうです。

>今でも命日の11月22日にはお参りに行きます。神式のお参りは線香を上げたりせず、神社の参拝のように柏手を打って頭を下げるのです。これは豊島岡墓地(東京都文京区大塚)の高松宮妃喜久子殿下のお墓にお参りするときも同じです。

>井手 久美子

<参考=「親戚同士は爵位で呼ぶ、お正月には獅子舞が…「徳川慶喜の孫娘」の過ごした「本物のお姫さま」の日常」(文春)>


NO.315 <皇位継承問題>有識者会議が最終報告書をまとめる。<起稿 閻魔大王>(21/12/22)


【閻魔大王】 2021/12/22 (Wed) 23:52

結果的、
何が言いたいのか、よ、わからんです。
要は、無難に、色んな意見、案を列記しただけかと。あとは、時の内閣が、政権が、政治屋が、無い知恵出して、決めて頂戴なと。

で、肝心の、当事者たるの、天皇家のご意見は<?>
そこで、天皇家が意見出せば、それで、決まりになるが故、不味いと。

されどの、事は、天皇家の継承、存続の問題也で、その当事者たるが、意見出せずで、第三者が他家の事、決めるの、摩訶不思議。

そらねえ、
天皇家の皆様が一番に真剣也で、そのご意向をば、加味せず、あや、こやと、勝手な事を<!>

的、考えれば、話決まってるです。
皇位継承なるは、万世一系であり、それを、守るなら、旧宮家の復帰以外に有り得ず。
皇族が減るが故、人数確保したい<?>
コレ又、話簡単の、旧宮家の復帰以外に策有り得ず。
との、直線的、考え、何故出来ず、せずが、極めての不可解。


>安定的な皇位継承策などを議論する政府の有識者会議(座長・清家篤元慶応義塾長)は22日、最終報告書をまとめ、岸田文雄首相に提出した。皇族数の確保策として、女性皇族が婚姻後も皇室に残る案と、旧宮家の男系男子が養子縁組などで皇籍復帰する案を盛り込んだ。政府の報告書が旧宮家の男系男子の皇籍復帰に踏み込んだのは初めてで、皇位継承の議論は大きな節目を迎えた。

>首相は「バランスの取れた議論をしてもらった。国会に報告するとともに、しっかり今後の対応を行っていきたい」と述べた。

>報告書は「歴代の皇位は例外なく男系で継承されてきた」とし、天皇陛下から秋篠宮さま、秋篠宮さまの長男、悠仁さままでの皇位継承の流れを「ゆるがせにしてはならない」と明記した。悠仁さま以降の皇位継承は「具体的に議論するには機が熟しておらず、かえって皇位継承を不安定化させる」として、皇族数確保を優先すべきだとした。

>具体策として、①内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する②皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とする③皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族とする-との3案を示した。①と②を中心に具体的制度の検討を進め、皇族数を十分確保できない場合は③を検討すべきだとした。

>皇籍復帰の対象に「昭和22年10月に皇籍を離脱したいわゆる旧11宮家の皇族男子の子孫である男系の男子の方々」を挙げた。皇族としての役割を果たしていくことで「国民の理解と共感が徐々に形成されていく」と説明した。また、「養子となって皇族になられた方は皇位継承資格を持たない」とも明記した。

>一方、女性皇族が婚姻後も皇室に残る場合、その配偶者と子供は「皇族という特別の身分を有せず、一般国民としての権利・義務を保持し続ける」とした。

<参考=「旧宮家男子復帰案盛り込む 皇位継承最終報告」(産経新聞)>


【閻魔大王】 2021/12/23 (Thu) 07:23

副題=皇室、元・旧皇族で構成の、「菊栄親睦会」の存在。

<参考=「NO.304 続8<眞子・圭>歴代天皇、遂に、怒られた<!>/眞子たんの我が儘から、天皇制瓦解危機<!>」寄稿閻魔大王 2021/12/04 (Sat) 19:59

<副題=小室夫妻は、国民が想像以上に「皇室に近い」>
>皇室、元・旧皇族で構成の、「菊栄親睦会」の存在。

要は、元も、旧も、皇族の皆様、所謂の本家、天皇家を大切にされてるです。

>政府は平成以降、安定的な皇位継承策に関し、断続的に議論を行ってきた。皇位継承資格を持つ男性皇族の減少が続いているためだ。ただ、過去の議論は必ずしも男系継承を前提にしたものではなく、むしろ母方のみに天皇の血筋を引く女系継承に道を開こうとするものだった。岸田文雄政権でまとめられた今回の最終報告は、その流れとは一線を画した。

