シバケンの単なる雑談NO.98
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目次
NO.1250 エイジ君の送別会の話(4) 電磁気学の話
NO.1249 エイジ君の送別会の話(3) 電友会、催しの話
NO.1248 エイジ君の送別会の話(2) 大学の先生に成れるの法の話
NO.1247 孫娘の誕生祝いの話(1) 二度目の新居の話
NO.1246 「ふないの里」の話(3) 入所の話
NO.1245 「ふないの里」の話(2) 母戻るの話
NO.1244 墓はあっても、儚いの話(4)
NO.1243 「ふないの里」の話(1) 相談員との話
NO.1242 墓はあっても、儚いの話(3)
NO.1241 墓はあっても、儚いの話(2)
NO.1241 墓はあっても、儚いの話(2)
諸般、墓の事、お守りについては、種々あるです。
当家<参考1>にもありまして。母方<参考2>のでも、ありまして。
<参考1=「不可思議の世界NO.19」NO.219 桜散る散る、花吹雪の話(11) 墓の話(1)>
<参考2=「不可思議の世界NO.17、NO.18」閑話休題・他家の話>
簡単には、当家の墓に、祖父の従兄弟であるのか、親友かが、入られてまして。祖母が、生前、自分が生きてる内にはっきりさせると、してくれて。ご縁切れたですが。
イヤ、関係を正確には、覚えて無いですが。私なら、墓地で、一度か、二度、親族にお会いしてるです。見知らぬの方、お参りされてまして。祖母が挨拶してたかと。
イヤイヤ、苗字承知してるですが。どこに住んで居られたかは、知らんわと。
入られてた方の親族が良心的、常識的な方で、良かったです。
万が一にも、自分の墓と主張され、その親族までが、入られてみい。ややこしい事に相成るです。祖母も、その辺りを危惧しの、しかるべくの、処理してくれまして。
そらなあ、祖母からも、苗字以外、一切、聞かされてませんでして。孫であるの、私が、知るの必要性無しと。祖父他界以来、お付き合いもして無いしと。
<補注=墓地権利者の許可無くして、納骨出来ません>
私も、以来、充分なるの期間、諸般、注意してまして。
お参りの際、花が供えてあれば、ンと。
後刻、後年にでも、機会あれば、親族に確認しまして。結果、叔父方の面々であったり、妹一家であると、判明での、ホとしたり。花なら、現在でも、お参りの際、供えられてるの事、あるですが。
我が親族であると、認識してるです。
充分なるの期間とは、墓石も欠けてたりしてました故、資金出来たら、新調するかと。その新調するに当たっての、充分なるの期間の意での、先様が処置され、ご縁切れたと、確信の、云えるまでの、期間でして。
ソラ、こんな事、今日云うて、明日出来るの話であるまいにと。事が、事だけに、話も、行動も、慎重にと。ましてやの、苗字以外、知らんのにと。
イヤ、祖母からは、度々の、チャンと出来てると。とは、聞いてたですが。
墓石なら、昭和59年<1984年>、新調してるです。祖母他界、昭和46年<1971年>でして。
ソラなあ、墓石新調も、今日の、明日にも、出来るの話で無し。相応の資金要るです。
とかとかの事柄、当然の、長男たるの、私の責務やわと。
<参考2>の方、母方の事でして。
私共に相談あれば、意見、申すですが。基本、他家の事<こと>故<ゆえ>、一切のと。
イヤイヤ、事後、事、終わってから、しかるべくの、連絡有って、左様<さよ>かと。聞くまでは、変やなあと。変と思えど、察知すれどの、皆の、当事者の、居てるの場で、何でやと。
とは、聞けず。
イヤイヤ、掲載してるの話なるは、母方、長男家の、長男。我が従兄弟が早くに他界しまして。その嫁が、一緒の墓に入りとは無いと。お守りも大変故、次男家に譲ると、申しまして。
基本、そこまでしか知らんですが。
果たしての、墓を、仏壇を、次男家に譲るとは、故婿家、先祖を見ません、守りませんの意の。そこから先、我が従兄弟の親族との、ご縁切るの意まで、含むのか。までは、知らんの、多分なら、そなんやろと。
での、従兄弟<長男>嫁が、何故にそこまでの決意したかの、背景知らんですが。
云い出せば、元々が、長男と結婚したんやわと。諸般、覚悟の上の結婚と、思うですが。イヤイヤ、決して、パラン、パランの、出鱈目なるの嫁に非ず。
只なあ、従兄弟家、一女、一男居てまして。娘の方なら、直近の、当人祖父母の年会にも参列してたですが。息子がなあと。来てませんでして。
そもそもがの、母方長兄の長男の、又、長男でして。悪いけれどの、これがと。どもならんなと。とは云えどの、父親が、早くに他界、可哀想ではあるですが。云うても、既に、社会人でして。
大体が、従前、母方の年会にも、顔見せた事、無かったわと。従兄弟が居てるの時代でもです。
そらなあ、諸般、あるです。
どこまで、云うて良いのやらの。私、お家の事情、細々とは、知らんなりに、当世とは、異なりましての、父方、母方親族とは、付き合い深く。そらなあ、従兄弟の中では、一番の兄貴的存在でもあるですが。
父方のなら、同居もしてたしなあ。歳の離れた、兄的存在での。ここでは、柴田家の話では無いですが。
母方のも、家近く。
伯父<次男>家は、中学校通学路の途中でもあってねえ。そんな時代から、愚痴話、始終聞かされててねえ。イヤ、当人の兄のでして。長男のくせして、アカンタレめがと。
私もその長男なれどです。長男とは、大変やなあと。弟から、種々、文句云われてなあと。
思えど、中身、同感の話ばかりとするのか。そ云うたら、そやなあと。
実は、母方長男家が、親の、ご先祖様の、行事、年会等々、一切、致しませんでして。結果、その伯父<次男>が、長男の代行してまして。
この辺り、聖護院派山伏までしての、先達努めてたが故、きっちりしててねえ。
要は、私、祖母から、この母方、伯父からまで、長男は、長男たるはと、コンコンとと。
おまけでと、するのか。我が叔父達からまで、色々とと。こっちは、我が、親父に対するの愚痴話でして。長男のくせして、云々と。
こっちからのは、自分が云われてるのみたいでねえ。
これ又、事実の、当家年会等々、祖母が取り仕切ってたかと。イヤイヤ、祖母が居てるのやからにして、それでも結構なれどです。
にしてもの、確かにです。墓参1つ、親父と一緒に行った事、あったかなあと。殆ど、記憶無く。イヤ、ゼロと、までは、申しませんですが。
それを、叔父達から、云われてまして。云われても、私が親父にモノ申すの事は致しませんです。叔父達にしても、長男であるの、我が親父に、直接的文句云うは一切よやらんです。出来ませんです。
仮にでも、云うたとしたら、祖母が、ガツンと一発。当然の如く。イヤ、そんな場面、記憶にありませんですが。よって、仮の話やわと。
事程左様、斯様の、当世とは、異なりまして。
昔日の、親たる、長男たるは、問答無用の、えらいの存在でして。当たり前の、相応の、長男たるの、事しての事なれどです。
ほんまやでの、私なんか、事、当然の如くにしててもです。してるのつもりなれどです。
兎角に、チクチク、やられてねえ。コレ又、長男たるの宿命かと。
(13/06/03)
NO.1242 墓はあっても、儚いの話(3)
まあねえ、冷静に考えれば、納骨も、回収にも、墓地の権利人であるの、当家の許可要るですが。
よって、多分なら、回収については、祖母なり、親父なりが、しかるべくの、許可なり、確認なり、してるかと。
さもなくばの、余所様が勝手には、出来ませんでして。当然の寺<東大谷祖廟>にも、申請しの、許可要るです。
オトトの、そんなシステム的、手続き等々、知るは、可成りの後年でして。親父、他界してからでして。それまで、権利云々さえも、知らんわと。
