シバケンの単なる雑談NO.240

雑談NO.236 雑談NO.237 雑談NO.238 雑談NO.239
雑談NO.231 雑談NO.232 雑談NO.233 雑談NO.234 雑談NO.235

雑談NO.210 雑談NO.220 雑談NO.230 雑談NO.235
雑談NO.160 雑談NO.170 雑談NO.180 雑談NO.190 雑談NO.200
雑談NO.110 雑談NO.120 雑談NO.130 雑談NO.140 雑談NO.150
雑談NO.60 雑談NO.70 雑談NO.80 雑談NO.90 雑談NO.100
雑談NO.10 雑談NO.20 雑談NO.30 雑談NO.40 雑談NO.50
題目一覧表

目次

雑談NO.241

NO.2670 卒業半世紀記念の沖縄旅行の話(16) フミオ君の体験談(2)

NO.2669 卒業半世紀記念の沖縄旅行の話(15) フミオ君の記憶違いの話

NO.2668 卒業半世紀記念の沖縄旅行の話(14) フミオ君の体験談(1)

NO.2667 卒業半世紀記念の沖縄旅行の話(13) ホテルの一室での四方山話(2)

NO.2666 卒業半世紀記念の沖縄旅行の話(12) ホテルの一室での四方山話(1)

NO.2665 単なるの雑談<芋煮会のメンバーが、「要介護4」の話>(6) 話、逸れまくりの、アルバイトの話(2)

NO.2664 単なるの雑談<芋煮会のメンバーが、「要介護4」の話>(5) 話、逸れまくりの、アルバイトの話(1)

NO.2663 単なるの雑談<芋煮会のメンバーが、「要介護4」の話>(4) 話、逸れまくりの、歳喰たなの話

NO.2662 単なるの雑談<芋煮会のメンバーが、「要介護4」の話>(3)

NO.2661 単なるの雑談<芋煮会のメンバーが、「要介護4」の話>(2)

雑談NO.239


NO.2661 単なるの雑談<芋煮会のメンバーが、「要介護4」の話>(2)

いやね。
ロームで、2年先輩社員の、サダジさん。
「芋煮会」に現れたと、するのか、誘われ、参加は、2年程でして。
誰に誘われたかは、フサオ君。

多分なら、「ロームOB会」総会で、バタリで、会の話をしたのかと。
まあな、「芋煮会」は、新しい方程、メンバーを知らんし、古い方程、知ってるやろです。
サダジさんは、珍しくも、ズと、抵抗器製造部のQCでして。
イヤ、ホントに、全くの、部署替わらずは、希有なるの存在。
当方なら、抵抗器から、半導体に、Diodeに。ダイオードから、センサーえと、移動で、辞める、とするよりも、事実上、辞めさせられるになてもたですが。
後刻には、センサーそのものが、お取り潰しになてもてね。

その辺り、抵抗器なり、Diodeに所属なら、そのままかと。
イヤイヤ、半導体も、加えてるですが。ン十年の昔には、製造部署なるは、抵抗器と、半導体のみ、でして。別途、LSIもあったですが。これは、開発部署。
その半導体部門が、Diodeなり、Tr等々に、別れたです。

オッとの、それでや。
サダジさん、なるは、2年間程の参加で、2年程の以前より、不参加続きでね。
どしてるのやろなあと。

イヤイヤ、別段の、病気とか、亡くなったの話もありませんでして。
での、農園主の提案でと。するのか、不参加長いの方には、打診をと。
要は、来る気が無くなってもたら、この日、この日に、開催するけれどの、都合どですかの、打診しても、なと。
或いは、都合に寄りの、一時的、休会か、健康上等々での、最早の、参加無理かを、明確にと。
結果、サダジさんについては、奥様より、緑内障の悪化と、車椅子生活になてもてねの、返信あって。
とは、幹事君よりの知らせ。

いやね。
その奥様、当方、重々の承知してるです。話簡単の、社内恋愛。モと、簡単には、同一部署でしての。当方も、抵抗器のQCしてたが故、一緒の部署に、相成っての方。
イヤイヤ、経緯も、よっく、承知してるの、諸般、その当人、サダジさんから、聞かされてたわと。アホラシと。
アホラシは、冗談なれど。

そらね。
基本、入社以前の、大学4回生の夏休みには、アルバイト的、実習に来いと。
その実習先が、偶々かの、抵抗器のQCでして。
ンの、偶々でも、無いぞの、学科試験の後、面接が、2回あったかの、2回目の面接者が、抵抗器製造部の部長でしたです。当然の、入社してから、知ったですが。

いやね。
余計なるの話の、その部長の質問、よっく、記憶してるの、当時には、マイ・ホーム型か、モーレツ型かと、世間的、話題になりの、議論されてたです。
いやね。
この事を、面接者が尋ねたです。貴君は、どっち派怪と。

イヤイヤ、当方なら、正直、そのままの、モーレツ型也と、返答。
基本、マイ・ホーム型で無いは、事実。
仕事、業務が、楽しいか、苦しいかは、わからんけどや。やり甲斐あるなら、時間惜しまんわと。徹夜でも、何でも、来いと。
イヤ、ほんと。
現在でも、そんな面多々あるです。
乗ってもたら、徹夜でも、何でもの、時間忘れてもてね。イヤ、誰様も、そんな面あると、思うけど。

いやね。
徹夜なら、不良品、良品の選別であったか、多分なら、納期間に合わせるがための、抵抗器の製造であったかを、三日続けた事、あった、なと。
イヤ、流石に、三日目には、朝、出勤の面々見た途端に、倒れてもてね。
倒れたと、するのか、寝てもたなと。
同期生の誰か。イヤ、誰かは、覚えてるの、サトウ君と、称するの。これも、入社何年かしての、数年で、退社したの、職業訓練学校出身とかの、でして。そんな名称の学校あるを、知らんかったですが。
おんぶされて、医務室えと。そこで、布団敷いて呉れて、寝かされて。そのまま、寝てもたです。

今なら、超の、ブラック企業。
働き方改革で、一番のやり玉に挙がるの業務内容でもあった、なと。
されどの、こちは、特段の、何とも思てえへんでして。
コレ又、超の簡単の、その分、残業代が入るわと。それもあるし、製造部門の事、よお、わかるし、生産設備も、自分で、扱えるよに、なてもてね。
QCと、するのか、生産技術的業務には、持って来い的応援でもあって。
オッとの、この製造部門での、選別なり、製造してたは、納期死守のための、応援での。新入社員の多くが、狩り出され。
加えての、品質改善等々の実験。

更なるの、話、逸れるですが。
その辺りの、気性。
好きなら、乗ってもたらの、徹夜までは、わからんけれどの、日数掛けて、でもは、長男がと。血を継いでるです。
もしかしたらの、孫娘も、その傾向あるの哉の、マダ、小学生故、わからんのけどや。飽きずに、珠算塾に通てるの頑張り屋。

ンンの、この話、サダジさんと、何の関係がの。
サダジさんなら、気性が異なるが故もありの、この手、徹夜してでもは、まあ、無いなあと。同期の、馬場君も。
よて、東海大学の気性なるは、おっとり型哉と。気は宜しくて、憎めません、憎まれませんの、性格でして。
イヤ、こんなに忙しいのに、チョとは、手を貸せと、なんかは、全くの、考えもしませんでして。当方は。
こんな過酷なる業務指示したら、パワハラ怪と。当世では。


トトトの、とっとの。
サダジさん、社内恋愛で、奥様の事も、重々の承知してると、申したですが。一緒の部署であったが故でして。
いやね。
入社した年の、祇園祭の、宵山の日。つまり、7月16日の夕方、その部署の、面々、数人の女性。QCの子が、当家に来たです。
サダジさんも、一緒かは、定かに、覚えてませんの、多分なら、来ず。そもそもがの、男、誰が来たのか、覚えて居らず。

兎に角、5名様程が来てねえ。中に、その奥様も居たは記憶してるです。
何故に記憶かは、その年、1969年の事なれどの、雨天。
祇園祭の宵山で、雨は、珍しく。

皆様、浴衣で、足許、草履。
モ一発、傘差しても、濡れる程の、豪雨であったよな、記憶での、足許、皆様、どぼどぼでして。当方的、コマツタなと。
コマツタと、するのか、足拭いてやらんとと。

かと、申しの、一応は、女性故での、当方が、拭いてやる訳にもの、母に申しの、頼むわと。
での、一番に挙手しての、お願いしますと、申したが、その奥様。
まあ、云うたら、全然の遠慮してへんなと。結構なれど、です。
イヤ、そのままの性格でして。はっきりしてるの方でして。多分。

まあね。
何しに、当家にと、なればの、山鉾の近所でして。
横町、太子山、芦刈山等々、沢山あって。我が町内には、無いけれどや。
いやね。
よて、来て呉れ、とも、云うては無いと、思うですが。又、そんなに沢山の人数で、来るとも、思ては無くて。
とか、云うたって、何年昔やの、半世紀。
その明くる年かに、サダジさんがその子と結婚したです。明くる年なるは、多分の範疇。

オッとの、それでや。
当方、初の出張で、岡山の、ワコー電器えと。その際、同行して呉れたが、サダジさん。さもなくばの、工場<ワコー電器>の場所、生き方、知らんがな。
新幹線に初めて乗ったか、岡山駅までで。当時には、そこまで、でして。そこから先は、まだ、開通して無くての、時代。

いやね。
その時、工場のQC責任者が、昼食、夕食、ご馳走して呉れて。
サダジさん、曰くに、コレ、当時、東洋電具製作所ですが。本社であるが故ぞと。フウンの、そんなもん哉と。
さもなくばの、ご馳走、まあ、つまりは、接待なんか、して呉れへんぞと。フウンの、そんなもん哉と。

イヤ、当方なら、何しにかは、よっく、記憶の、抵抗器の塗装工程での、バブル<気泡>対策で、塗料乾燥<炉>直前の場所に、ヒーター設置で、予めの、気泡を潰してしまうの実験でして。
結果、どなったかと、なればの、何故か、塗料タンクに引火してもてね。話簡単の、小火騒ぎ。
工場の男子、数名が、初期消火のため、消火器持って、集まってもてね。
イヤイヤ、危なかったは事実で、発火に至らずで、幸いしたですが。
イヤイヤ、当時には、塗料をシンナーで、希釈してたです。

