みんながパソコン大王
雑談<NO.282>

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総 合 目 録 趣意書

表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
雑談NO.283
2624 ≪新形コロナ≫8割おじさん(西浦教授)に聞くコロナの今後 磯津千由紀 21/11/03
2623 えッ“4WD”じゃない!? スバルの“AWD”は何が違うのか? 磯津千由紀 21/11/02
2622 脱「見て覚えろ」で離職率が劇的に減った左官店 磯津千由紀 21/11/02
2621 ウルトラマン、3分間の活躍積み重ね55年 平たんではなかった舞台裏 磯津千由紀 21/10/31
2620 「柘榴」の写真 磯津千由紀 21/10/30
雑談NO.281

NO.2620 「柘榴」の写真<起稿 磯津千由紀>(21/10/30)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/30 (Sat) 22:14

 こんばんは。


 令和3年10月6日に撮影、高級コンパクトデジタルカメラ「パナソニックDMC-TX1」、絞り開放、AE、露出補正なし。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/12 (Fri) 20:59

副題=「山芋擂り」の写真

 こんばんは。


 令和3年10月6日に撮影、高級コンパクトデジタルカメラ「パナソニックDMC-TX1」、カメラ内蔵フラッシュ発光、プログラムAE、露出補正なし。
 令和3年11月12日の全日本写真連盟掛川支部の例会で、「柘榴」を差し置いて、第2席に入選。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2022/11/22 (Tue) 16:09

副題=令和4年の文化展

 こんにちは。


 今日明日と、掛川市文化協会掛川支部の文化展。
 私は疾病で暫く出展してなかったので、「山芋擂り」と「柘榴」を出品した。
 昨日14時から設営だった。明日15時より撤収の予定。


NO.2621 ウルトラマン、3分間の活躍積み重ね55年 平たんではなかった舞台裏<起稿 磯津千由紀>(21/10/31)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/10/31 (Sun) 08:17

 おはようございます。


 半世紀以上前に、「ウルトラQ」に、常設の巨人ヒーローが登場したのは画期的でした。
 只、平坦でなかった歴史を振り返るなら、封印された「ウルトラセブン」の「ひばく星人」のエピソードをめぐる話を抜きにしてはならぬと思います。


> 世代を超えた国民的ヒーロー、ウルトラマン。地球での活躍は「3分間」のはずだが、初登場から55年となってなお盛ん。2013年には「最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組」としてギネス世界記録に認定され、現在も最新作「ウルトラマントリガー」(テレビ東京系)が放送中だ。庵野秀明企画・脚本、樋口真嗣監督の映画「シン・ウルトラマン」も公開が控えている。舞台裏では“大人の事情”に翻弄(ほんろう)されながらも、半世紀以上も正義の味方として君臨し続ける光の巨人。強さの秘密はどこに?【勝田友巳/学芸部】


> 「美しい」顔の秘密

> 1966年7月、6歳で初めてウルトラマンを目にした衝撃を、円谷プロ製作部のチーフクリエーター、品田冬樹さん(61)は鮮明に覚えている。

> 「ヒーローといえば、米国のスーパーマンのように等身大でスーツにマント。巨大な宇宙人は画期的で、最初は怖かった」。怪獣好きが高じてウルトラマンや怪獣の造形に携わるようになり、現代美術家でもあった成田亨のデザインの繊細さを知る。

> 「瞳が大きく鼻がない顔に、人間らしさもある。こめかみにあたる部分や頰の膨らみが特徴的な曲線なんです。目はただの卵形ではなくて、りりしくもあり怖いようでもある。実に美しい」。続くウルトラセブンは顔つきも体もまったく違うが、共通するものも感じさせる。「マンの単純化に対し、セブンは複雑化。二つが後のシリーズのデザインの土台となった」と品田さん。「企業秘密」という、ウルトラマンデザインの“ツボ”は、現在も脈々と受け継がれている。

> バルタン星人やレッドキングといったスター怪獣も、ほとんどが初期シリーズの登場だ。「怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち」の著書もある批評家の切通理作さん(57)は「怪獣映画で年に1、2匹出てくるだけだった怪獣が、毎週惜しげもなく登場した。図鑑にまでなって、子供たちは名前や特徴や、体長や体重まで覚え、知識を競いあった。学ぶべきもののようになったんです」。怪獣文化ともいうべき体系が生まれ、今も生き続ける。


> 戦争と高度成長がつむいだ物語

> そして、勧善懲悪に収まらない物語。沖縄出身の金城哲夫や上原正三らが、怪獣とウルトラマンの対決に、米軍基地や環境問題といった大人の社会を重ね合わせる脚本を書いた。

> 「怪獣は地球にとって邪魔になるから、ウルトラマンは倒さざるを得ない。でもそれは人間社会の都合で、怪獣は犠牲者とも言える」と切通さん。第35話では、ウルトラマンは地球に落ちてきたシーボーズを怪獣墓場に返そうとする。悪を「退治する」というより、人間の都合で「駆除」してきたといえばいいか。

> 切通さんは「成長して一旦はウルトラマンを卒業しても、再放送やDVD化などで見直すたびに、新たな発見があって戻ってくる。自分もそうだった。子ども時代、思春期、親世代になってからと、年齢ごとに違った観点から見ることができる。半世紀前の作品だけれど古びない」。戦争の記憶と高度経済成長の高揚感がないまぜとなった60年代、勃興期にあったテレビに新しい映像作りを夢みて才能が集まった。

> ウルトラマンを見て大人になった作り手が、思いを込めて新たなシリーズを生み出す。第1世代は還暦に差し掛かり、3世代が共通体験としてウルトラマンを語れるようになっている。


> ブームに左右された半世紀

> しかし、その舞台裏は決して平たんではなかった。

> 「ウルトラマン」は平均視聴率36・8%、「セブン」は26・5%と高い人気を得たが、巨額の制作費が足かせとなり、怪獣ブームが去るとシリーズは休止。80年の「ウルトラマン80」を最後にシリーズは15年半の空白期に入る。生誕30周年の96年「ウルトラマンティガ」で再開してから断続的に制作は続くが、往時の勢いには及ばない。

> この間円谷プロも、曲折を経た。戦前から映画界で活躍した円谷英二が、63年に特撮を担当する制作会社として設立した円谷プロは、技術は一流でも会社の規模は小さく、キャラクターの版権ビジネスも怪獣ブームに左右された。一族の間での争いもあって経営権は転々とし、海外での利用権をめぐってタイ、中国、米国で訴訟を抱えた。