そもそもが、墓参の際、バッタリなるは、私が、小学生、中学生時代の事でして。先様より、小学生時代かには、お菓子等、戴いたを記憶してまして。
只なあ、見知らぬの方が、当家の墓にお参りしてるは、変であると。するのは、分かってたです。
祖母としたら、他人様が、墓に入ったはるを、相当に気にしてたかと。よって、最後の、最後まで、その件、チャンとしてあるしと、念には、念の、何度も、口にしてたです。
イヤ、私も、同様、引っ掛かってまして。
にしても、先様、親族も、良くぞ、他家の墓地にと、思うですが。
その時には、それは、それで、皆、納得したんやろかと。さもなくばの、そんな事、致しませんでして。
そらなあ、祖父と、当人はそれで、良いとしても、後世、私共が困るです。全くの、知らんの人が、墓に入ったはるは、異常でして。ご縁明確、過去帳に記載の、血縁なら、宜しいですが。
その方のは、記録されてませんでしたです。
イヤイヤ、事程左様の、長男の大きな役目。
とは、先祖を守るの事也と。
それを形にしてるが、墓地、墓石、仏壇でして。
単に所有してるだけに非ずの、お参りしてまして。管理してまして。
仏壇なるは、毎日の如くに、仏飯をと。線香立てて、鈴を鳴らしの、数珠持ち、両手合わせ。云うたら、毎日、毎日、ご先祖様を超の身近に感じてるです。云うたら、一緒に暮らし、生活してると云うて、過言無く。その通りで、御座候のと。
私なら、気が付けば、当たり前に、やってるですと、云えまして。
ご先祖様と一緒に在るが故、盆には、お寺様に頼みの、仏壇に向かいの、読経をと。
その他、法事を主催致しまして。しかるべくの、親族を招きの、しかるべくの場で、事をと。
云うてもなあ、法事で、集めるべくの、親族もある程度限定してまして。限定も、我が親族、数知れてるですが。
血縁、濃いとなれば、妹と、2人の叔父。上の叔父他界で、従兄弟なりが来てくれるですが。下の叔父も、嫁<叔母>が過年他界でねえ。余計な話の、誰の年会であったかに、叔父夫婦が来てくれたですが。
元気な姿なるは、それが最後やったなあと。イヤ、2008年に他界してるですが。
<参考=「不可思議の世界NO.5、NO.6、NO.7」叔母の話>
での、母方の話をすればです。
上の伯父、長男家の従兄弟が他界にて。嫁が、面倒よ見んと云うは、長男家のするべきの、先祖のお守り致しませんの意でして。聞いて、へえと。
確かに、ここは、諸般、年会の際にも、嫁が来る事、数少なく。殆ど、従兄弟1人が来てたですが。イヤ、当然の、嫁とは、幾度も会いの、承知してるの、年会も、一度か、二度は来てまして。
その時には、そこの娘も一緒かと。
イヤ、ここの、次男家の方、家族一同来てまして。下手したら、娘婿までが、来てまして。
イヤイヤ、えらいモンです。皆、方々に散りで、こんな場でしか、会う機会も無く。要は、次男家、此度、長男家の墓地、墓石、仏壇までを、引き継いだですが。
にしても、余計な話の、次男家にしても、娘3人でして。時間稼ぎは出来ても、その先、どするやと。までは、申してませんの、その話を電話一発、聞いてから、会う機会無く。
只なあ、長男家も、三重、信楽でして。墓所、京都、左京区、岩倉妙満寺でして。
墓参するも、そは度々の行けませんです。勝手な推測ならば、ソレもあったかと。よって、醍醐寺の方の、次男家にと。
にしても、長男家の、その従兄弟、私の目からは、長男として、一生懸命にやってたです。
当たり前と、云えば、当たり前の、法事には、必ず、参列してまして。我が親父の葬儀にも、1人、来てくれてたです。イヤ、上の伯父、既に他界で、代表としてでして。
下の伯父の方は、当人、伯父が来てくれて。そこの、長男<従兄弟>は来てませんですが。
そしたら、上の伯父が生きてたとしたら、その伯父、葬儀に来たかとなれば、マア、来ませんです。当時なら、歳も歳でも、その、条件、除外も、来いひんやろと。
事程左様の。
要は、長男として、親戚付き合い苦手は致命的かと。
イヤ、長男たる、それが重要なる役目哉と。家、一家を代表してるです。
その辺り、本来的、次男、気楽でして。長男行けば、原則、行かずとも、済むですが。次男も来てくれたなら、ソラ、結構なると。
更なるの、余計な話の、東京の従兄弟。
これは、男三兄弟での、長男、即、出られんの場合、次男が代行にて、来てくれるです。兄貴の代行であると、明確に云うてるです。兄貴は後刻、別途、お参りさせて戴くと、申してるですと。
事実、親父の時にも、叔父嫁の葬儀の際にも、同様でして。
その辺り、三男余計に気楽やなあと。
東京の叔母の葬儀の際、会おたが、ン十年ぶりでして。
オトトの、何の話をしてるやと。
云うたら、長男たるは、口にはされずとも、親戚筋より、長男として見られてまして。オッとの、当たり前に、長男は、長男なれどです。長男の努めしてるかを、見られてまして。
長男の努めとは、先の通りの、先祖の守りを致しの。親戚付き合いの事でして。簡単そで、簡単に非ずの、そら、諸般、年会に参加も、都合付けての、手ぶらでは行けへんわと。
問題は、現役で、仕事の忙しい時、どするやがあるけれどや。
コレ又、私にしたって、声掛かれば、万難排しの、必死の、約束履行してたわと。出張先からの、帰りに、直行したり。上の叔父の時がそやったです。
出張先、岡山、笠岡から、在来線、新幹線で、京都駅で、近鉄に飛び乗り、田辺えと。
最寄りの駅、分かれど。道順不明での、迎えに来てもろたりの。イヤ、それまでは、車でしか、行った事が無く。時刻も、そのよに、調整して戴いて。ソラ、参列するつもり故でして。
イヤイヤ、自分で云うも変なれどの、諸般、私が参加せねば、収まらん時もあるわと。
一応は、柴田家親族代表してまして。
そのよに、扱い、扱おてくれる限り、期待裏切らんわと。我が努め也と、承知してまして。
(13/06/04)
NO.1243 「ふないの里」の話(1) 相談員との話
イヤ、良かったなあと。
イヤイヤ、本日、「ふないの里」入所に絡んで、先様、相談員が、母入所先、ショート・スティの、「けやき」にと。
過日、連絡受理で、10時半から、面談致したし。
との、事でして。
10時半の、5分前には、着いたですが。「けやき」にでして。ソラ、原則、待たせてならじの、さりとての、余所様でして。余りに早くも、問題でして。5分前辺りが適当かと。準備万端、家出るの時刻、調整致しまして。
上手い具合に、着きまして。「けやき」の駐車場に駐めて。玄関先にと、向かうの道中。とする程の距離では無いですが。応接間とするのか。一寸した、ロビー、打ち合わせ場所を、見たなら、ンの。
相談員が見える。母も居てる。こちらの、介護士も見えまして。ンと。
イヤ、先の通りの、遅刻はしてませんでして。
玄関にて、靴脱ぎ、スリッパに履き替え、すみませんねえと。
イヤ、遅刻はしてませんですが。そのよに、云うておくが、無難かと。申せば、相談員、曰くに、すみませんねえの、時間を間違えましてと。へえと。
要は、10時と、間違え、早くに来られたよでして。ハイ、左様<さよ>ですかと。そんな返答の仕方はしてへんけれどや。
とりあえず、何が済み、何がこれからかが、分からんだけの事でして。何が済みとは、前回、母、入所の前打ち合わせの時には、母の様子、足は、手は、運動能力は、ボケ具合はと。
ハタから、見てたら、そんなよな事の調査でして。済めば、入所に際しての、家族の希望等々尋ねられたかと。
そんな次第の、斯くなるでの。既に、30分が経過してまして。母との面談等々、済んでまして。
早速にも、介護士に連れられ、母、消えまして。
ここはなあ、そんな調子故、玄関口とするのか、この辺りまでしか、入った事が無く。内部の様子、全然の知らんです。
