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雑談<NO.280>

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NO 表題 起稿 起稿日
雑談NO.281
2611 有資格者1万人超 予報しない予報士たちの活動 磯津千由紀 21/10/25
2610 参院補選(静岡)、立憲民主と国民民主が推す山崎が自民公認で公明が推す若林に勝利 磯津千由紀 21/10/25
2609 <人生100年時代>老後の、年金問題。 シバケン 21/10/24
2608 <日本人=のっぺり顔>ルーツは、古墳人<?> シバケン 21/10/24
2607 揺れやすい地盤 災害大国 迫る危機:朝日新聞デジタル 磯津千由紀 21/10/23
2606 頭脳流出、懸念の日本 改めて問う「国家の品格」 磯津千由紀 21/10/23
2605 <日本の国で<!>>パトカー警護のレッカー移送車、不審車3台で襲撃される<!> シバケン 21/10/22
2604 澤田克己・毎日新聞論説委員「記憶の戦争」 磯津千由紀 21/10/21
雑談NO.279

NO.2604 澤田克己・毎日新聞論説委員「記憶の戦争」<起稿 磯津千由紀>(21/10/21)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/21 (Thu) 23:50

副題=第1回 日韓関係だけではない、世界を揺るがす「歴史認識問題」

 こんばんは。


 こういう見方も出来るということです。


> 「歴史認識」問題といえば思い出されるのは韓国や中国であり、慰安婦問題や徴用工問題という言葉だろう。だが実際には、歴史の「記憶」に起因する外交的衝突は冷戦終結後、ドイツやロシアなどを軸に世界各地で起きている。冷戦期に結んだ協定で解決済みだったはずの請求権問題を蒸し返そうとするなど、まるで日韓関係かと思うような動きもある。いったい何が起こっているのだろうか。


> 冷戦下では問題にならなかった「慰安婦」「徴用工」

> まずは日韓の歴史認識問題をおさらいしたい。外交紛争化しているのは慰安婦と徴用工の問題だが、これほど大きな問題となったのはどちらも2010年代に入ってからだ。慰安婦問題は1990年代にも外交問題となったが、日韓関係全般を止めるようなことはなかった。

> 日韓間で歴史認識が外交問題となったのは、80年代に起きた日本の歴史教科書問題からだ。元慰安婦や元徴用工を支援する運動が本格化したのは90年ごろからで、関連の訴訟もすべて90年代以降である。

> 背景にあるのは89年の冷戦終結だ。冷戦時代の韓国は、北朝鮮とにらみあう最前線の弱小国家だった。日米との協力が外交・安全保障政策の柱で、歴史認識を問題にするような余裕はなかった。

> その状況は、冷戦終結で一変した。イデオロギーのくびきが外れ、韓国は中国やソ連、東欧諸国と国交を結んだ。順調な経済成長によって、北朝鮮との体制間競争に勝ったという自信を抱くようにもなった。

> 87年の韓国民主化によって、権威主義政権に抑え込まれていた「不都合な声」が表に出やすくなったという事情もある。民主化は、フィリピンや台湾、東欧諸国とほぼ同時期だった。

> 30年あまり経たいま、日韓の経済力に大きな差はなくなった。生活水準はほぼ並び、韓国の方が上となる経済指標も出てきた。先進国になったと自信を深める韓国では、日本を相手に妥協する必要などないという主張が強まっている。そうした意識が歴史認識問題での強硬な主張につながってくるのだろう。


> 「歴史の政治問題化は全世界的な傾向だ」

> 著書「アフター・リベラル」(講談社現代新書)で欧州と東アジアの共通性を指摘した同志社大の吉田徹教授(欧州政治)は、「歴史認識問題は東アジアに特有の争点ではない。歴史が有形無形に政治問題化して、内政と外交で問題になっているのは、全世界的な傾向だ」と指摘する。

> 西欧では、戦後世代が社会に出てきた60年代以降に歴史認識問題が意識されるようになり、冷戦終結後により大きなイシューとして浮上したのだという。

> 統一前の西ドイツでは、ナチスと関係のない戦後世代の台頭を受け、ユダヤ人虐殺(ホロコースト)の歴史に光が当たり始めた。

> 毎日新聞のデータベースを調べると、78年にユダヤ人迫害を正面から取り上げた米ドラマ「ホロコースト」が制作され、西独でも放映されて大きな反響を呼んでいた。西独ではドラマを見た子供たちから「なぜ教えてくれなかったのか」と責められた親が多かったようだと、当時の記事は伝えている。記事に付けられた「過去知らす“国民教育”に」という見出しが、それまで西独社会でもあまり語られてきていなかったことを物語る。

> 西独では翌79年、ナチスの戦犯訴追のために謀殺(計画的殺人)の時効が撤廃された。80年代にホロコーストに対する認識が世界に広まり、93年に世界最大のホロコースト記念博物館が米ワシントンでオープンした。05年の国連総会では「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」が制定された。

> こうした流れについて、吉田教授は「ホロコーストがグローバルな規範となったのは90年代以降のことだ」と話す。私は「戦後すぐから絶対悪とされてきたのだろう」と思っていたが、そうではなかったということだ。70年代の記事には、ホロコーストという言葉は「大虐殺」を意味する一般的な単語だが、イスラエルでだけは「ナチスのユダヤ人虐殺」という特定の意味で使われているという説明もあった。

> 一方で冷戦終結後のドイツでは、「被害者としてのドイツ」の記憶が語られ始めたという。ドイツは第二次世界大戦の敗戦で国土の約4分の1を失った。それに伴って1000万人以上が引き揚げてくることになったが、その途上での暴行や略奪で数百万人が命を落としていた。


> 加害者性の告発に猛反発した「ナチ被害国」のポーランド

> 冷戦時代にソ連の衛星国だった東欧の事情はさらに複雑だ。冷戦終結によって、第二次大戦前と大戦中、ソ連による支配それぞれの時代の「記憶」が一気に噴出したからだ。

> アウシュビッツ収容所のあったポーランドを見てみよう。ポーランド議会は47年、アウシュビッツ収容所を「ポーランド人およびその他の人々が犠牲になった記念の地」と公式に認定した。東欧諸国では共産党支配を正当化するために反ナチスが政治的に利用され、自国市民の犠牲が強調される傾向があったのだという。

> 冷戦時代には、旧ソ連がポーランド軍将校を虐殺した「カチンの森」事件もナチスの犯行だとされていた。この事件は、冷戦終結を機に旧ソ連の犯行だったことが明確にされた。そしてポーランドは98年、ナチス・ドイツと共産主義による犯罪の捜査・訴追の権限を持つ国民記憶院を設立した。

> ところが20世紀最後の年である00年に事件が起きる。ポーランド系米国人の大学教授が「隣人たち」という著書を出し、ポーランド人農民が大戦中に同じ村に住むユダヤ人1000人以上を殺害したと告発したのだ。

> 自分たちは被害者だという意識が強いポーランドでは猛烈な反発が起きた。そして18年、ホロコーストに「ポーランド人が加担した」などと記述することを禁じる法律が成立した。

> 東欧での「記憶」の衝突は、ポーランドに限らない。バルト諸国など各国で、旧ソ連による虐殺や戦争犯罪の「記憶」を巡るロシアとの対立が目立つようになった。欧州人権裁判所などを舞台にした司法闘争になることもあり、それまでナチの全体主義を唯一無二の悪としてきた西欧諸国の価値観は、ソビエトの全体主義を同列の悪と見なすよう修正を迫られた。


> 蒸し返される「放棄済み」の対独請求権問題

> ソ連とポーランドは53年、西独を含む「ドイツ」に対する請求権をすべて放棄する協定を東ドイツ政府と締結した。一方でドイツは統一後の91年、ポーランドなど旧社会主義圏の国家に「道義的義務」を果たすために相当額の金額を支払った。

> だが、対独請求権問題を解決済みとしてきたポーランドの立場は変化を見せた。

> ポーランド議会は04年、ドイツに戦後賠償を求める決議を採択した。終戦時にポーランドから追放されたドイツ人住民が財産返還を求める動きを見せたことに反発したのだった。ドイツで自らの「被害者性」が語られるようになったのは、前述の通り冷戦終結後のことだ。イデオロギーのたがが外れて表面化した「記憶」が、衝突したことになる。

> ポーランドではその後も、賠償放棄への不満がくすぶっている。15年に発足したポピュリスト色の強い右派政党「法と正義」(PiS)政権は、「放棄はソ連に強要されたものだった。国際法的に無効だ」と主張するようになった。

> ギリシャも15年、ナチス・ドイツの占領による損害の賠償をドイツに求めた。ギリシャが軍事政権だった60年に結ばれたドイツとの補償協定は見直されるべきだという主張だ。09年に発覚したギリシャの経済危機への対応で、ドイツが厳しい緊縮財政を要求したことへの反発もあったとされる。

> ギリシャのミツォタキス首相は19年、メルケル独首相と初めて会談した際の記者会見で、賠償金請求問題について「解決が両国関係の深化にとって重要だと信じている」と述べた。

> 韓国のソウル中央地裁は21年1月、元慰安婦に対する賠償を日本政府に命じる判決を下した。国家は他国の裁判所で裁かれないという国際法の原則「主権免除」を適用しなかったことで、日本側は「国際法違反だ」と反発した。

