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話題<NO.68>

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総 合 目 録 趣意書

表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
話題NO.69
551 福島第1原発事故「吉田調書」の全容が判明「イメージは東日本壊滅」(サンスポ) 磯津千由紀 14/08/31
550 米アカデミー賞:宮崎駿監督に名誉賞 日本人で2人目(毎日新聞) 磯津千由紀 14/08/29
549 デング熱:新たに2人 1人目と同級生、東京・代々木公園で感染か 都が蚊駆除「拡大可能性低い」(毎日新聞) 磯津千由紀 14/08/29
548 原発事故後に自殺、東電に4900万円賠償命令(朝日新聞) 磯津千由紀 14/08/28
547 北陸新幹線:15年3月14日に長野-金沢間を開業(毎日新聞) 磯津千由紀 14/08/27
546 <STAP細胞>検証実験、難航の模様 シバケン 14/08/27
545 <フクシマ第1原発事故>吉田調書抄録<産経ニュース> シバケン 14/08/26
544 代々木ゼミナール:20校舎閉鎖を正式発表 希望退職も(毎日新聞) 磯津千由紀 14/08/26
543 福島原発事故:「吉田調書」政府が一転公開へ(毎日新聞) 磯津千由紀 14/08/24
話題NO.67

NO.543 福島原発事故:「吉田調書」政府が一転公開へ(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/08/24)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/24 (Sun) 16:30

 こんにちは。


 何故、今になってなのか、25日の会見が待たれます。
 フクシマ・フィフティーズが美談から一転したことを受けてでしょうか。

> 政府は23日、東京電力福島第1原発の事故を巡り、政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)が行った吉田昌郎元所長(故人)の聴取記録について、来月にも公表する方針を固めた。吉田氏は生前、内容を非公開とするよう求めており、政府はこれまで公開してこなかった。菅義偉官房長官が25日にも記者会見し、方針転換の理由を説明する。

> 政府事故調は東電や政府関係者ら計772人に事故対応などについて聴取し、非公開を前提に聴取書を作成した。「吉田調書」については、吉田氏本人が生前、不開示を求める上申書を提出し、政府も非公開としてきた経緯がある。

> しかし、朝日新聞や産経新聞が聴取内容を報道し、被災者らのグループも公開を求める訴訟を今月20日、東京地裁に起こしている。政府関係者は公開に踏み切る理由について「各報道機関がそれぞれの解釈で記事化し、政府が公開しないと、内容が『独り歩き』しかねない」と説明した。

> 政府は公開にあたり、関係者への評価などについては除く方針。吉田氏以外の関係者の聴取書についても、本人の同意が得られたものは公表する。政府は吉田調書に対する毎日新聞の情報公開請求に対し、今月1日付で「故人であり、公開に同意するか確認の取りようがない」などとして、「不開示」と通知していた。【古本陽荘】

<参考=「福島原発事故:「吉田調書」政府が一転公開へ」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/10/19>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/25 (Mon) 12:37

副題=原発事故・吉田調書:菅官房長官 9月に公開と発表(毎日新聞)

 こんにちは。


 矢張り、「一部のみを記事にした複数の報道があり(発言が)『独り歩き』するとの吉田氏の懸念が顕在化している。非公開とすることが本人の意思に反する」そうです。

> 菅義偉官房長官は25日午前の記者会見で、東京電力福島第1原発の事故を巡り、政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)が行った吉田昌郎元所長(故人)の聴取記録について、公開すると発表した。公開時期については、9月のできるだけ早い時期になるとの見通しを示した。

> 吉田氏は生前、内容を非公開とするよう求めており、政府はこれまで公開してこなかった。菅長官は方針転換の理由について「一部のみを記事にした複数の報道があり(発言が)『独り歩き』するとの吉田氏の懸念が顕在化している。非公開とすることが本人の意思に反する」と説明した。【木下訓明】

<参考=「原発事故・吉田調書:菅官房長官 9月に公開と発表」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/10/29>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/25 (Mon) 19:51

副題=原発事故・吉田調書:官房長官「9月に公開」一部黒塗りで(毎日新聞)

 こんばんは。


 上の投稿の記事が、一部、更新されました。

> 菅義偉官房長官は25日午前の記者会見で、東京電力福島第1原発の事故を巡り、政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)が行った吉田昌郎元所長(故人)の聴取記録について「9月のできるだけ早い時期に公開する」と発表した。公開内容については「第三者の権利や利益、国の安全に関する部分は黒塗りにしたい」と述べ、部分的に非開示にする考えを示した。

> 吉田氏は生前、提出した上申書で内容を非公開とするよう求めており、政府はこれまで公開してこなかった。しかし、朝日新聞や産経新聞が聴取内容を報道。菅氏は方針転換の理由について「一部のみを記事にした複数の報道があり、(自分の発言が)『独り歩き』するとの吉田氏の懸念がすでに顕在化している。非公開とすることが本人の意思に反する」と説明した。

> 政府は、政府事故調から聴取を受けた他の東電や政府関係者にも意向を確認し、本人の同意が得られたものから順次、公開する方針。菅氏は「年内には(公開を)全て終えたい」と述べた。【木下訓明】

<参考=「原発事故・吉田調書:官房長官「9月に公開」一部黒塗りで」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/10/29>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/26 (Tue) 04:07

副題=吉田調書公開:事故調関係者の賛否分かれる(毎日新聞)

 こんばんは。


 公開するかどうかで、事故調でも意見が割れたのですね。

> 東京電力福島第1原発事故を巡り、政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)が行った吉田昌郎元所長(故人)の聴取記録が9月に公表されることになった。聴取は公表しない前提で実施され、吉田氏も非公表を望む上申書を政府に提出していた。一方、未曽有の事故の対応で重要な役割を担った吉田氏の「肉声」の公開が、国民の知る権利に応えるという側面もある。公開に対する政府事故調の関係者の賛否は分かれた。

> 政府はこれまで上申書に配慮して非公開としてきた。方針転換の理由について、記者会見で菅義偉官房長官は、「一部のみを記事にした複数の報道があり、(自分の発言が)『独り歩き』するとの吉田氏の懸念がすでに顕在化している。非公開とすることが本人の意思に反する」と説明した。また、公開内容については「第三者の権利や利益、国の安全に関する部分は黒塗りにしたい」と述べ、部分的に非開示にする考えを示した。

> 公開方針に対し、事故調委員を務めた吉岡斉(ひとし)・九州大教授は「公開は妥当な判断で、なすべきことがなされた。将来にわたって役立つ資料になるだろう」と評価し、「政府事故調がヒアリングした700人以上の調書も公開すべきだ」と述べた。

> 事故原因等調査チーム長だった越塚誠一・東京大教授は「本来なら出してはいけないものだが、吉田氏は厳しい状況の中で相当な対応をした。非常に大きな事故で国民の関心が高く、例外的に公開はありうる」と一定の理解を示した。

> 一方、技術顧問だった淵上正朗・小松製作所顧問は「非公表を約束したのは『個人の責任を追及しない』という原則があったためだ。守秘義務に反して本人の同意なく公開することは、今回だけでなく今後の事故調査に悪影響を及ぼす可能性がある」と懸念を示す。 政府は、政府事故調から聴取を受けた他の東電や政府関係者にも意向を確認し、本人の同意が得られたものから順次、公開する方針。これに対して、淵上氏は「断片的な情報だけで判断すれば、かえって事実をゆがめることになる」と指摘した。【酒造唯、鳥井真平】

<参考=「吉田調書公開:事故調関係者の賛否分かれる」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/10/29>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/11 (Thu) 20:10

副題=吉田調書:HPで公開 菅直人氏ら18人の調書も…政府(毎日新聞)

 こんばんは。


 よ~やっと、吉田調書が公開されました。

> 政府は11日、東京電力福島第1原発事故に関し、政府の事故調査・検証委員会が吉田昌郎元所長(昨年7月死去)から当時の状況を聞いた「聴取結果書(吉田調書)」を内閣官房のホームページ(HP)上で公開した。同時に、事故発生時の菅直人首相、枝野幸男官房長官、細野豪志首相補佐官(肩書はいずれも当時)ら18人の調書も本人の同意に基づき公開した。菅義偉官房長官は11日の記者会見で吉田調書の公開について「一部のみ取り上げた報道がなされ、独り歩きする懸念が顕在化したためだ」と語った。

<参考1=吉田元所長・聴取結果書1(2011年7月22日・PDF)>
<参考2=吉田元所長・聴取結果書2(2011年7月29日・PDF)>
<参考3=吉田元所長・聴取結果書3(2011年8月8日・PDF)>
<参考4=吉田元所長・聴取結果書4(2011年8月8日・PDF)>
<参考5=吉田元所長・聴取結果書5(2011年8月8日・PDF)>
<参考6=吉田元所長・聴取結果書6(2011年8月8日・PDF)>
<参考7=吉田元所長・聴取結果書7(2011年8月9日・PDF)>
<参考8=吉田元所長・聴取結果書8(2011年10月13日・PDF)>
<参考9=吉田元所長・聴取結果書9(2011年11月6日・PDF)>
<参考10=吉田元所長・聴取結果書10(2011年11月6日・PDF)>
<消滅・削除・15/12/10>

<参考=「吉田調書:HPで公開 菅直人氏ら18人の調書も…政府」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/11/06>


<参考=NO.539 <朝日報道>福島第一原発所員の撤退<?>は所長命令違反<?>>関連。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/12 (Fri) 17:54

副題=吉田調書:公開 当時の混乱伝える証言 生々しく(毎日新聞)

 こんにちは。


 噛み砕いた記事です。

 「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。これがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は運転手に2Fに行けと指示をした。私は福島第1の近辺で所内にかかわらず、線量の低い所に一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまったと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、まずGMから帰ってきてとなった」とのことです。


> ■「減圧」「注水」綱渡り 現場知らずの命令

> 世界を震撼(しんかん)させた東京電力福島第1原発事故について、政府の事故調査・検証委員会が関係者に実施した聴取結果書が公開された。特に注目されたのが、現場指揮官の吉田昌郎所長の「吉田調書」。暴走する原子炉とどう向き合い、200キロ以上離れた東京の東電本店、首相官邸と時に対峙(たいじ)しながら何を思ったのか。生々しい数々の証言は、事故から3年半がたった今も、緊迫感を伝えている。(肩書、組織はすべて当時)

> ■3月11日

> ◆水位、確認甘く反省

> ◇震災発生

> −−全交流電源喪失の報告を受けた。

> 「まいってしまった。大変なことになったと。シビアアクシデント(過酷事故)になる可能性が高い。非常用ディーゼル発電機を生かせられないかと考えた。それがなくなったらどうしようと。非常用復水器(IC)とかあれば、数時間は冷却できるけれど、次はどうすると頭の中をぐるぐると回っていた」

> −−非常用ディーゼル発電機が使えないことになった。

> 「絶望した。どうやって冷却するかは、検討しろと話したが、自分で考えても、答えがない。マニュアルでは、ディーゼル駆動の消火ポンプを動かすが、非常に難しいと思った。いずれにしても、水を突っ込むしかない。2号機のメタクラ(電源盤)を流用して、動かせるポンプはないかを検討しろと」

> −−注水に必要な電源をどこに求めたか。

> 「交流電源は電源車を持ってくるしかない。本店にお願いしたが、いらいらするほど来なかった。監視機器を生かす直流電源も本店に要求した。徐々に届き始めたとの感覚はあるが、復旧の現場は待てど暮らせど来ないという感覚」「本店は手当たり次第、集めたものを送ってくる。使えるか使えないか、仕分けしないといけない。そこに現場の人間が取られてしまう。非常にロスだ。ちょうど合うものを持ってきて、というのが私たちの強い要望だった」

> −−午後6時18分時点で、ICの弁を開閉しているようだが、情報は上がってきたか。

> 「聞いていない」

> −−ICが動いていない可能性があるという情報は。

> 「入っていない。ICについて言えば、当直がシステムが生きているというふうにずっと思っていた」

> −−炉心損傷を懸念しても良さそうだが。

> 「基本的に把握していなかった。私の反省点だが、発電班長から情報は出てこなかった。ICは大丈夫かということを、何回も確認すべきだった。思い込みがあって、水位がある程度確保されているから大丈夫かなと思っていた。SOSが来ていれば人を手配するが、全部見てるから、いちいち指示することはなかなか難しい。こちらから聞かなかったことに、私は今、猛烈に反省している」

> −−11日夜の認識は、ICが動いていたと。

> 「(ある程度の水位があることを見て)ほっとしたけど、やはりおかしいぞと。格納容器の圧力が上がり、水位は全然変わらなくて、その後、炉圧が下がるというところと絡めれば、水位は信用できないなと。おかしいというのはもう一つ、午後9時51分の線量。非常に高いと聞き、おかしいと。冷却できていれば、(放射性物質が)漏れることはまずないから線量は上がらない。炉の状況が分からないが、燃料損傷に至っている可能性はあるなと」

> ■12日

> ◆爆発「想定してない」

> ◇菅直人首相がヘリコプターで福島第1原発に到着

> −−総理は何をお話しされたんですか。

> 「かなり厳しい口調で『どういう状況になっているんだ』と聞かれたので、電源がほとんど死んで、制御が利かない状況ですと。後は『ベントどうなった』というから、一生懸命やっていますけど、現場は大変と話しました。記憶はそれぐらい」

> ベント 

> −−午前1時30分に1、2号機のベント実施を総理らに申し入れて了解を得ている。

> 「(原子)炉水位が下がっている可能性だって否定できない。そうなってくると、ベントが必要だろうと併せて指示をした」

> −−午前6時50分に経済産業相が法令に基づくベントの実施命令を出した。

> 「こちらでは頭にきて、できないと言っているのに何を言っているんだと、極端なことを言うと、そういう状態ですよ。命令出してできるんだったらやってみろと、そういう精神状態」

> −−そのころ、総理が向かっている。その辺がベント操作を遅らせた?

> 「全くない」「格納容器の圧力を下げたくてしようがないわけですよ。だけど、できないというぎりぎりの状態。総理が飛んでいようが、何をしようが、炉の安全を考えれば、早くしたい。現場としてはそうです」「どれをやってもうまくいかないという情報しか入ってこない。ベントと言えば、すぐできると思っている人は、我々の苦労が全然わかっていない。腹立たしいところではあるが、私より現場でやっていた人間の苦労の方がものすごく大変。100(ミリシーベルト)に近い被ばくをした人間もいます」「最後は手動でやるしかないと。被ばくさえすれば、できるかと腹をくくってやったんだけれども、結局ベント弁は近づけなかったという状態で、手動もあきらめているんですね」

> −−ベントは午後2時30分に放射性物質の放出を判断したと。

> 「ベントは排気筒の上についている線量計で線量が上がればわかるんですけれども、監視できない。できるのは、ドライウェル(格納容器)圧力が下がっているかどうかくらい。ちょうどテレビカメラが1号機を捉えていて、これが午後2時半ごろ、ぽっと白い煙みたいなのが出るんです。ドライウェル圧力が下がってきたのと同じような時刻で、ベントした可能性が高いと」

> ◇ベント成功と判断して約1時間後の午後3時36分。1号機で水素爆発が発生

> −−爆発はどう把握されましたか。

> 「全然想定していなかった。操作すれば注水が完了できる状況になっていた。その時に下から突き上げるような、非常に短時間、どんという振動があり、また地震という認識でおりました。そうしているうちに、現場から帰った人間から、1号機の原子炉建屋の一番上が柱だけになっているという情報が入り、何だそれは、と。けがした人間も帰ってきて、爆発したみたいと聞きました。その時点で、原因が分からない状況でした。その日のうちに、水素による爆発だろうと見えてきた」

> ◇1号機を冷却するための海水注入が始まる。吉田氏は官邸にいた東電幹部の注水中止指示を無視した

> −−午後2時54分に海水注入を実施するよう発電所長指示と(記録が)ある。

> 「その前から準備していた。どちらかというと、準備指示ではなく、実施指示に近いものを、私はしていたような記憶があります。ただ、爆発でできなくなった」

> −−海水を入れると、機器が全部使えなくなる。何とか真水でやり切らないといけないんじゃないかとか。

> 「全くなかった。燃料が損傷している段階で、この炉はもうだめだと。なだめることが最優先課題で、再使用なんて一切考えていないですね」

> −−海水による原子炉への注水開始が午後8時20分と(記録が)あり、東電の公表によれば午後7時4分にはもう海水を注入していた。なぜずれが生じている?

> 「正直に言いますけれども、(午後7時4分に)注水した直後ですかね、官邸にいる武黒(一郎・東電フェロー)から私に電話がありまして。電話で聞いた内容だけをはっきり言いますと、官邸では、まだ海水注入は了解していないと。だから海水注入は中止しろという指示でした」「ただ私はこの時点で注水を停止するなんて毛頭考えていませんでした。どれくらいの期間中止するのか指示もない中止なんて聞けませんから。中止命令はするけども、絶対に中止してはだめだと(同僚に)指示をして、それで本店には中止したと報告したということです」

> ■13日

> ◆「機関銃で穴、考えた」

> ◇3号機の冷却装置「高圧注水系(HPCI)」を手動停止した

> −−12日夜から13日未明、原子炉水位が見えなくなった。逃がし安全弁(SR弁)では減圧できず、HPCIを再起動しようとしたがだめだった。話は聞いていなかった?

> 「全くないです」

> −−HPCIが止まったのが午前2時42分。注水が始まる午前9時25分まで6時間40分程度ある。

> 「もうこの時は死ぬと思ったから、早く注水したいわけだが、条件が整わなかった」

> −−淡水注入は午後0時20分に終了し、午後1時12分には海水注入を開始した。

> 「海水だろうが、淡水だろうが入れられるものは使えと指示していたので、海水か淡水かはこだわっていなかった。ただ、再臨界を防ぐためにホウ酸を突っ込んだ方がいいとあって、ホウ酸を溶かしやすい淡水注入をまずやった」

> −−海水注入は所長権限なのか。

> 「普通の操作ならマニュアルに従ってとなるが、海水注入は本邦初公開、インターナショナル初公開。マニュアルもないので私の勘というか判断でやる話と考えていた」

> 「水を注入することと、格納容器の圧力を下げることの二つをやめろと言うのは、私にとって全部雑音だ。本店から電話で『まだ官邸が海水注入を了解していない』という話があったので、私は『もう入れているんだから、このまま注水を継続する』と言ったら、『四の五の言わずにやめろ』と言われた。その時の電話だけはいまだに覚えている。やってられないなと」

> −−3号機に水が入ったのが13日午前9時20分ごろ。

> 「水が入って、マイナスだった水位がプラスに回復した。うれしくてたまらなかった。けれども、これがまた(水位計の不具合で)うそをつかれていた。三つのプラントを判断した人なんて今までいませんよ。思い出したくない」

> −−1号機で爆発に至った。他の号機でも水素爆発を防ぐ手立ては検討したのか。

> 「もちろんだ。原子炉建屋の圧力がある程度上がると外側に破れて圧力を逃がす構造のブローアウトパネルがある。2号機、3号機でも水素爆発が起こることは頭にあったので、本店と相談した。原子炉建屋に入れない状態ではパネルを開けない。作業によっては火花で発火することもありえるので、火花の出ないウオータージェットができないかと考えた。しかし、すぐに実行できる状況にない。2号機は現場に行った人間が、1号機の爆発の影響か、パネルが開いていることを確認した。3号機をどうするか。自衛隊のジェット機か何かが来て、機関銃か何かで穴を開けてくれないかくらいのことも考えた」

> ◇使用済み核燃料プール問題

> −−使用済み核燃料プールに何らかの手立てを講じなければと思っていた?

