みんながパソコン大王
雑談<NO.346>

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総 合 目 録 趣意書

表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
雑談NO.347
3082 <高級食パン>ブームは、まだまだ、延びる<?>/終了<?>/一時的淘汰、衰退<?> シバケン 23/01/03
3081 1月2日(月)19時スーパーセンターオークワで駅弁半額、3日(火)1時より消化液嘔吐 磯津千由紀 23/01/03
3080 <医者が使う<?>/市販薬>効き目、手軽さ、信頼度から選ばれた8品 シバケン 22/12/30
3079 <年賀状の歴史>今年は年賀状出しますか<?>日本人が年賀状を送るようになったわけ。 シバケン 22/12/26
雑談NO.345

NO.3079 <年賀状の歴史>今年は年賀状出しますか<?>日本人が年賀状を送るようになったわけ。<起稿 シバケン>(22/12/26)


【シバケン】 2022/12/26 (Mon) 11:49

この手、記事拝読で、年賀状、現在の形態の、ですが、発端、昭和24年<1949年>故に、案外に歴史は浅かった<?>


現在の年賀葉書の発行枚数は、2003年がピークで、今年はその半分以下の16億4千万枚まで減ったと、されてるですが。
案外に、保ってるです。
当方的には、モっと、減ってる感あったです。


尚、
当方的、川上哲治氏<2013年・没93歳>の選手時代は、余り知らんです。
哲のカーテンの、巨人の監督時代なら、承知してるです。

で、
プリントゴッコねえ。
使てるです。
1977年発売なら、当方、30歳の頃で、即には、買おては無いなあと。
イヤ、息子共と、一緒にやった、記憶がありで、少なくともの、4、5年経ってからかと。

されどの、思うよには、上手に、印刷出来ませんですが。
カラーで、何枚も、造るが出来るの凄さ<!>
がしかし、何回<何年>使たか、多分なら、2年か、3年程度かと。何分の、インクがバカ高く。

それは、現在の、プリンターでも、一緒ですが、出来映えが違うがな。

での、
余計なるの話の、ローム時代、その、理想科学の工場に、クレームで、出向いてるです。


>年賀状発行枚数のピークは2003年だったそうです。今ではメールやSNSなどですます人も増え、年賀状の数は年々減る一方だといいます。しかしなぜ日本人は年賀状を送るようになったのでしょう。TBSのアーカイブには「意外なスーパースター」が年賀状書きに追われている姿がありました。
(アーカイブマネジメント部 疋田智)


>■きっかけは「戦後復興と消息の確認」
>年賀状自体は、古くは平安時代からあったというのが定説になっています。もちろん年賀を手紙にしたためるのは一部の貴族。遠方の親戚や知り合いに雅(みやび)な挨拶方法として送っていたといいます。

>現在のようなスタイルになり「特別なはがき」という存在になったのは、林正治さん(当時42歳)という人抜きには語れません。

>林さんは郵便局の人ではありません。大阪の心斎橋で洋品雑貨会社を営む実業家(なおかつ水彩画家)でした。その彼が当時お役所だった郵政省に提案したのがお年玉付き年賀ハガキです。

<画像1>
「お年玉くじ付き年賀郵便」のポスター(昭和24年・郵政省)



>戦後間もない昭和24(1949)年、林さんは「年賀状が戦前のように復活すれば、お互いの消息もわかり、うちひしがれた気分から立ち直るきっかけともなる」と考え、お年玉のクジつきというアイデアを思いつきます。郵政省は紆余曲折の末、これを採用しました。(日本郵便グループ『JPcast』による)


>当時のポスターを見ると、特等の「高級ミシン」を筆頭に「純毛洋服生地」「学童用本革グローブ」「学童用洋傘」「葉書入れ手箱」など、当時の庶民の需要がみてとれますね。

>林さんのアイディアが、戦後復興の思いに燃える日本人の気分にフィットしたのでしょう。お年玉つき年賀ハガキは大ヒット、戦後の文化として認知されていきます。

>しかし林さんのアイディアだけではありません。郵政省も郵政省で、全国キャラバンでキャンペーンを繰り広げたのです。


>■郵政省の年賀状キャンペーン

<写真2>
郵政省が全国で繰り広げた「お年玉娘」大作戦



>TBSのアーカイブには1949年の名古屋の風景が残っていました。彼女たちはお年玉つき年賀ハガキを宣伝するために組織された「ミスお年玉」。道行く人に「年賀状を出しましょう」とビラを配ります。戦争が終わってまだ4年。明るい洋装の娘さんたちはさぞやまぶしかったことでしょう。
こうした努力もあって、年賀状の扱いは倍々ゲームで伸びていきました。


>■スーパースターが年賀状に囲まれて
>お年玉つき年賀ハガキ発売の翌々年、元日早々年賀ハガキに埋もれているスーパースターがいました。「野球の神様」「赤バットの川上」こと読売巨人軍・故川上哲治さんです。

<写真3>
家族と年賀ハガキに囲まれる川上哲治さん(昭和29(1951)年)



>読売ジャイアンツの常勝監督にして首位打者。

>これは川上哲治さんがプライベートの姿を見せた非常に珍しいフィルムです。妻子に囲まれて正月を送る川上さんのもとに、次々と年賀状が届きます。川上さんが手に持っているのも紐で括られた年賀状の束です。その数ぜんぶで1万50通。

>1枚1枚にさらさらと返事を書く姿も映っていますが、さすがの川上さんもギブアップだったことでしょう。 


>■プリントゴッコが年賀状を変えた
>その後、高度成長も終わり、石油ショックも乗り越え、日本が安定成長にかかる頃「日本の年賀状史」に残る一大発明品がリリースされます。それが理想科学工業の「プリントゴッコ」でした。

<写真4>
テレビCMでも盛んに流されました(1983年の映像)



>年々増える年賀状の枚数を一気にかたづける家庭内印刷機、「プリントゴッコ」は、1977年に発売されると、爆発的なヒットを記録します。

>ピカッと光るインスタント製版と、押すだけでできる簡単印刷がキモでした。
>タモリさんや所ジョージさんなどが出演した「プリントゴッコでねんがじょー」のCMを憶えている方も多いのではないでしょうか。


>■やがて年賀状は冬の時代に
>しかし、インターネットの普及にともない、年始の挨拶は「メール」や「SNS」に急速に移行していきます。年賀ハガキの発行枚数も2003年をピークに年々減少し、今年はピークの半分以下の16億4000万枚まで減ってしまいました。
プリントゴッコも2012年に消耗品の発売を終え、完全撤退に。

>さて、今年もあとわずか、年賀状はすでに書き終えましたか? それともこれから? またはネットで済ませるか…。

>ちなみに「プリントゴッコ」発売元の理想科学は、現在も「オフィス用・世界最速のカラープリンター」をリリースするなど、デジタルプリンターの世界企業として意気軒昂です。

<参考=「今年は年賀状、書きますか? それとも? …日本人が年賀状を送るようになったわけ【TBSアーカイブ秘録】」(TBS)>
(22/12/26)