後日、京都本社<ローム>の製造責任者、サカイさんと、申すですが。
下手な実験すなと。若造がと、皮肉一発、云われてね。事実、若造で、下手な実験では、あったですが。
そもそもがの、炉の直前に、ヒーターでは、危険が一杯かと。ならばの、炉を長くするなりの方がと、思たですが。
イヤイヤ、後年、実施されてるです。
当方なら、別途の実験、カッター<ヘリカル・カッティング>の高倍率の実験に向かいまして。とかとか、この件、細々、理論的云々なるは、省略致すです。
イヤ、理屈なら、現在唯今でも、出来るですが。

オッとの、そんな事で、サダジさん、2年程は、「芋煮会」に参加で。
2年程の以前より、パタリと、来んよになてもてね。どしてるの哉と、思てたの矢先に、「要介護4」になってたとはと。
(19/05/17)


NO.2662 単なるの雑談<芋煮会のメンバーが、「要介護4」の話>(3)

いやね。
サダジさんと、現奥様が付き合おてるは、周辺では、有名でして。
当方的にも、両方から、諸般、聞かされたり、致してね。オノロケを。

いやね。
奥様からは、兎角に、サダジさん、居眠り致し。オッとの、当時の話の、業務時間に。
奥様が後ろの席に居たのか、丸めて、棒にしたコピー用紙で、ポンと、頭を叩いて、起こしたと。フウンと。
オトトの、思い出したです。
サダジさんの渾名、ドブネズミのチュー太郎。名前からは、次男やのにね。多分。

いやね。
当然の、結婚以前の話の、いやね。
オッとの、日曜日も出勤。平日には、21時までは、帰ったらアカンも、毎週、毎週の日曜日が出勤でもあるまいにの、平日も、21時以降は、解放されて。偶には、残業せずの日もあるし。
日曜日の出勤でも、午前中の時もあるし。

いやね。
若いは、素晴らしいねえ。
申してるです。ボーリング三昧で、馬場君とは、方々のボーリング場に、行ったと。マイ・ボール、マイ・シューズでね。
新入社員当時には、バイクで、二条教習所にも、通てたし。ホンダのNⅢなら、入社の二年目に買おたですが。

その、NⅢは大活躍の、休みの日の、昼からでも、土曜日の、何時でも、これから、日本海にドライブに行く怪と、同期のを、誘たり、誘われたりも、してね。
そか、行くかと、即の、日本海えと、車を飛ばし。
当時の、道、国道なれどの、亀岡辺り、までは、舗装されてるですが。先に行けば、行くの程に、されておらずの、走れば、砂埃の、ガタガタ道。
そんな事、意にも介せずの、ドンドンと、走り。

コレ、多分なら、タカシ君と、思てるですが。同乗者が。
日本海にまで、行けば、舗装されたの、ええ道でして。当時でも。ンの、現在の状況知らんですが。
速度出し過ぎて、モ一寸で、車が横転するので無い怪の、怪しい運転。当方の。
オイ、こっちに、カラダを。あっちにと。さもなくばの、重心が狂いの、転けたら大変でして。

いやねの、オッとの、その時、前方より、走って来るの、ンの、車種、ボロンテ。イヤ、フロンテ。
云うてもたらの、その当時、皆が、ボロンテ、ボロンテと、申してたの哉と。
イヤイヤ、運転手、サダジさんで、助手席、現奥様と、見たです。見えたです。瞬時の間に。
イヤ、当方的、100%の確率で、正解でして。後日、当人に尋ねたか、放置かの、多分なら、尋ねた筈の、サダジさん、その日、日本海の方え、ドライブしてたと。へえの、さよですかと。

オトトの、そのタカシ君とは、1浪、1留の、でして。同志社大学工学部機械科専攻の、現芋煮会ので、お孫さんが、何と、まの、東京大学医学部に、1浪で、合格したの、です。
当人、タカシ君、1浪やけどなと、申してたですが。1浪であれ、2浪、3浪であれどの、東京大学医学部合格は、大いに宣伝、吹聴の資格、値打ちあるです。
余計なるの話の、理科Ⅲ類ですて。

とまあ、爺様のタカシ君は、ここまでの、解説、説明しか、してへんですが。
当方的に、注釈するならばの、まあ、簡単明瞭、わかり易く、ならばの、理科Ⅲ類なるは、東京大学の、中でもの、トップ・クラス。
どんな頭脳、してるの哉と。とりあえず、凄いのやろなあの、我輩なんか、逆立ちしたって、叶わんわと。逆立ちで、叶うならばの、ズと、するのけどや。

多分ならの話の、本読めば、全文、暗記してしまうよな、意識せずとも、出来るよな、IQではと。
ここから、違うわの、常人では、何度読めどの、数行、十数行、1頁の暗記が出来るの哉の範疇。かどかは、知らんけれどの、スと、暗記出来るなら、ええなあ、羨ましいなあと。イヤ、ほんと。
このIQで、暗記力なるは、大方は決まってもてね。多分。

当世なら、偏差値と、してるですが。
偏差値ねえ。
偏差値低いのに、頑張って、頑張っての、どこそこの大学、日本屈指の難関大学に合格した、とかとかの話、あるですが。偏差値なるは、学力みたいに、思えてね。当方的には。

これ、当人、勉強するの気、真面目に試験の回答する気が無いなら、低いまま、なれどの、IQが高く、一発、その気になりての、奮起で、勉強し出したら、一気、偏差値なら、上がるのではと。
いやね。
東京大学のなら、IQの平均120。
相対性理論の、アインシュタイン、190で、所ジョージ、138ですて。
但し、あくまでもの、IQなるは、相対的らしく。

イヤ、当方のなら、大した事、あらへんわと。多分。
暗記なんか、全然のダメで、簡単なるの用事も、メモ書きしたり。
人前で、話、挨拶的するならばの、文面記載で、何度も、何度も、練習せねばの、しても、やり出したら、飛んでもてね。どもならず。

ンの、何の話をしてるの哉の、サダジさんが、緑内障悪化で、殆ど見えずになりの、車椅子生活と、聞いて、へえと。
聞くと、するよりは、芋煮会幹事君からの、打電で、知ったですが。
そこから、話が、あちに、こちにと、飛んでもてね。
での、サダジさん、東海大学出身とは、承知の、京都、大阪、近畿地方、関西人で無いは確かの、関東方面出身でして。
何故に、京都の会社に就職したかは、聞いても無くて、知らんなと。

それにしても、若い頃には、寸暇を惜しみの、よお、遊んだなと。
今、思えばの、超人的、驚異的の、即断、即決、即行。
今時、簡単なるの事を、あれこれ、これあれ、思案に、思案を重ねの、下手したら、下手しんでもの、ンの何の事、考えてたの、かも、失念したりして。
まあな、後先の事、考え過ぎるもあるのけど。
若い頃には、その手の事、全くの考えずで、そもそもがの、何をしに、日本海も、単に、行くのだけの、気楽もあった、なと。

まあな。
多分ならばの、車の運転、ドライブするが、主たる哉と。
日本海辺りなら、時間も、距離も、適当に思えてね。今時なら、トンでもと。
道も、わからんわに、成るのけれどの、その当時には、そんな事も、考えずの。
この道、行け、行け、どんどん。何とかなるの、冒険心旺盛。
事実、何とか、なりの、無事生きてるなと。幸運にも。
(19/05/18)


NO.2663 単なるの雑談<芋煮会のメンバーが、「要介護4」の話>(4) 話、逸れまくりの、歳喰たなの話

ほんとにねえ。
余計なるの話の、入社しての、1年、2年は楽しくて。
反面、便利屋として、酷使された。
とも、云えるですが。その分、残業代が、ガッパと、あって。
その分、学生時代とは、全くの違うの、高額の資金得て、若さに任せて、気の向くがままに、遊び回った。
とも、云えて。

オッとの、当方、下戸故、酒飲み場、歓楽街に足向けての、遊びに非ずの、ボーリングとか、ドライブがてらの、方々えの、意。
そらなあ、四条河原町界隈なら、歩いてでも行けたですが。当家より。
行ってたは、むしろの、高校生時代のアルバイトで、でして。且つは、夜にで、親も、よお、そんな場の、アルバイトをさせたなあと、今思うですが。
用件、土産モノ屋の小僧なれど。
多分ならの、そこの店主、親父の友達やったの哉と。聞いてませんし、知らんけど。

とかとか、又、話逸れまくるですが。
アルバイト代も、夏休みの、ホボの、一箇月で、500円也でして。云うたって、18時から、20時か、21時頃までで、日に、2、3時間で、往復の交通費なるは、市電、当時には、四条通りに、市電が走ってまして。
行けば、往復の、回数券を呉れたです。要は、交通費、現物支給。
実際には、歩いてでも、通えるですが。それこその、高校生故、18歳未満のを、夜の遅くに、歩いて帰らせてたでは、何があるか、わからんわと、思ての事かと。

当然の、当人、当方自身、その危険性なるは、重々の承知。
そらなあ、河原町、新京極等々、所謂の、繁華街で、歓楽街では無くて。但し、当時より、ゲーム・センターも、あったしなあと。細い路地に行けば、飲み屋もあるには、あったのけれどの、ここら、チョと、違うの、知る人ぞ、知るの、少々の高級料理屋沢山あって。
そらな、先斗町がそやろな。高瀬川の方なら、若干の、落ちるけれどの、それでも、なと。フラリと、入れるの店で無く。多分。
モと、簡単には、そんな場所に行くは、不良。
或いは、相応の金持ってませんとと。モ、あるし、当方、ハキリと、申しの、品行方正の、高校生也で、アルバイトも、通学してるの服装でして。

いやね。
堀川高校なるは、公立高校<市立>で、当時には、今でもと、思うけれどの、制服なんか、あらへんわと。
それでも、学生服1本。夏場なら、学生服では、暑い故、上は、カッター・シャツのみでの、それ、1本。
所謂の、柄の付いたの、遊び服に非ず。