> この時に注目されたのが、ギリシャとイタリアでドイツ政府を相手取って起こされた同様の裁判だ。ギリシャとイタリアの裁判所は主権免除を認めなかったが、ドイツは国際司法裁判所(ICJ)で逆転勝訴した。この二つの裁判が最初に起こされたのも90年代だった。

>  ◇ ◇ ◇

> 韓国西江大の歴史家、林志弦(イム・ジヒョン)教授は21年8月の著書「犠牲者意識の民族主義」(未訳)で、「多くの場合、問題は歴史的事実ではなく過去に対する記憶だ」と指摘する。吉田教授も、「歴史的なアイデンティティーは政治によって容易に操作される」と語る。

> 国際環境の変化や国内の政治状況によって、歴史認識という「記憶」は大きな影響を受けるということだ。そして移民の国である米国では、さまざまな「記憶」の紛争が交錯することもある。世界各地で起きている「記憶」を巡る紛争について知ることは、日韓の間で起きている問題を考える際にヒントを与えてくれるかもしれない。各地の状況についてシリーズで考えてみたい。タイトルは、林教授の許諾を得て著書名「記憶の戦争」(19年、未訳)を使わせてもらうことにした。

> 次回<アルメニア人虐殺と共鳴する米国の慰安婦少女像>は10月24日(日)朝に掲載します。


> 連載「記憶の戦争」掲載予定

> 第1回 日韓関係だけではない、世界を揺るがす「歴史認識問題」

> 第2回 アルメニア人虐殺と共鳴する米国の慰安婦少女像

> 第3回 慰安婦合意を想起させるドイツとナミビアの関係とは

> 第4回 韓国の歴史家が提唱する「犠牲者意識ナショナリズム」とは


<参考=「オアシスのとんぼ 日韓関係だけではない、世界を揺るがす「歴史認識」問題 <記憶の戦争 1>」(毎日新聞、10月21日)>


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/25 (Mon) 21:55

副題=第2回 アルメニア人虐殺と共鳴する米国の慰安婦少女像

 こんばんは。


 韓国系団体だけではなかったのですね。


> 「歴史認識」問題といえば日韓関係と考えがちだが、世界の現実はかなり違う。冷戦終結を機に、「記憶の戦争」とも呼ぶべき歴史認識紛争が世界各地で表面化し始めたのだ。そして別々の事象に関する「記憶」が相互に刺激し合うことが珍しくなくなった。

> 米国で慰安婦の記念碑を建てた韓国系団体に取材した8年前のメモを見返すと、ホロコーストやアルメニア人虐殺の「記憶」との相互作用が見えてきた。キーワードは「遠隔地ナショナリズム」だ。当時は気付かなかったリンクを、あらためて考えてみたい。


> 冷戦終結後に次々と設置されていく記念碑

> さまざまな「記憶」の交錯する植え込みが、米東部ニュージャージー州バーゲン郡の裁判所前にある。ニューヨーク・マンハッタン南部のターミナルから路線バスに乗って北西に1時間ほどの場所だ。

> ここには、星条旗を掲げたポールを取り囲むように5個の記念碑が設置されている。どれも数十センチ四方のプレートが礎石にはめ込まれたものだ。

> 設置されているのは、ナチス・ドイツによるユダヤ人のホロコースト(大量虐殺)▽オスマントルコが第一次大戦中にアルメニア人150万人を虐殺したとされるアルメニア人虐殺▽英国に支配されていた19世紀のアイルランドで100万人ともされる餓死者を出したジャガイモ飢饉▽黒人奴隷と人種差別▽慰安婦――である。

> ホロコースト以外は、1989年の冷戦終結後に設置された。アルメニア人虐殺が90年、ジャガイモ飢饉が95年、黒人奴隷が2009年、慰安婦が13年である。冷戦終結によって、世界各地で「記憶」をめぐる問題が表面化したのに符合している。

> 地元紙によると、もともとあったホロコースト記念碑を見たアルメニア系住民が「自分たちも」と考えたのが契機だった。それに続いたのが、人口90万人弱の郡内に約15万人いたアイルランド系だったという。アイルランド系団体の代表は地元紙に「英国が(飢饉の続いた)5年間になした残虐行為の影響は、今でもアイルランドに残っている」と憤りを語った。

> アルメニア系やアイルランド系は米国で強い政治力を持っており、設置は比較的スムーズに進んだようだ。


> 他の「記憶」に刺激された慰安婦の記念碑設置

> 私は13年6月、慰安婦の記念碑設置を主導した韓国系団体「市民参与センター」の金東錫(キム・ドンソク)常任理事を取材した。設置から3カ月後のことだった。

> 慰安婦問題に関する取材ではあったが、この時に焦点となっていたのは別の記念碑だった。金氏らは10年、行政区分でバーゲン郡の下になるパリセイズパーク市の図書館に全米初の慰安婦記念碑を設置していたのだ。

> 自民党の国会議員4人が12年に現地を訪問し、市当局に撤去を求めたことで日米両国のメディアに大きく取り上げられていた。ソウル特派員だった私はその翌年、長文の企画記事を執筆するため現地に向かった。インタビューのために金氏の事務所を訪れた時、私は裁判所前に記念碑があること自体を知らなかった。

> その私に対して金氏は「本当は最初から裁判所の前に建てたかった」と語り始めた。金氏の言葉は、次のようなものだった。

> 「裁判所の敷地に、アルメニア人虐殺、ジャガイモ飢饉、黒人奴隷、ホロコーストそれぞれの記念碑がある。そこが教育の場になっていて、よく行事をやっている。だから、私たちもそこに石碑を建てたいと考えた。でも郡の行政トップが、慰安婦は韓国と日本の問題だからと取り合ってくれなかった。韓国系住民が多いパリセイズパークに行けと言われたんだ」

> 慰安婦の記念碑設置は、他の歴史的「記憶」に刺激を受けた結果だったということだ。

> パリセイズパーク市の住民は半数が韓国系だが、それでも当初は反対意見が圧倒的に多かった。韓国系の副市長が「女性の人権問題であり、日本批判が目的ではない」と周囲を説得して許可を取り付けたという。

> ところが自民党議員の撤去要求が米メディアによって批判的に報道されたことで、風向きが変わった。慰安婦への同情論が高まり、金氏らは裁判所前への記念碑設置の許可を取り付けた。


> 「遠隔地ナショナリズム」が交錯する移民国家・米国

> 移民によるこうした運動は「遠隔地ナショナリズム」と呼ばれる。アルメニア人虐殺の「記憶」を巡る運動は、その典型例だ。ソ連崩壊後にアルメニア共和国が樹立されたこともあって、世界に散らばるアルメニア系移民によって各国でのロビー活動が展開された。

> 運動の結果、15年にローマ教皇が虐殺事件を「ジェノサイド」と表現し、ドイツや米国の議会もその後、決議で「ジェノサイド」と認定した。バイデン米大統領は21年4月、米国の大統領として初めて「ジェノサイド」だったと発言した。加害者と名指しされたトルコは、こうした動きに強く反発している。

> 同志社大の吉田徹教授は「本国から離れた人たちの方がナショナリスティックな運動に走りやすい」と指摘する。英国からの北アイルランド独立を主張し、かつて武装闘争を展開したアイルランド共和軍(IRA)に対する最大の支援者も、米国のアイルランド系社会だったという。

> 韓国系も国外在住者が少なくない。韓国外務省の「19年在外同胞現況」によると、北朝鮮を除く世界各国に住む韓国系(現地国籍取得者を含む)は約750万人にのぼる。

> 米国が約255万人でもっとも多く、中国の約246万人、日本の約82万人、カナダ約24万人と続く。欧州では、ロシア約17万人、ドイツ約4万5000人などとなる。日本と中露両国は戦前からの居住者が多く、ドイツは冷戦中に国策だった出稼ぎ労働で派遣された炭鉱労働者と看護師がそのまま定着したケースが少なくない。

> そして、アルメニア系と韓国系の遠隔地ナショナリズムの交錯は、バーゲン郡以外でも起きた。14年に米国初の少女像が設置されたカリフォルニア州グレンデール市は、人口20万人の3割がアルメニア系という町なのだ。少女像の除幕式であいさつしたアルメニア系市議は、アルメニア人虐殺を引き合いに慰安婦問題への連帯を強調した。

>  ◇ ◇ ◇

> アルメニア人虐殺の「記憶」は21世紀になってから、ドイツによる旧植民地・南西アフリカ(現ナミビア)での虐殺の「記憶」にも影響を与えるようになった。そしてドイツとナミビアとの「記憶」を巡る外交には、慰安婦問題を巡る日韓関係をほうふつとさせる面がある。次回は、ホロコースト前史とも言われるナミビアでの虐殺の「記憶」について紹介する。