> パチンコ機器メーカー、フィールズの子会社となってから、放送局をテレビ東京系に移してシリーズが再始動。13年の「ウルトラマンギンガ」から最新作「トリガー」まで途切れず続くが、土曜朝の放送で視聴率は1%台と、高いとは言いがたい。視聴環境も激変し、お茶の間のテレビを家族で囲んだ初期の時代から、個室で1人で見るようになり、今やタブレット。趣味や嗜好(しこう)は細分化して、国民的ヒーローの生まれにくい時代だ。

> 切通さんは「映画『シン・ウルトラマン』が今後を占うのでは」と見る。「シン・ゴジラ」を大ヒットさせた庵野・樋口コンビが、成田亨が描いたウルトラマンの映像化を試みる。徹底した情報管理で、内容はおろか公開時期も「調整中」だが、「ウルトラマンへの関心を失った人たち、知らない人たちを振り向かせて、ファン層を広げられるか。一般的ブームを起こしてほしい」。願いは届くか。


> 円谷プロの「ブランドと志」

> 円谷プロは、ウルトラマンの「フランチャイズ化」を進める。動画配信サービスの「TSUBURAYA IMAGINATION」(https://imagination.m-78.jp/)では、シリーズのエピソードなどを見放題で配信するほか、関連イベント情報や制作秘話などを提供。20年以上に及ぶ海外利用権関連の訴訟は18年4月に米国で勝訴し、世界展開を推し進めている。米でのコミック展開や、ネットフリックスとオリジナルアニメ制作も決まっている。製作本部エグゼクティブマネージャーの隠田雅浩さん(53)は、「円谷プロのブランドを生かし、テレビだけでなく、舞台や書物、ネットドラマなど多様な楽しみ方を提供したい。初代ウルトラマンを作った先人の世界観、志を受け継ぎたい」と話す。


<参考=「ウルトラマン、3分間の活躍積み重ね55年 平たんではなかった舞台裏」(毎日新聞有料記事、10月30日)>


NO.2622 脱「見て覚えろ」で離職率が劇的に減った左官店<起稿 磯津千由紀>(21/11/02)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/02 (Tue) 22:28

 こんばんは。


 職人の育成も、「戦略」が要るんですね。


> 東京都文京区の「原田左官工業所」の3代目経営者、原田宗亮(むねあき)さん(47)は建築市場の縮小が進む中、デザイン性が高く左官職人の腕をいかせる「店舗左官」に活路を見いだします。残された課題は、今の時代に合った職人の育成。昔ながらの「見て覚えろ」式を脱却し、モデリングと呼ばれる手法で若手職人の育成に乗り出しました。目指すのは、職人が輝き続けられる会社作りです。


> 私の家業ストーリー<3>原田左官・原田宗亮さん

> 左官職人の育成は2007年に社長になった頃から、ずっと悩みの種だった。全盛期には全国で30万人を数えた左官職人は、現在では6万人前後に減ったとされる。

> 建築市場の縮小や安価なビニール製壁材の普及に加え、「技術は見て覚えろ」式の育成法に若者が付いてこられないことも大きい。若手職人が育たないから、平均年齢60歳超と言われる左官職人の高齢化がますます進むという悪循環に陥っている。

> 原田左官でも、かつては毎年2~3月になると、高校の先生が生徒数人を連れて来るのが通例になっていた。「雇ってください」と頼まれ、その場で採用を決めた。慢性的な人手不足だったから助かったが、本人たちは左官職人になりたいというより、その時期まで就職が決まらず、なんとなく先生に連れて来られるケースが多かった。だから半分近くの若者がやがて離職していった。

> 一方、原田左官は先代の父宗彦さんが経営していた頃から、女性職人の育成に力を入れてきた。壁を一気に塗りあげる体力が必要で、長く「男の職場」と思われてきた世界だが、女性の左官職人が現場に出ると、デザイン性や繊細さ、綿密さといった女性ならではの良さが発揮されることに目をみはった。

> 「原田左官は女性でも職人になれる」と聞きつけ、造園や出版、製造業など、全く異なる業界から転職を希望する女性も次々にやってきていた。

> 自分の仕事が形になって残る――。画一的な工業製品があふれる中で、ひとつひとつがオリジナルな左官の仕事には、人々を引きつける魅力がある。ならば、1000年以上続く、この技術を途切れさせたくない。そのためには、今の時代に合った職人の育成法を確立しないといけない。

> 高級感のある店舗や住宅など、施主のこだわりに応える左官工事に活路を見いだした原田左官にとっては、若者や女性の持つセンスが必須だった。加えて、祖父や父親から引き継いだ「家業」を、人材育成の仕組みの整った「会社」に脱皮させるためにも必要な改革だった。


> 「若手が育たない」…原因は教え方にあり

> 若手が育たないのは、本人の責任ではない。それが原田さんの問題意識だった。やる気満々で見習い工になっても、最初の1年ほどは、材料の運搬や片付けといった下働きばかりで、鏝(こて)を持つ機会はほとんどない。技術の習得にしても、先輩職人の仕事ぶりを観察するのがメインで、たまに先輩職人の手があいた時に「ちょっとやってみるか」と言われて鏝を握らせてもらうというのがよくあるパターンだった。

> 教え上手な職人もいれば、そうでない職人もいる。職人によって教え方がバラバラで、かえって見習い工を混乱させてしまうこともある。たまたま面倒見の良い先輩職人につけば、次第に技術が身につき、左官職人の楽しさを感じて、ますます腕を上げていける。しかし、運悪く教えるのが苦手な職人に当たってしまうと、技術が身につかず、「職人になる」という気持ちがしぼんで離職してしまう。

> つまり若者が長続きしない原因は、「本人の努力や我慢が足りない」のではなく、行き当たりばったりのやり方で「一人前になれるかどうかは本人次第」という昔ながらの育成法にある。

> どうするか。答えはなかなか見つからなかった。職人の中から講師を選んで講習会を開いたものの、職人も若手も毎日、現場の仕事が優先だから定着させられず、若手育成はどうしても後回しになってしまった。


> 遠くの同業者が教えてくれた「モデリング」の手法

> ヒントをくれたのは、遠くの同業者だった。業界団体の一般社団法人「日本左官業組合連合会(日左連)」の青年部を通じ多くの同業者と知り合ったが、近隣の同業者には相談しにくい自社の課題や悩みも、遠方の同業者になら打ち明けられた。そうした相談相手の一人、中屋敷左官工業(札幌市)の中屋敷剛社長が、自社で導入した「モデリング」という手法を教えてくれた。