ディ・サービスの、「こもれび」も同様でして。玄関先とするのか、入り口、受付まででして。その横手の食堂には、一度だけ、入ったかと。これは、母、帰宅に際し、我々が、外出先から、戻るが出来ず。遅刻すると、予め、伝えたならばの、ならばの、「こもれび」にまで、迎えに来てくださいと、云われた結果でして。
オッとの、そんな話は結構の。
さての、次なるは、家族の希望。そして、母の様子の聞き取りでして。
母の様子となれば、前回、母、退所の時と大差無く。そのままでして。家での、状況ならばの、オシッコがですねえ。頻度高くと。夜の3時頃までは、私が。以降、家内が担当にての、お付き合いしてるですと。
当然の日にも、寄るですが。短いと、1時間か、30分もしたらで。大体は、1時間半から、2時間かと。30分の時には、正直、嫌に成るですと。
での、薬については、「亀岡シミズ病院」にて、主治医の先生に、紹介書を書いて戴き、近在の町医者にて、処方して戴いてるですが。入所のための、健康診断書は、作成して戴けずで、「亀岡シミズ病院」にと。
での、余計な話の、便秘薬が、町医者と、「亀岡シミズ病院」で、微妙に異なりましての、250mgと、330mgでして。250mgでは、やや、利きが悪く。330mgのでは、利き過ぎまして。
この辺り、微妙に調整しませんとと。
便秘になったり、軟便、サラサラのに、なったりと。
残念乍らの、マダ、これまでの処、基準、分かってませんでして。試行錯誤してるですと。
又、ビタミン剤を、「亀岡シミズ病院」では、処方して戴いてたですが。町医者では、除外されまして。
等々、正直なるの、話をと。
そしたら、相談員曰くの、お母さん、こちら、「けやき」が良いみたいに、仰ってましたがと。
ハイの、いつも、そのよに、申してますと。家より、こっちがええと。そもそもがの、「ふないの里」から、出るも、嫌がってたですと。
どっちにしても、「けやき」も、「ふないの里」も、長期、ダメでしてと。
更に、相談員、曰くに、「ふないの里」の件、知らんと仰ってましたがと。へえの、それは、そんな事、ありませんの。先様、相談員より、本日の件、入所予定日、6月7日の事も、連絡受理の、即の、云うてるですと。
ででの、ついでの話の、今から、云うて良いのか、悪いのか。
この先の件ですがと。
今回予定、6月から、9月末としてまして。一旦、退所しまして。又、12月頃より、3月まで、入所出来たらと。
理由、当然の寒い時期でして。夜、オシッコに伴うも、起こすも、可哀想でして。又、寒暖の差激しく、風邪引かれても、困るなあと。事実、4月には、遂に風邪引きまして。インフルエンザの可能性もありましての、土曜日、日曜日と、検査に通院したり、致しましてと。
事情説明方々、打診したですが。
相談員、返答するに、その時期、入所希望者が多いかと。此度の如く、上手く、空けば宜しいのですがと。ハイ、それは、重々承知してるですと。
イヤイヤ、要は、今から、半年先の話で、可否、確認するのツモリは無く。要は、打診であり、予定を伝えておいた方がと、思ただけ。
斯くしての、面談、無事終えまして。
帰宅しての、16時頃であったかに。先様、相談員より、電話一発。母の入所、決まりましたと。ついては、当日、7日。
10時に来て下さいと。その際、判子と、健康保健所等々、持参をと。ハイ、有り難う御座いますで、チョン。
イヤ、良かったです。
我々にとっても、母のためにもでして。
ソラ、この時期から、暑い、アツイ。嗚呼、暑いの、空気が薄い。窓全開せよ。ドア全て、開けと。
暑い、アツイの、ベッドが暑い。エアコンは嫌の、布団掛けよと。あのなあの、暑いなら、布団被らんでええのにと。嫌や、嫌やの。寒い、サムイと。あのなあと。
こんな繰り返し、延々の30分も、一時間も、毎日、毎日、数時間置きにやっててみい。ゲと成るです。
イヤイヤ、エイジ君の送別会の話も、墓の話。
墓も、途中から、話替わってしもてるですが。まだ、終わってませんです。
(13/06/05)
NO.1244 墓はあっても、儚いの話(4)
さての、エイジ君の送別会の話。
云うてもなあ、話バラバラで、とりとめ無く。
その中で、お土産2つ貰いまして。1つは、エイジ君から、皆にと、北海道名物、「白い恋人」
これは、過年、品質保証期限切れのを、包装替えて出荷云々にて、内部告発されて、一時消えたですが。まあなあ、製菓メーカーが、勝手に期限決めて。勝手に改竄したですが。印象、アホやなあと。
自分で自分の首閉めたの感でして。保つなら、保つで、そのよにしたら、良かったです。それ以前の、これだけ高名、有名なブランドで、儲かって、儲かって、経営者ウハウハと思うですが。金持ち故に、バカな事をの、その、「白い恋人」でして。最早の、その事件も、宣伝になったかと。
イヤ、エイジ君が、皆にと、出した途端、嗚呼、北海道名物と一発、分かるです。
この、「白い恋人」、まだ、有りまして。家にです。一度に喰うは勿体ないしと。
又、母が明日にも、戻るが故、数枚、残してるもあるですが。戻ってもなあ。その明くる日には、「ふないの里」でして。
別段に、戻って、即の食べさせんでも、後刻、後日でも宜しいですが。腐るのモノで無くの。されどの、チョコレートが溶けてもの、冷蔵庫保管。
での、モ1つの、お土産。
コレ、お土産とするのか。何やろねえ。ヒカル君が、数冊、手土産にと。数冊で、全員分、無かったですが。
中身、自身作成の、教材でして。モノは、「演習資料・電磁気学演習」
学生には、ここから、試験問題出すゾと、脅してるですて。へえと。
イヤイヤ、中身、力作とするのか、愛情籠もってましての、手書き。手書きのを、コピーしたモノなれどです。表紙、目次以外はです。
での、何でとなるですが。学生でも、生徒でも無いの我々にと。宣伝哉と。「哉」で無く、「也」でして。
まあ云うたら、将来的、出版でもするのかと。
云うたら、我々の学生時代、先生の一部は、こんな具合であったかと。黒板に、諸般、数式なり、図を書きまして。後刻、そのままでも無いの、ガリ版で刷ったよなのを、戴いたですが。
当時は、黒板に書かれたのを、ノートに、必死に、筆記致しまして。膨大なるノートに成ったですが。
曰くに、当世、電子黒板ですて。イヤ、使うか、使わんは別途の、そのまま、端末に送信、受信出来るですて。へえと。
そんな事なら、黒板に書かれた事を筆記せずに済むですが。反面、暇やろなあと。寝てられるなあと。字が書けんよにも成るのかと。
考え方として、そんな労力取らせるよりは、中身理解をと。
理屈はそやけれどの、寝てたら、理解出来ず。別段の、筆記に必死は事実なれどの、筆記しつつの、先生の話も聞いてたわと。講義の時間、全て、黒板に、書かれてるで無し。
イヤイヤ、ほんまやでの。
我々の世代、漢字も、相当に忘れたですが。書けるです。
実は、手が覚えてまして。頭に浮かばんでも、書けば、書ける事の方が多いかと。イヤ、頭にも、浮かぶですが。ボール・ペン持たせてみい。漢字を自動書記致すわと。当然の、難しいのは、難しく成って来てるですが。
これは、授業なり、講義にて、黒板の字だけで無く。先生の解説、講義の要点まで、筆記してまして。まさかの、全部を、平仮名、片仮名では、書かんわと。数式を口にされたら、数式を筆記してまして。
そんな光景無くなり、電子掲示板で、端末に受信では、覚えませんです。授業に精神集中致しませんです。出来ませんです。
とは、旧人類、我々の考えなれどです。事実ではなかろかと。当世の若手、字を知らなさ過ぎまして。理屈ばかりの、屁理屈得意の。スマホでの、ゲーム三昧。
トットの、私め、悪筆での、自分で、自分の書いた文字も、判読難しいですが。