いやね。
そのカッター・シャツで、正々堂々のと。正々堂々も何も、柄の、遊び服なんか、持ってませんでして。
コレ又、はきりと、申しの、類は、類を呼ぶで、そんな繁華街を柄の服着て、フラリ、フラリと、時間掛けて、歩いててみい。ましてやの、ゲーム・センターなりを、覗いてみい。
多分なら、イヤ、きっと、しかるべくの、不良グループのが、囲むのではと。オイ、なんぼか、持ってるかと。出せと。

イヤイヤ、そんな経験あらへんわと。
当世と、その当時の、ゲーム・センターとは、全くのと。置いてるの、ゲーム機なるは、大方は、同じよな、なれど、です。多分で、入った事、ありませぬ故、知らんわと。
単に、外から、チラと、だけ。

そらなあ、正直申しの、興味なら、あるです。どんな哉と。
そこは、当方、品行方正也と、自覚ありの。そもそもがの、ゲームして遊ぶの資金持たず。
持たず故、アルバイトしてたんやと。申してるです。中学生時代より、簡単業務、自転車での配達なれどの、西洞院通りにあったの、市場の、八百屋。
遠の昔に無くなってもたですが。今、何になってるの哉の、ホテルが、でもと。イヤ、知らんですが。

オトトの、入社しての話に戻すですが。
その、入社してからの免許取得で、取得そのものが、年明けてから。そらな、残業、残業で、通えるの日が、早々にあらへんわと。
されどの、バイク所有で、残業無いなら、二条教習所えと、通いまして。そら、日数掛かるわと。

いやね。
同期のと、3人で、通うとするのか、申し込んだですが。
よっく、覚えてるの、それこその、「芋煮会」の面々の、お孫さんが、東京大学云々の、タカシ君と、会に誘たの、フサオ君。
その2人は、結果的、一旦、挫折で、再入所で、後年取得。
そらね、足が無いと、通うに大変でして。
どちにしろ、学生時代なら、夏休み、春休みなりの、長い休みの時に、でもと、相成るけれどの、就職してからは、大変や、なあと。
イヤイヤ、その当時には、学生時代に取得は、流行ってませんでして。

かと、申しの、中学生時代からの親友、シゲヒロ君なら、学生時代に、取得したですが。
コレ、ハキリと申しの、京都大学経済学部現役合格故、親からのご褒美かと。
イヤ、ご褒美貰えるの、値打ちあると、思うわと。
尚、シゲヒロ君は、大学卒業で、東京さの、会社に就職してもてね。過年、最早の、10年程が経つかの、亡くなってもてるです。

イヤイヤ、話逸れまくるの、中学3年の同窓生。
賢いヤツ、大阪大学、東京大学、京都大学現役合格のが、40代、50代、60代にての、その大学の順に、亡くなってもてね。賢くとも、早世では、困るなと。
適当で、結構なると。
まあな、どんな思考回路か、記憶力かを、一度で結構、体験、体感してみたいの、気なら、現在唯今、尚、あるのけど。

オッとの、での。
取得即の、再生車と、称するの、要は、中古車、ホンダの、NⅢを買おたですが。中古車故、二年ローンでの。考えてみたら、これが、手始めでの、以来、ズと、ローン生活。
やなあと。
そらな、ここから先では、超の大物、住宅ローンでして。24歳からや、なあと。このローン生活も、卒業してるですが。卒業したの頃には、収入あらへんでして。
これで、住宅ローンがナカツテみい。楽な生活出来たの哉の、それは、それなりに、浪費してもてるやろと。多分。

と、まあな。
話、戻しの、新入社員風情では、一端<いっぱし>の業務も、出来ませんでして。
当方なら、品質管理業務で、実際には、それと、生産技術、品質改善業務してたですが。やるに、工程の事、知らずして、出来るのモンかの、その工程の事、嫌が応にも、工程えの、応援で、知ったになるです。

いやね。
正式なるの、工程実習なんか、させてもろてませんでして。
或いは、誰か、先輩が、事細かに、理論的云々、順序立てて、教えて呉れるも、あらへんでして。
上からは、単に、この目的がため、コレコレせよと、ダケの超の簡単なるの指示のみ。
先輩業務を助手的、手伝うでも、あらへんです。
それがあれば、相応に、教えて貰えると、思うけど。

まあな。
工程実習無くとも、納期守るがための、製造応援なり、不良品選別応援なりで、工程の事、品質の事、知ったのけどや。
まあな。
応援で、業務であらへんでして。
品質改善も、当初には、応援的、突貫工事的、数日でやるの、でして。新入社員で、何人かで、協力してでして。

いやね。
その1人、芋煮会に参加し出したの、ツトム君でして。イヤ、彼、サダジさんの入れ替わりみたいな具合に、2年程の前からかと。
矢張り、フサオ君の誘いと、思てるですが。
彼とは、何の実験であったかの、中身、失念の、実験計画法的手法にての、サンプルを作成での、工程変動調査したですが。
オッとの、工程計画法なんか、新入社員の分際で、知るのモンかの、計画錬れば、考えたら、自然と、その手、手法になてまうわの。それを、Aコース、Bコース等々、我々なりの、銘々しての、レポート作成で、発表。
それも、社長直々の場での、したなら、Aコース、Bコースなんかの、料理屋や、あるまいにと、叱責されたり、してね。

叱責されたの、最大原因、結果が、思わしくナカツタがあるですが。多分。
ツトム君と、顔、見合わせ、あんなに、怒らんでも、ええのに、なあと。
それしか、銘々法、思いつかんし、知らんがなと。
後年、嗚呼、実験計画法なるを、知っての、嗚呼、あれは、その手法そのものやと。
ならばの、「コース」としたが、問題だけでの、単に、「A」「B」と、だけなら、ヨカツタに、なるなあと。
まあな、実際には、「A-1」とかとか、にするが、結構なれど、です。

ンンの、何の話をしてるの哉の、その当時が、入社で、一番に楽しかった、なあと。
残業、残業で、自由時間僅少なれどの、その間隙縫て、遊びまくり。
ンの、そのツトム君とは、2度、車で、日本海の方に、ドライブに行ってるです。内の1回、2度目なれどの、過日にも、ここで、話<掲載>してるですが。
車中泊で、未明に、ハタと、気が付けば、車の周囲、所謂の、女装のに、取り囲まれててね。且つは、懐中電灯で、コチを照されててね。観察の為と、思うですが。
その灯りで、目が醒め、女装、ケバケバ男見て、ゲと。
ゲは、ゲで、ほっとけと。
まさかの、ドア開けの、何ですかも、変でして。こちに、その気皆目の無く。趣味も無く。

オッとの、その辺りの話、ツトム君と、するも、結構哉と。
多分なら、覚えてる筈故の、そらな、そんな事、後にも、先にも、その一度のみの、ええ経験也と。
とかとか、サダジさんの話から、話逸れまくり、なれど、です。
こんな具合に、述懐するも、歳喰たなと、実感での、今時、そんな事、とても、とてもの、よお、やらんわと。
イヤイヤ、学生時代から、入社2、3年の事をで。
そらな、まだまだ、20代の、半世紀の昔の事。
(19/05/19)


NO.2664 単なるの雑談<芋煮会のメンバーが、「要介護4」の話>(5) 話、逸れまくりの、アルバイトの話(1)

いやね。
事のついでに、申せば、です。
自分で、云うも、何ですが、当たり前だの、クラッカーの、中学生や、高校生程度のアルバイトなんか、使いモノに成らんです。
大学生でも、怪しくて。

そらね。
やらせるの、内容、中身に寄るの、何でも結構の、数の内の、賑わしの、エキストラとか、祭礼の行列で、装束着ての、モノ持っての、練り歩きなら、大学生程度のが、丁度宜しくて。

やる方にしたって、その方が、気が楽の、気楽、気楽。
エキストラ、祭礼なんか、募集が出たら、アと、云う間に定員、募集人員一杯になてもてね。締め切り、締め切りで、嗚呼、残念無念の思いしたが、度々のあった、なと。
かと、申しの、胴元、元締めの、学生課の前の、掲示板を張り込んでるの訳にも、なと。

いやね。
中学生の時なんか、一箇月のアルバイト。云うたって、日に、数時間の、昼からの3時間とか、でして。
仕事の中身、申してるの、八百屋の客、注文のを、自転車に乗せての配達でして。
コレ、結構、辛かったを記憶してるの、そらねえ、自身の学区なら、大方、わかるですが。実は、「四条西洞院市場」の、西洞院の東は、余所の学区。
小学校区も、中学校区も、違うわと。

がしかしの、京都市内なら、通り名さえ、承知で、町名、番地知らずとも、配達先の概ねの場所、わかるですが。
それでも、学区が違うと、細々なるは、わからんわと。学区でも、小学校区ならで、そこを外してでは、なと。
そら、中学生でして。

での、配達先の事よりも、実は、自転車そのものが、大人用でして。それは、結構も、野菜満載では、重たくて。
コレ又、話簡単の、自転車に、野菜を載せて、乗るは、走るは、中学生では、無理難題。
かと、申しの、背負っても、ブラ下げても、抱えても、持ち運ぶも、出来ず。
結果、自転車をば、押して、配達してたですが。一番の心配、自転車を転かさぬ事。かと、申しの、道が平らでもあらへんでして。当時には、西洞院通りには、ガタ電、チンチン電車とも、称してたの、市電<路面電車>が走っててね。走る故、線路あって。その線路と、するのか、レールの溝突破に神経使た、なあと。
イヤ、溝に、車輪が挟まってもたら、身動き出来ぬ故。

高校生時代には、新京極の、土産モノ屋が主なれどの、モ一箇所、日通の、何ちゅうかの、助手席に座ってるだけのアルバイトもしたですが。
当世と、異なりの、車がまだまだ、少ないの時代でね。
駐車違反も、そんなには、厳しくはナカツタですが。よて、何故にそんなアルバイトがあったか、かは、わからんですが。
要は、母の知り合いの小母さんの、ご主人が、日通の、何の業務やろねえ。されてまして。
これが、堀川高校のソバでして。営業所が。

夏休み期間、来て呉れと。ハイの、そですかと、行ったですが。
そらねえ、大人ばかり。しかも、屈強の、運ちゃんばかりの、そんな中、高校生なんか、場違いみたいでね。
話も、合わんし、休憩時間は、困ったなあと。

