シバケンの天国
パソコン大魔神

奥の院NO.7

奥の院NO.4 奥の院NO.5 奥の院NO.6
奥の院NO.1 奥の院NO.2 奥の院NO.3

パソコン大魔神の雑談<NO.4>


奥の院NO.8

NO.80 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(11)

NO.79 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(10)

NO.78 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(9)

NO.77 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(8)

NO.76 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(7)

NO.75 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(6)

NO.74 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(5)

NO.73 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(4)

NO.72 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(3)

NO.71 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(2)

NO.70 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(1)

NO.69 突如、音楽の話(2)

NO.68 突如、音楽の話(1)

NO.67 世にも恐ろしい水素の話(4)

NO.66 世にも恐ろしい水素の話(3)

NO.65 世にも恐ろしい水素の話(2)

NO.64 世にも恐ろしい水素の話(1)

NO.63 京セラ名誉会長 稲盛和夫氏 追悼(4)

NO.62 京セラ名誉会長 稲盛和夫氏 追悼(3)

NO.61 京セラ名誉会長 稲盛和夫氏 追悼(2)

奥の院NO.6


NO.61 京セラ名誉会長 稲盛和夫氏 追悼(2)


頭のリハビリ(47)-稲盛さんの知られざる一面(2)-

「東洋電具製作所」が第二次石油ショックの影響で倒産寸前だった頃の1974年(昭和49年)に「京都セラミック」の変な噂が流れていた。「社長の稲盛はエゲツナイ奴で、強制的に社内預金をさせている」という話。「若い社員は余分な金を持たせてもイラン事に使うだけなので、会社が預かる」というのが稲盛社長の言い分だった。今にして思えば、当時の「東洋電具製作所」も資金繰りに行き詰っていたので「京都セラミック」も同じような状態だった可能性が高い。強制的に”社内預金”をさせれば、その分給与支給のための現金が少なくて済む。その浮いた資金を会社の資金繰りに流用するという手口だった。”社内預金”というのは違法では無いが、これが「強制的」となると怪しい。今だから言えるが「京都セラミック」も危ない橋を渡っていた。

稲盛さんの”経営哲学”は「強引」の一言に尽きる。彼は基本的に”経営者”では無く”技術者”だったので「東洋電具製作所」の佐藤研一郎社長と似たところが有る。後年「日本航空」や「KDDI」の再建に担ぎ出されて、まるで昔の「松下幸之助」の様な”経営の神様”などと言われているが、本当の稲盛さんは”面倒臭い話は大嫌い”なエンジニア気質の人だった。佐藤研一郎氏と良く似ていたのは、とにかく”京都商工会議所”が大嫌いで「OMRON」の立石氏や「ワコール」の塚本氏との付き合いは極力避けていた。もちろん、京都の政治家達や京都の財界人と付き合いも避けていた。そんな稲盛さんが「日本航空」に再建に首を突っ込んだのには仰天した。
おそらく、あまり深く考えなかったのだと思う。案の定、稲盛流のメチャクチャな再建策を講じた。つまり「大量首切り」という、かつて「ニッサン自動車」のカルロス・ゴーンがやった方法を同じアホでも出来る強硬策だった。
かつての”強制社内預金”と同じような強硬策で、”高い給料を取っている古参社員をクビにする”という「部外者特権」を最大限利用した方法だ。こんな事は生え抜きの経営者には絶対に出来ない。ある意味で稲盛さんは”利用された”という事かも判らない。

話は半導体の世界に戻るが、DTLで大ヒットしたCer-DIPだが、次のTTL(トランジスタ・トランジスタ・ロジック)の時代になると樹脂モールド技術が完成し、セラミック・パッケージの需要は急落した。そのドン底から抜け出せたのがインテル社のマイクロ・プロセッサーだった。4ビットの「4004」から始まったマイクロ・プロセッサーの歴史は「4040」「8008」を経て「インテル8080」で大爆発する事になった。この当時のパッケージは現在のような”生け花”の「剣山(けんざん)」のようなものでは無く、大型のDIP(デュアル・インライン・パッケージ)で勿論「京都セラミック」製だった。さらに、コンピュータに不可欠なものとしてEPROM(イレーサブル・プログラマブル・リード・オンリー・メモリー)が出現した。

コンピュータというのは、電源をONにしても電源回路が起動するだけで一切動かない。最低限のマシン語のコードをメインメモリーであるRAM(ランダム・アクセス・メモリー)に書き込んで”RUN 命令”を出さなければ全く動かない。現在のパソコンは不揮発性メモリーの”フラッシュ・メモリー”が使われているが、当時はこのEPROMが使われていた。このEPRONはチップの蓋が透明なガラス製で、メモリーを消去するには紫外線を照射する必要が有った。そのため、黒い樹脂でモールドする事が出来ず、セラミック・パッケージが不可欠だった。

「京都セラミック」製のセラミック・パッケージは常に樹脂モールドとの熾烈な戦いの連続で、突然に需要が無くなったり、新たな用途で大ヒットしたりの繰り返しだった。稲盛さんが良く言っている「逆境をバネにする」というのは、この時代に味わったことだと思う。次なるヒットは「Intel Pentiumプロセッサ」で需要が大爆発したことだったが、所詮は部品メーカー、発注元の都合で振り回されるのには嫌気がさしたのだろう。”自社ブランド”を表に出す戦略に変更することになる。
(22/09/01)


NO.62 京セラ名誉会長 稲盛和夫氏 追悼(3)


頭のリハビリ(48)-稲盛さんの知られざる一面(3)-

8ビット・マイクロプロセッサー「Intel 8080」登場したのは1974年。そこから「8085」「8086」「8088」「80186」「80286」「80386」「80486」と発展し、1993年に「Pentiumプロセッサ」が発売された。ここまで、全てのCPU製品はセラミック・パッケージで提供されていた。ところが、この「Pentiumプロセッサ」を最後にパソコン用CPUの世界からセラミック・パッケージが忽然と消えてしまう。
「Pentium」の後継「PentiumⅡ」は何と”スロット型”になり、さらにその後継の「PentiumⅢ」で従来の”ソケット型”に戻ったものの、セラミック・パッケージでは無くガラス・エポキシ基板にピンを挿入した形状のパッケージになり、それ以降もセラミック・パッケージが使用される事は無くなってしまった。

この時期「京都セラミック」にも大きな動きが有った。
1982年に社名を「京セラ(株)」に変更した。何故か社名から「セラミック」という名前が消えた。「何か有るな!」と思っていたら、翌年カメラ・メーカーの「ヤシカ」を買収した。セラミック屋がカメラ屋を買収するというのは、サッパリ訳が判らなかった。さらに、その翌年の1984年「第二電電」を設立し電話事業に乗り出した。「市外通話料金を安くする」という謳い文句で電話回線にアダプタを設置しまくった。その年には任天堂と組んで「京都パープルサンガ」を設立する。
「バブル景気」の発端となった「日本電信電話公社の民営化」は、さらにその翌年の1985年の事。電話業界は「NTT」対「第二電電」で混沌とした状態になった。

1995年には通信事業者として「京セラコミュニケーションシステム(株)」を設立する。翌年1996年「(株)京セラソーラーコーポレーション」を設立し、太陽電池事業に本格参入する。1998年には京都市伏見区に新本社ビルを建設し、山科から本社を移転。
「バブル景気」が崩壊した後、2000年にコピー機の「三田工業」を買収し「京セラミタ(株)」を設立した。その年「第二電電」「KDD」「日本移動通信」を合併し「ディーディーアイ(現·KDDI)」を発足させる。2006年には経営不振になっていた「大阪ドーム」の命名権を買い取り「京セラドーム大阪」とした。
2008年には「三洋電機」の携帯電話事業等を承継し、携帯電話事業に乗り出した。また、川端通り荒神口に「京都大学稲盛財団記念館」を建設し「京都賞シンポジウム」を開催し始めた。
2010には、政府の要請を受け「日本航空」会長に就任。2018年には「リョービ」の電動工具事業を承継し、「京セラインダストリアルツールズ」を設立。.......稲盛さんは”支離滅裂”な状態になってしまった。

更に訳が判らないのが本社を伏見に移転した時に1階を「京セラギャラリー」にした事。また京都岡崎の「京都市美術館」のリニューアルに伴い京セラが命名権を取得し、2019年から「京都市京セラ美術館」となったことだ。これは明らかに稲盛さんの道楽としか見えない。

また、企業買収で「京セラ」ブランドとなった事業も、どう見ても”本気”でやっているようには見えない。当初からやっている「クレサンベール」も含めて採算が取れているようには見えない。しかし、有り余る程の資金は有るようだ。「京セラ」という会社は”摩訶不思議”な企業になってしまったかに見える。

そこが稲盛さんの芝居の上手いところで、殆どの人が騙されていた。
それでは、”秘密”を暴露しよう。ドッコイ「京都セラミック」は生きている。実は、本体の「京都セラミック」は”コンピュータの巨人”「IBM」の一部になっている。ただ、アメリカの”国家機密”の一部に組み込まれてしまったために、稲盛さんの手が届かないところに行ってしまった。
(22/09/03)


NO.63 京セラ名誉会長 稲盛和夫氏 追悼(4)


頭のリハビリ(49)-稲盛さんの知られざる一面(4)-

「京セラ」が京都山科の国道1号線沿いの喧しい場所から、京都伏見の「京都府総合見本市会場パレスプラザ」の南に移転した頃の話。「IBM野洲工場」では大型コンピュータ「IBM 3090」を生産していた。このコンピュータ、最小構成でも1億円するという化け物で、世界中の大手銀行のコンピュータ室(と言うか”コンピュター棟”)に鎮座していた世界最大のコンピュータだった。その「PU(プロセッサ・ユニット)」の中に「TCM」というアルミの塊が有った。「TCM」と言うのはIBM独特の名称で「Thermal Conduction Modules:サーマル・コンディション・モジュール」の略語だが、”熱交換器”というイメージの名称のパーツで、形状は15Cm×15Cmの正方形で厚さが5Cm程のアルミの塊で、その内1Cm程の厚さのセラミック板が埋め込まれている。誰が見ても「これがIBMの超大型コンピュータの中枢か?」と思うような部品だが、これが実に凄い!。

一枚の分厚いセラミック板にしか見えない”板”は15層の多層配線基板で、そこに1Cm角の正方形のシリコン・チップが132個張り付いている。このシリコン・チップは一つ一つがLSI(大規模集積回路)だが、回路面は裏返しに取り付けられているため、鏡面に磨かれたシリコン板が接着されているようにしか見えない。そのシリコン・チップ一つ一つに銅製のシリンダー状の部品が強力なスプリングで押さえ付けられている。そのアルミの塊に水冷ユニットが取り付けられているので、1つのTCMユニットは10Kg近い重さになる。このTCMユニットが「PU:プロセッサ・ユニット」に最大9個取り付けられる。この「TCM」を取り付けるマザーボードは50Cm角位の大きな22層ガラス・エポキシ配線基板で、これも「IBM野洲工場」の中で製作されていた。
ちなみに、セラミック多層配線基板の生産工程は野洲工場の”極秘エリア”に有って、厳重にセキュリティー管理がされていたが、実はこの生産工程が「京都セラミック」の本体だった。

