不可思議の世界NO.21

京都・亀岡の良く当たる占い師の話

京都でよく当たる占い師は?
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目次

不可思議NO.22

NO.240 桜散る散る、花吹雪の話(32) 親父退院の話(1)

NO.239 桜散る散る、花吹雪の話(31) 余談・ブルー・バード物語

NO.238 桜散る散る、花吹雪の話(30) 結納の儀の話(2)

NO.237 桜散る散る、花吹雪の話(29) 結納の儀の話(1)

NO.236 桜散る散る、花吹雪の話(28) 妹の話

NO.235 桜散る散る、花吹雪の話(27) 結婚の話

NO.234 桜散る散る、花吹雪の話(26) 福をもたらすの家の話

NO.233 桜散る散る、花吹雪の話(25) 仏光寺の交渉の思い出話

NO.232 桜散る散る、花吹雪の話(24) 都落ちの話

NO.231 桜散る散る、花吹雪の話(23) 愛犬の話

不可思議NO.20


NO.231 桜散る散る、花吹雪の話(23) 愛犬の話

いやなあ、悪いけれどの、近鉄沿線、宇治、小倉駅間近。
それこその、歩いて、数分の。但しの、線路の真横の家なるは、新築、20坪で、700万円なれどの、当時の価格としも、安かったですが。ソラ、交通の便が宜しいですが。
問題は、線路のソバに過ぎましての、真横での。終電車、始発で、がたごと、ごとがた、ウルサイぞと。

そらなあ、小学生時代であったかに、祖母の妹宅に泊まりに行ったですが。場所は、大徳寺前の北大路に面してまして。北大路通りには、当時、市電が走ってまして。夜中、走られたら、ガタゴト、ゴトガタ、うるさあてねえ。寝られませんでしたです。
慣れたら、寝られるとは思うですが。

正直、価格としては、魅力的なれどの、周辺の状況がと。諦める以前の、会社を通じ、確認の結果、ローンの最大借り入れ可能額なるが、400万円強やったかなあで、遙か遠くの、アカンなあと。
オッとの、もしかしたら、駐車スペースも無かったかと。近在で、駐車場を借りるしか無いですが。借りるとしたら、3000円見当かと。くれぐれもの、当時、1971年頃の話やでと。

要は、貯金があるで無しの、支払い能力、借金能力からして、中古住宅かと。
母の知り合いに、不動産屋の従業員が居てまして。単なるの、知り合いなれどの、適当なるの、物件をと、依頼の、値は、借金限度額でして。結果、宇治槇島に、420万円の物件がありまして。
20万円超過なれどの、ソレを、何とかしてくれと、不動産屋に頼みの、何とか、なったですが。イヤ、限度額超えては、借りられませんでして。

での、忘れもしませんの、物件、引き渡しの際、先様、現金での要求でして。
不動産屋の人、2人が立ち会いの、確か、大和銀行<現りそな銀行>内であったかの、会議室とするのか、打ち合わせスペースとするべきかの、場所に陣取りまして。現金引き下ろしの、別のスペースに先様が居られまして。立会人と共に、現金封筒と共に手渡しにの、正直、そんな高額、現金、持つが初体験の、手が震てねえ。困ったですが。


以て、目出度くとするのか、引っ越し先が決まりまして。
さての、引っ越し前夜。
仏光寺の家では、犬を飼ってまして。困ったなあと。連れて行けるやろかと。
実は、槇島の家は、矢っ張り、駐車スペースが無い程の、15坪程の小さな家でして。5連棟でして。犬小屋も置けるやろかと、母と相談してたですが。
イヤイヤ、仏光寺の家も小さかったですが。裏庭があっての、その一角、屋根のある場所に繋いでたですが。当然の、犬は、家には上げませんでして。云い出せば、猫は、出入り自由なれどです。家そのものが、スケスケとするのか、猫程度なら、出るも入るも、何とでもなりまして。

オッとの、そんな話をしてたの明くる日なれどの、犬が居てへんでねえ。厳重に繋いでるでも無いですが。さりとて、勝手に、家の外に出るの犬でも無く。忠実なる犬でして。
イヤ、隣の兄さんが来まして。路地に倒れてるでと、知らせに来てくれて。
見に行けば、横になって、眠るが如くの状態にて、死んでたです。

フウンの、余計な話をするで無かったかと。
犬一匹です。狭くとも、犬小屋程度、家の前の小さな、庭にでも、置けたのにと。只なあ、家の前では、通行人に、ワンワン、吠えては申し訳も無く。イヤ、従前、家の奥の裏庭での、通行人に慣れてませんでして。

別段の、わんわん、五月蠅く、吠えるの犬でも無いですが。
悪かったなあと。心配せずとも、連れて行くのにと。思えど、既に、死にまして。誠に摩訶不思議な事でして。
実は、以来、犬は飼ってませんの、猫にも無縁に相成ったですが。猫なら、どこのか、時たまなら、現在唯今の、亀岡の裏庭には、闖入してるですが。戸締まり出来てましての、中にまでは、入れませんですが。

イヤイヤ、ここだけの話。
当世、犬を家の中。部屋で飼おてるの面々多く。それは、その家、ご主人様の方針なれどです。
犬は概ね、春になればの脱毛しまして。家の中が、毛だらけになるのと違うかと。それもあるし、基本原則、犬は、犬での、屋外で飼うが常識ではと。
古(いにしえ)より、猫に対してなら、猫可愛がりの文言あっての、人間に対するの、過剰なる可愛がりよを意味してるですが。犬には、そんな表現無いですが。我が子同然。イヤ、我が子以上と抜かすのが居てるですが。
ホンマかと。冗談顔だけにと。


その当時は、ドッグ・フードなるは、ありませんでして。云うたら、人間様の残り、残飯整理担当でして。
モっと、云うたら、人間様でも、食べるの食材の無い事もで、悪いけれどの、おまえの分は、これだけやと。オトトの、犬畜生でして。人間様以下としてるですが。喰いモノは、無くともの、無いは、無いなりに、分け与えてるわと。多少は、自分、ご主人様の分を犠牲にしてでもでして。その程度の愛情示してるわの、常識やと。

での、犬の種類はとなればの、雑種でして。大型犬でして。多分なら、適当に拾て来たかと。
当時は、捨て犬多くてねえ。堀川<当時は、蓋がされてません>の、川のマンホールに、良く居てまして。10歳未満の頃なれどの、可哀想と、拾て来ては、叱られてたですが。こいつは、高校生時代からかと。

就職してからは、余り面倒見てやれて無かったですが。ソラ、徹夜、徹夜が多くてねえ。男子、21時以前に帰るな的状況でして。お陰様で、残業代がと。
さもなくばの、年収50万円見当が、100万円でして。
オッとの、100万円は、入社一年目での、二年目となれば、二倍は冗談なれどの、近くにはなってたかと。三年目で、この話でして。さもなくばの、中古であれどの、新築、中古、無関係の、400万円もの金額借りられませんの、云うとくですが、週6日制の時代やでと。つまりは、土曜日出勤でして。下手したら、日曜日も狩り出されての、それで、よお、物件、見に行けてたなあと、感心致すですが。


でででの、この手の話、良く聞くです。
引っ越し直前に、飼い犬他界の話でして。
実は、妹宅もソでして。昨年、滋賀から、伏見に引っ越したですが。飼い犬が亡くなったです。こここそは、引っ越し先、マンション故に、犬は飼えませんですが。当然の滋賀時代は、屋外で、飼おてたですが。


オトトの、での、引っ越し先も決まりまして。
されどの、引っ越しするに、引っ越し屋を頼むの、資金無く。
荷物をどしよかの、当時、会社にあった、トラックを貸し出してくれてまして。イヤ、普通免許で、可能の範囲のトラックなれどです。
そして、応援、誰に頼んだかの、会社の同期生に決まってまして。3人程にと。更には、母方の上のオジの従兄弟にも応援をと。トラックでと。

話簡単の、超の節約精神の、それしか、手立ても無くの、イヨイヨの引っ越しと相成ったです。
(12/07/17)


NO.232 桜散る散る、花吹雪の話(24) 都落ちの話

年収が相当なる嵩上げにも関わらずの、限度一杯、借りて大丈夫かとなるですが。
この当時は、先の通りの、不動産神話走りの頃でして。チラシを見て、見学、探索にと。
行けば、既に、売り切れの、満員御礼状態でして。一週間もしたら、感覚的、100万円高い物件になってたりの、要は、買う気なら、一刻でも、早めにの、損は致しませんの、給料にしても、右肩上がりの時でして。
一年経って、一年生の年収、100万円であれどの、残業が無ければ、50万円でして。二年目には、200万までは知らんの、基本給も、上がってまして。150万円には、軽くの、達してるかと。オットとの、くどいけれどの、残業を含めての総額でして。
この話は、諸般の状況より、三年目の終わり頃かと。ならばの、年収200万円には軽くの達してるです。さもなくばの、400万円は借りられへんかと。返済金額、多分なら、年80万円台ではと。