>平成17年11月、小泉純一郎政権が設置した有識者会議がまとめた報告書は、女系継承への拡大を初めて認めた。皇位継承資格について「女性天皇や女系の天皇を可能とすることは、象徴天皇の制度の安定的継続を可能とする上で、大きな意義を有する」と明記した。

>さらに皇位継承順位について「男女を区別せずに年齢順に皇位継承順位を設定する長子優先の制度が適当だ」と説いた。女性皇族の配偶者に皇族の身分を与える必要も指摘した。

>小泉政権は報告書に基づき、18年1月召集の通常国会への皇室典範改正案の提出に向け、作業を加速する。だが、2月に秋篠宮妃紀子さまのご懐妊が明らかになり、事態は一変する。

>当時、官房長官だった安倍晋三元首相は記者会見で「ご懐妊を踏まえ静かな環境が必要。改正論議は凍結する」と答えた。実は安倍氏の手元には、官僚が用意した「有識者会議を踏まえた法制化を粛々と進めていきたい」と書かれたメモがあったという。

>紀子さまのご懐妊から法案提出断念に至る経緯について、安倍氏は「国民的な慶事だったが、私としては後々冷や汗を拭う思いを禁じ得なかった」と、月刊誌「文芸春秋」(24年2月号)で振り返っている。18年9月に秋篠宮さまの長男、悠仁さまがお生まれになり、小泉政権の後を継いだ第1次安倍政権は議論の前提が変わったとして、有識者会議の報告を白紙に戻した。

>安倍氏が封印した女系天皇につながる女性宮家創設を再燃させたのが、旧民主党の野田佳彦政権だ。

>野田政権は宮内庁の要請に応える形で24年2月に有識者会議を設置し、同年10月に「皇室制度に関する有識者ヒアリングを踏まえた論点整理」を公表した。

>論点整理には「女性皇族が一般男性と婚姻後も皇族の身分を保持し得ることとする制度改正について検討を進めるべきである」と記し、「女性宮家の創設」を盛り込んだ。

>野田氏は産経新聞のインタビューで「皇族方が置かれた状況について宮内庁の羽毛田信吾長官が説明に来た。自民党の元国会議員や小泉政権下で皇室をめぐる議論に関わった人々からも『これ以上、放置はできない』という相談があった」と明かしている。

>野田氏は首相在任中、女性宮家創設のため皇室典範改正を目指したが、成案を得ることはできなかった。

>小泉、野田政権とも旧宮家の男系男子による皇籍復帰案に否定的だったが、流れを変えたのが菅義偉政権だ。菅氏は今年3月に有識者会議を設置し、中間整理では旧宮家の皇籍復帰案を有力な選択肢の一つとして報告書に盛り込む方向性を確認した。岸田首相も男系継承の維持が持論で、方向性を引き継いだ。(千田恒弥)

<参考=「皇位継承議論 当初女系容認流れ、安倍氏がストップ」(産経新聞)>


【閻魔大王】 2021/12/23 (Thu) 11:54

副題=緊急の課題とし乍らも、ゆっくりしてるです。

そもそもが、女性皇族が、結婚後も、皇室に残るの案ねえ。

さての、大方は、わかってるです。
では、残ったですが、諸般の事情にて、皇室から出る、皇籍離脱の意向を示した場合、どするのか<?>
又、拒否出来るのか<?>

イヤ、
その辺り、何も示されてませんです。

での、その手の意向示されたら、嗚呼、どするの兵衛哉と、賢い筈の面々、右往の左往するが、目に見えてるですの、大した連中では、ありませんです。

「また、旧宮家の男系男子を養子として皇室に迎えて皇族とする案について、ある宮内庁関係者は「仮にそうなれば、皇室の方々のご意向と旧宮家の意向をどうすり合わせるかなど具体的な課題も出てくる」」

そかと。
男系男子を皇族復帰の案なるは、宮内庁が、ゴタゴタ、異論唱えてるのか<?>と。
その理由を示せ<!>

イヤ、何度でも、申すの、GHQが、皇室を壊滅させるがための、指示也と。
それを、宮内庁が、何故に難色示すのか<?>
又、異論唱えるの勢力の存在がと。よ、わからんです。

