みんながパソコン大王
雑談<NO.279>

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表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
雑談NO.280
2603 <鳥取米子のチンチン電車>京都のは、昭和36年<1961年>に消えたです。 シバケン 21/10/21
2602 Facebook、近く社名変更か 仮想空間に注力 磯津千由紀 21/10/20
2601 <マウス研究>長生きの鍵はカロリー摂取量より空腹の時間<!> シバケン 21/10/20
2600 <卑弥呼論争>統治は纒向<奈良・まきむく>、擁立は九州・吉備中心<?> シバケン 21/10/20
2599 ≪新型コロナ≫ワクチン後の感染は「軽くすむ」か 磯津千由紀 21/10/18
2598 五木ひろしさん紅白不出場へ 最多50回で止まる 磯津千由紀 21/10/18
2597 事実よりウソが広がるSNS 仕組みを変えたい 平和賞レッサ氏の提言 磯津千由紀 21/10/18
2596 <ハバナ症候群/真相は<?>>ナゾの頭痛・耳鳴り・脳損傷…CIA職員ら200人超、全世界で<!> シバケン 21/10/17
2595 <奈良・桜井>93歳が店長、最年少70歳の団子店「卑弥呼」 シバケン 21/10/17
雑談NO.278

NO.2595 <奈良・桜井>93歳が店長、最年少70歳の団子店「卑弥呼」<起稿 シバケン>(21/10/17)


【シバケン】 2021/10/17 (Sun) 10:08

<写真1>
笑顔でみたらし団子を差し出す「まほろばの里 卑弥呼」店長の林千鶴子さん=奈良県桜井市



<写真2>
みたらし団子が名物の「まほろばの里 卑弥呼」。元気な店員らが出迎えてくれる=奈良県桜井市



>店長は93歳、店のスタッフのほとんどが70~80代という元気なお年寄りが働く団子店がある。奈良県桜井市の「まほろばの里 卑弥呼(ひみこ)」。同市には邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳があり、市商工会女性部の出資を受け、店長の林千鶴子さん(93)が町を盛り上げようと始めた。「働くことが元気のもと」と断言する林さん。店を訪ね、そのパワフルさにふれた。


>元気印のお年寄り
>JR・近鉄桜井駅前で、真っ赤なのれんの「卑弥呼」の店はよく目立つ。店の名物は、しょうゆベースの素朴なタレが「甘すぎず辛すぎない」と評判のみたらし団子。もちもちした食感とさっぱりした味が好評だ。定番の五平餅も人気が高い。このほか、地元特産のそうめんなども並べられている。

>店は午前9時半から、商品がなくなる夕方ごろまで営業。林さんは定休日の火曜以外は毎日出勤している。店で団子を焼く姿はてきぱきして力強いが、お客さんやスタッフと会話するときは、にこやかでやわらかい雰囲気だ。

>「働く場所があることがありがたい」。店で訪れたお客さんと交流することが生活に張りを与えているという。

>店では商工会女性部のメンバー13人も働いている。最年少は70歳、最高齢は93歳の林さん、と元気印のお年寄りたちで、店に来た観光客に桜井市内の名所を紹介することもある。

>それぞれ自営業の経験があるため、店の切り盛りは慣れたものだ。会計担当の浦田文乃さん(85)は、「林さんは私たちがまねできないぐらい頑張り屋。店にとってなくてはならない存在で、尊敬している」とほほ笑んだ。

>新型コロナウイルスの感染拡大により店は昨年4、5月は休業したが、現在は国の支援金などを活用し営業を続けている。市商工会の担当者は「生き生きと働き、活躍するスタッフを誇らしく思う」と話す。


>「地元を盛り上げたい」
>店がオープンしたのは林さんの地元愛と熱意からだった。

>林さんは大阪市出身。昭和20年、高等女学校5年生だった17歳のとき、大阪大空襲にあい、妹と両親とともに父親の実家があった奈良市に避難した。その後、奈良で生活するようになり、県庁で働いていたことも。20代半ばに桜井市で自転車やバイクの修理販売店を営んでいた夫と結婚。夫とともに店を支え、市商工会女性部の部長も務めた。

>「卑弥呼」を開くきっかけとなったのは北海道を訪れた際に地元商工会の運営する土産物店を見たことだ。

>「うちの商工会でもできるかもしれない。何もない桜井駅周辺に、屋台でもいいから出店したい」。女性部がイベントで提供していた「みたらし団子」を提供する店を出したいと、十数年前に商工会に相談したのだった。

>だが、当初はなかなか賛同が得られなかった。「どうやって運営するのか」「その年齢で大丈夫か」。そんな指摘もあったが、地元を盛り上げたいという思いで説得を続けた。女性部の部員らの出資を受ける形で、平成22年3月、「卑弥呼」はオープンした。


>客との会話が支え
>10年以上、団子を焼き続けている林さんは、「スタッフやお客さんと話すことが支えになっている。お店という居場所があり、恵まれている」と感謝する。

>夫とは死別し、現在は店から歩いてすぐの自宅で、長女(67)と2人暮らし。午前6時半に起床し、午前中は家事をして午後0時半ごろに店へ出勤する。

>そこからは団子を焼いたり接客をしたり、毎日忙しく働く。「コロナで店に来る観光客も減って寂しかったが、最近は少し回復している。早くコロナ前のように人が来てほしい」といい、元気なうちは店に立ち続けると決めている。

>「桜井は歴史がある場所で、誇りに思っている。桜井駅前がもっとにぎやかになるよう盛り上げたい」


>働く高齢者に高まる期待
>総務省のまとめによると、65歳以上の高齢者は9月15日時点で3640万人で、総人口の29・1%を占める。

>就業している高齢者は、令和2年で906万人と最多を更新。高齢者の就業率は25・1%となり、9年連続で上昇した。また、15歳以上の就業者総数に占める高齢者の割合も、13・6%で過去最多になった。

>奈良県外国人・人材活用推進室の担当者は「人手不足の問題がある中で、元気に働く高齢者に期待が寄せられている。現役で働く意欲のある高齢者が活躍できる場を広げていきたい」としている。(前原彩希)

<参考=「93歳が店長、最年少70歳の団子店「卑弥呼」」(産経新聞)>


NO.2596 <ハバナ症候群/真相は<?>>ナゾの頭痛・耳鳴り・脳損傷…CIA職員ら200人超、全世界で<!><起稿 シバケン>(21/10/17)


【シバケン】 2021/10/17 (Sun) 23:28

偶々にしては、諸般あるです。

<図1>
「ハバナ症候群」の被害は世界各地に広がってる



<図2>
ハバナ症候群の被害が判明している主な国



>米外交官や情報機関職員らが、世界各地の米大使館などで原因不明の健康被害を訴える例が相次いでいる。電磁波を使った攻撃の可能性が指摘され、被害者は過去5年で200人を超えるとされる。真相究明に向け、米バイデン政権が本格調査に乗り出している。

>健康被害は2016年、キューバの首都ハバナに駐在していた米中央情報局(CIA)職員らが初めに訴えたことから、「ハバナ症候群」と呼ばれる。頭痛や耳鳴りなどの症状が多く報告されており、脳損傷と診断された例もある。

>先月にはウィリアム・バーンズCIA長官のインド訪問に同行した職員の一人が類似の症状を訴えた。

>相次ぐ事例を踏まえ、与野党の上院議員計11人が今月13日、ブリンケン国務長官に書簡を送り、「国家安全保障に対する重大な脅威だ」として、被害者支援や原因特定への取り組みを強化するよう訴えた。

>バイデン大統領は、政府の対応が不十分との批判を 払拭ふっしょく するため、真相究明に「あらゆる資源を投入」する構えだ。米メディアによると、CIAは、国際テロ組織対策で実績を残したベテラン職員を新たに調査チームのトップに任命した。

>正体不明の健康被害「ハバナ症候群」が確認された地域は全世界に広がっている。米政府の外交活動に支障を来す事態も起きている。ロシアの関与を疑う見方があるが、決定的な証拠は見つかっていない。

>ハリス副大統領が8月に東南アジアを歴訪中、シンガポールからベトナムへの出発が3時間以上遅れた。国務省は遅れの理由を「ハノイで特異な健康事案の可能性について報告を受けたため」と発表した。米メディアによると、直前にハノイ駐在の米外交官がハバナ症候群の症状を訴えていたことが判明し、予定通り訪問するかどうか検討していたという。