正直、ヒカル君の文字、手作りの、「演習資料」なるを、チラ見だけでも、分かるの、綺麗な字でねえ。丁寧でねえ。フウンと、感心致すの、コヤツ、相当に、几帳面なんやなあと。字見たら、分かるわの。むしろの、几帳面過ぎるかと。
聞けば、例えばの、A4用紙に書いて。縮小印刷して。貼り合わせまして。又、印刷してと。相当に、手順踏んでまして。
つまり、ローガンも有りかの、字は大きく書いてるよでして。さもなくばの、綺麗には、見えませんですて。ホンマかいなと。悪筆なら、縮小しても、悪筆は悪筆のままでの、余計に細々の、判読不可になるですがと。
とりあえず、8人居たら、あっち、こっちで、バラバラの話してまして。
時々、ヒカル君、一寸、話、聞いてえなと。
何用かの、1つ、それでして。モ1つあっての、聞いて、聞いての、過日、「放送大学」から、話があってですねえと。ンと。
この顔が、テレビに出るかと、思いきやの、面接担当ですてと。ンと。嗚呼と。
「放送大学」も、何度かは、しかるべくの、カリキュラム的、資格得ての卒業するとなると、出席もせねばならぬの、その担当かいなと。問えば、そみたいですねえと。
コレ又、ヒカル君、丁寧なる返答、口ブリでねえ。44年ブリとは云えどです。そ云えば、前回、昨年末の、セミ君も、同じくの、先生してるですが。そですねえ。何とかですか等々、丁寧な喋り方してねえ。
その辺り、ケンシン君は、普通でして。
トトトの、そんな次第の斯くなるでの。
話は小出しに致しまして。
「墓はあっても、儚い」の話も。確かに、「墓が無ければ、尚、儚い」けれどです。
先までの話が全ての。そこから先、諸般の疑問点有るですが。聞いてる時には、素通りなれどです。
イヤ、母方、上の伯父は、そんな事で、ご先祖様の墓だけは、管理してたかと。管理して無ければ、有りませんでして。妙満寺には、墓有るが故、管理してたんやと。同じの妙満寺には、その隣に、下の伯父家のも、あるですが。
結果、上の伯父の墓には、長男<従兄弟>だけが、入りまして。嫁も、子ども達も、入らんのかと。イヤイヤ、伯父を含め、その一家の葬儀には参列しての、入ってるは承知してるです。
その墓を、次男<従兄弟>が、引き継ぐとなればの、結果、兄弟が入るになるなあと。
云うたら、次男が、先祖代々、1人に成ってしもたの、兄を含めの、守るに成るです。
イヤイヤ、それを、了承しての、引き継ぎでして。他界した従兄弟は嫁、子ども達にです。表現悪いけれどの、捨てられたの哉と。死後そんな事に成るとは、夢にも思てえへんかったやろにと。
正直、ここは、兄弟仲宜しくて。
我が目で、見た目の範疇なれどです。諸般、そっちの家、下の伯父家のを含めの、葬儀、年会には、必ず、兄弟2人、参列してまして。弟の方は、弟は楽やなあと。兄貴の後に付いてたら、ええだけやと。
常に口にして。常にそのよにしてたですが。兄貴が、兄貴を、兄貴をと、立てて、立てて。立ててたです。
云うたら、兄弟して、私をも、立ててくれまして。
モ一発。
表面的なるは、立てても、実質、兄弟仲の悪いのも、そこらに一杯あるですがと。
(13/06/06)
NO.1245 「ふないの里」の話(2) 母戻るの話
本日、6月6日。
母、「けやき」から、戻るの日でして。
大抵ならばの、先様、16時に出て、概ね、15分、30分掛かるかと。ソラ、1人だけで、無い場合もありまして。
処が、16時半、過ぎても、45分に成っても、送迎車が来ませんでして。まさかの、日を間違おてえへんやろなあと。明日の予定なら、大変でして。10時に、「ふないの里」に行くに成ってまして。
だけでは無いの、17時、「こもれび」の、ケア・マネージャが、三者面談を予定してまして。実質、本日しか、日が無いためでして。
イヤイヤ、そんな背景、事情もありので、電話一発、「けやき」にしましたなら、そっちは、出てるらしく。ハイ、承知の、以て、心配のタネ、1つは解消。イヤ、「ふないの里」の件、解決でして。
丁度、17時頃、送迎車到着の。当然の、スロープ設置等々、家用、車椅子も準備してまして。等々、受入体制、ばっちりでして。
母を家に入れてるの真っ最中、ケア・マネージャ到着。まあ、ええかと。
ええも、悪いも、仕方が無いです。ご覧の通りで、御座候でして。
での、ケア・マネージャには、一寸の間、母を入れるまでは、待機願いまして。入れて、ベッドに座らせるとするのか。定位置に着かせれば、ハイ、どうぞと。私の方は、小数分、後片づけ致しまして。
ででの、過日、火曜日、「けやき」にての、「ふないの里」相談員との、話の中身、伝えまして。又、決定したの、連絡も受理しておりますと。つまり、明日から、「ふないの里」でしてと。
10時に、来いと成ってるですと。
正直には、「けやき」の方が良いとか、云うてたらしいですが。まあ、前回も行ってる事もあって、スグにも、慣れると、思うですと。話をしてたなら、母曰くの、「ふないの里」は知ってるえの。ええ処えと。へえと。
イヤ、そのよに、想い出しの、機嫌良く、行ってくれれば、何よりでして。
ほんまやでの。当人の希望、その他諸々、斟酌しての、ショート・スティなり、リハビリ・センターとするのか、中期入所でして。
こっちも、諸般、面倒なれどの、動きまくってるです。
ソラ、面倒以前の、入所出来れば、こっちも、楽でして。
ソラなあ、「要介護」の、「4」とか、「5」にでも成ってみい。当人は勿論の、家族は大変でして。これで、ショート・スティも、中期入所が無かってみい。保たんです。保たねば、「特別養護老人ホーム」なりも、検討せねばならぬですが。
有るが故、そんな理不尽せずに済むです。
イヤ、「老人ホーム」は理不尽なる事と、認識してまして。又、家族が居て、「ホーム」には、入れられませんです。こっちにも、プライドがあるです。又、母も最早のええ歳、90歳。
当人にボケ症状無いから、マダ、マシでして。ボケてしもたら、選択肢の1つとして、真剣に考えねば、成らぬですが。
当然の、諸般、金銭絡むですが。家族としての立場からも、悔い無いよに、最善の努力をと。
イヤ、ほんまやでと。さもなくばの、この手の、福祉施設利用も、家族は、相応の、時間取らんならんわと。取るにしたって、中期入所出来れば、楽、楽、楽の、大楽でして。高がの、洗濯モノ程度。週2回の、回収、収納なんか、何とでもと。
そんな話は結構の。介護用品の、レンタル品についても、話せねばなりませんでして。基本、先様でありの、ケア・マネージャの判断に任せるですが。どしたモンかと、問えば、ベッドを含め、業者が回収致すですと。ハイ、承知の、その方が、正解かと。
当初、大物、ベッドとかは、何なら、置いて戴いても仕方が無いと考えてるですが。万が一の、破損等させた場合、面倒でして。
一旦、回収して戴くが、最善の方策でして。
とかとかの、過日、「ふないの里」の、相談員に話をした事、記憶の範囲、全部、報告。
オッとの。冬場、12月から、3月までの、4箇月。寒い時期、年寄りには、過酷なる時期も、出来たらと。考えてるの旨も先様には、伝えましたと。
但し、この時期は、競争激しいらしくと。
ケア・マネージャも、確かに、その時期は、モっと、奥の方。園部方面なりの寒冷地の方の入所希望、多いですと。成る程ねえと。
原則、「ふないの里」が空けばで。次善の策、「こもれび」が空けば、そちらでもと。
云うまでも無いの、今期、冬場、1月の寒い時期に、「ふないの里」を退所したですが。夜のオシッコなんか、大変でして。こっちも、大変、母も、大変の、過酷でして。部屋は暖かく出来ても、廊下が出来ず。
ポータブル・トイレの案もあるには、あるですが。これはなあ。勝手にされても、危険の元でして。
とかとか、万事、話を致しまして。又、秋口、10月には、戻ります故、宜しく、お願い致しますで、チョン。