IBM野洲工場で生産されていた「IBM 3090」シリーズの後継「IBM ES9000」(IBM9121)を最後にメインフレームとしての大型コンピュータは姿を消す。メインフレームの世界でも64ビット化が進んで巨大な水冷式大型コンピュータはラック型に変化した。現在のIBMメインフレーム「Zシリーズ」は当時メインフレームの小型機であった「IBM9370」のラックに収まるようになってしまった。しかし、IBMの代名詞「TCM」は未だに健在である。同様に「京都セラミック」製のセラミック多層配線基板も進化して「Zシリーズ」の「PU:プロセッサ・ユニット」に使われている。現在、「IBM野洲工場」は撤退して「京セラ野洲工場」となっているが、「IBM Zシリーズ」用のセラミック多層配線基板を供給しているかは”秘密”扱いにされている。また、当時大規模集積回路やメモリーを生産していた野洲工場のウエハプロセスは「ミネビアミツミ(株)」の「MMIセミコンダクター(株)」に移管されている。当時、最新鋭であった最新の半導体製造設備は更に進化しているが、「IBM Zシリーズ」のLSIを生産しているかは不明である。ただ、能力的にはIBMの主力工場として機能している可能性は考えられる。

その理由は、IBM独特のチップの実装方法に有る。IBMの半導体部品の実装方法は、一般に使われているワイヤー・ボンディングを使わず、ハンダ・バンプで実装するという面倒な方法を頑なに守っている。恐らく「システム3」がアポロ計画の司令船に搭載された頃から守られているIBM基準だと考えられる。後の「システム34」「システム36」「システム38」でもIBMが製造する半導体部品はセラミック基板にハンダ・バンプを介して裏向けにチップを取り付けるという特殊な方法を守っている。恐らく、IBM独自のNASA規格とか米軍規格(MIL規格)に準じるものと思われる。公表されていないが、IBMのコンピュータはNASAの惑星探査機や国際宇宙ステーションのほか、原子力空母や原子力潜水艦やミサイル巡洋艦やステルス戦闘機に積まれている可能性が高い。現在「京セラ」のホームページにも、この独特な実装方法が掲載されているが、この実装方法に拘っているのはIBMだけである。そこから推測すると、「IBM Zシリーズ」の”TCM”は今でも「京セラ野洲工場」で生産されている可能性は高い。また台湾「TSMC(台湾積体電路製造股份有限公司)」程の高密度化をあえてやらないのは宇宙空間での電磁波の影響を考えての事だと思う。従って「京セラ野洲工場」という名称は”表向き”で、実質は未だに「IBM野洲工場」だと考えられる。

稲盛さんにして見れば、本望だと思う。「京都セラミック」本体は「IBM」の主力部門に代わったが「京セラ」としてブランド名は残せた。現在「京セラ」ブランドで販売されている製品はブランド名を残すためだけのもので、同業他社と本気で競争するつもりは無い筈だ。「京セラドーム大阪」も「京都市京セラ美術館」も採算が取れる必要は無い。「京都パープルサンガ」もJ1で優勝しなくていい。ただ、生き残ればいい。


日本の経済界はみんな騙された。今頃、稲盛さんは笑っているだろう。
創業当初に”ダメ”の烙印を押した「ローム(株)」の佐藤研一郎氏より遥かに凄いことをやってのけた。
(22/09/07)


NO.64 世にも恐ろしい水素の話(1)


頭のリハビリ(50)-最も危険な元素「水素」-

「燃料電池」の燃料として「水素ステーション」などと言う危険極まりない施設を設置しようという話がチラホラ聞こえる。ハッキリ言って「馬鹿も休み休み言え!」と言いたい。水を電気分解すると簡単に得られる「水素」。自動車のバッテリーを充電する時に”ボコボコ”と出る泡も「水素」だ。意外に身近に存在する「水素」、実は危険極まりない厄介な元素だ。実際に「ローム株式会社」在職中に”水素”を扱って来た者として、世の中で完璧に誤解され「クリーン・エネルギー」の本命とされている「水素」の話をしよう。

半導体製造工程では「液体窒素」「液体酸素」「液体水素」は普通に使うが、「水素」ほど厄介な奴は無い。とにかく、何をやっても必ず漏れる。原子の大きさが最小なので、金属でも透過してしまう。通常ガス配管で使うステンレス配管からも漏れる。接手からも漏れる。「Oリング」なんて何の意味も無い。ボンベに入れてもボンベから漏れる。要するに”制御不能”な気体だ。「液体水素」はまだ何とかなるが、マイナス253℃という極々超低温の世界、液体酸素がマイナス183℃、液体窒素がマイナス196℃なので比較にならない。コンビニの冷凍庫などとは比較にならない。

「水素」は気体になったら制御出来ない。従って、間違っても”ピット”内に水素配管はできない。法令では、水素配管に”赤”の塗装をし、露出配管する決まりになっている。爆発限界は空気との混合比で下限は4.65%、上限は93.3%と広い。僅かに漏れただけで静電気などのスパークで爆発を起こす。その爆発も半端では無い。水素と酸素が2:1になった時、福島第一原発で起きた水素爆発以上の大爆発になる。トヨタの「水素エンジン車」や「燃料電池車」は”走る爆弾”だ。
1986年アメリカのスペースシャトル「チャレンジャー」が打ち上げ直後に燃料タンクが大爆発して7名の乗組員が全員死亡した事故もメインエンジン用の燃料「液体水素」と「液体酸素」がジョイント部分で漏れたのが原因だった。またそれ以前にも1970年アポロ13号が月の周回中に燃料電池の「酸素タンク」が爆発してミッションが中断されるという事故も起きている。もし、これが「水素タンク」だったら全員即死だった。
「酸素」と「水素」が化合すると「水」になるのは確かだが、実際は素人が考えるほど甘くは無い。

宇宙の話になったので、大きな話をすると「宇宙空間」は実は”真空”では無い。地球の大気圏に比べると遥かに薄いが太陽の巨大な重力に引かれて水素に満ちている。火星の公転軌道の外側に有る「小惑星帯」あたりまでが太陽が「水素」を引き止める限界で、その外側の「木星」「土星」「天王星」「海王星」はガス惑星として太陽が吸引できなかった「水素」を吸着している。ところが、「冥王星」になると「地球」に似た岩石惑星になっている。恐らく、「冥王星」の外側は小惑星帯になっているので「水素」自体がも元々少なかったからだと考えられる。
地球上で生成された「水素」は大気に放出すると地球の大気圏の外に拡散してしまう。一部は”雷”などの放電現象で大気中の酸素と化合し”雨”の一部となって地上に戻る場合も有る。宇宙空間に放出された「水素」は太陽の引力に引かれて”太陽の燃料”になるが、ここで大きな疑問が有る。「果たして、太陽は水素の核融合で燃えているのか?」という疑問だ。「核分裂」でエネルギーが放出されるのは”原子爆弾”で実証されているが、「核融合」でエネルギーが放出されるといのは実証されていない。”水素爆弾”が核融合だというのは物理学者の”思い込み”に過ぎない。
もし、太陽が核融合で燃焼しているので有れば、遥か昔に木端微塵になっている筈だ。46億年間も安定して燃焼しているのは核分裂によるエネルギーを核融合が吸収してバランスを保つ必要が有る。これは物理学の大きな問題だが、「核融合はエネルギーを吸収する」ので無ければ恒星の存在が説明できない。

それなら「”水素爆弾”の破壊力は何故なんだ?」という疑問になる。そこで、宇宙の話から原子の話に大幅なスケール・ダウンをする。そもそも「水素」には3つの同位体が有って、通常の水素原子は陽子と電子が一対になっているもので、中性子は持たないとされている。自然界では稀に中性子を持つ水素原子が存在する。これを「重水素」と言う。更に、極ごく稀に中性子を2個持つ「3重水素」が存在する。”水素爆弾”の水素は、この3重水素(トリチウム)を使用する........とされている。

それでは言わせて貰う。そもそも、「電子」なんてものは存在しないし、「中性子」なんてものも存在しない。原子物理学者の想像の産物だ。
実際に半導体を研究してきて、学校で習った「物理学」がデタラメだという事が判った。そこで今回から「物理学」をブッ壊す!。
(22/09/13)


NO.65 世にも恐ろしい水素の話(2)


頭のリハビリ(50)-「物理学」をブッ壊す-

今回は「水素」の話から少し離れて「物理学」の大間違いの話をする。

半導体の生産工程では、疑似的な「宇宙空間」を装置の中で作り出す工程が多い。結晶を成長させたり、不純物元素を注入したり、電極となる金属を蒸着するという「町工場」では絶対にやらないような作業の連続となる。そこは、超高真空で有ったり、極超低温であったり、強烈な電界の中であったり、プラズマ状態の環境であったり、「宇宙空間」では普通の環境を半導体製造装置の中で再現している。従って、限られた宇宙飛行士しか体験できない環境が、半導体の生産工程では何時でも体験できる。

そのような特殊な世界に身を置くと、学校で習った「物理学」では説明出来ない現象に遭遇する機会が多い。高校や大学で「物理学」を教えている先生方も、是非半導体の製造実習をして頂きたい。そうすれば、生徒に教えている事が”嘘八百”だったという事を実感する筈だ。

先ず「世にも恐ろしいエピ成長」の話から始める。
「半導体」の代名詞である「単結晶シリコン」。それを薄く切断し研磨して鏡のように加工した「シリコン・ウエハ」。我々の世代が扱っていたのは直径2インチから3インチに代わる過渡期だったが、現在は8インチ(約20㎝)から12インチ(約30㎝)と巨大化している。実は、この「シリコン・ウエハ」、電気回路としては何の役にも立っていない。料理を乗せる”お皿”のような役割だけで、実際にトランジスタや集積回路やメモリーとして働いているのは「シリコン・ウエハ」の表面に”エピ成長”させた「エピタキシャル層」という薄い層の中だけだ。ところが、この”エピ層”、ピザのパイ生地にチーズを乗せてパイ窯で焼くというのとは訳が違う。
一般的には「気相エピタキシャル成長法(VPE:Vapor Phase Epitaxy)」という超特殊な方法を使う。真空蒸着機に良く似た形状の装置の中に原料になるシリコン・ウエハを並べ、高真空の状態にして、シリコン・ウエハを高周波加熱する。N型シリコンを生成する場合は、そのウエハ表面にモノシラン・ガス(SiH₄)とホスフィン・ガス(PH₃)を流す。モノシランとホスフィンは高真空中で電離し、リンが混じったシリコン層を生成する。余った「水素」は真空ポンプで排出される。P型シリコンを生成する場合はホスフィンに代えてジボラン(B₂H₆)を使用する。
一般の人には馴染みが無い工業用ガスだが、モノシランは空気中で自然発火する。ホスフィンとジボランは”猛毒”のガスだ。家庭用のプロパンガスとは訳が違う。