>首都ワシントンのホワイトハウス周辺や、国防総省があるバージニア州アーリントン、キューバに近いフロリダ州など米国内での被害例も報じられている。

>米NBCによると、これまでに被害が確認された約200人は、半数近くが中央情報局(CIA)、約60人が国防総省、約50人が国務省の関係者だという。

>症状突然に
>被害者の一人で元CIA職員のマーク・ポリメロポラスさんは、米メディアに度々登場して自らの体験を語っている。2017年12月、出張先のモスクワで、めまいや頭痛、耳鳴りなどの症状が突然表れた。帰国後、症状は悪化し、遠方が見えなくなって車の運転ができない時期もあったという。19年7月に退職を余儀なくされた。「外傷性脳損傷」と診断されて治療を受けているが、軽い頭痛は現在も続いている。

>ポリメロポラスさんは今年8月のインタビューで、「敵国がやっているのは明らかで、その筆頭候補がロシアだ」と主張した。「これは戦争行為だ」とも語り、米外交官らの命が危険にさらされていると訴えた。
<以下、会員記事>

<参考=「ナゾの頭痛・耳鳴り・脳損傷…CIA職員ら200人超、全世界で「ハバナ症候群」に」(読売新聞)>


NO.2597 事実よりウソが広がるSNS 仕組みを変えたい 平和賞レッサ氏の提言<起稿 磯津千由紀>(21/10/18)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/18 (Mon) 00:48

 こんばんは。


 SNSで真実よりもフェイクが広がるのは世界的現象だそうです。
 SNSは、従前のメディアと違って情報のチェック機能が欠けており、中毒性がある由。


> 今年のノーベル平和賞受賞が決まったフィリピンの独立系ネットメディア「ラップラー」の共同創設者、マリア・レッサ氏(58)が15日、毎日新聞のオンラインインタビューに応じた。ネット交流サービス(SNS)を通じてフェイク(偽)ニュースがあふれ、「事実よりウソが速く広がる」現状に対し、「民主主義の危機だ」と指摘。そのうえで、利用者の見たい情報を優先的に表示するSNSのニュース配信のアルゴリズム(計算手法)を変革し、「事実が常に勝利するジャーナリズムを守りたい」と訴えた。


> 主なやりとりは以下の通り。

> ――レッサさんが重視するジャーナリズムとは何でしょう。

> ◆私の考えるジャーナリズムはシンプルだ。国民の代理として質問し、政府や権力に説明をさせること。そのために必要なのは、「使命」「倫理」「勇気」。厳しい質問をする勇気というのは、一番大切だと思う。

> また、ジャーナリズムはプロセスが重要だ。(1988年に米CNNのマニラ支局長として)私が仕事を始めたとき、前任者は身長190センチ近いプロテスタントの白人男性だった。私は小柄なフィリピン系アメリカ人だ。それぞれの視点があり、同じにはなり得ない。しかしジャーナリストは特定の思想を広める宣伝役ではない。違いがあっても「客観性」を担保できるのは、編集者や法律顧問という別の視点を経るからだ。それには時間もかかるし、多くの人を雇うためにお金もかかる。しかしそれが情報に責任を持つということだ。

> 私が心配するのは、このプロセスが、SNSの登場で粉々に解体されたことだ。このプロセスを経ていない記事、単なる主義主張の記事が広まっている。

> SNSを通じたニュース配信のアルゴリズムは、読まれる記事、利用者個人が好む記事を優先的に提供している。ジャーナリズムは商品化され、事実よりも「売れる記事」が重宝されるようになった。既存メディアも、ページビューの稼げる記事が優先されるようになった。逆に「使命」のために書かれる記事はそこまで読まれない。

> この仕組みの中では、うそが事実よりも速く広がる。これは学術的な調査でも判明しているが、フェイクニュースは、それを読んだ際の怒りやヘイトを基に拡散されている。ジャーナリストは一生をかけて、いい記事を書くことを学んでいくが、現状の仕組みで拡散される「うそ」にかなわない。

> これまで記事の事実をチェックする「門番」の役割を果たしてきた既存のメディアは、SNSの台頭でその機能を失っている。今やフェイスブックが最大のニュース配信社だが、配信される内容について門番としての機能、責任は果たしていない。

> ――「事実を巡る闘いにおいて、ジャーナリズムは運動だ」と発言をしていますが、どういう意味ですか。

> ◆今は事実が議論(の対象)になるような時代だ。自分の主張に合う記事だけを読めば、相反する主張に耳を傾けなくなる。例えばフィリピンでも2016年の大統領選で、ドゥテルテ氏を支持する人としない人は全く違うニュースを読んでいる。人々は両極端に分断される。

> 権力者は、この状況を利用する。自分の主張に合う一方だけ利用し、そのほかを排除するようになる。ポピュリズム政治につながる。自身の主張に合わない報道は「フェイクニュース」だと訴えて、ジャーナリストの信頼性を失わせようとする。フィリピンをはじめ(世界各地で)、真のジャーナリストであることが犯罪になるような状況が生まれている。

> 事実がなければ信頼は生まれない。事実が常に勝利するジャーナリズムを守らなければならない。

> ――自身はどのようにSNSと向き合っているのですか。

> ◆SNSを使うべきでないとは思わない。例えばフェイスブックをとっても、うそを拡散している媒体でありながら、もう一方では、事実をベースにしたニュースの配信もしているからだ。ただし、うその拡散から、うそに対抗する仕組みに変えていく必要がある。

> SNSは非常に中毒性がある。SNSのゴールは、利用者に利用し続けてもらうことだ。そのために個人のデータを集め、その傾向を知る。最終的にはその人自身よりもその人のことを知っているように、コンテンツを提供する。どんどん自分の好みのものが出てきて、抜け出せない。それが人々の操作に利用されるようなことがあってはならない。

> ――SNSで自身も批判や誹謗(ひぼう)中傷を受けているようですが。

> ◆私への批判の6割は、私のジャーナリストとしての信頼性を失わせるための攻撃。4割は私の容姿に関する誹謗中傷で、陰湿な情報操作だ。

> 私は米同時多発テロの際に、事件を起こした国際テロ組織「アルカイダ」のネットワーク分析をした。というのも90年代に、アルカイダに雇われたパイロットがフィリピンで逮捕されていた記憶があり、そのつながりを調べ始めた。その経験に基づいて、私は自分に対する攻撃を徹底的に調べた。どういう人がどのようなつながりを持って発信しているのか。(誹謗中傷は)どれも事実に基づいていない。

> ――未来の希望、未来のジャーナリストに向けて、メッセージはありますか。

> ◆今の時代、インターネットのないジャーナリズムはあり得ない。新しい時代のジャーナリズムをつくる一員であることにワクワクする。

> 今のような、個人の傾向を調べあげた上で提供されるニュースのあり方は、変えなければいけない。事実に反し、事実を無視するようなシステムは変えなければいけない。ジャーナリストなのだから、テクノロジーを徹底的に調査して、新しいジャーナリズムを後世に残していく必要がある。

> 私がジャーナリズムの好きなところは、知性、感情、体力、精神力、倫理、勇気など、あらゆることが試されること。私がジャーナリストとして危険にさらされる試練の中で気づいたのは、ジャーナリズムの基本である「使命」「倫理」「勇気」の大切さだ。状況に応じた倫理などない。ジャーナリズムを志すのであれば、自分はどこに立っているのか、明確にする必要がある。【構成・石山絵歩】


> マリア・レッサ氏経歴

> 1963年にフィリピンで生まれ、マルコス政権下での戒厳令布告を受け、幼少期に渡米。同政権が崩壊した86年に帰国した。2012年に「ラップラー」を創設。「麻薬撲滅戦争」など、現在のドゥテルテ大統領の政策を公然と批判した。政権との対立の過程で10回訴追されたが、政権を批判する報道を続けている。


<参考=「事実よりウソが広がるSNS 仕組みを変えたい 平和賞レッサ氏」(毎日新聞有料記事、10月17日)>


NO.2598 五木ひろしさん紅白不出場へ 最多50回で止まる<起稿 磯津千由紀>(21/10/18)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/18 (Mon) 01:08

 こんばんは。


 五木ひろし氏、今年の紅白に出ない意向を表明した由。


> 歌手の五木ひろしさん(73)が、50回連続出場していたNHK紅白歌合戦に今年は出場しない意向を17日、大阪市内で開いた公演で示したことが分かった。所属事務所が明らかにした。五木さんは1971年の初出場以来、昨年まで毎年出場し、北島三郎さん(85)と並ぶ史上最多を記録していた。


> 事務所によると、17日のコンサートで、観客に向けて「連続50年出場を達成できた喜びを胸に終了したい」と報告したという。(共同)


<参考=「五木ひろしさん、紅白不出場の意向 史上最多50回連続出場」(毎日新聞、10月17日)>
<消滅・22/10/22>


NO.2599 ≪新型コロナ≫ワクチン後の感染は「軽くすむ」か<起稿 磯津千由紀>(21/10/18)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/18 (Mon) 16:55

