みんながパソコン大王
雑談<NO.86>

みんながパソコン大王
総 合 目 録 趣意書

表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
雑談NO.87
1113 NHK要らない 15/04/14
1112 入社式についていく親の気持ち(厳選 日経ビジネスオンラインメール) 磯津千由紀 15/04/13
1111 ジムノペディがよく似合う<国際宇宙ステーション> 15/04/12
1110 所詮のショービジネス 15/04/12
1109 一流の人は、一流の人を雇う(北尾吉孝日記) 磯津千由紀 15/04/12
1108 <今更ですが>ニュースステーション、古賀さんVS古館さん (YouTube) 磯津千由紀 15/04/12
1107 静岡県「掛川市」と「藤枝市」 なぜ“がん死亡率”が低いのか?(日刊ゲンダイ) 磯津千由紀 15/04/11
1106 なぜ安倍政権は間違った政策をやめないのか(東洋経済ONLINE) 磯津千由紀 15/04/10
1105 今のミャンマーは異常 親日国に対する不安(池間哲郎) 磯津千由紀 15/04/10
1104 (社説余滴)人生の終わり方を考える 友野賀世(朝日新聞) 磯津千由紀 15/04/10
1103 <今更ですが>韓国首相、任那日本府の存在否定 通りすがり
でもないMr.X
15/04/10
雑談NO.85

NO.1103 <今更ですが>韓国首相、任那日本府の存在否定<起稿 通りすがりでもないMr.X>(15/04/10)


【通りすがりでもないMr.X】 2015/04/10 (Fri) 17:27

韓国にとって都合の悪い歴史は否定が正論ですか?


>日本の文化庁がホームページで朝鮮半島由来の文化財について「任那(みまな)時代」と表記したり、6日に検定合格した中学校教科書に「任那日本府」が記載されたりしているとして、任那の存在を否定する韓国で「古代史でも日本が歪曲(わいきょく)」(韓国紙)との非難が起きている。

>9日には李完九(イ・ワング)首相が、「事実に基づかない歴史歪曲をしてはならない。真実を隠すことはできず、厳しい歴史の評価を受けるだろう」と批判した。

>任那は日本書紀にも登場し、4~6世紀に朝鮮半島南部にあり、倭(大和朝廷)の勢力圏だったとされる。中国吉林省にある好太王(広開土王)の碑文にも倭とともに任那の存在をうかがわせる文字がある。

>旧日本軍による好太王碑文の“改竄説”があり、日本では一時期、任那存在説は後退。しかし、2006年に中国社会科学院の研究者の発表により、改竄説は否定された。

>このため、日本では最近任那存在説が強くなっているのだが、韓国では06年以前の日本の専門家による「根拠がない」との説などを持ち出し、否定を継続。今回はこれに首相まで乗り出した形だ。


<参考=「「古代史でも日本が歪曲」韓国首相、中学校教科書の「任那(みまな)日本府」記述を批判」(産経ニュース)>


【通りすがりでもないMr.X】 2015/04/10 (Fri) 19:19

こんな本が

>■大陸進出の軍事的要衝立証

>本書は、著者が精魂傾けて連続出版した『日本古代史 正解』(全3巻、講談社)に続くものである。第3巻の「渡海編」では、日韓の古代史学会がその存在を否定する神功(じんぐう)皇后の新羅征伐が、まぎれもない歴史的事実であることを突き止め、さらに倭国の朝鮮半島進出の橋頭堡(きょうとうほ)として半島南部沿海地域に手を伸ばし、ここを任那(みまな)日本府とした事実を立証している。碑文や石碑の位置関係、さらに歴史的文脈からこの事実を初めて証(あか)したことの意味には圧倒的なものがある。

>今回の著作は、この任那日本府という、古代日本人の大陸進出の軍事的要衝(ようしょう)が、これも日韓の古代史学会による否定にもかかわらず、確実に存在し、その存在のありようにまで想像力を働かせた意欲的作品である。立証の基点は、朝鮮半島南西部の全羅北道、全羅南道の、任那日本府とその周辺地域で、1980年代に相次いで発見された前方後円墳(14基)である。これだけの数の発見は、前方後円墳が半島を経て日本に伝わったものであることの証(あかし)だとする説となって流布したものの、古墳の造営の年代が、全土で多数発見されている日本のものより新しく、この説は受け入れられないという。

>神功皇后の新羅征伐などは玄界灘の中央に位置する沖ノ島を経由、ここで安全祈願の儀式が朝廷により執り行われた後に半島に向かう海の道が当時すでに確立していたことを、著者はこの島に残る遺物の中に精細に観察している。

>「古代の日本人、倭人は、現在のわれわれが想像する以上の航海民族でした」という記述から本書は始まる。海洋への進出は、そのための国内条件が整えられていたことを示す事実なのであろう。国内統一が完成するや、そのエネルギーが隣国に向けて放射されていくというのは経験則でもあろう。「記紀」(古事記・日本書紀)は天皇家支配のために「造作」されたものだという観念を払拭できない日本の古代史家や、半島の一部が日本の統治下におかれたことなど認めたくない韓国の古代史家に阿(おもね)って、歴史の真実が隠蔽(いんぺい)されていいはずがない。(PHP研究所・1680円)

>評・渡辺利夫(拓殖大総長)


<参考=「『知っていますか、任那日本府』大平裕著」(産経ニュース)>
<消滅・21/05/30>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/10 (Fri) 19:31

 こんばんは。


> 第3巻の「渡海編」では、日韓の古代史学会がその存在を否定する神功(じんぐう)皇后の新羅征伐が、まぎれもない歴史的事実であることを突き止め、さらに倭国の朝鮮半島進出の橋頭堡(きょうとうほ)として半島南部沿海地域に手を伸ばし、ここを任那(みまな)日本府とした事実を立証している。

 このような表現は、所謂「トンデモ本」に極めて良く見られるものです。
 書籍になっているからと言って、正しいとは限りません。
 盲信しないように。(勿論、正しい可能性もあります)


NO.1104 (社説余滴)人生の終わり方を考える 友野賀世(朝日新聞)<起稿 磯津千由紀>(15/04/10)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/10 (Fri) 22:37

 こんばんは。


 タブー視されてましたが、事前に聞いておこうという方向に変わりつつあるようです。


> 「あれでよかったのか、と今でも思う」

> 2月に京都府医師会が開いた終末期医療を考える集会。参加者は、親を看取(みと)った体験を次々と口にした。

> 府医師会は、終末期の医療を巡って家族と医師の間がこじれる事態が相次いだことを踏まえ、数年前にこの集いを始めた。こうした事態を防ぐには、医師と市民が普段からざっくばらんに話すことが欠かせないと考えたからだ。

> 年齢を重ね、やがて訪れる最期を、どこで、どのように迎えたいのか。本人がどうしたいのかがわからなければ、周りは悩む。本人の思いが共有されていることは、現実に「その時」が訪れた際に大きな意味を持つ。

> 昨年亡くなった人は推計で127万人。高齢者の増加で亡くなる人の数は増え、2025年には154万人になると見込まれている。医療技術の進歩で、人生の最終段階においても受けうる医療の選択肢は広がった。「高齢者本人の望み」がクローズアップされる場面も増えるだろう。