単結晶シリコンのウエハ上に気相成長させた”エピタキシャル層”は単結晶の結晶格子に従って成長するが、不純物として添加された「リン」や「ホウ素」のために若干歪んだ結晶になる。従って、完璧な単結晶では無い。この薄い層の中にトランジスタやFETなどの回路を生成して、パソコンのCPUやメモリーなどを作っている。パソコンを開けて基板に並んだ黒いプラスチックの塊は、早々簡単に作れる物では無い。

話は少し戻るが「エピタキシャル成長装置」の中でモノシラン・ガスとホスフィン(又はジボラン)は高真空中で”電離”した状態、つまり”イオン”の状態になっている。シリコン(ケイ素)は原子番号14、陽子と中性子が各々14個、電子は2,8,4となっている。リン(燐)は原子番号15、陽子と中性子が各々15個、電子は2,8,5となっている。ここで疑問になるのが、モノシランが電離した時に18個の電子が何処に行ったのか?という疑問だ。ホスフィンも18個の電子が電離されている。「エピタキシャル成長装置」からβ線が放出されるという事は無い。装置に触って感電したという話も無い。原子核の周りに有る筈の”電子”が忽然と消えてしまった事になる。同じような事は「イオン打込装置」でも「スパッタリング装置」でも起きている。原子核の周囲に有る筈の”電子”は一体何処へ行ったのか?。

学校では「電流の反対向きに電子が流れる」と習った。確かに乾電池と豆電球の簡単な回路では何故か納得してしまう。水の電気分解でも鉛蓄電池の動作原理でも「電子」という物が有るように感じる。しかし、高真空の世界では話が違う。同じ事は宇宙空間でも言える筈だ。そこで「ゼロから再出発」して見よう。
そもそも「元素」というのは”陽子”と”中性子”の原子核の周りを”電子”が回っているのでは無いという大胆極まり無い発想に戻って見よう。実際、物質を構成する「元素」を見た者は誰も居ない。そうで無ければどうなんだ!。という話になるが、それが判れば誰も苦労はしない。
学校で習った「周期律表」というのも、一旦リセットしよう。

”電子”なんて物は無い.........とすると、むしろ話は簡単だ。積乱雲で発生する雷は”電子”が突然沸いたわけでは無い。風力発電機の羽が回って、発電機の中で”電子”が大発生するわけでも無い。”電力”というのは”電子”の流れでは無く、運動エネルギーのような純粋なエネルギーだと考えれば説明が着く。
「物質の概念」が根本から変わる大胆な発想だ。
そうなると、「反物質」なんて物は無いことになる。さらに、150億年前に起きたとされる「ビッグバン」も無い。宇宙は拡大していないという事になる。


さあ大変だ。”電子”が無いとすると「電子顕微鏡」はタダの”顕微鏡”になる。「電子辞書」もタダの”辞書”だ。もっと大変なのは大学の「工学部電子工学科」だ。「電子」を取ったらどうなるんだ!。
(22/09/15)


NO.66 世にも恐ろしい水素の話(3)


頭のリハビリ(51)-「福島第一原子力発電所」の燃料デブリの話-

半導体の話から、突然に「原子力発電所」の話に大ジャンプする。

「原子力発電所」というとメッチャ難しい事をやっているように感じるが、我々半導体エンジニアの世界から見ると「大きな湯沸器」に過ぎない。「原子炉」を使って何か新しい製品を作っている訳でもない。ただ、核分裂のエネルギーを使って”お湯”を沸かせているだけのものだ。
2011年3月11日に発生した「東日本大震災」で、外部電源を喪失し、自家発電機を地下に作っていた為に津波の被害を受け、冷却機能が停止したところに、アホと言うか「非常用冷却装置」を切ってしまった。結果、炉心のメルトダウンを起こして1号機・2号機・3号機が水素爆発を起こした。日頃危険と隣り合わせの半導体エンジニアの目から見ると「馬鹿野郎!」としか言い様が無い。「タカが”湯沸器”で何をやってるんや!」と言わせて貰う。

しかし「やっちまった事」は仕方が無い。今更東京電力の責任を追及したところで、問題が解決する訳では無い。現在、福島第一原子力発電所の1号機から3号機の3機で約880トンの燃料デブリが眠っている。この厄介な”寝てる子”を起こさないように回収するのは至難の業だ。炉心に複雑に溶け落ちた燃料デブリを綺麗に取り出すなんて、出来る話では無い。そんな事を大真面目に考える奴がオカシイ。
そもそも「核分裂」なんてものは地球のマントルの中で普通に起きている”自然現象”だ。我々人類も動物達も原子炉の炉心の上で普通に暮らして来た。ただ、地殻の岩盤が厚いので直接放射能の影響を受けて来なかっただけの事だ。福島第一原子力発電所も地表に有るから問題なんで、これが地下50kmだったら何も問題は無い。

そこで、発想を大転換して”資源”として考えよう。何せ、あれだけの大爆発を起こす位の大量の水素が発生した訳で、それを使わない手は無い。福島第一原子力発電所の1号機から3号機まで、全体を覆うような巨大な遮蔽物を構築して、燃料デブリから発生する水素を集める。これをCO₂と反応させればメタンガスになる。そうすれば、天然ガスを海外から輸入しなくても「福島産天然ガス」として利用できる。しかも、何百年も使える。
「天然ガス」というのは化石燃料では無い。マグマに大量に存在する二酸化炭素(CO₂)とマントル内の核分裂で発生した水素が化合してメタンやブタンやプロパンなどの有機化合物になったもので、深海に大量に有る”メタン・ハイドレート”も、このメカニズムで生成されたものだ。海洋底は地殻の厚さが大陸に比べると薄いので、大量の”メタン・ハイドレート”が生成されているが、それを取って来るのは難しい。

ちなみに、「原油」もマントルから浸み出した水素が石炭層で反応して有機化合物に変化したものだ。その証拠にプラスチックなどの有機化合物は「原油」を原料としている。確かに「石炭」は”化石燃料”と言えるが、「原油」は地球が時間をかけて作り出したものだ。「原油」の産出地は地殻のプレート運動が盛んなところで、中東地域はプレートが複雑に移動したり、潜り込んだりしている。かつて地表に生息していた動植物が地層に閉じ込められ「石炭」となり、そこにマントルから核分裂により生成された水素が反応して「原油」となった。「石油産出国」は、ただそれを掘っているだけの事だ。

話は福島第一原子力発電所の後始末に戻るが、燃料デブリから発生する水素も冷却水に含まれるトリチウムも、中途半端に核分裂をした”核のゴミ”が混じっている。「ヨウ素131」とか「セシウム134」「セシウム137」以外にも色々な放射性物質が含まれる筈だ。厄介な放射性物質は集めて封印するとして、トリチウム水は資源として使えるので、無駄に捨てずに活用方法を考えるべきだ。


「原子力工学」をやっている連中も、半導体製造現場で勉強し直した方がイイと思う。やっている事のレベルが低すぎる。
(22/09/16)


NO.67 世にも恐ろしい水素の話(4)


頭のリハビリ(52)-「地球」にとっては厄介者-

前回話した「福島第一原子力発電所」の燃料デブリから発生する「水素」でメタンガスを生成するという話は、現実には結構難しい。下手をすると福島県が半分フッ飛ぶ危険が有る。福島県は過去に「磐梯山」で水素爆発を起こしている。1888年(明治21年)北側の山腹が山体崩壊して川を堰き止め「五色沼」や「檜原湖」を形成した。火山学上では「水蒸気爆発」という事になっているが、”水蒸気”は絶対に爆発しない。もし、水蒸気が爆発するなら「蒸気機関車」は走る度に爆発することになる。正しくは「水素爆発」を起こして水蒸気が発生している.....という事だ。
割合最近では2014年(平成26年)の「御嶽山」の噴火が小規模な「水素爆発」だ。海外では1980年にシアトル近くの「セント・へレンズ山」が大噴火して山の半分がフッ飛んだ。最近では2022年1月にトンガの「フンガ・ハアパイ山」が噴火した。この時は「空震」によって潮位が大きく変化して「津波警報」が発令された。

「水素爆発」によって山体崩壊した地形は日本各地に残っていて、箱根の大涌谷と強羅温泉、古富士の山体崩壊で作られた御殿場、八ヶ岳硫黄岳の爆裂火口と清里高原、那須茶臼岳の南に広がる那須高原など、今の時代なら大災害になっているような「水素爆発」の痕跡が随所に有る。
北海道の長万部の飯生神社で噴出している水柱も水素が多く含まれていれば危険だ。何しろ、内浦湾自体が巨大カルデラで過去に大噴火を起こして山全体がフッ飛んだ。北海道の山は全てが火山で、しかも爆発的な噴火をする太刀が悪い火山ばかりだ。東北地方の火山も北海道に負けず劣らずで、下北半島の恐山から八ヶ岳まで一列に並んでいる。それも爆発的な噴火をする奴ばかりだ。
日本列島で安全なのは京都と奈良だけで、余り言いたくは無いが、北海道・東北・九州・南西諸島は何時フッ飛ぶか判らないところだ。それを覚悟で住むのは勝手だが、日本列島はそういうヤバい場所なので、「危ない!」と思ったら逃げるしか無い。
問題は火山の噴火予知は十分に可能なのだが、社会不安を起こすという理由なのか事前に公表されない変な仕組みになっている。2000年(平成12年)に北海道の洞爺湖に近い有珠岳が噴火した時には事前に予報が出されて人的被害は無かったが、噴火予報は北海道大学が出したもので、気象庁は何もしなかった。

気象庁は台風の予測、集中豪雨の予測、地震の予知、津波の予知、火山の噴火予知など、多くの予報権限を持っているが、何時も同じような曖昧な予報を出して被害を未然に防ぐことが出来ていない。それには、決定的な理由が有るが、話が本筋から逸脱するので、また別の機会に話をこととするが、少しだけ話しておくと気象庁は極端な”東大閥”の世界で、世間の常識とはかけ離れた世界になっている。「東京大学」に限らないが多くの国公立大学は以前から”朝鮮学校化”している。「東京大学」は実質は「東京朝鮮大学」になっている。”差別”するわけでは無いが、高句麗系民族は「北朝鮮」や「統一教会」でも判るように”思い込みが激しい”という共通の特徴が有る。真面目な一方で、一旦思い込むと思考停止してしまう傾向が強い。

話を「福島第一原子力発電所」の問題に戻すが、解せない事が一つ有る。東日本大震災が発生した時に運転中だった1号機から3号機は核反応を停止するための”制御棒”が働いた筈だ。それなのに炉心がメルトダウンしたというのが解せない。”制御棒”は何の意味も無かったという事になる。これはウクライナの「チェルノービリ原発」でも起きた事だ。”制御棒”で制御出来ないというのは何故なのか、”制御棒”では無く”タダの棒”だったのか?。

