シバケンの単なる雑談NO.239

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題目一覧表

目次

雑談NO.240

NO.2660 単なるの雑談<芋煮会のメンバーが、「要介護4」の話>(1)

NO.2659 卒業半世紀記念の沖縄旅行の話(11) 那覇国際通りの歩行者天国の話

NO.2658 単なるの雑談2件の話<大金持参の爺様と、紙幣破ってもたの話>

NO.2657 京都駅界隈の駐車料金はボッタクリ価格の話

NO.2656 10連休の話(9) タカシ君のお孫さんの話(東京大学医学部合格)

NO.2655 10連休の話(8) 万事、別世界に存在の話

NO.2654 10連休の話(7) 諸般、知りたい時には、居てないの話

NO.2653 10連休の話(6) 長男嫁と話をしてるのに、モ遅いし、寝るかの話

NO.2652 10連休の話(5) 次男嫁との話を、ハタと、思い出したの話

NO.2651 10連休の話(4) 次男嫁との話を失念の話

雑談NO.238


NO.2651 10連休の話(4) 次男嫁との話を失念の話

いやね。
千手寺の石段下の広場。
云うたって、3方樹木で、そこは、背の低い雑草で、新聞紙とか、レジャー・シートを敷けば、座れるですが。
よて、そのよに致しの、持参の弁当喰てね。お茶なら、水筒に入れてまして。全員が。
喰い終わって、ゴミなるは、全部回収と、するのか、コレ又、持参のと、するのか、オカズ等々入れてたの、袋。ポリ袋なれどの、入れて頂戴と。
諸般、当方のリュック・サックには、オカズが入っててね。水筒も。
出して、喰てもたら、空っぽ故、そこにゴミ入れて。

いやね。
大体は、そのよにしてるです。出掛けるの際には、基本、ゴミ入れの袋持参してまして。
一寸したゴミでも、そこに入れて、お持ち帰りするは常識でして。当家では。
イヤイヤ、嫁共、実践して呉れてるし、さすれば、孫共も。

それが、サッカーの大会等々では、ゴミ一杯で、ボランティアが、ゴミを回収したりと、美談が報道されてるですが。
根本的、自分の出したゴミなるは、自分でお持ち帰りが常識ではと。
まあ、詰まり、それが出来んは、その親が。又、その親がと、適当に放置で、涼しい顔してるが故に、子々孫々が、そなるのやろと。

いやね。
特段の、サッカーの試合なんか、見に行くは無く。当方が。
されどの、余計なるの話の、出先、方々で、ゴミの放置は、当世、常識化してもてね。それだけ、当たり前だの、クラッカーの事、忘れ去られの、傍若無人のデタラメが横行してるかと。

オッとの、そんな話、するの積もりで無くて。
いやね。
当家、全員集合の、4月27日<土>の夜の事。
次男嫁は、子どもが寝たのか、孫君3号の事、なれどの、次男も、起きててね。
オッとの、つらつら、考えたらの、長男嫁、多分なら、子どもを寝かせるに、寝てもたのかと。現れませんでねえ。

いやね。
大体は、全員、2階で寝まして。下は、居間でありの、台所でありの、奥の部屋、孫君共の、遊び場にしてまして。
さもないと、居間で、ゴチャ、ゴチャやられたら、危ないし、邪魔やし、騒がしく。
オモチャも、散乱でして。

オッとの、そんな事で、居てる、起きてるの面々にての、適当なるの、四方山話等するですが。
オヤツ、おつまみでもあれば、つまみ乍らと、するのか、あれば、ビールを飲んだりしてね。
大抵なら、あるですが。
あっても、沢山はあらへんけれど。
イヤ、長男なら、下戸で、当方と、一緒。
イヤイヤ、当方にしたって、若い頃には、飲めへんでして。全くでは、無いけれどや。一寸でも、飲めば、顔真っ赤っかで、1人で、飲んだみたいな、状態。

心配すなの、次男も、飲んで、管巻いたりは致さんでして。
心配すなの、泣き上戸でも、笑い上戸でも、怒り、暴れたりも、致さんわと。
当方なら、限度越しては、飲めへんわと。飲めば、しんどくなったり、寝てもたり。
その点、次男、赤くも成らんし、替わらんねえ。酒豪や、なと。誰に似たのか。その手のは、我が、親父のと、するのか、祖母の妹、中手の、なれどの、長男でして。酒に強く。

余計なるの話の、その昔、昔、当家、仏光寺時代には、親族、皆、京都市内故もありの、又、当家、祖母が三人姉妹の、長女でありの。親父なら、その、長男でもありの、親族が、何かと、よお、来たですが。
まあ、云うたら、親父の従兄弟に成るですが。
一級建築士なるぞと、申してたですが。事実なんやろねえ。当家、上の叔父が、判子1つで、儲けてると、申してたです。

トトトの、その親父の従兄弟なるは、立命館大学理工学部の土木工学科出身なると、申してたです。
その当時に、大学卒なるは、大したモンでして。イヤ、ほんと。
そして、建築屋をしてたですが。

いやね。
その親父の、従兄弟なるは、酒豪も、特段の、暴れたりは、せず。
但し、大体は、思たの事、口にする人でして。
話の中身なるは、当方、若過ぎての、よお、わからんですが。とりあえずは、祖母の妹が、来て、諸般の愚痴をば、姉に申し。
その長男が、時偶には、当家に来て、お母さん、何を云うてるやと。多分。
それを、当家、階段の中程の所で、座って、申すが故、伯母として、祖母が、そんな所に居たら、危ないでと。降りて来なさいと、叱ったならばの、伯母さん、心配すなの、この程度の高さ、ましてやの、階段から、落ちてたら、商売にならへんわと。

この話、場面、鮮明に覚えてまして。当方が。
イヤイヤ、当家、広いのお屋敷に非ずの、そこは、まあ、云うたら、食堂兼の居間。
奥の間なるは、仏壇鎮座の、寝室でして。我々、親子の、でして。2階に、祖母と、叔父達が居てましての、特段の、障子、襖で、仕切ってもいてへんし。
当方も、その場に居てね。
特段の、大人の話してるの場に居てるなと。とも、云われませんでして。云われたって、行くの場があらへんわと。

オッとの、又もやの、何の話をしてるの哉の。
ついでになら、柴田の上の叔父も、酒は、少々強く。多分。
いやね。
沢山、飲んでるの場面、見た事無くて。
只な、親父の葬儀か、逮夜の時か。叔父家長女と、来て呉れて。その時、偶々の、あったの、ナポレオンを見付けてねえ。ンの、ナポレオンか、バレンタインか、ジョニ黒か、赤かは、忘れたですが。
出せと。そかと、出したですが。

イヤイヤ、渡韓、韓国工場えの、出張帰りの、KAL機内か、伊丹空港の免税店かで、洋酒を買うが慣例化してまして。当方が。飲まへんのに。
イヤイヤ、大抵なら、2本買い、1本は、その叔父にお土産として、やってたです。イヤ、ほんと。買えば、の話なれど。
されどの、慣例化してた故、結構やってるです。田辺に住んでたしと。叔父一家が。

オッとの、そんな事で、柴田のその叔父が、どの程度強いかは、知らんの、されどの、飲めるは確かの、その辺りが、飲める故、次男も、その傾向あるなあと。
オトトの、我が母も、アルコールは好きな方でして。1人で、缶ビールなんかを、飲んでたなあと。
その点、我が親父は飲まず。下の叔父は、どか知らんの、祖母も、どなんやろ哉と。
されどの、当家の面々ならばの、少なくともの、当方、小さい時と、するのか、同居してたの時代には、飲んでるを知らんです。
よて、上の叔父が、亀岡の我が家に来て、洋酒見付けて、あれ出せと、云われたが、意外でねえ。
イヤイヤ、結構なると、気前良くの、出したですが。
ンの、もしかして、もしかしたらの、叔父宅に免税店で買おたの、洋酒、持参したは、それから、やったの哉と。飲むを知って。

要は、次男、飲むは、その叔父なり、親父の従兄弟の血を引き継いだの哉と。
当方なら、親父の、そもままかと。
ローム入社で、歓迎会、送別会、ボー年会等々にての、飲む、飲まされるの機会あっての、少しずつ、飲めるよには、成ってるですが。
よて、昨日<5月5日・日>に、次男家の招待で、焼き肉屋、「山ちゃん」に行ったの際には、生ビールの中を一杯。次男なら、何杯やろ怪の、よお、知らんの、少なくともの、2杯以上哉と。結構なると。飲めて。

とっとの、での、次男嫁、下に降りて来て、皆で。皆も、長男嫁、寝させられてもての、多分で、以外で、長男は飲まずで、当方なら、次男が出して来たの、缶ビールを一寸呉れと、飲み乍らの、四方山話したの、中身、完全に失念。
只な、これまでなら、一日や、二日や、三日。一週間や、一箇月程度なら、話の中身程度、覚えてたですが。
歳なんやねえ。
(19/05/07)


NO.2652 10連休の話(5) 次男嫁との話を、ハタと、思い出したの話

オッとの、いやね。
ハタと、思い出したです。
イヤイヤ、次男嫁との、世間話、四方山話の中身をば。

まあな。
大した話で、無いけれどや。
我々の話故。

いやね。
4月27日<土>の夜の話、なれどの、嫁との。多分。
イヤ、長男嫁と、孫共以外は、居たと、思うですが。多分とは、日に自信無く。されどの、明くるの、28日には、千手寺に参拝で、「アル・プラザ」に、行って、ボーリングして。
終われば、「ユニクロ」にと。

当方、草臥れてもてね。店外で。又、店内え。
とするのか、ウロウロと、店内も、しんどくて。ボーリングも、1ゲームで、ギブの、アップで、嫁はんと交代した程でして。
余計なるの話の、昨年には、2ゲームだけ、お付き合いしてるですが。此度、1ゲームでして。

いやね。
「ユニクロ」での、買い物終わって、次男、酒とか、おつまみでもを、調達にと。「アル・プラザ」で。
イヤイヤ、「アル・プラザ」には、スーパー・マーケットもありまして。当世、この手、ショッピング・センターなら、あるですが。
イヤイヤ、こちは、えちら、おちらの、トボトボと、歩くに、若手の足早く。
とするのか、酒でもで、早足で、行ってもたです。どちみちの、車は、「アル・プラザ」の駐車場に駐めててね。
まあな、買い終わるまでには、我々も、到着したですが。嫁はんと、2人。他は、買い物でして。