【シバケン】 2023/01/04 (Wed) 23:25

副題=<年賀状>1901年頃から、年賀状が一般的普及し出し、ピークは、2003年<!>

「2003年をピークに、年賀状の発行数はだんだんと減少。SNS(交流サイト)で年始のあいさつをすることが多くなったいまでは、年10%程度のペースで減り続けている。年賀状のやりとりを辞退する「年賀状じまい」をする人も多い。」

年賀状の発行数的、2003年がピークとされてるですが。
確かに、2000年にYahooが、ADSLモデムを無料で配布したです。これが、大きなキッカケで、インターネットが普及したと、するが、当方見解。

まあ、つまり、インターネットの、普及と共に、年賀状も減少し出した<?>
又、「年賀状じまい」なるは、当方にも、その手、記載の年賀状が複数あったです。
これは、諸般、年齢的にも、理解出来るです。年々、年賀状枚数も、減らすの方向にありまして。

尚、
当方の場合、発行枚数、最多が、2003年かは、わからんですが。最多枚数なるは200枚をば突破してたですが、現在では、約50枚にまで、絞ってるです。

<画像1>
現在の丸善が海外の取引先に出した年賀状(1881年)



<画像2>
戊辰戦争から60年後の1928年、風刺画家の北沢楽天が出した年賀



<画像3>
昭和初めごろの子ども向け年賀状。おちゃめな文章が印刷されている



>新年を祝う年賀状は、創意工夫をこらしたデザインが目に楽しいだけではなく、時代を映す史料にもなる。私は年賀状印刷メーカーに勤める傍ら、20年ほど前からレトロな年賀状を収集してきた。近年は「終活」の一環で「年賀状じまい」という言葉も話題となっているが、新年を楽しい絵はがきで祝う文化を伝えていきたい。

>35年以上前から年賀状ビジネスに関わり、デザインの参考にできないかと考えたのが古い絵はがきを集め始めたきっかけだった。骨董市やネットオークションで買い集め、年賀状では1万枚以上、一般の絵はがきを含めて5万枚以上をコレクションしてきた。

>1871年に近代郵便制度がスタートした日本で、初めて単面の官製はがきが発行されたのが1875年のこと。その翌年のものが、現在の年賀状の原型といえる。当時は毛筆でびっしりと挨拶文を記したもので、読み解くのも一苦労だ。

>イラスト入り年賀状の先駆けといえるのが、書店で総合商社でもあった丸屋(現在の丸善)が海外の仕入れ先に送ったもの。手元にある1881年のものには、獅子舞など日本の正月文化を伝える絵が描かれている。まだ海外でも本格的に絵はがきが流行する前のこと。丸屋の先進性がうかがわれる。

>ほどなくして木版印刷された年賀状も広まるが、もっぱら商売人が得意先に送るものだった。

>いまでは当たり前になった家族写真をあしらった年賀状。本格的に流行するのはお年玉くじ付きはがきに写真を貼り合わせるサービスが登場した1980年代半ばのことだが、コレクションの中にはなんと1916年のものもある。当然、一般の人が気軽に写真を印刷できる時代ではなく、主にビジネス年賀だったが、100年以上も前から年賀状に家族写真を入れる文化があったのは驚きだ。

>一般の人々が年賀状を出すようになるのは、私製はがきが認可された1900年の翌年から。現代では一般的な、えとのモチーフをあしらった年賀状もこの頃登場し始める。1904年に日露戦争が起きると、戦地に絵はがきを送ることが流行。日本画家や図案家が描いた様々なデザインのはがきも数多く売り出され、年賀状文化が花開いた。

>紙として後世に残る年賀状は、市井の人々がその時代をどう捉えていたかを映す鏡にもなる。日英同盟を祝賀したり、戊辰戦争から60年の「昭和戊辰」の世相を描いたり。コレクションの一部は教科書の図版としても用いられている。近代史に名を残す人物の年賀状が発見されることもあり、筆跡や文章から人柄を想像するのが楽しい。

>現代ではクリスマスカードで新年のあいさつを兼ねることが一般的なヨーロッパでも、1900年代初頭は新年を祝うはがきを送り合うことが盛んだったようだ。えとのないヨーロッパでは、天使や四つ葉のクローバーを描いたり、西暦を図案化したりしたものが多い。日本でも大正期には、輸入された絵はがきを参考にした海外趣味の年賀状が数多く見られる。

>年賀状を送り合う慣習は、しだいに女性や子どもに広まっていく。昭和初めの子ども向け年賀はがきには、かわいらしい絵柄のものがたくさんある。海外で発行された絵はがきとよく似たものも多く、子ども向けの絵はがき作家がまねて描いたのだろう。

>ちなみに来年のえとであるうさぎを描いた明治・大正の年賀状は、他のえとに比べて多くない。理由は卯(う)年の前年に、明治天皇の皇后の崩御(14年)や大正天皇の崩御(26年)があったからと考えられる。

>明治、大正と順調に数を伸ばし、デザインも色とりどりだった年賀状だが、第2次世界大戦中には軍事的なモチーフ一色となり、総数も激減した。再び拡大するのはお年玉くじ付き年賀状が登場する1949年から。やがてパソコンが普及し、個人が工夫を凝らした年賀状を気軽に作成できるようになった。

>しかし2003年をピークに、年賀状の発行数はだんだんと減少。SNS(交流サイト)で年始のあいさつをすることが多くなったいまでは、年10%程度のペースで減り続けている。年賀状のやりとりを辞退する「年賀状じまい」をする人も多い。

>そんな時代だからこそ、ただ習慣だからと出すのではなく、オリジナルな年賀状を送り合うことが趣味の一つになっていくのではないだろうか。意匠を凝らしたレトロな絵はがきを通じて、年賀状の楽しみを伝えていきたい。(たかお・ひとし)

<参考=「年賀状は世につれ 100年前から写真入りや海外宛て 高尾均(年賀状印刷業)」(日本経済新聞)>
(22/12/31)


NO.3080 <医者が使う<?>/市販薬>効き目、手軽さ、信頼度から選ばれた8品<起稿 シバケン>(22/12/30)


【シバケン】 2022/12/30 (Fri) 15:37

どの範囲の医者に尋ねたかは、わからんですが。
医者が、推奨<?>の、市販薬8品。


<1>『新黒丸a』(第3類医薬品)=第一三共=食べすぎ、飲みすぎ

<2>『ケロリン』(指定第2類医薬品)=富山めぐみ製薬=解熱鎮痛剤

<3>新ロートドライエイドEX=ロート製薬=目のしっとり感、ドライアイのケア

<4>『イソジン(R)うがい薬(120ml)』(第3類医薬品)=ムンディファーマ=口腔内、のどの殺菌・消毒・洗浄、口臭の除去

<5>『アイリスCL-I ネオ』(第3類医薬品)=大正製薬=衛生的に持ち運べる少量の目薬・コンタクトレンズ使用者やドライアイに悩む人におすすめの目薬。

<6>抑肝散加陳皮半夏(よくかんさんかちんぴはんげ)エキス顆粒クラシエ(第2類医薬品)=クラシエ=生理前のイライラや精神不安に最適、女性ホルモンの変動に伴う精神神経症状や身体症状を指す“血の道症”に効能を示す漢方薬。

