JR嵯峨嵐山駅前立ち話NO.4

嵯峨嵐山NO.3
嵯峨嵐山NO.1 嵯峨嵐山NO.2

目次

嵯峨嵐山NO.5

その70.嵯峨嵐山界隈散策(3) 愛すべき鈍足サラブレッドのハルウララ

その69.嵯峨嵐山界隈散策(2) 女上位のバカップル

その68.嵯峨嵐山界隈散策(1) ボチボチ、啓蟄

その67.トロッコ小路出現(6) 猛暑のトロッコ小路

その66.トロッコ小路出現(5) 汽笛一声潔し

その65.トロッコ小路出現(4) 型番「D51603」

その64.トロッコ小路出現(3) 石炭の話

その63.トロッコ小路出現(2) 予讃線の蒸気機関車

その62.トロッコ小路出現(1) SL三両出現

その61.隣家の火災事件(12) 余談(4)

嵯峨嵐山NO.3


その61.隣家の火災事件(12) 余談(4)

嵯峨嵐山は紛れもナク、散策のための観光地です。
散策は昼間するもので、夜ともなると静かになる。静か過ぎて怖いくらい。
それでも、蛇の道は蛇で、探せば飲み屋の一軒や二軒は有るのやろ。
私の知る範囲では、嵯峨嵐山駅前通りに一軒だけ。それも居酒屋チェーンの八剣伝。夜の二時までやってます。
四年前に学生時代の同期生の飲み助がやって来て、ナニかナイかと一発で探し当てた。私なんか、飲むことには無関心。そのトキ、初めて存在を知った。
それ以外は街灯だけ。電車の到着で、人通りも出来ますが、スグにもバラバラになる。慣れてないと、棲むには問題かも知れません。
裏手の彼には娘さんが居るのです。就職先が決まったよおですが、親父さんにとっては勤務体系が気に要らんから、ホカを探せと云うてるのやて。
聞けば、昼の二時から夜の十時まで。ソラ、アカンなあ。この辺り、夜の十時にもなれば怖いこと。暴漢が出没するとは聞いてナイですが、それはイマ現在のことで、将来の保証はナニもナイ。
私には息子が二人。男なら、二十歳も過ぎれば、細かなことは云うてません。云うた処で聞くハズがナイ。トリアエズ、責任を持って行動しなさい。
されど、オナジ二十歳を過ぎても、女の子が居たら、細かいことを云うやろなあ。ヒツコイくらいに細かいやろ。
そもそも、夜遅く女性一人で歩いてること自体が非常識。私に限って、大丈夫と侮る無かれ。ナニか有ってから騒いでも遅い。
暴漢も、この時間に一人で彷徨いてるからには覚悟のウエと、勝手に判断してるやも知れません。
不夜城と化した都会を闊歩する男女の一団もあります。これなど、不良の塊。そんな考えは、偏見で、認識不足も甚だしいと非難されても構へんわい。
許してる親こそが、まともでナイ。一緒に居てる男連中も、配慮がナイのです。遅くなれば、如何に遠くであっても、自宅まで送り届ける覚悟であってクレ。そんなこと当然やで。
それで、女の子が心配要らんし、平気やで。軽く宣うなら、嫁さん候補から除外セヨ。
そもそもが、イカンもんはイカンと言語明瞭に否定出来る厳父こそが必要なんや。それを、云うても利かんからと、黙ってしまうのは親の責任放棄の単に嫌われるのが怖いだけ。
それで、反発する娘なら、勘当してしまえ。そこまで云うたら、極論やけど、娘を守りたいなら、当然のことです。
男女雇用機会均等法なる馬鹿げた法律をダレが造ったのかは知りません。オソラク、進歩的な婦人団体さんの圧力やろ。
大阪の女性知事であらせられる、太田さんも優勝力士に賞品を渡すのに、土俵に上がせと、阿呆なこと云うて。
それで、相撲協会が世の流れと解釈し、ウンと返事したその瞬間。ただでさえ凋落の相撲人気は壊滅する。
基本理念は結構です。男女の区分ナク、職をあてがうのは言葉だけ捕らえれば、綺麗やけど、単なる美辞麗句。
されど、男女では体力、得手不得手について、歴然と格差は存在する。
文句有るなら、オリンピック競技も男女で分けたらアカンのや。そんなことされたら、女性にとって屈辱であると抗議セヨ。馬鹿たれめが。都合の悪いことだけホッカブリして。
そんな話題も出てました。それから、三週間。
組まれた足場で、外壁の塗り替え中。
ヒビ割れた窓ガラスは交換され、一番心配してたエアコンも無事新品になりました。
マエのエアコンは温度幅が広かったし、調整も難しかった。冬は寒いし、夏は利き過ぎて寒かったのです。云うたら、全体的に温度が低かったのです。
この足場が解体されたら、火事騒動の後始末もおしまいです。
加えて、昨日はお騒がせしましたと、ご丁寧にも家主っさんからお見舞い金を戴いた。
私一人儲かった気分。実害なんかナンにもナカッタし、エアコンは新品やし。
さりとて、お見舞金は右から左へと、嫁はんに渡しました。
(01/04/06)