いやね。
その買い出ししたのが、冷蔵庫に残っててね。
申すは、その日、28日<日>の夜の事なら、折角の調達のを、飲んでる筈で、喰てるの筈。

余計なるの話の、その明くるの、29日<月>には、昼食兼ねて、国道中山の、マクドナルドで、全員が、喰て。
喰い終われば、次男家、一旦帰宅で、伊勢の、嫁の実家に行ってまして。
その夜には、今度は、長男嫁と、四方山話してるです。

いやね。
ハタと、次男嫁、長男嫁との、話の中身を、思い出して。先の通りの、一緒で無くの、別々でして。
いやね。
何ちゅうかの、かんちゅうかの。
嫁共と、話をするの機会、案外に、少なくて。

オッとの、そらね、会えば、諸般の話をしてるのけどや。
次男嫁なら、近く故、結構会おてるですが。概ね、頻度的、月1回哉と。平均値的には、なれどの。そらな、会わん時には、用事の無い時には、可成りの間で、会わず。

いやね。
会おてるからと、おりいったの話なるは、してへんわと。
それこその、大抵ならばの、四方山話、世間話で、記憶に残すの、残るよな、深刻なるは、しやへんわと。
そんな、重要なるは、殆どしませんの、ありませんと。

とっとの、いやね。
実はの、したい話なら、沢山あるです。
特段の、長男の、次男の嫁にと、限定せずの、それこその、息子共を含めての、伝えたい事、云うておきたい事が、山程あるです。

山程ねえ。
あっても、機会あらへんでして。
それこその、おりいっての、構えての、話も、なと。
雑談の中で、嗚呼と、申すべきは、申したいけれどの、さての、何をと、なればの、何から話せばええの怪の、それも、どんな具合にが、あっての、難しく。

そらね。
自身の事、柴田家の事、広く、諸般の話をしたいわと。
で、何のと、なればの、ルーツ的なるをと。
云うたって、結婚するが、どのこのの、当時、概ねの話なら、してるけど。あくまでもの、概ねでの、概要でして。
したい、云うたって、原稿用紙に書いてるで無く。筋書き頭の中にあるでも無くて。
又、確信あるの事も、想像、推測、独断、偏見の事柄ありで。

いやね。
その手の話なんか、そは、なかなかにあらへんです。
云うてもたらの、一緒に暮らしてるの、ならばの、嗚呼と、その場、その場で、機会もあるですが。

いやね。
四国、香川、仁尾の、義姉宅になら、毎年、お盆の時期には、当家全員、10名様が出向きの、2泊してるですが。
その時には、当方、どちかと、なればの、草臥れてもてね。早々に、ハイ、オヤスミと、早くに、布団被ってもてね。

いやね。
他の面々ならばの、夜の遅くまで、それこその、あや、こやと。
義姉家の面々交えての、これは、どちかと、なればの、義兄が主の話やろと。多分。
そらな、当方、早くに、ハイ、オヤスミで、寝てもてましての、一々の、聞き耳なんか、立ててえへんわと。

時折、笑い声で、起こされるの程度の、嗚呼、まだ、喋ってるのかの、ええ加減、五月蠅いなあと。ハヨ、寝えと。我が家なら、文句一発、申すですが。多分なら、なと。
他家故、大人しく、してるだけ。イヤ、ほんと。

まあな、云う程は、借りて来たの、猫状態では、無いけれど。されどの、そらな、他家は、他家で、好き放題には、してへんわと。大抵ならばの、なと。
そらな。
毎年、毎年の、何年経つやと。ン十年。
まあな、諸般の経過あるけれど。


オッとの、オトトの、とっとの、何の話をしてるの怪と。
あれを、これをと、話するべき、又、したいの事、多々あれどの、矢張りの、そのきっかけがと。無いのに、いきなりの、出来んわと。
それも、これまでの、どんな話を、どこまでしてるかも、よお、わからんでして。
結果、同じよな話を、繰り返し、繰り返しも、へえの、お義父さん、ボケて来たの哉と、思われるも、なと。
実際問題、次第、次第にの、失語症、昔の話、思い出すに、苦労し出して来てね。

云うてもたらの、当家全員10名様、一同に会するは、年3度哉と。
正月と、5月の連休と、お盆の時期に、義姉宅えの、3度。
申してるの、お盆のは、出先でして。
お暇しての、帰るの道中にての、晩飯でもの、当家のみになった時の程度哉と。

いやね。
昨年には、7月の、祇園祭の宵山の時、全員集合してるですが。コレ、その宵山にが、主たるの目的での。
今年も、どかなあの話なら、出てるですが。
いやね。
この時期、三連休の頃でして。来年からは、外れてしまうけど。

オッとの、での、本題をと。
云うたって、諸般、大した話で無くて。
次男嫁との話なるは、その結婚するが云々の頃の事。

いやね。
嫁の実家、伊勢の宅、親父様には、挨拶に行ったの時。結納の儀の時。そして、結婚式当日の、3度しか、会おては無いなあと。
尚、次男家、孫君3号誕生の時には、見にと、するのか、会いにやねえ。次男の車で、運転で、嫁はんと、3人して、実家に行ったですが。
その当時には、親父様、コンビニ経営されててね。
夜勤で、生活反対になてもてての、会えず。
但しの、電話では、何度か。とか、云うたって、過去2回程度しか、話はしてへんですが。お中元か、お歳暮が届いたの件で。

いやね。
正直なるの方でして。多分。
物事、はきりと、申すの方でして。多分。
イヤ、申してるは、わかり易く、接し易い方也と、判断、評価してるの話をしたです。嫁に。
イヤイヤ、事実、そ思ててね。飾らんの方と。結構なると。

いやね。
当方も、一緒でね。多分。
親父様も、こちに、気ぃ使わんで、済んでるのではと。多分。

多分、多分の連発なれどの、そらね。
3度しか、会わずでは、細々なるの事、わからんでして。
されどの、大方の事なら、一度、二度と、会いの、その手、重要問題、自身の息子、娘の結婚について、真剣なる話をしてましての、自然と、わかるわと。

てな話を、嫁と、したなあと。
ダケの話。
をば、ハタと、思い出し。
(19/05/08)


NO.2653 10連休の話(6) 長男嫁と話をしてるのに、モ遅いし、寝るかの話

いやね。
次男嫁との話で、親父様とは、三度。
母親とは、追加の、モ1回、会おてまして。
それは、孫君3号の七五三で、「長岡天神」に行ったですが。その際、嫁の母親、長女と、三女の、子ども4人が来まして。イヤ、三女は来てませんですが。伊勢からは、都合の、6名様。

いやね。
次男嫁は、三姉妹の中手で、加える事の、その下に長男。
長女も、薬剤師でねえ。長男なるは、東京さに、行ったままでねえ。
イヤ、長男とは、結婚式の日の、一度しか、会おてませんですが。確か、立教大学出身と、聞いてるです。関東で、立大と申せば、立教大学。
関西では、立命館大学になるですが。立大とは、云わんですが。
ンの、学部までは、聞いたか、聞いては、失念かの、文系であったよなと。ンンのならばの、聞いてるなと。

いやね。
要は、母親とは、それを加えての、四度会おてるです。
長女は、挨拶の時と、結婚式と、その日の、三度。三女とは、結納の儀の日を除くの、三度。

オッとの、嫁と、話をしたは、七五三の時、公園に行ってねえ。皆、大喜びでして。子ども達がで、特には、三女の子4人の、上が、男の子の三兄弟で、の一番下が、女の子。要は、長女に成るですが。孫君3号の一歳上の子が、大層喜びの、まさしくの、破顔一笑。
どころで無くの、喜色満面の、その顔、表情なるが、ドカンと、当方の目に、焼き付いてもてね。消える事、あらへんです。
てな事、話をしたなあと。
<参考=「<続>孫共の話NO.6」NO.52 孫君3号の七五三の話(15) 「公園」大正解の話

での、長男嫁とは、4月29日<月>の夜、話をしてね。多分。
最初、何の話をしてたの哉の、それは、失念してるですが。嫁より、お義父さんは、奨学金で、大学行ったのですか。的、質問受けて。多分。
嗚呼、もしかしたら、秋篠宮眞子内親王の、婚約内定者、小室圭君の話をしてたの哉の、当方が。多分。

彼、特待生扱いで、米国フォーダム大学ロースクールから、奨学金受けて。且つは、奥野法律総合事務所から、相応の給料と、するのか、給料やねえ。生活費貰てと。
法律学ぶに何故に、米国怪と。日本で、出来るのにと。多分。

いやね。
当方が奨学金受けたの怪の、質問故、ンの、そんなには、賢くはあらへんわと。イヤ、ほんと。
されどの、親から、学資の援助はしてもろてえへんのやでと。イヤ、ほんと。
ンの、とは、云えどの、最初の入学金は、どしょも無くての、親父に申しの、多分なら、どこそこに、売掛金あるが故、それをもろて来いと。さすれば、それを、入学金にと、云われて、あちら、こちにと、集金に行ったを覚えてると。

されどの、入学金に不足でね。
一発目の期限に間に合わずで、二度目のかの、この期限過ぎたら、入学の意志無しと、判断するの、その期限に、何とか、間に合おてと。イヤ、ほんと。

いやね。
結果、どんな具合に、入学金をば、調達したかは、忘れたですが。その二度目の哉の、最終には、何とか、間に合おて。
とかとか、一年目から、アルバイト、アルバイト、なれどの、以降の、学資までは、出来んでねえ。二回生の時、家庭教師の話あって、それが、桂高校の1年生3人。
1人、3千円で、3人故、9千円也の定職が出来て。
云うておくの、軽くの、半世紀昔の、9千円なるぞの、当世の、10倍の価値と、までは、申さずの、アルバイトの、時給100円の時代の、3千円。
ンの、当世、アルバイトの時給、700円なら、七倍かの。ならばの、63千円見当哉と。