斯くしての。
実は、エイジ君の母親、過年、他界されてるですが。親父様は、大学卒業、就職直後でして。送別会でも、その辺りの話、母親の方なれどです。話聞いたですが。晩年、ボケ症状出てたらしく。
自分の息子、エイジ君の事が認識出来て無かったですて。
要は、北海道、札幌に戻ったの際、「老人ホーム」に面談に行けば、エイジ君に対し、エイジと云う名の息子がなあと。居てるんやでと。
これを、母親から、聞くの、辛さ哉と。そやろなあと。
幸いにして、我が母、ボケてませんですが。当然の、歳相応のボケなら、あるですが。90歳で、全くのボケの無い、老人も、当世、多いけれどの。ボケとする程の、ボケ無く。
云うたら、我が親族に、ボケ、存在せず。
祖母、親父も、叔父も。母方の方にも、居てへんなあと。
祖父には、すれ違いなれどの。ボケてたとは、聞いてませんでして。ソラ、他界、69歳でして。ボケ以前かと。
オットとの、ボケ以前の、69歳なら、そんな先では無いぞと。但し、祖母、84歳で。親父、80歳。まだ、先かと。
(13/06/07)
NO.1246 「ふないの里」の話(3) 入所の話
そらなあ、母を、「ふないの里」に連れてくも大変ぞと。
その朝の早くから、母、準備万端の、イツ、何時に行くのえと。
10時に来てくれと成ってまして。ソレ以前に行っても、先様の準備がと。兎に角、9時半まで、待てと。イヤ、我が家から、「ふないの里」には、10分程度かと。されどの、我が愛車に母を乗せるに時間を要するです。
乗せるまでの、準備もあるし。乗せてからの、片付けもしんならんわと。
こっちも、更に、30分前には、準備万端の、スロープ設置で、車椅子を玄関先にで、さあ、行こかと。云うたら、10時でええのに、1時間前から、準備をし出してまして。
イヤイヤ、この家も暑い、暑いの、嗚呼、暑いの、早よ、「ふないの里」に連れてけと。今の時期から、これではなで、「ふないの里」が決まって、ホとしてるですが。
やっとで、車に乗せて、スロープの片付け。戸締まり。持参すべきの再度の確認等々してたら、車の窓、開けて、まだかと。余程に我が家が嫌なんかと。
イヤ、当然の、車のエンジン掛けて、エアコン付けてるですが。本日<6月7日>は、暑うてねえ。あれや、これやと、やってたら、それだけで、汗ダクダク。
斯くなるでの、計ったよに、到着、10時丁度。
ほんまやでの、多少は余裕を持ってと、思てたですが。母を車に乗せるだけでも、時間喰たですが。
到着して、受付には、しかるべくの、着きましたと。
伝えたならばの、即の、相談員が、現れまして。モ1人、現れまして。相談員がです。
要は、実際の担当は、モ1人の、妙齢の美女、相談員になるのみたいでねえ。オッとの、従前の方も、私からは、妙齢の美女なれどです。モ1人様の方は、名実共の、妙齢の美女での、多分なら、精々が30代かと。
イヤ、正確なるは、知る訳無いですが。
での、母を、施設の、車椅子に乗せまして。しかるべくの、ロビーにての、簡単なるの、打ち合わせでして。
中身なるは、母の状況。家族の希望。
具体的には、母は、当年、1月の退所の際の状況からは、替わってませんですと。オシッコは、やや、頻度高く。特には、夜の部、大変でしてと。正直なるを。その他、睡眠薬の件、便秘薬の件をと。
家族として、願うは、自立を、モ少し、確実に出来るよにと。さもなくばの、トイレの際の、パンツの上げ下げからして、腰がふらふらの、不安定でして。不安定で、何が困るかは、ここでは割愛の、説明、邪魔くさいだけ。
とかとか、説明、質問に返答の。
デハと。私が帰るの頃には、施設での、「サービス計画書」を作成しときますと。へえと。
後は、従前の相談員より、入所の階の方に案内して戴きまして。
前回同様、2階でして。2階の方々、スタッフのホボの全員、承知してまして。
オトトの、ついでになら、運転手君、前の会社での、後輩にも、バッタリの。お母さん、入院でもしたはったんかと。イヤ、1月に、退所してたんやと。又、諸般、お世話に成りますと。挨拶出来て。
オッとの、2階の看護師も承知の、部屋の方に、案内して戴きの。部屋も、以前と、同じの部屋での。ベッドは、奥の方でして。奥の方、窓側での、良かったなあと。但し、スペース的、心持ち、少ないのかなあと。窓際も、別段の良好なる景色が見えるで無いですが。
山とするのか、そんな高い山でも無いの、裾でして。
ここでは、持参の衣類等々、収納致しまして。
収納終わった頃、先の看護師が呼びに来まして。施設の先生<医者>の、問診がと。ナース・センターとするのか、階の、詰め所にと。
イヤ、先生、替わっててねえ。正直、前回のは、一寸なあの、癖を感じたですが。云うたら、気さくな感の老年先生。
諸般、母に質問の、要は、お替わりありませんかで。母、返答するに、耳が聞こえません。
母、時々、想定外の返答する故、困るですが。先生、ニコリの、それだけ、しっかりの、返答出来て、聞こえてたら、大丈夫ですで、チョン。あっさりしてまして。イヤ、良かったですが。
後は、担当の、リハビリの先生。前回の時の担当者と一緒でして。話は早いわと。相談員に対すると、同じの話を、より、具体的に説明致しまして。
イヤ、昨年、我が家にも、来て戴いてまして。介護用品の計画にも、ご指導戴いてるです。概ね、計画に添っての、介護用品、導入してまして。我が家の様子、承知されてるが故、質問内容、細かくての。当方も、説明し易くの、より、具体的に返答をと。
イヤイヤ、広場の老人見れば、知った方も居たはってねえ。変な話、マダ、居たはるかと。この辺り、私には、理解不可なれどの。半身不随のためかと。家に戻っても、何も出来ずの。家族の負担も大変故かと。
イヤ、見つけて、こんにちはと、挨拶しまして。又、母、お世話に成りますので、宜しくと。オッとの、一時、母と同じの部屋でして。一番に良く話をしたの、婆様でして。
要は、相部屋<4人>から、個室にでして。はっきりとは、金持ちでして。
での、階の介護士から、用事終われば、ケア・マネージャ<相談員>の処に行って下さいと、伝えられ。ンの、それは、私1人か、母もですかと。問えば、私だけですと。要は、母は、以て、預かりますの意でして。
階下に降りるに、別途の婆様。ベッドに横たわったままで、階下にと。イヤ、体調崩されてるのらしく。多分なら、最寄りの病院かと。
イヤイヤ、この婆様も、承知してまして。前回、広場での、席が、母の真向かいでして。
階下に降りれば、先程の、妙齢の美女相談員より、「サービス計画書」の説明受理。
押印しの、次回、3週間後にでも、途中経過を説明がため、お話させて戴くですと。ハイ、承知と。
での、先様曰くに、これで、暫くは、気分的、楽になりますねえと。ハイ、その通りですと。
気分的だけで無く、諸般、時間的にも、楽でして。母の様子、見てても、俄然の元気。ソラ、話相手も一杯でして。先の通りの、顔見知りも居てまして。少なくともの、スタッフ全員、母を承知での、声掛けて戴きまして。
私も、気分的、開放されたです。
そらなあ、折角の、来て、嫌とか、駄々こねなれたら、どするやと。年寄りなるは、その場、その時にも、云うてる事、コロリの事、多々あるです。
それで無くともの、云いたい事、云いでして。
まあなあ、云いたい事云うは、ボケて無いの証左でもあるですが。
何よりも、母が慣れてるの施設が良いに決まってるわと。
(13/06/08)
NO.1247 孫娘の誕生祝いの話(1) 二度目の新居の話
斯くなる次第での、神戸に行けるなあと。
イヤ、母、「ふないの里」に突然の入所が決まりまして。ソラ、申し込みもしてるですが。決まるまでは、空きがあるのか。行けるのかと。こっちの都合だけではどしょもない事、多く。