での、この人のトラックで、行けと、指示あって。
行くに、荷物、積んでから、なれどの、コレ又、配送の荷物を、積んだはるのに、単に、見物だけも、なと。されどの、手伝うも、モノ重たくても、あるし、イヤ、ええでと、云われて、ボケっとも、してられへんし。

出たら、出たで、こちは、運転も出来ひんし。荷物を出すも、どれか、わからんし。指示されん事にはの。指示されたって、当方、小柄、非力自慢で、そは、易々の、でして。
コマツタなと。

事程左様の、中学生、高校生で、アルバイトも、使う方も、使われるの方も、難儀でね。
そらね。
八百屋にしたって、配達の無い時、何して、過ごすやの、休憩場所もあらへんし。客が来たって、下手な応対出来ひんし。そこら、適当に、ウロウロしてな、仕方無く。
ウロウロしてるも、後ろめたさ、感じてねえ。
そやからと、売り方なんか、わからんし。店の方が、やられてるを見て、覚えるにも、覚え掛けたの頃には、アルバイト期間、終わってもてね。
イヤ、八百屋には、2年生の、夏休みだけ、通たですが。多分。

イヤイヤ、アルバイト代なるは、自分のオコズカイでして。特段の、家計の足しに、等々の、そこまでの、貧乏でもあらへんわと。当家が。
さりとての、一銭のオコズカイも、貰えませんでして。家からは。
多少なりともの、オコズカイが欲しくての、アルバイト。

まあな。
当時には、1箇月程度で、八百屋も、土産モノ屋も、500円。
ンの、日通のは、アルバイト代、どなったか、わからんでして。全くの、記憶に無くの、当方も、戴けるよな、働きしたの、実感無く。
それ、云うたら、土産モノ屋も、同様なれどの、そらね、金銭、預からず。客から、受け取らず。
用事なるは、命じられてたは、万引きの監視。

そらねえ。
修学旅行生が、来たら、大人数。狭い店が、人で、人で、一杯になてもてね。
万引きされても、わからんでして。
ンの、万引きねえ、摘発、発見、見たかと、なればの、当方なんかが、居てて、見てて、万引き、されてたって、わからんわと。自身、経験してへんわと。万引きの。

いやね。
高校生程度が出来るの事と、なればの、その程度。
アルバイト代も、1箇月で、500円が、高いか、安いか、わからんのやってる事の中身でして。
まあな、何の役にも、立って無いかと、当方的、思ててね。
但し、目があれば、抑制には、なってると。

対して、大学生とも、なればの、役には、立ってるです。エキストラ、祭礼の、装束着ての、モノ持っての、練り歩きでして。何にも、あらへんわと。
只な、何分の、地元でして。
祭礼のアルバイト先、神社なるが、中学校区、やったり、してね。当然の、承知の上での、応募なれど。イザ、決まって、行くに、練り歩くに、家の真ん前と、までは、申さんの、そら、それなら、応募もしてへんですが。そんな神社、あらへんでして。
とりあえずの、知った人が、見物人に居てへんかと、きょろきょろしたりして。

いやね。
話のついでの、エキストラでは、行った先、我が母校、堀川高校の、グラウンドやったり、してね。
イヤ、嵯峨の、広沢池<ひろさわのいけ>の、ソバにあるです。グラウンドが。
イヤイヤ、まさしくの、そこでして。へえと。
映画の題目、忘れたですが。後年、ホタテマンとして、やってたの、安岡力也が主役の、でして。相手女優誰かも、忘れたですが。
安岡力也ねえ。まさしくの、ヤクザそのものでの、周囲には、若い衆を従えまして。安岡力也そのものも、若手なれど、です。
オッとの、コレ、1947年7月産まれ故、当方の6箇月下。学齢で、一年下なれど。

での、ヤクザねえ。
彼の、親父様、お爺様、そのものが、シチリアのマフィヤ也。
とは、当人が申してたです。


いやね。
当世なら、ファミリー・レストランなり、ファースト・フード店等々、アルバイトが結構、活躍してまして。
充分に戦力と、なっててね。
当方的に、ならばの、大したモンやと。

只な。
反面では、夏休み、春休み以外の、本来的、授業がある筈の期間も、やっててね。大学生と、思しきのが。
よて、学業、どなんやと。
当方ならばの、多少は、授業もサボってもての、エキストラなり、祭礼には、応募したけれどの、基本、長期のは、休みの日、のみ。それも、休みの半分の、1箇月だけと、決めててね。
さもなくばの、理系では、単位取れずずで、卒業なんか、出来んわと。
その前に、授業料払えずで、除籍されたでは、なと、アルバイトしてたですが。

とかとか、サダジさんの話から、完全に逸れてもたなあと。
イヤイヤ、サダジさんなり、馬場君なるは。
少なくともの、東海大学出身の、この2人、学生アルバイト経験あらへんと、申してたです。

オッとの、当方、大学生時代には、そらな、色々やったです。
気が向けばの、話をしたい、なと。
結構、楽しいのも、あったし、なと。交通量調査とかとか、なと。当世でも、やってるなと。話簡単の、半世紀も、このアルバイト、継続してるになるなあと。
ここだけの話の、昔とは、違いの、交通量も、可成り多くなってるのに、なあと。
且つは、画像認識、出来るの時代やのに、なと。
割の宜しいが故、アルバイト希望学生救済の為もあるの怪と。
(19/05/20)


NO.2665 単なるの雑談<芋煮会のメンバーが、「要介護4」の話>(6) 話、逸れまくりの、アルバイトの話(2)

いやね。
この手の事。
アルバイト三昧。
とまでは、申さんの、どんなのかは、過去1度は話してるです。多分。

とりあえずは、所謂の、貧乏学生。
又は、苦学生と、相成るですが。当人、左程に深刻には、考えてませんでして。
そらな、2回生から、なれどの、定職、家庭教師があったです。桂高校生で、1人3千円で、3人同時で、月9千円は、当時としたら、高収入で、物集女街道の方の宅様に、週何回か。2回であったの哉の、通ててね。
本来ならば、学費<授業料>、年額89千円故、賄えるですが。学費ダケなら、なと。
そは、行かんわと。オコズカイも、いるし、本も買おて、読みたいし。

ンの、本も、教科書買わずして、全集物、それも、高価なるのを、買おたりしてね。
ンンの、教科書ねえ。一気、よ、買わんでねえ。資金不足でね。副読本も、余り買わんしねえ。前期なり、後期の試験のぎりぎりで、調達したりして。暢気やねえ。
今でも、その傾向あっての、余り、金銭的なるには、無頓着。
その手の事、全面的、嫁はん任せでね。苦労してると、思うです。コレ又、多分。

いやね。
そもそもがの、多趣味で無くて。
話簡単の、酒飲まず。パチンコせず。旅行ったってねえ。旅行には、成らずの、夏の時期、お盆に、なれどの、四国、香川の嫁はんの里帰りに、同行してるだけ。
実際には、嫁はんの実姉の宅に、なれど。我が一家、10名様で。
受入の、義姉一家も、大変なれど、です。

オッとの、余計なるの話の、当方、年齢的、イツまで、同行出来るの哉と。
こちも、歳なら、あちら様も、歳でして。義姉婿、2歳下であるの哉の、どちにしたって、ボチボチの、70歳代に相成るわと。
イヤイヤ、こんな具合に、話してるの内、どんどんと、話逸れるが故、一向に、話が進まんでして。

いやね。
当方、日常にやてる事と、なればの、精々が、パソコンをば、弄くってるのだけ。
オマケで、オコズカイの大半、タバコ代で、煙と化し。
云うておくの、墓参なりで、出先で、少々の贅沢の、昼食なら、当方、出してるです。まあな、それで、乏しいのオコズカイで、よお、足ってるなあと。イヤ、ほんと。
金無いし、前借りをと、なんか、した事、あらへんわい。

申してるです。
住宅ローンなり、車のゲップ、ケータイの月賦。
とか、以外に、借金した事、あらへんわと。
車も、ここ、ン十年なるは、現金一括払いしてるです。基本、借金、嫌いでね。借金好きな方、居て無いと、思うけど。
工面なるは、嫁はんなれど。コレ又、借金してるであらへんわと。
そもそもがの、借金してまでは、なと。物事、致さんわと。

そらな。
ここだけの話でも、無いの、嫁はんの里帰りったって、手ぶらでは、なと。
又、交通費にしたって、相応にと。
コレ又、資金なるは、嫁はん任せなれどの、まあ、云うたら、農協<JA>の積立貯金でして。これは、コレ用、コレ、アレ用と、使途決めての、毎月の貯金でして。
その辺り、嫁はん、きちりとしてまして。

いやね。
その事、実は、結婚の時、頼んだです。
そらね。
独身時代には、金銭的、無頓着の、あるだけ、使てまうの人でして。当方が。
それで、よお、24歳で、中古と、云えどの、家買おて。出したは、頭金だけで、それも、ボーナス全部。
結婚の際の、結納も、ボーナスで、やし。
結婚式の、費用も、手持ちあらへんしで、ボーナスで、やし。

いやね。
余計なるの話の、金あらへんし、式挙げずの話、よお、聞くのけど。参列して呉れるの、親族、友人等々の、御祝儀で、殆ど、賄えるわと。
イヤ、ほんと。

されどの、当方の場合、新婚旅行の資金無く。伊豆、熱海止まりでね。要は、国内で、近場でね。資金相応にと。
そらね、結婚式費用なるは、賄えても、新婚旅行費用までは、計算出来ずの、手持ち資金と、申すか、計算出来る範囲の、でして。
とても、とても、海外なんかは、でして。

申してるです。
その時、初めて、新幹線のグリーン車に乗ったですが。泉ピン子が居たらしく。
とは、親族より、聞いてるですが。こちは、見てませんですが。
まあね。
グリーン車も、京都から、熱海では、なと。距離、時間、知れるです。しかも、「こだま」でね。

イヤイヤ、嫁はん云々と、申したですが。
コレ、我が母とは、多い違いの、でして。
申してるの、母なるは、借金してでも、好きな物、買うの人。
借金ねえ。
余所様、個人的に非ずの、自身の、生命保険から。なら、マシなれどの、それ、使たら、所謂のサラ金から。