いやね。
当時の、立命館大学の、授業料なるは、年89千円。
要は、家庭教師で、賄えるの金額なれどの、そはなと。
遊びまくり。
と、までは、申さんの、根が、ノー天気で、余り、その手の事、学資が、親から出ぬの云々、深刻にも、考えずの、結構、楽しくの、学生生活送り。イヤ、ほんと。

いやね。
金無くの、教科書買わず、買えず。
にも、関わらずの、その他の、まあ、云うたら、文学全書なり、小説本なり、思想書、時の、話題の本等々、買おたりしてね。イヤ、ほんと。
親友から、金貸せと、頼まれたら、嫌とは、云わずの、貸したりしてね。コレ又、ほんと。

就職してからも、そんな事、あったりしての、金貸したりしてね。コレ又、ほんとの、返してもろたか、もろては無いかも、失念してるですが。
の、程度の、金銭的、ノー天気。
いやね。
多分なら、返済なんか、してもろてえへんわと。貸した方、覚えてるも、借りたの方、軽くの失念が事実。

よて、申すは、圭君の話で、借金して、大学進学、通学なるは、可成り変。
借金してまで、大学に行くの怪と。それも、母のと、云えどの、親で無くの、婚約者に。
それも、高額授業料の大学に。国際基督教大学と、称するですが。

云うたら、当時の、立命館大学なるは、私学で、授業料一番に安かったんやでと。
とは、云うたか、云うて無いかは、多分なら、そこまでの話はしてへんなと。
にしてもの、当時の、立命館大学の授業料は安かった、なと。理工学部で、当世なら、120万円程度故の、約9万円を7倍しても、63万円故、半分でして。
文系なら、当世、100万円か、それ以下でして。オッとの、昔の文系も、理系よりは、安く。

イヤイヤ、大学の休みの日、月には、アルバイトばかりしてた、でと。
ならばの、嫁、問うに、大学の休みは、長いのですかと。
よて、大学なんか、休みばかりやでと。イヤ、ほんとで、夏休み、春休みなんか、2箇月あっての、都合の、4箇月の休みやでと。年12箇月の、4箇月も休みで、遊ぶなら、遊び放題。
なれどの、当方、アルバイト三昧。とか、云うたって、その、休み、全部、モロでは、無いけれどや。

の、ここで、さあ、遅いし、寝るかと、なてもてね。
誰が申したか、提案かは、忘れたですが。そやなあ、寝るかと、同意して。

実は、ここから、モ一寸、話があったですが。寝るになた故、話はせず。
の話を、するならばの、話の。
授業料滞納にての、何度、仮除籍になった事かと。何度も、何度も、されてまして。そらな、入学金なるは、半期分。次ぎの、半期分の、金あらへんしで、その半期過ぎたの、2回生の始めに、仮除籍受けて。まあな、運良くの、その2回生になったの時、家庭教師をする事になりまして。

そして、これは、寝るの前であったかの。
四回生に成るの時、大学の奨学金。これは、親の、家庭の、収入状況に寄るので、学業成績云々無関係のを申請してねえ。通ってねえ。嗚呼、助かったなと。
そらな、家庭教師の収入だけでは、足らんわの。数字だけなら、足るけれどの。そらな、諸般、遊び、まくり、までは、してへんけれどの、先の通りの、金銭的、ノー天気でね。

そらな。
京都なるは、太秦映画村あっての、エキストラがあって。当時には、入場料も、いらんでねえ。出入り自由の、無料。
神社仏閣、祭礼多いが故、その手の、何ちゅうかの、装束着ての、モノ持っての、行列に出るのもあって。
これねえ。
割が良くての、拘束時間、短いのに、多分なら、5時間かの、程度で、一律、千円也。要は、時給200円也での、大儲け。
とかとか、その手の話に成ればの、当方、延々の、いつまででも、話出来るし、したいのに、モ遅いし、寝るかは、誰が云うたの怪と。
邪魔しやがてからにと。
(19/05/09)


NO.2654 10連休の話(7) 諸般、知りたい時には、居てないの話

いやね。
次男嫁とは、27日<土>の夜。
長男嫁とは、29日<月>の夜。
これら、多分なれどの、可成りの確率にて、正解かと。
正解、不正解も、大した問題でもあらへんですが。

その、29日には、マクドナルドで、昼飯喰たら、次男家とは、サイナラしてて。
理由、嫁の実家、伊勢に向かうが故で。
よて、29日の夜には、次男家居てませんです。長男家のみ。

での、嫁と話をしてて、モ遅いし寝るかと、申したが、誰かは、全くの覚えてませんですが。遅い、云うたって、零時頃。多分。
当方なら、大体が、真夜中、2時、3時、なれどの、自宅で、なら、なと。
出先なりでは、そんなにも遅くまで、よ、起きてませんです。22時、23時頃には、モ寝ると、寝てしもて。

いやね。
パソコンでもするなら、起きてるですが。何もせずでは、睡魔に襲われて。ウツラ、ウツラと、なてもてね。
オッとの、当家のが、集まってる時には、原則、パソコンなるは、片脇に置いたままで、触れませんですが。そらな、孫共の相手もしてやらんとと。あちらが相手して呉れるの間になと。
その内には、相手にして呉れんよになるは、承知してるです。まあ、小学生の間でして。中学生になれば、怪しくなりての、高校生にでもなてみい、友達と遊ぶ方がで、年寄りなんか、無視されるです。多分。
そなって欲しくは無いですが。

いやね。
その事、思えば、いつか、申すべきは、友達は選びなさいと。
実際には、その手、ええ子から、選ばれるのよに、成って欲しく。
そらな、高学年になれば、友達の良し、悪しで、決まると、申して、過言で無くて。
原則、類が類を呼ぶです。

オッとの、嫁との話をしてるですが。
いつの間にやら、9年、12年と、経ってもてね。長男、次男が、結婚して。
まあ、詰まり、嫁とも、9年、12年経ったと、云えて。
ともなればの、次第、次第に、慣れて来てね。お互いに。多分ならな。

そらなあ、結婚した当初には、この年齢の女の子となんか、話するの機会あらへんでして。
そらなあ、周囲に居てませんでして。
オッとの、トトトの、嘘やで、居てるなと。
四国、香川、仁尾の義姉の義理の姪が、嫁共と、次男と、同年やった、なと。要は、この、4人、学齢一緒。妹家、姪は、長男と、生まれ年一緒やった、なと。

されどの、四国の義理の姪も、妹家の姪も、ある意味、女の子的、感覚で、見て無くて。ンの、ならばの、どんな具合にかと、なればの、何やろねえ。
イヤ、いつまで経っても、何ちゅうかの、赤ちゃんと、までは、云い過ぎの、表現、難しくの、我が子とも、思ては無いの。それは、当たり前の話の、まあ、云うたら、小さい時分のままの印象でして。強いてなら。

それと、嫁とは、全くの、感覚的、印象的、異なるです。
まあ、云うたら、完成品の女の子。そらなあ、小さい時を知らんわと。性格も、癖も、諸般、皆目の、でして。初対面の時から、どんな子かと、暫くは、手探り状態。

いやね。そらね。
初対面の時から、当方の許容範囲には、軽くの入ってまして。
表現的に、ならばの、この子なら、結構なると。そこらの、何ちゅうかの、箸にも、棒にもの、どしょも無いの、子で無くて。諸般、諸々の、考え方なるが、コレ又、全くの相容れずの、コマツタな。
では、あらへんでして。
簡単には、顔から、体型から、動作からの、何から、何まで、万事、コマツタな。
では、無いの意。
さりとての、飛び切りの、超の美形、美人で、女優みたいなので、会うだけ、顔見るだけでも、緊張してしまうも、困るですが。

気楽にねえ。
その気楽にが、当初には、なかなかに出来んでねえ。
何の話をと、相成って。イヤ、したいの話ならばの、山程あるは、あっても、きっかけが。改まっての、するの話でも、あらへんでして。

いやね。
その山程あっての、改まっての話なるを、次第、次第に、しんと、なと、成って来てまして。しんと、なも、そんなには、機会あらへんでして。
コレ又、しんと、なと、なって来てるの、理由、超の簡単の、当方の年齢が大いに影響してるです。

実は、この辺り、甚だの難しく。
そらね、我々の時代と、当世とは、違うわと。又、親戚縁者との、繋がりも、希薄になって来てまして。
まあな、親戚縁者の事、詳しく知って、ナンボの値打ちもあるですが。

当方なら、昔には、皆、近くもあっての、諸般の内情、承知してて。
当方、従兄弟の中では、最年長もあっての、相談でも無いけれどの、頼りにされてたのか、伝え聞いたり、してまして。こやし、あやしと。
その従兄弟達も、1人、2人と、亡くなってもてね。
ンの、それとは、関係無いけれどの、要は、柴田家の事、当方承知の範囲を次ぎの世代に伝えたい、なあと。
まあな。
コレ又、伝えて、ナンボの値打ちがあるですが。つくづくの、難しいなあと。

トトトの、それでや。
話、ころりの、当家、柴田家、基本、金銭的、ノー天気と、申してるですが。
まあ、云うたら、金銭には、縁遠く。

申してるです。
そもそもがの、当家、祖父。
ンの、このルーツなるが、今一、明確で無くて。丹波篠山から、出て来たと。とは、事実かが、わからんでして。
只、京都で、大成功致しの、家屋敷、何軒も所有。商売なるは、染料屋で、当時、明治の時代に、着倒れの京都で、ドイツ製のを、扱いまして。
とは、祖母、叔父達から、聞いてるですが。
くれぐれもの、丹波の篠山は、冗談的、叔父からの話でして。ズと、京都かも、でして。

只なの、親友。
多分なら、推定の、生まれ故郷から、一緒に出て来たの、でして。姓も、名も、聞いてませんですが。聞いてるですが、それが、その方であるの、確信が無く。当方に。
とりあえずは、連帯保証人として、実印一発、破産。

多分なら、親友であるに、変化無くて。
現墓地、「東本願寺祖廟」に、一緒に入ってもてね。
そらねえ、祖父は親友も、子々孫々、親父であり、当方、又、その息子、孫の代にも、成らずともの、元々が、赤の他人でして。それが、一緒に墓には、後生、困るの事よと、祖母が、決着付けて呉れたですが。
まあ、云うたら、他家の方、墓から、出て戴いたです。