> 「最初から。燃料プールも冷却できないから、使用済み核燃料の崩壊熱で温度が上がって水が蒸発していくだろう、手を打たないといけないと思っていた。4号機はその時点で建屋に入ることが問題なかったはず。温度は見てきてくれと」

> −−当初からプールの状態を監視しないといけないとの認識はあったのか。

> 「4号機は、1年間燃えた一番熱い燃料を入れている。温度の上がりしろから言うと、4号機が一番クリティカルになるから、4号機の燃料プールも非常に重要だと」

> ■14日

> ◆不明者…死を覚悟

> ◇午前11時1分、3号機が水素爆発

> −−14日午前7時ごろ、(3号機が)異常な圧力になり、線量も異常に上昇している。

> 「午前9時半か10時ぐらいに、爆発する可能性があるから、免震重要棟に全員退避をかけた。2号機の注水準備を放っておけないので、私もものすごく迷った。本店との電話で、いつまで退避させるんだという話があって、わからないけれど、爆発する可能性があるから現場に人間をやれないと私は言った。本店から、そろそろ現場にやってくれないかとあって、ちょっと圧力が落ち着いてきたから、現場に出したら、爆発した」「ゴーかけて、自衛隊が行って、準備したらすぐばーんという感じだったと聞いている。現場から四十何人行方不明という話が入ってきた。爆発直後、最初の報告で、私、そのとき死のうと思った。本当なら、そこで腹切ろうと思っていた。徐々に情報が入り、人命を落とした人はいない。がれきが吹っ飛んでくる中で、現場にいて、死人が出なかったというので胸をなで下ろした。仏様のおかげとしか思えない」

> −−爆発から、一旦現場から引き揚げる。どういう判断で(作業を)再開したのか。

> 「現場を見に行った人間が続々帰ってきて、がれきの山です、消防車もどうもダメージを受けている、道ががれきでぐずぐずになっているという話があった。みんなぼうぜんとして、思考停止みたいになっていた。そこで、全員集めて、こんな状態になって、私の判断が悪かった、申し訳ないと話した。非常に大変な状態で、けが人も何人か出たが、現場に水を入れないといけない。現時点で注水が止まっているだろうし、2号機の注水の準備をしないといけない、放っておくともっとひどい状態になる。もう一度現場に行って、注水の準備に即応してくれと頭を下げて頼んだ。そうしたら、本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです。給水ラインの復旧に全力を挙げてくれ、やるぞと言うと、みんながおうっという感じで。ほとんどの人間は過剰に近い被ばくをして、やっとそれで間に合って、海水注入が午後4時半に再開できた」

> ◇正午以降、2号機の 水位が下がり続け、午後6時22分、燃料が全部露出した可能性

> −−2号機に水を入れることについて、どう考えたのか。

> 「ベントなどはどうだっていい。どうでもいいと言うのはおかしいが、ベントを急いでいるわけではない。ミッションは注水。ベントは、そのために圧力を逃がしておけば出やすいだろうと。時間は覚えていないが、官邸から電話があって、班目(まだらめ)(春樹・原子力安全委員長)さんが出て、早く開放しろと、減圧して注水しろと」

> −−いきなり電話してきたのか。

> 「名乗らないんですよ、あのオヤジはね。何かばーっと言っているわけですよ。もうパニクっている。なんだこのおっさんは。四の五の言わずに減圧、注水しろと言って、清水(正孝社長)がテレビ会議を聞いていて、班目委員長の言う通りにしろとわめいていた。現場もわからないのに、よく言うな、こいつはと思いながらいた」

> −−何もできない状態だったのでは。

> 「私だって早く水を入れたい。だけれども、手順がありますから、現場はできる限りのことをやろうと思うが、なかなかそれが通じない。ちゅうちょなどしていない。現場がちゅうちょしているなどと言っているやつは、たたきのめしてやろうかと思っている。早く圧力下げる、早く水入れる。これしか考えていないのに」

> −−最終的には減圧もやって、水を入れようとなったが、減圧に時間がかかった。

> 「いろいろチャレンジしたが、最初、全然動かなくて、どんどん炉水位は下がるわ、弁は開かないわ、一番死に近かったのはここだった。やっと弁が開いた。ところが今度は、いつでも注水できるように前からスタンバイしていた消防車が油切れになった。油補給に行った。一秒一秒、胸が締め付けられるような感じで、本当に水が入るのかな、入らなかったらメルト(ダウン)する、ものすごく線量上がってくる。そうするとその後、1、3号機の注水に誰も行けなくなる。放射能が第2原発までいってしまい、作業できなくなる。どうなるんだと頭をよぎったが、最悪はそうなる可能性がある。本当に綱渡りのぎりぎりのところで、やっと水が入って、そこまで生きた心地がしなかった」

> ■15日

> ◆「撤退、言っていない」

> ◇未明、2号機への注水がうまくいかない。作業員の安全を懸念し吉田氏が退避に向けた指示を出す

> 「総務の人をひそかに部屋へ呼んで、何人いるか確認しろと。協力企業の方は車で来ていらっしゃるから……。うちは何人いるか確認しろ、特に運転・補修に関係ない人間の人数を調べておけと。使えるバスは何台あるか。何かあったらすぐに発進して退避できるように準備を整えろと」

> −−(4号機が水素爆発する)15日午前6時前にそうして。

> 「2号機はだめと思ったんです。1、3号機は水を入れていたでしょう。(2号機は)水が入らないんですもの。溶けていくだけ、燃料が。燃料が溶けて1200度になりますと、圧力容器の壁、格納容器の壁もそのどろどろで抜きますから、(燃料が地下に向けて溶け落ちる)チャイナシンドロームになってしまう。放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々のイメージは東日本壊滅ですよ」

> −−最低限の人間を残そうと考え、すぐに退避となっていない。

> 「水がやっと入ったんですよ。入ったという兆候が出たんで、助かったと思ったタイミングがあるんです」

> ◇午前6時14分、4号機が水素爆発

> −−午前6時から6時10分ごろ、2号機の圧力抑制室の圧力がゼロに。衝撃や音は。

> 「この日の朝、菅総理が本店に来られるということで、テレビ会議を通じて本店とつないでいた。中央操作室から、ゼロになったという情報と、ぼんという音がしたという情報が入ってきた。ゼロということは格納容器が破壊された可能性がある。確認は不十分だったんですが、非常事態と判断し、運転と補修の主要な人間だけを残して一回退避しろという命令を出した」

> −−4号機は。

> 「中央操作室に行った時に何か衝撃波があって、上を見たら4号機の壁がべろべろになっていると。だから、ぼんという音が4号機の音なのか、2号機の圧力抑制室か何かがブレークした音なのか、いまだに分かりません。4号機がブレークした音が、3、4号機の中央操作室に入ろうとした人間がものすごい圧力波を受けたと言っていますから、4号機の音だと思います。今から思えば」

> −−4号機で何が起きたと思ったか。

> 「最初のぼんが何かよく分からなかったので、一番可能性があるのは使用済み核燃料プールで燃料が過熱しすぎてブレークしたのかなと。それにしても、解せないんですね。南北にどーんと穴が開いて、東西に穴が開いていない。かつ3、4階。どうしてそうなるのか。3号機から水素が行ったというのも、いまだに私は信用していないんです。でもそれ以外の原因がないと。エンジニアとして解せない。どこが一番やられているか現場に入れるようになって、見ないと分からない」

> ◇4号機の水素爆発前の午前5時35分、菅首相が東電本店を訪問し、撤退などあり得ないと発言

> −−2、4号機で特異な事象が認められる前に本店に菅首相たちが来た。何をしに来たのか。

> 「叱咤(しった)激励に来られたのか何か知りませんが、社長、会長以下、取締役が全員そろっているところが映っていました。そこに来られて、何か知らないですけれども、えらい怒ってらした。要するに、お前らは何をしているんだと。ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分が悪かったことだけ覚えています。そのうち、こんな大人数で話すために来たんじゃないとかで、場所変えろと何かわめいていらっしゃるうちに、この事象(4号機の水素爆発)になってしまった」

> −−テレビ会議の向こうでそれをやられているうちに起きた。

> 「そうそう。ですから、こっちで退避しますよと言ってやったんです」「音がしたことと、(圧力が)ゼロ、この2点は大きいと思った。安全側に判断すれば、放射能が出てくる可能性が高いので、一回退避させようと、2F(福島第2原発)まで退避させようとバスを手配したんです」

> −−15日午前10時か午前中にGMクラス(管理職)はほとんどが帰り始めた。

> 「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。これがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は運転手に2Fに行けと指示をした。私は福島第1の近辺で所内にかかわらず、線量の低い所に一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまったと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、まずGMから帰ってきてとなった」

> −−所長の頭の中では、福島第1周辺の線量の低いところ、例えばバスの中で。

> 「確かに考えてみれば、みんな全面マスクをしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです」

> 「退避騒ぎに対して言うと、何をばかなことを騒いでいるんだと。私は言いたいんですけれども、逃げてはいないではないか、逃げたんだったら言えと。逃げたと言ったとか言わないとか菅総理が言っているんですけれども、何だばか野郎というのが基本的な私のポジションで、逃げろなんてちっとも言っていないではないか」

> −−言葉遣いとして「撤退」という言葉は使ったか。

> 「使いません。『撤退』なんて。菅が言ったのか、誰が言ったのか知りませんけれども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、ばか、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」

> −−政治家の間でそういう話になっている。

> 「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って。一言。誰が逃げたんだと所長は言っていると言っておいてください。事実として逃げたんだったら言えと」

> −−ある時期、菅さんは自分が東電が逃げたのを止めたんだ、みたいな。

> 「あのおっさんがそんなのを発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。辞めて自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。私も被告です、なんて偉そうなことを言っていたけれども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、ばか野郎と言いたい。議事録に書いておいて」

> ■過酷事故の対策

> ◆電源喪失「誰も思わず」

> −−過酷事故対策で、複数が同時に故障するという事態を想定していたか。

> 「残念ながら、3月11日まで私も考えていなかった」

> −−なぜ考えなかったのか。

> 「中越沖地震(2007年)で柏崎刈羽原発(新潟県)は同時にいったんです。えらい被害だったんですけれども、無事に安全に止まってくれた。今回のように冷却源が全部なくなるということにならなかった。設計用地震動を何倍も超えている地震で、ある意味実証されたんで、やはり日本の設計は正しかったという発想になってしまったところがある」

> −−外部電源が喪失した場合に、電源融通元もダメになる場合は想定していたか。

> 「世界で原発は400とか500あります。いろんなトラブルを経験しているわけですけど、今回のような電源が全部枯れてしまうことが起こっていない。そこが思い込みだったかもわからないですが、自信を持っていたというか」

> −−消防車を水源として注水することは頭にあったか。

> 「後づけで言う人が多いんでは。消防車だって何台も買っておけよと。中越沖地震で火災になったから消防車を買った。この消防車を注水に使おうというところはつながっていないですよ」

> −−通信設備としてPHSが重要だから、もう少し持つように検討しなかったか。

> 「そこまで想定してPHSを使うことを誰も思っていない。今、保安院(原子力安全・保安院)が出している改善策では全然十分ではない。対策を徹底的にやるべきだ」

> −−訓練時もPHSが使えない状況を想定していないのはなぜ。

> 「電源がどこか生きていると思っているんですよ、みんな。電源がなくなるとは誰も思っていない」

> ■地震・津波想定

> ◆保安院は基準決定せず

> −−用地は安全性を確保できる場所を選定する。

> 「貞観(じょうがん)津波(869年)のお話をされる方に、特に言いたい。波源で考えたとき、うちは3メートルか4メートルぐらいしか来ないから、十分持つという判断を一回している。マグニチュード(M)9が来ると言った人は、今回の地震までいない。何で考慮しなかったというのは無礼千万と思っています。そんなことを言うなら、全国の原発は地形などに関係なく、15メートルの津波が来るということで設計し直せと同じ」

> −−土木学会の指針、基準は権威、客観性があるんですか。

> 「声を大にして言いたい。原発だけではなくて、2万3000人死にましたね。M9が来て死んでいるわけです。こちらに言うんだったら、あの人たちが死なないような対策をなぜ、そのときに打たなかったんだ」

> −−原子力安全・保安院などが(想定津波を)もうちょっと上げた方がいいと示唆することはあるか。

> 「保安院さんもある意味汚いところがあって、先生の意見をよく聞いてと。要するに、保安院として基準を決めるとかは絶対にしない。あの人たちは責任をとらないですから」

> −−1F(福島第1原発)に異動された。

> 「やだな、と。プルサーマル(ウランとプルトニウムの混合燃料の使用)をやると言っているわけですよ。はっきり言って、面倒くさいなと。自治体、保安院に挟まって、極めて不毛な議論で技術屋が押しつぶされているというのがこの業界。案の定、面倒くさくて。それに、運転操作ミスがわかり、申し訳ございませんと県だとかに謝りに行って、ばかだ、アホだ、下郎だと言われる。くそ面倒くさいことをやって、ずっとプルサーマルに押しつぶされている。一日も早く辞めたいと。そんな状態で、申し訳ないけれども、津波だとか、その辺に考えが至る状態ではございませんでした」

> …………………………………

> ■人物略歴

> ◇吉田昌郎(よしだ・まさお)氏

> 東京工業大大学院で原子核工学を専攻し、1979年に東京電力に入社。一貫して原子力の技術畑を歩き、2010年6月に福島第1原発所長に就任。13年7月9日に食道がんのため58歳で死去。

> …………………………………

> ◇非公開前提に聴取 政府、報道受け一転公開

> 政府事故調は事故当時の政府首脳や関係省庁幹部、東電の幹部や福島第1原発所員ら772人から事情を聴いた。聴取は非公開が前提で、事故調委員や検事らの事務局員が実施した。

> 吉田所長への聴取は、2011年7〜11月、計28時間あまり行われた。当初は畑村洋太郎委員長ら複数の委員も出席していたが、後半は事務局員のみで進められた。菅直人首相を「おっさん」などと呼ぶのは、11月の最後の聴取だ。

> 今年5月、朝日新聞が吉田所長の聴取結果を入手したとして内容を報道。吉田氏は生前、調書が国会の事故調査委員会に提供される際、「内容がすべて事実として独り歩きしないか」と懸念を表明し、第三者への公表を望まない旨の上申書を政府に提出。政府も当初は公表しない方針だった。しかし、8月に入って産経新聞など他メディアが朝日新聞の報道内容を否定する内容を報じた。政府は「内容の一部が独り歩きしている」として公表に転じた。

> ◇住民避難判断情報なく−−菅直人・元首相に聞く

> 吉田昌郎所長は事故が東日本壊滅につながる可能性を指摘した。私の認識も全く同じだった。政府が当時作成したいわゆる「最悪のシナリオ」によると、最悪の場合は首都圏の5000万人が避難を強いられる可能性があった。吉田氏は現場責任者として、私は政府の責任者として、同じ危機感を持っていたということだ。

> 当時の原子力安全・保安院は機能喪失し、東電本店からも事故に関する情報が上がってこなかったため、直接電話で現場に状況を問い合わせたり、現地を視察したりする必要があった。吉田氏の負担になったことはよく理解できる。だが、情報がない中で避難を決めるのは危ない。他の手段がないなら現場に聞くしかなかった。

> 清水正孝社長が海江田万里経済産業相を経由して撤退の意向を示したのは確かだ。海江田氏がそう理解したのに、私がそれを無視できない。東電が撤退を考えてはいけないというわけではない。社長は職員の安全を考えるのが役目だ。しかし、私は東日本全部のことを考えないといけない。

> 撤退は清水社長単独の判断ではないと思い、(2011年3月)15日に東電に乗り込んだ時、本店の他の幹部に向けて「撤退はあり得ない」と言った。それをテレビ会議で見た吉田氏が「そんなつもりはない」と。それはその通り。吉田氏は最後まで頑張るつもりだった。清水社長と見方が100%一致しているわけではない。彼の発言は私の発言と矛盾しないし、私への反論とも受け止めていない。

> 吉田調書は、事故の原因解明が終わっていないことも示した。例えば、1号機の非常用復水器(IC)について、吉田氏はなぜ動いていると見誤ったのか。これらを究明するためにも、早く国会事故調の後継組織を作り、すべての未解明問題について検証すべきだ。

> 原子力事故の特殊性についても強調しておきたい。今回の事故は「5000万人の避難」など人間がコントロールできる限界を超えていることを示した。戦争に負けるのと同じぐらいの被害をもたらす恐れがあることを肝に銘じるべきだ。【聞き手・尾中香尚里】

<参考=「吉田調書:公開 当時の混乱伝える証言 生々しく」(毎日新聞)>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/13 (Sat) 20:45

副題=吉田調書:公開された福島第1原発・政府事故調の主な調書(要旨)(毎日新聞)

 こんばんは。


 菅直人元首相と枝野元官房長官と福山元官房副長官の調書の要旨です。
 フクイチから誰も居なくなるものだと思い込んでいたという。


> ◇菅直人元首相

> <事故の原因>

> 菅氏 今回の原発事故は、事故の起きた3月11日以前に大半の原因があったというのが私の認識です。全電源喪失を一切想定しない、否定した中で行われていたところに大きな理由があったと思っています。

> <全電源喪失>

> −−11日午後7時3分から第1回の原子力災害対策本部の会合がありました。

> 菅氏 ディーゼルの発電機が置いてあるが、海水をかぶって止まり、非常用電源が稼働しなくなった。東電から電源車を一刻も早く送ってくれ、電源車が届けば緊急用の冷却機能を動かすことができると言われたので、全面的に協力しますよと。(電源車は)届いたんですよ。うまくいくのかなと思っていたら、プラグが合わなくてつなげませんというので、何でそんなことになるんだろうと。

> <ベントの遅れ>

> −−それでベントの話に変わったと。

> 菅氏 12日午前1時30分に東電及び(班目春樹)原子力安全委員長がベントの必要について説明した記録が残っています。(ところが)ベントが必要だと言っている東電がなかなかやらない。何でやっていないんですかというと、武黒さん(一郎東電フェロー)だったと思うんですが、わからないと。理由はわからない。そういう状況なんです。

> <原発視察>

> −−12日朝の1F(第1原発)への視察は、どの時点で考え始めたのですか。

> 菅氏 12日午前1〜2時ごろに検討を指示しています。地震、津波の現場を上空からでもいいから見たいと。もう一つはなかなかコミュニケーションがスムーズにいかない中、一度現場の責任者ときちんと会って話をした方がいいと判断しました。私は原子力の専門家ではありませんが、多少の土地勘はある。あまり若い人にはお勧めできない場所でもあります。

> −−吉田(昌郎・第1原発)所長と会って話したことは、後々役立ったと。

> 菅氏 私は、その場で初めて吉田さんという人に会ったんです。吉田所長がベントについて説明して、お願いしますと言ったら、わかりました、やりますと言ってくださった。コミュニケーションがきちんとできる人だと感じました。

> <海水注入>

> −−注水の話が出てきたいきさつは。

> 菅氏 冷却機能が動かない中、水を入れるしかないというのは、専門家からすれば当然の認識だったと思います。淡水がなくなれば海水を入れるしかないという認識は、全員一致していました。

> −−海水注入に問題があるという意識があったわけではないと。

> 菅氏 よく再臨界のことが言われるんですけれども、再臨界と海水の問題は考え方は全然別です。当時、再臨界のことで聞いていたのは、メルトダウンしたもの(核燃料)の再臨界が起きやすい形状と起きにくい形状がある。海水の話とは関係ありません。

> −−武黒さんの説明だと、官邸での議論で海水注水の了承が得られていないので、ちょっと待ってくれないかと吉田所長に連絡しているらしいのですが。

> 菅氏 (海水)注入は12日午後7時4分に始まっていたわけですよ。武黒さんもその時点では知らなくて、我々にも報告がなかった。だいぶたってからわかったことは、水が入っていることを知った武黒さんが、自分の判断で吉田所長に止めろと言っている。吉田所長は一応止めるぞと言って、実は止めなかった。結果はよかったと思います。海水が入っているがいいですかと聞かれたら、それを止めるなんてあり得ません。

> <東電撤退問題>

> −−東電が撤退するようだということは、どういういきさつで聞いたのでしょうか。

> 菅氏 15日の午前3時ごろに秘書官が来て、(海江田万里)経産大臣から話があると。東電が撤退したいと言ってきている、どうしましょうかと。

> −−誰も1Fからいなくなるという認識だったのですか。

> 菅氏 経産大臣や他のメンバーもそういう認識でした。

> −−東電の本店に行って、関係者を激励し、打ち合わせをしたと。

> 菅氏 私なりの気持ちを込めて話をしました。(原発を)放棄した場合、すべての原発、核廃棄物が崩壊することになり、日本の国が成立しなくなる。皆さんは当事者。命をかけてください。日本がつぶれるかもしれない時に、撤退はあり得ない。撤退したら東電は必ずつぶれる。

> <国民に伝えたいこと>

> −−事故に対処した首相として伝えたいことは。

> 菅氏 やはり原発というのはやめておいた方がいいなと。第一はリスクの大きさです。首都圏を含む(日本の)3分の1に近いところはある期間住めなくなるリスクを考えた時、それを完全にカバーできる安全対策はあり得ない。もう一つは核廃棄物の問題です。原発に依存しないことが、日本にとっても、世界にとっても、後世にとっても望ましい。自分たちが逃げて、後は誰かが何とかしてくれということはできない。逆説的に言うと、そういう覚悟がない中では原子力に依存しない方がいいということにつながります。

> ◇枝野幸男元官房長官

> <東電撤退問題>

> 枝野氏 14日夜、総理応接室に呼ばれて。そこで東電が撤退の話をしているみたいな話が出てきて、そうしたら私にも清水(正孝)社長から電話がかかってきて、同じ趣旨のことを言った。私の一存で「はい」と言える話ではありません、ということで電話を切った。海江田さんや細野君(豪志首相補佐官)のところにも(電話が)来ていたと思います。

> −−どういう言い方だったか。

> 枝野氏 間違いなく全面撤退の趣旨だった。これは自信があります。そうでなかったら私に電話してきません。みんな別々に電話を受けていますから、勘違いはあり得ない。

> −−清水社長の電話は(撤退の)了解を求めるような電話だったのか。

> 枝野氏 了解を求めようとしたから、私の一存では答えられませんと。

> −−18日の記者会見で「(東電が)全面撤退の意向を政府に打診したという(毎日新聞)報道があるが、承知していない」と発言した。

> 枝野氏 さすがにこの段階では言えなかったです。この段階で「そんな打診もありましたが断りました」と言ったら、いろいろな意味でもたない。

> ◇福山哲郎元官房副長官

> <東電撤退問題>

> 福山氏 私には東電からの電話はありませんでした。枝野官房長官には1度か2度、海江田大臣には間違いなく2度。細野さんには電話があったけれど「聞く立場ではない」と言ったと聞きました。

> 夜中の12時から2時くらいに、(東電が)撤退と言ってきている、どうしようみたいな話を、総理を入れずにしていました。「撤退やむなし」という空気が流れるのに抵抗感があった。

> 総理は全然怒鳴っていません。「撤退などあり得ませんから」とひと言ぽそっと言われたら、清水さんが「はい、わかりました」と。

> (原発から半径)10キロ圏内の避難はしています。命の危険があるのは作業員だけ。その人たちの命を危険にさらすリスクをどこまでぎりぎりまで引っ張れるのかという判断です。何百人の作業員の命がかかっているのはわかっている。しかし、放っておいてメルトダウンや爆発が起こったら、10キロ(避難)どころではなくなる。

> …………………………………

> ◇公開された政府事故調・調書一覧

> (50音順、肩書は原発事故発生当時)

> 池田元久副経済産業相

> 枝野幸男官房長官

> 海江田万里経済産業相

> 菅直人首相

> 北沢俊美防衛相

> 近藤駿介内閣府原子力委員会委員長

> 首藤伸夫東北大名誉教授

> 鈴木篤之日本原子力研究開発機構理事長

> 鈴木寛副文部科学相

> 高木義明文部科学相

> 中野寛成国家公安委員長

> 長島昭久民主党衆院議員

> 福山哲郎官房副長官

> 藤城俊夫財団法人高度情報科学技術研究機構参与

> 細野豪志首相補佐官

> 松浦祥次郎財団法人原子力安全研究協会理事長

> 松本宜孝内閣府業務担当主査

> 森山善範文部科学省官房審議官

> 吉田昌郎東京電力福島第1原発所長

> ※聴取結果書が公開されている内閣官房のホームページアドレス
><参考=「原子力規制組織等の改革」(内閣官房)>

<参考=「吉田調書:公開された福島第1原発・政府事故調の主な調書(要旨)」(毎日新聞)>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/10/04 (Sat) 16:52

副題=吉田調書から何を学ぶか:教訓活用、どこまで(毎日新聞)

 こんにちは。


 折角の教訓が、各所の原発再稼働の審査に生かされていないようで。

> 東京電力福島第1原発の事故当時の所長、故・吉田昌郎(まさお)氏が政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)の聴取に答えた「吉田調書」。未曽有の事故に直面した指揮官の計28時間あまりに及ぶ肉声は、原発事故を収束させる困難さを改めて私たちに突き付けた。事故から3年半が過ぎ、原発の再稼働が現実味を帯びる中、調書から学び取れる教訓を検証した。【酒造唯、鳥井真平、斎藤有香、中西拓司】

> ◇集中立地 申請ない炉は考慮せず

> 「昔から集中立地は嫌いなんです。(原子炉の数は)四つくらいでこぢんまりやっているのが運用上も楽なんです。所長の判断範囲も含めて、6個、7個になってくると、新潟県中越沖地震の柏崎刈羽原発もそうですけど、大混乱になりました」(6基のうち1〜3号機の原子炉と1〜4号機の使用済み核燃料プールが連鎖的に制御不能に陥り)