> モデリングとは、最高のお手本をモデルにマネをすること。まず動画を見て一流職人の動きを記憶し、それを手本にしながら自分で壁を塗ってみる。完全にコピーするように動きをマネしていく。

> その様子を動画で撮影しておき、一流職人と自分の動画を並べて見比べることで、職人と自分の動きとではどこが違うのか、アドバイスを受けながら確認する。これを繰り返すことで、どこをどうマネすれば一流職人に近づけるかが見えてくる。

> この手法を持ち帰った原田さんは、本格的な人材育成プログラムの作成に着手。11年、入社したばかりの見習い工を対象に、最初の1カ月はモデリングを中心とした壁塗りのトレーニングを始めた。

> それまでは1年たってようやく握らせてもらえた鏝を、入社後すぐに扱わせることに「未経験者には無理」「遊んでいるようなもの」と猛反発を浴びた。

> ところが、実際に始めてみると、若者たちの吸収は予想以上に早く、習得に半年かかっていた技術を、わずか1カ月で教えられた。壁塗りという左官職人の醍醐味(だいごみ)に触れた上で現場に出て行くから、先輩職人の現場での動き方や壁の塗り方を観察する目も違ってくる。

> しかし、これはまだ左官職人になるための最初の一歩だ。見習工を職人の「入り口」に立てるところまで育てる4年間の訓練プログラムも組んだ。先輩職人を教育係に付けて技術だけでなく「働く」ということについても教え、2~3年目から一人で現場に出たり、現場リーダーを任せたりしながら段階を踏んで育成していく。

> 4年間の訓練を終え、一人前の職人の仲間入りをする「年季明け」の時には、社員だけでなく、両親や家族、取引先などを呼んで盛大な披露会を開く。

> これは原田さんが会社の中で一番大切にしている行事だ。若手職人が家族や先輩職人たちに感謝の気持ちを伝え、職人としての決意表明をする重要な門出だからだ。かつて40%ほどもあった離職率は5%にまで低下し、職人の若返りにもつなげることができた。


> 自分が「会社のフタ」になってはいけない

> 原田さんは左官職人ではない。26歳で入社した時は「名人」を目指したが、工事の受注や職人の派遣を差配する番頭のなり手が少なく、半年で職人修業を切り上げざるを得なかった。しかし、自分が職人でないからこそ、従来の育成法を見直すことができたと考えている。

> 自分が長年の修業を経ていたとしたら、「つらくて当たり前」と古くからの育成法に疑問を感じず、モデリングに出合っても「自分が教えられたやり方とは違う」と切り捨てていた可能性は十分ある。今思えば「自分が職人だったら、会社の成長にフタをしてしまっていたかもしれない」と感じている。

> しかし、それは職人の否定では全くない。製造業の会社の根っこが製品にあるように、左官屋の根っこは職人の技にある。原田左官の経営ミッションのひとつは「職人を守る」だ。

> 創業者の祖父辰三さんは根っからの職人だったが、50代で肺を患ってから現場に出られなくなった。職人技を発揮できる場を失った辰三さんのさみしそうな背中をよく覚えている。

> 時代が変わっても、年を取っても、職人が輝ける場所をつくる――。従来のやり方にこだわらず、会社としてさまざまな仕組みを整えていくことが「職人を守る」ことであり、それを実現するのが経営者としての自分の責任だと考えている。

> 目下の課題は、中堅職人のさらなる技能向上と、ベテラン職人に若手の教育係に回ってもらうなど、末永く活躍してもらえる仕組み作りだ。職人ではない異色社長が率いる原田左官の挑戦は続く。


> 清水憲司

> 毎日新聞経済部副部長(前ワシントン特派員)

> 1975年、宮城県生まれ。高校時代まで長野県で過ごし、東京大学文学部を卒業後、99年毎日新聞社に入社。前橋支局を経て、東京経済部で流通・商社、金融庁、財務省、日銀、エネルギー・東京電力などを担当した。2014~18年には北米総局(ワシントン)で、米国経済や企業動向のほか、通商問題などオバマ、トランプ両政権の経済政策を取材した。


<参考=「左官職人じゃない異色社長が挑んだ「若手育成改革」」(毎日新聞、11月2日)>


NO.2623 えッ“4WD”じゃない!? スバルの“AWD”は何が違うのか?<起稿 磯津千由紀>(21/11/02)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/02 (Tue) 23:13

 こんばんは。


 富士重工(現スバル)の四輪駆動乗用車の先駆者としての歴史を、(珍しくも)ほぼ正しく説明しています。
 過去に存在した駆動力配分システムの記述に抜けがある他は、ほぼ正確です。


> 「4WD」を独自の四輪駆動システムとして「シンメトリカルAWD」と呼んでいるスバル。ほとんどのモデルに四輪駆動車を設定していて、「AWD」をウリにしているメーカーだ。

> そして実際、そのAWDを採用するスバル車は雪の多い降雪地域のユーザーなどの信頼性も高く人気だ。

> そのスバルの「AWD」は、ほかのメーカーの「4WD」と何が違っていて、どのような4WDなのか?

> また、今時代が急速に電動化へと向かっているなかで、スバルのAWDシステムは、将来の電動車にも対応できる技術といえるのか? それともこれが弱点になるのか? これらの疑問を斎藤 聡氏に解説してもらった。

> 文/斎藤 聡
> 写真/SUBARU


> ■「クワトロ」より早かった! 世界初の「乗用車用4WD」はスバル発

> スバルといえばAWDというイメージが強くあります。実際、2016年のデータですが、スバルの全世界の生産車におけるAWD比率は98%(!)に上っています。つまりスバル車を買いたい人のほとんどはAWDを希望しているということで、スバルに対するAWDへの期待値や信頼性の高さがうかがえます。

> 国内では依然として4WDという呼び方が一般的ですがスバルではあえてAWDと呼んでいます。4WDとスバルの呼ぶAWDにはなにか違いがあるのでしょうか。

> スバルのAWDの始まりは1972年に発売したレオーネ・エステート4WDに始まります。量産の乗用車タイプのAWDモデルでとしては世界初です。

> 欧州におけるAWDの先駆的メーカーであるアウディでもAWDモデルであるクワトロの登場は1980年ですから、いかにスバルが早くからAWDに取り組んできたかがわかります。