半導体の製造工程では「元素」と向き合う事が多い。筆頭は「ケイ素(Si)」だが、不純物元素として「リン(P)」や「ホウ素(B)」や「ガリウム(Ga)」「砒素(As)」勿論一般的な「窒素(N)」「炭素(C)」「酸素(O)」のほか金属では「金(Au)」「チタン(Ti)」「タングステン(W)」など色々な元素を高真空の環境で高電圧をかけてブッ飛ばしている。原子炉に比べると遥かに乱暴な処理を普通に行っている。それでも「中性子」が飛び出したとか「電子」が飛び出したという話は無い。増して元素が崩壊して別の物質に変化したという話も無い。以前にも話したように、”中性子”とか”電子”なんてものは無いと考える方が自然だ。

従って、原子力発電所の原子炉内では”中性子”が核分裂を起こしているのでは無く、温度が上昇したら勝手に核分裂が起きるという事だろう。ある程度温度が上昇したら”制御棒”など関係無しに核分裂が進んで、冷却水が無くなればメルトダウンを起こすという事だろう。そうであれば、地球のマントル内で起きているトリウムの核分裂と大量の「水素」の発生は説明できる。その「水素」が地表近くに浸み出して、何かのショックで火山が大噴火するという事だ。


やはり「水素」は甘く見たらアカンな!。
(22/09/19)


NO.68 突如、音楽の話(1)


頭のリハビリ(53)-「ピアノ」の話(1)-

「みんなが大魔神」の掲示板に「アマゾン 恐るべし」というタイトルで新たなスレッドを起こしたら、見事に誰も付いて来なかった。
ここに来ている方々はコンピュータには興味が有るが、音楽は「関係ね~!」と思っているのか、何しろ20年ほど前に孤軍奮闘していた柴田先輩の「シバケンの天国」に居候する形で始めた「パソコン大魔神」が予想を覆す”大ブレーク”して、一時は「業界を裏で牛耳っている」とまで言われた。余りの影響力に怖くなって、10年ほど”雲隠れ”していたが、久しぶりに帰って見ると、「パソコン大魔神」が増殖していた。しかも、UNIX族の天下になっていた。
そこで「馬鹿やろ~!」とばかりに電撃復帰し、UNIX族を蹴散らすつもりだったが、さすがに「DOS/V」の大御所の復帰と有って、実際はWindows族だった事が判った。ただ、マイクロソフトの横暴に嫌気してUNIXに浮気をしていただけだった。なにしろ、”Windows VISTA”は大失敗だった。

そりゃ~そうだろう。
ベル研究所が”お馬鹿”な事にUNIXをソース公開してしまったために、馬鹿でもチョンでも神聖なる”OS”を触れるようにしてしまった。お陰でインターネットのカラクリが白日の下に晒され、馬鹿な奴等が悪用するようになってしまった。そうなると、不正侵入を食い止めるための”フロントエンド”が不可欠になり、マシン・パワーの多くを”セキュリティ対策”に割かなければならなくなった。すでにCPUクロックはプリント配線基板の限界になっていたために、メイン・メモリーのレスポンスを上げることと、CPUコアを増やして並列処理をするしかパフォーマンス・アップは出来なかった。また、並行して64ビットRISC化も進められ、10年ほどの間に大きな進化を遂げていた。しかし、悪党共も負けず劣らず進化していた。
光ファイバー網も世界中に充実し、「大谷翔平」のMLBテレビ中継も時間差無しで見られるようになった。昔のような衛星中継だと映像と音声に時間差が有って、大谷くんが「カ~ン!」とホームランを打つ音が、以前ならズレていたが、今はリアルタイムに光ファイバーで飛んで来る。
逆に考えれば、悪党共もリアルタイムでやって来る。そんな事の為にマシンパワーの多くを浪費することになってしまった原因が、UNIXを野放しにした事だ。

そんな”恨み言”を言っても過去には戻れない。

ところが、音楽の世界は何時でも”過去”に戻れる。
やはり、300年以上経っていても「ヨハン・セバスチャン・バッハ」を超える奴は出て来ない。何しろバッハ先生はエゲつ無い数の楽曲を残している。中には他人のパクリも有るし、自分の曲のリミックス・バージョンも有って水増ししているが、どの曲を聞いても「バッハ」の匂いがプンプンしている。それが何故なのか、サッパリ判らない。特にバッハが娘の練習用に作曲したと言われる「平均率クラヴィア曲集1・2」は鬼だ。こんなモン絶対に弾けない。運指を一つ間違えると必ず行き詰まる。
バッハ先生の「平均率クラヴィア曲集」は弾いて見ようなんて考えて聞いてはいけない。
更にオルガン曲はエゲつ無い。どう考えても「バッハ」先生の脳ミソはマルチ・コアだったとしか思えない。あんなモン、普通の人間では絶対に”無理!”。

同じキーボードでも「JISキーボード」と「88鍵キーボード」ではエライ違いだ。
もし、パソコンのキーボードが88鍵だったらプログラミングは大変だ!。
(22/09/29)


NO.69 突如、音楽の話(2)


頭のリハビリ(54)-「ピアノ」の話(2)-

最近、昼間に街中を歩いていて「ピアノ」の音が聞こえなくなった。その原因は大きく分けて2つ有って、子供の数の絶対数が確実に減っている。いわゆる「少子高齢化」だ。子供たちが外で遊んでいる声も聞かなくなった。最近は学校が終わっても、そのまま「学童保育」に行ったり塾に行ったりしているようだ。特に京都の街中は本当に子供の数が少なくなったと実感する。
それと「電子ピアノ」の普及だ。最近の「電子ピアノ」は凄い!。買えば何百万もするグランドピアノの音が忠実に再現されている。しかも、隣の弦と共鳴する音やキーを放した時の僅かな音も再現されている。グランドピアノは憧れの「スタンウェイ」の音、ヤマハのアップライトピアノの音のほか、少し昔のエレクトリックピアノ、デジタル・シンセサイザーのピアノ音、更にシンセサイザーのストリングスやパイプ・オルガンなど、そしてチェンバロの音まで再現されている。
イヤホンを付ければ大音響で弾けて、近所迷惑にもならない。それも88鍵のフルサイズ・キーボードでたった数万円で買える。
実は、この電子楽器の世界のLSIは「ローム株式会社」の独壇場で、台湾や韓国の大手半導体メーカーでも足元に寄れない世界だ。

「ピアノ曲」といえばポーランドの作曲家「フレデリック・ショパン(1810年~1849年)」だが、勿論素人が弾ける曲では無い。しかし、生い先が短い身としてはピアノの基礎から練習する時間的な余裕は無い。別にプロになろうなんて考えている訳では無いので、無謀にも「ワルツ集」からアタックを試みた。案の定、1番から大苦戦となった。そこで比較的易しいと思われる9番「別れのワルツ」にチャレンジした。出来はともかくとして最後まで弾き通せた。そこで、調子に乗って無謀にも「エチュード集」にアタックを試みた。しかし、サスガに難曲揃いの「エチュード集」、「こんなモン、練習曲じゃねぇ~」と見事に玉砕。さらに無謀にも「ノクターン集」にアタックを試みた。そこまで行って、判った。本当の「ショパン」は楽譜として出版しなかった「遺作」と「マズルカ集」で、有名な曲はピアニストのリサイタル用に出版されたものだった。例えば、有名な「軍隊ポロネーズ」や「革命のエチュード」などはピアニストが演奏技術を自慢するために弾かれるようになっただけで、「ショパン」自身は易しい曲を好んでいた。
「リスト」も同じで、やたら難しい曲(例えばラ・カンパネラ)が有名だが、後世のピアニスト達がワザと選んで弾いていただけの事だ。これは聞いた話だが「リスト」は手が大きかったので1オクターブを超える和音が弾けた。ところが「ショパン」は手が小さかったので「リスト」が弾けない小業を譜面に書き込んだそうな。「ショパン」の曲の譜面に有る小さく書かれた音符は”リスト対策”だった。従って、無理に弾くことは無い。

そこで「ショパン」と「リスト」は後の楽しみに取っておくとして「ドビッシー」にアタックを試みた。しかし、これはこれで中々手強い。フランス人の感性は奥が深かった。そこでフィンランドの作曲家「シベリウス」にアタックを試みた。その延長で、何と「ジョージ・ウィンストン」に行き着いた。

こんな話、ピアノの先生が聞いたら怒り狂うと思うが「ボケ防止」には効果抜群だった。
「ジョージ・ウィンストン」は1949年生まれの作曲家で、まだ生きている。ニューエイジ(癒し系音楽)に分類されるジャンルで、クラシック的な楽曲だが、実は現代曲だ。その楽譜は日本では売られていなくて、イギリスのロンドンの出版社から航空便で届いた。

この「ジョージ・ウィンストン」や「シベリウス」は自分で弾いていて気持ちが和む。演奏して気持ちが和むのは”雅楽”と共通点が有る。
実は「パソコン大魔神」は”雅楽師”でも有る。宮内庁式部職楽部の指導を受けている本格派だ。
次回は”雅楽”の話をしよう。
(22/09/30)


NO.70 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(1)


頭のリハビリ(55)-言語で動いているコンピュータは無い-

「日本のコンピュータ教育の根本的な誤り」

今でも、子供にコンピュータ・プログラムを教えよう考える大馬鹿者が居る。「文部科学省」だ。

実際にコンピュータ・システムを運用した事が無いので仕方が無いことだが、”教育”と名の付くモノは全てが根本的にズレている。例えば、自動車学校では”クランク”や”S字カーブ”や”車庫入れ”を教えている。実地試験もその延長でしか無い。本当は、”道徳”を教えなければならない。そもそも道徳心の無い奴に免許証を交付するから事故が減らない、自動車の運転は人間性の問題である。
また、自転車に乗るのに「自転車学校に行った」なんて話は聞いた事が無い。親兄弟から見様見真似で習うものだ。ちなみに、大魔神は子供が自転車に乗り始める前に「道路交通法」を教えた。何故なら、標識が判らなければ自転車には乗れないと考えたからだ。この事は今でも子供達との語り草になっている。チャリに乗るのに「道路交通法」の勉強させられた!って。

コンピュータの教育も完璧にズレていて、言語から教えている。世のコンピュータは”言語”で動いていない。実務で使われるコンピュータは「入出金業務」や「売上・請求業務」や「会計業務」など”業務”として動いている。それが、何故か昔からコンピュータは”言語を習得する”ところから始まる。
実業務を知らずして、コンピュータ・システムの構築は出来ない。ここが、根本的に間違っている。

ここからは、コンピュータ・システムがプログラミング言語とは”別の世界”だという話をする。改めて言う。
「言語で動いているコンピュータは無い」
(22/10/14)


NO.71 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(2)


頭のリハビリ(56)-言語で動いているコンピュータは無い-

「パソコン大魔神」が出現する前、「ウ~サン」が東洋電具製作所に入社して「LED大魔神」になる迄は エピソード1「ロームは48年前に倒産していた?」から「エピローグ」で話した。世の中の「電球」の多くが「LED(発光ダイオード)」に置き換わり、絶対に切れない、交換する事を考えなくて済む、高速で表示出来る、という特徴を生かして「LEDイルミネーション」「LED信号機」「LED大型ビジョン」が当たり前になった。「ウ~サン」は「エジソン」に勝った。
「エジソン」と違うのは特許出願をしなかった事だ。この事で未だに「ローム株式会社」のノウハウが衆知になっていない。幾ら、分析しても隠されたノウハウは永遠に判らない。実は、ロームの社員でもノウハウは判らない。全てのノウハウは未だ「ウ~サン」の頭の中に有る。
その「LED大魔神」がロームを退社して「日本IBM」で「PC-ATマシン」の復活と「DOS/V」を開発し、「パソコン大魔神」になるまでの15年間の話をしよう。