いやね。
生命保険からも、借りたら、借りた分、金利掛かるです。コレ、サラ金水準と、までは、申さんまでもの、限り無くの近くの、高金利でね。
ある時、請求書見て、嫁はんがで、ビクリして。
どする兵衛哉の、このままでは、母の保険金、霧散哉と。だけで無くの、借金がと。
よて、保険のを、当方のボーナスにて、一発返済。
したら、したで、又、サラ金のが出て来てね。コレ又、ボーナスにての、一発返済。
てな、性格でして。母が。
要は、我が子であるの、当方が、何とか、するやろと。されどの、話も聞いてませんでして。借金したの。

まあな。
余所様、個人的で無いだけ、マシでして。どこぞの、誰か様とは、違うが最低限の常識あった、なと。
誰か様、とは、このところの、連日の話題の、圭君の事。母様<かかさま>の事。圭君とは、秋篠宮殿下長女、眞子内親王様の婚約内定者の事。
内定も、母様の、元婚約者から、借りたか、戴いたかの、生活資金、学業資金の件が明るみに出ての、婚約<納采の儀>そのものが、延期されてるですが。

当然の、圭君なら、その資金で、留学したり、致してね。どかしてるです。当方なら、とても、とてもやないの、そんな事、よ、致さんわと。
が、本来的、常識也と。
イヤ、誰でも、自身の家の事情、中学生程度にでも、成ればの、わかって当然。
呉れたにしても、相応のと。感謝の気持ちがと。
の、以前の、そもそもがの、400万円もの、資金、出して戴いての、平然とは、してられんが、世の常識。

てな、話、するの積もり、ナカツタですが。ついついと。
テレビでの、ええ加減なるの、コメンの、テーターの、話の、ええ加減さでと。
いやね。
あれは、母親の借金也で、圭君の、では無いと。それで、この大騒ぎで、圭君、可哀想なると。こいつら、アホかと。
アホ以前の、裕福、金満の、結構なるの、家で、育ったのやなと。
それこその、苦労知らずの、おぼっちゃま、おじょうちゃま。眞子様も、一緒。金銭感覚ズレてるなと。
この圭君、母様の、金銭感覚なるは、終生治らんです。金に汚いのは、汚いが、常識化してるです。
反対の、当方的、堅物も、一生治らんですが。

いやね。
こんな話、するの積もりで無くの、何の話を、かと、なればの、です。
立命館大学同窓生で、沖縄旅行したの面々の事、なれどの、アルバイト三昧と、までは、申さんまでもの、当方のよな、学資が云々的アルバイトは、まあ、してませんです。

只な。
申せば、京都の大学で、地元京都以外の、地方出身のは、下宿なり、或いは、遠く、大阪からの、通学でして。
大阪が遠いの怪と、なればの、当世と、一緒にすなと。
且つは、大学が、京都駅から、歩いて行けるの距離に非ずの、そこから、市電なり、市バスで、まあ、30分は、掛かる哉と。そこから、又、歩きで、15分はと。
理工学部の、衣笠学舎の場合は、なと。

申すは、下宿は只では、出来ずの、下宿代が。
三度の食事代も費用掛かるわと。
実家に帰るに、交通費がで。

申すは、相応の費用、学資として、親が幾ばくかの、資金援助で出来るです。
下宿で無くの、近郊、京都市内以外のでは、アルバイトもそんなには出来ずでは哉と。
要は、この面々と、一緒にアルバイトしたの記憶なら、精々が、祇園祭の、有料席、京都市役所前の、椅子の設置と、その後始末。
それと、早くに亡くなってもたの、50代哉の、宮崎出身の、シゲアキ君とは、エキストラで、1回のみ。
の、二度だけでして。
イヤ、無理も無いです。当方なら、自宅より、バイク通学出来て。アルバイトするに、土地勘あって。

いやね。
当方、当時、京都市内在住で無ければ、進学なんか、出来てえへんなあと。
そらな、アルバイトなんか、するも、時間的、大変でして。
京都市内であったが故、金無くともの、親の支援無くともの、ノー天気で、学生生活、楽しめたですが。
(19/05/21)


NO.2666 卒業半世紀記念の沖縄旅行の話(12) ホテルの一室での四方山話(1)

話、逸れに、逸れまくりで、やとで、沖縄旅行の続きの話をするです。
云うたってねえ。旅行そのものよりも、皆で、わいわい、がやがや、適当なるの、冗談、無駄話してるの方がと。
数段に、楽しくて。

イヤイヤ、当方的に、ならばの、沖縄は初めてでして。
エイジ君も、初と、申してたですが。そらな、出身地、現住所も、北海道は、札幌でして。の、どこか、までは、知わんけど。
過年、札幌には、皆で、旅行はしてるですが。その、北海道も、当方、初めてでして。
要は、北は、北海道、南は、沖縄は、行った事が無く。これで、日本の北と、南を知ったに成るですが。

北海道は、大地。
スケール大きくて、ほっきゃーどーは、でっけーぞーは、ンの、その通りや、なで、異議ありませんです。
そのほっっきゃーどーでは、海鮮類が旨くてね。又、値も安くてね。加えての、メロンが、行った先、行った先の、ホテルで、朝食で、昼食で、夕食でも、出てまして。堪能したですが。

その点、バス・ガイドが申すの通りの、沖縄での、旨いのはと、ありませんと。
ンの、確かに、ナカツタなと、相成って。
果物なら、マンゴーがと、申してたですが。マンゴーねえ。余り出てませんでして。季節がズレてまして。
大体は、沖縄では、6月から、9月頃までですて。へえと。
へえも、旅行は、4月の中旬でして。時期外れ。

海鮮と、するのか、海の幸にしたって、バス・ガイド曰くの、熱帯魚なんか、ねえと。美味しくもありませんと。
あれは、色鮮やか故、見て楽しむもので、食する物に非ずと。そやなあと。熱帯魚なんか、喰た事、無いなあと。旨いなら、出回るですが。

いやね。
景色なるは、亜熱帯の地でして。見慣れてるの光景とは、全くのと。
いやね。
首里城とか、今帰仁城跡を見たですが。
所謂の、日本の、城とは、宮殿とは、趣異なりの、どちかと、なればの、中国の影響大。
宮殿なら、当方的には、御所に成るですが。首里城は、神社風に見えて。要は、中国風の城で、城壁に囲まれたの神社也と。

今帰仁城跡ねえ。
中国の城壁を知らんですが。現物見た事が、無いの意なれどの。そら、行った事があらへんでしての、西洋風にも、見えて。当方的には。
正直には、規模の小さい、西洋風城でして。
とは、云うたって、西洋にも、行った事は無くの、あくまでもの、映画なりで、見てるの範疇。

いやね。
云うてもたら、日本と、するよりは、見掛け、中国でして。
但し、言語、日本語。
首里城に掲げられてるの歴代の王の肖像も、姿、格好、中国系に見えて。王冠も、まさしくの、あちら系影響大。
まあな。
云うてもたらの、日本が、そ、なれど、です。
その上で、日本独特、独自の考えにて、日本風に変貌したと。とも、云えるですが。沖縄は、近い分、影響そのままかと。

いやね。
尖閣諸島を、中国が、虎視眈々の狙てるですが。沖縄も、中国であると、申すも、わからんでも無いなあと。
等と、申せば、方々から、叱られるですが。
当方に、何の政治的背景もあらへんわと。
むしろの、日本政府、軍部より、好きに利用されて来た歴史があると。とも、云えて。
多くの、史跡も、壊れてもてね。

且つは、首里城を軍部が司令部とした故、尚更の、でして。コレ、日本本土を守るが為もありで。
徹底抗戦故、メタメタに、攻撃されて。跡形無く。一部、城壁のみ、残存。
更には、地上戦で、住民の多くが戦闘に巻き込まれ。特には、ひめゆり学徒隊は、悲惨。
先にも申してるの、女子師範の学徒が、看護訓練させられて。全滅に近く。

コレ、その名の通りの、女子でして。高校生でして。本来的、非戦闘員。
何度でも、申すの、その当時、高校に通えるの、女子なるは、可成りの名家。まあ、云うたら、お嬢様部隊。
それを、軍の命令で、狩り出され。
当時には、皆、そであると、申せば、そ、なれど。

女子も、竹槍を持ち、米兵を刺し殺せと。アホかと。
そのアホな話が、まかり通り。刺し殺しに行くまでに、鉄砲で、やられるわと。
要は、近代戦に、原始的手法、気合いで、戦えと。当時には、そんな無茶も、皆が、必死に、協力致し。協力せねば、非国民として、村八分にされるが故。

だけで無くの、戦艦武蔵、大和にしても、丸裸状態で、戦いに挑み。
折角の、巨艦が、意味無く、撃沈されてもてね。多くの戦士がと。
当時の軍部の無茶さがと。正当なる事、申せば、非国民。
現在の、どこぞの国に似てるですが。日本を擁護なり、したら、売国奴で、万事、理屈抜き。
ンの、どこぞの国は、その当時の、戦争してたの時代の日本国軍部を真似てると。
とも、云えての、全くの、進歩してへんのお。


オッとの、又もやの、話、逸れてもて。
話、ころりの、4月14日<日>の、夜。要は、「ホテルロイヤルオリオン」。
とは、沖縄産、オリオン・ビール系列のホテルの一室。
いやね。
明くるの、夜。これは、「ホテルマハイナウェルネスリゾートオキナワ」なれどの。

いやね。
どちで、どの話をしたか、までは、覚えてえへんですが。
そらね、延々の、雑談、思い出話等々に、華咲き過ぎて。

いやね。
最初の夜には、当方と、エイジ君の部屋に。
イヤイヤ、2泊共に、同室のは、一緒なれど。2人部屋、2室と、3人部屋1室でして。

2日目なるは、エイジ君、何を勘違いか、夜の遅くに騒がしいと、隣室の方に迷惑ぞと。
隣室の、ヒロシ君と、ノブユキ君の部屋に移動したですが。
オッとの、エイジ君申すの隣室とは、我々以外の客室の方に対し。