イヤイヤ、一年目の冬のボーナスから、まともでしての、非常に良かったです。多分なら、夏冬2回で、10倍あったかなあと。要は1回分、5倍でして。へえと。
丁度、入社して数年は、景気も良かったわと。数年経った頃、オイル・ショックかで、一気、不景気になったですが。すぐに、盛り返すの勢いあったですが。
何れにせよ、当時は、月給も、右肩上がりでありまして。銀行で、借りるさえ出来れば、相応に資格とすのか、返済能力あるの証左でして。どて事無いゾの感覚でして。
正直には、一年目、初任給、33500円はしかと、覚えてるですが。残業代含めて、初めての給料、5万円<残業代含む>も、鮮明に覚えてまして。されどの、一年目の年収100万円は適当なれどです。当たらずとも、遠からじと。

二年目、三年目なんか、尚更の適当なれどです。
こっちにしたって、家は、借家で、老朽化。
雨漏り酷くなりの、漏電まで起こしまして。建て替えるに、土地を買いたいと申し出れば、建て替え結構の、費用こっちで、家の権利はあちらに没収するの話でありまして。更には、新築成れば、その分、家賃を上げるの条件でして。
そんな話、飲めませんです。飲めず以前の、銀行から、借りられませんです。ローン返済、完済まで、家は銀行の抵当に入るです。要は、自分名義が前提でして。

飲めへんで、ならばと、住み続けるも出来ませんでして。
話簡単の、嫌なら、出てけの話やでと。昨日、今日の住人やあるまいにと。

イヤ、見事です。
仏光寺の家の主。借家ではあれ、親父が宇多野病院に入院、即でして。
家が音を出しの、見る見るの、崩壊するのがです。さもなくばの、家を何とかしたいは思わんですが。イヤ、多少は思てたわと。
正直、私が結婚するにしたって、嫁はんを、こんな家に住めと云えるかと。雨漏りして、漏電のです。オッとの、それは、後刻なれどの、雨漏りなら、学生時代から、し出してまして。

とかとかの、実は、この辺りで、妹高校卒業しまして。そっちの負担、母を通じてなれどの、無くなって。
母は、保険の外交してたですが。はっきり云うて、兎角にの、使う方が多かったかなあと。衣類をでして。借金2度も返済、肩代わりしてるです。簡単なる金額に非ずの、1回、50万円見当でして。

返済、結婚してからなれどの、軽くのボーナス、吹き飛んでまして。
オトトのそんな話は結構の、ソラ、イザの引っ越し、寂しいです。
住み慣れたの家を出てくになるです。会社から、借りたのトラックに、母と、妹を乗せまして。3人して、引っ越し先、宇治、槇島には、どれ程寂しかったかと。話簡単の、以て、実家、産まれた家と称するの、モノが無くなるのかと。

元々が、親と一緒での、実家は、親の居てるの場所と相成るですが。その親と一緒に出るでして。
出たら、最早の、戻れませんでして。借家がためでして。実際には、何年かして。或いは、何箇月であったか。家は解体されたですが。これ又、後年、見た時には、ゾとしたです。誰に文句も云えへんしと。
当然の処置でしてと。


オッとの、忘れモノをしてまして。
二度、三度、四度、五度と。こそりとでも無いの、戻ったですが。ソラ、ボロ家の真ん前に、ホンダZを止めての事でして。近所の面々なら、誰の車かは、承知をしてるわと。

オトトの、ソ云えばです。
家の前で、洗車なりしてて。一寸の間、家に入って、外に出たら、駐車違反の張り紙がしてあったりと。警察のです。五条警察署でして。文句を云いに行ったです。家の前で、洗車してて、何が、駐車違反かと。
さすれば、元々が、家の前には、駐車の出来るの、スペースが無いと。何なら、ガレージ違反にしてもええのやでと。とか、警官に脅されたりしたですが。
確かに、一寸しか、間は無かったですが。軽自動車がやっとでの、それも、車体半分出てたかと。それでも、ガレージ登録出来てたですが。さもなくばの、買えませんでして。


での、古い道具等々、槇島には、置けませんでして。狭いがためで。ソラ、敷地、13坪。
かと云うて、仏光寺の家もそんなモンなれどの、広く見えてたです。裏庭があったからかと。それもあるし、京都の、町の、真ん中故、敷地一杯に建ててまして。槇島のは、建蔽率(けんぺいりつ)もありまして。
あっても、何か出来るの面積でも無く。

まあ云うたら、台所、玄関会わせて3畳。そして、3畳の食堂かの、6畳の居間。あとは、トイレ、風呂でして。2階は、4畳半と、6畳の間。
とは云え、3人なら、充分でして。妹と、母は1階で、私は2階でして。イヤ、誰が決めたでも無いです。私は、2階の4畳半の間を使うとしただけでして。結果、2階の6畳の間が余ったですが。


での、面白い事に、槇島の家も、家の前に、家が無く。
要はT字路のドン突きになるですが。
仏光寺の時は、家の前には、会社<酒の問屋>でして。駐車スペースを設けてあって。建屋は、引っ込んでまして。
その後、亀岡に引っ越したですが。現在の地なれどの、家の前の道路の先は、ドンと、1メートル程の段差で、下がった場所は駐車場でして。話簡単の住宅では無いです。
これも、何かの、因縁かと、思たりも。
ソラ、正直、煩わしさは無いです。現在のなら、家の前に道路の向こう側に、息子共が時折帰って、車を置くに遠慮も無く。邪魔に成らず。気楽やわと。


事程左様の、正直、トラックに母、妹を乗せて、槇島にの道中。思たです。ズシンと来たです。
これが、都落ちかと。

云い出せば、名実共の都落ちは、亀岡行きなれどです。宇治と、亀岡では、違うわと。宇治なら、観月橋を渡るだけなれどの、亀岡となれば、山1つ、西山を越さねばならぬわと。
現在唯今、今だ、方向感覚狂てるは、そのせいでして。西山が、我が家の東にありまして。東西南北、グシャ、グシャの愚者。最早の直らんの、直す気無しの、別段にの、誰に迷惑掛けてるで無しと。


とか申しても、実は、この槇島の家。
当家にとって、福をもたらすの家でして。事実、もたらしてるです。
(12/07/18)


NO.233 桜散る散る、花吹雪の話(25) 仏光寺の交渉の思い出話

昭和46年<1871年>2月末。祖母他界。
以来、良くも、悪くも、私の環境、急変して行ったです。

仏光寺の狭い家には、オジ達を含めて、最大、7名が住んでまして。
オジ達は、私が、高校生に入学の頃には、出てまして。出たも、家からでして。上のオジが結婚して。下のオジも結婚しまして。兎に角、5名に相成ったですが。

祖母が亡くなり。
親父が宇多野病院、別称、結核病院に強制入院させられて。オッとの、強制故に、病院代はいらんです。完全看護のため、家族が何かをするの義務も無く。当たり前に、見舞いには行ったですが。
その話は後刻に致しまして。チラと触れれば、行ったは、私1人だけでして。

どっちにしても、中途半端な状態での、3人家族に相成りまして。中途半端とは、親父は居てても、頼りに成らず。元々が頼りにしてませんですが。
仏光寺の家から、宇治、槇島に移るの話も、決まってから、報告してまして。細々なるの、経過も話はしてませんです。云うたら、所詮は借家でして。まだまだ、住めるの状態では無いは、親父は承知してまして。


但し、母との経過は云うてたです。
何をとなればの、大体が、我が身大事な人でして。宇治、槇島の家の、権利<名義>を、自分と折半にせよと。あのなあの、それでは、銀行から、資金借りられへんと。
別段に、親に幾ばくかの資金を出せと、要求したで無し。要求して、出すで無し。

イヤイヤ、ホンマやでの。
頼りにしてへんとは云えどの、親父には、喰わせてもろたとしてるです。衣食住は、左程の不自由無く。金は無いは、無いで、それなりにでして。
仏光寺の家を出て、槇島に行くにしても、大前提、家族皆一緒。当然の親父が退院にて、戻るはこっち。あっちは、我が家に非ずでして。

云うたら、親父が入院の段階にて。家長職、バトン・タッチ状態でして。
そんな事、云われんでも、宣言せずとも、決まってまして。
よって、隣の家主宅にも、1人で、交渉しに行ったのでありまして。場合により、出社前に、隣家に寄ったりと。さもなくばの、徹夜があったり。最低限、21時以前には帰れませんでして。
交渉代行、母はしてくれるの筈も無く。代行頼むの気も無く。