<7>加味帰脾湯(かみきひとう)エキス顆粒クラシエ(第2類医薬品)=クラシエ=貧血、不眠症、精神不安、神経症

<8>『クラリチンEX』(第2類医薬品)=大正製薬=花粉、ハウスダストなどによる鼻みず、鼻づまりなどのアレルギー症状の緩和

>お医者さんは薬を自分で処方できるから、市販薬とは縁が薄いイメージ。だが、忙しいときにサッと買える手軽さは、やはり重宝なんだとか。薬のウラもオモテも知っている専門家が日頃「頼りにしている」薬は何か。


>メリットは手軽さ、その一方で注意点も
>体調を崩しがちな季節の変わり目、病院に行くほどでもない不調のときに便利なのが、ドラッグストアで買える市販薬だ。でも、種類が多すぎて選べない……と悩む人も多い。

>みやま市工藤内科・副院長の工藤あき先生は「市販薬の最大のメリットは入手のしやすさにあります」と話す。

>「手軽に手に入る反面、注意点もあります。市販薬で症状が緩和されてしまい、悪性疾患の発覚が遅れる可能性があるのです。また、必ずしも市販薬は処方薬よりも副作用が出にくいわけではありません。

>服用から数時間後に皮膚のかゆみや息苦しさ、じんましん、腹痛や下痢などの症状が出たら、アレルギーを発症している疑いがあります。すぐに医療機関を受診してください」

>そして、つちやファミリークリニックの土屋佳奈先生は「既往歴がある場合や、複数種の薬を内服している人は飲み合わせに注意」と指摘する。

>「持病によっては市販薬に記載されている通常量を内服していても命に危険が及ぶケースもあります。不安がある人は自己判断で市販薬を飲まないようにしましょう」(土屋先生)



<1>『新黒丸a』(第3類医薬品)

<写真1>
新黒丸a



食べすぎや飲みすぎにアプローチ
『新黒丸a』は飲みすぎたときの悪酔い、二日酔い時の吐き気、胸のむかつきをケアする消化胃腸薬。

「食べすぎたときや、消化吸収・排泄する力が弱まっている、と感じたときに服用しています」(赤澤先生)

【効能・効果】飲みすぎ、嘔吐、食欲不振、胃弱など
【用法・用量】成人(15歳以上)1回3丸、1日3回(食前・食間)、15歳未満は服用しない
第一三共ヘルスケア



<2>『ケロリン』(指定第2類医薬品)

<写真2>
ケロリン



長年愛される解熱鎮痛剤
大正14年に誕生した『ケロリン』は、常備薬としてのニーズが高い。

「ケロリンには鎮痛剤プラス生薬成分のケイヒ末が含まれ、胃の負担を和らげる効果が期待できます」(赤澤先生)

【効能・効果】頭痛・歯痛・抜歯後の疼痛・頭痛・発熱時の解熱など
【用法・用量】1回量を1日2回を限度として、空腹時を避けて服用。服用間隔は6時間以上
富山めぐみ製薬


婦人科・内科
金沢医科大学総合内科女性総合医療センター長 赤澤純代先生 ●東京大学第三内科にて基礎研究後、東京大学先端技術研究所を経て金沢医科大学に戻り2002年3月に石川県初の女性外来を開設。女性の生涯にわたる健康サポートを行うべく力を尽くしている。

赤澤先生​の市販薬との付き合い方

「市販薬はひとつの錠剤に多種類の成分が入っているので服用しやすいのが特徴です。ドラッグストアで手軽に購入できるのもメリットですね」



<3>『新ロートドライエイドEX』(第3類医薬品)

<写真3>
新ロートドライエイドEX



目のしっとり感が長続き!ドライアイのケアに
「『ドライエイドEX』は200種類以上ある市販点眼薬の中で10種類以下しかない“油入りの目薬”」と、有田先生。

「ゴマ油が入っているので、しっとり感が長続きします。診察で目を酷使したときやパソコン作業を行ったあとなどに使っています。ただし、超高粘度なのでソフトコンタクトレンズ装着時は点眼できません」(有田先生)

【効能・効果】目の乾き、目の疲れ、目のかすみ、ハードコンタクトレンズを装着しているときの不快感
【用法・用量】1回1~2滴、1日3~4回点眼
ロート製薬


眼科
伊藤医院 有田玲子先生 ●医学博士。コンタクトレンズと涙液、ドライアイなどマイボーム腺に関連する疾患の診断、治療に尽力。『眼精疲労がとれて、よく見える!目のすっきりストレッチ』(成美堂出版)など著書多数。一般の方向けYouTubeも配信。

有田先生の市販薬との付き合い方

「少し体調が悪いとき、足りないものを“とりあえず”補えるのが市販薬のメリットですね。ただ、症状に対して1~2回の服用であまり改善しない、もしくは悪化した場合は市販薬に頼りすぎず医療機関を受診しましょう」



<4>『イソジン(R)うがい薬(120ml)』(第3類医薬品)

<写真4>
イソジン(R)うがい薬(120ml)



帰宅後のうがいにプラスして口内を清潔に
帰宅後の手洗い・うがい時に使用するという石井先生。

「のどの荒れや痛みを感じたときの応急処置にも使用します。配合されているポビドンヨードはウイルスを攻撃・殺菌消毒の有効成分なので、口内の洗浄・殺菌に優れているんです」(石井先生)

【効能・効果】口腔内およびのどの殺菌・消毒・洗浄、口臭の除去
【用法・用量】「1回本剤2~4mlを水約60mlにうすめて、1日数回うがいする」
ムンディファーマ



<5>『アイリスCL-I ネオ』(第3類医薬品)

<写真5>
アイリスCL-Iネオ



衛生的に持ち運べる少量の目薬
コンタクトレンズ使用者やドライアイに悩む人におすすめの目薬。

「小分けのスティックタイプなので衛生的に持ち運べます。目が乾くときや目に埃が入ったとき、リフレッシュしたいときにGOOD。使用期限に注意しながら使いましょう」(石井先生)

【効能・効果】ハードコンタクトレンズまたはソフトコンタクトレンズ装着時の不快感、目のかわき、目のつかれなど
【用法・用量】1日3~6回、1回2~3滴を点眼
大正製薬 ●https://brand.taisho.co.jp/

歯科
ホワイトホワイト院長 石井さとこ先生 ●口もと美容スペシャリスト。日本で歯のホワイトニングを広めた第一人者で、歯と身体を美しく保つための食事の提案や、歯が美しく見える口もとメイクにも定評がある。近著に『マスクしたまま30秒!!マスク老け撃退顔トレ』(集英社)。