> 自分はどうしたいのか。

> 何事もないときに、自分の命の終わり方を考えるのは気が進まない、周りにしてみれば「そんな話題を持ち出すのは縁起でもない」と、つい先送りしてはいないだろうか。

> 死にまつわる話はタブーとされがちだった。13年の調査でも、人生の最終段階での医療について、一般の人の6割弱は「家族と全く話し合ったことがない」と答えている。

> ただ、これはその人が自分の人生をどう生きるかの一環、「自分の人生の最終段階を、どう生きるか」ということなのだ。

> 「ご飯が食べられなくなったらどうしますか?」

> 滋賀県東近江市の医師・花戸貴司さんは、著書のタイトルにもなったこの言葉を、往診の際や診療所の外来で患者に投げかける。

> 「お迎え」が遠からず来そうな状態になったときに、入院したいか、栄養を取るための点滴を望むか。まだお迎えには間がありそうなうちから、折に触れて患者とやりとりする。「患者さんが、最期まで自分らしく生きるために必要な準備と思っています」

> 取材で高齢者やその家族、医療・介護の関係者に話を聞いていると、最終段階をタブーにせず語る雰囲気が少しずつ広がっているのを感じる。重く、大切だからこそ、普通に語り合いたい。それが本人の生き方の尊重につながる。

> (とものかよ 社会保障社説担当)

<参考=「(社説余滴)人生の終わり方を考える 友野賀世」(朝日新聞)>
(全文閲覧には会員登録が必要)
<消滅・16/04/27>


NO.1105 今のミャンマーは異常 親日国に対する不安(池間哲郎)<起稿 磯津千由紀>(15/04/10)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】2015/04/10 (Fri) 23:12

 こんばんは。


 貧しいけど心優しい人々の国と思っておりました。


> 一昨日からミャンマーに居ます。タイのバンコクでトランジットする事無く、成田から全日空直行便で来れるのは便利で有り難い。
> 今回の目的は15年支援を続けるハンセン病施設訪問、孤児院建設打ち合わせ、日本軍の駐留した村の調査、大先輩へのインタビュー、友人達の企業訪問等々スケジュールはびっしりと詰まる。 
> 最近は足を運ぶ度に愕然とする。ここ10年間の変化は異常。バブルバブルで泡だらけ。ヤンゴンの道は常に渋滞。通勤時間関係無く車が埋まる。土地は信じられない程の高騰。坪数百万。TOKYOよりも高い。家賃は銀座よりも高いと思ったらイイ。小ちゃな事務所を借りた友人(日本人)は毎月150万円払っている。停電は当たり前、水不足、港湾、道路、法的整備、インフラは整っていない。大企業ならともかく、一般の中小零細企業の進出はくれぐれも慎重にと願う。
> 急激な経済発展は人心も狂わす。成金も出て来たが貧しさに喘ぐ人々も増えた。街はクラクションでうるさく。人が殴り合う場面にも出会う。穏やかさと謙虚さを持つ心優しきミャンマー人は「日本人と似ているな」と思っているだけに荒れた状況に憂いを感じている。


<日本の皆さんの御蔭(私達が生きているのは)>


> ミャンマーのハンセン病施設に暮らす人々から「私達が生きているのは日本の皆さんの御蔭です」とシビアな言葉を頂いた。早いものでこの施設を支え続けて14年の歳月が流れた。
> 初めて訪ねた時に驚く。多くの方が餓死寸前の極度な栄養不良状態。運営資金も殆ど無く、お米さえも買えない状況。「こりゃ〜大変だ!」と食料援助に入った。数百名の人々に対する食料援助には莫大な資金が掛かる。それでも「食べて生きて行くのが最も大事だ」との判断に迷いは無かった。ところが半端では無かった。とにかくお金を集めなければ食料援助の継続は出来ない。「愛さえあれば等とは絵空事に過ぎない」それほど「人の命を預かる責任」は重い。マネジメント無くして支援は出来ない。苦悩の連続だった。
> 私が施設に入ると多くの皆さんが駆け寄る。両手を握り「有り難う」と何度も口にする。施設責任者が姿勢を正して言ってくれた。「私達が、こうして生きているのは日本の皆さんの御蔭。地獄のドン底に居る時に手を差し伸べてくれたのは日本の方々。この御恩は決して忘れません。ホントに有り難う御座います」と語る。「やり続けて良かった」と涙があふれる。
> 私も姿勢を正して改めて伝えます。見返りを求めない「無償の愛」を届けてくれる日本の皆さんに深く感謝致します。私の力など無きに等しい。全て皆さんの御蔭です。「有り難う」の言葉を幾度伝えても足りない。皆さんの御蔭で多くの命が生きています。


池間 哲郎:アジア支援機構 アジアチャイルドサポート代表理事

FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/11 (Sat) 22:17

副題=久しぶりに男に惚れたぜ!高僧との出会い(池間哲郎)

 こんばんは。


> ミャンマーのお坊さんは人々から尊敬されている。この国に於いてお寺の役目は非常に大きく「弱者を支える最後の砦」ともなる。
> 120名の孤児を預かる僧院を訪ねる。42歳の若き住職は素晴らしい人物だった。自分よりも遥かに年下で有りながら落ち着いた物腰、柔らかな声、人々を思う心には合掌し頭を下げざるを得なかった。住職は豊かな家庭に生まれた様なのだが、つい最近、親から畑や土地などの財産を引き継ぐもその全てを寄付したと聞く。
> 若き高僧に対して「財産の全てを寄付したと聞いたのですが?」と聞くと困った様な顔をしてポツリと答えた。「私の物は僧侶になった瞬間から私の物では有りません。私の物は人々の物です。当たり前の事」と話す。穏やかな話し方故に、さらに深く心に突き刺さる。「久しぶりに男に惚れたぜ!」と素直に感動した。
> 「私の物は人の物」と自分は言えない。もちろん住む世界の違いも有るが、しっかりと自分への戒めとしたい。人間にとって「欲」は大事だとも思う。ただ「欲」にトップリと浸かる生きる方は止めた方が良い。教えられた。もっと勉強せねばならぬと高僧の背中を見つめる。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/12 (Sun) 23:36

副題=残虐なイギリス植民地時代を知らない人々(池間哲郎)

 こんばんは。


> 90歳前後の御老人を訪ね植民地時代、日本時代、日本兵との関係など調査を続けている。今回も数名の大先輩方に御会いした。
> 先輩方との調査についてのFB投稿は後日に廻す。20代〜70代の人々は日本と、そっくりと思われる点が有る。彼らの多くはイギリス植民地時代の事を知らない。当時の植民地政策で、いかにミャンマー人(当時ビルマ)が搾取、略奪に苦しみ、多くの人々が虐殺されたのを知らない(もちろん中には精通している方もいらっしゃる)。隣のインドがイギリスの植民地となり多くの罪無き民が餓死に追詰められ、両手を切り落とされていた事実も解らないのです。「エッ!イギリスがミャンマーに酷い事をしたの〜」と言う感じ。ビックリしてしまう。日本人も白人帝国主義植民地時代の有色人種の苦しみを知らない。コロンブスやマゼランなどの強盗集団頭目を尊敬する日本人も多い。これもビックリだが。
> 植民地時代の残虐さを知って「白人達に恨みを」との想いはサラサラ無い。ただ歴史はしっかりと学ぶのは大事だと思っている。英国植民地当時の事をミャンマー人に話すと驚いた顔をして「私達は真実を知らされていないかも?もっと外(外国)からの情報を伝えて下さい。もっと教えて下さい」と頼まれた。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/12 (Sun) 23:43

 こんばんは。


 池間氏の著書です。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/15 (Wed) 22:14

副題=日本兵の悪さは聞いた事が無い(池間哲郎)