> ■レオーネから始まる乗用車用4WDの歴史

> スバルがAWDを開発するきっかけになったのは、東北電力からの乗用車型AWDモデルの開発要請でした。当時スバルでは大ヒットとなったスバル360に続く次期主力モデル「スバルR2」の開発の渦中だったので、この話を一旦は断ります。

> AWD車開発の要請は、スバルだけでなく他のメーカーにも持ち込まれたのですがことごとく断られ、最終的に宮城スバルがFF車のスバル1000バンをベースに制作することになったのでした。

> このクルマが製品提案としてスバル本社に持ち込まれ、スバルff-1 1300Gをベースにスバルff-1 1300Gバン4WDという試作モデルを作り、東北電力に納品しました。AWD量産モデルはff-1の後継モデルとして1971年に発売になったレオーネに、1972年追加モデルとしてラインナップします。


> ■より先進的なイメージの「AWD」

> ところで、スバルでは4輪駆動モデルを「AWD」と表記しており、日本ではポピュラーな「4WD」を使っていません。けれどもAWDモデル初の量産車となったレオーネには4WDとグレード名にも書かれているのです。

> 乗用車型4輪駆動モデルがポピュラーになったのはレオーネがきっかけです。そのモデルのグレード名に4WDが使われていたのですから、そもそも4WDという言い方を定着させたのはスバルではないか、という疑惑(?)が浮かび上がってきます。

> 2000年に入るとスバルは4WDという言葉を使いたがらなくなります。レガシィではスタイリッシュになった4代目のBP/BL型レガシィの登場、インプレッサでは初代(GC8型)から2代目(GDB型)にモデルチェンジした時期と一致します。

> シンメトリカル4WDもAWDに変わっています。ちょうどその頃、スバル関係者から4WDにはどうしても土のイメージが付きまとうので洗練されたイメージのAWDを使いたいという声を聞いた覚えがあります。

> そもそも4WDとAWDは同じ意味で、もっと言えば、4WDという言葉自体スバルが定着させたという疑惑(?)さえあるのです。つまり、スバルのAWDが特別なのではなく、スバルの作るAWD自体がほかのメーカーとは一線を画するような作り込みがなされているということなのです。

> 4WD,AWDの表記の違いではなく、スバルの作るAWD自体に高性能の秘密があるということです。


> ■「AWD」は「4WD」よりつくり込んでいる。という意気込み

> では、スバルのAWDにどこが優れているのでしょうか。

> 縦置きエンジンでエンジンの後ろにトランスミッションがあるというレイアウトで、比較的重量バランスがいいこと。またスバルが謳っているように左右対称の駆動方式であるシンメトリカルAWDになっていることで、四輪駆動レイアウトの素性として素直な操縦性を持っていることが挙げられます。

> もうひとつ興味深いのは、スバルには現在①アクティブトルクスプリットAWD、②VTD-AWD、③DCCD方式AWD、それに今は搭載している車種がありませんが、④ビスカスLSD付きセンターデフ方式AWDの4タイプがあります。

> ところがそれぞれに独特の操縦性を持っているわけではなく、どれに乗ってもほぼ同じ特性になっているということです。

> もちろん厳密に突き詰めていけば違いはあるのですが、例えば氷盤路で1本のパイロンを回るようにドリフトさせてみると、内側にハンドルを切ったまま4輪ドリフト状態になるんです。

> つまり、そういう操縦性になるようにセッティングしているということなんです。AWD販売比率98%というだけあって、意図的に操縦性を作り込んでいるわけです。そこがスバルのAWDの本当に優れたところなのだろうと思います。


> ■電動化時代のAWDはどうなるのか

> では、これから電動化が進むなかでスバルのAWDは優位性を保てるのか? ということですが、これはいまのところ何とも言えないと思います。

> 有利な点は4WDの操縦性について膨大な経験とノウハウを持っていることです。その一方で、現在スバルが持っているハイブリッドシステムはe-BOXERというCVTの出力軸に直接モーターアシストを加えるタイプのマイルドハイブリッドのみです。今後の可能性は正直言って未知数です。

> ただ期待が持てるのは、スバルの中期計画でBEV(バッテリ-EV)とハイブリッドで販売比率50%を実現するとして積極的に電動化に取り組む姿勢を見せていること。そして来年あたりに発売される(と噂される)ストロングハイブリッドは、e-BOXERの進化版となりそうなことです。

> 詳細は不明ですが、前後のホイールをカップリング機構を挟んで駆動する直結方式が採用されるといいますから、直結4WDならではの安定性やトラクション性能は期待できそうです。

> 仮にカップリング機構にWRXに採用されているDCCD(ドライバ・コントロール・センター・デファレンシャル)の前後駆動配分に近い働きをするモーターユニットが採用されると、ハイブリッド、あるいはプラグインハイブリッド版WRXの登場まで可能性が広がってくれます。

> スバルならやってくれるんじゃないかという期待感もあり、今後の電動化からも目が離せません。


<参考=「えッ“4WD”じゃない!? スバルの“AWD”は何が違うのか?」(ベストカーWeb、4月6日)>


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/02 (Tue) 23:31

 追伸です。


 記事内容に間違いが少ないことにも驚きましたが、記事冒頭にスバル旧エンブレムの写真を出すところなど、通好みですね。


NO.2624 ≪新形コロナ≫8割おじさん(西浦教授)に聞くコロナの今後<起稿 磯津千由紀>(21/11/03)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/03 (Wed) 09:46

<西浦教授が人生で初めて絶望した日 8割おじさんに聞くコロナの今後/上(毎日新聞、11月1日)>

 おはようございます。


 第5波のさなか、「日本人を辞めようかと思った」といいます。
 第6波に対する危機意識をひしひしと感じられていらっしゃるようです。


> 新型コロナウイルス感染症の第5波が急速に収まり、日常生活が戻りつつある。私たちはコロナと共存する「ウィズコロナ」のフェーズに移ったかにみえる。「8割おじさん」こと西浦博・京都大教授(感染症疫学)を訪ねると、第5波のさなかに「人生初めての絶望感を味わい、日本人をやめようかと思った」と明かした。何が起きていたのか。新型コロナのパンデミック(世界的大流行)が始まって1年8カ月。感染状況が少し落ち着いた今、西浦さんの思いを2回にわたって紹介する。