> 次回第3回<慰安婦合意を想起させるドイツとナミビアの関係とは>は10月31日(日)朝に掲載します。


> 連載「記憶の戦争」掲載予定

> 第1回 日韓関係だけではない、世界を揺るがす「歴史認識問題」

> 第2回 アルメニア人虐殺と共鳴する米国の慰安婦少女像

> 第3回 慰安婦合意を想起させるドイツとナミビアの関係とは

> 第4回 韓国の歴史家が提唱する「犠牲者意識ナショナリズム」とは


<参考=「アルメニア人虐殺と共鳴する米国の慰安婦少女像<記憶の戦争 2>」(毎日新聞、10月24日)>


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/31 (Sun) 19:39

副題=第3回 慰安婦合意を想起させるドイツとナミビアの関係とは

 こんばんは。


 独も、「道義的責任に基づく支援金」を支払ってるのですね。


> ドイツは2021年5月、第一次世界大戦前に植民地支配していた南西アフリカ(現ナミビア)での虐殺を謝罪し、ナミビアに11億ユーロ(約1470億円)を支払うと発表した。両国政府の合意に基づく措置だが、支払いは「法的な賠償」ではなく道義的責任に基づく支援金だとされた。

> 日本とドイツの対応には違いもあるが、日韓の慰安婦合意(15年)を思い起こさせる点が少なくない。専門家は、ナミビア問題もこれで終結と簡単には断言できないとも話す。ドイツも、冷戦終結の流れの中で浮上した「記憶の戦争」に悩まされているようだ。


> 賠償を認めないドイツと日本

> ドイツは、1884~1915年に南西アフリカを植民地支配した。ここに住んでいたヘレロ、ナマの両民族が04年に蜂起し、独軍は徹底的に弾圧した。独軍の作戦は「民族の絶滅」を意図したもので、約8万人いたヘレロの8割、約2万人だったナマの半数が殺害されたとされる。

> マース独外相は合意発表にあたっての声明で「正式にジェノサイド(大量虐殺)と呼ぶ」と表明し、「歴史的、道義的責任に鑑み、ナミビアと犠牲者の子孫に許しを請う」と謝罪した。一方で、11億ユーロの供与は「犠牲者の苦しみを認識する意思表示」だという立場を示し、ナミビア側が求めた「賠償」には応じなかった。

> 賠償に応じなかった背景には、英仏両国への影響も指摘される。補償や賠償を認めると植民地帝国だった英仏に飛び火して、「収拾がつかなくなるかもしれない」という懸念があるからだ。

> 慰安婦問題では、法的な「賠償」を求める韓国側と、道義的な責任は認めるという日本側の対立が続いてきた。慰安婦合意では日本が改めて謝罪を表明し、政府予算から10億円を拠出したが、資金の性格は明確にされなかった。日韓間でどうしても調整できなかったからだ。

> 日本の場合、北朝鮮との国交正常化交渉が残っているという事情が大きい。原則から外れた対応を韓国にすると、北朝鮮との交渉が難しくなるからだ。さらに、既に終わった東南アジア諸国との戦後処理に影響しかねないという懸念も指摘される。日韓関係の基礎である請求権協定はサンフランシスコ講和条約体制の一部であり、そこが揺らぐと他国との関係も見直しを迫られかねないからだ。

> なお韓国は慰安婦合意で、ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦問題を象徴する少女像について「適切に解決されるよう努力する」と表明した。韓国政府が適切な努力をしていないという批判は妥当だろうが、撤去の約束ではなかったことには注意が必要だ。

> 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は2021年の新年記者会見で、慰安婦合意が政府間の正式な合意であったことを認めた。岸田文雄首相も、合意は依然として有効だという立場を表明している。


> 冷戦終結がナミビアを独立させ、「記憶」が表面化

> 世界各地で起きている「記憶の戦争」とでも呼ぶべき歴史認識紛争の多くは、1989年の冷戦終結を契機に始まっている。慰安婦問題や徴用工問題もそうだし、ドイツとナミビアの問題も例外ではない。

> ナミビアは、第一次大戦後も隣国である南アフリカから植民地支配を受け、「アフリカ最後の植民地」と言われた。独立を果たしたのは、90年になってからだ。

> 永原陽子・京都大名誉教授(アフリカ現代史)によると、冷戦下の南アフリカは南部アフリカにおける「反共の防壁」だった。反共のためであれば、国内的な矛盾とは関係なく欧米先進国から支援を得られたのが冷戦時代だ。白人支配体制を維持するためのアパルトヘイト(人種隔離)も温存された。

> ところが冷戦終結によって「反共の防壁」は存在価値を失った。その流れの中で南アフリカへの風当たりは強まり、長年の懸案だったナミビア独立が実現し、アパルトヘイト関連法も91年に廃止された。

> そして独立後のナミビアで、独植民地時代の虐殺という「記憶」が呼び戻された。ヘレロ民族の代表者がドイツに補償を求める運動を始め、21世紀最初の年である01年、米ワシントンでドイツ政府と企業に損害賠償を求める訴訟を起こした。

> 永原教授は「独立が実現するまでは、他の問題に手を付ける余裕などない。水面下に押し込められていた問題が冷戦終結後に出てくるのは、他の旧植民地も同じだ。民主化と多党化の進展によって、いろいろな声が出せるようになったことも大きい」と指摘する。

> こうした構図もまた、韓国と重なる。

> 冷戦時代の日米は、北朝鮮とにらみあう「反共のとりで」として韓国を支えた。韓国の側から見ると、日米との関係は命綱だった。日米は韓国政府の人権弾圧に甘い姿勢を取り、一方で韓国の権威主義的政権は人々の不満を押しつぶした。韓国の反政府勢力も、最大の課題である民主化以外に力を割く余裕などなかった。

> そうした状況が80年代後半の冷戦終結と民主化によって一変し、慰安婦や徴用工の「記憶」が前面に出たのである。


> 政府間交渉からの排除に不満募らせる「当事者」

> ヘレロ民族の代表が米国で起こした訴訟は2007年までにすべて却下された。だが、この訴訟によって国際的な注目を集めることには成功したという。

> 永原教授の著書によると、ナミビアが独立した時、ドイツは自らが「特別の歴史的責任」を負っているという声明を出した。ただその後も、当時は該当する国際規範がなかったので虐殺に対する法的責任はないと主張し、「歴史的責任」を果たすために多額の開発援助を供与するという立場を取った。

> 蜂起100周年の04年、現地での記念式典に派遣された社民党所属の経済協力相は、一歩踏み込んだ。ドイツによる残虐行為を詳細に列挙し、「当時行われた大量虐殺は、今日であればジェノサイドと呼ばれる」と述べた。従来の政府見解を大きく超える発言は、大きな波紋を呼んだ。

> ただ独政府が翌年に提案した「和解イニシアティブ」は、法的責任を認めないまま「和解金」として2000万ユーロをナミビアに支払うというものだった。ナミビア側との調整を経ない一方的な提案だったこともあり、合意にはいたらなかった。

> ドイツとナミビアはその後、共同で当事者の要望を聴取して交渉を進めた。そして07年、被害を受けた民族の居住地域での事業にドイツが2000万ユーロを支援することで合意した。この時も「特別の歴史的道義的責任」だったが、被害民族を特定したことで一定の「補償」の意味が込められたという。

> だが、ヘレロには強い不満が残った。虐殺には関係のない最大民族オバンボ主導のナミビア政府による交渉で、当事者が排除されていたというのだ。オバンボとヘレロは植民地時代、南アの分断統治策によって対立するよう仕向けられた。独立から20年弱の時点では、その影響が依然として色濃く残っていた。


> 和解合意から8年後に再燃した「記憶の戦争」

> 事態を再び動かしたのは、アルメニア人虐殺を巡る「記憶」だった。各国に散らばるアルメニア系は、トルコによる第一次大戦時の虐殺をジェノサイドと認めるよう各国でロビー活動を展開していた。これが、ナミビア虐殺の「記憶」に影響を与えた。

> アルメニア人虐殺から100周年となった15年、ドイツでは大統領がアルメニア人虐殺を「ジェノサイドの代表例だ」と語った。翌16年には、連邦議会もジェノサイドだったと認定する決議を採択した。そして、この間にキリスト教民主同盟(CDU)所属の連邦議会議長が新聞への寄稿で、アルメニア人虐殺がジェノサイドだというなら、ナミビアでの虐殺も同じように呼ばなければならないという考えを表明した。

> 永原教授は、CDUという保守派からこうした声が出た意味は大きいと話す。04年に虐殺への「謝罪」を表明したのはシュレーダー政権(社民党・緑の党)の閣僚であり、メルケル政権はこれを公式の謝罪とは認めてこなかった。それが近年、保守派を含めて植民地支配の責任に向き合おうとする意識が広まったのだという。

> ただし、今回の合意が本当に最終的な解決として着地できるかは依然として不透明だ。ナミビア政府によって交渉から排除されたという当事者のヘテロ、ナマ両民族の不満は、以前より弱まったものの残っている。永原教授は、ナミビア政府が資金をどう使うかという問題も残っていると指摘し、「これで終わったと考えているのは両国の政府だけではないか」と話す。

> ドイツ政府は、ナミビア政府との交渉で07年にいったん決着させたが、当事者には強い不満が残った。そしてドイツ側の事情もあって8年後に再交渉を始め、改めて合意に達した。それでも、ナミビア政府の国内的対処がうまく進むのかという不安要素を抱えている。

> こうした経緯は、どうしても慰安婦問題を連想させる。日本は1990年代にアジア女性基金による解決を模索したがうまくいかず、2015年に政府間交渉で慰安婦合意をまとめたが、韓国政府による国内措置でつまずいた。

> 外交なのだから、現実的には政府間交渉以外の道はない。それなのに当事者が反発し、相手国政府の国内措置で問題がこじれかねない。日独両政府が直面する難しさには、共通性があると言えるだろう。