オッとの、仮定の話なれどです。
万が一の、仏光寺の土地を売るで、名義は当然のこっちにと。交渉成立したとして。果たして、ローン限度額、400万円でとなれば、微妙でして。イヤ、家の価値ゼロでの、土地だけなら、当時、坪40万円程度の可能性がと。交渉次第で、15坪を、400万円でと。
但し、我輩、誰と思うやの、シバケンぞと。
そんな計算、全然のしてませんでして。

単純には、雨漏りするし、壁が落ちそやし。柱も腐って来て、漏電やしと。事は急ぐとだけでして。

話簡単の、限度額、400万円を知ったは、宇治、小倉の700万円の物件の買えるの可能性を調べるの段階でして。それまでは、限度額をさえ、想定してませんでしての、金勘定、損得勘定、皆目の、ド素人状態。
ソラなあ、経済学部卒業で無し。電気工学科やでと。
交渉テクニックもありませんの、常に直球勝負の、単刀直入の、隠し事無し。

隣の小母さんには、突然に訪問の、家を売ってほしいのやけどと。一言でして。当たり前の、何でも、最初は突然なれどです。
小母さんと、お婆さんもいたはっての、私の顔をまじまじの見つめられての、「タケちゃん、本気やなあ。」と。
そら、隣同士で、産まれた時から、知ったはるわと。大体が、冗談申しませんでして。年長者に嘘、はったり、ぶちかましなんか、申しませんでして。そもそもが、そんな話を冗談で、云えますかと。
とまでは、申してませんですが。

すぐには、返事が出来ひんし。一寸、待ってくれと。ハイ、承知と。
結果、交渉の場に出て来られたが、先様親戚筋の小母さんでして。全然の見た事も無いの人でして。年寄り3人対の、1人でして。
条件をば、初対面の、知らんの小母さんが口にされた時には、想定外の内容での、ビックリしたですが。ホナラの、どんな具合に想定かとなればの、最悪、単純明快の、売らんとだけの話かと。
売らんとなれば、家の修復をどするやの話になるですが。例えばの、幾らかでも、出せとなれば、出すのツモリで居たですが。
オッとの、原則、家主の負担なれどです。簡単なるの修復と違うは承知してまして。

ここからが、こっちの、思案とするのか、どのよにするかを、考えよかと。
程度の無計画ぶりでして。
ソラ、くどいけれどの、自分の借金能力知らんわと。


余計な話。
当時はどこ様も一番の年寄りが家の、一家の実権握ってまして。
隣も大体が小母さん大人しく。婆様、大体が、取っ付き難く。家の全容知らんですが。何分の女性ばかりの家でして。まともに入った事は無く。概ね、30坪程度かと。
更に、余計な話の、当時は、今でも一緒かも、分からんの、どこ様も、電灯1つ、極力使わんでして。昼夜を問わず、家の中に入っても、暗あてねえ。

イヤイヤ、思い出すです。
再度の何とか、ならんかの交渉の際は、早朝でして。私は、会社の作業服で隣に行ったです。終われば、そのままの出勤でして。
での、土地は売らん。直すも、建て替えも勝手にの。直し、建て替えしたなら、家賃は相応にと。
オッとの、ならばの、家賃、幾らかとなればの、3千円。
親父は高過ぎると、文句を云うてたですが。

での、この時。最期の交渉の時です。
私の方は、正直なる気持ちを見知らぬの小母さんにぶっつけたです。
世間は水くさいなあ。結局、出て行けと云う事やなあと。産まれて、育った処やのにと。

ならばの、見知らぬの小母さん申したです。兄ちゃん、悪い事やなあと。
同情めいたの事をと。

思うに、隣は、家が壊れるを待ってたです。
(12/07/19)


NO.234 桜散る散る、花吹雪の話(26) 福をもたらすの家の話

とは云えどの、突然の、借家から、持ち家でして。
時に、25歳でして。
正直には、借家的感覚無かったですが。且つは、貯金も全然のしてへんでねえ。あったら、あっただけ、使いまして。使てしもてまして。

何に使たかとなればの、当時、ボーリング全盛期。
女子プロ、中山律子(69歳)、故須田開代子、並木恵美子(63歳)が大活躍の時代でして。あっちに出来て。こっちにも出来ての、ソレでも、大入り満員。待ち時間、ン時間。
そらなあ、毎週日曜日に駆り出されるで無し。時には、21時までに、開放されるの事もありまして。

マイ・ボールを買おたんやと。
同期入社の馬場君が居てまして。
東京出身でして。誘い、誘われ、ボーリング場を総ナメにしてたかと。馬場君も、入社数年で退職以来、音沙汰無く。今、何してるか。生存してるのかと。
そいつに、誘われ、誘いの、熱中症になってたですが。

イヤ、親父入院までは、別段の、家に幾らと決めてえへんけれどの、手取りの半額は入れてまして。云うたら、後は、自由でして。
祖母には、初月給では、何もせずの、むしろ、入社祝いとして、自動車教習所の費用を戴いてしもたり。されどの、ボーナスでは、ドンと。云うても、新入社員故、1箇月分。冬のボーナスはまとも故に、又、ドンと。
云うてる間に自動車事故なんやと。

オッとの、斯くなるでの、家貧乏。貧乏学生自認の、されどの、金銭に執着無く。現在唯今でも、ソでして。我が財布の中が、我が全資金。銀行口座はあるですが。管理嫁はん。へそくりゼロ。
貧乏自認は結構の、多少は蓄え致しませんとと、思いはすれどの、アカンなあ。

とは云え、何度でも、申すの、借金となれば、住宅ローンしかしてませんでして。
イヤ、一度だけ、別途でしたですが。後刻、話は致すですの、兎に角、単車、ホンダ・スーパー・カブ、最初の車、ホンダ、NV<360cc>は、もしかしたら、ローンの可能性があるですが。ソラ、そんな、まとまった、資金は持ってませんでして。

イヤイヤ、仏光寺の家とするのか、土地売れ交渉結構の、資金ゼロ。
よお、云いに行ったなあと、今更乍らの感心致すです。
ではあれどの、全くの、無計画に非ずの、大徳寺の祖母の妹の息子<親父の従兄弟>が、建築家と申してるの、一級建築士でして。常々、云うてたです。頼んでたです。しかるべくの時には、頼むと。
頼むとは、ええ家を建てて頂戴と。
結果的、実現は致しませんでしたですが。あてにしてたとなれば、その話だけでして。果たしての、家を建てるの費用までは、計算、目算、暗算さえもしてませんでして。土地さえ、売ってくれたら、後は相談とだけでして。
売ってくれず故に、頼むはしてませんですが。

強いてなら、土地を買えれば、一年でも、二年でも、五年でもです。雨漏り我慢の、配線は相応の、電気工事なら、中学生時代からの親友、ミノル君も居てるわの、ソレに頼もかと。
しかる後、月給も増えて来たらと、オジさんに話をしてみるかと、相応の計画だけはしてたですが。

それが、我が理想の姿でして。
新築の案、図面は構想もしてたです。費用度外視なれどの、所詮は分からんしと。見積もりもしてもらうの以前でして。
イヤ、夢は、暖炉のあるの部屋。書斎が欲しいナと。駐車スペースもと。贅沢なる造りでして。


オトトの、兎に角、親父強制入院。強制故、入院費用無し。
一銭もの貯金無く、仏光寺の借家を出て、宇治、槇島にで。その辺りの報告は、宇多野病院の親父にはしてるですが。変な話、相談は一切してませんの、こんな具合に、あんなにと、あくまでもの、報告でして。

での、ででの、とか申しても、実は、この槇島の家。
当家にとって、福をもたらすの家でして。事実、もたらしてるですと、したですが。

向かいの小母さん、長く、槇島に住む人なれどの。この槇島の団地なるは、当然の新興住宅街。とは云えどの、買った家は、築何年なんやろねえ。失念、ええ加減の、20年程やろかと。
10年としたら、ボロでして。20年なら、そんなモンかなあの、ボロ具合でして。
オッとの、その小母さん、曰くに、我が一家の入った家なるは、皆様、大きな家に引っ越したと。フウンの、引っ越した先の家を見たよな事を云い。

されどの、まあ、ソやろと。
間取りからして、狭いです。二階二部屋。下、実質の一部屋でして。

トトトのそんな話は別途の、駐車場も、近くに大駐車場があっての、近くも、近くの、前の道路をどっちや。家を出て、右手に行けば、左手にありまして。借りられたの場所も、出入り口の近くでして。
これなら、普通車でも、買えるナと。
ホンマやでの、仏光寺では、NV<360cc>が壊れて、ホンダZにした程度の、あのままでは、軽自動車が限度一杯の、洗車をしてての一寸の間、離れただけで、駐車違反で貼られまして。
こんな事件も、焦らさせられたの要因なれどです。