> 第6波は予想より早い恐れ

> ――第5波の緊急事態宣言が9月末で解除され、10月下旬には東京などで実施されてきた飲食店への時短営業要請などもなくなりました。9月までと10月以降で、国内の新型コロナの感染リスクは変わったといえるのでしょうか。

> ◆劇的に世界が変わったとは考えていません。日本のワクチンの接種率は非常に高くて誇らしいものですが、現状では人と人の接触が増えれば、感染者は増えます。接触次第で第6波は皆さんが思っているよりも早く起きる可能性があります。既に、北海道など寒い地方(暖房を使うため室内で接触しやすい)で感染者数の一過性の上昇が見られてきました。


> 8月中旬に「おやっ」と思った

> ――第5波の感染者数が急激に減り、ワクチン接種が広がっていることもあり、「もう日常生活に戻れるのではないか」と考えている人もいると思います。

> ◆感染者数の急減については、大きく二つの要素があると考えられます。一つはワクチンの効果です。(国内で接種が進められている)メッセンジャーRNAワクチンは高い効果が期待できます。もう一つは、国民一人一人の「リスク認識」が高まったことです。宣言が出され、病床の逼迫(ひっぱく)が報じられることで、国民の人との接触の「質」が大きく変わったのだと思います。ワクチンの接種率が高まり、感染者が急増したことで自然に免疫を獲得した人も増える中、人々がそれぞれ一定程度の接触を減らしたことが、一気に感染者数を下げたと考えられます。

> これだけ長く流行と付き合うと、感染リスクの高い行動がどういうものか理解されています。リスク認識が高まれば、人々は感染リスクの高い行動を選択的に避けるようになります。たとえば、飲み会をやめようとか、人ごみや屋内ではマスクをしっかりつけようとか。

> データを見ていて、8月中旬くらいに「おやっ」と思った瞬間がありました。指数関数的に増えていた感染確認数の伸びが止まったように見えたのです。8月中旬に報告される感染者数は7月下旬ごろに感染した人たちのものです。そのころの生産年齢人口のワクチン接種率は、感染を下火にするには十分ではありません。いろいろ分析した結果、流行の状況が悪くなり、東京オリンピックの開幕前の時期に、皆さんがハイリスクの行動をそぎ落とす暮らし方を選び、それでグッと下がったとみられることが分かりました。


> 日本人をやめようかとも思った

> ――何らかの対策が効いたというわけではないのですね。

> ◆はい。実は、皆さんが感染の急拡大に恐怖を感じられていた7月後半の私は、人生で初めて日本という国に絶望していました。国は何か新しい対策を打つわけでもなく、五輪開催を見直すわけでもなく、感染拡大を抑制するための積極的な動きがほぼなかったのです。人の命を守ることができず、心ばかりがむしばまれ、私はもう日本人をやめようかとも思いました。しかし、国民の皆さんのリスク認識が高まり、行動を変えてくれたのです。


> 減ったから良かったものの

> ――国民のリスク認識が高まらないままだったら大変なことになったかもしれないですね。

> ◆今から振り返ると「減ったから良かったものの」という思いです。あの時感じた寒い思いは忘れられません。

> ――そうすると、宣言が解除され、人々の活動がかつての日常に戻りつつある今、第6波が心配になります。

> ◆病床が足りなくなってしまうような流行は、いまだに起こり得ます。ワクチンの重症化を抑える効果は高く、第4波までのように、重症化リスクが高い高齢者が感染して、あっという間にベッドが埋まることはなくなりました。第5波では、50代の中等症の患者が顕著に増えました。流行のサイズ(感染者数)が大きくなれば、重症化率が高齢者より低いといっても重症者は増えます。急なカーブで感染者数が増えれば、病床は埋まり、あふれる人が出ます。そして、自宅で亡くなる例が出てしまう。致死率がそのときだけ跳ね上がる事態になるのです。流行サイズの増大は、本当は死ななくてもよかった方の命を奪うような状況を招きます。


> 肥満でワクチン未接種はハイリスク

> ――治療の選択肢が広がり、ワクチンで重症化を抑えられるようになった今も、病床が足りなくなる恐れがあるのですか。

> ◆そうです。私自身も耳が痛い話ですが、肥満でワクチン未接種の20~30代が集中治療室(ICU)のベッドを埋めてしまった医療機関も少なくないと聞いています。体格指数(BMI)が30以上の肥満に加えて、ぜんそくなど基礎疾患のある人、喫煙者は、年齢が若くても重症化リスクが高く、流行規模が大きくなれば病床逼迫は避けられません。

> ワクチン接種がかなり進んでいる英国でも、10~30代の若い世代が流行の中心になっていて、症状が出ない「不顕性感染」や軽い症状が多く、見えないところで大きく広がっています。日本はまだ若い世代にワクチンが行き渡っていませんから、ワクチン頼みだけで流行を終えられるようなことは現実的にありません。第6波は難しいかじ取りになるかもしれません。


> 病床逼迫はこれからも起きうる

> ――岸田文雄政権は、第5波を上回る感染者が出ても対応できるように、1.2倍の入院患者を受け入れられる医療体制を整備すると表明しています。それでも足りないのですか。

> ◆はい。現在の日本人の(新型コロナに対する)免疫の状態で、マスク着用を徹底したり社会的距離に少し気を使ったりするくらいでは、今確保している病床では足りなくなりますし、2割増やした程度では間に合わないでしょう。第6波の感染者数は、第5波よりも大きな波になる恐れもあると考えています。

> 感染性が高く、免疫から逃げる仕組みを持つデルタ株は手ごわいウイルスです。理想的なのは流行曲線の山を第6波、7波、8波と進むたびに徐々に小さくしていくことで、そのために皆が必死に方策を考えています。

> この感染症が社会をグラつかせているのは、医療体制が崩壊して助けられる命が助けられなくなる恐れがあり、通常の他の医療が圧迫されるためです。この2点が起きないようにできれば、社会もグラつかなくなり、インフルエンザのようにウイルスと共生する道を探ることになります。


> 野球でいえば五回が終わったところ

> ――まだ、その段階にはなっていないのですね。

> ◆残念ながら、野球で言えば九回のうち五回が終わったくらいの段階だと思います。私の立場から見ると、今は感染を防いでいくしかないと考えますが、現状は、これまでと同じようなパターンや後悔をほんの少しだけ度合いを下げることを繰り返しながら、山が続いていくのだろうと感じています。