 こんにちは。


 ワクチン神話が崩壊か(?)。
 此れまでの定説『現行ワクチンは、新型株に対する感染予防効果は劣るものの、感染後の中等症化・重症化を減らせます』を覆す知見が発表されています。
 由々しき事態です。


> 新型コロナウイルスに感染して死亡した人は1575人。しかし、そのなかでワクチンを2回接種後2週間以上経過していた人は一人もいなかった。

> これは、8月18日に大阪府で開催された第57回大阪府新型コロナウイルス対策本部会議の議事録で公表されたデータ(38ページ)です。3月1日~8月15日の期間中、陽性者は8万5325人。うちワクチンを2回接種後2週間以上経過していたのが317人。しかし、その317人で死亡者はゼロ、重症者もゼロだったのです。このデータをまとめると、次のようになります。なお「ワクチン2回接種後2週間以上経過」した人を「ワクチン完了者」、それ以外の人を「未完了者」と表しています。

> <3~5月>

> ・ワクチン未完了者

> 感染者5万2571人、うち重症1689人(3.2%)、死亡1474人(2.8%)

> ・ワクチン完了者

> 感染者14人、うち重症0人、死亡0人

> <6~8月>

> ・ワクチン未完了者

> 感染者3万2437人、うち重症326人(1.0%)、死亡101人(0.31%)

> ・ワクチン完了者

> 感染者303人、うち重症0人、死亡0人


> 大阪では「完了者は重症0」だが

> この数字が発表された時、多くの医療者は色めき立ちました。ワクチンの効果が極めて高く、感染しても重症化や死亡は少なくて済む、という可能性が、客観的な数字として示されたからです

> ところが、その後状況は少しずつ変わってきています。はっきりとした報告は(私には)確認できていないのですが、どうもワクチン2回接種後2週間以上経過していても、重症化、そして死亡する事例が全国で相次いでいるらしいという話を、医療者から聞くようになってきたのです。大阪のデータでも、完了者は感染した人数が少なく、重症や死亡の少なさは偶然だという可能性もあります。

> 9月17日、米疾病対策センター(CDC)は、ワクチン接種が完了している人としていない人で、感染、入院、死亡にどれだけ差があるかのデータを公表しました。調査されたのは米国の13の地域、調査期間は2021年4月4日~7月17日で、結果は下記の通りです。

> ・ワクチン未完了者

> 感染者56万9142人、うち入院3万4972人(6.1%)、死亡6132人(1.1%)

> ・ワクチン完了者

> 感染者4万6312人、うち入院2976人(6.4%)、死亡616人(1.3%)


> かかりにくいが、かかれば死亡率は同じ?

> まず感染者数をみると、未完了者の方がずっと多いことが分かります。とはいえ、その差がそのままワクチンの効果、とはいえません。対象地域の住民に未完了者が多ければ、感染者も多くなって当然だからです。CDCは各地域の接種率など各種の要素を考慮した上で「未完了者が新型コロナに感染する率は、デルタ株があまり広がっていなかった6月19日までは、完了者より11.1倍高く、デルタ株が広がった同20日以降でも4.6倍高かった」と分析しました。

> 次に死亡率に注目してみましょう。ワクチン未完了で感染したのが56万9142人、そのうち死亡したのが6132人ですから、死亡率は1.1%です。他方、ワクチン完了者は死亡率1.3%でした。ということは、ワクチン接種で感染を大きく抑えられたとしても、いったん感染すれば死亡率は変わらない(むしろワクチン完了者の方が高い)ということになります。

> これは意外な結果です。太融寺町谷口医院の経験で言えば、そして冒頭で述べた大阪府の報告に鑑みれば「ブレークスルー感染は軽症で済む」という印象があります。しかし、米国のデータから言えることは、「たしかにワクチンを完了していれば感染も死亡も減らすことができるが、ブレークスルー感染の死亡率は低くない(むしろ高い)」ということになってしまいます。

> はたしてこれは真実なのでしょうか。確実に言えるのは「(当然ですが)コロナに感染しなければコロナでは死亡しない」ということ、そして「ワクチンを受ければ感染する確率が下がる」ということです。よって、結果として「ワクチンを受ければ死亡する確率も下がる」のは事実です。しかし、ワクチン完了後にいったん感染してしまえば、つまりブレークスルー感染を起こせば、重症化及び死亡の確率を減らすとは言えないことを米国のデータは物語っています。

> では、大阪府と米国ではなぜこのような違いが生じるのでしょうか。私は三つの仮説を考えてみました。

> 一つはデルタ株です。大阪でも7月にはすでにデルタ株が流行していましたが8月中旬以降も続いていました。大阪府のデータは8月15日までですから、調査期間をもう少し長くすれば、大阪府でもワクチン完了者のデルタ株による死亡者がそれなりの人数になった可能性があります(ただし、8月16日以降のデータは私が調べた範囲では公表されていませんでした)。

> 二つ目の仮説は「ワクチンの有効性の人種間差異」です。米国のデータでは人種ごとの比較がなされていませんが、例えば、アングロサクソン系、ヒスパニック系、アフリカ系ではブレークスルー感染でそれなりの人数が死亡するけれどもアジア系は死なない、といったことがあるのかもしれません。

> 三つ目の仮説は「ワクチンの有効期間」です。大阪府(日本)に比べると、米国の方が一般人に対するワクチン接種が早く開始されました。米国では昨年(2020年)の12月からワクチン接種が開始され希望者の大半は4月には終わっていました。一方、大阪府では、一般人へのワクチン接種が開始されたのは4月中旬、しかも開始当初は人数が制限されており、なかなか普及が進みませんでした。

> ということは、米国で死亡者が多いのは時間がたってワクチンの効果が下がっていたから、という可能性が出てきます。ただし、CDCのデータでは4月4日~6月19日までのブレークスルー感染の死亡率は1.82%(感染者2万3503人のうち428人が死亡)、6月20日~7月17日は0.82%(感染者2万2809人中188人が死亡)で、時期が遅い方が死亡率が低く、この仮説を主張するには無理があります。

> 結局のところ、大阪と米国のデータの差、つまり大阪ではブレークスルー感染で死者が出なかったのに、米国では(感染率は抑えられるものの)感染すればワクチン未接種者と死亡率は変わらない理由は依然不明のままです。ということは、「大阪人は安心」などと高をくくって楽観的になるのは禁物でしょう。


> 「3回目接種」は広げるべきか

> では、「ワクチンの3回目を接種すればさらに感染しにくくなる。たとえ感染しても重症化しにくくなる。そして死亡する可能性は大きく減少する」という期待はできるのでしょうか。現在、海外では英国を筆頭にワクチン3回接種が開始され、米国でも今後広がる見込みです。

> しかし、その一方で、世界保健機関(WHO)は「現段階での焦点は、1、2回目のワクチン接種を受けた人を増やすことである(だから当面、3回目接種はすべきでない)」と発表しています。

> また、医学誌「LANCET」には、18人の著者による論文が9月13日に掲載されました。この論文は「3回目接種をするなら、するのがよいという証拠が必要だ」と訴えます。

> WHOも「LANCET」の著者らも「3回目接種によって得られる利益より、まずは1回目、2回目を接種していない人たちにワクチンを供給する方が、全体として有益だ」と強調しています。これは単に人道的な観点からだけの話ではありません。ワクチン先進国にとって畏怖すべきは、流行地域で新たな変異株が生まれることです。したがって、可及的速やかに世界全体にワクチンを広めることで全体の感染者数を減らして変異株出現のリスクを下げる方が、トータルでみれば有益だと考えられるのです。

> 結局のところ、我々はコロナのことがまだよく分かっていないのかもしれません。ワクチンが短期間は有効なのは間違いないでしょうが、いつまで効果が続くのか、ブレークスルー感染では重症化する可能性は低下するのか否か、ワクチンの追加接種は必要なのか、必要なら定期的に受けなければならないのか、などについてはまだ答えが出ていないと考えるべきではないでしょうか。


<参考=「新型コロナ ワクチン後の感染は「軽くすむ」か」(毎日新聞、10月18日)>


<参考:これまでの定説>

<参考=雑談NO.2548 ≪新型コロナ≫2回接種後の「ブレークスルー感染」それでもワクチンが身を守る>(起稿21/09/19)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/19 (Tue) 17:40

<参考>(肝心なトピックを書き落としてました)

<参考=雑談NO.2584 ≪新型コロナ≫「第5波」でワクチン接種者の悪化は未接種者より遥かに少ない>(起稿21/10/07)

> 「第5波」でですので、“デルタ株でも実証された”ということです。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/01 (Mon) 16:48

副題=新型コロナ ワクチンで重症化を免れる人、心配な人(毎日新聞、11月1日)