石井先生の市販薬との付き合い方

「市販薬は身体に不足していると感じた成分を効率よくとれるのが魅力。ただ、不足を感じないときは服用しません」



<6>抑肝散加陳皮半夏(よくかんさんかちんぴはんげ)エキス顆粒クラシエ(第2類医薬品)

<写真6>
抑肝散加陳皮半夏(よくかんさんかちんぴはんげ)エキス顆粒クラシエ



生理前のイライラや精神不安に最適
女性ホルモンの変動に伴う精神神経症状や身体症状を指す“血の道症”に効能を示す漢方薬。

「生理前のイライラや興奮を鎮めてくれます。私は生理前に飲むのですが、むくみや美肌効果も期待できるのでおすすめです」(工藤先生)

【効能・効果】神経症、不眠症、小児疳症(神経過敏)、更年期障害、血の道症など
【用法・用量】成人(15歳以上)1回1包を1日3回(食前または食間)
クラシエ



<7>加味帰脾湯(かみきひとう)エキス顆粒クラシエ(第2類医薬品)

<写真7>
加味帰脾湯(かみきひとう)エキス顆粒クラシエ



疲れや不眠の悩み解消に最適
服用すると熟睡できる、と工藤先生。

「疲れを感じたときに数日間飲みます。服用時の注意点は、構成成分に含まれる『サンシシ』と『カンゾウ』。サンシシは腸の血管に悪影響を及ぼす可能性があるので、長期間内服している人は定期的に腸の検査を受けましょう。一方のカンゾウは、高血圧や筋肉痛を招くリスクも。症状が出たときは内服を中止してください」(工藤先生)

【効能・効果】貧血、不眠症、精神不安、神経症
【用法・用量】成人(15歳以上)1回1包を1日3回(食前または食間)
クラシエ


総合内科・漢方外来
みやま市工藤内科副院長 工藤あき先生 ●高血圧・糖尿病・脂質異常症などの生活習慣病をはじめ、胃カメラでのがんの早期発見、心身を整える漢方治療に取り組む。「病気をみる」のではなく「1人の人間として患者さんをみる」をモットーに診療に尽力。

工藤先生​の市販薬との付き合い方

「手軽に入手できるので、体調がすぐれないときは最初に市販薬を試すのはよいと思います。でも、服用後も症状が2~3週間続いたり、服用中は落ち着いていても飲むのをやめたら症状が出る場合は医療機関を受診しましょう」



<8>『クラリチンEX』(第2類医薬品)

<写真8>
クラリチンEX



服用しても眠くなりにくいのがイイ
花粉症の時季に手放せない市販薬だが「じんましんが出たときに頓服します」と、土屋先生。

「1日1回の服用で済み、眠気も出ないのでおすすめ。1日の用量を守り、数日内服する際は同じ時間帯に飲みましょう」(土屋先生)

【効能・効果】花粉、ハウスダストなどによる鼻みず、鼻づまりなどのアレルギー症状の緩和
【用法・用量】1日1回1錠
大正製薬


皮膚科
つちやファミリークリニック 土屋佳奈先生 ●つちやファミリークリニック浅草院院長。1日に100人以上の肌の悩みと向き合う。「すべて自ら試す」がモットーの自称・皮膚オタク。肌への摩擦を少しでも軽減する「ミニマムスキンケア」を提唱する。

土屋先生​の市販薬との付き合い方

「クリニックを受診できないときに、まず市販薬を使用するのはひとつの手です。ただし、効果が感じられない場合は新たな市販薬を試すのではなく、クリニックを受診するのがベスト!」

〈取材・文/大貫未来(清談社)〉


<参考=「医者が実際に使っている「市販薬」を聞いてみた!効き目、手軽さ、信頼度から選ばれた8品」(週刊女性)
(22/07/07)


NO.3081 1月2日(月)19時スーパーセンターオークワで駅弁半額、3日(火)1時より消化液嘔吐<起稿 磯津千由紀>(23/01/03)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2023/01/03 (Tue) 07:42

 おはようございます。


 1月2日(火)に限り、桜木のスーパーセンターオークワにて全国の駅弁を販売してた。しかし、千円近いガソリン代をかけて買いに行くこともないと考えてた。
 一方、遅れた年賀状の印刷の準備をしてたら、ブラザーのインクジェットプリンタ複合機MFC-J6983CDWのインクノズル詰まりが酷い(紙詰まり状態で放置してたため)ので、「ノズルクリーニング強」を何回も行なったら、マゼンタのインクが尽き、シアンのインクとイエローのインクも残り僅かになった。夕食(芋汁)後に、大池のケーズデンキに行って、11895円-クーポン割引1000円のインクを買った。
 大池まで行ったなら、桜木はすぐ先である。ケーズデンキから6分、スーパーセンターオークワに1844に着いた。その時刻(閉店まで1時間強)だと駅弁も残り少なかったが、売切れを予想してたので残ってて安堵した。そして、大半が半額になっていたのは僥倖。
 「北陸 漁火寿し」1380円の半額と、「さつま揚げ むすび」850円の半額を、購入した(写真)。序でに夜食にと、たこ焼き12個430円の半額と、フルーツサンドイッチ322円も、買った(写真なし)。

 と、此処までは、のどかなレポートの筈だった。
 2145にフルーツサンドイッチを、2315にたこ焼き12個を、夜食に食した。
 少し量が多かったように感じたので、0010パンシロン01+胃腸薬を1包。
 0100頃より急に、激しい消化液嘔吐。夜中にたこ焼きを12個もというのが、悪かったのか。
 嘔吐は、3日(火)朝になっても続いており、経験では2~3日の絶食療養を要する。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2023/01/04 (Wed) 18:59

副題=5食を抜いて、嘔吐が納まったので、1月4日(木)夕食、粥と根菜煮

 こんばんは。


 1月2日(月)深夜からの消化液嘔吐が、ほぼ治まったので、今日1月4日(水)夕食は、レトルト卵粥と、圧力鍋で軟らかく煮た根菜煮を、頂いた。
 粥は、約3分の1を、残した。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2023/01/04 (Wed) 19:53

【元旦のスーパーセンターオークワのチラシ】


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2023/01/04 (Wed) 20:30

 追伸です。


 2度の入院を含む過去の経験より、当初は完全絶食(水分のみ摂るが、スポーツドリンクやゼリー等はダメ)するのが、治りが最も速いと分かりましたんで。
 食べられるようになっても、始めは、今晩のような軟食を少なめ、から。


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2023/01/14 (Sat) 16:15

副題=1月2日(月)に購入の駅弁2個が行き違いで今日1月14日(土)まで放置されてた

 こんにちは。


 1月2日(月)に、大池のケーズデンキにプリンタのインクを買いに行った(紙詰まりを放置してインクノズルが詰まりクリーニング強を何回も行なったらインクが切れ、晩に買いに行った)序でに、桜木のスーパーセンターオークワで駅弁セール(1月2日限り)をやってたので半額になった駅弁2種各1個を買ってきたことは、既報の通り。
 ところが、1月2日の夜から嘔吐症を発症し、駅弁の存在を、私も母も忘れてしまった。
 従って、2個の駅弁は、冷凍庫に入れられずに、放置されて仕舞い、今日1月14日(土)に偶然に発見した。
 勿論、もう食べられるわけがない。
 勿体無いことをした。