> ――若くても重症化しやすいタイプが分かっているのであれば、感染した際に優先して入院させるトリアージ(治療の優先度を決めること)をすれば「助かる命が助からない」事態は避けられるのではないでしょうか。

> ◆その取り組みは、第5波で既に実施されています。しかし、それでもこぼれ落ちて亡くなる人が出ました。自宅で経過をみないといけない場合は1人暮らしだとリスクが高く、保健所が忙しすぎる場合は1人暮らしでなくても症状が悪化した時に医療へのスムーズな移行が極めて困難になりました。経済的弱者や施設に入居している人など、もともと医療へのアクセスが良くない人が犠牲になる例もあり、問題は深刻です。


> ワクチン・検査パッケージには議論あった

> ――今進められているさまざまな行動制限の緩和やワクチンの接種済み証などを使う「ワクチン・検査パッケージ」については、どう考えますか。

> ◆ワクチン・検査パッケージは、関わっている専門家全員が合意したものではありません。水面下では相当な議論がありました。「やはりやめたほうがいいのでは」という意見も出しました。一方、経済学の視点からは、感染レベルが下がったチャンスに経済活動をすべきだという意見もあります。最終的には政治的に決断されたものです。

> ただし、経済活動の再開へかじを切った欧州などでは流行が再び上昇傾向にあり、緩和策が見直されています。そのような状況を踏まえ、感染リスクの高低に関わらずなし崩し的に緩和をしてしまうのは慎重に考えるべきではないでしょうか。


> ハイリスクの人だけの制約は難しい

> ――重症化リスクの高い人たちに予防の徹底を求め、リスクの低い人は日常生活に戻るという方法も考えられるのではないでしょうか。

> ◆今回の感染症に限らない話かもしれませんが、集団の1~2割を超えないような一部の人が抱える感染リスクを契機に人口レベルで拡大し、集団全体が影響を受けてしまうのは、この流行の特徴と言えます。リスクの高い人たちに必ずワクチンを受けてもらうという方法も考えられますが、日本ではワクチン接種は義務ではありません。感染リスクが高い人だけの人権を制約するということはできません。現状では、ハイリスクの人や場面だけを対象にワクチン接種や検査、治療をするといった対応は現実的でないようです。

> ――治療薬として経口薬が登場すると、状況は大きく変わるのではないですか。

> ◆相当な助けになるとは思います。外来で使えるようになれば、医療体制への影響も減らせるでしょう。しかし、インフルエンザ治療薬の「タミフル」でも耐性のあるウイルスが出現したように、万能である保証はありません。また、国内で使えるようになるまで、まだ時間がかかりますから、第6波への備えは欠かせません。


> インフルのようになるには時間必要

> ――ウイルスは宿主(感染する相手)を殺してしまっては生きていけませんから、徐々に弱毒化していくとされます。新型コロナについては、どう見るべきでしょうか。

> ◆このウイルスは、インフルエンザに比べて変異の速度が遅いことが分かっています。一方、感染者数が顕著に増加した国では、変異するための機会が十分となって変異株が生まれ、それが世界へ広がるということが起きています。しかし、ウイルスとしては、まだ人に完全に適応した状態にはなっていません。流行が人間の死亡リスクに大きく影響し、医療崩壊を起こしたり、ロックダウン(都市封鎖)をしなければならなくなったりと深刻な「迷惑」をかけ続けています。人間と共生できているとはいえません。

> 人に適応し、人の集団の中で生き続けられるようになったウイルスとしては、インフルエンザやノロウイルスが考えられます。新型コロナがそのようになる道のりはまだ長いでしょう。変異が遅いウイルスのため、流行の繰り返しがゆっくりと進行し、社会に長期間にわたって影響を与える「スロー・ディザスター(slow disaster)」と呼ばれる災害状態になっていると思います。


> 自己中心的な思考を許さないウイルス

> ――世界が新型コロナで右往左往することになってしまったのは、なぜでしょうか。

> ◆コロナよりも致死率の高いエボラ出血熱のような感染症では、世界が総力を挙げて封じ込めに取り組みました。しかし、今回のような中程度の重症度の感染症だと世界がそれぞれの都合で動き、封じ込めは難しくなります。たとえば、中国は人権を強力に抑制して封じ込めようとした一方、スウェーデンは流行当初に集団免疫獲得を目指し、ニュージーランドは海外からの入国を制限して封じ込めをしようとしました。特に、この感染症の拡大には人同士の接触や移動が深く関わっていますが、そういった人間の欲求や人権にかかわる部分は簡単に止められません。

> ――そこにつけ込んできたウイルスということですか。

> ◆自己中心的な思考を許さないウイルスですね。私自身も「おでかけをしたいな」とか「米国へ行って共同研究ができないのは不便だな」とか思ってしまいます。移動や接触を減らすことを想定していない社会システムの常識が自分に染みついていることを思い知らされました。

> ――しかし、それこそ「人間らしさ」でもあるのではないでしょうか。

> ◆そうです。ですから、基本的な欲求や人権に配慮した生活を「取り戻す」ための新たな社会システムが求められます。2002~03年に流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)の後、10年ほどかけてさまざまな仕組みが構築されました。私が研究している数理モデルを使った感染症の流行予測ができるようになりました。検疫でのサーモグラフィーカメラの導入はSARSがきっかけでした。日本では、法律で入国者の健康監視など行動制限ができるようになりました。

> 今回の新型コロナでも、同じように反省すべき課題が掘り起こされ、私たちの暮らしや価値観を見直すことも含め、議論が進むことになると思います。


> 被害想定示し、国民と合意形成を

> ――今、政府に求められることは何でしょうか。

> ◆この状況で大きな流行が起きると、どれくらいの死者が出るのかという「被害想定」を示し、この感染症が日本にとってどれくらい重要な課題なのか、どんな対策が必要なのか、もしくは必要ないのか、ということについて、積極的に国民と合意形成をすべきだと考えます。

> ――将来想定される巨大地震の被害想定のようなイメージでしょうか。

> ◆はい。今冬に流行が起きると、インフルエンザと比べてどれくらい多くの人が亡くなる恐れがあるのかを示して、その差が許容できるものなのか、許容できない場合は、どのような制限であれば社会として対応できるのか、ということを国民と合意形成しておけば、第5波までのような混乱は少なくなると思います。

