みんながパソコン大王
雑談<NO.257>

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表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
雑談NO.258
2425 日本人に多い「腸を汚すバナナの食べ方」5大NG 「バナナは腸にいいのに…」残念な食べ方は? 磯津千由紀 21/06/26
2424 日本が誇る高級サルーン!! 消えた名門 セドリック/グロリアの軌跡 磯津千由紀 21/06/26
2423 実はすごくない初代新幹線「0系」 なぜ世界初の「すごい高速運転」実現できたのか? 磯津千由紀 21/06/24
2422 世界初採用「同期リラクタンスモーター」日比谷線13000系で搭載実験 省エネ性能示される 磯津千由紀 21/06/24
2421 「13年超の重課税」が入り口? 何年経ったら新車は「旧車」になるのか 磯津千由紀 21/06/24
2420 新型コロナウイルス 五輪開幕日に7割がインド型、専門家会合で報告 磯津千由紀 21/06/24
2419 <コロナ禍>外食閉店1.9倍の5230店 20年度、リーマン危機上回る シバケン 21/06/23
2418 立花隆さん死去 ジャーナリスト、評論家「田中角栄研究」 磯津千由紀 21/06/23
雑談NO.256

NO.2418 立花隆さん死去 ジャーナリスト、評論家「田中角栄研究」<起稿 磯津千由紀>(21/06/23)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/06/23 (Wed) 13:55

 こんにちは。


 今度は...


> 多くの調査報道やベストセラーを発表し、「知の巨人」として知られるジャーナリストで評論家の立花隆(たちばな・たかし、本名・橘隆志=たちばな・たかし)さんが4月30日、急性冠症候群のため亡くなった。80歳。葬儀は故人と遺族の意思により家族葬で行われた。

> 1940年、長崎市生まれ。両親ともクリスチャンの家庭で育つ。教員だった父が赴任していた中国・北京で敗戦を迎えた。東京大文学部仏文科を卒業した64年、文芸春秋に入社し雑誌記者となるが66年に退社、フリーとなる。67年に東京大文学部哲学科に学士入学した。在学中から雑誌などにルポや評論などを発表。74年には月刊「文芸春秋」に「田中角栄研究 その金脈と人脈」を発表した。首相だった田中氏の政治手法を入念な取材と裏付け調査で明らかにし、田中氏退陣のきっかけとなった。同企画は「調査報道の先駆」「雑誌ジャーナリズムの金字塔」として高く評価された。

> その後は「日本共産党の研究」など政治をテーマとした執筆を続ける一方、米国のアポロ計画で月に渡った宇宙飛行士を取材し、その内面の変化をたどった「宇宙からの帰還」や、人の死、人が生きていくことの意味を問うた「脳死」「脳死再論」など科学分野でも多数の意欲作を残した。

> 後進の育成にも力を入れた。東京大で非常勤講師や客員教授などを歴任。ゼミ出身者が作家や記者、編集者などになった。2007年にがんの告知を受け手術。以後自らの体験を雑誌に発表するなど、がんに関する取材・執筆を続けた。他の主な著作に「中核VS革マル」「農協 巨大な挑戦」「ロッキード裁判傍聴記」「シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界」「天皇と東大 大日本帝国の生と死」「武満徹・音楽創造への旅」など。多分野に及ぶ活躍で菊池寛賞(83年)や毎日出版文化賞(87年)、司馬遼太郎賞(98年)などを受賞した。


<参考=「立花隆さん死去 ジャーナリスト、評論家「田中角栄研究」」(毎日新聞、6月23日)>


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/06/23 (Wed) 14:18

副題=分野も時間も軽々越えた「知の巨人」 立花隆さんが残したもの(毎日新聞、6月23日)

 こんにちは。


 惜しい人を亡くした。


> 「知の巨人」と評されたジャーナリストで評論家の立花隆さんが亡くなった。理系と文系、過去や現代、未来といったテーマの垣根を軽々と越えた60年に及ぶ活動が残したものは大きい。

> 戦闘の体験はないが、戦争への関心は高かった。幼いころの鮮明な記憶は、中国からの引き揚げだ。教員だった父親の赴任先、北京で敗戦を迎えた。5歳の立花少年は引き揚げの旅路で大人用のリュックを背負わされた。先を行く大人について行くのがつらく、「置いてけぼり」になりかけたという。

> また長崎生まれで、原爆には思いがあった。東京大在学中の1960年には、英国・ロンドンで開かれた「学生青年核軍縮国際会議」に招かれ欧州に渡った。新藤兼人監督の映画「原爆の子」や関川秀雄監督の「ひろしま」、土門拳の写真集「ヒロシマ」などを持参し、各地で上映会などを開いた。

> 64年に仏文科を卒業。卒業論文はフランス革命期の哲学者、メーヌ・ド・ビランが残した「ヨハネ伝注解」の分析だった。進路を考えていると、新聞記者だった兄から「新聞記者はやめろ」と言われた。NHKと岩波書店は入社試験で落とされ、文芸春秋に入社した。希望通り「週刊文春」に配属された。しかし好きな読書がままならず、「まったく興味が無い」プロ野球の取材を任されたことで嫌気が差し、3年足らずで退社した。

> フリーとなり、67年には東京大哲学科に学士入学。学費を稼ぐために雑誌で記事をまとめる「アンカーマン」を務め、取材や編集の経験を重ねた。60年代末からペンネームの「立花隆」で月刊誌などで記事を書いた。さらに東京・新宿の飲食店が並ぶゴールデン街でバーを共同経営。来店するマスコミ関係者との交流を深めた。

> そこで知り合った編集者のすすめで72年、イスラエルに渡った。同年に起きた、テルアビブの空港で日本赤軍の3人が銃を乱射し24人が死亡した事件を取材。1人生き残った実行犯で、現地警察に拘束されていた岡本公三容疑者への一問一答記事が「週刊文春」に掲載され話題となった。

> 「立花隆」の名前がさらに大きく知られたのは74年。「田中角栄研究 その金脈と人脈」を月刊「文芸春秋」で発表してからだ。時の首相の、カネにまつわる疑惑を徹底的に調べ上げた。会社登記簿や政治資金収支報告書など膨大な資料を収集・分析。ファミリー企業や支援者、派閥などの複雑な人脈を相関図で可視化した。田中氏は日本外国特派員協会で記者会見に臨み、海外メディアの追及を受けた。「田中金脈」は海外に発信され、日本のメディアも報じた。田中氏は74年11月に退陣を表明。自民党内の権力闘争が激化していたこともあったが、立花さんの報道が田中氏退陣の引き金ともなった。