> アフリカ研究者である永原教授の評価は興味深い。保守政治家も歴史の暗部を直視するドイツの姿勢について、日本より誠実なものだと評価しつつ、独りよがりな面があると指摘するのだ。「ナチス・ドイツの過去に対応してきた(成功体験の)応用問題だという意識があり、アフリカの歴史に対する理解が不足している」そうだ。

> 相手の事情を理解して対応策を練ることは大切だが、難しいということだろう。ドイツに対しては近年、やはり第一次大戦前に植民地だったタンザニアからも謝罪と賠償を求める主張が出始めている。

>  ◇ ◇ ◇

> 韓国西江大の林志弦(イム・ジヒョン)教授は、被害を受けた民族だという集団的記憶が国家間関係にまで影響を及ぼす状況を「犠牲者意識ナショナリズム」という新しい概念で説明する。そこでは、自分たちの民族がより多くの犠牲を強いられたと国際社会にアピールすることが重視される。最終回となる次回は、林教授へのインタビューで「犠牲者意識ナショナリズム」とは何かを考える。


> 連載「記憶の戦争」掲載予定

> 第1回 日韓関係だけではない、世界を揺るがす「歴史認識問題」

> 第2回 アルメニア人虐殺と共鳴する米国の慰安婦少女像

> 第3回 慰安婦合意を想起させるドイツとナミビアの関係とは

> 第4回 韓国の歴史家が提唱する「犠牲者意識ナショナリズム」とは


<参考=「慰安婦合意を想起させるドイツとナミビアの関係とは<記憶の戦争 3>」(毎日新聞、10月31日)>


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/08 (Mon) 00:57

副題=第4回 韓国の歴史家が提唱する「犠牲者意識ナショナリズム」とは

 こんばんは。


 弱者の犠牲者意識ナショナリズムも正当化されるものではないといいます。


> 韓国・西江大の歴史家、林志弦(イム・ジヒョン)教授は新著「犠牲者意識ナショナリズム」(未訳)で、冷戦終結後に世界各地で目立つようになった歴史認識問題を読み解いた。

> 焦点を当てたのは、ホロコーストを巡るドイツとポーランド、イスラエルの問題であり、慰安婦問題などで衝突する日本と韓国の関係だ。ホロコーストと慰安婦問題を同列に並べることには違和感というか、落ち着かない思いを抱くことは否定しがたい。だが、冷戦終結後に呼び戻された「犠牲者としての記憶」が衝突を生む構図は共通している。

> 連載の最終回は、林教授のインタビューを柱に「犠牲者意識ナショナリズム」について考えてみたい。


> 「被害民族」と「加害民族」というステレオタイプ

> 林教授は「先祖が犠牲となった歴史的記憶を後の世代が継承し、自分たちを悲劇の犠牲者だとみなす。そして、現在のナショナリズムを道徳的、政治的に正当化する。非業の死を強いられた被害者が国家と民族のために喜んで命をささげた崇高な犠牲者として記憶に刻まれる瞬間、犠牲者意識ナショナリズムが芽生える」と説明する。

> 「犠牲者意識ナショナリズム」という概念を考えた契機は、日系米国人のヨーコ・カワシマ・ワトキンズさんの自伝的著書「竹林はるか遠く――日本人少女ヨーコの戦争体験記」を巡って2007年に米韓両国で起きた騒ぎだった。

> まず、何が起きたのかを紹介しよう。

> 11歳で終戦を迎えたカワシマさんは、朝鮮半島北部の町から母に連れられて日本に引き揚げてきた。支配者の座から転落した日本人に向けられる敵意や戦後の混乱の中での逃避行は死と隣り合わせであり、レイプ被害にあった女性も少なくなかったことが赤裸々につづられている。一方で、引き揚げる日本人を助けてくれた朝鮮人の姿や、引き揚げ者を迎えた日本社会の冷たさも描かれた。

> 米国で1986年に出版され、05年に「ヨーコ物語」というタイトルで韓国語版が出た。韓国では「反戦・平和小説」と紹介されたが、大きな反響はなかった。

> 局面が変わったのは06年。ニューヨークやボストンに住む韓国系米国人たちが、この本が中学生の教材リストに入っていることへの抗議運動を始めた。「加害者の日本人を被害者であるかのように描いた」という反発だ。そして翌07年にはボストンの韓国総領事館がマサチューセッツ州教育委員会に抗議する事態に発展した。この動きが韓国メディアによって大きく報じられたことで、韓国での評価も「反戦・平和小説」から「でたらめな回想」へと一変し、著者への人身攻撃的な反発が巻き起こった。

> 連載2回目で見たように「遠隔地ナショナリズム」と呼ばれる移民の動きは、本国よりも過激なものとなりやすい。そして米国での動きがメディアを通じて伝えられたことで、本国のナショナリズムが刺激された。この動きはさらに、日本のナショナリズムを刺激したようだ。この騒ぎの後に出版された日本語版はベストセラーとなり、著者は巻末の「日本語版刊行に寄せて」という文章の冒頭で在米韓国人たちの運動への嫌悪感を記した。

> 韓国=被害者、日本=加害者というステレオタイプの「集団的記憶」が、個人の経験を押しつぶした形だ。林教授は「歴史的な文脈から離れて被害者の立場を絶対化したカワシマさんを加害者民族と被害者民族という二分法で批判する韓国のナショナリズム、あるいは原爆や引き揚げ、戦争捕虜などの問題を脱歴史化して米国とソ連に対する自らの犠牲者性を強調する日本の戦後記憶文化が、まさに犠牲者意識ナショナリズムだ」と話す。


> トラウマをほじくり返す「犠牲者らしさ」の強要

> 冷戦終結によってイデオロギーのたがが外れ、世界各地で同時発生的に封印されてきた「記憶」が呼び戻された。

> 冷戦終結後に、ナミビアが第一次世界大戦前の虐殺を問題にしてドイツに賠償を要求したり、ポーランドをはじめとする中東欧諸国で旧ソ連の罪が問われたりするようになった。韓国で元慰安婦と元徴用工を支援する動きが始まったのも冷戦終結後のことだ。

> 林教授は、被害者性を過剰に言い募る韓国やポーランドの犠牲者意識ナショナリズムを批判しつつ、唯一の戦争被爆国を強調する日本にも厳しい視線を向ける。そして犠牲者意識ナショナリズムの危険性について、こう警告する。「加害者を被害者にしてしまうだけなく、被害者も潜在的な加害者になりうるのだと自覚する道を閉ざしてしまう。自己省察を放棄した道徳的正当性ほど危険なものはない」

> ポーランド史を専門とし、ホロコーストの歴史に詳しい林教授が典型例だと挙げるのがイスラエルだ。イスラエルは、占領地であるヨルダン川西岸に国際法違反の入植地建設を続けている。林教授は「パレスチナ人に対する攻撃性は高まるばかりだ。それなのにイスラエルの側は、ホロコーストという人道被害を受けた自分たちを非難できる人がこの世のどこにいるのかという態度だ」と批判する。

> そして犠牲者意識ナショナリズムの悲しい側面が、「犠牲の経験を持つ国家や人口集団の中で『誰がより大きな犠牲を払ったかを巡る競争』を触発する」(林教授)ことだ。歴史的事件における犠牲者数を競い、まるで大きな犠牲を払った集団の方が「上位」に位置づけられるような感覚になるからだ。

> 林教授は、犠牲者が「文化的アイコン」として消費されるようになったと指摘する。さらに、「被害者は被害者らしく、犠牲者は犠牲者らしくなければならず、多様な欲望を持つ平凡な人間としては受け入れられない。犠牲者意識ナショナリズムは、犠牲者たちを政治的な道具とすることによって再度の犠牲を強いる記憶の政治だ」と批判した。

> イスラエルでは60年代からホロコースト生存者の証言や手記の重要性が認識されるようになったが、段々と「よりむごい証言」が求められるようになったのだという。「アウシュビッツでも時には休みがあったし、中で歌を歌ったりもした」という証言は信用されなかった。

> 林教授は「犠牲者がどれほどひどい目にあったかだけを聞き続け、そうした証言を強制するのは、現在の政治的理由で犠牲者たちのトラウマをほじくり返す行為だ。韓国のナショナリストが元慰安婦にしていること、日本での被爆者への対応も変わらない」と指摘した。


> なぜ「英雄」でなく「犠牲者」がナショナリズムを動かすのか

> かつてのナショナリズムの源泉は、英雄たちの物語だった。それが「犠牲者の記憶」に置き換わり、犠牲者意識ナショナリズムが政治の前面に出てくるようになった。そこで大きな役割を果たしたのは、冷戦終結後に進んだグローバリズムであり、国際社会での人権意識の高まりだったという。林教授は次のように解説する。

> 「自国内でナショナリズムを語るだけなら、英雄を強調しても問題なかった。だがグローバル化した世界では、自分たちのナショナリズムの正当性を外国に理解してもらう必要がある。そうなると英雄は勝手が悪い。えてして多くの人を殺し、財物を奪ってきた人物なので、外国人から共感を得るのは難しいからだ。人権意識の高くなった国際社会で注目してもらおうと思えば、自分たちが大変な試練を経験してきたとアピールする方が効果的だ」