結果、6月7日に入所が決まりまして。無事にと。
まあなあ、私にとっても、関係者各位、知ってる方多く。心丈夫でして。母も同様かと。只、心配は、前回、入所してた際。広場で、母の真向かいに居た婆様、ベッドに横たわったままに、病院行きでして。
とは云え、意識はっきりしてたですが。当然にして、私には、中身皆目知りませんです。
での、明くるの土曜日<8日>に、神戸、長男宅にと。
引っ越し以来、初でして。前回は、旧宅<マンション>に行きまして。そこから、新居に向かいまして。事実上、新居に直行初でねえ。とは云え、北神戸線をいつもなら、白川JTにて、阪神高速に。そこから、直近のICで、下りたですが。
此度は、そのままに、北神戸線を行きまして。第二神明に入って、明石の子午線突破で、玉津ICであったかで、下りまして。
オッとの、私め、方向音痴で、地名音痴。名実共の音楽音痴で、御座候の、極めて、ええ加減。
とりあえず、一般道に出て。しかるべくの目印、「ほっかほか亭」の信号をば、右手にと。後は、どやったかなあで、嫁はん、モっと先の信号やったのと、違うかの、悪魔の囁きにて、行き過ぎまして。
いやなあ、この辺りが、余所は嫌でして。結構なるの、距離走って、やっとで、Uターンが出来て。どっちにしたって、無事、到着の。呼び鈴、リンリンの、家のチャイム鳴らせど、応答が無く。
イヤ、息子の車は、ガレージにどっかと、置いてあってねえ。ンと。
マダ、寝てるの筈はあらへんしと。子ども達、全員連れて、耳鼻科に行ってるは承知してまして。
もしかしてと、嫁はん、ケータイ一発。マダ、町医者で、精算待ちですて。へえと。
場所は、「コープ」のソバですて。子ども達を迎えに来てくれへんかと。へえの、「コープ」には、歩いてなら、過日、過月、行ってるですが。7分程度での。車で行った事が無く。
オッとの、歩いて、行けて。車で行くの道順知らんは無いみたいなれどの。ソラなあ、あるです。歩いてなら、諸般、高架を渡りまして。渡ったの先のそこが、「コープ」でして。車では、高架の下には、道が無く。要は、見えてはいるですが。果たしての、そこに行くにどんな具合にと。
この辺りが、土地勘皆目の辛い処でねえ。
且つは、大体が、神戸の街は、ダダっ広<ぴろ>く。一角がどこまであるのか。道もグネグネの。住人、よお、分かるなあと。失礼乍らの、都市計画してへんのかと。適当に、空き地、空き地に建物、道路を造っただけみたいでねえ。
このグネグネの道、大の苦手でして。
過年、ン十年の昔、ロームの東京営業所、当時は品川にあったですが。山手でねえ。歩いて行くに、間違いまして。行けど、行けどの、見慣れた、見た覚えのあるの、風景に成らずに、公衆電話でねえ。ケータイなんか、あらへん時代やしの、電話一発。迎え頼むの。現在地ねえ。さっぱり分からんのと。適当なるの、見えるのビル、店等、教えまして。無事に営業担当に発見してもろた哉と。
云うたら、東京も、ここ、神戸も似た感でして。
私共から、云わせて戴ければ、これで、迷子に成らん方が、奇跡かと。大体が、道路は真っ直ぐにと。一角は、相応の長さにと。さもなくばの、年寄り、大変ぞと。私め、まだ、年寄りの部類で無いとは、思てるですが。
オトトの、そんな次第の、車で行けば、案の定の、住宅街に突入の。何とか、脱出の、広い道を適当に、「コープ」の方にと、行けば、信号の角に派出所があってねえ。そこで聞こかと。耳鼻科の場所をです。
思た処で、息子と、孫共発見。
息子は、まだ、精算が終わって無いらしく。孫共だけを乗せて、家に戻るに。これもなあ。どんな具合にUターンするかで、一苦労。とする程の苦労してませんですが。
斯くしての、家に戻り、預かった鍵で、ドア、開け。
しかるにの、この日、嫁は、友達数人と、山に行ってるらしく。この、カンカン照りによお行くなあと。若いから、出来るの芸当かと。
イヤ、この日は特段の何も無く。
実は、孫娘の誕生祝いに、自転車をば、買うの予定でして。それは、嫁も含めて、全員にて。探しに行くのツモリにしてるです。
従前の家では、坂道きつく。とてもやないの、自転車乗れず。新居の方なら、坂道ではありませんでして。やっとで、自転車、乗れるなあと。
とかとかの。よって、この日、我々、着いたの日は、諸般、息子の用事を済ませてから。用事とは、魚、鑑賞用のを買いたいらしく。マア、好きにして頂戴の、帰って、一寸、涼しくなれば、再度の、「コープ」にでも、行こかと。
ここの、本屋で、絵本でもと。
イヤイヤ、過日、「電友会」の会報に、原稿出したの原稿料とするのか、御礼にと、図書券、1500円分、戴いてまして。
本屋でなら、この券、使えるなあと、持参してるです。やっとで、使えるなあと。
<参考=「単なる雑談NO.95」NO.1219 アンパンマン君の初節句の話(5) 超常現象は如何にの話>
(13/06/11)
NO.1248 エイジ君の送別会の話(2) 大学の先生に成れるの法の話
オッとの、エイジ君の送別会での話。
エイジ君には、無関係なれどの。我等が最大の関心事。
大学の先生になんか、どして、成れるのかと。
イヤ、我等の、イヤイヤ、正確には、我が概念ならばの。まずは、成績優秀にての、大学に残れと、先生から勧誘なり、されまして。
まずは、大学院に残り、ドクター・コースとかや。更なるの、博士号でも取得してです。以て、大学で、教鞭をと。これが、相場と、思てるですが。事実、そのコースが順当なると、信じてるですが。
話簡単の、ケンシン君、大学院では無くの、大学卒業での、就職してまして。配電盤の製造会社であったかの。そこも、倒産してねえ。ハタと、気が付けば、大学でと。
ならばの、ホカの2人、セミ君、現電友会会長殿は、大学院に進学してるですが。矢っ張り、何やったか。総合電気製品メーカーに就職。云うてしもたら、東芝やったかなあ。ええ加減にしか、聞いてませんですが。そこで、電子レンジの開発をと。
東芝は倒産してませんですが。ハタと、気が付けば、大学でと。
での、此度の、ヒカル君も、聞けば、大学院に進学してたですて。へえと。知らなんだなあと。そもそもがの、大学院になんか、進学したのが、誰々も皆目の知らんです。
ででの、一体、何人が大学院に進学したかと、問えば、5人ですて。当時の電気工学科、150名在籍での、5名故、少ないみたいなれどの、昔は、そんなモンやったんやと。殆どの面々、そんなモンに関心薄く。
イヤ、当世、概ね30%からの人数、大学院進学してるですが。ネコも杓子も、大学進学での、大学の値打ちがなあ。ガタ落ちでして。
そしたら、昭和44年頃の、大学院にどの程度のとなればの、先の通りの、3%、4%かと。桁が一桁違うわと。
値打ちは、どかとなればの、知らんわと。そもそもがの、試験でもあっての、落ちるんかと。試験はあるかも、分からんですが。大学院進学で、不合格で、落ちたのを知らんでと。
そもそもがの、私なんか、真性、純正、貧乏学生。
学資調達出来ずに、何回、仮除籍された事かと。毎年でして。仮除籍とは、期限までに、学資が納められずのため。次なる期限までに、納めたら、除籍解除。
大学の奨学金の事をケンイチ君が教えてくれてねえ。申し込みして、助成金受理とするのか。4回生では、全納出来た事に成りで、無事、卒業出来たの状況でして。
大体が、入学金さえが、四苦八苦の、間に合わずの、二次か、三次にやっとで、調達出来ての話やでと。
はっきりとは、アルバイト三昧でして。家庭教師をしてたが故に、学資も何とか成りの、小遣いにも、不自由してなんだですが。それと、学資は別問題での、冬も、夏も、休みの期間は、アルバイト。
要は、学資も、お小遣いも。それこその、教科書代も、交通費も、親から、もろてませんでして。