> 76年2月には「ロッキード事件」が発覚。田中氏や丸紅、全日空の役員らが受託収賄、贈賄などの罪で起訴される歴史的な疑獄事件となった。立花さんは退陣で田中氏をテーマにすることをやめるつもりだったが、事件によって追い続けることに。77年の初公判以来、すべての公判を傍聴。「朝日ジャーナル」に68回の「傍聴記」を寄せた。

> 「科学少年だった」という立花さんは、脳や宇宙、医療といった分野でも積極的に取材し、発信した。「宇宙での体験が意識にどんな影響をもたらすのか」に関心を持ち、米アポロ計画の宇宙飛行士たちに取材を重ねた。その成果である「宇宙からの帰還」は版を重ね、後に日本人が宇宙飛行士を目指すきっかけともなった。科学・技術の最前線に立った人間がその体験を精神世界でどう受容し、その後の人生にどう影響したのかを追う仕事は、分野を越境する立花さんの仕事の象徴であると同時に、膨大な作品群の中で一つの画期ともなった。

> 並外れた読書家でもあった。蔵書はおよそ10万冊。「関心がある分野は最低でも10冊を読むべきだ」「本との出会いは自分でするもの」といった持論から、読書の方法や重要性を説いた。

> 鋭い書評家でもあった。賞の選考会などでは手厳しい評もしたが、立花さんに著作を取り上げられ、力を得た書き手は多い。また母校・東京大では教壇にも立った。「調べて書くことが現代では最も重要な能力」との考えから、ゼミでは学生たちが会いたい人物に会い、インタビューして書くことを課した。自身も取材や執筆などの活動をしつつ、後進の育成に力を注いだ。

> 分野をまたいで深く広く取材する発信者であり、教育者でもあった立花さんは「総合知」の人だった。アカデミズム、ジャーナリズムとも専門性が細分化する現代にあっては、立花さんのような異能の人物は、もう現れないかもしれない。


> 立花隆さんの著書一覧

> 「思考の技術」(1971年)

> 「中核VS革マル」(75年)

> 「田中角栄研究」(76年)

> 「日本共産党の研究」(78年)

> 「ジャーナリズムを考える旅」(同)

> 「農協 巨大な挑戦」(80年)

> 「ロッキード裁判傍聴記」(81~85年)

> 「宇宙からの帰還」(83年)

> 「脳死」(86年)

> 「脳死再論」(88年)

> 「同時代を撃つ 情報ウオッチング」(88~90年)

> 「臨死体験」(94年)

> 「ぼくはこんな本を読んできた」(95年)

> 「立花隆の同時代ノート」(97年)

> 「21世紀 知の挑戦」(2000年)

> 「『言論の自由』VS.『●●●』」(04年)

> 「シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界」(同)

> 「天皇と東大 大日本帝国の生と死」(05年)

> 「滅びゆく国家 日本はどこへ向かうのか」(06年)

> 「自分史の書き方」(13年)

> 「死はこわくない」(15年)

> 「武満徹・音楽創造への旅」(16年)

> 「『戦争』を語る」(同)

> 「知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」(20年)

<参考=「分野も時間も軽々越えた「知の巨人」 立花隆さんが残したもの」(毎日新聞、6月23日)>


NO.2419 <コロナ禍>外食閉店1.9倍の5230店 20年度、リーマン危機上回る<起稿 シバケン>(21/06/23)


【シバケン】 2021/06/23 (Wed) 16:49

企業的コロナの犠牲者なるは、旅行関連業者としての、鉄道、航空、バス、旅行代理店、宿泊業等々。
一時には、外国人観光客が増えたがため、それ目当ての、土産物屋。
国内的には、飲食業で、外食業。
まだまだ、あると、思うですが。

での、外食ねえ。
とりあえず、当方的、近所の、「Joyful」<ファミリー・レストランのチェーン店>が、この21日で、以て、閉店。
偶々ですが、この22日、洛西髙島屋に、諸般で、寄ったですが。その髙島屋内にあったの、レストラン<屋号知りませんです>が昨年末、既に、閉店してたです。へえと。


<写真1>
ペッパーフードサービスの閉店が目立った(東京都内)



<図2>
閉店が出店を上回った



<図3>
売上高の落ち込みが大きい



>日本経済新聞が実施した2020年度の飲食業調査によると、閉店数が5230店に達したことがわかった。19年度の1.9倍に達しただけでなく、リーマン危機時の08年度(3859店)も大きく上回る。新型コロナウイルスの感染拡大が外食産業に大きな影響を与えており、新店や既存店改装などへの設備投資額も前年度比3割減と大きく減少した。(詳細は23日付日経MJに)

>調査は外食主要557社を対象に、4月上旬から6月上旬までに実施。有効回答は311社だった。20年度の閉店数は新規出店(3465店)を大きく上回り、19年度調査の総店舗数の5.5%に相当する規模だった。閉店が多かった業態はレストラン(1249店)、パブ・居酒屋など(919店)で、企業別ではペッパーフードサービス(392店)やコロワイド(386店)、すかいらーくホールディングス(176店)などが目立った。

>前年度と比較可能な292社の店舗売上高は前年度比15.9%減の6兆5420億円。減収は10年ぶりで、比較できる97年度調査以降では最大の減少率となり、7年ぶりに6兆円台に転落した。コロナ禍での休業や時短営業、酒類提供の自粛などで売り上げが大きく落ち込んだ。20年4月からの1年間で休業・営業時間の短縮をしたかとの質問に、回答企業の91.6%が休業を、95.4%が時短営業を実施したと回答した。

>売上高を伸ばした業態は日本ピザハット(横浜市)やドミノ・ピザジャパン(東京・千代田)といった宅配(14.7%増)だけだった。酒類販売の自粛などの影響を受けた業態では、ホテル・宴会場(60.1%減)やパブ・居酒屋など(46.6%減)が大きく沈んだ。

>97年度以降で閉店数がこれまで最大だった08年度(3859店)はファストフードなど低価格業態を中心に新規出店も5229店と多く、売上高は07年度比2%伸びていた。リーマン危機以降の09年度、10年度は、前年度の売上高を下回ったものの減少率はそれぞれ1%以下だった。