> 米CNNに代表される国境を超えるテレビ・ジャーナリズムの発達も、大きな影響を与えた。これは慰安婦問題を巡る状況がわかりやすい。1991年に韓国在住の元慰安婦が初めて実名で証言したが、この時点では国際的に注目されるような話題ではなかった。その状況を大きく変えたのは、90年代半ばに起きた旧ユーゴスラビア内戦だった。ここも林教授に解説してもらおう。

> 「ユーゴ内戦でセルビア人ナショナリストが、ボスニアのイスラム系女性に対して集団レイプをした。それまで『戦争の時にはそういうこともある』という程度の認識しかされていなかったが、リアルタイムのテレビ映像が世界中に流れた衝撃は大きかった。人権意識の高まりを背景に多くの人が自分たちの身に起きたことのように憤り、戦時の性暴力は人道的犯罪だという意識が強くなった。それが、慰安婦問題の国際化に大きな影響を与えた」

> 私は13年に、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協、現正義連)の常任代表だった尹美香(ユン・ミヒャン)氏をインタビューした。その時に尹氏は「当初は国際社会に訴えても反応があまりなかった。それが、00年ごろから変わった。米国でも関心を持つ学者が出てきて、普遍的な女性の人権問題という扱いになった」と語っていた。振り返ってみれば、林教授の指摘を裏付ける証言だったと言えそうだ。

> 犠牲者意識ナショナリズムは、ポスト冷戦の30年を経た現在の国際社会を見る上で有益な気付きを与えてくれる。日韓の歴史認識問題だけを見ていると気がめいってくるが、世界中で似たような事象が起きていることを知ると少しは冷静さを取り戻せるのではないだろうか。

> 林教授は、「米国ですら自らを9・11テロの犠牲者だと主張する。こうした状況では、犠牲の非対称性に十分な留意が必要だ。しかし、だからといって弱者の犠牲者意識ナショナリズムが正当化されるわけではない。『犠牲者意識ナショナリズム』は、私たちの未来のために犠牲にされるべきだ」と提唱する。

> 犠牲者意識ナショナリズムを乗り越えることが、将来的に安定した世界を築くために欠かせないということだ。簡単なことではないが、覚えておきたいポイントである。


> 連載「記憶の戦争」

> 第1回 日韓関係だけではない、世界を揺るがす「歴史認識問題」

> 第2回 アルメニア人虐殺と共鳴する米国の慰安婦少女像

> 第3回 慰安婦合意を想起させるドイツとナミビアの関係とは

> 第4回 韓国の歴史家が提唱する「犠牲者意識ナショナリズム」とは


<参考=「韓国の歴史家が提唱する「犠牲者意識ナショナリズム」とは<記憶の戦争4>」(毎日新聞、11月7日)>


NO.2605 <日本の国で<!>>パトカー警護のレッカー移送車、不審車3台で襲撃される<!><起稿 シバケン>(21/10/22)


【シバケン】 2021/10/22 (Fri) 17:09

まるきりの、外国映画の一場面。
であるかの、よな、事件発生。


<図>
襲撃の状況





>21日午後10時30分頃、大阪市阿倍野区の大阪府道で、府警東成署が窃盗事件で押収した乗用車をレッカー車で搬送中、不審な車3台の襲撃を受け、乗用車内から荷物を奪われた。不審な車は周辺の車両に衝突を繰り返すなどして逃走したが、けが人はいなかった。レッカー車はパトカーと捜査車両に警護されていた。府警は強盗容疑で捜査している。

>発表では、同署は21日午後に同市東成区で起きた車上荒らし事件に関与したとみられる乗用車を阿倍野区内で発見。レッカー車で同署に運ぶ途中で、パトカーと捜査車両が前後を守る形で走っていたところ、白い車がパトカーとレッカー車の間に割り込もうとし、レッカー車などは減速した。

>白い車は走り去ったが、別の白い車がレッカー車と並走。助手席から降りてきた人物が乗用車のドアを開け、車内からかばんのような物を奪い、助手席に戻った。レッカー車が別の白い車の逃走を防ごうと、車線を変えて立ちふさがったため、運転席と助手席にいた2人が車を乗り捨て、徒歩で逃げたという。

>さらに、レッカー車の車列の後方にも仲間とみられる赤い車があり、応援で現場に駆けつけた捜査車両や一般車両に衝突して逃げた。

>府警では、証拠品の乗用車を移送する際には、警察車両が同行するなどの対応を取っており、同署は「証拠品の取り扱いに問題はなかった」としている。

<参考=「パトカー警護のレッカー移送車、不審車3台で襲撃…「荷物」奪った大胆な手口とは」(読売新聞)>


NO.2606 頭脳流出、懸念の日本 改めて問う「国家の品格」<起稿 磯津千由紀>(21/10/23)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/23 (Sat) 00:46

 こんばんは。


 今の日本では、すぐに実用の用に供せない研究には、研究資金が出ないといいます。
 結果、日本から「基礎研究」が姿を消してしまったといいます。


> 真鍋さん受賞「痛快」

> 大ベストセラーとなった著書「国家の品格」(2005年)で拝金主義がはびこる日本に警鐘を鳴らした数学者の藤原正彦さんは最近、ますます憂いを深めているという。東京都内にある仕事部屋で話をうかがっていると、研究資金の獲得のためにあくせくする後輩研究者らの窮状を嘆き始めた。

> 「今は役に立つかどうか、ばかりです。例えば、競争を導入しようと国は競争的資金というものを作りましたね。『何年後に役に立ちますか』といったトンチンカンなことを尋ね、3年後とか5年後とかに役立ちそうなものに研究費を与えています。これを取らないと研究に支障が出るから研究者は必死です。日本中の大学の先生がいかにも役立ちそうに見える作文を書いて、申請書類を山ほど提出している。それに追われて研究時間を奪われています」

> 国は04年度以降、国立大学に対し、研究者の雇用や研究資金の原資となる運営費交付金を段階的に削減してきた。半面、近年は特定分野に研究費を重点配分する「選択と集中」を進めている。より実用化が期待される分野に投資を、というわけである。

> だが、お茶の水女子大教授を09年まで務め、現在の研究現場の状況にも詳しい藤原さんが感じるのは、むしろ弊害のほうだ。

> 「人件費が減り、大学のポストが任期付きのものばかりになってしまいました。国立大では40歳未満の常勤教員のうち、『任期なし』はほんの30%ほどです。2年や3年といった任期付きでは腰を落ち着けて研究などできません。深刻なのは博士課程進学者の数で、この状況を見て十数年で半減してしまいました。これでは日本の科学技術の未来はありません」

> 研究資金がすぐに役立つ分野や流行に偏れば、研究力全体の低下にもつながりかねない。「『役に立たない』は必ずしも『価値がない』を意味しません」と国の方針に疑問を呈する。

> 実際、世界的に影響力のある論文数の国際比較で日本は毎年、順位を落としている。文部科学省科学技術・学術政策研究所によると、最新の比較(17~19年)ではインドに抜かれ、過去最低の10位に沈んだ。他の研究者に引用される回数が上位10%に入る論文数は、トップの中国の1割未満という有り様である。そうした中、以前に増して懸念されているのが、日本の研究者が海外に活躍の場を求める「頭脳流出」だ。

> 「中国の(外国人研究者を集める)『千人計画』に日本人が参加することに批判的な声もあります。気持ちは分かりますが、研究者というのは研究に命を懸けています。潤沢な研究費をくれるなら、どこへでも行くと考えてよい。研究者が中国に行くことを政府が恐れるのなら、大学への交付金を大幅に増やさないといけません」

> その点、今年のノーベル物理学賞に気候変動予測の基礎を築いた真鍋淑郎(しゅくろう)・米プリンストン大上席気象研究員(90)が決まったことは痛快だったようだ。実は藤原さん、真鍋さんとは縁がある。大伯父で中央気象台長(現・気象庁長官)を務めた気象学者、藤原咲平の孫弟子に真鍋さんが当たるからだ。今回の快挙には、身内が受賞したようなうれしさを感じている。

> 「半世紀前は誰も気候変動などに興味を持っていなかった。だからすごいのです。すぐに役に立つうんぬんじゃないところからノーベル賞は生まれる。逆に言えば、3年後やら5年後やらに役立ちそうな研究などに真に独創的なものはないと思ってよい」

> 真鍋さんも受賞の記者会見で若手研究者に向け、「はやりに走らず、好奇心に基づいた研究をしてほしい」とエールを送っていた。藤原さんは素粒子ニュートリノの観測で、02年に同じくノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さん(昨年94歳で死去)の言葉を思い出すという。

> 「受賞後に『先生の研究はどのくらいたったら役に立ちますか』と聞かれ、小柴さんは『500年たっても役に立ちません』と断言しました。素晴らしい言葉です。ニュートリノ発見は人類の英知への貢献です。こういった研究にお金を出して支援するということが、品格ある国家です」

> 累計発行部数270万部を超える「国家の品格」で藤原さんは、日本人が「市場経済に代表される欧米の『論理と合理』に身を売ってしまった」と指摘した。拝金主義とも言うべき風潮に危機感をあらわにしたのだ。