その62.トロッコ小路出現(1) SL三両出現

四月の上旬から動きは有りました。
マズはJR嵯峨嵐山駅前の駐輪場の場所が移動した。
嵯峨野観光鉄道は、トロッコ嵯峨駅前の生活道路の柵が取り払われ、レンタ・サイクルの店、これは、客車を改造したものですが、二両が移動させられて。
道路が右になったり、中央になったりで、道路のコンクリートも剥がされて、地肌になりましたから、雨が降れば、水溜まりが出来て歩き難うて。
そんなことで、ナニかしてるのは分かってました。
そして、ある日の朝のこと、五月の下旬ですが、小父さん連中が沢山居るのです。
チナミニ、我が輩よりは年輩者で、お爺さんとするには可哀想で、ソレに近いお歳頃の面々数十名がたむろしてるのです。
季節柄、小父さんばかりの団体さんも珍しくはなかったのですが、様子がチガウのです。連れとお喋りするでナシ、ウロウロと、動き廻ることもセズ、皆様、カメラを携え、確保した場所を一歩も動かず、共通の方向を直視されてるのです。
小父さんの団体さんは、兎角五月蠅いのです。ワイワイ、ガヤガヤ、三人も四人も横一列になりやがって、ウロウロ、ウロウロしまして。アッチを向いたり、コッチを見たり、威張りくさった態度やから、通行の邪魔にもなる。
オマケに煙草を吸いながら歩くから始末に悪い。我が輩も愛煙家ですが、歩きながらは吸うてません。
中高校生なら、イチオウ、あくまでも、イチオウですが、整列してますし、気の利いた引率者ならですが、道を空けなさいと、指示してくれるのですが、殆ど、見て見ぬフリで。
イヤ、通行人の邪魔になるのが分かってないから、やってくれる気さえありませんので、期待してはイケマセン。先生も生徒の質も年々低下してるのです。
もっと、低下してるのは中年のオバハン連中で、コレは無茶苦茶でお話にならん。
お話にならんと云い乍ら、チとさせて戴ければ、皺々のご尊顔にはズレ落ちそおな白粉ベッタリで、デカイ唇には、真っ赤な口紅ベタベタで、服装はハデハデで、荷物一杯お持ちになりまして。オッサンの邪魔とは比較にならん。
追加で云うてしまえば、口は閉まってる暇はナク、大声で吠えまくり、これでヨオ、ご立派で、ご自慢のお子様をお育てになりましたと感心する次第でありまする。
お行儀は中高校生と替わりませんし、整列してナイから、蹴飛ばしたろかと、衝動に駆られることもある。
さて、大抵の観光客なら、カメラ持参組が多いのですが、全員持参は珍しいのです。
しかも、使い捨てカメラ組も居てますが、主力は三脚に、ご自慢の高級一眼レフを設置して、ナニかを取り囲むよおに、待機してるのです。
広大な場所でもありませんから、そのナニかはスグ分かる。
イツの間に運び込んだのか、SL(Steam Locomotive)、日本語にすれば蒸気機関車ですが、ドカンと三両も鎮座してるのです。
イヤ、紙や木やプラスチック製の模型ではありません。紛れもナク、ホンマモンのSLが三両。
成る程、皆様、これをお目当てに朝も早から参上されてたのか。
我が輩など毎日ここを往復してるのに、ナニも知りませんでした。流石にその道の通、ツウは情報収集能力が凄いです。
ナニより興味深いのは、皆様満面の笑みを浮かべられ、SLを眺めてる。イヤハヤ、眼もキラキラと輝いて、往年の鉄道少年此処に有りと、そんな微笑ましさを感じます。
この小父さん連中なら、鉄道のことで頭が一杯ですから、犯罪を犯すこともナイのやろ。ヨシと許可でも下りれば、鎮座のSLに大挙して群がり、SLと一緒に記念撮影したり、運転席に入り込み、頬ずりまでするやも知れません。
ヨオ考えたら、アカンとはなってませんし、マダマダ、周辺も工事中の置いてあるだけですが、そんなこと、断じてしないのが鉄道少年としての自尊心、不文律でも存在するのか、皆様遠巻きにされてるだけで、近寄る人はナイのです。近寄ったりしたら、混乱するし、怪我人が出ますが。
我が輩など、特に興味もナイので、このSLがナニを意味するかさえ、存じません。この段階では、SLの型番は不明でした。
おそらくは、往年の鉄道少年ならご存知とは思います。
(01/07/20)


その63.トロッコ小路出現(2) 予讃線の蒸気機関車

蒸気機関車が三両、ドカンと鎮座したのが五月の下旬。
イマ現在(七月下旬)でも、工事続行中で、最終的にどんな形になるのか分かりません。
三両が設置されての数日は柵もありませんでしたから、近所のお子さんがお父さんと一緒に遊びに来てました。
小さい子の特権でして、運転席に載ったりしました。往年の鉄道少年がやりたかったことを、堂々とやってます。
若きお父さんは付き添いとして、見てるだけすが、内心は知りません。
その光景を見た私も、息子共が小さければ、あのお父さんみたいに連れて来てやるのになあと、思いはしました。確かにSLは郷愁を感じさせるものがある。
それも、数日後には柵が設置され、形式的ではありますが、SLに近づけんよおにされたのです。
柵を設ける意味ですが、ATMならそこらの土木工事用クレーン車かレッカー車を持ち込んで、窃盗される可能性がありますが、幾らナンでも本物の蒸気機関車は出来ません。
窃盗した処で、隠す場所が問題で、隠す以前に大き過ぎて、運び出すための経路がナイ。
どおしてもなら、解体して、バラバラの部品状態にしてからですが、ソレでもかなりの大きさで、慣れてないと不可能やし、諸般の難問を解決しても、ナニに使うかが問題です。
大金持ちの往年の鉄道少年に売りつけたりして。
私は、イチオウ京都なる都会で育った子ですから、蒸気機関車なるものは絵や写真では知ってましたが、少年時代にさえ、実際に走る勇姿を見たことはナイ。
ではありますが、学生時代に実物の走るのを間近で見たことが有る。
大学三回生の頃ですから、三十年以上前になる。オナジ組に所属する仲間の実家が四国は宇和島出身で、夏休みに帰省するとのことで、四名がついて行ったのです。
学友の実家に泊まるから、宿泊代はタダ。実質交通費のみですが、よおそんなお金が有ったと思うくらいの貧乏学生。それは私のことですが、参加したのです。
勿論、宿泊を伴う旅行なんか初めてで、四国も初めて。そもそも、京都を中心に南なら大阪で、東なら滋賀までが行動範囲。四国など、とんでもない遙か彼方の遠国。宇和島となれば、更に四国の先のホウですから一大決心。
初体験の大旅行ではありますが、地元のが同伴ですから、気楽ではありました。
当時、宇野、高松間の瀬戸内海を渡るのは連絡船だけ。列車もろとも積み込まれ、客車から出て、連絡船のデッキで旅の恥は掻き捨てて、恥ずかしげもなく、音程バラバラ、音痴も気にせず、下手な歌を歌たもんですわ。結果周辺の皆様方にはご迷惑をお掛けした。
曲目では、ブルー・コメッツのブルーシャトーはシカと覚えてる。ザ・フォーク・クルセダーズの帰って来た酔っぱらいもこの時期に流行ったから、歌た筈です。
高松に無事到着し、予讃線となる。そして、瀬戸内海から本州側を見ながら走り、途中、トンネルに入って、ビックリした。
凄い煙が入って来ましてねえ。夏のことでもあるし、綺麗な景色も見たかったから、窓は開け放しで、これは大変と大急ぎで締めました。
何処からか、電化されておらず、電気機関車が蒸気機関車に変更されてたのです。
エラソオなことは云えません。嵯峨野線も我が一家が引っ越した二十年マエにはディーゼルが牽引してました。
電化は1990年のことで、予讃線は1992年ですから、大差ナシ。
(01/07/22)