いやね。
祖母、自身が、死ぬまでには、決着をと、申してまして。
当方的、意味、わかったよな、わからんよなの、わからんでして。そらねえ、諸般、話、バラバラに聞いてまして。
次第、次第に、嗚呼、あの事かと、一本の線で、繋がったは、後年。

それまでには、一度だけ、なれどの、その入ってたの、親友の、親族の方と、墓地で、バタリと、会おたです。多分なら、当方、小学生か、中学生の頃でして。祖母と、一緒に墓参の際でして。
その時、祖母、当方に申すに、その件、背景をで、死ぬまでには、決着をと。

イヤ、その墓地の権利、墓石なるは、柴田家の、でして。名義でして。
それを、現在唯今、当方が継いでるですが。
その墓石そのもの、結構、古く。「柴田家」と、してあったですが。古さより、祖父以前の、代からの、かと。

いやね。
祖父出生の地より、移動したのやろか。とは、勝手に思てるですが。当方は。
その墓石が、欠けて来てね。兎に角、古い故。
よて、過年、昭和59年<1984年>、新調したです。当方が。

いやね。
祖父の方の話、出生なるが、今一、曖昧。
反面では、祖母のが、或る程度、明確。
そらな、祖母本人より、時折には、聞いてまして。当方、質問するが故での、まずは、滋賀、彦根の出身で、何かにつけての、滋賀の事をば、江州<ごうしゅう>、江州と、申してたですが。

いやね。
代々、御殿医であったと、聞いてるです。
その祖母の、又、祖母なるは、井伊直弼の、孫娘と、同級生と。
同級生ねえ。
一緒に勉学に励んでたと。へえと、大したモンやと。

での、ででの、結果的、祖母、長女で、妹2人の、要は、三姉妹が、皆、京都に嫁いでまして。
その経緯なんかは、知らんでねえ。聞いてもいてませんでして。後年、ンと。何でと。親元、里の状況はと。思えどの、そんな事、祖母健在の時には、考えも、してませんでして。
ここ最近になって、ハタと。
の時には、聞くの祖母、遠の昔に居てへんなと。
とは、云えどの、祖母、当方承知の範囲でならばの、滋賀に行った事あらへんです。
そもそもが、京都以外と、なればの、娘であるの、叔母の嫁ぎ先の、当時には、大阪、梅田、淀川の方のみ。
オッとの、こんな話、するの積もりで無かったですが。
(19/05/10)


NO.2655 10連休の話(8) 万事、別世界に存在の話

いやね。
過日、多分なら、5月の6日の、月曜日。10連休最後の日。
ンの、何の日哉と、カレンダー見たら、子供の日の振替休日ですて。へえと。

いやね。
その日、コウモリ対策したです。嫁はんと。
いやね。
何故か、両隣には、住み付かんですが、真ん中の当家の、ベランダ、物干しの場、なれどの、床に糞。
よて、ベランダのどこかに、生息と、思うですが。わからんでして。わからんがままに、とりあえずは、駐まれそな場所をプチプチと、スポンジで、塞いだです。当面の処置としてで、それで、様子見するかと。
で、4日が経つですが、糞は発見してませんです故、相応の効果あるの哉と。

いやね。
その10連休の間、但し、長男嫁が子等と共にの、実家に戻ってるの間の、5月1日、2日には、その2日を掛けて、長男、我が愛車カローラを、本格的、磨いて呉れたですが。
基本、外回り。
内部なるは、汚れてまして。

いやね。
正直申しの、後部座席の足を置くの辺りが特に、酷く。
いやね、原因承知の、芋煮会の送迎の時でして。以外に、後部座席に、人乗る事あらへんでして。
何故に酷く汚れてるかは、明白の、過日の、芋煮会では、作業終了後に、雨降って。靴が汚れた故、泥附着。
イヤイヤ、駅、帰りは、亀岡駅に送ってるですが。その時には、土砂降りでして。

いやね。
正直、申しの、新車なら、雨の日には、重々の注意するですが。何分の、2003年でして。買おたのが。
外回りも、黄砂なり、花粉で、ドロドロの、コビリ付いててね。洗車も余りしませんでして。
がしかしの、長男磨いて呉れて、新車並は大袈裟も、ピカピカになてもての、嗚呼、内部も、掃除をと。特には、後部座席、足場の敷物の汚れをと、本日<5月10日・金>には、鋭意決断の、実行したです。
結果、内部も、相応にと。結構なると。


オッとの、でや。
ここまでの話、多分なら、息子共にも、した記憶があらへんですが。当然の、嫁共にも。
上の叔父の話、当家、丹波篠山からは、真相不明。
但し、過去帳の一番手、曾祖母でして。但しの、但しで、曾祖父が、記載されて無く。
理由なら、祖母より、聞いてるですが。当方、当時、ええ加減に聞いてましての、多分なら、ある日、突然、行方不明になったと。へえと。
イヤ、別段の、ええ人出来ての話で無くて。家人に、何も告げずに、困った人やなと、だけの話で、当方、適当に、納得してて。

その曾祖父の職業を聞いてませんです。
それこその、丹波篠山で、百姓でもしてたか、既に、当家本籍地の、綾小路大宮丸屋町に住んでたかを。
いやね。
聞いてるの範囲の、一代で、大成功も、ほんま怪なと。
亡くなったは、昭和20年<1945年>の終戦の年で、69歳。場所なるは、当方、生まれ育ったの、仏光寺の油小路の、喜吉荒神町。
いやね。
これは、正確で、事実でね。聞いてるの範囲、過去帳からも、事実。

祖母からは、トイレで亡くなったと。へえと。
原因、よ、覚えてませんの、心臓発作か、頑張り過ぎての、脳溢血かと。とは、当方、推測。

一代で、云々なるは、借家を何軒もで、親父には、お付きの女中さんまで、居たと。
は、事実で、皆の話、一致してるです。
まあ、云うたら、祖父の一番の、ええ時期に、親父誕生で、育ったです。よて、おぼっちゃま。
も、事実で、気は優し過ぎての、喧嘩もせずの。おまけで、自転車にも、乗れず。

オッとの、当時に、車を所有なんか、結構なるの、小金持ちの事でして。只の庶民には、無理、ムリ、無理の、無理難題の、当方、ご幼少時代に、町内で、車所有のなんか、一軒のみ。商売で、トラック。
コレ、卸の、砂糖屋。

オトトの、気が優し過ぎての、云々も、実は、内弁慶的であったか、妹、弟達からの、評判悪く。
まあ、簡単には、長男として、尊敬されてませんでして。
これは、当方的、常に感じてたですが。
イヤイヤ、その叔母、叔父達からは、当方、可愛がられてたと、するのか、大切にされてたは、実感してるです。嫌いな兄と、当方とは、別者であると。
別者ねえ。それは、事実なれど。

いやね。
祖父がイツ、何歳の時、実印一発、保証人で、破産したかは、聞いてませんでして。しもた、なあと。
がしかし、祖父他界なるは、親父、36歳の事かと。

イヤイヤ、そもそもがの、着倒れ、呉服の京都で、新参の染料屋がまかり通るの怪と。
いくら、ドイツ製染料を扱おたと、云えど、です。
まあ、無理難題の、競争相手も居たやろしと。それで、一代で、財成すは、相当なるの商才で、努力したに成るですが。矢張り、曾祖父の代からと、考えた方が妥当哉と。
とは、あくまでもの、当方の超推測なれど。

まあね。
本気で、調べるならばの、祖父の、戸籍謄本をば取得すれば、でして。
されどの、その代で、既に、本籍地を丸屋町にしてるの可能性あって。

トトトの、こんな話、するの積もりで無くて。
アルバイト三昧の、学生時代にでさえ、金貸して呉れと、頼まれたら、あっさり、貸してたの話をしたかったです。
とりあえず、金銭に、ノー天気でね。

最初に貸したは、大学の、2回生の時かと。
既に、申してるの、誰と、申せば、堀川高校の同級生の、アキラ君。
突然に我が家にで、一浪して、京都大学農学部に入ったと。で、麻雀で負けてと、千円貸せと。さよかと、貸したですが。その際、質草として、腕時計を渡しておくと、申すが故、多分なら、千円は貸して、質草預かるは、断ったかと。
その心なるは、預かって、紛失でもしたら、大変でして。保管に困るわと。

での、その千円、返ったかは、失念してるです。
その心なるは、返らんでも、宜しいと、考えての、貸しでして。
その事、過年の、堀川高校同窓生に寄るの、伊勢旅行の際、申したら、完全に忘れてまして。当人が。
さもありなんの、貸した方、記憶も、借りた方、忘却が、当然かと。

まあね。
千円でして。
千円も、当時の故、当世の、価値的、7千円から、1万円見当なれど。
まあな、記憶してるだけで、今更の、返せとは、思ては無いわと。

それなら、これは、誰とは、申さんの、就職してから、なれどの、大学時代の同窓生より、二度、三度と、金額記憶の、一度が、5千円也を貸して呉れと。
就職してるが故、5千円なら、貸せるですが。回数、複数回では、一寸なと、思えどの、まあなと。
イヤ、当人、申すに、必ず返すの、チャンと、手帳に、記録してると、云うてたですが。
これは、戻って無いは、事実。
なれどの、これも、返るとは、思てえへんでして。只、回数貸してる故、チャンと、返せよと、釘刺したも、覚えてるですが。

イヤ、この件なるは、当人にも、一切の、伝えてませんです。
必ずや、失念してると、思てる故での、覚えてたら、先方より、こんな、あんなと、申すやろと。申さんが故、遠の昔に忘却也と。
又、今更の、返して呉れも、変でして。借用書も書いてもろてえへんしと。

いやね。
大学生時代の、千円なるは、伊勢旅行の際、当人に、告げたですが。これは、金額的、まあなと。告げても、角立たず。
されどの、就職してから。
とは、云えどの、5千円、一度なら、なれどの、複数回となればの、当方的、可成り、辛く。
そらねえ、初任給、335百円の時代やでと。