ででの、この家に引っ越してからです。
私め、結婚しまして。
間も無くの、妹も結婚しまして。

我が夫婦に、息子2人が出来まして。
話簡単の、二男が出来たの段階にての、これは、急がんならんなあと。何をとなればの、今より、広い家に引っ越しませんとと。

そらなあ、槇島の家は、先にも、申してるの、5棟、連棟の、5連棟でして。我が家、2軒目でしての、両側に家がの、壁一枚で、隣家。

云うたら、引っ越したの日の夜であったか。金の無い身で、ステレオを持ってまして。レコードも何枚か、所有してまして。古いレコードなら、家にあったですが。とかとか、当然の、レコードのステレオでの、蓄音機とも称するですが。
二階の我が部屋、4畳半の部屋で、真夜中、スピーカーを天井のしかるべくの場所に設置の、さての、電源入れて。
初めてと思うですが。音を出して、右を、左の、スピーカーの音量、バランス調整のと。

してたら、家の玄関、ドンドンと叩くの音で、何事かと、出たなら、隣の兄さん、一言、「うるさい。」
この一発にて、二度とステレオはあかんなあと。さもありなんの、壁一枚やと。当然のトラブル・メーカーには、成りとは無いわの、お隣さんとは、仲良く致しませんとと。

ついでになら、この兄さん。
多分なら、私よりも、若干の年配かの、独身でして。まあ、云うたら、大したモンの、我々が亀岡に引っ越すの、一年前に結婚したかの、どっちにしたって、扱い難いの兄さんでして。それが、端から、3軒目で、一番の端のは、大工やったか。気さくな兄さんでして。これ又、私よりも、若くの、結婚もしてて、子持ちやったかなあと。
イヤイヤ、この兄さんとは、仲良くなって、話もしたし、こっちに、来たりと。
してたですが。
(12/07/20)


NO.235 桜散る散る、花吹雪の話(27) 結婚の話

諸般諸々の、経過の通り。
家が音を立てて、崩れ出し。
とは、表現上の話なれどです。別段に、今日の、明日に出てけの話でも無いですが。

只、ほったらかしにも出来ずの、新聞のチラシ見て、即の、山科に見聞に行けば、モ売り切れでして。場所は違えど、近鉄小倉駅の新築物件を探索したなら、立地条件に問題多数なれどの、買い物かと。
とは思えど、借金能力ありませんを知りまして。
正直、金利が云々、月幾らの返済等々、考えた事も無く。

とは云え、所謂の賃貸物件なるは、念頭に無しでして。
理由は簡単の、家賃支払いは勿体ないわと。所詮は何年経てどの、自分のモノに成らず。少々苦しくとも、自分のモノに成るよにと。

それもあるし、家族3人。親父が退院したら、4人になるです。
アパートであれ、マンションであれ。4人家族が住むとなれば、まさかの、ワン・ルーム・マンションは問題外でして。かと云うて、4人が住めるの賃貸の、家賃相場も知らんですが。
贅沢云わずの、仏光寺の狭い我が家で、一時、7人がと。ソレを思えば、何とでもなるですが。その当時とは、時代も違いまして。

そらなあ、オジ達、結婚して、最初に出て行った先は、アパートでして。
これはなあ、立場が違うわと。オジ達は、夫婦2人だけ。或いは、その子だけを思えば宜しいです。

我輩、母を、妹をと。しかるべくの、親父をと。家族全員を想定してまして。加えての、自分が結婚となってみいと。イヤ、槇島の家では、狭過ぎるですが。仕方が無いわと。嫁はんには、我慢してもらわんとと。そら、それこその、借金能力一杯でして。そこから先、逆立ちしたって、どもならんです。

但し、当時は、高度成長の走りでして。
給料は、上がるが前提。土地、家屋も上がるが前提。買うなら、一刻も早くの程度、青二才の我輩でも、承知してたですが。
オッとの、さりとての、何年後であったか。7年経って、亀岡に引っ越しの際、槇島の家が売れた額なるは、520万円やったかなあと。ならばの、120万円から、儲かってるみたいになるですが。
オッとの、どっこい。
可成りの手を加えてるです。

先に云うてしまえば、ここも、雨漏りがしてまして。屋根瓦を総替えしてるし、風呂も、カビだらけの、何だらけで、新しいのにしてまして。この当時、相当に早いの、「ソーラー温水器」をば、屋根に取り付けたりも、致しましたり。
その他諸々の、軽くの、200万円見当は、費やしてるです。
イヤ、万事、結婚してからでして。嫁はん、パート社員で足してくれて。さもなくばの、諸般無理。

での、この当時、槇島時代、何の話から、したら良いやらと。
しかも、本題、東京のオバとは無縁の時でして。されどの、この当時の話もしとかんとと。

ではの、親父の話は後にしまして。後にしても、親父の話は出るですが。
まずは、結婚の話の、嫁はんは、実は、四国、香川の高松の。当時は、ロームの関係会社であったの、アオイ電子に勤めてまして。詳細、省略の、実家は、詫間の比地木なれどです。
その狭い家、槇島の家に、四国から、花嫁道具一式、トラックに積んで。運んで来たです。

結婚式は、円町、西大路丸太町にあったの、玉姫殿。
結婚式費用はどしたんやろねえ。正直、親には一銭たりともの、出してもろてませんでして。云うたら、借り衣装等々に至るの、全部がこっち持ち状態でして。多分なら、ボーナス分全額であったかと。
幸いにしての、先に精算の式では無くて。掛かった費用を後刻精算したかの、祝い金等々で、何とか成ったかなあと。

ホナラの、結納の儀の結納金はどしたかとなればの、これは鮮明に覚えてるの、矢っ張り、ボーナス全額であったかと。相場、給料の3箇月分でして。当然の、住宅ローンで、目減りはしてるの、されどの、当時は、率が良く。引かれて、3箇月分がありまして。

オトトの親父は、入院故に、母と2人で、先様に、行きまして。口上は述べるの術知らんの、飾り付けは自分でしたですが。要は母は付いて来ただけでして。
イヤイヤ、要は、手順、万端の飛ばしてませんです。親父が居て無いだけでして。されどの、結婚式には、出てもろてるです。


正直には、新婚旅行の資金がと。

当たり前にあらへんしで、海外なんか、トンでもの、当然の国内、伊豆、熱海。
行きは新幹線の、グリーン車でして。グリーン車なるに、乗ったは、生涯、その一度だけ。
加えての、土産モノを買うの資金、カツカツでして。結局の処、我々夫婦の記念品無し。イヤイヤ、ホンマやでの、兎にも角にもの、万事、蓄えありませんでして。着いた先からは、道も知らんのに、レンタ・カーでして。節約、節約の、ケチケチ、新婚旅行。

忘れもしませんの、宿泊先の旅館から、レンタ・カーになっての、御殿場から、富士山に登るの予定が、積雪のため、通行止めの、次の宿泊先は失念の、道中、車がパンクしてねえ。
適当なる、ガソリン・スタンドにての、パンク修繕の。整備士曰くに、中のチューブが裂けてしもてるの、サイズの違うのが入ってますと。での、どせえとなればの、チューブを取り替えませんとと。へえと。
費用幾らか忘れたですが。多分ならばの、1万円見当の、えらい出費に相成っての、計算外の、結果の、土産モノ代も無くなったかなあと。

事程左様の、資金に余裕無しの新婚旅行でして。

ででの、結婚にての、母、妹、嫁はん、私の、4人の生活と相成ったですが。
妹は諸般、適当に気も使てくれたですが。親がなあ。どもならんかったですが。正直、嫁いびりが凄かったわの、尋常では無いの、ソラ、1人息子でありましての、その話は割愛の、兎角に問題児ならぬの、問題母でして。
所詮は、どこ様も大同小異ではあるですが。

当世に至るも、問題母なれどです。
当時から、比べたら、現在唯今、歳喰た分、桁の違うの、聖人君子。
イヤ、親でして。悉くを、思うがままに、最優先で、してるですが。

さての、次なるは、妹の結婚と相成るですが。
(12/07/21)


NO.236 桜散る散る、花吹雪の話(28) 妹の話

そんな次第の、斯くなるでの。
モ一発、四国、香川の嫁はんの実家から、トラックに満載の、花嫁道具が到着にての。何度でも、申すの、槇島の家は、狭いんやと。
土地全部で、15坪。
とか、云う以前の、とりあえずは、1階の6畳の間に入れまして。そこで、道具に囲まれたの、嫁はんの記念写真をと。撮れば、これは、あっちに、こっちにと。
云うても元々が生活してるの家でして。
そら、母が諸般諸々、色々、無茶苦茶の、あったですが、割愛をと。