>業界全体に資金力が乏しくなり、20年度の設備投資額は前年度比3割減の1758億円だった。改装店舗数も7年ぶりに2000店台を下回る1522店だった。

>21年度の出店・閉店の計画を未定とする企業は多いが、回答企業(109社)の出店予定は510店舗。一方で閉店は637店が計画されており、21年度も閉店が出店を上回る可能性がある。売上高がコロナ前の水準まで回復する時期を聞いたところ、「22年4~6月」(29.6%)が最も多く、「戻ることはない」(28.7%)との悲観的な回答も続いており、コロナ禍での外食産業の疲弊が続きそうだ。

<参考=「外食閉店1.9倍の5230店 20年度、リーマン危機上回る」(日本経済新聞)>


NO.2420 新型コロナウイルス 五輪開幕日に7割がインド型、専門家会合で報告<起稿 磯津千由紀>(21/06/24)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/06/24 (Thu) 19:50

 こんばんは。


 7月上旬には5割との予測と言ってましたけど、一箇月後には7割との予測ですか。


> 新型コロナの変異ウイルスの中でも特に感染力が強いインド型について、東京オリンピック・パラリンピックが開催する来月23日には国内の新規感染者の7割近くまで拡大するとの見通しが示されました。

> 23日に開かれた厚労省の専門家会合で報告された京都大学の西浦教授らの研究グループの分析では、インド型変異ウイルスの感染力を従来型のウイルスと比べ、1.9倍と推計しました。

> そのうえで、東京オリンピックの開会式が行われる来月23日には新規感染者全体に占めるインド型の割合が7割近くにまで拡大すると予測しています。さらに、8月中旬には新規感染者の9割を超えると試算されていますが、インド型のウイルスを見つけ出す検査は、現時点で全体の3%程度しか行われておらず、体制整備の遅れが指摘されています。


<参考=「五輪開幕日に7割がインド型、専門家会合で報告」(TBS NEWS、6月23日)>
<消滅・21/07/03>


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/07/10 (Sat) 15:59

 こんにちは。


 アルファ株(イギリス型)が減って、デルタ株(インド型)が増えてますが、ワクチンの効きが悪くて感染力が強いと考えられてるラムダ株(南米型)が増え始めています。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/07/11 (Sun) 12:57

 追伸です。


 ラムダ株はワクチンの効果が5分の1と言われています。
 後日、詳しく投稿します。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/07/12 (Mon) 23:00

副題=東京五輪で“最凶”の「ラムダ株」が上陸 ワクチン効果は5分の1?(msn・AERAdot、7月8日)

 こんばんは。


 ラムダ株の件です。


> 新型コロナウイルスの新たな変異株が、世界を席巻している。日本ではインド由来のデルタ株が第5波の引き金になると見られているが、さらに東京五輪開催を機に、南米で感染が拡大中の「ラムダ株」と呼ばれる“最凶変異株”が上陸する恐れがあるのだ。迫る脅威とどう向き合えばいいのか。

> *  *  *

> ラムダ株は南米を起源とする変異株で、ペルーでは4月以降の感染者のおよそ8割を占める。6月30日現在、ペルーの新型コロナ感染症による死者数は世界5位の約19万人(感染者数は約205万人)。人口10万人当たりの死者数で見ると世界最多の583人に上り、“デルタ超え”の脅威が現実味を帯びる。

> チリやアルゼンチンでも感染が急増しているほか、国際データベースのGISAIDによると、米国でもラムダ株検出の報告例が増加しており、今後、感染が急拡大する危険性をはらむ。

> WHO(世界保健機関)は、変異株を「懸念すべき変異株(VOC)」と「注目すべき変異株(VОI)」に分類しているが、6月14日、ラムダ株をVOIに指定。世界各国に警戒を呼びかけているが、今後の感染状況によってVOCへ格上げされることも想定される。

> ラムダ株で懸念されているのは、F490Sという変異がワクチンの効きを悪くするかもしれないことだ。研究者の中には「5分の1程度まで落ちる可能性がある」との指摘もあるが、実際はどうか。防衛医科大学校感染対策室長の藤倉雄二准教授が、「まだ基礎研究段階の知見でしかない」と前置きしつつ解説する。

≫ 「ラムダ株ではF490S変異が注目されています。コロナウイルスの突起状のスパイク蛋白質は1200以上のアミノ酸配列でできていますが、このうち490番目のアミノ酸が変化しているのです。著名な英科学誌によると、そこに変異が入るとワクチンの効果を下げ、抗体が効きにくくなるのではないかと書かれています」

> まだ専門家たちの評価や検証を受けていない査読前の論文でも、ワクチン効果の低減に言及する研究が散見されるという。デルタ株は従来のウイルスよりも約2倍感染力が強いとされているが、ラムダ株のF490S変異もヒトの細胞との結合に関わる場所にあるというから、強い感染力を備えていることが心配される。藤倉准教授が続ける。

≫ 「現実の世界でどういう現象が起きているのか、まだはっきりとした情報はありません。今後、欧米などワクチンの接種率が高いところでも急激に感染者が増えれば、これはおかしいぞということになると思います。臨床医の感覚として第4波でアルファ株(英国由来)が出てきたあたりから、若い人でも重症例が増えている印象がある。重症化を防ぐためにも、ワクチンを接種しておく必要があることに変わりはない」

> ラムダ株は6月15日時点で29カ国に広がっているが、現時点で日本での検出例はない。東京五輪の開幕まで3週間を切り、現在、各国から選手団が続々と入国している。水際対策が機能するかどうかが焦点となるが、五輪向けの水際対策は「対デルタ」に偏っている。デルタ株が流行するインド、スリランカ、ネパールなど6カ国を対象に、出国前の7日間、毎日ウイルス検査することを要請。入国後3日間は一緒に来日する選手・コーチ以外と接触しないように求める一方、ラムダ株に対してはほぼノーガード状態だ。厚生労働省のある官僚がこう嘆く。

≫ 「現在の水際対策のように、特定の国だけ出国前検査を強化するのは意味がない。ラムダ株に対してザルになりますし、デルタ株もいまや世界中に広がっており、対象になっていない国からすり抜ける。科学的に考えればすべての国を対象にしなければおかしい。政治決断で五輪をやると決めた以上、感染対策も責任をもって緻密にやるべきですが、ここに至っても後手に回っている」

> 6月19日に成田空港に到着したウガンダ選手団のうち2人が新型コロナに感染していたと判明。1人は空港の検疫をすり抜けており、政府が言い募ってきた「安全・安心な大会」という建前は早くも破綻している。東北大学災害科学国際研究所の児玉栄一教授(災害感染症学)が指摘する。