その64.トロッコ小路出現(3) 石炭の話

往年ばかりではナイのでしょうが、鉄道少年がSLの何処に魅力を感じるのか。
私は鉄道少年ではナイので真偽の程は分かりませんが、その重量感と哀愁漂よわせる姿形に有るのかと勝手に想像してます。
突如出現のSLを目の当たりにしても、私はそおかこのための工事をしてたのかと、謎の一つが解けただけで、眼を輝かすには至ってません。
がしかし、SLを見て連想したことは幾つか有って、学生時代に体験のSLもその一つ。
トンネルで窓からの黒煙とその煙たさと匂いまでを想い出し、匂いからは石炭までも思い出す。とまあそこまで遠回りすることもナイ。SLの燃料は石炭やがな。
当世、暖房器具と云えば、電化製品としてのエアコン、ストーブかガス・ストーブを意味しますが、かつての暖房なら、炭、練炭、豆炭が燃料の火鉢にコタツに七厘(しちりん)に。
イヤ、七厘は魚を煮たり、焼いたりのコンロで、暖房用でなかったなあ。
学校では石炭が燃料のダルマ型ストーブ。果たして、高校時代にはエアコンになってたかとも思うのですが、何故か記憶が定かでナイ。
小中学校では、迷うことなく、石炭ストーブでした。当番が割り当てられ、生徒がストーブの管理をしてました。
管理とは、当番二人が楕円形のブリキの容器を携えて、用務員さんの処に取りに行き、多分、高学年からは火付け役までしたと思てます。
新聞紙を丸め、安全お徳用マッチで火をつけて、そこらの木片、割り箸かナニか、適当に種火を造り、スコップで石炭をストーブに投入です。
この当番になると、何十分かマエには登校して、皆が登校までには準備せねばならぬ故、ストーブ当番になると大変で、責任も重かった。
それだけではナイのです。ストーブへの石炭の補給とストーブのウエにはヤカンか金盥か兎に角室内の乾燥防止で置いてあったから、その水の補給から燃えかすの処置までしてました。
火傷セヌよお、金網で保護してましたから、拭き掃除用の雑巾を乾かしたり。ストーブのソバには防火用バケツが二つ、置いてあったかなあ。
特に石炭の補給は気を使た。入れ過ぎたら、燃え過ぎて、熱過ぎるし、石炭も不足するから、その加減が勉強よりも難問やってりして。
なるべく、休憩時間中にしたけれど、タマには授業中にせにゃならぬから、目配り、気配り、先生初め、皆の邪魔にならぬよお、音を立てぬよお、目立たぬよお、石炭をこぼすなどして、失敗もセヌよおに。
実際には、ストーブのソバの奴がやらさせられたのですが、私なんか背が低いので、席もマエのホウで。当番でもナイのに、雑用を命じられたモンですわ。
そんな具合に極自然な形で、共同作業と火の始末から、防火の心得までもを教育されたもんですわ。
私など、休憩時間中は騒いでばっかりで、或いは喧嘩ばっかりしてたけど、流石にストーブのソバではしてません。発端はその場であっても、つかみ合い、転げ合いは、イツの間にやら、場所だけ移動してました。
されど、騒いでは先生に見つかって、寒い廊下に立たされて、それがホボ毎日で。イマなら、先生に寄る生徒への差別である、虐待である、イヤ、イジメであると、生徒は親に、親からPTAに、教頭に、校長にと、順々に言いつけて、先生を吊し上げてるやろか。
当時なら、そんなお恥ずかしいこと、口が裂けよが、ご当人が親にバラすはずがナイ。
バラス奴が居たなら、ソイツを吊し上げてやるでもナイのです。どっちにしても、家庭訪問で、先生から親に、やんわり通知されてしまう。
お元気なことは結構ですが、それが過ぎることが多々有りますから、親御さんからも、宜しくご注意しておいてください。
成績のアカンことは逐一報告されるのは仕方ナイとして、それだけは云うてくれるなと、心のナカではありますが、懇願、三拝、百拝、頭のナカが満杯で、先生を拝み倒してるにも関わらず、アッサリばらされてしもて。そやから家庭訪問されるのはイヤやった。
それで、大人しくなる奴も居てませんでしたから、生傷の絶え間もナシで。
それが当時の想い出ではありますが、即立たせやがり、親にまで言いつけた小学校の担任の先生は、他界され、可愛がってくれた、中学校の先生も亡くなりました。
さて、ストーブの話でしたか。イヤ、石炭の、イヤ、SLの話やったなあ。
(01/07/23)