掲載でもしたら、ホンマか。嘘やろの。誇張したら、アカンでと。
小説の世界、造り話と、相成るが故に割愛の、現在唯今、どんな無茶云うても、聖人君子の知れてるわと、してるの、余所様にての、嫁姑問題無くの、上手く行ってるわと。名実共の心底、事実ならばの、神様、仏様、キリスト様の世界かと。
尊敬致すです。
100中、99は、まあ、諸般ある筈の、見えんよにしてるだけ。口外せぬだけの、まあ、云うたら、賢いのやなあと。当世、反対には、嫁の姑いびりが存在致すですが。世に云うの、鬼嫁存在でして。


オッとの、での、ででの、次なるの、妹はどこの式場で、結婚式をしたのか、失念してるです。
イヤ、当人からしかるべくの、聞きまして。斯くの然でと。での、どこに住んでるの人かと、根堀りの、葉堀りの聞き出しまして。

今、申すですの、その家を見聞、探索しに行ったです。その昔なら、聞き合わせとでも、称するですが。聞き合わせまではしてませんの、探索にだけでして。
イヤイヤ、婿殿、当時、両親と同居でして。他家のこと故、詳しくは申さんの、黄檗の方でして。云うたら、槇島からなら、近いです。

母と、嫁はんと。
一緒に、当時の車は何やったかの、ホンダZは壊れてまして。ボロ・バード。イヤ、ブルー・バード。
兎に角、当時の車はすぐにも、壊れてねえ。乗り手、我輩の使い方が荒っぽいのもあるですが。そもそもがの、N360Vは、再生車<中古車>なれどの、ホンダZは、新車で買おたですが。
結婚までには、壊れてまして。
廃車で、入社同期生から、車屋を紹介してもらいの、その時、適当なるの車をと。「5」ナンバーの、ブルー・バードを、推薦されて。良質なる車やでと。多分なら、5万円でと。それしか、手元に無く。

結果、初めての、普通車に相成ったですが。
当時は、既に、槇島でして。駐車場を借りてまして。ガレージの心配無く。さもなくばの、「5」ナンバーは無理でして。仏光寺の家でなら、軽自動車でさえ、警察に目をつけられ、駐車違反の張り紙されてるのにと。
事実、このブルー・バードは良質なる車であったですが。ここで、「5」ナンバーと云うてるは、正真正銘、「5」一桁の、「5」ナンバー。当時、既に、珍しかったです。稀少価値でして。

その車で、家を見に行ったです。
にしても、正直、一発にて発見したです。家の真ん前をば、ソっと、ブルー・バードで、走行の、表札見て、嗚呼、ここやと。云うとくの、そんなに発見し易いの場所に家は無かったです。
での、家は分かったしと、モ一周しまして。再度の見たら、母上様が台所の窓越しに見えたです。多分なら、晩ご飯でも、準備をしたはったかと。
イヤ、間違い無く、その家でして。


そして、早速にも、両親が挨拶に来られると。
との事で、待機の、これ又、困った事に、相応の服、上着が無く。変な話、背広、ネクタイならばの、所有はしてたですが。将来の婿殿とするのか、妹から、堅っ苦しい、服装はと、避けて欲しいとの事でして。
イヤ、反って、困ったですが。他には無くの、ジーンズのジャケットを羽織りまして。一寸、問題、承知してるですが。背伸び、見栄張る事も致しませんでして。アルがままが宜しいかと。

ででの、実は、我々夫婦は1階の部屋としの、4畳半は、応接間にしてたです。そして、2階の6畳の間は、母と、妹がと。
当日、両親、当人様、応接室に上がってもらいまして。
実は、応接セットを入れてまして。但しの、上のオジから、貰たモノでして。元々が、あったモノを、貰てくれと。結果、またもやの、会社から、トラックを借りまして。オジ宅から、出しの、槇島の家の2階に持ち上げのは、大変でして。

イヤイヤ、でででの、我が親父は、病院でして。
母と兄であるの、私との、2人で、対応したですが。嫁はんは、茶など、茶菓子など、出すの役での、反対するの理由無く。「妹を、宜しく、お願い致します。」と、返答の。
正直、泣けて、泣けてねえ。一寸、すみませんと、離席したですが。
云うたら、そんな事、触れんでもええのに、誰とは云うの、先様、母上様、兄さん、何で泣いたはるのですかと。

あのなあの、何でて、云うまでも無いの、我が立場、兄でありの、親父の代行なれどの、父的立場でして。親父年齢程には、人生修行全然足らんの、不足の、感情、そのまま、グとこらえたりの、誤魔化したりの、隠せませんわと。
丁度、30歳くらいやったかなあと。
兎に角、私が結婚しての、間無しでして。

当たり前に、先様、両親には、相応の返答しの、返答までは、冷静に、冷静にの、台詞も練習してへんの、練習するに、台詞を知らんの、一発勝負の、成り行き任せで、云うたですが。云えたはええけれどの、以て、決まりかと。妹の結婚がでして。
決まってしもたなあと、思たの瞬間より、涙が出る出るの、止まらんが故、見られるもシャクの、隠すがために、離席してるのにと。離席の際、何で兄さんとは、余計な話やわと。
イヤイヤ、忘れもしませんの、全員で、云われてねえ。我が方からしたら、全員、敵状態。孤軍奮闘、晒し者にしの、殺す気かと。


とまあ、そんな次第の斯くなるでの、実は、ここからが大変でして。
くどいけれどの、嫁はん、四国から、トラック一杯の、花嫁道具を持って来まして。狭いの、槇島の家に、入れたですが。

さての、諾と、返答故、今度は、妹の花嫁道具の準備をせねばならぬわと。
とか云うても、正直、先様の家も、似た程度での、先様にも、妹が居て、両親が居て。そこで、生活してての、相応の家具等々、あるけれどの、委細無視。
相応の家具をば、準備してやらねばならぬの、恥はかかせられんの、ソラ、大変ゾと。既には、周知徹底の、金満家に非ずの。こっちは、結婚したばかりで、新婚旅行さえもが、伊豆、箱根の分際にての、どするやの、ども、こもの、やらんならん事は、やらんならんのやと。

どんな事になったか。
1階の部屋は、タンスであるとか、三面鏡等々、順々に入りましての、見る見る内にもの、妹の花嫁道具で満杯になりので、家族全員、2階にと。
話簡単の、2階の6畳の間で、4人が寝たです。
寝たですも、ホカにどせえと。しよがあらへんわと。
(12/07/22)


NO.237 桜散る散る、花吹雪の話(29) 結納の儀の話(1)

「桜散る散る、花吹雪の話」
東京のオバが主題の話で、この処、オバ一向に登場しませんですが。
オバは、モ暫く、登場致しませんです。ナラバの割愛も、出来ませんでして。それは、オバが登場にての、諸般、この一連の話の意図が、分かる時が来るです。


での、云うたら、何やけれどの、その時の、親父様の様子は覚えてるですが。
当たり前の、初対面。
母上様も、理屈上、初対面。
実際問題、チラとだけの、話もしてませぬ故、事実上、初対面なれどです。

親父様が、何をどんな具合に喋らはったかまでは、霧散の、当たり前に、話の主題、本題、結婚云々の話なれどです。
正直には、親父様、相当に緊張されてたです。それが、こっちに感染してしもたの感あるですが。

としておくの、ソラなあ、先様、母上様、我が母、気楽なモンでして。親父様も、相手が、若輩の私でして。困らはったと、同情致すです。今やから、推測出来るですがと。
その延長で、先様、母上様、いらん事を抜かしてからにと。オッとの、斯様な話、ここで掲載、初でして。そんな話、誰にも、話をした事無いの、以降もする事ありませんです。
掲載故に、出来てるだけの、便利やねえと。それがための、ホーム・ページと心得てまして。
独断、偏見、独走、何でも有りの、こんな話、まともに誰に話出来るやと。しても、話が逸れて、逸れての、続かんわの、息切れ致すですと。


ついでの話ならばの、我が方の事を、モ一寸だけの、嫁はんは四国故に、母を伴いの、高松にで。当時、定宿にしてたの、ホワイト・ホテルにと。
まずは、当人をば、母に紹介致しまして。
だけでして。

しかる後、1人でとするのか、当然の、嫁はんの道案内にて、里、香川、詫間に行ったです。
オトトの、両親に会うがため。挨拶のためでして。
イヤイヤ、正直、田舎でねえ。人里離れたの、まだ、その先にで。どこまで、行くかと、心配になった程でして。
その先に、又、集落ありの、立派な家が沢山あってねえ。へえと。あくまでもの、我が基準での話やでと。京都の家々からしたらの、皆立派。桁の違うの邸宅なるは、別途の話やでと。