NO.3082 <高級食パン>ブームは、まだまだ、延びる<?>/終了<?>/一時的淘汰、衰退<?><起稿 シバケン>(23/01/03)


【シバケン】 2023/01/03 (Tue) 14:29

謹賀新年

ことしも よろしく お願い致します


<注=当記事22/04/13>

当方的、パン大好き人間的には、偶には、高級食パンの結構なれどの、諸般、ロシアのウクライナ侵攻で、小麦粉が高騰。

高級が、更に、高級に相成ったです。
結果、最近では、買うの気には、成らんです。

当記事では、
「銀座に志かわでは「4月1日から苦渋の決断で10%の値上げを決めた。それでも、税込み1000円以下になる価格にした」(銀座仁志川・広報)と、購入者がプチ贅沢を楽しめる金額は1000円までという見解を示した。」

ですが、
元々が、800円程度が故、偶にはと、買おてたですが、1000円近くになれば、一寸、なあと。
プチ贅沢したいのは、他にも、あるです。

いやねえ。
800円見当なら、お世話になってるの、方々なりに、気をつかわずの、簡単なるの手土産にも出来るですが。1000円近くは、感覚的、一寸なあと。

オッとの、
当然の、その高い、安い、プチ贅沢なるは、個々人に寄るです。

<写真1>
乃が美の高級食パン。ブームの火付け役となった(出所:リリース)



<絵2>
あせる王様の店舗イメージ(出所:https://suzu-pr.com/)



<写真3>
銀座に志かわ



<写真4>
一本堂



<写真5>
ラ・パンは高級クリーミー生食パンが売り



<写真6>
東京・荻窪のい志かわの店舗



<写真7>
乃が美。人気は健在



<写真8>
岸本氏はパンの形をした抱き枕も考案(出所:リリース)



<写真9>
乃が美はパンの自動販売機で、店舗が閉まっている時間帯もパンが買えるようにする



<写真10>
銀座に志かわの高級食パンと手さげ袋(出所:リリース)



<写真11>
高匠の店舗(出所:リリース)



<写真12>
一宮店、オープン当時の行列。小麦粉100に対して水100の比率(通常70~75)で柔らかくふんわりした食感を実現(出所:リリース)



>高級食パンのブームが去ったと、今年に入ってよく報道されている。SNSには、高級食パンの店が潰れていたという“閉店情報”の書き込みも目立ってきた。

>実際、以前にできていた行列がなくなっていたり、飛ぶように売れていた商品が夜の帰宅時にまだ残っていたりと、1店当たりの売れ行きが鈍っていて、飽和点に近づいているのではないかと感じることがままある。

>参考までに、「開店閉店.com」という全国における店舗の開店と閉店をまとめたWebサイトを見てみよう。過去半年のパン・ベーカリーの開店と閉店は、2022年3月(開店56/閉店16)、同年2月(開店40/閉店10)、同年1月(開店32/閉店23)、21年12月(開店59/閉店50)、同年11月(開店66/閉店8)、同年10月(開店77/閉店14)となっている。

>パン・ベーカリーのカテゴリーには、高級食パン以外の業態も含まれてはいるが、おおよその傾向はつかめるはずだ。高級食パンを含めたベーカリーショップの出店意欲は相変わらず旺盛だが、閉店も少なくない。

>昨年12月の閉店が50店と多いのは、首都圏で39店を展開していた「HOKUO」チェーンが一斉閉店したからだ。HOKUOは1988年から小田急電鉄が長く経営してきたベーカリーで、総菜パン、菓子パン、サンドイッチが中心。駅前に店舗があったため、コロナ禍のステイホームにより電車に乗る人が減ると、大きな影響を受けた。なお、HOKUO店舗のうち小田急沿線の10店は、神戸の「ドンク」に譲渡されて、順次オープンする。


>駅前は苦戦
>同様に高級食パンも、駅前にある店は売り上げ減に苦しむ傾向がある。

>閉店した店のリストを見ていると、ベーカリープロデューサーで、ジャパンベーカリーマーケティング(横浜市)の岸本拓也社長が手掛けた店が目立つ。本記事では、岸本氏プロデュースの店舗群を“岸本ファミリー”と呼ばせてもらう。岸本ファミリーは「考えた人すごいわ」「どんだけ自己中」をはじめ、「あせる王様」「遅刻のすすめ」といったように奇抜なネーミングが特徴だ。岸本氏は閉店した数以上に開店させているが、大量閉店したブランドもある。

>岸本ファミリーでも、特に「あせる王様」は苦戦している。20年8月、千葉県船橋市に船橋店をオープンしたのを皮切りに、千葉県に14店にまで急拡大。しかし、21年12月に津田沼店、八千代緑が丘店、稲毛店、北習志野店、C・one店、ブレッドスタジアム検見川浜店と6店が一斉閉店している。千葉市内にあるC・one店は同年9月にオープンしてからたった3カ月、ブレッドスタジアム検見川浜店に至っては同年11月にオープンしてから1カ月しか持たなかった。

>「真打ち登場」は19年11月、東京の千駄木にオープン。その後、店舗を10店ほどにまで急拡大したが、今はまた1店に戻った。残りは全て閉店。

>「遅刻のすすめ」(神戸市)は、JR六甲道駅の近くに21年1月オープン。しかし、六甲道は高級食パンの激戦地であり、元祖高級食パンといわれる「地蔵家」もすぐ近くにある。競合店の乱立で環境が厳しく、同年11月に閉店した。

>「告白はママから」(東京都武蔵野市)も20年8月、吉祥寺にオープンしたが、22年1月に閉店した。どこか1980年代「金妻ブーム」を連想させるネーミングだったが、結果的に支持されにくかったようだ。


>高級食パンは果たして本当に限界なのか。現状と展望を分析してみた。


>高級食パンの勢力図は?
>高級食パンはどのような勢力図になっているのか。まずは、各社の公式webサイトから、単純に主なチェーンの店舗数を数えてみた。19年1月6日付の店舗数は、後述する記事(筆者が過去に執筆)を参考にしている。また、「HARE/PAN」「ラ・パン」「本多」「い志かわ」については、「食べログ」などネット上の情報から割り出した。

>岸本ファミリーの最新店舗数は、ふじたん(藤田真嗣)氏が運営するWebサイト『まいぱん』より、「岸本拓也さんがプロデュースした高級食パン専門店の全店舗一覧【2022年4月最新】」をベースにしている。また、開店閉店.comも参考にした。「銀座に志かわ」「ワンハンドレッドベーカリー」は、運営会社に直接聞いた。なお、銀座に志かわの最新店舗数は3月31日現在の数字となっている。