その65.トロッコ小路出現(4) 型番「D51603」

トロッコ嵯峨駅にドカンと出現のSL三両は、私にさえ色んなことを連想させる。
そして、ホンの僅かづつではありますが、日々状態は変化してるのです。
SLの周囲には柵が設置され、型番のプレートも取り付けられて。
その型番が、「C5698」、「D51603」。
もお一両にはプレートがないので分かりませんが、鉄道少年なら、形が有れば一発で言い当てるのか。
その鉄道少年も大挙して姿を見せたのはSLが突如現れた初日だけ。アトは静かなもんです。尤も、数十名が見物に来たときも、騒いでませんでしたし、騒ぐお歳でもありません。
さて、「C5698」については、鉄道少年でもない私にナンのことかも分かりませんが、「D51」なら、聞かされたことがある。
新入社員の頃ですから、三十年前になるのですが、私を可愛がってくれた、抵抗器製造の着炭工程班長で準社員の小池さんが、折に触れ、「D51」の話をしてたのです。
「実録ハイテク物語NO.3」の19参照
我が、「実録ハイテク物語」で、小池さんのことを掲載したのが、五月二十二日。SLが出現したのは、その直後。
SLにプレートが取り付けられたのが、五月三十一日で、ナニやら因縁めいたものを感じるのです。
マサシク、「D51」のフレートを見た瞬間、ナンとなあ、小池さんご自慢のSLやないかと見入ってしもた。
その小池さんが、デゴイチが、デゴイチがが口癖で、悪いけど私にはナンのことやらサッパリで。
ウンウンと適当に相槌打って、聞いてただけですが、後年デゴイチとはSLの「D51」の総称と知った程度のSL音痴です。
イマ思えば、小池さんも往年の鉄道少年と推測するのですが、当時で六十歳そこそこで、まあ云うたら、我が親父の世代です。
息子さんが居られたのか、居られてなかったのか、そこまでの個人的な話はしてないから知りません。
チナミニ、私とは顔形から体型まで正反対。どちらかと云えば、ずんぐりむっくりで、加えてお腹がドンと出て、ダルマさんみたいな体型と人相でした。ではありますが、顔を見ただけで、ナンとなく安堵出来る人柄でもありました。
兎に角、ナニかと可愛がってくれまして、お陰様で見つかると捕まえられて、色んな話をしてくれましたから、先方も息子感覚で接してくれてたと思うのです。私も親父感覚でナニかと無理難題の用事を頼んだのか。
頼むことは、特殊な実験で、工程長に依頼するのが筋やけど、新入社員が頼んだ処で、二の五の云うて、相手にされず。された処で、工程としては生産計画に合わせた製造優先ですから、どおしても実験品なんか、ホッタラカシで後回しにされて。
私の予定も期限も切迫するから、裏でコソッと小池さんにお強請りして。イツイツまでにナンとかやってもらえへんやろか。
分かった、分かった、やっといたるでと、すんなり決まる。
当たり前ですが、組織上では、班長さんは工程長の部下ですが、実質的には班長が作業者を指揮してるため、班長が二の五の云うたら作業が進みません。
当世みたいに、人が有り余り、就職難の時代とチガウしなあ。製造業が他国に追い出されてる時代ともチガウしなあ。
元QCが云うのもナンやけど、この当時の着炭工程は機械より、書き物より、作業者の感と経験がモノ云う作業でもあったしなあ。
工程長は班長さんに気を使い、余計な仕事を頼むには、チと遠慮も有った。むしろ、言葉にはしてないだけで、班長に直接頼んでクレと云うてるみたいでもあった。
そんなことで、班長さんから嫌われたら、新入社員の実験はお手上げ状態になる。
それはそれとして、小池班長は着炭工程が岡山の工場に移設され、工程解散直前に社内報で写真付きで登場した。
そして、解散直後に中風となり、他界されたと風の便りで聞いた。
元来が、言葉が縺れ気味でしたから、その気はあったなあ。
(01/07/24)