自宅通学故。京都であったがため、出来た事でして。イヤ、単車での通学してたです。この単車も、自前やでと。よお、資金、あったなあと。我れ乍らに感心致すですが。
にしては、適当に遊びの、学生生活、満喫とまでは、申さんの、楽しんでたですが。要は悲壮では無かったわと。根が楽天もあるですが。金銭に執着薄いもあるですが。計算、出来て無いが真相なれどです。
そんな状況での、大学院進学なんか、夢にもでして。
とするよりは、何も考えてえへんのままに、4回生当時の、大学の研究室に、ローム<当時、東洋電具>の先輩社員が、訪れまして。工場見学しやへんかと。女の子が多いぞと。
口車に乗せられ。自動車に乗せられ。工場見学したら、人事課の担当者から、コレに住所、氏名等々書けと。書けば、後刻、来いと。行けば、入社試験。
第一次、第二次と。大惨事の、第三次までの、面接試験があったかの。通ってしもてと。
これが、夏休み以前でして。
しかるべくの、夏休みには、会社に実習に来いと。結果、実習代。要はアルバイト代、ガポリと戴けて。イヤイヤ、夏休みのアルバイトをば、探さんでも済んでねえ。助かったわと。
オトトの、話、完全に脱線してるですが。まあ、ええかと。そこまでの話、送別会では、してへんの。
強引に話、戻せば。結果的、それが良かったか、悪かったかの。リストラされて。
イヤ、ケンシン君えらいなあと。
会社倒産で、再就職先、大学の先生なら、大成功も、大成功の。凄い話での。しかるにの、何で、先生様に成れたんやと。
まとも、率直、単刀直入なるの、質問したなら、コネですて。ンと。分からん事は無いけれどの、コネの一言で、済まされたら、つまらんわと。
ほんまやでの。我々なら、コネで、大学にご縁出来て、雑役、門番哉と。
まさかの、大学の職員も、先生様では無くの。学生課であるとかや。スタッフ業にも、年齢的制限、前職、経験不足の、採用不可也。
イヤイヤ、ほんまやでの。
コネなら、やっとで、同期生にての、3人もの、先生様存在、分かったですが。この、コネ、生きるかと。有効とは、とてもや無いの思えませんでして。生きて、先程の、雑役、門番がやっとかの。
あれは、残念乍らの、しかるべくの、派遣会社かと。
とまでの、話はしてませんですが。
8人も居たら、突っ込んだ話も聞けず、続かず。
(13/06/13)
NO.1249 エイジ君の送別会の話(3) 電友会、催しの話
それにしても、そこら中が、チュンチュン。
暑いねえ。糞暑いねえ。
での、タカラダニはどしてるやと。チョイと、見に行ったですが。ブロック塀も熱いねえ。チュンチュンでの、焼きダニなんか、見とも無いの、見ませんですが。イヤ、居てませんですが。ブロックが熱いだけで無くの、風も強く。飛ばされてるのかと。
イヤ、例の、不快害虫駆除液も残ってまして。
イヤイヤ、探索、検索ならばの、消えるは、7月でして。マダ、間があるですが。この暑さでは、タカラダニも、居所がと。
そんな話は結構の。
「電友会会報」に記載の、会長、セミ君にの。一発、云うてやるの、催しは、京都、衣笠ででも、やってくれの要請の話。オッとの、あっちでは、実名、漢字で記載してるが故。こっちで、カタカナ表示で、「セミ」君も意味無いけれどや。一応はなと。
ケンシン君にしたって、あっちでは、フル・ネームでして。まあ、ええかと。
イヤ、この日、エイジ君の送別会には、欠席でして。何やら、草津の方で、会議ですて。京都でなら、間に合うかもの。大阪ではなと、云うてたらしく。京都から、大阪も、新快速なら、30分程度なれどです。
大阪駅から、この会場。
「オランダ坂」と称するの、飲み屋なれどです。
イヤイヤ、地名かと、思てたですが。屋号でして。中に入れば、嗚呼の、二度か、三度、来てたなあと。エイジ君の推奨とするのか、馴染みの店ですが。総勢8人も入れば、満席と、までは申さんの。カウンター席もあるですが。テーブル囲んでの席は満杯でして。
オトトの、その、「オランダ坂」に案内するに、5分、10分、掛かるかなあと。集合場所の、「そねざき警察署」の地下からですが。
イヤイヤ、何を隠そおの、隠す事も、遠慮も無用の。冗談で、記載したに非ずの、万事、全て、本気の話。私に冗談通じませんです。冗談は冗談。本気は本気の。誇張、大袈裟なるの、話はするですが。嘘は付かんが、約束は守るが基本でして。
一旦、記載しの、多くの目、何人様かは、知らんですが。公開したなら、一生掛かっても、守るです。この一生掛かってもが、誇張で、大袈裟なれどです。
要は、記載し、公開した事については、責任持ってまして。正確には、責任伴いまして。
別段にの、会長セミ君には、後刻、後年であれどの、話をしたら宜しくて。機会あらばの、話なれどの。この場、その場、「オランダ坂」での、送別会に集まった中には、それこその、電友会、幹部が居てまして。
ケンシン君、会計勤めてまして。大幹部ぞと。自治会なら、会長、副会長で、会計をば、称して、三役でして。
ヒカル君も、幹事か、世話役かの、出席者かもの。名を連ねてまして。当たり前に、先生してたら、役員一派。では、無いかと。
云うてしもたら、執筆依頼されるまでは、会報なんかに、目を通した事も無かったですが。
知らんの面々ばかりでして。読む気にも成らんかったですが。依頼され、多少は、予備知識をと。とするのか、セミ君会長様と知って、ンの、一発と。見たら、その号に、セミ君表紙を飾ってまして。
更に、読み進めば、九州、福岡在住の、アキノリ君、何とまの、九州沖縄支部の支部長ですて。フウンと。知らなんだなあと。
での、ついでの話の。その会報に、アキノリ君登場は結構の。ケンシン先生が来たと、書いてあってねえ。その九州沖縄支部の寄り合いにです。寄稿、アキノリ君でして。
写真をば、よくよく見たらの、ケンシン君、会場とするのか。その場で、何やら、喋ってるの場面が写ってまして。ンの、コイツ、例によって、例の如くの独演会してるなと。
大体が、ケンシン君、喋り出すと、止まりませんでして。別のが、横槍入れたら、一寸、待ての、喋らせろと。流石に、先生してるのもあるの。口達者。オトトの、良い意味での話の、ソラなあ、私共の如くの、内気、口下手、人前立つが苦手の、苦行では、先生やってられませんです。
息子共の結婚式の締めの挨拶も、四苦八苦の、予定外の話をしてしもての、汗かいて。
ほんまやでの。そんな話をするのツモリは無かったですが。
イヤ、長男の時には、原稿通りの、筋書き通りやったですが。次男の時にも、原稿作成の丸暗記も、何を勘違いかの、横道逸れて。何とか、最後は、決まり文句で、締められたですが。
そんな次第の、斯くなるでの。
セミ君、居てなければ、代行にての、会計、ケンシン君。役員か、何か知らんの、ヒカル君よと。大学の先生、2人を前にしまして。
あのなあと。会報、読んだかと。
云うておくの、その前に。この日、送別会、飲み屋、「オランダ坂」でして。最初に中ジョッキで、生ビールにての、乾杯してまして。下戸の私も、生ビールをば、チビリ、チビリの、チビチビでの、飲んでまして。一時間も、二時間も掛かっての。マダ、残ってたですが。多少の酩酊してるわの。先生捕まえ、オイ、オマエ。
とまでの、文言、口にはしてませんの。その程度の良識、弁えてるわの。されどの、別段にの、この2人から、何か教わったで無いわと。電気工学の知識なら、スカリと忘却の、今更、電磁気学も、教えていらんわの。
再度の、再々度の、あのなあの、会報、最新号、読んだかと。
ども、この面々で、目を通したは、ヨシロウ君と、ケンイチ君だけかなあと。ヨシロウ君は、奥様もで。ケンシン君は、奥様がで。自身は読んで無いのみたいでねえ。奥様から、話だけは、聞いてると。とは、聞いたですが。
中身や中身の、催しの件。