実は、当日、中身失念の、行事があったらしく、義理の父母、親戚宅に行ってたですが。そこえ、挨拶しに参じましての、親戚宅にでは無く、道端にての、自己紹介をと。

別段に入れて戴けずでは無くの、ブルー・バードで、走ってたら、嗚呼、あそこにと、嫁はんがで。要は、家の外に出て、待っておられたですが。
包み隠さずの、有り体には、義母、一寸、抵抗されてまして。義父の方は、遠い処え、よお、来たなあと。歓迎の意を述べて戴きの、ホとしたですが。
イヤ、義母の表情、堅あてねえ。言葉選ばずなら、変なヤツが何しに来た的、表情かと。イヤイヤ、両親、反対の状況なら、想定してたですが。意外に、逆でして。
とまあ、挨拶も、それだけでして。親族宅で、用事があっての、長居も出来ず。


での、我が方のです。結納の儀の際。
先にも云うてるの、親父が居てませぬ故、当人、私自身が、飾り付け致しまして。当然の、口上、一切無しの、そもそもがの、結納の品をば、先様に持って、行って、飾れば役目仕舞い的感覚でして。
ソラ、親父のするべきの、代行でして。
オッとの、本来ならばの、仲人の役目でして。仲人なら、結婚式当日のは、知り合いに頼んだですが。結納の儀までは、頼みませんでして。

イヤ、ホンマになあ。変な具合でありましたです。入院は入院の、諸般全部、伝えてるとは云うものの、手術したで無し。点滴打ってるで無し。骨折でもして、身動き出来ずでも無しの、一見まともでして。
単に、入院してるだけ。さりとての、四国、香川の、先の先にまで、連れてくも、出来ず。ソラ、強制入院させられてるの、患者の身でして。

ででの、台詞は知らんの、知る気も無しの、結納屋にどすればと、聞きもせず。イヤ、聞いたは、組立方法だけかと。多分なら、それだけで、良いのと違いますか的、話であったよな気もしてるです。
そもそもが、前代未聞の結納の儀でありまして。
本来ならば、斯くの然での、親父がこんなで、省略するかに成ってもなれどの、そんな気、微塵、毛頭、露程も、ありませんでして。

先様も、我が方の、思うがままの、一切の、口出しされませんでして。
オトトの、諸般、儀式、儀礼承知してませんですが。ソラ、万事、未経験の世界に突入でして。あのよに、このよにと、打ち合わせも何も無し。
只々、決まり事と信じてるの事を、万事、万事、何でも、万事の、するべき事をと。
変な話、自分が代行も変とは思てませんでして。単純明快の、結納の儀はしんならん事であるの固定概念のみでして。


オッとの、ならばの、そんな事で、我がオジ達、どしたんやろねえ。
これ又、変な話の、全然の知りませんの、全くの、感知せず。
イヤ、正直には、上のオジ、結婚式せず。理屈だけは云うてたですが。あんなモン、とは、結婚式の事なれどの、儀式や、儀式やと。
私なら、儀式やからこその、やらんならんのにと。

での、下のオジはどしたんやろねえ。結婚式は参列した故、やってるですが。結納の儀はどやったかなあと。そもそもがの、仲人がどか、知りませんでして。イヤ、お見合い結婚でして。
とは云え、仲人に頼んだの気配無く。オジの親父<我が祖父>、他界してまして。我が概念ならばの、親父替わり的、長男であるの、我が親父が代行せねばならぬですが。はっきりとは、やるよな、親父に非ずでして。
こんな儀式、確かに、母親<祖母>が代行出来ませんでして。男でして。絶対にと、男でなければと、するの法律無い故、やれるモンなら、やってみいの、男女同権ゾと。

ででの、話を戻しの、ならばの、当人、オジがやるかとなればの、性格的にも、やらんやろと。
結果、思うに、推察するに、結納の儀なるは、してへんやろと。

にも関わらずの、私が何で、型破り的、結納の儀を自分自らが、疑念一切の持たずの、やったかとなればの、正確には、よお、分からんの、多分なら、「柴田家」長男の立場があったかと。
長男云うても、下は妹1人なれどです。

延々の掲載の通りの、金銭的余裕もあらへんのにと。あらへんでも、当時、優先順位的、筆頭でして。余裕が云々も毛頭の、考えてませんでして。只々、筋を通すと、だけでして。
さりとての、上のオジは何んでと。等々、一切、思てませんの、ソレは、ソレ。
お節介にもの、若輩の私が、オジに説教出来るかと。何でと、詰問もと。
オッとの、儀式や、儀式やの、上のオジの話なるは、あっちが、こっちに云うただけの。こっちにも、多分なら、祖母に諸般云われての話であったかと。たまたまの、私がソバに居ただけでして。

結果、祖母から、オジ達からも、おまえはなあ、長男やしなあの、筋を、筋をと、云われまくったの可能性がと。
それもあるし、元々が儀式なるは、形でありの、形は重要であるの概念、我が心の中に、厳然として、存在してまして。

要は、仲人に頼むは楽なれどの、四国、香川、詫間の、先の先にまでの、そこまでの、時間を取らせるのもと。はっきりとは、交通費も馬鹿にならぬわと。
加えての、親父を引っ張って来るは、考えてませんの、万事、兎に角、自分でやった方がと。単純明快にと。
とは云え、中身、口上、全く知らんとからにの、よおやったなあと。今になって、感心してるですが。若いが故の、疑念一切、持たずの、突っ走っただけ。
(12/07/23)


NO.238 桜散る散る、花吹雪の話(30) 結納の儀の話(2)

イヤイヤ、先様、両親が挨拶に来られたの状況、鮮明に記憶してるですが。

何でやろねえ。
その後の、結納の儀。
ましてやの、結婚式の事なるが、我が記憶から、お見事、完全に消滅してまして。一向に、思い出さんです。オッとの、確かに、相応の儀式は執り行おてるです。証拠物件、関連の記憶は存在してまして。本番が皆目での、モ一発、何でやろなあと。

イヤ、もしかしたら、結納の儀は、モノは、相応の、されどの、儀式的には、やって無いの可能性がと。理由は、それこその、新婦父が居てませんでして。
くどいけれどの、引っ張って来たら、済むですが。そこまでしんでもと。簡単に組立だけで、終わった可能性がと。ソラなあ、この儀式なるは、兄が代行出来ませんでして。モ一発、ソラなあ、台詞を相応に変更の手もあるですが。そこまでしんでもとなったかなあと。

要は、証拠物件、結納のモノは我が家に存在してまして。

ではの、結婚式当日の様子が皆目の、どこでも、記憶、霧散でして。何でやろなあと。

更なる、モ一発、ソラなあ、花嫁道具を準備万端、してるからには、結婚式はやってるわと。
云うたら、矢っ張り、ボーナス全額、そっくり、そのまま、渡してまして。祝い金としてです。ついでになら、ここだけの話の、準備は、母と妹がしてまして。母に袋諸共、手渡したなら。オッとの、当時は、給料、ボーナス、現金支払いでして。
当然の、嫁はんとも、相談の上でして。

ならばの、母、こんなモンで足るモンかと。投げ返されてねえ。ビックリしたです。
そんな母であるは事実の、さりとての、ソか、助かったと、引っ込めるは出来ませんでして。母のために、出すで無しでして。にしても、こんなモンと投げられるよな額と違うわと。住宅ローンを支払い、家計やりくりの、貯金一銭もは、分からんの、嫁はん管理故の、さりとての、当時ボーナスは、まだ、倍率高く。云うたら、私共の結納金と同額でして。
清水の舞台から、三度、飛び降りるの決心まではしてませんの、兄として、出来る事をと。

モ一発云うたら、目算、暗算、足りるわと。妹が一銭も貯金をしてへんではあらへんしと。

そんな次第の、斯くなるでの、結婚式の費用も、諸般、足らずは、どしたかの、中身大して知らんですが。終わってから、母から、これをと、互助センターの、会員口数をば、渡されて。要は、残金、月賦支払いみたいな感の、後は、宜しくの話でして。
イヤイヤ、一切の、拒否してませんです。当たり前に受理しの、何年かは忘れたの、その額そのものも、失念の、万事、嫁はん任せでありましての、当然の、全額、処理したですが。
そらなあ、母に支払い能力あらへんわと。
ゴタゴタ云うたって、意味無く。単純には、ええ恰好云うて、引き取って。こっちに回しただけでして。
での、妹達が、どこえ新婚旅行したかも、覚えてませんでして。日本国内か、海外かも、皆目のと。見事までに、覚えてませんでして。
それ以外は鮮明でして。


ででの、諸般、妹の結婚式までの、夏でして。
盆休みに、嫁はんの里に行くは、結婚以来の恒例でして。イヤ、妹も、婿<当時は婚約者>も、一緒に行くと云い出して。イヤイヤ、一向に構いませんの、当然の、母も一緒でして。多分なら、結婚以来、10年間は、一緒に、嫁はんの里に同行してまして。
云い出せば、嫁はんと2人だけで、外出した事はありませんでして。どこに行くも母一緒。
お陰様で、万事、費用、最低でも、3人分。