> 今読んでも内容が全く色あせていないと感じるのは、本質的なところで日本が変わっていないからだろう。惻隠(そくいん)の情(他者を思いやる気持ち)やひきょうを憎む心、あるいは「もののあはれ」といった日本人が生来持つ「情緒」が失われ、国家としての品格が低下した――と同書にはつづられている。

> 「幕末から明治初期に来日した外国人は異口同音に『日本人はみな貧しい。だけどみんな幸せそうだ』と言いました。欧米人にとって、貧しいことは不幸せなことであり、恥ずべきことであり、みじめなことです。だけど日本人は、誰もそうは思っていなかった。一番威張っている武士が一番貧乏だったのですから」。藤原さんはそう話す。

> こうした日本人の美徳や国柄は明治維新や第二次世界大戦を経て次第に薄れていく。戦後も半世紀を過ぎた頃になって「徹底的に破壊された」と藤原さんがその影響を指摘するのが、「構造改革」を掲げた小泉純一郎政権の頃から台頭した新自由主義だ。

> 新自由主義とは政府の介入を極力小さくし、市場原理に基づく競争によって経済成長を目指す考え。欧米から入ってきた「論理と合理」の一つでもある。その「伝道者」として知られ、くだんの小泉政権で経済財政担当相を務めた竹中平蔵氏(現・人材派遣大手パソナグループ会長)は、第2次安倍晋三政権や菅義偉政権でも政府の有識者会議のメンバーとして、国の経済政策に影響を与え続けた。


> お金もうければ幸せなのか

> 新自由主義は何をどう変えたのか。冒頭のように学問の世界を含め、あらゆる局面で経済合理性や効率性が問われるようになった、と藤原さんは感じている。富める者はより豊かになり、持たざる者は切り捨てられる。「新自由主義には利潤を最大にすることが人間の幸せ、という大前提がありますが、お金をもうければ、人間は本当に幸せになれるのか。ここに根本的な問題があります」

> コロナ禍で非正規雇用者の解雇や雇い止めが相次いでいるように、新自由主義が格差拡大の原因になった、との指摘も聞こえてくる。安倍政権の経済政策「アべノミクス」の下、日銀の大規模な金融緩和で円安が進行し、輸出関連企業を中心に企業業績は回復した。それに伴って株価も上がった。だが、景気回復の実感を持てた人がどれほどいたことか。「労働者の賃金は上がらず、大企業の内部留保ばかりが500兆円近くにまで膨らみました。株を買う金持ちだけがもうかり、庶民はじりじりと貧しくなっているのです」

> ここ20年あまり、新自由主義を進める日本などの各国政府は、大企業や富裕層が潤えば、中小企業や貧困層にも恩恵が広がると主張してきた。いわゆる「トリクルダウン」だが、藤原さんは「世界中どこでも実現していない。真っ赤なウソでした」と喝破する。日本では「弱肉強食を正当化した自己責任論」も幅を利かせるようになった。「日本人が大切にしてきた情緒である弱者への涙、すなわち惻隠の情を忘れた国家に成り下がってしまったのです」

> さて、衆院選である。岸田文雄首相は自民党総裁選を通して「新自由主義からの脱却」を表明した。「画期的な方針」と藤原さんは歓迎するものの、懸念もある。小泉、安倍、菅の3政権が進めた経済政策を否定することになり、彼らやその周辺からの反発が予想されるからだ。緊縮財政からの転換には財務省が難色を示す可能性も高く、実際、財務事務次官が衆院選を控えた各党の政策論争を「ばらまき合戦」などと批判する論文を月刊誌に発表し、波紋を呼んだ。

> 一方で新自由主義からの転換には野党の多くも賛成しており、藤原さんは「与野党が一致団結して取り組んでほしい」と願う。どこが政権を担うかばかりが注目されがちだが、もっと本質的なところに目を向けてほしいと言う。

> 「みんなが公平な条件の下で自由に競争したら、勝つ者は勝ち続ける。負ける者は負け続ける。人間というのはそういうものです。人間の尊厳は完璧に平等ですが、能力は不平等なのです。ボクシングだってヘビー級とフライ級を一緒に戦わせません。新自由主義の根幹である自由競争を規制し、弱者や地方のための大がかりな財政出動をしない限り、日本を再生することはできません」【金志尚】


> ■人物略歴

> 藤原正彦(ふじわら・まさひこ)さん

> 1943年、旧満州(現中国東北部)生まれ。東京大理学部卒。数学者。お茶の水女子大名誉教授。作家の新田次郎、藤原てい夫妻の次男。自身も作家として「若き数学者のアメリカ」「国家の品格」「国家と教養」など著書多数。


<参考=「この国はどこへ これだけは言いたい 「論理と合理」が品格破壊 数学者・藤原正彦さん」(毎日新聞有料記事、10月22日)>


NO.2607 揺れやすい地盤 災害大国 迫る危機:朝日新聞デジタル<起稿  磯津千由紀>(21/10/23)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/23 (Sat) 01:41

 こんばんは。


 住所を入力すると、地盤の弱さ(揺れやすさ)が表示されます。0.5なら頑健、1なら普通、2以上は軟弱。
 とはいえ、Facebook上で多くの人が寄って集って試したところでは、色々な地盤が入り組んでいるところでは、誤表示も出るようですので、「地形の種類」が正しく表示されてるか注意願います。
 因みに、当地は岩盤(第3紀掛川層)が深く、其の上に軟弱な層が分厚いため、地盤が弱いところが多いです。60年近く前に東海道新幹線を通す際には難工事だったと聞いています。

 尚、我が家では1.15と出ましたが「谷底低地」と表示されましたので、実態とは違うと思われます。地震の際や前の道路を自動車が通ったときの揺れから見て、実際は軟弱地盤と思います。


<参考=「揺れやすい地盤 災害大国 迫る危機」(朝日新聞デジタル)>
<消滅・22/02/18>


NO.2608 <日本人=のっぺり顔>ルーツは、古墳人<?><起稿 シバケン>(21/10/24)


【シバケン】 2021/10/24 (Sun) 18:07

<図1>
今回新たに見つかったルーツ、古墳人。



<写真2>
古墳人の復顔 提供:群馬歴史博物館



<写真3>
古墳人の女性の復顔 提供:群馬歴史博物館



>これまで日本人のルーツは、日本列島に住んでいた縄文人と、大陸から渡ってきた弥生人が交流して現代日本人につながったとされていた。
しかし、9月に金沢大学などの研究チームにより、もう1つ新たなルーツが発見された。

>(Q.顔の特徴で何か言われたことはありますか?)
街の人:
目が大きいは、よく言われます

街の人:
塩顔だねとは言われたことあります

>目の大きさや鼻の高さなど、人間の顔にはそれぞれ特徴がある。
>そんな人間の顔について研究している人がいる。

>金沢大学・覚張隆史助教:
>大陸の遺跡から出土する古い人骨や、現代の人類集団のDNA配列を比較して、過去の日本列島に住んでいた人たちが、どういう遺伝的なつながりがあったのかを評価した

>金沢大学の覚張隆史助教は、15年前から人間の起源について研究している。
そのきっかけは、意外なことだった。

>金沢大学・覚張隆史助教:
>昔からいる馬がいて、“在来馬”というんですが、その馬がどこから来たかという起源の研究に強く興味を持って。馬が来たというのは、人が連れてきているわけなので、人がどういう風に入って来ているのかを議論しないと、馬の文化が正式に語れない

>馬の起源を探るにはまず人間から。それから覚張助教は、人間の起源についての研究を始めた。

>現代日本人の特徴に一番近い? 新たなルーツ“古墳人”
>これまで現代の日本人は、顔に凹凸があり彫りが深い、いわゆる濃い顔立ちの先住民・縄文人と、北東アジアの大陸から渡来した、のっぺりとした薄い顔立ちの弥生人が交流して生まれたと説明されていた。

>しかし、今回の研究で縄文人、弥生人とは違う、新たなルーツが発見された。
金沢市で見つかった人骨は、約1500年前の古墳時代の人骨だ。この人骨から、現代日本人の新たな遺伝的な特徴が見つかった。

>金沢大学・覚張隆史助教:
今回見つけた1つのポイントは、古墳時代の人たちのゲノム配列が、弥生時代の人と遺伝的に異なった特徴を持っている。私たちは、“古墳人”と表現している

>縄文人に続き、大陸から渡ってきた弥生人。その後、古墳時代に東アジアからやってきた集団の古墳人。その3つが、現代日本人の祖先である可能性があるという。

>今回新たに見つかったルーツ、古墳人。

>金沢大学・覚張隆史助教:
>弥生人と似たような、のっぺりしたのが特徴で、薄い顔。縄文的な要素が下がってきている。女性も古墳人の方が、より薄い、のっぺりした顔立ちになっている

>また、その古墳人が今の日本人の特徴に一番近いという。

>金沢大学・覚張隆史助教:
>(現代人は)割合としては、古墳人と定義した人たちの影響が非常に大きい。半数まではいかないが4割…ほぼ半数ですね

>あのアナウンサーの顔への”判定”は…
>そこで今回、覚張助教に特別なお願いをした。

>(Q.先生に現代人の写真を見ていただいて、「こっち寄りの顔なんじゃないか?」など教えてほしい)
金沢大学・覚張隆史助教:
(石川テレビ・稲垣真一アナの顔は)少しのっぺりしている部分もあるので、弥生人以降の薄い顔立ちではないかと。部分的に見ると、少し彫りが深い部分もあるので、縄文人と弥生人の混合かな
<写真=省略>

>続いて、向山侑希アナウンサーの顔を見てもらった。

>金沢大学・覚張隆史助教:
>お顔も凹凸がありそうなので、縄文人の雰囲気が出ているのかなと。ちょっと濃いようなイメージ
<写真=省略>

>ちなみに谷本正憲知事の顔は?