>【主要高級食パンチェーンの国内店舗数(左が19年1月6日、右が22年4月10日)】

・岸本ファミリー(4→260)
・乃が美(111→256)
・HARE/PAN(3→172)
・一本堂(113→128)
・銀座に志かわ(1→124)
・ラ・パン(1→51)
・嵜本(5→37)
・高匠(8→35)
・panya芦屋(6→16)
・本多(5→15)
・レブレッソ(3→10)
・い志かわ(1→10)
・ワンハンドレッドベーカリー(0→8)
・俺のベーカリー(8→5)
・点心(4→4)

>こうして見ると、店舗数からいくつかのグループに分けられそうだ。岸本ファミリーと乃が美はトップを争う最大手第一集団。

>一本堂、銀座に志かわ、HARE/PANは、店舗数100を超えた大手第二集団。

>ラ・パン、嵜本、高匠は、30~50店ほどの中堅の第三集団。

>panya芦屋、本多、レブレッソ、い志かわ、ワンハンドレッドベーカリーは、10~20前後の小チェーンで第四集団。

>あとは、地元に愛される個人店や3~5店程度のごく小さなチェーンが多数ある構図だ。

>高級食パンがブームだといわれ始めた19年1月6日付で、筆者は「東京と大阪の“抗争”が激化 今年も高級食パン戦争から目が離せない」という記事を書いている。その頃の最大手は、一本堂の113店で、乃が美が111店と肉薄していた。3年で勢力図は一変した。一本堂も乃が美も大阪出身で、東京勢も「セントル ザ・ベーカリー」や俺のベーカリーが出現しており、品質では負けないといった構図だった。

>岸本ファミリーは東京郊外の清瀬と横浜の菊名に考えた人すごいわ、東京の中野に「うん間違いないっ!」、相模原市の橋本に「これ半端ないって」を出店していて、4店があるのみだった。そこから怒涛(どとう)の勢いで出店を重ねていくのだ。

>銀座に志かわはまだ銀座に1店あるだけだった。水にこだわる、独特の和風の風味でこのチェーンも伸びた。


>次の一手に取り組む乃が美
>現状、岸本ファミリーの店舗数は、乃が美を抜いて業界トップである。コロナ禍で高まった巣ごもり需要を背景に、外食ができなくなった人の「ささやかな贅沢(ぜいたく)を楽しみたい」という需要を取り込んで、大きく成長した。岸本氏は、この3年の間に潰れた店も合わせて、300店近くの高級食パン店を全国につくりまくっていた。

>最初のプロデュース店である考えた人すごいわは、11店まで増えていて順調だ。その後、岸本氏の付けるネーミングも「いつかの馬鹿ップル」「なま剛力スタジアム」「チンパンジーOK」「並んで歯磨き」「ボイン」など、だんだんと独特な雰囲気が醸し出されてくるが、初期の店はしっかりしている感がある。

>岸本ファミリーの各店は、岸本氏自身が経営してないので、プロデュースを依頼した人の経営力でその後の運命が変わってくる。同じ人がプロデュースをしているから、店の雰囲気、味や商品内容が似通ってくるのは仕方ない。

>乃が美は19年の頃から、「そろそろ限界」ともいわれていたが意外にも店舗が倍増している。

>高級食パンの火付け役としての知名度とブランド力が確立されてきたようだ。

>乃が美は、麻布十番に東京初となる店舗ができた際に大行列ができていた。現在、同店の行列は見られなくなったものの、都内に19店を擁するようになった。大消費地の首都圏が未開拓だったのが、コロナ禍の間に出店が進んだ。「はなれ 札幌店」が3月に閉店したように、たまに閉店も見られるが、岸本ファミリーのような大量閉店はなく、全般に順調だ。

>東京・八王子市の高尾駅販売店では自動販売機を設置して、店舗が営業していない夜中や早朝でもパンが買える取り組みを新たに始める。


>このような次の一手に取り組む姿勢が乃が美にはある。

>各チェーンの特徴
>一本堂は、価格が500円を切る商品も多い。他の高級食パンが2斤を中心に1~2種類を売っているのに対して、1斤が基本で種類も豊富。買いやすいのでもっと伸びるかと思われたが、微増(十数店増えただけ)にとどまった。

>銀座に志かわは18年9月、東京・銀座に1号店をオープン。19年以降に店舗を急増させて100店を超えてきた。22年中に現在40都道府県にある店舗を全47都道府県にまで浸透させ、150店にまで伸ばすのを目標としている。23年中には200店舗を目指す。

>今までに閉店した店は一つもなく、それも特筆するべきことだ。

>運営会社である銀座仁志川・広報は、「弊社の水にこだわる高級食パンは、いつ・誰が・どこでつくっても同じ品質になるように、独自の研修システムを行ってきた。オープン後も、月に1回、全店舗の食パンを本部に集めて商品チェックしている。定期的に本部から各店舗に工房スタッフを派遣して、製造工程を確認する。さらには各店の工房にWebカメラも設置して24時間、本部からチェックしている」と、ブランドの維持に全力を挙げていることを強調した。

>アルカリイオン水を使った和風テイストの食パンを開発するのに、2年かかったそうだ。新商品として、高級あん食パン「和加らすく」なども投入している。

>オープン直後の勢いで行列ができているだけでなく、接客も含めて店舗の品質を維持していく作業に手間暇をかけているのが、これまで閉店がないという実績につながっている。


>コロナ禍の影響も
>HARE/PAN、ラ・パン、嵜本、高匠、panya芦屋、本多、レブレッソ、い志かわなども順調に店舗数を伸ばしている。ラ・パン、嵜本、高匠、レブレッソは大阪発祥だ。panya芦屋、本多は兵庫発祥となっており、乃が美や一本堂を含め関西勢が強い。

>HARE/PANは埼玉県の南越谷が発祥で、和食に精通した中川透氏(元・名古屋マリオットアソシアホテル「華雲」料理長)の監修。日本の食卓に合う食パンがコンセプトだ。

>ラ・パンは大阪の京阪沿線、関目で創業。生地に乳製品と蜂蜜を練り込んだ、高級クリーミー生食パンが売りだ。

>嵜本は、母体がチーズタルトの「パブロ」なので、商業施設で伸びそうだ。

>高匠は、湯種製法という小麦を湯で捏(こ)ねて低温で熟成させる製法でつくる正統派。

>panya芦屋は高級住宅地で知られる兵庫県芦屋市出身。東京の世田谷にも工場を持ち、高級住宅地に強い。

>本多は、兵庫県姫路市の発祥。現状は関西、中京、岡山に店舗がある。40種類以上ある「ミニキューブ食パン」という独特な菓子パン的・総菜パン的なミニ食パンが面白い。

>レブレッソはコーヒースタンド併設を基本形とし、店内飲食も充実させている。

>い志かわは名古屋の高級食パンブームを先導した。東京には荻窪に店舗がある。

>俺のベーカリーはかつて8店あったが、5店に減った。俺のシリーズの店は、「俺のフレンチ」なども含めて、東京・銀座など都心部に店舗があり、コロナ禍の影響を大きく受けてしまった。