 こんばんは。


 「はだしのゲン」後半は、例外的行為だったというのが、定説です。


> 日本人は日本兵がアジアの至る所で残虐行為を行ったと教えられて来た。確かに戦時下においては人間の心は狂う。残虐行為が一切無かったとは私自身、思ってはいない。
> ヤンゴンから約30分「イラワジ川」を大型フェリーで渡る。対岸へ到着後、赤土が剥き出しになった道路を車で2時間近く走る。それから小型ボートに乗り換え1時間。さらに気温40度、太陽の光がギラギラと照り付ける道を歩く。やっと日本兵が居た村に到着。外国人が来る事は珍しいのだろうか人々が集まる。日本人だと知ると目を見開き凝視する。
> 村の奥地に暮らす88歳のお婆ちゃんは日本兵を何度も見かけたと言う。まだ「うら若き乙女」の頃。最初は日本の軍隊がやって来たと「恐怖の想い」だったと言う。それはそうだろう。銃を持った屈強なる男達が集団で入って来て怖いのは当たり前。ましてや戦時下の事だ。
> 日本兵の当時の様子を聞いてみた。「お婆ちゃん、日本兵が悪さをしたのでは有りませんか?」とストレートに尋ねる。お婆ちゃんは即是に両手を左右に振り「トンデモナイ」「悪さをする日本兵は一人も居ませんでした。女性を強姦したとか村人を虐殺したなんてことは一度も有りません」とにこやかに話してくれた。
> 村の人々は優しかった。皆んなが「ミンガラーバー(挨拶の言葉)」と挨拶をしてくれる。「日本人がやって来た」と大喜び。どうも私達が教えられた現代史は偏り過ぎなのかもしれない。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/15 (Wed) 22:32

副題=「パラオ」よ「有り難う」(池間哲郎)

 こんばんは。


 本当に日本人はアジアで愛されてるんですね。


> 天皇皇后両陛下が4月8日〜9日にパラオを行幸啓(ぎょうこうけい→両陛下が御出かけになる)された。
> 私が昨年の初夏にパラオのコミュニティーセンターを訪ねた時に、大先輩方に「もしかしたら天皇陛下がパラオにいらっしゃるかも知れませんよ」と言うと、皆さん目をキラキラと輝かせ「本当ですか?嬉しい!ぜひパラオに来て欲しい。天皇陛下のパラオ訪問は私達の夢です」と口々に語る。その夢が実現し、どれほどパラオのお爺ちゃん、お婆ちゃんが喜んだで有ろうかと嬉しき想像が胸をかける。
> 天皇皇后両陛下は中心的なコロール島から船で南へ1時間程の激戦地ペリリュー島でも亡くなった日本兵や全ての戦没者に対して慰霊された。そのペリリュー州に於いては4月9日を「天皇皇后両陛下ご訪問の日」として州の「祝祭日」として法律で決定した。「ワア〜!これほど日本を愛してくれるんだ」と嬉しかった。
> 皆さんパラオの人々が「日本を深く愛している」のを知って頂きたいと願います。私達、日本人は「我が国を嫌っている国家」に対しての気遣いや恐れが余りにも大きすぎる。日本を愛する「アジアの国々」や「南洋諸島国家」のことを知って欲しい。「日本は愛されてますよ」と自信を持って伝えます。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/15 (Wed) 22:43

副題=「一番好きな国」は「日本」です!(池間哲郎)

 こんばんは。


 此れを含めて3つの投稿が時系列で逆順になりましたが。


> ミャンマーも御多分に漏れず「日本は悪、日本軍が酷い事をした」とのプロパガンダは、かなり行われている様。それにも関わらず「一番好きな国は日本」と断言する方が多い。
> これまでミャンマー支援(学校建築53校、井戸建設800基超、ハンセン病、孤児支援など20件を超える継続支援)の傍ら、多くの人々と語り合って来た。今回は知識人や上層部へのインタビューも出来た。この調査結果は余りにも深い会話が多かったため、FBでの報告は後日に廻す。
> 大戦後、マスコミにより「日本は悪」のプロパガンダは侵攻していると思って良い。「日本兵に女性が強姦された。村人が虐殺された」等と人々は語る。ところが当時を知る大先輩方と話すと「トンデモナイ!」との言葉がほぼ全て。多くの80代半ば以上の御年寄りに聞いて来たが「日本兵が酷い事をした。虐殺された村人を見た」との方は居ない。逆に「日本兵は身体は小さいが勇気があり規律正しかった」との言葉が多い。
> 知識人との意見交換では、かなりシビアなやり取り。互いに「ムカッ!」とする場面も多々有った。それでもミャンマー人は最後に「一番信用出来る国は日本」と話す。「ミャンマーが最も好きな外国は何処?」と聞くと「日本」と親しみを込めて答えてくれる。それはリップサービスでも何でも無い。ミャンマー人の殆どは「日本が大好き」有り難い事です。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/18 (Sat) 22:36

副題=パラオは天国だった(池間哲郎)

 こんばんは。


 「日本を褒めると怒り出す日本人がいらっしゃる」、確かにネット上ではよくお見かけします。


> 日本統治時代にパラオに移り住んだ日本人は約25,000人にも及び、特に我が故郷の沖縄出身者が最も多くやって来た。
> 20年近く前の話しでは有るがパラオから引き上げて来た皆さんで設立された「沖縄パラオ協会?(名称は違うかも)」の式典に参加した経験が有る。子供の頃にパラオで育った先輩方は「パラオの暮らしは良かった。天国の様だった」と懐かしそうに語る。パラオの人々、日本人、朝鮮人(約2,500人の朝鮮人も移住)も皆んな仲良く暮らしていたと言います。改めて沖縄に戻り「移住して来た日本人からの視点」で調査を行いたいと考えています。
> 話しは変わりますが「パラオを日本が侵略した」と思っている方々がいますが「それは大間違い」です。日本統治以前はドイツの植民地でしたが、1919年の「パリ講和会議」に於いて「国際連盟」からの委任を受け「日本の委任統治領」となったのです。いかに「善政」で有ったかは、今でもパラオの人々が日本を深く愛する状況で良く解ると思います。「日本を褒めると怒り出す日本人がいらっしゃる」ため、あえて説明させて頂きました。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/18 (Sat) 22:45

副題=「日本に感謝してます」(池間哲郎)

 こんばんは。


 前の投稿と時系列的に逆順になって仕舞いました。


> パラオの歴史は悲しい。4000年前から人々が暮らす様になったと言われるが、16世紀初頭からスペイン人やポルトガル人らがやって来た。1885年にスペインの植民地へ。1899年にドイツへ450万ドルで売却(グアムを除くスペイン領ミクロネシア全域)された。
> 植民地時代の人口の激減は目を覆いたくなる。何と9割もの人口減少。いかに搾取と虐待が酷かったかが解る。社会基盤の整備は一切、行わずパラオ児童に対する教育は皆無。資源と農作物を搾取するだけだったのだろう。
> 日本統治時代の約25年間は違う。インフラ整備を徹底して行った。電気、水道、道路を整え医療にも力を入れる。農業、水産業をも育成する。当時の町並みを写真で見ると日本の地方市街と殆ど変わらない。
> 教育に対しても力を入れる。パラオの子供達は一生懸命に学んだと言います。日本統治時代を知る大先輩方と話してみると、ほぼ全員が「日本の教師は素晴らしかった。誠実で厳しさと優しさに溢れていた」と語る。
> 我が国のパラオで行った統治政策、全てが「善」だったとは決して言わない。ただ「多くの事を応援した」のも間違いの無い事実。「日本に感謝しています」との言葉をパラオの方々から幾度も聞いた。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/18 (Sat) 22:54