<写真>
安定的な皇位継承策を検討する有識者会議の清家篤座長(左)から報告書を受け取る岸田首相=22日午後、首相官邸



>安定的な皇位継承策などを議論する有識者会議が22日、とりまとめた最終報告書に対し、宮内庁は「国会での議論を見守る」と静観の構えだ。一方、本格的な議論は来夏の参院選後となる見通しで、結婚で女性皇族が皇籍を離れるなど皇族数減少が避けられない現状に「あまり時間の猶予はない」と危機感を募らせる。

>10月に秋篠宮ご夫妻の長女、小室眞子さん(30)が結婚したため、皇室は現在、天皇陛下と16方の皇族方で構成されている。眞子さんが結婚まで務めた公務の一部は妹の佳子さまに引き継がれているが、日本工芸会の総裁職など、引き継ぎ先が決まっていないものも残っており、皇族減少に伴う公務の分担が課題となっている。

>最終報告書には、皇族数確保策の一つとして、女性皇族が結婚後も皇室に残る案が盛り込まれた。宮内庁幹部は「皇族方の人生設計に関わる話でもあり、ご意向を伺いつつ慎重に検討する必要がある」と指摘。一方で、議論が長期化する中で「皇室の方々も年齢を重ね、結婚される方も出てくる可能性がある」との懸念も示した。

>また、旧宮家の男系男子を養子として皇室に迎えて皇族とする案について、ある宮内庁関係者は「仮にそうなれば、皇室の方々のご意向と旧宮家の意向をどうすり合わせるかなど具体的な課題も出てくる」とし、「今後の議論を経てどのような結論に至るのか見守りたい」と話した。

<参考=「皇族数減少「時間の猶予ない」 宮内庁、有識者最終報告受け」(産経新聞)>


閻魔大王】 2021/12/23 (Thu) 19:20

副題=立憲民主党が、ややこしい話をし出したです。

又、モメて、モメて、決まらんなと。

イヤ、
西村智奈美幹事長が、女性天皇、女性宮家の創設について、言い出したです。
それを、まともに、言い出すと、ややこしくなるです。

要は、この幹事長、女性天皇、女性宮家の創設に賛成派<!>
男女同権とか、言い出すは目に見えてるです。

<写真>
立憲民主党の西村智奈美幹事長=2日午後、国会



>立憲民主党の西村智奈美幹事長は22日付で、安定的な皇位継承策などを議論する政府の有識者会議が岸田文雄首相に提出した最終報告書を批判する談話を発表した。女性天皇や女性宮家の創設などについて「結論も方向性も示さず」と不満を示し、「安定的な皇位継承という先延ばしできない課題を先延ばしている」と主張。「有識者会議は皇族数減少にかかる課題に論点をすり替えた」として、課題解決を検討する委員会を党内に設置し、議論を始める方針を明らかにした。

>西村氏の談話全文は次の通り。
>〇本日(22日)、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議が政府に提出する報告書を取りまとめましたが、その内容は皇室典範特例法議決時の両院の附帯決議が求める内容には全くなっていません。

>〇附帯決議の主たる要請は、安定的な皇位継承を確保するための課題の検討ですが、有識者会議は皇族数減少等に係る課題に論点をすり替えました。本来、議論すべき女性天皇を含めた将来的な皇位継承のあり方、女性宮家の創設等については結論も方向性も示さず、安定的な皇位継承という先延ばしできない課題を先延ばしています。

>○附帯決議では、国会は「安定的な皇位継承を確保するための方策について、『立法府の総意』が取りまとめられるよう検討を行うものとすること」とされています。

>○不十分な有識者会議の報告書は国会での議論の土台にすることはできないと考えます。立憲民主党として、改めて附帯決議の本旨に沿った課題解決を検討するため党内に委員会を立ち上げる予定です。そこで本質的な議論を行い、皇位の安定継承の確保のための立法府の総意が取りまとめられるよう、全力で取り組んでいきます。

<参考=「立民幹事長、皇位継承報告を批判「論点すり替え」」(産経新聞)>


【閻魔大王】 2021/12/23 (Thu) 23:18

副題=維新は旧宮家復帰に賛意


>日本維新の会の松井一郎代表は23日、安定的な皇位継承策などを議論する政府の有識者会議が、旧宮家の男系男子が養子縁組などで皇籍復帰する案を盛り込んだ最終報告書について「現実に即した提案だ。男系を継承していくための考え方が示されている」と評価した。