≫ 「新型コロナウイルスの潜伏期は5、6日間ですから、出国時の空港や飛行機の中で感染したら、到着時の検査では陰性になります。出国前7日間の検査も本当に全員がきちんとやっているか、確認しようがないでしょう。やはり、入国後10~14日間は合宿地に合わせた行動制限、望ましくはホテルでの待機が必要です」

> 警戒すべきはラムダ株など既知の変異株ばかりではない。ウイルスは常に変異をくり返し、その中でもヒトの細胞にとりつきやすいものが生き残って増えていくと考えられる。従って、未知の変異株が存在すると考えるのが当然だし、今後も感染性や病原性を高めた変異株が現れる可能性がある。児玉教授が危惧する。

≫ 「五輪でいろいろな変異株が入ってくると、それらがミックスされる可能性があります。非常に頻度は少ないのですが、A株とB株が同時に感染するとAとBのいいとこ取りのAB株のウイルスが出てくることがあります。インフルエンザでも二つの別のウイルスが同時に感染すると、新型のウイルスができるということが実際に起きている。そうなると厄介です」

> ラムダ株やデルタ株より怖い“東京五輪ミックス株”が日本で蔓延し、世界にばらまかれるかもしれないのだ。五輪の強行を厳しく批判しているスポーツジャーナリストの谷口源太郎氏が語気を強める。

≫ 「人命に関わる事態の中で、人道に反した大会というほかない。IОC(国際オリンピック委員会)も日本側もオリンピズムなど放棄している。選手や世界各国から集まる人々が開催国の市民と交流し、お互いに理解し合ったり尊敬し合ったりすることを前提としないオリンピックにいったい何の意味があるのか。選手を外部と遮断する『バブル方式』なるものは、選手を人間として扱っていません。隔離状態にして行動も制限するなど徹底した管理下に置く。選手村は牢獄みたいなものです」

> 世界規模での「人流」が避けられない祭典と、厳格な感染症対策の両立は極めて難しい。長い五輪の歴史の中で、日本が不名誉な十字架を背負うことにならなければいいが……。(本誌・亀井洋志)

> ※週刊朝日  2021年7月16日号

<参考=「東京五輪で“最凶”の「ラムダ株」が上陸 ワクチン効果は5分の1?」(msn・AERAdot、7月8日)>
<消滅・23/07/31>


NO.2421 「13年超の重課税」が入り口? 何年経ったら新車は「旧車」になるのか<起稿 磯津千由紀>(21/06/24)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/06/24 (Thu) 20:29

 こんばんは。


 13年目に加えて、18年目でも更に税金が上がってたんですね。ハードウェア的な維持費が高くつくのに加えれば、踏んだり蹴ったりです。


> R32GT-Rや初代NSXはもはや立派な旧車!?

> 令和になって3年、昭和が終わって32年……。昭和のクルマはまるごと旧車と呼んでも差し支えないと思うが、平成初期の名車たち、日産スカイラインGT-R(R32)やユーノスロードスター、ホンダNSX(NA1)、トヨタ・セルシオ(初代)などは、旧車に入ってくるのかこないのか? 改めて旧車の定義について考えてみよう。

> まず日本クラシックカー協会が主催するJCCAクラシックカーレースの参加車両規定を見ると、「1975年までに生産された車両およびその同型車に限り1979年までに生産された車両」という一文があるので、これがひとつの目安にはなる。


> アメリカの25年ルールや自動車税アップもひとつの目安

> そして、アメリカでは生産から25年経過したクルマをクラシックカーもしくは骨董品として扱われる。原則輸入が禁止されている右ハンドル車を含めて輸入が解禁され、関税や排ガス規制までも対象外となる、いわゆる「25年ルール」があるのはご存じの通り。このルールから考えると、今年からは1996年以前のクルマが、クラシックカーの対象になるわけだ。

> 日本では、アメリカのようにはっきりした旧車の定義は見られないが、旧車に対する税金の重課だけは行っている。2002年度より導入されたグリーン化税制によって低公害車の税金を安くする代わりに、新規登録から13年経ったガソリン車は自動車税を約15%も重課! さらに自動車重量税も新規登録から13年超で一段階、18年超でもう一段階高くなる仕組みになっている。

> 新規登録から13年超の古いクルマ(EV・HV以外)は環境負荷が大きい。だから重課するというのが政府の言い分。だがこれはあくまで建前で、官民一体での新車の買い換え促進プランだと思っている人が大半だ。その税制の正当性はともかくとして、日本での旧車の線引きとして「13年(18年)」がキーワードになるのは間違いない。


> 自動車の平均使用年数「約13年」がターニングポイントか

> また国内の乗用車(軽自動車を除く)の平均使用年数(=新車から廃車にするまでの期間)は、13.26年というデータもある(一般財団法人 自動車検査登録情報協会調べ 平成31年3月末)。この数字からも、13年超のクルマはお達者、いや「お達車」といえるし、自動車メーカーの補修部品も、製造中止から13年も経つと製造廃止になる部品が増えてくる。そういう意味で、平成初期の名車たちファンには不本意かもしれないが、ひとまず13年以上前のクルマ=旧車と定義してもいいのではないだろうか。


<参考=「「13年超の重課税」が入り口? 何年経ったら新車は「旧車」になるのか」(Auto Messe Web、6月21日)>


NO.2422 世界初採用「同期リラクタンスモーター」日比谷線13000系で搭載実験 省エネ性能示される<起稿 磯津千由紀>(21/06/24)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/06/24 (Thu) 20:48

 こんばんは。


 遂に、実用車両に搭載されました。


> 電力消費効率が従来のモーターから向上

> 三菱電機と東京メトロは2021年6月24日(木)、鉄道車両への搭載は初となる「同期リラクタンスモーター」(SynRM)について、東京メトロ日比谷線13000系電車に搭載して行った性能実験で、一定の省エネ効果を確認できたことを発表しました。

> SynRMは永久磁石を必要としないなど、効率性やコスト面でメリットがありますが、トルクの変動が大きく、高い制御技術を必要とするため、広く実用化には至っていませんでした。

> 三菱電機は高トルク・中高速域で高効率であるという特性を活かせる鉄道車両への導入のため、世界最大級の定格250kW級のSynRMと、そこから安定的なトルクを得るためのインバーター制御技術を世界に先駆けて開発し、2021年3~4月に日比谷線で夜間に走行試験を行っていました。