副題=「日本を教えてくれた」パラオのお婆ちゃん(池間哲郎)

 こんばんは。


 此れを含めて3つの投稿が時系列純に逆順になって仕舞いました。


> 日本統治時代を良く知るパラオのお婆ちゃんと会った。84歳の高齢にも関わらず頭脳明晰な大先輩は、私に「日本の素晴らしさ」を教えてくれた。
> 「アントニオさん」は懐かしそうに「日本統治時代がパラオの歴史の中で最も美しかった」と語る。「パラオ人と日本人の差別は確かに有った。でもそれは小さな事だ」と言う。「パラオに道路、電気、水道、を引いてくれた。病院も工場も造ってくれた。職業訓練もしてくれた。何よりも私達に教育を与えてくれたのは涙が出る程、嬉しかった」「人間としての尊厳を教えてくれたのは日本です」と手を合わす。
> 「私は今でも日本から教えられた『日本人の心』を大切にして生きています。責任感を持ち誠実に真面目に人生を歩んでいます。私の心は日本人です」と話してくれた。彼女との別れ際に、突然!「君が代は千代に八千代に、さざれ石の巌となりて、苔のむすまで」と「我が国の国歌」を美しい声で唄ってくれた。
> 自分自身が恥ずかしかった。これ程までに日本を愛するパラオ人を見て「私は祖国を、どれだけ愛しているのか?」「日本人として誇りを持って生きているのか?」と自らを改めて見つめて居た。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/22 (Wed) 02:29

副題=「はなこ」と呼ばれた娘 日本兵のアイドル(池間哲郎)

 こんばんは。


 ビルマと日本の架け橋になって欲しいですね。そのためにも、日本がもっとビルマを知らねば。


> 40代初めのミャンマー人男性と会った。頭も良く穏やかで正義感も強く家族を大事にする素晴らしき男。彼の母親は日本兵から「はなこ」と呼ばれていた。
> 残念ながら母親は男が20代の初め頃、亡くなった。お母さんが良く語っていたと言う。「私は日本兵に可愛がられたのよ」「いつも遊んでくれた」と懐かしそうに息子に話していた。多くの日本兵が「はなこ、はなこ」と抱きしめてくれた。まるでアイドルの様な存在だったそうです。
> 日本を愛する母親に育てられた男が日本を大好きになるのは自然な流れ。青年となり日本へ研修生としてやって来る。農業を学び日本語もペラペラとなる。やがて結婚して娘が誕生。その娘を「花(Hana)」と名付けた。お婆ちゃんと日本兵の交流を娘に語り伝えている。
> 本人の許可を得てない為、実名や「花ちゃん」の写真を投稿するのは遠慮した。「花」と名付けられた少女は美しく明るく育っている。芯の強さも感じる。そんな娘が日本とミャンマーの架け橋になって欲しいと願う。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/22 (Wed) 02:36

副題=日本兵は子供好きだった(池間哲郎)

 こんばんは。


 日本兵は残虐だったというプロバガンダに対抗して事実を知らしめる必要がありますね。


> 日本人は、いつの間にか私達の先輩方が残虐な人間だったと刷り込まれてしまった。「日本兵は残酷だった。赤ちゃんを銃剣で突き刺した」と言われ続けた。
> インドネシア、ラオス、ミャンマー、台湾、パラオ、サイパン等に足を運び、戦争当時を知る大先輩方に話しを聞いて来た。すると「日本兵は子供好きが多かった」との言葉を良く聞く。「僕が小さい時、日本兵が可愛がってくれた。私を抱きしめてくれた。唄を教えてもらった。遊んでくれた」との言葉をイッパイ聞いた。
> 「故郷」や「我は海の子〜」を唄うお婆ちゃん。「ありがと」「けいれい」と日本兵から教わった言葉やしぐさを、おどけてみせる大先輩も多かった。「一緒によく遊んだ。疲れたら日本軍のキャンプで泊まった」と語るお爺ちゃん。日本兵に可愛がられた遠き思い出を良く聞いた。
> 日本兵が涙を流しながら現地の子供を可愛がる様子も聞いた。遠く離れた祖国に暮らす「愛しい我が子」を思い出していたのだろうか?その心情を思うと胸が痛む。皆さん「日本兵が残虐だった」との話しはイヤになるほど聞いて来たと思います。しかしながら「人間愛に溢れる日本兵の姿」も知って下さい。日本人は昔から優しく厳しく道徳心高き民族です。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/22 (Wed) 02:45

副題=感謝の想いが溢れる(池間哲郎)

 こんばんは。


 終戦後も2年間も投降しなかった日本兵が居たそうです。


> 日本国民全てがパラオに行って欲しい。特に日米激戦地のペリリュー島を訪れて頂きたいと強く願う。
> 圧倒的な兵力と物量の差が有りながら、なぜ、これ程までに戦ったのか?米軍は「こんな小さな島の弱小日本軍は3日も有れば落とす」と豪語していた。日本軍は洞穴に潜り、壕にひそみゲリラ戦で防戦。何と二ヶ月半も持ちこたえた。米軍が先の大戦で最もダメージを受けたのが「ペリリュー島の戦い」だった。
> 日本兵は職業軍人は殆ど居なかった。サラリーマン、農家の倅、教師も居れば役所に勤める普通の男達だった。米軍の最新式の武器に圧倒的な兵力と物量に対し、オモチャの様な銃や戦車で弾も食料も水も無い。それでも戦い続け玉砕した。生き残ったのは殆ど居ない。
> 現在の平和で豊かな日本からの視点では見えて来ないだろう。当時の世界は「強い国が弱い国を侵略し植民地とする」のが当たり前の時代。負けた国の国民は勝った国の奴隷となる。だからこそ戦い続けた。「日本の未来と誇り」をかけて死んで行ったと私は思う。
> 初めてペリリュー島を訪ね「日本兵が強烈な飢えと乾きに耐え、貧弱な銃を手に立てこもった洞穴」に入った時「こんな所で死んで行ったのか」と自分は泣いていた。感謝の想いのみが溢れた。「英霊の想いを無駄にしてはいけない。決して無様な生き方をしてはいけない」と心に誓った。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/22 (Wed) 07:52

副題=「日本語」が「ステータス」(池間哲郎)

 おはようございます。


 日本人であることに誇りを持って良いのかな。


> 東南アジア全域で見られる事だが「日本語がそのまま書かれた」車やバス、トラックが街や村を走っている。
> 私の友人がサイドとバックに東北の建築会社「**株式会社」と書かれたトラックに乗っている。「なぜ文字を消さないんだ。塗装をした方が良いんじゃない」と聞いて見ると「お前は何も解って居ない。日本語が書いてあるから価値が有るんだ」とチョッと私を馬鹿にする様に話した。
> どうやら車の持ち主達は日本語の意味は解って居ない様だ。漢字だけだとチャイナ製に間違えられて逆に馬鹿にされる。「漢字とひらがな、カタカナ」が書かれていると日本製。「日本の車は最高」との評価は、もの凄く高い。日本語が書いてあると「どうだ日本製だぜ!スゴイだろ!」とアピールしているとの事。だから日本語は消さないでそのまま残す。日本人として嬉しくなる。
> ヤンゴンの街で「あさひ幼稚園」の車を見かけた。どうやら地域住民の乗り合いバスとして活躍している様だ。元の日本の持ち主に「まだ現役で頑張ってるよ〜」と伝えたい想いにかられる。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/23 (Thu) 21:50