オッとの、くれぐれもの、これも、今更の、返せ。
とは、思てえへんです。複数回と、だけで、正確に、何回と、までは、記憶せず。
思てたら、遠の昔に、告げてるわと。

いやね。
これが、一桁、二桁でも、違てみい。一桁が限度ぎりぎりで、二桁なら、よ、貸さんわと。
そもそもがの、突然に、云われて、そかと、簡単に、調達出来るの額で無く。
オッとの、一桁でも、当時、約の半世紀前では、逆さまにして、降っても、チカラ一杯、絞っても、全くの、どもならずの、出て来やへんわと。

そらね。
当方、24歳で、親父、実質的、家に居らずの、結核で、強制隔離入院<宇多野病院>。
我が家、借家で、壊れ出しの、槇島の家、買うは結構の、以来、ズと、住宅ローンでね。
イヤイヤ、母、妹と一緒にで、一家養うの、立場でね。
にしては、結構、自由奔放に過ごしてたですが。

いやね。
イザ、結婚するにも、貯金なんか、してませんの、ありませんの。
申してるの、金銭的、ノー天気故。
それでも、チャンと、正式にの、結婚式も挙げて、新婚旅行にも、行ったです。
但しの、金無いしで、伊豆止まり。

てな話も、一度はしたいなと。
嫁共に。
息子共にも。
とは、云えどの、そのきっかけがと。
あらへんなと。
そもそもがの、雑談してる時には、その雑談に集中での、その手の話、別世界に存在。
貸した、返してもろてないの話も、同様の、万事、別世界に存在。
(19/05/11)


NO.2656 10連休の話(9) タカシ君のお孫さんの話(東京大学医学部合格)

いやね。
本日<5月11日・土>、「芋煮会」でして。
諸般、農園主に、過日の御礼。要は、車を駐めさせて戴いたのと、その時の訪問客より、山菜を戴き、天ぷらにして喰たら、馬勝った、牛負けたで、ありがとう、ございますと。
申したならばの、ンの、何かあった怪と。

あのなあと。
とは、申さずの、過日の超の大型連休に、獨鈷抛山千手寺に参拝するしと、駐車場に車を駐めさせてもろたやんかと。
当家10名様、車2台でと。
嗚呼、そやったなあの、忘れてたと。

あのなあと。
とは、申さずの、その日、当日も、声掛けたら、ンの、何やったと。嗚呼、忘れてたと、云うてたなあと。そやった怪と。
での、畑作業なるは、タマネギの、雑草取りと、サツマイモの植え付けでして。結構時間掛かったですが。
又、天気も、良過ぎてね。カンカン照りで、暑うてねえ。

終わって、皆は、酒宴。当方、ノンアルコールのビールなりと、適当なるの、喰いモノ喰てたら、千手寺は、どやった怪と、問うが故、話、主要なるの箇所のみ、申せばの。
イヤ、過年には、その水で、目を洗うと、目が良く成ると、伝わるの、御神水なるが、本堂の横手にあったですが。その辺り、工事中で、幌被せてあってねえと。

よて、住職に、どすればと、尋ねるに、建屋の呼び鈴、ピンポンの、パンと、慣らせば、出て来たの方、ンの高齢の方。
出て来て、当方質問には、嗚呼の、あちらの、手水の水なるは、一緒の水ですと。
嗚呼、そですかで、話は終わったですが。

いやね。
過年、我々、芋煮会の面々にて、登った際には、中年住職と、そのお子さんが居たですが。
要は、年齢の違うの、住職がと。
申せば、嗚呼、その人、80歳くらい哉で、実は、中年住職は、離婚してもてなあと。そのお子さん、連れて、出てもたなあと。へえの、そですかと。

での、話題別途の、特報あって。
当人からに非ずの、別途の方から、タカシ君。
とは、ロームに同期入社で、彼、一浪、一留故、2歳年上なれどの、同期故、君と。
とは、掲載上の事での、実際には、苗字で、呼び捨てなれどの、タカシ君、同志社大学機械工学科出身。
更にならばの、寺の住職。
嫁はんからは、ペーパー坊主と、云われてるですが。
イヤ、社内恋愛故、当方、嫁はんをば、重々の承知。

いやね。
その、タカシ君の、お孫さんが、何と、、まの、東京大学医学部に入ったと。
聞いて、へえの、ゲの、凄いなと。
での、タカシ君申すに、一浪や、けどなと。一浪でも、二浪、三浪でもの、東京大学の医学部ともなればの、日本屈指以前の、一番の最難関やないかと。大したモンやと。
とは、当方の言。

での、モ一発。
当方、申すに、鳶は鷹の子を産まんと。
意味なるは、鳶が鷹の子産んだと、揶揄の諺あるですが。間違いであると。
鷹は、突然変異的で無くの、その親なりが、世間的、凡人と、されてるはあっても、それは、当人自身が、鷹であるを、知らんのダケと。

モと、申せば、基本、遺伝であると。
オッとの、勿論の事、鷹として、成長した子の努力は当然の、その素養無くして、鷹として、育つのモンかと。
IQ、当世、偏差値と、称してるですが、コレ、遺伝的要素也と。
但し、知能なるは、女系。つまり、母親からで、性格は、男系、父親からと。とは、世間の定説なれど。
やからと、まるきりの、低脳の、父親では、なと。或る程度は、なと。素養がと。
まあ、つまり、タカシ君の知能悪いと、東京大学医学部に合格出来るの、ンの、それ、男の子怪、女の子怪の、男の子ですて。へえと。

当方、詰問、続くの、ならばの、小さい時から、相当の学習能力であったの怪と。
いやな、わからんの、小さい時には、一緒に寝てたと。へえと。爺様と怪なの、左様と。まあ、正直、ええなあと。
余計なるの話の、当家、孫娘も、来たり、行ったりしたなら、孫娘と、一緒に寝てるですが。寝て呉れるが故。
トトトの、雑魚寝で、でして。
寝るの時間帯違うが故、当方、踏まぬよに、細心の注意払いの、部屋に入ってるですが。そらなあ、正直、寝相悪く。孫娘が。
時折には、目が醒めての、見たら、布団から、出てもてての、風邪引くが故、被せたり。被せても、又、出てもての、困ったの孫なれど。
とまあ、そこまでの話、してませんですが。

いやね。
タカシ君、曰くに、勉強の出来具合、知らんけれどの、頑張り屋さんやった、なあと。
へえの、サヨかと。
で、当方の話、そこから先はしてませんですが。我が孫娘も、頑張り屋さんでして。イヤ、ほんと。
珠算、現在唯今、検定で、2級。塾では、準1級の練習してるですて。へえの、さよかと。大したモンやと。
にしてもの、イツまで、珠算の塾通い、するの気怪と、尋ねたならばの、親の方に、なれどの、小学生の間と。フウンと。

いやね。
当方的に、ならばの、珠算塾に通わせるは、重要。
コレ、数字の感覚、計算能力養うに、効果、効能有りと。
そらねえ、諸般の数字を出されの、その細かな計算までは、不要の、暗算、目算、感覚的、嗚呼の、この程度の数値になるなあと、瞬時、わかると、わからんでは、圧倒的、違うわと。

まあつまりの、算数、数学でも、計算するまでに、大凡の見当付けられるです。
まあつまりの、正確に、計算の結果、大幅に違てみい。どこかで、計算ミスしたが、自身、わかるになるです。

話、ころりの、この話、超の大型連休の時の、なれどの。
嫁当方に、問うに、お義父さんはと。イヤ、珠算の話。
いやねえ。
当方、珠算塾に、通たは、1年間のみでして。
止めるの時には、2級練習してたの哉の、まあな、1年で、2級練習なら、上達早いと、自負してるですが。

での、先生に、止めるの事、伝えたならばの、そかと。
ついては、直近の、検定試験なるは、4級故、せめてもの、検定受けよと。4級なれどと。云われてねえ。
そですかと、当時、イヤ、今でも、そと、思うですが。西大路通りの、西京高校。後年、堀川高校の、姉妹校であるを知ったですが。要は、基本、堀川高校なるは、普通課程<進学>で、西京高校なるは、商業課程でして。

いやね。
当方、堀川高校に進学したの頃には、どちらにも、普通課程と、商業課程があったですが。
2年生に成るの時、分離されたです。堀川高校は、普通課程で、西京高校は、商業課程と。
いやね。
その上で、普通課程の方が、若干の、競争率高く。

とは、あくまでもの、後年知ったの事での、兎に角、西京高校え、検定試験受験に行ったです。
当たり前だの、クラッカーの、1人で。
まあね。市内故、市電<当時の事>一発、行けまして。

孫娘が、三級であったの哉の、試験受けには、家から、遠く故、偶々の、長男夫婦が、ハワイ旅行中でありの、且つは、台風襲来が故、帰国が一日遅れてもてね。
の当時に、バス、電車を乗り継ぎましての、試験会場えと、孫共3人連れて、行ったなと。
残念乍らの、その検定試験では、不合格。
されどの、当人には、良い経験になったと、思てるです。

いやね。
当方にしたって、多分ならばの、小学の5年生の頃でして。西京高校に、検定試験受けに行ったがで、産まれて、初めての、試験でねえ。
イヤイヤ、その雰囲気に、押し潰されると、申すか、緊張しまくったを、覚えてるです。
まあな、2級練習してての、4級でして。軽くは、どか知らんの合格したですが。

いやね。
合格で、金属製シールを戴きまして。4級検定試験合格の。
そのシールは、ソロバンに貼るのモノでの、貼って、後生大切にしてたですが。そのソロバン、どしたの哉と。
遠の昔に、無くなってもてるです。しもた、なあと。


オトトの、話戻しの、タカシ君のお孫さんの事。
そらねえ。
一浪であれ、東京大学医学部合格ならばの、大いに自慢して頂戴なと。

当方の孫共の、どれでも結構の、医学部で無くともの、東京大学で無くとも、結構の。
当方的に、ならばの、関西の大学で結構の、長男家なら、神戸には、神戸大学があるわと。京都さには、京都大学あるさと。
受かって呉れてみい、拡声器で、声張り上げ、町内会隅々に、我が孫がと、宣伝しまくるわと。

トトトの、実際には、そんな事、スピーカー、ブラ提げ、声張り上げるは、よしやへんけどや。
大宣伝、しとも、なるやろ、なあと。
その頃の、大学の事、わからんですが。まあな、そんなには、変貌してへんやろと。
その手、名だたるのが、評価ガタ落ちになたり、廃校になったり、統合なんかは、なと。
そらなあ、半世紀昔の、評価と、当世で、違い無く。
(19/05/12)