>金沢大学・覚張隆史助教:
>復顔の中でどれが一番近いかというと、古墳人の顔立ちに近いように見える。凹凸が少なくて、少し薄めの顔立ちかなと
<写真=省略>

>今回新たに浮かび上がった日本人のルーツ。覚張助教によれば、今後研究が進むにつれ、さらなるルーツが見つかる可能性もあるという。

>金沢大学・覚張隆史助教:
>現代人の遺伝的な要素には、縄文時代の人たち、弥生、古墳の3つの要素が入っている。ただ、その3要素だけでなく、多様な要素が複雑に絡み合って現代日本人が生まれた可能性も残されている。今後も研究を継続していけたら

>毎日の生活で必ず目にする自分の顔。あなたの顔は何人顔?

>(石川テレビ)

<参考=「のっぺり薄い顔…新たな日本人のルーツ「古墳人」発見 現代人の半数に及ぶ影響【石川発】」(FNN)>


【シバケン】 2021/11/29 (Mon) 16:44

副題=追加「弥生人」


<写真>
復元<弥生人>



>鳥取市青谷町(あおやちょう)の「青谷上寺地(かみじち)遺跡」で見つかった人骨と、骨から採取したDNAの分析から、弥生人の顔を復元した胸像を鳥取県が作成した=写真=。国立科学博物館の監修のもと復元したもので、遺伝子情報を基にした弥生人の復顔は全国で初めてという。

>青谷上寺地遺跡では2000年、弥生時代後期(約1800年前)の男性の頭蓋骨と脳が、ほぼ完全な状態で発見された。復元には頭蓋骨と、そこから採取できたDNAを用い、個体の約4割のゲノム(全遺伝情報)解析に成功した。

>その結果、父系は日本古来の縄文人、母系は渡来系で、頭髪は黒々とした太い毛だったことが判明。頭蓋骨の形状に合わせて表情を作る筋肉を粘土で型どりし、髪の毛は人工毛で製作した。

>日本人のルーツは、古くから列島にいた縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血というのが定説とされる。復元された顔は、深い彫りの縄文人と、鼻が低く面長な弥生人の双方の特徴を持ち、監修した国立科学博物館の坂上和弘・人類史研究グループ長は「DNA分析を利用したことで、より忠実に復元できた。日本人の歴史の変遷を示す顔立ちといえる」と話している。

>胸像は31日から11月7日まで、鳥取市あおや郷土館で公開する。

<参考=「これが「弥生人」の顔…彫り深く低い鼻・髪は太く黒々、DNA分析で復元」(読売新聞)>
(21/10/31)


【シバケン】 2021/12/06 (Mon) 17:30

副題=追加の追加=青谷弥生人


<写真>
出土した頭蓋骨をもとに復顔された「青谷弥生人」



>5千点以上の弥生時代の人骨がまとまって出土した国史跡「青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡」(鳥取市)。その中の成人男性のものとみられる頭蓋骨をもとに、鳥取県などが令和元年から取り組んでいた顔の復元(復顔)が終わった。骨のDNA解析や解剖学、人類学の研究成果を応用した科学的な手法に芸術的センスを加味しよみがえった「青谷弥生人」。その顔立ちは「びっくりするくらい普通」(平井伸治鳥取県知事)だった。

>濃くも薄くもない顔
<以下、有料記事>

<参考=「復顔・弥生人の再現度 鳥取・青谷上寺地遺跡」(産経新聞)>
(21/11/12)


【シバケン】 2021/12/21 (Tue) 09:39

副題=弥生人「そっくりさん」募集<!>

<「青谷弥生人」は、前回、前々回投稿>

まあねえ、
日本人のルーツ故、そっくりさんが居て、当然。
確かに、見た事、あるよな、でして。

<写真>
そっくりさんと名前の応募を呼びかける青谷弥生人のツイッター



>国史跡・青谷上寺地遺跡(鳥取市)で見つかった人骨と、骨から採取したDNAの分析を基に復元した「青谷弥生人」の「そっくりさん」と名前の募集が19日、締め切られた。そっくりさんには全国から215人が自ら手を挙げ、名前は626件が集まり、応募総数は841件に。鳥取県とっとり弥生の王国推進課は「『 841やよい 』とまさに奇跡。弥生の雰囲気をたっぷりまとったそっくりさんと名前を選びたい」と意気込んでいる。

>募集は11月2日から始め、そっくりさんは自薦のみ、名前は1人で複数応募できるとした。同課によると、締め切りが近づくにつれて、「ピンクの衣装を着たり、ロングヘアを後ろで束ねたり、ひげを伸ばしたりと、少しでも弥生人に寄せようと必死」(担当者)な応募がどんどん増えたという。

>そっくりさんは、審査を経て来年1月に入賞者10人を発表し、弥生人も食べていたとされるシカやイノシシの肉(ジビエ)などを贈るとともに、「とっとり弥生の王国」の初代国民に登録。5月頃に同遺跡に招待し、グランプリを決めることになっている。

<参考=「弥生人「そっくりさん」募集、集まったのは「まさに奇跡」の841件」(読売新聞)>


NO.2609 <人生100年時代>老後の、年金問題。<起稿 シバケン>(21/10/24)


【シバケン】 2021/10/24 (Sun) 23:43

果たして、繰り下げ受給も、75歳までと、されてるですが。
早く貰った方が得か、損か<?>
それぞれに、考え方があるです。


<写真1>
所信表明演説する岸田文雄首相(8日、衆院本会議)



<図2>
年金繰り下げ受給の「損益分岐点」は



<図3>
長く働けば毎年年金が増える



<図4>
年金の繰り下げ受給の上限を75歳に



>「人生100年時代を見据えて、全ての方が安心できる、全世代型社会保障の構築を進めます」

>8日、岸田文雄首相は国会での所信表明演説でこう強調した。「全世代型社会保障」という言葉には、社会保障の対象を子育て世代などにも広げるというだけでなく、長く働ける社会を作ることで社会保障の担い手も増やすという、岸田首相の持論が込められている。

>9月の自民党総裁選でも、年金改革が争点の1つとなった。当初、有力候補とみられていた河野太郎氏は、公的年金の一階部分にあたる基礎年金の財源を全額、消費税で賄う改革案を主張した。年金制度を持続可能なものにすると訴えたが、岸田氏らから「消費増税が不可避」と批判され、河野氏はトーンダウン。結局、総裁選で河野氏が岸田氏に敗北する一因となった。

>第一生命経済研究所の星野卓也主任エコノミストは「岸田首相が推進する社会保障制度の狙いの1つに、長く働いて収入を増やし、働けなくなってから年金が手厚くもらえるようにする点がある。これは現行の年金改革の延長線上にあるものだ」と指摘する。

>その年金改革のため、2022年4月から改正年金法が順次施行される。改正のポイントは5つ。まず、1つ目は年金の繰り下げ受給開始年齢の上限を、70歳から75歳へと引き上げることだ。繰り下げ受給により、高齢になってもらえる年金がさらに増える。

>2つ目は65歳以降も厚生年金に入って働き続けた場合、年1回年金額が上乗せされる「在職定時改定」の導入で、長く働くことのメリットが増える。

>3つ目の在職老齢年金の支給停止額の上限引き上げも、長く働くことを促す。これまでは60歳以上65歳未満で働いている人の場合、年金と賃金の合計が月28万円以上だと、厚生年金が減額されたり受け取れなくなったりした。この上限額が47万円に増え、働いて給与を得ても不利益を被りにくくなる。

>4つ目はパートに対する厚生年金の適用範囲の拡大。国民年金に比べると有利な点が多い厚生年金への加入を促し、女性の社会参加を加速する狙いがある。背景にあるのは生涯未婚率や離婚率の上昇だ。

>5つ目は個人型確定拠出年金(iDeCo)の要件緩和だ。自分で運用方法を決め、その結果によって給付額が変動する。「自助」による老後資産の形成を促す狙いがある。

>2019年に話題となった「老後2000万円問題」。夫が65歳でリタイアし、公的年金に頼って生活すると30年間で約2000万円が不足するとの試算を金融庁が示したところ、批判が噴出。麻生太郎金融相(当時)が「不安をあおる」として報告書の受け取りを拒否する事態となった。だが、今回の総裁選でも、約1200兆円の債務を抱えた日本に「打ち出の小づち」のような年金制度はあり得ないことが浮き彫りになった。男女とも長く働き、自ら運用して受取額を増やすしかない。

>「人生100年時代に向け、一度資産のシミュレーションをしてみませんか」。野村証券のコンサルタントが、画面越しに顧客に呼びかける。インターネットや電話で証券口座を開設した50歳以上の顧客に対し、同社は2年前からリモートで無料の人生設計相談を行っている。10月からは対象を対面営業が中心の顧客にも広げた。