副題=小村寿太郎 昔の政治家は腹が据わってる(池間哲郎)

 こんばんは。


 ホント、小村寿太郎は肝が据わった『大物』ですね。


> 宮崎県出身でハーパード大学を卒業した桂内閣の外務大臣「小村寿太郎」は苦労人で親父の残した借金を払う為に地獄を彷徨いながらも、努力を続け外務大臣まで上り詰めた人物。その風貌はネズミの様な顔立ちで、身長も155センチ前後。ゆえに友人達からは「チュー公」と呼ばれていた。
> 小さな身体ながらもコンプレックスを持つ事無く堂々としていた。清(チャイナ)の全権大使「李鴻章」と対面した際に「この宴席で閣下は一番小そう御座います。日本人とは、皆、陛下の様に小そう御座いますか?」と身の丈180センチを超える大男に小村寿太郎は公衆の面前で馬鹿にされる。外交上、非常に無礼な言動。155センチの小男はひるむ事無く穏やかに、されど眼光鋭く「残念ながら日本人はみな小そうございます。むろん閣下の様に大きい者もございます。しかし我が国では『大男、総身に知恵が回りかね』等と言い大事を託さぬことになって居るので御座いまする」と切り返す。
> 「いや〜格好いい」ですね。我が国の昔の政治家は腹が据わっています。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/25 (Sat) 06:10

副題=空気読むのは日本人だけ!(池間哲郎)

 おはようございます。


 言葉に出して伝えることは必要ですね。


> 一昔前「KY」なる言葉がはやった。「空気を読めない方」は人間関係に不都合な人だと揶揄された。
> これは日本人だけの特徴かも知れません。私の経験で言うと「言葉にしなくても解る」との感覚は日本人の社会でのみ通用すると思っています。異国の方に「空気読めよ!」と言っても無理が生じる。必ず「Yes、NO」をハッキリと伝えた方が良い。
> 同じアジアに暮らす亜細亜人に「KY」のことを話すとキョトンとしていた。「そんな馬鹿な」と目を丸くする。「日本人同士は言葉にしなくても何となく解るんだ」と言うと、さらに驚いて「お前達は宇宙人か?テレパシーで話すのか?」と信じて貰えなかった。
> 世の日本人旦那族に改めて伝えたい。特に女房殿には、常に『愛しているよ』『奇麗だね』と言葉にして伝えて欲しい。「言わなくても解ってるだろ!」と言うのを無理をしても押さえて「愛情表現と我妻賛美」を行って欲しい。不詳「池間哲郎 61歳」は「渋々ながらも」まいにち行っております。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/25 (Sat) 13:30

副題=虐殺されまくった日本兵(池間哲郎)

 こんにちは。


 兵士の多くは徴兵された一般市民ですものね。


> どうも日本人は英米仏蘭などの白人達の軍隊は優しく紳士的で、日本軍は残虐だったと思っている方が多い。これはトンデモ無い事で欧米の方が残虐極まりない。
> 先の大戦までの白人帝国主義植民地時代に於ける有色人種の苦しみは筆舌にしがたい程。アジア、アフリカ、中南米と多くの有色人種が虐殺されまくり完全に文化人種を抹殺された国家も有る。現在も有色人種への差別意識は深い。多くの日本兵が残虐な扱いを受け殺されて行った。その最たるものは「東京裁判」で有ろう。完全な国際法違反の事後法による裁判。単なる戦勝国の日本に対するリンチショー。多くの日本兵が無実の罪で殺された。
> 欧米は紳士的で日本は悪魔で残虐だったとの意識は日本人こそ改めて見つめる必要が有ると私は思う。そして、私達が忘れてはイケナイのは戦場となった東南アジアなどの現地で暮らす人々の命も数多く失われ、深い悲しみを与えた事。決して忘れてはイケナイ。二度と戦争をしてはならぬ。日本人こそ平和を発信する民族で有らん事を願う。ただし攻めて来る侵略国家に対しては自らが戦う気概を持たねばならぬと私は思っている。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/26 (Sun) 18:06

副題=語り部育成(池間哲郎)

 こんにちは。


 語り継ぐことは大事ですね。

 話が東南アジアと日本との関係から離れつつありますので、そろそろ引用を終了しようと思います。池間哲郎氏の投稿を今後も読みたい方は、ご自身でFBで池間哲郎氏をフォローしてください。


> 「懸命に生きる人々 日本人こそ学んで欲しい」とのタイトルで講演を続けているのだが「語り部の育成」も私の大きな責任。
> この数年間は安全確保が、しっかりとなされた現場に女房を同行させる様にしている。「現場知らずして語るなかれ」が私の基本。優雅な観光気分では決して行ける所では無い。泊まるホテルも常に3流以下、快適を求めるには無理が有る。高級レストランで食事をするのは稀。現地の方々と同じものを食べるとの思いも強い。日頃、美食が当然の日本人には辛いかもしれない。ネズミ、カエル、蛇、昆虫を口にするのは当たり前。強烈な日差しに日射病に倒れる事も。
> 40代半ばの女房殿は必死に食らいついて来る。正看護師の資格を持ち看護師人生も永年、経験した力量は現場でも生きている。女性からの視点も非常に貴重。時に私が唸る程の力を出す。誠実で真剣でバカ正直な人格も有り難い。妻の礼賛で恐縮だが心からの尊敬の念と感謝の想いを持っている。
> 60歳を超えてから体力の衰えを感じる。野山を20キロ近いカメラやビデオ機材を担ぎ走り回るには、そろそろ限界。「語り部育成」は順調です。女房殿が語り部となって話す日は近いかも知れない。


FBより


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/05/02 (Sat) 00:04

 こんばんは。


 最近の池間氏のFB投稿は、ネパール地震に関するものが殆どです。

FBの池間氏のタイムライン:
<参考=池間 哲郎


NO.1106 なぜ安倍政権は間違った政策をやめないのか(東洋経済ONLINE)<起稿 磯津千由紀>(15/04/10)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/10 (Fri) 23:34

 こんばんは。


 「デフレ=不況」ではなく、デフレだろうとインフレだろうとスタグフレだろうと、一部の人が儲かって庶民が貧乏では、問題は解決しないと言います。


> 「エネルギー革命の果実」を享受できない日本
> 中原 圭介 経営コンサルタント、経済アナリスト


> 私はこれまで拙書や連載記事等で「デフレと不況の関連性はない」と繰り返し主張してきましたが、前回のコラム「デフレになると、本当に不況が来るのか」でも、私と同様の主張をしているアンドリュー・アトキンソン氏とパトリック・J・キホー氏の論文「デフレと不況は実証的に関連するのか?(2004年1月発表、原題DEFLATION AND DEPRESSION:IS THERE AND EMPIRICAL LINK?)」を紹介しました。そして歴史的な視点から「デフレと不況の関連性はない」ことを明らかにしました。


> BISも「デフレと経済成長率の関係性は低い」と結論

> 実のところ、前回のコラムを書いた後、私は国際決済銀行(BIS)が3月18日に公表した論文「デフレのコスト:歴史的な展望(原題 The costs of deflations : a historical perspective」の内容を知って、経済学の世界の古い体質が徐々に壊れつつあるという事実を実感することができました。この論文の中では、長い経済の歴史を検証したうえで、「デフレと経済成長率の関連性が低い」と、私の主張と同じ結論を導き出しているからです。