ヒカル君は、全くの怪しくの、明確なるの、返答せずで、あのなあと。
とは、申してませんですが。
その件、どなんやと。ケンシン君にです。電友会会計様故でして。三役でして。執行部でして。
詰問、問いつめたなら、それはなあと。それはなあとは、何じゃの、何か、問題あるかと。とりあえずは、私からしたらの、書いた限りは伝えねばなりませんの。伝えた結果、どなるかは、別の世界の、別問題。
兎に角、伝える事が、重要でして。伝えたなら、我が責務、一応は、達成でして。
ソラ、寄稿文には、「電友会会長様瀬見君にでも、云うとこか。」
としてまして。オッとの、漢字で書いてしもたですが。
やらせると、までは、記載してませんです。
オッとの、次回、会う機会、あるまでに、実行されて無ければ、会長様在職中ならばの、直接的、話は致すです。それが、書いた限りはの、文責、責任でして。
万事、嘘を書いてる訳で無し。
にしても、曖昧なるの返答でして。
さりとて、多少、酩酊してるでも、この場、「オランダ坂」で、徹底的、追求の。ケンシン君をば、羽交い締めにしての返答、求める程の話でも無く。
記憶に留めの、しかるべくの、機会に、相談なり、してくれれば、結構哉と。
オトトの、「孫娘の誕生祝いの話」は、終わってませんです。話には、順番なるがあるです。
(13/06/14)
NO.1250 エイジ君の送別会の話(4) 電磁気学の話
散髪をねえ。悩んでるです。
前回、イツやったかの、昨年12月には、長男の地鎮祭に合わせまして。
今年になっての、2月、「電友会」に出すの写真の事がありまして。
オッとの、要は、2月でして。
以来、ほったらかしの、6月に突入の。
さりとての、8月には、多分ならばの、嫁はんの里、四国に行くになるの。10月には、もしかしたらの話の、大井神社の神輿の話が来るかもの。
そしたら、8月では、勿体ないしの、7月で、ええのかなあと。散髪がです。
思い、悩んでる間にも、髪の毛、ボサボサの。ボサボサは、常平生からでの、伸び放題に成ってまして。別段にの、世間体気にはしてへんけれどや。この歳でして。
とは云えどの、最低限の儀礼もあるかと。よって、悩むの。費用の事もと。
行きつけのは、高いしねえ。4500円に消費税が加わるです。云うたら、そんな、丁寧にはしていらんの、切るだけで、一寸、揃えて戴くの。シャンプー1回。顔剃り不要の、鼻毛、耳糞、結構の。子ども料金でも、ええのにと。
思てるの間に、過日、2、3日前なれどの、突然にです。誠、突然の、鼻水タラタラ、咳き込みまして。云うたら、喘息症状。
例えたらの話。鼻穴に、花粉1個一発、ふらふら、舞い込み、花粉症かと。それほどの、急激なるの、突然変異哉の。とりあえずは、咳止めでもと、「ダックス」にと。買い求めの、しもたなあと。
近在の、耳鼻咽喉科に行く方が良かった哉の。市販薬飲めば、収まるですが。イヤ、熱も何も無いの、只々、鼻水タラタラの、咳や、御本、ゴコンの、苦しいてねえ。イヤイヤ、スグにも収まるですが。
その当日、木曜日<13日>、先様、耳鼻咽喉科は、休診日。
その明くるの、本日<14日>に、町医者にと。診て戴くに、何故か、ガラガラ、ええのかと。ええも、悪いも、空いてるの方が、私には好都合の、受付に提示の、健康保険証、診察カードの筈が、先様、受付中年女性。突っ返しやがってねえ。オッとの、何するやと、カード見たら、運転免許証。
オトトの、相済みませんの、診察カードと間違えてましての。当然の持参してるの、取り替えて。
での、スグにも、呼び出されての、先生、話、フンフンの、花粉症もなあと。とは云えどの、雑草のは、飛んでるけれどと。まあ、どっちにしても、大した事は無いの、とりあえずは、症状、抑えときましょかと。ハイと。
それがため、来てまして。
とは、申してませんですが。
薬と診察代の、合計、2100円也。昨日の、咳止め薬、980円也の。矢っ張り、損した気分。イヤ、市販薬の分がです。
急ぎに、急いだの理由、散髪の問題では無くの。明日<土曜日>、父の日とやらでの、次男家、「ひら山」にて、焼き肉でもと。とも、なれば、アンパンマン君も来る筈での。アイツは、8箇月目での、肉、喰えませんですが。
重症の、風邪とでも、されたら、延期するとか、しんならんわの。熱無い故、重症では無いですが。熱有れば、38度も出てたら、時期外れの、インフルエンザ哉と。
まあなあ、診察では、喉も殆ど、赤くも無くと。よって、大した事は無いとされたですが。
ででの、斯くなるでの、エイジ君の送別会の話をと。
ソ云うたら、ヒカル君の前歴、前職、聞き忘れたです。何をしてたかをでして。母校には、9年目とか、云うてたですが。ケンシン君は、10年目かと。
要は、企業に勤めてて。しかる後、どのよなかは、知らんの、コネで以て、大学の先生は良い事でして。
オッとの、そ云うたら、ヒカル君は、「電磁気学」なれどの。ケンシン君と、セミ君が、何を教えてるかは、聞いてないなあと。
しかるのに、「電磁気学」なるは、昔も、今も、替わるの筈が無く。理論が替わっては、困るですが。フレミングは、フレミングで、右は右で、左は左。企業での、仕事の経験値を生かせるの場面、あるのかと。
オトトの、単位が違てるですて。MKS系が、cgs系にとか。ガウスが何たらでと。細々、云われても、最早のさっぱりなれどです。
この辺りの事をば、ヨシロウ君、詰問致しの、ケンシン君、ヒカル君、まとも、真剣に返答してねえ。イヤ、流石に、現役先生様での、立て板に水が如くにで、へえと。
イヤイヤ、ヨシロウ君も良く、覚えてるなと。彼、シャープに在籍してたですが。職種は知らんの、晩年、干されたですて。
そんな次第の、斯くなるでの。21時も、回ってしもての、ボチボチのお開きをと。過年、昔年、その昔の、40代頃なら、最終電車の時間まで、あや、こやと。飽きずにやってたですが。ヨシロウ君奈良北勝城郡とかで。私、亀岡でして。22時までには、終わりませんとと。それでも、私、下手したらの、帰宅、午前様になるかと。
での、帰りの道中、ヤーさん、コレ、ロームで一緒でして。
イヤイヤ、案外に同期のが多かったですが。私を含め、3人が就職したですが。ヤーさん、途中入社致しまして。同期入社組、2人は、早々に退社してねえ。現在、どしてるかと。
オオホリ君、エトウ君と称するですが。
モ1人、入社後に、ロームで、バッタリの、ええと、何と云うたか。トキオ君。
イヤイヤ、入社当時、九州佐賀に協力会社<製造工場>が出来てねえ。サカエ電子と称したですが。そこから、実習生が来たですが。その1人が、トキオ君。
会社で、ばたりと、会おて、どしたんやと。聞けば、要は、幹部候補生で、QC課<品質管理>の実習ですて。へえの、私もその課での、以降、1年、楽しく過ごしたですが。そのサカエ電子も、数年で、倒産致しまして。
そらなあ、石油ショックとかとか、激動の時代。
協力会社も、出来ては、潰れて行ったです。そのトキオ君も、どしたんやろなあと。以来、音沙汰無く。オオホリ、エトウも、九州でして。どちかとなればの、関西の、京都、大阪よりも、九州出身多かったですが。
<参考=「実録ハイテク物語NO.4」17.試験法の集大成(7) サカエ電子>
オトトの、そのヤーさん。
歩き方が変でねえ。ビッコ、引いててねえ。どしたんと、問えば、腰を痛めてるのらしく。まともに、歩けえへんと。へえと。一時、テニスをしてたですが。娘さんとで、それが、原因かと。踏ん張り過ぎたの可能性がで。整体にでも、行くかと。
そやねえと。足腰の、足腰が不安定では、これから先、保たんでと。そやなあと。
オッとの、孫娘の、自転車の話は、忘れもしてずの。終わっても、いませんですがと。話、順々にと。
されどの、この調子故、イツに成るやらと。
(13/06/15)