 こんにちは。


 矢張り、ブレークスルー感染は「軽くすむ」といいます。


> 前々回の連載「新型コロナ ワクチン後の感染は『軽くすむ』か」では、私自身は「ブレークスルー感染は軽症で済む」という印象を持っていたけれども、米疾病対策センター(CDC)のデータからはそうは言えないのではないか、という問題提起をしました。その米国のデータでは、ワクチン未完了者よりもワクチン完了者の感染(ブレークスルー感染)での死亡率の方が少し高かったからです。


> ブレークスルー感染した人たちの死亡率

> もう一つ、ブレークスルー感染の死亡率が高いことを示した研究を紹介しましょう。医学誌「LANCET」2021年9月7日号に掲載された論文「ブレークスルー感染者の入院 (Hospitalisation among vaccine breakthrough COVID-19 infections)」は、米国でのブレークスルー感染者が、どのような結果を迎えたかを分析しています。

> 対象者は、ワクチン接種を予定通り完了していた入院患者54人で、調査期間は21年3月23日から7月1日です。54人中25人(46%)が無症状(新型コロナに関係のない疾患で入院し、入院時の検査で感染が分かった)、4人(7%)が軽症、11人(20%)が中等症、そして14人(26%)が重症です。重症の14人中、4人は集中治療が必要とされ、1人は人工呼吸器を装着し、3人が死亡しています。ただし、14人の中には過体重(BMI<体格指数=体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)>25以上)が9人、心血管疾患が12人、肺疾患が7人、悪性腫瘍が4人、2型糖尿病が7人、免疫抑制剤使用が4人いました(二つ以上の項目に該当する人が多いため、合計は14人になりません)。このように、重症者には基礎疾患を有していた患者が多かったことは無視できません。なお14人中13人は、BNT162b2(ファイザー/ビオンテック製のワクチン)の接種を受けていました。

> では、ワクチンで感染率を下げられるのは事実だとしても、CDCのデータやこの「LANCET」の論文が示しているように、いったん感染してしまうと重症化率・死亡率はワクチン未接種者と変わらないのでしょうか。今回は「そうではない」という見解を紹介します。


> ワクチン接種の普及で規制を緩和

> ブレークスルー感染は軽症で済むと考え、ワクチン完了者(2回の接種を終えて2週間たった人)が増えたことを理由に、日常生活上の制限を解除している国が増えつつあります。例えば、デンマークは9月10日、ナイトクラブに入る際のワクチンパスポートの提示、PCR陰性証明、マスク義務などのほぼすべての規制を撤廃しました(同国のワクチン完了率は9月10日時点で74%。Our World in Dataのウェブサイトより。以下同様)。9月25日にノルウェー(25日で完了率66%)、29日にスウェーデン(29日で同63%)がこれに続きました。

> アジアではシンガポールが規制を段階的に緩和し、同時に効率的なワクチン普及が実施され注目されてきました。規制緩和を開始したのが6月2日で、このときのワクチン完了率は30%です。2カ月後の8月2日には59%と倍増し、9月2日には75%とさらに上昇しました。しばらくの間は規制が緩和されても感染者数は増えず、8月になっても1日あたりの新規感染者数は減少傾向にありました。


> 感染者急増で再規制

> ところが8月の終わりに状況が変わります。突然、感染者が急増しだしたのです。同国のそれまでのピークは20年4月で、このときは連日、人口100万人あたりの新規感染者が100人を超え、200人を超えた日もありました(同国の人口は約570万人です)。しかし、その後は減少し、20年8月にはやや感染者数がぶりかえしたものの、その後1年間にわたり、つい最近まで感染抑制に成功していました。

> 過去のコラム「新型コロナ 韓国は『私生活保護より感染抑制』」で述べたように、その最大の理由は、シンガポールの非常に厳しい規制にありました。例えば、海外から帰国したというだけの理由で、自身の居場所を1日に何度も当局に報告する義務が課せられ、これを怠ると永住権を取り消され強制帰国させられました。虚偽の報告をして退学させられた大学院生もいます。濃厚接触者が公共の場に出向くと、それだけで1万シンガポールドル(約84万円)の罰金か6カ月以下の懲役、あるいはこの両方が科せられました。

> そういった非常に厳しい規制が次第に緩和された結果、21年8月末あたりからついに感染者が増え始めました。9月には増加が急激となり、月末には1日に人口100万人あたり400人を超え、10月には同600人を超える日も出てきました。これを受け、当局は9月27日より再び規制を強化しました。

> 死亡者も急増しています。それまでのピークだった20年4月の、人口100万人あたりの死亡者数は1日に0.3人程度で、その後はほぼゼロが続いていました。その厳しい政策の是非は別にして、シンガポールは世界でコロナ対策に最も成功した国家のひとつであることは間違いありません。しかし、21年9月からは感染者数と同じように死亡者数が急増し、同1.3人を突破しました。10月には同3人を超える日も出てきました。

> ここで「ワクチンの効果」に注目しましょう。同国はワクチン完了率が世界トップクラス(おそらくアジアでは最高)です。そしてその一方で、この国は近代的な都市国家でありながら、人と人が狭い空間で密着する昔ながらの市場が多く、参加者同士の距離が近い会合も日常的に行われます。つまり「ワクチン完了者が増えれば失われた日常が取り戻せるのか」を検証するにはシンガポールほど適した国はないわけです。果たして、ワクチンは、コロナを「ただの風邪」にできるのでしょうか。あるいは依然「死に至る病」であり続け、強力な規制を再開せねばならないのでしょうか。


> 接種後の感染は「ウイルスの減り方が速い」が

> これについて、シンガポール国立感染症センター(NCID)が見解をまとめています。10月22日に更新された同センターのウェブサイトから重要事項を抜粋します。

≫ ・シンガポールのワクチン完了率は75%だが、10月は、22日までですでに12人が死亡。そのうち11人はワクチン未接種。なお、20年1月から21年7月までの死亡者は合計37人

≫ ・ワクチンを完了していれば重症化はしにくいと考えられる

≫ ・デルタ株に感染した218人を対象とした研究で次のことがわかった

≫ #1 デルタ株に感染した患者からは、ワクチン接種の有無に関係なく、最初の5日間は多量のウイルスが検出される

≫ #2 しかしワクチン完了者は、体内のウイルスが減るのが速い。ウイルスが検出されなくなるまでの期間は、未接種だと2週間だが、完了者の場合は8~9日と短い

≫ #3 未接種者(平均年齢39.5歳)の重症化率(酸素の供給が必要になった率)は26.2%なのに対し、完了者(平均年齢56歳)はわずか2.8%だった(完了者の方が高齢であることに注意)

≫ #4 未接種者が無症状だった割合は9.2%なのに対し、完了者では28.2%

≫ ・Teo Yik Ying教授(シンガポール国立大Saw Swee Hock校公衆衛生学部長)によれば、全人口がワクチン接種を受けたとしてもコロナはゼロにはならない。しかし、基礎疾患がある人を除けばほとんどが軽症で済む。一方、ワクチン未接種者の割合が大きいと、基礎疾患がある人が未接種者などとの接触で感染する可能性が高まり、そして感染した場合には基礎疾患の悪化や後遺症が心配される。

≫ ・Dale Fisher教授(国立大学病院<NUH>の上級感染症コンサルタント )によれば、残りの少数のワクチン未接種者を「mop up(掃討)」するために、国家はあらゆることを行わねばならない

> シンガポールの研究が示しているのは「ワクチン接種により、感染してもウイルス量が早く減少し重症化を防げる」ということです。しかし「重症化や死亡をゼロにすることができない」ことは、前々回に紹介した米国のデータが物語っています。先日、新型コロナ感染で他界されたコリン・パウエル元米国務長官も、ワクチン接種は完了していたと報じられています。


> 「死に至る病」と「ただの風邪」の分かれ目

> ということは、新型コロナとは「高齢者や基礎疾患のある人」にとっては、ワクチンを受けても依然「死に至る病」、そうでない人にとっては「ただの風邪」となります。どこかで聞いたことのあるフレーズです。そう、コロナがはやりだしたときにこういったことがよく言われました。

> 日本でのコロナの歴史を振り返るとき、ターニングポイントは21年春のアルファ株の流行だったと私は考えています。このときに、若者も重症化することが誰の目にも明らかとなり、さらに大阪では医療逼迫(ひっぱく)が崩壊へと変わり、本来なら入院しなければならない患者が入院できなくなりました。それまでコロナ軽症論を唱えていた人たちも鳴りを潜めるようになりました。そして夏にはデルタ株が流行し、さらにコロナの恐ろしさをまざまざと見せつけられました。