> この論文をきっかけにして、アメリカ主流派経済学の唱える「デフレ=不況」という間違った学説について、正しい分析に基づく議論がされることを切に望んでいるところです。というのも、間違った常識を信じ込んでいた人々もそのような状況になれば、無理にインフレを起こすことがいかに愚かな政策であるのか、理解できるようになっていくと思うからです。

> いずれにしても、歴史的な視点でデフレを眺めると、アメリカ経済学の主流派が主張する「デフレ=需要不足=不況」という学説とは全く異なる姿が見えてきます。

> 18世紀後半から19世紀終わりにかけての英国の産業革命隆盛期では、実は、そのほとんどの期間が長いデフレの時代でした。当時の卸売物価の統計を見ると、物価は1810年代前半をピークとし、1890年代半ばまで断続的に下落していることがわかります。


> 19世紀の英国は、このようにデフレが恒常化した時期だったのです。ところがその間、不況で労働者の生活が苦しくなっていったかというと、これが全く逆の状況だったわけです。


> デフレだったが、実質賃金が8割も上がった英国

> というのも、19世紀後半の50年の間に、労働者の実質賃金は8割も上がっているからです。実は、19世紀の英国では、当時の主要なエネルギー源であった石炭の生産が、採掘技術の向上にともなって飛躍的に伸び、その価格が大きく低下しています。「エネルギー革命」が起きたのです。

> それ以外にも1846年に、穀物の輸入を制限し食料価格の高止まりを招いていた「穀物法」が廃止されたことで、日々の食べ物が安くなり、物価安を後押ししたという要因もありました。

> 石炭が安くなり、暖房や移動に潤沢に使えるようになった上に、食料価格まで下がったのですから、この時代、人々の生活は格段に便利に、そして豊かになりました。経済は物価とは逆にしっかりと成長し、1人当たりの実質GDPや実質賃金が伸び、平均寿命も大きく延びたのです。

> とりわけ1870〜1890年代、19世紀の中でも特にデフレの幅が大きく「大デフレ期」と呼ばれた期間、イギリス人の1人当たり実質GDPや実質賃金は飛躍的に増えています。

> さらにこの時代、労働者の社会的な権利も確立されています。1832年に第1回の、1867年と1884年に第2回、第3回の選挙法改正が行われ、1871年には労働組合法で組合活動の合法性が認められるなど、労働者階級の政治的な権利が次々と拡大されていったのです。

> 産業革命初期の段階の英国では、資本家が利益を追求し、労働者を劣悪な環境の下で長時間労働に駆り立て、子供を工場で働かせるといった問題も見られました。

> カール・マルクスがエンゲルスとともに『共産党宣言』を発表したのは、1848年のことです。マルクスが目にしたのは、そうした初期の労働の現場だったわけです。

> しかしその後、エネルギーコストが暴落したことで、工場の機械化も進み、労働条件は改善されていきました。その意味ではマルクスが見て資本主義の根本的な欠陥と感じた、19世紀前半の英国の労働者の問題はその後、共産主義革命が起きる前に、一部は解決されていたのです。

> 19世紀の後半、なかでも1870〜1890年代にかけて、経済が大きく成長していた時期のアメリカもデフレの状態でした。石油王のジョン・ロックフェラーや鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーが活躍し、トーマス・エジソンが蓄音機や白熱電球を発明し、アメリカの科学と産業が先進国である英国をキャッチアップしていった時期です。 

> 実のところ、この時期のアメリカにも、19世紀の英国と共通する出来事が起きています。それはやはり、エネルギー革命です。英国で石炭の価格が下がったように、アメリカでは1859年のペンシルベニアの油田で原油の大量生産が始まり、エネルギー価格が飛躍的に下がり始めたのです。

> エネルギーコストが飛躍的に低下する時期は、それまで人力で賄われていたような作業が機械に代替され、食料から工業製品まで生産性が高まって、物価全体が下がっていきます。そうした時期、人々の暮らしは豊かになり、便利になっていきます。これが、典型的なデフレ下での好況であるわけです。


> 「デフレ=不況」を広めた経済学者には責任がある

> 一方、エネルギー価格が高騰すると、その逆の現象が起こります。その典型例が1973年からの第一次オイルショックです。

> 1973年10月、イスラエルとエジプト、シリアなどの中東アラブ諸国との間で起きた第四次中東戦争をきっかけに、石油輸出国機構(OPEC)に加盟するペルシャ湾岸の産油国が、原油公示価格を大幅に引き上げることを表明します。最終的には、1バレル3.01ドルから11.65ドルまで引き上げることが決定されました。

> 石油価格の大幅な上昇は、エネルギーを石油に頼ってきた先進諸国の経済に大きな打撃を与えました。日本では、折からの列島改造ブームによる地価上昇にオイルショックが加わったことで、1974年には消費者物価指数は23%上昇するという「狂乱物価」が発生しました。

> この年、経済成長率はマイナス1.2%と、戦後初のマイナス成長を記録しています。このときは日本だけでなく、世界中の先進国で高率のインフレと同時にマイナス成長となる不況が発生し、スタグフレーションと呼ばれる経済状態に陥りました。

> ところが、なぜか経済学を学んできた人たちの頭には「デフレ=不況」というイメージが刷り込まれてしまっているようです。それが間違った認識であるということは、19世紀以降の英米の歴史をざっと見ただけでも一目瞭然であるというのに、こうした理解が十分に広まっていない背景には、「デフレ=不況」という誤解を広めてしまった経済学者たちの大きな過失があるといわざるをえないのです。

> デフレやインフレは、あくまで経済現象の「結果」にすぎません。シェール革命やそれに続くエネルギー革命が起ころうとしている今、「原因」と「結果」を取り違えて議論する経済学者の方々は、その土台を一回壊してから議論を始める必要があるのではないでしょうか。

<参考=「なぜ安倍政権は間違った政策をやめないのか」(東洋経済)>


NO.1107 静岡県「掛川市」と「藤枝市」 なぜ“がん死亡率”が低いのか?(日刊ゲンダイ)<起稿 磯津千由紀>(15/04/11)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/11 (Sat) 01:07

 こんばんは。


 お茶の大好きな掛川市民ですが、胃癌に掛かりました。統計は、所詮統計に過ぎないです。因みに、運よく、他の病気で精密検査した際、胃カメラで比較的早期に発見できたので、再発の可能性は大きくないです。
 お茶の効用を否定するわけではありません。只、お茶をたくさん飲んでいるからと過信せずに、健診は怠りなく、と言いたかったです。

 尚、この記事は、素人記者が書いてるので論法が不確かですが、お茶に関しては、ちゃんとした定量的な統計調査なども行なわれて有意な結果が得られております。
 4年前、NHK「ためしてガッテン」でも紹介されました。


> 日本は今、世界に冠たる長寿国だが、47都道府県すべてが同じというわけではない。地域によってその差は大きいのが現実だ。では、日本を代表する健康長寿の町の人たちは、何を食べているのか?