> 搭載したのは13000系電車のうち、1編成の7両編成中2両です。性能試験の結果、既存モーターと同等の加速度や運転操作、騒音レベルのまま、電力使用効率について従来の最高効率95%を上回る97%以上を実現し、省エネ効果を事前評価どおり確認できたとのことです。

> 今後、量産化に向け、さらに評価試験を進めていくとしています。

> 【了】


<参考=「世界初採用「同期リラクタンスモーター」日比谷線13000系で搭載実験 省エネ性能示される」(乗りものニュース、6月24日)>


NO.2423 実はすごくない初代新幹線「0系」 なぜ世界初の「すごい高速運転」実現できたのか?<起稿 磯津千由紀>(21/06/24)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/06/24 (Thu) 21:21

 こんばんは。


 既存技術の寄せ集めといいますが、例えば高速走行に伴う蛇行動の抑制技術一つとっても、新開発でした。
 車両だけでなく、CTC(コムトラック)も、画期的でした、電子計算機がない時代ですよ。
 戦後に失職した優秀な軍事技術者を国鉄が雇い入れて、実現したのです。
 また、個々の技術よりも、設計思想が「すごい」のです。高速性を追求するよりも、大量輸送を前提とした大型車両を採用した点など。


> 丸っこい先頭部が特徴の0系電車。営業運転の最高速度が世界で初めて210km/hに到達した新幹線の初代車両ですが、技術的にはとくに目新しい部分がなく、「すごい車両」ではなかったといいます。なぜ「すごくない車両」が高速運転を実現できたのでしょうか。


> すでにあった技術を活用

> 1964(昭和39)年10月1日、世界初といえる本格的な高速鉄道が開業しました。東京~新大阪間515.4km(実キロ)を結ぶ、日本の東海道新幹線です。このとき導入された初代の新幹線電車は、のちに「0系」と呼ばれるようになりました。

> 新幹線が開業する前、国鉄の在来線で最も速い鉄道車両だったのは、東海道本線の特急列車で使われていた151系電車など。営業運転での最高速度は110km/hでした。しかし、0系は一気に100km/hアップして210km/hに。世界的に見ても、210km/hで営業運転を行う車両は0系が初めてでした。

> この話だけを聞けば、「国鉄の研究者たちは何か革新的な技術を開発し、それを0系に導入したに違いない。0系はすごい」と思いたくなります。しかし、実際は少し違います。0系はとくに目新しい技術を導入したわけでなく、すでにある技術を使って開発されたのです。

> たとえば、速度を大幅に引き上げるためにモーターの出力が従来の電車より強化されてはいますが、基本的な構造は151系などで使われてきたモーターと同じです。また、トンネルに入ったときの気圧の変化で耳が痛くなる現象(耳ツン)を防ぐため、0系では「気密構造」と呼ばれる技術を採用しています。これも0系が開発される前からあった技術です。

> 信号システムはどうでしょうか。速度が200km/h以上ともなると、地上に設置した信号機のそばを一瞬で通り過ぎ、肉眼での確認は困難です。これでは安全に運転できません。そこで0系は運転室に信号装置(車内信号機)を設置。その表示方法も青、黄、赤の3色を使うものではなく、「この区間の速度は200km/hまで」というように速度の上限を表示しました。上限を超えた速度で走ろうとすると、自動的にブレーキがかかる仕組みです。

> 車内信号機を使って速度を自動的に調整するシステムは、自動列車制御装置(=Automatic Train Control=ATC)と呼ばれています。なかなか革新的な技術で、日本で車内信号機を導入したのも東海道新幹線が初めてでした。ただ、ATCには車内信号機を使う「キャブシグナル式」だけでなく、従来通り線路脇に信号機を設置する「ウェイサイド式」もあります。ウェイサイド式のATCは、1961(昭和36)年に開業した営団地下鉄(現在の東京メトロ)日比谷線で実用化されていました。


> すごいのは0系を含む「トータルシステム」

> そもそも210km/hという速度自体、1903(明治36)年にドイツのメーカーが開発した試験電車の走行試験で記録されています。単に200km/h以上で走るというだけなら、東海道新幹線が開業する60年以上前に実現していたのです。

> 0系のすごいところは、車両だけでなく線路、信号なども含めた「高速鉄道システム」のひとつとして開発された点にあります。車両は車両として、設備は設備として個別に開発するのではなく、全ての分野を同時に、かつ総合的に開発した「トータルシステム」だったことが、一番重要なポイントだったといえます。

> まず、新幹線の線路は2本のレール幅(軌間)を在来線より広くしました。軌間は基本的に広ければ広いほど車体が安定し、とくに高速で運転する場合に適しています。さらに、並行する在来線よりも急なカーブや勾配が少ないルートを採用して、速度を出しやすくしました。

> また、鉄のレールと車輪を使う鉄道は摩擦力が小さく、ブレーキをかけてもすぐには止まれません。200km/hで走行中にブレーキをかけても、完全に停止するまでには2kmほど走ってしまいます。これでは踏切での無断侵入などに対応できず、大きな事故につながる恐れもあります。

> そこで新幹線は踏切をいっさい設けず、道路との交差は全て立体化することになりました。それ以外の場所でも築堤や高架橋などを通るようにして、一般の人が線路に近づけないようにしています。

> つまり、200km/h以上の速度で走るための新しい技術を開発したのではなく、60年以上前からある高速運転技術を活用できる線路を計画し、実際に建設したといった方がいいでしょう。

> これに対して0系も、200km/h以上の高速運転に対応した線路を営業運転の列車として走るため、さまざまな工夫が凝らされました。気密構造やATCなども工夫の一部といえますが、とくに特徴的だったのが、16両(デビュー当初は12両)ある編成中の全ての車両にモーターを搭載したことです。


> モーターが多いのは「速度」よりも「軽減」

> 東海道新幹線が開業する前に東京~大阪間を結んでいた在来線の特急電車は、モーターを搭載した重い車両とモーター無しの軽い車両が編成中に混在していました。車両によって重さが異なり、とくに高速運転では線路にかかる力が大きくなります。これでは、せっかく建設した高速運転用の線路もすぐに劣化してしまい、メンテナンスの費用がかさんでしまいます。