での、当方的に、ならばの、当然の、余所様が居てるの、隣室に気づかいするは、大いに結構も、我々と、ヒロシ君、ノブユキ君の、この2室、隣同士、背中合わせになてるが故、一緒やでと。その反対側の、部屋の方には、五月蠅いの可能性あるですが。
オッとの、初日は、三部屋並びで、真ん中の部屋にしたですが。2日目、3人部屋、少々、離れてもてね。
どちにしたって、夜を徹しの、延々の、どんちゃん騒ぎ、カラオケ大会するの、非常識人でも、あるまいにと。我々が。
単なるの、雑談してるだけの、でして。

いやね。
2日共、風呂入って、夕食喰てからの、20時頃合流にての、精々が、23時か、午前様になるの前には、解散してまして。最早の歳故、そんなに遅くまで、起きてられんでねえ。
飲みも出来んし、喰う物も、そんなには、あらへんでして。あっても、すぐにも、腹一杯になてもての、喰えんわと。

いやね。
余計なるの、話の。1日目には、夕食喰たが、「琉球茶房あしびうなぁ」でして。まあ、云うたら、料理屋。
<参考=「エイジ君のサッポロ不定期便NO.48」夕食所「琉球茶房あしびうなぁ」

又、話、逸れるですが。
そこは、簡単なるの、お座敷でして。帰りしな、気が付いたですが。中庭で、蛇味線の、演奏してたです。見て、へえと。
イヤイヤ、こちは、飯喰てるの間も、雑談、冗談ばかりでね。全くの、気が付かず。

いやね。
バス・ガイドより、聞いてたです。
イヤイヤ、そばに、コンビニがあると。
諸般、夜食なり、飲み物なるは、そこで、調達すれば、安上がりですぞと。ンの、全くの異議無くの、我々、出張してたの際、後年には、コンビニも、方々、出来出して。
当然の、朝食も、調達してたですが。そらな、ビジネス・ホテルの食堂では、勿体無いしと。高いしと。

まあね。
余計なるの話の、その手、流行り出すの以前には、自動販売機で、缶ビール等、調達したり。
いやね。そらね。
当方、下戸も、出張先で、夜、ボケっと、しててもなと。缶ビールを買おたりは、してたわと。
飲めば、忽ちにして、両目、塞ぐ故。結構なると。

オッとの、よて、1日目なるは、コンビニにて、缶ビールなり、お摘みをと。
2日目はねえ。近在に、コンビニあらへんしで、ホテルの、自動販売機コーナーにて、でして。喰い物なるは、前日の余り物等々。
どちにしろの、その、2日間の、どちで、どんなで、どの話等々。そらな、四方山話で、雑談で、思い出話なれどの、一々の、覚えてえへんわと。
覚えてえへんなりに、覚えてるの話を、したく。
(19/05/22)


NO.2667 卒業半世紀記念の沖縄旅行の話(13) ホテルの一室での四方山話(2)

いやね。
奇っ怪なる、夢見たです。
但し、数日前の事で、今だ、覚えてまして。
まあな、諸般、話をしたい事、満載にての、気が向き、尚、覚えてるのならと。

オッとの、そんな事で。
沖縄旅行に行ったの面々とは、それぞれに、思い出あるです。あって、当然の、そらな、4年間一緒に勉学に勤しんでまして。
イヤ、ほんとの、皆、超の付くの真面目人間。当方も。
その1人、1人の、こんな、あんなと、話をしてたら、切りあらへんでして。
まあな、追々にしても、宜しいかと。

いやね。
フミオ君とは、卒業以来の、まさしくの、半世紀ブリでして。合うが。
そのフミオ君の実家、四国、愛媛、宇和島には、4回生の夏休みに行ってるです。
その時の話をしたですが。こちの、記憶違いか、あちのが変か、狂てるの箇所あって。

いやね。
当方的、四国香川、高松に着いて。多分なら、乗り換えたか、そのままにか。そのままは、客車の方の事で、予讃線を走って、トンネルあって。
その際、煙が、ドと、入って来てねえ。汽車故での、石炭の煙が、でして。大急ぎで、窓閉めたの記憶があって。
当時には、汽車でと、話をしたなら、フミオ君、応答するに、違うやろ。ディーゼルやでと。
ンの、ならばの、あの、煙は何やったと、問えば、ディーゼルの煙やろと。へえと。違うで、確かに、石炭の、やでと。

いやね。
紐解けば、汽車は、1974年<昭和49年>に、本州から。1975年に、九州から、消えたですが。
四国と、なればの、明確で無く。多分なら、1974年哉と。
そしたら、昭和44年<大学4回生の頃>には、マダ、走ってまして。云うたって、京都、大阪では、見て無いですが。山陰線<嵯峨野線>なら、可成りの、後年<1989年>まで、ディーゼルでして。

トトトの、汽車やった。
イヤ、ディーゼルやったと、モメてねえ。モメるも、大した、モメ事で無いけれど。
とりあえず、誰と、行ったか、多分なら、ケンイチ君、ヒロシ君、辺り哉と。理由、彼等、当時、大阪で、当方、京都で、帰るの先、あらへんわと。
そらね、帰郷するのは、来てませんでして。話簡単の、フミオ君が、帰郷するが故、一緒にと。

その家、今、どなってるの怪の、空き家ですて。勿体ないなあと。ええ家<うち>やったのにと。記憶の範疇、新築の感してたです。
されどの、住むのが居てへんではなと。当人、フミオ君なら、東京さ、在住で、姉達、妹、嫁に行ってと。成る程なと。
ンの、アレ、お姉さんやったの怪の、行った時、女の人、2人が相手して呉れてと。

イヤイヤ、どちらかは、知らんの、ミス宇和島と、聞いて。且つは、ポスターまで、貼ってあってと。お姉さんの、映ってるの。
と、申したならばの、ミス宇和島に非ずの、宇和島の観光大使やったんやと。へえの、そかの、聞き間違い、記憶ミスかと。どちにしろ、綺麗な、お姉さんやった、なと。
そかなあと。申すが故、そやと、記憶してるのけど、なあと。

オッとの、お姉さんを、2人の、妹さんと、思てたですが。その時、多分なら、妹さんは、顔出してませんですて。理由は、知らんですが。聞いてませんでして。
での、お姉さん達、相手して呉れたの中身、トランプ。
要は、我々と、お姉さんの、6人で、7並べとか、ナポレオンとか、神経衰弱等々、適当にで、6人居てたら、結構、面白く。
とするのか、トランプしか、遊びを知らんわと。

での、あの時、聞いたの話。
親父様、学校の先生と。
そのお父さんはと、尋ねたならばの、遠の昔にと。
実は、お母さんについては、記憶してませんでして。イヤ、居られたは確かの、食事をして戴いててね。されどの、皆目の、接触の、記憶無くの、どしたはるのかと、問えば、最早のボケてもての、施設にと。そかと。
変な話の、我々世代の、親なるは、大方、亡くなってもてるの年代でして。

まあな。
以外にも、フミオ家の事、聞いたですが。
イヤ、こちから、細々は問おては無いの、当人から、なれどの、諸般、相続問題、厄介らしく。お母さん、ボケてもてるもあってと。

いやね。
冗談に非ずの、当世、寿命長くに過ぎての、下手したら、その内には、こちが、ボケてもたりの、あっちの世界に行ってもたり、やなあと。
とかとか、相続の話になりての、当方ならばの、相続となればの、何があったの哉の、コレと申すの、資産無く。

あった、あったの、黒檀の机、値打ちを知らんけれどのと。
仏壇と、墓地、墓石程度哉と。イヤ、ほんと。
されどの、仏壇なるは、ボロボロでねえ。昭和の59年<1984年>頃、新調したなあと。150万円した、なあと。
但し、墓地、墓石の、墓石も、ボロボロ、欠けて来ての、コレマタ、その当時に新調したなあと。150万円した、なあと。

モ一発、但しの、墓地、墓石なるは、売れませんです。
墓地なら、当方的、京都の一等地、東本願寺祖廟で、コレ、借地権。貸して呉れるの、東本願寺の物での、第三者には、売れずで、管理出来ずと、権利の、放棄か、管理費<年間5千円>未納10年での、没収あるのみ。

墓石なんか、当柴田家の者にしか、全くの意味、価値無くの、こんなモノ、他家、姓の異なるの方にとては、一銭の値打ちどころか、預かってもらうも、迷惑、邪魔、トンでもの、モノでして。
それも、将来的、どなるのか、なあと。
永代続くは、まあ、無いの、極めての、希有なるの事や、なあと。余程の名門、歴史あるの家系でも、無いの限りは、なと。
申せば、フミオ君、詳しくは、知らんの、とは、云えどの、彼のご先祖様なるは、伊達家と、ご縁あったの方らしくの、へえと。

イヤイヤ、伊達家なるは、伊予の国、現、愛媛、宇和島にご縁あるですて。他になら、但馬の国、現、兵庫豊岡。駿河の国、現、静岡県静岡ですて。へえと。
では、あれどの、彼の実家、宇和島には、何も無いと。
何も、とは、実家を継いで、何するやと。

まあね。
当方、記憶ならばの、すぐの、そこが、海岸でして。
海が見えてまして。変な話の、台風襲来で、大変や、なあと。的、印象のみで、周辺細かくは、知らんわと。
とりあえず、ボートで、近くの島、無人島哉の、行ったですが。帰りは、潮の流れで、苦労した、なあと。漕げど、漕げど、戻れませんでして。
戻れたが故、事件に成らずで、生きてるですが。

オッとの、この話、2日目の、ホテルの一室で、でして。
1日目のは、皆目の、記憶に無くて。
にしてもの、フミオ君の話、面白く。
いやね。
彼、海外赴任経験豊富でね。且つは、低開発国で、治安の悪い国ばかり。
超の簡単には、イラ・イラ戦争<イラン、イラク戦争・1980年から、1988年>の真っ直中、イランに行ってたですて。へえと。
(19/05/23)


NO.2668 卒業半世紀記念の沖縄旅行の話(14) フミオ君の体験談(1)