> その後は急速に収束し、この理由としていろんなことが言われていますが、私自身は最大の理由はやはりワクチンの普及が大きいと考えています。ワクチンによって、コロナの脅威がアルファ株登場前の状態に戻ったのではないか、これが私の考えです。よって、コロナ対策はアルファ株が流行する前と同じようにすべきで「高齢者や基礎疾患がある人もいるかもしれない場所に行くときにはマスクや密の回避が依然必要」となります。

> 最後に上記「mop up」という表現について私見を述べておきます。この言葉は日常生活でも、例えば床にこぼした水を拭きとるときなどにも使いますが、文章でしばしば見かけるのは「敵や反乱軍を全滅させる」といったような文脈です。この表現を医学者がワクチン未接種者に対して使うことに私は違和感を覚えます。


> 谷口恭

> 太融寺町谷口医院院長

> たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。

<参考=「新型コロナ ワクチンで重症化を免れる人、心配な人」(毎日新聞、11月1日)>


NO.2600 <卑弥呼論争>統治は纒向<奈良・まきむく>、擁立は九州・吉備中心<?><起稿 シバケン>(21/10/20)


【シバケン】 2021/10/20 (Wed) 11:28

余程の発見なりが無い限り、真相は、永遠の謎<!>
よて、諸説、出て来るです。

<写真>
纒向遺跡で発掘された大型建物跡。卑弥呼の宮殿かと話題を集め、現地説明会には多くの歴史ファンが詰めかけた=奈良県桜井市、平成21年11月



>古代史最大の謎として江戸時代から続く邪馬台国(やまたいこく)の所在地論争。「女王・卑弥呼(ひみこ)は、北部九州や吉備(岡山)を中心とした勢力によって擁立され、奈良・纒向(まきむく)遺跡を首都として国を治めた」との説が打ち出された。有力候補地の纒向遺跡(奈良県桜井市)などを調査してきた寺沢薫・桜井市纒向学研究センター所長が、県内で行われた講演会で披露した。「卑弥呼は纒向にいたとしか考えられない」としながらも、西日本一帯の遺跡を幅広く研究した結果、九州勢力の関与を指摘。「畿内VS九州」という二者択一ではない、新たな見解に注目が集まる。(卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳の話題をあつめた「THE古墳」はこちら


>文献研究では限界も
>寺沢さんは講演会の冒頭、「かつて『考古学者は邪馬台国に足を突っ込むな。あれは文献の世界だ』と言われた」と振り返り、「文献では、江戸時代以来300年にわたって研究されても結論は出ていない。考古学的な視点が必要」と述べ、近畿や山陰、瀬戸内、九州各地の遺跡の状況を示しながら、考古学の立場から解説した。

>魏志倭人伝には、女王・卑弥呼が誕生した経緯や、中国との外交について年代も含めて詳細に記されている。

>記述によると、倭国では長年、各地の勢力が互いに争っていたが、2世紀末頃に卑弥呼を共立。卑弥呼は239年に中国の魏に使者を送り、銅鏡百枚などを下賜(かし)され、「親魏倭王」の称号と金印が授けられた。248年ごろに亡くなり、大きな塚(古墳)を造ったと記す。

>寺沢さんは「女子を共立した」との記述に着目し、「卑弥呼はヤマト(奈良)の勢力単独ではなく、北部九州の伊都(いと)国や吉備の勢力が中心となって話し合いで擁立した」と推測した。

>その根拠について、奈良の最古級の前方後円墳のルーツが吉備にあり、銅鏡を古墳に納める風習は北部九州の影響だと指摘。権力の象徴ともいえる前方後円墳に両地域の影響が強いのは、それだけ政権に深く関与した証しだと解説した。

>中国の後ろ盾を失った九州
また、倭人伝に「共立」と表現していることから、「戦争ではなく話し合いで決めたことで、倭国を治めることができた」と指摘する。

>その背景として、女王・卑弥呼誕生の直前にあたる2世紀後半の西日本の遺跡の状況をもとに説明。▽弥生時代に隆盛を誇った北部九州の伊都国は、中国・後漢王朝の衰退で後ろ盾をなくし、一強でなくなった▽それに伴い吉備や出雲、畿内などの勢力が台頭した-とし、各地で緊張状態にあったという。ただし、これらの遺跡からは、この時期に大規模な戦闘を示す痕跡は見つかっていないとし、各勢力が納得したうえで平和的に卑弥呼を擁立したと述べた。

<参考=「卑弥呼論争に一石 統治は纒向、擁立は九州・吉備中心」(産経新聞)>


【シバケン】 2021/10/27 (Wed) 16:26

副題=箸墓近くに「卑弥呼の宮殿」/邪馬台国は纒向か<?>

浪漫は果てし無く。

<図1>
研究者も興奮 纒向遺跡の発掘50年


<クリックで拡大>

<写真2>
卑弥呼の宮殿かと話題を集めた纏向遺跡の大型建物跡。黄色いポールは柱の跡=平成21年11月、奈良県桜井市



<写真3>
「卑弥呼の宮殿か」と話題を集めた大型建物跡などの復元模型。東西に方位を合わせて建てられていた(桜井市教委提供)



<写真4>
纒向遺跡から出土した桃の種。手前は実がついた状態のもの=平成22年、奈良県桜井市



<図5>
地図



>邪馬台国(やまたいこく)の時代にあたる3世紀後半に築造された箸墓古墳(奈良県桜井市、墳丘長約280メートル)。当時としては最大規模の前方後円墳で、この被葬者が倭国(日本列島)を統治した「大王」とされる。この大王の都が、すぐ北側に広がる纒向(まきむく)遺跡(同市)で、邪馬台国の有力候補地。平成21年に見つかった大型建物跡は「卑弥呼の宮殿か」と話題を集め、畿内説が勢いづいた。昭和46年に始まった同遺跡の発掘は今年でちょうど50年。長年の調査の蓄積が、古代史最大の謎解明へカギを握る。


>東京のような大都市だった
>46年当初から調査を担当したのが、同県立橿原考古学研究所元副所長の石野博信さん(87)。現場で着目したのが、大量に見つかったつぼや甕(かめ)など煮炊きや貯蔵用の日常の土器だった。一見すると同じような形だが、装飾などが奈良県内のものと少しずつ違っていた。

>通常の集落遺跡では地元の土器が大半を占めるが、纒向遺跡では、東海や山陰、瀬戸内、九州などの特徴をもつ土器が15%ほどに上ることが分かった。いずれも3世紀を中心とした土器で、邪馬台国の時代と重なった。

>「土器だけが勝手に纒向に来るはずがない」と石野さん。さまざまな地域の人々が日常生活で使う土器を携えてやってきて、何世代にもわたってここで暮らした証しだという。

>「まるで何かの力に引き寄せられるように、たくさんの人が纒向の地に集まってきた。現在の東京のような都市ではないか」と推測。土器の丹念な分析から、「倭国の首都」ともいわれる纒向遺跡の特異性をあぶり出した。


>「邪馬台国畿内説」最大の弱点
>同遺跡ではその後も、祭祀(さいし)用の木製の仮面など全国初といわれる発掘が相次いだが、石野さんは邪馬台国と結びつけるのには慎重だった。「講演会で話をすると、『纒向遺跡は邪馬台国なんですか』と聞かれることがよくあった。でも、纏向とまでは言えなかった」という。「やっぱり魏志倭人伝に書かれたような宮殿跡が見つからないと」

>魏志倭人伝には、卑弥呼の宮殿について、「宮室は、楼閣や城柵を厳かに設け」と詳細に記されていたが、纒向遺跡ではいっさい見つかっていなかったからだ。

>邪馬台国九州説の研究者はこの点を真っ先に指摘し、畿内説を否定。「纒向遺跡が邪馬台国といえない以上、箸墓古墳の被葬者は卑弥呼であるはずがない」

>九州説の有力な遺跡としては、平成元年に大型建物や楼閣、大規模な環濠や柵の跡などが発掘された佐賀県吉野ケ里町の吉野ケ里遺跡が筆頭格だ。


>「纒向=邪馬台国」説にとって、大型建物跡の未発見が最大の弱点だった。


>ここに卑弥呼がいた
>しかし平成21年、ついに大型建物跡が見つかった。箸墓古墳から約700メートル北で、3世紀前半の大型建物跡など3棟が並んだ状態で確認された。卑弥呼は2世紀末に女王となり、248年ごろ死去したとされ、時期もぴったり。大型建物跡は南北19メートル、東西12メートルで、吉野ケ里遺跡の大型建物跡より一回り大きいことも、纒向説を勢いづけた。

>「卑弥呼は、この宮殿にいたといっていい」。石野さんはこのとき初めて、纒向遺跡と邪馬台国を結び付けることに確信をもったという。

>さらに研究者を驚かせたのが、大型建物跡などが東西方向に一直線に並んでいたことだった。これまで方位をそろえた大型建物群は、飛鳥時代(7世紀)以前にはほとんど確認されていなかった。