NO.2657 京都駅界隈の駐車料金はボッタクリ価格の話

いやね。
本日<5月12日・日>、墓参と、靴屋、屋号、「フット・クリエイト」に行くの積もりしてたですが。
諸般、靴屋は、京都駅近くで、駐車場の問題がと。

いやね。
この界隈、このところ、矢鱈、料金高騰で、30分500円とか、20分400円とかに、なっててね。
下手に、車で、行けませんでして。

がしかしの、アパ・ホテルの横手の、立体駐車場のが、30分100円也での、破格の低額故、そこが、空いてたら、儲けものの、駐めるが出来るですが。
コレ、当然の、知る人ぞ、知るの駐車場であったのが、周辺駐車場の高騰にて、目立ち出してもてね。
過日、過月、昨年末であったかに、行けば、大入り満車で、断られ。
嗚呼、思い出したです。
昨年11月の、立命館大学の、同期生の、少々早めの、ボー年会。早めにしたの理由、エイジ君が、なるべくの、早くにして呉れと。さもなくばの、諸般、積雪等々<とうとう>で、飛行機飛ばず等々<などなど>の為、行けんよに、成るの、返るが出来んよにも、なりての、11月中にと、申すが故、そかと。

いやね。
当方幹事でね。しかるべくの、開催したですが。「酔心」にて。
その時、幹事さんにと、住所、氏名、電話番号登録にて、「酔心」グループの、3千円券呉れたです。但し、年内と。へえと。

イヤイヤ、よて、年内にと。
その駐車場が空いてたら、なと、行ったですが。残念無念の、先の通りの、大入り満車で、3千円券使えず。
でしたです。
そらねえ、3千円券のため、30分、500円とか、20分400円の駐車場に駐めてられるかと。オッとの、正確なる、料金わからんですが。当たらずとも、遠からずの、高額でして。
それは、正午辺りでね。着いたが。

よて、午前中にはと。
そのためには、墓参ねえ。
先月、4月には、二度行ってまして。月初めには、我々夫婦だけで。
イヤ、大体は、嫁はんとは、月初めに墓参してまして。
先月なるは、それと、モ1回、超の大型の10連休の、4月29日<月>、長男一家と、一緒にと。
それで、充分と、思てたですが。嫁はんが、墓参も、云々と、申すが故、そかと、同意したですが。それなら、可成り早めに、家出ん事には、靴屋にも、行くに、時間的にと。安い駐車場に駐められへんでと。

とかとか、申してるの間の、その当日の、本日。
諸般の、諸般で、墓参してたら、靴屋には、間に合わんなと。靴屋と、するよりは、安いの駐車場が。
との、判断にて、靴屋だけにして、出発にての、11時頃、その駐車場には、到着で、管理人に尋ねたならばの、空いてると。へえの、結構なると、表示を見たら。
ンの、ンンの、30分300円也。
へえの、イツからかと、問えばの、先月から、ですて。フウンと。

管理人曰くに、周辺の状況より、お付き合いをと。
まあな、それでも、安いです。安いけれどの、値、一気、3倍怪と。
云うたって、その管理人なるは、所有者に非ずの、単なるの、でして。多分。
イヤ、従前の、管理人とは、代替わりしてまして。
どちにしろ、今更でして。高いなと、引っ返す訳にもでの、駐めたですが。

そらねえ。
諸般、この料金では、ゆっくりとも、してられんです。
さりとて、折角故、烏丸七条の、「東本願寺」にも、参拝しとこかと。とも、成るし。昼飯も、折角故、「京すいしん」<「酔心」の隣>にて、喰うかと、成るし。
嫁はんなら、折角故、仏壇用のハタキ。掃除道具もと、成っての、そらな、本家、「東本願寺」でして。正面の方には、仏具屋一杯。

とかとか、当然の、靴屋が大本命の、コレ、嫁はんの用事。
要は、足に優しいと、するのか、歩き易く、腰に来ずの、でして。既製品に非ずの、あつらえでして。あつらえたって、主たる、中敷きが、でして。
このあつらえの、中敷きが、高く。
当世、ハイカラに、インソールと、申してるですが。中敷きの事。

いやね。
靴そのものも、1万円では、無いの、1万5千円程度からで。その中敷きこそ、寸法計っての、あつらえで、造りの。それが、何と、まの、2万円見当での、当方的、ゲゲゲのゲ。

当方も、ここのを、二足持ってるですが。
一足は何年経つかの、3年程やろかで。モ一足、10年程が経つのかの、この、10年程の、古い方のは、下手してねえ。
下手は、これ履いて、町内会の、大運動会に出てねえ。且つは、綱引きに参加で、アホやねえ。当方が。
お陰様で、一発、底、破れてもてね。
ボンドで、くっつけ、補修したですが。これが、常の用ので、新調のは、余所行き用にしてるですが。
<参考=「単なる雑談NO.160」NO.1864 古希、北海道旅行の話(52) 「北海道大学」の話(2)

とりあえずは、中敷き不要の靴。
まあな、そこまで、いらんと。歩ければ、宜しいと。当方は。
とまあ、当方なら、2足で、事足りてるです。

まあね。
その手、当世、下手したらの、5万円とかとか、値、してるですが。
歩くに、腰が等々、ありませんでして。当方は。
やのに、運動靴、これは、5千円程度ので、ボロと、綺麗なのの、2足と、まあ、云うたら、背広なり、礼服着るの際、履くの、革靴所有してるですが。一応は。
オッとの、つっかけも、あるですが。

いやね。
とりあえず、アパ・ホテルの隣の、駐車場に駐めて、そこから、どれ程哉の、300メートル程やろかの、「フット・クリエイト」にで、嫁はん、予定通りに、靴新調。

まあね。
早くに決まりで、ではと、「東本願寺」に参拝致しの、人なら、左程に、なれどの、それでも、外人の多さに、へえと。
本堂に上がりの、手を合わせの、合掌致し。
何を念ずるかと、なればの、我が家族、10名様の名を連ねの、万事、宜しくと。

ででの、「東本願寺」は、烏丸通りの、西側での。東側には、仏具屋での、その一軒に、適当に入りの、ハタキはと、尋ねたならばの、値、モノ、ピン、切り。
薦められるがままに、上等のに決めて。
イヤ、下は、ン百円也で、上は、三千と、ン百円也の、鳥の羽根ので、仏壇に優しいですよと。
云われたら、それにしんと、ショガナイなあと。

買おて、さての、12時15分頃、その烏丸通りの、梅小路の手前。「ヨドバシ・カメラ」の向かいの、話簡単の、「京すいしん」えと。
まあな、客、まあまあの、席なら、充分空いてたですが。
片脇、満席の方、見たならばの、ンの、外人ばかりで、へえと。
それも、何ちゅうかの、国籍、多分ならばの、バラバラでして。白、黄色。
正直申しの、五月蠅あて。あちの方に案内されたら、大変や、なあと。何語か、わからんので、横手、後方、斜め横等々、やられてみいと。

での、ででの、精算の時が、ほぼの、一緒になてもてね。
あちら様、終わるまで、待つかと。様子見してたら、ンンの、皆様、精算せずで、外に出てもてね。
イヤイヤ、喰い逃げに非ずの、団体さんみたいでね。

会計の子、妙齢の美女にその事、確認の、あれ、皆、団体さんですかと。ハイと。へえの、矢っ張りねえと。
にしてもの、案内の方、中年と、申せば、少々失礼になる哉の、女性なれどの、何人<なにじん>やろ哉の、顔だけ見てたら、日本系なれど、です。
何語喋ってるか、までは、感知せずの、そらな、一々の、聞き耳立ててませんの。
どちにしたって、こんなに国籍バラバラのを、誘導、案内も、大変や、なと。

での、昼食喰い終わりの、精算も、しての、そのすぐの近くでして。駐車場が。
その精算、1200円也の、要は、2時間の手前。
以前なら、400円やでと。それが、一気、3倍でして。
当世、下手に、車で、この界隈は、駐車料金、ぼったくりに遭遇かと。

さりとて、電車、JRねえ。
並河駅から、京都駅、1人片道、420円也。夫婦2人でなら、往復で、1640円かと。
その替わりに、時間、気にせず、過ごせるですが。
その替わりに、電車の時刻があるし、座れる哉も、あるし。駅から、我が家えの、歩きもあるし。
ムツカシイねえ。
(19/05/13)


NO.2658 単なるの雑談2件の話<大金持参の爺様と、紙幣破ってもたの話>

いやね。
ボチボチの、沖縄旅行。先月、4月14日<日>から、16日<火>の続きの話をしたいですが。
なかなかに出来ず。
とか、云うたって、当方の気持ち、気分だけの話なれど。
とか、云うたって、その気に成らんの事にはなと。とするのか、気が乗らん事には、話するに、難儀。

いやね。
本日<5月13日・月>には、諸般の野暮用、雑用、山程には無いですが。内の2つ、2件のみ、したく。
いやね。
まずは、1件目の、郵便局えと。
これ、1キロは無いですが。車では、駐車場所に苦慮で、運良ければ、なれどの、所詮は、郵便局前に駐められるは、3台のみ。
その気なら、近くの、キリン堂、ファミリー・マートの大駐車場あって。そこに置いての手もあるけれどの、正々堂々とは、駐められずでね。少々、後ろめたさがあるが故、基本、郵便局えは、徒歩で。

いやね。
「Joyful」の配当金が入るです。配当金は知れてるの、ン千円也での、ここは、株主優待券、半年12000円也が目的でして。
お陰様で、贅沢させて戴いてるです。外食で。
オッとの、その配当金を受け取るに、郵便局えと、テクテクと、歩いて、参じたですが。
その用件、そのものは、簡単でして。すぐにも、終わるですが。

いやね。
待つは、1分、2分なれどの、その間に、高齢の爺様、入って来てね。80歳は、軽くの、半ば哉の方。
何で、その方の話をするかと、なればの、イヤ、全くのどこの方かは、知らんの赤の他人で、町内会でもあらへんわと。