いやね。
肝心の事、フミオ君が、低開発国、治安の悪い国に、赴任で、何してたのか。
ここを、聞き忘れてもてね。

いやね。
彼、云うてるですが、ども、当方的、頓珍漢でして。
現在なら、キョウリ<漢字不明>と、云うたかを、「蝶理」と、聞いてねえ。当方が。
「蝶理」なら、京都の会社で、昔はなと。繊維関係でと、申したならばの、違う、違うの、キョウリだよと。
彼の喋り方なるは、東京弁でして。そらな、現住所東京さでして。
キョウリねえ。どんな字かと、問えば、教えて呉れたですが。すかりと、失念。

いやね。
海外を飛び回ってたの頃は、古河電工ですて。へえの、よお、知ってるでと。
まあ、云うたら、電線の会社。
当方、Diode製造部の時、フリード線<リード線>でと。以外ならの、住友電工、藤倉電線を承知してるですが。
ンの、現在と、するのか、光ファイバーの事でと、云うてた故、今が、古河電工なんやろ哉の、よお、わからんです。

その辺り、よお、わからんですが。
イヤ、何をしに海外赴任かを、ですが。
とりあえず、言葉、語学、堪能で無ければ、話に成らずで無い怪と。努力したんやなあと。
申せば、全然の、努力なんか、してないよ。

そこで、当方的、フミオ君の話、聞いて、ンの、そんなモンかと、一発、納得の言。
いやね。
努力なんか、しなくとも、現地に行けば、何とかなるよ。
と、するのか、そだねえ、3箇月も経てば、突然に、わかるんだよ。現地語が。
コレ、見事、突然なんだよ。3箇月経てば、解り出すよ。努力なんか、してないよと。フウンと。

よく、頑張った、頑張ってと、聞くのけれどの、そかなあと。
見るモノ、聞くモノ、どっぷり浸かってたら、自然の成り行きで、解り出すんだよ。
と、まあね。
そ云われれば、あちら様、外国では、幼児でも、現地語喋ってまして。正確なるの、意味わからずとも、言葉の概ねの事、理解してまして。

そらねえ。
現地の方の、言葉の、微妙なるは、現地人なり、相当なるの年数、生活せねば、わからんなあと。
云うてもたらの、日本人でも、日本語の解釈、様々での、理解のされ方さえば、想定外であったりしてね。

又、同じの言葉でも、所替われば品替わり。
京都弁なんかと、東京弁も、抑揚から、言葉尻から、全部、違うわと。
微妙なるの、ニュアンスも、大袈裟に云うてるもあってねえ。実際問題、京都人は、回りくどいの、云い方する等々、諸般、揶揄されたり、してるですが。
考えよで、常識の事でして。それを、ズバリと、口にするか、するまでに、ご当人様の方で、気が付けと。

とっとの、少々の話、逸れるですが。
客人が、長居して、お茶漬けでもと、云われたら、はよ帰れの意。
等々、云われてるですが。地方の方から。

がしかしの、考えてみて頂戴の、突然の、他家に訪問で、長居されての、時分時になてもてみい。
客人の分の、までは、準備が無い故、お茶漬け程度しか、出せへんわと。出すだけ、マシと、違う怪の。コレ、昔の話やでと。
当世なら、ファミリー・レストラン等々、方々にあるですが。チョと、外出すれば、済むですが。
足の面なら、車もあるし。

昔、昔の、半世紀以上の昔やてみい。
まずは、半世紀なら、ファミリー・レストランなんかの、陰も、形もの、ンの、多少なら、あったの哉の、出来出してたですが。ソレ以上の、昔やてみい。60年、70年も、では、まあ、知らんわと。
車も、珍しいの時代でね。歩いては、チョとなあで、仕出し屋なり、出前を頼めるの店に、注文するに成るのけれどの、仕出し屋なんか、予めの、予約が要るです。多分。

での、そもそもがの、そんな時分時に、までもの、長居で、他家に訪問なるは、非常識もあるです。その家との、親しさも、あるのけど。
まあな、予めの、訪問伝えてたら、食事の準備も、されてるです。むしろの、されてえへんなら、その方が、失礼と、するのか、気が利かんの家でして。
てな事で、お茶漬けでもは、そんな、昔、昔の、半世紀以上の昔の話。多分。

その手、前提、知らずしての、京都ではなあと。
お茶漬けでもと、云われたら、はよ帰れの意也と、知ったよな、話をするのべからずと。
当世なら、嗚呼、昼時やし、飯でも、喰いに行くかと。或いは、最初っから、その手、コーヒーも、あるの、店での、雑談なりがと、相成るなあと。


トトトの、そやからと、一箇所、一箇国でもあるまいにと。
と、申せば、一緒だよ。兎に角、三箇月。
経てば、わかるよと。努力なんか、してないよと。

いやねえ。
言葉の問題なら、三箇月も、治安の悪い国でして。
よくぞ、まの、とりあえずは、現在唯今、命あって、片腕、片足、無くしてるで無くて。五体満足にての、一緒に、沖縄にと、成っててね。
彼の話、聞けば、聞く程に、よお、無事でと。命あった、なあと。

イヤイヤ、どこえと、なればの、中東、南米。
且つは、申してるの、イラ・イラ戦争当時の、イラン。戦争中に、イラン怪と。
まあな、彼の話では、まさかの、最前線、戦闘してるの地域には、行かないよと。
そらなあ、そとは、思うですが。
その手、情報知るに、現地語理解せねば、わからんやろなと。

オッとの、この手、危ない目にも、遭遇の話。
なるは、2日目の、夕食<ホテル>の時から、継続的、ホテルの一室での、ビールと、お摘み持ち込みの、四方山話の時でして。
当然の、6人での、話故に、話、あちに飛びに、飛びでの、話も、記憶の範疇バラバラでして。

オッとの、ホテルの1室では、7人で、6人故、内の1人、自室で、寝てると。
コレ、九州、福岡在住、出身は、熊本、八代なれどの、アキノリ君でして。
2日とも、部屋には、居てナカツタなあと。
今思えばの話。
(19/05/24)


NO.2669 卒業半世紀記念の沖縄旅行の話(15) フミオ君の記憶違いの話

いやね。
多分なら。イヤ、きっと。
2日目の、ホテルの一室。要は、「ホテルマハイナウェルネスリゾートオキナワ」。

いやね。
ここは、前日の、「ホテルロイヤルオリオン」よりも、数段に、宜しくて。とりあえずは、広くてね。



ホテルの部屋の写真なるは、「エイジ君のサッポロ不定期便・番外編<立命卒業50年記念沖縄旅行>」には、貼り付けてませんですが。
ホテルの部屋の様子まで、掲示板に貼り付けるも、なと。但し、パスワード付きのでは、入れてるですが。
尚、この、「単なる雑談」では、基本、超の個人的話をしてるが故、部屋の様子もと。

いやね。
2人部屋で、写真の如くで、結構なると。
イヤイヤ、1日目の時には、部屋狭く。と、同時に、6人もが、座るの椅子無くて。
まあね。
3つの部屋に分散なれどの、部屋並んでての、真ん中の、エイジ君と、当方の部屋に集まったですが。椅子も、運んで呉れと。
2日目には、椅子も、充分故、運ばずで、済んだですが。
但し、先にも、申してるの、何を勘違いか、気の利かせ過ぎの、隣室の方に迷惑ぞと、エイジ君、申すが故、そしたらと、ノブユキ君、ヒロシ君の部屋に集合したですが。

話、少々、逸れるですが。
イヤ、フミオ君の話をしたく。本来的、彼の経験談、海外、後進国の件、当方的、興味津々の、へえの、そかと、聞き入ってもてね。
それは、多分なら、2日目の、夕食の時でして。聞いたのが。
追々にと、するも、中身、半分も、覚えてませんでして。且つは、細々なるは、失念で、歳や、なと。

いやね。
ここでは、2日目の部屋の中での、フミオ君が、当時、半世紀の昔に、我が家に来たと。
嗚呼、さもありなんの、仲間の多く、来て呉れてるしと。貴君が来て呉れてて、何の不思議で無くと。
までは、申してませんですが。

彼の記憶なら、泊まったと。えと。
且つは、何人かで、行ったよと。フウンの、完全否定は、致さんですが。当家、当時、当然の、仏光寺の、油小路の、ボロ家なれどの、来て呉れるは、熱烈の歓迎も、学生時代の親友が、泊まって呉れたの記憶はあらへんでして。

そもそもがの、複数人数、泊まるが出来たの哉と。
いやね。
そんなに、沢山の、布団があらへんです。多分。
イヤ、あったかなあと。つらつら、考えるに、あっても不思議で無いなあと。

されどの、その当時なら、祖母健在。
泊まるにしたら、二階の、我が部屋でして。2人が寝るは出来ても、3人、4人の、4人目しんどいなあと。
まあな、彼の申すの、何人かの、人数、わからんですが。
そもそもがの、当家に泊まるの理由が無いです。京都市内の大学でして。皆、市内の下宿先なり、でして。要は、遠方に非ず。
やからと、泊まって、不思議で無いですが。

いやね。
当家に、泊まったの記憶は、東京さに引っ越してたの、従兄弟。それも、長男。これは、何度か、泊まって呉れてまして。
そして、祖母の葬式の時には、その東京さの、叔母一家5人なれどの、布団がなあと。通夜等々故、適当でして。
されどの、享年1971年の、2月27日でして。適当も、寒いわと。
ンの、ならばの、布団があったの哉と。
されどの、まあなの、祇園祭の頃なるは、7月でして。我々なら、布団なんか、イランなの、そこらで、雑魚寝で、充分かと。

だけなら、まだしもの。
彼、フミオ君、申すに、祇園祭の、鉾に上がらせて呉れてと。ンの、それは、わかるの事よの、菊水鉾の事也と。
高校時代の、1年生の時の、なれどの、同級、親友<猪田浩市君>が、菊水鉾の、でして。
そらな、学生時代には、親父様が、なれどの、現菊水鉾保存会理事長でして。
てな事、無関係の、当時には、誰でも、女子でも、菊水鉾には、上がれてまして。後年、いつからかは、知らんの、有料になったですが。

イヤ、ここだけの話。
でも、無いの、猪田浩市君、下記<参考>の最下段に、写真掲載されてるです。NHKのに、出てるし、その他、諸々の、テレビ出演、度々故、何の、隠す事もあらへんわと。
要は、知る人ぞ、知るの有名人。
<参考=「『京これ!』 祇園祭 菊水鉾 新しい幕がお目見え」(NHK・京いちにち・ニュース630)>(16/07/15)
<消滅・20/06/28>