イヤイヤ、概ね、女はそんなモンでして。我が母、一寸だけ、極端なだけ。


での、ででの、我々、総勢、5人が、嫁はんの里にと、相成りまして。
車2台でありまして。婿殿の車は覚えてえへんけれどの、我が愛車は、先の、ブルー・バード。

里の両親も、気を使て戴きましての、海の家を予約して戴きまして。イヤ、泳ぐがためので、宿泊、里の実家で、海の家も、車でなら、10分程度の場所の、大浜と称するの、実は、実家と、仁尾の義姉宅の間でして。
トトトの、そんな海の家を借りたは、その1回だけの、妹も、その1回しか、来てませんですが。母は先の通りの、10年は最低でも同行してまして。
当たり前に、母も一緒なれば、お母さん、お母さんと、先様も、気を使われるですが。やからと、来るなとも云えず。

とまあ、この程度にしときまして。
話を若干の戻しの、我が結納の儀の話。
飾り付け、組立が終われば、儀式終了の、先様、親族、義兄、義姉、夫婦で、同席されてまして。オッとの、イヤイヤ、飲め、喰えと。
私め、そんなに大食漢でも、大酒飲みにも、非ずの、無芸小食、小心小身、小者で、下戸。特には、義兄、積極的に、飲め、喰えと。困ったなあと。儀式終わったとは云えどの、正直、緊張してまして。そんなに喰えず、飲めずの、元々が、先の通りの、どしょかと。
オッとの、喰うは別としての、それよりもと、義兄にビールを勧めたならばの、気を使いの、飲め、喰えでして。そんなに酒飲みで無くてねえ。一寸だけ、安堵したですが。

当時は、義兄、別居されてたですが。一々の相当に気を使て戴きまして。車を駐めるの場所も、ここに、ここにと、わざわざの、出て来ての、誘導して戴いたりの、恐縮する程のと。
それが、家を建て直されの、同居されてから、強くならはってねえ。だけで無くの、諸般、相当に替わらはったですが。


これも、その程度にしの、脱線の話の、建て直し以前は、風呂が、五右衛門風呂でして。へえと。
そらなあ、話としてなら、知識としてなら、そんな風呂の存在、承知はしてたですが。現物見て、へえと。火傷しやへんやろなあの、怖々に入ったら、釜<五右衛門風呂>の下には、スノコ状のがあって、安堵したですがと。それでも、釜の縁、周辺熱いわと。
<注=仏光寺の家は、風呂無し故、銭湯>
(12/07/24)


NO.239 桜散る散る、花吹雪の話(31) 余談・ブルー・バード物語

オッとの、母の事をば、とやかくの。
そらなあ、同じ屋根の下に、この歳まで。
オトトの、妹の結婚準備は、この歳の半分未満なれどです。色々あって、当然の。皆目無ければ、聖人君子で、神様、仏様、キリスト様かと。にしては、諸般、有り過ぎるですがと。追々にと。

さての、脱線ついでに、ブルー・バードの話をと。
このクラスの名車に乗ったは、この時だけの、諸般、色々あったです。云うとくですがの、「5」ナンバーの、中古車やでと。買値、5万円やでと。10万キロは過ぎてまして。一回転の、1万キロ程度やったですが。

いやねえ。
これ又、イツの頃か。会社からの帰りしなか、それとも、レクリエーションからの帰りかなあと。レクリエーションの帰りの可能性大でして。
要は、服装覚えてまして。先刻の。妹の。婿殿両親、挨拶の際の、我が服装でして。ジーンズの、ジャケットでして。

大体が、出勤の際には、会社の制服でして。出張ならばの、スーツにネクタイ。これなら、複数所有してたですが。一寸外出の、遊び着が少なあてねえ。
されどの、当世、今現在、ジーンズのジャケット、よ着ませんですが。モっと、年寄りで、着てるの人もあるですが。別段の、禁止の法律あらへんしと。

そんな話は置いといて。
その帰りしなかの、要は、薄暮の頃。どこやったかは、大体は覚えてるですが。場所は兎に角、十条通りで、国道24号線に向かうの道中かと。その界隈、ここだけの話、云うたら、柄がなあ。あんまりなあと。
イヤ、どこからか、急に出現の軽トラックが一台。とりあえずは、横入りでして。ドンドンと、接近しまして。我慢大会の様相呈しの、ぶつけられては困るの故、譲ったですが。譲れば、軽トラックが前になるの、急停車しやがってねえ。

オトトの、トットで、危うくの、ぶつかりソになったですが。ぶつかってえへんけれどや。
変な話、軽トラックは、ドロドロ、ボコボコでの、少々、ぶつかっても、へこんでも、どて事の無い状態でして。こんな車、強いなあと。
とも、云うてられんの、片脇に寄れと、指示されてねえ。何でか、理由分からんの、従おたですが。正直、我輩よりも、年少者。ソレがえらそにねえ。おまえ、生意気やと、抜かしてねえ。何で、生意気かも、分からんの、口走るに、若造が、こんな車に乗りやがってと。へえと、我輩、ビクリの仰天の、あんたなあ。
とは申さんの、5万円やでと。
とも云えず。
何も、こんなヤツに、手の内見せる事もあらへんわの、若造となら、こっちが、そっちにやと。

くどいけれどの、私め、何故か、若く見えの、この手の話、度々でして。学生時代には、パチンコ屋で、補導されかかったし。モ一発、大丸やったかで、食堂で、珍しくも、昼食を喰てましたら、見知らぬの婆様、若いのに、大学生ですか。賢いのやねえと。ンと。
その昔なら、天才、秀才、飛び級のあったは承知の、ワタシャ、何にも賢くもあらへんのにと。その年齢やと。
とは、申してませんですが。
オッとの、当然の学生服でして。多分なら、徽章、学部章で分かったのやろなあと。或る意味、その辺り、良く知ったの婆様かと。
高校生時代には、夜店に出てたら、見物になれどの、見知らぬの中学生から、我が学生帽の徽章を指差されの、それは、「堀川高校」のやでと。分かってるわの、我輩、堀川高校やと。

更には、その高校生時代。
西京極球場かに、同級生の野球の試合の応援にで、観客僅少の、中学生2人から、おまえ、幾つやと、尋ねられ。
学生証を見せてやったら、中学生かと、思たんやと。話簡単の、下級生と思われの、一寸、金出せの集りかと。
イヤイヤ、この界隈、西京極球場周辺も、一寸だけの、柄がと。承知してるわと。只なあ、応援頼むで、真正直に来たですが。観客がなあ。自分1人。グラウンドには、同じ高校のが居てるですが。

中学生に脅され、ヘルプ・ミーは、自尊心が許さんわと。
オッとの、1人は体格宜しく、1人は、我輩水準なれどです。

変な話、脅され、出すに、出せへんけれどや。手持ち、帰りの電車賃程度やわの。ソレ取られたら、帰れへんわと。
とも云うてえへんけれどの。ソレで終わったですが。

当時はそんなモンでして。年長者に手出しは、一寸ナと。


での、話は軽トラックの兄ちゃんでして。当時、我輩、30歳頃。血気盛んなれどの、喧嘩に強くはあらへんわと。殴り合いの喧嘩で、怪我でもしたら、明日からの出社が大変の、云いやがるに、会社に通告して、無茶苦茶にしたろかと。
あのなあの、我輩、貴君に何かしたかと。してへんわと。

兎に角、兄ちゃん、生意気やの一点張りの、ども、最初の話の、こんな若造が、名車ブルー・バードに乗ってるのが、生意気やと。正直、嬉しいよなのと。5万円の車でと。
だけで、終わらんの、胸倉つかまれまして。どする気なんやろかと、その時、至って冷静でして。
ぶつかってもいやへんし、大渋滞で、目撃者多数でして。されどの、ダアレも出て来ませんですが。この界隈の人間でもあらへんの、先方がソやったら、怖いけれどや。

胸倉つかまれ、かちんの、咄嗟に、「オイ、手を出したなあ。」と。
大声出したら、声にびっくりかの、ひるみやがっての、「許したる。」と、兄ちゃん、逃げたです。逃げて、ホと安堵したですが。


での、このブルー・バードでは、諸般、思い出、出来事がと。
伏見、大手筋から、油小路通りをであったか。走行中に、前輪か、後輪かの、多分ならばの、前輪、左側のタイヤがハズレてねえ。
イヤ、元々が、ガタン、ゴトンの、タイヤが変な具合に成りだしの、様子を見よかなあの、矢先でして。タイヤ、コロコロの、えと。ハズレたかと。されどの、流石は日本国屈指、名車、ブルー・バードでして。
傾きもせずの、見掛け、正常に走行出来てまして。