> 事故後に安全対策が強化された新規制基準では、原子炉の冷却作業を遠隔操作する「特定安全施設」の設置を義務付け、原子炉間での重要配管や電源設備の共有を禁止したが、原子炉の数の規制までは踏み込んでいない。同時に複数の原子炉が事故を起こす場合について、原子力規制庁は「最も過酷な事故が複数の原子炉で起きた時、同時に対応できるかという観点で審査している」と説明する。

> 新基準をクリアしたと判断された九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)の審査では、同時に2基の電力供給が停止しないことや、複数の予備電源の設置を確認。敷地の近くに作業員を常時待機させ、同時に2基が事故を起こしても体制が整えられることも確認した。

> しかし、審査は電力事業者から申請があった原子炉のみが対象になる。東電柏崎刈羽原発(新潟県)には国内最多の7基の原子炉があるが、東電が規制委に審査を申請しているのは6、7号機のみ。このため、審査では1〜7号機で同時に事故が起きる想定ではなく、6、7号機の事故のみを扱う。規制庁幹部は「申請がない原子炉まで審査する仕組みになっていない」と話す。

> 吉田氏は「東日本壊滅」という言葉で複数炉で同時に起きる事故の深刻さを表しており、この点は菅直人首相(当時)も同じ認識だ。原子力規制委員会の田中俊一委員長は「(複数立地の弊害について)いずれ議論しなければいけない」との見解を示しているが、議論は始まっていない。

> ◇現場の事故対応 被災状況で限定人員に

> 「ベント(排気)だと、原子炉建屋の2階の所の弁は人が開けに行きましたよね。決死隊ですね。そこは目をつぶって行かざるを得ない、行ってこいと」(1号機のベント作業について)

> 「被ばくをしますし、1万人ぐらい人がいて自由に使っていいんだったら幾らでもやるけど、人が限られている中で、優先順位をつけてやらざるを得ない」(1〜3号機の注水作業について)

> 事故では、1〜3号機が相次いで炉心溶融を起こし、原子炉格納容器の損傷や水素爆発により建屋内や敷地内が放射性物質に汚染された。多くの作業員に大量被ばくしながらの作業を強いたことに、吉田氏は苦悩の言葉を残す。新規制基準で電源やポンプ車などハード面の対策は充実してきたが、事故対応にあたる作業員の被ばく管理では積み残している課題がある。

> 新規制基準は、事故初期の7日間は、社外からの支援がなくても事故対応ができるだけの人員や機材の配備を求めている。新基準の「合格第1号」となった川内原発は、敷地内かその近くに常時52人が滞在し、事故に備える。緊急作業時の法定被ばく限度は100ミリシーベルト。規制庁幹部は「審査では、全電源が喪失しても、52人いれば全員100ミリシーベルト以内で初期対応ができると判断した」と話す。

> 一方、福島第1原発事故では、174人が100ミリシーベルトを超えて被ばくした。政府が特例として一時、被ばく限度を250ミリシーベルトに引き上げたが、6人はこれも超えた。新基準は、福島第1事故級かそれ以上の事故の可能性も否定していない。その場合、より多くの人員が必要になるが、周辺の被災状況によっては確保できず、現場対応が制限される懸念もある。規制委は被ばく限度(100ミリシーベルト)の見直しを始めたが、具体的な検討はこれからだ。

> ◇他機関との連携 原発構内の支援、想定外

> 「被害妄想になっているんですよ。結果として誰も助けに来なかったではないか。(中略)実質的な、効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから」(東電本店などからの支援について)

> 「(ヘリによる放水は)セミの小便みたいですね」「ヘリコプターも効いていないし、自衛隊さんも申し訳ないけど、量的には効いていないし、消防庁も効いていないし、機動隊はもともと全く効いていなかったと思います」(4号機使用済み核燃料プールへの放水作業について)

> 吉田氏は物資や人手の確保にも苦心した。津波や原発の水素爆発で多くの設備が使えなくなり、電源車やバッテリー、消防車、燃料などを本店に要求。自衛隊や消防には原子炉への注水や車両の確保を依頼した。ところが地震や津波で道路が寸断され、福島第1原発までの補給路が確保できない状況が続いた。4号機プールでは、自衛隊ヘリが空中から注水する大規模な作戦も行われたが、功を奏さなかった。

> こうした教訓から、新規制基準では、原発構内に備蓄する物資や車両の増強を求め、「7日間は外部支援がなくても事故に対応できる」ことを要求している。しかし、大規模事故の場合は自衛隊などの手を借りる場面も想定されるが、具体的な支援体制が決まっているわけではなく、外部機関の支援や連携の難しさは改善したとは言い難い。原子力規制庁幹部は「ケースバイケースで対応することになる」と説明する。

> 内閣府は9月、再稼働に向けた手続きが進む川内原発で、全国の原発で初めて、事故時における自衛隊や警察、消防、海上保安庁などの支援体制を定めたが、内容は住民避難や災害対応など敷地外の支援にとどまる。立地する薩摩川内市消防局は「原発構内での活動は想定していないので、事故時にどう対応するかは分からない」と戸惑いを隠さない。

> ◇首相官邸・東電本店 緊急時の情報伝達、懸念

> 「何で官邸なんだというのが最初です。本店の本部は何をしている」(官邸からの再三の問い合わせに)

> 「官邸は了解していないと。ただ私は中止するなんて毛頭考えていない。中止命令はするけども、絶対に中止してはだめだと指示した」(1号機への海水注入中断を本店から指示され)

> 「現場もわからないのに、よく言うなこいつは、と思った」(班目春樹・原子力安全委員長や清水正孝社長から2号機の減圧指示を受け)

> 福島第1原発事故では、官邸と現場の間を取り持つ東電本店や原子力安全・保安院が機能せず情報共有が不足したため、官邸が直接現場介入し多くの混乱を招いた。事故対応に集中すべき現場に、官邸や本店から細かな質問や指示が相次いだいらだちを、吉田氏は繰り返し証言している。

> 事故後、国は原発事故時の体制を改め、原子力規制庁内に設置される緊急時対応センター(ERC)とオフサイトセンター、地元自治体、官邸、電力会社の本店、事故現場をテレビ会議システムでつないだ。

> 事故発生時は、官邸に原子力災害対策本部が設置され、意思決定を一元化。原子力規制委員会から委員長を含む委員3人が官邸に入り、首相に助言する。残りの規制委員2人はERCで情報収集などの指揮をとる。

> また、福島の事故時にはなかった原災本部事務局を官邸に設置し、ERCに集まる情報を整理して原災本部幹部に伝える。事業者の本店には原子力規制庁幹部が常駐する。規制庁は「迅速に情報が官邸に伝わる体制になった。過剰な現場介入は起きないはずだ」と説明する。

> ただ、ハード面や仕組みは整ったものの、携わる電力会社社員や規制庁の官僚らの顔ぶれは事故前と大きく変わらない。「抜き打ち」を含めた訓練を実施しているが、緊急時に機能するかどうかは未知数だ。

> ◇オフサイトセンター 防護拠点整備に遅れ

> 「避難みたいな話は、本来オフサイトセンター(OFC)が決めるのが原災法(原子力災害対策特別措置法)の基本理念だと思っているんですけど、そこが何も判断しませんから」

> (放射線量が急上昇した際に)

> OFCは原発事故時、構外の対策拠点として全国の原発近くに整備された。緊急時には関係省庁や自治体の職員らが集まり、状況把握や住民避難の指示、地元への広報などを一手に担う「司令塔」となるはずだった。

> だが福島第1原発から5キロにあったOFCは、放射性物質の侵入を防ぐ装置がなかったため内部の放射線量が急上昇し使用不能に。代替施設も被災し、事故4日後の15日には約60キロ離れた福島市に移転。常駐するはずの保安院職員も合わせて現場から撤退した。周辺住民に避難の指示や情報が伝わらず、その「無力」ぶりが明らかになった。

> 事故後に改定された原子力災害対策指針では、OFCを原発の5〜30キロに設置することを決定。設備面を増強したほか、放射線モニタリングや避難指示の広報など、住民防護のための拠点に役割を特化させた。

> だが現在でも、泊(北海道)▽浜岡(静岡県)▽志賀(石川県)▽伊方(愛媛県)の4カ所は約5キロ圏内にある。5キロ圏外への移転、新設を進めているが、いずれも完成は15年度の予定だ。また女川(宮城県)のOFCは津波で破壊され、再建場所も決まっていない。

<参考=「吉田調書から何を学ぶか:教訓活用、どこまで」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/10/11>


NO.544 代々木ゼミナール:20校舎閉鎖を正式発表 希望退職も(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/08/26)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/26 (Tue) 06:36

 おはようございます。


 少子化と大学増で、受験者中の浪人生の割合が、かつての4割から1割に減少してるそうです。(私が大学に入ったとき、クラスでアンケートを取ったら約5割でした)
 代ゼミは、私立文系を得意とするため、影響が大きかったそうです。

> 代々木ゼミナール(本部・東京都渋谷区)は25日、全国展開する27校舎のうち、20校舎を来年度から生徒募集を停止して閉鎖することを正式に発表した。全国の大学対象の全国模擬試験と大学入試センター試験の対策模試は中止するが、東大・京大をはじめとする主要15大学と、高校1、2年生対象の模試は継続する。規模縮小に伴い、40歳以上の職員に早期希望退職を募るという。

> また、センター試験の自己採点結果を集計・分析し、志望大学の合格判定をする「センターリサーチ」も来年1月から中止予定という。来年受験する在校生への国公立2次試験出願の指導は、他社のサービスに参加させることで補うという。【藤沢美由紀】

<参考=「代々木ゼミナール:20校舎閉鎖を正式発表 希望退職も」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/10/29>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/26 (Tue) 06:41

副題=代々木ゼミナール 全国模試など廃止へ(NHK)

 おはようございます。


 模試の廃止で、浪人だけでなく現役生にも影響が大きいようです。

> 全国にある校舎のうち7割以上を閉鎖する方針を決めた大手予備校の代々木ゼミナールは、受験生が志望校選択の参考にしてきた模試や大学入試センター試験の分析なども来年から実施しないことになりました。

> 東京に本部がある代々木ゼミナールは、いわゆる三大予備校の1つとして浪人生を中心に多数の生徒を集め、全国に校舎を展開してきましたが、少子化に伴う受験生の減少などを受けて、29の校舎のうち7割以上に当たる22の校舎を閉鎖する方針を決めています。
> 代々木ゼミナールによりますと、来年4月からは、大学入試センター試験と同じようなマークシート方式で行っていた全国センター模試や、国公立大学の2次試験や私立大学の入試を想定した全国総合模試、それに毎年行っていたセンター試験の分析なども来年1月からは実施しないことを決めたということです。
> これらの模試や分析は、多くの受験生が志望校選択の参考にしてきたものですが、代々木ゼミナールは「校舎を集約することで模試や分析を行う拠点が限られてしまい、効果的な集計ができなくなるため」と話しています。
> 東京大学や京都大学など個別の大学の志願者向けの模擬試験は引き続き行う方向で検討しているということです。
> 代々木ゼミナールは「ことしの受験生については責任を持って対応していきたい。来年度以降は、地域に根ざした大学を目指す人のための予備校として再出発したい」と話しています。

<参考=「代々木ゼミナール 全国模試など廃止へ」(NHK)>
<消滅・削除・14/09/05>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/26 (Tue) 23:33

 こんばんは。


 一等地にあるビル、ホテルに転用できるように造ってあると、知人から聞きました。
 この日を予見してたんでしょうね。

 因みに、本部校舎の18階から24階はオール個室の寮で、年額約200万円だそうです。起きたら階下の教室に降りていき、授業が終われば部屋に上がっていく。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/10/04 (Sat) 01:36

副題=代ゼミ、「一人負け」の深層  代ゼミ敗戦記(上)(日本経済新聞)

 こんばんは。


 「コンフィデンシャル」な記事だそうです(笑)。

> 三大予備校の一角はなぜ、あっけなく崩れたのか。「代々木ゼミナール」を運営する学校法人高宮学園の20校一斉閉鎖は、少子化による受験者数の減少が原因だと解説される。だが、それはすべての教育産業を襲う荒波でもある。代ゼミを追いつめた真因はどこにあったのか、その深層を探っていく。

> 9月2日、午後2時。東京・渋谷にある代々木ゼミナールの一室に、70人近い学習塾関係者が集められていた。「代ゼミサテライン予備校」のフランチャイズ校として、各地で映像授業を展開しているこの経営者たちが、「大量閉校」のニュースを聞いたのは、2週間前のことだった。

> 「一体、誰が決めたんだ」。詰め寄る塾関係者に、代ゼミの経営トップ、副理事長の高宮敏郎は、「さあ」と言って首をかしげ、煙に巻く。議論がかみ合わず、重い空気が流れた。

> 「違約金」を巡っても紛糾した。講師300人の契約打ち切りが報道され、配信される授業の劣化も危惧された。そうした理由で、契約を解除した場合でも、違約金を代ゼミに払わなければならないのか。

> 「個々にご相談にのります」という代ゼミ側の返答に、塾関係者が怒声を上げた。

> 「違約金を払うのは代ゼミの方だろう」

> 張りつめた空気のまま1時間が過ぎたころ、高宮が広告代理店との打ち合わせを理由に席を立つ。

> 「おい、一体誰が決めるんだ。あとで決めときますなんて、この世の中では通らんぞ」

> そうした会場の声をよそに、高宮は退席していく。残された代ゼミ幹部は、「この場では判断できない」と繰り返すばかりだった。

> 代ゼミがどうなってもいいと思っているんじゃないか――。

> 空しさを抱いて会場を後にした塾経営者は、眼前にそびえる26階建ての代ゼミタワーを見上げて、その意を強くした。

> 「予備校にこんなビルが必要なのか。現場軽視もはなはだしい」。そのガラス張りの巨大ビルが立ったのは、わずか6年前のこと。それから、瞬く間に代ゼミは経営の崖っぷちに追い込まれた。

> ■「生徒ゼロ」授業

> そのタワービルの内側では、現在の代ゼミを象徴する光景が繰り返されている。150人収容の大教室が並ぶが、生徒の姿はまばらだ。

> 現代文の講師は、教室に行っても生徒が1人もいないことがあるという。それでも、授業を始めなければならない。授業を録画・配信するからだ。

> 「本来はライブ授業なので、あたかも生徒がいるかのように演技することになる」

> あまりにも生徒が少ないために、講師の「自爆営業」も後を絶たない。自分の担当する講座の申し込み状況を確認できる。受講者がいなければ、収入がなくなってしまう。

> 「締め切り直前になっても申し込みがゼロだと分かったら、親戚の名前を借りて自腹を切る。そうすれば、講師料が支払われるから」

> 巨大なタワービルの内側では、「空疎」な授業が続いている。だが、代ゼミはその実態をひた隠しにする。生徒数や売上高について、一切、公表していない。それどころか、今年から、合格者数も公表しなくなった。

> 今後、全国で閉校となる巨大ビルが、どうなっていくのか。代ゼミは全体像を語ろうとしない。経営トップの高宮に幾度となく取材を申し込んだが、いまだ実現していない。

> 「代ゼミの校舎は駅前一等地だから、すごい資産価値がある。しかし、減少の一途をたどる浪人生を相手にしていたら、赤字を垂れ流すので、見切りをつけたのではないか」

> 河合塾で教務本部長を務めた経験を持つ高等教育総合研究所社長の亀井信明は、代ゼミの閉校が、「資産の有効活用」にあると見る。

> 資産総額は4407億円と、河合塾の1810億円、駿河台学園(駿台予備校)の604億円に比べて群を抜く。ところが、ここ4年で211億円も減少している。前期だけでも74億円を失っている。

> そこで、代ゼミは一部施設をホテルに切り替えている。京都校の別館は2010年に「ホテルカンラ京都」となり、2016年には名古屋でも高宮学園が建設する23階建ての複合ビルに名鉄インが開業する。

> 「浪人生がいなくなったら、ホテルにすればいい」。かつて、創業者の高宮行男はそううそぶいていた。1980~90年代、札幌や福岡、広島といった地方都市の駅前一等地に、巨大なビルを建設、「将来、少子化になったらどうするのか」という不安を投げかけられると、そう言って笑い飛ばしたという。

> だが、高宮を知る代ゼミの元職員は、「ホテル転業説」に首を横に振る。

> 「それは、ライバルの駿台と河合が倒れて、浪人生が誰もいなくなったときのこと。ライバルより先につまずくなんて、高宮さんは夢にも思っていなかったはずだ」

> そもそも、廃校する20もの校舎を不動産業として利用すれば、税制優遇を受けている「学校法人」の認可が揺らぐことになりかねない。高宮学園を管轄する東京都の私学部私学行政課は、「設立趣旨と大きくかけ離れた場合は、対応を検討しなければならない」と警戒する。

> ■昭和の予備校革命

> 創業者の高宮行男が目指したのは、巨艦校舎を一等地に構えて、予備校生を一網打尽にする「寡占化戦略」だった。一人勝ちの状態で、少子化時代を切り抜ける。

> 「予備校という“日陰のビジネス”に革命を起こしたアントレプレナーだった」

> 代ゼミの英語講師だった古藤事務所代表の古藤晃は、そう評する。経営トップでありながら、校舎のトイレを掃除する姿があった。自らビラを配って生徒を勧誘する。「予備校を明るくて、気持ちいい空間にする」。それが口癖だった。

> 巨大な校舎を建てたのも、そのためだ。そして、多彩な講師陣を集めていった。

> 「芸者、学者、易者」。予備校講師に求められる資質をそう表現していた。学問的に優れている講師ばかりでなく、人を引きつけるエンターテインメント性を持つ人も必要とされた。そして、「獲得した生徒数」という競争原理を働かせて、講師をふるいにかけていく。

> それを可能にしたのは、高宮行男の特異な経歴にある。国学院大学神道学部を卒業し、親戚が経営するキャバレーや質屋、パチンコ店の運営に携わった。そして、取引先だった予備校「不二学院」が資金繰りに行き詰まると、経営に乗り出して、「代々木ゼミナール」と看板を替えて急成長させていく。

> 時代がバブル期に突入すると、代ゼミは巨大校舎による全国進出を加速させていった。1985年からの5年間だけでも、ターミナル駅前を中心に12校を新設した。92年に熊本校を出すと、現在の27校体制が完成する。

> だが、この急拡大の中で、すでに変調の兆しが見えていた。

> 87年、代ゼミの人気講師が、同時に河合塾に移籍する事件が起きている。英語の人気講師だった古藤もその一人だ。

> 「当時の代ゼミは校舎が増えるから、生徒を引きつけるエンターテイナーが多くなってしまった。その点、河合塾は真面目な講師がそろっていた。教育とは何だ、という青臭い議論も活発だった」

> 代ゼミは急拡大のゆがみから、講師や教育の「質」が薄まってしまった。

> 翌年、再び代ゼミに衝撃が走った。エンターテイナーの象徴だった「金ピカ先生」こと佐藤忠志が、ナガセが運営する「東進ハイスクール」に引き抜かれる。その後も、元暴走族の古文講師、吉野敬介をはじめ、多くの人気講師が東進に流れていった。

> 「生徒の駿台、机の河合、講師の代ゼミ」。そう特徴を表現された三大予備校だったが、そこに東進が「人気講師」を売りにする代ゼミモデルで台頭しようとしていた。

> ■「給料が3倍になる」

> 代ゼミの衰退は、東進の躍進とコインの裏表の関係にある。

> 同じく人気講師を売りにしているが、運営システムはまったく異なる。ナガセは東進ハイスクール93校や東進衛星予備校909校を全国に展開するが、自社保有の不動産は本社がある東京・吉祥寺と西新宿の2カ所だけ。VOD(ビデオ・オン・デマンド)方式で映像授業を行う東進衛星予備校は、地方の学習塾とFC契約を結ぶことで、全国展開している。

> 「直営でやると、校舎によって先生の当たり外れが出てしまう」(ナガセ社長の永瀬昭幸)。そこで、実力のある講師の授業を映像にして、全国の提携先に配信するわけだ。そうすれば、1回の授業が、10万人に上る東進衛星予備校の生徒に視聴される可能性がある。

> 「東進に行くと、給料が3倍になると噂された。しかも、映像を撮れば、あとは自由に時間が使える」(代ゼミ元講師)

> 東進の国語講師、林修がテレビタレントとして活躍できるのも、こうした仕組みが背景にある。

> 一方、代ゼミの講師は、生徒を前にした授業が主体となる。そのため、1日で各校舎を回って授業をこなすことも少なくない。「朝、東京で授業をした後に、新幹線で移動して新潟校で教えて、また東京に戻って教壇に立つ」(代ゼミ化学講師)

> いきおい、有力な講師は東進に流れていく。

> ■「窮余の策」が大ヒット

> 快進撃を続けるナガセは、2014年3月期の連結決算で、売上高398億円(5.9%増)、営業利益55億円(33.9%増)と、いずれも過去最高の数字をあげている。

> 東進はいかにして、今のシステムを築き上げたのか。その原点をたどっていくと、拡大策が裏目に出て、破綻寸前まで追い込まれた事実に突き当たる。

> 1991年、東進は「次年度、生徒3万人」を目指して、30億円を投じたテレビCMを打つ。ところが、実際には7500人しか集まらなかった。

> 資金繰りに行き詰まったナガセは、地方の塾を回って、「有名講師の授業を衛星放送で流す」とFC加盟を呼びかけた。そして加盟料として300万円を徴収する。「100社集めれば3億円になる。そうすれば急場はしのげる」。そうソロバンをはじいていたが、初年度にいきなり300校が集まった。

> これを見た代ゼミは追撃のため、97年に代ゼミサテライン予備校をスタートさせた。2007年には河合塾も「河合塾マナビス」としてFCによる映像授業ビジネスに本格的に参入している。だが、代ゼミは多くの講師陣を抱えて東進を追走したにもかかわらず、引き離されていくことになる。

> 一見すると、代ゼミと東進の衛星授業は、同じようなサービスに思える。だが、授業の内容には根本的な違いがある。

> 映像授業は、学校の授業や部活動に追われる現役生を主なターゲットにしている。東進では、「予備校」と名付けられているが、生徒の内訳は現役生10万人に対して、浪人生は3000人に満たない。

> 代ゼミサテライン予備校は生徒数を公表していないが、全国400校の塾とFC契約を結んでおり、こちらも現役生が大半を占めているとみられる。だが、ある代ゼミFC校の塾長は、「代ゼミタワーでの浪人生向けの授業も流されるため、まだ現役生が習っていない内容がまじっている」と打ち明ける。また、「浪人生向けの説法が多い」と苦言を呈する塾経営者もいる。