> これはとても偶然の一致とは思えない。

> 厚労省が発表する市区町村別の「がん死亡率」(別表=少ない順)。平均を100とした数値だが、がんによる死亡者の少ない自治体を並べてみると、奇妙な一致があった(枠内みどり色)。

> 男性の2位、女性の1位は静岡県掛川市。同じく静岡県の藤枝市、磐田市、浜松市もトップ10に名を並べている。また、埼玉県の所沢市の名もある。反対に、がん死亡率が高いのは、神戸市と大阪市だ。

> もうピンときた人がいるかもしれないが、いずれも緑茶の産地として有名な場所である。国立がん研究センターが、緑茶が胃がんリスクを抑制すると言っており、お茶の産地の「がん死亡率の低さ」は、これを見事に証明している。緑茶に含まれるポリフェノールやカテキンが、がん予防に効果があるのだろうか。

> 「私の88歳になる父と86歳の母は、大きめの茶碗で毎日10杯のお茶を飲んでいますが、掛川ではごく当たり前ですね。小中学生も学校でお茶を飲んでいます。もちろん、ソフトクリームに茶葉を振りかけたり、料理に使ったりもする。東北大の研究では、緑茶が循環器疾患による死亡を減らすという報告もありますし、掛川市民の健康寿命が全国トップなのは、お茶に理由があるのだと思われます」(掛川市役所・お茶振興課の後藤直己氏)

> 長生きの指標として最近注目されている「健康寿命」。介護を必要としない健康な高齢者のことだが、全国平均は男性70.42歳、女性73.62歳(2010年)となっている。単純な平均寿命は男性80.21歳、女性86.61歳である。

> 掛川市のある静岡県はこの健康寿命で男性が全国2位(71.68歳)、女性1位(75.32歳)。がん死亡率の低い自治体同様、やはり、緑茶が長寿を保つ秘訣といっていいだろう。


> ■米と食パンの消費量も影響

> 実はもうひとつ、気になるデータがある。米の消費量と健康寿命の因果関係である。米をたくさん食べている町の人は、健康寿命も高いのだ。

> 1人当たりの米の消費量(2012~14年の平均)の全国トップは、100.94キロの浜松市。2位が静岡市、3位には東北で唯一の長寿県である山形市が入った。

> 都道府県別の健康寿命を見ても、米を多く食べる愛知県、静岡県、群馬県の人たちは健康寿命が高い傾向にある。

> 一方、米の消費が68.18キロと少なく、食パンの消費量が26.8キロで全国1位の神戸市の健康寿命は、男性が70.1歳、女性73.3歳で全国平均を大幅に下回るのだ。

> 少々乱暴に言うと、日本人はやはりパンは合わないのかもしれない。11年にパンが米の消費を逆転したが、健康な老人になりたかったら、お茶とご飯だ。

<参考=「静岡県「掛川市」と「藤枝市」 なぜ“がん死亡率”が低いのか?」(日刊ゲンダイ)>


NO.1108 <今更ですが>ニュースステーション、古賀さんVS古館さん (YouTube)<起稿 磯津千由紀>(15/04/12)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/12 (Sun) 00:28

 こんばんは。


 今更になりますが、マスコミ報道や伝聞にはフィルタが掛かってるので、原典をば。

ニュースステーション放送事故part1


ニュースステーション放送事故part2

<消滅・削除・15/05/10>


代替えとして、下記<参考>をリンク。
<参考=「報道ステーション最後の出演の古賀氏」(YouTube)>
<消滅・削除・15/05/14>


【シバケン】 2015/04/12 (Sun) 09:48

磯津千由紀さん、おはようございます。

まずは、この件、
「YouTube」では、「ニュースステーション」となってる、ですが。
番組名、「報道ステーション」ですねえ。


での、
「報道ステーション」での、古賀氏VS古館氏のバトルは、拝見してたです。

以来、各界の方々より、諸般、云われてるですが。
当方の印象的に、なら、です。

降板については、古館氏からも、古賀氏に対しの、話がありの。
古賀氏を守る、守れない以上の、何か、更なるの、話があったの哉と。憶測呼ぶの話、古賀氏の真剣さ、憤りを感じた、です。

その上で、
古館氏曰くの、古賀氏は、降板ではありませんと、必要に応じの、出て戴くと、主張したですが。
両者、録音してる等々、公開云々の、不穏当なるの、やりとりまでが、生放送でありまして。

これは、
両者、云い過ぎでして。

コレ又、
その上で、古館氏、最後に、諸般申したですが。
コレ、卑怯でして。
古館氏の、性格が分かるです。

での、
当方、嫌いなアナウンサーなるが、この古館氏<!>
下らんの話、愛想笑いが、多過ぎてまして。

されどの、
番組なら、見てる、ですが。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/12 (Sun) 14:12

 シバケン様、こんにちは。


 キャスタが代わった際に、前キャスタ久米氏のの意向でニュースステーションの名を使うことは罷りならんということで、報道ステーションに名前が変わってたですねぇ。
 投稿時、うっかりしてコピィ&ペーストしてしまいましたが。

 私も古舘氏は好きだとは言えません。では久米氏が好きかというと、此れも微妙でして。亡くなった筑紫氏は、好きでした。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/13 (Mon) 03:12

副題=やっぱり…「報ステ」に自民党が“圧力文書” その後に異例人事- (日刊ゲンダイ、Infoseek)

 こんばんは。


 やっぱり。


> 官邸からの圧力があった――「報道ステーション」のコメンテーターだった古賀茂明氏に“番組降板”の真相をバクロされたテレビ朝日は、いまだに混乱が続いている。「報道ステーション」の打ち切り説も流れている。

> 圧力をかけたと名指しされた菅義偉官房長官は「まったくの事実無根」と否定しているが、すでに昨年末、安倍自民党が「報道ステーション」に“圧力文書”を送りつけていたことが分かった。この文書にテレビ朝日は震え上がったという。本紙はそのペーパーを独自入手した。

> 文書が送りつけられたのは、2014年11月26日。11月21日に衆院を解散した直後だった。自民党の福井照報道局長の名前で、「報道ステーション」の担当プロデューサーに送られている。

> 文書は、〈11月24日付「報道ステーション」放送に次のとおり要請いたします〉というタイトルがつけられ、〈アベノミクスの効果が、大企業や富裕層のみに及び、それ以外の国民には及んでいないかのごとく……〉と番組を批判し、さらに〈放送法4条4号の規定に照らし……十分な意を尽くしているとは言えません〉と、放送法まで持ち出して牽制している。

> テレビ朝日は相当ビビったらしく、安倍自民党に“恭順の意”を示すためか、その後、担当プロデューサーには異動を命じている。異例の人事だった。

> 「自民党は11月20日、在京キー局各社に対し、中立な選挙報道を求める、いわゆる“圧力文書”を送っています。その直後、“番組”に対してまで文書が送られてきたことで、テレ朝は真っ青になったはずです。自民党からの文書の趣旨は、テレ朝の中堅幹部のなかで周知徹底されました」(テレ朝関係者)

> しかし、権力がメディアを脅し、報道機関が屈しているとしたら恐ろしいことだ。

> 「放送法を持ち出し、中立に報道しろと要請するのは“こちらは目を光らせているぞ”という威嚇に等しい。どうかしているのは、テレ朝以外の報道各社です。これは他人事ではないですよ。なぜ、問題にしないのか。いま傍観していたら、圧力はどんどん強まる一方です」(政治評論家・山口朝雄氏)

> 自民党とテレ朝は、それぞれ文書を送り、受け取ったことを認めた。この国のメディアは、正念場に立たされている。


> [関連リンク]
> 古賀茂明氏が真相激白 報ステCM中に古舘氏「私は立場上…」
> 古賀氏「報ステ」降板の全貌 テレ朝が震えた菅長官の“ひと言”
> 古賀氏発言に手をついて謝罪…古舘伊知郎に「報ステ」降板説
> 報ステ終了後に古賀氏語る 「古舘さん戦うべき相手別にいる」
> 政権批判で「報ステ」降板 古賀茂明氏とテレ朝のスッタモンダ