での、フミオ君、申すに、その鉾に直接に、渡れ、乗れるの立派な家やった、なあと。ンの、ゲの、オトトの、あのなあと。
それ、高校一年の時の、友達の家やでと。
当家、借家で、狭いの家でと。当時は、なと。

話簡単の、フミオ君、諸般の事、記憶をゴチャ混ぜにしてるなと。
無理は無いの、くどいけどの、半世紀昔の話故、記憶間違いやと。
最大は、家が違うなと。
そんなに立派なる家、ならばの、柴田理事長かと。
と、までは、申してませんですが。

いやね。
沖縄旅行に同行の、全員、我が家には、来て呉れてるです。基本、祇園祭の時でして。コレ、ぎりぎりの、夏期の長期休暇の直前でして。
本番、巡幸なら、7月17日やし、なと。
イヤ、来て呉れるは、宵山なりでの、本番では、無いですが。そらな、本番なるは、昼間でして。
来れば、当然の、菊水鉾に案内致し。

いやね。
その一度も、浩市君には、会えてませんですが。
行けば、浩市君はと、そこらに、居られるの方に、尋ねてるですが。居て無くて。
祇園祭とは、違いの、大学生時代、近くに寄ったの事あっての、チラと、訪問で、その時、会おたですが。同志社大学と申したの、彼、マンションに住んでると、案内して呉れて。
以来、会わずで、半世紀経つなあと。

いやね。
その時、祇園祭の期間には、その手、家には、まあ、云うたら、自慢の逸品をば、飾られてまして。
要は、見て頂戴と。
逸品とは、呉服でありの、家宝類哉と。現在でも、見て頂戴的、披露されてるですが。その当時の雰囲気とは、格段の差でね。
理由、そらな、木造家屋の頃と、当世、会社で、鉄筋の、ビルでして。まるきりのと。

オッとの、ここ2年。
当家、嫁共、孫共で、祇園祭の宵山にと。するのか、宵山でも、無いの、昼間故の、行ってるですが。鉾に上がるの家、猪田家では無く、その向かいの、でして。
てな、話、そこまでは、ホテルの一室での、四方山話で、してへんわと。
(19/05/25)


NO.2670 卒業半世紀記念の沖縄旅行の話(16) フミオ君の体験談(2)

やとで、フミオ君の話をと。
いやね。
2日目の宿、「ホテルマハイナウェルネスリゾートオキナワ」の食堂。バイキングなれど。

と、まで、申しの、又、少々の話、逸れるですが。
ここの、食堂スタッフなるは、ほぼの全員、外国人。
まずは、皆で、ビールでも飲むかと、注文するに、生ビールが通じませんでして。イヤイヤ、どこの国かは、わからんのとりあえずは、亜細亜系の女の子でね。

仕方が無いしで、メニューを見せて頂戴なと。
要は、生ビールがあるのか、無いのかを知るが為での、見たら、あるが故、これをと、メニューのその箇所をば、指にて、示せば、わかって呉れての、ホと、安堵。

いやね。
オリオン・ビールは、当方でも、不味いなと、思うが故、ここからは、アサヒなり、キリンにしたですが。
反対には、ここまでは、現地故、敬意を表しの、オリオン・ビールを注文してたです。
イヤイヤ、朝食以外は、皆で、生ビールで乾杯致し。

オッとの、それでや。
バイキング故、何があるかと、食堂内、ウロウロの、寿司があるしで、嗚呼、これをと。
取るに、皿が数皿あっての、乗ってるのが、皆違うし、数も違うしねえ。マグロ、玉子、海老等々なれどの、コレ、3個で、足らんですがと、云うてるのに、握ってると、するよりは、ネタをしゃりに載せてるだけの、寿司職人なれどの、返答、大丈夫、大丈夫。
持って行って、大丈夫の積もりなんやろねえ。
まあな、足らん、モノが違うも、どちみちの、モと、喰いたいなら、又、取りにで、済む話でして。
万事、そんな調子で、こちの、尋ねてるの事と、返答が合致せず。

いやね。
バイキングなれどの、皿なり、食器がテーブルに一杯になてもてね。返却するに、場所が見つからんが故、尋ねても、ええ、ええと、だけで、コマツタなと。
ででの、周囲見てたら、ども、スタッフが回収してるのみたいでねえ。
と、同時に、回収場所も、わかったが故、回収待たずに、そこに持ち込むに致し。

事程左様の、スタッフ全員外国人でも、こちが、適当に気を利かせまして。
処理すれば、問題無いなあと。
まあ、つまり、この手、バイキング・スタイルなら、何とでも、なるです。
そ、云えば、北海道の、ホテルのバイキングも、スタッフなるは、外国人ばかり。
食材の補充、食器類の回収程度なら、言葉わからんでも、済むなあと。

反面、最早の、日本人客のみに非ずの、世界各国の相手でありの、この手、スタッフなんか、日本人でも、外国人でも、一緒やなあと。
どちみちの、言葉、よ、わからんなあと。
とか、申してた、ならばの、フミオ君が喋り出し。

三箇月経てば、わかるよになると。
自身、何の努力もして無いけれどの、低開発の国々の言葉、わかるよになったと。三箇月で。
コレ、突然に、わかり出しと。

でね。
その辺りの話、聞いてたならばの、その手の国、治安の悪い国、イランとかでは、銀行も充てにはならんと。へえと。誤魔化されるですと。
又、取引には、万事、現金、現生であると。フウンと。

いやね。
その現生、日本円で、100万円程持参で、宿にも泊まれず、野宿と、するのか、そこら、適当にの、道端で寝てたら、突然に、武装集団に囲まれてと。えと。
十人、二十人居たのか、武装集団、とは、軍の事でして。
こんな場所で、何してると。
何してるも、泊まるの場所がと、返答したなら、ここは、危ないと。フミオ君を囲むよに、警護して呉れたですて。へえの、相手が、そんな面々で、ヨカツタなあと。

ほんとにねえと。
最早の、ここまでかと、瞬時には、覚悟したですて。
いやね。
そんな場合、ごたごた申さずの、所持金出すが常道なれどの、守って呉れたと。
出しても、殺される時には、殺されるですが。

いやね。
当方、場面、全くの違うですが。銃で、構えられたの経験あって。韓国で。
いやね。
韓国工場の面々、実習生なれどの。
実習生とは、韓国工場の、まあ、云うたら、エリート社員が数名、ダイオードの製造移管がための、でして。
実習終えての、当方、その進捗なりと、異常発生時の、対処、指導のため、2週間滞在時、その実習生が、青瓦台<大統領官邸>を見物にと、連れてって呉れたですが。
当時の韓国大統領なるは、一番に有名なるの、朴正煕<パク・チョンヒ>。
現大統領、ばりばりの、アンチ日本の、文在寅<ムン・ジェイン>の、先代の、朴槿恵<パク・クネ>大統領なるは、その娘。

いやね。
タクシーで、行ったですが。
大統領官邸なるは、高台にあっての、その坂道で、タクシーがエンストしてもてね。停止。
したら、即の、警備兵なんやろねえ。現れ、銃構えられ。

いやね。
我々、映画、テレビでは、あれどの、現実の、日常生活にては、銃そのものを、見るが、ありませんでして。イヤ、オモチャのならなで、現物を。
これを、構えられてみい、緊張走るです。

いやね。
特段の、テロの為に非ずの、単なるの見物人でして。
されどの、当方、日本人で、韓国語なんか、まるきりの、わからんわと。

実習生の1人が、とりあえず、当方は、関わるなと。関わるも、関わらんも、状況さっぱりでの、1人が、解説して呉れるに、兎に角、ささと、この場を去れと。モタモタ、すなと。
云われたって、エンストで、車<タクシー>が動かんですが。

ここで、何を勘違いか、焦ったかの、要は、エンスト故、暫く、エンジン停止で、様子見してな、仕方が無いのに、タクシーの運転手、ラジエターの、蓋開けてもてね。
水蒸気が、ブワっと、噴出致し。
多分なら、運転手は、どこか、顔と、思うの、軽く、なれどの、火傷したと、思うですが。
大丈夫哉と、顔見たら、確かに、軽くなれどの、赤くなってたよな、記憶してるですが。水膨れには、成っておらずで、安心したですが。

オッとの、どちにしろ、暫く、様子見で、その辺り、実習生の誰かと、警備兵との話してて。その間、ずと、銃を構えられ続け。
いやね。大丈夫。
とは、思えどの、銃、構えられてるは、気分穏やかに非ずの、暴発でもしたら、どするやと。
イヤイヤ、結果的、大統領官邸の事、全くの、記憶に無くての、果たしての、そのままに、帰ったのか、モ一寸で、見えるの場所で、見たけれどの、全容見えずの、チラと、だけであったかが、定かにと。

いやね。
実習生は、5人で、その時、同行、案内して呉れたは、3人と、思うですが。
韓国の、現地人でして。且つは、日本語ぺらぺらの、でして。まだまだ、心丈夫なれどの、フミオ君の場合、ンの、コレ、その時の人数までは、聞いては無いけれどの、野宿故、自身のみか、精々が、モ1人か、2人やろなあと。
どちにしろ、少人数で、よお、野宿をするし、他国で、10名、20名でもの、兵士に囲まれてみい、国の状況が、状況だけに、生きた心地はしやへんかった、やろなあと。

いやね。
フミオ君の話では、銀行なんか、充てには、成らずも、誤魔化すですて。銀行内には、誰が居てるか、わからんですて。要は、泥棒なり、でして。
現金、引き出し、出た途端ですて。それこその、鉄砲なりで、脅され、巻き上げられるが落ちらしく。

現金持参で、諸般の打ち合わせをするにしたって、約束なんか、守って呉れず。
守って呉れても、出て来るの資材が足らん、モノが違うなんか、日常茶飯。
その辺り、覚悟の上でと、相成って。

日本くらいやでと。
そもそもがの、銀行に信用ありで、出て、即の、強盗にが、ニュースになるのが。事件になるのが。
あちらの国なんか、警察も、信用出来ずで、信用出来るに何があるかと。
むしろの、軍哉と。体験上。
(19/05/26)