>方位を正確に知るには、太陽や星の位置を測定する天文の知識が欠かせない。天文学は中国からもたらされ、纒向の人々は中国から最先端の知識や技術を取り入れて宮殿を築いたことが明らかになった。


>巾着の発見「中に金印は…」
>邪馬台国論争の決定的な物証は、卑弥呼が中国皇帝から授かったという金印の発見だ。魏志倭人伝によると、卑弥呼は239年に中国に使者を送り、親魏倭王」の称号と王の象徴である金印を授かったという。

>この金印をめぐって、石野さんが一度だけ色めきだったことがある。平成3年、ひもで口を縛った3~4センチ大の絹の袋「巾着(きんちゃく)」が見つかった。


>「角張ったもんは入ってないか」

>思わず調査担当者に尋ねた。「金印の入った袋ではないかと」。しかし手に取ると柔らかく、X線撮影をしても金属製品は確認されなかった。中身は今も謎のままだ。


>シルクロードの香り
>同遺跡ではその後、約2700個もの桃の種、現在では香辛料に使われるバジル、染料のベニバナの花粉などが出土した。

>バジルは薬などに使われたとみられ、花粉の形状から東南アジア産と推定。ベニバナはエジプトではミイラを巻いた布、中国では衣服の染料として使われたという。

>桃は、古代中国で神聖な果物として珍重され、大量の桃の種の出土から、宮殿一帯に桃の木が植えられた可能性が浮上。神や仙人が暮らす神聖な地「桃源郷」を思わせる宮殿だったことが、発掘で浮かび上がった。

>寺沢薫・桜井市纒向学研究センター所長(70)は「バジルやベニバナなど、もとは西域にあったものがシルクロードを通じて中国大陸に伝わり、海を越えて纒向にもたらされた。日本列島にとどまらず、世界的なスケールをもつ遺跡だ」と強調。「今から1800年近く前、すでに卑弥呼の政権は纒向の地を都とし、積極的に中国王朝と外交し、文物を取り入れた」と話した。(小畑三秋)

>纒向遺跡 日本書紀などで神の宿る山とされる三輪山(みわやま)の麓に、東西2キロ、南北1・5キロの範囲に広がる。3世紀に突然出現し、4世紀初めまで大規模な都市だったとされる。これまで200回を超える発掘が行われたが、小規模な調査が多く、まだ全体の数%にとどまる。

<参考=「箸墓近くに「卑弥呼の宮殿」邪馬台国は纒向か」(産経新聞)>


【シバケン】 2021/12/01 (Wed) 23:11

副題=邪馬台国は、高槻<??>

卑弥呼が高槻に現れた<??>

イヤイヤ、卑弥呼をテーマにしたコスプレコンテストが開かれたです。

<写真>
卑弥呼コスプレグランプリで準グランプリに輝いたJUNJUNさん(右)とゆうかさん。テーマは「太陽の巫女」と「太陽信仰の象徴・卑弥呼」=大阪府高槻市



>日本古代史上、最も馴染み深く、また多くの謎に包まれている邪馬台国(やまたいこく)と女王の卑弥呼(ひみこ)。所在地をめぐる論争が続くなか、大阪府高槻市で卑弥呼をテーマにしたコスプレコンテストが開かれた。製作約1カ月の手作り衣装から百円均一店でそろえたリーズナブルな衣装まで、さまざま卑弥呼が登場。初開催ながら意外な盛り上がりをみせた。それにしてもなぜ高槻市で卑弥呼? 実は邪馬台国との深いつながりがあった。

>個性あふれる卑弥呼
>コスプレグランプリは11月14日、市内の安満(あま)遺跡公園で開かれた「第9回安満遺跡青銅祭」のメインイベント。年齢、性別不問で、条件は卑弥呼をイメージしたコスプレということのみ。高槻青年会議所の元メンバーを中心に立ち上げた同祭実行委員会によると、約30組のエントリーがあり約15組が参加した。

>1万人が詰めかけた青銅祭会場は検温、消毒など新型コロナウイルスの感染対策を実施。さまざまな卑弥呼たちが勢ぞろいした。

>コスプレーヤーのJUNJUNさんは、赤と白の衣装にきらびやかな装身具をつけて参加。「太陽のシャーマン(呪術師)というイメージから、赤を基調にしたキャラクターを考えました」。コスプレの製作には約1カ月かけたという。
<以下、有料記事>

<参考=「邪馬台国は高槻に卑弥呼現れたコスプレコンテストのワケは」(産経新聞)>


【シバケン】 2021/12/29 (Wed) 20:02

副題=箸墓古墳、皇位を争った「壬申の乱」の戦場だった」(産経新聞)


<図1>



<写真2>
箸墓古墳(左)の北東側で古代の上ツ道跡が初めて見つかった発掘現場(右下)。写真の左から右へ延びるのが現代の上ツ道(桜井市教委提供)



<地図3>



<測量図4>
箸墓古墳の航空レーザー測量図。後円部と前方部の継ぎ目に切断されたような痕跡が写る。かつては道として使われたという(奈良県立橿原考古学研究所とアジア航測提供)




>邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓のイメージが強い箸墓古墳(3世紀後半)が、400年後の飛鳥時代、古代史最大の内乱「壬申(じんしん)の乱」(672年)の主戦場として登場する。日本書紀に記された「箸陵(はしのみささぎ)の戦い」だ。天智天皇の子・大友皇子率いる近江朝廷軍を、天皇の弟・大海人(おおあま)皇子(後の天武天皇)軍が、古墳一帯で迎え撃ち、大海人軍勝利へ一気に流れをつくった。卑弥呼のロマンは、天皇家同士が皇位をめぐって争った歴史舞台でもあった。


>日本書紀が記した「箸陵の戦い」
>壬申の乱は、大津京(大津市)に都を置いた天智天皇の死後、弟の大海人皇子が奈良・吉野で6月に挙兵。おいにあたる大友皇子と約1カ月にわたって戦乱を繰り広げ、大友皇子は自害。大海人皇子が673年、天武天皇として奈良・飛鳥(明日香村)で即位した。


>箸陵の戦いがあったのは7月初旬。大海人側の将軍、大伴吹負(おおとものふけい)が拠点の飛鳥防衛のため、奈良盆地を南北に貫く3つの幹線道路「上(かみ)ツ道」「中(なか)ツ道」「下(しも)ツ道」に軍を配置。北方からの近江側に備えた。上ツ道は箸墓古墳のすぐ東側を通っており、日本書紀は「大海人軍は箸陵のほとりで戦い、大いに近江軍を破った。それ以降、近江軍は来なかった」と記す。

>「壬申の乱における大和(奈良)での最後の戦場が箸墓だった」と指摘するのは、飛鳥時代に詳しい猪熊兼勝・京都橘大名誉教授。箸墓古墳一帯が主戦場になった理由について「箸墓は上ツ道沿いにあり、ここを突破されたら飛鳥に一気に攻め込まれる重要な拠点だった」と話す。

>さらに、高さ26メートルの箸墓古墳からは奈良盆地が一望できる。「大海人側はあらかじめここに見張りを立て、はるか北を見ると近江軍が迫ってきた。すぐさま戦闘態勢を敷き、古墳に隠れながら弓矢を放つなど熾烈(しれつ)な戦いを繰り広げたことだろう」と思いをめぐらせた。


>初めて発掘された「上ツ道」
>上ツ道は、現在も奈良盆地東部を南北に延びる道路として使われている。車1台が通れるような幅しかないが、地域住民にとっては欠かせない生活道路。ただし、日本書紀にも記されながら、いつ整備されたのかは定かでない。

>平成17年、上ツ道の解明につながる発掘調査が奈良県桜井市教委によって行われた。目的は、箸墓古墳の周濠(しゅうごう)などがどこまで広がっているかを確認するためだったが、上ツ道や箸陵の戦いに関わる成果も期待された。

>墳丘の北東側に広がる水田を発掘すると、厚さ約40センチの盛り土が南北に延びているのが確認され、片側が溝のように落ち込んでいた。「盛り土は路面、落ち込みは道路側溝だろう」と担当者。そして、すぐ横には現代の上ツ道が走っている。「上ツ道とみて間違いない」。出土した土器などから、道路は6世紀末~7世紀には整備されたことが分かり、壬申の乱の時代と重なった。

>上ツ道に関わる発見は初めてとあって、現場は色めき立った。「さすがに戦闘の痕跡は見つからなかったが」と市教委の橋本輝彦・文化財課長は振り返る。


>近江軍、古墳に苦戦
>箸陵の戦いについて日本書紀は「大海人側に追われた近江側の将軍・廬井造鯨(いおいのみやつこくじら)は白馬に乗って逃げたが、馬は深田にはまって進めなかった」と記す。