> 0系は全車両にモーターを搭載したことで、車両ごとの重さの変動を小さくできました。線路にかかる力も抑えられ、メンテナンスにかかる費用を軽減したり、鉄橋など大きな構造物の建設費用を抑えたりすることが可能になったのです。また、モーターを増やしたことで、ひとつひとつのモーターを小さくすることが可能に。その分客室を広くして、サービスの向上を図ることもできました。

> このように、新幹線の線路は0系が高速運転しやすい構造で建設され、逆に0系は高速運転用の線路に負担をかけない方式で開発されました。日本に鉄道が開通して以来蓄積されてきたノウハウを活用し、日常的に開発が続けられてきた技術をリファインして築き上げた結果として出来上がったのが、0系とそのシステムだったのです。

> もちろん、高速で長距離を走る必要がある新幹線電車ですから、揺れや振動を限りなく少なくするためには、長い時間に及ぶ実験が必要でした。信号や地上の施設も、これまで以上の高い精度と安定性を得るために努力が重ねられています。そうした地道な努力の積み重ねこそが、0系の“すごいところ”だったといえるでしょう。

> 海外の鉄道関係者のあいだでは、「シンカンセン」が高速鉄道の一般名詞のように使われています。新幹線が世界初の本格的な高速鉄道だったというだけでなく、線路や信号も含めた総合的な鉄道システムとして高く評価されているためと思われます。

> 英国のヨークにある国立鉄道博物館は、「世界を代表する高速列車」としてJR西日本から0系の先頭車を譲り受け、2001(平成13)年から展示しています。これも「シンカンセン」が海外で高い評価を受けている、その証しのひとつといえるかもしれません。

> 【了】


<参考=「実はすごくない初代新幹線「0系」 なぜ世界初の「すごい高速運転」実現できたのか?」(乗りものニュース、2018年10月1日)>


NO.2424 日本が誇る高級サルーン!! 消えた名門 セドリック/グロリアの軌跡<起稿 磯津千由紀>(21/06/26)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/06/26 (Sat) 02:09

 こんばんは。


 クラウンも最近は凋落が激しいですが、セドリック/グロリアは17年も前に姿を消しました。ミスター・コストカッターの号令だったのでしょうか。
 今、スカイラインも、存続が危ぶまれています。


> トヨタのクラウンと並んで日本を代表する高級サルーンとして君臨していたセドリック/グロリア。しかし、今も続くクラウンに対して、セドリックは10代目で、グロリアは11代目で消滅し、両車はその後に統合され、フーガに名前を変えてしまった。

> なぜクラウンに差を付けられて、名前を変えなければならなくなったのか? セドリック/グロリアの歴史を振り返る。

> 文/片岡英明  写真/NISSAN


> クラウンを追って、グロリアとセドリックが誕生

> 今につながる日本の高級車は、1955年に誕生したトヨタのクラウンに始まる。公用車として使われることが多かったが、成功の証として乗りたいと思う富裕層も少なくなかった。

> このクラウンを追って富士精密工業(後のプリンス自動車)は1959年2月にグロリアを発売している。戦後の日本車としては初めての3ナンバー普通車で、国産最強スペックを誇った。また、西陣織の高級なシートや後席アームレストなど、装備も驚くほど豪華だ。

> 当時はライバル関係にあった日産は、その1年後の1960年3月にセドリックを投入した。日産車初のモノコック構造を採用し、ヘッドライトは両端に縦2灯のレイアウトだ。こちらは5ナンバー車だが、「ダットサン」より車格は上だから「ニッサン」ブランドを冠している。

> それを証明するように小型車の規格が改正されると、ホイールベースを100㎜延ばし、1.9Lエンジンを積む「カスタム」を加えた。格納式のアームレストに加え、後席用ヒーターも装備して話題を集めている。


> セドリックとグロリアが兄弟車になるまでの歴史

> 3車は競い合いながら技術を磨き、日本に根付いた高級車文化を高いレベルに引き上げていった。

> グロリアは1962年9月に2代目にバトンタッチし、1963年には日本初のSOHC方式の2L直列6気筒エンジンを積むスーパー6を追加している。これ以降、高級セダンの条件に6気筒エンジンが欠かせないものになるのだ。

> 同じ時期、日産は後席の足元空間を広げた日本初のVIPセダン、セドリック2800スペシャルを送り出している。直列6気筒は日本車で最大排気量だった。

> 張り合うようにプリンス自動車も、東京オリンピックを前に、2494ccの直列6気筒SOHCエンジンを積み、パワーウインドウやパワーアンテナを標準装備し、パワーシートを設定するグランドグロリアを送り出している。

> クラウンも8気筒エンジンを積むクラウンエイトを投入した。快適な3ナンバー車の設定、これも高級車に必要な条件となっている。

> 1965年秋、セドリックは2代目を投入した。1967年にはグロリアも3代目を投入するが、プリンス自動車は日産に吸収される形で合併したから、日産グロリアを名乗っている。

> そして1971年2月、セドリットとグロリアはモデルチェンジを機に兄弟車になり、新たなスタートを切った。1960年代まで、単独ではクラウンに叶わなかったが、1970年代からは連合軍でクラウンに挑み、一気に販売を伸ばしていく。


> セドグロにとって1980年代は輝かしい時代だった

>型式が「230」だったことから、ファンから「ニーサンマル」と呼ばれた3代目セドリックと4代目グロリアは、クラウンと同じ4ドアセダンと2ドアハードトップ(HT)に加え、日本初の4ドアHTを送り出している。

> オーナーカーの主役をセダンから4ドアHTに移させたのが、このセド/グロ連合軍だ。伸びやかなフォルムに滑らかなパワーフィールの230型はクラウンを超えるヒット作となり、若いファンや女性層の獲得にも成功した。

> クラウンと違う方向に舵を切ったセドリックとグロリアは、日産ファンと旧プリンス系のファンを上手に吸収している。とくに旧プリンス系のファンのグロリア愛は半端ではない。一途な愛を見せ、エンブレムひとつにも強いこだわりを見せた。

> 両車は1979年6月にモデルチェンジし、430型になっている。前輪にベンチレーテッドディスクブレーキを採用し、リアサスペンションは5リンク/コイルに進化させた。

> また、12月には日本初のターボ装着車を投入し、高性能なプレミアムカーの流れを生み出している。上質な直列6気筒ディーゼルも設定するなど、クラウンにはない魅力と走りのよさを強くアピールしたのだ。

> 1980年代のセドリックとグロリアは、クラウンよりも強い存在感を放ち、これまでプレミアムカーに目を向けなかった層の人たちも引きつけている。

> Y30型セドリック/グロリアは日本初のV型6気筒SOHCエンジンを搭載し、画期的なジェットターボも投入した。また、フロントサスペンションも新設計のストラット/コイルだ。カラオケ機能付きオーディオも用意している。

> 1987年6月に登場したY31型では4輪独立懸架のサスペンションに4輪ディスクブレーキ、新開発のV型6気筒DOHC4バルブターボ、ラック&ピニオン式ステアリングギアの「グランツーリスモ」を設定。

> スポーティクーペ顔負けの痛快な走りを実現した。また、ひとクラス上の上質感と気持ちいい走りを目指したシーマを送り出し、トヨタの首脳陣とセールス氏を歯ぎしりさせている。


> 車名の消滅はあの有名な「コストカッター」の影響なのか!?