その66.トロッコ小路出現(5) 汽笛一声潔し

SLの型番プレートが貼られたその日には、トロッコ嵯峨駅に垂れ幕も掛けられたのです。
「嵯峨野トロッコ列車誕生十周年」となってるから、それを記念して、SLを持ち込んだのか。
トロッコ列車には無関係で、大いなるコジツケですが、親父が平成三年に他界して、命日が五月三十一日ですから、気持ちが悪い程に因縁めいて。
チナミニ、私には霊感なんか一切ありません。幽霊も妖怪も見たことないし、第六感にも自信がなくて、宝くじも当たったためしはナイし、くじ運は弱いことになってます。
尤も、宝くじは買おたことがありませんので、当たる確率はゼロ。くじ運も、引きたくもナイ、イヤな役割のくじ運だけは強いです。
ではありますが、不思議に悪運は強いと信じてる。弱ければ、リストラされた身ですから、今頃一家離散のウエ、炎天下で喰い物クレと、物乞いしてまっせ。
イヤ、待ってくれ、金縛りは一度だけ経験した。四国は香川県高松の工場に出張中の宿泊先でのことやがな。ホワイト・ホテルと称するビジネス・ホテルの一室で。
実験でクタクタに疲れて寝てるのに、私だけしか居てない部屋やのに、人が入って来る気配がしまして。
ドアの鍵は掛けてるのに、気配だけが、次第に近づいて来まして。遂には羽交い締めの金縛りに遭遇しましたのです。
声は出せず、体は動かず、このままではイカンと、必死に腕を動かして、覆い被さった人の気配を、払うが如くにしたら、縛りが解けたなあ。ホテルには、霊が住み着き易いと、云うてました。占い屋はんがです。(「不可思議の話」11参照
さて、突如出現のSLに絡めた因縁として、小池さんのデゴイチと、親父のことで感じたのですが、因縁とは人に寄り捕らえかたがチガウ。
ナニよりも、因縁を付けるとの表現が有る。これなんか、無理矢理のこじつけで、分かり易く云えばイチャモンですがな。
ナン気ナシに余所さんの顔見て、面切った。そんな阿呆に言い掛かりをつけられたことはナイのですが。
ところで、石炭ストーブの頃ですが、小中学校ではホーム・ルームがありまして、色んなことで話合いをしたモンですわ。
ダレそれが掃除をさぼった。喧嘩ばっかりしてよった。イケズされた。
喧嘩の話は無かったけど、さぼりとイケズは話題にされました。
理由は簡単で、喧嘩なら一対一で正々堂々の喧嘩やし、当世みたいに多人数で一人を相手にすることは無かった。そんなことしたら、チャンバラごっこ宜しく、卑怯者扱い。
私なんか、この体格で相撲ごっこも連戦連敗のくせして、至って短気なため、喧嘩するのは早かった。
つまりです。相手が大きかろおと、お構いナシで、カチンと来たら勝ち負け問題外で、ぶつかってしもて。云うたらナンやけど、誰とは云わんけど、兎角デカイ奴は小さいのをからかう傾向にありまして。やたらと、阿呆、馬鹿。ナンの根拠か知りませんが、因縁つけやがって、罵声を浴びせやがって。喧嘩を売っときやがりながら、負けソオになったら大声で泣くから卑怯者。
私なんか、カチンと来てしもたら、見境なしで、やられても、やられても、諦めず。
それで、泣かしてしもては先生に言いつけられて、廊下に立たされるのは私だけ。弁解しませんから、尚更でして。
そもそも、相撲と喧嘩はチガウがな。噛みついてでも、蹴飛ばしてでも、一旦、やりだしたら、名誉のためにも、勝たねばならぬ。さりとて、噛みついた腕の肉まで引きちぎったら、オオゴトですから、寸止めで。
イヤ、ウソです。寸止めは別にして、喧嘩の限度はダレもが弁えてます。当世それがナイから困るのです。
掃除も口先だけエラソオに、気が付けば、そこらに居てません。ヨク云えば要領がヨイし、悪くはずる賢い。そんな奴も多いです。
云わんや、こそこそと姑息でイケズな奴は大嫌い。
世の中、これだけはイマも昔もそこらに一杯居てますです。そんな奴、我が言霊で地獄の底にでも、落としたろかと。
やりたいなら、正々堂々、白日の下でやれよなあ。
その点、SLは汽笛一声、我れ此処に存在せりと宣言するから、潔い。
(01/07/25)


その67.トロッコ小路出現(6) 猛暑のトロッコ小路

記録的な猛暑が続く、昨今。
各地では、熱中症で倒れられたり、亡くなられたり。
明石では、花火大会で花火師が失敗して、火傷なら分かるけど、可哀想に見物人が圧死やて。
しかも、歩道橋でねえ。開催責任者と警備担当はナニしてた。またもや、市長様はじめ責任転嫁の盥回しで、このクソ暑いのに頭から湯気が出て、余計にカリカリ、暑くなります。
お陰様で、彼方此方で気温が体温を軽く突破の四十度を記録して、省エネ・エアコンの売れ行き好調の発泡酒もアイス・クリームもホクホクで、制汗消臭剤とシャンプーまでもが増産ですが、農産物は打撃を受けて、価格上昇。
日本では、農家の保護を目的として、農産物輸入品の関税とその対抗で、中国では電化製品の関税問題で、貿易が摩擦によって、メラメラと炎を上げて燃え盛る。
農産物と電化製品では土俵が異なるハズですが、理屈の通用せんことも有る。ニンマリしてるのは、特に携帯電話の世界的競争相手である欧米の会社かなあ。
国益重視の国家と、目先だけで一寸先さえ見てない、見えてない、国策抜きの阿呆官僚と政治家が蔓延る国家、日本の差です。
私がトヤカク云うても仕方ナシ。どっちにしても、土用の丑のウナギの売れ行きも温度計共々、鰻登り。
そして、このクソ暑いのにご苦労さんにも、参議員選挙も終盤戦。JR嵯峨嵐山駅前では、連日の演説と選挙カーからの連呼連呼が重なって、五月蠅いのや。
そんなトキ、石炭ストーブに練炭火鉢にコンロとか、イヤガラセみたいなことばっかり掲載してたら、血圧まで急上昇してしもて。
ならば、ついでに、暑い話でトロッコ嵯峨駅前の生活道路にも、綺麗なモルタル板が敷設され、これで水溜まりも解消ですが、プレート状態に加工したものを置いただけですから、暑さのせいもありまして、余計に板が反ってしもて、浮き上がってしもて。
地面との隙間が出来て、踏めば、ボコボコして動いてしもて、この暑さでもっと反れば、足が引っ掛かり、転けてしまうのでナイかと気に掛かる程。
ウソと思うなら、一辺歩いてみてみいな。
観光客も、「ナンやコレ。」とボコボコ部分を確認のため、も一度踏み治し、「ヤッパリやなあ。」と、納得したり。
イマや、JR西日本も堂々たる株式市場一部上々の民営企業で、親方日の丸でもナイし、その子会社の嵯峨野観光鉄道やのに、お役所仕事やねえ。
業者を呼んで、ナニやらやってましたが、二ヶ月経過のイマ現在でも、未だ解消されず。
そのうち、ナンとかするのやろ。云うても、道路を使用するのは観光客と其処らの人で、イツのことになるのか知りません。
その株式市場だけは、気温に対抗して、下がりっぱなしですから、寒くなれば、上がるのか。小泉首相も多少の上がり下がりで一喜一憂してたらアカンと云うてますが、認識不足も甚だしいです。
一喜無くて、憂ばかりでは、無喜連憂となり、舐めてたら、足元すくわれ、ひっくり返り、竹中教授の骨太経済対策も骨太だけに、雪印乳業同様、腐敗菌で骨折してしもて、日本経済壊滅です。そおならぬよお、ボケ塩爺さんもシッカリして頂戴。
それは別にして、ブヨブヨ、ボコボコの道には銘板が埋め込まれ、「トロッコ小路」としてあるから、如何にも下京は七条通りにある、梅小路の蒸気機関車館に対抗した名称です。
道路を早いこと修繕してしまわんことには、「ボコボコ小路」と云われます。
そお云えば、息子共が中学生の頃、梅小路には一度だけ行ったことがある。
ここでは、蒸気機関車の機関室のナカを見ることが出来たし、何分毎かに動かしもしてましたし、型番のプレート、記念切手、その他諸々ヨクは覚えてませんが、販売してました。
この型番のプレートはホンマもんやろかなあと、ひつこくも、未だに悩んでます。
ならば、このトロッコ小路の完成の姿はどおなるのか。
進展具合が遅いので、マダ全容は分かりませんが、主人公のSLにはペンキが上塗りされ、らしくなって来ました。
そんなことで、まだどおなるのか、分かりませんし、気が向けば、又の機会に掲載です。
(01/07/26)