> ――科学的なデータに基づいて現状を認識し、国民とともに必要な対策を検討するということですね。

> ◆私たち研究者は、半年後くらいまでの被害予測、対策の効果などのロードマップを描くことはできます。「こういう流行になれば一般確保病床が足りなくなる」ということが事前に分かれば、そうなる前に何をすべきか、ということも考えておくことができます。

> しかし、日本ではこれまで、今後の見通しを理解したうえで、事が起こる前に熟議して検討することが十分にできていませんでした。未来のシナリオを描くことを専門にする立場としては、それができないことは相当につらいと感じます。痛い目に遭って、やっと何かが変わるというやり方は望ましくありません。このままでは、また歴史を繰り返すことになりかねません。

> ――第6波で、東京五輪のころと同じような絶望感を味わいたくない、ということですね。

> ◆はい。本来は、国民の皆さんの協力頼みというのは望ましくないことです。それでも、皆さんは何度も波を経験していますから、状況をかなり論理的に見られるようになっていると思います。今は、気持ちが開放的になっていると思いますが、日々の変化や公表されるデータから、「このままいって年末は大丈夫だろうか」などと、肌で感じて自らの行動を見直そうとされるのではないでしょうか。


> にしうら・ひろし

> 1977年生まれ。2002年宮崎医科大卒。博士(保健学)。医大卒業後、タイや欧州で理論疫学を研究。13年東京大准教授、16年北海道大教授を経て,20年8月から現職。20年2月から厚生労働省の新型コロナウイルス感染症対策本部でクラスター対策班に参画。厚労省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードメンバー。著書に「理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!」など。

<参考=「西浦教授が人生で初めて絶望した日 8割おじさんに聞くコロナの今後/上」(毎日新聞、11月1日)>


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/03 (Wed) 10:20

副題=僕たちは「絶滅危惧種」だった 8割おじさんに聞くコロナの今後/下(毎日新聞、11月2日)

 おはようございます。


 感染症疫学はかつては絶滅危惧種だったといいます。


> 政府の新型コロナウイルス感染症対策に欠かせないデータを提供している西浦博・京都大教授は、日本では数少ない感染症疫学の専門家だ。感染症分野は平時の注目度が低くなりがちで、専門家の少なさが課題になっている。特に深刻なのが、西浦さんが取り組む数理モデルを駆使して現状分析や予測をする理論疫学の分野だ。西浦さんは「日本では、この分野の研究者は絶滅危惧種になっていた」と話す。「絶滅」を防ぐために必要なことは何か。西浦さんの挑戦をインタビュー後編で紹介する。


> 「役に立たない」と言われた

> ――西浦さんが発表するデータは、コロナ第1波のときの「感染拡大を抑えるために人と人との接触を極力8割減らして」をはじめ、社会から注目され、多くの政策にも生かされてきました。ところが、日本では、西浦さんの研究室だけでデータを出している印象がありました。こんなにインパクトのある研究なのに、研究者が少ないのは不思議です。

> ◆感染症研究はパンデミック(世界的大流行)のときは注目されますし、大きな資金も投入されます。しかし、平時は先細りになって、研究者のポジションも減ります。私がロンドンで理論疫学の研究を志そうとしていたとき、日本の先輩研究者から「そんな勉強をしても、日本にポストはない」「役に立たない研究をしてどうするんだ」と言われました。それくらい、この分野への関心は薄かったのです。

> ――なぜ理論疫学を専門に選んだのですか。

> ◆感染症の理論疫学は、実際の流行のデータをもとに、数理モデルを使って流行の規模や範囲などを推定し、必要な対策を科学的に提示する研究です。私は医大へ入学し、途上国支援に取り組む非政府組織(NGO)へ参加したとき、ワクチン接種などを通じて感染症を封じ込める医師たちを知りました。大学卒業前に、臨床よりも予防医学にのめり込むようになりました。

> 医師になり、感染症研究で有名なタイのマヒドン大へ留学中、理論疫学の総本山ともいえるインペリアル・カレッジ・ロンドンの教授に直談判しました。「あなたの本を読んで勉強した。私を使ってください」。そう言って履歴書を渡したところ、受け入れてもらえました。世界トップクラスの環境に身を置いて研究手法を学び、専門ではなかった数理科学や統計学を必死で勉強しました。その後、ドイツ・チュービンゲン大、オランダ・ユトレヒト大でも研究し、香港大ではSARS(重症急性呼吸器症候群)の教訓をもとにした数理モデルの研究拠点で教職員をしました。若い頃はほとんど海外で過ごしました。


> 1970年代に日本の研究の系譜は途切れた

> ――日本には学ぶ場がなかったのでしょうか。

> ◆日本では、理論に主眼を置いた感染症疫学は、1970年代に系譜が途切れていました。50年代の教科書を開くと、公衆衛生や疫学の中心が感染症だったことが分かります。当時は、結核で亡くなる人が多く、コレラやチフス、赤痢なども深刻でした。戦時中、刃物や銃などの創部の感染によって命を落とす兵士が多かったことも、感染制御の重要性を認識される背景にあったようです。

> やがて、感染症のワクチンや治療薬が開発され、多くの感染症が次第に怖い病気ではなくなっていきました。一方、仕事に伴う職業病やがんなどの生活習慣病が社会的な問題となり、疫学研究の主戦場が、がんや慢性疾患に移っていったのです。医学部での研究の特徴で、教授が交代すると研究内容も一新されてしまうということがあります。細々と感染症疫学を研究していた人も、70年代には「駆逐」されてしまいました。ですから、私は海外で研究するしかなかったのです。

> ――日本では、感染症疫学者や理論疫学者がいなくて困ったことはなかったのですか。

> ◆国内では近年、感染症は十分にコントロールできる病気になったと考えられていました。私が2013年に帰国した後も、主に取り組んでいたのは海外で流行している感染症の分析でした。国内については、HIV(エイズウイルス)の感染者数の推定や、風疹の流行時に予防接種をどのような対象に打つべきかなどを検討しましたが、社会全体の人の生命に大きく影響するような研究は、今回の新型コロナが初めての経験です。


> 2020年ごろの国内の研究者数は片手程度

> ――09年にパンデミックを起こした新型インフルエンザのときも、西浦さんはさまざまなシミュレーションや分析に関する論文を発表していました。

> ◆あのときの研究は、「今この研究をしなければ、もしくはこの研究がなければ何人もの人が死んでしまうかもしれない」という緊迫感のあるものとしては扱われませんでした。幸いなことに、流行したウイルスは他のインフルエンザと比較して毒性の高いものではなかったからです。風疹の研究では「対策予算の確保に数理モデルは使えるね」と言われたほど、のんびりとしていました。新型コロナが始まった20年ごろは、理論疫学の研究者は全国でも片手に入るほどしかいない絶滅危惧種状態でした。