イヤイヤ、云うてる場合で無いの、危険でして。必死に周辺、人、自転車、車等々無いを確認しつつの、タイヤの方にと。幸いにして、走ってたは、我輩、一台。自転車も、何も無く。
拾いの、スペア・タイヤに切り替えたですが。
要は、諸般、タイヤのローテーションをば、自分で致しまして。当然の、経費節減でして。ナットを締めるが甘かったんやと。結果、ホイール1個、パーでして。

での、ででの、この車の最期も、我が強引なる運転でして。
休日出勤かで、矢っ張り、伏見、大手筋から、油小路え向かうの道中。

実は、大雨の後でして。大手筋通りに大きな水たまりがありまして。されどの、特段のと、中央突破を試みたですが。案外に深くてねえ。オッとの、ラジエター冷却ファンが水に浸かりの、ばりばりのと。
話簡単、ラジエターを破損させてしもたわと。

結果、果たしての、それで、どしたかまでは、失念のと。イヤ、廃車になったはなったですが。多分なら、車屋に電話でもしたかと。ケータイは存在せずの、公衆電話なれどです。
(12/07/26)


NO.240 桜散る散る、花吹雪の話(32) 親父退院の話(1)

まあなあ、本日もあったです。
タバコを買いに、コンビニえと。
ホナラの、誰様とは、申さんの、町内会のオッサンにばったりでの、軽く会釈の、レジにタバコ注文。
先様、私が注文の真っ最中に、後ろに立って、問うに。私にですが。「今、何してる。」と。

余計なお世話なれどの、適当にと。
そらなあ、レジの妙齢の美女の真ん前にて、余計な話もでして。
返答すれば、今、幾つと。身上調査みたいな感の、「5」ですと。これ又、レジ女性の手前、下一桁で返答の、へえの、「5」かいなの、同じの歳かと。えと。
正直、この方の年齢承知の、私よりもン歳年配でして。どんな計算したはるかと。オッとの、まあ、ええかの、白黒付けるの話で無く。世間話、立ち話。
にしても、挨拶替わりであれどの、そんな話よりは、熱いなあで、ええのにと。
結果、1万円と、100円玉1個出してるのに、レジの妙齢の美女、マイルド・セブン、3ミリ、ロングを1個出して、410円ですと。ンと。1カートンですが。すみませんです。
思えば、諸般、後ろからの、詰問にての、妙齢の美女には、指で、1本出しただけやったかなあと。


オッとの、でででの、ボロボロ、おんぼろ、ブルー・バードなるは、宇治、槇島に引っ越しまして。駐車場を借りて、出来た事でして。仏光寺の家では、問題外の外の外。軽自動車でさえが、ガレージ違反にするゾと、烏丸警察に脅されて。
とてもやないの、普通車は無理、ムリ、ムリの、無理何台の、難題でして。

での、その、ブルー・バードなるは、傷は多少あるですが。目立つで無し。只なあ、洗車等々、されてなかったか、野晒しかで、屋根の方は、禿げ禿げでの、胴体の塗装に光沢無かったですが。
その程度で、内装上々やったです。

次なるの、車も、普通車なれどの、所謂の展示車での、マツダ、グランド・ファミリアでした。当たり前に、真正、新車では無いです。真正、純正、新車はまだまだ、買えるの身分に非ず。
で、ここだけの話、当時のマツダの車は、「5」ナンバーの、ブルー・バードには程遠く。ダッシュ・ボードの止め金具、ビスは見えてるし、樹脂には、亀裂が走ったしと。中の、断熱材が覗いてたです。


そんな次第の、斯くなるでの。車の話は止めまして。
さての、イヨイヨの、親父の事なれどの、宇多野病院をイツ、退院したのか、定かには覚えてませんでして。
実は、私の結婚以前か。以降か。妹の結婚以前か、以降かと。諸般の状況より、多分なら、妹が結婚の後と思うですが。

何れにせよ、退院して、家には戻ってませんでして。正確には、戻れませんでして。理由は簡単の、母が絶対に嫌と、云い張ってねえ。
イヤ、私にしてみたら、当然の、槇島に戻ってもらうを前提に考えてたですが。そらなあ、妹が出たら、親父、母、当たり前の、夫婦故、同じの部屋を使てくれたら、狭くとも、小さくとも、部屋数からしたら、充分でして。

この嫌が尋常では無くて。家に戻るなら、自分が出ると、云い出したり。脅しかと、思えば、事実、出て行ってねえ。焦ったです。子ども並の、一言も云わずで、さての何処にの、行き先は概ね承知の、母方の、オジ宅でして。2人居る故、順々に電話確認の、上のオジ宅、大久保<京都からなら、槇島の先>に居候。

女はこれで困るんやと。
そんなアホな事、云わんと、帰って来なさいと、迎えにと。世話の焼けるの親でして。困らせるの、親でして。それでも、親は親でして。
さりとて、親父も親でして。どするやと。

ホンマやでの、親と同居、養うを全くの拒否はしてませんでして。我が夫婦がです。拒否処か、当たり前に思てたですが。
肝心の母が、この調子で、困った、困ったの、そらねえ、ここから、親父の話をしますればの、宇多野病院に、見舞いとするのか、面会、私1人でして。
母なんか、一度も行った事は無く。誘ても頑として、行かずの、嫁はんは連れて行ったかも、忘れたですが。連れて行くに、嫌と拒否は致しませんですが。平日は無理で、日曜日は、休日出勤の無い日。或いは、早くに終わったならばの、宇治、槇島からであったり、会社が終わってからであったりの、概ね、2週間に一度の頻度で、行ってたです。
イヤ、会社からなら、比較的の近いですが。宇多野の、宇多野病院は、まあ、簡単には、仁和寺の方でして。京都の北西になるかの、端でして。
槇島は、京都の南の、市外となりのと。要は、南の端の先から、北西の端でして。

まあなあ、私も若かったが故に、苦にもしてませんでして。
至って、当然の、面会に行ってたです。時には、一寸だけの、お小遣いをと。自腹やでと。自腹とは、我がお小遣いからでして。家計からに非ずと。

そんな事は結構の、困った、困った、困ったです。
母に嫌なら、出てけ。
とも、云えず。家出されて、嗚呼、ソかの、あっちで、居候して頂戴。
とは、冗談でなら、云えてもナと。

処が当人、平気でしての、歓迎してくれたはると、抜かしてからにの、まあなあ、当時なら、オバ他界で、従兄弟<長男>との、2人暮らしやったかなあ。家なら、同じの広さ、大きさ、間数でして。
とは、云えても、一週間、二週間なら、なれどの、ここから先、一生はアホ抜かせと相成るです。そっち、我が方にも、息子が居てるのにと。息子とは、私の事での、水くさいなあと。
私が追い出したのでも無いけれどや。

とかとか、当時を思い出せば、或る意味、母も元気やったナと。
現在唯今、とてもやないの、歩行器でも、一寸、無理の、リハビリ・センター<老人ホームでは無いです>に入所してるですが。車椅子でして。1人で、出るは出来ませんでして。
オッとの、我が家以外、行くの先も無いけれどや。オジ達、他界してまして。


でででの、母抜かすに、老人ホームに入れよと。親父をでして。アホ抜かせと。
云うてもなあ。困った、困った、困ったの、それしか、手が無いなら、選択肢の1つかと。
とは、云うても、当人、親父の意向はと。こんな事を云うて、してと、母がでして。有りのままを伝えの、相談するしか無いなあと。

宇多野病院に、親父を訪ねの、そのままを伝えたです。困った、困った、困ったの、こんな事になってると。
尚、私、親父36歳の子です。当時、私が何歳かの、忘れたですが。多分なら、31歳の頃かで、親父、67歳かと。

オトトの、ならばの、その当時、我が長男誕生の頃でして。どするやと。どするも、こするも、母説得で、母が親父と一緒の部屋で済めば、我が家に、帰って来て当然のと、私も、嫁はんも、心底考えてたわと。
はっきり云うて、息子、娘が居ての、誰が好んで、老人ホームになんかに、行くもんかと。とは、云え、娘の嫁ぎ先には、一寸ナと。当世、知らんけど。
加えての、鬼息子、鬼嫁、鬼娘、鬼婿なら、モ一発、知らんけど。
私め、鬼は大嫌いの、人非人であると、断定の、こっちは、鬼には成れへんわと。
<注=この辺りの話は、誤解を招く可能性あるの表現してるですが、別途、真意を記載致すです>

こんな話、「桜散る散る、花吹雪の話」
東京のオバが主題の話で、何が、何処が、関係するのかと。
成れば、関係する故、鋭意決断の、恥を忍びの思いで、正直なる状況をば、記載してるだけ。

そらなあ、そんな状況、親父に伝えるだけも、大変ゾと。大元、母が親父に云えば宜しいですが。宇多野病院には、一度も行ってえへんのにと。
我が役目やわと。
(12/07/27)