その68.嵯峨嵐山界隈散策(1) ボチボチ、啓蟄

兄ちゃん、お一つどおえ。美味しい胡麻豆腐どおえ。
お兄さん、お兄さん、どおえ。胡麻豆腐やで。美味しいえ。

売り子さんが呼び込みしてるナ。しかるに、兄ちゃんて誰なんや。
周辺見渡しても老夫婦か女の子ばかりやで。
声のするほを見たら、何とまあです。私をしかりと見てるやないですか。兄ちゃんてかいな恥ずかしいワイ。男やたら何でもかでも兄ちゃんやけど。
売り子さんは婆さんにはチとばかり早い。イヤ、相当に早いにしといて、私よりはご年輩のご婦人やんか。コンチクショウめ。
此の程度、イヤ、或る程度の年代にならんと、何でもかでも男を捕まえては、兄ちゃんなんかと云えへんのです。
妙齢の美女が道行く男を捕まえて、片っ端に兄ちゃんでは奇妙やし。阿呆な奴に勘違いされるし。
お若い女の子が売り子のお店では、どおぞ、どおぞ、お一つどおですか。或いは、オイデヤスだけやたりして。
モとあて、無言のままの不愛想なんもありますけど。

しかるに、胡麻豆腐ねえ。
嫌いでも無いけど、こんな場所、とは豆腐屋でも無いお店、土産物屋でワザワザ買う程のモノでも無いわいな。
荷物になるだけやんか。折角手ブラで歩いてるのに。

しかるに、しかるに、春も間近のポカポカ陽気。
昼飯喰てからですが、折角です。佳い場所に隠れ家が有る故、散策してます。
チと早足で、ホンの三十分程度。体もホンノリ暖まる。マダマダ、汗が出る程では無いのです。三十分を四十分にして、モちょっと暖かく、あったこおなたら出るのやろ。
いやまあ、長嶋茂雄氏が脳梗塞で倒れられ。
あんなスポーツ・マンでも脳梗塞かいな。私なんか、無精、出不精、出不足、運動不足のノンベンダラリで極めて怠慢なる日常生活。おまけで煙草も吸いますし。
脳梗塞でそのまま、一気に昇天なら結構やけど、中途半端はイケマセン。周囲に大の迷惑掛かると、思たが発端でして。
相手様が超のつく有名人やから、名医がついたけど。私なんか、どなるんやろ。天命任せです。
チナミニですが、脳梗塞の特効薬、予防にはマカデミア・ナッツが佳いのですて。
テレビで云うてたラシイです。ラシイとは又聞き故です。

其れもあるし、ボチボチ、嵯峨の話も掲載してクレ。
ほっこりするしと京都は伏見のお方様に請求されたんや。
ほっこりではない、真冬の嵯峨嵐山。
雪化粧も結構やけど、車で徘徊なら佳いですが。着込んでまでは、外に出る気にならんのですが、啓蟄の頃も過ぎ、多少は暖かくなての観光シーズン突入の嵯峨は賑わしく。
ホントは賑わしいのは厭なんや。鬱っとおしいですが、誰も居てない観光地、小泉不況の嵯峨嵐山界隈よりは余程のマシです。

イヤ、昨年、一昨年観光客が少なかたです。
商売屋さんは大変やけど、私にとては、静かで誠に結構でした。
とは云うても仮にも京都屈指の観光地。閑散、閑古鳥までは鳴いてないですが。
時期にはそれなりの人出もあて、下手したら、大の交通渋滞で立ち往生です。下手しんでも、桜と紅葉の時期になたら交通渋滞になりますが。
桜にはマダ早いのですが、渋滞にも早いのですが。
今年はどんなんかなと、散策する気になる程の賑わいでして。