>モスバーガーも進出
>モスバーガーが山崎製パンと組んで、「バターなんていらないかも、と思わず声に出したくなるほど濃厚な食パン」という、岸本ファミリー風な商品名を付けた高級食パンを出している。また、「寅゛衛門(DORAEMON)」という居酒屋を経営してきたDREAM ON(愛知県一宮市)が、「ワンハンドレッドベーカリー」という高級食パンを販売して行列ができている。このように、だんだんと個人の事業から資本力のある外食企業の事業へと、高級食パンの事業主体に変化の兆しが見えてきている。

>モスバーガーは1251店(4月10日現在)もある。21年3~10月に店舗限定で、試験的に食パンを販売したところ、想定の4倍となる約40万斤が売れた。22年3月11日に再開したが、今回は、チョコ味の食パンも追加してパワーアップ。完全予約制で、毎月第2・第4金曜日しか売っていないが、既に高級食パンの店舗数では最大手になっている可能性がある。

>ワンハンドレッドベーカリーはバスクチーズケーキも売りで、「エスプレッソ ディー ワークス」というカフェの併設店もある。21年3月、愛知県一宮市に1号店をオープンした最も後発なチェーンだけに、パンだけにこだわらず、売れそうなものを何でも売る姿勢だ。


>高級食パンの今後は?
>果たして高級食パンはこの先、専門店として残れるのか。

>市場が飽和してサバイバル時代に突入しつつあることを見越して、乃が美では3月26日、台湾の台北市「統一時代百貨台北店」に海外1号店を出店した。日本の高級食パンがどれだけ受け入れられるのか、興味深いチャレンジだ。


>銀座に志かわも今年中の海外出店を計画している。

>高級食パンは、もうおいしさへのこだわりだけでは難しい。もともと、価格競争で売ってきた商品ではないので、小麦の値上げの影響はそれほど受けないと思われるが、プラスの要素とはいえない。

>銀座に志かわでは「4月1日から苦渋の決断で10%の値上げを決めた。それでも、税込み1000円以下になる価格にした」(銀座仁志川・広報)と、購入者がプチ贅沢を楽しめる金額は1000円までという見解を示した。

>今後の高級食パンは、過当競争により知名度の高い少数のブランドに集約され、あとは地場の個人店が固定客をつかんで残る展開になりそうだ。岸本ファミリーの一部に起こった崩壊現象はその前哨戦だろう。

>(長浜淳之介)

>※2022年4月13日12時30分、一部表記を削除しました<ITmedia ビジネスオンライン>

<参考=「高級食パン」ブームは本当に終了したのか? “大量閉店”騒動が隠した本当の姿」(ITmedia)>
(22/04/13)


【シバケン】 2023/04/25 (Tue) 17:23

副題=「乃が美」も「嵜本bakery」も 高級食パンが陥る「ブーム→大量閉店」の流れ(ITmedia)

当家、近くで、時折なら、買おてましたの、「銀座に志かわ」の店、閉店したです。

まあねえ。
当方見解なら、旨いか、不味いか。
その差が一発、わかる程の舌の持ち主、僅少かと。

オッとの、高級食パン・ブームねえ。
値が、手頃であったが故、流行ったと、思てるです。意味なるは、当板冒頭でも、記載の、千円の壁。
千円未満でも、千円に限り無くの、近くになれば、高級パンが、高級化するです。

意味、手軽には、買えず。

加えての、当記事では、ブーム到来で、方々で、似たよな、店、食パン屋が出来て、乱立と、してるです。
このご時世、少子化のため、長くは続かんと。
そやろ、哉と。

ロシアのウクライナ侵攻で、小麦等々、穀物が高騰。よて、値上げに踏み切ったですが。値が上がれば、高がの、食パンでして。
再度の、そんなモノに、千円も出せるの怪<?>
だけの話と、思てるです。

とりあえず、当家なら、値上がってから、「銀座に志かわ」のパンからは、足遠のいたです。
いやね、概ねの、どこさんも、一緒と、違うの怪<?>
安いなら、遠のかんです。

そらねえ。
スーパーでも、コンビニで、でも、買えるなら、なれどの、店に行かんと、あらへんし。わざわざの、それを買いには、余程の、近くの方やろねえ。

当家なら、月参りの、墓参の帰りやねえ。その店の前、通るから。
されどの、値上がってからは、買うの頻度、がくんと、低下したです。

と、するのか、
値上げ以前なら、2箇月に、1回程度かと。
値上がってからは、さての、閉店と、聞いたが故、折角やしと、最後に買うの、1斤をと。


>ブームが過ぎて過当競争が進んでいる、と専門家らが指摘していた「高級食パン」の過当競争がなかなか終わらない。


>先日、ブームの火付け役「乃が美」で多くの店が経営難に陥ってフランチャイズ本部とオーナーが泥沼訴訟をしている、ということが報じられたが、大手の「SAKImoto bakery」でも大量閉店が起きているというのだ。

>J-CASTニュースの『「高級食パン」大手も縮小 「SAKImoto bakery」は5か月で16店を閉店』によれば、SAKImoto bakeryでは2022年12月~23年4月末までに16店舗を閉店。理由を質問しても、回答を差し控えたいということなので、「言えないような苦しい台所事情があるのでは」などと憶測を呼んでいる。

>ただ、ちょっと冷静になって周囲を眺めると、このような「ブーム→大量閉店」という道をたどっているのは、なにも高級食パンだけに限った話ではない。

>『唐揚げブームの終焉 ワタミの失敗を専門家は「興味深い。専門店はタピオカと同じ運命を辿る」』(デイリー新潮 3月3日)

>大衆が流行りものにワッと飛びついて、商売人は「稼ぎどきだ」と似たような店を次々と出して大行列、時代の寵児のようにもてはやされるが、大衆が飽きると閑古鳥が鳴いて閉店ラッシュ……。そんな「平家物語」の「驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し」を体現するビジネスは、資本主義社会では後を断たないのだ。

>ただ、日本の場合、その栄枯盛衰スパンが最近やたらと早いような気がする。ちょっと前までブームだと大騒ぎして行列ができていると思ったら、次に見たときはもう店が潰れて居抜き物件になっている。「寿命」が短いのだ。


>同じ商売に飛びつきすぎ
>これにはいろいろなご意見があるだろうが、筆者は個人的に「人口が減少しているわりに、みんな同じ商売に飛びつきすぎる」問題があると思っている。

>ご存じのように今、日本は毎年、鳥取県の人口と同じくらいの人口が減っていく「縮みゆく国」だ。立派な評論家やジャーナリストは、そこは日本の誇るロボット技術でカバーだとか、ChatGPTの活用だなんだと楽観的なことを言うが、ロボットもAIもメシを食わないし、買い物をしないし、酒を飲んで宴会騒ぎはしない。

>つまり、日本国内の「消費者」は移民でも受け入れなければすさまじいスピードで減っていくので、どれほどテクノロジーが進化しようとも、国内ビジネスは「縮小」を余儀なくされるのだ。