「言語で動いているコンピュータは無い」-前段-

「ウ~サン」は、当時IC製造部FT課に所属していた「前 登(まえのぼる)」君と共謀して「ローム株式会社」を退社し、事務用コンピュータの販売を行っていた「ミロク経理」の販売特約店に加盟した。当時の「ミロク経理」は主力商品であった「ミロク式会計伝票」が伸び悩み始めていて、オフィス・コンピュータの販売に活路を求めていて、「販売特約店」を募集していた。実は、この仕掛けがイカサマだったのだが、世間知らずのエンジニア上がりは2人共見事に騙された。それが判ったのは「ミロク経理」が倒産して大変な目に遭ったからだ。しかし、その時の血が出るような努力が「日本IBM」に評価され、IBMを変えるまでになった。

「ミロク経理」の話

当時「ミロク経理」が販売していたコンピュータは「ミロク・スーパー7」でオフィス・コンピュータという扱いだったが、実際はCPUが「Intel8086」のパソコンだった。OSは「CP/M」。キーボードは「アイテム・ブック」と「漢字タブレット」が一体になった物。プリンタは沖電気の24ドット・シリアル・プリンタという贅沢な仕様だった。価格は何と288万円。当時販売されていたNEC PC-98とはエライ違いだった。「ミロク経理」の販売方法は、パッケージ・ソフト「販売・購買・在庫システム」「経理システム」「給与計算システム」を販売する事で、プログラミング言語は公開されて居なかった。現在販売されている「オービック 奉行シリーズ」「PCA 業務システム」「MJS 業務システム」は全て「ミロク経理」のパッケージ・ソフトが原点である。「MJS:ミロク情報サービス」は「ミロク経理」を裏切った是枝伸彦が起こした会社で、株式上場をしているが会社そのものが”泥棒企業”だ。「ミロク経理」の倒産時にたまたま別法人になっていた為に巻き込まれなかったが、負債は当時の販売特約店に被された。後に「ミロク経理」の開発チームと一部の社員を吸収して逃げてしまった。負債を被せられた販売特約店は悲惨な目に遭ったが、「MJS」は逃げ延びて今が有る。投資家は「MJS」が”反社会的企業”である事を認識して頂きたい。「PCA」にも多くの「ミロク経理」の社員が緊急避難したが、現在では殆ど残っていない筈だ。しかし、「PCA会計」を含む業務システムの基本が「ミロク経理:パッケージ・システム」で有る事は認識して頂きたい。「オービック」や「大塚商会」は「ミロク経理」のシステムを真似たもので、「奉行シリーズ」はオービックのオリジナルでは無い。元々オービックは三菱電機の販売特約店に過ぎなかった。三菱電機がコンピュータ事業から撤退したために「ミロク経理」のパクリ・ソフトを売って生き延びた、コイツも”泥棒企業”である。

それほど迄に「ミロク経理」のパッケージ・システムは凄かった。しかし、そうなる迄に裏で「ウ~サン」が暗躍していたことは「MJS」の開発チームしか知らない。
(22/10/14)


NO.72 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(3)


頭のリハビリ(57)-「ミロク経理」驚異のアッセンブリ言語”EAPLE”-

「ミロク経理」の販売特約店は、マシンとパッケージ・ソフトを販売し、サポートを行う事で収入になる。マシンの販売手数料は60万円程、パッケージソフトは全額、サポートも全額収入になる。一見、ボロ儲けのように見えるが、特約店契約をするためには、マシン1台と「販売・購買・在庫システム」「一般経理システム」「給与計算システム」を各1本づつ定価で購入するのが条件となっていた。従って、400万円ほどの初期投資が必要なため、それなりの資金が必要になる。しかし、小売業を開業する場合でも商品の卸業者やメーカーに仕入額相当の保証金を支払わなければ商品を供給してくれない。現金購入で有れば保証金は要らないが、店の在庫商品相当の資金が要る。サラリーマンと違って事業者は、事務所や営業車、店舗や倉庫や作業場、電話や電気やガスや水道などそれ相応の開業資金を要する。「ミロク経理」の販売特約店とて同様に相当な開業資金が必要だった。何らかの商売を始めるというのは大変な事で、親の事業を継承するのが一番楽である。そうでなければ、老舗に婿入りするか、潰れかかった事業を引き継ぐか、それなりの覚悟が必要となる。ゼロから事業を始めるのは、最もリスクが高い。

「ミロク経理」の販売特約店契約をしている業者は、ほとんどが事務機器販売業を営んでいる事業者かソフト開発を受注する目的のいわゆる”外注ソフト屋”で、脱サラして開始するのは敷居が高かった。その高い敷居を一挙に引き下げてくれる制度が「リース制度」という金融システムで、初期投資分の費用を5年の分割払いで調達できる。全国のコンビニも、実際はこの制度でフランチャイズ店を増やしていた。銀行に飛び込んで「開業資金を貸して下さい」と頼んでも「担保と実績と事業計画が無ければ融資出来ません」と言われるだけなので、それをリースで賄えるというのは嬉しい話だが、そこにはシッカリ落とし穴が待っている。所詮”金融業界”というのはそういう物だが、そんな事は学校では教えてくれていなかった。「経済学」が詐欺師の学問だと判るのにそれほどの時間は掛からなかった。「ミロク経理」と”金融業界”が仕組んだ仕組みは「販売特約店」の数を増やす事で、会計伝票販売を遥かに上回る莫大な売り上げを計上していた。しかし、それが判ったのは数年後に突如「ミロク経理」が倒産し、そのツケが「販売特約店」に降り掛かって初めて判った。

前置きが長くなったが、コンピュータ業界に足を突っ込むというというのは、案外リスクが高い。大学の情報工学科を卒業した程度のド素人が、何らの社会経験を経ずに企業の「情報システム部」に入社して「COBOL」だ「RPG」だ「C⁺⁺」だ何て言って給料を貰うのは、犯罪にも等しい所業だが、そもそも学校教育自体がズレているので、企業側もそう言う馬鹿共しか採用出来ない。だから、企業の「情報システム部」は何処の会社でも馬鹿者集団になっているのが現状だ。その典型が有名な「みずほ銀行」だ。

「ミロク経理」のアプリケーション・ソフトは「EAPLE」というCOBOLに近いアッセンブリ言語で構築されていた。まだ当時はハード・ディスクが大型コンピュータの世界にしか無かった時代なので、外部記憶は「8インチ・フロッピー・ディスク」だけだった。「ミロク経理」のシステムの特徴は、このフロッピー・ドライブが3台搭載されていた事だ。「販売・購買・在庫システム」の場合、起動する時はドライブ”0”にOSのCP/MとEAPLEインタープリターと中間言語のオブジェクトと漢字フォントが記憶されたシステム・ディスクを挿入して起動する。ドライブ”1”には「得意先マスター・ファイル」「商品マスター・ファイル」などのマスターファイル類が格納された「マスター・ファイル」。ドライブ”2”には「累積ファイル」というトランザクション・データ・ファイルと「ソート・ワーク」というデータを並べ替える為に使われる作業ファイルが格納された「累積ファイル」の3ドライブを使うのが基本だった。
「経理システム」も同様で、「プログラム・ファイル」「科目マスター」「仕訳ファイル」という3枚構成、「給与システム」も「プログラム・ファイル」「社員マスター」「給与明細ファイル」という3枚構成だった。この3ドライブというのはIBM5550でも採用されていたが、国産メーカーでは本体に1ドライブが有って、外付けで1ドライブという構成が多かった。この3ドライブと2ドライブの差がアプリケーション・パッケージの大きな差になってしまった。

アッセンブリ言語「EAPLE(イープル)」はCOBOLをやや簡略化した言語で、最初にデータ領域を宣言しておいてから実行プログラムとなる。内部サブルーチンは使用できるが、別ファイルの外部サブルーチンは使用出来なかった。従ってダイナミック・リンク・ライブラリ(DLL)という概念は無い。最初に宣言するデータ領域はディスクのデータ・ファイルと画面表示フォーマットとプリント出力フォーマットで、COBOLと殆ど同じだった。FORTRANやRPGの様な出た処勝負でデータ領域を宣言するより面倒臭いが楽だった。実行命令は殆どCOBOLと同じでプログラム言語としては意外に完成度が高かった。実は、マシンとEAPLE言語はバリコンで有名な「アルプス電気」が開発していて、「ミロク経理」サイドは稲垣クンという天才が開発していた。アプリケーションは小川クンと言う、これも天才がやっていた。その天才達を仕切っていたのが松丸部長という一見陰気そうなオッサンだったが、この松丸部長が結構オモシロイ奴だった。「ミロク経理」の開発部隊は九段の靖国神社の南側のビルに有って、その上の階に「ソフトバンク」が詐欺まがいの商売を始めていた。携帯電話事業に乗り出す前のゲームソフトの販売会社だった。

数年後、九段の開発部で松丸部長が「最近さ~、うちも社員数が増えたかで大企業病なんだよなぁ~!」とボヤいた翌日に「ミロク経理」が倒産した。しかし、本人は笑っている場合では無かった。このボケを噛ました松丸部長がウ~サンと日本IBMを繋ぐ架け橋になってくれた。
(22/10/15)


NO.73 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(4)


頭のリハビリ(58)-「ミロク経理」帳票システムが原点-

「ミロク経理」のパッケージ・システムが他を圧倒し、倒産して後でも脈々と生き続けている理由は、”ミロク式帳票システム”をそのままコンピュータ・システムの置き換えたからで、販売管理の起源は江戸時代の「大福帳」(中京区麩屋町二条に現存する「大福寺」が起源)に遡る。経理システムに至っては紀元前のユダヤ商人に遡る。世界最大のソフト・メーカー「Microsoft」社も絶対に踏み込めないし、踏み込まない領域が「基幹業務システム」の世界だ。「ミロク経理」は長年培って来た”複写式手書き伝票”のシステムをソックリそのままコンピュータ・システムの置き換えた。「ミロク経理」の世界から見れば、日立製作所や日本IBMや東芝、NECなど大手コンピュータ・メーカーが提供していた「基幹業務システム」は「馬鹿じゃないか!」と思うほど悲惨なものだった。つまり、実際に現場で仕事をした事が無い”プログラマー”が幾ら知恵を絞っても、考えが浅過ぎて実務で使えるレベルとは程遠いものだった。最初に話したように「情報システム工学科」を卒業した優秀なプログラマーでも、現場の事務員さんから見れば”ただの兄ちゃん”でしか無い。そんな奴が集まったのが企業内の「情報システム部」だ。