>猪熊さんはこの記述に着目する。「箸墓の北には今も大きなため池があり、古墳築造当時は底の浅い周濠があった。『深田』は、沼地のようになっていた周濠一帯のことだろう」とし、「日本書紀は、当時の古墳周辺の状況もきちんと書いている」と話す。

>「卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳。考古学者にとって夢があり、象徴的な古墳が、壬申の乱の舞台になるとは。歴史の面白さを感じる」


>纒向の王は馬に乗った
>上ツ道をめぐっては、市教委の調査で興味深い発見があった。

>平成10年、上ツ道跡が見つかったわずか約200メートル南から、馬具のひとつ、木製の「あぶみ」が出土した。馬に乗るときに足をかけるもので、一緒に見つかった土器から箸墓古墳の築造より数十年新しい4世紀初めと判明した。

>残念ながら被葬者と直接関係はなかったが、あぶみの発見は考古学者を驚かせた。日本での乗馬の風習は従来、4世紀末に大陸からもたらされたとされる。4世紀初めとなると、定説を覆す画期的な発見になるからだ。

>しかし調査をした橋本さんは、「あくまで例外中の例外」とみる。魏志倭人伝によると、卑弥呼や後継の女王、臺与(とよ)は中国に朝貢してさまざまな品を贈られたという。「木製のあぶみは、中国から倭国の王に対して贈られた馬に装着されたものでは」という。

>箸墓古墳の北には、邪馬台国の有力候補とされる纒向(まきむく)遺跡があり、卑弥呼がいた3世紀から4世紀初めまで栄えた。「纒向にいた王が、宮殿から馬に乗って走ってきたのだろう。中国から特別に手に入れた馬を愛用したようだ」と推測。とはいえ、乗馬はあくまでこの王に限られたもので、日本に本格的に導入されるのは4世紀末に変わりはないとみている。

>あぶみの状況から、「王」の人物像もうかがえるという。革ひもを通す穴に摩滅した跡が確認された。革ひもによってすり減ったとみられ、「かなり乗りこなしたに違いない」とする。纒向の王がさっそうと馬に乗って駆け抜けた道。「これがのちに整備されて、上ツ道になったのかもしれない」と語った。


>古墳は住民の近道だった
>古代から道路として使われた箸墓古墳周辺。現在は周囲がフェンスで囲まれているが、戦後しばらくまで墳丘の中まで入ることができたという。

>24年の県立橿原考古学研究所と航空測量会社「アジア航測」の航空レーザー測量で、後円部と前方部の接続部分「くびれ部」を真っ二つにするような深い溝が写っていた。

>「この溝は地域の人たちの通り道の痕跡だ」と橋本さん。古墳周辺で発掘していると、地元のお年寄りから「子供の頃には古墳の中を近道にして通っていたもんだ。たきぎも拾っていたんですよ」としばしば聞いたという。「生活の跡が測量図にはっきり残っているとは」

>箸墓古墳にまつわる道は、時代を超えてさまざまな形で人々をつないでいる。

>(小畑三秋)

<参考=「THE古墳 箸墓古墳、皇位を争った「壬申の乱」の戦場だった」(産経新聞)>


NO.2601 <マウス研究>長生きの鍵はカロリー摂取量より空腹の時間<!><起稿 シバケン>(21/10/20)


【シバケン】 2021/10/20 (Wed) 18:13

<マウスの平均寿命>
オス=870日
メス=783日

下記の調査対象の、雌雄わからんですが。
カロリーと、給餌回数を減らしたマウスでは、生存期間約半年延びた<!>

>餌の量を減らすだけでなく、与える回数を減らすことで、マウスの健康を向上させ、生存期間を延ばす効果がみられたとする研究論文が18日、発表された。

>科学誌「ネイチャー・メタボリズム(Nature Metabolism)」に掲載された論文によると、1日当たりの摂取カロリーと給餌回数を変えた結果、カロリーと回数を減らしたマウスは、通常通りに餌を与えたマウスよりも、生存期間が約半年延びた。

>給餌が1日に1回だけのマウスには優れた代謝適応も見られた。

>米ウィスコンシン大学(University of Wisconsin)のダドリー・ラミング(Dudley Lamming)氏率いる研究チームは、マウスを複数のグループに分けて研究を行った。それぞれのグループに異なる量と回数の餌を与え、通常の餌を無制限で食べることができた対照群と比較した。

>このうちの二つのグループは、1日当たりの摂取カロリーが通常よりも30%低くなるよう餌の調整が行われた。片方のグループには低カロリーの餌が与えられ、終日好きなだけ食べることができた。もう一方のグループは、通常カロリーの餌を食べることができたが、給餌回数は1日1回に限定され、空腹の時間が21時間設けられた。

>研究によると、21時間の空腹を強いられたマウスは、対照群のマウスと比べて、約半年長く生きた。

>一方、低カロリーの餌を終日食べられたマウスは、対照群のマウスよりも若干短命だった。摂取カロリーを抑えたにもかかわらずだ。

>ラミング氏は、カロリー制限の効果を得るには、空腹の時間を設けることが重要だと言う。

>さらに別のグループには、対照群のマウスと同量の餌を3時間で食べさせ、その後1日の空腹期間を設けた。

>摂取カロリーを減らさず空腹の期間を設けたこのグループは、摂取カロリーを抑えつつ空腹時間を設けたグループと同程度の健康効果が示された。ただ、生存期間については比較できていない。

>ラミング氏は「(両グループとも)血糖値の調整と代謝適応に優れていた」と説明する。

>人の場合はどうだろうか。ラミング氏は、人が食べ物の摂取を1日のうち4~8時間の枠内に制限することについて、短期的な研究では「一定の効果があるように思える」とした。ただ、長期的な影響についてはまだよく分かっていないとしている。【翻訳編集】

<参考=「長生きの鍵はカロリー摂取量より空腹の時間、マウス研究」(AFP)>


NO.2602 Facebook、近く社名変更か 仮想空間に注力<起稿 磯津千由紀>(21/10/20)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/20 (Wed) 20:47

 こんばんは。


 大学生の交流サイトから始まったFacebookですが、IT巨大企業の一部門になった今、社名を変更するといいます。


> 米ネットメディア「バージ」は19日、米交流サイト大手フェイスブック(FB)が社名変更を検討していると報じた。情報筋の話として伝えた。来週にも発表される予定という。FBは仮想現実空間「メタバース」の開発に力を入れる方針を示しており、事業拡大を反映したものだとしている。

> ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)が今月28日に予定されている同社のイベントで明らかにする見込みだが、発表が早まるかもしれないという。仮想会議室の「ホライゾン・ワークルーム」を公開しており、新たな社名も「ホライゾン」に関係したものになる可能性がある。

> FBは今後、同社が運営する写真共有アプリ「インスタグラム」などと持ち株会社の傘下に置かれる見通し。

> FBはバージに対してコメントを拒否した。

> 米IT大手では、グーグルが2015年に持ち株会社「アルファベット」を設立している。(共同)


<参考=「フェイスブック、社名変更近く発表か 仮想空間の事業拡大で」(毎日新聞有料記事、10月20日)>
<消滅・22/10/22>


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/29 (Fri) 15:36

副題=Facebook、社名を「メタ」に変更 仮想空間に注力(日本經濟新聞、10月29日)

 こんにちは。


 新社名は、「ホライゾン」がらみではなく「メタバース」がらみでした。


> 【シリコンバレー=奥平和行】米フェイスブックは28日、同日付で社名を「Meta(メタ)」に変更したと発表した。2004年に発足した同社はSNS(交流サイト)を軸に成長してグループ全体の利用者が36億人に迫るが、企業体質や管理体制への批判が高まっている。社名変更によってイメージを刷新し、仮想現実(VR)などの成長領域に注力する。


> 「メタバース」構築へ1.1兆円

> 同日に開いた開発者会議でマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)が説明した。事業がSNSに加えて画像共有アプリや「メタバース」と呼ぶ仮想空間の構築に広がっていると指摘し、「当社の事業のすべてを包含する社名が必要になっている」と述べた。フェイスブックはSNSの名称として利用を継続する。

> 新たな社名のもと、メタバースの構築に注力する。VRや拡張現実(AR)などの技術を組み合わせて仮想空間で遊んだり交流したりできる基盤を作り、関連サービスを拡充したい考えだ。ザッカーバーグ氏は今年7月、「数年内に当社はSNSの企業からメタバースの企業へ変わる」と説明していた。