> ■「学校法人」対「株式会社」

> 浪人生を対象とすることで、「学校法人」として認可されてきた予備校に対して、東進は中学生をターゲットにした学習塾として成長してきた。その後、1985年に高校生を対象とした「東進ハイスクール」を設置している。現役生を中心としているため、株式会社として運営され、88年には株式を上場している。

> そのため、講師の立ち位置が真逆だという。「代ゼミは高校課程を修了した浪人生をベースにして、大学入試でミスをしない答案作りを念頭に置いて授業を組み立てている。一方、東進は高校生の学習ペースに合わせて、学力を積み上げていく授業を考案している」。関東地区の学習塾経営者は、両社の衛星授業を比較して、そう分析する。

> 東進衛星予備校が配信している授業は1万5000に上るが、毎年、3000~4000が更新される。受講状況のデータはリアルタイムで東進に送られている。それを、確認テストや模試の状況と合わせて解析している。受講しても成績が向上しない講座は廃止するか、授業を撮り直す。しかも、どこで生徒が理解しにくくなるのか、細かく分析している。

> こうして、各科目で目標とする学力レベルまで、空いている時間に何度でも映像を見直して学習させる。東進の発表では、2014年の東京大学合格者が、現役生だけで668人(東進ハイスクール含む)に上ったという。

> 一方の代ゼミは、「東大現役合格」を掲げて5年前にスタートしたプロジェクトが迷走し、今回の大量閉校につながっている。

> 2009年、創業者の高宮行男が心不全で92歳にして世を去った。その年から経営を引き継いだ副理事長の高宮敏郎は、中学受験で高い実績を誇るSAPIXをグループ内に取り込んでいく。

> 2010年、Y-SAPIX東大館を開校すると、その翌年からY-SAPIX中学部・高校部が全国に一斉展開されていった。東大や京都大学、医学部といった難関大学への現役合格を目指し、少人数対話型授業を実施する。現在、北海道から九州まで35校を展開している。

> 代ゼミの経営トップ、高宮が自ら経営をかじ取りするプロジェクトとなっている。彼自身の経歴も曇り一つない。中学受験で慶応普通部に入学、そのまま慶大経済学部に進学して、三菱信託銀行に入行。その後、米ペンシルベニア大学大学院で経営学を学んだ。

> その高宮が勝負に出たのは、2011年のことだった。代ゼミの現役コースを大幅に縮小して、Y-SAPIXに統合を図る。だが、講師陣から批判の声が噴出する。

> 「なぜ、生徒をSAPIXにもっていくんだ」。生徒数がそのまま収入に直結する代ゼミ講師にとって、この統合は死活問題となりかねない。「少人数制だから、授業単価が安かった。しかも、教え方がまったく違うので、代ゼミの講師は行きたがらない」(代ゼミ元講師)

> 結局、翌年度には代ゼミの現役コースが復活することになる。だが、この紆余曲折を目の当たりにした高校生は、現在の浪人生世代に当たる。一斉閉校に陥った決定打とみられる今年度の生徒減少は、Y-SAPIXを巡る迷走で「代ゼミ離れ」が加速したことが背景にある。

> ■東進に追いつけない真因

> 今後も、Y-SAPIXが代ゼミグループの混乱を引き起こす可能性がある。SAPIXが高い合格実績を上げている中高一貫校の「御三家(開成、麻布、武蔵)」などトップ校の生徒を、入学後も囲い込むことを狙っている。その高レベルのカリキュラムを、全国で展開することを売りにする。だが、閉校する代ゼミ校舎に通っている現役生は、グループの進学塾が紹介されることになっている。「普通の高校生が、Y-SAPIXのカリキュラムをこなすのは難しい。教室がガタガタになる」。Y-SAPIXで教えた経験がある代ゼミ講師は、そう不安を漏らす。

> 「そもそも、SAPIXが中高受験で実績を作っているのは、システムが優れているのではなく、先生の力量に負うところが大きい」。大手学習塾の経営者は、拡大が難しい経営モデルだと指摘する。

> 東進が全国展開で勢いを増し、代ゼミが迷走している真因はここにある。東進はシステムを研ぎすませて、教育効果の再現性を高めている。一方の代ゼミは、「東大」「現役合格」といったゴールばかりを意識して、生徒の目線で授業やシステムを組み上げられていない。

> 今年のY-SAPIXの東大合格者は12人。東進の668人に大きく差をつけられている。

> ■「三大予備校」の終焉

> 一方、三大予備校と呼ばれるライバルたちからも引き離されている。

> 駿台と河合塾は、生徒数をほぼ横ばいで維持。そして学校法人としての「総合力」を高めて、少子化、現役志向の荒波を乗り越えようとしている。駿台は「幼稚園から大学まで」とうたい、河合塾も昨年、東京学園高校の運営に参画して中高一貫校の設立を目指す。

> また、河合塾は模試データ提供やネット出願などで、高校や大学とのパイプを太くして、「教育情報」を事業の柱の一つに育てている。

> そして駿台は、ここに来て「予備校戦争」にとどめを刺そうとしている。今年春、東京・立川と広島に新校舎をオープンした。そして押し出されるように、代ゼミは、来春、立川校と広島校を閉鎖することになる。

> 追い込まれた代ゼミは、Y-SAPIXにグループの命運を賭ける道を突き進む。全国模試を廃止して、大学入試センター試験の集計・分析を手がける「センターリサーチ」からも撤退する。だが、東大や京都大といった難関大学の模試は継続する。

> しかし、その先には、勢力を増す強敵が待ち受けている。教育の地殻変動を見誤った代ゼミは、さらに深い迷宮に入り込んでいく。

> =敬称略

> (編集委員 金田信一郎、後藤健)

<参考=「代ゼミ、「一人負け」の深層  代ゼミ敗戦記(上)」(日本経済新聞)>
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【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/10/04 (Sat) 02:07

副題=代ゼミ、現場軽視の代償  代ゼミ敗戦記(下)(日本経済新聞)

 こんばんは。


 続きです。


> JR代々木駅の北口に、白い巨大ビルが竣工したのは、今年8月のことだった。

> 鉄緑会新本部ビル。一般的な知名度は低いが、東京大学を目指す中高一貫校の関係者にはその名がとどろいている。今年の東大合格者は、この代々木校舎1校で271人に上る。最難関といわれる定員100人の理科3類(医学部)には34人を送り込んだ。

> 宣伝費はほとんど使ってないが、口コミで生徒が増え続け、現在は3700人に上る。それは、生徒数が落ち込み、公表すらできない状態の代々木ゼミナールとは対照的だ。

> ■「学歴エリート」の再生産

> 「代ゼミさんは、この地を教育の中心というイメージにした」。鉄緑会会長の冨田賢太郎は、そう代ゼミを持ち上げてみせた。その代ゼミは、2010年にY-SAPIX東大館を同じく代々木駅前にオープンしている。傘下に収めた中学・高校受験の名門塾SAPIXと組んで、東大合格に向けたカリキュラムを作成し、その後、Y-SAPIXを全国展開していった。だが、今年の東大合格者は12人にとどまる。

> 「SAPIXで御三家(開成、麻布、武蔵)などのトップ校に合格しても、鉄緑会に流れてしまう」(代ゼミ化学講師)。鉄緑会の在籍生徒の内訳を見ると、開成541人、筑波大学付属駒場420人、桜蔭527人と、中高一貫校から大量の生徒を、この代々木1校舎に集めていることが分かる。ちなみに、鉄緑会は指定校制度をとっており、東大合格者数上位に位置する13校に絞っている。その他の学校からは、高レベルの入塾テストを通過しなければ門をくぐれない。

> それは、「学歴エリート」の再生産システムともいえる。1983年、東大の医学部と法学部の学生・卒業生を中心に、「最小限の努力で東大合格」を目指した進学塾として設立された。それから30年以上がたち、鉄緑会出身の東大卒業生の子どもたちが入塾する時代になっている。200人に上る講師は、ほぼ全員が東大。しかも大半が鉄緑会出身で理科3類に合格している。「自分たちの成功体験をテキストやカリキュラムにしている」(冨田)

> ■東大合格率89.9%

> 東大合格のノウハウを、世代を超えて引き継いでいく――。

> 東京・渋谷駅から徒歩10分、3階建ての小さなビルにある平岡塾も、そうした「知られざる名門塾」の一つだ。1965年に設立された英語塾だが、東大合格率80%超という実績を出し続けている。今年も188人が受験して169人が合格、その数字は89.9%にまで上昇した。

> 生徒数は急増し、中学1年生はかつて250人ほどで推移していたが、今年は500人を超えた。

> 「最近は、父母に平岡塾出身者が多くなった」。そう言う平岡塾代表の大町慎浩は、理由を「教え方を変えないことにある」と見る。中1がスタートすると、いきなり副読本「ドン・キホーテ」を読み込ませ、中2で大学入試センター試験レベルの英文法を習得する。創業者の故・平岡芳江が、筑波大学付属駒場(当時の東京教育大学付属駒場)に通う息子と、その同級生たちに英語を教えたスタイルをいまだに守っている。講師も平岡塾出身者が多数を占める。

> 「東大合格」を強く打ち出した塾は、世代をまたいだ実績によって、生徒も講師も教育法に信頼を寄せている。だから、代ゼミが東大入試を強く意識したY-SAPIXを展開しても、老舗塾の牙城を簡単には崩せない。

> 「強みやブランドイメージを見誤った。東大を前面に出すほど、内(講師)は白けて、外(生徒)は離れていく」。Y-SAPIXで教壇に立った経験のある代ゼミの国語講師は、そう打ち明ける。「代ゼミは、大衆の中で成長してきた。その中に東大コースがあってもいいが、重心は平均的な生徒に置くべきだ」

> だが、3年前に代ゼミの現役コースをY-SAPIXに統合しようとして迷走した。大衆路線から逸脱した施策が生徒減少につながって、今回の20校閉校につながった。

> ■「営業の武器」を失う

> だが、もう一つの撤退が、より「代ゼミの今後」に打撃を与えるとみられることは、あまり知られていない。

> 全国模試の廃止――。これを知った代ゼミ講師は、「閉校よりも痛手」とうなった。

> 大手予備校の生命線は、生徒の情報データと言っても過言ではない。テストを通して、高校生・浪人生を中心とした受験者情報を入手できる。しかも、学力の推移までデータとして積み上がっていく。

> このデータは、生徒個人への営業ツールであるばかりか、高校や大学への営業でも強力な武器となる。

> 「本来、高校は予備校と距離を置きたい。だが、予備校の持つ模試データに頼らなければ生徒の志望校への合否判定が分からない」。代ゼミ元職員は、全国模試などの詳細なデータがあるからこそ、高校が門戸を開いてくれるという。それを突破口に、生徒の弱点を補強するための講習を売り込んだり、場合によっては高校に補習の講師を派遣する契約を取ったりすることができる。

> また、全国模試を開催すれば、どの大学の志望者が増減しそうか、事前に予想できる。減少しそうな大学に出向いて、「志願者を増やすように、広告を打った方がいい」と営業をかけることも可能だ。

> 全国模試が高校と大学をつなぐ仲介機能を果たしている。それだけに、全国模試の廃止は、高校や大学との接点を失い、現場の変化を察知することが難しくなり、ライバルに戦略で後れを取るという悪循環に陥っていく危険をはらむ。

> ■目先のカネをけちる

> 逆に、ライバルは情報武装を固める。「情報データではベネッセと河合塾が2強になっている」(都内有名大学の入試部長)

> そこで大手予備校の一角である駿台予備学校は、ベネッセと組んで情報データを構築する。全国模試も共催で開いている。都市部の受験生のデータに強い駿台と、地方の高校に食い込んでいるベネッセが手を組んだことで、「圧倒的なデータ量の元で分析できる」(駿台)

> 一方の代ゼミは、大学入試センター試験の自己採点結果を収集・分析する「センターリサーチ」からも撤退する。今年1月には42万人が参加していたが、無料サービスにもかかわらず約6億円のコストがかかっていたという。センター試験が終わった翌月曜日に、自己採点表を全国の高校に配り、夕方には回収する。そして大量のデータを解析して印刷、木曜日の朝には発送する。

> だが、「目先のカネをけちると、結果的には大損する。これまで積み上げてきたデータや解析ノウハウがムダになり、高校から相手にされなくなる」(代ゼミ元職員)

> そして、高校の教育現場が見えなくなると、対応が遅れる。代ゼミはすでに、そうした「現場との乖離」で、ライバルに引き離されている。

> 「今、勢いがある高校は、生徒同士が教え合って勉強する『団体戦』の手法を推し進めている。大教室で一方的に教える代ゼミの巨艦主義は、時代遅れになっている」

> 教育情報を手掛ける大学通信の常務取締役、安田賢治はそう分析する。得意な科目を互いに教え合う。他人を蹴落とすのではなく、クラスが一体となって、それぞれの志望校に合格するレベルまで助け合っていく。少子化で「大学全入時代」といわれる中、受験生のモチベーションを上げるには、仲間と刺激し合うことが重要だという。

> 「今の子供は、自宅にいたらゲームやラインで時間を潰してしまう。だから、友人とスターバックスに集まって勉強する。高校をそんな“場”に変えれば、教育効果が高まる」(安田)

> 「団体戦のはしり」といわれる学校がある。鴎友学園女子中学高等学校(東京・世田谷)は、20数年前、国立大学の合格者が出ることすら珍しい状態だった。ところが、ここ数年は東大合格者が10人前後で推移し、卒業生の35%が国公立大学に現役合格している。

> 進学実績を伸ばしたのは、小さいグループが固定化しがちな女子校の悪癖を打ち破ることから始まった。

> 「女子生徒はすぐ仲間を作り、他のグループの子と弁当を食べただけで『裏切り』と見なしてしまう」(鴎友学園入試・広報部部長の大内まどか)。そこで、3日に1回、席替えをする。そして、授業では隣り合う生徒がペアやグループになって学習を進める。遠足ではバスの座席から食事、観光地まで、グループを入れ替えていく。そうしたクラスの一体化によって、高3になるころには、できる生徒を「教師役」とした自主的な勉強会を開くようになるという。

> 「予備校がなくても、どこでも合格できるように、教師がカリキュラムを研究している」(進路指導部長の前澤桃子)。「東大理系数学」といった補講授業を鴎友の教師が考案して実施する。だが、自律した学習が身につくと、生徒たちが「東大志向」といった一つの価値観に凝り固まらないという。8年連続で東京芸術大学の合格者を出している。

> ■名門都立、復活の舞台裏

> 公立高校にも、その波は広まっている。

> 東京都墨田区にある都立両国高校が中高一貫校に転換したのは2006年のこと。かつては都立の名門として東大合格者が60人を超えたが、学校群制度によって進学実績が低迷、東大合格者が激減していた。ところが、ここ数年、進学実績が急伸し、卒業生の国公立大学への現役合格者が2013年に35.2%となり、都立の進学指導重点校に指定されている日比谷や西を上回ってトップに立った。

> 始まりは英語の授業だった。ペアやグループを作り、話し合いやチームによる作業を、英語で進めていく。この手法が他の教科にも波及し、議論や討論をしながら学習を進めている。夏休みになっても、多くの生徒が学校に集まり、教室や廊下で学習する。気晴らしに校庭でキャッチボールをする姿もある。

> 「話したり、教わったり、一人ひとりが主人公になる」。都立両国副校長の藤井英一は、教育の狙いをそう表現する。塾や予備校に通う生徒は減少して、高1、高2で生徒の1割程度、高3でも2割程度にとどまる。「今の高校生は、予備校のような大教室で講義を受けるよりも、親しい先生に直接、教えてもらいたい」(藤井)。教師側も、生徒の学習状況や性格を把握しているため、効果的な教え方や指導が可能だという。

> 現代の高校生気質が、教育現場に変化をもたらしている。「その波に、東進(ハイスクール)の授業スタイルはうまく合っている」(安田)。同級生やクラブ活動の仲間と、自由に立ち寄って、受験勉強に取り組む「場」として機能するからだ。東進はそこにいち早く気付き、900校を超える地方の塾と提携して、現役向けの授業映像を配信していった。

> その視点に立って見ると、教育現場の変化に対応せず、ライバルの後手に回り、大教室主義から抜けきれなかった代ゼミが一斉閉校に追い込まれたことは、当然の帰結だったのかもしれない。全国模試の廃止によって、これまで以上に高校や大学との接点が薄れていけば、今後も経営が迷走しかねない。

> かつて、代ゼミ創業者の高宮行男は、教室に顔を出して、予備校生に交じって授業を見ていたという。そして、講師や生徒に気さくに声をかけた。

> ある時、講師が黒板に様々な色のチョークで板書するのを見て、顔をしかめた。「青と緑は見にくいから使わないように」。その方針は、翌日から代ゼミの全講師に徹底された。ところが、教室に出向くと、生徒が「前の方がカラフルで、理解しやすかった」とこぼした。高宮は直ちに、前言を撤回したという。

> 「現場目線で、施策を打っていた。間違ったと思えばすぐに修正する」(代ゼミ元職員)

> だが、今では経営陣と、職員や講師などの現場との壁が高くなっている。今回の大リストラ策も、その狙いをベテラン社員ですら理解していない。「なぜ、全国模試を止めるのか? それは理事でないと分からない。理事会に出ていた人に聞いてもらわないと」(代ゼミ幹部)

> ■東大生が教える無料授業

> 教育業界は今後、急速に地殻変動が起きるかもしれない。

> これまで予備校や学習塾は、授業という「コンテンツ」と、進路指導やモチベーション向上といったコーチング機能が一体となって、価格が設定されていた。

> だが、映像授業の急速な広まりは、「どちらが付加価値を生んでいるのか」という議論を巻き起こす可能性がある。

> 映像授業は、1度、録画してしまえば、視聴者が多いほどコストが低下する。つまり、低価格での販売が可能となるわけだ。

> そうした「価格破壊」のサービスが生み出されている。

> 月額980円で、ビデオ・オン・デマンドの授業を受け放題――。リクルートマーケティングパートナーズは、1000を超える動画授業を受験生向けに配信する「受験サプリ」サービスを開始して、2年で5万人の有料会員を獲得した。

> 「7割近い受験生は塾に通っていない。そこを狙って、東進を超える会員数を目指したい」。(受験サプリ編集長の松尾慎治)

> このサービスを、高校が採用するケースが増えてきた。全国200校が契約しており、生徒全員が使える環境を整えている学校も少なくない。岡山龍谷高校は、補習ルームに受験サプリを使用できるタブレット端末を置き、教師が常駐して生徒の質問に答える。

> 東大生が作る無料の授業動画「manavee」はスタートから4年がたち、1万本に近い動画が配信され、協賛企業が現れるようになった。

> 「デジタル世代の僕にとって、映像授業なのに地域や所得で(受講できるかどうか)格差がつくことに違和感がある」。そう語る代表理事の花房孟胤は、今年4月、著書『予備校なんてぶっ潰そうぜ。』を出版した。

> その花房に賛同する東大生が集まって活動が始まり、今では全国17大学にネットワークが広がっている。講師400人、スタッフ100人を抱えるが、基本は全員が無報酬で働いている。

> 花房は、周囲から「どうやって稼ぐことができるビジネスモデルにするのか」と問われ続けてきた。だが、その明確な答えは出していない。「とにかくファット(膨大)にした方がいい。それを続けていけば、いつか何かが起きるんじゃないか」

> 講師を選ばず、できた映像を次々と電子空間に流していく。視聴者(生徒)が、気に入った先生を見つけ出せばいい、と。

> 学習塾業界は、この動きを注視するようになってきた。これまで、大学受験を対象にする塾は、参入障壁が高かった。多くの教科で、高度な知識と指導テクニックを持った講師陣をそろえなければならないからだ。だが、manaveeを研究して、生徒に合った動画を提案できれば、大学合格に導けるかもしれない。

> 「もしかしたら、多くの予備校や学習塾で講師という仕事がなくなって、一部のカリスマ講師に集約されるのではないか」(中部地方の学習塾経営者)。そして、クラス担任やチューターの役割が重要度を増す。個々の生徒がどう映像授業を学習していくのか、モチベーションを高めながら指導していく。

> 「クラス担任を学生アルバイトで済ましていては、映像授業の成果を高められない。正社員として採用し、長時間かけて育てる」。東進のFC校を展開して、千葉市で高い大学進学実績を上げる誉田進学塾(千葉市)代表の清水貫は、塾が成長するためのポイントをそう解説する。

> 大学入試自体も激変期を迎える。

> 2016年には東大が推薦入試、京都大がAO(アドミッション・オフィス)入試を導入する。また、中央教育審議会は、大学入試センター試験を、年2回受ける「達成度テスト」に変更するなど、大幅な入試改革を検討している。いずれも、人物や面接を重視するという大きな潮流に乗った動きといえる。従来の予備校のノウハウにとどまっていては、急激に変化を遂げていく大学入試を、受験生の個別のニーズに合わせて、教育・指導していくことはできない。

> その時、全国模試などの情報データを失った代ゼミは、高校と大学の結節点という機能を弱めている。講師300人の契約打ち切りによって、「講師の多様性」を失い、残った講師のモチベーション低下も懸念される。すでに、FC校から「授業の質的劣化」を危ぶむ声が聞かれる。そうなれば、代ゼミサテライン予備校の映像コンテンツにも影響し、先行する東進との差を縮められないばかりか、低価格・無料の映像授業に需要が奪われかねない。

> 20校を閉鎖しながら、その巨大なビル群は、いまだ学校法人高宮学園が保有し続ける。

> 現場を軽視し、「教育の変化」への対応に乗り遅れた「彷徨う巨人」は、果たしてどこに向かうのだろうか。

> =敬称略

> (編集委員 金田信一郎、松浦龍夫)

<参考=「代ゼミ、現場軽視の代償  代ゼミ敗戦記(下)」(日本経済新聞)>
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NO.545 <フクシマ第1原発事故>吉田調書抄録<産経ニュース><起稿 シバケン>(14/08/26)


【シバケン】 2014/08/26 (Tue) 18:11

<1回目>

>東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏は政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)に対し「全面撤退」を否定するなど現場の状況を詳細に説明した。聴取内容を10回に分けて詳報する。