> Y32型セドリック/グロリアからは4ドアHTだけが定期的に進化を続けるようになった。グランツーリスモは丸形4灯式やマルチリンク式リアサスペンションに加え、4輪操舵のスーパーHICASも装備し、異次元のスポーティな走りを可能にした。

> バブルの後押しもあって強い存在感を示したが、時代はセダンではなく高級ミニバンやプレミアムSUVを好むようになっていたのである。

> 販売は落ち込んでいたが、1999年に最後の作品となるY34型セドリック/グロリアを送り出した。新設計プラットフォームを採用し、直噴のV型6気筒DOHCエンジン、世界初のトロイダル無段変速機(エクストロイドCVT)の採用など、日産を代表するにふさわしい意欲作だ。

> だが、経営不振を理由に、日産はルノー傘下に組み込まれ、カルロス・ゴーンCEOが指揮をとるようになる。

> 日産の屋台骨が揺らいだこともあり、セドリックとグロリアの販売は低迷した。ジリ貧に陥った結果、両車は統合され、後継のフーガが登場する。これを受け、2004年、セドリックは44年、グロリアは45年の歴史に幕を下ろし、惜しまれつつ去っていった。

> 日産とプリンスのプライドを背負って積極的に新しいメカニズムを採用し、クラウンとは違う高級車像を追い求めたのが、歴代のセドリックとグロリアだ。伝統の2車を消滅させ、販売店を統合したことにより、日産ファンの離脱が一気に進んだのである。


<参考=「日本が誇る高級サルーン!! 消えた名門 セドリック/グロリアの軌跡」(ベストカーWeb、6月24日)>


NO.2425 日本人に多い「腸を汚すバナナの食べ方」5大NG 「バナナは腸にいいのに…」残念な食べ方は?<起稿 磯津千由紀>(21/06/26)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/06/26 (Sat) 02:39

 こんばんは。


 知らなかった。
 体(腸)に良いと思って食べてたら...


≫ 世界的に著名な自然療法士でオステオパシストのフランク・ラポルト=アダムスキー氏。1992年に発表された「アダムスキー式腸活メソッド」は、Google.itの食事法(ダイエット)部門(2017年)で「最も検索されたキーワードのベスト3」に選出されるほど、本国イタリアのみならず、ドイツ、フランス、スペイン、ポルトガル、ベルギー、トルコなど、世界中で話題になっている。

≫ 日テレ系列「世界一受けたい授業」(5月22日放映)でも紹介され、「アダムスキー式腸活メソッド」をすべて解説した『腸がすべて:世界中で話題!アダムスキー式「最高の腸活」メソッド』は、日本でも7万部を超えるベストセラーになっており、大きな反響を呼んでいる。

≫ 訳者の森敦子氏が本書の翻訳を通して感じたのは、「食べ物は『何を食べるか』ではなく、『何と組み合わせて食べるか』が大事」ということ。

≫ では、アダムスキー氏の提唱する「最高の腸を手に入れるための組み合わせ」はどうやって食卓に取り入れればいいのだろうか? 今回は、本書の翻訳を手がけた森氏が「腸に悪いバナナの食べ方」について解説する。


> 「バナナ」には、お腹の調子を整える成分がたっぷり

> 「お腹の調子をよくする果物」として有名な「バナナ」。実際に、「バナナを食べたらお通じがきた!」など、体感としてバナナの腸活パワーを感じている方も少なくないと思います。

> 便秘の予防や改善には「食物繊維」が欠かせないといわれています。食物繊維には、便を軟らかくしてくれる「水溶性食物繊維」と、水分を吸収して便のかさを増し、大腸に刺激を与えて便意を促す「不溶性食物繊維」があるのですが、バナナにはこの2種類の食物繊維がバランスよく含まれているのだそうです。

> また、バナナに豊富に含まれる「オリゴ糖」には、ビフィズス菌などの乳酸菌となって「腸内の善玉菌」を増やす効果があるといわれています。

> このように、お腹の調子を整える成分がたっぷり詰まったバナナですが、今話題の「アダムスキー式腸活法」では、せっかくお腹にいい「バナナ」でも、「間違った食べ方」をしてしまうと、腸内に滞在する時間が長くなり、「腸の詰まり」や「腸内の腐敗」の原因になりかねないと考えられています。

> 今回は、私たちが普段の生活の中でやりがちな「腸を汚すバナナの食べ方5大NG」について紹介します。

> まず気をつけるべきなのは、「アダムスキー式腸活法」の基本中の基本である「食べ物の組み合わせ」です。


> バナナは「消化管を早く通過するファストの食品」

> 「アダムスキー式腸活法」というのは、食品を「下りてくるのが速い食品(ファスト)」と「下りてくるのが遅い食品(スロー)」に分け、この2種類を同時に摂取しないことで「腸の詰まりを防ぐ」腸活法です。

> 「バナナ」をはじめとした果物は、「消化管を早く通過する『ファストの食品』」に分類されます。ほかにも「ヨーグルト」や「はちみつ」といった食材が「ファスト」のカテゴリーに含まれます。

> 一方で、「通過の遅い『スローの食品』」には、「小麦粉」や「米」「肉」「魚」「野菜」「ナッツ」などがあります。

> したがって、バナナ(ファストの食品)を食べるときには、こうした「スローの食材」との組み合わせを避ける必要があるのです。

> ここに、「バナナと組み合わせることの多い食事について「OK」と「NG」をまとめました。ぜひバナナを何かと一緒に食べるときは参考にしてみてください。

≫ 【バナナとの組み合わせOK】
≫ ★ファストの食品=消化管を早く通過する
≫ →ほぼすべての果物、はちみつ、メープルシロップ、ヨーグルト、緑茶
≫ ★ニュートラルの食品=「ファスト」とも「スロー」とも組み合わせられる
≫ →チョコレート、牛乳、コーヒー、紅茶、シナモンなどのスパイス、砂糖