<参考=「やっぱり…「報ステ」に自民党が“圧力文書” その後に異例人事」(日刊ゲンダイ、Infoseek)>
<消滅・削除・15/05/11>


NO.1109 一流の人は、一流の人を雇う(北尾吉孝日記)<起稿 磯津千由紀>(15/04/12)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/12 (Sun) 00:52

 こんばんは。


 成程。


> プレジデントオンラインに昔、『人事部の告白「一流、二流、三流の分かれ目は」』という記事がありました。先ず何が一流で何が二流・三流かという区別は、そもそも一流の人でなければつかないのではないかと思います。
> 「一流の人は、一流の人を雇う。二流の人は、三流の人を雇う」とは、ナポレオン・ボナパルト(1769年-1821年)の言葉です。一流の人のみが一流の人を選別できる、というわけです。
> 諸葛孔明を自らの宰相にすべくその草庵を三度訪れたという劉備玄徳にしても、あるいは桓公の覇道を達成すべく管仲を宰相に推した鮑叔(ほうしゅく)にしても、結局そうした宰相の器を見分ける目を有していたが故に彼らは一流の人を雇えたのです。
> やはり一流の人を雇うのであれば、それなりの鑑識眼を持っておかねばならず、同時に一流とは総じて簡単には動いてくれないですから、三顧を尽くして迎えようという熱意がなければなりません。
> また後段の言「二流の人は、三流の人を雇う」で言うと、時として二流の人も一流を雇うかも分かりません。但し、その二流の人にあっては凡そ一流・二流・三流の区別がつかないことは確かです。
> 要するに一流の人を取るに一流の人が行かねばということで、ナポレオン自身それが実践できていた人物だったのだと思います。

<参考=「一流の人は、一流の人を雇う」((北尾吉孝日記)>
<消滅・22/01/31>


NO.1110 所詮のショービジネス<起稿 ?>(15/04/12)


【?】 2015/04/12 (Sun) 12:03

オヘンス有ってのディヘンス。

<参考=「“飛ばない”時代に逆戻り?激減した本塁打、昨年比約60本のマイナス」(Yahoo!ニュース)>
<消滅・削除・15/10/11>

完全試合を期待する?ヤカラはドコドコ!


【シバケン】 2015/04/12 (Sun) 22:58

仰る事、基本、同感です。

打撃戦の方が、観戦してて、面白いです。

出来ぬ相談ですが<笑>
往年の王貞治選手が、現条件で、果たして、何本のホームランが打てるの哉と。

それと、
ホームランの数だけで無くの、三振、四球の数も出した方がと。
意図なるは、ストライク・ゾーンの問題です。


【シバケン】 2015/04/13 (Mon) 14:31

少々、話、逸れるですが。


当世、故障選手が多過ぎるです。

原因として、
故障を隠さんよになった、ためか。
事実、多いのか。
カラダのケアが不充分なのか。
昔と比較で、体力が落ちて来てるのか。
防具なら、年々、向上してるよに、見えるですが。


【?】 2015/04/14 (Tue) 14:44

マー君のオヘンスは国内からは見るも楽しく2回戦は少し難儀なセーブでした。
昨日立ち寄った公共機関の待合はMLBが、何時もは無音が可也抑え目なボリュームで珍しく実況音も!
良くも悪くも文句は無い様で可也穏便な雰囲気に包まれていたりを目撃して帰宅。

デブったヒーロー去った後端からのデブはいま少し楽しませてくれる様で、目がよりMLBに向く今シーズンか?

騒ぐだけのメディアも墓穴を掘らぬか、本来であれば視聴率の変異等いま少しデーター解説が本来のお仕事では無いかは期待せず単純に、美味いビールが飲めるだけを勝手に期待、
少しは対策等考えるやからも要るやも知れず門外漢に徹するが勝手な勝ち組?

レジェンド、葛西もいきなり孫世代?
愛ちゃん世代も代替わりが進んで要る様で、ヘッドマークは変われど何れ新ONも期待しつつ、
フィールド寸法位も揃えられない様なスポーツは略プロレスと応じて引きつつ勝手な傍観者にが、な、これからに少し。


NO.1111 ジムノペディがよく似合う<国際宇宙ステーション><起稿 ?>(15/04/12)


【?】 2015/04/12 (Sun) 22:08

汎用性たかし

<参考=「Stunning Time-lapse: ISS captures Europe lighting up the world」(YouTube)>


NO.1112 入社式についていく親の気持ち(厳選 日経ビジネスオンラインメール)<起稿 磯津千由紀>(15/04/13)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2015/04/13 (Mon) 17:59

 こんにちは。


 私の世代は高校や大学の入学式に親が来ることはなかったですが。


> 始まりの季節ですね。東京では突然、冬の寒さが戻ったりもしましたが、そんな中で入社式、入学式が行われていました。門出の華やかさと共に、自分の人生の少なからぬ部分を投じるだけに、その選択の成否を占う第一歩として、緊張する瞬間でもあるでしょう。自分の入社式を顧みると…もうすっかり忘れてしまいました。今回はそんな、新入社員、入社式にまつわる記事を集めてみました。

> 「最近は入社式に親がついてくる」、といいます。そんな子供離れ、親離れしない世相を笑うのは簡単ですが、親にしてみれば、なろうことなら自分がしっかり目利きして、愛する子供の未来に資したい、あるいは、それに対する会社なのかを自ら式に参加して見極め、安心したい、そんな気分もあるでしょう。自分がついていく気はありませんが、笑ったり呆れる気にもなりきれないのです。

> 実は、この春子供が私立高校に入ったのですけれど、選んだ決め手は妻が参加した学校説明会でした。校長先生も教頭先生も、とにかく話の歯切れが良く、迫力があって面白い。教育への自信と熱意を感じて「ここなら」と確信した妻は、のんびり屋の息子の尻を蹴飛…いや、やさしく厳しく誘導して入学に繋げたのでした。私も二度目の説明会で校長先生の話を伺い、やはりいたく感心して、彼の受験勉強を(主に心の中で)応援しました。

> そして先日の入学式。「あの校長先生、どんな話をするかな?」とわくわくして臨んだところ、なんと、校長先生も教頭先生も転出していました。彼の3年間がどうなるかは、親としてどうにも責任を取り切れない事態になってしまったのでした。

> 会社も学校も、なるようになるとまでは割り切れないけれど、余り考えて選んでも仕方ない。入った後からどうなるかが問題ですね。新入社員の関連記事も、「働くこと」をいろいろな角度から考える内容が並んでいますので、新人の方はご参考に、ベテランの方は、後輩やお子さんとの話のネタに、ご活用いただければと思います。

>                     (日経ビジネスオンライン 山中 浩之)


NO.1113 NHK要らない<起稿 ?>(15/04/14)


【?】 2015/04/14 (Tue) 20:16

 NHK要らない。

<参考=「NHKだけ見えないテレビが開発 それでも「受信料払う義務あり」らしい」(J-cast)>
<消滅・22/10/17>


<補足>

<参考=NO.563 「NHKだけ映らないアンテナ」を筑波大学視覚メディア研究室が開発(真実を探すブログ)


】 2015/04/18 (Sat) 23:22

司法界 なびく?

<参考=「NHKが裁判で「完敗」 全国で受信料“不払い一揆”の恐れも」(日刊ゲンダイ)>