>1回目は吉田氏の菅直人元首相に対する評価を中心にまとめた。質問者は事故調の調査委員。

>〈菅首相は事故発生翌日の平成23年3月12日午前7時11分に福島第1原発を視察に訪れた〉

<参考=【吉田調書抄録(1)】吉田所長「撤退なんて言葉、使うわけがない」「アホみたいな国のアホみたいな政治家」>
<産経・エラー・16/10/07>


【シバケン】 2014/08/26 (Tue) 18:40

<2回目>

>2回目は、原発への海水注入に関する吉田氏の証言をまとめた。

>〈全交流電源を喪失した福島第1原発では、東日本大震災翌日の平成23年3月12日午後、炉心の状態が分からなくなってきた〉

<参考=【吉田調書抄録(2)】海水注入「テレビ会議、音声切った」「うるさい、黙っていろ、と」>
<エラー・16/10/07>


【シバケン】 2014/08/26 (Tue) 18:48

<3回目>

>3回目は、原発に津波が襲来した時の吉田氏の証言をまとめた。

>〈東日本大震災が発生した平成23年3月11日、運転中の1~3号機が緊急停止した。地震の約50分後、約15メートルの津波が襲い、全交流電源喪失状態に陥った〉

<参考=【吉田調書抄録(3)】津波襲来、全電源喪失「はっきり言って、まいった」「絶望していた」>
<エラー・16/10/07>


【シバケン】 2014/08/26 (Tue) 20:22

<4回目>

>4回目は、1号機が爆発したときの吉田氏の証言をまとめた。

>〈1号機は平成23年3月12日午後3時36分、水素爆発を起こし、原子炉建屋上部が大きく損壊した〉

<参考=【吉田調書抄録(4)】1号機爆発「短時間のドンという振動」「どう生かすかが一番重要だ」>
<エラー・16/10/07>


【シバケン】 2014/08/26 (Tue) 21:28

<5回目>

>5回目は、原子炉格納容器の圧力を下げるベント(排気)に関する証言をまとめた。

>〈平成23年3月11日の東日本大震災の津波の影響で冷却機能を喪失した第1原発。格納容器の圧力が最初に高まったのが1号機で、早い段階からベントに着手していた〉

<参考=【吉田調書抄録(5)】ベント躊躇せず「大臣命令で開くもんじゃない」>
<エラー・16/10/07>


【シバケン】 2014/08/27 (Wed) 00:00

<6回目>

>6回目は、3号機が爆発したときの証言をまとめた。

>〈ヒアリングは平成23年3月14日の行動に移っている。14日は午前6時半ごろに3号機で原子炉圧力が上昇し、爆発する可能性が高まっていた。危険と判断されたため約1時間、作業を中断、作業員は現場から退避していた〉

<参考=【吉田調書抄録(6)】3号機爆発 「死者出たなら腹切り死のうと」>
<エラー・16/10/07>


【シバケン】 2014/08/27 (Wed) 01:32

<7回目>

>7回目は、吉田氏と政府側とのやり取りに関する証言をまとめた。

>〈第1原発で事故が発生した場合、経済産業省原子力安全・保安院が福島県大熊町の緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)に関係者を緊急招集し、陣頭指揮にあたることになっていた〉

<参考=【吉田調書抄録(7)】政府への不信 「腐った指示ばかりだった」>
<エラー・16/10/07>


【シバケン】 2014/08/27 (Wed) 07:31

<8回目>

>8回目は、自衛隊や警察、消防の注水活動に関する証言をまとめた。

>〈平成23年3月16日以降、3、4号機の燃料貯蔵プールに燃料を冷却する水があるかが課題となっていた。プールの燃料は水位が下がればむき出しの状態となり被害は甚大となる。爆発で建屋上部が破壊されていたため、上部からの放水が検討されていた〉

>〈17日には陸上自衛隊のヘリを使って上空から4回、3号機燃料貯蔵プールへ約30トン放水され、警視庁機動隊と自衛隊の高圧放水車も地上から放水した。19日には東京消防庁の消防車も放水を始めた〉

<参考=【吉田調書抄録(8)】注水活動「申し訳ないがすべて意味なかった」 ヘリ放水「セミの小便」>
<エラー・16/10/07>


【シバケン】 2014/08/27 (Wed) 15:06

<9回目>

>9回目は、福島第1原発の地震・津波対策に関する吉田氏の証言をまとめた。

>吉田氏「これは声を大にして言いたいんだけれども、本当は原発の安全性だけでなくて、東日本大震災で今回2万3千人が死にましたね(実際は死者・行方不明者合わせて約1万8500人)。これは誰が殺したんですか。(地震の規模を示す)マグニチュード9が来て死んでいるわけです。あの人たちが死なないような対策をなぜそのときに打たなかったんだ」

>〈原発事故を防げなかったことに対し、吉田氏は聴取の中で何度も悔悟の念を吐露するとともに、地震・津波被害を少なくできなかったのか、問題を投げかけている。吉田氏は平成19年4月、東電に新しく設けられた原子力設備管理部の初代部長に就任し、地震・津波対策に傾注した経験があるからだ〉

<参考=【吉田調書抄録(9)】「これは誰が殺したんですか」地震・津波対策への思い>
<エラー・16/10/07>


【シバケン】 2014/08/27 (Wed) 23:25

<10回目><最終回>

>最終回は吉田氏らの緊張がピークに達した2号機をめぐる証言をまとめた。

>〈平成23年3月14日午後、福島第1原発1、3号機に続いて2号機が緊急事態に陥った。原子炉の冷却機能が失われ、炉内圧力が上昇。炉内を冷却するために「原子炉主蒸気逃がし安全弁」(SR弁)を開いて、圧力を下げて注水しようとしたが作業は進まなかった〉

<参考=【吉田調書抄録(10)】「死んだと思った」 チャイナシンドロームと「東日本壊滅」>
<エラー・16/10/07>


NO.546 <STAP細胞>検証実験、難航の模様<起稿 シバケン>(14/08/27)


【シバケン】 2014/08/27 (Wed) 11:14

<参考=NO.526 <STAP細胞>小保方考・早稲田大学博士号・セーフ<!>>の続編。

理化学研究所内部では、あるですが。
第三者<相沢慎一特別顧問主導>によるの、検証実験難航。

小保方氏自身の再現実験は、11月発表予定。

>STAP細胞が存在するかどうかを調べ理化学研究所が27日に中間報告を発表する検証実験は、実験が難航し計画通りに進んでいない。当初計画では8月末にも細胞の万能性を証明する「キメラマウス」、増殖する「STAP幹細胞」ができている可能性があるとしていた。いずれも実現していないとみられる。ただ万能細胞の目印となる遺伝子が働いたとみられる緑の発光現象が一部で確認され、検証チームは万能性の有無を慎重に調べている。

>実験は4月から実施。小保方晴子研究ユニットリーダーらが論文で報告した方法で進めた。STAP細胞は生まれたばかりのマウスからリンパ球を採取し、弱い酸性溶液に浸した後、培養して作るとされる。

>万能細胞の目印となる遺伝子が働くと緑に光るよう遺伝子操作したマウスを使い緑に光る細胞が得られるかを調べるのが第1段階。実験を統括する相沢慎一特別顧問は、これがクリアできない場合、検証を11月末までに終えるとしている。

>実験は小保方氏とは別に進めている。小保方氏が自ら進める検証結果は11月に発表する見通し。

<参考=「【STAP細胞】検証実験、難航 幹細胞もキメラマウスもできず 細胞発光は一部確認」(産経ニュース)>
<消滅・削除・15/05/23>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/27 (Wed) 18:49

副題=理研:再生研の規模半減の解体的出直し 改革行動計画発表(毎日新聞)

 こんばんは。


 完全解体はしなかったようで。

> ◇11月までに「多細胞システム形成研究センター」に再編

> STAP細胞の論文不正問題を受け、理化学研究所(野依良治理事長)は27日、論文作成の舞台となった発生・再生科学総合研究センター(CDB、神戸市)の「解体的出直し」などを柱とした改革のアクションプラン(行動計画)を発表した。CDBは規模を現在の半分程度に縮小し、今年11月までに「多細胞システム形成研究センター(仮称)」に再編される。

> 野依理事長が同日、下村博文文部科学相に報告した。行動計画は、CDBの実質的な解体のほか、ガバナンス(組織統治)の強化▽研究不正防止策の強化▽計画実施のモニタリング−−の4本柱で構成される。

> CDBには現在、約40研究室あり、所属する研究者は約450人。その研究室を半減する。まず5種類の研究プログラムのうち、ベテラン研究者を中心とした「中核プログラム」とセンター長直轄の「センター長戦略プログラム」を廃止する。STAP論文の筆頭著者の小保方(おぼかた)晴子研究ユニットリーダーはセンター長戦略プログラムに所属していた。残る研究室は一部を理研の他のセンターに移すなどして再編する。所属する研究者の雇用は維持する。iPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った臨床研究に取り組む高橋政代プロジェクトリーダーは残り、「網膜再生医療研究開発プロジェクト(仮称)」として推進する。

> 2000年の設立当初からセンター長を務めてきた竹市雅俊氏は交代させ、外国人研究者を含む外部有識者の委員会で新センター長を選ぶ。CDBの「グループディレクター」と呼ばれるベテラン研究者による運営会議は廃止する。

> 理研組織全体の改革としては、外部の意見を組織運営に反映させるため、産業界などの有識者が委員の過半数を占める「経営戦略会議」を新設する。今年12月までに初会合を開催する。

> STAP問題発覚後に設置された外部識者による改革委員会(委員長=岸輝雄・東京大名誉教授)が6月に提言をまとめ、CDB解体や人事の刷新など大胆な改革を求めた。理研本部についても、理事の交代や増員を求めていたが、今回の行動計画には入らなかった。

<参考=「理研:再生研の規模半減の解体的出直し 改革行動計画発表」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/10/29>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/27 (Wed) 18:59

副題=理研:「とばっちり」…再生研規模半減 研究者不安と不信(毎日新聞)

 こんばんは。


 世界的に優秀な研究者も沢山いるので、そういう研究室は残して充分な研究費を支給すべきと思います。

> 組織を「半減」させることになった理研発生・再生科学総合研究センター(CDB、神戸市)。STAP細胞論文をめぐる疑惑が指摘され始めた今年2月以降の半年間、論文不正の認定、改革委員会の「解体」提言、笹井芳樹副センター長の自殺と大波に揺れ続けた。内部の研究者らは職場を失う不安に加え、小保方晴子・研究ユニットリーダーの懲戒処分審査を凍結してまで検証実験に参加させた理研上層部への不信も渦巻いている。

> 「センターに残っても研究費は大幅削減になると聞いている。今は来年度の研究費申請に明け暮れている」。約10人の研究員を抱える30代の研究室リーダーはこう打ち明けた。

> CDB内では一部の研究室リーダーらに理研の他のセンターへの移籍の打診が始まっている。このリーダーにも声がかかったが、正式には決まっていないという。今年度、理研から研究室に支給された研究費は数千万円。削減されれば自身の研究や研究員の生活を守れなくなる。「とんだとばっちりを受けたとやりきれない思いだ」とため息をつく。

> 論文不正を受けて発足した改革委は6月12日、「職員の雇用を確保した上で早急にセンターを解体し、教訓を生かした新組織を」と刷新を求める提言を公表。センター幹部によると、提言以降、「実際にはクビになる人が出るのでは」との疑心暗鬼も広がっているという。6月下旬にCDB内で開かれた改革に関する説明会には会場に入りきれないほどの職員が詰めかけ「いきなり解雇と言われても困る」などの意見が相次いだ。

> 理研は6月30日、小保方氏の検証実験への参加と、懲戒処分審査の凍結を発表。この判断に対し、世界初のiPS細胞による難病治療の臨床研究を進める同センターの高橋政代プロジェクトリーダーが7月、ツイッターへの投稿や記者会見で「理研の倫理観にもう耐えられない」などと反発。理研の内外から同様の声が上がった。

> 追い打ちをかけたのが8月5日の笹井副センター長の自殺だった。センターの柱の一つである再生医療研究のけん引役を失った上に、市民らから批判の電話が殺到。センター幹部は「職員や研究者らの精神的な疲労はピークに達している」と話す。

<参考=「理研:「とばっちり」…再生研規模半減 研究者不安と不信」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/10/29>


【シバケン】 2014/08/27 (Wed) 21:37

丹羽仁史プロジェクトリーダーの中間発表。
小保方方式、22回の実験では、STAP細胞再現出来ずも、更に実験の継続すると。

>STAP(スタップ)細胞の存在の有無を確かめる検証実験で理化学研究所は27日、小保方晴子氏らの論文に記載された手法では、細胞に万能性の目印となる遺伝子が働いたことを確認できず、STAP細胞は再現できていないとする中間結果を発表した。細胞の有無の判断には至っておらず、検証実験は当初予定通り来年3月末まで続ける方針。

>検証チームの丹羽仁史プロジェクトリーダーらが東京都内で記者会見して明らかにした。6月末から参加した小保方氏の実験結果は明らかにされていない。小保方氏は第三者の立ち会いのもと、11月末まで実験を続けるという。

>検証チームによると、論文にある通り生後1週間以内のマウスのリンパ球を、弱い酸性の液に浸し培養した。これまで22回実験したが、万能性の目印となる遺伝子が働いたときにみられる緑の光が観察できなかった。ただ残された検討課題はまだ多く、実験の継続が必要だとした。

<参考=「【STAP細胞】再現できず 細胞の有無は今後判断 3月まで検証継続」(産経ニュース)>
<消滅・削除・15/12/10>


【シバケン】 2014/11/29 (Sat) 08:42

副題=小保方晴子氏による検証実験終了

当初より、予定の、11月末。
小保方氏のSTAP細胞再現、検証実験が終了するです。
但し、結果報告時期未定。

即の結果報告するに、一寸、苦しいの哉と。

>理化学研究所は28日、STAP細胞の有無を調べる検証実験のうち、小保方晴子氏による実験を当初の予定通り30日で終えると明らかにした。

>実験の結果はデータがまとまり次第公表する方針。しかし実験データの解釈に時間を要する可能性があり、公表時期は未定としている。

>小保方氏は実験の終了後、検証チームを率いる相沢慎一氏らの指導を受けながら、得られたデータの整理や解析を担う。

>検証チームは8月、小保方氏らが発表した論文に記載された手法では、STAP細胞は再現できていないとする中間報告を発表。小保方氏は第三者立ち会いの下、実験に参加した。当初から進捗(しんちょく)状況にかかわらず11月末で小保方氏の実験を打ち切るとしていた。

>検証チームによる検証実験自体は、本年度末を期限としている。

<参考=「小保方氏のSTAP検証実験が終了へ 結果公表は未定」(産経ニュース)>
<消滅・削除・15/05/22>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/12/01 (Mon) 16:43

副題=STAP細胞:「小保方氏の実験終了」理研(毎日新聞)

 こんにちは。


 本当に昨日で終了しました。
 小保方女史は、検証実験チームに入ったそうです。


> STAP細胞論文の不正問題で、STAP細胞の有無を実験で検証している理化学研究所は1日、筆頭著者の小保方晴子研究員(31)の実験が予定通り先月末で終了したと明らかにした。実験結果の公表日程は未定という。

> 理研は今年4月、小保方研究員を入れないチームで検証実験を始め、小保方研究員には単独で7月1日〜先月末に監視カメラの下で実験させた。小保方研究員は先月21日付で、この検証実験チームの一員となっており、今後は自らの実験データの整理をする。チームの実験期限は来年3月末までだが、結果によっては途中での実験打ち切りもあり得るという。【根本毅】

<参考=「STAP細胞:「小保方氏の実験終了」理研」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/01/05>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/12/18 (Thu) 15:19

副題=STAP細胞:小保方晴子さん 自身の手で再現できず(毎日新聞)

 こんにちは。


 予想されてたこととはいえ、いよいよ、STAP細胞の存在自体が危うくなってきました。


> STAP細胞論文を巡る問題で、著者の小保方晴子・理化学研究所研究員(31)が11月末まで取り組んでいたSTAP細胞の有無を確かめる検証実験で、論文と同じ手法で細胞を作製できなかったことが、関係者への取材で明らかになった。理研は19日、結果について発表する。小保方氏が関わらない理研の検証チームの実験も打ち切りになる公算が大きく、STAP細胞の存在が事実上否定されることになる。

> 理研は4月以降、理研発生・再生科学総合研究センターの相沢慎一特別顧問(当時)を統括責任者とする検証チームを設置。最長1年かけて、マウスの細胞が弱酸性の溶液に浸すなどの刺激によって万能性を獲得することを確認したうえで、この細胞を受精卵に入れて全身の細胞に分化させる「キメラマウス」を作ることを試みていた。

> 小保方氏は7月から検証実験に参加。第三者の立ち会いの下で、論文で記載した実験の再現に取り組んだ。しかし、関係者によると、万能性の目印となる遺伝子が働くと緑色に光るように遺伝子操作したマウスのリンパ球を使った実験で、刺激を与えても緑色に光る細胞はわずかに確認できただけで、論文のように頻繁には出現しなかった。また、キメラマウス作製にも成功しなかったという。

> 小保方氏は4月に開いた記者会見でSTAP細胞の作製に「200回以上成功した」と説明していた。

> 検証チームは8月の中間報告で、論文に記載された方法ではSTAP細胞ができなかったと発表した。チームの実験は条件を変えながら来年3月末まで続ける予定だったが、関係者によると「小保方氏が再現できなかった以上、継続する意味は薄い」として、打ち切られる可能性が高い。

> STAP論文については、理研がデータの捏造(ねつぞう)や改ざんがあったと認定した画像以外にも複数の疑義が指摘されたため、9月に新たな調査委員会が設置された。調査委の結果を受け、中断している懲戒委員会が再開され、小保方氏らへの処分が示される見通し。【大場あい、清水健二】


> ◇STAP細胞論文不正問題

> 理化学研究所の小保方晴子・研究ユニットリーダー(当時)らが今年1月、マウスのリンパ球を弱酸性の溶液につけるなど刺激を与えるだけで、新しい万能細胞「STAP細胞」を作製したと英科学誌ネイチャーに発表した。しかし、直後からインターネットなどで疑義が指摘され始め、理研の調査委員会は3月、二つの画像について小保方氏の不正を認定。ネイチャーは7月に関連論文2本を同時に撤回し、成果は「白紙」となった。

<参考=「STAP細胞:小保方晴子さん 自身の手で再現できず」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/01/29>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/12/18 (Thu) 23:19

副題=STAP細胞:疑惑浮上から10カ月 小保方氏の今後は?(毎日新聞)

 こんばんは。


 今後、小保方女史がどのような発表をするのか<?>。


> STAP細胞論文を巡る問題で、著者の小保方晴子・理化学研究所研究員(31)が11月末まで取り組んでいたSTAP細胞の有無を確かめる検証実験で、論文と同じ手法で細胞を作製できなかったことが、関係者への取材で明らかになった。理研は19日、結果について発表する。

>           ◇

> 理化学研究所の小保方研究員がSTAP細胞の作製に失敗していたと判明し、事実上、STAP細胞の有無の問題に決着がついた。小保方氏とは別の研究者らが取り組む検証実験も続ける根拠がなくなり、今後は小保方氏側の対応が焦点となる。

> STAP細胞論文に対する不正疑惑は今年2月に発覚し、研究不正について調べる理研の調査委員会は4月1日、論文に捏造(ねつぞう)や改ざんがあったと発表した。

> しかし、小保方氏は弁護士を代理人に立てて反論し、調査結果に不服を申し立てた。同9日に大阪市内で記者会見に臨み、「STAP細胞はあります」「200回以上作製に成功した」などと発言して世間の注目を浴びた。

> その後、小保方氏の上司に当たる共著者の笹井芳樹氏が自殺し、小保方氏が所属した発生・再生科学総合研究センター(神戸市)は研究室を半減して「多細胞システム形成研究センター」として“解体的出直し”をするなど騒動の影響は大きかった。

> 小保方氏は4月の記者会見以降、公式の場に姿を現さず、報道機関の取材にも応じていない。毎日新聞は今月中旬、小保方氏に取材を申し込んだが、代理人の三木秀夫弁護士は電子メールで「小保方晴子は諸事情から一切の対応ができない。私の方からも何も説明ができない」として対応を断った。三木弁護士は18日午後、報道陣に「本人はSTAP細胞はあると考えているだろう」と述べた。今後、検証実験に関して小保方氏側がどのように対応するかは不透明だ。

> STAP細胞論文の不正疑惑が浮上してから約10カ月。論文で発表されたSTAP細胞とは何だったのか。疑惑に対する理研調査委員会の調査は続いているが、理研や小保方氏には社会に対する丁寧な説明が求められる。【根本毅】

<参考=「STAP細胞:疑惑浮上から10カ月 小保方氏の今後は?」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/01/29>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/12/19 (Fri) 17:20

副題=STAP問題:小保方氏、理研を退職 「魂の限界」(毎日新聞)

 こんにちは。


 退職はまぁ当然として、STAP再現失敗を「未熟さゆえ」と発言しており、捏造を否定しております。


> 理化学研究所の小保方晴子研究員が、21日付で理研を退職することが分かった。15日に退職願が理研に提出されていた。【デジタル報道センター】

> 理化学研究所退職に伴う小保方晴子氏と、同研究所の野依良治理事長のコメントは以下の通り。

> ◇小保方晴子氏

> どのような状況下であっても必ず十分な結果をと思い必死に過ごした3か月でした。予想をはるかに超えた制約の中での作業となり、細かな条件を検討できなかった事などが悔やまれますが、与えられた環境の中では魂の限界まで取り組み、今はただ疲れ切り、このような結果に留まってしまったことに大変困惑しております。

> 私の未熟さゆえに論文発表・撤回に際し、理化学研究所を始め多くの皆様にご迷惑をおかけしてしまったことの責任を痛感しておりお詫びの言葉もありません。検証終了を以て退職願を提出させていただきました。最後になりますが本検証実験にあたり検証チームの皆様はじめ、ご支援・応援してくださった方々に心より御礼申し上げます。

> 2014年12月19日 小保方 晴子

> ◇野依良治理事長

> STAP論文が公表されてからこの 10ヶ月間余り、小保方晴子氏にはさまざまな心労が重なってきたことと思います。このたび退職願が提出されましたが、これ以上心の負担が増すことを懸念し、本人の意志を尊重することとしました。

> 前途ある若者なので、前向きに新しい人生を歩まれることを期待しています。

<参考=「STAP問題:小保方氏、理研を退職 「魂の限界」」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/01/29>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/12/19 (Fri) 23:08

副題=STAP細胞:小保方さん21日付退職 研究費どうなる?(毎日新聞)

 こんばんは。


 下記記事にはありませんが、来年3月末までと予定されていた検証チームの検証作業も、中止の由。


> STAP細胞研究の中心だった小保方晴子研究員(31)は21日付で理化学研究所を退職する。STAP論文の疑義について、外部有識者による調査委員会が疑義を調査している中での「主役」の退場は、真相解明はもちろん、処分の実効性にも影響を与えそうだ。

> 実験打ち切りを発表した19日理研の記者会見に小保方氏の姿はなかった。坪井裕・理研理事は、退職願を受理した理由について「心労が重なっており、これ以上の負担は考慮すべきだと判断した」と述べた。

> 論文調査への影響について、坪井理事は「調査委員長に受理していいか問い合わせ、支障はないと返事があった」と説明した。しかし、今後の聞き取り調査で小保方氏本人の協力を得られるかどうかについては、「全面的に調査委に委ねており、今後、聞き取りの予定があるかは把握していない」と明言を避けた。

> 調査の結果、新たな研究不正が確定すれば、理研の懲戒委員会が小保方氏らの処分の検討を始める。ただし、小保方氏の退職後の決定になるため、「どんな処分に相当するか」が本人に伝えられるだけだ。

> 小保方氏は、理研発生・再生科学総合研究センター(当時)で研究ユニットリーダーとして小規模の研究室を主宰し、その間にSTAP研究に費やした運営費交付金の総額は約3500万円だった。主要な実験は、それ以前に客員研究員として在籍した若山照彦チームリーダー(当時)の研究室で実施したが、当時の研究費の総額は不明。小保方氏の雇用は1年ごとの任期制で年俸制のため、退職金はないという。

> 理研の規定では、研究不正があった場合、研究費の全部か一部の返還を請求することになっている。理研広報室によると、退職者に対しても請求は可能という。

> 論文への疑義が出てから小保方氏が記者会見したのは4月9日の1回だけ。その後の様子について、代理人弁護士は「入退院を繰り返すなど精神的に不安定になっている」と動揺の大きさを再三説明していた。【須田桃子】

<参考=「STAP細胞:小保方さん21日付退職 研究費どうなる?」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/01/29>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/12/20 (Sat) 00:05

副題=STAP細胞 再現できず(NHK)

 こんばんは。


 こっちのほうが詳しいですし、素人にも分かり易いです。


> 「STAP細胞を再現することはできなかった」
> 理化学研究所の検証チームは19日に開いた会見の冒頭でこのように述べ、小保方晴子研究員本人が細胞の作製を試みたものの、STAP細胞を作ることはできなかったと正式に明らかにしました。
> 小保方研究員は今月21日に退職すると公表されましたが、なぜ論文を書いた本人が実験を行っても細胞が出来ないのに、論文が世界的な科学雑誌に掲載されることになったのかなど、多くの疑問が残ったままです。
> 検証実験はどのように行われたのか。
> そして、論文に示されたSTAP細胞はいったい何だったのか。
> 科学文化部の稲垣雄也記者が解説します。


> どんな実験が行われた?