> 感染症疫学を大学院のカリキュラムに

> ――昨年、北海道大から京都大へ移り、人材育成にも力を入れていると聞きました。

> ◆私が今、所属している京都大大学院の「社会健康医学系専攻」は、公衆衛生学修士(MPH)を取得できる公衆衛生の専門職大学院です。そこのカリキュラムに「感染症疫学」をがっちり入れてもらいました。

> 一般的な医学部教育は医師の育成が主眼ですが、一人一人の患者さんを対象とするのではない、集団を対象とする公衆衛生の専門家も必要です。従来の公衆衛生は「保健所で勤務する医師を育てる」というイメージが強く、世界を変えるような研究が少ない退屈な学問と思われていました。私はそれを変えたいと考えています。

> 大学院の体系的な教育のカリキュラムに感染症疫学や数理モデルが入り、このコースのすべての大学院生が学びます。そうなると、この分野に関心を持つ次世代が生まれる可能性が高まります。がんやゲノム(全遺伝情報)には人材育成プログラムがありますが、感染症疫学についても体系的な教育プログラムを作っていこうとしています。

> ――感染症疫学分野の人材育成のスタートラインについたということでしょうか。

> ◆そうです。今後は、危機管理の専門家を育てるプログラムなども盛り込みたいと考えています。米国との共同研究も始めました。日本はAI(人工知能)や深層学習(ディープラーニング)の分野が弱いのですが、我々が強い数理モデルと組み合わせることによって、新しい分析ができるのではないかと思っています。そこで互いに若手研究者を相手の研究室へ派遣することにしました。

> ――西浦さんの研究室の規模はどれくらいですか。

> ◆大学院博士課程以上が13人います。まだ小さな研究室です。ただし、若手はすぐに育つわけではありません。一緒に研究して分析するなど時間をかける必要があり、「一日にしてならず」です。ですから急に増やすことができないところが難点です。


> 「捨て身のサイエンス」をなくしたい

> ――5年後、10年後の目標はありますか。

> ◆「捨て身のサイエンス」をしなくてもいい仕組みを作りたいです。

> ――「捨て身」とはどういうことですか。

> ◆流行を制御する研究をしていると、急いで対処しなければならない危機の存在が分かることがあります。新型コロナでも、自分たちが捨て身になってもいいから、「今おかしいことが起きている」と自ら発信しなければならない場面がありました。

> ――なぜそのような事態になったのでしょうか。

> ◆感染症疫学や理論疫学を理解できる人が少なかったからです。流行当初は、私たちがデータを出しても、その緊急性を理解してもらうことは簡単ではありませんでした。ですから、自分で科学コミュニケーションにも乗り出すしかなかったのです。

> 後から「そういうことだったのか」と理解を示してくれる人はいましたが、感染症の制御では時間を争う事態もあります。自分たち以外の理解者の存在が欠かせません。今回の経験を踏まえ、科学者が捨て身のサイエンスをしないで済むためには、どんな社会システムが必要なのか、ということについて分析し、論文をまとめているところです。

> 厚生労働省や都道府県など行政の人たちも死に物狂いで働いていました。今回の対応で、お互いの本気度が分かったので、今後につながるシステム作りは可能だと思っています。


> 科学データをガラス張りにする仕組みを

> ――研究者の裾野が広がれば、行政や政治との関係性も変わるでしょうか。

> ◆もちろん理解は広がるでしょう。ただし、科学側が提示した「ここだけは捨て置いてはいけない」という指摘やデータが記録として残るシステムが必要です。科学側の指摘が透明化されていないことが、日本の政策決定における課題だと感じています。科学的なデータがガラス張りになれば、責任の所在もはっきりします。

> ――科学者からデータを受け取っても、それだけでは政治家はどう判断したらいいか分からないかもしれません。

> ◆アドバイザーが必要でしょうね。それぞれの大臣に、5人くらいずつ専門家がテーマごとに付いて、常にアドバイスを受けられるようにできればいいと思います。データや科学的根拠を透明化する責任はアドバイザーが負い、政治家はそれらを踏まえ判断する責任を負う、という役割分担を明確化すべきです。


> 感染研に「理論疫学室」が設置された

> ――今も「捨て身」の状態は続いていますか。

> ◆体感的には、「命が失われるかもしれない」という緊迫感のレベルは下がってきていると思います。昨年は、今日明日の対応を迫られる状況が多かったのですが、その時間単位が延びて、余裕を持って物事の推移を見られるようになっています。ワクチンの効果が大きいと思います。

> 国立感染症研究所に理論疫学の研究室ができたことも大きな変化です。この分野を先導する英国やオランダは、行政に携わる研究者が次々と有名科学誌に論文を発表し、研究をリードしています。新しい研究室はそのような土台になると期待しています。主任研究官には私の研究室にいた研究者が就きました。既に感染研とは共同で仕事をしてきましたが、さらに協力が強まるでしょうし、数理モデルを政策に活用する場面が増えるでしょう。人材の育成にも大きな効果があると思います。

> ――研究者として、ここまで政府の対策に関わることは負担ではありませんか。

> ◆流行を走り抜けながらの研究は、感染症のリスクや責任感を肌で感じて進める貴重な機会でもあります。若手も私の一挙手一投足を見て、いろいろ学んでいます。ここから「次を任せられる人」が出てきてほしいと思います。第5波の感染者数が減ったのは、国民の皆さんのリスク認識が高まり、リスクの高い行動が減ったことが大きな要因です。「減ったからよかったものの」という状況であり、今後も同じようなことを期待できる保証はありません。第6波への準備は急ぐべきです。


> にしうら・ひろし

> 1977年生まれ。2002年宮崎医科大卒。博士(保健学)。医学部卒業後、タイや欧州で理論疫学を研究。13年東京大准教授、16年北海道大教授を経て、20年8月から現職。20年2月から厚生労働省の新型コロナウイルス感染症対策本部でクラスター対策班に参画。厚労省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードメンバー。著書に「理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!」など。

<参考=「僕たちは「絶滅危惧種」だった 8割おじさんに聞くコロナの今後/下」(毎日新聞、11月2日)>