そこで「ミロク経理」の帳票システムが如何にコンピュータ・システムに変換されたかの一例を紹介する。例えば「売上伝票」、一枚目が「日計表」になる。二枚目が「請求明細書」、三枚目が「得意先元帳」、四枚目が「商品台帳」になる。取引明細は伝票の一番上に有って、一枚の伝票に6行の取引明細が記入出来る。それを専用のバインダにズラしてファイリングすると「日計表」「得意先元帳」「商品台帳」が出来上がる。「請求明細書」は締切日に「請求合計表」と共にホチキスで閉じて、封筒に入れて郵送する。この帳票システムの画期的な事は、各伝票の裏面に活版印刷でカーボンが印刷されていて、理論上は転記ミスが起こらないことだ。
「経理システム」は更に単純で、一枚目が「日計表」二枚目が「貸方票」三枚目が「借方票」で、「合計残高試算表」を作成しなくても「総勘定元帳」が作成できる。その合計値で「貸借対照表」と「損益計算書」が転記ミス無く作成できる。この考え方をそのままコンピュータのデータとした。特に「経理システム」の特徴は一行の仕訳データで貸方トランザクションと借方トランザクションの2件のトランザクション・データを作成するというのがミソだ。同時に勘定科目マスターを即時加算する。システム・エンジニアやプログラマーでは、この様な発想は出来ない。普通に考えれば、仕訳データを一旦”日次トランザクション・ファイル”に蓄積し、バッチ更新で勘定科目マスター・ファイルを更新するようなロジックを作る筈だ。経理システムのミソはデータ修正の痕跡を絶対に残さない事だ。

実は、業界には業界の裏事情が有る。税理士は元税務署職員の退職者が多いので、税務署に都合が良い方向で財務諸表と決算書を作成したがる。企業からすると税額は出来るだけ減らしたい。しかし、赤字になれば銀行の態度が急変する。そこで、決算時には在庫や仕掛品の評価で税理士と企業で「ア~だコウだ」と揉める。その仕訳修正の痕跡が残ると税務署の税務調査の対象になり易い。従って、修正仕訳の痕跡は絶対に残してはいけない。そう言う業界の裏事情までシステム・エンジニアは頭が回らない。
同様に公認会計士は上場企業の株価を維持するために、企業業績の水増しをしなければ仕事が無くなる。そこで、在庫や仕掛資産で資産勘定の評価額を操作する。これも仕訳データ修正の痕跡を残してはいけない。「ミロク経理」が倒産しても「ミロク情報サービス(MJS)」が生き延びた理由がここに有る。ユーザーのほとんどが税理士と公認会計士で、「MJS」は財務データの修正が自由自在に可能な財務システムを売りにしていたからだ。実際、この世界は納税額を先に決めておいて仕訳データの改ざんが判らない様に決算書を作成する事が不可欠なんだ。

実務の世界では学校では絶対に習わない「大人の事情」が必ず有る。財務の世界は修正の痕跡が判ってはいけない。同じ事は建設工事業の財務にも言える。工事を完成させたり、未成工事に戻したり出来なければ実際には使えない。工事が完成したか未完成か、で会社の売上額が上下する。役所の「経営審査」や税務署には判らないように試行錯誤が出来るシステムでなければならない。人事管理の世界では役員報酬だけ貰っている人が居たり、実際に働いていない定時出勤・定時退社の社員が何人か居たりする。
販売管理でも販売価格は定価でも添付数で実質的な値引きをしていたり、バックリベートが有ったりする。再販制度の縛りがキツイ「製薬業界」「化粧品業界」「酒販業界」では、普通では考えられない特殊な取引が山のように有る。特に「酒販業界」では「空容器」の取引が有って、ビール瓶や一升瓶を酒屋が持って帰るのは善意なだけでは無い。「空容器」は独立した流通経路が存在するので商売として引き取りをしている。そういう「大人の事情」にも対応しなければ実務では使えない。

アメリカは歴史が短い多民族国家なので、基本的に”取引先を信用しない”という文化だ。逆に日本は信用を重んじる文化が根付いているので「大人の事情」が随所に有る。その事を知らずに業務システムを構築することは出来ない。
(22/10/15)


NO.74 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(5)


頭のリハビリ(59)-諸悪の根源「構造化プログラミング」-

「ミロク経理」の基幹業務システムは「販売・購買・在庫システム」「一般経理システム」「給与計算システム」が1セットで、大抵の企業はこの3システムでコンピュータ化が実現する。それに「日本語ワード・プロセッサ」が別提供されていた。何しろ、沖電気製の24ドット・プリンタが標準搭載されている上に、キーボードに和文タイプのような漢字タブレットが標準装備されていたので、当時発売され始めていたワープロ専用機より簡単で高品質な文書作成が出来た。企業の営業部門も経理部門も社内文書や社外向け文書作成の需要が多かったので、ワープロとしての社内争奪戦は熾烈だった。マシンがどの部署に設置されるかは、企業内での”力関係”で決まるので、経理部門が強い会社では「経理課」、営業部門が強い会社では「営業部」、「人事課」は大抵経理か営業に遠慮しながら借りるという会社がほとんどだった。
このシステム運用に必要な経費は、マシンとソフトのリース料(賃借料)が月額12万円ほど、消耗品としては15インチ・ストックホーム紙、フロッピー・ディスク、売上伝票用紙、請求書用紙、元帳用紙などで月額2万円ほど。後は半年に一度プリンタ・インクリボンを交換する位なので、全て足しても女性社員一人分の給料にも満たない。しかし、事務員さんの採用を3人程度は減らせるので、企業にとってはメリットが大きかった。
問題は、古参の事務員さんが「クビになるのでは?」と疑って、何かと風当たりが強くなる事だった。そこは、”オバサン・キラー”の「ウ~サン」としては、ひたすら低姿勢に”誠意大将軍”に徹して切り抜けた。中小企業のコンピュータ導入で一番神経を使うのは”お局様”対応で、社長でさえ「上手い事やって~な!」と逃げていた。その”お局様”が社長の奥さんだった場合は最悪で、夫婦喧嘩の仲裁までしなければならないケースも有った。

ところが、これら標準基幹業務システムでは対応できない企業から問い合わせが来る”有難い”ケースも有る。最初に個別システムを手掛けたのは京都市南区のマンション管理組合からの「水道料金請求システム」だった。これは「ミロク経理京都支社」(当時、東洞院四条の「Jujia」の上の階に有った)の福本所長に頼んでソフト開発会社を紹介して貰った。システムとしては非常に簡単で「居住者マスター・ファイル」と「水道料金請求書」のプリント・アウトだけだ。何故コンピュータ処理が必要なのかと言うと、戸数が700戸を超える京都最大の分譲マンションだったため、手作業で請求書を発行するのが大変だったからだ。
分譲マンションの管理組合には、実はここにも「大人の事情」が有る。京都市の場合、水道料金の請求を管理組合に委譲している。早い話が「面倒臭い」からだ。京都市水道局はマンション全体に水道水の供給する”元菅”にメーターを設置して二ヶ月に一度のペースで管理組合に「上下水道料金」として請求する。管理組合は各戸の水道メーターを検針し、隔月で「上下水道料金」として各戸に請求する。マンション管理組合は「簡易水道事業者」でも有る。ここでの「大人の事情」は京都市が請求する料金は引込管の口径に応じた単価で計算するため、大口需要者の扱いになる。一般家庭のは水道管の口径が異なるので、水道料金の差額が発生する。その莫大な差額がマンション管理組合の”ヤミ収入”になる。管理組合がボヤボヤしていると「マンション管理委託会社」に差額をネコババされる悪質なケースも有る。京都市南区の京都最大の分譲マンションの場合、水道料の差額が莫大なので、コンピュータを導入して個別システムを構築しても短期間で元が取れる。実は、この管理組合の理事長が「ウ~サン」だった。ただ、下手をすると”背任””横領”の疑いを掛けられる可能性が有ったので、別の販売特約店経由で購入する事にした。これもまた別の「大人の事情」だった。

この「住民管理・水道料金管理システム」は、発注者が「ウ~サン」だったのでソフト開発会社からソース・コードの提供を受けた。そのソースを見て唖然とした。どのプログラムも、処理のロジックが全く追えない。プログラムの全てがデータ領域を宣言した後、サブルーチン・コールの連続になって終了する形になっていた。そこで、JR新大阪駅前に有ったソフト開発会社に行き、社長に「何でこんなプログラムを書いた?」と尋ねたら、「ウチは基本的に”構造化プログラミング”で製作しているんや!」という訳の判らない回答だった。後で知った事だが、この時期ソフト外注の間で”構造化プログラミング”という手抜手法が蔓延していた。確かに、プロブラムを粗製乱造するには合理的な方法では有るが、プログラム・ロジックを追い難い上に、一切のコメントが書かれていないため、実行エラー(バグ)の解析は非常に難しくなる。
実際「ミロク経理京都支社」でも個別システムのトラブルが絶えなかった。しかも、プログラミングを行った会社が倒産していたり、プログラマーが別のメーカーの鞍替えしたりして、宙に浮いてしまった話が沢山有った。そこで独自に「逆アッセンブラ」を開発し、オブジェクトからソース・コードを生成する事にした。すると、トラブルの多いシステムのほとんどが”構造化プログラミング”で製作されていた。プログラムのバグの修正にはグチャグチャな”構造化プログラミング”を丁寧に解く作業が不可欠になった。

後に、日立製作所、日本IBM、東芝、NEC、富士通の全メーカーが販売していた「基幹業務パッケージ」のソース・プログラムを検査したところ、ほとんどが”構造化プログラミング”で製作されていた。大手コンピュータ・メーカーの「基幹業務システム」の出来の悪さの原因の一つに、当時ソフト外注に蔓延した”構造化プログラミング”手法が挙げられる。
(22/10/17)


NO.75 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(6)


頭のリハビリ(60)-「構造化プログラミング」駆除不能-

COBOL(コボル)やFORTRAN(フォートラン)の様な高級言語から”コンピュータ教会”に入信した人と、ウ~サンの様に高級言語から一旦アッセンブラとかマシン語に戻って、RPGの様な高級言語に帰って来た人間では、プログラムの考え方が根本的に異なる。ウ~サンの様な”希少動物”はプログラムをマシン語に変換して考えてしまう。実は、困ったことなのだが、頭の中で「プログラム・カウンタ」「レジスタ」「アッキュームレータ」「スタック・ポインタ」が常に働いてしまう。考え様によっては”一種の病気”なのかも判らないが、常に頭の中で「コンパイラー」が働いている。しかも、「マルチ・ユーザー」「マルチ・タスク」の環境では「ロードモジュール」どのように分割されるかまで考えてプログラミングを行う習性になってしまっている。最初の話で述べたように、コンピュータは高級言語では無く、マシン・コードで動いている。システム全体の実行効率を高めることと、実行エラー(バグ)を無くす為には、ロード・モジュール(オブジェクト)をコンパクトにする事で有って、ソース・コードを短くする事では無い。

「構造化プログラミング」に心酔したプログラマは、そこのところが全く判っていない。実はそんなプログラマーが日本は勿論、世界中に蔓延してパンデミック状態になってしまった。