> STAP細胞を巡っては、世界的な科学雑誌「ネイチャー」に掲載された論文に、ねつ造と改ざんの不正があったとすでに認定されていて、ことし7月に論文が撤回されています。
> この段階ですでに、科学的にはSTAP細胞が存在する根拠はなくなっていますが、小保方研究員は200回以上作製に成功したと話し、その後もSTAP細胞が存在すると主張してきました。

> そのため、小保方研究員本人に実験をしてもらい、STAP細胞が作れるかを確かめたのが今回の実験です。
> 実験では、論文に書かれたのと同じ方法でSTAP細胞を作ることができるか、2段階に分けて確かめました。
> まず、第1段階ではマウスの細胞を弱酸性の溶液に浸して刺激を与え、緑色の蛍光を発する細胞が出来るかどうかを調べました。
> そして、出来た緑色の細胞をマウスの受精卵に入れ、全身が緑色に光るようなマウスが生まれるかどうかが第2段階です。
> こうしたマウスが生まれれば、緑色の細胞が体のあらゆる組織に変化する、万能性を持つ細胞だと確認できるからです。

> 小保方研究員は実験の期限である先月(11月)末まで、48回にわたってマウスの細胞を弱酸性の溶液に浸す実験を繰り返しました。
> その結果、緑色に光る細胞はごく僅かに出来たということですが、論文に書かれた緑色の細胞とは別物でした。
> ただ単に緑に光っただけで、詳しく調べた結果、万能性を示す蛍光ではないことが分かったからです。
> 実際、この細胞をマウスの受精卵に入れても、全身の細胞に変化することはありませんでした。
> つまり、第1段階、第2段階ともに、実験はうまくいかなかったということです。

> また、小保方研究員とは別に理研のチームがことし4月から行っていた実験でもSTAP細胞は出来ず、来年3月までとしていた期限を待たずに実験を終了することも明らかにされました。
> これで理化学研究所が行うSTAP細胞の検証実験はすべて打ち切られることになり、理化学研究所は会見で、「STAP細胞を作ることはできなかった」と結論づけています。 STAP細胞は、今回の実験で事実上、その存在を否定されたのです。
> 会見では、小保方研究員が退職願いを提出し、理化学研究所が今月21日付けで退職することを認めたことも明らかにされました。
> 小保方研究員は「今はただ、疲れ切り、このような結果にとどまってしまったことに、たいへん困惑しております。私の未熟さ故に論文発表・撤回に際し、理化学研究所をはじめ、多くのみなさまにご迷惑をおかけしてしまったことの責任を痛感しており、お詫びのことばもありません」などとするコメントを発表しました。


> 論文の細胞の正体は・・・

> 論文を書いた本人が作ることができず、その存在を事実上否定されたSTAP細胞。
> ところが論文には、STAP細胞が出来たことを示す膨大なデータが掲載され、弱酸性の溶液に30分ほど細胞を浸すだけで夢のような万能細胞が出来ることが鮮やかに示されています。
> 万能性を持つ証拠だとされた緑色に光る細胞を覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、これらのデータはいったい何だったのでしょうか。
> 会見で記者から問われた相澤チームリーダーは、しばらく沈黙したあと「われわれはSTAP細胞の再現実験を請け負っただけなので、その結果再現できなかったとしか話せない。かけ離れたデータが論文に掲載されているのはどういうことによるのか答えることはできない」と述べました。
> さらに1人の科学者としての見解を聞かれても「この場では答えを差し控えたい」として、みずからの見解は示しませんでした。

> 実は専門家の間では、STAP細胞だと論文で書かれていたものは、実際にはすでに実験の現場で広く使われている万能細胞の1つ「ES細胞」ではないかと指摘が出ていて、それを示唆する実験データも複数出されています。
> こうした指摘を受け、理化学研究所はことし9月、新たに外部の専門家による調査委員会を設け、本格的な調査を行っています。
> 19日の発表によって、STAP細胞の問題は、細胞があるのかどうかという段階から、そもそもなかったものを出来たと論文にして発表したのではないかと疑念が持たれる段階になったと言えます。
> 論文に書かれた細胞の正体は何なのか、そして、なぜそんな論文が理化学研究所という日本を代表する研究機関から出されたのか、こうした疑念に調査委員会が今後どう答えていくのか注目されます。

> 1年近くに及ぶSTAP細胞問題で、日本の科学の信頼は大きく揺らぎ、一部の研究者からは「日本からの論文というだけで信頼性が低いと見られることがある」という声も上がっています。
> 失った信頼を取り戻すことができるよう、調査委員会にはしっかりとした調査と納得いく説明をしてほしいと思います。

<参考=「STAP細胞 再現できず」(NHK)>
<消滅・削除・15/01/29>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/12/20 (Sat) 07:21

副題=(時時刻刻)細胞塊1800個、全て失敗 万能性「証拠得られず」 STAP検証(朝日新聞)

 おはようございます。


 同じ出来事にも、微妙に視点が違う記事が幾つも書かれます。
 私は、普段は中立性が高いと思ってる毎日新聞を多く引用しますが、他紙も見てます。


> STAP細胞の検証実験の打ち切りを理化学研究所が発表した。国民の期待を集めた新しい万能細胞の存在は事実上否定されたが、不正の真相は謎として残されたままだ。1月末の華々しい発表で一躍時の人となった小保方晴子氏は理研を去る。全容解明に向けて難航も予想される。▼1面参照


> 検証実験は、7月に始まり11月末を期限とした小保方氏によるものと、4月から来年3月末を期限とした理研の別のチームによるものが並行で進められた。打ち切りの決め手は、万能細胞かどうかを証明する「キメラマウスの実験」が一度も成功しなかったことだ。

> この実験は、iPS細胞が新型万能細胞であると証明するときにも使われた。マウスの受精卵を育てた胚(はい)に、調べたい細胞の塊を注入し、生まれたマウスの全身にその細胞由来の組織ができるかを確かめる。

> 試みた細胞塊の数は、小保方氏が1615個、丹羽仁史チームリーダーらのチームが244個。胚に入れる作業は技術をもつ別の研究員が担当したが、キメラマウスは一匹もできなかった。理研は「期限まで続ける意義を見いだせない」と判断するしかなかった。

> 万能性の目安となる遺伝子の働きをみる実験も、うまくいかなかった。小保方氏が、遺伝子が働くと緑色に光るようにしたマウスの脾臓(ひぞう)などの細胞100万個を酸に浸す実験を繰り返し、0~52個の細胞塊が緑色に光った。だが、論文より1ケタ少なく、再現性の証拠にはならなかった。

> 実験では、論文には書かれていないが小保方氏が「STAP細胞の作製効率が塩酸よりずっと高い」と説明したとされる別の酸も使われた。だが、丹羽氏が肝臓の細胞をこの酸に浸すと、できた細胞塊のうち10~20%は遺伝子が働いたものの、キメラマウスは作製できなかった。丹羽氏は「(遺伝子が働いた意味は)わからない。自分の手では多能性(万能性)の証拠は得られなかった」と説明した。


> ■退職願受理、調査影響も

> 「論文にあった根拠となるデータの根本部分が検証実験でゆらいでしまった」

> 丹羽氏は、会見で淡々と語った。では、論文に載ったSTAP細胞からできたとされるキメラマウスや様々な組織は、何だったのか。理研は9月以降、外部有識者からなる調査委員会を立ち上げ、疑惑の解明を進めている。

> 研究不正に詳しい愛知淑徳大の山崎茂明教授は「(実績のない)小保方氏が論文のストーリーを作ったとは考えにくい」と指摘。だれが研究の筋書きを作ったのかや十分に再現性を確かめずに発表してしまった経緯について「著者らが社会に対する説明責任を果たす必要がある」という。

> しかし、小保方氏を指導した理研発生・再生科学総合研究センター(当時)の笹井芳樹副センター長が8月に亡くなり、小保方氏本人も理研を去る。

> 「退職を認めることは隠蔽(いんぺい)につながるのではないか」との質問に、理研の坪井裕理事は「退職願を受理することについて調査委員長に確認し、『調査に支障はない』という返事をいただいた」と説明する。

> これに対して、榎木英介・近畿大医学部講師は「理研は(小保方氏の)辞職で幕引きをはかっているように見える。本来は検証実験の前に研究不正を明らかにし、処分を出すべきだった。小保方氏だけが知り得ることも多く、調査への影響はあるだろう」と話す。


> ■共著者らも事実説明を(記者の視点)

> 「生物学の常識を覆す」とされた記者会見から始まった取材で感じるのは、問題がなぜ、どのように起きてしまったのかという本質が見えてこないことだ。

> 小保方氏は4月9日の記者会見で「200回以上作製した」などと語った。だが、記録や根拠について理詰めで説明する科学者らしい姿勢はみられず、自身の主張を世間に宣言するための会見だったと感じた。

> 論文の発表前、小保方氏を含む著者らは徹底して秘密保持を貫いた。ところが、論文への疑義が浮上すると、個別に会見するなど混乱を深め、騒動の拡大に拍車をかけた。

> 検証実験で細胞を浸すのに使われたのは塩酸と、別の酸の2種類だった。別の酸の存在は論文にはなく、科学者の目に触れにくい特許関係の書類のみに記されていた。小保方氏は「STAP細胞の作製効率がいい」と話し、主に使っていたのは別の酸の方だった。

> 結果的にSTAP細胞は作れなかった。だが、仮に別の酸を使った時だけ成功したら、重要な作製方法を論文では伏せていたことになり、不自然だ。論文に記載する情報の取捨選択は、経験の浅い小保方氏1人で判断したとは思えない。

> 疑問は尽きない。小保方氏は、研究を始めた米ハーバード大で何を見て、発見の端緒としたのか。実績のある共同研究者はなぜ再現性を調べず論文発表に突き進んだのか。STAP問題を終わらせるには、論文の当事者が、主張ではなく、事実関係を誠実に説明することが求められる。

> (野中良祐)


> ■論文の主な著者(敬称略)

> 小保方晴子 理研研究員

> チャールズ・バカンティ 米ハーバード大教授

> 若山照彦 山梨大教授

> 笹井芳樹 理研発生・再生科学総合研究センター(当時)副センター長(故人)

> 丹羽仁史 理研チームリーダー

<参考=「(時時刻刻)細胞塊1800個、全て失敗 万能性「証拠得られず」 STAP検証」(朝日新聞)>
<消滅・削除・16/01/10>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/12/20 (Sat) 09:40

副題=STAP細胞:「振り回された揚げ句…」昇進フイため息(毎日新聞)

 おはようございます。


 理研の他の研究者にとばっちり。


> 理化学研究所は19日、STAP細胞の有無を確かめる検証実験の打ち切りを発表、STAP細胞の存在は証明されなかった。論文の中心となった小保方(おぼかた)晴子・理研研究員(31)の退職も決まり、理研でのSTAP細胞研究は終止符を打つ。

>          ◇

> 「これでやっと一区切りついた」。STAP細胞騒動の舞台となった神戸市中央区の理研発生・再生科学総合研究センター(現多細胞システム形成研究センター、CDB)の研究者らの多くは検証実験の結果を冷静に受け止めた。一方で、予算削減などセンターの行く末に不安を募らせている。

> センターは論文不正問題を受けて11月、大幅に組織改変された。創設時からの竹市雅俊センター長は退任。40あった研究室は半減し、職員は439人から329人に。残りは理研の別組織に異動した。

> そのあおりで昇進が見送られ、異動となった40代の研究室リーダーは「振り回された揚げ句に『STAP細胞は存在しませんでした』とは。検証実験で良い結果が出ていれば少しは救われた気持ちになれたかもしれない」とため息を漏らす。

> 一方、30代の研究室リーダーは「STAP細胞の全てがうそとまでは言えないのではないか。論文共著者となった一流の研究者ですら信じてしまう何かがあったのかもしれない」と一定の理解を示した。

> 多くの研究室リーダーらの関心は今後の研究費だ。CDBは今年度、約28億円の予算規模だったが、来年度は大幅に削減される見込みで、新センター長も未定だ。

> CDB創設以降、予算や人材の獲得の中心にいたのが8月に自殺した論文共著者の笹井芳樹・副センター長(当時)だった。センター講堂で開かれた追悼集会には数百人が出席したという。別の30代の研究室リーダーは「一連の騒動で笹井氏を失った影響は計り知れない」と無念そうに話した。【斎藤広子】

<参考=「STAP細胞:「振り回された揚げ句…」昇進フイため息」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/01/29>


【?】 2014/12/25 (Thu) 21:16

何処かで見た ムジナ?

<参考=「黄禹錫」(wikipedia)>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/12/25 (Thu) 22:30

副題=小保方氏 図表不正も2件(毎日新聞)

 こんばんは。


 捏造の可能性が益々高くなってきました。


> STAP細胞論文を巡る問題で、2本の論文の疑義を調査していた理化学研究所の調査委員会は、25日までに報告書をまとめた。関係者によると、すでに不正認定された画像以外に、新たに2件の図表類に小保方(おぼかた)晴子・元理研研究員による不正があったと認定した。

> STAP細胞の2本の論文について、理研の最初の調査委は6件の疑義を調べ、今年3月に主論文中の画像2件に小保方氏による捏造(ねつぞう)・改ざんがあったと認定。その後、主要著者が所属した理研発生・再生科学総合研究センター(当時)の有志による論文の分析の結果、2本の論文全体で新たな疑義が複数浮上した。新たに不正と認定された一つは、細胞の増殖率を比較するグラフで、人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発を発表した山中伸弥・京都大教授の論文(2006年)中のグラフと酷似していると指摘されていた。

> 理研は当初、新たな調査はしない方針を示していたが、外部有識者による理研改革委員会(委員長=岸輝雄・東京大名誉教授)の要請などを受け、6月30日に予備調査を開始。9月3日に2回目の調査委が設置された。今回の調査委は外部有識者のみで構成されている。【須田桃子】


<参考=「STAP論文:図表不正も2件…小保方氏関与、調査委認定」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/01/29>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/12/25 (Thu) 22:40

副題=白紙・STAP論文:/3 「ヒロイン」膨らむ虚像 紹介教授の権威を支えに(毎日新聞)

 こんばんは。


 1,2,4,5もあります。リンク先から飛べます。(毎日新聞なので、一箇月ほどで消えると思いますが)


> 「ハルコの貢献は並外れたものだった」

> 米ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授がSTAP細胞論文の主要な共著者に宛てたメールがある。日付は、英科学誌ネイチャーに論文が掲載される10日前の今年1月20日。論文発表にこぎつけた経緯と共に、愛弟子の小保方(おぼかた)晴子・理化学研究所研究ユニットリーダーへの賛辞が書かれていた。

> バカンティ氏だけではない。小保方氏が師事した日本を代表する研究者たちも、小保方氏をこぞって「ヒロイン」に押し上げた。

> 2008年のある夜、東京・四谷の天ぷら店に、ハーバード大の小島宏司准教授を囲む輪があった。小島氏はバカンティ研究室を支える日本人医師。当時、早稲田大大学院生だった小保方氏は東京女子医大の看板教授、大和雅之氏の下で再生医療の研究を始めていた。一時帰国した小島氏との会食に旧知の大和氏が小保方氏らを誘い、日本酒をくみ交わした。小保方氏は小島氏に「ハーバード大を見学したい」と伝え、留学が決まった。

> 小保方氏はその年に渡米すると、STAP細胞研究の源流となる実験を任された。渡米直後、最新研究の取りまとめを指示された際、「1週間で200本もの論文を読み込んで発表した」との逸話が残るなど、注目の学生となった。

> 細胞の多能性を証明するマウス実験が必要になると、理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)の若山照彦氏(現・山梨大教授)の門をたたいた。若山氏も小島、大和両氏と知り合い。大和氏が「偶然に次ぐ偶然」と話す縁がつながり、小保方氏は、神戸ポートピアホテル(神戸市)にハーバード大の負担で1年近く滞在しながら研究を進めたという。その間に、STAP細胞由来の細胞が全身に散らばる「キメラマウス」の作製など、論文のための「データ」を蓄積していった。

> 小保方氏にかかわった研究者たちは論文発表当時、「努力家」「怖いもの知らず」「プレゼンテーション上手」と小保方氏の研究者としての資質を褒めた。今となっては自他ともに認める「未熟な研究者」だが、ベテラン研究者たちが研究のイロハを十分に指導した気配はない。実態は、紹介元の権威や信頼関係を担保に、国内外の研究室を渡り歩いて膨らんだ評価だったといえる。

> 今年1月の論文発表直前、緊張した面持ちの小保方氏が理研本部で野依良治理事長に会っていた。野依氏は「彼女を守れ」と周囲に指示した。その場にいた理研幹部は「iPS細胞(人工多能性幹細胞)のような巨額予算がつき、プレッシャーがかかることを心配したようだ」と振り返る。理研側も「ヒロイン」に大きな期待を寄せた。

> 理研のある研究者は言う。「大学院時代の教育でその後の研究人生が決まる。その意味で小保方氏は不幸だったかもしれない。未熟さを見破れなかった指導者たちの責任は重い」=つづく

<参考=「白紙・STAP論文:/3 「ヒロイン」膨らむ虚像 紹介教授の権威を支えに」(毎日新聞)>
(閲覧には無償の読者登録が必要)
<消滅・削除・15/07/15>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/12/25 (Thu) 22:53

副題=「火星人の論文かと思った」乏しい経験、掲載を優先(毎日新聞)

 こんばんは。


 小保方女史は、基礎が出来てなかったようで。
 また、昔から言われてることですが、査読者の不足は深刻でして。


> 毎日新聞が入手したSTAP細胞論文の過去の査読資料には「興味を引くが、実験結果と結論がかけ離れている」など著者への痛烈な批判が並ぶ。ES細胞(胚性幹細胞)の混入の可能性をはじめ、論文発表後に浮上した疑惑の多くについて、以前から指摘されていた。それにもかかわらず、科学史上に残るともされるずさんな論文が掲載に至った背景を探った。【須田桃子、八田浩輔】

> ◇乏しい経験、掲載を優先

> 「火星人の論文かと思った」。2012年末にSTAP細胞研究に加わった笹井芳樹・理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)副センター長は、あまりにも稚拙な論文のたたき台を目にしたときの感想を、こう幹部に伝えたという。

> 小保方晴子・研究ユニットリーダーらは12年4月以降、掲載論文とほぼ同じ内容の論文を一流科学誌3誌に相次いで投稿した。関係者によると、論文は小保方氏が執筆し、米ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授が手直しした。若山照彦・山梨大教授も著者に名を連ね、必要な実験データ獲得に協力した。

> しかし、それらの論文には、査読者から「結論を支えるデータは非常に予備的」(最初に投稿した英科学誌ネイチャー)▽「より信頼性が高く正確に検証された追加の実験結果がなければ紹介できない」(米科学誌セル)−−などのコメントが返されていた。小保方、バカンティ両氏は一流誌での発表経験が乏しく、初歩的な誤りや疑問も指摘された。

> 論文不正を検証した理研調査委員会のメンバーの一人は米科学誌サイエンスの査読資料を読み、「科学者生命に危機を感じるのが普通。(著者は)どう受け止めていたのか」と疑問を投げ掛ける。若山氏は「(そもそも)サイエンスの画像類を見ていない」と話す。

> 一方、不採択だった論文3本には指摘に応えようとした形跡はほとんどみられない。ネイチャーへの再投稿を前に笹井氏が加わったが、笹井氏も「過去の査読内容や生データは見なかった」と述べ、根本的な改善はされなかった。

> 笹井氏らが、共著者からの指摘を論文に反映させていなかったことも明らかになっている。論文では、作製したSTAP細胞の遺伝子に、元になったリンパ球特有の痕跡がある実験結果を根拠に、STAP細胞がリンパ球から新たに作られたものだと結論付けた。ところが、STAP細胞から作った幹細胞では遺伝子の痕跡は消えていた。このため、共著者の一人が論文に根拠として記載することに慎重な意見を伝えたものの、笹井氏らは深く議論しないまま論文に記載した。加藤和人・大阪大教授(医学倫理)は「幹細胞で痕跡がないのに、なぜあれほどの主張ができたのか不思議だ」と首をかしげる。