冗談抜きにです。
マンション一階の喫茶店ですが、一昨年末にお店が閉められ、年末年始はお休みかいな。
其の年始が長過ぎて。何時から開店かいなと不審に思てましたら、何ヶ月も閉めたままの三月頃であたか。丁度一年前になりますが。
工事屋はんがウロウロし出して、ソか、模様替えしやはるのかと思てて、蓋を開けたら新規開店の屋号が違てるやんか。
出入りしてる工事関係者以外の顔ぶれも違うし、婆さんが居てるし、お子さんも小さ過ぎる。
どなてるのかと、チとダケ中を覗いて見たら、見慣れたお顔で無くて。矢っ張り、経営者が交代してたんや。

誠に寂しいモノです。
以前の人とはお話もしてたし、お店でコーヒーも戴いたし。勿論ですが、只では戴いてないです。チャンとお金を払てます。ホンのタマにしか入ってないですが。
火事の時にもエライ事やなと云うてたのに。(「JR嵯峨嵐山駅前立ち話NO.3」隣家の火災事件参照)
何があったんやろか。ご主人の具合でも悪くなったんやろか。
事故でもと。事情をツラツラ考えても何処に棲んだはるかも知りませんし、以来、消息不明。
こんな具合に極身近にでも、ネタは沢山有ったのですが、素通りしてしもての一年間。
お昼に三十分、虫の向こうをはって出るよになたのは丁度啓蟄の頃からです。

云うても、当たり前に知らん訳でも無いです。嵯峨、嵐山界隈は見慣れてます。
胡麻豆腐の呼び込み婆さん。ではなくてのお姉さんは渡月橋辺りの土産物屋さんです。
イヤ、マッタク、人出が多くなりました。真っ直ぐ歩いてたら邪魔になる。お互いにですが、マズは避けてはくれへんのや。
名実共にお若い姉ちゃんなんか、私みたいな、オッサンなんか、完全無視の其処退け、其処退け、お嬢が通ると蹴散らしよるで。
ホントやで。
オバハンでも、避けてなんかくれるモンですか。其処退け、其処退け、妾が通ると撥ね退けられるゾ。
そんなに無視され、邪魔にされ。虚仮にされての腹立てての、気を使ての、何で界隈散策するかとなればです。
意識しての、血圧上げての血の巡り、循環佳くして、脳梗塞対策やんかいさ。
とは、冗談に決まってる。
(04/03/21)


その69・嵯峨嵐山界隈散策(2) 女上位のバカップル

嵯峨嵐山界隈は歩いてて楽しいから歩いてます。
何も無い処を漫然と歩いてるよりは余程結構です。純然タル、運動不足解消でも無いからでして。
どんなお店があるのか。何を売ってるのか。ついでに相場は幾らなんやろ。
お土産物屋をやる気は無いけど。やるにも、資本が無いけれど、どんなお店が流行ってるのか。観光客はどんな格好してるのか。
観光客とは限らんと、私みたいな散歩屋も居てますが。表情か、組み合わせか、態度かと。
余計な話ばっかりですが。観察するのも面白いなる、悪趣味もあて。

当たり前に女子高生、女子大生、中年のオバハンのグループに老夫婦に若きカップルが多いのですが。
親子連れも母と娘は佳く見掛けて、誠に結構な母娘で、親孝行な娘さんです。
或いは、出張ついでの寄り道やろか。背広姿のニ人組やたり。背広組は不思議に若手が土産物屋の紙袋を持ってるけれど、上司が買い物したのを持たされてるのか。
ハタマタ、若手が買い物好きなんかと余計な詮索してみたり。上司のを持たされてるに決まってると。私は先入観、思い込みがキツイけど。
私の出張先で観光地はナカタのです。工場は大抵なら田舎です。
クレーム先なら都会もあて。お土産を買うのは好きやけど、駅で買うのが殆どで。荷物になるのが厭やからです。

しかるに、若きカップルが異様に映るのです。私にとてはですが。
男女が三人、四人となれば、別としてです。男女のお二人さんなら、例外無く、お手々つないで、仲良くですが。其れが私にとては異様なんです。
中年老年のご夫婦がお手々つないでは珍しく。見たら私が気恥ずかしいのですが。私はやた事、無いものでして。やらんのは、勝手なんですが。
中年老年ともなれば、微笑ましいモノを感じるのです。大抵なら嫁はんのほがヤヤ派手目で、流石に老夫妻では見た事が無いです。
正々堂々臆面もなく、仲の佳いのを見せつける若きカップル。明らかに彼氏が居てるゾ。彼女やゾと見せつけてるのですが、仲が佳いワリには不思議にです。
未婚が多くて、少子で、離婚が多いがアナ不思議。
お手々つないでるから、相応の仲とも云えへんけれど。幾ら何でも、単なる知り合い、顔見知りだけで、お手々はつながんやろな。
モと不思議は美男美女が見当たらん。大抵なら、お顔も態度も佳い勝負のお二人さんです。

当然やけど、大いなる皮肉を云うてます。
早い時期から男女の垣根を低くし過ぎてしもて。
とは私の勝手な解釈なれど。事実の一端はあて、熱し易く、醒め易いのでないかと。
私が若き頃を振り返ってみても、幼稚園、小学校の低学年は別としてです。女の子と話をするだけでも大変やた。いまでも同様にしてですが、先方様も同様にしてと思てます。
そもそも、肩を並べて歩くに大変なる勇気が要りまして。お手々つないでなんか、トンでも無いです。
其処まで到達するに、何年掛かるのかいな。とは大袈裟でもです。其れくらいのほが新鮮味があるのは事実です。

モと異なフに見えるは、歩行の位置関係。
女性が男性を保護してるよに見えるし、親子なら、子が親を保護してる。
何処で判断してるかとなれば、至って簡単。車道側に子女が歩いてる。要は危険なほに、女か子であるのが異なフに見える。
もしかして、正解で、男より女が、親より子が上位の男が女に保護され、親は子に保護されてるのでなかろかと。