どういう事か簡単に説明すると、”N”という変数をゼロ・リセットする場合、
MOVE ”0” N  より
SUB   N  N  の方が早い、更に
XOR   N     は命令一発でゼロ・リセット出来る。
XOR命令(エックスクレッシブ・オア命令)とはNにNの補数(ビットの0と1を反転させたもの)を足す事だ。X+(-X)と同じ事を一発でしている。
実際のコンピュータではもっと複雑な事をやっているが、考え方として見て欲しい。

構造化プログラミングで多用する”GOSUB”と”RETURN”はソース・プログラムでは簡単だが、コンピュータにとっては大変な事をやっている。”GOSUB”命令で、プログラム・カウンタをスタック・ポインタに覚えさせ、サブルーチンがロードされたアドレスにジャンプする。”RETURN”ではスタック・ポインタの値に+1した値をセットする。これでやっと戻れる。従ってサブルーチンの中から別のサブルーチンに飛ぶと、スタック・ポインタを2個覚えておかなければ戻れなくなる。サブルーチン・コールはマシンに余計な負担を掛けている。これがマルチ・タスクOSではサブルーチンがオーバーレイ構造のために分割されていて、メイン・メモリーにロードされていないケースが多いため、ディスクから追加でロードする必要が有る場合が有る。
何を言っているのか、サッパリ判らないと思うが、ここまで易しく書いているのが判らない人は、プログラマーとしての適性が無いと思って欲しい。
要するに、ソース・プログラムでは短い命令でも、マシン語に翻訳(コンパイル)されるとコンピュータの中ではエライ事になっている。という話。

ところが、MACが登場し、GUI(グラフカル・ユーザー・インターフェース)が不可欠になってしまい、Microsoft社もIBMも対応せざるを得なくなてしまった。そこで、IBMのOS2開発部隊をMicrosoft社に移籍させてWindowsをリリースさせた。その時にWindowsそのものが”構造化プログラムのお化け”になってしまっていた。それでもWindows3.1までは、MS-DOS上で動くアプリケーションだったが、Windows95から後は完璧な”構造化プログラムの権化”と化してしまった。Windowsカーネルの共通する要素をモジュール化し、ダイナミック・リンク・ライブラリ(DLL)として提供した。実行モジュール(EXE)はDLLを使用する事で大幅な効率アップを得る事が出来た。その反面、色々なアプリケーションがDLLを共有して使用するために、プログラム・カウンタが暴走して迷子状態になりアプリケーションが固まる「フリーズ現象」が頻発した。Windows Meまでの”Windows95系”はコンベンショナル・メモリが640KB(それ以上は小さなサイズの領域を差し替えて使っていた)だったので、DLLの共有使用は避けられなかったが、Windows2000以降はメモリー空間の制限が大幅に緩和されたことで、アプリケーション毎に別々にロードする事が可能になり、画面が固まることは無くなった。

こうなってしまっては、残念な事に”構造化プログラム”を駆除することは不可能になってしまった。コロナ・ウィルスと同様”With 構造化プログラム”の世界で生きるしか無い。しかし、メイン・メモリーが最低でも4~8GB以上必要という呆れた世界になってしまった。
(22/10/17)


NO.76 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(7)


頭のリハビリ(61)-「ミロク経理販売特約店」順調なスタート-

ウ~サンが自分が住んでいて管理組合の理事長だったところに「ミロク:スーパー7」を半ば強引に設置した。これは、明らかに”職権乱用”だった。本式に企業に販売したのは、これも有る意味”押し売り”に限りなく近い。この「シバケンの天国」に「M社のISO物語」に登場する「M社」だった。時は1982年、ウ~サンと前クンが「ローム株式会社」を退社して「ミロク経理販売特約店」を旗揚げした年だ。「M社のISO物語」の約15年前に「ミロク:スーパー7」を納入した。その後「IBMシステム36」にシステム・アップした、「ローム株式会社」のLEDアレイ製品の生産と、後に「任天堂」のファミコンの生産を行い、亀岡でも大きな企業に成長した。

「M社」とは「ミヤ電子(株)」で、ウ~サンが最初に設計した8の字2桁の無線機に搭載するディスプレイの基板を製作する仕事を発注、その頃は「(有)イナカワ」という内職屋さんだった。場所はJR山陰線並河駅近くの線路沿いの倉庫の一角で、事務所なんか無い薄暗い作業場だった。この「イナカワ」さんに発注した仕事は、耐熱ガラス・エポキシ両面基板に16本のリードピンを挿入してカシメを行う作業で、設備は「ローム:トランジスタ製造部」の大居さんが担当してくれた。かの、ボール・ボール・ボンダ―の生みの親という神様のような存在の先輩だ。この頃の「イナカワ」さんは近隣の農家を回って農家の奥さん達に内職仕事を提供する地味な仕事だった。その内職屋さんがLED製品の爆発的な業績アップにつれて大きくなり、千代川駅の少し山に入ったところに土地を買い、社長の自宅と工場を建てるまでになった。そうなる迄に、仕事を発注して来たのが、他ならぬウ~サンと前クンだった。前クンは「ローム:IC製造部FT課」でIC製品の標印検査などを発注していた。その2人が揃って社長の家に押しかけ「ミロク:スーパー7」を買え!。となった訳で、間違っても”嫌”とは言えない立場に有った。これは、一般的な営業活動では無い。100%”押し売り”と言われても仕方が無い。
この「ミヤ電子(株)」では「販売・購買・在庫システム」「経理システム」「給与計算システム」のフルセットと「日本語ワープロ」を納入し、導入サポートは前クンが担当した。シバケンさんが「ローム株式会社」をリストラされ、ISOのコンサルタントになる15年程前の話だ。
その頃の「ローム株式会社」は三菱電機のオフコンを導入したが、ホスト・マシンの能力が不足して稼働出来ず、端末にシートが被った状態だった。何と、親会社の「ローム」より先に子会社の「ミヤ電子」がコンピュータ化を実現してしまった。「ローム株式会社」は後にIBM3090システムを導入したが、全社情報システム「ロビン」の開発に手間取り、「ミヤ電子」のIBMシステム36の全社システムの方が先に稼働していた。当時「うちの方がロームより上や!」と稲川社長がロームで自慢していたらしい。

その次に手掛けたのが「京都大学病院」の敷地内に有る2つの保育園で、ある紹介者から「コンピュータが欲しい」という美味しい話だった。最初から「幾らで出来る?」という話で、「ミロク:スーパー7」に「社会福祉法人会計システム」と「給与計算システム」「日本語ワープロ」で納入した。「社会福祉法人会計システム」は一般企業の税務会計と異なる。基本的には複式簿記だが、勘定科目に厚生省が定めたコードが割り振られている。収入の多くが国と地方自治体から支給される「措置費」という名前の税金で、税務署に税金を支払うという概念が無い。ここはバリバリの共産党の世界で、後にIBMを日本共産党関連団体に次々に導入したため、ウ~サンが日本IBMで一躍有名人になった最初の記念すべきユーザーだ。

「ミロク経理特約店」の最初の年は、苦せずして販売が出来たところだった。この頃は失業保険が1年間貰えたので、生活は楽だった。後にバブル経済崩壊で「雇用促進事業団」が雇用保険の財源をリゾート開発で食い潰し、失業保険が大幅に削減される前の平和な時代だった。その翌年から、一転して地獄が待っていた。
(22/10/18)


NO.77 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(8)


頭のリハビリ(62)-「ミロク経理販売特約店」vs ヤクザ -

「ミロク経理販売特約店」として順調なスタートを切った「ウ~サン」だったが、「ミロク経理:京都支社」の名前は忘れてしまったが福本支社長の後ガマの支社長から「頼むし、助けて~な!」と泣きが入って、と有るミロク・ユーザーへの訪問に同行することとなった。勿論、悪い予感はしていたが、何事も社会勉強。”目クラ蛇に怖じず”で同行した。

処は、京都市伏見区(これだけで充分怪しい)京阪電鉄「中書島駅」の北の路地を少し上がった(京都では北に行くことを”上ル”と言う。実際は真っ平でも)所の古びた酒屋さんだった。店の奥の居間に入るなり「アンタら、この落し舞いドウ着けてくれるんや!」とヤクザ映画そのものの店主の罵声が炸裂していた。聞けば、別の「ミロク経理特約店」がこの小売酒販店に「ミロク:スーパー7」を売り込んだ。ところが、自慢の「販売・購買・在庫システム」では酒販店の取引形態に適合しない特殊な取引が沢山有った。そこで、京都支社がソフト開発を発注していた外注の人(個人経営)にソフトの修正を依頼した。ところが、この環境に恐れをなして逃亡、最後の手段として「ウ~サン」に白羽の矢が立った。・・・・・・・という流れだった。

ビジネス用語的には「クレーム処理」。正直、迷惑千万な話だったが元「ローム株式会社:LED製造部QC課」のプライドに賭けて「お任せあれ!」と言わざるを得ない状況になってしまった。しかも、ゼロからのスタートでは無い。すでにリース料の支払いは進んでいて、システムが稼働していなかった期間は、店主からすれば「金を盗まれた!」という心境になっている。しかも、この店主、明らかに現役の”ヤクザ”、映画俳優にしても通用すると思われるカッコイイ”ヤクザ”だった。従って相当なるマイナスからのスタートとなった。

酒販業の取引形態で他の業種と明らかに異なるのが「空容器」で、素人さんは「返品」として処理が可能だと思ってしまうが、実際は「仕入」と同じ扱いになる。空瓶を引き取ると「売上処理」の中に「仕入」が混在するという複雑怪奇な事になる。そこで、「販売・購買・在庫システム」の「売上処理」プログラムを秘密兵器の”逆アッセンブラ”でソース・コードを生成する事から始めた。ところが、このプログラムは強烈な長さな上に複雑なんてものでは無かった。それを連続徹夜でソース・コードを生成し「空容器」の処理区分を新設して「酒販用売上処理」プログラムを作成した。さらにバッチ更新処理の「日次更新処理」を”逆アッセンブラ”で解析し「酒販用日次更新処理」を作成した。更に「請求明細書」も「酒販用請求明細書」を作成。更に更に「月次管理表」類にも「空容器」を反映できるよう修正した。勿論「得意先マスター・ファイル」の空き領域を利用して「空容器取引額」のアイテムを作成した。結果、思わぬ大改修となったが、ここに「酒販業システム」が図らずも完成してしまった。

実は「小売酒販業界」には、ここにも「大人の事情」が有って、何処の酒屋も同じ商品を定価販売しなければならない「再販制度」に縛られていた(現在はディスカウントが増えて、この制度は崩れている)。つまり「商品マスター・ファイル」が共通で使えるという”美味しい”業界だった。従って、新規に導入しても「得意先」さえ登録してしまえば、速攻でスタートが切れる。ウ~サン開発の「酒販業システム」は「商品マスター・ファイル」を標準搭載して、近畿一円の「ミロク経理特約店」の稼ぎ頭になってしまった。