>「運用に加えて、どう長く働くべきかを相談する顧客は多い」と野村証券の松谷憲孝ネット&コール部部長は話す。9月の相談件数は1年半前の約2.5倍に増えた。今後はサービスを拡充するとともに、相談に対応する人員も大幅に増やすという。

>改正年金法が完全施行される22年10月、年金制度は具体的にどう変わり、老後の生活はどう変わるのか。ある家族の情景を通して考えよう。

>登場するのは年金(としがね)一家だ。母、タメ(享年90)の一周忌で、長男の太郎(69)の家に、次男の次郎(64)、長女の花子(59)が久々に集まった。太郎の息子のヴェリ男(32)、次郎の娘のヴェリ子(30)とともに近況を話し合ううちに、話題は年金や今後の生活になった。彼らが選んだ人生の選択肢はいかに――。

=つづく

<参考=「老後に笑う年金術 22年改正の5ポイント、知って備える としがね家、5人5色の決断(1)」(日本経済新聞)>


NO.2610 参院補選(静岡)、立憲民主と国民民主が推す山崎が自民公認で公明が推す若林に勝利<起稿 磯津千由紀>(21/10/25)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/25 (Mon) 00:19

 こんばんは。


 10月24日(日)の参院補選(静岡)、立憲民主と国民民主が推す山崎真之輔が、自民公認で公明が推す若林洋平を僅差で下して当選。
 現在、開票率99%。山崎真之輔650771票、若林洋平602759票、鈴木千佳(共産)116552票。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/25 (Mon) 00:52

副題=野党、参院静岡補選で勝利 「首相への失望の表れ」と勢いづく(毎日新聞有料記事、10月25日)

 こんばんは。


 新聞記事です。


> 野党は24日、静岡選挙区で勝利し「岸田文雄首相への失望が広がっている表れだ。衆院選へ大きな弾みがついた」(福山哲郎立憲民主党幹事長)と勢いづいた。衆院選後半戦に向け、自公政権の新型コロナウイルス対策や経済政策に対し攻勢を強める構えだ。

> 立憲の江田憲司代表代行は取材に「首相は静岡県へ2度応援に入っており、相当な打撃を受けているはずだ」と自民党側の影響を分析した。

> 国民民主党の玉木雄一郎代表は「岸田首相就任に『ご祝儀相場』がないと明らかになった。衆院選の前哨戦と位置付けており、意義ある勝利だ」と強調した。

> 立憲、国民両党の推薦候補が勝利した一方、共産党候補とは一本化できなかった。共産の小池晃書記局長は「岸田政権を追い詰める論戦で大きな役割を果たした」と前向きに捉え、衆院選で政権交代につなげたいと意気込んだ。(共同)

<参考=「野党、参院静岡補選で勝利 「首相への失望の表れ」と勢いづく」(毎日新聞有料記事、10月25日)>
<消滅・22/10/28>


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/10 (Wed) 23:51

副題=山崎真之輔参院議員、女性問題を謝罪「期待裏切る行為」(毎日新聞、11月10日)

 こんばんは。


 当選した山崎氏が、醜聞を認めましたが、議員は続けるつもりだそうです。


> 10月の参院静岡選挙区補欠選挙で当選した山崎真之輔氏(40)は10日、毎日新聞の取材に応じ、写真週刊誌で報じられた過去の女性問題について、おおむね事実を認め、謝罪した。

> 写真週刊誌「フライデー」によると、山崎氏は2014年から知人女性と不適切な男女関係にあったとされる。山崎氏は取材に「選挙で応援してくれた人たちの期待を裏切る行為。女性にも苦しい思いをさせてしまった」と述べた。当初は記者会見を設定する予定だったが、「プライベートな問題」との理由で見送った。今後は関係者へのあいさつ回りなどで説明するという。

> 川勝平太知事は9日の記者会見で山崎氏の女性問題について尋ねられると、「残念至極。もう応援することはない」と断言。山崎氏は「当然の発言。ただし、選挙前と選挙中に後押ししてくれた中で受け取った県の宿題に、しっかりと取り組みたい」と語った。

> 一方、自身の応援演説中に飛び出した川勝知事の「コシヒカリ」発言については、「演説中は過激なリップサービスだと思ったが、冷静に聞き直すと適切な発言ではなかった。残念だ」と振り返った。【金子昇太】

<参考=「山崎真之輔参院議員、女性問題を謝罪「期待裏切る行為」」(毎日新聞、11月10日)>


NO.2611 有資格者1万人超 予報しない予報士たちの活動<起稿 磯津千由紀>(21/10/25)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/25 (Mon) 19:29

 こんばんは。


 30年近く前に鳴り物入りで出来た「気象予報士」資格、実際に資格を仕事に生かしてる人の数は1割台だといいます。


> 国家資格でもある気象予報士の登録者数は21年8月現在、全国に約1万1000人。ただ、気象庁の20年度の調査に回答した5226人のうち、民間気象会社などの予報業務許可事業者で働いているのは12%にとどまった。合格率5%前後の難関にもかかわらず、合格しても活躍の場が少なく、直接収入に結びつきにくいのが1994年に始まった気象予報士制度の課題だ。そうした中で、地域に根ざして自発的に防災や自然現象の発信に取り組む九州や北海道の団体のような動きが出てきた。

> 線状降水帯による豪雨被害など近年増えている想定外の災害に対応するため、予報士を増やす民間企業もある。三井住友海上火災保険は社員の気象予報士資格取得を推進し、25年度までに50人程度に増やす方針。資格取得によって商品・サービス開発や、防災・減災などの取り組みに活用できると期待する。

> 気象庁が自治体の防災対策を支援するため取り組む「気象防災アドバイザー制度」は、気象予報士の活用を進める側面を持つ。頻繁に人事異動がある自治体では防災担当者が短期間で代わり、防災気象情報を読み解くのに苦労するケースがあるという。そうした自治体に、気象庁が委嘱する気象の専門家を派遣する制度だ。

> 新潟県三条市行政課の防災対策室に今年度、通年で常勤する内藤雅孝さん(65)もアドバイザーの一人で、日ごろから川の水位やダムの流入量と貯水位、土砂災害発生の危険度を示す土壌雨量指数のデータなどを監視。災害が発生しそうな時は避難情報の発令の助言をするほか、市民向け防災講座の講師も務める。

> ただ、委嘱を受けたアドバイザーが全国に84人いるのに対し、自治体に制度が知られていないのか、実際に着任しているのは11市区町の13人だけだ。気象庁OBでもある内藤さんは「人件費はかかるが、ダムを造ることを考えれば安い。ぜひ他の自治体も制度を使ってほしい」と呼びかける。【山崎あずさ】


> 石原良純さん「伝達から避難に」

> 気象予報士の使命や課題について、1997年に資格を取得し、テレビ番組での分かりやすい気象解説でおなじみの俳優、石原良純さん(59)に聞いた。

> 海辺の町で育ち、空が好きだったことから気象に興味を持ち、気象予報士になった。“空の楽しさ”を伝えることがひそかな使命だと思っている。ウエザーキャスターとして天気コーナーに出演し始めた当時は、台風や集中豪雨による災害が今と比べると少なかった。

> ところが、少しずつ潮目が変わってきた。広島で土砂災害が起きた2014年8月の豪雨の際は、予報士をはじめ報道に携わっている人間の間に「どうやって伝えればいいのか」との思いがあった。予報技術は進化して精度も上がり、インターネットや携帯電話もあるが、僕らが投げかけた情報がちゃんと伝わらなかった。だから大きな被害につながった。

> 数時間前の時点で、今までにないような大雨が降ることが分かっていた。「すぐ逃げてください」と家から引っ張り出すようなことをすれば良かったのだけど、それをしなかった。予報をして、それを伝えて、受け手がそれを聞いて逃げる。「予報」「伝達」「避難」という三つがセットにならなければ被害は防げない。予報に携わっている人間は皆、「どうすれば伝わるのだろうか」とすごく悩んだ。

> 17年の九州北部豪雨でも、その経験が生かしきれなかった。大きく変わった一つの節目は、18年の西日本豪雨。気象庁は雨が強く降り始める前に緊急記者会見を開いたが、街の人たちは「何を言っているんだろう」と感じたと思う。前線の活動が広範囲で数日にわたり活発になるという会見は画期的なことではあった。ただ、あまりにも広範囲、長時間での警戒情報だったので、正しく情報の受け取り手に理解されない部分も多かった。岡山県倉敷市の真備町地区などは立派なハザードマップがあったが人命に大きな被害を受けることになってしまった。

> 予報から伝達の部分はつながったけど、伝達から避難にどうつなげていくかというのがこれからの課題だろう。情報をボールとするならば、同じボールでも誰が投げるかによって受け取り手の反応は違う。これが「おかえりモネ」の世界観だと僕は思う。

> 自分の町に住んでいて顔を見知っている予報士が、ことあるごとに「これから大変です」と言ってくれたら、伝達から避難につながる。今後、予報士の資格を持っている人の働く場は、さまざまな形で増えていくと思う。自分の町に、ともに暮らす気象予報士さん。自分の住む家のことも、家族のことも理解してくれている。だから、いざという時に「あの人の言うことならば」と耳を傾けてくれるようになるのではないだろうか。


<参考=「全国の「モネ」たちは今 地域で活躍する気象予報士の姿を追う」(毎日新聞有料記事、10月25日)>