いやね。
手元見たら、ポリ袋、それも、透明ので、ンの、万円札が。
イヤイヤ、その束、量、鷲掴みで、軽くの、ン百万円はと。ンは、「5」か、「4」ではと。多分。
いやね。再度申すの、透明の、ポリ袋やでと。中、丸見えの、少額に非ずの、鷲掴みやでと。へえと、金持ちやなあと。
されどの、正直申しの、この爺様、危ないでと。当方、悪人、盗人やてみい。されどの、残念無念の、車で無くて。ンの、この爺様が、何で来たかは、知らんですが。
車でか、歩いてか、家人の運転でか。
家人の車で、運転でなら、付いて来るやろなあと。額が、額故。

イヤイヤ、局員との話、丸聞こえの、どされますか。普通貯金に。では、金額をこの用紙にと、記載してたですが。えと、ン百万と。矢っ張りかの、にしたって、金額、口にする怪の、自慢しいかと。
少なくともの、局内に客当方1人居てまして。
とは、申せどの、入金でして。出金に非ず。
まあな、通帳持参も、キャッシュ・カード、判子までは、持って来てへんやろの。にしたって、何かあてみい、当方、居てるは事実の、重要参考人として、質問受けるも、迷惑ぞと。

いやね。
当方も、ここまでの、人生で、一度だけ、高額、万円札、400枚か、500枚の筈のを、当時、大和銀行にて、受け取ったです。
話簡単の、槇島の家、買うがための、住宅ローンが、口座に振り込まれてね。
いやね。
実は、槇島の家、当たり前だの、クラッカーの、中古物件でして。前の所有者が、現金で、受取りたい。
との、要請にての、仲介の不動産屋、2名様と、一緒に、銀行えと。

イヤイヤ、当方、24歳の時。
銀行の紙袋に、その金額入れて。手渡しするべくの方、近所の、何ちゅうかの、料理屋と、するのか、家族と、共にの、食事をしてて。
イヤ、会うは、それが最初で、最後なれどの、立会人2人と、共にの、手渡したですが。
その金額、受け取るに、袋に入れるに、持ち運ぶに、手が震て、ねえ。
震てるは、わかるの、自覚してるの、コマツタなと。

いやね。
今までの、人生で、その金額、まともに見る、持つは、それが初。以降も、現在唯今まで、あらへんですが。
そもそもがの、高額現金なんか、持ち運ぶの用事無く。

いやね。
前の所有者の年齢、多分なら、当方と、ほぼの一緒で、既に、結婚で、嫁はん、子どもさん二人居たの哉と。
イヤ、その場に家族全員、居てたです。会おて、見ての、へえの、若いのにと。大したモンやと。

そらね。
この歳で、結婚してての、子どもが2人で、家持ちでして。甲斐性あるなあと。
多分なら、槇島の家、売って、モと、上等の家、買おたんやろと。凄い、なと。
当方なら、入社3年目の頃でして。貯金も、何にもあらへんのに、諸般の事情にての。とするのか、仏光寺の家、借家。祖母亡くなり、親父は結核で、強制隔離入院で、肝心の家、壊れ出し。
一家、母と、妹の3人して、引っ越しのための、探したの物件なるが、槇島の中古。当時で、築30年ので、当方、収入、前年度の実績に寄るの、限度額一杯一杯にての、買えるが、その家でして。新築なんか、トンでものと。

ンの、何の話をの。
その爺様も、その歳で、甲斐性あるなあと。
当方なんか、足許にも、及ばんわの、そんな現金、手にも出来ず、せず。するにも、しとても、あらへんわいと。オレオレ詐欺に遭遇すなよと。
モ一発の、当方なんか、遭遇したって、ン十万円とか、云われてみい、さあ、殺せに相成るわと。


オッとの、とととの、それでや。
実は、当家、その手、臨時収入なるは、嫁はんと折半してるです。
それも、充てにしての、計算しての、昨日の、フット・クリエイトの靴購入。嫁はんが。

その金額、折半は結構の、郵便局で、受取り、郵便局の封筒に入れての、家に帰って、封筒から、出すに、小物入れのファスナーに引っ掛かってもてね。封筒がや。
それを、無理矢理に、出すに、離すに、びりびりの、破れてもての。封筒が。
中身、大丈夫怪と、見たら、千円札2枚が破れてもてての、ゲの、コマツタなと。

とも、困ってられんの、話超の簡単の、このままでは、なで、銀行で、交換して戴かんと、なと。
即の馳せ参じたです。
云うたら、余計なる、雑用、野暮用増えてもてね。

ででの、「京都銀行」に出向きの、これは、愛車カローラで。
順番取りしたら、何ちゅかの、案内係の中年女性、その順番の、目的が、その他であるを、見てたんやねえ。
つかつかと、当方のソバに接近の、どんなご用ですかと、問うが故、斯くの、然でと、千円札、2枚がと、破ってもて、ねえと、現物示したならばの、あの、です、ねえと。
交換は出来るですが、通帳に振込になるです。通帳は、お持ち戴いてるですかと。えと、通帳ねえ。
当方的、こんなモン、その場で、即の、交換して呉れると、思てての、通帳まで、持って来てへんでして。

いやね。
案内係が、そ申すが故、そしんと、なと。そですかと、即の、家に戻りの、通帳引っ張り出しの、再度の、「京都銀行」えと。
いやね。
余計なるの話の、これは、「スーパー・マツモト」の駐車場に車でして。「京都銀行」にも、駐車場は、あるには、あるのけれどの、狭くてね。コレ又々の、3台か、4台程度で、満車、満杯なら、困るが故、最初っから、駐めませんです。

又々の、余計なるの話の、昔には、駐めてたですが。入るに、出るにも、難儀でねえ。銀行のは。
まあな、スーパーのなら、遠慮せずと、過年より。

そんな次第の、斯くなるでの。
朝から、ばたばたの、したです。銀行2度目では、汗搔いて。汗拭き拭きの、待機してたです。
案内係の、中年女性には、ありがとうございますと、御礼申し述べ。
イヤ、予めの、概要をば、窓口担当女性に告げて呉れて。
そらな、話聞いて、即の舞い戻りの、誰と、わかるわと。
このところ、銀行窓口も、タッチ・パネルで、チョイ、チョイの、効能発揮か、行内、客、2度目なるは、当方のみ。
(19/05/14)


NO.2659 卒業半世紀記念の沖縄旅行の話(11) 那覇国際通りの歩行者天国の話

いやね。
やとで、「卒業半世紀記念の沖縄旅行の話」の続きの話を致すです。
いやね。
沖縄本島のバス・ツアーで、特段の、何かあったであらへんでして。当然の、当方なら、当方なりに、諸般あったは、あったですが。
話出来るの事は、出来るですが。出来ぬ事は、出来ませんでして。
とか、申せば、何でと、相成るですが。

いやね。
1日目で、「おきなわワールド」に行ったですが。
ここでは、鍾乳洞<玉泉洞>に期待してまして。ところが、ツアーでは、此度より、それが除外で、「体験コーナー」に替わってましての、へえと。
我々、皆、意見、総意一緒で、それに、替えてもらおと、バス・ガイドに要請。
したなら、結果的、鍾乳洞を追加になって。本来700円也が、バス・ガイドが交渉して呉れての、600円也の割引料金にと。

いやね。
思うに、感じるに、相対的、入場料金、安いかと。
イヤ、他の鍾乳洞を知らんの、特段の、鍾乳洞の比較の意でなくの、この手、施設えの、入場料が、です。
感覚的、千円なり、それ以上の料金でも、そかと、納得致すです。多分。

いやね。
入って、即の、へえと、感心、感動、ビクリしたです。凄いなと。
只な、人、人、人で、押されつつでして。されどの、次第、次第に、バラけての、閑散になったですが。兎に角、中華系亜細亜人の多い事。コレ、何とは無くの、雰囲気にて、わかるねえ。
且つは、若い、アベックでして。

勝手に、想像の、結婚してるのか、新婚旅行か、婚前旅行なんか、なあと。
イヤイヤ、皆目の、でして。入場者の、大半が、その手、外人かと。
オマケで、鍾乳洞に入るを希望したは、我々7名様だけかと、思いきやの、バスー・ツアー仲間、総勢15名全員でねえ。へえの、さもありなんの、コレを止めたら、ここの、目玉、何じゃの世界でして。
ハブなんか、見て、何が面白いの怪の、エイサーにしたって、テレビででも、見てまして。

いやね。
それしか、無いなら、仕方が無いですが。鍾乳洞があるのに、見ずして、何じゃと。
勿論の事、ツアーの、日程、行程、中身、案内をば、よくよくの、ジクリの、詳細隈無くの、目を通せば、鍾乳洞は、記載されてませんですが。
イヤ、「おきなわワールド」とは、どんな場所かと、予めの、Web情報、調べてまして。多分なら、全員が。

オッとの、いやね。
そやからと、鍾乳洞も、延々の、1キロ弱の行程で、特段の、大きな変化もあらへんでして。似たよな光景、こじつけと、申せば、失礼なれどの、自然の造形物に対しの、五重塔とか、難破船とか、みがわり観音、ガジュマル並木とかとか、銘々してるのだけでして。

いやね。
ガジュマルねえ。
沖縄とか、亜熱帯の地域に群生するの、樹木でね。
特に、沖縄では、その木に、キジムナーと称されるの、妖怪、妖精、精霊的なるが生息してると、伝承されてるですが。
イヤイヤ、当方的、ンの、聞いた事、あるなあと。
ンの、妖怪と、妖精、精霊では、意味合い、感覚的、違うですが。
これを、沖縄の方が、どのよに、感じてられてるかも、知らんけど。歓迎であるのか、気色が悪いのかと。

オッとの、ここでは、絞り染めのハンカチを作成と、するのか、体験させて戴いて。
体験者、アキノリ君、ヒロシ君と、当方の三人。他は、シーサーに色塗りしたらしく。
当然の、自身の、作品として、お持ち帰り、出来るですが。

ンの、このハンカチをどこにしもてもたの哉と。以来、見てませんですが。
イヤイヤ、持ち帰ってるは確かで、もしかしたらの、リュック・サックに入れっ放し怪と。
イヤイヤ、この、絞り染めの、責任者と、するのか、店の女性。中年の、なれどの、根っから、明るくて。熱烈の歓迎して呉れて。イヤ、ほんと。
特には、先客、アキノリ君と、相性ピタリで、こちが、そんな云い方して、大丈夫哉と、心配になる程の、エラそな、言葉に、ケラケラと、応じてね。その中年女性がや。
沖縄の方、概ね、この手、性格、愛想ええののかと。