・・・で、問題の伏見のヤクザの話に戻るが、このお店の経営者は店主のお姉さんで、元々は伏見の花街出身の上品で美人の”女将さん”だった。そのご主人が過労からか亡くなり、途方に暮れていたところ、極道の世界に居た実の弟が店主となって姉を支えていた。この弟さん、見掛けはヤクザだが、話して行く内にメチャクチャ優しい奴だった。まさに、任侠映画そのものの異様な世界。「酒販業システム」が完成し順調に稼働する頃には「ウ~サン、飯喰ってき~な!」と、まるで家族の様に3人で鍋をつつくまでになっていた。

「ミロク経理京都支社」としては火消しに成功したと見て、滋賀県でもトラブルになっていた酒屋を全て振って来た。さらに、ヤクザ対応が評価され京都の「消費者金融」業者までも「ウ~サン」に振って来た。「ウ~サン」にして見れば地獄の日々の幕開けだった。
(22/10/19)


NO.78 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(9)


頭のリハビリ(63)-「ミロク経理」新機種投入 -

 誰のお陰とは言わないが「ミロク経理京都支社」の業績は大幅にアップし、京都四条河原町の交差点を少し南に下がった(南下)「高島屋」百貨店の南のビルに移転した。フロア面積は「Jujia」のビルの2倍以上で、ショールームまで有った。その頃、新機種「ミロク:スーパーパワーXⅡ」と「ミロク:スーパーパワーXX(ダブルX)」が新発売された。大きな変更箇所はプリンタが富士通製のやや安物のものだったが、24ドット・プリンタだったので印字の品質は変らなかった。大きく変わったのが本体で、フロッピーが5インチになった。ドライブ数は3台で変わらず。CPUがインテル80186になった。OSは「CP/M」の会社がコケてしまったので、「MS-DOS2.0」となってFATが使えるようになった。それと、NEC製の3.5インチ10MB(ギガでは無い)のHDDが初めて搭載された。キーボードは「スーパー7」と同じアイテム・ブックと漢字タブレット。価格は「XⅡ」が298万円、「XX」が348万円だった。
全体としては、デザインがやや洗練され格好は良くなったが「スーパー7」に比べると”安っぽくなった”感が有った。

 操作上の変化は起動の手順で、プログラム・ファイルのシステム領域がやや大きくなったため、OSは”ドライブ0”で「IPLモニター」というフロッピーを読み込ませてシステムを起動し「EAPLEインタープリター」をメイン・メモリーに常駐させる。この”ドライブ0”を「プログラム・ファイル」に差し替えて、”ドライブ1”に「マスター・ファイル」、”ドライブ2”に「累積ファイル」を挿入する。内臓されたHDDはブート用では無く、ソート処理の時だけ「ソート・ワーク」として使用されるという変則的な使い方だった。

 この新機種が売れに売れた。ウ~サンの「関西開発部」が独自に販売を開始した「酒販業システム」は版権を「ミロク経理:京都支社」のほか、大阪支社・神戸支社にも渡したため、近畿一円で爆発的に売れた。また「スーパー7」以前の機種で完全個別システムで稼働していたユーザーが一気にリプレース時期になり、その全てがウ~サンの所に転がり込んで来た。

ウ~サンとしては「笑いが止まらない」と言いたいところだが、年中無休で京都を中心に滋賀県・奈良県・大阪府・兵庫県を駆け回らなければならない状況になってしまった。
(22/10/20)


NO.79 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(10)


頭のリハビリ(64)-「ミロク経理」初のUNIXマシン発売 -

 老舗の大手コンピュータ・メーカーを尻目に快進撃を続けた「ミロク経理」だったが、我々が知らない間に大手企業の”魔の手”が迫ってきた。先ず、「東芝」が自力では売れそうも無い新機種の「ミロク経理」アプリケーション・パッケージを移植して「ミロク:ブランド」で発売するという手を打って来た。また、デスクトップ・パソコンも「ミロク:ブランド」で発売するという姑息な手を打って来た。「ミロク経理」はコンピュータ事業を「アルプス電気」一本でやってきたので、アルプス側から見れば”裏切り”行為となる。そこで「アルプス電気」には内密に新機種開発を進めたようだ。

 「ミロク経理」が調子に乗って大幅な事業拡張を狙ったために、結果的に倒産の憂き目に遭うのだが、この時は経営陣が舞い上がっていた。大手メーカーがOEM商品を手掛けるには、必ず裏が有る。「東芝」がOEM製品を発売する訳は「例え失敗しても逃げられる」という事だ。そこまで「東芝」が腐った大企業だったことに”新参者”の「ミロク経理」が気付かなかった。

 ある日突然に「ミロクMSトゥゲザー」というマルチ・ユーザー型のオフコンを発表した。メーカーは「東芝」で、ワークステーションが7台まで接続できる。OSは「UNIX」詳しい事は公表されていなかったが、これまでのスタンドアロン型の何チャってオフコンとは明らかに違う。ただ、IBMの様なメインフレーム系では無いことだけ判っていた。本来で有れば「東芝ブランド」で発売すべきものを、余程自信が無かったのか「ミロク経理」を巻き込んだ形になった。アプリケーションの開発言語は「COBOL」が提供されていたので、「EAPLE」から「COBOL」への移植は時間だけの問題だった。ところが、UNIXはセキュリティの概念が無いに等しいOSだったので、複数のユーザーで1つのファイルの共有する事が出来ない。具体的には「販売・購買・在庫システム」の「日次トランザクション」をワークステーション別に作成し「日次データ統合処理」で1本の「日次トランザクション」にするというUNIXの弱点が見えていた。

 そもそも、システム起動時に「ログ・イン」画面が無い。IBMの世界では有り得ない事で、最初からアプリケーション・メニュー画面が表示される。同様にワークステーションでも「ログ・イン」無しでメニューが表示される。こんなイカサマに気付くミロク経理社員や販売特約店は皆無だった。そもそも、大型コンピュータを使った経験者はウ~サン以外誰も居なかった。しかし、アプリケーションの完成度は意外にも高かった。その前に発売されていた「ミロク:スーパーパワーXⅡ」と比べても、HDDブートでファイル類もHDD常駐。FDはバックアップ用だけだったので、チョット見にはIBMシステム36レベルより上に見えた。ただ、提供されたユーティリティを操作するのに、UNIX独特のディレクトリ(インターネットのURLと同じ)構造には閉口した。何せ”ライブラリ”という概念が無い難儀なOSだった。

ところが、まだ発売もされていないのにミロク経理の営業が無謀にも契約してしまった。ウ~サンの会社に近い京都市南区鳥羽の「テラダマサ(株)」という日用雑貨卸の会社で、創業100年の老舗(京都では300年以上でないと”老舗”とは言えないが)で、巨大な倉庫を持つ卸売屋さんだった。京都府全域の百貨店・ホームセンター・金物店を顧客に抱える大企業だった。その会社のサポートを任された。
(22/10/21)


NO.80 日本のコンピュータ教育の根本的な誤り(11)


頭のリハビリ(65)-「ミロク経理」倒産 -

 「ミロクMSトゥゲザー」が発表された後で、デスクトップ・パソコン「ミロク:G-5」が発表された。メーカーは「東芝」。「Dynabook」でノート型パソコンの牙城を築いた「東芝」だが、実はNEC PC-98に対抗してデスクトップ型パソコンもヤミで開発していた。元々「東芝」は「TOSBAC」として大型コンピュータも手掛けていた。ほかは、NECの「NEAC」、富士通の「FACOM」、日立製作所の「HITAC」、三菱電機の「MELCOM」が凌ぎを削っていた。しかし、最終的に生き残ったのはIBM互換路線を取った富士通と日立製作所だけだった。NECは”大塚商会”と共に沈没、三菱は”オービック”を撒き込んで撃沈、そして東芝は”ミロク経理”と共に玉砕した。
 
 「ミロク経理」が玉砕した原因は、目玉のアプリケーション・パッケージのフリーコピー路線を急転換し、コピーを禁止した事の一言に尽きる。後のMicrosoft社の「Windows XP」や「Office」、Adobe社の「Photoshop」などでも起きた現象だが「ミロク経理」が先例と作ってしまった。メーカーとしては「フリーコピー」が出回るのは損をしていると考えるのは理解できる。しかし、コンピュータはアプリケーションが無ければ、タダの箱でしかない。”売る側”と”作る側”の立場の違いが衝突した時、危機が訪れる。フリーコピーを禁止した事で「ミロク経理販売特約店」のモチベーションが急降下して、急激な販売不振、倒産という事になってしまった。その時の負債額は僅か10億円だったが、銀行や東芝が支えなかったのが決定的だった。何故なら「東芝」は見事に逃げた。パソコン開発部隊の半分は「Dynabook」部隊に編入、半分は「東芝テック」に飛ばされた。オフコン開発部隊は完璧に抹殺された。東大閥の「東芝」は最低の行動をして、市場から去った。ただし「Dynabook」だけは首の皮一枚で繋がって、今でも生存している。天下の「東芝」がノート型パソコンだけで存在しているのは、こう言う馬鹿な事をやってしまった報いである。

 こんな事態に「アルプス電気」が巻き込まれてしまった。資金繰りが急激に悪化した「ミロク経理」は「販売特約店」を回って”約束手形”を集めていた。怪しいとは思ったがアルプス製の新機種を発注するのに、先に”約束手形”を切らされた。また「ミロク:G5」を100台単位での”割賦販売契約書”の契約を強制した。その3日後にミロク経理が倒産してしまった。その時、銀行団がミロク経理本社に押し掛けて、”約束手形”と”G-5割賦販売契約書”を盗み出した。
後に窃盗団と化した大手銀行から手形の取り立てが来た。しかし、発注した商品は届かず、手形の取り立てだけが来た。「北海道拓殖銀行」と「東京銀行」の2行、後のバブル経済崩壊の時に「北海道拓殖銀行」は経営破綻し、「東京銀行」は「三菱銀行」に吸収されて無くなった。自業自得である。
 取り立てだけが来た”約束手形”は、”弁護士”に相談しても「勝てない仕事は受けません」の一言で逃げられたため、何とか工面して分割で支払った。以来、”弁護士”という馬鹿な奴等は、金になる仕事しかしないという事が判り、一切信用しない事に決めた。”G-5割賦販売契約書”はミロク経理の元役員の一人が銀行団(窃盗団)から取り戻し、廃棄してくれたので被害は無かった。

 ミロク経理の社員は、突然に会社が倒産したため、大パニックになり、ウ~サンの会社にも泣き付いて来た。中にはミロク経理社員だけで新会社を起こしたグループも居た。その脱藩組は後に同じ地域で商売仇になってしまった。また、この倒産劇に巻き込まれなかった「MJS:ミロク情報サービス」に逃げ込んだ社員も居た。コイツ等も後に商売仇になってしまった。何と同じ地域で、元の仲間同士の熾烈な潰し合いが始まってしまった。ここで明暗を分けたのが”技術力”と”資金力”だった。

ウ~サンの会社は何とか危機を脱して「ミロク経理京都支社」の全帳票ユーザーと全コンピュータ・ユーザーを引き受けた。そのお陰でウ~サンの会社は「ヤクザから役場まで」をキャッチ・フレーズに京都最大の販売店となってしまった。(ただし、悲しいかな売る物が無かった)
(22/10/22)