>松井氏は同日の記者会見で、維新として「女性天皇は認める」立場としつつ、皇統は例外なく男系男子によって継承されてきたと強調。「そこを何とか維持できるような形が望ましいと思っている」と述べ、男系継承の原則を重んじるべきだとした。

>報告書は女性皇族が婚姻後も皇室に残る案なども示した。

<参考=「旧宮家の皇籍復帰案、維新代表が評価」(産経新聞)>


【閻魔大王】 2021/12/30 (Thu) 22:44

副題=立民、皇位継承報告を批判 国会議論に暗雲(産経新聞)

イヤ、
立憲民主党は、民主党政権の野田佳彦首相時代、女性宮家を唱えたです。

「今回の報告書は「これまで歴代の皇位は、例外なく男系で継承されてきた」と明記し、母方のみに天皇の血筋を引く女系の継承には後ろ向きな内容となった。立民は女性天皇や女系の容認に前向きで、これが報告書への批判を強める一因ともなっている。」

あれこれ、言い出すと、切りが無く。
女性宮家の創設なるは、勘違いを招くです。
皇族の人数確保なら、旧宮家の復活で充分。女性天皇は結構も、女系容認は天皇制を崩壊させるです。
立憲民主党と、共産党は、それが狙い也と。

<図>
政府有識者会議の皇位継承策報告書に対する各党の反応



>旧宮家の男系男子の皇籍復帰案などをまとめた政府有識者会議の報告書に、野党第一党の立憲民主党が批判を強めている。平成29年成立の譲位特例法の付帯決議が検討を求めた「女性宮家の創設」などが反映されていないとみているためだ。政府は近く国会に報告する見通しだが、具体化に向けた協議が始まる前から暗雲が漂っている。

>立民は27日、国会内で「安定的な皇位継承に関する検討委員会」の準備会合を開き、来年1月に本格的な議論に入ることを決めた。委員長には野田佳彦元首相が就き、民進党時代に譲位特例法の制定に関わった馬淵澄夫国対委員長や長浜博行元環境相が中心となって検討を進めていくことも確認した。

>政府の報告書は、皇族数の確保策として①皇族女性が婚姻後も皇室に残る②旧宮家の男系男子の養子縁組などによる皇籍復帰-の2案を示している。

>野田氏は報告書について、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等」の検討を求めた付帯決議に正面から応えていないと批判。「相当、論点が多いので党として対応をまとめ、国会の中で主導的な役割を果たしていきたい」と言及した。

>野田氏は「女性宮家という言葉が(報告書に)全く出てきていない」とも言及した。野田政権が平成24年にまとめた「論点整理」で女性宮家に触れた経緯があり、野田氏は民進党幹事長だった特例法の制定時も、与党に女性宮家を盛り込むよう迫っている。

>今回の報告書は「これまで歴代の皇位は、例外なく男系で継承されてきた」と明記し、母方のみに天皇の血筋を引く女系の継承には後ろ向きな内容となった。立民は女性天皇や女系の容認に前向きで、これが報告書への批判を強める一因ともなっている。

>内閣官房幹部は女性宮家を書き込まなかった理由を「法制度上の言葉ではない」と説明する。報告書は具体的な制度設計を見越して作成したとみられ、定義が曖昧な言葉を使うことを避けた面もある。

>「いたずらに政局にするつもりもないが、来夏に参院選が控えている。どこまでやるか難しい」

>立民幹部は、次期参院選で皇室に関わる課題を争点化する可能性をにおわせた。自民党は「落ち着いた中で議論ができる環境を、政党としても国会としても作っていきたい」(福田達夫総務会長)と訴えるが、政局に巻き込まれず、静謐(せいひつ)な環境を整えられるかどうかは不透明だ。

>さらに皇位継承論にこだわりのある野田氏が乗り出してきたことで、報告書の趣旨が制度設計に十分反映されない可能性も出てきている。(千田恒弥)

<参考=「立民、皇位継承報告を批判 国会議論に暗雲」(産経新聞)>


<参考=NO.320 <皇位継承問題>愛子さま/秋篠宮家/旧宮家