> 論文の主張に合わないデータや情報を取り上げないことは、ときとして科学論文で起きる。国立大の生命科学系の研究者は、「実験をしていれば多かれ少なかれ『都合の悪いデータ』は出る」と理解を示すが、査読資料に目を通した東京大エピゲノム疾患研究センターの白髭(しらひげ)克彦教授は「グラフで不都合と思える部分や、幹細胞で遺伝子の痕跡がなかったことが記載されていなかったが、ありのまま載せていたら論文は採択されただろうか。論文の結論を覆しかねないデータをあえて載せないことは倫理に反する」と話す。

> ◇投稿急増「外部の目」限界

> 「査読者も我々も、この研究に非常に強い関心を持っている」。13年4月、STAP論文を読んだネイチャーの編集者は、著者らに実験データを追加し、修正するように促していた。過去の科学誌とは一転して「歓迎ムード」になったことに、有名誌の査読を多く引き受ける国内の研究者は「まず著者の名前を見て論文の内容が信頼できるかを判断する」と明かす。実際、12年末以降、論文執筆の中心になった笹井氏は一流科学誌の常連で、論文を大幅に書き直していた。

> 「査読は本来、投稿された論文をいかに改良させるかという教育機能に重点があった」と話すのは、研究不正に詳しい山崎茂明・愛知淑徳大教授だ。山崎教授によると、科学誌が外部の専門家に査読を依頼する方法が始まったのは1970年代で、投稿数の急増や研究分野の細分化から内部だけでの審査が難しくなったことが背景にある。

> 一般的に科学誌は、投稿された論文の研究分野で実績がある著名研究者2〜3人に査読を依頼する。一方、画期的な研究成果であれば、査読者に知られることが投稿者に不利益となる恐れもあり、科学誌によっては投稿時に特定の査読者を拒むことができる。毎日新聞が入手した資料によれば、小保方氏らは米科学誌セルに、iPS細胞(人工多能性幹細胞)研究でノーベル賞を受賞した山中伸弥・京都大教授らを査読者から外すよう求めていた。

> 査読者への謝礼はなく、原則ボランティア。世界全体の投稿数が急増する中、査読の質の維持が問題となっている。化学分野で著名な「ドイツ化学会誌」は、年間5000人以上に2万8800回査読を依頼し、約230人は月1本以上を担当していた。同誌編集委員長(当時)は13年の論説記事で、査読者の負担増によって「査読の拒否や個々の査読の質の低下」を招いていると指摘した。米国の研究機関に所属する日本人研究者も「毎月約10本の査読依頼があり、とても対応できない」と悲鳴を上げる。

> ただし、掲載の可否を決める権限は編集側にある。STAP論文を掲載したネイチャーの査読者には掲載に懐疑的な意見もあった。ネイチャーは論文撤回後に掲載した検証記事で、掲載前に不正画像を検出する専用ソフトを使わないなど不備があったことを認めた。不正論文を掲載した責任については「致命的な問題があると(事前に)見抜くことは難しかった」との釈明にとどまったが、今回の不正問題で科学誌の姿勢を問う声は高まっている。


<参考=「クローズアップ2014:STAP論文著者 査読の指摘、軽視」(毎日新聞)>
(閲覧には無償の読者登録が必要)
<消滅・削除・15/07/22>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/12/26 (Fri) 16:48

副題=STAP論文「ほぼすべて否定」 理研調査委(毎日新聞)

 こんにちは。


 「捏造」との結論です。


> STAP細胞論文を巡る問題で、理化学研究所の調査委員会(委員長、桂勲・国立遺伝学研究所長)は26日、最終報告書を発表した。論文でSTAP細胞由来とされた細胞は、既存の万能細胞であるES細胞(胚性幹細胞)だったとし、「STAP論文は、ほぼすべて否定された」と結論付けた。一方、ES細胞の混入については「誰かが故意に混入させた疑いをぬぐえない」としたが、故意か過失か、誰が行ったかは決定できなかった。また、新たに2件の図表で著者の小保方(おぼかた)晴子・元理研研究員(31)による捏造(ねつぞう)を認定した。

> STAP細胞の有無を確かめる理研の検証実験では、小保方氏本人を含め作製できなかったが、調査委も「STAP細胞がなかったことはほぼ確実」との見方を示した。

> 理研の最初の調査委は3月、関連論文2本のうち主論文の画像2件で小保方氏の不正を認定した。両論文は7月に撤回されたが、新たな疑義が多数残り、理研が外部有識者7人で構成する別の調査委を9月に設置。15回の会合を開き、小保方氏や共著者の若山照彦・山梨大教授の研究室などに残っていた細胞などを詳しく調べた。

> STAP細胞を無限に増えるように変化させた複数の幹細胞の遺伝子解析をした結果、理研で作製されたES細胞と99%以上一致した。さらに、論文中で万能性を証明する根拠となったマウスや良性腫瘍なども、ES細胞による実験で作られた可能性が非常に高いと指摘した。ES細胞では作れないとされる論文中の胎盤の画像についても、「胎盤であるという証明はない」(桂委員長)と否定した。

> 調査委は、ES細胞を混入させる機会があったとみられる全関係者に聴取したが、いずれも関与を否定し、小保方氏も「私がES細胞を混入させたことは絶対ない」と答えたという。

> 新たに小保方氏による捏造と認定されたのは、主論文中の細胞の増殖率を比較するグラフと、遺伝子の働き方が変わる現象を示す図。さらに小保方氏が担当した実験では基になるデータがほとんど存在せず、「研究の基盤が崩壊している」と指摘した。不正認定された図表は「氷山の一角」に過ぎないとした。調査委によると、小保方氏は1点の捏造について「(共著者に)もとのデータでは使えないと言われ、操作した」との趣旨の発言をしたという。


<参考=「STAP論文:「ほぼすべて否定」理研調査委が結論付け」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/01/29>


【シバケン】 2014/12/28 (Sun) 11:00

小保方氏、データ操作認めるの発言していた<!>

又、
誰が、混入させたか<?>
STAP細胞は、ES細胞が混入の可能性大の疑惑。

当人退職したですが、記者会見なりに出て、この辺りの疑惑に自らの言葉で、見解を<!>

>STAP論文の疑問点を調べた理化学研究所の調査委員会は26日の記者会見で、論文の図表1点について、作成に必要な作業をやっていなかったことを小保方晴子氏(31)が聞き取り調査に対して認めたことを明らかにした。

>さらに論文のデータの一つについて、小保方氏が「元のデータを(共著者に)持っていくと『これでは使えない』といわれたので、操作した」との趣旨の発言をしたとも明らかにした。

>理研の調査委に対し小保方氏は実験記録をほとんど提出しなかったといい、調査委員長の桂勲・国立遺伝学研究所所長は「記録がない可能性が高いと思っている。大変、苦労した」と述べた。

>理研はSTAP細胞は既存の万能細胞である胚性幹細胞(ES細胞)が混入したものである可能性が非常に高いとする報告書を公表したが、小保方氏を含む関係者が混入を全面的に否定したため、混入の経緯は「謎のまま残った」とし、STAP問題の全容解明には至らなかった。

<参考=「小保方氏「データ操作」認める趣旨の発言も… 理研調査委」(産経ニュース)>
<消滅・21/05/31>


【?】 2014/12/28 (Sun) 18:05

先達

<参考=「iPS細胞とSTAP幹細胞に関する考察(京都大学iPS細胞研究所 山中伸弥)」(京都大学)>
<消滅・16/02/15>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/01/06 (Tue) 15:54

副題=STAP論文:不正確定 小保方氏、不服申し立てせず(毎日新聞)

 こんにちは。


 本人、沈黙を守ってますが、「STAP細胞はあります」発言は何だったのでしょうか。


> STAP細胞論文問題で、新たに二つの図表の捏造(ねつぞう)を認定された小保方(おぼかた)晴子・元理化学研究所研究員(31)が、理研に対して不服申し立てをしなかったことが6日、理研への取材で分かった。昨年3月に認定された別の2件の捏造・改ざんと合わせて計4件の不正が確定し、一連の不正調査は終結する。理研はSTAP細胞の有無を確かめる検証実験などで中断していた懲戒手続きを、同日中にも再開する。

> 理研の規定では、不服申し立ては調査委員会で研究不正を認定された当事者が通知を受けてから10日以内にできるとされ、5日が期限だった。理研は昨年12月26日、調査委員会(委員長、桂勲・国立遺伝学研究所長)の結果を発表する記者会見で、小保方氏と連絡が付かないと説明していたが、その後、発表当日に小保方氏側の受理を確認したという。

> 調査委は最終報告書で、研究の中心となった小保方氏が作製した細胞の増殖率を比較するグラフと遺伝子の働き方が変わる現象を示す図が、ともに捏造だったと認定。さらに、論文でSTAP細胞由来とされた細胞や組織は、既存の万能細胞であるES細胞(胚性幹細胞)からできていたとし「STAP論文は、ほぼすべて否定された」と結論付けた。

> 小保方氏は昨年3月、理研が設置した最初の調査委で2件の画像の不正を認定され、この時は不服申し立てをして「過失であり、捏造や改ざんには当たらない」と訴えたが、退けられていた。研究不正が認定された職員は懲戒対象になるが、小保方氏は昨年12月21日付で理研を退職したため、実際の処分は受けない。懲戒委員会は職員だった場合に相当と考えられる処分を検討する。【清水健二、大場あい、須田桃子】

> 【ことば】STAP細胞論文不正問題

> 理化学研究所の研究ユニットリーダーだった小保方晴子氏ら日米のチームが昨年1月、マウスのリンパ球を弱酸性の溶液につけるなどの刺激を与えるだけで、新しい万能細胞「STAP細胞」を作製したと英科学誌ネイチャーに発表した。しかし、直後からインターネットなどで疑義が指摘され、理研の調査委員会が昨年3月、二つの画像について小保方氏の不正を認定。ネイチャーは昨年7月に関連論文2本を撤回し、成果は「白紙」となった。小保方氏も参加して理研が取り組んだ検証実験でSTAP細胞は作製できず、2回目の調査委は、小保方氏による二つの図表の捏造を新たに認定した。

<参考=「STAP論文:不正確定 小保方氏、不服申し立てせず」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/02/12>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/01/07 (Wed) 13:29

副題=STAP細胞:小保方氏ら懲戒手続き再開 理研(毎日新聞)

 こんにちは。


 あとは、手続きだけ。


> ◇2月にも結論、対象者は懲戒委設置14年5月の在職者

> STAP細胞論文問題で理化学研究所は6日、中断していた小保方(おぼかた)晴子・元研究員(31)ら関係者の懲戒手続きを再開した。来月にも規定に沿って「懲戒解雇相当」や「諭旨退職相当」の結論を出すとみられるが、小保方氏は昨年12月に退職しているため具体的な効力はない。

> 昨年12月26日、理研の調査委員会に二つの図表の捏造(ねつぞう)を認定された小保方氏は、5日までの期限内に不服申し立てをせず、昨年3月に認定された2件の画像の不正と合わせ、計4件の不正が確定した。

> STAP細胞を巡る論文不正に関する懲戒手続きは、昨年5月に複数の理研職員が作る懲戒委員会で検討が始まったが、その後、論文不正について再び調査委が設置され、中断していた。

> 理研広報室によると、懲戒の審査対象は、懲戒委が設置された5月時点の在職者。雇用関係のなかった若山照彦・山梨大教授(理研客員研究員)は対象外、発生・再生科学総合研究センターの副センター長だった笹井芳樹氏も8月に死亡したため審査しない見通しだ。竹市雅俊・前センター長ら上司については「懲戒委が判断する」と説明している。

> 調査委は「STAP由来とされる細胞や組織はすべてES細胞(胚性幹細胞)で、誰かが混入した疑いをぬぐえない」と指摘したが、処分を目的とする懲戒委で事実解明が進む可能性は低い。

> 退職者に対し、在職していた場合に相当と考えられる処分を示したケースは、過去の研究不正でもある。東京大分子細胞生物学研究所の元教授は昨年8月に論文のデータ捏造を認定されたが、すでに辞職していたため、調査委が「懲戒処分相当の可能性がある」と指摘するにとどまった。また、降圧剤バルサルタンの臨床試験疑惑では、千葉大の調査委が、退職した元教授が現在所属する東京大に処分の検討を求めた。

> 下村博文文部科学相は6日の閣議後記者会見で「理研の組織全体としてのずさんさがあった。こうした問題が二度と起こらない体制が、国民への説明責任としても問われる」と語った。【清水健二、大場あい】

<参考=「STAP細胞:小保方氏ら懲戒手続き再開 理研」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/02/12>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/02/10 (Tue) 15:11

 こんにちは。


 15時のNHK総合テレビのニュースによれば、懲戒委員会は、小保方所女史に対し、懲戒解雇相当の処分が妥当との結論を出しました。
 小保方女史は既に退職してるため、実効はありません。

 間もなくWebにも載るでしょう。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/02/10 (Tue) 15:32

副題=小保方元研究員 「懲戒解雇」相当の見解(NHK)

 こんにちは。


 Webに載りました。


> STAP細胞の問題で関係者の処分を検討していた理化学研究所は、10日、小保方晴子元研究員について「懲戒解雇」に相当するという見解を発表しました。小保方元研究員はすでに退職しているため、実質的な処分はできないということです。

> この問題で理化学研究所の調査委員会は、STAP細胞を培養・凍結保存したとしていたものは、実際には別の万能細胞のES細胞だったと結論づけました。そのうえで、多くのES細胞の混入があり故意である疑いは拭えないが、論文の著者らは故意の混入を否定していて、誰が混入したかは特定できなかったとしました。

<参考=「小保方元研究員 「懲戒解雇」相当の見解」(NHK)>
<消滅・削除・15/02/25>


【シバケン】 2015/03/16 (Mon) 21:02

副題=STAP細胞は小保方氏の壮大なる妄想<?>

一流の学者を巻き込んだ、STAP細胞ですが、結局は、ES細胞の混入<?>

>STAP細胞の論文不正問題で理化学研究所は、捏造(ねつぞう)や改竄(かいざん)で計4件の不正を認定した元研究員の小保方(おぼかた)晴子氏(31)を刑事告訴しない方針を固めた。関係者が16日、明らかにした。今週中にも理事会を開いて正式に決定する。STAP問題は不正の真相に至らないまま究明を終えることになった。

>理研の調査委員会は昨年12月、STAP細胞は別の万能細胞である胚性幹細胞(ES細胞)が混入したものと断定。これを受け理研は、小保方氏を含む何者かが理研のES細胞を盗んで混ぜた疑いを視野に、窃盗罪などで告訴すべきか検討していた。

>しかし、小保方氏が所属していた研究室にあったES細胞は、誰でも持ち出せる状態だった上、実験中の偶然のミスで混入した可能性も否定できないと判断した。また、理研は今後、STAP問題について追加調査しない方針を決めており、新たな証拠が見つかる可能性もないことから、告訴を見送る。

>理研改革の進行状況を監視している外部有識者委員会も「混入者の特定は問題の本質ではない」などとして、告訴の見送りを月内に認める方向だ。

<参考=「理研「小保方晴子」元リーダーの刑事告訴見送る方針…「真相」究明至らず」(産経ニュース)>
<消滅・21/05/31>


【シバケン】 2015/03/18 (Wed) 22:19

副題=小保方氏には、研究費の一部、数十万円を返還請求予定

不正、捏造を見抜けなかった、理研の体質、関係者の責任です。

>STAP(スタップ)細胞の論文不正問題で理化学研究所は、筆頭著者で元研究員の小保方晴子氏(31)に対し、研究費の一部を返還請求する方針を固めた。撤回した論文の投稿費用に限定し、計数十万円とみられる。週内にも開く臨時理事会で正式に決定する。

>理研は小保方氏による4件の論文不正を認定したが、研究は実際に行われたため、研究費全体の請求は困難と判断した。

>一方、再発防止に向けた理研の組織改革を監視している外部有識者委員会は、改革は適切に行われていると評価する報告書をまとめ、臨時理事会に提出する。

>理研は昨年8月に改革計画を策定し、小保方氏が所属していた研究センターの規模を半減し改組。外部有識者が過半数を占める経営戦略会議の設置や、研究倫理教育の徹底などの再発防止策を実施してきた。

<参考=「小保方氏に研究費の一部返還請求へ 理研、週内にも臨時理事会で正式決定」(産経ニュース)>
<消滅・21/05/31>


NO.547 北陸新幹線:15年3月14日に長野-金沢間を開業(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/08/27)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/27 (Wed) 19:05

 こんばんは。


 「長野行新幹線」が、やっと延伸されます。

> ◇時速200キロ運転可能で東京-金沢間を最速2時間28分

> 北陸新幹線を共同運行するJR東日本と西日本は、来年3月14日に長野-金沢間(営業区間約228キロ)を開業することを決めた。新型車両の導入で東京−金沢間(同約451キロ)を当初計画から2分短い最速2時間28分で結ぶ。同区間では直通タイプの「かがやき」を1日10往復、各駅タイプの「はくたか」を同14往復させる。着工以来23年ぶりに首都圏と観光資源豊富な北陸地方が直結することで旅客動向が大きく変化しそうだ。

> 開業当初は北陸新幹線用に開発した東日本の「E7系」と西日本の「W7系」の計17編成(1編成12両)を投入、最終的に27編成324両体制で営業運転を行う。東京−金沢間の1日あたりの運転本数は、かがやき、はくたかの計24往復のほか、現在東京−長野間を走っている「あさま」を16往復、富山−金沢間を結ぶシャトルタイプの「つるぎ」を18往復させる。

> 北陸ルートは急勾配が連続する山岳地帯で、時速170キロを超えるのは困難とされてきた。新型車両のE7系とW7系は登坂能力に優れた長野新幹線の「E2系」をベースに改良を加えてパワーアップ。勾配区間や曲線でも時速200キロ運転が可能となった。整備新幹線区間の260キロ運転との併用で、当初予測の到達時間「2時間半」の壁を突破、最速2時間28分の到達が可能となった。【斎藤正利】

<参考=「北陸新幹線:15年3月14日に長野-金沢間を開業」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/12/10>


NO.548 原発事故後に自殺、東電に4900万円賠償命令(朝日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/08/28)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/28 (Thu) 02:38

 こんばんは。


 東電は「(はま子さんの)脆弱(ぜいじゃく)性も影響している」などと争っていた。(正確には、「個体側の脆弱性」と表現)

> 東京電力福島第一原発の事故後、福島県川俣町から避難を強いられ、一時帰宅中に自殺した渡辺はま子さん(当時58)の遺族が、東電に計約9100万円の賠償を求めた訴訟で、福島地裁は26日、東電に計約4900万円の支払いを命じる判決を言い渡した。潮見直之裁判長は「はま子さんの自殺と原発事故との間には相当因果関係がある」と、遺族側の主張を認めた。

> 東電によると、原発事故と自殺の因果関係を認めた判決は初めて。遺族側の弁護団は「避難による精神的苦痛を正面から認め、被害者の権利救済の道を大きく開いた」と評価した。

> 訴えていたのは、はま子さんの夫の幹夫さん(64)ら遺族。はま子さんは2011年6月、計画的避難区域になった川俣町山木屋地区から福島市のアパートに避難し、不眠や体重減少などに悩まされた。約3週間後、一時帰宅で1泊した自宅の庭先で焼身自殺した。

> 判決は、はま子さんが58年間暮らした山木屋の人々とのつながりや養鶏場の仕事を原発事故で失い、不慣れなアパート暮らしを余儀なくされたと指摘。「耐え難いストレスがはま子さんをうつ状態にさせ、自殺に至らせた」と認めた。「一時帰宅の際に感じたであろう展望の見えない避難生活への絶望、生まれ育った地で自ら死を選んだ精神的苦痛は、容易に想像しがたい」とも指摘した。

> 東電は「渡辺はま子さんのご冥福を心よりお祈りします。判決の内容を精査し、引き続き真摯(しんし)に対応します」との談話を出した。

> 弁護団によると、他にも同県の相馬市と浪江町の男性の自殺をめぐり、遺族が「原発事故が原因」として東電に賠償を求めている訴訟2件が係争中だ。(根岸拓朗)

<参考=「原発事故後に自殺、東電に4900万円賠償命令」(朝日新聞)>
<消滅・削除・15/09/10>


NO.549 デング熱:新たに2人 1人目と同級生、東京・代々木公園で感染か 都が蚊駆除「拡大可能性低い」(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/08/29)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/29 (Fri) 11:38

 こんにちは。


 感染拡大可能性は低いそうです。

> 埼玉県と東京都は28日、同県の20代女性と都内の20代男性の2人が、国内でデング熱に感染したと発表した。2人は既に感染が確認されている埼玉県の10代女性が通う都内の学校の同級生で、今月上旬〜中旬、都立代々木公園(渋谷区)で学園祭に向けてダンスの練習をしていたという。都は公園に生息する蚊が媒介したとみて同日夕、公園内で蚊を駆除したが、「感染が拡大する可能性は極めて低い」としている。【和田浩幸、竹内良和】

> 国内での感染例は69年ぶりで、厚生労働省などが埼玉の10代女性のほかに患者がいないか調査を進めていた。

> 都などによると、新たに感染が確認された2人はともに日本人で、10代女性と同様に海外渡航歴はない。20代女性は18日に、20代男性は24日に発症し、国立感染症研究所で検査した結果、デング熱の陽性反応が出た。発熱などを訴え入院しているが、命に別条はないという。

> ダンスの練習をしていたのは代々木公園内にある渋谷門付近の広場で、3人のほかに同じ学校の31人が参加していた。都は31人に感染者がいないか確認を進めているが、今のところ疑わしい例はないという。

> デング熱は蚊が媒介するウイルス感染症で、ヒトからヒトへの感染はない。高熱や頭痛、関節痛などを発症し、多くは回復するが、まれに重症化して死亡するケースがある。都はデング熱が流行するアジアや中南米などで感染した人が国内にウイルスを持ち込み、国内の蚊にうつった可能性が高いとみている。

> 都は26〜27日に公園内でデング熱を媒介する蚊の一種で日本に広く生息するヒトスジシマカなど35匹の蚊を採集したが、ウイルスを保有する個体は確認されなかった。

> 蚊の寿命は30日程度、行動範囲は半径50メートル程度とされ、都は28日、3人がダンスをしていたとされる渋谷門付近の広場を中心に半径75メートルの範囲で、生け垣や樹木などに約800リットルの殺虫剤を散布。周囲に金網のフェンスを設置して29日朝まで立ち入り禁止とした。近くのベンチに座っていた70代の男性は、国内感染の報道に「外国帰りの人が感染したのだと思っていた」と驚いた様子だった。