> 25日には決算の開示方法を変更し、21年10~12月期からSNSなどの既存事業を主体とする「ファミリー・オブ・アップス」と、メタバース事業を含む「フェイスブック・リアリティー・ラボ」に分けて売上高と営業利益を公表すると発表していた。また、21年12月期に同事業に約100億ドル(約1兆1000億円)を投じ、さらに増やしていく考えも示している。

> 登記上の正式社名は「メタ・プラットフォームズ」とする一方、対外的にはメタの名称を使用するとしている。日本の証券コードに相当するチッカーシンボルは12月1日に、現在の「FB」から「MVRS」に変更する。社名変更の発表を受け、同社の株価は一時、前日比約4%上昇した。

> フェイスブックは04年に米ハーバード大学に在学中だったザッカーバーグ氏らが立ち上げ、世界最大のSNSへと成長した。12年には画像共有アプリ「インスタグラム」、14年には対話アプリ「ワッツアップ」の運営会社をそれぞれ買収し、VR端末の開発会社も傘下に収めている。

> 高まる批判、社名変更でイメージ刷新

> 収益面ではSNSの利用履歴をもとに一人ひとりの趣味や好みを把握し、最適な広告を配信する事業を拡大させた。世界の企業は効率的な広告配信の仕組みを評価し、同社の売上高は20年12月期に859億ドルまで拡大。インターネット広告で米グーグルに次ぐ世界シェアを確保した。

> 米シリコンバレーの成功物語として称賛を浴びる一方、詳細な個人情報に依存する事業モデルはプライバシー重視の流れの中でたびたび批判を浴びてきた。特に16年の米大統領選で同社が集めた大量の個人情報が不正使用されたケンブリッジ・アナリティカ事件が発覚すると、米国を中心に社会的な反発が強まった経緯がある。

> 足元では13歳未満を対象としたインスタグラムを開発する構想が表面化し、米国で消費者保護団体などの反発を招いた。また、9月半ばからは元社員が持ち出した大量の社内文書を元に米メディアが同社の企業体質や管理体制の不備を相次いで報じ、社内外で批判が高まっていた。

> 米国では消費者に加えて社員が社会的な問題に対する企業の姿勢を重視するようになっており、人権問題の軽視なども報じられてきたフェイスブックは企業イメージの刷新が急務だとの指摘も出ていた。ただ、社名変更後もザッカーバーグ氏が議決権の過半を握り、会長とCEOを兼務する体制が続く。企業統治に問題があるといった批判が続く可能性がある。

<参考=「Facebook、社名を「メタ」に変更 仮想空間に注力」(日本經濟新聞、10月29日)>


NO.2603 <鳥取米子のチンチン電車>京都のは、昭和36年<1961年>に消えたです。<起稿 シバケン>(21/10/21)


【シバケン】 2021/10/21 (Thu) 11:50

対して、米子のは、昭和42年<1967年>まで、稼働故、長かった。
とも、言えるです。

京都のに、したって、我々世代なら、鮮明に覚えてるですが、その内には、なと。
当方、高校1年、入学式直前、廃止に成ったです。

我が母校、堀川高校の真ん前に、走ってまして。チンチン電車が。その線路を歩いて、登校したを覚えてるです。
イヤイヤ、電車に乗るの程の、通学距離で無く。歩いて、7分。

単に、真ん前にチンチン電車が走ってまして、駅もあったです。多分なら、「京都市立堀川高等学校前」かと。

尚、京都のチンチン電車は、<写真1>に似てるです。


<写真1>
大山を背景に田園地帯を走る法勝寺電車=「法勝寺電車の記録 さよならチンチン電車」(撮影 祖田定一)から



<写真2>
1887年に英国で製造された、現存する日本最古の4輪木製3等客車。法勝寺電車として走った=鳥取県米子市の元町パティオ広場



<図3>
法勝寺電車路線図



>鉄道の電化が全路線の2割程度にとどまっている鳥取県で、大正時代から昭和40年代まで運行された「チンチン電車」があった。米子市から南部町まで約12キロを結んだ通称「法勝寺(ほっしょうじ)電車」。一時期は隣の島根県に通じる支線も存在した。時の経過とともに歴史に埋もれていくが、同市内には明治時代に英国で製造された日本最古の客車が残る。平成23年には信号や行き先表示板などの鉄道資料とともに県保護文化財に指定。節目から10年を記念して、同市内で企画展が開催され、往時の記憶を伝えている。

>当初は蒸気鉄道で計画
>「大正11(1922)年に法勝寺軽便鉄道として計画された当時は蒸気鉄道の予定だったが、その後、電車に変更された」

>企画展を開催している米子市立山陰歴史館の学芸員、笹尾庸嵩(ようこう)さんは語る。計画変更の理由は分かっていないが、米子市文化振興課の専門官、中原斉(ひとし)さんは、当時、同県西部を流れる日野川沿いで近代的な水力発電所の開設が相次いでいたことを指摘し、「電力確保ができるということで、最先端の電車に変更したのかもしれない」と推測する。

>当時、鳥取県西部の鉄道は日本海に沿って走る山陰線と、山陽とつながる伯備線の一部があり、国鉄が運行していた。法勝寺電車は、米子市からまっすぐ南下する路線。沿線は田園地帯で、明治時代末から乗合自動車が運行されていたという。中原さんは「中世には法勝寺に城があり、戦国時代までは米子よりも法勝寺のあたりが鳥取県西部の中心だった」と歴史を振り返る。

>駅は米子市駅を始点に法勝寺駅まで11駅。沿線には大国主命が兄神たちにだまされて死に至り、その後よみがえった再生の地とされる赤猪岩神社がある。駅名には、「大袋」「天津(あまつ)」「大国(おおくに)」といった神話を連想させる名前もある。南部町教委人権・社会教育課長補佐の大塚幸(みゆき)さんは「大国は旧村名で、地名の由来は分からない」とするが、電車のルートは大国主命とのかかわりをうかがわせる。

>車社会到来で廃線
>法勝寺鉄道(電車)は大正13年7月に始発の米子市(町)-大袋間5・6キロが開業し、翌月には大袋から終点の法勝寺間6・8キロでも営業がスタートした。さらにその6年後の昭和5年には阿賀-母里(もり)間5・5キロの支線が開業した。しかし、この支線は戦時中の同19年に「不要不急路線」とされ、線路が撤去された。

>経営はめまぐるしく変わっており、開業当初の法勝寺鉄道から翌大正14年には伯陽電鉄に社名変更。伯は「伯耆(ほうき)」、陽は「山陽」を表し、現在の鳥取県西部と岡山県を結ぶ計画だったという説と、陽は旧国名につける美称で州の意味という2説がある。

>戦時中には同電鉄が合併し山陰中央鉄道に。さらに昭和28年には、鳥取県内でバス事業を営む日ノ丸自動車が同鉄道を吸収合併し、同社の鉄道部(電車部)として再スタートした。7年後の同35年当時の電車部の事業実績をみると、米子市-法勝寺間を1日9往復し、年間輸送客は約100万人。従業員は43人で、旅客車両9両、貨車2両だった。高度経済成長さなかの同42年まで運行されたが、車社会の進展で輸送客数が減り廃線へと追い込まれた。

>国内最古の木製客車展示
>青と薄いピンク色のツートンに白いラインの木製客車。米子市元町通り商店街の元町パティオ広場に展示され、その説明板には「日本国内に現存する最古の四輪木製三等客車」とある。1887(明治20)年に英国バーミンガムで製造され、関西鉄道(現JR関西線など)開業時に輸入。出雲鉄道(島根県、現一畑電車)を経て昭和16年に伯陽電鉄で使用されるようになった。

>また、法勝寺駅があった南部町の複合施設「キナルなんぶ」には、大正11年に製造された国産木製電動客車が展示されている。東京の池上電気鉄道(現東急池上線)を経て昭和6(1931)年に伯陽電鉄に譲渡された。

>「鳥取では列車のことを『汽車』と呼ぶ。都会で暮らしたことのある人なら『電車』を『汽車』といって恥ずかしい思いをしたことが少なくないと思う。その鳥取に最古の電車の客車があったとは」。県東部在住の40代の公務員の男性は、驚いた様子でこう話した。

>「『チンチン電車』と呼んで、親しまれた地方鉄道」。鳥取県のホームページでは、法勝寺電車をこう紹介している。電車といえば都市を走るイメージがあるが、大山が近く冬場は雪が降る法勝寺電車沿線では、線路が積雪でふさがれることもあった。

>法勝寺電車は平成23年、米子市と南部町に展示されている客車と電動客車をはじめ、ハンドルや行き先表示板などが鳥取県保護文化財(歴史資料)に指定された。笹尾さんは「指定から10年。電車の歴史を知ってほしかった」と話している。企画展は今月31日まで。(松田則章)

<参考=「歴史に埋もれた山陰のチンチン電車」(産経新聞)>