>だから、人口増時代に確立された「大量出店をして47都道府県制覇」や「ドミナント戦略」(同一商圏内同じ店を多く出店することでロイヤリティを高める戦略)という拡大路線はガラガラと音をたてて崩れている。当たり前だ。国内の消費者が減っているのに、サービスや商品を供給する側が人口増時代のビジネスモデルを続けて、プレイヤーを増やしてもうまくいくわけがない。

>にもかかわらず、この日本においてプレイヤーが爆発的に増えてしまうときがある。そう、「ブーム」だ。

>「今、これがアツい!」なんてメディアで取り上げられて、店に大行列ができていると、どうしても「二匹目のドジョウ」を狙って参入する人たちが後を断たない。中には、ヒットしている商品やブランド名を思いっきりパク……ではなくてインスパイアされた「そっくりさん」まで出てくるのだ。

>例えば、高級食パンでも「乃が美」や「SAKImoto bakery」が注目を集めると、「高級食パン」を名乗る店が乱立した。また、愛知の「最高級食パン専門店 い志かわ」とよく似ている「銀座に志かわ」なんて感じで、消費者が混同するような「そっくりさん」が次から次へとあらわれる。


>「模倣文化」が産業を発展
>こうなるとそのビジネスは急速に衰退していく。『「乃が美」と「いきなり!ステーキ」の共通点は何か 両社がハマった沼』の中でも述べたように、カニバリが進むということに加えて、何よりもブランド価値が急激に低下して、消費者がそっぽを向いてしまうのだ。

>と聞くと、「ブームで似たような店ができるのは悪いことだ」と言っているように誤解されるかもしれないが、そうではない。筆者はこのような一般消費者に向けて飲食や商品を提供するビジネスでは「模倣」をするのは当たり前だし、日本の場合はこの高度な「模倣文化」がさまざまな産業を発展させたと思っている。

>中国や韓国のことを「パクり」「民度が低い」などとディスって優越感に浸っている人たちには大変申し上げにくいが、実は半世紀前に「パクリ」といえば、日本人の専売特許だった。

>自動車も家電も海外メーカーのものを忠実に模倣した。あらゆる産業・業界で欧米のビジネスモデルを参考にするだけではなく、ブランドをそのまま「パクる」ということまで横行していたからだ。年配の方ならばご記憶にあると思うが、松下電器も “マネシタ電器”なんて馬鹿にされており、松下幸之助氏も、こんな負け惜しみを言うしかなかった。

>「日本人は決して単なる模倣民族ではないと思う。吸収消化する民族である」(PHP 1965年7月号)

>筆者はこのような日本の過去は、ちっとも恥ずべきことではないと思っている。民度がどうとかいう話ではなく、自分たちより優れた他者から技術や方法論を真似て、自分たち流にアレンジをして、ときに本家を追い抜かすまで発展させる、というのは人類がもっている素晴らしい特徴のひとつだ。

>例えば、かつて半導体といえば、欧米や日本の独壇場だったが、他国から技術者を引き抜いて、国家をあげて真摯(しんし)にパクってきた台湾や韓国が本家を追い抜かすほど成長している。電気自動車や太陽光発電でも米国や欧州がリーダーかと思っていたら「パクリ大国」の中国がメキメキと頭角をあらわしている。

>世界の中で、自分たちだけの完全オリジナルの技術で発展した国などない。「パクリ、パクられ」で世界は回っているのだ。

>そういう現実を踏まえると、高級食パンでもタピオカでも唐揚げ専門店でも、似たような店が増えるのは当然だし、「パクり、パクられ」があったからこそ産業が発展して、行列ができるブームも発生するという現実もある。

>人気居酒屋「鳥貴族」が、似た名前の居酒屋「鳥二郎」を提訴した際、「鳥二郎」は次のような反論をしている。

>『答弁書では「飲食業界は模倣を前提に成り立っている。競合店が互いに模倣し合って外食産業は発展してきた」とし、業界で“パクリ”は常識だと主張。鳥貴族の社長が以前に経済誌のインタビューで、行きつけの飲食店が均一価格だったことをヒントに価格を「280円均一」にしたと明かしていたとし、「社長も模倣が起業のきっかけになったと認めている」と指摘した』(産経WEST 2015年6月16日)


>「寿命」を急速に縮める悪手
>このように「模倣」は決して悪いことではない。むしろ、競合同士が切磋琢磨して、商品やサービスの品質向上や価格競争をさせていく効果も期待できるので、消費者的には悪いことではない。

>では、何が悪いのかというと、「今の人口減少時代にはそぐわない」という点に尽きる。似たような店が乱立すれば、競合同士が切磋琢磨して、商品やサービスの品質向上や価格競争が激しくなる。しかし、どれだけ安くていいものを提供しようとも、消費者は減っているのでもうからない。「薄利多売」は人口増時代だから成立したビジネスモデルなのだ。

>今の中国や高度経済成長期の日本を見れば分かりやすいが、人口が増えている社会では「パクリ」のビジネスはおいしい。ブームが過熱すると、オリジナルを買えない人々が世の中にあふれかえるので、「コピー」でもそれなりに売れるからだ。

>しかし、人口減少社会ではそうならない。ブームが起きて行列ができても、消費者が少ないので「オリジナル」を購入できる。「コピー」が大量にあふれると、オリジナルのビジネスを邪魔して、ブランド価値を下げることにしかならず産業全体を衰退させる。

>芥川龍之介の『蜘蛛の糸』ではないが、細い糸にあまりに多くのプレイヤーがぶら下るることで、全員が地獄に落ちてしまうのだ。

>つまり、「模倣」を前提にみんなで切磋琢磨しながら市場を盛り上げるという考え方は、人口が増えていた時代だから通用した話に過ぎず、これからの時代は「寿命」を急速に縮める悪手なのだ。


>ビジネスの常識も変わっていく
>「みんな同じ商売をやりすぎ」というと、「商売ってのはそういうものだ」「もうけ話があれば飛びつくのが人の性だ」という反論をする人も多いが、時代が変わればビジネスの常識も変わっていく。

>例えば、日本にはさまざまなフランチャイズビジネスが乱立しているが、それはもはや国内で広げるものではなく、海外で広げるものになっている。コンビニや外食チェーンなど日本のフランチャイズシステムは、海外の人から見ると驚くほど高度にシステム化・効率化されている。そのため、まだ人口が増えている途上国の企業は、自分たちの国に導入できないかと熱い視線を送っている。

>つまり、日本人がこれまでやってきた「同じような店をたくさんつくる」というビジネスモデルは、人口が減っている国内でやるようなものではなく、「輸出産業」として世界に売り出すものになってきているのだ。

>「縮みゆく社会」という大きなパラダイムシフトに直面しているわれわれは、商売についての考え方をガラリと変えていく必要があるのではないか。

>(窪田順生)

<参考=「「乃が美」も「嵜本bakery」も 高級食パンが陥る「ブーム→大量閉店」の流れ」(ITmedia)>
(23/04/25)