≫ 【バナナとの組み合わせNG】
≫ ★スローの食品=消化管を通過するのに時間がかかる
≫ →穀物(小麦など)、ナッツ、大豆製品(豆乳、きなこなど)、チーズ

> それでは、私たちが「やりがちなNG例」を具体的にみていきましょう。

> よくある「バナナとのNGの組み合わせ」は、たとえば下記になります。


> 定番の「バナナマフィン」「豆乳スムージー」も実はNG


> 【NGの組み合わせ1】「バナナ×小麦」

> 「スローの食材」には小麦も含まれるので、「フルーツ×小麦」である「バナナケーキ」「バナナマフィン」「バナナ入りのパン」などは、残念ながらNGとなってしまいます。

> 「ケーキ」や「パン」を選ぶときは、バナナ入りのものを避け、小麦と同じように「スローの食品」である「ナッツ」や「チーズ」、あるいは「ニュートラルの食品」である「チョコレート」「コーヒー」「紅茶」といった味を選ぶのを「アダムスキー式腸活法」では推奨しています。


> 【NGの組み合わせ2】「バナナ×ナッツ」

> バナナの入ったパンやケーキには「くるみ」などの「ナッツ」が一緒になっていることも多いのですが、実は「ナッツ」も「スローの食材」に分類されます。「ファスト」の食材である「バナナ」と組み合わせると、「腸の汚れ」の原因になりかねません。

> また、「アダムスキー式腸活法」では、「フルーツはドライになっていても『ファストの食品』」だと考えられています。

> つまり、よくミックスナッツにバナナをはじめとしたドライフルーツが入っていますが、残念ながら、それは「アダムスキー腸活法」ではNGの組み合わせになるのです。ナッツとドライフルーツは別々に食べるのがおすすめです。


> 【NGの組み合わせ3】「バナナ×豆乳」

> 「スローの食材」には「大豆」も含まれます。そのため意外かもしれませんが、実は「バナナ豆乳」はNGと「アダムスキー腸活法」では考えます。腸に汚れをため込まないためには、「『ニュートラル』の牛乳」や、「『ファスト』のヨーグルト」でドリンクを作るのがおすすめです。

> いま紹介した「バナナヨーグルト」であれば、腸を汚さないだけでなく、腸内環境を整えることができるので、腸活中はとてもおすすめです。

> ヨーグルトには「ビフィズス菌」などの乳酸菌が多く含まれますが、バナナにはこのビフィズス菌の餌となる「オリゴ糖」が豊富に含まれているのだそうです。「バナナヨーグルト」なら、ビフィズス菌とその餌を同時に摂取することができるんですね。


> ただし、せっかく「ファストの食品」と「スローの食品」を分けて食べても、お腹の中で混ざってしまっては意味がありません。

> 腸の詰まりを防ぐためには、「前に食べたもの」と「後から食べたもの」が、できるだけお腹の中で混ざらないように「食事のタイムスケジュールを組む」のが理想的です。


> 【NGの組み合わせ4】「食後のバナナ」

> 「『ファストの食品』を食べるときには、『スローの食事』から4~5時間空けるとよい」とアダムスキー博士は話しています。

> 米や小麦などの穀物、肉、魚、野菜はスローなので、私たちの食事はだいたいが「スロー」です。つまり「バナナ」をはじめとした「食後のフルーツ」は、ほとんどの場合がNGなのです。


> 果物は「17~18時頃」がおすすめ

> 果物を食べるのであれば、昼食から5時間ほど空けた「17~18時頃の遅めのおやつ」がおすすめだと、「アダムスキー式腸活法」では考えられています。

> 持ち運びのできる「バナナ」であれば、ほかのフルーツと違って、職場でも食べやすく、腹持ちがいいので、夕方もうひと仕事してから遅めの夕食をとりたいときにもいいですね。コンビニなどで気軽に変えるのもうれしいところです。

> ちなみに、そのあとの夕食ですが、「ファストの軽食のあとは、1時間半間を空ければスローの食事をとってOK」とアダムスキー博士は話しています。18時にバナナで小腹を満たしたら、19時半から夕食を食べることができます。


> 【NGの組み合わせ5】「朝食の米やパン×バナナ」

> また、睡眠によって夕食から時間が経っている「朝食」も、バナナを食べるのによいタイミングです。腹持ちがよく、すぐにエネルギーになってくれるバナナは、朝食にぴったりですね。

> ただし「朝食」でバナナを食べるときは、「お米」や「パン」「シリアル」といった「スローの食材」と組み合わせないように気をつけましょう。

> お米中心の和食と一緒にバナナを食べたり、パンと一緒にバナナを食べたりするのは「アダムスキー腸活法」では推奨していません。


> 「体にいい食べ物」の「意外な落とし穴」

> 冒頭でお話ししたように、バナナはとても体にいい食べ物です。「整腸作用」だけでなく、「免疫力を高める効果」や「老化を防止する効果」「代謝を上げる効果」もあるといわれています。

> ですが、「どんなスーパーフードでも、消化管が詰まって『正常に流れていない状態』では、腸の中で『奇跡』を起こせない」と考えるのが「アダムスキー式腸活法」なのです。

> いくら体にいい物質を食べても、それを体の内側に取り込む通路「腸の壁」が汚れでふさがっていれば、バナナは効果を発揮できないまま体外へ排出されていくことになります。むしろ、あまりに長い時間、腸内にとどまったバナナは腐敗し、これがさらに腸をふさぐことになりかねません。

> 「バナナ」だけでなく、どんな食べ物であっても、「腸を汚さない食べ方」を心がけ、「腸が栄養を吸収できる環境を整えてあげる」ことが、お腹だけでなく体全体の健康のために欠かせないのです。

> みなさんもぜひ「アダムスキー式腸活法」を参考に、「腸を詰まらせない食事のとり方」を学び、体の内側から健康を手に入れてくださいね。


> (医学監修:澤田幸男/医学博士、澤田肝臓・消化器内科クリニック院長)


<参考=「日本人に多い「腸を汚すバナナの食べ方」5大NG 「バナナは腸にいいのに…」残念な食べ方は?」(東洋経済ONLINE、6月24日)>

磯津注:「気軽に変える」は、原文のママ。