イヤ、実際問題、若き女の躾のなってるのは少ないです。
お二人さんでお手々つないで真正面から歩いて来てみいな。気弱な私はとりあえずです。
衝突を避けるがために車道側に出て道を譲るのやけれど、道幅が狭おて、譲るに譲り切れん事もある。車が走って来るとかで、立ち止まっても無視されて。
立ち止まってるのに、女のほからまともにぶつかって来られて。ぶつかられて、睨まれるやて、アホくさい。
ホントに十人居たら、八人までは一歩たりとも譲る気配も示さんのです。周辺に目配り気配りしてないからで、二人も居て、出来てないからで。
タマに譲られたら、恐縮、感心してしまうけど、其の点、男が車道側を歩く時は気持ちだけでも譲ってくれる。
誠に当世の女は気が強いとするか、目が悪いのか、オツムが弱いのか。目もオツムも弱くて、親の教育宜しく横着です。
くっついてる男も同程度か其れ以下のバカップルに決まってるし、オツムがオメデトサンです。
(04/03/22)


その70.嵯峨嵐山界隈散策(3) 愛すべき鈍足サラブレッドのハルウララ

ハルウララ、延びない、延びない、ハルウララ。
最後の最後まで延びない、競走馬のハルウララ。
愛すべき鈍足サラブレッドのハルウララ。
私でさえ知ってる天才騎手、中央競馬の武豊氏が騎乗のお幸せ牝馬(八歳)のハルウララが百六戦の連敗記録更新。
天才騎手をモテ云わしめたるチと足が遅いだけ。競走馬としたら致命的欠陥やんか。

三月二十二日は月曜日。月曜日となれば平日やのに競馬をやてるのやなあ。
イヤ、競馬は土曜、日曜だけと思てたのです。
四国の土佐は高知競馬場にて、武豊騎手が騎乗する事になたハルウララ、5番単勝馬券が一番人気で飛ぶよに売れたんですて。馬券売り上げ五億円やて。
競馬ファンでなくともハルウララは聞いた事があります。知ってます。
とりあえず、走れど走れど、連敗の競走馬ですが。私は競馬は分かりませんが、何で連敗でも出続けられるのか。
多分なら、馬主の温情、お金持ち。元もと、馬主はお金持ちの道楽なれど。
何で勝てない、勝てもろては困るの馬券が売れたのか。当たらない、外れっぱなしの馬券で、交通安全、無事故祈願なんですて。負け組のアイドルなんですて。
成る程、成る程、納得した。縁起担ぎでありましたか。当世中年世代を象徴の牝馬やた。

ハルウララどころか、ウラハラに、ドンと寒うなてしもて。雨まで降って。
雨降ってて傘差してまでは歩きに出えへんけど。
しかるにですが、肩肘張って、意地張って、意地悪して。
人の恋意地の邪魔をして。若きカップルが仲良お、お手々つないで歩いたはるのに。邪魔やとばかりに中央突破。
一辺やってみたい気はあるけれど、ムキになて、本気でやる訳にはイカンのです。
頑強にして、しかりガッチリとその場だけでも鉄の結束宜しく手をむすばれたら、撥ね飛ばされてまでは佳いとして。
オイオイ、オッサン、オッサン、何するのや。
何処見て歩いてる。馬鹿たれめがと、うら若き女の子の罵声、鉄拳を浴びまして。事実、後めたいし、冷静に考えたらです。
道路交通法や無いけど、ぶつかって往ったほが悪いに決まってる。
スミマセン。堪忍ナ。ゴメンナサイね。悪かったなあ。
謝らんならんやろな。阿呆臭い。下手にコッチが強かって、先方様が転んで怪我でもさせたら賠償金。相手が道路を独占、遮断しててもです。
さりとて、ぶつかる前に二人を睨みつけ、邪魔や。退けとも云えへんし。一々云うてたら、殆ど一歩も進めへん。

或いは、お可哀想に。オツムが可笑しいナと冷たい目で見られてしまう。
ハタマタ、首筋捕まえられて、警察に突き出されてしまう。
やけど、狭い道幅をお手々つながれ歩かれてたら、ホントに邪魔やし、お二人さんの自由も利かへんやろな。気はあても、臨機応変、道を譲るも出来ひんやろな。
事程左様に誠に厄介なるお手々つないだカップルが多いです。

しかるに、ご質問を承った。
何で車道側は保護するほで人道側は保護されるかと。
オイオイ、車道側は危険やろな。車が一杯走ってますし、万が一にも小石に蹴躓き、ヨロヨロと蹌踉けてフラフラと。車道に出てしもてみいな。
運悪く、其処に車が走って来てみいな。ぶつかってしもて怪我するやろな。危険なほに保護者が位置して当然也。弱いほを身を呈して庇うが当たり前。単に浮かれて佳い格好して、呆けっと歩いてるが能やないです。

車を運転してても分かるやろ。
若きお母さんが幼い子の手をつなぎ、子のほを車道側にして歩かれてたら、危のおて、あぶのおて。怖わあて、こわあて、見てられん。
実際、そんなお母さんが多いやろな。最近ではお婆さんまでがです。
目に入れても痛おない、大切なタイセツなお孫さんをそんな風にして歩いてるから信じられんです。猫可愛がりしてるより、目配り、気配り、常識を身を以て示せ。
男女のカップルが女を車道側にして連れ歩くは、男の立場が分かってないのと、だらし無さを公表してるだけ。
男女同権なんか糞喰らえ。はき違えるな馬鹿たれめが。牝馬、ハルウララの奥ゆかしさを見習おてクレ。
彼女も一生懸命なんや。競走馬としてはチと鈍足なだけで愛嬌はアル。人間様の女は愛嬌、男の度胸は何処やろな。
私に云う程の度胸は無いけど、初歩的男の立場は分かってる。
(04/03/23)