そんな次第の、斯くなるでの。
その後、那覇国際通りで、まあ、云うたら、お土産物の物色、見学致し。
当方的に、ならばの、「宮古島の雪塩」をば、十ン個買い求めの、ンの、塩で、1万円突破でね。
イヤイヤ、1万円以上なら、運送代無料故、そのよに、致しで、それで、結構なるの、満足してるです。

まあね。
この日、4月14日なるは、日曜日でして。この那覇国際通りは、12時から、18時までが、「歩行者天国」ですて。車道に車が通行せずで、結構なると。
さりとての、人で、人で、大入り、満員の、歩道から、はみ出してしまうの、程の、人出でもあらへんでしたが。

いやね。
当方的、「歩行者天国」とも、なればの、祇園祭の、宵々山<7月15日>、宵山<16日>のみ、でして。
これは、昼間で無くの、18時より、23時までの、四条通りの、烏丸から、河原町の間。多分なら、なと。その他の細い道も、歩行者天国になってるですが。
そらな、山鉾あって、人多いと、車は通行出来ませんでして。危ないしと。

いやね。
正確なる、場所、通りを知らんです。
そんなにウロウロも、出来ませんし、してませんでして。人多過ぎて。

いやね。
コレ、宵々山、宵山の、歩行者天国なるが、イツから実姉かは、よ、知らんですが。
我輩、ご幼少の頃には、あったか、無かったかと、なればの、ご幼少の頃には、車、そのものが、少なくて。
我々、道端で、遊んでても、車なんか、なと。殆ど、走ってませんでして。
の時代での、車運転出来る、持ってるは、相応の金持ちさんでして。電話でさえ、まだまだの、普及も僅少での。大学生になった頃哉と。その手、電話、車が、流行り出したが。
それでも、当方、高校生時代は、どか知らんの、大学生になったの頃には、宵々山、宵山が、歩行者天国であったです。

いやね。
その祇園祭の、宵山の話が、出てね。
沖縄旅行中に。

フミオ君からで。
宿と、するのか、宿泊先の、ホテルの一室で、皆が寄って、ビールでもと、飲み乍らの、雑談、四方山話を致してね。
ンの、コレ、多分なら、2日目の、「ホテルマハイナウェルネスリゾートオキナワ」での事と、思てるですが。
宵山のと、するよりは、単に、祇園祭の話と、した方が、わかり易いですが。
どちでも、一緒なれどの、他府県の方には、なと。

オッとの、那覇国際通りの、歩行者天国の話から。
では、無いですが。
まあな、話、追々にと。
(19/05/15)


NO.2660 単なるの雑談<芋煮会のメンバーが、「要介護4」の話>(1)

いやね。
「芋煮会」幹事君より、メール受電。
中身、最近、不参加続きの面々に、会の開催通知の件、どする兵衛哉の、打診結果の件。

いやね。
当方、ビクリの仰天なるは、サダジさんの件でして。
どんな方かと、なればの、当方、ローム入社時、抵抗器製造部の、QCに配属されたですが。その部署の2年先輩でして。
東海大学出身の、経営工学専攻と、聞いたか。要は、理系に非ずで、文系でも無いの、専攻。

且つは、東海大学なるは、当方的、知らんで無く、知ってるも、大学名程度。
そらね、京都、大阪の、ならばの、大体は承知も、以外でなら、東京さの、でして。これも、どこまで、承知かと、なればの、余程の有名大学のみ。
そらね、大阪の、でさえ、圏外にしてたのに、交通費掛かるが故での、東京さの、大学に、なんか、毛頭の、受けるの気、あらへんわと。遠過ぎて。
遠いも、下宿なんか、問題外の、外の、外の、大外の、出来ませんです。

まあね。
東海大相模高校とか、東海大一高とか、二高、三高とかとか、矢鱈、東海大学の附属高校が、高校野球で、有名でして。
自然と、聞いた事、あるなあと。

いやね。
ロームの、同期入社にも、1人、東海大学出身のが、居たです。
苗字、馬場君。
イヤ、入社2年で、退職してもてね。以来、どこに居るかも、わからんでして。よて、苗字、ズバと、話をしたですが。名も、ンの、忘れてもたしと。

コレ、その入社2年目で、結婚してねえ。まあ、云うたら、出来ちゃった結婚。
よて、急遽の、教会で、式挙げたですが。当然の、参列とするのか、見学哉の、出向いたです。
オッとの、どこの教会かは、軽くの失念の、とりあえずは、京都市内と、だけ。

いやね。
当方的、結婚式なるに、呼ばれたは、これが、二度目。
初は、郁文中学3年2組の、担任の先生の、でして。卒業して、堀川高校1年生の時でして。
何人お声掛かったかの、男子2名、女子2名。
その、モ1人の、男子なるは、シゲヒロ君と、申しの、秀才。京都大学経済学部に一発合格。
されどの、東京さの会社に就職してもての、以来、2度しか、会えずで、過年、亡くなってもたです。徳田虎雄と一緒の筋萎縮性側索硬化症<ALS>になてもてね。
オッとの、女子の方なら、中学の同窓会で、時々会おてるです。

イヤイヤ、馬場君、当時、一番に親しくしてたの君でして。
彼、電算室<生産管理>に配属されまして。何がためと、なればの、当たり前に、電子計算機で、生産管理するがため。
その、プログラミングのためかと。

いやね。
当時には、電子計算機。
空調付きの、専用の部屋に、設置されてましての、IBMの方が、何名様か、常駐してたです。
何故にと、なればの、なかなかに、上手く、動かんでねえ。

いやね。
当方なら、馬場君に、その簡単なるの、プログラミング法を教えて呉れと、頼んでね。
ベーシックとか、コボルとかの手法を熱心に教授して呉れたです。

いやね。
当時の、プログラミングは、磁気テープに記録。その磁気テープがすぐに、捻れたり、破損したり、記録が、消滅したりして。
誤動作ばかりでね。
殆ど、モノに成らずのままで、パソコン時代を迎えたです。

オッとの、その馬場君ねえ。
サダジさんねえ。
東海大学出身のは、この手、性格かと、思う程に、共通点あって。簡単には、おっとり型。
まあ云うたら、喧嘩、口論には、成らんわと。

いやね。
入社当時には、大ボーリング・ブーム。
マイ・シューズ、マイ・ボールで、待ち時間、2時間や、3時間も、全くの、気にもせずの、ボーリング場通いして。それも、あちに、こちにと、方々にありまして。出来まして。

いやね。
残業、残業で、徹夜したりの、男子、新入社員諸君なんか、21時前には、帰らせんと。当然の、土曜日平日、日曜日も、出勤させられてるのに、よお、時間あった、なと。
ボーリングに行くの。

そらな。
若いわと。残業終わってからでも、出向いたり。
当方、これでも、入社してからの、1年目で、運転免許取得でね。そらなあ、当世の如くの、学生時代に教習所に通えるの、資金なんか、あらへんわと。

話、ドンドンの、逸れるですが。マ、ええかと。
その、教習所の入学金と、しゅるのか、費用、祖母が出して呉れたです。幾ら、居るのんえと。3万円か、4万円かと。
多分なら、大体は、大卒初任給が、目安故、3万3千円とか、哉と。
これを、祖母、一発でして。へえと。

いやね。
初月給では、祖母、親父、母、妹に、何か、プレゼントをしてるです。当方が。
話簡単の、祖母が、何ちゅうかの、入社祝いとして、教習所代を呉れたですが。まさかの、全くの、期待も、してへんでして。プレゼントしてからの、間無しでね。

モと、余計なるの話の。
先の通りの、残業、残業、又、残業の上の、土曜日、平日で、日曜日もあらへんのに、よお、プレゼントを買いに行けた、な、状態。
いやね。
残業多く、初任給、33500円が、手取り、5万円あったです。

正直には、一刻も早くに、二条駅のソバの、二条教習所に行きたかったのけどや。時間がと、思てた、ならばの、祖母が、資金呉れたが故、決心付いて、通うにしたです。
但し、仕事で、なかなかに通えず、なれどの、バイクに乗ってたしで、何とか、通うが出来て。
それでも、間を空け、間を空けの、4月に入社で、6月頃申し込みの。結果、仮免許受けたが、12月。
要は、半年掛かって、仮免許での。実は、年内に、仮免許合格せねば、以降、追加の、講習費用掛かるの決まりでねえ。何としてでも、年内にと。

イヤイヤ、年明けての、早々にも、免許取得出来たですが。
出来れば、早々にも、車を買いたいと。
再生車と、申してたですが。要は、中古車を、整備して、座席等々も、綺麗にしたの車。当然の、軽自動車で、ホンダの、NⅢが、初代。

何の話をしてるの怪と、なればの、車があるが故、行動範囲も広くなり。
ボーリングに行くと、なればの、愛車NⅢでと、相棒乗せて。さあの、どこのボーリング場に行くかと。

いやね。
話、戻しの、そのサダジさん。
買おたの、車、なるは、スズキの、フロンテ。当然の軽自動車。

イヤイヤ、当世と、違いの、当時には、あいつが、こいつが、あの方、この方、車を買おたと、なればの、どれどれ、どんな哉の、チョと、中身見せての、運転させて、頂戴なと。
皆、乗って。

印象的、スズキの、フロンテなるは、NⅢとの、比較。
ホンダのZ<水中眼鏡>と、比較も、兎に角、シートが柔らかく。へえの、ええなあと。
とは、乗り心地が結構なると。
かと、申しの、相対的、デザインがと。格好ワルツと、

ンの、サダジさんの件で、ビクリの仰天の中身、全くの、後回しになてもたですが。
要は、緑内障で、目が殆ど見えずの上に、車椅子で、「要介護4」ですて。ゲと。
3年前までは、「芋煮会」に来てたですが。元気にね。目も、悪いよには、云うて無く。
当時には、自宅から、最寄りの駅、多分なら、円町哉の、までは、自転車でと、聞いてた。
のに、なの、突然の、車椅子で、「要介護4」。
とは、なと。
(19/05/16)