> 都は28日に専用電話(03・5320・4179)を設置、9月5日までの間、平日の午前9時から午後7時まで相談を受け付ける。

<参考=「デング熱:新たに2人 1人目と同級生、東京・代々木公園で感染か 都が蚊駆除「拡大可能性低い」」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/08/31>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/31 (Sun) 21:28

副題=デング熱:新潟の男性感染か「代々木公園で蚊に刺された」(毎日新聞)

 こんばんは。


 感染が広がらなければ良いのですが。

> 新潟県は31日、県内在住の10代男性がデング熱に感染した疑いがあると発表した。渡航歴はなく、8月20日に学校行事で東京都立代々木公園(渋谷区)を訪れていることから、同公園に生息する蚊が媒介したとみられる。男性は現在、県内の病院に入院しているが、快方に向かっているという。

> 県健康対策課によると、男性は同公園で蚊に刺されたと訴えている。24日に発熱や頭痛の症状を起こして県内の病院を受診し、入院。30日に県保健環境科学研究所(新潟市)のスクリーニング検査を受け、陽性と診断された。検体は確認検査として国立感染症研究所に送られ、1日にも結果が出る見通し。行事の参加者には学校で聞き取り調査をし、これまでに発症を訴える人はいないという。

> デング熱は、8月下旬に同公園にいた埼玉県と東京都の計3人が、69年ぶりに国内感染したことが確認されている。【塚本恒】

<参考=「デング熱:新潟の男性感染か「代々木公園で蚊に刺された」」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/10/31>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/01 (Mon) 20:16

副題=TBS:タレント2人がデング熱か 代々木公園でロケ(毎日新聞)

 こんばんは。


 どんどん広がっています。
 致死率が低いことと、蚊が越冬しないことが救いです。

> TBSは1日、情報番組「王様のブランチ」でリポーターを務めるタレントの青木英李さん(25)と紗綾さん(20)がデング熱に感染した疑いがあると明らかにした。2人は現在治療中という。

> 同局によると、2人は8月21日に東京・代々木公園でロケを行った際、蚊に刺されたとみられる。(共同)

<参考=「TBS:タレント2人がデング熱か 代々木公園でロケ」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/09/15>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/01 (Mon) 20:26

副題=デング熱:新たに6都県19人確認 感染22人に(毎日新聞)

 こんばんは。

> 厚生労働省は1日、6都県の10歳未満から50歳代までの男女計19人がデング熱に感染していたと発表した。いずれも海外の渡航歴はなく、8月に東京都立代々木公園(渋谷区)やその周辺を訪れており、公園に生息する蚊が媒介したとみられる。69年ぶりに国内での感染が確認された8月27日以降、感染者数は計22人になった。

> 厚労省によると、新たに感染が判明したのは▽東京都13人▽神奈川県2人▽埼玉県1人▽千葉県1人▽茨城県1人▽新潟県1人。いずれも高熱や頭痛を発症し、自治体を通じて国立感染症研究所が感染の有無を調べていた。

> 厚労省は他に感染者がいないか自治体と協力して調査するとともに、検査態勢を強化するため全国の地方衛生研究所に検査キットを配布する。デング熱に感染しても重症化するのはまれだが、同省は蚊に刺されてから3〜7日程度で高熱が出れば早めに医療機関を受診するよう、同省のホームページなどで呼びかける。【桐野耕一】

<参考=「デング熱:新たに6都県19人確認 感染22人に」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/10/31>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/02 (Tue) 21:22

 こんばんは。


 移動中にカーラジオでNHK第一放送を聴いていると、色んな番組の出演者が不安を訴えていました。
 なんでも、代々木公園はNHKのスタジオに近いため、NHK出演者で早く着きすぎた人の多くが代々木公園で時間潰しをしていた由。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/04 (Thu) 22:48

副題=デング熱:採集の蚊にウイルス 代々木公園北側エリア閉鎖(毎日新聞)

 こんばんは。


 デング熱に関する記事は山ほどありましたが、基本となる記事を引用します。

 ところで、NHKラジオによれば、代々木公園の隣に勤めるNHK職員が2名、感染したとか。また、神宮外苑で感染した疑いがある人が居るようです。蚊の行動範囲は予想以上に広いようです。

 アウトブレイクに近い状態に感じますが、ヒトからヒトには感染しませんし、日本では致死率もごく低く、あと一箇月もすれば蚊の活動も納まりますので、冷静になりましょう。

> ◇感染者は12都道府県59人に

> 東京都は4日、渋谷区の都立代々木公園内の4カ所で採集した蚊から、デングウイルスが検出されたと発表し、同日午後2時、公園のうちウイルスを持つ蚊が確認された北側エリア(約44万6000平方メートル)を閉鎖した。蚊の駆除方法を検討し、5日以降に殺虫剤を散布する。閉鎖は1967年10月の開園以来初めてで、再開時期は未定。

> 都は2日、園内10カ所に採集器を設置。ヒトスジシマカ(ヤブ蚊)を中心に約300匹を採集して調べたところ、北側エリアの西側など4カ所で蚊からウイルスが検出された。公園のうち都道を挟んで陸上競技場や野外ステージがある南側エリア(約9万4000平方メートル)では確認されなかった。コンクリートやアスファルトに覆われた部分が多く、蚊が発生しやすい環境にはないとして閉鎖しなかった。

> 北側エリアでは南側の渋谷門付近で先月上旬〜中旬、ダンスの練習をしていた男女がデング熱に感染していたことが先月28日に判明。都は渋谷門付近の広場を中心に半径75メートルの範囲で、生け垣や樹木などに殺虫剤を散布した。このエリアでは今回、ウイルスを保有した蚊は見つかっていない。

> 園内には多くの昆虫や鳥などが生息していることから、4日午後、都の担当者が国立感染症研究所の専門家らとともに園内を見て回り、生態系への影響を考慮した駆除を検討した。

> 都は今後、園内の採集器の設置場所を10カ所から20カ所に増やし、調査範囲を拡大。調査結果を踏まえて公園の再開時期を判断するが、蚊の寿命が30〜40日であることから、再開は9月末以降となる見通しだ。

> 一方、厚生労働省などは4日、新たに群馬県など6都県の計11人がデング熱に感染したと発表した。いずれも最近の海外渡航歴はなく、8月に代々木公園や周辺を訪れていた。群馬県での感染者は初めてで、国内の感染者は12都道府県の計59人になった。11人は10〜70代の男女で、東京都在住が6人、群馬、神奈川、千葉、埼玉、新潟県在住が各1人。入院中の患者もいるが重症者はいないという。

> 群馬県の10代の少年は8月23日に家族で代々木公園を訪れ、29日に高熱を発症した。他の家族に症状は出ていない。東京都の20代の女性は8月4日に公園を訪れて蚊に刺され、12日に発症。神奈川県の20代の女性は8月17日と24日に公園で蚊に刺され、28日に発熱や発疹などを訴えたという。

> また、NHKは4日、公園に隣接するNHK放送センター勤務の職員と契約スタッフの女性計2人が感染したと発表した。2日に2人からそれぞれ「感染して入院した」と連絡があったが、厚労省などの感染者の集計に含まれているかどうかは不明という。【武本光政、桐野耕一、望月麻紀】

> ◇デング熱

> デングウイルスを持つ蚊に刺されることで感染する。国内では、青森以南に生息するヒトスジシマカが媒介する。主な症状は38〜40度の発熱や頭痛、筋肉痛など。感染者のうち10〜50%が発症し、そのうち1〜5%が重症化する。潜伏期間は通常3〜7日。熱帯や亜熱帯の全域で流行しており、特に東南アジア、南アジア、中南米で患者の報告が多い。

<参考=「デング熱:採集の蚊にウイルス 代々木公園北側エリア閉鎖」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/11/06>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/05 (Fri) 22:20

副題=デング熱、新宿中央公園でも感染か 菅官房長官「冷静な対応を」(msn J-CASTニュース)

 代々木公園以外へも広がりました。

> 厚生労働省と埼玉県は2014年9月5日、代々木公園周辺に行っていない埼玉県在住の30代男性からデング熱の感染が確認されたと発表した。男性は、8月に5回にわたって代々木公園から2キロほど北にある新宿中央公園を訪れており、同公園で感染したとみられる。

> 菅義偉官房長官も同日午後の会見でこの問題に触れ、

> > 「新宿中央公園で感染した可能性が高いと考えられる。新宿区と協力して、公園内の蚊の調査や駆除を行う。専門家によれば、蚊の移動距離は限られており、日本で越冬することは難しい。大規模な感染拡大は考えにくく、政府としては、予断を持つことなく、さまざまな場合を想定して対応している」
> > 「発症しても重体になることは少なく、これまでデング熱で亡くなった方が報告されたことはない。全国の皆さんには、引き続き冷静に対応していただきたい」

> と冷静な対応を呼びかけた。

<参考=「デング熱、新宿中央公園でも感染か 菅官房長官「冷静な対応を」」(msn J-CASTニュース)>
<消滅・削除・14/10/13>


【シバケン】 2014/10/08 (Wed) 14:07

副題=関西初、デング熱感染

東京代々木公園と、同種遺伝子で、神戸西宮の女子大生、デング熱に感染<!>
女子大生は、東京周辺行っておらず。別の感染者が東京で感染。蚊を介して女子大生に感染の可能性。

市職員が、蚊の発生しそな箇所に殺虫剤投与。
とは、テレビで、放映してたです。

東京のが、西宮故、人の集まるの処の、どこにでも、デング熱、拡散の可能性あると、云えるです。


>兵庫県の西宮市保健所は7日、同市内の女子大生(19)がデング熱に国内感染した、と発表した。ウイルスの遺伝子配列が東京・代々木公園での感染例と一致。女子大生は東京周辺を訪れておらず、同保健所は別の感染者が都内から西宮に移動し、蚊を介して女子大生に感染した可能性が高いとみている。関西で感染が推定されるのは初めて。

>デング熱はヒトスジシマカなどが媒介し、人から人に直接感染はしない。厚生労働省によると、国内感染は7日までに18都道府県で157例確認。静岡県の1例を除いて、すべて代々木公園を中心に蔓延した感染例という。

>女子大生は高熱や筋肉痛などを訴え、10月1日に同市内の医療機関を受診。同保健所の簡易検査で感染疑いがあるとされ、国立感染症研究所(東京)に確定検査を依頼していた。女子大生は入院中だが、快方に向かっている。

>9月10~16日にマレーシアへの渡航歴があるが、帰宅以降、西宮市外には出ておらず、「9月22日に複数回、自宅で蚊に刺された」と話しているという。

>同市は7日夕、女子大生宅周辺で蚊を採取し、8日に兵庫県立健康生活科学研究所(神戸市兵庫区)にウイルス検査を依頼する予定。同日朝から周辺の半径約200メートルで殺虫剤を散布する。

>西宮市保健所によると、同市内でほかに感染者は確認しておらず、「二次感染の可能性は低く、市民には冷静に対応してほしい」としている。


<参考=「西宮市でデング熱 関西で感染、初確認」(神戸新聞)>
<消滅・16/11/07>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/10/31 (Fri) 21:13

副題=代々木公園:57日ぶりに閉鎖解除…東京都(毎日新聞)

 こんばんは。


 立冬も近くなり、まもなく蚊のシーズンも終わるでしょう、このまま収束でしょうか。

> 東京都は31日、デング熱のウイルスを保有する蚊が見つかり立ち入り禁止としていた都立代々木公園(渋谷区)について、57日ぶりに閉鎖を解除した。

> ウイルスを持つ蚊が確認された公園北側のエリア(約44万6000平方メートル)で9月4日以降、門を閉鎖していた。公園南東側の原宿門では午前9時、門をふさいだフェンスが取り除かれると、利用者が次々と園内へ。顔見知りとあいさつを交わしながら散歩やジョギングを満喫していた。

> 1967年の開園以来、毎日のように訪れていたという渋谷区の浅間良市さん(78)は「ここに来ると胸が大きく広がるようだ。キンモクセイの香りが良い時期を逃してしまったのは残念」と笑顔を見せた。

> 都によると、ウイルスが検出されたのは9月18日が最後で、蚊の寿命とされる30〜40日も経過しており、安全と判断した。今後はボウフラの成長を抑える薬剤を公園内で散布するなどの対策を取る。【川口裕之】

<参考=「代々木公園:57日ぶりに閉鎖解除…東京都」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/11/30>


NO.550 米アカデミー賞:宮崎駿監督に名誉賞 日本人で2人目(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/08/29)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/29 (Fri) 12:12

 こんにちは。


 目出度いことです。

> 米アカデミー賞を主宰する映画芸術科学アカデミーは28日、卓越した業績を残した世界の映画人に贈られる名誉賞を日本のアニメ映画監督宮崎駿氏(73)らに授与すると発表した。

> 日本人監督の受賞は1990年の故黒沢明監督以来2人目。授賞式は11月8日にハリウッドで行われる。

> アカデミーは宮崎監督について「千と千尋の神隠し」で2003年にアカデミー賞長編アニメ賞を獲得したほか「ハウルの動く城」「風立ちぬ」で同賞にノミネートされた経歴を紹介。

> 「もののけ姫」で世界的に有名になる前から、日本で絶大な支持を受けていたとして、長年の功績をたたえた。(共同)

<参考=「米アカデミー賞:宮崎駿監督に名誉賞 日本人で2人目」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/09/12>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/29 (Fri) 12:18

<時のひと:「何も持ち込まない、持ち出さない」 宮崎駿さん /埼玉(毎日新聞 2014年01月25日)>

> ◇何でも緩やかに、が大事−−宮崎駿さん(73)

> 冷え込みの厳しい日曜の午前9時。右手にカマ、左手に竹棒を持って「淵の森」に駆けつけた。

> 「となりのトトロ」の構想を練った森。約20年前、私財3億円を投じるなどして宅地開発から守った。駐車場を掘り起こし全国から寄せられたコナラ、センダンなど数百本を植樹。木々は今、見上げる首が痛くなるほどに高く成長した。

> 新年恒例の森の下草刈りに全国から詰めかけたボランティアは220人。「ここには50人も来てくれればいい。毎週、掃除してっから。人出が必要な森や自然は西(狭山丘陵)の方にもいっぱいあるでしょ」。気持ちとは裏腹の捨てゼリフのような言葉が口をつくのが監督の真骨頂。もみあげまで続くトレードマークの白あごひげをなでながら、サングラスの奥の目元はうれしさでいっぱいのように見える。

> 「(自然保全の)理念なんて難しいことは考えない。何でも緩やかにやることが大事」。引退表明後は毎朝、森の中を流れる柳瀬川の河原でゴミ拾いをし、「弁当を持ってアトリエ通いの日々」という。「風立ちぬ」のアカデミー賞候補浮上にも馬耳東風だ。

> 「何も持ち込まない、何も持ち出さない」が保護エリアの保全哲学。自宅の周りなどでゴミ拾いする人が増える一方、「(保護地区の)花泥棒も増えた」と語り、「一番の環境保護は人間を減らすことだね」。宮崎語録を一つ増やし、屈託のない笑顔で早春の下草刈り作業を締めくくった。【海老名富夫】

> ==============

> ■人物略歴

> ◇みやざき・はやお

> 東京都生まれ、所沢市在住。「スタジオジブリ」の創設者。「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」など多数のアニメ映画作品を製作し昨年9月、長編映画製作からの引退を宣言した。

<参考=「時のひと:「何も持ち込まない、持ち出さない」 宮崎駿さん /埼玉」(毎日新聞 2014年01月25日)>
(会員登録必要)<消滅・削除・15/01/29>


NO.551 福島第1原発事故「吉田調書」の全容が判明「イメージは東日本壊滅」(サンスポ)<起稿 磯津千由紀>(14/08/31)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/31 (Sun) 10:53

 こんにちは。


 吉田調書の原文を探しましたが、どうもまだ公開されてないようです。

> 東京電力福島第1原発事故をめぐり、政府の事故調査・検証委員会が現場の指揮を執った吉田昌郎元所長=昨年7月死去=から当時の状況を聞いた「聴取結果書(吉田調書」の全容が30日、判明した。

> 共同通信が入手した調書で吉田氏は、2号機の原子炉水位が低下し危機的状況となった事故発生4日目の2011年3月14日夜を思い起こし「われわれのイメージは東日本壊滅。本当に死んだと思った」と述べるなど、過酷な状況下の心情を吐露している。

> 吉田氏の証言は他の聴取対象者の証言とともに政府事故調が12年7月にまとめた最終報告書に反映された。政府は近く、吉田氏の調書を公開する。

> 11年3月15日に東電が第1原発から「全面撤退」すると政府が解釈したことには「逃げていないではないか」と怒りをあらわにし、現場の状況を理解しなかった首相官邸や東電本店に対しての不満も口にしている。

> 第1原発から約650人が第2原発に退避したことをめぐっては、朝日新聞が今年5月、調書などを基に「所員の9割が吉田氏の待機命令に違反し撤退した」と報じたが、吉田氏は聴取に、命令違反があったとの認識は示していない。

> 3号機の爆発で一時、多くの行方不明者が出たことについては「四十何人不明という話で、その時死のうと思った。本当に亡くなっているなら、腹切ろうと思った」と語り、作業員の安全を強く意識していたこともうかがわせた。

> 事故初期段階に、1号機原子炉を冷却する非常用復水器(IC)を当直員が停止させた。機器や圧力容器の損傷を防ぐためだったが、吉田氏には情報が伝わらず「確認すべきだった。猛烈に反省している」と述べている。

> 一方、東電が事故前の08年、第1原発に大津波が来る可能性があると試算しながら対策を取らなかったことには「何の根拠もないことで対策はできない」と応じている。

> 吉田氏の調書はA4判で約400ページ。吉田氏は生前、「記憶の薄れ、混同で事実を誤認している部分もあると思う。内容の全てが事実であったかのように独り歩きしないか危惧している」として非公開を望んでいた。

> しかし政府は、調書の内容を複数の報道機関が報じ「懸念が既に顕在化し、このまま非公開とすることは、かえって本人の意思に反する」と公開を決めた。(共同)

<参考=「福島第1原発事故「吉田調書」の全容が判明「イメージは東日本壊滅」」(サンスポ)>
<消滅・削除・16/02/08>


【シバケン】 2014/08/31 (Sun) 11:21

<補足>

下記関連

<参考1=NO.545 <フクシマ第1原発事故>吉田調書抄録<産経ニュース>

<参考2=NO.543 福島原発事故:「吉田調書」政府が一転公開へ(毎日新聞)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/31 (Sun) 21:23

副題=吉田調書:元東電社員「戦う所長が支え」(毎日新聞)

 こんばんは。


 矢張り吉田氏は偉かった。

> 東京電力福島第1原発事故の発生直後、収束作業に当たった元東電社員の男性は、現場の最高責任者が何を考え、どう行動したかを記録した調書の内容が明らかになったことを「ずっと知りたかった」と歓迎する。男性は当時、本店の幹部らを相手に一歩も引かない吉田昌郎元所長の姿を自らの支えにしていたという。それだけに「9割の所員が命令に違反して撤退した」との一部報道には「命がけで戦った仲間全員への侮辱で、悔しい」と話す。【袴田貴行】

> 男性は20代後半。2011年3月12日に最初の水素爆発が起きた時は、炉心への冷却水注入が続く1号機に車で向かっていた。激しい爆発音とともに車が上下に揺れ、一瞬気を失った。我に返って前を見ると、原子炉建屋が吹っ飛んでいた。わずか100メートルの距離だった。不眠不休で作業を続けたが、14日午前に3号機が爆発、夜には2号機の危機的状況が伝わった。普段は冷静な上司が誰に聞かせるともなく「もう駄目なんだからな」としきりにつぶやいた。

> 日付が15日に変わる頃、免震重要棟の1階出入り口付近には数百人の所員が待機していた。明け方、吉田所長らが指揮を執る2階の緊急時対策室から人が下りてきて、退避命令を伝えた。免震重要棟の重い二重扉が開き、所員らはバスや自家用車で第2原発へ向かった。だが、2時間ほど仮眠を取った後、上司に起こされ第1原発に戻ってくれと言われた。4号機で火災が発生し、人員が必要だという。同僚が戻ると言うので一緒に従わざるをえなかった。

> 「生きて帰りたい」と願う一方、「吉田所長が頑張っている間は自分も折れるわけにはいかない」とも思った。緊急時対策室でのテレビ会議で、本店の幹部に食ってかかる姿を何度も見かけた。半面、たまに資料を渡しに行くと、若い所員にも気さくに話しかけてくれるのがうれしかった。

> しかし今年5月、朝日新聞に「吉田所長の命令に違反して撤退した」と書かれた。男性は「当時、退避先が第2原発というのは全員の共通認識だった」と反論。第1原発の構内で退避先を探しても「全面マスクをした状態で何時間もいたら全員死んでいた」と話す。

<参考=「吉田調書:元東電社員「戦う所長が支え」」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/10/29>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/31 (Sun) 21:34

副題=東日本大震災:福島第1原発事故 吉田調書、海外でも報道(毎日新聞)

 こんばんは。


 今日の記事ですが、内容は旧聞に属することです。
 吉田調書の全文が公開されれば、海外の論調も変わるかも。

> 吉田調書を巡っては、朝日新聞が5月20日付朝刊で内容を報道。2号機で衝撃音がし危機的状況に陥った2011年3月15日朝、「福島第1原発の9割の所員約650人が吉田氏の待機命令に違反し、福島第2原発に撤退した」と報じた。

> この記事を受け、米紙ニューヨーク・タイムズ電子版が「パニックになった数百人の所員が命令に反し福島第1原発を見捨てた」と報じるなど、朝日新聞の報道は海外メディアで大きく取り上げられた。

<参考=「東日本大震災:福島第1原発事故 吉田調書、海外でも報道」(毎日新聞)>
(閲覧には無料の会員登録が必要)
<消滅・削除・15/08/31>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/09/04 (Thu) 22:28

 こんばんは。


 政府は先週に「来週には公開」といっていたのに、週末も近い今日、インターネットでは見付かりませんでした。私の探し方が悪いかもしれないので、見つけた人は、出来れば新スレッドを起こして頂きたいと思います。

 本スレッド(下記)を参考として引用頂ければ幸いです。
<参考=NO.551 福島第1原発事故「吉田調書」の全容が判明「イメージは東日本壊滅」(サンスポ)


 もしかすると政府は、インターネット上では公開しない可能性もありますが。